足の太もものところをよく見てみたのだけど、ダニに刺されたあとが残っている。うすくだけどね。複数個ある。メンタルがやられる。きちがい親父が……と言いたくなる。
ともかく、生命力的な体力を使い果たしてしまったようところがあり、動きたくないのだ。「やりたくない」と思ってしまう。引っ越しも、いつできるのか、わからない。
これから、睡眠トライをするけど、たぶん、無駄だ。じつは、昨日、けっこう、眠ってしまった。眠るつもりはなかったんだけど、眠ってしまった。肌のことは、失敗だったなぁと思う。ネズミ・ダニにやられるまえに、引っ越し先を見つけて引っ越すべきだった。けどなぁ。集合住宅になってしまう。ちょっと、いろいろとやばいのだ。まあ、気にしている人は(あんまり)いないけどね。
このあいだ、掛布団シーツを洗ったので、今度は、敷布団シーツを洗おうと思う。熱湯処理をしなくてもいいなら、気楽に洗っていたのだけどね……。
ともかく、気分が落ち込む。ゲームでいうHPが、残り少ない感じがする。どうにかして、チャージしなければならない。ほんとうに、つらい時間をすごしてきた。いまさら、はじまったことじゃないのである。長期騒音でHPを削られた。ともかく、絶望的に不利だったんだよな。それはそれは、つらいものになるよ。
そして、今、なんとか生きているけど、じゃあ、わかい時間を取り戻せるのかというと、取り戻せない。なんか、いろいろとやる気がぬけている。「もう、いいか」と思うことが、多い。「もう、つかれた」と思うことも、多い。横になると「うーーーっ」という気持ちになるときがある。これも、多い。
じゃあ、どうするかというと……。
* * *
全部が、めんどうくさい。気力がわかない。ダニに刺されなければ、たしょうは、気力があがっていたのかな。
* * *
段ボール箱に熱湯かけたあと、冷やした段ボールをビニール袋に入れる作業をするべきではなかった。
どうも、ビニール袋に入れる作業をしていたときに、ダニが手について、二階にあがってきてから、ダニに刺されたような感じがする。
この件で、もう、やる気がなくなっている。
暑いから、ビニール系レインコートを着たくない。むかしは、暑くても、ビニール系レインコートを着て、ネズミの糞処理をしていたんだよ。
けど、もう、力尽きた。そして、今日も、ネズミを袋にいれなければならなかった日のことを思い出して、不愉快な気持ちになった。きちがい親父が「俺が捕まえるからいい」と言い張って、ネズミ対策工事をさせてくれなかった。
「親父が死んだら、俺がネズミ処理をしなければならくなるんだぞ」と俺が言ったら、親父が「しなないよぉぉぉぇぇ、しなないよぉぇぇぇ」ときちがいのように絶叫しやがるのだ。
これ、居合わせた人じゃないとわからいよな。
ネズミが出てくることが決まっている居間で、きちがい親父を説得しなければならないのだ。どんな地獄か、わからないだろ。
「死ななくても、(親父が)入院したら、俺がネズミ処理をしなければならくなるんだぞ」と俺が言ったら、親父が「入院、しないよぇぇぇぉぉぉ、入院しないよぉぉ」と顔を真っ赤にして絶叫するのだ。
そういう、基本的なことを認めない。
このあと、けっきょく、急性胆嚢炎になって、入院したんだよ。「このあと」と書いたけど、1年2か月ぐらいは経過していた。1年二か月後ぐらいに入院した。
けど、じつは、このことが起こるまえも、親父は脳梗塞で入院しているのである。入院したことがあるのである。
入院したことがあるのに、「その場で言い勝ちしたいから」……基本的なことを無視することを言う。
どれだけでたらめなことだっていいのだ。
入院することもある……ということを認めると、親父が入院したあと、俺(エイリ)が、ネズミの処理をしなければならなくなる。俺(エイリ)がネズミの処理をしなくてもいいようにするには、ネズミ対策工事に賛成しなければならなくなる。
……だから、「入院しない」ということを言って、その場を、おさめようとする。その場で、でたらめな嘘を言って、逃げ切ろうとする。
きちがい的なことを言って、絶対に認めない。
「このさき、入院することは絶対にない」ということは、言えない。「このさき、死ぬことはない」ということは、言えない。
ところが、絶叫して、言ってしまう。顔を真っ赤にしていってしまう。
これ、ちゃんと、相手の言っていることを、否定するために、言っているんだよ。きちがいだけど、そういうところは、わかっている。どれだけバカげたことでも、ともかく、基本的なことを否定して、相手の言い分をつぶすということをする。
しかも、そうやってつぶした、つぶしたということがわからなくなってしまうのだ。
これ、つぶしたあとは、まったく関心がない状態ができあがる。
だから、実際に、入院したり、実際に死ぬまでは、そういうことを繰り返すのだ。どれだけなにを言っても、認めないのである。
基本的なことを認めない。
じつは、きちがい兄貴も、脳みその構造が、きちがい親父とまったく、おなじで、まったくおなじことを、するのだ。
絶叫があるかないかのちがいはあるけど、頭のなかで起こっていることはおなじなのだ。
自分が「思いっきりでかい音で」ヘビメタを鳴らしたいとなったら、自分が「思いっきりでかい音で」鳴らしているとき、自分が「思いっきりでかい音で」ヘビメタを鳴らしているということを否定する。
耳が正常なら、絶対にわかることなんだよ。
けど、きちがい親父とおなじで、基本的なことを否定する。
基本的なことを否定したら、もう、それで、「やっていない」ことになるから、やり続けていいということになってしまう。わかるかな?
「でかい音で鳴らしている」という基本的なことを認めてしまったら、「でかい音で鳴らせなくなってしまう」のだよ。
だから、「でかい音で鳴らしているという」基本的なことを、認めないようにする。ただし、意識的にそうするわけではないのだ。無意識的にそうする。
だから、「そうした」ということが、わかっていないことになる。きちがい兄貴が、意地になって「でかい音で鳴らしている」という基本的なをこと認めなかったのに、きちがい兄貴は、実際に、自分が、 「でかい音で鳴らしている」という基本的なをこと認めなかったことは、ないと思っている状態なのだ。
何万回繰り返したってそうなんだよ。
あくまでも、きちがい兄貴のなかでは、「小さな音で鳴らしている」とか「普通の音で鳴らしている」とか「フォークギターぐらいの音で鳴らしている」ということになっているのだ。
ぜんぜん、ぜんぜんちがう。
兄貴がこういう状態だと、俺が嘘を言っていると思うやつが、出てくる。
こいつらが、また、やっかいなやつらなのだ。もう、きちがい兄貴と常識的な人たちにはさまれて、俺が、猛烈に不愉快な思いをすることになるのである。
みんな、ほんとうに、わかっていない。