2026年5月4日月曜日

●「努力の方向が間違っている」■社会※2026/05/03 17:58

よくわかっていない人に、ちょっとだけ付け足して言っておこう。

Bさんが、努力をして解決した場合、Aさんは、「努力の方向が間違っている」と決めつけ、「努力の量がたりない」と決めつけ、「熱心に努力しない」と決めつけるだろうか?

Bさんの努力が、どれだけ、小さな努力でも、解決に成功してしまったら、「努力不足だ」と言えないことになる。裏を返せば、Bさんの努力が、どれだけ大な努力でも、解決に成功していないなら、AさんはBさんに「努力不足だ」と言えることになる。

だから、努力の量のは、ここまで努力すれば成功するとか、ここまでの努力では成功しないということが、決まっていることではないのだ。

Aさんが、Bさんに「解決するように努力すれば、解決することに成功する」と言った時点で、Aさんが、必要な努力量を知っているわけではないのだ。

そんなことは、まったくわからずに、「解決するように努力すれば、解決することに成功する」という言葉が心地よいので、「解決するように努力すれば、解決することに成功する」と言っているだけだ。

まあ、Aさんは、「解決するように努力すれば、解決することに成功する」ということを信じているのだろう。だから、「成功しなかったなら、努力不足だ」ということにしてしまう。

なお、努力不足で説明したけど「努力の方向が間違っている」という説明についても、おなじことが成り立ってしまう。

Aさんは、知っているわけではないのだ。

ほんとうは、Bさんの努力の方向があっているかもしれないのだ。

しかし、Bさんの悪い条件が、方向があっている(Bさんの)努力をうちまかして、成功できない状態になっているのかもしれないのだ。

ところが、AさんにとってBさんの問題は、ひとごとなので、Aさんは、Bさんの条件について「軽く考えてしまう」か、あるいは、無視してしまう。

Bさんが、努力をしても、努力の量に関係なく、失敗したら「努力が不足している」「努力不足だ」とAさんに言われることが決まっているのである。Bさんが、努力といえるような努力をしていなくても、Bさんが成功したら、Aさんは「Bさんはじゅうぶんな努力をした」と評価し「努力をしたから成功した」と断定してしまう。

あらかじめ、必要な努力量が決まっているわけではないのだ。

これは、重要なことだ。Aさんが、あらかじめBさんの必要な努力量を知っていて、努力が足りなかったとか、努力がじゅうぶんだったとかと言っているわけではないのだ。

そして、これは、Aさんが勝手に言っていることだ。Bさんがどのくらい努力をしたかなんてAさんはまったく知らないのである。

別の努力論者であるCさんも、Bさんがどのくらい努力をしたかなんて知らない。

けど、Cさんも、Bさんが成功したなら、じゅうぶんに努力したと思い、Bさんが失敗したなら、Bさんの努力はじゅうぶんにではないと思うのだ。

Cさんも、Bさんに必要な努力量がどのくらいの量なのか、事前に知っているわけではない。

努力論者が、勝手に、「(はずした)言い訳」をしているにすぎない。

最初から、「努力をすれば、成功する」という命題が、偽なのである。最初から、「解決するように努力すれば、解決することに成功する」という命題が、偽なのである。

Aさんは、「(はずした)言い訳」をしているにすぎない。しかも、「人のせい」にしている。

Bさんが、少しでも努力すれば、成功しているはずなのである。

最初から「解決するように努力すれば、解決することに成功する」という一〇〇%構文をもつ文が、間違っているのである。それを、Aさんが、正しいと思っているだけなのだ。

最初から間違っているのは、Aさんなのに、Aさんは、Bさんの努力不足だと、Bさんをせめるのだ。

どっちが、言い訳をしているのか、よく考えたほうがいい。

*     *     *

ほんとうは、一〇〇%詐欺構文がまちがっているのに、一〇〇%詐欺構文に合致しない結果が出ると、対象者のせいにしてしまうのである。しかし、最初に提示された一〇〇%詐欺構文が間違っている。合致しない結果が出て当然なのである。合致しない人が出てきて、当然なのである。最初から、一〇〇%詐欺構文が間違っている。

努力論者であって、「人のせいにするな」と人に言う人たちは多い。努力論自体が、自助努力を前提にしているので、「人のせいにするな」人に言いやすい状態になるのである。しかし、(一〇〇%詐欺構文が)間違っていることに気がつかない努力論者は、デフォルトで、成功しなかった人のせいにしてしまう。


2026年5月2日土曜日

●「解決するように努力すれば、解決することに成功する」■社会※2026/05/02 14:10

「解決するように努力すれば、解決することに成功する」とする。

そうなると、解決できない人は、努力をしないからダメなのだということに、なってしまう。

努力をしないからダメなのだと言われた側……決めつけられた側が……「自分だって努力した」と言ったとしよう。

そうなると、「努力の方向が間違っているからダメなんだ」とか「努力の量がたりないからダメなんだ」とか「熱心に努力しないからダメなんだ」とかと、最初に「解決するように努力すれば、解決することに成功する」と言った人は、言うのである。

「二値思考」「数量思考」「性質思考」の問題については、指摘しておいた。

最初に選ばれる言い方は「二値」的な言い方なのである。あとで、「数量」と「性質」が付け足される。何度も説明したけど、これは、後出しジャンケンなのである。

なにを根拠に「努力の方向が間違っている」とか「努力の量がたりない」とか「熱心に努力しない」とか言っているかというと、じつは、「実際に解決できなかった」ということを根拠に言っているのだ。

結果的に、解決していないので「努力の方向が間違っている」と決めつけ、「努力の量がたりない」と決めつけ、「熱心に努力しない」と決めつけている。結果を見て、後出しで、好き勝手な理由をつけているだけなのである。

しかし、「すべての場合において、解決するように努力すれば、解決することに成功する」という最初の考え方が間違っているのである。

「すべての場合において」なんて言っていないと……思う人もいるかと思う。

しかし、「解決するように努力すれば、解決することに成功する」というのは、100%構文の文なので、「すべての場合において」と付け加えた文と「解決するように努力すれば、解決することに成功する」とだけ言っている文は、意味的に等価なのである。

これは、意見のちがいとかそういう問題ではない。

理論的な思考ができるかどうかの問題だ。

文の意味を正確に認識しているかどうかの問題だ。

これを、『意見のちがい』としてとらえるという……態度……が、問題なのである。

「どんな条件でも、すべての場合において解決するように努力すれば、解決することに成功する」という文と「解決するように努力すれば、解決することに成功する」という文は、意味的に等価だ。

ほんとうは、条件が悪ければ、成功しない場合だってあるのに、成功すると決めつけてしまうのである。これは、たしかに前向きだけど、まちがっている。

そして、条件が悪いから、解決することに成功しない人は……たいていの場合…… 「努力の方向が間違っているから」とか「努力の量がたりないから」とか「熱心に努力しないから」とかと、決めつけられると不愉快な気持ちになる。

そりゃ、間違った原因を探し求めて、間違った原因が原因だと決めつけてくるからだ。そして、間違った原因と言うのが、ようするに、「その人のせい」なのである。「人のせいにしない」などと言っている人も、人のせいにするのである。その人の「努力がたりない」成功しないと言っているほうは、気分がいいかもしれないけど、言われたほうは……たいていの場合……気分が悪くなるのである。

こういう、トラブル生成装置なのである。

「努力がたりない」というのは、言う側が勝手に言ったことなのである。AさんとBさんがいたとする。AさんがBさんに「(Bさんの)努力が足りないから(Bさんは)(解決することに)成功しない」と言ったとする。その場合、Aさんがよく調査して、たしかに、Bさんの努力が足りないということを、つきとめたわけではないのだ。

ただ単に、Bさんが成功していないなら、努力が足りないのだと決めつけただけだ。そうなると、Bさんは、どれだけ努力をしても、成功しない以上、Aさんから「努力が足りない」と言われることになる。Aさんは、Bさんに向かって、ただ自分の気分で……「(Bさんの)努力が足りないから(Bさんは)(解決することに)成功しない」と言っているとき、別に、Bさんのことを不愉快な気分にさせやろうと思って言っているわけではない。

ほんとうに、そう思って言っている。その背後には「どんな条件でも、すべての場合において解決するように努力すれば、解決することに成功する」という間違った考え方がある。もっと単純に言うと「解決するように努力すれば、解決することに成功する」という間違った考え方がある。

この考え方は、間違っている。条件が悪ければ、成功しないことだってあるからだ。

ところが、「解決するように努力すれば、解決することに成功する」という間違った考え方にとらわれて、Bさんは努力不足だと(Aさんは)断定してしまう。

こういう不幸なことが、全国で発生することになる。「努力すれば、成功する」という文は、「解決するように努力すれば、解決することに成功する」という文の内容を含んでいる。

「努力すれば、成功する」という考え方の集合のなかに「解決するように努力すれば、解決することに成功する」という考え方の集合が含まれている。「解決するように努力すれば、解決することに成功する」という考え方の集合は、「努力すれば、成功する」という考え方の集合の、部分集合なのだ。

多くの人が「努力すれば、成功する」という考え方をもっている社会と、多くの人が「努力すれば、成功する」 という考え方をもっていない社会をくらべた場合、多くの人が「努力すれば、成功する」という考え方をもっている社会のほうが、多くの人が「努力すれば、成功する」 という考え方をもっていない社会よりも、上記のようなトラブルが発生しやすいのである。

上記のようなトラブルというのは、AさんがBさんとのあいだに発生したトラブルのことである。もっとも、Aさんは、トラブルだと認識していない。Aさんは、かなりの高確率でBさんを不愉快にさせるけど、Aさんは、たいていの場合、自分の発言に問題があるとは思わない。

Bさんが「不愉快だ」とAさんに言った場合、Aさんが、それ(自分の発言に間違いがある)ということや(自分の発言がBさんを不愉快にさせた)ということを認めるかというと、認めないことのほうが多いだろう。

どうしてかというと、Aさんにとっては、「解決するように努力すれば、解決することに成功する」という考え方は、正しい考え方だからだ。

たいていの場合、『自分が正しい』と思っていることを言ったって、別に悪いとは思わないだろう。そして、Bさんが解決することに成功していないなら、Bさんの努力不足だと(Aさんが)認識したということについて……たいていの場合……Aさんは、問題があるとは感じない。

どうしてかというと、「解決するように努力すれば、解決することに成功する」という考え方は、正しい考え方だとAさんがもっているからだ。

ほんとうは、「二値」と「性質」の問題がある。

しかし、Aさんのような人は、最初に自分が「『二値文』を言った」ということを、忘れてしまう傾向が強い。

解決するはずなのだから、「解決しないなら、Bさんの努力不足だ」とAさんが考えても不思議ではない。

それから、「解決しないなら、Bさんの努力の方向が間違っている」とAさんが考えても不思議ではない。


毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。