2019年3月13日水曜日

ヘビメタ騒音の場合は、廃液、悪臭、毒ガスのなかで動いているようなもの


うーん。つまらん。つまらん。つまらん。
いま、めしの用意をした。用意って、ご飯を炊く用意をしてスイッチを入れた。五目釜飯じゃなくて、山菜釜飯があまった。しばらく、山菜釜飯ばかりになってしまったので、白い飯を炊くことにした。山菜釜飯は、ガラスの容器にいれて冷凍庫に入れた。これでいいだろう。ふたつ、つくったよ。こうしておけば、だるくてなにもつくる気がしないときに、チンしてあたためればいい。解凍するときに、電気代がかかるのがいやだけどしかたがない。
白いご飯でボンカレーを食べるつもりだ。釜飯はうまいけど、カレーが食えなくなる。ボンカレー、なんとなく、食べたくなったから買っておいた。本当は、当時のやつがいいんだけどね。復活のやつが高かったから、安いボンカレーを買っておいた。甘口だよ。甘口。なぜか、ボンカレーは甘口がいい。
なんか、ねちがえた、らしく、微妙に左首と、左肩が痛い。
左が痛い。布団の下にマットをひくかな?
大型商品(通販)だと、時間の指定ができないんだよな。
ちょっと問題がある。

しかし、三〇代の状態には復活したいんだよな。体の状態と精神の状態。
むりか? 「本当につかれた」というのがある。寝ているとき、なんか自分のからだがしずんでいくような感じがある。これは、前からつかれたときはこんな感じになるのだけど、ちょっと今回のは、期間が長すぎる。毎日そんな感じだよ。
やせ我慢して生きてきたけど、ろくなことがなかった。
ヘビメタ騒音で友達をうしなっている。これ、本当に、「へびめたそうおんのせい」なんだよ。他の人はまったくかわらないだろうけど。他の人は、ヘビメタ騒音生活をまったく送らずに、「そんなのはいいわけだ」と言ってくる。「ヘビメタ騒音と友人関係と、なんの、関係がある?」と言ってくる。けど、本当に、ぼくと同じようなレベルのヘビメタ騒音が横の部屋でガンガン鳴っている状態が続くと、だめになる。友人関係なんてすっ飛ぶ。もちろん、一年間で完全に終わってくれればいい。けど、一〇年以上毎日続いたら、もう、だめだ。そういうことがわかってないんだよね。一〇年毎日、つもったときに、どういう状態になるかわかってない。それこそ、精神の状態とからだの状態。これは、実際に一〇年間毎日やられてみないとわからないと思う。つもるんだよ。ほんとうにつもる。けっきょく、ヘビメタ騒音一五年を経験したあとの三〇代なんだよな。なんで、三〇代が出てくるかというと、さっき、「せめて、三〇代の頃のからだにもどりたい」と思ったから。いまは、本当につかれた。つかれはてた。うごけない。へこんでうごけない。どうにもならない。
まあ、「いちにちいっこほう」でなんとかやっていくしかないのだけど、たとえば、Wordpressのテンプレートをつくって売ろうと思っても、しんどいのでできない。エクセルの使い方について、説明してyoutubeにのせるとかそういうことも考えたけど、しんどくてできない。だいたい、ヘビメタ騒音のせいで、ぼくの声が、暗い声になっているんだよね。ああいうのは、明るい声じゃないとだめなんだよ。これは、これは声の質自体のことじゃなくて、気持ちの問題ね。ヘビメタ騒音をやられて、なんて言うのかな?そういうところでも、だめなんだよね。ヘビメタ騒音が、毎日一四年以上も、午後一一時一一分ごろまで続かなければ、ぼくはこんなにくらい声になってない。こんなにくらい話し方になってない。何度も言うけど、ぼくはヘビメタ騒音前は、明るかったんだよ。わりと、たのしむことができた。楽しい気持ちもあった。けど、ヘビメタ騒音が一日をおおうようになってから、一日中、くるしいんだよ。楽しくないんだよ。つらいんだよ。これが、他の人にはわからない。経験してない人にはわからない。だから、他の人は「たのしいたのしい」と言えば楽しくなる……というようなことを言い出す。たとえば、その人が自分(その人自身)に向かって言ってるのであればそれでいいけど、ぼくに向かっていっているのであれば、対応しなければならなくなるだろ。で、もう、「あわせるよゆうはない」。あわせる余裕はない。サービスで、「そうですね」と言う余裕はない。そんなのは、ヘビメタ騒音一五年生活のなかで、何千回もためしたことなんだよ。そして、ダメだったことなんだよ。どれだけの崩壊があるか? どれだけの疲弊があるか? どれだけの「しっぱいたいけん」があるか? これも、また「しっぱいたいけん」などという言葉を使うと、そこをせめられる。「しっぱいとおもえばしっぱいだけど、しっぱいだとおもわなければしっぱいじゃない」「しっぱいだとうけとめるからだめなんだ」とせめられる。もう、いやなんだよ。これも、ヘビメタ騒音が本当に毎日一五年続くと、……そういうことでは、どうにもできない疲れに襲われるし、楽しくない状態になる。けど、たとえば、「たのしいたのしい」と言えば楽しくなる」とか「しっぱいとおもえばしっぱいだけど、しっぱいだとおもわなければしっぱいじゃない」というようなことを言う人に、ぼくの意見を言っても、相手は、わからない。相手は、そんなことを言っておいて、いざ自分が言ったことを否定されれば、不機嫌になる。「なんだ、こいつ」と思う。「そんなこといってるから、だめなんだろ」と思う。ぼくの意見は、ヘビメタ騒音生活に裏付けされた意見なんだよ。やってないで言っているわけじゃないんだよ。もう、そういうまじないのような思考法につきあうのはいやなんだよ。これ、普通の場面ではどうしたって、「そうですね」と言って返さなければならないような状態になる。ヘビメタ騒音でつかれてそんなこと、やってられない。こっちは、何十年も前から、「そんなことやってらないじょうたい」なんだよ。昨日物理の教師のことを話したけど、このやりとりは、物理の教師とのやりとりとちょっとだけ似ている。けっきょく、相手がヘビメタ騒音の本当のすがたを知らないから問題がしょうじる。相手が本当に、一五年間毎日毎日、午後一一時一一分まで、本当に本当にけたたましい音で、いつもいつもヘビメタをやられたという経験がないので、ヘビメタ騒音の本当の姿を知らないから、そういう「あつれき」がしょうじる。ぼくとのあいだに摩擦が起こる。本当に、一五年間毎日毎日、一五年間毎日毎日、午後一一時一一分まで、本当に本当にけたたましい音で、いつもいつもヘビメタをやられたぼくとのあいだにヘビメタ騒音にかんする認識のちがいがある。あるいは、気違い兄貴の性格について、認識のちがいがある。これは、わからない。いくら、「へびめたそうおんのなかで、ものをそろえることができない」なんて言っても、相手はわからない。どんだけ頭がこんがらがるか? どんだけそういう体験がいままで積み重なってきたか?わかってない。本当に、ヘビメタ騒音のなかで動くというのがたいへんなんだよ。水の中で動くのは、空気のなかで動くのよりも、抵抗があってたいへんだ。もっとも、水の場合は、そういう抵抗を楽しむことだってできる。けど、気違いヘビメタ騒音の場合は、廃液、悪臭、毒ガスのなかで動いているようなもので、呼吸しているだけで、相当に感覚をやられる。なんて言うのかな? わからないとは思うけど、本当に頭のリソースを九九%ぐらいもっていかれる。一%のリソースで動いてはいるけど、夢のなかで動いているような感覚で、どうしても、頭がすっきりしない。もやもや。どうしても、「ぬけ」ができる。「もう、いやなんだよ」「もう、いやなんだよ」「もう、いやなんだよ」「もう、いやなんだよ」「もう、いやなんだよ」。「もう、いやなんだよ」。どんだけそういうことであせるか? どんだけ、そういうことで、つかれるか? これ、本当にわからないと思う。ヘビメタ騒音の「毒ガス」のなかで動いたことがない人にはわからない。これ、本当に、勉強をやっているときとおなじ状態になる。問題をどれだけ読んだってわからないような状態になる。学校で覚えたことを、ヘビメタ騒音のなかで復習すると、覚えたことなのに、おぼつかなくなる。へんな感じがつきまとうようになる。へんな感じと言ったけど、ヘビメタ騒音の不愉快な感じがつきまとって、それが、思い出すことを禁止するような状態になる。ヘビメタ騒音が、一度覚えたことを、思い出すことを妨害するたうな感覚というのがある。で、そういうことを、経験してしまうわけだからこまる。要するに、妨害されて思い出せないような感覚が記憶されてしまうのである。だから、ヘビメタ騒音のなかで勉強するのは、マイナスなんだよ。

   *   *   *


こっちに書いて良いのかどうかわからないけど、細かい、いやな記憶がよみがえってきて、困っているよ。本当に何十年も前の記憶なのに、その時の感覚や気持ちがそのまま、よみがえってしまうんだよな。


わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。