現在、なんとかweb系の仕事で食べています。このブログで扱う問題は「この世とはなにか」「人生とはなにか」「人間とはなにか」「強迫神経症の原因と解決法」「うつ病の原因と寄り添う方法」「家族の問題」などについてです。
2014年10月31日金曜日
こころのなかで、ぐるぐる回転している
2014年10月29日水曜日
これはこれで、苦しい。
起きたあと、苦しい。眠っているあいだも苦しいけどな。
普通の状態……きちがいヘビメタ騒音をやられる前の状態には戻れないけど……そういうことを度返しにして考えても、やはり、波がある。たとえば、ヘビメタ騒音にやられる前の普通の状態を一〇〇だとする。そうすると、どれだけ調子が良くても、今は、七ぐらいにしかならない。けど、〇と七では違う。いちおう、マイナスはないものとする。
ヘビメタ騒音以降、ずっと体の調子が悪いけど、それでも、波はあるんだよな。からだの波と、精神の波か。けど、苦しいことには変わりがないんだよな。苦しいけど、苦しさがちょっとずつ違う。いまは、昼間、起きているサイクルになっているのだけど、この光のなかで、俺はしおれている。なんというのかな? 光の中の闇。昼間起きているのは、昼間起きているということだけで、精神的に、苦しいわ。まだ、夜のほうが楽だというのはある。昼間はなぁ。特に、今日みたいにギラギラに晴れているとなぁ。
これはこれで、苦しい。
こりゃ、やばいぞ。どうにかしなければと思うけど、どうにもならないな。そういう気持ちを、どれだけ繰り返してきたかわからない。けど、けっきょくどうにもなってないなら、どうにもならないのだろう。毎日、やせ我慢。やせ我慢の毎日。どれも、本当に、憂鬱だ。ヘビメタ騒音以降、ずっと、「こらえて」生きている。やけどしそうな光線を浴びて、こらえて、生きている。本当に、ヘビメタ騒音の毒で、全部が、憂鬱で憂鬱でしかたがない。で、そこから、脱出を試みて、失敗している。まあ、きちがい兄貴を静かにさせることができなかったというのも、もちろん、失敗だ。あれ、殺して静かにさせればよかった。これ、殺したら殺したで、「他に方法はなかったのでしょうか?」などと、言われてしまうのだろうけど。ないよ!!!!!!!!!!!ない!!!!!!!!!
どれだけ、俺が、きちがい兄貴を静かにさせようと、頑張ったか、働きかけたか。けど、絶対に、静かにしなかった。で、朝の雰囲気は朝の雰囲気で、最悪だ。昨日、医者に行けなかったのも、時間は十分にあるのに、やはり行けないんだよな。一日、行くだけでも、そんな感じになる。これ、本当、ヘビメタ騒音の朝、そのものだな。こういう気持ちでいたんだよ。まあ、その頃は、こういう気持ちを振りきって、学校に行ってたわけだけど、……振りきって、と言っても、なんというのかな、本当は痛いけど、気にしないようにしているだけで、本当は痛い。ふらふらな気持ちで、我慢しているだけ。本当は、こたえているのに、こたえてないぞと、無視しているだけ。けど、圧迫感がある。雰囲気がもう、きゅーーっと、自殺したい気分だ。で、頑張ってた。けど、限界がある。毎日、続いた。本当に苦しかった。
どのみち、医者も他人も、わからない。わからないところで、ものをいってる。だって、本人が経験したわけじゃなからね。「時間」っていうのがあるんだよな。俺がこうなるには、……こういう気持ちになるには……一五年以上の、時間の経過がある。もちろん、一五年間、毎日ヘビメタ騒音で苦しかったといこうとは、通じるんだろうけど、それは、言葉として理解したというだけの話だ。もちろん、僕にしても、他人の経験に関しては同じことが言える。他の人が経験したことは、僕が経験したことじゃない。かりに似たようなことを経験していたとしても、それは、似たようなことだ。それ自体じゃない。それ自体を「経験」するには、経験する時間がかかる。時間は、大きい。時間という要素は、大きすぎる。
あとは、ま、あ、こういうことを書いて、俺が死んだ場合、それは、なんだったんだろうって思う。
2014年10月27日月曜日
ヘビメタが鳴っているから、死にたかった。
いまも苦しい状態が続いている。こんなに晴れた朝も、気分が悪い。破滅的にだるい。死にたいと思う。まあ、なかなか死ねないんだけどね。それから、これは夜の話なんだけど……夜、起きた時に、「うわっ」て思う。ヘビメタが鳴っている入試当日みたいな気分になる。「このままじゃダメだ」「このままじゃ破滅だ」って思っていた。で、そういう、切羽詰まった時も、きちがいヘビメタが鳴ってた。容赦なく、ドカスカ、どでかい音で鳴ってた。だから、「やめろやめろ」と怒鳴り込んだだろ。怒鳴り込んだあと、ちゃんと、静かにしてくれたことがあるかよ。ないよ! これが、わからないんだから、しかたがない。そういうやり方で、一二時間鳴らせれば、一二時間、頑固に、でかい音で鳴らしてきたのが、きちがい兄貴だ。入学試験前日だろうが、日曜日で一二時間鳴らせるなら、「静かにしてやったつもりで」ドカスカ、どでかい音で、一二時間鳴らしていた。それで、なんにも感じなかった。どれだけなにを言われても、なにも感じなかった。どれだけなにを言われても、自分が損をする形で、静かにするつもりはまったくなかった。だから、一分だって、本当には静かにしないで、ドカスカ、どでかい音で鳴らし続けた。何度も言うけど、入学試験前日の日曜日に、さんざんなら砂と言われているにもかかわらず、一二時間、どでかい音で鳴らしきって、なにも感じない。それどころか、五分間、〇・一デシベル(うるさい音のまま)静かにしてやったから、「十分に、静かにしてやった」「できるだけ静かにしてやった」と恩着せがましく思うような状態だ。ぜんぜん、話が通じない。殺さなければ、一分だって、本当には!静かにさせることができない。
入学試験前日ですらそういう状態なんだから、中間期末試験前日に、静かにするわけがないだろ。一分だって静かにしてもらってないよ。中間期末試験中だって、ずっと、一日に一分だって静かにしてもらってない。だから、静かにしてもらってない。きちがい的な意地でやり続けた、きちがい兄貴に、いまさら、そういうことを、説明しなきゃいけないのだから、地獄だ。こういうこと自体が、きちがい兄貴の騒音に対する態度を物語っている。そういう、「態度」でずっと、無視して、ガンに鳴らしてきたんだよ。そして、自分が、問題なく、(本当には我慢しないで)鳴らし切ることができれば、本人は、「協力してやった」「できるだけ静かにしてやった」と思う……そういう状態だ。だから、本人は、「まったく邪魔したつもりがない」のである。俺の!入試の邪魔をしたつもりがない。俺の!中間期末試験の邪魔したつもりがない。俺の!勉強の邪魔をしたつもりがない。
つもりがないだけで、邪魔しきっている。けど、本人は、それを認めない。もし、認めてしまったら、「自分が嫌なかたち」で静かにしなければならなくなるからだ。つまり、「本当に静かにしなければならなくなる」からだ。本当に静かにするのは、たとえ一分だって、絶対に絶対に、嫌なのである。死んだって、嫌なのである。そういう、感情に、きちがい兄貴自身が、気がつかない。どうしてかというと、本当に静かにしてやらなければならない状態になったことがないからだ。本当に、静かにしてやらなければならない状態になった……ら、そりゃ、目を三角にして発狂状態なんだよ。だから、どれだけなにを言っても、……家族会議でどれだけなにを言っても、首を縦に振らなかった。不愉快な顔をして、二階に上がって、自分の部屋に入って、鳴らしきった。一時間、二時間、三時間、四時間、五時間、六時間、七時間、八時間、九時間鳴らしきった。それが、俺の入試、前日、前前日、三日前の状態だ。こんな状態で、受かるわけがないだろ。
そうじゃなくても、中学三年間、高校三年間、毎日毎日、一日の例外もなく、ずっと、きちがいヘビメタが可能なときは、全部の時間、ドカスカどでかい音で鳴らすと、決まっていた。もう、本当に、決まっている。で、どれだけなにを言っても、それが変わらない。一日だって、変わらない。
きちがい兄貴にはそういう「意地」があるのに、本人は、無頓着なんだよ。そんな意地は、ないということになっている。ぜんぜん、自分で意識してない。けど、あるんだよ。で、それがあらわになるのは、自分が追い詰められて、静かにしなければならなく鳴った時だ。で、そういう日は、一日しかない。きちがい兄貴が、首を縦に振らなければ、どれだけ家族会議を開いても、きちがい兄貴が、すべての時間、……きちがい兄貴が満足できるどでかい音で……鳴らしていいということになっていた。きちがい兄貴のなかでは、意識はしないけど、自分が満足できる音で鳴らしていいということになっていたから、自分が満足できるでかい音で、弟の入試前日だろうがなんだろうが、鳴らしていいということになっていた。だから、それで、(悪気」はないんだよ。こういう、構造だ。
きちがいすぎて、他の人に説明しても、どれだけの人がわかってくれるか、ぜんぜん自信がない。で、おどろくべきことは、きちがい兄貴が、「他の人のように」わからないということだ。それで、意地を張って……現実的な生活のなかでは……きちがい的な意地で鳴らし切る。で、弟の入試前日に、文句を言われたあと、一二時間鳴らしきっても、本人は、さっぱりしていて、なにも悪いことをしたつもりが生じないという状態だ。だから、「気楽」なんである。だから、「しらなかった」なんていうことになるのである。だから、「十分静かにしてやった」とか、嫁さんの前で言うことになる。全部、きちがい構造から出てくる、嘘。大嘘。自分で、嘘だと思っていないから、たちが悪い。そういうやつだから、本当には、静かにしてやらずに、やり切って、なにも感じなかった。そういう話だ。きちがい兄貴が張本人で、問題の人なのに、その、張本人で問題の人が、常に、「かやのそと」なんだよ。関係ないと思っている。そういう、異常な状態だ。そういう異常な精神状態、そういう異常な家族関係だ。こんなの、普通の家に生まれて育ったやつがわかるはずがない。
だから、「そんなのあるのかな」「いってるだけなんじゃないの」「それ、本当なの?」というような疑念が生じる。
だから、そういう人たちからみると、俺が勝手に「ダメ人間」になっているようにみえるのである。俺が勝手に、あるいは、もとから、注意欠陥系の障害があるようにみえるのである。そんなんじゃない。ヘビメタ騒音で苦しいんだ。
2014年10月21日火曜日
本当、そんなんじゃないよ。
こまったな~~~~
あーー。
2014年10月20日月曜日
ヘビメタ騒音が始まってから、ずっと、だるい。
このだるさは、ヘビメタ騒音以来、変わらないのだから、ヘビメタ騒音が原因なのだと思う。この雰囲気、このだるさ、この憂鬱。たまらん。本当に、生きてたくない。きちがいヘビメタのせいで、全部めちゃくちゃ。全部、だるい。全部、だるい。
ずっと鳴らして、やめてくれなかっただろ。日曜日なんか、十二時間鳴らしている。だるすぎる。本当に、どれだけ言っても、どれだけ怒鳴りこんでも、そこでちゃんとやめてくれたことがなかった。だから、苦しい。ずっとやられっぱなしじゃないか。ずっと、きちがい的な嫌な音が続く。そんなんで、元気なわけがないだろ。そんなんで、いいわけがないだろ。他人は、そういうことを知らないから、「もっと元気に」動くことを要求してくる。そういう要求に答えられず、窮地に追い込まれる。帰ってくれば、きちがいヘビメタが鳴っている。休みの日は、朝からきちがいヘビメタが鳴っている。どれだけ、元気でも、どれだけ健康でも、元気じゃなくなるよ。健康じゃなくなるよ。
きちがい兄貴の態度というのは、「どれだけ鳴らしても」鳴らしてないのと同じ」という態度だ。そういう態度で、一秒もゆずらずに、全部の時間、鳴らし続ける。きちがい的なでかい音で鳴らし続ける。その場で、金槌で頭を殴って殺さなければ、絶対に、静かにさせることができない。別に、金槌じゃなくても、いいけどさ。ともかく、殺さなければ、静かにさせることができない。で、自分の部屋に返って、きちがいヘビメタがドカスカ鳴っている自分の部屋で、勉強しようとする。けど、それができない。どうしても、ヘビメタ騒音でできない。これも、世間様は、「ヘビメタ騒音で勉強でないなんていうのは、甘えだ」「どれだけ鳴ってたって、勉強なんて、やろうと思えばできる」なんて言う。できない。その世間様はできるのかもしれないけど、俺は、できない。おまえ、あの空間を経験したことがあるのか。何時間も何時間も続く状態を経験したことがあるのか? あの音で!
けど、世間様は、そういう(ご自分の意見)を言っただけで、別に、俺に悪いことをしているわけではない。けど、むかつく。おまえ、本当に、あの音のでかさで、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も鳴っている中で、勉強できるのかよ?って言いたい。一〇分やそこらじゃないんだぞ。一日だけ、うるさいというわけじゃないんだぞ。ずっと、際限なく、毎日くうるさいんだぞ。……少なくても俺は、どれだけ、勉強しようと思っても、きちがいヘビメタ騒音のなかでは、勉強できなかった。勉強することができなかった。しかも、ムダに疲れる。ものすごく、疲れる。ずっと、何時間もマラソンしている時より疲れる。もう、ともかく、はちゃめちゃ。覚えたことですら、ヘビメタ騒音の中で復習しようとすると、「あやふや」になる。おぼつかなくなる。できることさえ、できなくなってしまう。
ともかく、つらい。死にたい。死んでもなんにもならないが、ともかく、つらい。死にたいほど憂鬱になる。だるい。もう、布団の中で、何回「もう死ぬかな」って思っているかわからない。ずっと、むかしからそうだ。ずるずる生きているけど、ずっと昔から、ヘビメタ騒音で苦しくて、死にたい。
……なにが、「それは、家族で話し合ってください」だ。家族で話し合って、解決するなら、とっくに解決している。
2014年10月17日金曜日
全部、めんどう。
めんどうだ。めんどうだ。
もうちょっと、寝るか。なんか、心細いな。
全部、めんどう。
ヘビメタ騒音が去来する。これは、ヘビメタ騒音の雰囲気だ。ぜんぜん、変わらない。何年たっても変わらない。午後七時は、きちがいヘビメタが鳴っている雰囲気がする。もう、死にたい。全部ない。
心細さは、感じるぞ。感じる感じる。これもヘビメタ騒音の時の心細さだ。「これからどうなってしまうんだろう」ということで、ずいぶん悩んだ。やけくそと、心配。きちがいヘビメタが鳴っているあいだ、ずっと、苦しかった。終わらなかった。
きちがい兄貴、おまえ、軽い気持ちでやったのか?
俺は、何万回も言ったぞ。
絶対に、静かにしてくれなかった。
とてつもなく、不安だよ。どうやっても、道が拓けない。ヘビメタで打ち消されてしまう。ヘビメタが重荷になって、そもそも、ふさがった気分だ。だから、さんざん、言ったじゃないか。きちがい兄貴が無視して、きちがいヘビメタを鳴らしただけ。きちがいヘビメタを、弾いただけ。無視してただけだ。自分にとって不都合なことは、絶対に認めない。どれだけ言われたって、言われていないのと同じ、という態度だ。だから、「つもり」がない。そうやって、何時間も何時間も、何時間も、何時間も、何時間も、何時間も鳴らしてきた。一日に七時間から一四時間なんて、長すぎるだろ。いっくら長くても、一日に二時間だ。あの音のでかさで二時間も鳴らせるうちは、うち以外にないけどね。本当に死にたい。おまえ、きちがい兄貴のせいで、俺がどれだけ……。何年間、何十年間、こういう気持ちで生きてきたと思っているんだ。おまえ、きちがい兄貴、ふざけるな。
ヘビメタ騒音のせいなんだと言っても、他の人は、「言い訳をしている」と思う
いま、俺は、この部屋に取り残されているのだが、……したがって、いま!鳴っているわけではないのだが、しかし、ヘビメタ騒音で苦しい。ぜんぶの朝の雰囲気が、ヘビメタ騒音だ。ヘビメタ騒音の雰囲気だ。本当に、やめて欲しかった。けど、絶対に、一分だって、やめなかった。一分もやめずに、毎日、すべての可能な時間を使って、きちがいヘビメタを鳴らし続けた。こっちがテストだろうが入試本番だろうが、絶対の維持で鳴らして、どれだけ、なにを言われても、やめなかった。これが、一五年間のきちがい兄貴の姿であり、態度なのだけど、きちがい兄貴は、「まるで知らない」といったような状態なのだ。こんなことはあり得ない。けど、ある。そういう具合に、都合良く出来ている。そういう具合に都合良く出来ていて、「どれだけなにをいっても」けっきょく、やめてくれなかった。スイッチを切って静かにしてくれるということが、一日の中で一分もなかった。鳴らしっぱなしなのである。それから、スイッチを切らなくても、「下のテレビの音」ぐらいにしてくれるということもなかった。「下のテレビの音」でも十分に聴こえるのだから、そのくらいの音量で聞けばよいのだ。しかし、きちがい兄貴にとって、ヘビメタは、大音響で鳴らさなければ感じが出ない?音らしく、かならず、大音響で聴いていた。きちがい兄貴が、ヘビメタを、「下のテレビの音」ぐらいに落としてくれたことがない。これは、一分もない。たぶんだけど、「感じが出ない」からだろう。
ともかく、「これくらいの音で鳴らしていいんだ」と決めつけて、頑固に鳴らした。それから、頑固にやっていることは、「やっていると認めなくてもいい」と決めつけて、頑固に認めなかった。一日に一四時間、頑固に鳴らしていても、本人は、「鳴らしてないつもり」なのである。「鳴らしてないのと同じ態度」ということになる。どれだけなにを言っても、そういう態度なのである。だから、やめるということがない。それが、きちがい兄貴の「うち」での姿だった。「よそ」の家に行けばやめられるのだから、「やめられない」ということはない。
しかし、「うち」では、一分だって、「やめる」という選択肢はなかった。絶対にない。それから、「絶対になくても、おかしくない」というような態度だったのだ。「絶対に、静かにしてやらないのだけど」それは、「あたりまえのこと」なのである。「極普通のこと」なのである。だから、本人は、特に悪いことを、しているつもりがない。これも、どれだけ、もめても、どれだけ、文句を言っても、絶対に、「悪いことをしているつもりが生じない」という特異な態度で、他の人に、これまたドレだけ説明しても、わからないものだ。
で、屈辱的なのは、本人に説明してもわからないということだ。あれだけやっておいて、「つもりがないのかよ」と言いたくなる。ともかく、「うち」のなかで、どれだけもめても、ダメだったんだ。一分も静かにならない。だから、午前七時は、前日午後一一時一一分までヘビメタ騒音を七時間近くやられて苦しい状態なのだ。これ、本当に、「眠れない」。きちがいヘビメタ騒音を約七時間浴びると、眠れなくなってしまうのだ。で、これも、「夜更かしなんて良くないよ」などと言われてしまう原因になる。事実、「夜眠れない」。しかし、他の人には、ヘビメタ騒音なんていう特異なハンディのことはわからないから、俺がそういうふうに言われてしまう。で、そういうことが、嫌で嫌でしたがなかった。俺の対人関係や、俺の対人関係の「雰囲気」の一因になっている。全部が全部、こういう状態でダメになっていく。とにもかくにも、つらい。不名誉なことになってつらい。
浪人だって、無職だって、……これ、本当に、きちがいヘビメタ騒音のせいなんだ。けど、「きちがいヘビメタ騒音のせいなんだ」と言っても、他の人は、「言い訳をしている」と思うだろう。「ヘビメタ騒音?なにそれ?」という世界なのだから。そして、そういうふうに感じる人の世界には、きちがい兄貴のような変な人が、いない世界なのである。だから、俺が言っていることが「変」に感じる。本当に、「ヘビメタ騒音のせい」なのに、「ヘビメタ騒音のせい」と言えない現実がある。で、そういうことが、これまた、つらくてつらくてしかたがなかった。だから、「騒音」というのは、そういうところでも問題なんだ。長時間、毎日続く騒音というのは、そういうところで、問題が生じる。きちがいヘビメタ騒音が鳴っている時だけ……苦しいというわけではないのだ。そりゃ、鳴っている時も、めちゃくちゃに苦しいけどな。けど、鳴っている時だけ、苦しくて、鳴り終わったら、まったく問題がないと考える人がいるんだけど……実際そういう感想を持つだろうと思うけど……そうじゃないのだ。睡眠などが、どうしても、影響を受ける。一日に七時間から一四時間、至近距離でヘビメタを浴びるということは、そういうことなんだ。けど、普通、騒音といえば、「鳴っている時だけうるさい」という問題だと思われる。ぜんぜんちがう。
ともかく、鳴っていない時間を含めて、一日が、全部苦しくなる。鳴っているときは、もちろん苦しいけど、鳴っていない時も、苦しい。毎年毎年、毎日毎日、ずっとやられていいわけがないだろ。
2014年10月14日火曜日
どうしても、このサイトは表示されるまでに時間が掛かる
まあ、今まで通りでいいか。上の広告と下の広告をとるか。どうしたものかな。
2014年10月11日土曜日
僕の名誉に直結することだ。ゆるしがたい
まあ、きちがい兄貴の性格について、どれだけ、語ってもしかたがないという部分がある。しかし、一切合切、気にしなかったね。根本的なところから、通じない。一切合切、通じない。きちがい兄貴にしてみれば、「鳴らせて当たり前」なんである。「鳴らして当たり前」なんである。弟の入試だろうがなんだろうが、鳴らせて当たり前。すべての時間、鳴らせて当たり前、で、一分だって本当には、静かにしない。〇・一デシベルでも、静かにしてやれば、それはものすごくゆずってやったことになる。やってやらなくてもいいことを、してやったことになる。ものすごく、恩着せがましい。ぜんぜん、静かにしてないのに、静かにしたつもりになってしまう。
本当に、……本当に、家で勉強ができなくて、つらかった。これがつらいのなんのって、ない。僕の名誉に直結することだ。ゆるしがたい。きちがい兄貴さえ、うるさくしなければ、俺はもっとずっとできるといっても、実際に三六五日中三六五日、全部の時間うるさくされて、勉強することができない状態が続く。で、それが、足かせなんだ。それが、つらい。で、そういうことが、一切、通じない。自分がやる量は決まっていて、その量をやる。……なにが悪い? というような感じだ。自分がやる量というのは、自分が返ってきてから、寝るまでのあいだ、全部鳴らすということで、最初から決まっている。で、この決まってる量をずっとやる。それだけ。なにも悪いと思わない。どれだけ、試験だからやめてくれと言われても、自分は鳴らす権利があるのだから鳴らすという態度で鳴らす。鳴らすかどうかは、全部自分の裁量で決められることなのである。「ならせない」とか「ゆずらなければならない」ということは、あくまでもない。ほんの少しでも、ゆずってやったら、ありがたがれというような態度だ。本当は、ぜんぜんゆずってやる必要がないのに、ほんの少しだけゆずってやったというような態度なのだ。ほんの少しと思っているかどうかはわからない。全体で一二時間五分鳴らしている時、五分間、一デシベル下げてやれば、もう、十分下げてやったということになる。十分ゆずってやったということになる。本当は、ゆずってやる必要なんてまったくないのに、(俺は優しいから)ゆずってやったと思う……ことになる。俺は優しいから……なのか、あるいは、あまりにも弟がうるさく言ってくるから……なのかわからない。あるいは、そういうことはまったく考えないかもしれない。ただ、単純に、ゆずってやったと思うのかもしれない。……優しいからとか、がたがた言ってくるからということは関係なしに、ゆずってやったと思うのかもしれない。けど、なんというのかな、こっちが切羽詰まっている時に、どれだけ、言っても、一二時間五分、どでかい音で鳴らされるという状態が、続くわけだよ。ぜんぜん、ゆずってもらってない。静かにしてもらって、勉強するということができない。ずっと、可能な時間、鳴りっぱなしだ。可能な時間、どでかい音で鳴らしていても、きちがい兄貴は、ゆずってやったと思うことができる。本当は、一分だってゆずってない。本当は、一分だって、ヘビメタが鳴ってない時間を作らない。
本当に、どでかい音で鳴らして、本人は、ゆずったと思うことが可能なのだ。きちがい兄貴がゆずったつもりの音も、ヘビメタが好きな友だちがきたとき「こんな、大きな音で鳴らして、大丈夫なの? 家族の人、文句言わないの?」と思わず、聞いてしまうような、でかい音だ。きちがいあにきしてみれば、〇・一%でも、相対的に、ピークの音よりも静かになっていれば、静かにしてやったということになる。どでかい音で鳴らしている状態でも、本人は、相対的に、静かにしてやったのだから、静かにしてやったと思ってしまう。きちがい兄貴が、静かにしたつもりの音で鳴らしている時、どういう音で鳴っているかというと、それはそれは、くっそうるさい音で鳴らしている。いま住んでいるところで、鳴らしてみろというのだ。いま住んでいるところで、「静かにしたつもりの音」で鳴らしてみろ。二〇分で、離婚だって話になる。「うるさい。やめろ。いいかげんにしろ」っていう話になる。きちがい兄貴の、騒音の感覚がおかしい。ゆずるとか、静かにするといった場合の感覚がおかしい。どれだけうるさい音で鳴らしていても、どれだけ非常識な音で鳴らしていても、本人が、相対的に「ゆずってやった」と思えば、ゆずったことになる。きちがい兄貴の中では、ゆずってやったことになる。そういうレベルだ。
本当の意味で、静かにさせられた……時分が鳴らしたいのに、鳴らせなくなったということがないから、そういう感覚でいられる。自分は「殿様」で、ずっとそういう感覚だったね。うち」ではずっと、一五年間、……鳴らしている一五年間ずっとそういう感覚だったね。だから、一五年間鳴らしていても、本人は、たいして、鳴らしてないつもりなのである。本人は、たいして迷惑をかけてないつもりなのである。じゃ、言えば静かにしてくれるかというと、そりゃ、一分だって、絶対に絶対に絶対に、静かにしないということになる。これが、毎日の姿だ。これがきちがい兄貴の、毎日の態度だ。毎日同じように、全部の時間、どでかい音で鳴らしきる。鳴らしきれれば、なんとも思わない。だから、いまも、たいして「やった」とは思ってないのである。じゃ、普段の日、一時間、鳴らさないで静かにしてくれたのか? と問いたい。一時間どころか、三〇分だって、一〇分だって、一分だって、スイッチを切って静かにしてくれたことがない。だから、静かにしてない。どうして、そういう簡単なことがわからないんだ? おまえ、きちがい兄貴が、静かにするわけがないだろ。
で、こういう状態で、毎日、目を三角にして、頑固に、全部の時間……本当に、ヘビメタが可能な全部の時間、鳴らしてたのである。全部だよ。一分だって、ゆずってくれなかった。これが、きちがい兄貴の一五年間の姿だ。けど、きちがい兄貴は、「つもりがない」。どれだけ鳴らしてたって、どれだけきちがい的な意地で鳴らしてって、本人は、いつも「つもりがない」んだよ。じゃ、やめてくれるのかと言ったら、絶対に、絶対に絶対に、やめてくれない。どれだけなにを言っても、どれだけ喧嘩しても、絶対に、一分だってやめてくれない。
で、そういうことが、根本的に、わかってないのである。で、わかってないから、やってないということになってしまう。これも、どっかのネット荒らしとおなじ感覚だ。本人が意地になってやり切ったことは、やってないことになっているのである。頭がおかしい。
で、本人は、まともな人間つもりでいる。まったく悪いことをしているつもりがない。まったく迷惑をかけているつもりがない。こういうのも、ネット荒らしそっくりだ。ネット荒らしは確かに、「無視」すればいいのかもしれないけど、きちがいヘビメタがどでかい音で、鳴っているんだから、無視しても、しかたがない。
毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/
ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。
自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。
●ヘビメタ騒音というのは
ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。
あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。
俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る
日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!
「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!
各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。
ぼくはまけない
「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。
サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。
認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。
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ともかく、きちがいヘビメタ騒音の……連続するきちがい騒音の、足のひっぱり方というのが、尋常じゃないんだよね。そして、それをやられたことがない人は、どれだけ、その当日も、翌日も、きちがい騒音の影響をうけるかわかってない。毎日続いたら、前日のつかれや、だ猿がとれないまま、今日のつかれ...
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ボロボロになって、最大限の努力をしても、からだがこわれていくのである。この世で、一番きらいな音のなかで、ずっとすごすということが、どういうことなのか、まったくわかってないやつらが、この世で、一番嫌いな音のなかで、ずっとすごす影響についてわかるわけがない。勝手に、「俺だって苦労し...
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親父の脳みそが、兄貴に遺伝して、おかあさんの脳みそが、俺に遺伝したようなところがあって、とにもかくにも、ちがうのである。考え方がちがうとかそういうレベルではなくて、考え方の根本がちがうのである。感じ方の根本がちがうのである。
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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。
過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。
用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。