2019年6月21日金曜日

眠るべき時間に眠れないというとが引き起こすこと (影響を受ける必要がないというのは、やられてないやつの方便)

ヘビメタでなんだかわからない人になって、なんだかわからない人だと思われて生きてきた。もう、限界。

それに、ここのところ、ずっと掃除や庭の手入れをしているのだけど、むせたり鼻水が出たり、体がかゆくなったりと、限界だ。これで、三日後に、時間通りに動けるのだろうか。たぶんだけど、ぼくは、前の日、午後七時あたりに起きて、そのまま起きていることになる。

そして、眠たくなった昼間の一二時あたりから、行動を開始しなければならない。そして、一度行動を開始したら、ぼくの都合で、休むということはできない。

この、気違いヘビメタ騒音で睡眠時間がずれて、一番眠りたいときに無理して行動しているときの、気分やからだの状態が、耐えられない。限界に達している。

引きこもりに関しては、一般の人は、コミュ症だから引きこもっていると思いがちなのだけど、そうではない場合がある。

しかし、引きこもりの場合は、たいてい、睡眠時間がずれるから、昼夜逆転している場合がある。それは、引きこもってから、引きこもりが原因で睡眠時間がずれたわけだから、ぼくの場合とは違う。

ぼくは、先行して七年間毎日、ヘビメタ騒音で『眠るべき時間に』眠れないのに学校に行かなければならないということが、積み重なった。

ヘビメタ騒音で、夜、どうしても眠れなくなってしまうと言うのが、でかすぎる。これが、どれだけデカイか。たしかに、引きこもっている多数の人が、人間関係に絶望していると思う。ぼくも、ヘビメタ騒音のトラブルで、人間関係に絶望している。

もっとも、職場でパワハラをされて、鬱病になり、引きこもっているという場合もある。その場合は、たしかに、人間関係が問題なのだろう。で、それが第一次?的な問題だ。しかし、ぼくの場合、人間関係の問題は、ヘビメタ騒音によって生じる第二次的な問題なのだ。

けど、それが、一〇年間、一一年間、一二年間、一三年間、一四年間毎日続いてしまえば、どちらもおなじということになる。一四年間毎日、気違いヘビメタ騒音が鳴りやまなかった。だから、俺は、いつもいつも、つかれはてた体をむりやり動かすということになる。

動かしていたということになる。

その場合、ヘビメタ騒音のことを話しても、ヘビメタ騒音の効果を過小評価する人は、どうしても、一般『引きこもりフレーム』にしたがって、俺の引きこもりを解釈する。そうすると、「あまえだ」「コミュ症だ」「だれだって、朝はつらい」「みんながんばっている」「おまえだけできないなんて言うのは、ゆるせない」「さぼるな」「ちゃんと働け」とかなんだとか言いたくなるわけだ。

そういうことを言うやつは、ヘビメタ騒音を経験してない。当然毎日、経験してない。この経験の違いが、こういう、愚かな発言をさせることになる。

けど、これはたしかに愚かな発言なんだけど、言っている人は、愚かな発言だとは思わない。まったく正しい発言だと思っているのである。

この場合、俺とその人の関係になる。俺とぼけ発言をする人・多数との関係になる。原因をつくっている気違い兄貴は、シランプリで、自分がやりたいことをやる。

自分がやりたいことというのは、自分が思った通りの音で、自分がやりたい時間はすべてヘビメタを鳴らすということだ。だから、兄貴がやったことで俺が、困っているということがわからない。

これは、ハンダゴテ事件とおなじなのである。気違い親父は、強情にハンダゴテを押しつけたということがわかってない。そりゃ、気違い的な意地で押しつけるけど、押しつけちゃったら、どれだけなにを言われても、「そんなのまったくかんけいがないつもり」なのである。

どれだけ「親父のハンダゴテは使えなかった」と言われても、妄想的な考えにこだわって、現実否定をして、使えないということを認めないのである。兄貴もおなじだ。妄想的な考えにこだわって、「でかい音で鳴らしている」ということを認めない。

よその家では、一分だって絶対にあり得ないようなでかい音で鳴らしているということを認めない。気違い兄貴が、気違い兄貴にしたってヨソの家では一分だって絶対にあり得ないようなでかい音で鳴らしたいなら、絶対に、うちではそういう音で鳴らすし……鳴らすなら、それは、絶対にでかい音ではないのである。否定。現実否定。

ただ、気違い親父のハンダゴテに対する態度や、気違い兄貴のヘビメタに対する態度は、道徳観と認知システムをずらせば、認知療法家が言っている理想的な状態と一致してしまうのである。

夢中になってやること、自己投入、自己投出。………気違い兄貴の態度や気違い親父の態度を記述したものを読んで自己投入だと考える人はいないけど、それは、道徳観と認知システムが共同幻想と一致しているからなのである。

認知システムと共同幻想の一致しているということは、実は、認知システムと共同幻想が一致しているわけではなくて、認知システムにかかわる共同幻想が一致しているということなのである。

ようするに、普通はそういうかたちで現実否定をする人はいないということになっている。で、普通はそうなので、あなたのお兄さんやお父さんもそうなのだろうという前提に立つということことになる。

俺の話を聞いても、気違い兄貴がほんとうにデカイ音でヘビメタを鳴らして、『こんなのデカイ音じゃない』と認知しているかどうかについて、疑問を持っているのである。その疑問は疑問として当然だけど俺の話を聞いたあとも、気違い兄貴のような人はいないという前提でものを言うのである。

明言はされてないけど、俺が言っていることは、その人のなかで否定されている。だから、その人の「もともとの考え方」を普通に言う。その場合は、親父や兄貴のような人がいるということは、一時的に否定されている。

「だとしても」いう言い方だ。「だとしても、ちこくしちゃだめじゃないか」「だとしても、ちゃんとやらなければだめじゃないか」という言い方になってあらわれるのである。

「だとしても」と言っている人は俺の言っていることが正真正銘の事実だと思ってない。認知システムにズレがある人はいないということなにっているのである。いたとしたら、精神病院に隔離されているはずだいうことになっているのである。学校に行ったり、会社に行ったり、普通の生活をしているのに、そんなところでズレがある人はいないということになっているのである。

けど、いるんだよ。どれだけ、学校や会社で、そういう側面を出すのかわからないけど、少なくてもうちでは完全にそうなるやつがいる。実在する。

で、「だとしても」という考え方をする人は、「だとしても、そういう人の影響を受ける必要はない」というようことを言い出す。相手がそうだとしても、そういう悪い人の影響を受ける必要はないということを言い出す。また、相手がそうだとしても、そういう悪い人がやったことの影響を受ける必要がないというようなことを言い出す。

しかも、それが理論的で合理的だと思っている。けど、気違いヘビメタがものすごくデカイ音でずっと鳴っていると、その影響を受ける。こういうこともわかってない。それはある意味で、現実否定なのである。現実否認なのである。

だから、こういう点でも、気違い兄貴や気違い親父と、道徳的で合理的な認知療法家がいっていることは、似通ってくる。正確には『影響を受ける必要はない』という言葉で、影響を無視するか、あるいは軽視するのである。これもある種の現実否認だ。

けど、この現実否認は、だれが当事者かなのかということが違う。ようするに、認知療法家が否定しているのは、相手にとっての現実なのである。認知療法家にとっての現実じゃない。ここが、トリックになっている。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。