2019年6月28日金曜日

『働かないと、飢え死にしてしまう社会』のほうがよいのか

基本的に、社会として『働かないと、飢え死にしてしまう社会』のほうがよいのか『働かなくても飢え死にはしない社会』のほうがよいのかという問題についてちょっとだけ言っておきたい。
ぼくは『働かなくても飢え死にはしない社会』のほうがいいと思う。『働かなくても飢え死にはしない社会』のほうがすぐれていると思う。『働かなくても飢え死にはしない社会』を目指すべきだと思う。

社会としてどっちがすぐれているかの問題だ。

『働かないと飢え死にしてしまうぞ』というおどしがなくなった『未来の社会』では、ぼくの考えのほうがむしろあたりまえのことになると思う。しかし、いまは『働かないと飢え死にしてしまうぞ』というおどしがある社会のほうがよいと考えている人たちもいるのだ。ぼくは違うけど。

で、悲しいのは、働かないと飢え死にしてしまう人たちが、『働かなくても飢え死にはしない社会』のほうがよいと考えていることだ。

働かないと飢え死にしてしまうぞ』という「おどし」はおどしなのか、おどしではないのかということを問題にするとおどしなのではないかと思う。

そのおどしにどれだけのリアリティーがあるかというと、相当のリアリティーがある。リアリティーがないことではなくて、リアリティーがあることなのである。

だから、多くの人が『働かないと飢え死にしてしまう』と妄想しているわけではないと思える。働かなくても飢え死にすることなんてないのに、働かないと飢え死にしてしまうという『根拠のない妄想』を持っているというわけではないのだ。……多くの人にとって。

第一義的には、働くのは、飢え死にするのをさけるためであり、世のため、人のために働くというのは、第一義的な理由ではない。あたかも、『世のため人のために』働くのが人間だと考えている人たちも盛るけど、基本的には『働かないと自分が飢えるから働く』のである。……多くの人は。

もちろん、働かなくても、飢え死にしないだけの資産がある人も、働く場合がある。そういう場合にこそ、『働かないと飢え死にしてしまう』というおどしから、離れたところに『働く理由がある』と思ったほうがいい。

ようするに、ほんとうは『飢え死にしたくないから働かなければならない』と思って働いている人のほうが多いのだけど、その側面は、わりと忘れられている。

社会を動かす原動力として『働かないと飢え死にする』というおどしがあるのではないかと思う。

そして、それは、根拠のないおどしではないのである。実行されているおどし、あるいは、将来において実行され得るおどしなのである。つまり、おどしのためのおどしではない。

働くことのメリットして、いろいろなことがあがる。『世のため人のため(に働いているという気分になれる)』という理由も、そういうメリットのうちのひとつだ。それは、『働かなくても飢え死にすることがない』ということが保証された社会において成り立つものだ。

ほんとうは、おどしに屈して働いているのに、『自分は世のため人のために働いている』と思いたいのである。そういう精神的な機制があると思う。ほんとうの恐怖に満ちた理由を隠して、そういうきれいな理由で、飾りたいという気持ちがあると思うなぁ。……多くの人には。

『働かなければ飢え死にしてしまう』から働いている人が、『自分は世のため人のために働いている』と考えている場合は、矛盾がある。

『(自分は)働かなければ飢え死にしてしまうので、自分のために』働いているのである。ほんとうの『衝動』と自分が理解している理由に乖離がある人がいる。

こういう人は、『働かない人』を過剰に攻撃することで自分の身を守ろうとする。ほんとうは、『世のため人のため』ではなくて、全部、自分のためなのである。そういう人たちにとって働くというのは、全部自分のためなのである。

けど、嘘で塗り固めないと、不安で不安でしかたがない。

だから、『世のため人のために働いている』と考えて、その一方で働かない人間を激しく攻撃する。こういう人たちは世のため人のために、自分のそういう行動をよくないものと認識して、なるべくそういう行動をしないようにするべきなのである。

問題なのはいま現在において『働かなくても飢え死にしない社会』を目指すべきなのか、あるいは『働かなければ飢え死にしてしまう社会』を維持することを目指すべきなのかということだ。

『働かなくても飢え死にしない社会』を目指すべきだ。




わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。