2018年9月3日月曜日

ぼくよりもつらい思いをしている人はたしかにいるだろう

つまんない。リアルがつらい。

つまんないなぁ。



目がつかれている。もう一度眠るか。黄色眼鏡装着。



歯磨き中



戦意喪失。



ジュースでも買いに行こうかと思ったけど、雨が降ってきた。

現実って、これ、くるしいよな。ぼくの場合はヘビメタ騒音以降、くるしくなった。それまで苦しさと、ヘビメタ騒音以降のくるしさはちがう。他の人は、ヘビメタ騒音以降のくるしさを知らない。

だから、話しが食い違う。『くるしい』と言ったって、ヘビメタ騒音以前の『普通の生活が成り立っているところでの』くるしさだ。ぜんぜんちがう。ヘビメタ騒音以前だって、気違い親父にいろいろとやられていて、普通の人たちよりはくるしかった。

けど、ヘビメタ騒音以前とヘビメタ騒音以降とではちがうんだよ。基本がちがう。普通の人たちの場合、精神病質者である父親にはたたられていない。精神病質者ではない父親との間にだっていろいろある。

学校に行けば、学校に行ったで、いろいろなことがあるだろう。その中にはつらいこともあるだろう。俺も、いろいろなことがあった。当然、つらいこともあった。

けど、それは、ヘビメタ騒音以前の「つらさ」なのである。ヘビメタ騒音以降のつらさではない。ぜんぜんちがうんだよ。ヘビメタ騒音以降と書いているけど、これは、ヘビメタ騒音『さいちゅう』も含んでいる。ヘビメタ騒音以降で、ヘビメタ騒音期間中とヘビメタ騒音以降を含んでいる。ヘビメタ騒音以前と、ヘビメタ騒音以降だと、つらさのつらさがちがう。つらさの質も強度もちがう。ぜんぜんちがう。ともかく、ちがう。

ちがうのだからしかたがない。

これも、たぶん『自分だけつらいと思っている』などと思う人がいるのだろうけど、ちがう。普通の人のつらさとは、ちがうんだよ。まあ、他の人でも、抱えていることがちがうので、ぼくよりもつらい思いをしている人はたしかにいるだろう。けど、似非スピリチュアルなことを言っている人は、ヘビメタ騒音以降のつらさを知らない。普通のつらさしか知らない人たちだ。

そりゃ、生きていればいろいろある。

けど、似非スピリチュアルなことを言っているということ自体が、その人たちが経験したつらさは普通のつらさだということを明示している。そんなことは言ってられない状態になる。ぜんぜんちがう。ただ単に、経験してないから、そういうことが言えているだけだ。別に人間の質がいいからではない。

ほんとうに、『知らないだけ』。知らないだけの人たちなんだよな。それはある意味、しあわせだ。いや、すべての意味でしあわせなのかもしれない。けど、それは、知らないだけ。経験してないだけ。人間の質とは関係がない。ただ単に、経験してないだけ。


雨がやんだから、ジュースでも買いに行こうかな。


似非スピリチュアルなことを言う人たちは、『雨が降ったから、ジュースを買いに行けない』ということ考えるのが非合理的だと言うだろう。あるいは、ネガティブだと言うだろう。

『雨が降ったって、ジュースなんて買いに行ける。雨の中、ジュースを買いに行くということすら、楽しむことができる。雨を楽しむことだってできる。雨の中を歩くということすら、楽しむことができる。『雨が降っている』ということをネガティブにとらえるか、ポジティブにとらえるかで、楽しいと思うか、つらいと思うかがちがってくる。他の人たち(ネガティブな人たち)が言っている「つらさ」なんていうものは、そんなものだ。ネガティブな人は、中立的な事象(事柄)をネガティブにとらえるから、つらく感じているだけなんだ』……こんなふうに思うかもしれない。

ぜーーんぜん、そんなんじゃないから。もう、ここらへんからしてちがうんだよな。経験がないというのは、こういうふうに残酷になれるのか。経験がないのだとしたら、どれだけ言ってもわからないだろうな。それそこ、その人のとらえ方次第だからな。「つらい」あるいは「つらさ」という言葉であらわされていることが、ぜんぜんちがうのだからしかたがない。

水俣病で言えば、有機水銀を摂取したあとの世界と、有機水銀を摂取するまえの世界は違う。有機水銀を摂取するまえだって、人間として暮らしていれば、それは、「つらいこと」だっていっぱいあるわけだ。けど、有機水銀を摂取したあとのつらさと有機水銀を摂取するまえのつらさはちがうと思う。

これは、もう、質がちがう。脳みその神経細胞が不可逆的に変化してしまったのだからしかたがない。「水銀の毒」で感じているつらさと、普通の生活をしていたときに感じていたつらさはちがうはずだ。

人間というのは、たしかに、自己治癒能力がある。これは、感じ方とかそういうこととはちがう話だ。ちがう話をしているんだけど、人間には生命体としての自己治癒能力がある。だから、自己治癒能力で治るところは治る。自己治癒能力で、つかれがとれる場合だってある。というか、普通は睡眠中に、つかれがとれているはずなのである。けど、激しいヘビメタ騒音はそういう普通の機能を破壊した。十年数年も毎日、激しい物理刺激を受けると、どうも、不可逆的な変化が生じるみたいなのである。

問題なのは、たぶん、可逆的か不可逆的かということなのだと思う。

   *   *   *

「つらさの、質がちがう」と言ったけど、それは、たぶんこういうことが影響していると思う。水銀の毒でつらい場合は、二十四時間中、二十四時間、ずっと、水銀の毒でつらいと感じている状態で暮らしているのだと思う。寝ているあいだ、どの程度の「つらさ」を感じるかどうかはわからないけど、「シネン」に関係なく、脳細胞がおかされているわけだから、体がつらいつらい状態が続くと思う。

普通の生活のなかでつらいことがあるという場合のつらさは、出来事のあとにしょうじるつらさなのである。出来事というのは、たとえば、失恋したとか、友達と喧嘩したとか、事実無根の悪口を言われたとか、いじめられたとか、親が離婚したとか、飼っている犬が死んでしまったとか、そういうことだ。ひとつひとつがいちおう「出来事」として感じられるつらさなのである。一方、「水銀の毒」でつらさが生じている場合は、二十四時間中二十四時間そのつらさが持続しているのである。

だから、水銀の毒でやられているさいちゅうに……出来事が生じることになる。要するに、普通の人の場合、悪い出来事があったときにつらさを感じるわけだけど、水銀の毒にやられている人の場合は、水銀の毒によるつらさにくわえて、悪い出来事がしょうじるということになる。

出来事のつらさを、たとえば、かりに1、2、3、4、5という度数で表現するとする。そして、水銀の毒でつらいといった場合のつらさを、3のつらさだとする。そのばあい、普通の人は、一日の中で、2、1、3、4、1というような感じでつらさを感じるわけだ。

実際に、ある人が、ある日に、順番に2、1、3、4、1という強度でつらさを感じたとしよう。けど、水銀の毒でやられている人はすでに、3がプラスされている。だから、ある人とおなじように悪い出来事が生じた場合、5、3、6、7、4というようにつらさを感じるということになる。

さらに、水銀の毒で体がつらい状態だと、実際にミスが多くなったり、記憶障害が出てトラブルが生じるのである。ふるえが止まらなくなったりして、やばい状態になってしまうのである。将来についても、不安な要素が増えてしまうだろう。要するに、悪い出来事が実際に多くなる。

かりに、悪い出来事が普通の人とおなじ回数、普通の人と同じような強度(度数)で生じていたとしても、「水銀の毒」による体のつらさで、強度が「そこあげ」されてしまう。だから、主観的には、普通の人が感じているつらさよりも強いつらさを感じてしまうということになる。

ノイズで表現すると、普通の人は、普通の場合、ノイズがない状態で暮らしている。普通の人の場合は、なんらかの悪い出来事のあとに、ぷ、ぷ、ぷとノイズを感じるのである。「水銀の毒」にやられている人は、常に、ノイズが鳴っている状態なのである。

そして、常に鳴っているノイズにくわえて!なんらかの悪い出来事のノイズがのることになる。それから、先ほど例としてあげた悪い出来事のつらさは、純粋に精神的なつらさなのである。悪い出来事のなかには、純粋に精神的なつらさとは言えないつらさがある。

それは、やけどをしたり、骨折したりというつらさである。小さなやけどなら治るし、骨折も普通の場合は時間がかかるけど治る。大きなやけどの場合は、跡が残る場合があるだろう。

だから、つらさはだいたい、純粋に精神的なつらさ、可逆的な身体損傷によるつらさ、不可逆的な身体損傷によるつらさにわけられると思う。その場合「水銀の毒」によって生じるつらさは不可逆的な身体損傷によるつらさだと思う。可逆的な身体損傷によるつらさも、不可逆的な身体損傷によるつらさも、精神的なつらさをともなうものだと思う。

   *   *   *

それから体のふるえだけど、これは、べつに「体をふるわせよう」と思って、ふるわせているわけではない。だから、「体をふるわせる必要がない」ということを認知したとしても、ふるえはとまらない。精神的に緊張してふるえている人は、精神的に落ちつけばふるえが止まるだろうけど、「水銀の毒」で体がふるえている人は、気分に関係なくふるえているわけだから、認知療法的な理屈は成り立たない。認知療法的な理屈というのは、「必要なぶんだけ緊張すればいい」というような理屈だ。「体をふるわせる必要がない」と認知すれば、からだのふるえは、とまるはずなのである。体のふるえと書いたけど、痙攣でもおなじだ。


わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。