2026年8月20日木曜日

●そのとき、言いがちすれば、それでいいのだ■騒音※2026/08/20 5:50

バルサンでネズミを殺したときもある。これは、意図せずそうなってしまったのだ。

親父の部屋に、ネズミシートにひっかかった、ネズミがいた。たぶん、バルサンのガスで死んだんじゃないかと思う。一回目の粗大ごみ処理のときに、粗大ごみ処理業者の人が、親父の部屋で死んでいた、ネズミを発見した。ネズミシートの上で死んでいた。それとは、別に、ぼくがしかけたネズミシートの上に、バルサンをやったあと、ネズミがひっかかっているのを発見したことがある。そのネズミは、バルサンの煙を経験したのに、生きていた。その時点で、生きていたので、『バルサンの煙で死ぬわけではないのか』と思った。ともかく、バルサンの煙の中で生き残ったやつがいる。これは、事実だ。問題なのは、窒息させたことがひっかかるということだ。これ、毒ガスで殺した場合は、そんなに、ぼくが気にしないのである。ところが、最初のネズミを、袋の中に入れて、たぶん、窒息死させたことに関しては、気になって気になってしかたがないのである。このあいだというか、数年前に、横の部屋にネズミが侵入したことがあるのだけど、そのネズミは、ネズミシートにかるくひっかかってくれた。ネズミは、ネズミシートを避けて通るので、よっぽど、急いでいるとき以外は、ネズミシートにかかることがない。急いで隠れようとしたときは、ネズミシートにひっかかるけど、ほかのときは、ネズミシートにひっかからない。たぶん、ネズミシートの粘着剤のにおいに反応しているんじゃないかと思う。ともかく、窒息死させたことは、気になる。いまでも、気になる。「窒息死はまずいんじゃないか」と言う気がするのである。ともかく、横の部屋に出たネズミは、袋に入れて、袋をとじないで、袋にいれたまま、市のゴミ袋に入れて、ゴミ袋を出した。これができたのは、日曜日の午後11時ぐらいにネズミを捕まえたからだ。月曜日の朝まで、市のゴミ袋ごと、外に出しておくことができた。そして、3月だったので、まだ寒かった。一日ぐらいなら、カラスにやられずにすむと思った。実際に、カラスにやられなかった。ともかく、袋を密閉したことが、気になるのである。穴をあけてやりたかった。空気校をつくってやりたかった。けど、六月だったし、木曜日だったので、次の週の月曜日まで待たなければならなかった。ネズミの死骸から出る、いろいろなものが気になった。もし、空気孔をあけて、その空気孔から出てくるものによって、ぼくが、病気になったら、ぼくは、後悔をすることになる。

白い半透明の袋に(ネズミシートごとネズミ本体を)入れたのだけど、そのときに使えるでかい袋がそれしかなかった。空気がなくなって、くるしい状態で、白い半透明の袋を見ている状態を考えると、めちゃくちゃに憂鬱になるのである。「だから、ネズミの侵入経路をふさごうと言ったのだ」……と思ってしまう。親父が入院したら、ネズミの処理句を俺がしなければならなくなる」と俺が言ったとき、親父が「入院しないよぉ!!!入院しないよぉ!!!入院しないよぉ!!!」と絶叫したのだ。けど、親父は、数年前に、実際に、脳梗塞で入院していたのである。実際に入院したことがあるのに、「入院しないよぉ!!!入院しないよぉ!!!入院しないよぉ!!!」と絶叫する。そのとき、言いがちすれば、それでいいのだ。こういうことが、このネズミ処理以外のときも、繰り返されてきた。兄貴のヘビメタ騒音について、親父に相談しても、親父がこんな状態だから、だめなのである。けど、ほかの人は、「そんな音で鳴らしているのに、家族が文句を言わないのはおかしい」と思って、「ヘビメタ騒音が、エイリの言うほどでかい音で鳴ってなかったんじゃないか」と思うのである。 これだって、そう思った人が、間違った推論をしているのに、その人に、どれだけ、ぼくが言っている音のでかさで、ぼくが言っている期間の長さ鳴っていたと言っても、その人は、信じないのだ。

ともかく、そのときはねのければいいというきちがい的な思考がある。親父にはある。じつは、兄貴にもある。認めなければ、どれだけやっていたって、やっていないことになってしまうのである。きちがい兄貴は、自分が聞きたくない音をあの爆音で聞かされたら、おこるのに、自分が爆音で鳴らしているということを、最後の最後まで認めなかった。親父とおなじやり方で、「認めるということを拒否」すれば、それですんでしまうのである。「やったってやってないことになってしまう」のである。これも、ほかの人には理解できないことなので、ぼくが、ほかの人から誤解されることになる。

ともかく、なぜだか知らないけど、「窒息死」させたことは、気になる。自分が袋に詰められて、動けない状態で酸素がなくなっていく……というところを想像してしまうのである。 

窒息死する前に飢え死にしたと考えるようにしているのだけど、それも、どうも、窒息死したのではないかと思えるので、あんまり効果がない。『窒息死はだめで、飢え死にだといいのか』と思う人がいるかもしれない。ぼくもそう思うところがある。なぜか、窒息死はダメなのである。

どのみち、市のゴミ袋に入れられた時点で、圧死するか、焼き殺されることが決まっているである。だから、「窒息死させたこと」にこだわるのは、へんなことなのである。けど、どうしても、気になるのである。 

ああっ。こんなに気になるなら、空気孔をあけてやればよかった。 

●「できたのだからできる」■騒音※2026/08/20 4:07

「人間ができることは、あなたにもできる」ということを書いたけど、人間ができることだって、個人個人で、できることがちがうのである。Aさんができるから、Bさんもできるとは限らない

Aさんができるということは、Bさんもできるということの、根拠にはなりえないのである。

ところが、Aさんができることだから、Bさんにもできるはずだという思い込みがある人が多い。

あるいは、「普通の人ができることは、あなたにもできる」という言い方もある。

「普通の人」がいったい誰を指しているのか、具体的にはわからないけど、ともかく、普通の人ができることは、特定のある人ができてあたりまえだという考え方をする人たちがいる。

たとえば、Cさんが普通の人なら、普通の人ができることは、Cさんにもできると勝手に仮定して考える人がいる。

けど、この仮定は、まちがっている。

普通の人……ができることでも、Cさんにはできないかもしれない。

普通の人ができるということは、Cさんにもできるということの根拠にはならないのである。

ところが、根拠になると思っている人たちが多い。

そして、おなじ人でも、状態によってちがうのである。Dさんが、普通の状態で、できることと、Dさんが睡眠不足で、つかれはてている状態で、できることはちがう。ちがうのだ。

ところが、「できたんだからできるだろ」と考える人たちがいる。

『できたのだからできる。……だから、つかれはてて、できないなんて言うのは、あまえだ』と考える人たちがいる。

Dさんが、普通の状態で、できたことは、Dさんがつかれた状態でできるとは、かぎらない。

ところが、「できたのだからできる」と考える人は、Dさんの状態に関係なくDさんは(これとこれが)できると勘違いしてしまう。

そして、言霊主義者は「できると言えばできる」と言う。

こんなのは、ひどい。

きちがいヘビメタ騒音というほかの人にはわかりにくいハンディを抱えていると、誤解をされるのである。

これ、誤解なのだけど、誤解をしたほうが、誤解だと思わない。

『できると言えばできる』と考えている人は、自分のことに関しては、認知とメタ認知が成り立っているので、『できると言ってもできないことはある』と思って、自分には『できると言えばできる』と言う考え方を適応しないことがある。

都合よく、適応する場合もある。『できると言えばできる』と考えている人は、自分が、適応する場合と、適応しない場合を使い分けているというとについて、一切合切の認識がない。

ようするに、意識的な自我は……常に『できると言えばできる』と思っている状態で暮らしている。

自分の現実的なことに関しては、『できると言ったってできないことはある』と考えているとしか思えない行動をするのである。しかし、他人のことは、他人のことなので、他人の側の「認知やメタ認知」が「自分」に成り立つわけではない。

だから、他人に関しては、容赦がない状態になる。

他人の抱えている条件がわからないので、他人の抱えている条件を無視して「できると言えばできる」と他人に言ってしまう。

言った本人は、正しいことを言ったと思って、疑問ももたない。

『できると言えばできる』と考えている人と、普通の人のあいだには、たいしたちがいがない。

他人を対象とした言霊理論と、自分を対象とした言霊理論は、ちがうのである。自分を対象とした言霊理論は、自分の認知とメタ認知が成り立っているところで成り立つ言霊理論と、自分の認知とメタ認知が成り立っていないところで成り立つ言霊理論が、ちがうのである。

認知とメタ認知が成り立っていないところで成り立つ言霊理論の場合、空想的な考え方になるのである。ようするに、夢や希望について語るときは、現実を無視した妄想的な言霊理論になる。

ともかく、他人を対象とした言霊理論の場合、他人の認知とメタ認知を無視できるのである。自分のことではないので、条件について、うまく考えることができない。

自分のことであって、なおかつ、現実的なことだと、意識してもしなくても、認知とメタ認知が成り立っているので、空想的な言霊理論が影をひそめることになるのである。

だから、言霊主義者は、他人に関しては、妄想的な言霊理論を語ることができるのである。そうすると、「できると言えばできる」というような発言を他人にはすることになる。

この場合、『できると言えばできる』のだから、その他人も『できると言えばできる』と思っているのである。他人の現実的な条件は、無視されがちなのである。

そして、普通の人たちも、言霊的な考え方をもっているので、『できると言えばできる』という考え方は、それほど、へんな考え方にはうつらないのである。

『できると言えばできる』と考えている人は、ほかの人が『できない』と言うことを、認めない傾向が強い。「できる」と言えば、できるはずなのだから、「できる」と言ってやればいいということになる。

他人のことに関しては、『できると言えばできる』と考えてしまう人がいる。そういう人たちは、自分のことを棚に上げて、他人に対しては「できると言えばできる」と言う。

他人ができないことを、認めないという傾向がある。その他人も「できる」と言えばできるのだから、「できる」と言って、やればいいという考え方をもつようになる。

そうなると、やらない他人は、ただ単に「できる」ということをしない、バカな他人になる。できると言って(そのことを)やろうとしない他人は、言い訳をしているだけなのだ……というとになる。

こういう考え方を基本的にもっている人は、ヘビメタ騒音でできなくなるということを、認めない。きちがいヘビメタ騒音状況下で……あることが、できないということを認めない人たちがいる。

特に精神世界にどっぷりつかっている言霊主義者ではなくても、普通の人は、言霊的な感覚をもっている。この人たちは、言霊主義者よりも、人数的に多い。

「きちがい兄貴の性格」や「きちがい兄貴の感覚」が、あまりにも異常だから、ほかの人は、きちがいヘビメタ騒音下の暮らしのことが、よくわからないのである。ほかの人たちが、ヘビメタそうおの影響について、普通に誤解をして、無理なことを言ってくるようになる。

普通の人は、実際に自分が、きちがい家族に毎日たたられているわけではないから、実際に、毎日どういう状態になるのかということについて、経験的な知識がないのである。

ヘビメタ騒音下で、できないことがあるということを、普通の人たちは、認めない。

そうすると、俺が、おいつめられるのである。

だから、「これこれこういうことがあって、こまるから、やめろ」「しずかにしろ」ということを、きちがい兄貴に必死になって、訴えかけるのだけど、きちがい兄貴の脳みそが、きちがい親父の脳みそと(その部分においては)おなじだから、きちがい的な感覚に基づいて、自分がやりたいぶんは、やってしまうのである。まえの文における、「自分」というのは、きちがい兄貴のことだ。

そうなると、ぼくが、一日中、たたられ続けることになる。

たたられ続けた場合の、体の状態というのは、普通の人が考えられる状態ではないのである。

だから、普通の人は、自動的にぼくのことを見下し、バカにするようになるのである。

その人たちに、ヘビメタ騒音のことを言っても、その人たちは、言霊主義者が言霊理論にこだわるように、自分の感覚(自分の常識)にこだわって、ぼくが言っていることを認めない。

理解しない。

わからない。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。