名前だけ店長が、つかれているのは、一日に三時間ぐらいしか、眠ることができない生活をしているから、つかれているのだ。
あるいは、一日中働いている生活をしているから、つかれるのだ。
無理な労働によって、「眠れない状態」が引き出されるのである。長時間労働によって、睡眠時間が実質的に削られるのである。
寝不足のまま、動かない体を動かしているから、つかれがたまるのである。つかれきって、元気がない状態になるのである。
ところが、「過去は関係がない」と言い切るやつが出てくる。「できると言えばできる」と言う意見に賛成したAという人について、多少の記述をしたので、ある人が、言霊主義者であって、過去否定論者である場合について考察することにする。
とりあえず、ある人のことをAさんだとする。はじめにことわっておくけど、過去否定論者というのは、「過去は関係がない」という理論を信じる人のことだ。「過去は現在に影響を与えない」とか「過去は記憶の中にしかない」ということも、過去否定論に含まれているとする。
けど、名前だけ店長が、つかれはてているのは一五年間毎日、サービス残業が続き、睡眠時間を確保できず、自分の時間を確保できないからなのである。
睡眠時間が確保できない生活は、めちゃくちゃにつらいのである。
しかし、「元気だ元気だと言えば元気になる」と言う人は、「名前だけ店長がどれだけつかれているのか」を無視してしまうのである。
おなじように、「過去は関係がない」と言う人は、「名前だけ店長がどれだけつかれているのかを無視してしまうのである。
過去は関係がないので、名前だけ店長は、つかれていないのである。
一日目のつかれと、一五年目のつかれは、おなじなのである。
ずっと一五年間、睡眠不足のまま暮らしてきたという過去は、無視されてしまうのである。
しかも、それで、いいことを言った気持ちになっているのだ。
「過去は関係がない」と言い切る人は、「過去は関係がない」と言い切ったことで、いい気持ちになっている。なんか、すごくいいことを言った気持ちになっているのだ。
しかし、「過去は関係がない」というのは、暴論なのである。
妄想的な前提が成り立っているアホな理論なのである。
名前だけ店長が、「もう、サービス残業をすることはできない」ということを言って、それ対して、ブラック社長が「できないと言うからできない」「できると言えばできる」と返したところを、Aさんが、聴いたとする。
これは、過去の出来事を認識したということを意味している。ブラック社長が「できないと言うからできない」「できると言えばできる」と言ったという出来事は、過去のことであり、名前だけ店長が、「もう、サービス残業をすることはできない」と言ったというとは、さらに過去の出来事なのだ。
それに対して、Aさんが「できると言えばできるという考え方は正しい」「過去は関係がない」と思ったので、その場で、そのような発言をしたのである。
どうして、Aさんが「できると言えばできるという考え方は正しい」「過去は関係がない」と思うことができたのかと言うと、それは、過去の出来事に対する記憶があったからであり、出来事の記憶に関して、あれやこれやと考えることができたからなのだ。
これは、そのまま、「過去は関係がある」ということを意味している。
もし、過去が関係のないことなのであれば、Aさんが「できると言えばできるという考え方は正しい」「過去は関係がない」と思うこともできず、そのような考えを発言することもできないのである。
過去は関係があるから、過去の出来事に対して、自分の意見を言うということができるのだ。
もし、ほんとうに、「過去は関係がない」ということが正しいことなら、過去の出来事に関して、自分の意見を言うことすらできない。
「過去は関係がない」というAさんの考え方は、この文脈において、どのような意味をもっているのだろうか。「過去は関係がない」というのは、名前だけ店長が、過去において一五年間つかれた生活をしていたとしても、過去は関係がないので、一五年間の疲労は、関係がないという意味をもっているのである。
ようするに、Aさんが、名前だけ店長の疲労について過小評価しているか、あるはい、無視しているのである。
Aさんは言霊理論を信じているので、「できると言えばできる」とか「元気だ元気だと言えば元気になる」とかという考え方は、正しいと思っているのである。だから、名前だけ店長のつかれを無視してしまう。
名前だけ店長がどれだけつかれていたって、「元気だ元気だ」と言えば、元気になるのだから、そんなのは、関係がないのだ。
また、「できると言えばできるのだから、できると言ってやればいい」と考えてしまうのだ。
「つかれているかどうか」という条件は、「できるかどうか」に関係がないことになっているのだ。
『できると言えばできるのだから、条件に関係なく、できると言えば、できる』と考えているので、条件は最初から無視される。
他人である名前だけ店長のつかれなんて、Aさんには関係がない。
Aさんは、じつは、自分が一倍速で経験していることについては、現実的な考え方をもっているのである。
つまり、「できると言ったってできないことはある」と思っているし、「元気だ元気だと言っても元気にならないことがある」と思っているのだ。
自分が、実際に経験していることに関しては、現実的な選択をするのである。
自分の認知は、あたりまえにあるし、自分の過去の記憶は、あたりまえにある。あたりまえのことに関しては、言霊思考にならないのである。
Aさんだって、猛烈につかれているときは「眠らないとだめだ」と考えて「元気だ元気だと言えば元気になる」と考えないのだ。
自分のつかれに関しては、自分のつかれなので、判断を間違えないのである。
ところが、ひとごとになると、自分のつかれではないので、途端に、言霊思考になってしまうのである。
「条件に関係なく、元気だ元気だと言えば元気になる」「条件に関係なく、できると言えばできる」と考えしまう。この自己中心性は、そのまま、幼児的万能感に直結している。
なお、自分の過去の記憶というのは、その時点で、覚えている範囲の過去の記憶だとする。
あと、「おなじ」を「同じ」と書くかどうか迷っている。これ、いままで「おなじ」にしていたのだよね。めんどうだから、「同じ」でいいかな。