不可避的なことだってあるのに、不可避的なことまで、その人の身の上に起きたらその人の責任だというのは、ほんとうは、おかしい。
そして、どれだけ、普段、「自己責任論」を振り回しているやつだって、「自分にとって理由が明らかなこと」に関しては、人の責任を追及するのである。
日常生活の中で、ほんとうに、「すべては自己責任だ」と思っているわけではないのである。
たとえば、自己責任論は正しいと思っているので、自己責任論を批判されたら、怒りの感情がわく場合が多い。
ひどいのになると、「エイリは(自分に)罪悪感を持たせようとしている」と勝手に勘ぐって、エイリのせいにしてしまう。
すべては自己責任なら、(エイリの発言で)不愉快な気持ちになったとしても、それは、その人の責任だ。
普段から、「すべては自分の責任だ」と思って暮らしているわけではないのである。
それどころか、何度も言うけど、自分の体験として、事のいきさつを知っていることに関しては、自己中心的なことを言って、相手の責任を問う場合がものすごく多い。
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ポジティブというのが、善であるかのような妄想をもっている人がいるのだけど、ポジティブだからと言って、善であるわけではない。積極的に、いじめをするやつだっている。
たとえば、サービス残業をずっとさせられてきた……名前だけ店長が……「もう、できません」と言ったとする。それに対してブラック社長が「できないというからできない」「できると言えばできる」と言ったとする。
名前だけ店長が「できない」ということを言っているのだから、ネガティブな発言をしたということになり、ブラック社長が「できる」ということを言っているのだから、ポジティブな発言をしたということになる。
普通の感覚だとそうなるのだろう。
しかし、これ……サービス残業を押し付けているときに、発せられた言葉なのである。
社長が、従業員にサービス残業を押しつている。
これだけで、もう、ネガティブな行為をしているということになる。
違法行為をしているということになる。
それなのに、それなのに、普通の人は「できる」という言葉だけに反応して、ブラック社長は、ポジティブなことを言ってると思い、「できない」という言葉だけに反応して、名前だけ店長が、ネガティブなことを言っていると思ってしまう。
普通の人は、そういう解釈をするように、洗脳されているのである。
普通、英語の「ポジティブ(Positive)」という言葉は、日本語の「積極的」という意味をもっている。
ところが、積極的という意味のほかに、「善である」というニュアンスがつきまとってしまうのだ。
積極的にサービス残業を押し付けようとするのであれば、積極的に悪いことをしているということになる。
積極的にサービス残業を押し付けたなら、法律に違反していることを積極的にやったということなのである。
善悪で言えば、悪なのである。
悪行なのである。ところが、言霊主義者や言霊的な感覚をもっている普通の人は、「できる」とポジティブなことを言っているブラック社長がいい人で、「できない」とネガティブなことを言っている名前だけ店長は悪い人だと思ってしまうのである。
これは、おかしい。
こんなのは、積極的にいじめをするやつはいいやつで、いじめられたやつは悪いやつだと言っているのとおなじだ。
こんなのは、おかしい。
ポジティブかネガティブかということよりも、「なにをしているのか」ということが、重要なのである。
言霊にこだわると、そんなこともわからなくなってしまうのだ。
そして、積極的にいじめをするほうの味方をして、いじめられているほうをバカにして圧力をかけるようになってしまう。
言霊主義者のなかでは、言霊思考がいい思考だというとになっているけど、そうではない場合だってある。
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ちなみに、ポジティブを「明るいこと」と置き換えて、ネガティブを「暗いこと」に置き換えると「できる」というのは、「明るいこと」で、「できない」というのは、「暗いこと」だということになってしまう。だから、「できる」と言っているブラック社長は「明るいことを言っている」ということになり、「できない」と言っている名前だけ店長は「暗いことを言っている」ということになってしまう。
明るいことを言うのが、善であるという妄想があると、明るいことを言ったブラック社長が、善であり、暗いことを言った名前だけ店長が悪なのだということになってしまう。
しかし、実体はどうか?
ブラック社長が悪いことをしているのである。名前だけ店長が、そんなブラック社長に「サービス残業を減らしてくれ」と懇願しているのである。それも、ずっとずっと、我慢してきて、懇願しているのである。その懇願を、容赦なく、打ち切るのが「(できると言えば)できる」という自分勝手な発言なのである。
これでどうして、できると言っているブラック社長が、ポジティブで、前向きで、明るいから、いいと言えるのだ?
こういうことすら、わからなくなってしまうのが、言霊洗脳なのである。
こういうことすら、わからなくなってしまうのが、思霊洗脳なのである。
「明るいことを考えれば、明るいことが起こり、暗いことを考えれば、暗いことが起こる」という妄想的な考え方が、あたかも、正しい考え方であり……あたかも、善であるような幼稚な前提が成り立っているのである。
多くの人が、そんな幼稚な考え方をもってしまうと、社会がそれだけ、悪くなるのである。「明るいほうがいい」「ポジティブなほうがいい」「明るいことを言えば、明るいことが起こる」「ポジティブなことを言えば、明るいことが起こる」……こんな考え方が、正しいこととして流通しているのだ。
そのぶん、条件が悪い人が、ダメ出しをくらって、くるしい思いをするのである。
そのぶん、「明るいほうがいい」「ポジティブなほうがいい」と言っているやつらが、増長して、傲慢になり、悪をなすのである。
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しかも、押し付けられているほうが「自分の条件について語る」と、こいつらは「そんなのは、あまえだ」「そんなのは、言い訳だ」と怒って言う確率が非常に高い。まあ、怒らないで言うこともあるけどね。
相手の条件を考えずに「そんなのは、あまえだ」「そんなのは、言い訳だ」ということは、明るいことなのかな? 正しいことなのかな? 善行なのかな?
一見、正しそうなことを信じると、こういうことを平気でやる人間になってしまうのだ。悪魔がささやくことというのは、一見、正しそうなことなのだ。
悪魔がささやくことは、一見、よさそうなことなのだ。ところが、信じる人が増えると、社会がそれだけ、悪くなる。社会が、それだけ、住みにくくなるのだ。
悪魔がささやくことは、よさそうなことなのだ。明るいことを考えれば、明るいことが起こる……というのは、一見、よさそうなことだ。心地よいことなのだ。「言えば言った通りになる」……一見、よさそうなことだ。心地よいことだ。
ところが、毒が入っているのである。心の毒が入っている。まやかしの善に、ひきずられるな。心地のよい、明るい話に、ひきずられるな。