2018年12月9日日曜日

この日差しのなかでくるしかった。


そろそろ眠たくなったので、布団の中にはいる。

眠たくなったとは言え、たぶん、午前一一時ぐらいまでは眠れない。



いまから、作業できるかな?

できないな。



それにしても、ヘビメタでくるしかった。

この日差しのなかでくるしかった。



「あれ、本当にあれだこだわってやって、やったつもりがないのかよ」というような言葉が浮かんでくる。道を歩いているときもめしを食っているときも作業しているときも浮かんでくる。



自分が歩いているシーンが浮かんでくる。その時考えていることはやはり「ヘビメタ騒音のなかでくるしかった」「あいつは、こだわりきってガンガン、デカイ音で鳴らしていたのに、デカイ音で鳴らしていたつもりがないのかよ?」「俺がどれだけ、『やめてくれ』『静かにしてくれ』と言ったと思っているんだよ??」「本当に細かい時間まで使って気違いヘビメタを、デカイデカイ音で鳴らしやがって」というようなことだ。



気違いヘビメタで弱ったからだでずっと生きてきた。ゆるせない。こういう日差しのとき、残留ヘビメタ騒音で、くるしかった。からだがつらくてつらくて、たまらなかった。こういうからだをむりやり動かして、他の人に遅れて!ついていって、いやだった。気違いヘビメタを前日、前々日、一〇〇日前、二〇〇日前とやられなかったら、俺だって元気に先頭をつっぱしっているんだよ。どんだけ……。本当に、何千日もやられて、からだが弱くなった。すべての時間、つらい状態になった。これ、本当に、『騒音の問題』と言うと、鳴っているときだけうるさくてこまるんだと思う人が多いけど、ぜんぜん違う。平均八時間ぐらい鳴っている騒音はすべてをぶちこわす。能力、機会、人間関係、すべてをぶちこわす。どうしたって、低位に甘んじなければならなくなる。しかも、からだがくるしい状態で無理してがんばって、低位だ。(実際には、学力的には常に平均以上だったけど)。常に不利なんだよな。常にハンディがある状態で、のろのろやっている。



だれだって、俺とおなじように、家族に気違いがいて、そいつがめちゃくちゃな意地で騒音を鳴らし続けたら、愚痴を言うのに、俺が愚痴っぽい人間だと思われるわけだよ。気違い兄貴よ! 気違い兄貴は親父とおなじだ。親父が怒ったあとまったく気にしてないのとおなじだ。兄貴が怒ったあとまったく気にしないでヘビメタをめちゃくちゃにデカイ音で鳴らしたけど、親父のように『それに気がつていない』のだよ。これ、ズッとやっているのに、ズッとやってない気持ちになってしまう。そんなのは知らない』というのは、やってないという意味なんだよね。じゃあ、一分でもヘッドホンをつけてくれるのかというとそれは、絶対にない。気違い親父が、ハンダゴテの金を出さないように、絶対にない。で、やっているのに、本人は『気にしてないから』やってないつもりになっている。気にせずに……相手が言ったことは気にせずに、自分の都合を押し通して、一〇〇%自分がやりたいようにやれば、それで、「やってない」つもりになってしまう。そういうところがあるんだよ。一〇〇%やりきっているのに……続けてやっているにもかかわらず……一〇〇%やってないつもりになっている。まったく知らないつもりになっている。こんなのあるか?って。あるんだよ。うちだとある。毎日普通に、そういうことが成り立ってしまうのが、うちだ。だから、普通の家に育った人には絶対にわからない。感覚としてわからない。だから、『言えばいい』とか『家族で話し合えばいい』というような助言を俺にする。けど、その助言は無意味だ。で、無意味だということを説明しても、その人はその人で、認めない。自分の助言が無碍にされたような気分になって、不愉快になる。そうすると、俺とその人とのあいだ亀裂が走る。気違い兄貴の性格を巡って、意見が対立するというわけだ。これは、『親父にちゃんと言った』という兄貴と、『ちゃんと言えばつたわるはずだ』という第三者のあいだに亀裂が入るのとおなじだ。当の本人は、まったくシランプリなんだよ。「どれだけこういうことがあった」ということをこっちが言っても、「なんだ!そんなのぉ!!」と口を立てて目を三角にして怒った途端に、忘れてしまう。ぜんぜん関係がな人になってしまう。そのあとずっと、それを押し通したとしても、まったくやってないことになってしまう。それというのは、当の問題行為だ。押しつけている毎日がずっと続く。押しつけられている毎日が続く。どれだけこまっても、気違いが異常な意地でやり通す。異常な感覚で「やってない」と思ってしまう。やっているのにぜんぜん関係がないつもりで」気違いが自分の意地を毎時間毎時間、押し通す。気違いだから、是分自分が好きなようにやりきれたら!!やってないのとおなじなんだよ。「やってない」『そんなことは知らない』と思ってしまう。その都度、『やっているじゃないか』と言っても、本人が怒っちゃったらおしまいなんだよ。で、本人が怒るのは決まっている。それは、『自分』がやりたいことを、相手が「やめろ」「やめてくれ」と言うからだ。最初から、怒ることが決まっている。で、怒ったら、一瞬で忘れる。そういうことを、何万回、何十万回繰り返しても、本人は『まったく知らない状態』を維持できる。主観的には『まったく知らない状態』なんだよ。あるいは、主観的には『まったく関係がない状態』なんだよ。



当の行為を意地を張ってやっている気違い兄貴に言っても、気違い兄貴は、気違い親父のように否定しておしまいだ。「どうして、まったく関係がない自分にそういうことを言ってくるのか?」という感覚さえ成り立っている。「おまえの行為だからだ」と言っても、そういうのは、『すり抜けて』わからない。



兄貴にわかるように言っておくと、親父は、親父が押しつけたハンダゴテについて、兄貴が『これこれこういう理由で恥をかいた』ということを言っても、「どうして、まったく関係がない自分にそういうことを言ってくるのか?」という気持ちになっていたんだよ。俺が兄貴に、兄貴のヘビメタ騒音のことについて、文句を言っているのに、兄貴には「どうして、まったく関係がない自分にそういうことを言ってくるのか?」というような気持ちが……親父とおなじように……成り立ってしまう。そのくらいに「つもり」がないんだよ。じゃあ、ちょっとでも本当にゆずってくれるかというと、それは絶対にない。ゆずるなら、自分がゆずりたいようにゆずるわけで、これは、『うちにあるハンダゴテを用意してやった親父』とおなじ状態だ。「うちにハンダゴテがあるのだからそれを持っていけ」と言っている親父は、最大限に譲歩して、ハンダゴテを持ってきてやったつもりなのである。だから、最大限譲歩してハンダゴテを持ってきてやっているのに、『使えない』と文句を言ってくる兄貴の方が悪いと本気で思っているんだよ。なにも、意地悪でそうしているつもりはないんだよ。気違い親父の感覚で行動すると、どこからスタートしても、そういうもめごとがしょうじる。で、本人は意地悪でそういうことをしたというわけではないというのが問題の深さを物語っている。こんなのは、本当は、悪意があって、(本当は使えないと知っていたけど)わざと知らないふりをして、恥をかかせてやろうというようなプランを立てなければできないことなんだけど、ごく普通にそうなる。だれもが使えないとわかるようなハンダゴテを物置から出してきて、相手がどれだけ『使えない』と言っても、『使える使える』と言って押しつける。それで、兄貴が学校で恥をかいても、シランプリだ。それは、説明されなかったからわからないのではなくて、説明されても、わからない。現実を否定して受けとめない。だから、言われたあとも、言われてないのとおなじ状態を維持することができるのである。どれだけ『使えなかった』と言われても、使えないという現実は絶対に認めないままだから、気持ちに変化がない。認知・認識に変化がない。親父にとってはどれだけなにを言われても『使えるハンダゴテ』のままだ。そして、兄貴がそのハンダゴテで……自分が押しつけたハンダゴテで笑いものになったということも認めない。要するに、自分が押しつけたハンダゴテで長男が恥をかいたということも、認めない。認めなければ、それは、親父にとって「ないこと」なんだよ。現実ではないことなんだよ。あるいは、「なんだ!そんなの」という言葉を発して、相手にとっての『意味』を否定すればそれでおしまいだ。相手の気持ちということにかかわるけど、これも、現実否定の一種だ。認めたくないこと、認知したくないことは、「なんだ!そんなの!」と言って認めないのである。本人戸って都合が悪いことを言われたら、「なんだ!そんなの!!」と怒って、おしまいだ。本人が怒ったら、それで、おしまいなんだよ。気違い親父には、どうして兄貴がハンダゴテのことで親父に文句を言ってくるのか、まったくわからない状態を維持することができる。言われたあとも、本当にわからない。実際には二回しかもめてないけど、何百回、何千回もめても、わからないままだ。こういう人間がいるということが、ヨソの人にはわからない。



わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。