2026年6月3日水曜日

●助言をするたびに、くさっていく■言霊

ほんとうは、言霊理論が正しいなら、働かなくてもよいのである。

ところが、言霊主義者の頭のなかには、言霊理論と「人間は働くべきである」という価値観が、両立していることが多い。

そうなると、現実の場面では、言霊主義者は、名前だけ店長ではなくて、ブラック社長の見方をするということになる。

その場合、名前だけ店長に「無理なことを」言って、名前だけ店長を追い込むということになる。「できるできると言って頑張ればいい」ということになってしまう。

ところが、名前だけ店長は「でなくなった」から、こまっているのである。

できなくなった名前だけ店長に対して、言霊主義者は「できるできると言って頑張ればいい」とこたえるのである。このズレがわかるだろうか。

名前だけ店長は、もうさんざんやってきて、「限界だ」と言っているのだ。「もう限界だ」「もうこれ以上はできない」と言っているのだ。

しかし、強欲なブラック社長や、ブラック社長に同調するアホな言霊主義者は、名前だけ店長が必死になって言ってることを、無視してしまう。

そのうえで、頭がおかしいアドバイスをするのだ。

これがどういうことなのか、言霊主義者はわかっていない。言霊主義者は、自分のことは、理解しているのだ。自分が一倍速で感じていることについては、理解している。自分がどのくらいつかれているのかということは理解している。

だから、言霊主義者だって、名前だけ店長とおなじことを、十数年間にわたってすれば、「もう無理だ」ということが、わかるのだ。自分のことだと、わかる。

しかし、他人のことだと、わからなくなる。

他人のことなら、それは他人のことなので、自分が1倍速で経験してきたことではない。

だから、名前だけ店長が、その十数年間でどれだけつかれているのかということを、簡単に無視してしまう。

しかも、自分のことに関しては、無視しないということも、無視してしまう。

他人のことについて考えているときは、ごく自然に、他人が一倍速で感じていることを無視してしまうのだけど、自分のことについて考えているときは、ごく自然に、自分が一倍速で感じていることを無視しない。

そして、「自分が一倍速で感じていることを無視しない」ということを、ごく自然に無視してしまう。

これが、問題なんだよ。

運用のレベルで問題があるということを、どれだけ言ったって、こういう人たちは、わからないのだ。

自分のことと他人のことについて、まったくちがった理解が成り立っているということについて無自覚であり、無自覚なことを認めないわけだから、運用レベルでの問題は、(本人としては)感じないことになる。

体感できないのだ。

その場合、人には、言霊理論に基づいた「無理なことを言って」悦に入るということになる。

これ、じつは、「いいことをした」と思ってるのだ。

自分としては、「よい助言をしてやった」と思っているのだ。

ところが、無理なことを押し付けているだけなのである。

言霊理論は間違った理論なので、「無理なことを押し付ける」ときは、重宝する理論なのである。言霊理論は間違った理論なのだけど、言霊主義者のなかでは、正しい理論だということになっているので、言霊主義者・本人は「正しいことを言った」と思うようになっている。

言霊主義者のなかでは「言霊的な助言をすること」はよいことなのである。ここらへんのズレがわかるだろうか。これは、悪魔に利用されているとしか、言いようがない。

こういう、自分のことならちゃんと「無理だと」判断できるのに、他人のことになると、言霊理論を持ち出して、無理なことを言うやつらが、増えるのはよくないことだ。自己責任論にもおなじことが成り立っている。

これ、本人が一倍速で感じていることについては、自己責任だと思わないのである。自分のなかに、ちゃんとした?理由がある場合は、自己責任だと思わないのである。

しかし、他人のことであれば、「なんだろうが、自己責任」で、その他人の責任だと、その他人をせめることができる人間になっている。

自分に適応する基準と、他人に適応する基準が、まったくちがうのに、本人がそれを意識できないのだ。

こういう人間を増やすことはよくない。

まあ、自己責任論に関しては、今回は、自己責任論と言霊理論はおなじような問題をかかえているということを、指摘するだけにしておこう。

*     *     *

じつは、「XをすればYになる」というタイプの助言にも、言霊理論に基づいた助言とおなじことが成り立っている場合が多い。

「XをすればYになる」というタイプの助言した人は、いいことをしたつもりになるかもしれない。

しかし、条件が悪い人には、「無理なこと」である場合がある。条件が悪いから、「できないこと」があるのだ。

ところが、 「XをすればYになる」というタイプの助言をする人には、「無理なこと」に思えない。条件がちがう世界で生きてきたので、「無理なことだ」ということが、理解できない。

「XをすればYになる」というタイプの助言をする人にも、言霊主義者のようなところがあり、自分が一倍速で感じていることは重視するけど、他人が一倍速で感じていることは無視するという傾向がある。

ようするに、自分が……かりに、その他人とおなじ条件なら、自分にもできないということを、理解していないのだ。

ほんとうは、条件は重要だ。

ところが、他人の条件を無視してしまうのである。

だから、その他人にとって「無理なこと」でも、助言をする人にとっては「無理なことではない」ということになってしまう。

だいたい、「XをすればYになる」というのは、100%構文の文なので、条件を、最初から無視している。なので、『他人の条件』は当然に無視されることになっている。

その場合、サブルーチンに入ってしまう。

ようするに、『やり方が悪いからできないのだ』というサブルーチンや『方向が間違っているからできないのだ』というサブルーチンや『こころがけが悪いからできないのだ』というサブルーチンに入ってしまう。

『こころがけが悪いからできないのだ』と表現したけど『心構えができていないから、だめなのだ』とか『こころの用意ができていないからダメなのなのだ』という表現が使われることもある。

あるいは、『マインドセットの問題だ』というマインドセットサブルーチンに入る場合もある。

ともかく、相手の側(助言を受ける側)の問題で「できないのだ」ということになる。

もともとの、理論に無理があるということにはならない。助言を受ける側の「不足」によって、理論通りにいかないのだということになる。

「不足」というのは、たりていない状態だ。『やり方が悪い』『方向が間違っている』『心がけがよくない』「心構えがよくない」「心の準備がよくない」「心の用意がよくない」「マインドセットがよくない」と相手側の不足によって、本来なら、うまくいくはずのことが、うまくいかないのだということになる。

そういう決めつけをされることになる。助言をされて、なおかつ、助言通りにしたのに、うまくいかない人は、自動的に、『やり方が悪い』『方向が間違っている』『心がけがよくない』「心構えがよくない」「心の準備がよくない」「心の用意がよくない」「マインドセットがよくない」ということになる。

*     *     *

言霊主義者は、よかれと思って「言霊的な助言」をするたびに、真理から離れていくのである。 

言霊主義者は、よかれと思って「言霊的な助言」をするたびに、善からも離れていく。言霊主義者は、よかれと思って「言霊的な助言」をするたびに、こころがよごれていく。

 「XをすればYになる」というタイプの助言をする人も、良心?にしたがって、助言をするたびに、傲慢になり、こころがよごれていくのである。

この人たちは、100%詐欺構文の文で、条件が悪い人に無理なことを言う。そして、言霊主義者とおなじように 『やり方が悪いからできないのだ』というサブルーチンや「方向が間違っているからできないのだ」というサブルーチンや「こころがけが悪いからできないのだ」というサブルーチンに入ってしまう。

心がけサブルーチン、心構えサブルーチン、こころの用意サブルーチン、マインドセットサブルーチンに入ってしまう。それぞれのサブルーチンについて語っているときも、よいことをしていると思っている。

ところが、相手をディスって、いい気持ちになっているだけなのである。

こころが、よごれていく。傲慢な気持ちが強くなる。マウントをして楽しいと思ってしまう。

そして、相手が、条件について、言及すれば、相手に対して、おこってしまう。相手に対して怒りの感情がわいてくる。「そんなのは、言い訳だ」「そんなのはあまえだ」と腹を立ててしまう。けっきょく、よごれる。助言をするたびに、くさっていくのだ。それこそ、こころが、くさっていく。

うまくできている。うまくできていると思う。

●「掃除をすることで運があがって、就職することができた」■掃除※2026/05/26 7:08

「実際に、掃除をすると運気があがる」と思っている人は多いと思う。「掃除をすると運気があがる」というライフハック?は、けっこう、やっかいなライフハックだ。

ウィルパワーというのがあるのだけど、これはまあ、意志のエネルギーみたいなものだ。その場合、意志のエネルギーというのは、一日のなかで、使うと減るものなのだ。

だから、会社では、てきぱきと動くけど、家に帰ってくるとぐたーっとして、動けなくなるというようなことが発生する。実際に、体もつかれているのだけど、ウィルパワーも消費してしまっている。体力消費とウィルパワーの消費があると思っていい。

ウィルパワーの残存量が少ないと、「やろう」と思ってもできない状態になる。「掃除をしよう」と思っても、掃除をする気にならないということになる。

だから、会社に行って働くということで、体力とウィルパワーを消費してしまった場合は、家に帰ってきて、家の掃除をすることができなくなる。料理をする気力もないので、インスタント食品で済ませて、インスタント食品の容器をゴミ袋に入れない状態で、寝てしまう。風呂キャンセルになってしまう。歯磨きも、キャンセルになってしまう。

まあ、わずかに残ったウィルパワーで歯磨きをしても、ウィルパワーがいっぱい残っているときの歯磨きのしかたとは違った歯磨きのしかたになってしまう。

まあ、だいぶ省略した歯磨きのしかたになってしまう。そして、これは、一日のなかの話なのだけど、毎日、このような状態が続くと、一日のなかで消費できるウィルパワーが減ってくるのだ。

ウィルパワーのチャージ量も、減ってくるということになる。そうなると、余計に掃除がしにくくなる。

ある程度、休暇をとって、ウィルパワーの(一日の供給量が)あがってくると、「掃除をしよう」という気持ちになる。

だから、この時点で、ウィルパワーが枯渇している状態ではないということになる。掃除をすることができるぐらいに、ウィルパワーが回復しているということになる。

その場合、掃除以外のほかのことも、チャレンジしたくなる。ウィルパワーが回復しているからだ。

たとえば、退職して、しばらく休んだあと、そろそろ、新しい会社に応募してみようかなという気持ちになったとする。そうしたら、就職できたということがあったとする。掃除をやり始めた時期と、就職ができた時期が、だいたいおなじであって、なおかつ、掃除をやり始めた時期のほうが、就職活動をし始めた時期よりも、まえだと、「掃除をしたから、就職できた」と思うかもしれない。

「掃除をすることで運があがって、就職することができた」と考えても不思議ではない。 

ようするに、退職して休んでいる期間にウィルパワーがあがったので、掃除をする気になったということが、重要なのだ。この場合、掃除ではなくて、ウィルパワーの回復が、実際には、次の就職に結びつくことになる。 

掃除をしていたら、三万円が入った封筒を見つけたとする。これも、自分が三万円をいれた封筒のことを、忘れていただけなのだけど、三万円の臨時収入があったと思うこともできる。

その場合、 「掃除をすることで運があがって、三万円、ゲットすることができた」と考えても不思議ではない。この場合は、掃除をすることで、おカネを見つけたということだ。

けど、そのおカネは、ほんとうは、まえから、カウントするべきおカネだったのである。

まあ、掃除には、家のなかのものを(あらためて)見つけるというような効果はある。

けど、これは、「運」という考え方を応用しなくてもよい効果だ。単純に、掃除をしたので、家のなかにあるものを見つけたということを意味している。「運があがった」と考えても、いいけど、ほんとうに、「運があがった」のかどうかわからない。

掃除をしたら、田舎のおかあさんから、小包が届いたとする。その小包のなかには、メロンが入っていたとする。

これも、別に、掃除をしていなくても、小包はとどいたかもしれないのだけど、「掃除をすることで運があがって、メロンをゲットすることができた」と考えても不思議ではない。

掃除をしたあと、たまたま、メロンが届いたので、掃除の効果だと思うこともできるけど、それが、ほんとうに、掃除の効果なのかどうかは、わからない。「運があがった」と考えても、いいけど、ほんとうに、「運があがった」のかどうかわからない。

雨が降ると言ったあと、雨が降ったので、言霊(理論)は正しいと思うのとおなじような思考スタイルだ。言ったから、言霊の力によって、雨が降ったのではなくて、言ったあと、さまざまな物質の物理的な運動によって、雨が降ったのだ。

これは、言ってみれば「偶然」なのか「必然」なのかという問題なのである。

ほとんどの人間には、必然だと思いたい気持ちがあると仮定すると、この現象をよく理解することができるようになる。「言ったあと」「思ったあと」「おまじないをしたあと」「引き寄せ行為をしたあと」「掃除をしたあと」「お祈りをしたあと」「感謝をしたあと」……その個人にとっていいことが起こった場合は、自分がそれぞれの行為をしたから、そうなったのだと思いたい気持ちがある人が多いのだと思う。

これも、思いようなので、そう思っている人にとっては、そのような効果があるということになる。

「掃除」をしたあと、いいことが起こった場合、掃除をしたから、掃除の効果によって、いいことが起こったのだ(引き寄せられたのだ)と思っている場合、掃除は、いいことを引き寄せる効果があるということに……その人のなかでは……なる。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



人気の投稿

「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。