2019年7月17日水曜日

当時の焦点になっていることとおなじように認めたくないことになる


ともかく、肝心なのは、気違い兄貴がまったく悪いと思ってない転なのである。これは、繰り返しになるとけど、気違い親父が、ハンダゴテ事件の時、まったくなにも悪いことをしてないと思っているのとおなじだ。相手に負担がかかることをしているとは思ってないのである。(親父は、買ってやらないことだけに集中しているので、自分が持たせたハンダゴテで兄貴がどれだけこまった立場に追い込まれても気にしない。そして、気にせずに(何回も)それで押し切ったと言うことについて、まったく悪いと思ってない。気違い兄貴よ! これは、気違い兄貴にわかりやすいように言っているんだぞ。そういう気違い親父の態度に腹を立てただろ。気違い兄貴は、まず自分が「デカイ音で」「非常識な時間の長さ」鳴らしているということを認めない。そりゃ、どれだけデカイ音で鳴らしてたって、本人が「デカイ音じゃない」「たいした音じゃない」と思えば、本人のなかでは、「デカイ音」じゃないし「たいした音じゃない」のである。これは、現実無視だ。親父が、使えないハンダゴテを、使えるハンダゴテだと思ったこととおなじだ。使えないという現実を無視して、使えるハンダゴテにしてしまったのである。親父のなかでは使えるハンダゴテだから、どれだけ兄貴が「使えない」ということをうまく説明しても、気違い親父は受け入れないのである。もし、受け入れてしまったら……自分が新しいハンダゴテを買ってやらなければならなくなるのである。そんなのは、許しがたいことなのである。だから、最初から、答えが決まっているのである。最初から催眠術にかかったように、現実を認めず、「使えない」と言っている兄貴の主張は、無視するということになる。(使えなくたって、使える)のである。親父の頭のなかでは、(買ってやらなければならない状態)が去らないかぎり、現実を無視して「使える」と言い張ることになっているのである。最初から!! 兄貴もおなじで、自分が思ったとおりの音で鳴らしたいという気持ちがある。これが条件として働く。自分が思ったとおりのデカイ音で鳴らしたいという気持ちがある以上、「デカイ音で鳴らしている」という事実は、無視されるのである。「そんなんじゃない」のである。「そんなにデカイ音じゃない」のである。気違い兄貴の頭のなかでは、現実を無視して……自分がやっていることを無視して、「デカイ音じゃない」「デカイ音で鳴らしてない」という現実を無視した「現実」が成り立っているのである。で、これは、兄貴の認知だから、他の人がどれだけ言ったって、変わらないのである。これは、また、ほんとうはデカイ音で鳴らしているということを(意識のレベルで)知っているのに、「デカイ音じゃない」「デカイ音で鳴らしてない」と主張するのとはわけが違う。意識のレベルで知っている場合は、「デカイ音じゃない」「デカイ音で鳴らしてない」と言っているとき、自分が嘘を言っているという意識がどうしてもうまれる。けど、兄貴の場合は、嘘を言っているのに、嘘を言っているという意識がしょうじないのである。意識レベルの前段階で、自分をだましているのである。これはもう、催眠術みたいなもので、自分では「とく」ことができない。だから、ずっとそのまま、現実を無視してやり続けるということになる。いつも、「デカイ音で鳴らしている」と言われたら「デカイ音で鳴らしてない」と思ってやり続けるということになる。デカイ音で鳴らしたいわけだから、そうなる。最初に決まっているのである。最初に「デカイ音で鳴らしたい」と思ったから、「デカイ音である」と言うことは、死にものぐるいになって、発狂して認めないということになっている。そして、そういうことを実行しても、相手に悪いと思わないのである。どうしてなら、「デカイ音で鳴らしているわけじゃない」からだ。親父がハンダゴテのことで、兄貴に迷惑をかけたとは思わないのとおなじだ。そんなの思うわけがないだろ。これは、たんに、発狂して自分の主張を押し通すということとは違う。発狂して自分の主張を押し通したとき、普通の人は、「自分の主張を押し通している」という自覚がある。意識がある。どうしたって、意識がしょうじる。けど、親父は、全力で「自分の主張を押し通している」にもかかわらず、「自分の主張を押し通している」という意識がしょうじないのである。兄貴もおなじだ。「自分の主張を押し通している」という意識がしょうじないのに、「自分の主張を押し通した」という意識が生じるわけがない。なので、いつも、押しつけたことにならないのである。兄貴もおなじだ。いつもいつも、騒音を押しつけているのに、押しつけたという気持ちにならないのである。ほんとうは、時間に関してもまったくゆずらなかったのに、ゆずらずに、ヘビメタ騒音をすべての時間、思いっきり鳴らして押しつけたということを認めない。そんなのは、親父とおなじで、最初からないことなのである。けど、体はそういうふう行動している。また、「やめろ」と言われたら、絶対の意地でやりきる。体は、すべての時間そういうふうに行動している。けど、意識的には、「そんなんじゃない」つもりのままなのである。ともかく、相手がとめるのを押し切って「やった」という気持ちがしょうじないのである。これは、気持ちと書いたけど、認知でも認識でもおなじだ。ほんとうは、全力でやりきっているのに、やったのに、やったということを認めない。それは、自分のことではないのである。自分がやったことじゃないのである。そういう態度がある。だから、そうしたということを「反省する」ということがない。そりゃ、やったことなら、反省できるけど、やってないことをどうやって反省するのか? 本人はやってないと思っているのとおなじ状態なんだぞ。「やめろ」と言われたらその途端にスイッチが入ってしまう。「こうしてくれ」と言われたらその途端にスイッチが入ってしまう。絶対の意地で、自分がやりたいことを押し通す。けど、同時に、いままで説明したようなしくみが成り立っていて、「やったつもり」がしょうじない。

だから?

やったことに関して、反省できないのである。そりゃ、意識的には自分がやったことじゃないわけだから、反省できるわけがない。(やったとしても)どうでもいいことなのである。こういうことをしたという、段になれば、今度は、こういうことをした」ということが、当時の焦点になっていることとおなじように認めたくないことになるのである。当時焦点になっていることというのは、親父のハンダゴテ事件に関しては、親父のハンダゴテが使えるかどうかということであり、兄貴のヘビメタ騒音事件に関しては、兄貴の騒音がうるさいかどうか(物理的にデカイ音で鳴らしているかどうか)なのである。認めたら、その行為ができなくなるのだから、認めない。……やりたいときはそうだ。やったあと、都合が悪くなったら、やったと認めることができないのである。原理的にできない。どうしてなら、今度は「やった」と認めることが焦点になるからだ。ここでも、負けられないのである。気違い的な意地で認めないで、認めない勝ちをする。そりゃ、本人のなかではそうなのだから、まったく反省しない。そういうことを常にやったとしてもやったことになってないのだから、反省をするわけがない。反省してたら、押し切ることがで聞くなってしまうだろ。兄貴だったら、デカイ音で鳴らすことができなくなってしまうだろ。だから、デカイ音で鳴らしたということを認めずに発狂しておしまいなのである。その都度そうなのだから、何万回でも、何十万回でもそうなる。たまたま、不機嫌だから、相手を無視して鳴らした(鳴らしたという意識がある)という状態ではないからね。こういうことを、一緒にするな。
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わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。