2019年1月15日火曜日

空想的に完璧なので、現実の自分は常に、劣っているという感じがする人たち


えーっとちょっとだけ言っておくと、一〇〇点のテストで九〇点しかとれなかったとなげく人は、そんなに幸福ではありません。

『九〇点しかとれなかった』とつまらなそうに言う人は、実は劣等コンプレックスで満ちあふれていて、自分がじゅうぶんではないと本気で思っている人です。

なので、こういうひとは、将来どこかの段階で鬱病になる可能性があります。内面化された基準が高すぎるので、自分は常にじゅうぶんではないのです。

内面化された基準の出所は、たいていの場合は、親です。九〇点しかとれなかったとつまらそうに言う人は、親の基準にくるしめられている人なのです。

九〇点とっても、幸福感は得られません。むしろ、「たりなかった」とつまらない気持ちになっているわけで、どちらかというと不幸です。

この親に押しつけられた基準が、空想的に完璧なので、現実の自分は常に、劣っているという感じがするのです。

親の基準が既に、自分の基準になっているのであれば、この基準から『自分がのがれる』ことは、容易ではありません。だから、そういう人に劣等コンプレックスをいだく必要もないし、本当にバカしなかった場合は、バカにされたと勝手に思って怒る必要もないわけです。

優秀であるにもかかわらず、劣等コンプレックスにとりつかれている人は、既に不幸であるわけで、不幸な人をうらやましがる必要はないわけです。


完璧主義者が「できない」と悩んでいるときは、本当に「できない」と思っているわけです。また、完璧主義者が「一〇点、失敗した」と落ち込んでいるときは本当に落ち込んでいるわけです。これは、本当によくない状態で、いい状態ではありません。

彼らをうらやましがる必要はないし、彼らからバカにされたと思う必要もありません。彼らは本当に、落ち込んでいる。落ち込んでいる芝居をしているというわけではないのです。ほんのちょっと、うまくいかないことなんて、いくらだってあるので、いつも落ち込んでいるというとになってしまいます。どう考えても、うらやましく感じる存在じゃない。


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あー、けど、『あのテストで六〇点しかとれないのかよ(バカだな)』とか『俺の方が三〇点上だから、三〇点分えらい』とか言ってきたら、それは、怒る必要がある。自分のことだけ言っているか、「あなた」のことまで言っているかでちがう。このちがいは、相当にデカイ。ベツモノ。だから、『一〇点ぶん、失敗した』とか言っているだけなら、別に問題はない。

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親の基準を内面課したと言うことようなことを言ったけど、親のタイプがある。頭がおかしい親と子供に対する期待は大きいけど普通の親はぜんぜん違う。ここでも、本当に、頭がおかしい親にやられたこどもは損をする。損がでかすぎ。頭がおかしい親にやられた子供も完璧主義者になるし、子供に対する期待は大きいけど普通の親に育てられた子供も完璧主義者になるけど、両者はまったく違った完璧主義者なのである。これがわかってないと、すべてがわからないということになる。

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しかし、なんでこんな簡単なこともわからずに、『アドラーは正しい』『トラウマなんてものは存在しない』などと言っているんだろうな。子供に対する期待は大きいけど普通の親に育てられた子供の場合は、アドラーみたいなものは効くけど、頭がおかしい親にやられた子供はアドラーなんて効かない。頭がおかしい親にやられた子供は、アドラーが主張していることのおかしさが全部わかる。こっからして、全部違うんだよな。アドラーの主張では、リアルな世界を説明できないのである。頭がおかしい親が支配している家庭のリアルなんて、普通の人にはわからない。アドラーは普通の人なのでまったくわかってない。アドラーというと、チャレンジした人にみえるけど、普通の人なんだよな。最初っから普通の人。頭がおかしい親が支配している家のことなんて、普通の人は、わからない。だから、おかしなことを言う。要するに、現実にあってないことを言う。リアルじゃないわけ。普通の家で育ったやつの方が多いわけだから、『アドラーは正しい』と感じるやつの方が多いということになる。けど、それは、『アドラーは正しい』ということを意味してない。

本当に気違い的な親にやられると、すべてが違ってしまうんだな。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。