言霊と神の関係について考えてみよう。言霊主義者にとって、言霊は、絶対に自分の望みを却下しない神のようなものなのだということを、以前説明した。
言霊と神と、どっちが上かと言えば、言霊のほうが上なのである。
言霊を信じている人が、神を信じていても問題はない。そして、言霊を信じている人が神を信じている場合もあるだろう。言霊理論が正しいなら、「神はこれここれ、こうする」と言えば、言霊の力によって、神が、これこれをこうするということになる。
言霊の力は、神の上にあるのである。
だから、自分が言ってしまえば、神は、自分が言った通りに動くのである。話せない人を除いて、普通の人は、話せる。以降、人と言った場合は、話せない人を除くとする。
人は、話せるのだから、神について、なにかを言えば、神は、その通りに動くということになる。人が、神を自由に動かせるようになるのだ。
どうしてかというと、言霊のほうが神よりも上だからだ。言霊の力のほうが、神の力よりも、上だからだ。
神ですら、言霊の力には、さからうことができないのだ。
「神はこうする」と言われてしまったら、神は、こうするしかないのである。
なぜかというと、言霊理論が正しいなら、言われたことが、言霊の力によって執行されるからだ。
たまたま、執行されるのではなくて、言霊理論が正しいなら、かならず、執行されるのである。
ところで、人と言ってきたけど、自分も人だとする。
その場合、自分が言ったことは、神の力をこえて、執行されるということになるのだ。
そのくせ、言ったあと、努力が必要なことなのである。ばかばかしい。
言霊理論が正しいなら、言っただけで、現実する。
努力なんて必要がない。努力が必要だと考えている時点で、言霊理論を、否定しているのである。
ところが、この矛盾に、たいていの言霊主義者は気がつかない。
まーーーったく、気がつかない。
「気がつかないという性質」の上に、「言霊に対する信仰」が成り立っている。
最初から、矛盾を抱えた信仰なのである。わかるかな?
ともかく、人である「自分」が「神はこうなる」と言えば、神は、こうなるのである。神がどうあがなっても、言霊の力によって、神はこうなるのである。
ようするに、言霊を通せば、自分は神をも支配できるということになる。
言霊を通せば、どんなことも、可能なのである。
完全に、すぐに、現実化させることができるのである。
どうしてかというと、言霊理論には、時間的な制限がないからだ。
ようするに、三秒以内に、こうなると言ったら、ほんとうに、三秒以内にこうなるのである。三秒以内に、神はこうすると言ったら、三秒以内に、(言霊の力によって)神はこうするのである。
「言うこと」によって、神を制御できる。
基本的なことを言えば、じつは、言霊というのは、神の代わりなのである。
しかし、たいていの「精神世界の人」は神も信じているわけだ。
しかし、そこで信仰されている神というのは、「カジュアルな神」なのである。
わかるかな?
信じるのも信じないのも、自由だという感じの神なのである。
これは、絶対的な神ではない。
信仰するしかない神ではないのだ。
信仰するかどうか、自分が選べるような神なのだ。
そして、普通の言霊主義者は、神と言霊の関係について考えもしない。