有利な人にとって働くということがどういうことかというと、勝てるゲームをやっているようなものなのである。勝ちやすいゲームと言ったほうが、正確かな。
ともかく、有利な人にとって働くということは、楽しいゲームをやっているようなものなのである。
だから、こういう人たちのことを、念頭に置いて、「働く」ということについて考えても、しかたがない部分がある。
どうしてかというと、不利な人は、働きにくいからである。
不利な人がやっていることと、有利な人がやっていることがまったくちがうのである。まったくちがうことが「働く」という言葉で表現されているのである。
この、ちがいを無視して、「働くとは」ということについて考えてみたって、しかたがない。
ところが、「働くということについて考えてみよう」という場合は、働いていない人に説教する文脈で「働くということについて考えてみよう」と言っている場合が多いのである。
これが、こまったことなんだけど、こういうことを言う人は、「働く」という内容が、有利な人と、不利な人で、ぜんぜんちがうのだということに、気がついていない。
そりゃ、楽しいゲームをやるのと、つまらないゲームをやるのでは、話がちがう。ところが、条件を考えないで、精神論で乗り切ろうとするのである。
ようするに「つまらないゲームだって、楽しいと言えば楽しくなる」というような妄想的なことを言うのである。ポジティブ言葉を使っていれば、つまらないゲームをやっていたって、楽しいゲームをやっているときのように、ポジティブな状態になれると言うのである。
こんなの、暴言。
「妄想も、たいがいにしろ」と言いたくなる。