2018年12月28日金曜日

言霊の真実 形態素と音素と偶然

ちょっとだけ言霊について書いておく。言霊というのは、暗示と形態素と音素にわかれる。



たいていの場合は、ただ単に暗示について言っているだけだ。『騒音サイコパス』に出てくる「親父」や「兄貴」のように、都合が悪いことは反対の言葉で否定して、自分がやりたいことをやってしまうという場合、「そんなんじゃない」とか「やってない」とか「やってやった」というのは、自己暗示として働くのである。



また、「顔色が悪いですよ」「病気なんじゃないですか」というような他者からの暗示は、そのまま、暗示として働く。暗示に弱い人は、たしかに気分が悪くなる。しかし、これは、気分が悪くなっただけで、なんらかの病気になったということを意味してない。



一方、書き言葉が模様として力を発するという考え方がある。これは、暗示ではなくて、文字がもつ形態がそのまま力を発しているという考え方だ。しかし、文字自体が持っているはずの力は、文字を読める人にしか伝わらないという場合が多い。もし、文字が読める人にだけに効力を発揮するのであれば、それは、暗示の一種だと言うことができる。



文字が読めない人にはなんとなくとがった感じがするとか、なんとなくまるい感じがするとかそういう感じしか与えない。模様としてきれいとか、模様としてきたないという印象は与えられるだろうけど、それは、●を見て「なんかまるい感じがする」とか▲を見て「なんかとがっている感じがする」といったものとおなじだ。



音自体が力(ちから)を持っているということも考えられる。それは、たいていの人間にとって心地いい音と心地悪い音が存在するというようなことを言っているだけだ。これは、認める。不快な音と好ましい音がある。



しかし、言霊における音素というのは、言葉そのものがもつ音自体ではなくて、全体としての意味が関係している場合が多い。つまり、その音を聞いて、意味がわかる人にしか効力を発揮しない場合が多い。



その場合は、書き言葉とおなじように、暗示が関係している。「言ったら、その通りになった」というのは、他者に対する暗示、自分に対する暗示、偶然のいずれかだ。



だいたい、言葉に対応した音自体ということを問題にするならば、固有の音というのは、ないと考えるのが適切だ。これは、どういう意味かというと、おなじ文字列を読むにしろ、人が違えば、音自体を構成する要素が違ってしまうということを意味している。



おなじ文字列を読み上げた場合、おなじ文字列として聞こえるのは、実は、ゲシュタルト(質)が関係している。ようするに、全体性のなかで、違う音素(音自体)をおなじ音素(音自体)だと感じているにすぎない。



「ありがとう」と言っても、人の声が違えば、その「ありがとう」は、違った音素(音自体)で成り立っているのである。たとえば、身長一九〇センチ、体重一二〇キロの男性が言う「ありがとう」と身長一四〇センチ、体重四〇キロの女性が言う「ありがとう」は、おなじように「ありがとう」と聞こえるのだけど、「ありがとう」という音自体は、違うのである。



人間の頭がゲシュタルト(質)に対応しているので、あたかもおなじ音として感じることができるものなのである。つまり、言葉に対応した音というのは、言う人によって違う。



よく「波動」というとをいうけど、波動自体が違うのである。おなじように「ありがとう」と発音しても、人が違えば、「ありがとう」という音自体は違った波動をもつものなのである。この場合、波形といってもいい。



なので、音自体に力(ちから)があると言っても、そういうふうに言っている人が考える音は実際には、発音する人によって違うという現実を受け入れなければならない。なので、音自体に予言としての意味はない。



ただ単に「いやな音」とか「好ましい音」といったような意味で、人間に影響を与えるだろうけど、それ以上の意味はない。言葉としての意味は、音自体にはないのである。なんでなら、読み上げる人が違えば、音自体が違ってしまうから。



もうひとつの「偶然」というのは、偶然に当たるということだ。たとえば、「明日は晴れる」と言ったとしよう。そして、次の日晴れたとしよう。この場合は、偶然に当たったということになる。偶然にあたっただけなのだけど、あたかも、その人が言ったことが現実化したととらえることができる。



この場合、言葉には本当は、意味がないのだけど、言葉の意味と事象の時系列的な関係が人の考えに影響を与えてしまうのである。



ようするに、当たった以上、「言葉に力がない」と言うことはできない。これは、本当に力を持っているということではなくて、その時点で否定することばできないということだ。つまり、その時点ではいちおう仮説として成り立つのである。



ようするに、当たった場合だけが成り立っているのであれば、「言葉には力がある」「晴れると言ったから晴れた」と考えたとしても、間違っているとは言えない。



しかし、それは、実際に言葉が天気に影響を与えているということを意味しているのではない。あくまでも「推論」として間違ってはいないということだ。これは、あくまでも、その時点では、ひとつの仮説として否定できないということを言っているにすぎない。



「言ったことが当たった場合」は「当たった」というとだけに注目して、あたかも言葉に力(ちから)があるという仮説を信じてしまう人がいるけど、それは、仮説でしかない。なので、「言ったことが当たらなかった場合」についても、おなじように考えなければならないのである。また、違う仮説が真である偽であるかについても考えなければならない。



しかし、「言葉には力がある」ということを信じたい人は、偶然の結果を必然の結果だと勘違いしてしまう。これは、ただ単に、勘違いだ。間違いだ。



「言葉には力がある」と信じたい人は、常に、現実の事象を見るときに「言葉には力がある」というバイアスがかかっているのである。



なので、一回でも当たれば、「言葉には力がある」と信じてしまう。本当は、すべの事象に成り立つ法則ではないのだけど、あたかも、すべての事象に成り立つ法則のように感じてしまう。ただ、それだけだ。これは、推論の方法が間違っているだけなのである。



以上、自己暗示、他者からの暗示(ただたんに暗示)、偶然ということについて考えてきた。言霊の正体は、自己暗示、他者からの暗示(ただたんに暗示)、偶然だけだ。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。