2019年1月26日土曜日

「気にしないでやった」ということと「やってない」ということが、イコール

気違い兄貴は、ぜんぜん気にしなかったのだけど、ぜんぜん気にしないでやったからこそ、ぜんぜんやってないと思うところがある。気違い兄貴には、ある。

これは親父もおなじなんだよな。「気にしないでやった」ということと「やってない」ということが、※イコール※であるようなところがある。「気にしないでやった」ということと「知らなかった」ということが※イコール※であるところがある。

本当は、言われたのに、全力で受け入れることを拒否して、記憶に残らないようにしただけなのに、それが、「やってない」ということと、※イコール※になってしまっている。

この感覚、わかるかな?

「気にしないでやった」というのは、「気にしないで一〇〇%やりきった」ということだ。「気にしないですべて、自分が思うようにやった」ということだ。それが、気違いマジックで「やってない」ことになってしまうのである。

感じ方がうすいんだよね。

これ、他の人にどれだけ言ってもわからないかもしれないけど、「気にしない」ということと「やってない」ということが、地平線でまじわってしまうようなところがある。

だから、「気にしないでやったのだから、やってない」ということになってしまう。「気にしない」というのは、「やってない」のと※イコール※なんだよ。

これ、親父と兄貴には、成り立っている感覚なんだけど、他の人にはどれだけ言ってもわからないだろうな。気違い兄貴と気違い親父が、自分のこととして意識的にこれを理解するということは、絶対にあり得ない。

そんなことができるなら、「気にしないでやった」ということと「やってない」ということの境界線があいまいになることなんてないからだ。

本人が気張って、発狂して、否定した瞬間に「気にしないからやってない」ということになってしまう。どこで発狂するかというと、言われた途端に発狂する。既にやっていることなんだけどな。

自分にとって不都合なことを言われたら、言われた途端に、「そんなんじゃない」「なんだなんだ」と発狂する。そうしたら、もう、ぜんぜん関係がない人になってしまって、気にしない。気にすることができない。

相手が言ったことと、自分の行為の関係性自体を切ってしまうので、そのあとその当の行為をずっとやり続けても、「気にしない※から※やってない」ということになってしまう。

本人が気にしてないことは、どれだけやっても、やってないことになってしまうのだ。そういう感覚が成り立っている。

だから、どれだけ言っても、その都度、怒るだけで、なにも言われなかったと思って、まったく気にしないでやりきる。気にしないでやりきることができれば、本人にとっては、どれだやってもやってないことになってしまう。

やり終わったら、そんなことはやってないという感覚がしょうじてしまう。実際にはやっているさいちゅうから、そういう感覚が続いていると思う。

たとえば、一四時間鳴らしたら、一四時間一秒後には、「やってない」ということになってしまう。それは、「気にしてないから」。

もう、これ以上説明できないけど、ともかく、気違い兄貴には……「気にしてないからやってない」という感覚が成り立っている。

だから、十何年間毎日やったとしても、やってないことになってしまうのである。気にしてないから。それは、一日の中でも成り立っていて、言われて怒ったら、やってないことになってしまう。……気にしてないから。

「気にしないから、どれだけやったってやってない」ということになってしまう。そういう感覚が成り立っている。毎日一四年間にわたってそうしたとしても、一五年目にやめれば、一回も「そんなことはしたことがない」「そんなのは知らない」という感覚になってしまうのである。

(注)おまけで言っておくと、気違い親父にもこの感覚は成り立っている。


わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。