2018年10月21日日曜日

「生まれた家の差」……スピリチュアリズム系の御利益本を書いている人がまったく見てないこと


これは言ってしまっていいのかどうかわからないけど、スピリチュアリズムに凝っている人は、つらい思いをしている人を自殺に追い込むようなことばかり言っている。彼らの言っていることは、「もちふだ」が中流以上の人には、いい助言なのかもしれないけど、「もちふだ」が下流(底辺)の人には、いい助言じゃない。どちらかというと、悪い助言で、下流の人を自殺に追い込むような助言だ。

これ、本当に、のんきな人たちや、「もちふだ」が中流以上の人にはわからないんだろうな。「もちふだ」と言ったけど、それは、「生まれ持ったもの」と言ってもいい。生まれの差がある。

けど、スピリチュアリズムに凝っている人は、「生まれの差はない」という前提でものを言っている。生まれの差は無視してはいけないのだけど、生まれの差を無視して、「よさそうなこと」を言っている。あくまでも「……そうなこと」だ。

けど、彼らがすすめることを、下流の人がやった場合、症状がひどくなって自殺したい気分になる。こころのバランスをくずす。

彼らには下流の人の状態がまったく見えてないのである。彼らは、下流の人がどういうことを経験してきたか、まったく理解してないのである。それらは、「理解したふり」をする場合があるけど、あくまでも「ふり」だ。理解してないから、理解している状態がどういう状態なのかわからない。わからないから、彼ら流の理解をする。けど、この理解は、理解じゃない。「理解もどき」みたいなものだ。

下流と言ったけど、これは、別にお金の話しじゃない。収入とか貯金の話しじゃない。もちろん、収入が少ない人、貯金がない人のなかには、下流の人が含まれている。(全部ではなくて、部分)。

もちふだが下流である人は、「なんとかしたくて」スピリチュアリズム系の御利益本を買うけど、そこに書いてあることは、下流である人を追い込むようなことばかりだ。普通のレベルの人(もちふだが中流)が、もっとしあわせになりたくて、御利益本を買うと、それなりに効果がある場合があるけど、下流の人(もちふだが下流)の人が御利益本を買うと、自分の首を絞めたくなってしまうような効果があるのだ。そこに書いてある方法は、そういう方法でしかない。下流の人は「そのやり方」では救われない。傷つくだけだよ。

それじゃ、スピリチュアリズムに凝って、スピリチュアリズム系の御利益本を書く人たちが、下流の人をいためつけたくて、そういうことを書いているのかというとそうじゃない。彼らは、ほんとうにわかってないだけ。いろいろと苦労したエピソードなどが書いてあるかもしれないけど、それは、情報商材の手口といっしょだ。ぜんぜんちがう。苦労の苦労がちがう。

たぶん、スピリチュアリズム系の御利益本を平気で書けるひとは、本人が中流以上なんだよ。だから、中流以上のことしかわからない。下流の人がどういう状態で、どういうことでこまっているのか、ぜんぜんわからないんだよ。

たとえば、「家族」と言ったって、異常に自分勝手な家族(の一員)だっているんだよ。異常に自分勝手な家族(の一員)にやられている人の気持ちがわからない。普通の家族に囲まれて生きてきた人は、異常な家族がどういうものだかわかってない。根本的にわかってない。

だから、そのレベルで、不幸とか、意地悪とか、いじめということを考えてしまう。けど、下流の人が直面しているのは、中流の人や上流の人が直面している、それ、とはちがう。

最初から「異常な家族」がないものとして、話をすすめている。要するに、不幸と言っても、普通の家族の不幸しか考えてない。異常な家族の不幸は、最初から考えてない。異常な家族がいるうちに生まれたということが、つまり、下流だということだ。わかるかな? 下流か中流か上流かのちがいのひとつが「生まれた家の差」だ。

   *   *   *

スピリチュアリズム系の御利益本のうち潜在意識系と感謝系は特に、精神病質的な家族の一員にやられた人を崖っぷちに追い込む。重たい気持ちをさらに重たくする。

スピリチュアリズム系の御利益本のうち潜在意識系と感謝系は、精神病質者にやられてこまっている人を自殺に追い込むような力がある。ぼくはこれを、冗談で言っているわけではない。システムとしてそうなっている。細かい理由に関しては、もう、すでに『騒音サイコパス』収録分に書いたから、ここでは細かい理由は説明しないけど、理論的必然として「追い込む」ところがある。

スピリチュアリズム系の御利益本のうち潜在意識系と感謝系を読んで「ずっしりと重たい気持ちになる」人は、それ以上、そういう本を読まない方がいい。ずっしりと重たい気持ちになったり、あせった気持ちになったりしているということが、すべてを物語っている。

どのみち、『超・少数派』だから、ぼくが言っていることがわからない人のほうが多いと思う。スピリチュアリズム系の御利益本のうち潜在意識系と感謝系に関する本当の反応で、その人がなにをされたのかわかる。されたことの質がちがう。ぜんぜんちがうんだよ。

やられたことの『質』がちがうので、『一般論』は参考にならない。逆に言うと、スピリチュアリズム系の御利益本に対する反応で、どういう人になにをされてきたのか、わかる。リトマス試験紙のようにわかるんだよ。

ぼくは別にスピリチュアリズム系の御利益本は、どんな場合でも、どんな人でも、だめだとは言ってない。一部の人は、スピリチュアリズム系の御利益本で傷つく。他の人は、スピリチュアリズム系の御利益本で元気になるのだろう。だから、すべての人にとってスピリチュアリズム系の御利益本がだめだと言っているわけではないんだ。ここのところ、誤解しないでね。

スピリチュアリズム系の御利益本で元気になる人?よくなる人は?普通の人なんだよ。圧倒的多数。この普通の人の感覚で、『どれだけ落ち込んでいても(元気になる)』『どれだけ不幸なことがあっても(元気になる)』と言っているわけ。

だから、部分ではなくて、すべての人に効くというようなことを言っているのはむしろ、スピリチュアリズム系の御利益本の著者かファンであるわけ。

こういう人たちは、単純なので、ぼくがスピリチュアリズム系の御利益本に書いてあることを全否定していると思ってしまうのだ。全否定はしてない。『どんな人にも効くというわけではない』ということを言っているわけ。一部の人には効かないどころか害になると言っているわけ。すべての人にとって害だとは言ってないわけ。むしろ、普通の人には効く(場合がある)ということをちゃんと認めているわけ。こういうところをちゃんと理解して欲しい。

どうして、一部の人にとっては害になるかというと、その理論がその人の現実を無視しているからだ。また、けっきょくのところ、『努力の方向が同じ』だからだ。くるしめてきたのとおなじ方法で、努力することを求められているのだから、無理だ。

まさしく、自分をくるしめてきた方法なのである。

普通の人なら、やったあと気持ちよくなるのに、一部の人はやったあと、破滅的な気分になるのはなぜかというと、状況が違うからだ。現実がちがうからだ。ほんとうにこういう一般的なことを言う人たちは、特殊な人にやられた人のことを考えてない。

そして、「だれだってそうだ」というふうにまとめてしまう。一般の人にとって不幸な出来事や不幸というのは、特殊な人にやられた人にとっての不幸な出来事や不幸とはちがう。一般の人はこれがわかってない。作者が一般の人である場合は、当然、無視する。

けど、何度も繰り返しになるけど『自分もそうだった』『どんな場合でも(効果がある)』『どんな人でも(効果がある)』と言ってしまう。実際にそう思っているからそう言ってしまう。けど、ちがう。

ちょっと、話がずれるけど、特殊な人の状況というのは、燃え尽きてしまった人の状況に似ている。燃え尽きてしまった人というのはもともとは、努力をするのが好きな人なんだよ。がんばることが好きな人であるわけ。

けど、「すぎたるはおよばざるがごとし」で、燃え尽きてしまうことがある。その燃え尽きた人に『努力するのは大切だ』『どんなときで、努力すればどうにかなる』と言って聞かせても、無理でしょ。もう、体が動かなくなってしまったのだから。もう、気持ちが動かなくなってしまったのだから。

その場合、『努力するのは大切だ』『どんなときで、努力すればどうにかなる』というのは、かつて彼が持っていた『基本的な考え方(スローガン)』とおなじであるわけ。努力の向きがおなじであるわけ。燃え尽きてしまっているのに、同じ方向で努力するように言われても土台が無理なんだよ。そういうこと。ぼくが不幸な人は云々と言ってきたのは、そういうのに、似ている。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。