2018年4月21日土曜日

困らせたということが、ホネのズイからわからない

ここまでの段階で、つかれたので横になる。



一回目のごはん(うどん)

ご飯を炊く

風呂に入る

文章を書く

他の人のブログを読む



つかれた。



けど、横になってもつかれがとれないんだよな。



他の人のタイ旅行の話しなどを読むと、うらやましくなるが、じゃあ、行くのかというと行かない。ちなみに、金はある。(あとでどうなるか知らないけど)。あとのことを考えないのであれば、行けなくはない。



あーーあ。それにしてもヘビメタ騒音が苦しかった。ヘビメタ騒音で、タイに行ったとしても、おもしろくない。ヘビメタ騒音病、ヘビメタ騒音障害というのはそういう障害だ。

これ、俺が勝手に思っているだけで、自分だったら、そんなくらいことは考えないでもっと人生を楽しんでいる。楽しくないなんていうのは、甘えだ」と思う人がいるかもしれないけど、その人は、実際に!!!やられたことがない。

毎日あの騒音が続く状態で、暮らしたことがない。体験としてわかってないからそういうことを言えるだけだ。そういうことを思えるだけだ。はっきり、言えば、傲慢なんだよ。そして、間違っている。常にそういう間違ったことを言う。

しかし、その人はけっきょく、一四年間のヘビメタ騒音を体験してないわけだから、たぶんいっょうわからない。で、わからないことは、そのひとにとってはいいことだと思う。だいたい、そういうことでかりに!間違っていたとしても、それで、不愉快な思いをするのはエイリという個体だけで他の個体は、その人がそういう考え方をもっていたとしても、別に困らないし、腹も立てない。不愉快な思いをしない。



ヘビメタ騒音は、そういう障害なんだよ。俺がいま語っているだろ。で、俺が語っていることは他の人にはまったく意味がないことなんだよ。ヘビメタ騒音障害というのは、そういう障害だ。

で、『考え』というのは、その人の実体験と関係があるので、その人にしたって別に『考え』をかえたりしないと思う。

俺に、ああだこうだということを言われても。体験がないだけだと言われても。実際に体験したら、そんなことは言えなくなると言われても。体験してないのだから関係がない。経験がないのだから、経験からしょうじるあれやこれやのことに関しては、『仮定の話になる』わけで、仮定の話なんて、関係がないと言えば関係がないと言える。



というわけで、経験した僕と、経験してない圧倒的多数者あいだには、ヘビメタ騒音障害をめぐって、意見の対立がある。溝がある。この溝はうまらない。そっちが、体験したらうまるだろうけど。



気違い兄貴にしたって「よそのいえ」ではやらないのだから、気違い兄貴による気違いヘビメタ騒音に関して言えば、他の人は経験しようがない。



どれだけの差か。



(漢字変換を気にしないで書いたので、どこかで、漢字が間違っているかもしれない。いまちょっと、見なおす気持ちがない。間違って変換したときに、変換をなおしていると、書きたいことが書けなくなってしまうので、とばして書く。けど、あとで見なおしたとき、それに気がつけるかどうか、わからない。自分が書いたばかりの文章だと案外、見落としがある。いちおうなおしたけど)



いま、日曜日の午前一〇時四五分だろ。がんがん、けたたましい音で鳴っているよ。気違いアニキしたって、「よそじゃ」一分だって鳴らせないようなデカイ音で鳴らしているよ。ヘビメタが好きなカオ君がおどろいてしまうようなデカイ音で鳴らしているよ。

そして、日曜日、午前一〇時四五分から、午後一時、午後三時、午後五時、午後七時、午後八時、午後九時、午後一〇時、午後一一時と、何回も何回も「やめろ!!!やめろ!!!やめろ!!!やめろ!!!」「静かにしろ!!!静かにしろ!!!静かにしろ!!!静かにしろ!!!」と怒鳴り込んでも絶対に、一分も静かにしないまま、鳴らし続ける。それが、兄貴の普通の状態だ。



気違い兄貴がわかってないのである。ぜんぜんやってないと思っている。頭がおかしい。気違い親父とおなじで、自分が集中して、絶対の意地でやり続けたことは、一分もやってないことなのだ。一回もやってないことなのだ。この認知のズレ!! そして、その認知ズレに対応するように、実際に鳴らしているときは、気違い的な態度で踏ん張ってゆずらないんだよ。この気違い的な頑固さをどう説明するんだよ?

親父とおなじなんだよ。

とことんおなじなんだよ。

意地の強さと、やってないと思う認知のズレの強さがおなじ。意地が強ければ強いほど、やってないと思う気持ちが強い。強烈な意地でやったことは、強烈な意地で「やってない」と思う。感覚する。認知する。強烈な意地で「やってない」と言い張る。「やった」ということを強烈な意地で認めない。「やった」ということを強烈な意地で否定する。やっているときの意地の強さと、やりきったあとの「やった」ということを否定する意地の強さが、正比例しておなじ。おなじ強度で否定する。

頑固に無視している状態が、極大なら、「そうした」ということを否定する強度も極大なのである。頭がおかしいから、そうなっている。気違い兄貴だって、親父のそういう性格や認知で、どれだけ苦労したと思ってるんだよ。気違い兄貴だって、気違い親父のそういう性格や認知でものすごく困った思いをしてたんだよ。腹を立ててたんだよ。いちいち腹を立ててたんだよ。親父と一〇分間接触したら、兄貴は一〇分間極大値で腹を立ててたんだよ。自分が経験したことなのにかわらないのか?



兄貴の態度は、親父の態度とまったおなじ。こだわりきって、気違い的な意地でやったことは、やってないことなのである。自分には関係がないことなのである。

じゃあ、やっているときに、「やめてくれ」と言ったらやめてくれるのかというと、それは絶対にないことなんだよ。これまた、『絶対にやめてやらなかった』ということは、絶対の意地で否定するんだよ。否定することになる。

そういう「しらばっくれ」がどれだけ腹が立つものだと思っているんだよ。気違い親父にやられて、気違い兄貴はわかってるんだろ。気違い兄貴は、親父のやり方をそっくりまねして、ヘビメタを鳴らし切った。これは鳴らしたいから鳴らした。「やめてやりたくないから、絶対にやめてやらなかった」。これが正しい。

「知らなかった」「そんなんじゃない」と嘘をついている。

で、嘘をつき始めたら、一〇年間でも二〇年間でもおなじ嘘をつくのである。これも、やり始めたらとまらない……ずっとヘビメタを鳴らしていたというのとおなじ構造だ。



で、絶対に普通の意味では『気にしない』。気にならないことはどれだけ言われたって、気にしないのである。気にならないのである。そもそも、どうして気にしなければならないのかわからない状態なのである。だから、どれだけ「やめてくれ」「これこれ、こういう理由で困るからやめてくれ」と言われても、言われたつもりがしょうじない。そんなのは、「不都合だ」「不愉快だ」と感じたときに、はねのければ、何万回、何十万回言われても、一回も言われた気持ちになれないのである。こういう、障害! こういう病気!



ほんとう自分にとって都合がいいようにずれている。こういうのも、親父とおなじ性格だから。ぜーーーぶ、おなじ。



そういうことで、俺がどれだけ他の人から下に見られて、どれだけバカにされてきたか。ほんとうに一〇分の一の能力で、「遅い」「甘えている」と文句を言われながら生きているような状態になる。

気違い兄貴のヘビメタがなければ僕のほうが勉強ができるのに、その勉強が出ないやつに、勉強ができないと思われているような状態が続くんだよ。こんなでいいわけがないだろ。俺は必死になって、『勉強するから静かにしろ』『主題をするから静かにしろ』『試験だから静かにしろ』と一日に何回も何回も怒鳴り込んだからな。

気違い兄貴が親父の態度でやり続けて、気違い兄貴が親父の態度で無視しただけだろ。気違い兄貴が親父の態度で、なんとも思わなかっただけだろ。これ、ほんとうに親父とおなじなんだよ。どれだけなにを言っても、親父は、気にしない。気違い親父が押しつけたもので、子供がいやな目に遭ったということを最後の最後まで認めない。理解しない。

どれだけ、子供が、バカでもわかるようにそのまま、言ったとしても、認めない。感じる力がないから、わからない。どれだけ説明しても、気違い親父が押しつけたハンダゴテで、恥をかいたということがわからない。子供がどれだけちゃんと説明してもわからない。「なんだ!!そんなの」と怒り狂っておしまいだよ。兄貴もおなじ。「試験だから静かにしてくれ」と言われても「なんだ!!そんなの」と怒り狂っておしまいなんだよ。

こっちが困る!ということは、絶対に認めない。

最後の最後まで認めない。

こっちが、バカでもわかるようにどれだけわかりやすく説明しても、一切合切認めないでやりきる。で、一切合切認めないでやりきったら、どれだけ迷惑をかけていても、迷惑をかけたことにならないのである。どれだけ相手を困らせたとしても、困らせたということが、ホネのズイまでわからない状態なのである。ホネのズイからわからない。

親父とおなじだから、親父とおなじ状態でわからない。ちょうど、兄貴がハンダゴテで恥をかいたということかわからないように、宿題ができなくて困ったということがわからない。わからないとなったら、わからないんだ。

こんなの、何十万回怒鳴って言っても、どれだけはっきり言ってもわからない。そういうことを受け付ける回路そのものが欠けているからわからないといった感じでわからない。実際、生きているあいだ、気にしない。どれだけ言われても気にしないし、気にならないんだよな。あとは、適当に「そんなんじゃない」と声を張り上げてその場をしのいでしまえば、それも、関係がないことになる。だから、何年経っても、何十万回言っても、かわらない。



そういう「ひどさ」なんだということが、よそのひとには、これまた、とことんわからないんだよな。『そんなことないんじゃないか』と思われる。そして、そうしてやられたことの全体量を低く見積もられる。自分ならば、そんなのは、どれだけやられたって、ゆるすことができる。自分ならば、そんなのは、どれだけやられたって、過去のことだと思うことができる。……そういうことを言っている人だって、実際にやられて、自分の力が一〇分の一になれば、わかるよ。過去のことじゃないんだよ。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。