2021年4月20日火曜日

自分にとってだけ都合がいいように、記憶が改ざんされてしまうということがほかの人にはわからない


ほんとうに、ヘビメタ騒音が鳴っていると、勉強がどうしてもできなくなるのだけど、自分でも「兄のヘビメタ騒音で勉強ができない」とか「兄のヘビメタ騒音が鳴っていると、どうしても、勉強することができない」ということを言うのがいやなんだよ。こういうのも、実際に、小学六年生のころから、『きちがいである』家族に毎日やられた人じゃないとわからない。

ほんとうに、きちがい!! 

本当に、無視する。やっていることを無視する。きちがいだから、ものすごくでかい音で鳴らしているのに、ものすごくでかい音で鳴らしているつもりがない。つもりがないというのは、実際にやってないというのとおなじなんだよ。そして、同じだとみなしていることについて考えない。

どれだけ言われても考えない。言われたら、言われたら言われたときだけ、「はねのけるように」腹を立てておしまいなんだ。ほんとうに、きちがいヘビメタが鳴っていると、こっちは発狂しながら全力疾走しているような状態になって、勉強することができない。これも、そんなのは、騒音に弱いからダメなんだ」ときちがい兄貴のきちがい的な騒音にさらされたことがない人が言う。

それは、さらされたことがないから言えることなんだよ。

俺は、何十年たってもゆるしがたい。あのとき無視されたこころが、よみがえる。きちがい兄貴もきちがいおやじも普通に言えばつたわることを、発狂して無視するんだよ。

そして、発狂して無視したということも無視する。

だから、本人はまったくなにもやってないつもりのまんまなんだよ。何万回言って、何万回喧嘩しても、おなじなの。きちがいがきちがいの感覚で、腹を立てて、やりきるの!!! 

何万回、「やめてくれやめてくれ」とこっちが言っても、きちがいがやりたいことを、きちがいがやり続けるの。

やっているなら、やっているわけだし、やったなら、やったんだよ。

けど、きちがいだから!それがわからない。そういうことが、全部ぬけている状態で、暮らしている。これを、どうにかすることかできない。きちがい行為をやってないときに、ちゃんと言えば、わかってくれるということではないんだよ。ないんだよ!!

こういうことだって、きちがいにやられたことがない人は、わからないだろ。絶対、わからない。

特殊なきちがいにやられたことがない人は、その特殊なきちがいのやり方や、その特殊なきちがいがやっているときの特殊なきちがいの意識がわからない。

やり終わったあとの意識もわからない。この、きちがいのやり方、きちがいの意識、きちがいの態度は、「いえのなかいにいるひと」しかわからない。家のなかでは常にそういうモードでくらしているんだよ。脳みそがそうなっている。

これ、ほんとうにこまるんだよな。

きちがい的な意地でやるやつが、まったく関心がない。

きちがい的な意地でやるやつが、まったくやったつもりがない状態でくらしている。

これ、どれだけこまるか。どれだけ、手掛かりも足掛かりもない状態になるか。きちがい的な意地でやっているのに、きちがい的な意地で否定したり、きちがい的な意地でやっているのに、「関係がない人」になっているんだよ。

やっているのだから関係があるのに、まったく関係がない人になってしまっている。

そういう脳みそなの。

そういう言い方しかない。あの態度は、そういう言い方しかない。けど、そういう家族に苦しめられたことがない人は、わからない。

まったくわからないんだよ……こっちも。 きちがい的な意地できちがい行為をやって、やってないつもりでいる家族のことが、普通の人にはわからない。普通の人にはわからない。

ぼくがきちがいという言葉を使って説明しているからやっと説明できるけど、これで、きちがいという言葉を使わないで、兄貴の態度や、兄貴の認知について説明しようとすると、手がつまる。説明できくなる。うまく説明ができなくなる。

どうしてかというと、矛盾が生じるからだ。「やったってやってない」「やったことを、ほんとうにやってないと思っている」というようなことそのまま言っても、なんか、ちがうことになってしまう。そういうレベルのことではないのだ。

ぜんぜんちがう。威力がちがう。

きちがいが夢中になってやっているときの状態がほかの人にはわからない。そして、自分にとってだけ都合がいいように、記憶が改ざんされてしまうということがほかの人にはわからない。しかも、兄貴やおやじは「記憶を改ざんしよう」と思って改ざんしているわけじゃないんだよ。そうじゃない。こういうことだって、実際にやられてない人にはまったくわからない。

きちがいや無意識という言葉を使わなければ、きちがい兄貴やきちがいおやじの状態を説明することができない。矛盾しているから。「知っているけど知ってない」とか「やっているけどやっているつもりがまったくない」とか「やったけどやったつもりがない」とかそういう話になってしまう。

『けど、ちゃんと暮らしているんでしょ。お父さんは働いているんでしょ。お兄さんは普通に学校に行っているんでしょ。そんな人が、職場や学校で問題を起こさないはずがない。だから、エイリさんが言っていることはまちがっている。おかしい』……と感じてしまう。感じてしまうの!!

もう、〇〇か。こんなの、どれだけ、他人はわからない。わかったところでどうしようもない。しかし、わかってない他人のちょっとした言葉がものすごく俺を傷つける。自分の騒音と俺の騒音を、おなじぐらいのレベルだと思うな。そんなんじゃないから。いろいろな条件がそろって、きちがい兄貴が鳴らしてしまった。

たとえば、うちが一軒家じゃなくて、マンションだったら絶対にあんな音で鳴らせない。あんなに長い時間鳴らせない。全部、そろっているんだよ。きちがい兄貴が俺の気持ちさえ無視すれば、頑固に鳴らせる条件が全部そろっている。きちがい兄貴が、おばあちゃんのうちで間借りをしていたら、絶対に、一日に一分だって鳴らせない。きちがい兄貴だって、鳴らそうと思わない。そういう音で、鳴らそうと思わない。一時間どころか、一分だろうと、そういう音で鳴らそうと思うということがないと思う。

発想自体がない。

よその家で、鳴らした、ものすごい問題になる。アパートで鳴らしたものすごい問題になる。マンションで鳴らしたらものすごい問題になる。けど、でかい幼稚園に隣接しているうちで鳴らすぶんには、問題がないと思ってしまう。「うちのにんげん」はおやじとおなじで「根源的に無視してしまう」。

これが、おやじの態度なんだよ。

きちがい兄貴が育てられてきたときの「おやじのたいど」だ。うちのなかの「たにん」が言うことは、その他人がどれだけ熱心に言ったとしても、まったく言わなかったこととして扱っていいのである。

きちがいおやじの、きちがい的な認識は、そうなの。

相手が怒って言っていることは、あたかも、なにも言わなかったように無視していいのである。きちがいおやじの頭のなかはそうなっている。特に、自分がやりたいことに関してはそうなんだよ。自分がやりたいことに関しては、相手がどれだけ反対したって、「まるで言われなかったことのように」無視する。そして、そういうふうにしたということも無視してしまう。

そういう自動回路がついている。 

相手が言っていることを無視するけど、無視しているつもりがない状態なのである。きちがい兄貴の態度も、きちがいおやじのこの態度とおなじだ。自分がやられたことを俺にやり返している。きちがいおやじの態度は兄貴にとっても問題だったんだよ。ようするに、自分以外の人間が、そうすることに関しては、ちゃんと認識していた。自分が(親父のまねをして)やるときは、まったくやってないと思っている。

おやじとおなじ状態になってしまうので、「そういう態度でそういうことをされたら、やられた人間は腹が立つものだ」ということを忘れてしまう。自分がやられたらわかるけど、自分がやっているときは、まったくわからない状態になってしまう。自分が、おやじにやられたら、おやじの態度に腹を立てるんだよ。

それは、おやじの態度が人間としてへんだということがわかるから腹を立てる。やられているときも、きちがいおやじとおなじような思考回路の持ち主だったら、やられているということがわからない。へんだと思わない。

へんだと思うのは、やられているときは、思考回路が正常だからだ。これも、言いがたい。


そして、こういうことも、ヨソの人にとっては、「どうでもいいこと」んだよ。じゃ、俺にとってどうでもいいことかというとどうでもいいことじゃない。
 

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。