2018年10月19日金曜日

「迷惑だからやめてください」と言われて、やめられることじゃないのである


夜はものすごく不安だったけど、いまは、不安はない。不安はないのだけど、怒りがある。犬が限界時間を越えて吠えると、怒りが頭に残る。
ヘビメタ騒音で、一生分の「騒音耐性」を使いはたした。もう、つねに「ふち」まできている。これ、わからないだろうな。あの態度で、限界を越えてこまっているときに、ずーーっと一時間、二時間、三時間、四時間、五時間、六時間、七時間、八時間、九時間、鳴らされ続けたときの、気持ちが、復活してしまう。気違い兄貴の態度が、他の人には絶対にわからない態度だからこまる。うちの親父の態度も、うちの兄貴の態度も、他の人にはわからない。矛盾のある知覚・感覚・認知・認識もわからない。


いまも、幼稚園の子供がぎゃーぎゃー騒いでいるけどそれは、別にどうでもいい。音のでかさがちがう。繰り返しじゃない。音のでかさのちがいは、この場合は、距離のちがいによってもたらされるものだ。子供の「きーー」という声と犬の吠え声は、音源の大きさ的には対してかわりがないような気がする。気違い兄貴のヘビメタは、犬一〇〇匹、子供一〇〇人よりも、ずっとずっとずっと、デカイ。これは、俺の部屋を中心にして考えた場合だ。距離という要素が、デカイ。これは、人間が普通に想像するよりもデカイ要素だ。なんかみんな、音がうるさいというと、音源の音のでかさばかりに注目してしまう。そして、音源の音のでかさについて話しをすることになるけど、問題なのは、音源からの距離だ。ちなみに、音のデカさは、距離の二乗に反比例する。あとは、音源の位置が問題で、高いところにあるかおなじ高さにあるかでだいぶちがう。ヘビメタ騒音のスピーカーは、すぐそこにある。おなじ高さにある。だから、あのデカさでやられると、直撃でこたえる。壁が透明じゃないから、気違い兄貴が鳴らしている姿というのは見えないけど、そして、スピーカーは見えないけど、壁が透明だったら、本当に、地続き(床続きで)すぐ、そこにあるスピーカーだからな。気違い兄貴は、こだわりまくったんだよな。で、気違い兄貴のなかでは、自分が思いっきり、好きなように鳴らしていいという決めつけがあった。それは、気違い親父に十数年やられてできあがった「思い込み」なのである。自分がヘビメタを「この家で鳴らすなら」……ぜっーーったいに、自分が思ったとおりの音で鳴らすと決めていたのだ。そして、何回も言うけど、「それはやっていいこと」なのである。気違い兄貴のなかではやっていいことなのである。どうしてなら、それは、気違い親父が十数年間にわたって毎日やってきたことだから。絶対にゆずらないのである。毎回毎回、親父の気違い的な思いこみを押しつけて、絶対にゆずらないのである。どこかでおれて、ちゃんとやってくれるということがない。気違い親父が思ったとおりのやり方で押し通すわけで、子供である以上(小さなこどもである以上)やられるまくるしかないのだ。どれだけ言ったって、気違い親父の中身がわかるわけじゃないんだよ。気違い親父が、気違い親父の感覚で、「これだ」と思ったら絶対に「これだと思ったやり方」でやるわけで、それがどれだけ「こっち」に迷惑がかかる行為でも、絶対にやめてくれない。こっちが「これこれこういう理由で、迷惑がかかるからやめてください」とどれだけ言っても、やめてくれない。怒り狂って自分のやり方を押し通す。意地になって、自分のやり方を押し通す。自分のやり方に対して相手が文句を言ってきたという、ことだけで、発狂してしまう。「相手の立場を考えて」……やめてあげる……なんてことは、絶対にない。どんな小さなことでも、そうなる。親父の中にしか、そうする理由がないことで、そうなる。これは、どういうことかというと、相手にどれだけ迷惑がかかるやり方でも、親父がそのとき、そのやり方でやりたいと思ったら、絶対にそのやり方でやって、他のやり方でやるということが、ないということだ。これ、どれだけ、説明したって、絶対に認めないのである。そういう態度の「そうたい」がある。これが、わかってないんだよな。「ちゃんと説明したら、お父さんだってわかってくれる」とか「(ちゃんと説明すれば、大人だったら絶対にわかることなのだから)ちゃんと説明しないのが悪いんだ」と思う人は、親父の気違い回路の構造がわかってない。どれだけ理由がなくても、どれだけ他人に迷惑がかかるやり方でも、親父が「思いついたら」絶対の意地でそのやり方でやるわけで、変更しない。他のやり方にするとか、やめるということは、絶対にない。「理由はなんなのか」ということが説明できないことでも、親父が思いついたら、どれだけ(まわりの人に)迷惑がかかることでものやり方でも、その通りのやり方でやることに固着して、絶対にゆずらない。これ、ゆずらせようとしたら、殺し合いになるしかない。やめさせようとしたら、殺さなければならなくなる。そういう意地でやりやがるわけで、なんて言うのかな?そこに投入されている心的エネルギーは、殺人者が殺人をするときの心的エネルギーに相当するものなのである。「やめてくれ」と言われても、絶対にやめないで、意地を通して、発狂してやりきる殺人者とおなじ意地で、おなじ新手消えるギーを投入して、迷惑行為をするのである。親父の中にしか理由かないことでも、絶対にやめさせることができない。兄貴のヘビメタだって、「自分が思ったとおりのデカイ音でヘビメタを鳴らしたい」というのは、兄貴の中にしかない理由なんだよ。本人の中にしかない、理由で、やりきる。「迷惑だからやめてください」と言われて、やめられることじゃないのである。最初から!! やり始めたときから!! ずっとずっと、気違い的な意地があるわけで、変更不能なのだ。「どうして!そんなことにこだわるんだ??」と言われても、本人は、わからない。「思いついちゃったら」そうなんだよ。それが、どんなに小さなことでも、ぜーーったいにゆずれないものになる。思いついちゃったら、本当は、「そのやり方」にこだわらなくてもよいのではないかと他人が思うようなことでも、他人に言われて、変更するということはあり得ないのである。どれだけ、バカな考えでも、ともかく、こだわりきるわけで、「そうされるとこまるから別の方法でやってくれ」と言われても、ゆずらない。かんかんに怒って、ゆずらない。ゆずらないとなったらゆずらないんだよ。で、常に、そういうスイッチが入る状態になっている。頭の中の「不合理な」思いつきは、絶対に本人が思ったとおりに実行されなければならないのである。これ、本当に、どんな些細なことでも、どんなに理由がないことでも、そうなる。わかってないんだよ……他の人はわかってない。こういう人たちの意地がどれだけ強いかわかってない。それから、なんて言うのかな? 理由のなさがわかってないんだよな。客観的に考えれば、その人がそのやり方にこだわる理由がまったくないのである。ばかげたやり方に細部までこだわって、細部まで絶対に、やり方を変えない。「他の人に迷惑がかかるから、やり方を変更する」なんてことは絶対にない。この、意地が……気違いとしか言いようがない意地が……他の人にはわからない。そういう人間といっしょに住んでいる人しかわからない。家族しかわからない。


親父の頭の中で「スイッチが入っちゃったら」外側からは、変更できない。スイッチをもとに戻すということができない。頭の中のスイッチというのは、ものすごく非・合理的なスイッチで、統合失調症患者の妄想とおなじなのである。だから、他の人から見ると「なんでそういうことをやるんだ!!」と思うようなことをやる。こだわりつくしてやる。「これこれ、こういう理由でこまるからやめてください」と家族が言っても、発狂して夢中になってやるだけで絶対にやめてくれない。兄貴も親父もそうだ。兄貴にとって、ヘビメタを自分が思ったとおりの音で、思いっきり鳴らすというのは、大切なことなのである。そういう「スイッチが入っちゃったから」。そうしたら、実際には、デカイデカイ音で鳴らしているのだけど、デカイ音で鳴らしているということ自体を認めないということになる。そういうスイッチが入っちゃったら、もう、外側からは変更できない。

   *   *   *

要するに、不安はないけど不愉快ではある。
これからやるべきことは、片付け(掃除)と買い物と外壁パティ塗りだ。
片付けがはかどらない。この速度でやっていくと、今年中には片付かない。
こっちに書いてもしかたがないけど、ヘビメタ騒音以降「この世に対する不快感」が消えない。どうしても残っている。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。