2025年2月8日土曜日

できているのに、ある日、突然「できない」と言って

 できているのに、ある日、突然「できない」と言って、それ以降できなくなったわけじゃないのである。

「できないと言うからできない」なんて、おかしいだろ。

できなくなったあと、……ヘビメタ騒音でできない状態を経験して、ヘビメタ騒音が鳴っているとできないということがわかったので「できない」と言った。「できない」と言った「から」できなくなったわけじゃないのである。

ヘビメタ騒音がものすごい音で鳴っていた「から」できなくなったのである。

「できないと言うからできない」なんておかしいだろ。

できないことを、「できない」と言っているだけだろ。バカ野郎。そういう妄想的なことを断定的に言って、人をこまらせるのは、やめろ。

できるのに、どうして、突然「できない」と言うのか? 認知・認識はどうなる?

できないことは、できないと言うだろ。「できない状態」というのは、「できない」と言う前に発生していたんだよ。順番をまちがえるな!!

できている状態で、できるという認識があるのに、突然、「できない」と言って、「できない」と言ったから、「できなくなった」ということではないんだよ。

認識のほうが、さきなんだよ。

順番をひっくり返して、わかったようなことを言うのは、やめろ。

自己催眠や自己暗示はあるけど、それは、「そういう自己暗示をしよう」と思って、自己暗示をしたのである。そして、すべての現象において、自己催眠や自己暗示の効果が成り立っているわけではないのである。

できることはできるんだよ。できないことはできないんだよ。その認知が、さきである場合のほうがおおいいんだよ。

これも、「自己暗示には効果がある」ということが、すべての「できる・できない問題」に成り立っているという考え方がまちがっているのである。こういう人たちは、単純だから「自己暗示」の例をひとつ、あげられると、すべて、その例の通りだと思ってしまう。

「できる」と自己暗示をかければ、できるようになるし、「できない」と自己暗示をかければ、できないようになる……と思い込んでしまう。

けど、それでは、「できる・できない」ということに関する「すべての現象」を説明できない。 

「できないと言うからできない」というのは、理論的ではない考え方なんだよ。理由が、まちがっているんだよ。

「から」のまえにある「できないと言う」ということが、「できない」ことの(あるいは、できないという状態の)原因ではないんだよ。原因について、まちがった認識をしているんだよ。

自己暗示の例をあげられてから、「できると言えばできる」と思い込んでしまうわけだけど、本人が、「できる」と言ったって、できないことはあるんだよ。

だから、「できると言えばできる」のかどうか、自分で確かめてみることができるんだよ。

「瞬間移動できる」と言ったあと、瞬間移動できるようになるかどうか確かめてみれば、「できると言えばできる」という命題が『真』であるのか『偽』であるのか、確かめることができるんだよ。 

瞬間移動ではなくても、普段、自分ができないことは、できないと認識しているのである。そして、できないことに関して、「できる」と言っても、できないことを知っているのである。……実は知っている。

だいたい、「できる」と言っただけで「できる」ようになるのであれば、その人は、普通に生活してない。魔法を使って生活している。いろいろなことを普通の方法でやっているということは、「できない」ということを認めていることなのである。いいかげん、気がつけ。 

できないと言っても、できることはあるし、できると言ってもできないことがある。それは、「できると言えばできる」「できないと言うからできない」などと「ほかの人」に言っている「本人」だって、知っていることなんだよ。経験していることなんだよ。経験したことがあることなんだよ。

ところが、「自己暗示」の説明を聞くと、「すべて」において「できると言えばできる」ということが成り立つと思ってしまう。だまされたんだよ。

 「できると言えばできる」と言っている人は、「エイリさんの言っていることが理解できる」と言って、理解してくれ。理解できると言えば、理解できるんだろ。

 



2025年2月7日金曜日

ぼくは、ヘビメタ騒音が鳴るまえは、できていたんだよ。ヘビメタ騒音が鳴り続けて、できなくなった

 きちがい兄貴が、あんなに意地になって、きちがいヘビメタを鳴らさなかったら、こんなことになってない。あの人たちとの人間関係だって、こわれていない。そもそも、働いていたはずだから、無職についてもめるはずがない。これ、「どうしたってむりだ」という状態になる。きちがいヘビメタが一一歳のときからはじまって、ずっと、中学校、高校と、日曜日まで含めて毎日続けば、どうしたって、むりだという状態になる。けど、実際には、ほかの人には、きちがい兄貴のような家族がいないから、おなじことを経験するわけではない。だから、経験的には、わからない。俺がただ言っているだけで、実際に、僕と同じ時期に、僕と同等の、家族による騒音を経験したわけではない。家族による騒音というのが、超・重要なことなのだけど、ほかの人は、これが重要なことだとは思ってない。さらに、一一歳からはじまってしまったということも、重要なことなのだけど、ほかの人は、これも、重要なことだと思っていない。働いてから、となりの人がうるさいという状態ではないのだ。自分だけ引っ越しができる状態ではない。きちがい家族が鳴らしていたら、どうしたって、影響をうける。自分だけ引っ越して、騒音問題を解決するわけにはいかない。そして、おかあさんも、親父とはちがった意味で普通の人ではないし、おかあさんが、どれだけ兄貴に言っても、兄貴は、聞かなかった。けっきょく、自分がやりたいぶんは、絶対にやりきった。遠慮して、がまんして、鳴らさないですご時間というのは、一日で、〇秒だ。これが、十数年間、毎日、ずっと続いたのである。融通が利かない。「今日は、特別にこまるからやめてくれ」と言ったって、〇秒しかゆずらないのだ。「願書を書くから、一時間やめてくれ」と言ったって、ずっと、鳴らし続ける。ヘッドホンをするつもりもない。この態度が、どれだけ頭にくる態度か、わかるか? やられてない人には、根本的にはわからないと思う。そして、たとえば、願書を書くときに、きちがいヘビメタが鳴っていると、ミスを犯してしまう。そうすると、ミスをカバーしなければならなくなるのだけど、きちがいヘビメタが鳴っている状況で、新しく願書を取り寄せてカバーしなければならなくなるのだ。そして、それができない場合は、そのまま出すということになる。たとえば、ハンコが斜めに押された状態で出すということになる。ボールペンで二重線を引き、修正して、ハンコを押して出すということになる。見栄えが悪い願書になるのである。切羽詰まって、願書の修正をしているときも、きちがいヘビメタが、容赦なく、きちがい的な音量で鳴っているのだ。きちがい的な音量で鳴っていると、ほんとうに頭がこんががるんだよ。きちがいヘビメタが鳴っていると、学校の授業で覚えたことも、忘れてしまう状態になる。新しい問題に関しては、まったく考えられないという状態になる。家で勉強しようとすると、マイナスになってしまうのだ。頭がこんがらがって、できた問題もできなくなってしまう。そして、それは、自信を失わせることだ。だって、できなかったことを経験するということになってしまう。ヘビメタ騒音が鳴ってなければ簡単にできる問題なのに、できなくなってしまうのだ。おぼつかなくなってしまう。こんな状態で、入学試験を受けるということがどういうことなのか、みんなわかってない。中学時代全部、高校時代全部という人間にとって大切な時期を、こんな騒音で、汚されて、その後の人生に影響がないわけがないだろ。「過去は関係がない」と言ったやつがいっぱいいる。みんな、ぶっ殺してやりたいほど腹がたつやつらだ。ほんとうに、その言葉を言ったとたんに、そいつを、ぶんなぐってぶんなぐって、ぶっ殺してやりたい気持ちになる。けど、もちろん、殺したりしないし、ぶったりもしない。おさえる。けど、それがまた、ストレスになるのだ。きちがい家族によるきちがい騒音を、人生のなかで、経験しなかっただけなのに、えらそうなんだよ。これ、僕と彼らのちがいは、きちがい兄貴にやられたかやられなかったのちがいでしかない。けど、彼らは、「自分なら大丈夫だ」「自分なら影響をうけないことが可能だ」という前提でものを言ってくる。しかも、これが、僕にとって腹がたつことだということを、まったく、認めない。認めるわけがないだろ。きちがいヘビメタをやられたので、できない状態になっている。そのとき、きちがいヘビメタにやられてないやつが、「自分なら影響をうけない」という前提で「過去は関係がない」などと言うのだ。あるいは、「できないと言うから、できない」「できると言えばできる」などと言うのだ。こんなことを、言われて、腹がたたないわけがないのに、こいつらは、腹がたつということがわかってない。ここで、ぼくが反論をすれば、こいつらは、こいつらで、腹をたてるのだ。「過去は関係がない」ということは正しいということを言ってくるし、「できると言えばできる」ということは、正しいということを言ってくる。むきになっていってくる。けど、ここに書いたように、それは、正しくない。まちがっている。こういう、まちがったことを言うやつに、なめられるようになる。きちがいヘビメタ騒音でできなくなると、そうなる。しかも、こいつらは「人のせいにしている」と言い出すのだ。「自己責任だ」と言い出すのだ。こいつら、ほんとうに、ぶっ殺してやりたくなるなぁ。けど、どうして、ぼくが、ぶっ殺してやりたくなるほど、腹をたてるのかということが、わからない。わかるわけがない。こいつらは、想像力がないから、きちがいヘビメタ騒音の影響について、うまく想像することができない。理論的な思考力がないから、妄想的な前提があるということに気がつかない。たとえば、ぼくは、ヘビメタ騒音が鳴るまえは、できていたんだよ。ヘビメタ騒音が鳴り続けて、できなくなった。そりゃ、睡眠だってそうなんだよ。体力不足だってそうなんだよ。勉強だってそうなんだよ。ヘビメタ騒音が鳴るまえは、「できるできる」なんて言わなくてもできていたんだよ。ヘビメタ騒音が鳴るまえに、「できない」と言ったから、できなくなったわけじゃないんだよ。ヘビメタ騒音が毎日続くから、その影響でできなくなったんだよ。ヘビメタ騒音でできなくなったから、できなくなったと言ったんだよ。できないと言ったから、できなくなったわけじゃないんだよ。ヘビメタ騒音が毎日続くからできなくなったんだ。こいつ、ほんとうに頭がわるいなぁ。頭が悪すぎて話にならない。こういうやつらに、バカにされるようになる。きちがい家族よる、きちがい騒音が鳴っていると、こういうやつらにバカにされるようになる。

*     *     *

「当時」と言っても、いろいろな「当時」があるのだけど、「人間は働くべきだ」と言ったやつが、無職になっていたら、承知しないからな。ぼくが、無職のとき、ヘビメタ騒音で通勤ができなくなったということを言ったのに、ヘビメタ騒音の影響は、無視して、「人間は働くべきだ」と言ったやつが、どんな理由であれ、無職だったら、俺はゆるさない。そいつは、どんなことがあっても、一生、死ぬ直前まで、働くべきだ。だって、そうだろ。そうしないのであれば、ぶん殴る。ぶん殴る。ぶん殴ってやる。けど、まあ、実際には、ぶん殴ったりしないのだろうけどな。そいつがどこにいるか、まったくわからないしな。けど、ヘビメタ騒音の影響を説明したのに、ヘビメタ騒音の影響をガン無視て「人間は働くべきだ」と言ったやつは、働くべきなんだよ。絶対に、無職になるな! 定年退職していたら、承知しないからな!

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。