2019年2月10日日曜日

「だから、全部ではない」「だから、イ・ラショナルだ」


しかし、今日、一日どうするか?
まず、ツメを切った。


なんだかんだ言って俺の人生がない。
やっぱり、これはきつい。どうして、一一歳の時、ヘビメタ騒音がはじまってしまったんだ。ヘビメタ騒音がはじまって依頼、ずっとくるしい。どうして、くるしい。どれだけ、かまわないように暮らしていても、どれだけかまわないように見せていても、やっぱりつらい。どうしてもつらい。全部がつらい。はいはい。「全部」というのは、イ・ラショナルシンキングですね。けど、長年やられまくってつもりまくると「全部」と言っていいほど「全部が全部」くるしくなる。どうして、そういうことを無視するんだ。じゃあ、「全部」とは言わずに「全部と行っていいほど」くるしくなると言おう。どんだけのことがわかるんだよ? 実際に一一歳から俺とおなじぶんだけヘビメタ騒音を経験してない人にどれだけのことがわかるんだよ? その人が無視している部分の方が大きい。「そんなんじゃない」のである。ひとことで言えば「そんなんじゃない」のである。「全部」ではないからイ・ラショナルシンキングだという言い方ははっきり言って、頭にくる。たとえば、一五年間毎日、気違いヘビメタ騒音を聞かされたとする。けど、実際には、一五年間のうち一日だけ、ヘビメタ騒音を聞かされなかった日があるとする。「だから、全部ではない」「だから、イ・ラショナルだ」というのは、肝心なことを否定している。それなら、一五年マイナス一日、毎日ヘビメタ騒音やられたと言い直すけど、言い直したとしても、言っていることはかわらない。ぼくが言いたいことはかわらない。全部ではないにしろ、ぼくが言いたいことは、かわらないのである。「全部ではない」ということをぼくが認めた場合、それで、ぼくの気持ちが少しでも楽になるかというとそうではないのである。「全部ではない」ということが正しいにしろ!「全部ではないのだから、(こっちが)言っていることは一切合切信憑性がない」とか、「全部ではないのだから、(こっちが)言っていることはたいして意味がない」とか「全部ではないのだから、(こっちが)間違った前提に立った間違った結論を述べている」とは言えないのである。言っていることがわかるかな? むしろ、全部ではないという前提を壊しただけで、相手が言っていることを無視するとか、相手が言っていることが(相手にとって)意味がないことだというふうにとらえてしまうということのほうが、問題がある……と言えば……ある。

これ、本当やられた人じゃないとわからない。どれだけつもるか。どれだけ、ズタボロ状態を強制されるか、どれだけ、他の人からバカにされるか。どれだけ、他の人からわかったようなことを言われるか……。つまり、どれだけ他の人から、わかったような説教されなければならなくなるか? ヘビメタ騒音がなければ、こんーーなことは、(ひとに)言われないですんだというのが、たくさんある。で、そういうことの一つ一つの経験は、「できない状態」であれば、マイナスの経験でしかないのである。プラスになったりしない。プラスの経験になったりしない。けど、それも、気違い的なキレイゴトにこだわるなら「プラスの経験にできないのはその人の問題だ」ということになってしまうのである。「その人の問題」というのを、「その人の受けとめ方の問題」とか「受けとめ方の問題」と言い換えれば、認知療法になじみのある人はわかるだろう。否定するかもしれないけど、これがどれだけ、現実を無視したキレイゴトの上に成り立っているのかわからないのか? そういうことだから、認知がゆがんでないにもかかわらず、くるしんでいる人をくるしめるんだよ。たとえば、ただちょっとおされただけなのに、強くなぐられたと思ってしまう人にはたしかに認知のゆがみがある。しかし、強くなぐられた人が強くなぐられたと認知した場合、そこには認知のゆがみはない……と考えるべきなのである。強くなぐられた人が、受けとめ方の問題で、なぐられたって痛くないとか、強くなぐられたように感じたけど、実はたいして強くなぐられてないと(あとから認知をむりやりかえるなら)それは、そっちのほうが問題なのである。わかるかな? それは、それで現実を受け入れてないということになってしまうのである。
強くなぐられたのに「弱くななぐられただけだ」と思い込むのは、やはり、思いこみが終了した時点で、認知がゆがんでいると言えるのである。逆に!認知がゆがんでしまう。キレイゴトよりの認知修正(のこころみ)は、現実を正しく認知している人の気持ちを傷つつける。認知療法の影響を受けた人は他人にも、キレイゴトよりの認知修正をおしつけてくる。しかし、本当にわりと正確に現実を認知している場合がある。ようするに、現実とその人の現実認知にそれほど開きがない場合がある。そういう場合は、認知療法的な説得というのは、意味がないと言うよりも、その人を傷つける。その人というのは、説得される方の人だ。

現実を正しく認知しているのかどうかということを考えるには、主観と客観の問題を考えなければならなくなる。それに関しては、いままでずっと、このサイトで書いてきた。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。