2019年1月17日木曜日

言われた!ということが、パニックになるほど腹立たしいことなんだよ

詳細は抜かすけど、結果的にやけどをした。

あーー、もう、いいや。

ヘビメタ、鳴ってから、暗い。

まじで、こういうちょっとしたことで落ち込むときの、落ち込み方が並みじゃない。



ダム決壊なんだよね。いままで、我慢してきたことが、たまっているので、ちょっとしたことで決壊してしまう。



ほーーーんとうに長い間やられてきたな。くるしいな。

あれやっているあいだじゅうずっとやってるつもりがなかったんだな。

あんなにデカイ音で鳴らしているのに、本当に『こんなのはたいした音じゃない』と本気で思ってたんだな。じゃあ、いま住んでいるところでならしてみろよ、と言われると、一分も鳴らせない。嫁さんや嫁さんの家族がこわくて鳴らせない。「うち」でなら、『だいじょうぶな音』なんだろ。

だったら、そとで鳴らしてみろ。うちの横がたまたま、家が離れていて、あんまり苦情を言う人じゃなかったからやってたんだろ。うちの前がデカイ幼稚園で、ぜんぜん家がなかったからやってたんだろ。

ぜんぜん、だいじょうぶな音じゃないんだよ。鳴らしているあいだずっと『こんなのはたいした音じゃない』と本気で思ってたんだな。そういうのが、気違い親父とおなじなんだよ。だいじょうぶじゃない、ハンダゴテを与えて、「だいじょうぶだ」「だいじょうぶだ」と言い張る。

普通なら、ひとめ見れば、だいじょうぶじゃないのがわかるのに、気違い親父の目には、だいじょうぶなように見える。どうして、だいじょうぶなように見えるかというと、新しいハンダゴテを買ってやりたくないからだ。

新しいハンダゴテを買ってやりたくないという気持ちが働くと、どんなハンダゴテも、「だいじょうぶ」なハンダゴテにみえてしまう。兄貴は、自分が思いっきり鳴らしたいという気持ちがある。

そういう気持ちが働くと、どれだけデカイ音も、「だいじょうぶな音」に聞こえてしまう。そうしたら、一四時間鳴らせるなら、一四時間、その『だいじょうぶな音』で鳴らさないと気が済まないということになる。

弟がどれだけ「明日、テストだからやめてくれ」と言ってきたって、無視して鳴らす。自分がやっているのに、「静かにしてくれ」ということを言われた!ということが、パニックになるほど腹立たしいことなんだよ。

これは、親父の場合もおなじだ。自分は金を使いたくないのである。自分は、新しいハンダゴテを買ってやるために金を出すというのが絶対にいやなのである。

だから、金が出て行くようなことを言われると、発狂して、否定する。相手が言っていることと、正反対のことを叫んで、終わりにしてしまう。「だいじょうぶじゃない」と言われたら「だいじょうぶ」なんだよ。その場に対応した理由は、本当はないんだよ。「だいじょうぶだ」と思う理由はない。

ただ、「だいじょうぶじゃない」ということを認めてしまうと、金を出さなければならなくなるので、それは、絶対に認められないことになっている。それとおなじで、気違い兄貴がもし、自分がやっている音が大きな音だということを認めてしまうと、それ相応に、静かにしてやらなければならなくなる。

それは、死んでも、いやなのである。

だから、現実がどうであれ、「たいした音じゃない」ということになる。「普通の音だ」ということになる。「普通の音」で鳴らしているなら、どれだけ鳴らしたって自由だろということになる。どれだけ長く鳴らしたって自由だろということになる。「だいじょうぶな音」で鳴らしているのだから、自分が好きな時間、好きなだけ鳴らしていいということになる。

ならば、現実とはまったく関係なく、「だいじょうぶな音」なのである。兄貴のなかでは、現実世界とはまったく関係なく、最初から「だいじょうぶな音」だということに決まっている。

「だいじょうぶな音じゃない」ということを認めてしまったら、自分が本当に!静かにしてやらなければならない可能性がしょうじてしまう。そういう可能性は、可能性でも絶対に認めるわけにはいかない。

最初から認めるわけにはいかないということを、無意識的に決めているので、現実に関係なく、絶対に「だいじょうぶな音」だと感じられるのである。そして、本当に静かにしてやらなければならないような可能性があるとは、言われただけで、発狂して認めないのである。

親父が、「だいじょうぶじゃないハンダゴテ」を見て、「だいじょうぶなハンダゴテ」だと思うのとおなじで、兄貴は、兄貴が鳴らしている音なら、あるいは、兄貴が鳴らしたい音なら、現実に関係なく、絶対に「だいじょうぶな音」なのである。現実世界でどれだけデカイ音で鳴らしても気違い兄貴のなかでは、「だいじょうぶな音」であり続ける。

そういうことを否定する人が出てきたら、まっこうから、「そんなんじゃないそんなんじゃない」とか「だいじょうぶだだいじょうぶだ」と言って否定する。現実は、関係がないのである。現実世界で気違い兄貴がどれだけデカイ音で鳴らしていても、それが兄貴の鳴らしたいデカイ音なら、絶対に「だいじょうぶな音」なのである。命がけで認めない。

認めてしまうと、「自分がだいじょうぶではない音で鳴らしているのではないか」と気づいてしまう可能性があることは、発狂して認めない。ちょっとでも「デカイ音だよ」ということを言われると、真っ赤になって怒って否定する。

親父とおなじなんだよ。

兄貴にわかるように言っておくけど、親父が真っ赤な顔をして、あり得ないことを叫んでいただろ。正反対のことを叫んでいただろ。気違い兄貴は、つねにそうしてきた。ヘビメタに関しては、兄貴は親父とおなじなんだよ。自分にとって都合が悪いことを言われれば、発狂して否定する。真っ赤になって否定する。

で、本人が怒って、正反対のことを叫べば、もう、それで本人のなかでは終わっちゃっているだよな。それを、何万回繰り返しても、本人のなかでは、まったく、なにもかわらない。かわるわけがない。最初から、現実を無視して、「だいじょうぶだ」ということにてしまっているから、何万回言われても「だいじょうぶ」なままなんだよ。

親父とおなじだから!

親父にやられたら、怒ってたくせに、親父とまったくおなじことをやって、なにも、感じないんだからな。むしろ、兄貴は、親父よりもひどい。親父よりも、「はいっちゃっている」。頭がおかしい。感じ方がおかしい。

兄貴は自分が「うち」でどんなことをやってきたか、まったくわかってない。親父のようにまったくわかってない。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。