何度も言うけど、「Xをすれば、しあわせになる」ということよりも、自分が正しいと信じていることを、否定されると、腹が立つということのほうが、重要なのだ。
こっちが、リアルだ。基本的に「Xをすれば、しあわせになる」というのは、一〇〇%構文の文なのだけど、一〇〇%構文の文がもつ意味を、 「Xをすれば、しあわせになる」と言っているほうが、理解していない。認識していない。
まったく、まったく、認識していない。
まあ、一〇〇%構文の問題点は、いままでさんざん、言ってきたので、省略する。言霊理論の場合について、説明してきたわけだけど……おなじことが、「Xをすれば、しあわせになる」という理論にもあてはまる。
ほんとうは、間違っている理論なのだけど、正しいと信じてしまっている。そして、「Xをすれば、しあわせになる場合がある」ということと「Xをすれば、しあわせになる」ということの区別がついていない。
何度も説明してしまうけど、言っている人が、区別してしないのである。言われたほうは、Xをすれば、しあわせになるはずなのだけど、ならない確率が非常に高い。
しあわせになる場合は、出来事の発生時間が接近しているから、Xをしたから、しあわせになったのだと思うときだけだ。しあわせかどうかというのは、自己申告制なので、本人がしあわせだと思ったら、しあわせだということになる。
だから、たまたま、誤解をしてしまう場合がある。しかし、強烈に不利な状態で生きている人は、Xをしたところで、しあわせになれないのである。それが最初から決まっている。どうしてかというと、強烈に不利な状態で暮らしているからだ。
たとえば、多くの人が「Xをすれば、しあわせになる」ということを信じているとする。そうなると、そういう信者がいる世界で、生きているということになる。
これも、ひとつの「環境」だ。間違ったことなのだけど、信じている人が多い。これが、ひとつの環境であり、条件をつくりだしている。言われたほうが、この環境を支配できるかというとできない。
言われたほうが、この条件をかえられるかというと、かえられない。
そりゃ、ひとり説得したら、ひとりぶんはかわるけど、「Xをすれば、しあわせになる」ということを信じていると信じている人が、いっぱいるので、いっぱいるということには、わかりがないということになる。
ところで、「Xをすれば、しあわせになる」ということではなくて、「ネガティブなことを思えば、ネガティブなことが起こり、ポジティブなことを思えば、ポジティブなことが起こる」というようなことも、信仰されているとする。
その社会に住む、多くの人によって信仰されているとする。その場合、「Xをすれば、しあわせになる」ということを信じていて、なおかつ、「ネガティブなことを思えば、ネガティブなことが起こり、ポジティブなことを思えば、ポジティブなことが起こる」信じている人も、多いということになる。
実際に、不幸な環境だから、不幸な出来事が起こっている場合も、その人が「ネガティブなことを思っているからダメなんだ」と言われる羽目になるのである。他者が存在しているのだから、不幸なことが起きやすい環境というのものがある。
そして、家屋の条件だって、不幸なことが起こりやすいかどうかに影響をあたえる。土砂崩れが起きやすい条件と、土砂崩れが起きにくい条件があるとする。そして、土砂崩れば起きやすい条件のほうが、家が安いとする。
おカネがない人は、ある程度危険だとは思っていても、しかたがなく、土砂崩れが起きやすいところに、家を建てるかもしれない。「しあわせは、おカネじゃ買えない」と言っている超金持ちがいるけど、おカネがじゅうぶんにあるかどうかということは、こういうことにも、影響をあたえる。
なので、おカネは、関係がある。「ネガティブなことを思えば、ネガティブなことが起こり、ポジティブなことを思えば、ポジティブなことが起こる」という考え方は、じつは、「おカネのあるなし」「おカネの量(金額)」を無視した考え方なのだ。
おカネだけではなくて、「ネガティブなことを思うかどうか」「ポジティブなことを思うかどうか」以外の条件をすべて無視している。
* * *
たとえば、土砂崩れが起きやすいところに家を建てる場合だって、確率的には、非常に低いから、「大丈夫だろう(土砂崩れは、起きないだろう)」とポジティブなことを考えて、家を建てるのだ。
最初から、かならず、土砂崩れが起きて、家がつぶれるということがわかっていれば、そんなところに住むわけがない。
「自分の場合は大丈夫だ」と思って、家を建てたのである。自分が住んでいるときは、そんなことは起こらない」と思って、家を建てたのである。家を建てたあと、一日後に、土砂崩れが起こるということが、わかっていたら、家なんて建てない。
もちろん、家を建てたあと、一日後に、土砂崩れが起こるということが、わかっていても、家を建てる可能性はある。その場合、そこに長い期間住むという目的以外のなにかの目的があるはずだ。
まあ、家を建てたあと、一日後に、土砂崩れが起こるということが、わかっている場合、家を建てる確率は、非常に低い。
わかっていないから、建てる。
「自分は大丈夫だ」「土砂崩れは、自分が住んでいるときは、起きない」とポジティブに考えて、家を建てたのだ。
基本的に、難あり物件というのは、価格に反映されている。おカネが関係している。
おカネがあれば、難あり物件を買うということを、避けることができるのだ。おカネは、幸福感と関係がある場合のほうが多い。
たしかに、おカネでは、幸福を買えない場合もある。しかし、おカネがじゅうぶんにあれば、不幸な条件をさけることができる確率が高くなる。
まあ、ともかく、言霊や思霊のように、人々が「なんとなく」信じていることがある。多くの人が信じているので、「はねかえしにくい」のである。否定しにくいのである。
そして、信じている人は、たとえ、一回否定されても、考え方をかえることは、まず、ない。かわりにしょうじることが、否定してきた相手に対する嫌悪感なのである。
もちろん、一〇〇%の確率で、否定してきた相手に、嫌悪感がしょうじるということは、言えない。一〇〇%ではない。しかし、確率的には非常に高いと言わなければならないだろう。ぼくの観察の範囲で言うと、一〇〇%の「否定してきた相手」に、なんらかの負の感情をもってしまうようだ。
ようするに、ネガティブな感情をもってしまうのである。これだって、実際に、相手が、自分の信じていることを否定してきたという出来事によってしょうじたことなのだ。
まだ、否定してこない相手に対して、「この人は、否定してくる」というネガティブな思いをもっていたので、(思霊・超神秘的な力によって)自分が死んでいるいる考え方を否定されるということが起こったというわけではないのだ。
また、人間のしくみとして、自分が信じていることを、否定されると、腹が立つ確率が高いのである。たいていの場合は、自分が信じていることを、否定されると、腹が立つのである。
これは、「よし、自分の考え方を否定されたら、腹を立ててやるぞ」とネガティブなことを考えていたから、実際に、腹が立ったわけではない。
「ネガティブなことを思えば、ネガティブなことが起こるという自分の考え方を否定されたら、腹を立てるというネガティブな反応をするぞ」と思っていたから、腹を立てたわけではないのだ。
ほんとうに、間違っている考え方なのだけど、実際に否定されたので、「腹を立てるとネガティブなことを思っていなかったのに」腹を立てたのだ。
「ほんとうに、間違っている考え方」と書いたけど、これには理由がある。
これも、さんざん、説明してきたことだから、省略する。思霊理論についてさんざん、書いてきたので、省略する。じつは、言霊理論とおなじように、思霊理論も間違っている。
たとえば、Cさんが「掃除をすれば、しあわせになる」ということと 、「ネガティブなことを思えば、ネガティブなことが起こり、ポジティブなことを思えば、ポジティブなことが起こる」ということを信じていたとする。
ある日、Dさんが「掃除をすれば、しあわせになる」という考え方を否定したとする。そのとき、Cさんは、腹を立てて「単純なのが正しい」「掃除をすればしあわせになる」と言ったとする。
この場合、Cさんにとって、自分の考え方を間違っていると批判する人が出てくるということは、意外なことだったのである。
「まさか、そんなことを言われると思っていなかった」のである。「そんなことを言われると思っていなかったのに、言われたので、腹が立った」のである。
こういうことは、ありえることだ。
ところで、「ネガティブなことを思えば、ネガティブなことが起こり、ポジティブなことを思えば、ポジティブなことが起こる」という考え方に従えば、Dさんが自分の考え方を否定するというネガティブなことが起こったのは、自分(Cさん)が、Dさんが自分の考え方を否定するというネガティブなことが起こると思っていたので、起こったことになる。
そして、自分の考え方を否定されたとき、自分が、腹を立てたのだとしたら、自分の考え方を否定されたとき、自分が、腹を立てるというネガティブなことを思っていたから、実際に、自分の考え方を否定されたとき自分が腹を立てたのだということになる。
けど、意外なことだった。言われるとは思っていなかったことだ。言われると思っていなかったことを言われたので、腹が立ったのだ。
だから、他人のことに関しては、「ネガティブなことを思ったから、ネガティブなことが実際に起こったのだ」と決めつけてしまうけど、自分のことに関しては、決めつけていないということになる。
こういうところも、言霊主義者とおなじように、ぬけぬけなのだ。
なまの感情で対応しているときは……あるいは、なまの感情が発生しているときは……「思ったことだから、実際に思ったことが現実化した(思った通りになった)」とは、思わないことが多い。
いや、もちろん、予想が的中したときは、「思ったことが、実際に発生した」と思うのだよ。
けど、思わなかったことが、発生したときは、自分が大切にしている……「ネガティブなことを思えば、ネガティブなことが起こり、ポジティブなことを思えば、ポジティブなことが起こる」という考え方を、無視してしまうのである。
そして、「腹を立てて当然だ」とか、「ショックを受けて当然だ」と思うのである。
条件が悪い人というのは、いるので、条件が悪い人が、条件のいい人から、悪口を言われやすくなるのである。条件が悪い人の場合、条件が悪いので、悪いことが発生しやすい。ネガティブなことが発生しやすい。
ところが、条件のいい人が「その人にネガティブなことが起こったのは、その人が、ネガティブなことが起こると思っていたから起こったのだ」と、言ってしまう。決めつけてしまう。
「ネガティブなことを思えば、ネガティブなことが起こり、ポジティブなことを思えば、ポジティブなことが起こる」という法則性がありそうな考え方が、前提になる発言だ。
決めつけ。