2018年12月8日土曜日

「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」について


ああ、それと! ぼくはそのうち、貧乏生活をやめる!
わりとリッチな生活に移行するつもりだ。
そのうち、「あのころは貧乏生活?をしてたなぁ」と思うようになるだろう。いちおう、宣言しておく。
で、言いたいのは宣言をしておけば現実が追いつく(現実になる)というような考え方は、別にきらいじゃない。本人がそう思っていることは別にいいわけ。けど、それが宇宙をつらぬく絶対法則だとか、どんな人間にも成り立つというような話になってくると違うんだよね。どうしてかというと、人を責めることになるから。これ、他の人に向かっていっている人たちはわからないのだろうけど、案外人を責めている。たとえば、「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」というようなことを言ったりする。『言えば……、現実が言ったとおりになる』という考え方なんだよ。そうなると、実際に病気である人は、好きで病気になっているということになってしまう。好きで病気を治そうとしないということになってしまう。「言えば……治るのに、どうして言わないんだ」というような責めがしょうじる。「言った」と言う人には、「本当に思って言ってない」とか「もっともっと、たくさん言わなきゃダメだ」というようなことを、アトダシで言うようになる。どうして、アトダシかというと、最初に言った言葉は「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」という意味であるわけで、『言い方』とか『本当にそう思っていったかどうか』ということが、問題になってないからだ。言えば……ただ、言っただけで……どんな言い方でも!ただ言っただけで……絶対に病気は治るのだから、そもそも、言い方が問題になるわけがない。アトダシで、ぜんぜん違うことを言い出す。それに、「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」と言っている人だって病気で死んでしまったりしている。それから「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」とか普段人に対して言っている人だって、虫歯になって歯が痛くなれば、歯医者に行く。虫歯も一種の病気なので、「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」という言葉は虫歯の場合でも成り立つ。虫歯だけダメだとかそういうことはない。「虫歯が治ると言えば、絶対に虫歯は治る」のである。しかし、実際には『虫歯が治る』『虫歯が治る』『虫歯が治る』『虫歯が治る』と言っても、虫歯が治らない場合がある。というか、ほぼ一〇〇%『虫歯が治る』と言うことでは、虫歯は治らない。「言ったら治った」と言っている人は、なにか他のことをしている。言ったことと、なにか他のことをやった時期が近接しているので、『言ったから治った』と本人が思っているだけだ。ともかく、宇宙をつらぬく絶対法則として「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」と言っている人は、現在病気である人を責めている。本人がいい気分になって気がついてないだけだ。けど、自分が病気なら一回目は!!!「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」と言われても悪い気はしないだろう。なんと言っても自分の病気が治ると他人が言っているわけだから、不愉快ではない。けど、治らない状態が続いて、ずっと言われ続けたらどうか? 言われ続けた人は「ふざけるな」と言いたくなるだろ。言われ続けた人は「すでに何回も言った」と言いたくなるだろ。そうすると「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」と本気で信じている人は「言い方が悪い」「本当に心をこめて言ってないからダメなんだ」と間違った前提に立って、人を責めることになる。なので、他人に対して宇宙をつらぬく絶対法則として「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」というようなことは言わなほうがいい。自分のなかで自分に対して言っていればいいことで、他人にいうべき言葉ではない。特に、宇宙をつらぬく絶対法則としては言うべきではない。

というわけで、本人が「病気が治る」とか言うことは別に悪いことではないわけ。「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」と本人が信じていて、本人が本人に対して「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」「病気が治ると言えば、絶対に病気が治る」と言うのはべつにいいわけ。どんどんやって欲しいわけ。けど、他の人に言うのはどうかな? 特に宇宙をつらぬく絶対法則としていうのはどうかなと思う。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。