ほんとうは、言霊理論が正しいなら、働かなくてもよいのである。
ところが、言霊主義者の頭のなかには、言霊理論と「人間は働くべきである」という価値観が、両立していることが多い。
そうなると、現実の場面では、言霊主義者は、名前だけ店長ではなくて、ブラック社長の見方をするということになる。
その場合、名前だけ店長に「無理なことを」言って、名前だけ店長を追い込むということになる。「できるできると言って頑張ればいい」ということになってしまう。
ところが、名前だけ店長は「でなくなった」から、こまっているのである。
できなくなった名前だけ店長に対して、言霊主義者は「できるできると言って頑張ればいい」とこたえるのである。このズレがわかるだろうか。
名前だけ店長は、もうさんざんやってきて、「限界だ」と言っているのだ。「もう限界だ」「もうこれ以上はできない」と言っているのだ。
しかし、強欲なブラック社長や、ブラック社長に同調するアホな言霊主義者は、名前だけ店長が必死になって言ってることを、無視してしまう。
そのうえで、頭がおかしいアドバイスをするのだ。
これがどういうことなのか、言霊主義者はわかっていない。言霊主義者は、自分のことは、理解しているのだ。自分が一倍速で感じていることについては、理解している。自分がどのくらいつかれているのかということは理解している。
だから、言霊主義者だって、名前だけ店長とおなじことを、十数年間にわたってすれば、「もう無理だ」ということが、わかるのだ。自分のことだと、わかる。
しかし、他人のことだと、わからなくなる。
他人のことなら、それは他人のことなので、自分が1倍速で経験してきたことではない。
だから、名前だけ店長が、その十数年間でどれだけつかれているのかということを、簡単に無視してしまう。
しかも、自分のことに関しては、無視しないということも、無視してしまう。
他人のことについて考えているときは、ごく自然に、他人が一倍速で感じていることを無視してしまうのだけど、自分のことについて考えているときは、ごく自然に、自分が一倍速で感じていることを無視しない。
そして、「自分が一倍速で感じていることを無視しない」ということを、ごく自然に無視してしまう。
これが、問題なんだよ。
運用のレベルで問題があるということを、どれだけ言ったって、こういう人たちは、わからないのだ。
自分のことと他人のことについて、まったくちがった理解が成り立っているということについて無自覚であり、無自覚なことを認めないわけだから、運用レベルでの問題は、(本人としては)感じないことになる。
体感できないのだ。
その場合、人には、言霊理論に基づいた「無理なことを言って」悦に入るということになる。
これ、じつは、「いいことをした」と思ってるのだ。
自分としては、「よい助言をしてやった」と思っているのだ。
ところが、無理なことを押し付けているだけなのである。
言霊理論は間違った理論なので、「無理なことを押し付ける」ときは、重宝する理論なのである。言霊理論は間違った理論なのだけど、言霊主義者のなかでは、正しい理論だということになっているので、言霊主義者・本人は「正しいことを言った」と思うようになっている。
言霊主義者のなかでは「言霊的な助言をすること」はよいことなのである。ここらへんのズレがわかるだろうか。これは、悪魔に利用されているとしか、言いようがない。
こういう、自分のことならちゃんと「無理だと」判断できるのに、他人のことになると、言霊理論を持ち出して、無理なことを言うやつらが、増えるのはよくないことだ。自己責任論にもおなじことが成り立っている。
これ、本人が一倍速で感じていることについては、自己責任だと思わないのである。自分のなかに、ちゃんとした?理由がある場合は、自己責任だと思わないのである。
しかし、他人のことであれば、「なんだろうが、自己責任」で、その他人の責任だと、その他人をせめることができる人間になっている。
自分に適応する基準と、他人に適応する基準が、まったくちがうのに、本人がそれを意識できないのだ。
こういう人間を増やすことはよくない。
まあ、自己責任論に関しては、今回は、自己責任論と言霊理論はおなじような問題をかかえているということを、指摘するだけにしておこう。
* * *
じつは、「XをすればYになる」というタイプの助言にも、言霊理論に基づいた助言とおなじことが成り立っている場合が多い。
「XをすればYになる」というタイプの助言した人は、いいことをしたつもりになるかもしれない。
しかし、条件が悪い人には、「無理なこと」である場合がある。条件が悪いから、「できないこと」があるのだ。
ところが、 「XをすればYになる」というタイプの助言をする人には、「無理なこと」に思えない。条件がちがう世界で生きてきたので、「無理なことだ」ということが、理解できない。
「XをすればYになる」というタイプの助言をする人にも、言霊主義者のようなところがあり、自分が一倍速で感じていることは重視するけど、他人が一倍速で感じていることは無視するという傾向がある。
ようするに、自分が……かりに、その他人とおなじ条件なら、自分にもできないということを、理解していないのだ。
ほんとうは、条件は重要だ。
ところが、他人の条件を無視してしまうのである。
だから、その他人にとって「無理なこと」でも、助言をする人にとっては「無理なことではない」ということになってしまう。
だいたい、「XをすればYになる」というのは、100%構文の文なので、条件を、最初から無視している。なので、『他人の条件』は当然に無視されることになっている。
その場合、サブルーチンに入ってしまう。
ようするに、『やり方が悪いからできないのだ』というサブルーチンや『方向が間違っているからできないのだ』というサブルーチンや『こころがけが悪いからできないのだ』というサブルーチンに入ってしまう。
『こころがけが悪いからできないのだ』と表現したけど『心構えができていないから、だめなのだ』とか『こころの用意ができていないからダメなのなのだ』という表現が使われることもある。
あるいは、『マインドセットの問題だ』というマインドセットサブルーチンに入る場合もある。
ともかく、相手の側(助言を受ける側)の問題で「できないのだ」ということになる。
もともとの、理論に無理があるということにはならない。助言を受ける側の「不足」によって、理論通りにいかないのだということになる。
「不足」というのは、たりていない状態だ。『やり方が悪い』『方向が間違っている』『心がけがよくない』「心構えがよくない」「心の準備がよくない」「心の用意がよくない」「マインドセットがよくない」と相手側の不足によって、本来なら、うまくいくはずのことが、うまくいかないのだということになる。
そういう決めつけをされることになる。助言をされて、なおかつ、助言通りにしたのに、うまくいかない人は、自動的に、『やり方が悪い』『方向が間違っている』『心がけがよくない』「心構えがよくない」「心の準備がよくない」「心の用意がよくない」「マインドセットがよくない」ということになる。
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言霊主義者は、よかれと思って「言霊的な助言」をするたびに、真理から離れていくのである。
言霊主義者は、よかれと思って「言霊的な助言」をするたびに、善からも離れていく。言霊主義者は、よかれと思って「言霊的な助言」をするたびに、こころがよごれていく。
「XをすればYになる」というタイプの助言をする人も、良心?にしたがって、助言をするたびに、傲慢になり、こころがよごれていくのである。
この人たちは、100%詐欺構文の文で、条件が悪い人に無理なことを言う。そして、言霊主義者とおなじように 『やり方が悪いからできないのだ』というサブルーチンや「方向が間違っているからできないのだ」というサブルーチンや「こころがけが悪いからできないのだ」というサブルーチンに入ってしまう。
心がけサブルーチン、心構えサブルーチン、こころの用意サブルーチン、マインドセットサブルーチンに入ってしまう。それぞれのサブルーチンについて語っているときも、よいことをしていると思っている。
ところが、相手をディスって、いい気持ちになっているだけなのである。
こころが、よごれていく。傲慢な気持ちが強くなる。マウントをして楽しいと思ってしまう。
そして、相手が、条件について、言及すれば、相手に対して、おこってしまう。相手に対して怒りの感情がわいてくる。「そんなのは、言い訳だ」「そんなのはあまえだ」と腹を立ててしまう。けっきょく、よごれる。助言をするたびに、くさっていくのだ。それこそ、こころが、くさっていく。
うまくできている。うまくできていると思う。