2019年6月2日日曜日

迷惑行為というのを、Xとして考えると、そのXにいろいろな項目を代入してもおなじだいうことになる


いま、日曜日の午後一時四五分なんだけど、この時間も激しく鳴っていた。気違い親父が勝手に植えた竹を切ったんだけど、目にゴミが入った。竹には虫がいないように見えたけど、実際に切ってみると、粉のような虫が舞うし、ほこりが舞う。切り口以外からもほこりが舞う。腹立たしいな。防塵サングラスをつけようと思ったけど、なくなってしまった。なんか、これ、ヘビメタ騒音のなかで「ものをさがしている」ときとおなじなんだよな。けっきょく、防塵サングラスなしでやった。竹を捨てるのはめんどうくさい。葉っぱのほうを落として、葉っぱは葉っぱでまとめて捨てなければならないのだ。芯の方(竹の幹?側)は、一メートル以内に切って、ひもでまとめて捨てる必要がある。
気違い親父がやったことの穴埋めをしているのだけど、もう、いやだ。だから、『やめてくれ』『塀に沿って植物を植えないでくれ』と言っただろ。ネズミのことだって、『ネズミがくるから、魚の切り身をそのまま出しておくのはやめてくれ』と言っただろ。おまえ、ネズミの糞とほこりで、俺がどれだけ困っていると思っているんだ。『ネズミなんて出ないよ』と怒って言ってたけど、出たじゃない。出たら、出たで、『もう出ないよ』とこれまた、怒って言いやがる。侵入経路があるのだから、出るだろ。『おいしいものがある』と学習してしまったのだから出るだろ。ネズミの糞は、調べれば調べるほどやっかいなものだった。生物兵器みたいなものだな。いろいろなばい菌を空気中に『放出』している。放出と言うよりも、花粉みたいな感じなんだけどな。めんどうだな。ぼくには到底切れない木がある。あれをプロにたのむと三万円ぐらい取られるのかな? 横のうちの方に枝がでいるのがあるんだよ。横の人は、『目隠しになるからいい』と言ってくれたんだけど、それはもう、十年以上前だ。そのときより、当然育って、横に出ている。塀を越えて、「あっちがわ」に枝が出ている。

ともかく、それで、俺が今週の木曜日に親父の病気のことで、A病院とB病院に行かなければならないというのは、問題がある。しかも、時間を決められている。で、ほんとうにやばいのである。今日、午前一一時に起きた。昨日は午前一〇時だ。で、たとえば、今日、午前九時に起きて行動することができたかというと、できない。これ、A病院に自転車で行くとなると、事故を起こす可能性がある。普通の状態じゃない。また、四〇時間ぐらい起きているような状態になってしまう。木曜日だと午後三時に起きるのが普通の状態だということになる。気違いヘビメタに一四年以上毎日たたられた人じゃないとわからないけど、ほんとうにつらいのだ。これ、ほんとうに、けっきょく、一四年以上毎日経験した人と、一四年以上毎日経験してない人とでは、基本的に意見が異なる。前も書いたけど、けっきょく、ぼく以外はそういう県警をしていないのだから、経験をしてない人として、『なんとか起きれない??』などと言いやがる。そういうことが、すべて、屈辱だ。もちろん「なんとか起きれない??」と言う人は、別に悪意はないのだろう。けど、ゆるせない。ゆるせないと言ったら、ゆるせない。……もう、そういう状態になる。あれだけでかい音で、自分がこの世で一番嫌いな音を、何時間も何時間も連続して聞かされる……聞かされ続けるということがどういうことなのか、他の人はわかってない。しかも、相手が家族であるという特殊な状態についてまったく理解してない。これ、他人だったらどれだけ楽に話がつくか? そして、気違い親父が気違い親父でなければ、どれだけ楽に解決するかわからない。親父が兄貴と同じ性格で、兄貴に対して、ちょうど「ヘビメタ騒音をやる」ようなことをしてきたというのが問題なのだ。親父はもちろん、ヘビメタ騒音をやらなかった(鳴らされなかった)わけだけど、そういうことじゃない。構造だけ考えて、項目を入れ替えると、気違い兄貴がヘビメタを鳴らすような態度で、きちがい行為をやって、絶対にゆずらなかったということがわかる。そういうことが、毎日毎日、……ほんとうに一日に何十回も、何百回も繰り返されてきた。親父が親父だから、親父モードで行動して判断すると、何回も何回もそういうことをするということになってしまう。要は、(1)「迷惑行為を夢中になってやる」(2)「夢中になってやっている迷惑行為は『相手』がどれだけやめてくれと言ってもやめてやらない」(3)「何百回言われても、やめてやらないけど、本人は「そうした」というつもりがない(認識がない)」という構造がおなじなのだ。迷惑行為というのを、Xとして考えると、そのXにいろいろな項目を代入してもおなじだということになる。ヘビメタを鳴らすという項目を代入しても、「いちゃもんをつけて発狂する」という項目を代入してもかわらない。構造は変わらない。おなじなのである。ちなみに、「本人の気分で植木を植える(植えたくなったら、まわりの人がどれだけ「やめてくれ」と言っても、無視して植える)」とか、「魚の切り身をテーブルのうえに出したままにしておく」とかいったことも、代入できる。問題なのは(3)だ。ほんとうにそのときは、気違い的な意地で相手の言っていることを無視して、相手の存在を無視して、やりきるけど、本人はやったつもりがまったくないのだ。これが困る。これが、普通の記憶障害と違うのは、「じぶんがせめられているかどうか」という判断が成り立っているというところで違う。「せめられた」途端に「やってないやってない」「そんなんじゃないそんなんじゃない」と言うのである。で、言っているときは、そういう「つもり」なのである。ほんとうに、そうであるつもりなのである。嘘を言っているつもりがないのである。で、要するに本人が怒って、相手が言っていることを「ふうさ」してしまえば、それで関心がなくなってしまうわけで、嘘を言ったのかどうかということは、まったく問題にならない。意識に登らない。だから、時系列的には普通の記憶障害と似たような感じになる。けど、嘘なんだよね。嘘でかためている。ともかく、兄貴がヘビメタ騒音でやったことは、親父が他のことでやったことのコピーなので親父には、兄貴にとやかく言って「やめさせる」ということができない。で、こういうところでも、気違い親父の構造が成り立っているわけで、『注意してくれ』と言われたら、絶対に注意しないでのりきるということになってしまう。意地でも注意してやらないということになる。そういう行動をとる。「(兄貴に)注意してくれ」と言われたら、「そんなの、なっちゃったらなっちゃったでしかたがない」と言って怒ってしまう。そういう、でたらめなことが発生する。『家族で話し合って」『そんなことは、家族で話し合えばいい』というような家庭ではないのだ。ぜんぜん違う。お母さんは、お母さんで、困っているだけだ。お母さんが、兄貴に注意すると、兄貴は、『お母さんは、エイリの味方をして』と怒ってしまう。一度だけ、『お母さんにそんなことを言うなぁ』などと言って、本人のなかではしずかにしてやったことがあるのだけど、それは、気違い兄貴本人の中で静かにしたということであって、全然静かになってない。こういう、ほんとうはやってないのにやってやったつもりになるという「いじわる」も親父のコピーだ。「いじわる」と書いたけど、「いじわる」なんてなまやさしいものじゃないぞ。普通の相手は、激高してしまう。そりゃ、腹が立つだろ。「こっち」がどれだけ言っても、まったく役に立たないアイディアを思いついて、そのアイディをやってやったから、やってやったという態度で、当初の迷惑行為をずっとやり続けるわけだから、腹が立つだろ。一日に何時間も何時間も……執着してやっているのに、本人は「やってない」と思っているんだからな。あるいは「譲歩してやったからいい」と思っているわけだからな。こんなのない。

ヘビメタ騒音が何時間も何時間も鳴っている暮らしというのは、体が九割ぐらい、くさっているような状態で生きているのとおなじ暮らしなんだよ。どんだけつらいか。どれだけ能力を制限されるか。そして、どれだけ『ヨソの人』にはそれがわからないか。気違い兄貴が気違い兄貴のしくみで……気違い兄貴のしくみは気違い親父のコピーなんだけど……気違い兄貴のしくみで……なにもしてないつもりで!!頑固に頑固にやり切るからこういうことになってしまうんだぞ。

いま、竹を何本も切ってきたけど、そして、他の木も切ってきたけど、手をかげした。親指の付け根のところにトゲ状のものが刺さって、出血した。もう、いやなんだよ。

シランプリで、鳴らしやがって、シランプリで鳴らしやがって。いま、四時〇一分。さっき書いたときから、ずっと鳴っているんだぞ。今日じゃない。今日じゃないよ。気違い兄貴が一五歳から三〇歳までの一五年間、俺が一一歳から二五歳までの一五年間、毎週日曜日の午後一時四五分から四時〇一分は気違いヘビメタがずっと、デカイデカイ音で鳴っている時間だ。これから、夜の七時一〇分まで鳴って、それから、七時三九分ぐらいまでしずかだけど、七時四〇分から、また、午後一一一一分ぐらいまで、デカイデカイ音で鳴る。ずっと鳴っていると言うことの、意味がわかってない。『ヨソの人』はずっと鳴っているということの意味がわかってない。かりに、騒音のなかで竹を切るという作業をしたにしろ、不愉快なんだよ。聞かされながらやるわけだから。そして、その作業は、今日の作業よりも安全性が低い。怒ってやる作業で、今日のキズなんかよりもでかい傷をつけてしまう場合がある。で、そういうことを気にして、騒音のなかで作業するというのが地獄なんだ。じゃあ、作業しないで、横になっていればつらくないかというと、そうじゃない。ヘビメタ騒音のなかで横になっているのは、ヘビメタ騒音のなかで作業するのとおなじように、地獄なんだよ。ヨソの人はまったくわかってない。そういう日曜日の積み重ねがどういう月曜日をつくるかわかってない。月曜日に憂鬱な人はいるけど、その人たちは、ヘビメタ騒音一五年を経験してない。違う。そうすると、「もとサザエさん症候群であった人」が、俺に対してえらそうなことを言ってくるということになる。『自分は克服した。こうすれば克服できる』と認知療法家みたいなことを言いやがる。けど、そいつらは、一五年ヘビメタ騒音を経験してない。だから、違う。


これで、俺がもういやだと思って、「うわーーーっ」と声をあげれば、となりのやつは、『あいつは、急に声をあげて。狂っているな』と思うわけだろ。もういやなんだよ。そいつは、楽器が好きで、三つの楽器を練習しているやつだけどな。けど、あいつの楽器はいい。ヘビメタ騒音の何千分の一だ。もっと小さいかな。気違い兄貴の音がでかすぎる。隣の部屋の気違い兄貴の音がでかすぎる。これも、他の人は「どれだけでかい音で鳴ってたと言っても、たいした音じゃないんだろう」と決めつけてしまう。

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小さいころ家族と?食べに行ったそば屋さんでカレーを食ってきた。カレーでオッケー。そばじゃなくて、カレーを食べたかった。あそこのカレーは何十年ぶりだろう。

それにしても、ほんとうにヘビメタ騒音の雰囲気しかない。いま、日曜日の午後五時五一分。気違いヘビメタが鳴ってた。どれだけ俺が、「しずかにしてくれ」と叫んでも鳴ってた。何回、言いに行ったと思っているんだよ。日曜日、一日にだけで何回、言いに行ったと思っているんだよ? 兄貴? 二〇回、三〇回、それ以上だ。

俺がその時間どれだけつらいか、だれもわからない。俺が次の月曜、どれだけつらいか、だれもわからない。俺がサボっているようにしか見えない。外から見えるとそうだ。日曜にやるはずの宿題だって、騒音のなかでできない。俺がサボっているようにしか見えない。『日曜なんだから、時間なんていくらだってあるはずだ』と言いやがる。部活をやっているやつは、部活をやめた俺に『俺なんて部活があるのに、宿題をやってきるんだぞ。部活もないのに、宿題ができないなんて……』と言いやがる。そいつには、ヘビメタ騒音がない。四六時中ガンガン鳴っているヘビメタ騒音がない。そいつには『部活』があるかもしれないけど『ヘビメタ騒音』はない。


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わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。