2019年5月26日日曜日

「できない」は甘えか? 意思による制御 パンチドランカー・小便もらし アスベスト・肺機能 記憶と体験

起きた。

さっそく、洗濯ハンガーを外に出す。

あーつかれた。



とりあえず、赤飯を食べる。

ちょっとでいい。



あーつかれた。



以上の作業を行ったので、もう一度、寝るかな。

みんな、俺がどれだけつかれているかわかってない。
わかってない。

つかれがとれて欲しい。
普通の朝を迎えたい。

ヘビメタ騒音をやられればだれだって、こういう状態になるのに、みんなわかってない。まるで俺が不摂生だからこうなったと言わんばかりだ。まるで、プラス向きのアファメーションを……ヘビメタ騒音のさいちゅう、あるいはヘビメタ騒音のあと……やらなかったから、こうなったと言わんばかりだ。

どうして、そうやってせめる? 

人間の体として「りょう」がある。許容量がある。その、人間の体としての『許容量』をこえた。だから、治らずにくるしんでいる。数千日の
記憶は、単なる記憶ではなくて、体験なので、体がかかわっている。

パンチドランカーとおなじ。職業病とおなじ。水俣病とおなじ。一〇年以上、何回も何回も、アスベストを吸ってしまった人とおなじ。たとえば、アスベストの場合、作業の記憶があるとする。もちろんあるだろう。で、記憶とは別にアスベストを吸ったという経験がある。

この場合、アスベストを吸ったという記憶に悩まされている部分もあるかもしれないけど、記憶だけに対処してもどうにもならない。そして、過去の出来事が影響を与えている。『過去のことは過去のことだから、現在のことに影響を与えるわけがない』という考え方は間違っている。

「アスベストなんて関係がない。元気だ元気だ」と言えば元気になるわけではない。また、アスベストが関係している症状はアスベストを吸ったことによってもたらされているわけだから、どれだけ『関係がない』『関係がない』と何回も何回もアファメーションをしても、『関係がない』状態にはならない。「アスベストなんて関係がない。元気だ元気だ」と言えば、アスベストを『過去において』吸ったということが『いまの肺の状態』と関係がないことになるかというと、関係がないことにはならない。

アスベストを含んでいる天井のパネル(部品)などをはがしているときなどの記憶がくるしいものだったとしよう。で、くるしい記憶があるから悩んでいるとしよう。その場合、くるしい記憶に対処しても、体の経験があるからダメだということになる。肺の中に入ったアスベストが問題なのだ。

実際には、作業中は(やっかいではあるけど)そんなにはくるしくなかったと思える。アスベストのことがわかってなかったから、作業をしたのだろう。一〇年以上職業的にアスベストにさらされた場合、肺にアスベストを吸った影響が出るというのは、実際にそういう人があらわれてから、わかったことだ。

だから、アスベストに関する記憶でくるしめられているということは、少ないだろう。けど、言いたいことはおなじだ。「記憶のほうに対処してみてもしかたがない」ということが言える。

アスベストの場合は、記憶はたいして関係がないのだけど、記憶と体が症状に関係している場合、記憶のほうを精神的にどうにかしようとしても、体のほうが治らなければしかたがない。アスベストに関しては、肺からアスベストが出ていけば、体の問題がなくなるのである。逆にいえば、体の問題に対処していないのに、精神主義的な助言をしてもむだだということになる。

おなじことがパンチドランカーについても言える。なぐられた記憶に対処しても、パンチドランカーの症状がなくならない。体のほうに変化が生じたからだ。過去の出来事によって体のほうに変化が生じた。

けど、精神主義の人や言霊系の人から見ると、体の症状が精神的な症状にみえるのである。精神主義的な人や言霊系の人は、体の問題を無視してしまう。だから、たとえば、『まっすぐ歩けない』といったことや『不意に小便が出てしまう』ということに対して精神主義的な助言を行う。

「まっすぐ歩けないと思っているから歩けない。まっすぐ歩けると思えばまっすぐ歩ける」「実際、俺は、まっすぐ歩けるしぃーー。まっすぐ歩けないなんていうのは甘えだ」と助言する。「くやしかったら、まっすぐ歩いてみろ。俺はまっすぐあることができるぞ。まっすぐ歩けないなんていうのは、甘えだ」と言いやがるのである。

意思にかかわらず小便が出てしまうという症状に関しても、彼らは「突然、不意に小便は出ない」「突然、不意に小便は出ない」「突然、不意に小便は出ない」と何回も何回も念仏のように唱えれば、「突然、不意に小便が出ないようになる」というようなことを言う。

また、『思ったことは現実化する』と考える人たちは、「もらしてしまうと考えるから、もらしてしまう」と考える。「もらさない」と何回も何回もこころの中で思えば、「もらさなくなる」から、そうしなさいと助言する。

けど、パンチドランカーで小便をもらすようになった人は、もともとは、小便をもらすような人ではなかったのだ。ようするに、脳みそに打撃を受ける前は、普通に小便ができた。不意に小便が出るようになったのは、打撃の結果だ。『不意に小便が出るようになる』と何回も思ったから、そうなったというわけではない。

「意思による制御」という問題がある。あるいは、「意思による制御に対する信仰」という問題がある。この人たちは、「意思による制御」に対する信仰があるので、体のほうの変化を認めない。体のほうが変化したあとも、「意思によって制御できるはず」なのである。

なので、ある人が「意思によって制御できない」ということを言うと、(精神主義者や言霊主義者は)そのある人のことを『甘えている』と判断する。精神主義者や言霊主義者は、体に変化が生じた人に対して、『甘えている』と言う。彼らにしてみれば「できないなんてことはない」のである。その時点では、精神主義者や言霊主義者には、実際に、それができる。だから、別に、自分が間違ったことを言っているようには思わないのである。

けど、精神主義者や言霊主義者は『体験』を無視している。

一〇年、二〇年毎日続いたことによって、体が変化してしまうということを、軽く見ている。あるいは、認めない。

たとえば、人間は小便を我慢できる。……普通の範囲でね。これも、小便を意思で我慢し続けると、最後には言ってみれば「決壊」して(小便が出て)膀胱の機能が損害される。もし損害されたとすると、かつては小便を我慢できた人も小便を我慢できなくなる。「意思による小便の制御」ができなくなる。

その場合、そういうことを経験してない普通の人や精神主義者や言霊主義者は、意思による小便の制御ができるので、「小便の制御ができないなんて甘えだ」と言い放つことができる。彼らは、「できない」と言う人に対して説教ができるという素敵なポジションを手に入れたのだ。

『実際、俺は小便が我慢できないなんてことはないしぃー』という立場からものを言うことができる。

「意思的な制御ができないなんてーのは、甘えだ」「できるできると言えばできる」……こういうことを、こわれた人に対して、言うことができる。

けど、それは、膀胱の機能が阻害されてないからだ。それから、小便の我慢について言えば、限界をこえて我慢しようとした結果、膀胱がこわれてしまったのである。限界はある。精神主義的なことを言う人は『限界なんてない』という考えにこだわっている場合が多い。これは、また別の問題としてあつかう。


睡眠に関しても、おなじことが言える。五〇〇〇日以上、ヘビメタ騒音という物理刺激を受けた後、俺の睡眠回路がこわれた。これは、生物的な話しだ。体の話しだ。五〇〇〇日以上、ヘビメタ騒音という物理刺激を受けてない人が「朝、起きれないなんていうのは甘えだ」「一定の時間に起きれないなんていうのは甘えだ」「ヘビメタ騒音で遅刻してしまうなんていうのは、甘えだ」と言いやがる。

「過去は過去。現在には影響を与えない」「過去のことにこだわっていてもしかたがない」と言いやがる。こだわるとか、こだわらないといった問題じゃないんだよ。ほんとうにまったくわかってないな。


騒音ヘッドギアをつけて五〇〇〇日、しょーーもない生活をしてみればわかるよ。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。