2019年6月17日月曜日

毎日これの繰り返しだ。どれだけ困るか。まわりの人間がどれだけ困るか


精神的にすごくやばいときがある。もう、つかれた。うとうと、しているときがやばい。普通は「うとうと」しているときって、気持ちがいいわけでしょ。

俺の場合は違う。

三途の川を行ったりきたりしているような状態だ。で、ヘビメタ騒音の苦しさが「うかびあがって」きてしまう。

あのつらい夜のことを思い出してしまう。そのときが、完全に復活してしまう。「うとうと」しているとき、ヘビメタ騒音で死にたかった気分が復活してしまう。

なんかまるで、こう、ほんとうに夢を見ているみたいだ。

悪夢な。
人生が悪夢。むごい。

俺がどうにかするしかないけど、最善の努力をして、これだ。がんばりきって、これだ。もう、つかれたよ。ほんとうに、どれだけつかれるか、だれもわかってくれないんだよな。「ヘビメタが鳴っている」と言ったって、実際に、気違い兄貴が鳴らす、気違いヘビメタを何時間も何時間も経験した人じゃないとそのつらさがわからない。

期間的に一四年と数ヶ月あるから、一年目と三年目、三年目と五年目、五年目と八年目、八年目と一〇年目、では「感覚」が違う。

この感覚の違いなんて、実際に経験してない人にわかるわけがない。ヘビメタ騒音時間自体は、一年目にくらべて、一四年目は短くなっている。それでも、気違い兄貴が家にいる日は、一三時間以上、鳴っている状態だ。だから、どの時点で帰っても、鳴っている状態で風呂に入るということになる。一四年目のヘビメタ騒音の風呂。ヘビメタ騒音で、結婚も就職も、なにもかも、こわれている。

これ、気違いアニキしてみれば、ただ単に鳴らしているだけで、まるで悪いと思ってないんだよ。

昔っから、一年目の一日目から。〇年目でもいいけど、いちおう、一年目からまったくわるいと思ってない。鳴らしているあいだ、非常識な騒音を鳴らして(弟に)迷惑をかけているというつもりがない。絶対に一秒もゆずらないで、すべての時間、自分が満足できる音で鳴らし切るけど、まったく鳴らした「つもり」がない。

これ、親父とおなじなんだよな。とことん、親父とおなじだ。けど、「親父とおなじ」と言ったって、他の人にはわからないだろ。どれだけホネガラミかわからないだろ。

「頭のくせ」「考え方のくせ」なんて、なまやさしいものじゃないんだよ。存在自身がそれ自体という感じで、夢中になってやっているからな。ほんとうに……とめるとしたら、殺さなければならない。そういう状態を、常に!!おしつけてくる。「殺さなければ、やめさせることができない状態」を常におしつけてくる。

もちろん、おしつけているつもりなんて、まったくない……こういう状態だ。だれもわからない。「うちのかぞく」以外、だれもわからない。

気違い兄貴は、親父の異常さがわかるけど、気違い兄貴は、気違い兄貴の異常さがわからない。親父だって、気違い行為を、気違い的な意地でやるだけやって、シランプリだからな。完全に、自分がやったつもりがないんだよ。

「かかわっているつもり」自体がない。自分がやっていることと、自分がやっていることで相手が困るというのは、完全に切り離されたことなのである。だから、「かかわっているつもりが」まったくないまま、やりきる。

自分がやったことで相手が困ったということが……どれだけ言われてもわからない。言われたら「なんだそんなの!!」と怒り狂って、発狂的な意地で、その行為をやり続ける。だからやっているのに「やったつもりがまったくない」という気持ち・認識が成り立っている。常にそうなっている。

俺だって「こんなきたないやり方で、自分の意地を通す人なんていない」と思う。俺だって「まったくゆずらずにやりきったなら、まったくゆずらずにやりきったということは、認知しているはずだ」と思う。俺だって俺だって……気違い兄貴や気違い親父を、見なければ、そう思う。だから、他の人の気持ちはわかる。けど、事実、気違い兄貴や気違い親父は、いま書いたとおりの態度で、やりきる。やりきっているさいちゅう、やりきったあと、「自分がやった」という認知がしょうじない。特に、「相手の反対を押し切って、自分がやった」という認知がしょうじない。

だから、本人はまったく関係がない人のつもりでいられる。ほんとうは、本人が張本人、本人が台風の目なんだけど、ぜんぜんかかわっている気持ちがないんだよね。で、絶対の意地でやりきる。……どれだけ困るか。こういう人が家族にいたら、どれだけ困るか。

しかも、気違い的なところでエンジンがかかる。気違い的なところで、「意地」が爆発する。意地を通した、つもりはないんだけどな。一〇〇%意地を通してやりきれば、「一〇〇%やってない」つもりになれる。毎日これの繰り返しだ。どれだけ困るか。まわりの人間がどれだけ困るか。

気違い的な意地で、こだわってこだわってやっていることを、気違い的な意地で否定しやがる。いつも「そんなつもりじゃない」まま、やりきる。毎日やりきる。それを何千日続けたって、本人は「そんなの知らない」「そんなの知らなかった」という気持ち・認識のままなんだよ。まるで、つたわらない。どれだけ言っても、まるでつたわらない。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。