2019年1月21日月曜日

●もし特撮のウルトラシリーズが入試科目になっていたら


たとえば、A君とB君がいたとする。社会科のテストでA君が九〇点をとり、B君は六〇点をとったとする。その時、A君が「一〇点、失敗した」「あそこと、ここで間違った」と言ったとする。


A君にB君が「九〇点なんてすごいね」と話しかけたとする。そのときA君が「ぼくなんてまだまだだよ」と言ったとする。


その時、B君は『九〇点でまだまだなら、俺はどうなるんだ』『バカにしやがって』と思ったとする。けど、この場合は、バカにしてない。A君は自分のことしか語ってない。

これが、たとえば、『六〇点しかとれなかったよ。バーカ』と言えば、バカにしたことになる。怒っていい。私もおなじ立場だったら腹が立つと思う。「ばかにしやがって」と思うかもしれない。



けど、「ぼくなんてまだまだだよ」と言葉は自分のことにしか言及してないので、A君はB君をバカにしてない。じゃあ、どうして、B君は自分がバカにされたと思うのか?



それは、B君が自分のことをバカにしているのである。B君が、自分のことをバカにするような基準を持っているのである。B君の内在化された基準は、根拠がないものではない。



『早食い競争が入試科目になったら』のところで話したように、学校のなかで暮らしていると、学科があたかも重要なものになってくるのである。できるとかっこよくて、できないとカッコウワルイと感じるようになってしまうのである。



学校で生活するとそういうことになる。



そういう価値観を植えつけられる。



たとえば、これが、社会科のテストではなくて、ウルトラ怪獣テストだったらどうか? A君はものすごく怪獣が好きで、ウルトラシリーズのすべての怪獣や怪獣相当の生命体、怪獣相当の非生命体のデータを詳しく知っている。



さらに、撮影裏話や、シナリオのセリフまで正確に記憶しているとしよう。その場合、ウルトラシリーズに、まったく興味がなければ、そんな知識はまったく無駄な知識だと思うだろう。



ウルトラリーズについてものすごく詳しく知っているA君に対して、劣等コンプレックスを抱くだろうか?



「そんなにくわしく知っているなんてすごいなぁ」と思うかもしれないけど、たいして、劣等コンプレックスは感じないのではないだろう。



劣等コンプレックスを感じるのは、本人もそれが重要だと考えている場合のみなのである。



もし、それにたいして興味がない場合は、相手がどれだけそのことを知っていたとしても、自分とくらべて劣等コンプレックスを持つということはない。



B君が「そんなにたくさんウルトラマンの怪獣のことを知っているなんてすごいね」と話しかけたとしよう。それに対してA君が「ぼくなんてまだまだだよ」とこたえたとする。



その場合、B君は『あんなに知っているA君がまだまだなんて、それじゃ、ぼくはどうなるんだよ』と感じるだろうか?



ウルトラシリーズに出てくる怪獣の知識がくだらないものだと思っていれば、絶対にそんなふうには感じない。ウルトラシリーズに出てくる怪獣の知識が重要だと感じている場合は、自分と相手をくらべて、自分が劣っていると感じてしまう。

もし、ウルトラシリーズに関する知識が、日本史に関する知識のように、学校で教えられていて、なおかつ入学試験の科目になっているとしたら? 

そういう場合は、ウルトラシリーズに関する知識に関しても、人間というのは劣等コンプレックスを感じてしまう可能性がある。



ようするに、学校で教える知識として、その分野の知識が選ばれているなら、その知識のあるなしで、人間の『能力』を推し量ってしまうところが、出てくる。この能力というのは、少なくても、『ポテンショナルな知的能力全体』をあらわしているように思えるはずだ。そして、なんとなく、その人間のポテンショナルな全人格的能力まであらわしているように感じてしまう人が出てくるだろう。


学校教育のなかで暮らしていれば、学校的な価値観を身につけてしまうことはよくある。むしろ、学校教育のなかで暮らしているのにもかかわらず、学校的な価値観を内在化しない方がめずらしいと言ってよいのではないだろうか。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。