2019年5月8日水曜日

俺が倒れたときに考えることがヘビメタ騒音のことなのだ


実は、ゴミが入ってないゴミ袋のうえで足をすべらし、脳天逆落としのような状態で、頭を壁にぶつけてしまった。頭はいたくないのだけど、首と肩がものすごく痛い。やばいのだ。やばいのだ。

寝違えたようになっている。首が下に動かない。うえには動く。一〇分間ぐらい、いたくてたてなかった。最初の三分間は、「あ、これ、救急車、よばないと、だめかな」と思ったほどだ。けど、動けなかったんだけど。
いまもみょ~な感じで、頭と首が痛い。おもに、首側なのだけど、頭のうしろのほうも、ぴーん、って感じでいたくなるときがある。まあ、首だな。耳の後ろあたりか。肩も痛い。はじめは、肩のほうがめちゃくちゃにいたかった。倒れたとき痛みを感じたのは、実は、肩と背中。頭も打った感じはあったけど、肩のほうがめちゃくちゃにいたくて、わからなかった。実は右の腰もちょっと痛い。(床は段差がある床なので、痛いところがわりとへんなふうに分布している)

まあ、そんなこんなで、心細く、くるしい状態だ。

もともと、やる気がなかったけど、もう、完全にやる気がない状態となった。けど、仰向けに寝ることができないので、横になるのも、どうかと思う。横向きだと寝れる。

けど、なんかもう、いい。寝ていてもつらい。
起きてやることはない。本当はあるけど、とてもじゃないけど、できない。なんか、だるさまであるのだ。肩の辺りがもわーっとだるい。頭の後ろも、なんかおかしな状態だ。

   *   *   *

安静にして痛みが去るのをまつ。
しかし、ヘビメタ騒音でつかれた。
この感覚、他の人にはわからないんだろうな。
わからないんじゃしょうがない。わからないということは、「ない」ということだからな。考慮からはずされているわけだから、ああいう反応をするわけか。けど、そういうことを言うご本人だって、小学六年生のころから、あの音でずっとならされ続けたら、死にたくなって外に出れなくなると思うんだけどね。少なくても、決まった時間に出勤できなくなる。長すぎる。その人たちが無視しているところは、不可避的な体の症状だ。あまりにも、一般的ではないことなので、一般の人はわからない。俺だって、気違いヘビメタを実際に経験するまではわからなかった。いずれにせよヘビメタ騒音の苦しさは、他の人にはわからないということになる。わからないのであれば、ヘビメタ騒音の効果は無視して、ぼくにものごとを言うことになる。もっと正確に言えば、そういう人たちは、ヘビメタ騒音の負の効果を無視して、ぼくに、ありきたりの助言をすることになる。ヘビメタ騒音の負の効果なんてたいしたことがないと思っているのだから、平気で『ヘビメタが鳴っていたとしても、働いたほうがいい』というようなことを言うだろう。それは、架空の『ヘビメタ騒音を経験してないぼく』にとっては適切な助言なのかもしれないけど、現実の『ヘビメタ騒音を経験したぼく』にとってはたいへん不適切な助言だ。ののしっているのとたいしてかわりがない。そういうことを言う人たちが、ヘビメタ騒音生活をすることは、ない。その人たちの『騒音経験』をもとにして、『騒音の負の効果』を推量してものごとをいうことになる。『それでいいじゃないか』と普通の人は思うかもしれない。けど、実際にやられてきたぼくにとっては、いいことじゃない。ゆるせないことだ。

ヘビメタ騒音のあの音のレベルで毎日続くということの本当の意味が『経験として』わかってない。だから、ヘビメタ騒音の負の効果を』過小評価して、間違った前提に立って、物事を言うことになる。

そして、他の人は……つまりぼく以外の人は……『気違い兄貴の態度』が、これまた経験としてわかってない。わからない。説明されても、わからない。疑問を持ったままになる。だから『実際にそういう人がいるとしても』というような仮定の話になってしまう。

それから、『気違い兄貴の態度』について一番わかってないのが気違い兄貴本人だという事実がある。他の人がわからないのはわかるけど、兄貴がわからないのわからない。これは、おかしい、他の人が矛盾を感じるところなのだけど、実際にそうなんだ。そうとしかいいようがない。ともかく、兄貴は、こだわって、こだわって、自分が思ったとおりの『でかい音』で鳴らしているとき、『でかい音』で鳴らしているつもりがない。頭がおかしいレベルで、認知が書きかえられている。自分の(無意識的な目的のためには)自分の都合がいいように認知を書きかえることができるような人間なのだ。意識的には常に「つもりがない」のである。いわれないから気がつかないのではなくて、どれだけ言われたって、気がつかない。言われたら、言われたときだけ、否定語を繰り返して、それでおしまいだ。あとは、一切合切関心を持たずに、『自分がやりたい音』で鳴らしまくる。『自分がやりたい音』で鳴らしまくっているのだから、よその家ではあり得ないほどでかい音で鳴らしているのに、よその家ではあり得ないほどでかい音で鳴らしていると思っていないのだ。やり終わったら、もう、鳴らさなかったのとおなじ心理状態になる。一切合切鳴らさなかったのとおなじ認知になってしまう。

ヨソの人が、兄貴の意地や、兄貴の矛盾した態度や、兄貴の矛盾した認知について、ぼくが嘘を言っているのではないかと思うということはわかるけど、兄貴が、本当にまったく『つもりがない状態』で鳴らしていることは、わからない。俺でさえ、『そんな都合がいいことがあるか?」と思う。けど、兄貴が言っていることを考えると、そういうふうに考えるしかない。兄貴が鳴らしている態度を考えるとそう考えるしかない。兄貴に『静かにしてくれ』と俺が言ったときの、兄貴の態度を考えると、そう考えるしかない。

信じられないけど、そうだ。兄貴が一番、自分がやったことについてわかってない。ヨソの人が『そんな人、いるのかな?』と疑問を持つこと自体はわかるけど、事実だ。で、ヨソの人は、俺の話を聞いたあとも、疑問を持っているわけだから、よけいにヘビメタ騒音に関して、過小評価をする。

   *   *   *

本当に信じられないことなのだけど、あれだけ意地になってこだわってこだわってやったことなのに、本人はまるでこだわりがない状態なのだ。

こだわりがない状態というのは、一〇〇%自分が思ったとおりにやれたから、そういう状態になっている。やりきったからそうなんだよ。あれで、本当に!自分が一分間でも譲らなければならないと鳴ったら、どれだけの怒りがわき起こってくるか。で、そういう態度でやりきったのだけど、やりきれたので、「まったくやってない」という主観的な感覚が成り立っている。こんなの、他の人にわかるか? これをやり始めたのは、気違い親父で、うちではなじみがあること」なのである。うちでは、ごくあたりまえのことなのである。うちでは、ごく当たり前に成り立ってきたことなのである……それも毎日。そりゃ、ご本人がそういう性格なのだから、一日二四時間、そういうモードで暮らしているのだから、いつもそうなんだよ。うちでは、いつもそうだ。ヨソでは、隠しているのかもしれない。けど、隠しているつもりはないんだよ。ヨソにいるときは、普通に『ヨソモード』で生きている。うちに帰ってくれば『ウチモード』になる。本人は別に使い分けているつもりではない。うちにいるときは、ずっと、そういう性格、そういう反応、そういう感じ方なんだよ。だから、血相をかえて顔を真っ赤にしてやりきったことはまったくやったことじゃないのである……本人にとっては。本人はまったく関係がないことなのである……本人の主観としては。そういう意識が成り立っているのである。これは、記憶障害じゃない。普通の記憶障害ではない。本当はやったこと自体は覚えているのである。けど、気違い兄貴にかんしては、たとえば、でかい音で鳴らしているのにもかかわらず、こんなのは小さな音だと考えることで、そういうところを、飛び越えているのである。音を鳴らした記憶はあるけど、でかい音を鳴らした記憶はないということになっているのである。常に!! こんなのわかるか?? 本人は「こだわらないこと」で、そういうことを実現しているのである。こだわりきってやったことは、一切合切関係がないことなのである。かりにやったとしても!!!自分には関係がまったくないことなのである。『自分がやったことじゃないから、そんなのは知らない』という感覚も同時に成り立っている。この感覚がわからないか? ヨソの人はこの感覚がまったくわからないのか? そういうふうに感じるのは、自分が思ったとおりに思ったことをやれたから。これで、ちょっとでも制限が加われば、自分が関係があることになって、我慢させられたことになるのである。我慢させられた感覚だけは残るはずなのである。我慢させられた感覚が残らないのは、本当に、自分がやりたいようにやれたから。だから、やっているのだけど、本人は、「まったくやったつもりがない」ままなのである。かかわっている感じがしない。で、そういうことが問題になるのは、自分が不都合なことをいわれたと思ったときだけなのである。だから、まったく気にしないで、当の行為を行うことができる。まさしく、「やったってやってない」なのである。これは、親父がやり始めたことなんだけど、兄貴がヘビメタでおなじことをやった。兄貴のヘビメタのほうが、親父のすべての行為を束ねたことよりも、影響を与えている。兄貴のことにしたって……つまり、ヘビメタ騒音のことにしたって……こういうしくみがわからない人にとっては……たいしたことじゃないということになってしまうのである。だから、「お兄さんに言えばいい」『家族で相談すればいい』というような助言をするのである。この助言も、俺にとっては、俺をくるしめるだけの助言でまったく意味がない助言だったよ。俺がどれだけ苦労して気違い兄貴と気違い親父を交渉のテーブルに着けたと思っているんだよ。三ヶ月前からずっと言って、一日だけ、一〇分間、交渉のテーブルについた。そして、兄貴はずっと黙っていた。そりゃ、「せいげんをうける」のはいやだからだ。『それじゃ、静かにしてやる』とは口が裂けても言えない。『それじゃ、試験の前、三日間だけ、鳴らさないで静かしてやる』なんて、口が裂けてもいいたくない。たとえ、一〇分間だろうが一分間だろうが、絶対に、自分が我慢するのはいやなのだ。そういう意地がある。そういう意地があるのだからやっているときは、我慢せずにやっているんだよ。これが、親父と同じ性格だからまったくわかってない。三年以上ずっと毎日そうしているということがわからない。その時点で、三年と五ヶ月ヘビメタ騒音を毎日、存分に押しつけているのに、一日に一分も譲らないで押しつけているのに……まったく押しつけているつもりがないのである。で、気違い親父とおなじだから、「おしつけているつもり」がなければ、それは、「げんにやってない」「そんなことはまったくしてない」のとおなじなのである。こういうやりかたで、無視して、頑固に、相手がやるなといっていることをやる。やり続ける。けど、「つもりだけ」はないのである。本当にまったくない。自分がかかわっている感じがしない。本当は、張本人なのに、まったく関係がないつもりでいる。で、話しあい(家族会議のあとだって)二階に上がって、フルの音でガンガン鳴らしている。ガンガン鳴らし続けた。一日中、ガンガン鳴らしているのである。鳴らしたのである。それで、なにも、感じないんだよ。家族会議のとき、弟が困るからやめてくれと何回も言ったけど、自分は無視して押し切って鳴らし続けた……という気持ちがない。実際にやったことはそういうことなのに……いわれた当日だって、そういう態度、そういう感覚で鳴らし続けた。まったくわるいと思ってないんだよ。まったく影響を与えたと思ってないんだよ。そういうことをしてたって『自分はしずかにしてやった』『ゆずってやった』と顔を真っ赤にして言うんだよ。あとになればそうなる。これも、親父のコピーだ。親父が発狂的な意地で無視してやったことを、こっちが「やった」というとそういう態度であばれるというか、怒る。怒り狂う。で、自分が怒ったら、それで、スイッチが切れている?らしく、本当に関係がない人になってしまうのである。自分が不愉快なことをいわれて腹が立ったという感覚しか残らない。これは、親父がやり始めたことだけど、兄貴もおなじだ。完全におなじ。やったことだけど、兄貴がヘビメタでズッとやったことだ。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。