ごくごく、簡潔に書いておく。
才能がないからできないのに、「努力をしていない」とか「努力が足りない」とか「努力の方向が間違っている」とかと言われることになるAさんの問題は、ヘビメタ騒音で「能力」を失った僕にも成り立つ問題なのだ。
努力論者というのは、努力だけを問題にして、ほかの条件を考えない。条件が導入されたときは、条件について、都合がよい集合的一括思考をするので、その条件は「成功するかどうか」に影響を与えないということになる。
まあ、その条件は「成功する」ことに影響を与えないということになる。たとえば、貧しさ」という条件を導入した場合は、貧しさに関係なく、努力をすれば成功するということを、努力論者は言い出す。
貧しい状態なのに、成功した人の例をひとつあげて、貧しさという条件は、関係がないと断定してしまうのである。貧しい状態で、成功しなかった例をひとつあげて、貧しさという条件は、関係があると断定することはないのである。
それとおなじように、ヘビメタ騒音で、夜眠る能力を失うと、ヘビメタ騒音で夜眠る能力を失ったのに、夜眠る努力をしないから、夜眠ることができないのだということになってしまうのである。
夜眠れるかどうかは、次の日を「元気に」すごすことができるかどうかに影響している。夜眠れるかどうかは、次の日の「注意力」に影響を与える。与えるのだけど、与えるということを無視されることになるのである。
ヘビメタ騒音で、そうなった」と言っても、「ヘビメタ騒音なんて関係がない」ということになるのである。
ところが、ヘビメタ騒音がなかったとき、ぼくはちゃんと、夜眠ることができたのである。
もちろん、たいていの場合だ。ヘビメタ騒音がはじまってからは、たいていの場合……夜眠れることができ鳴ってしまったのである。これは、ヘビメタ騒音のせいなんだよ。
きちがい兄貴が、よそのうちでは絶対に鳴らせないようなでかい音で、長時間ヘビメタを鳴らしきるということに、こだわってこだわって、実際にそうしたから発生したことなんだよ。
毎日のことなんだよ。夜眠れるかどうかに影響がないわけがない。ところが、こいつらは、「夜眠るように努力していないからダメなんだ」「夜眠れるように努力すしているかもしれないけど、努力の量がたりないからダメなんだ」「夜眠れるように努力しているのかもしれないけど、努力の方向が間違っているからダメなんだ」と、「努力をしていない」とか、「努力がたりない」とか「正しい方向で努力をしていない」とかということを、言い出すのである。
全部、努力関連事項の「せい」なのだ。だれの努力かと言えば「エイリの努力」に他ならないのである。
ちなみに、「過去は関係がない」と言ったやつが、「努力の方向が間違っているからダメなんだ」と言ったことがある。これ……努力の方向が間違っているということは、間違った方向で努力をしたと……こいつが認識している……ということを意味しているのである。
過去の時点における「努力の方向」が間違っていると言っているのである。過去が関係ないなら、過去の時点における努力の方向も関係がないはずだ。
「努力の方向が間違っている」と、「現在も努力の方向が間違っている」ということを示唆している言葉を使っているのだけど、こいつらがいう「現在」というのは「現在という瞬間」でしかないのだ。
ようするに、過去から現在までの努力の方向が間違っていると認識しているのである。
もちろん、本人ではなくて、相手の過去から現在までの努力の方向が間違っていると、本人が認識しているのである。ならば、過去は関係があると認識しているのである。
「努力をしないからダメなのだ」という表現には、「過去から現在まで」努力をしないからダメなのだという意味が含まれている。努力をしないというのは、過去から現在までの「時間帯」のなかで、その人(相手)が努力をしなかったということを意味しているのである。
ようするに、過去は関係があると思っているのである。
相手が「過去から現在」において、努力をしなかったから、まるまるすることに成功していないということを言っているのである。「過去は関係がない」と言いつつも、「過去の状態を問題にしている」のである。相手の状態だけどな……。
たとえば、「過去は関係がない」と言っているのに「努力不足だからダメなんだ」と言った人をAさんだとする。
そして、実際にAさんが、ぼくに、「努力不足だからダメなんだ」と言ったとする。Aさんは、ぼくの過去も問題にしているのである。Aさんは現在の状態も問題にしているけど、過去の状態も問題にしている。過去は「関係がある」と思っている。
Aさんが、俺に対して「努力不足だからダメなんだ」と言ったということは、過去の出来事だ。「瞬間としての現在」の出来事ではない。何度も言うけど、「努力」の「ど」を言ったという過去の出来事が、文の意味を全体をつたえることに影響しているのである。
「努力不足だからダメなんだ」と言い切ったということは、すぐに過去の出来事になる。「努力」の「りょ」を発音したということは、「不足」の「ぶ(ふ)」を言っているときには、すでに、過去の出来事になっているんだよ。
「ど」「りょ」「く」と言ったということは、そのあとの「ぶ(ふ)」を言っているときには、過去の出来事なのである。
しかし、「努力不足」言葉全体の意味を考えるなら、「ぶ(ふ)」「そ」「く」という言葉に影響を与えている過去の出来事なのである。「そ」のまえに「ぶ(ふ)」と言い、「く」のまえに「そ」と言わなければ、「ぶそく」と言ったことにならないのである。これは、とりもなおさず、過去のことが現在の認知に影響を与えているということなのである。
そして、「努力不足だからダメなのだ」と言ったという過去の出来事は、ぼくの「現在の感情」に影響を与えるのである。Aさんが言ったなら、Aさんに対するぼくの「現在の感情」に影響を与えるのである。だから、過去は関係がある。
Aさんが努力論者だとする。その場合、なんらかの努力をした……ということは、成功するかどうかに影響を与えると考えているということを意味しているのである。ところが、Aさんは努力論者なのに、「過去は関係がない」とどや顔で、豪語するのである。Aさんは、自分が言っていることの意味がわかっているのかと、ぼくは疑問に思う。こういう人は多い。
Aさんは努力論者なのに、ぼくが、努力論の批判をすれば、ぼくが努力を論を批判したという過去の出来事を重視するのである。ぼくが努力論を批判したということに、Aさんが腹を立てて「単純なのが正しい」とか「だいたいあっている」とか「こまかいことは、いいんだよ」とか「理屈じゃねぇーーんだよ」とかと言ったとする。
その場合、ぼくが過去のある時点において、努力論を批判したという出来事が、そのとき……「単純なのが正しい」とか「だいたいあっている」とか「こまかいことは、いいんだよ」とか「理屈じゃねぇーーんだよ」とかと言っているときの感情に影響を与えているのである。ようするに、過去は関係がある。過去の出来事は、関係がある。
これを、否定して、わけのわからないことを言いやがる。しかも、こういうふうに言ったあとも、「過去は関係がない」と考えているのである。「ぬけぬけ」なのである。いいかげん、矛盾に気がついてくれ。
* * *
「不足」という言葉は普通は「ふそく」と発音されるのである。しかし、まえに「努力」という言葉がつくとたいていの場合は「ぶそく」と発音されるのである。
不足という言葉を単独で言う場合、たいていは「ぶそく」とは言わないのである。
「ふそく」のまえに、単語があるかどうかということや、不足という単語のまえにある単語は、「ふそく」と発音するか「ぶそく」と発音するかに影響を与える。
これも、時間的に過去の出来事が……つまり、時間的に過去の発音が……現在発音中の単語の発音に影響を与えるということの例だ。まあ、そんなことを言わなくても、過去の出来事は、現在の状態に影響を与える。
じゃあ、過去否定論者というのは、なにを言っているのかというと、じつは、「過去にこだわるな」ということを言っているのである。ようするに、「こだわること」を問題にしているのである。
ところが、この「こだわること」を問題にしているということが、本人にとっても、あいまいなのである。
「過去にこだわるな」と言いたいのか「過去は関係がない」ということを言いたいのかということが、本人にとって、よくわからないことなのである。
ひょっとしたら、「過去にこだわるな」という文と 「過去は関係がない」という文は、おなじ意味をもっていると考えているのかもしれない。
そして、前にも書いたけど、不可避的に影響を受けて、能力を失った相手に対して「過去にこだわるな」と言うのは、よくないことなのである。
これも、失礼な話なんだよな。相手がこれこれに「こだわっている」という断定は、よくない。もう、前に書いたから、説明は省略する。