引き寄せの場合も、言霊とおなじように、ヒエラルキーがある。
引き寄せ教祖も引き寄せセミナー講師も、「自分は引き寄せができるけど、相手は引き寄せができないという立場」でものを言うわけだ。
自分は『できる人』で、相手は『できない人』なのだ。
できないから、教わりにくる。できるから、教えてあげる。
こういうヒエラルキーがあるんだよね。
こういう優越感みたいなものは、信じると発生してしまうやっかいなものなのだ。言霊でも、説明したように、じつは誤解をしているだけだ。
誤解をしているだけなのだけど、ともかく、「自分はできる」という自己イメージが発生する。だから、優越感が発生する。
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わりと面倒なことなので、説明しにくいのだけど、ちょっとだけ説明しておく。
たとえば、「いいことが起こると思っていると、いいことが起こる」ということを信じたとする。その場合、「いいこと」というのは、恣意的に決まる。
たとえば、毎日、卵がけご飯を一日に一回は、食べていたとする。ある日、特別に卵ご飯がうまく感じたとしよう。
その場合、「いいことが起こった」ということになる。「いいことが起こると思っていると、いいことが起こる」ということを信じている場合、期待がしょうじるのだ。そして、「いいことが起こると思っていると、いいことが起こる」と思うこと……と……出来事のあいだに関連を見つけやすくなる。
そりゃ、期待しているからそうなる。「いいことが起こる」と思っていることを、とりあえず、期待的行為だとする。思うだけなのだけど、行為としてあつかうことにする。
そして、「いい出来事」のことを期待的出来事だとする。そして、さらに「いい出来事が起こったと認識すること」を期待的認識だとする。
その場合、期待的行為をすれば、期待的出来事が発生しやすくなるというのは、なにを期待的出来事だと認識するかにかかっている。自分が少しでも「いいことだ」と思えば、普段やっていることでも、「いいこと」になる。そして、それは、期待的認識が発生したということを意味する。
自分が「おいしく感じた」なら、「期待的出来事」が発生したということになるのである。普段、何回も食べているものなのだけど、「おいしく感じた」なら、期待的行為をしたから「こそ」期待的出来事がしょうじたと思うことができるのだ。
ここら辺の「関連」について、わりと、恣意的に操作できるのだ。
自分が「いいことが起こった」と思いやすい状態になると、期待的な行為に特別に力がなくても、自分で「いいことが起こった」と思いやすい状態をつくることができる。
たとえば、期待的な行為を、引き寄せ行為だとする。
そうすると、引き寄せ行為をしたのだから、引き寄せられるはずだという期待値が、あがる。
その場合、「なにかいいこと」を引き寄せようとした場合は、「なにかいいこと」だと思いたい気持ちが強くなる。
だから、結果的に、「なにかいいことだ」と思う確率が、あがる。
実際に、確率があがる。
「なにかいいこと」を引き寄せるための引き寄せ行為をしたことによって、「これがいいことなのだ」と思う確率が上がるので、引き寄せ行為自体に、引き寄せる力があると「誤解する力」もあがるのだ。