2019年2月22日金曜日

意志と無意識の関係 「うえ」が「した」を支配することができない


「やるぞやるぞやるぞ」と言うことで、やる気が出るかどうかという問題。
これは、言ってやる気が出るとき、言ってもやる気が出ないときがある。言うことでやる気を出せると考えている人は、体調を含んだ無意識のことを無視している。

とりあえず、「うえ」と「した」で表現する。「うえ」が思考だ。意図的な思考だ。

「した」は無意識だ。

けど、これは、単なる無意識じゃなくて、ぐっすり眠ったかどうかと、連続的な作業が続いてつかれていないかどうかというような「体調」も含んでいるとする。この頭がさっぱりしているとか、さっぱりしてないとか、からだが重いとかからだが軽いということは、実際には、影響を与える。意志と行動に影響を与える。

しかし、体調というのは、基本的に無視される傾向がある。意識だけが問題にされる傾向がある。意識というのはこの場合は、意図的な思考だ。

「やるぞやるぞやるぞ」と言うことで、無意識的な部分が引っぱられるという理論を展開する人がいる。ようするに、彼らによれば「うえ」と「した」は連動しているので、「うえ」が「した」に「はっぱをかける」ことで、「した」もその気になるということだ。

けど、それはちがう。つねに「した」のほうが優位なのである。

たしかに連動はしているけど、それは、「した」から「うえ」に対する連動で、「うえ」から「した」に対する連動じゃない。だから、「やるぞやるぞやるぞ」と何回も言っているわりには、まったくやる気がしないということがしょうじる。

「した」の方が優位で、「うえ」が思ったようには「した」は動かない。

「うえ」が「した」を支配することができない。したがえることができない。「うえ」が「した」を無視して「やろうやろう」とすると、あるいは、むりをして「やっている」と、「した」のほうが、ストップをかける。「した」には「した」の事情があるからだ。

それでは、どうして、「やるぞやるぞやるぞ」と言うとやる気が出てきたような感じになることがあるかというと、それは、「した」がそれなりに働いているからだ。通常運転をしているからだ。「した」がダウンしている場合は、どれだけ「やるぞやるぞやるぞ」と言ってもやる気が出ない。「した」がダウンしているときは、だめだ。

また、「した」が実は「やりたがっていない」場合も、だめだ。「うえ」の命令を、あたかも「した」がきくように感じられるときは、……実際はそうじゃないのだけど……実際は、「した」が(「うえ」の)いうことを聞いているわけではないのだけど……もともと、「した」が「うえ」と同じ方向を目指しているときに、生じる現象だ。

「した」が通常運転をしていて「うえ」と同じ方向を目指しているときは、あたかも、「した」が「うえ」のいうことを「きく」ように見えてしまうのである。そういう人たちにとっては、これは、都合がいい考え方のなので、そういう人たちには、そういうふうに見えてしまう。

本当は、いつも、「した」方が優位なのだ。「した」が「うえ」が命令したことと同じ方向を目指しているときは、あたかも、「うえ」が「した」を屈服させたように思えるのである。これを、過大評価して、「うえ」が「した」を支配することができると考えている人たちは、間違いをおかしている。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

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用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。