「努力をすれば瞬間移動することに成功する」という文について考えてみよう。
「努力をすれば、成功する」という文が正しい場合、努力をすれば瞬間移動することに成功する」という文も正しいということになってしまう。
「瞬間移動することに成功する」ということは、「成功する」という集合の中に含まれる。まあ、ただ単に「瞬間移動することに成功する」でもいいよ。
どんな方法で瞬間移動するのかは別にして、ともかく、「瞬間移動することに成功する」という集合は、「成功する」という集合の部分集合なのである。
努力をすれば、瞬間移動することに成功するのである。けど、努力をすれば、瞬間移動することに成功するだろうか。成功しないのではないか。
ほんとうは、努力をしたって、成功しないことはある。
ところが、「努力をすれば成功する」という言い方になると、どんなことであれ、努力をすれば成功するということになってしまうのである。
だから、「努力をすれば成功する」という言葉というのは、『言えば、言ったことが現実化する』という言葉とおなじように、妄想的な部分を含んでいる。
言霊という言葉のように、努力という言葉が、妄想的な信念を支える言葉になっているのだ。
基本的には、物理的にできないことであっても、「努力をすれば」できるような印象を与える言葉なのである。
じつは、印象を与えるだけではなくて、文だけを考えれば、物理的にできないことも、できると言い切っている言葉なのだ。
「することに成功する」のだから「できる」ことになる。努力をするということも、一意に決まらないし、成功するということも、一意に決まらない。
だから、無駄なのだけど、言っておくと……「努力をすれば成功する」という命題は、最初から『偽』だ。
努力をしたって、成功しないことがあるからだ。
そこで問題なのは、人々がどのようなことを「無理なこと」だと考えるかということだ。
別の言葉で言えば、人々がどのようなことを「可能なこと」だと考えるかということが問題になる。
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「努力」という言葉がオールマイティーカードのようにあつかわれているということは、以前、指摘した。「努力」というのは、身近で、なじみがあるタームなのだけど、実際には、妄想的で、呪術的なタームになってしまう。
たとえば、「努力をすれば成功する」という文のなかの「努力」というのは、妄想的で呪術的なタームになりえる言葉なのだ。もちろん、「努力をすれば成功する」という文において、「努力」というタームが妄想的で呪術的な意味をもたない場合もある。
しかし、妄想的で呪術的な意味をもつ場合もあるのだ。これが重要なのだ。
物理法則をこえることは、できないことだ。人間が物理法則にさからったことをしても無駄だ。ところが、「努力をすれば成功する」という文のなかでは努力をすれば、物理法則にさからったことをすることもできるということになってしまう。
物理的に無理なことでも、努力をすればできるようになるのだ。
努力をすれば、物理的に無理なことをすることに成功するということになる。
物理的に無理なことをすることに成功するという集合は、成功するという集合の部分集合だ。「努力をすれば成功する」のだから、物理的に無理なことでも、努力をすれば、成功するということになる。
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ほかの人にとっては、まったく、関心のない話になるだろうが、基本的なことを言ってしまえば、苦手な音が爆音で、毎日、何時間も何時間も鳴っているのに、何時間も何時間も鳴っているということの、影響を受けないということは、可能ではないのだ。
こんなもの、ほんとうは、物理的に可能ではないと言ってしまいたいほどだ。
人間の体ということを考えると、人間の体をもつものにとっては、苦手な音が爆音で、毎日、何時間も何時間も鳴っているのに、何時間も何時間も鳴っているということの、影響を受けないということは、可能なことではない。
けど、実際に、苦手な音が爆音で、毎日、何時間も何時間も鳴っていなかった人は、苦手な音が爆音で、毎日、何時間も何時間も鳴っているのに、何時間も何時間も鳴っているということの、影響を受けないことが可能だと考えてしまう。
しつこい騒音を経験したことがない人は、これがわからないのである。
「家族なら、ちゃんと言えば、しずかにしてくれる」と考える人がいるのだけど、きちがい家族だと、ちゃんと言っても、しずかにしてくれないのだ。
だから、この考え方はまちがっている。家族だからという理由で、どんなに言われても、頑固に鳴らしてしまう人が、この世に入る。たとえば、うちのきちがい兄貴がそういう人だ。