たとえばの話だけど、才能がなくてできない人に対して「できると言えばできる」と言うことが、どういうことなのか、「できると言えばできる」と言っているほうは、まったく理解していないのである。
「もうできない」という状態になっている人に対して「できると言えばできる」と言うことが、どういうことなのか、「できると言えばできる」と言っているほうは、まったく理解していないのである。
まじめな人が、辛抱して、辛抱して、ギリギリのところで続けてきたことがあるとする。けど、続けてきたので、限界に達したとする。
その場合、しくみはちがうけど、才能がなくてできない状態とおなじ状態になっているのである。
ようするに、「できない」状態になっているのである。
「できない状態になっている」ということを、認めないで、「できると言えばできる」と言うことが、いいことだと思っているのだから、あきれる。あきれはてる。
状態の無視という問題がある。もちろん、この場合は、「相手の状態を無視する」ということだ。自分のことなら、自分が一倍速で経験したことをもとにして、考えることができるのである。
いやおうなく、考えるし、感じてしまう。
「体感」がある。
ところが、他人のことだと、「体感」がないので、相手にとって無理なことなのか、無理ではないことなのかがわからないということになる。
その場合、相手が言っていることを無視して、「できると言えばできる」と言ってしまう。「できないと言うからできないのだ」「無理だというから、無理なのだ」と言ってしまう。
これは、けっこうひどいことなのだけど、たいていの場合、「できると言えばできる」とか「無理だと言うから、無理なのだ」とかと言っている人が、ひどいことだと認識してくれることがないのである。