きちがい親父が、俺にネズミを殺させて、俺にいやな思いをさせる。きちがい兄貴が、俺に遅刻をさせて、いやな思いをさせる。きちがい兄貴が、俺の勉強時間をうばって、いやな思いをさせる。よその人が「そんなのは嘘だ(ヘビメタ騒音の話は嘘だ)」と言って、いやな思いをさせる。よその人が「どんなに騒音が鳴ってたって、宿題ぐらいできる」と言って、いやな思いをさせる。きちがい兄貴が、俺の睡眠時間をうばって、いやな思いをさせる。きちがい兄貴が、俺の人生を台無しにして……俺に……いやな思いをさせる。
よその人が「元気だ元気だと言えば元気になる」と言って……俺にいやな思いをさせる。
あれだけでかい音で、苦手な音が鳴っていれば、影響を受けるにきまっているのに、影響を否定するきちがい野郎が「関係ない」と言って、俺にいやな思いをさせる。不可避的に影響を受けるということを、頑固に否定するやつらが、「影響はない」と言って、俺にいやな思いをさせる。きちがい兄貴が、きちがい的な頑固さで、使えるすべての時間を使って、きちがい兄貴が満足できる音で、ガンガン鳴らすと、自動的にそうなる。必然的にそうなる。よそのやつなんて、自分がやられていなければ、影響を認めない。空想世界で「できる」ことになっている。どれだけ、自分にとって苦手な音が大音響でずっと何時間も鳴っていたって、自分は、影響を受けずに暮らすことができると思っている。想像世界で、「どれだけ、自分にとって苦手な音が大音響でずっと何時間も鳴っていたって、自分は、勉強ができる」と思っている。想像世界では「できる」ということになっている。なら、「できない」のは、エイリが、悪いということになる。エイリの能力が低いから、きちがい騒音下で、勉強をすることができないのだということになる。そういう、前提が「できる」という話の背後にある。こういう具合に、不可避的に影響を受けるということを「認めない」やつが、めちゃくちゃなことを言ってくる。きちがい兄貴が、きちがい基準で、よそのうちではできないことを、やってしまうと、必然的に、そうなる。よそのやつらが、なめてかかってくるようになる。ヘビメタ騒音で「できなくなった」と言っても、よそのやつらが、ヘビメタ騒音の効果を認めずに、きちがい的な、アホなことを言ってくるようになる。自分は、平気なつもりなのだ。自分は影響を受けないつもりなのだ。こいつらが理解できないのは、ずっとヘビメタ騒音生活が続けば、いつか、通勤通学ができない体になるということだ。何年間はたえて、生きていける。けど、つもる。つもりきって、できなくなる。これが、わからないやつばかりだ。こういうやつらが「言えば言ったことが(言霊の力で)現実化する」と妄想的なことを言う。妄想的な前提で「できると言えばできる」と言う。特に悪意はない。悪意はないんだよ。悪意がないから、こまるんだよ。きちがい兄貴も、悪意があったわけではないのだ。ただ、自分が思った通りの音で、鳴らしたかっただけだ。そのあと、俺がどれだけ「でかい音で鳴らしている」ということを言っても、きちがい兄貴が、きちがい的な意地で認めないのだ。きちがい的なしくみで認めないのだ。このきちがい的なしくみで認めなというのは、親父にも成り立っている。そうなると、「きちがい的なしくみで認めない」ということを理解しないやつらが、無理なことを言っている。あるいは、「きちがい的なしくみで認めない」ということが理解できない人たちが、俺が言っていることを、嘘だと思うようになるのだ。それりゃ、きちがい兄貴のしくみが見えないのであれば、俺が嘘を言っているように思っても、不思議ではない。こいつらは、親父にもきちがい的なしくみが成り立っているということを理解していないので、「そんな音で鳴らしているのに、家族が文句を言わないのはおかしい(家族が、やめさせようとしないのはおかしい)」と考える。だから、「エイリが嘘を言っている」と考える。考える。考える。こいつらの考え方は、こういう考え方なんだよ。ところが、ぼくは、嘘を言っていない。もう、この時点で、こいつらとの間に、溝ができる。ちなみに、影響がないと考えるやつらが「そんなの関係、ない」と言ってきた時点で、やはり、溝ができる。妄想的な言霊理論を信じているやつらが「元気だ元気だと言えば、元気になる」と言ってきた時点で、やはり、溝ができる。溝ができる。溝ができる。