2026年9月7日月曜日

●人に親切にすることで、不幸な状態がくつがえらない■社会※2026/09/07 15:38

「小さな親切」と言うと、いい感じがするけど、じつは、「小さな親切」に分類されることは、案外少ない。「大きな親切、大きなお世話」という言葉があるように、「大きな親切」というのは、あんまりいい感じがしない。条件を無視した助言をする人にとっては、助言をすることは、親切な行為なのかもしれないけど、条件を無視しているという点において、親切な行為ではないということになる。

じつは、親切にする場合、自分がどの程度の犠牲を払うかという見積もりがなされている。負担について考えるのだ。だから、「人に親切にする」というのは、じつは、種類が限られたものになる。一時的なものであり、自分の負担が(無視できるほど)小さなものなのである。

「人に道を訊かれたら、道を教えてあげる」「席を譲ってあげる」「ものをとってあげる」「重い荷物をもっている高齢者を見たら、重い荷物をもってあげる」といったようなものだ。自分の負担がない状態でできるのである。そして、「人に親切にすると、気持ちがいい」と表現されるように、「気持ちがいい」ものなのである。だから、「自分が気持ちよくなる予感(見積)」と「今後の自分に負担がかからないという見積もり」があるのである。

人に道を訊かれる機会は、スマホの発達によって、だいぶ少なくなっている。もちろん、訊かれて、道を知っていたら、普通に教えてあげる。けど、だから、運がよくなるというようなことは、ない。たとえば、ぼくが、毎日、きちがい兄貴の騒音にたたられているとしよう。ある日、道を訊かれたので、ちゃんと教えてあげた。だから、運がよくなって、兄貴がきちがいヘビメタをやめてくれるかというとそうではなかった。もちろん、これは、ひとつの例なのだけど、関連性がないのである。「運がよくなる」と言い方には、関連性がない二つ以上の出来事が結びつけられているのだ。Aという行為をしたから、Bという出来事が発生したという関係が、頭のなかに成り立っていなければならないのだ。ところが、よくよく考えてみると、じつは、ふたつの出来事のあいだに、関連性がない場合が多い。兄がヘビメタを爆音で鳴らすという出来事と、ぼくが、道を訊かれて、道ついて教えてあげたという出来事は、関連がない出来事なのである。しかし、「親切にすれば、運がよくなる」という言い方のなかでは、「親切にしたことによって」「自分を苦しめている出来事がなくなる」というような関係性が、提示されるのである。あるいは、「親切にすること」によって「なにかいい出来事が起こる」ということを提示しているのである。不幸が解決するか、あるいは、幸福になるような出来事があるということを、「親切にすると、運があがる」という言葉は、示唆している。明示しているし、暗示もしている。しかし、「理由になること」ではないのである。親切にして、気持ちがよくなったということは、「理由になること」だ。道を訊かれたので教えてあげた。だから、気持ちがよくなった。「道を教えてあげた」という出来事と「気持ちがよくなった(幸福な気分になった)」という出来事の関連性があるのである。しかし、それ以外のことに関しては、じつは、(道を訊いた人との人間関係でなにかいいことが起こる)ということがなければ、関係がないことなのである。「親切にしてあげた」という出来事と、「なにかの出来事」のあいだに、じつは、関連性がないのである。関連性がないのだけど、関連性があるように見せかけているのである。「運がよくなる」というのは、ほんとうは、関連性がないことについて語っている。ほんとうは、関連性がない二つ以上の出来事に、妄想的な思考をして、関連性があると、決めつけている。根拠がないのに、じつは、関連性を結び付けている。この場合、「人に親切にすると、幸福になる」というような100%構文の文で表現してしまうと、実際には、100%の確率で起こることではないので、現実とのギャップがうまれるのである。そりゃ、関連性がないことに、100%の関連性があるということを言っているのだから、そうなる。「根拠」がないのである。「理由がない」のである。「親切な行為をした」ということと「なにか(良いことが起こる)そして、幸福になる」ということの関連性がないのである。じつは、出来事同士の関連性がないのに、勝手に、出来事同士の関連性をつくっているだけなのである。頭のなかで、つくっている。本人が、そう感じるのは自由だけど、他人に、あたかも、有効な問題解決方法のように言うのは、よくないことだ。どうしてなら、関連性がじつはないからだ。じつは、「親切にする」という行為に関しては、そのときに、「親切にしたという気持ちになって」本人が気持ちよくなること以外の関連性はない。「親切にした」という出来事と、「親切にしたと思って気持ちよくなった」という出来事のあいだには、関連性がある。しかし、「親切にした」という出来事と「ほかの幸運な出来事」のあいだには、関連性がないのである。

じつは、普通に親切にしてあげている、不幸な人がいる。親切なのに、不幸な人がいる。この人が不幸なのは、不幸な条件によって、不幸な出来事が発生するからなのである。人に親切にしていないから、不幸な出来事が発生しているわけではないのである。不幸な出来事が、かなりの高確率で発生する条件下で暮らしていれば、「幸福感」は、なかなか感じることができない。そりゃ、不幸な条件下で暮らしているけど……人に親切にしたとき、親切にしたという気持ちになって、幸福感を(一時的に)感じることはある。しかし、そのことが、不幸な条件をかえないのである。不幸な条件は、そのまま成り立っているので、かなりの高確率で、不幸な状態で暮らすということになる。幸福ではない状態で暮らすということになる。人に親切にすることで、不幸な状態がくつがえらないのだ。 

●ヘビメタ騒音以降の人間関係というのが、不愉快なものばかりなのだ■騒音※2026/09/07 11:49

さてさて、どうするかな。不満や、いやなことを思い出すということはあるけど、夜のような、不安はない。

これ、最近、夜の不安がすごいのだ。

いまは、平気だけど、いつくるか、わからないところがある。夕方ぐらいからくることもある。じつは、明るいうちからくることもある。なんらかのきっかけがあると、ものすごく、不安になる。

あとは、全般的に動きたくないという気持ちがある。じつは、寝床からも出たくない。動きたくない気持ちを押し切って、出てきて、動いているわけ。

ものすごく不安ではないときも、鬱はある。まあ、これをどうにかしたいのだけど、どうにかするのは、無理かもしれない。いくつかの条件がそろわないと、どうにかできる状態にすらならない。

ヘビメタ騒音以降の人間関係というのが、不愉快なものばかりなのだ。もちろん、ヘビメタ騒音期間中の人間関係も、だんだんとくずれていった。くずれるしかないんだよな。

けっきょく、親友ですら、実際に経験したわけではないので、「自分だったらどうにかなる」という前提でものを言ってくるようになる。

きちがい兄貴が、俺の言っていることを無視して、頑固にきちがいヘビメタをありえないほど長い時間鳴らしたことによって、ぼくの人間関係が、ボロボロになるのだ。

これ、よその人は、理解しない。

ここでずっと書いていることを理解できる人が、ほとんど、いない。

けっきょく、ほかの人にとって、ヘビメタ騒音の問題は、たいした問題じゃない。

自分が実際に経験しなかったから、どういう影響を与えるのか、自分の体を通して、知っているわけではないので、『軽く』見るのだ。

あるいは、完全に無視してしまう。

「なんだ!そんなの」という反応をするやつが多かったよ。「そんなのは、お兄さんに言えばいい(ちゃんと言えば、わかってくれる)(ちゃんと言わないからダメなんだ)」という反応をするやつも、多かったよ。

ほかの人にとっては、そういう問題でしかない。

ところが、ぜんぜんちがうのだ。

最大限の努力をしても、不可避的に、ボロボロになるしかない問題なのだ。

これがわかっていないんだよね。

ほかの人から「なんだ!そんなの」と言われることも、「そんなのは、お兄さんに言えばいい」と言われることも、俺にとって、いやな体験なんだぞ。たとえばの話だけど、俺と同等の騒音を、経験した人が、 「なんだ!そんなの」と言ったり、「そんなのは、お兄さんに言えばいい」と言うと思うか。

言わない。ようするに、俺と同等の騒音を経験したことがない人が、「なんだ!そんなの」と言ったり、「そんなのは、お兄さんに言えばいい」と言ったりする。

何度も言うけど、ほかの人からほかの人から「なんだ!そんなの」と言われたり、「そんなのは、お兄さんに言えばいい」と言われたりすることは、俺にとって、不愉快なことなんだよ。

これは、きちがい兄貴が、きちがい的なこだわりで、騒音を鳴らさなければ、発生しなかったことなんだよ。きちがい兄貴が、こいつらが理解できないことをした。

きちがい兄貴が、こいつらが「影響」を理解できないことをした。こいつらの家族は、きちがい兄貴みたいなことを、こいつらにしていないのである。

だから、こいつらは、自分の身を通して、経験していない。自分の身を通して経験していないので、「そんなのは関係がない」とはっきり言うことができる。

はっきり言っているけど、それは、間違ったことを、はっきりと言っているだけだ。

言霊主義者とおなじなのである。言霊主義者の場合は、このうえに、「言えば言ったことが(言霊の力によって)現実化する」という妄想的な思考があるから、言えば問題が解決するようなことを言う。

「できないと言うからできないのだ」「無理だと言うから無理なのだ」と、間違ったことを言うだけだ。

基本的に間違ったことを言っているのだけど、言霊主義者が、間違ったことを言っているということを認めるということは、ほとんどない。

こういうレベルの思考力なのだ。

こういうレベルの認識なのだ。

もちろん、言霊主義者が、ぼくの経験をほんとうに理解してくれることなんて、ない。

ぼくが経験したようなことから発生する問題は、『言えば解決してしまうような問題』だからだ。

こんなのは、ない。

どれだけの影響があるか、ほんとうに、普通の他人は、理解しないのである。そして、きちがい兄貴の性格についても理解しない。そして、きちがい親父の性格についても、理解しない。

きちがい親父やきちがい兄貴が「はずれ値」で、普通ではないことを、毎日する人間だから、普通の人には、理解できないのだ。

どれだけ、こいつら……きちがい兄貴やきちがい親父の……影響を受けるか、ぜんぜんわかっていない。実際に、こいつら家族が普通の家族で、きちがい兄貴のよう家族ではないから、きちがい兄貴のようなことを、こいつらの家族がこいつらにしない。

実際に、こいつら家族が普通の家族で、きちがい親父のよう家族ではないから、きちがい親父のようなことを、こいつらの家族がこいつらにしない。

だから、こいつらは、普通に生きていける。

別に俺より優れているから、実際にきちがい兄貴が鳴らしたような騒音を経験しているけど、普通に生きているというわけではない。

普通に、通勤できる体で、通勤して仕事をして、生きているというわけではない。ひとつの理由としては、きちがい家族の騒音を経験していないから、普通の体を維持して、普通の仕事ができるだけだ。

こいつらだって、ほんとうに、きちがい兄貴相当の騒音を毎日十数年間にわたって、鳴らされ続けたら……特に、学生時代に鳴らされ続けたら……通勤ができない体になるのだ。

もちろん、証明なんてできない。

けど、ほんとうに、ぼくが経験した騒音生活を、こいつらがした場合、こいつらも、通勤して働くということができない体になると……ぼくは、確信している。

そういうものなのだ。毎日、ものすごくきらいな音が、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も、爆音で、続く場合、どうしても、どうしても、通勤・通学ができない体になる。

ところが、実際やられたことがない人は……実際にやられていないやつは、やられていない体で、「お兄さんの騒音」ということについて考える。

考えるだけ。

実際に、同程度の経験がないので、実際にあったヘビメタ騒音の影響を無視してしまう。実際なかったから「自分なら平気だ」と考えてしまう。

ほんとうに、毎日続くということは、こいつらが考えているようなことではないのだ。

無視できる音ではない。影響を受けないようにしようと思えば、影響を受けないようにできる騒音ではないのだ。

至近距離で、きちがい家族がきちがい感覚で鳴らしている騒音だ。普通の人が普通の感覚で鳴らしている騒音とは、ぜんぜんちがうんだよ!!!

影響を受けないわけがないだろ。

こいつらのことも、ほんとうに、ゆるせない。

きちがい兄貴のこともゆるせないけど、「影響を無視したやつら」のことも、ゆるせない。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。