2019年3月26日火曜日

気違いの音がガンガン鳴っている家に近づくこと

やっぱり、ヘビメタでくるしい。いま、ゴミを出しに行ったんだけど、ゴミを出しに行くと、当然、ゴミを出したあと、こっちに帰ってくることになる。その場合、ヘビメタ騒音が鳴っている家に、近づくことを思い出してしまう。徒歩で、ヘビメタ騒音がガンガン鳴っている家に、近づくこと……を思い出してしまう。それは、何千日もそうだったわけ。そりゃ、学校から帰ってくるときは、最終的に家の前の道を通らなければならず、家の前の道は、むかしもいまも、ほとんどかわってないから。もちろん、道路を舗装したり、まわりの家も当時の家ではない。だから、かわったと言えばかわったと言える。しかし、そうじゃない。うちは建てかえをしてないし、見える風景もだいたいおなじだ。

ともかく、くるしい。あれ、入試から帰ってきたときのことを思い出してしまう。学校から帰ってきたときのことを思い出してしまう。俺にとって、『気違いの音がガンガン鳴っている家に近づくこと』がどれだけくるしいことか! なんか、本当に、悪臭をはなっているところに、近づくような感じなんだよね。ものすごくいやな場所に近づく気持ちだ。猛烈に、いやな場所に近づく感じ……徒歩で……これが、どれだけくるしいことか。で、ドアを開ければ、気違いヘビメタが雪崩のようにふってくる。あれ、本当に、ドア一枚でどれだけ違うか? ともかく、くるしい。家の前の道を、家に近づく方向で歩いているとき、ぼくは崩壊的な気持ちになる。破滅的な気持ちになる。学校から帰ってきたときや、入試から帰ってきたときのことを、一気に思い出してしまう。数千回、の、記憶。どうしたって、雰囲気として思い出してしまう。「じぶんち」に帰ることが、どれだけくるしいことか……。こんなのない。

あれ、ほんとうにない。
みんな、わかってない。
どれだけひどいことか、みんなわかってない。
『ヘビメタ騒音? そんなの関係ない』と言ったやつをまるまるしてやりたい。

おれがそういう感情を持ってしまうということだって、ヘビメタ騒音がなければなかったことなんだぞ。気違い兄貴が、気違い兄貴の感覚で、気違い的にこだわってこだわって、気違い的なデカイ音で鳴らさなかったら……十年何年間も鳴らし続けなければ……毎日、十年何年間も鳴らし続けなければ……なかったことなんだぞ。気違い兄貴のこだわりが他の人にはわからない。一日のヘビメタ騒音の『総量』が他の人にはわからない。一分間ヘビメタがずっと鳴っているということのつらさが、他の人にはまったくわからない。一分間だけでも、相当につらい。相当にこたえる。どれだけ無視していても、一分間、鳴っていれば、一分間のの毒素がからだに送り込まれる。強烈ストレスを感じて、さまざまなストレス障害の症状が出てくる。ヘビメタ騒音の毒素量が決まっていると思う。一分間やられた場合の、ストレス量がだいたい決まっているように思う。それは、なんて言うのかな、ある種の毒に対する反応とおなじだと思う。人によって、毒に対する感受性?が違う。けど、だいたいおなじなんだよ。特別な人がいるけど、特別な人以外は、だいたいおなじところにおさまる。ヘビメタ騒音のストレス量というのは、本当は、特別な人を抜かしてだいたいおなじだと思う。ただ、他の人は、となりに気違い兄貴がいなかったから、経験してないだけだ。これ、本当におなじ経験をしたら同じような症状が出ると思う。それは、毒の摂取量?とだいたいおなじ傾向を示すと思う。

やられておいて、平気と言うことはないんだよ。そりゃ、好きで鳴らしている兄貴は別だけどな。騒音というのは、自分で制御できない音なんだよ。音の大きさは関係があるけど、音の大きさが、騒音かどうかを決めるわけじゃない。騒音というのは、人が感じるものなんだよ。不快だと思った音を制御できないというところが、騒音の騒音たるゆえんだ。とある音が、騒音であるか騒音でないかを決める一番重要な部分だ。制御できないヘビメタ騒音なら、だいたい、他の人もおなじ症状が出ると思う。他の人は、経験してないからわかってないだけ。「そんなことになるなのかな?」と思ってしまうわけだ。あとは常識にしたがって「でも、ちゃんと働かなきゃだめじゃないか」「でも、遅刻しちゃダメじゃないか」と思う。これは、ヘビメタ騒音の影響を過小評価している。けど、本人は、経験してないからわからない。常識にしたがって言っていることだから自分が間違っているとは思わない。自分が間違っていることを言っているとは思わない。前提が違うからな。

ヘビメタ騒音の影響を過小評価する人は、俺にかんして、必然的に誤解するようになっている。そういう構造。そういう状態。これだって、気違い兄貴が、気違い兄貴の構造で、まったく気にしないで、こだわってこだわって、普通の人じゃあり得ないほど夢中になって、ヘビメタを頑固に、デカイ音で慣らしたからそうなっているんだぞ。おなじなんだよな。気違い親父が、ハンダゴテのことで示した態度と、気違い兄貴が、ヘビメタのことで示した態度がおなじ。そして、「まわりのひとのはんだん」というのが、おなじなんだよな。まわりの人というのは、そんなに頑固になって、間違っていることを主張するはずがないと思っている。あるいは、やっているならやっているで、やっているつもりがあるはずだと思っている。けど、そうじゃない。夢中になってやっている本人は、やっているつもりがない。外から見て、そのように記述されることをやっているつもりはないのだ。兄貴なら、気違い的なデカイ音で鳴らしているということが、わかってない。本当は、デカイ音で鳴らしているのにデカイ音で鳴らしているというつもりがない。親父だって本当なら、「ひとめみればわかること」を理解してないというつもりがない。絶対の意地で理解してやらないけど、絶対の意地で理解してやらないつもりでそうなっているわけではなくて、もっと根本的なところでそうなっているから、客観的な自我の姿が本人にはわからない。つもりがなければ、本人にとっては、やってないことなんだよ。どれだけ、気違い的な意地でやってやってようが、やってないことなんだよ。主観的には……。で、そういう人がいないと思っている『まわりの人』は、必然的に誤解する。やられた人の話を聴いて、必然的に誤解する。そりゃそうだろう。前提が違うのだから……。他の人が信じられないような態度でやると、やられた人が、他の人から誤解、される、構造が成り立っている。

頭がおかしいやつが、やりきると、「おしだされてしまう」。頭がおかしいやつのやり方というのが本当にきたない。どうしてかというと、「やってないつもり」でやりきるからだ。やったのに、「やった」ということを認めない。それは、現在進行形でそうだし、過去のことになったら、なおさらそうなんだよ。そういう人がいるということがわかってない人たちは、そういう構造を持っている人にやられた人のことを、誤解する。そういう人たちににとっては「そんなのはないからない」なのだ。あるからこまっているんだろ。まあ、「あったとしても、影響を受けなきゃいい」というような偽善的なまよいごとを言う人たちもいるけどな。そういうこともある」という前提に立って、「そういうことがあったばあいのえいきょう」について考えなきゃいけないのに、まるで気違いのように、そういう影響を「ないもの」として考える。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。