学校から帰ってくると、きちがいヘビメタが鳴っていて、それが、基本、午後一一時一〇分まで続くのである。
実際には、きちがい兄貴が飯を食って風呂に入る時間は、鳴っていない。
だいたい、午後七時二〇分から午後七時四〇分だ。この二〇分間、鳴っていないから、いいかというと、よくないのだ。午後七時二〇分から午後七時四〇分の間の二〇分間、勉強すればいいかというと、よくないのだ。
じつは、午後四時から午後七時二〇分までのあいだの、三時間二〇分で、頭が、相当にやられている。
これも、「そんなのはいいわけだ」と言う人がいるのだけど、いいわけではない。ほんとうに、やられている。どれだけ、響くか……ぜんぜん……わかっていない。
超・高圧状態なんだよ。
あの音圧で、あの至近距離で、自分がこの世で、一番嫌いな音をずっと聞かされ続けるということが、どれだけ脳みそを破壊するかわかっていない。
どれだけ精神を破壊するかわかっていない。
鳴りやんだら、すぐに、勉強できるような状態じゃないのだ。
この…… 午後四時から午後七時二〇分までの間の、三時間二〇分間だけで、終わっている。もう、めちゃくちゃな気持ちになっている。
きちがい兄貴が、まったくわかっていないんだよな。その態度が、頭にくる。そういうやつ……まったくわかっていない家族が鳴らす、……よその家では鳴っていないきちがいヘビメタ騒音が、ぼくのこころを破壊しないわけがないだろ。
脳みそは、不可避的に影響を受けるのである。言っておくけど、耳栓なんて慕って無駄だ。ガンガンガンガンガンガン、入ってる。耳に入ってくる。頭に入ってくる。
脳みそを破壊する。
どれだけくるしい気持ちになるか、ほかの人は……つまり、実際に、家族にやられていない人は、わからない。
きちがい家族が、絶対の意地で鳴らすけど、絶対の意地で、悪いと思わないのだ。そういう構造自体が、ものすごく腹が立つことなんだよ。
きちがいが「あたりまえ」だと思っているんだからな。ぜんぜん、あたりまえじゃない。
あんまりにも、あたりまえじゃないから、よその人は、「想像」でものを言うのである。これは、ようするに、自分がやられていない状態で言っていることだ。
ぜんぜん、ちがう。これも、ぜんぜんちがう。
実際にやられたら、みんな、ぼくに賛成する。
やられていないから「そんなのは、言い訳だ」と(ほとんどの人が)言う。
言うかどうかは別にして……「自分なら平気だ」という前提でものを言う。
言うかどうかは別にして……「自分なら影響を受けない」という前提でものを言う。
実際に、あの態度で、やられたら、(こういうことを言っている人たちだって、みんな)猛烈に腹を立てる。
腹を立てて、腹が立っているあいだ、影響を受ける。
心がガラガラになる。発狂状態と実際の騒音で、勉強なんてできくなる。態度が、きちがいなんだよ。みんな、ここのところがわかっていない。
きちがい的な態度で、鳴らされるということがどういうことなのか、みんな、ぜんぜんわかっていない。
実際にやられたことがないから、わかっていない。
想像でおぎなえる、ごくごく少数の人だって、実際にやられていなければ、わかっていない部分がある。
きちがい家族が「まったくわかっていない」ということが、どれだけ、腹が立つことか、(みんな)わかっていない。
きちがい家族のきちがい的な感覚が……感覚自体が……やられている人間にとっては、ものすごく腹が立つことなのである。
「これ、どれだけ、現実を無視した態度かわかっているのか?」とよその人にも言いたくなる。言いたくなる。
* * *
俄然、きちがい的な態度で鳴らすわけだけど、それが、猛烈にいやなことなんだよ。
きちがい的な態度が、いやなんだよ。
あの、きちがい的な態度で鳴らされて、憤慨しない人なんていないと思う。
鳴っているあいだじゅう、憤慨が持続する。
つかれる。どれだけ「楽しい楽しい」と言ったって楽しくならない。どれだけ「元気だ元気だ」といたって元気にならない。
だいたい、「すぐに鳴りやむ」と言ったって、ぜんぜん鳴りやまないんだぞ。