2019年6月27日木曜日

「たまたま」相手が言っていることが聞こえなかったとかそういうことじゃないのである


いま、お庭マスターを待っている状態だ。
あとは、通販をまっている。
通販は、ほんとうは昨日きたんだけど、俺がお金を払うために病院に行ってたので、受け取れなかった。失敗した。あっちは時間通りにきてくれたのに、俺が勘違いして、今日の午前中にくるものだと思って、病院に行ってしまったのだ。(俺を昔虐待したやつのために、病院に行って支払いをしなければならないわけだからな)
それに、お庭マターのことだって、親父が竹を植えなければ、呼ぶ必要がなかった。お母さんが、『竹を植えないで』とさんざん言ってたのに、聞かないで植えてしまったのだ。だいたい、塀の近くに、いっぱいいろいろな木を植えるのはよくない。そだったら、葉っぱや枝が隣の家に入るからだ。塀を越えて。
それがお母さんにはわかっていたから「塀のそばに木を植えないで」とさんざん言ってたのに、親父が無視をして植えてしまった。親父はエンジンがかかると、人の言うことは聞かない。一切合切聞かない。自分がやりたい気持ちになると、自動的にやってしまう。どれだけ『やめてくれ』『こういうことになるからやめてくれ』ということを言っても、聞かない。日本語がわかる人は、わかると思うけど、『こっち』が言っても『親父』が聞かないということだ。これ、日本人なのに「どれだけ『やめてくれ』『こういうことになるからやめてくれ』ということを言っても、聞かない」という文でわからない人がいるかな? 文脈から、だれが主体でだれが客体かわかるよね。ちなみに、こっちというのは、親父以外の家族のことを指している。これもわかるよね。
自分がやりたいようにしかやらない。お母さんが親父に『この木が邪魔だから切って』と言っても、親父は自分が切りたい木しか切らない。だから、いつも、邪魔な木が残っているということになる。親父は普通の人じゃないから、ほんとうにわからないのだ。絶対に普通の人だったら、「じゃまになる」ということがわかって、自発的に切っているところなのに、そういうとがない。切らなきゃならない枝は、のばしっぱなしで、別に切る必要がない枝をばんばん切るということになる。で、「きったきった」ということになる。だから、『ちゃんと切って』なんて言ったって、わからないよ。じゃあ、『この枝を切って』と言えば、切ってくれるのかというとそうじゃないんだよね。そういうところで、人の言うとおりに行動するのは、意地でもいやなのだ。言われた途端に、スイッチが入る。だから、気違い親父がやったことは、いつも、「とらぶるのもと」なのだ。ちなみに、気違い兄貴の、強情な態度も、親父とおなじだ。気違い兄貴が、ヘビメタを鳴らしたくなったら、絶対の意地で鳴らしてしまうのである。『こっち』が、どれだけ『うるさいからやめてくれ』と言っても、やってしまう。親父とおなじなんだよ。しかも、『やめてくれ』と言われると、スイッチが入ってしまう。気違い的な意地で顔を真っ赤にしてやってしまう。これも親父とおなじなんだ。やりきれば、本人はまったくやってないつもりになってしまうというのもまったくおなじだ。こういうところで、ほんとうに脳みそがおかしい。「じぶん」しかない。「あいてがいったこと」なんてない。あるとしたら「やぶるためにある」といった感じだ。相手が言うとおりには、絶対にしてやらないのである。そういうスイッチが入る。で、やりきるわけだけど、やりきったら、ほんとうに「やったつもりがない」という意識状態になってしまう。これは、ようするに『ほんとうにやらなかった場合』とおなじ意識状態になると言うことだ。やったってやってない」のである。一切合切関係がない人間になってしまう。この、自分が意地になってやりきってしまえば……真っ赤な顔をして相手がいやがることをやってしまえば……相手が反対することをやってしまえば……それで、一切合切関係がないひとになってしまう……一切合切関係がない状態になってしまう……そういう精神状態になってしまうというのは、親父も兄貴もおなじだ。根本的に、やりたいことは絶対の意地でやる。相手が、反対しても、相手が反対したということ自体を根本的に無視する。(無視するつもりはないのだけど、無意識的に無視してしまうのである)。だから、「やってないつもりでいる」という状態ができあがる。相手がいやがること、相手が反対したことを、全力でやりきっているのに……やりきったのに……ぜーーぜん、関係がないひとになってしまうのだ。『そんなの言われてない』つもりになってしまうのだ。これが、ほんとうに、ホネガラミでそうなんだよ。こんな人間と「はなしあえる」わけがないだろ。うちは、無法地帯なんだよ。けど、『ヨソ』の人はそれがわかってないから、『お父さんと話し合えばいい』『お兄さんと話し合えばいい』と助言してくる。で、この助言が、そういう助言をする人が考える以上に、助言された人を「くるしめる」。そりゃ、相手は、ヨソの人が理解できないような反応をする人間なのだ。で、『こっち』が親父や兄貴の反応について、説明しても、『ヨソの』人は、信じない。『そんなのはおかしい』と言って信じない。だから、困る。で、親父や兄貴の性格についてもっと説明すると、なぜか、ヨソの人は、怒り出す場合がある。怒るというか、『不愉快な気持ち』になるのだ。まあ、不愉快なんだよ。自分の判断が間違いだということを言われているわけだから、そして、「そういうひとがいる」ということを言われているわけだから、不愉快な気持ちなる。これは、親父のことを巡って、さんざんヨソの人通れとのあいだで繰り返されたことだ。兄貴が親父のコピーなんだから、兄貴のことに関しても、ヨソの人はそういう反応をする。とくに、『話し合えばいい』『家族なんだから、ちゃんと説明すればわかってくれるだろ』と思う人は、そういう反応をする。(なにか不愉快だ)と思うのだ。こいつの話(エイリの話しは)なにか不愉快だと思うのだ。おまえが、事実を認めてないだけだろ。どうして、うちことについて、俺が正直に真実を述べているのに、信じないんだ? ほんとうに不愉快なのはこっちだよ。まあ、そういう威力もある。そういう効果もある。気違い親父や気違い兄貴は、ぼくと『ヨソの人』のあいだを引き裂こうとして、気違い行為を夢中になって無視してやるわけじゃない。けど、態度全般が、そういうことだから、そういうことになってしまうのだ。これは、ほんとうにに魔法のように効く。常識的なやつらと『うちの被害者』の間を裂く。相手(親父や兄貴)は意図してないのだけど、いつもそうなのだ。いつもそうなるのは、いつも、親父が親父であって、兄貴が兄貴であるからだ。けど、これも、一部の人間は、過小評価する。「いつも」ではないのだろ。「たまたま」そうなっているのに、「いつもそうなっている」と勘違いしているだけだと言うのだ。ちなみに、勘違いしているのは、エイリだ。あるいは、お母さんだ。親父に関しては、兄貴も加わる。兄貴に関しては、俺だけだ。ようするに『うちなかでやられている人』は、いつも(相手が)そうしている、いつも相手がそうすると勘違いしていると、ヨソの人が思うのだ。特に、認知療法の影響を受けた人はそういうことを言う。これがほんとうに迷惑なんだよ。どっちが、非合理的な考え方をしている? 認知療法家や認知療法に凝っている一般人だ。現象を説明できないのだから、非合理的なんだよ。けど、これも、伝わることが少ないなぁ。認知療法の影響を受けた一般人は、「いつも」ではないと言い張る。「いつもそうだ」というのは、行きすぎた一般化だと言い張る。けど、家族が違えば、状態が違う。非・合理的な考え方をしているのは『いつもそうだ』というのは行きすぎた一般化だと言い張る方だ。人格として繰り返しているのだから、いつもそうなんだよ。気違い親父や気違い兄貴の認知構造が変わらないのだから、いつもそういう認知で、そういう行為をするんだよ。……なんでこれがわからない。そういう行為というのは、相手が言っていることを無視して、夢中になって、自分がやりたいことをやるということだ。人格が(少なくてもその期間中)かわらないわけだから、(少なくてもその期間中)普通にそうするのである。『頭の構造』がかわらないわけだから、「いつも」そうするのである。「たまたま」相手が言っていることが聞こえなかったとかそういうことじゃないのである。これを「たまたま」相手が言っていることが聞こえなかったと説明することは間違っている。非・合理的な考え方だ。現象を合理的に説明できない。

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それにしても、いったいどれだけの人がぼくの言っていることを理解できるのだ。一般的な人はやはり、認知療法家や認知療法家の影響を受けた人がが言っていることが正しいと思うだろう。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。