2026年8月11日火曜日

●「どういう家に生まれたかということと、その後の人生は、関係がない」■社会※2026/08/11 4:29

 立場の低い人や条件が悪い人をせめる『しくみ』が成り立っている。この世というのは、ほんとうに、格差が激しい世界なのである。人によってぜんぜん条件がちがうのである。生まれた家の条件が、その後の一生を決めてしまうような世界なのである。もちろん、例外的なことはある。そして、いいうちに生まれても、成長したあと、立場が低くなり、つらい思いをすることもある。ようするに、その後の一生を決めてしまうようなところがあるにしろ、「落ちる側」には、レールがあり、ある程度の人が、いいうちに生まれても、落ちていく。しかし、だから、どういう家に生まれたのかということは、関係がないのかというと、関係があるのである。その人の一生に関係があることなのである。どのようなうちに生まれたかということは、その後のその人の人生に、かなり大きな、影響を与える。これが、基準だ。「落ちる人もいるから、どういう家に生まれたかは、関係がない」というのは、暴論なのだ。落ちるのはともかく、あがることについては、どういう家に生まれたかで「だいたい」のところは、決まってしまう。これが現実だ。「どういう家に生まれかということと、その後の人生は、関係がない」というのは、あまりにも、ゆがんだ考え方なのである。あがる側については、「だいたい」のところが、生まれたうちで決まってしまう。もちろん、例外は、多少はある。そして、多少の例外が物語として、伝わる。例外だからこそ、「価値」をもつのだ。けど、これも、かなりつくられたところがある。ほんものは、数少なくて、にせもののほうが、多い。偽物のほうが、圧倒的に多いのだ。偽物の物語が、広く社会にいきわたるのは、人々が、集合的一括思考をしてしまうからだ。条件が考えられているようで、じつは、条件が考えられていない考え方に染まってしまう。これも、ある程度、誘導されているところがある。ようするに、支配者側が、そういう物語を用意して、宣伝するのである。拡散するようにする。そうすると、文句を言えない人が、出てくる。「貧乏でも成功した人がいる」だから「貧乏だから、成功しないというのは、嘘だ」ということを言えるようになるのだ。しかし、「貧乏」のレベルや、「貧乏以外の条件」をガン無視して、あたかも、「貧乏」という条件について考えたふりをしているだけだ。しかし、理論的な思考ができない人は、これで納得してしまう。こんなのは、おかしいことだ。まえに、詳しく書いたのでここでは省略するけど、集合的一括思考は、間違っている。間違った推論をしている。

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たとえば、「努力をすれば成功する」とする。その場合、どんな家に生まれても、努力をすれば成功するのだから、どういう家にうまれたかということと、その後の人生で成功するかどうかは関係がないということになってしまうのである。努力をすれば成功するわけだから、関係がないということになる。なにに関して、成功するのかということを、自由に決められるのであれば、例外はあるかもしれないけど……基本的には……「どういう家に生まれたかということと、その後の人生は、関係がない」ということになる。ほかの条件はいろいろとある。たとえば、裕福な家に生まれても、なんらかの病気になったら、なんらかの病気になったということの影響を受ける。いちおうは、家とは関係がないように見える要素だ。けど、おなじ病気になったとしても、裕福な家に生まれた場合と、ど貧乏な家に生まれた場合は、やはり、人生がちがってくる。まあ、いろいろな条件がある。どういう家に生まれたかというのは、大きな条件のひとつだ。言いたいことは、「努力をすれば成功する」という一見無害な考え方が、不幸な人に圧力を加えるということだ。そりゃ、「努力をすれば成功する」と思っている人は、どんな家に生まれ方かは関係ないと考えるだろう。努力をすれば成功するのだから……。どんな家に生まれたよりも、努力をしたかどうかが成功するかどうかを決めるのだから、どんな家に生まれたかということは、関係がないということになってしまうのである。あるいは、どんな家に生まれたかということは、成功するかどうかには影響を与えないというとになってしまうのである。努力をすれば、成功する……のだから……そうなる。そう考える。

2026年8月10日月曜日

●「影響の見積もり」■騒音※2026/08/10 20:44

 きちがい兄貴が、きちがい的な意地で、きちがい的な感覚で、よその人がやらないことをやってしまう。騒音で、よその人がやらないことをやってしまう。よその人が鳴らさないような騒音を鳴らしてしまう。しかも、兄貴は「自分が、よその人が鳴らさないような音を出している」という自覚がない。どれだけ言われても、認識がしょうじない。つまり、どれだけ「でかい音で鳴らしている」ということを言われても、兄貴には、「自分がでかい音で鳴らしている」という認識がしょうじない。だから、どれだけやっても、「やってない」とになっているのだ。「やってない」なら、どうして、悪いことをしているという意識をもてるのだ。「でかい音で鳴らしていない」という(現実をまっこうから否定する意識を)もっている。もち続けて、現実的には、でかい音で鳴らしている。鳴らしていた。

よその人は、自分の家族に、兄貴のようなレベルで、音を鳴らされ続けるという経験がないのである。人生において、そういう経験がないのである。どうしてかというと、兄貴のような感覚の持ち主が、横の部屋に、家族として住んでいるわけではないからだ。だから、よその人が経験しないことを、特殊な兄貴によって、経験させられてしまうのだ。そして、それが、毎日続くことなのである。「うるさい」と言えば、「音のでかさ」に焦点があってしまうけど、じつは、「うるさい音でずっと毎日鳴らされる」ということが、よその人にはわからない影響を与える。影響を与え続ける。よその人がわからないのは、実際に自分が毎日、やられていないからである。実際に自分が毎日、そういう騒音にさらされていないので、実際に毎日そういう騒音にさらされ続ければ、「いやでわかることが」わからないのだ。これは、よその人が、ぼく(エイリ)よりも、すぐれているということとを意味していない。これは、よその人が、ぼくよりも、騒音耐性があるということを、意味しているわけではない。もちろん、ぼくよりも、騒音耐性がある人がいるかもしれない。けど、ぼくは、きちがい兄貴がヘビメタ騒音を鳴らす前から、でかい幼稚園の横に住んでいたので、騒音耐性があるほうなのである。ぼくが、特別に騒音に敏感だったから、たいして大きな音で鳴らしていない、きちがい兄貴の騒音を、でかい騒音だと「さわぎたてていた」わけではないのだ。ともかく、ぼくよりも騒音耐性が強い人は、いるかもしれないけど、たぶん、少ない。そして、ぼくよりも、騒音耐性が強い人がいるということは、兄が、普通の音か、あるいは、小さな音で鳴らしていたということを、意味していない。普通の人が、「わからない」のは、ただ単に、ぼくと同等の経験がないからだと思う。自分の問題でないからわからない。おなじレベルの体験をしたわけではないから、実際にどうなるのかということが、自分の体でわかっていないだけだ。ようするに、よその人が、ぼくよりも、みんな!騒音耐性が強いので、ぼくが騒音だ感じる音のレベルの音を、騒音だ感じないというわけではないのだ。みんな、実際に、経験したわけではないので、「影響の見積もり」について、あやまりがあるのである。けど、兄貴のように、多くのよその人も、自分の「影響の見積もり」にあやまりがあるということは、認めない。たいていの場合、頑固に認めない。実際に経験がないからわかっていないだけなのだけど、影響を低く見積もるのだ。あるいは、影響を完全に無視する。

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。