2018年12月7日金曜日

『自分はそのことにはまったく関係がない』という意識が、現在進行形で成り立っている


まあ、いろいろなサイトを読んで、思うところがあるよ。
にしても、午前四時台は、最悪だな。ヘビメタ騒音で眠れないまま、午前四時になってしまったときのなんとも言えないあせりがある。眠らなきゃというあせりだ。そして、三時間後には、地獄がはじまっている。寝不足のまま、体を動かさなきゃならない。世間の要求にこたえなければならない。『ヘビメタ騒音で眠れない』……こういううったえかけは、あんまり意味をなさない。『そんなのは、お兄さんにいえばいい』『家族で相談すればいい』と言われておしまいだからだ。気違い兄貴の性格なんて、気違い親父の性格のように、『ヨソの人』は理解しない。まあ、ヘビメタが鳴っていると言うことはわかるのだけど、兄貴が『そんなに意地になって』鳴らしているとは思わない。そして、そうやって、気違い的にでかい音にこだわって、気違い的な意地で鳴らしているにもかかわらず、本人は「デカイ音で鳴らしているつもりがない」というのは、まったくわからない。俺だってわからない。わからなかった。気違い兄貴自身はは、デカイ音で鳴らしているつもりがないのだから、わかるわけがない。これが、気違い的な人間の利点なんだよな。「自分の意地を通す」ということに特化している。本当は正常な認知・認識を、自分の意地を通すために、まげてしまう。デカイデカイ音で鳴らしたいから、『こんなのはデカイ音ではない』と思ってしまう。感覚器のレベルでそう思ってしまう。そうしたら、もう、どれだけなにを言っても聞かない。自分がやりたいことは、自分の感覚器をずらしてまでもやってしまう。自分の感覚器をずらすのは、無意識のレベルでしているので、本人はわからない。客観的に言えば、本人だって『デカイ音で鳴らしている』にもかかわらず、そういうデカイ音で鳴らしているということ自体を認めてしまうと、デカイ音で鳴らすことができなくなる場合は、『デカイ音で鳴らしてない』と思ってしまう。そうたら、親父のように聞かない。どれだけ言っても、『こんなのは普通の音だ』『だからどれだけ鳴らしてもいい』という理屈と感情で鳴らしてしまう。
毎日どれだけ言っても、毎日おなじようにそうする。そういう感覚でやっているので、どれだけ長い時間鳴らしても本人は、まったく悪いことをしたと思わない。どれだけ長い時間、どれだけデカイ音で、何回「やめろ」と言われても、ずっとやり通して、まったくなにもやってないつもりで暮らすことができる。毎日暮らすことができる。なので、本人は、『本当に』やってないつもりで、ずっと鳴らすことができる…デカイ音で。
そういう毎日なのだけど、ともかく俺の方は、「きれいごと」はどうであれ、からだが悲鳴を上げているような状態で暮らすしかないということになる。これは、『言えば静かにしてくれるはずだ』と思っている普通の人にはまったく、伝わらない。これも、こまる。けど、俺がやって欲しいことは、気違い兄貴が普通に『ヘッドホンをして』静かにすることだ。毎日、鳴らすときはかならず、ヘッドホンをして鳴らすようにすることだ……。……これだけのことが、一四年間数ヶ月……あしかけ一五年間毎日、通らなかった。気違い兄貴は、一五年間毎日鳴らしていたけど、ヘッドホンをしてくれたときは、一日だけだ。それも、一〇分。他の日は、気違い的な意地で、すべての時間ヘッドホンしないで鳴らしていた。俺が入学試験を受ける前日だって、二日前だって、三日前だって、一ヶ月前だって、二ヶ月前だって、ずっとそうした。で、それが、本当に精神的にこたえるのである。「あんなのはない」……。いまでも「あんなのはない」と思う。特に、午前四時台、午前五時台に起きているときは、眠れないまま、入学試験に行ったときのことを思い出す。入学試験日じゃなくても、俺がどれだけ……。俺がどれだけ、午前四時台、五時台を眠れずにすごして、学校に行ってたと思っているんだよ? 破滅破綻なんだよ。限界なんだよ。そして、午後四時に帰ってくれば、ヘビメタが破滅的なデカイ音で鳴っている。どれだけ『静かにしろ」と言っても、絶対にやめない。そして、本人が風呂に入る時間と夜ご飯を食べる時間を抜かして、ずっと、午後一一時一一分ぐらいまで鳴らす。鳴らし続ける。「(弟は)明日中間テストがあるから、午後一〇時台はヘッドホンをしてやろう」なんて思わない。午後一〇時台だって、一分だって、絶対にヘッドホンをしないで、鳴らし続けた。弟にどれだけ『明日も中間テストだから静かにしてくれ』と言われても、腹を立てて鳴らしてたんだよ。腹を立ててな!! これは、親父が「このハンダゴテは使えない」「技術科の先生もそう言った」と兄貴に言われたときの反応とおなじだ。自分にとって不都合なことを言われたので、腹が立つという反応だ。怒って無視しなければ、相手の言うことを聞かなければならなくなってしまう。そんなのは、どれだけ小さなことだって絶対にいやだという意地がある。この意地が気違い的な意地で、本当にものすごい意地なんだよ。認知・認識をねじ曲げて、「そんなんじゃない」「がたがた、言ってくるな」と言って怒って、やり続ける。やり続けたのだから、やり続けたのに、やり終わった瞬間に、言われもしなかったし、やりもしなかったということになってしまう。そういう、自分にとって都合がいい『気違い頭』なんだよ。で、それでこまっているということは、家でやられている人にしかわからない。ヨソの人にもやっている本人にもわからない。まったく迷惑をかけてないつもりでそういう反応を返して、かならず、気違い的な意地で一分も一秒もゆずらないで、やりきる。そして、三六五日中三六五日、あたりまえのようにやっても、本人は、まったく一日もやってないと思ってしまう。これも、自動的にそう思ってしまうわけで、そう思ってしまったら……本人がそう思ってしまったら、他の人が……特にやられている人が……そういう人(やっている人)の認知・認識をかえることはできない。どれだけ言っても、現実を無視して、そういう認知・認識にとどまる。反対方向の意地と、やっていることに対する関心のなさというのが同居している状態だ。一切合切関係がない状態でやりきっているという認知が成り立っていて、関係があるのだということを認知できない。騒音のことで言うなら、『自分はまったく騒音を出してないので、自分はそのことには一切合切関係がない』という意識が成り立っている。一方では成り立っている。気違い的な意地で、デカイ音で鳴らすことにこだわってこだわって、デカイ音で鳴らすのだけど、一方では、『自分はそのことにはまったく関係がない』という意識が、現在進行形で成り立っている。デカイ音で鳴らしているあいだじゅう『自分はそのことにはまったく関係がない』という意識や認知が成り立っている。だから、やり終わったときには、『本当にまったく関係がない』つもりでいられる。時間が経った後『そんなの知らなかった』『そんなのやってない』と真顔でいうことができる。あれだけ、こだわりつくして、意地になってやったことなのに……。現実世界で、自分自身が意地になってやったことなのに、やってないつもりでいられる。頭がおかしい。そういう『無関心』がある。そういう『無関心ぶり』がある。その無関心ぶりにも本人は無関心で、「自分がそんなことをしてなんて信じられない」みたいなことを言いやがるんだよ。「そんなのまったく知らなかった。なんだなんだ」……やりたいことを押し通していた当時みたいに……怒って言うことができる。「(どれだけ言われても)関心がない状態でやっていた」と言われると、不愉快になる。これは、自分が鳴らしたいときに「静かにしろ」「ヘッドホンをしてくれ」と言われたときとおなじ反応だ。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。