ぼく固有の問題なのだけど、ヘビメタ騒音の問題がある。これが、いまの感情に影響を与えているのだ。ぼくの生活すべてに影響を与えているのだ。
なので、ヘビメタ騒音の影響からはのがれられない。しかし、ヘビメタ騒音の影響は、ようするに、ぼくにとっては、苦痛なのである。
基本、これで、すべてを失った。得られるもの、すべてを失った。ヘビメタ騒音がなければ、得られるもの、すべてを失った。
ぜんぜん、ちがうのである。これ、やっぱり、一倍速で毎日、経験した場合と、そういう経験がない場合では、ぜんぜんちがうのである。一倍速で『自分』が経験しないとわからないことというのがある。
そして、わからないことというのは、ほとんどすべてだ。これ、ほんとうに、ほとんどすべてのことがわかっていない状態で「そんなのは関係がない」と言っているのだ。
こいつらとつきあうこと自体が、不愉快だ。
「そんなのは関係がない」と言う人は、九九・九九九九九九九九九九九九九九九%の現実を無視している。
まあ、ぼくの現実だから、こいつらにとっては、現実じゃない。そういうところがあるんだよな。この感覚のちがいは埋めようがない。
そこで、たとえば、「人間は働くべきだ」という価値観をもっているやつがいると問題がしょうじるのである。そこで、たとえば、「言ったことが、現実化する」という妄想的な考え方をもっているやつがいると、そいつとぼくの間で、問題がしょうじるのである。しょうじるのである。
きちがい兄貴が、しらんぷりで、ずっとずっとずっと、きちがい的な意地で、きちがい的な音で、日常的にヘビメタを鳴らすと、こういう問題がしょうじてしまうのである。もちろん、当のきちがい兄貴は、そんなことは知らない。
言ったって、まったくわかっていない状態で、発狂するので、けっきょく、きちがい兄貴側の記憶に残らないのだ。こんなの、ない。影響がないわけないだろ。
「影響、ない」「影響はない」と言うやつ……。
こいつらも、ある意味、きちがい兄貴とおなじなのである。きちがい兄貴は「影響が歩かないか」を考えるようなレベルまで達していない。
きちがい兄貴は「影響があるかないか」ということを考えたことすらないのだ。だから、影響を最初から無視している。しかし、影響を、最初から無視しているということは、「影響がない」と考えているのと、ほぼおなじ結果をもたらす。
もちろん、きちがい兄貴のほうがひどいのだけど、きちがいヘビメタの影響を無視するという点では、きちがい兄貴も、「影響、ない」「影響はない」と言うやつも、おなじだ。
影響がないわけがないのに、こいつらは、自分が「エイリのお兄さん」の「ヘビメタ騒音」の「影響」を受けなかったので、自分が受けなかったことに関しては、あんまりうまく考えることができないので、影響がないと判断してしまうのである。
もちろん、エイリにとって「影響がない」ということだ。これ、自分が影響を受けなかったということと、エイリに影響がないということを、なんか、混同している部分がある。
まあ、自分なら、影響を受けなかっただろうと思っているのだろう。稚拙な考え方だ。ほんとうに、幼稚な考え方だ。
俺が言っている通りの音のでかさで、自分が「この世で一番きらいな音」がずっと鳴っている状態で、影響を受けないわけがないだろ。
『の』の重複は、指摘しなくてもいい。