2019年5月30日木曜日

「とりあえず行けば」成功か? 成功じゃない。不幸だ。不幸が積み重なる


とりあえず、時間通りに起きることができたんだけど、この雰囲気……気違いヘビメタ騒音の朝の雰囲気だ。●●たくなる。毎日こういう日だった。俺の体はヘビメタ騒音にむしばまれていた。俺の精神はヘビメタ騒音で破壊されていた。長すぎる。続きすぎ。どんだけ長く、毎日毎日続いたか? だれだって、こんなことをやられれば、寝不足で死にたくなるのに、ヘビメタ騒音にさらされてないやつが、「そんなのはあまい」と言ってくる。「だれだって、朝はつらい」「俺だってつらい、けど、がんばって生きている」などと言いやがる。けど、そいつは前の日、ヘビメタ騒音に七時間さらされて、眠れなかったわけじゃない。前の前の日、ヘビメタ騒音にさらされて、眠れなかったわけじゃない。一〇〇〇日前、眠れなかったわけじゃないやつ。二〇〇〇日前、眠れなかったわけじゃないやつ。俺は、自分の意思に関わりなく、気違いヘビメタにさらされて、夜眠れなくなっている。それがどれだけつらいことか? それがどれだけ、不安を助長するものか。完全に眠れなかったわけじゃないけど、二時間ぐらいしか寝てない。しかも、本来は眠っている時間としてあてがわれている五時間、六時間、『眠れない』という不安とたたかっている。ヘビメタ騒音で、自動的にそうなる。人間の体ならそうなる。ああいう、気違い的な騒音に七時間たたられて、あるいは、一四時間たたられて、神経が影響を受けないということはない。それなのになんだ? 気違い野郎が『過去は関係がない』などと言いやがる。気違いヘビメタにやられることで、そういう、気違い野郎に、「えらそうなこと」を言われる「スキ」ができる。説教をされる「ネタ」ができる。これが、どれだけ屈辱的なことかわかるか? じゃあ、言われたくないから、起きて行くとする。がんばって行くとする。けど、それは『成功』じゃない。無理をしているだけだ。だから、日中にも、次の日にもこたえる。午後四時に帰れば、気違いヘビメタが鳴っている。学校で時間をつぶすためにやった部活が、さらに俺にたたる。ヘビメタ騒音ありで、部活をやるなんてことは、不可能だった。けど、『ヘビメタ騒音にさらされる時間を少しでも少なくしよう』などと思って部活に入ってしまった。そこでの人間関係が、また、ヘビメタ騒音で!悲惨なのである。ヘビメタ騒音で、体力精神力が落ちているところでの、人間関係なのである。ヘビメタ騒音で、注意力が落ちているところでの人間関係なのである。ヘビメタ騒音で成績が落ちているところでの人間関係なのである。知的能力が、ヘビメタ騒音によって落ちているところでの人間関係なのである。無理をして行っても、不幸、不愉快が積み重なる。「できて」楽しいとかそういうのはない。できて……というのは、ヘビメタ騒音で遅刻しそうなんだけど……遅刻せずに行ったというようなことだ。あるいは、ヘビメタ騒音で自殺しそうなのだけど、自殺を我慢して、「とりあえず行った」ということだ。「とりあえず行けば」成功か? 成功じゃない。不幸だ。不幸が積み重なる。そういうのが、ヘビメタ騒音だ。ゼンブガゼンブ、つらいことになる。『行った』としても、つらい。『行かなかった』にしろ、つらい。『遅刻した』にしろ、つらい。『遅刻しなかった』にしろ、つらい。全部つらい。それが、考え方云々の問題かというとそうではなくて、前の日、前の前の日、ずっとヘビメタ騒音にたたられたことによって怒る、体全体、精神全体の不調なのである。無理をしているのである。精神的に血反吐(ちへど)をはいて無理をしているのである。それで、これだ。ふがいない。俺はヘビメタ騒音にやられて、ズタボロになった体で、生きているのがいやだった。『坂』を歩いているときだって、ずっとつらかった。『感じ方だ』『受けとめ方だ』……くそくらえ。気違いヘビメタにさらされなかったやつが、そういう状態で考えていること。ぜんぜん違う。ヘビメタにさらされたあとは、そういうことを考える余裕がない。むりやり考えたって、それがまた、『部活』のように俺を責める。こなごなにする。ヘビメタを平日七時間、休日一三時間、ほんとうに毎日毎日連続してやられるということが、すべてを形作っている。精神に影響を与える。『考え方』『受けとめ方』の問題ではない部分がある。どうしても、つかれるし、影響が出る。わるい影響が出る。それを、気違い野郎が『考え方の問題だ』『受けとめ方の問題だ』と責め立てる。どっちが最初に喧嘩を売っているかわかっているのか? 気違いヘビメタにやられると、そういうと人も喧嘩をすることになる。そういう人というのは、普通の人だ。常識的な人だ。ヘビメタ騒音に一分間もされされてない人だ。そういう『わかってない人』と喧嘩になる。そして、「ぶ」がわるい。俺の言い分は、気違いヘビメタにやられたことをもとにしているから、やられてない人には理解でない。体で理解できない。「むりなのだ」ということが、わからない。やられてない人にはわからない。実際に自分が毎日毎日経験して、体でわかってない人には、俺がなにを言っているか、根本的な部分がわからない。騒音ヘッドギアをつけて、生活すれば、わかるよ。俺とおなじように、自分が嫌いな騒音にさらされ続ければわかるよ。すべてが、やられてないやつの、たてまえ。やられてないやつの基準。けど、あれだけヘビメタ騒音にやられたのは俺だけなので、一対多になる。他のやつは、みんな、やられてない側。他のやつはみんな、やられてない側の常識に立つ。そして、俺を責める。『遅刻するな』『はずかしくないのかね』と責める。たとえ、俺が一四年間毎日ヘビメタにさらされて、朝起きることができず、無職になってしまったにしろ、『その歳で正社員歴がないなんてはずかしくないのかね』と責める。これは、責めているんだよ。そいつには、一四年間毎日ヘビメタ騒音にさらされるという現実がなかった。それだけじゃないか。えらそうに。そいつと俺のちがいはそれだけなのである。けど、ヘビメタ騒音は、広範な『障害』につながる。ヘビメタ騒音が原因で、障害が発生する。けど、そいつには、ヘビメタ騒音がそういう障害の原因になるとは思えない。なので、『ヘビメタ騒音がそういう障害の原因になるとは思えない』という立場に立って、『常識的な発言』をする。それは、俺を責めることなんだぞ。責め立てることなんだぞ。俺に発生している障害を無視して、『無理』を押しつけることなんだぞ。一対多でこんなやつばかりだったら、死にたくなるだろ。なにを言っているんだ? おまえらは!


「できた朝」が積み重なるから、死にたくなるんだよ。どうしてわからない? 

あとそれから、障害者が人を刺せば「すべてはゆるされる」みたいなことを言うやつがいるけど、ゆるされない。そういう人は、特殊な障害を持っている人が人を殺すことはゆるすのに、普通の人が遅刻するのはゆるさないんだよな。普通の人というのは、その人から見ると普通の人に見えるということだ。その人だとわかりにくいので、特殊な障害を持っている人が人を殺すことはゆるすのに、普通の人が遅刻するのはゆるさない人をAさん、Aさんからは普通に見える人をBさんだとする。Aさんから見れば、Bさんは健常者で普通の人だ。けど、ヘビメタ騒音障害を抱えている。「ヘビメタ騒音障害」は、Bさんにとって無視されるべき障害なのである。「そんなのは甘い」のである。

で、俺はもうちょっと複雑な気持ちになるところがある。たとえば、「頭のくせ」とか「そういうところがあるから、しかたがない」という言い方に疑問を感じる。「障害者にはそういう頭のくせがある……だから、そういうことをしたとしてもしたがない」……という言い方には問題があると思う。しかも、そういうことを言っている人は人間愛に満ちているのである。にもかかわらず、「無職はケシカラン」「朝、一定の時間に起きることができないなんていうのは甘えだ(みんなやっているじゃないか。みんなやっていることなのに、おまえだけできないなんていうのはゆるさない)」と思っているのである。一方ではね。

かりに兄貴がまるまる障害だとして、まるまる障害だから、そういう感じ方をしてもしたがない……ということになるのであれば、俺の立場はどうなる? 「やったってやってない」は頭のくせだ……しかたがない。デカイ音で鳴らしているのに、フォークギターぐらいの小さな音に聞こえてしまうのは頭のくせだ(都合がわるいことを認めることができないのは頭のくせだ)だから、やったってしかたがない……それじゃ、ヘビメタ騒音にやられて人生がない俺はどうなる? ヘビメタ騒音にやられて「睡眠障害者」になってしまった俺はどうなる?

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。