立場の低い人や条件が悪い人をせめる『しくみ』が成り立っている。この世というのは、ほんとうに、格差が激しい世界なのである。人によってぜんぜん条件がちがうのである。生まれた家の条件が、その後の一生を決めてしまうような世界なのである。もちろん、例外的なことはある。そして、いいうちに生まれても、成長したあと、立場が低くなり、つらい思いをすることもある。ようするに、その後の一生を決めてしまうようなところがあるにしろ、「落ちる側」には、レールがあり、ある程度の人が、いいうちに生まれても、落ちていく。しかし、だから、どういう家に生まれたのかということは、関係がないのかというと、関係があるのである。その人の一生に関係があることなのである。どのようなうちに生まれたかということは、その後のその人の人生に、かなり大きな、影響を与える。これが、基準だ。「落ちる人もいるから、どういう家に生まれたかは、関係がない」というのは、暴論なのだ。落ちるのはともかく、あがることについては、どういう家に生まれたかで「だいたい」のところは、決まってしまう。これが現実だ。「どういう家に生まれかということと、その後の人生は、関係がない」というのは、あまりにも、ゆがんだ考え方なのである。あがる側については、「だいたい」のところが、生まれたうちで決まってしまう。もちろん、例外は、多少はある。そして、多少の例外が物語として、伝わる。例外だからこそ、「価値」をもつのだ。けど、これも、かなりつくられたところがある。ほんものは、数少なくて、にせもののほうが、多い。偽物のほうが、圧倒的に多いのだ。偽物の物語が、広く社会にいきわたるのは、人々が、集合的一括思考をしてしまうからだ。条件が考えられているようで、じつは、条件が考えられていない考え方に染まってしまう。これも、ある程度、誘導されているところがある。ようするに、支配者側が、そういう物語を用意して、宣伝するのである。拡散するようにする。そうすると、文句を言えない人が、出てくる。「貧乏でも成功した人がいる」だから「貧乏だから、成功しないというのは、嘘だ」ということを言えるようになるのだ。しかし、「貧乏」のレベルや、「貧乏以外の条件」をガン無視して、あたかも、「貧乏」という条件について考えたふりをしているだけだ。しかし、理論的な思考ができない人は、これで納得してしまう。こんなのは、おかしいことだ。まえに、詳しく書いたのでここでは省略するけど、集合的一括思考は、間違っている。間違った推論をしている。
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たとえば、「努力をすれば成功する」とする。その場合、どんな家に生まれても、努力をすれば成功するのだから、どういう家にうまれたかということと、その後の人生で成功するかどうかは関係がないということになってしまうのである。努力をすれば成功するわけだから、関係がないということになる。なにに関して、成功するのかということを、自由に決められるのであれば、例外はあるかもしれないけど……基本的には……「どういう家に生まれたかということと、その後の人生は、関係がない」ということになる。ほかの条件はいろいろとある。たとえば、裕福な家に生まれても、なんらかの病気になったら、なんらかの病気になったということの影響を受ける。いちおうは、家とは関係がないように見える要素だ。けど、おなじ病気になったとしても、裕福な家に生まれた場合と、ど貧乏な家に生まれた場合は、やはり、人生がちがってくる。まあ、いろいろな条件がある。どういう家に生まれたかというのは、大きな条件のひとつだ。言いたいことは、「努力をすれば成功する」という一見無害な考え方が、不幸な人に圧力を加えるということだ。そりゃ、「努力をすれば成功する」と思っている人は、どんな家に生まれ方かは関係ないと考えるだろう。努力をすれば成功するのだから……。どんな家に生まれたよりも、努力をしたかどうかが成功するかどうかを決めるのだから、どんな家に生まれたかということは、関係がないということになってしまうのである。あるいは、どんな家に生まれたかということは、成功するかどうかには影響を与えないというとになってしまうのである。努力をすれば、成功する……のだから……そうなる。そう考える。