弱っている人には、えらそうなことを言う……。こまっている人には、えらそうなことを言う……。
こういうやつらを、量産しやがった。
こいつらは、「ぬけぬけ」だから、自分がなにをしているのか、自覚がない。
「自己責任で生きているつもり」の人……。
ぜんぜん、自己責任で生きていない。
こまっている他人には「そんなのは、自己責任だ」と言うのである。
弱っている他人は「すべては、自己責任だ」と言うのである。
こいつらが、ほんとうに、「自己責任で生きているか」といえば、自己責任では生きていない。
こいつらは、自分が、一倍速で経験している場合は、「相手の責任だ」と考えるのである。
そう思う根拠が、あるのである。
一倍速で経験したことだから、認知とメタ認知が成り立ち、『自分のせいではなく、相手のせいだ』と考えるのである。
ところが、『自分のせいではなく、相手のせいだ』と考えたことは、「あたりまえのこと」として処理されて、「自己責任で生きていない」ということに、まったく、気がつかない。
「ぬけぬけ」なんだよ。
「ぬけぬけ」だから、「自己責任で生きている」という意識を維持できるだけだ。
「世のため人のために行動しよう」「ほかの人に迷惑をかけないようにしよう」「人がいやがることはしないようにしよう」「人にやさしくしよう」「人に親切にしよう」「人に感謝しよう」 と言ってたって、実際にやっていることは、こういうことだ。
運用に問題があると言っているだろ。
そもそも、認識が発生しないことがあると言っているだろ。
「世のため人のために行動しよう」「ほかの人に迷惑をかけないようにしよう」「人がいやがることはしないようにしよう」「人にやさしくしよう」「人に親切にしよう」「人に感謝しよう」と思っている人がどれだけ増えても、世の中なんて、よくならない。そうなっている。
「明るいことを考えましょう」「ポジティブなことを言いましょう」と他人に言う人が、どれだけ増えても、世の中なんて、よくならない。そうなっている。
「ぬけぬけ」だから、現実の場面では、ほかの人に、親切にしないのだ。かわりに、ほかの人が、いやがることをする。ほかの人がいやがることをしたという認知がしょうじない。
本人の認知は「いいことをした」という認知なので、ぜんぜん、世の中がよくならないのだ。
他人の現実を無視して、他人に無理なことを押し付けているときも「正しいことをした」と思っているのである。
それなら、どれだけ、 「世のため人のために行動しよう」「ほかの人に迷惑をかけないようにしよう」「人がいやがることはしないようにしよう」「人にやさしくしよう」「人に親切にしよう」「人に感謝しよう」と思っていたって、むだだ。
現実的な場面では、妄想的な理論を押し付けたり、無理なことを押し付けたりしている。
けど、それに気がつかないのである。自分が一倍速で経験したことに関しては、成り立っている「常識」が、他人が一倍速で経験したことに関しては、成り立っていないのである。
* * *
こいつらにとっては……こまっている人に「妄想的な無理なこと」を言うことが、いいことなのである。これじゃあ、世の中なんてよくならない。