2024年3月19日火曜日

その時間の長さ、ぼくは憤まんやるかたない気持ちで、いたんだ。

 ほんとうに、きちがい家族にやられたことがない人はわからないみたいだな。どれだけ、異常な感覚が成り立っているかわかってない。頭がおかしいから、できることなんだぞ。普通の人は、できない。だから、普通の人が家族である、普通の人は、自分のこととして経験してない。自分の状態として経験してない。自分の状態として経験していなかったら、どれだけ言われたって「そんなのは、関係がない」と思えることなんだよ。どれだけ俺が、正確に記述したとしても、「そんなのは、影響がない」と思えることなんだよ。けど、時間の長さがある。たえて、たえて、たえた時間の長さがある。その時間の長さ、ぼくは憤まんやるかたない気持ちで、いたんだ。

学校から帰ってくると、おなじことが繰り返されてしまう。毎週日曜日はおなじことが繰り返されてしまう。これ、鳴り終わったあと、どんな気持ちになると思っているんだ。

「鳴り終わったら、関係がない」……本当に、殺してやる炊くなるようなセリフだな。

2024年3月18日月曜日

「できなくなる」という現実を認めず、無理難題を吹っ掛けてくる人が多かった

 きちがい兄貴の態度で、きちがい兄貴が鳴らした音量とおなじ音量で、きちがい兄貴が鳴らした時間、きちがい兄貴が鳴らした期間、ずっとずっとずっと、その人がきらいな騒音をずっと聞かされ続けたら、「できなくなる」のに、実際に自分が経験したことではないので「できなくなる」ということがわからないままなんだよなぁ。

だから、「できないと言うからできない」「できると言えばできる」などと言ってしまう。言霊主義者は言葉に出して言うけど、言葉には出さないけど、そう思う人もたくさんいる。時間があるんだよ……。やられた時間がある。どうしようもない時間がある。その時間の積み重ねで、できなくなったんだよ。

それを、「できないと言うからできない」と言われたときの、気持ちがわかるか? 兄貴が、ずっと鳴らしていた。よそのうちでは、絶対に鳴らせないような音でずっと鳴らしていた。

どれだけ「しずかにしろ」と言ってもしずかにしなかった。

その積み重ねでできなくなった。

原因は「言うから」ではないのである。

ヘビメタ騒音が毎日毎日、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も、つみかさなったから、できなくなったのだ。「から」がまちがっている。理由を想定して言っていることなのだけど、想定がまちがっている。まちがった理由を想定しているのである。

こういうことを言う人は、きちがいヘビメタ騒音相当の困難を経験したことがないから、「できないと言うからできない」「できると言えばできる」などと言えるんだよ。こういうことを言う人は、「理解した」と言う。「ヘビメタがうるさかったんだろ」と言う。

たしかにそうなんだけど、「できなくなる」ということは、理解してない。

一日分のヘビメタ騒音でも、怒りが頂点のまま何時間も経過して、心身ともにボロボロになってしまうのに、それが、わかってない。

影響があるに決まっている。宿題をする能力があっても、鳴っていたら、宿題ができなくなるんだよ。

それを、「宿題をやりたくないから、騒音がうるさいと言い訳をしている」と言ったりする。

これ、どれだけ、くやしい気持ちになるかわかるか? わからないと思う。

「できると言えばできる」も「宿題をやりたくないから、騒音がうるさいと言い訳をしている」も、おなじように腹がたつ言葉なんだよ。無理解ぶりを発揮した言葉なんだよ。

「できない」ということを認めず、「できなくなる」という現実を認めず、無理難題を吹っ掛けてくる人が多かった。

俺だって、ヘビメタ騒音がはじまるまえは、できたのぉ!!

それが、ヘビメタ騒音が鳴り始めて、できなくなったのぉ!!

ヘビメタ騒音相当の苦難がなかった人ができる」のは、むしろあたりまえなのである。ところが、「自分はできる。エイリさんはできない」という立場でものを言ってくる。ヘビメタ騒音相当の苦難があったら、あなただってできなくなっている。

それが、わからない。どうしてかというと、経験がないからだ。それを「俺だって困難はあった」「俺だって苦難を経験した」と言えば、同量の苦難を経験したことになってしまうのである。その人の頭のなかでは……。

言っておくけど、同量の苦難を経験したら「できると言えばできる」「できると言えばできる」「宿題をやりたくないから、騒音がうるさいと言い訳をしている」なんて言えなくなる。

どうしてかというと、できなくなっているからだ。

そんなのがまったく無意味だということを、きちがいによる騒音のなかで思い知らされているからだ。

これ、俺が騒音のなかで、なんとかがんばってやろうとした時間を、なんだと思っているんだよ?

その時間、ずっとくるしかったんだぞ。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。