2019年2月2日土曜日

失敗が雪のように積み重なる

もう、お腹が痛いだけでへこむ。

これは、しくしく系。

ビオフェルミンで治るはずなんだけど

寝る前のスパゲッティーがだめだった。

スパゲッティー、大好きなのに、なんかあぶらっぽく感じて、はきそうになった。



トイレにゴー。



ほんとう、腹痛いだけで、なんかへこむ。不安になる。

不安といっても、腹が痛いということに関する不安じゃなくて、全部に関する不安だ。この先の生活とか人生に関する不安が、こみあげてくる。へんなことになっちゃってるんだよな……。いろいろ。



いま、飯のセットをしてきた。



ヘビメタ騒音以降、なんか俺は、居場所がない。

本当に困ったことになったな。そして、積み重なった。

ヘビメタ騒音の積み重なりがひどすぎる。

これ、絶対にわからない。ほかのひとにはわからない。

たいしたことがない問題に思えるわけだ。時間が経ったなら、どうにかなりそうな問題にみえるわけだ。

けど、ちがう。時間が経てば経つほど重くのしかかる。一一歳から二五歳まで鳴らされたわけだけど、一一歳から一六歳ぐらいまでの六年間で終わっている。

一一歳から一八歳の八年間で、本格的に終わっている。もう、それ以降は、失敗が雪のように積み重なる。冷たい雪が、とけないまま、積み重なる。

   *   *   *

布団をかぶって思うことは、「もうげんかいだ」ってこと。
もう、限界。どれだけ、限界を乗り越えてきたか。けど、ヘビメタ騒音のハンディがあると、普通ならなんでもないことがものすごい障害になる。

普通なら、まったく問題にならないことが、問題になる。普通なら、簡単に日常の範囲でできることが、できなくなる。

普通なら、余裕でできることが、どーーしても、できなくなる。

ヘビメタ騒音障害というのは、そういう障害だ。睡眠障害もポスト・トラウマティック・ストレス・ディスオーダーも、ヘビメタ騒音生活でしょうじたことだ。あしかけ一五年ヘビメタ騒音生活でしょうじたことだ。

いま、さっき書いたけど、一八歳の時には、完全に終わっている。これは、どういうことかというと、一八歳の時に、完全に鳴りやんだとしても……一日に一分だってヘビメタが鳴ってない状態に移行したとしても……もうだめだということだ。ここらへの感覚が、一一歳から一八歳までずっとやられた人間じゃないとわからない。経験したことじゃないとわからない。

で、へんにポジティブな人とは、対立することになる。それから、へんにポジティブではなくても、普通の人だって、なにか不健康的な人やなにか不幸そうな人には、なんか希望があるようなことを言いたくなる。元気づけたくなる。

というか、まあ、それが礼儀だ。そんなことは思ってなくても、なるべくポジティブな言葉をかけてあげることがいちおう、礼儀になっている。ぼくだって、よく知らない人の、よくしらない不幸にかんしては、そういう態度をとる。これはまあ、あいさつみたいなもんなんだよね。

ビオフェルミンをさらに投下。

ところで、なんて言うか、親の見舞いや状況を確認するのが常識的な行為だとするだろ。たとえば、親が入院しているのに、何日も見舞いにもいかないとなると、非常識な人だなと思われるわけだろ。

けど、もう俺は限界だ。医者とか病院の人にあんまりよく思われないんだけど、限界だ。これ、本当に、ヘビメタ騒音生活のとき、ヘビメタ騒音の影響を受けた体で、そとに出るような感じなんだよな。

そして、バス代を浮かすために歩くとすると、自分が通っていた小学校の前を歩くことになる。俺は、ランドセルをせおっていたときだって、ヘビメタ騒音をやられてたんだぞ。俺がどういう気持ちで、ヘビメタ騒音が鳴る「うち」に、ランドセルをせおって帰ったと思っているんだ。小学校の


わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。