たとえば、午後一一時から眠るとしよう。ヘビメタ騒音は、じつは、午後一一時一一分まで鳴っていた。だから、当然、眠れない。そして、平日を含めて、六時間四五分以上、きちがいヘビメタを至近距離で聞かされ続けるので、頭が興奮している。鳴り終わっても、頭が興奮して眠れない。交感神経が、ものすごく優位になっている時間だ。眠れるわけがない。ところが、「過去は関係がない」とか「鳴り終わったら関係がない」とかと自信をもって言うやつらは、自分だったら、直前まで、自分がきらいな音を、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も、聞かされても、鳴り終わったら、すぐに眠れると思っているのだ。自信がある。ただ、横の部屋に、きちがい兄貴のようなやつがいないから、自分がこの世で一番きらいな音を、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も聞かされることがなかっただけなのに、自分だったら、眠れると思ってしまう。ただ単に、経験がないからわからないだけなのだ。ところが、こいつらは、自信をもって「過去は関係がない」とか「鳴り終わったら関係がない」とかと言ってしまう。こいつらにとって、ぼくのヘビメタ騒音というのは、そういうものでしかないのだ。「鳴り終わったら関係がない」という考え方が間違っているということを言ったって、こいつらはこいつらで、腹を立てて認めない。「過去は関係がない」という考え方は、間違っているということを言ったって、こいつらはこいつらで、腹を立てて認めない。けど、これもむかし、書いたけど、こいつらは、ぼくの発言に腹を立てているのだ。ぼくの発言というのは、過去の発言なのだ。こいつら自身が、過去の出来事に反応している。「過去は、関係がない」のだろ。だったら、自分が正しいと思っていることを、間違っていると言われても、それは、過去の出来事だから、関係がないということになる。自分で、まっこうから、「過去は関係がない」という考え方を否定するような行動をしているぞ。過去の出来事は関係があるから、「なんだとぉ」という気持ちになっておこっているわけだろ。ちゃんと、過去の出来事に反応している。過去の出来事は(現在の状態)に関係がある。過去は関係がある。
きちがい兄貴が、きちがい的な意地で、鳴らしながら、俺に対する影響を、頑固に否定していたんだよ。これも、もちろん、きちがい兄貴には、まったくわからないことだ。ごく自然に、「なんともないこと」として、きちがい的なこだわりで、きちがい的なでかい音で鳴らしていた。これ、ほんとうに、兄貴でなければ、でかい音で鳴らしているということが、わかるんだよ。耳が正常な人なら、だれでも、ほんとうは、わかることだ。兄貴だって、自分が鳴らしたい音でなければ、音がでかいということがわかるんだよ。けど、でかい音で鳴らしたいから、ちがい親父のように、調子よく、耳が降じゅうでなければわかることがわからなくなる。意識してやっているわけではなくて、無意識的にやっている。ちょうど、焦点が、盲点になっているような感じだ。だれだってわかることが、わからない。どれだけ、強く言っても、そこだけは、飛び越えて、まったくわからない。こういう態度は、腹が立つ態度だ。やられたほうとしては、腹が立つ態度なのである。けど、これも、きちがい兄貴は無視するし、よその人も、無視する。当然、 「過去は関係がない」とか「鳴り終わったら関係がない」とかと自信をもって言う人も、わかっていない。わかるわけがない。兄貴の、こんな奇妙な機能が、分かるわけがないだ。一緒に住んでいない人には、こんなことは、わからない。けど、きちがい兄貴と暮らしていると、実際に、横の部屋で(でかい音なのに)でかい音だと思わずに、どれだけこまるということを(こっちが)言っても、まるで気にしないで鳴らすわけだ。腹が立たないわけがないだろ。実際に鳴っているあいだ、きちがい兄貴は、こういう態度で鳴らしているのだから、腹が立つんだよ。