2019年4月23日火曜日

兄貴の知的能力は、ハンダゴテ事件で損傷されなかった。けど、気違いヘビメタ騒音事件の場合は、最初からそれが違う

つかれた。めちゃくちゃにつかれた。こりゃ、だめだ。あー、ヘビメタ騒音でつかれた。こんなにつかれていたのに、動いていたんだからなぁ。そりゃ、もっとつかれるだろう。もっとつかれて、だめになるだろう。動けなくなるだろう。がんばって、なにになった? がんばって、つかれただけじゃないか。ヘビメタ騒音のなかのつかれ。ヘビメタ騒音のあとのつかれ。ヘビメタ騒音のあとのつかれにたたられまくっているのに、意志の力で、自分のからだを動かしてきた。そして、またヘビメタ騒音のなかのつかれを経験する。……こういうことを、何千日も繰り返してきた。どうして、「ヘビメタ騒音が鳴りやんだら、そんなのは関係がない」などと言えるのか? こういうやつらは、肝心なものが見えてない。目が節穴。

やっぱり、つかれた。どうしたって、「つきあい」が減る。そうなっている。気違い兄貴は、他の人と俺の仲をさいてやろうと思ってヘビメタを気違い的な意地で、頑固にならしているわけではないのだけど、ずっと鳴らすということによって、そういう効果がある。相手が言ってくることを、一切合切無視して夢中で鳴らしきるということを、毎日毎日毎日やっていくと、ごく自然にそうなる。ごく自然にあいてはそうなる。付き合いが減らざるを得ない。計算したわけじゃないけど、ものすごい効果がある。そうやって、じょじょに追い詰めていく。頑固に相手の言っていることを無視してやり続けるというのことには、そういう効果がある。これは、親父が兄貴の言い分を無視して、「(このハンダゴテは)使える」と言い切ったときとおなじなのである。兄貴が、ヨソの人から、バカだと思われる。親父はそんなのわかるわけがない。もともと、このハンダゴテは使えないということさえ、理解しなかったのに、そんな高度なことがわかるはずがない。自分が主張したことで、相手がヨソの人からバカだと思われるということなんて理解するわけがない。そんなことが理解できるのであれば、『このハンダゴテは使えない』ということを理解している。『このハンダゴテは使えない』ということを理解しないということは、知的能力がないから理解できないということではないのである。しくみがある。『このハンダゴテは使えない』ということを理解してしまうと、新しいハンダゴテを買ってやらなければならないのである。それが、いやだけ。だから、知能とは関係なく、現実を無視して、頑固に認めない。どれだけ説明されたって、認めない。認めないということも認めない。これは、なんていうのかな、そのときはそのときで意地を張って認めないのだけど、そのほんにんにとって……つまり親父にとって……それがものすごく小さなことなのである。やったということさえ理解しなくていいほど、日常茶飯事の小さなことなのである。けど、その小さいことにいのちがかかっているんだけどな。認めたくないときは、いのちがけで認めない。で、こういうところが、親父と兄貴でおなじなんだよ。そりゃ、ヨソの人は『このハンダゴテが使えないということを理解できない大人はいない』『おまえ(兄貴)の説明が悪かったから、親父さんが理解できなかっただけだろ』と間違った推量をするわけだから。これも、おなじなんだよな。親父の態度から、そういう兄貴側の『失敗』が導き出される。失敗と書いたけど、不愉快な体験でもいい。あるいは、ヨソの人から誤解されるということでもいい。『そんなの、お兄さんに言えばいいだろ』なんて言う人は、やっぱり、同種の誤解をしているのである。おなじなんだよな……しくみが。家族のなかにいる気違いが、気違い的な意地を押し通すと、やられた人が、ヨソの人から誤解されたりだめ人間だと思われたりする。そういうしくみが成りっている。ヨソの人は常識で判断するからそうなる。ヨソの人の判断が、「いえ」のなかの実態と合致してない。
ところで、ヘビメタ騒音というのは、実は、『このハンダゴテは使えない』ということを認めないということよりもやっかいな問題を含んでいる。たしかに、ハンダゴテにかんしては(兄貴の)能力が問題になるわけだけど、親父が『このハンダゴテは使えない』ということを認めないということで、兄貴の能力は落ちてない。気違い兄貴のヘビメタ騒音の場合は、気違い兄貴がヘビメタ騒音を鳴らし切るということで、ぼくの能力が落ちているのである。体力、気力が落ちているのである。学力が落ちているのである。これは、でかい違いだ。毎日積み重なったらどれほどの量になるか。もちろん、気違い兄貴は気がつかずに、親父とおなじ状態で、意地を張って、やりきる。やりきっておいて、小さなことだと思っている。実際には、『小さなこと』だと思うことにも失敗している。まったくなにもやってないと思っている。けど、いのちがかかっている。絶対の意地で、やる。一二時間鳴らせるのであれば絶対の意地で一二時間鳴らし切る。弟がなにを言ってきても、それは、親父のように無視して、やりきる……のである。けど、気にしない。気にすることができない。親父のように、一切合切気にしない。影響を与えているとも思わない。思うことができない。どれだけ説明されても、自分がやったことで、弟がこまっているということが理解できない。ハンダゴテのときの親父のように理解できない。で、兄貴が俺に与えている影響は……でかい。毎日がハンダゴテ以上の『屈辱』なのである。おまえ、兄貴、おまえ……兄貴……おまえ……どれだけ怒ってたんだよ。親父にそういうことをやられて、どれだけ怒ってたんだよ。兄貴のヘビメタ騒音は、それプラス、実際に学力が落ちるということなんだよ。体力がなくなるということなんだよ。毎日どれだけつもるか? そんなのが、四〇〇〇日五〇〇〇日続いたら、どれだけの差ができるか? ヘビメタ騒音がなかった場合の俺と、ヘビメタ騒音が鳴っている場合の俺のあいだにどれだけの差ができる。この差は、俺に対する態度の差になって現れる。俺に対する他人の態度の差になって現れる。そりゃ、勉強ができるかできないか、どういう学歴があるか、どういう態度で暮らしているかというのは、他人の他人に対する認知に基本的な影響を与えるからな。学生のときは学歴、社会人になったら職歴(かたがき)と学歴だ。学歴は職歴(かたがき)の土台になっている。態度というのは、やる気のある態度や明るい態度という意味だ。こういうのも、人が人を見るときの認知に影響を与える。疲れ果てていたらダメなのである。気違い的な家族と一緒に住んでいて、その気違い的な家族がデカイ音でヘビメタを鳴らしまくるという迷惑行為をしている場合、どれだけの影響があるか。ヘビメタ騒音でつかれまくってしまうし、そう家族と接触すことによって、しんどい気分になってしまうだろ。接触するというのは、『ヘビメタをやめてくれ』と言いに行くことだ。『そんなの、接触しなければいい』『無視すればいい……』と言うことをいう人がいるけど、それは、問題がある。言いに行かなかったのであれば、適切な説明をおこたっているということになってしまうのである。『説明すれば、静かにしてくれたかもしれないのに説明しなかったから静かにしてくれなかったんだ。そんなの自己責任だ』と言われてしまう。俺が言ったにもかかわらず、毎日、何十回も数千日にわたって言ったもかかわらず、「そんなの、言えばいいのに、言わないからだめなんだ」と誤解してしまう人が後をたたない。『言った』と言えば、『言い方が悪い』『説明のしかたが悪かったんだろ』とハンダゴテ事件当時、兄貴のまわりにいた人のようなことを言うわけなのである。
ともかく、兄貴はハンダゴテ事件当時の親父の態度で、ヘビメタを鳴らしたわけだけど、まわりの人の認知に関する影響にかんしては、兄貴のヘビメタ騒音の方がでかい。まわりの人の認知というのは、被害を受けた人のまわりにいる人の認知ということだ。気違い兄貴は気違いヘビメタを鳴らすことによって、実際に俺の学力をうばい、能力をうばい、体力をうばっている。それが、親父のハンダゴテ事件との違いだ。親父が兄貴に与えた影響と兄貴が俺に与えた影響の違いだ。親父は、『使えないハンダゴテ』を押しつけることで、兄貴の知的能力に関する、他人の認知に影響を与えたけど、他人の認知にかかわらず、兄貴の知的能力は、ハンダゴテ事件で損傷されなかった。けど、気違いヘビメタ騒音事件の場合は、最初からそれが違う。ヘビメタ騒音自体が、俺の知的能力に影響を与える。実際の体力や実際の意欲に影響を与える。そりゃ、気違いヘビメタのなかで、ぼろぼろになってつかれはてるわけだし、そのあいだずっと、勉強をすることができない。勉強だけではなくて、本を読むというような知的な活動ができない。本当に、どれだけ気にしないようにしても、そういう気持ちとは関係なく、からだがヘビメタを浴びていれば、その影響が出る。その影響というのは、いい知れない「つかれ」だ。意欲の減退だ。勉強なんて、知能がおなじなら、勉強した時間に比例するんだよ。時間だけの問題なんだよ。(やる気は、時間にあらわれるとする)。
ともかく、ヘビメタ騒音問題はハンダゴテ事件問題なんかより、一兆倍も一京倍もでかい問題だ。これを、毎日やってないつもりで、やり続ける。五〇〇〇日たったら、どれだけの違いになってあらわれるか。


気違い的な家族というのは、他人の常識では考えることができないようなことをする家族という意味だ。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。