2018年11月9日金曜日

どれだけ言われても、相手がこまるということは、絶対に認めない……認めずにやりきる……やりきるけどやってないと思っている

気違い兄貴にわかりやすいように言っておく。

親父が、『ハンダゴテが使えないんじゃ、兄貴がかわいそうだ』と思わなかったのとおなじなんだよ。兄貴が『ヘビメタ騒音がデカくて、勉強ができないんじゃ弟がかわいそうだ』と思わなかったのと、親父が『ハンダゴテが使えないんじゃ、兄貴がかわいそうだ』と思わなかったことは、おなじことなんだよ。

まったくおなじ。

本人が、そう思わなかっただけ。

で、どれだけ言っても、通じない。通じなかっただけなのに、『まったく言われなかった』と思うところまで、そっくりだ。

自分がおしつけている……ということが、わからない。で、自分にとって不都合なことを言われたので、怒るという反応をまず返して、そのあとは、まったく言われなかったのとおなじ態度で、やり続ける。兄貴のハンダゴテ場合、まず、親父が物置から出してきたハンダゴテがエレクトロニクス工作に使えるのかどうかの議論があった。これは、議論と言うよりも言い合いだ。言い合いというよりも、喧嘩だ。で、親父は最後の最後まで、親父が親父が物置から出してきたハンダゴテがエレクトロニクス工作に使えないということを認めなかった。

これは、気違い兄貴が、ヘビメタ騒音がデカい音で鳴っている(ヘビメタノ音がデカイ)ということを認めなかったこととおなじだ。そのまま押しつけていたら、相手がこまるということが、まったくわからないのである。気違い兄貴も気違い親父も。気違い兄貴の方が程度がひどい。自分がやってることと、自分がやっていることで相手が文句を言ってきた(相手が困っているということが)どうやっても、結びつかないのである。言われた後、一秒で忘れる。言われた後、「怒ったら」一秒で忘れる。「言われたって言われてない」状態が成り立ってしまうのである。

だから、入試の二日前だろうが、一日前だろうが、自分がその日一三時間鳴らせるなら、どれだけ(弟が)「デカイ音で鳴らさないでくれ。デカイ音で鳴らされると入試でこまるからやめてくれ」と言われても、気違い親父が、「ハンダゴテは使えない」と言われたときの態度とおなじ態度で否定して、忘れてしまうのである。自分がそういう状態を「おしつけている」ということがわからない。自分が続けたら、相手がこまっている……その状態……が続くということが、とことん、わからない。

これは、どれだけ言われたってわからないわけで、「自分が不快なことを言われた」という感触しかない。相手のことは、どうだっていいのである。これも、いちおうは、相手のことを考えて、そのあと「どうでもいい」という結論を出したというわけではなくて、なんて言うのかな? そういう思考がはじまる以前の段階で、どうでもいいからどうでもいいという結論を出したというような状態なのだ。これ、本当に、思考がかかわってない。自分が不愉快なことを言われたから、「めっちかち」になって、否定しているだけなのである。

親父は「使える使える。だいじょうぶだだいじょうぶだ」で、兄貴は「こんなのたいした音じゃない。だいじょうぶだだいじょうぶだ」なのである。両方とも、認めてしまったら、自分がこまることは、即座に、否定して、それで、怒ったら、忘れてしまうのである。自分がこまることを言われたら、怒るのである。一〇〇%怒りという感情がしょうじる。不愉快なのである。

親父にしてみれば、自分が出してやったハンダゴテが「使えない」と言われるのが、ものすごく腹が立つことで「使える使える」とわめきちらしたら、それでおしまいなのである。兄貴にしてみれば自分が本当に静かにしてやらなければならないのは、絶対にいやなので、「本当にちゃんと静かにしてくれ」と言われたら、「静かにしてやったのになんだ」と怒り狂ったら、それでおしまいなのである。兄貴は親父よりも気違いで、無言で鳴らしたりする場合の方が多い。顔真っ赤にして、目を三角にして、ともかく無視して鳴らしやがるのである。

で、本当は、「ちゃんと静かにしてない」にもかかわらず、自分がほんのちょっと音を落としてやれば、それで、ゆずってやったつもりになってしまう。その譲歩が譲歩ではない譲歩でこまる。そんなことをやられても、こまるというような譲歩だ。

気違い兄貴の譲歩というのは、まったく意味がない譲歩で、「よその家じゃ絶対にあり得ないようなどでかい音」で鳴らし続けている。気違い兄貴がゆずってやった(つもりになっている)わずかな時間も、「よその家じゃ絶対にあり得ないようなどでかい音」で鳴らし続けている。

だから、本当は、ゆずってやったわけじゃないのに、自分がやってやりたいやり方で、相手の感情を無視してゆずってやれば、本人のなかでは、ものすごくゆずってやったことになってしまうのである。

たとえば、入試の前日でも、その日が日曜日で本人が、ずっとうちにいて鳴らせる状態なら、俺が、どれだけ「明日、入試だからやめてくれ。ヘッドホンをしてくれ」と怒鳴り込んでも、気違い的な意地で鳴らし続ける。一三時間鳴らせるなら、ぴったり、一三時間鳴らして、一秒もゆずらない。気違い兄貴が、五分間、「静かにしてやったつもり」で、「気違い的にでかい音で」鳴らす。そうしたら、気違い兄貴のなかでは、一日中静かにしてやったのとおなじことになってしまう。親父のハンダゴテとおなじなのである。「やってやったんだからもういい」ということになってしまう。

だから、五分間、気違い兄貴が、ゆずったつもりで、「よその家じゃ絶対にあり得ないような」デカイ音で鳴らしたあと、六分目からは一二時間五五分、ずっと、「よその家じゃ絶対にあり得ないような」デカイ音で鳴らし続けるのである。一三時間鳴らせるなら一三時間「自分が思ったとおりの音で」鳴らすことに命がかかっているんだよ。だから、ものすごくこだわってこだわって、こだわって、絶対にゆずらないで鳴らす。鳴らし切る。

それなのに、本人は、「一日中ゆずってやった」という気持ちになっている。「明日、入試なのに、こんな音でずっと鳴らしていたらかわいそうだ」なんて、一切合切考えないんだよ。五分間、本当は、デカイ音で鳴らしているけど、気違い兄貴のなかでは、最大限ゆずってやった気持ちで鳴らしてしまえば、あとは、もう、「静かにしてやったんだからいい」というきちがい的な理由で、頑固に鳴らしてゆずらない。一秒だってゆずらない。

入試の前日ですらこういう状態だ。俺がどれだけ「騒音でこまる。ヘッドホンをしてくれ」と言っても、ハンダゴテの気違い親父状態で、絶対に認めないで鳴らし切るんだよ。気違い兄貴は鳴らし切るんだよ。鳴らし切ったということは鳴らし切ったということなんだよ。ところが、そうやってやったことは、全部やってないことなのである。本人にとっては、まったくやってないこと……とおなじこと……なのである。

これも、親父とおなじだ。何万回、何十万回、数千日にわたってやったことでも、「そんなんぜんぜんやってない」という主観を持ってしまう。やっているときからそうなんだよ。

本当は、「うるさいからこまる。勉強ができないから、静かにしてくれ」と一日に何十回も言われているのに、そういう数千日が続いているのに、トータルでは一〇万回以上言われているのに、「そんなのぜんぜん知らなかった」という主観を持ってしまう。気違い的な認知が成り立っている。本人がそう感じていたら、本人のなかではそうなんだよ。だから、いまでも、気違い兄貴のなかでは「言われなかったから、気づかずにやってしまった」というようないいわけが成り立つ。

知らないわけがないんだ!!!

けど、本人はそうなんだよ。「知らなかった」とか言ってられる構造が、当時、(何十万回も言われたのに、無視して)やり続ける構造とおなじなんだよ。そういうことができる構造とおなじ。そういうことができる認知とおなじ。

(注解)「めっかち」はぼくがつくった造語で、目を真っ赤にして、目を三角にして、つんのめるように夢中になって」という意味。


気違い兄貴は気違い親父と頭の構造がおなじだから、どれだけ言ってもわからないと思うけど、「やってない」わけじゃなくて「やりつづけた」。それから、俺(弟)は、ずっと言い続けたわけで、気違い兄貴はずっと言われ続けた。「言われてないから知らなかった」なんてことはないんだよ。怒って鳴らしてただろ。怒って、鳴らし続けていただろ。俺が「宿題をするからヘッドホンをしてくれ」と言ったとき、そのあとずっとヘッドホンをしてヘビメタを聞いた日は、いったい何日あるんだ? ゼロ日だろ。俺が「宿題をするからヘッドホンをしてくれ」と言ったあと、兄貴は、「ヨソじゃ絶対にあり得ないような」爆音でずっとヘビメタ鳴らし続けた。鳴らしているとき「このまま鳴らしたら、弟は宿題ができなくてこまるだろう」なんてことは、考えないんだよ。それは、親父が、使えないハンダゴテを押しつけて「あのハンダゴテじゃ、授業を受けらなくてこまるだろう」なんてことを考えないとおなじなんだよ。まったく気にならないのとおなじなんだよ。自分のことしか考えてないから、気にならない。「気にする」ということに失敗する。それとおなじで、本当は、ものすごく迷惑な音でヘビメタを鳴らしてたんだけど、「こんなデカイ音でヘビメタを鳴らしたら、勉強ができなくてこまるだろう」ということを考えなかったのとおなじだ。自分がヘビメタを鳴らしたいという気持ちがあるから、それでこまる人のことは考えることができない。気にするということに失敗する。どれだけ言われても、本当に「気にならない」のである。「こまるからやめてくれ」と言われても、本当にまったく気にならない。それは、親父が、兄貴がハンダゴテでこまるというのを気にしなかったのとおなじなんだよ。兄貴はちゃんと言ったけど、親父は気にならなかった。同様に、俺はちゃんと言ったけど、兄貴は気にならなかった。気にすることができなかった。俺が言っていることを、気にすることがまったくできなかった。だから、鳴らした。気がつかないつもりのまま鳴らした。俺はちゃんと説明した。気違い兄貴が親父に説明したのは、二回だ。俺が兄貴に説明したのは、二〇万回だ。ぜんぜんちがう。どれだけ言われても、「親父の態度で」気にしなかった。気にならなかった。気にすることができなかった。どれだけ、言われても、気にすることができなかった。それが、一五年間の、事実だ。毎日おなじだ。気違い親父の頭とおなじ構造の頭を持つ兄貴が、ある日突然気にしてくれて、そのあとずっと気にしてくれたなんてことはないんだよ!! 最後までやりやがった。途中で頭が「かわる」わけがないだろ。親父は親父の頭を持っているし、兄貴は兄貴の頭を持っている。兄貴の頭である以上、かわらないんだよ。うちでやるかぎりかわらないんだよ。どれだけこっちが言ったって、親父のようにかわらないんだよ。親父のようにかわらずに、親父のように、頑固に気違いヘビメタ騒音を押しつけて、まったく、押しつけたつもりがない。つもりがないだけで、四六時中!!押しつけている。すべての可能な時間を使って、ヘビメタ騒音を鳴らしていた。気違い兄貴がうちでヘビメタ騒音を鳴らすなら、気違い兄貴が静かにしてやったつもりの時間も含めて、かならず、気違い的にデカい音で鳴らしたんだよ。兄貴がうちでヘビメタを鳴らすのに、小さい音で鳴らしたなんてことはないんだよ。普通の音で鳴らしたということも、一五年間で一分も、ないんだよ。一日に一分じゃなくて、一五年間で一分もない。ヘビメタを鳴らすなら、かならず、ヨソじゃあり得ないようなデカイ音で鳴らしていた。

「そんなつもりはない」のは、気違い兄貴が気違い親父とおなじ頭を持っている可視、わからないだけなんだよ。本当は、気違い的な意地で一秒だってゆずらないでやったことを、今度は、気違い的な意地で否定する。「やってないやってない」と言い出す。そう言い出したら、もう、聞かない。これは、矛盾してない。そういうやつだから、そういうことを言い出す。


わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。