2026年3月2日月曜日

●言霊主義者なのに「人間は働くべきだ」と言っていたやつ■言霊※2026/03/02 10:17

重要なことなので、もう一度言うことにした。

言霊理論が正しいなら、働く必要はない。

「言えば、言ったことが(言霊の力によって)現実化する」という言霊理論と「人間は働くべきだ」という価値観は、相性が悪いのである。

「言えば、言ったことが(言霊の力によって)現実化する」ということは、「言えば、言った通りになる」ということだ。条件に関係なく、言ってしまったら、言った通りになるのである。

だから、なにかが欲しかったら、「そのなにかが目の前に出現する」と言ってしまえば、それで済むことになる。おカネが欲しかったら、「おカネが目の前に出現する」と言えば、それで、おカネをゲットできる。

例外はないのである。

言えば、言ったことが現実化するのだから、言った通りになる。

言ったのに、現実化しないということはないのだ。

言い方が悪いから現実化しない……。言霊理論が正しいなら、こんなことはありえない。どんなに悪い言い方で言っても、現実化してしまう。

言霊主義者は、こういうレベルでも、言霊理論が正しいと思っていないのである。

どうして、言霊主義者は「言い方が悪いと現実化しない」ということを、突然、言い出すのか?

言霊理論を理解していないからなのである。「言霊は絶対だ」というようなわけのわからないことを言うくせに、言霊を信じ切れていないのである。

条件に関係なく、言ったことが、現実化するのだから、悪い言い方で言うという条件は、そもそも、関係がない。

なんだって、言えば、言った通りになるのだから、そもそも、通貨があるということ自体がおかしい。もちろん、通貨があってもよいのだけど、言えば言ったことが現実化するのであれば、通貨なんて必要がない。

必要がない通貨というものについて、考えて、「通貨なるものが出現する」と言う人も、まれにはいるかもしれないから、「必然性」はないのだけど……言えば、欲しいものが出てくる世界で、どうして、通貨なるものが必要なのか?

言えば、なんでも手に入るのである。

口をきけない人は、かわいそうだ。言えないからだ。けど、だいじょうぶだ。だれかが、助けてくれる。

「〇・一秒以内に、口をきけない人は、口をきけるようになる」とだれかが言えば、それで問題が解決する。まちがいなく、口をきけるようになる。

言霊理論が正しい世界では、言っただけで、すべての病気を治すことができるし、そもそも、「これ以降、すべての人間は病気にならない」と言ってしまえば、それ以降、すべての人間が病気にならないのだ。

いま、ぼくが「これ以降、すべての人間は病気にならない」と言った。言霊理論が正しい世界に住んでいるのであれば、これ以降、すべての人間は病気にならないので、「病気になってしまうのではないか」と心配する必要はない。

言霊主義者は「言ったことが現実化する」と言うけど、「言ったことが現実化してしまう世界について、ちょっとでも考えたことがあるのか」と言いたなくなる。

なんで、病院があるのか?

どうして、おカネなるものが必要なのか?

みんな、言うことで、欲しいものをゲットできる。

自分だけではなくて、ほかの人だって、言うだけで、欲しいものをゲットできるのだ。働く必要なんてない。

どうやって、働くのだ?

どうやって、ほかの人が欲しがるものをつくるのだ?

なぜ、欲しいものが、すべて、言っただけで手に入る世界で、働く必要があるのか?

欲しいものがすべて手に入る世界で、働くということは、一体どういうことなのか?

ものの生産にかかわるということはどういうことなのか?

サービス業をするということはどういうことなのか?

悪いけど、みんな、自分で、できる。欲しいものは、欲しいものを思い浮かべて、「(その欲しいものが)出現する」と言えば、それで、出現するのだ。他人から、もらう必要もなければ、他人から借りる必要もない。

ほかの人も、ほかの人がほしいものを、言うだけで生産できるのだから、だれかほかの人のために、なにかものを生産するということ自体が、無意味なことになる。

もちろん、やったっていいんだよ。

相手が受け取るかどうかはわからないけど……。食べるために働かなければならない世界……というもの想定している時点で、「言霊の力が成り立っていない世界」について、考えていることになる。

言霊の力が成り立たず、言っても、言った通りにならないから、働く必要があるのである。

言えば、ものが好きなだけ、出てくるという前提がわかっていないのだ。言えば、言っただけで、好きなものが、好きなだけ手に入る世界になっているはずなのである。

だれもが、言っただけで、必要なものを手に入れることができる世界なのである。働く必要なんてない。

どうやって、働くのか?

自分以外の他人も、そういうことができる世界なのである。

「なになにが目の前に出てくる」と言えば、それで、なになにがないという問題を解決できる。「一秒以内に」という言葉をつけて言えば、一秒以内に出てくるのである。言霊理論が正しければそうなるのである。

ところが、言霊理論が正しくないので、『働く必要(働くということの必要性)』が発生するのである。

言霊が存在せず、人間が言霊の力を利用することができないので、欲しいものを手に入れるために働く必要がある世界になってしまのである。

「言霊(理論)は正しい」と思っている人で、なおかつ「人間は働く必要がある」と思っている人は、それらの理論の関係性について考えたほうがいい。

なんで、考えないのだ?

言霊の力なんてないから、「人は働くべきだ」と考える人が発生する世界になっている。言霊の力がほんとうに、働いているのであれば「人は働くべきだ」と考える人は発生しにくい世界になっている。

働くということが、まったく成立しない世界のなかで、「働く」ということについて、考える人がいるかもしれないということは、否定できないけど、その人にとって「働く」ということは、この世の人にとって「働く」ということとは、だいぶちがうものになるのではないかと思われる。

もしかりに、言霊があり、言霊の力が働くなら、そもそも「働く必要がある」世界になっていない。

言えば、言った通りになるので、働く必要がないのだ。

自分だけではなくて、他人もそうだから……たいていの場合、他人のために、なにかをつくるということ自体が、価値を失う世界になるのである。

それでも、だれか特定の他人のために、こういうものをつくってあげたいと思う人はいるかもしれない。けど、それは、仕事なのかという疑問が発生する。

それは、おカネのやり取りがない取引になるので、働くとは言えない。

趣味で、茶碗をつくっている人が、どれだけ茶碗をつくって、ほかの人にあげても、「働いた」ことにならない。茶碗をつくって、市場において販売すると、それで、やっと、働いたことになる。これは、ものすごく重要なことなのだ。

言霊主義者なのに「人間は働くべきだ」と言っていたやつは、言霊がほんとうに成り立っている世界で、どういう労働が可能なのか、考える必要がある。

言霊が成り立っているということは、だれもが、言霊の力を使える世界なのである。

しかも、言ったか言わなかったかの二値しかないので、言えば、かならず、現実化されるのである。言霊理論が正しいならそうなる。

頑固な言霊主義者のくせに、言霊の力なんて、まったく信用していないのだ。『言霊なんてないから、言ったって、現実化しない』と深く思っているのである。

だから、言霊が、ほんとうに成り立っている世界のことを、想像することすらできない。

言霊が成り立っていたら、生産手段を所有することも、言っただけで可能なんだよ。

そして、売り物として売るものは、すべて、ほかの人が言っただけで、手に入れることができるものなんだよ。相手は、いくらでも、言霊の力を使って、同様のことができる存在なんだよ。

言霊があり、だれもが言っただけで言霊の力を使える世界というものについて、言霊主義者は、考えたほうがいい。そのような世界では、逆に、働く必要がないのである。

それどころか、どうやって、働いていいのか、迷ってしまうような世界なのだよ。

いまの通貨が持っているような意味を見出せないものを、とりあえず、通貨としてみなして、それを、相手にまえもって、渡しておく。あるいは、相手がその「通貨らしきもの」を言霊の力によって、つくっておく。

そのあと、自分がなんらかのものをつくりだして、相手にあげて、相手から、「通貨らしきもの」をもらうという行為をした場合、外から見れば、なんとなく、働いたように見える。

しかし、この世における「働く」ということとは、ちがったことをしているのである。働いたように見えるけど、じつは、この世で働くということとは、ちがったことをしているということになる。

●ある程度、現実に、浸食された万能感■言霊※2026/03/02 6:51

手短に言うと、幼児的万能感というのは、つねに、現実から浸食を受けているのである。

浸食されているのである。

だから、幼児期における幼児的万能感も、完ぺきではないのだ。

ようするに、幼児期における幼児的万能感も、傷がある万能感なのである。

万能感を押し通したいのだけど、現実が、そうは、させてくれないのである。ほんとうは、万能感が勝ったほうが気持ちがよいのである。「言った通りになった」と思えるほうが、気持ちがいいのである。「思った通りになった」と思えるほうが、気持ちがいいのである。

しかし、しかし、現実というやつが、それを、ゆるさない。

そういう場面がある。

そのとき、現実を受け入れて万能感を放棄しなければならなくなるのだけど、現実を受け入れつつも、万能感を放棄しない場合がある。それが、矛盾を感じないこころを育てあげることになる。

万能感は、放棄せず、「細かい現実」「圧倒的な現実」には、首を縦に振るのである。

もっとも、これは、万能感が万能感としてあるのであれば、屈辱だ。

けど、屈辱も無視してしまうのである。

「こういうものだ」と、万能感を一時的に押し殺して、現実を受け入れるのである。

しかし、万能感は、死んだわけではなくて、残っているのである。

だから、現実から干渉されない部分では、万能感が羽ばたくのである。万能感に支配された状態になる。

「万能感があってあたりまえの状態」になるのだ。

しかし、また、現実がやってくるのである。

その場合は、万能感は、カメが頭を隠すようにして、姿を隠してしまうのである。万能感は喪失されたわけではなくて、一時的に、頭のなかにない状態になる。

そして、現実社会のなかで、現実的に生きていくとなると、この時間が長くなるのである。

現実は万能感を打ち砕くのである。

ただし、「いつかこうなる」ということに関しては、「いつかこうなればよい」のだから、万能感を打ち砕かれずにすむのである。なので、緩衝地帯になる。

現実の出来事に対処しているあいだも、「いつかこうなる」という部分は否定されないので、「いつかこうなる」という部分では、そのまま、万能感が残ることになる。

しかし、この万能感は、妥協策として生まれた万能感なので、すでに、ある程度、現実に、浸食された万能感なのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。