ぼくがこのさき、死んだ場合、死因はヘビメタ騒音。ほかの、どんな理由でもなく、ヘビメタ騒音が死因。
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あれを、軽い気持ちでやってわけだからな。
どれだけ、「やめてくれ」と叫んでも、ずっと鳴らしていた。
それで、自分がまったく関係がないつもりだ。まったく俺の状態に影響与えていないと思っている状態だ。
ほんとうに、きちがい兄貴は、きちがい親父、そっくり。
そっくりなんだよ。
関係がわからない。
普通……「ヘビメタ騒音で勉強ができなくてこまっている」ということを、言われたら、弟は、自分が鳴らしているヘビメタ騒音で勉強ができなくて、こまっているんだな」と思うわけ。
そのあと、しずかにするかどうかは……ともかく、そういうことは、日本語で言われれば認識するんだよ。
ところが、何万回言われても、わからないままなのだ。
一度もそんなことを言われたことがない状態で、兄貴は、生きている。
一度もそんなことを言われたことがない状態で、思いっきり鳴らすのである。自分が鳴らしたい時間はすべて、思いっきり鳴らすのである。
きちがい的にでかい音で鳴らすのである。きちがいでなければ、そんな音で鳴らそうと思わないような音で鳴らすのである。きちがいだから、「普通の音だ」と思っているのである。
自分が思いっきり、でかいでかい音で鳴らしたいので、「普通の音量だ」と思ってしまうのである。
きちがい親父が、ハンダゴテのことでもめていたとき「つかえるつかえる」と絶叫していたのは、これとおなじなのである。もう、書いたから、詳しくは書かないけど、おなじなのである。
絶叫するかどうかのちがいがあるけど、自分の本当の欲求のために現実を書き換えてしまうのである。
現実を書き換えたという認識がないのである。現実というのは、現実に関する認識だ。
だから、無理やり……「このように思おう」と思って、思っているのではないのである。もう、これ、詳しく書いたから、ここでは書かない。
ともかく、ずるい仕組みがある。
普通の人は「やろう」と思ってもできないことなんだよ。
無意識的なレベルで、感覚器を書き換えて、やってないことにしてしまう。
ほんとうは、でかい音で鳴らしているのに、でかい音で鳴らしていないことにしてしまうのである。
普通は、知っている。
普通の人は、でかい音で鳴らしたいから、でかい音で鳴らしているのは知っているけど、「普通の音で鳴らしている」と言い張って、鳴らすわけ。芝居をするわけ。
ところが、芝居をしているつもりがないのである。
ほんとうに、普通の音で鳴らしていると本人が信じている状態なのである。
ここに、ズレがある。
兄貴は、芝居をしているつもりはない。芝居通りに行動しているのに、芝居をしているつもりがないのである。
こういうところにズレがある人だから、ほかの人が、(ぼくの話を)誤解するのである。
兄貴の側のずれなのに、ぼくが嘘を言っていると思ったり、ぼくが大げさなことを言っていると、普通の人が思うわけ。
「そんなの、あるわけがない」と思うわけ。「そんな音で鳴らしていたら、家族がやめさせようとする」と思うわけ。全部、ちがうんだよな。