2020年10月20日火曜日

ヘビメタ騒音にやられてないから、感覚が正常だ

 つまんない。他の人はいいなぁ。ヘビメタ騒音にやられてないから、感覚が正常だ。俺は、もう、やられ続けて、どうにもならない。感覚が正常じゃないんだよな。 

つまんない。感情、死んだ。

つまんない。

2020年10月19日月曜日

ヘビメタ騒音で、体調が悪いということさえ、俺の責任にされる


おもしろくない。人間が、いやだ。どうして、ヘビメタ騒音でくるしいと言っているのに、それを認めないのか? どうして、ヘビメタ騒音でできないと言っているのに、それを認めないのか?

そんなことはたいしたことじゃないと決めつけて、俺をバカにする。そんなことは影響を与えないと、あほな判断をして俺を見くだしてくる。しかも、まったく悪気がない。「そんなのはあたりまえ」なのである。「その年で働いてないのは異常」なのである。「どんなことがあったって、楽しく生きていける」とヘビメタ騒音の「影響」をことを認めずに言う。


おまえ、どれだけヘビメタ騒音で積み重なっているか? それは、別に「無職期」以降のことじゃない。一日目から、こういうかたちで、人から誤解されている。それは、俺にとって、どうでもいいことじゃない。毎日そんなことが積み重なって、いいわけがないだろ。

 

けど、きちがいヘビメタが鳴っていると、どうしてもできないということになる。ほかの人には、「ヘビメタ騒音が鳴っていると、どうしてもできない」という必然性がわからない。体で感じたことがないからわからない。「そんなことはない」と思ってしまう。「どれだけ鳴ってたって、勉強はできる」と思ってしまう。「どれだけ鳴ってたって、鳴り終わったら、ぐっすり普通に眠れることができる」と思ってしまう。

 

もし、鳴り終わったら、ぐっすり普通に眠れることができるのであれば、そうしないエイリが悪いのだということになってしまう。こだわるから悪いのだということになってしまう。「眠れななんていうのは、いいわけだ」といこうとになってしまう。どれだけ、はさまれるか? どれだけ主観的な感覚が違うか?

そうなると、すべては受け止め方の問題だという、例の、フラットな理論が持ち出されることになる……。たしかに、ヘビメタという音楽に関しては、受け止め方の問題だけど、きらいな音がでかい音で鳴っているということに関しては、相当に受け止め方の問題じゃない部分がある。平日一日に七時間鳴ってたらくるしいだろ。休日、一日に一三時間鳴ってたら、くるしいだろ。やられたことがないからまったくわかってない。
 

ヘビメタ騒音で、体調が悪いということさえ、俺の責任にされる。「健康管理ができてないのは、おまえのせいだ」ということだ。きちがいヘビメタを、家族に!あの態度で鳴らされて、睡眠がうまくいかないのに、元気だなんてことはないんだよ。

これも、「元気だなんてことはないというから、元気じゃなくなる」と言霊主義者がせめてくる。元気じゃなくなるというから、元気じゃなくなるわけ(元気ではない状態になるわけ)ではなくて、ヘビメタ騒音が鳴っているから、元気じゃないんだよ。

あるいは、ヘビメタ騒音がずっと鳴っていたから、元気じゃなぃんだよ。けど、そういう人とは「みぞ」ができる。そういうことを言われて、気分がいいなんてこともないんだよ。

「みぞ」を感じて、いい気分になれるなんてこともない。

しかも、俺は、そいつが「元気だなんてことはないというから、元気じゃなくなる」「元気だ元気だと言えば、元気になる」と言う前から、そういう方法はずっと試みている。やってもみないで、捨てられた理論じゃないのだ。けど、言霊主義者は、時系列的なことを無視する傾向があるから、そういうことをちゃんと説明しても、理解しない。俺が言っていることを、理解できない。

 

2020年10月18日日曜日

いまだって、そうなんだよ。


ヘビメタ騒音でボロボロになって……そりゃ、こういう状態にもなるだろう。興味を失うだろう。感情が麻痺してしまうだろう。ぼくが、気違いヘビメタでボロボロのからだを動かしていたころ、世間の人は、俺につらくあたった。いまだって、そうなんだよ。
 

生まれながらの格差は、本当はでかい影響を与えているので、無視するべきではない


頭がもやもやする。「これはもう、おわりかな」なとど思ったりする。さっき、横になっていたとき、いろいろと考えた。保の人には、逆立ちしてもわからないことだ。そして、わかりたくもないだろう。うまれるまえに、自分の人生を選べるなら……自分の人生の出来事を選べるなら……だれがこんな人生を選ぶか? 気違いオヤジのハンディと、気違いヘビメタのハンディがでかすぎる。他の人には、これが見えない。見えなければ、ないのと同じだ。見えなければ、「さいしょから」ないのと同じだ。ハンディがない状態を俺を想像できない。こいつらは、ハンディを抱えて弱っている俺に、気違い的なアドバイスをする。いや、ハンディを無視している……なかったことにしている……という点を考えると、気違い的な、無理なアドバイスなのだけど、彼らにしてみれば常識的なアドバイスだ。彼らは、ヘビメタ騒音の長さがわからない。実際に、経験した場合の長さがわからない。そして、それがどういう影響を与えるか、わからない。あたえ続けるかわからない。どういうふうに、時系列的に波及していくのか……自分のことじゃないから……まったくわからない。本人にしてみれば、的確なアドバイスなのだろうけど、こっちにしてみれば「まとはずれ」のアドバイスだ。で、これがまた、アドバイスの前提になっている考え方を指摘すると、そいつらはみんな、怒り狂う……とまではいかないけど、かなり不機嫌になって怒る。ほんとう、他の人がわからない形で、気違い的な家族にやられつづけると、こうなってしまうんだよな。相手? 相手は、悪気はないさ。けど、たとえば、こっちが無職であれば、無職だと思って……バカにしたあと、アドバイスをするんだよ。俺が教授だったらそんなアドバイスはしない。俺が、ヘビメタ騒音で弱りきって、無職だから(当時)、無職に対して、当然のアドバイスをするということになる。無職に対してはそういうアドバイスをしてもよいのである。こいつらは、みんな!!!生まれの格差を無視している。気違い家族に囲まれたら……どうしたってひきうけなければならない、いろいろな不幸な体験を無視している。生まれながらの格差を無視している。


生まれながらの格差は、本当はでかい影響を与えているので、無視するべきではない。なににでかい影響を与えているかと言うと、その人の、過去とその人の現在の状態にでかい影響を与えている。才能か環境かということが議論されることが多いけど……才能も環境も関係があるけど……環境のほうがでかい影響を与える。これ、相乗効果があるものだから、どっちがどっちということを決めることができないのだけど、環境が『才能』を支配してしまう状態のほうが多い。生まれながらに決まっている才能というのは、わりと、割合が小さい。脳みその『発達』や体の『発達』は、環境の影響を大きくうける。才能は、生まれたときに固定されてしまうようなものではないのだ。時系列的に『環境』でかわっていく。

ともかく、ヘビメタ騒音の毎日を経験してないやつが、結果としての無職(当時)や結果としてのひきこもりを重視して、あれこれ、的はずれなことを言うのは、ゆるせない。ヘビメタ騒音がなければ、無職期間を経験しなかったし、引きこもり期間を経験しなかった。ようするに、簡単に言うと、ヘビメタ騒音が続かなければ、無職じゃなかったし、引きこもりにもなってない。なめている。そいつらだって、あれだけヘビメタ騒音が続けば、どれだけ才能がある人でも、どれだけ体力がある人でも、どれだけ精神力がある人でも、今の社会において、無職になるのに、自分は(たとえ、そういう事があったしても)無職なんかにならないと思って、説教をしはじめる。アドバイスは本当は、不適切なのだけど、間違った前提で不適切なアドバイスをしてくる。

2020年10月15日木曜日

眠れなかったので、だるい


眠れなかったので、だるい。眠れなかっただけではなくて、風邪をひいたようにだるい。これは、風邪ではなくて、ヘビメタ騒音病なのだ。だから、人にはうつらない。ウィルスでそういう症状が出ているわけではないから。けど、だるい。ネズミのことを考えると、憂鬱な気分になる。対処がたいへんだからだ。ネズミの場合は、ウィルスや細菌の問題はある。ネズミ本体だけではなくて、ネズミについているダニやノミにもウィルスや細菌の問題はある。ネズミにとりついて、ネズミの血を吸っているダニは、やばいダニなのだ。

それが数千日続いたら、普通の状態ではなくなる

 
幼稚園?
うるさいよ。こどもがものすごい奇声を発生している。しかも、複数。
ぼくは、幼稚園の騒音やマンションの騒音でこまっている人も、こまっているのだと思う。けど、ヘビメタ騒音の破壊度がすごいのだ。このヘビメタ騒音はきちがい兄貴のヘビメタ騒音ということだから……。普通の騒音とはレベルがちがうんだよね。ほんとうに「破壊的」。くるしいんだよ。

一秒間だろうが、一分間だろうが。それが、何時間もなっている状態というのは、普通の人は、考えられない。影響を受ける。どうしても、眠れなくなる。そして、たしかに、「どれだけ、動きたくなくても、まずうごく」とかそういうことは、初期の段階ではできるのだけど、だんだん、できなくなる。行動主義心理学はペテン。うそ。


やはり、その人の経験とかそういうことを考えてない。「人間」なら、こうだという言い方をしている。

寝不足で、動きたくないときに、動かなければならないとなると、どうしても、「憂鬱」になるのである。それが数千日続いたら、普通の状態ではなくなる。この普通の状態というのは、そういう状態が数千日続かなかった場合の(その人の)状態だ。そういう出来事が数千日続いて、体が変化を受けた状態と、そういう出来事が発生せずに、からだ(そのことで)変化を受けてない状態を、同じ状態だとは考えられない。毒にやられた人間と、独にやられてない人間を、同じ人間だからと言って、区別せずに「人間ならこうだ」と言ってしまうのは、問題がある。

行動主義心理学者が「やる気」なんて、最初からないから、「やる気を出す方法なんてない」ということを言った。「やる気」というのは、やる気がない人間が考え出した概念だから、「やる気」などというものは、そもそもないのだ……ということだ。けど、「意欲」に関しては、行動主義心理学者も考えなければならないのである。「やる気」を「意欲」と言い換えれば、「意欲なんてそもそもない」ということは言えない。それから、「まず、行動を起こすには、頭の上にエネルギーの球を想像して、それが、頭の中に落ちてくるところを想像すればいい」などと言っているのだ。これが、「やる気を出す方法」なのではないのか。問題なのは、意欲がないにもかかわらず、意欲を出して行動しなければならないところなのである。

話がとぶけど、マンションの騒音になやんでいる人に、ヘビメタ騒音のほうがひどい騒音なので、その騒音はたいしたことじゃないというつもりはないのだ。ヘビメタ騒音のほうがひどい騒音だと思うけど、マンションの騒音になやんでいる人にとっては、その騒音は、無視できない、でかい騒音だ。騒音問題自体がでかい。だから、ヘビメタ騒音よりも、たぶん、小さい騒音だからなやむ必要がないということ言っているわけではないのだ。それは、なやむでしょうということを言いたいのだ。想像の公的な基準というものを考えたとする。その場合、あの人が言っていたマンションの騒音、あるいは、上の階のこどもがあばれることによって出る騒音は、想像の公的な基準よりも、上だと思う。ヘビメタ騒音もそのマンション騒音も、想像の公的な基準よりも上の騒音だと思うけど、ヘビメタ騒音のほうが、たぶん、そのマンション騒音よりも、強烈だということだ。ヘビメタ騒音よりも「した」の騒音だろうから、なやむ必要がないということを言っているのではないのだ。なやむに相当する騒音でしょうということを言っている。……気違い兄貴のヘビメタ騒音よりもしずかだと思うけど。

粘着面につかないように、ふれないように、行動をしている。


ネズミシートの上に、箸セットの箱をのせて、通ったみたいだ。ネズミが……。あいつら、頭がいいなぁ。おやじが「俺が捕まえるからいい(工事はしなくていい)」とがんばっていた期間に、いろいろとあって、ぼくはあそこらへんをいじりたくない気分になっていた。だから、いろいろとあらされている。ほんとうは、サイドボードもなにもかも撤去して、穴?の前にネズミシートを置くべきなのである。けど、ネズミシートは、相当に警戒されていて、粘着面につかないように、ふれないように、行動をしている。

まあ、これから出かけるから、ネズミがつかまっているところを見ないほうがいいのだけど、それにしても、長期戦になってきた。
 

「健康管理ができてないのは、おまえのせいだ」


おもしろくない。人間が、いやだ。どうして、ヘビメタ騒音でくるしいと言っているのに、それを認めないのか? どうして、ヘビメタ騒音でできないと言っているのに、それを認めないのか? そんなことはたいしたことじゃないと決めつけて、俺をバカにする。そんなことは影響を与えないと、あほな判断をして俺を見くだしてくる。しかも、まったく悪気がない。「そんなのはあたりまえ」なのである。「そのとしで働いてないのは異常」なのである。「どんなことがあったって、楽しく生きていける」とヘビメタ騒音の「影響」をことを認めずに言う。
おまえ、どれだけヘビメタ騒音で積み重なっているか? それは、別に「無職期」以降のことじゃない。一日目から、こういうかたちで、人から誤解されている。それは、俺にとって、どうでもいいことじゃない。毎日そんなことが積み重なって、いいわけがないだろ。けど、きちがいヘビメタが鳴っていると、どうしてもできないということになる。ほかの人には、「ヘビメタ騒音が鳴っていると、どうしてもできない」という必然性がわからない。体で感じたことがないからわからない。「そんなことはない」と思ってしまう。「どれだけ鳴ってたって、勉強はできる」と思ってしまう。「どれだけ鳴ってたって、鳴り終わったら、ぐっすり普通に眠れることができる」と思ってしまう。もし、鳴り終わったら、ぐっすり普通に眠れることができるのであれば、そうしないエイリが悪いのだということになってしまう。こだわるから悪いのだということになってしまう。「眠れないなんていうのは、いいわけだ」といこうとになってしまう。どれだけ、はさまれるか? どれだけ主観的な感覚が違うか? そうなると、すべては受け止め方の問題だという、例の、フラットな理論が持ち出されることになる……。たしかに、ヘビメタという音楽に関しては、受け止め方の問題だけど、きらいな音がでかい音で鳴っているということに関しては、相当に受け止め方の問題じゃない部分がある。平日一日に七時間鳴ってたらくるしいだろ。休日、一日に一三時間鳴ってたら、くるしいだろ。やられたことがないからまったくわかってない。
ヘビメタ騒音で、体調が悪いということさえ、俺の責任にされる。「健康管理ができてないのは、おまえのせいだ」ということだ。きちがいヘビメタを、家族に!あの態度で鳴らされて、睡眠がうまくいかないのに、元気だなんてことはないんだよ。これも、「元気だなんてことはないというから、元気じゃなくなる」と言霊主義者がせめてくる。元気じゃなくなると言うから、元気じゃない状態になるわけではなくて、ヘビメタ騒音が鳴っているから、元気じゃないんだよ。あるいは、ヘビメタ騒音がずっと鳴っていたから、元気じゃなぃんだよ。けど、そういう人とは「みぞ」ができる。そういうことを言われて、気分がいいなんてこともないんだよ。「みぞ」を感じて、いい気分になれるなんてこともない。しかも、俺は、そいつが「元気だなんてことはないというから、元気じゃなくなる」「元気だ元気だと言えば、元気になる」と言う前から、そういう方法はずっと試みている。やってもみないで、捨てた理論じゃないのだ。けど、言霊主義者は、時系列的なことを無視する傾向があるから、そういうことをちゃんと説明しても、理解しない。俺が言っていることを、理解できない。
 

体の具合が相当に悪い。


体の具合が相当に悪い。
どうするかな?

また、ことわりの電話を入れるのか?
 

2020年10月14日水曜日

全体感情というのがある

俺はものすごくつかれた。
眠れないけど、横になる。

ほんとう、つまんない。

これは、どうしょうもないな。はやく、眠らないとだめなんだけど、眠れるかな。


全体感情というのがある。意志で制御できない感情も含んでいる。感情だけではなく「体調」として語られるものも、感情を形成しているのではないかと思う。人間として、疲れた場合、疲れというのはほんとうに感情抜きで語ることができるものなのだろうか? どうしても、疲れは、感情に類した感覚を持っているのではないだろうか。もたらしているのではないだろうか。

「元気だと言えば元気になる」とか「くるしくてもわらえば楽しくなる」とか、そんなことで、元気になったり、楽しくなったら、うつ病の人なんて、この世からいなくなるだろ。どうして、こういう人たちは、そういうことを、万能薬のように考えるのか? 一〇〇%、だれでも、成り立つと考えるのだろうか。

ヘビメタ騒音でつらいと言っているだろ。ヘビメタ騒音でつらい場合、「元気だ元気だ」と言っても元気にならない。くるしくても、笑えば、楽しくなるかというと楽しくならなぃ。それは、もう、小学生、中学生、高校生のときに、確かめているんだよ。逆に、ヘビメタ騒音「で」くるしくてくるしくてしかたがないのに、「元気だと言えば元気になる」言われるとほんとうに、憂鬱な気持ちになる。死にたくなる。おまえら、そういうの、ぜんぜんわかってないだろ。ヘビメタ騒音がどれだけつらいかわかってないだろ。ま・い・に・ち・つみかさなるヘビメタ騒音がどれだけつらいかわかってないだろ。ヘビメタ騒音がどれだけつらいかわかってないだろ。ま・い・に・ち・つみかさなるヘビメタ騒音がどれだけ、体調に影響を与えるかわかってないだろ。

ヘビメタ騒音のなかで「元気だ元気だ」と言ったら、狂いそうになるんだぞ。発狂しそうになるんだぞ。くるしくてくるしくて自殺したくなるんだぞ。ヘビメタ騒音が鳴り終わったあと、「元気だ元気だ」と言ったら、泣きそうになるんだぞ。自殺したくなるんだぞ。おまえら、まったくわかってないだろ。

「元気だと言えば元気になる」と言っている人たちが、経験している「つらさ」や「憂鬱感」とはちがうんだよ。ヘビメタ騒音のあと、布団に入って、笑えば、楽しくなるか? ものすごい破滅感で死にそうな気持なる。

あとは、そういう一四年間を経験したあとだと、どうも、違う状態になってしまう……みたいなのである。それ、わかいころから、ずっとそういう状態でくらしてきたら、やはり、元気がなくなる。やる気がなくなる。いつもしんどい状態になる。……けど、こいつらは、そういうことを認めない。「元気だ元気だ」と言えば元気になると思っている。どんな状態でも、どれだけくるしくても「元気だ元気だ」と言えば元気になると思っている。「元気にならない」ということを言われると、腹を立てる。彼らにとって、それは、絶対の真実なので、まるで、教祖の悪口を言われたように、腹を立てる。教祖の教えが真実だとして、その真実を否定されると、腹を立てるというのは、わかる。これは、信仰。宗教的な感覚。

けど、これも、考えてみれば、かなしいことだ。不幸なことだ。きちがい兄貴がきちがい的な意地でヘビメタを鳴らし続けただけで、俺とそういう信仰を持っている人たちの間に亀裂がしょうじる。俺は、サービスで「そうですね」と言うことができない。俺が、何千日、試してきたと思っているんだよ? と言いたくなる。

おやじが、兄貴に、うちにある安いはんだごてを持たせることに夢中になっているとき、兄貴とほかの人との間に亀裂がしょうじるとは思ってないだろ。けど、しょうじるんだよ。「そんなの、大人の人が言うわけないだろ」「おまえ(兄貴)の説明のしかたがわるかっだけだろ」と言われるんだよ。気違いおやじには、どれだけちゃんと説明してもわからないのに、きちがいおやじには、どれだけちゃんと説明してもわからないということが、ほかの人たちにはわからない。だか、この場合は、兄貴が、ひどい目にあうということになる。それと、ちょうど同じことが、俺と言霊信者の間に成り立っている。きちがい兄貴のヘビメタというものが与える影響が、ほかの人には、まったくわからない。「ただうるさいだけだろ」「鳴り終わったなら関係がない」と思ってしまう。亀裂がしょうじる。

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何時間も何百回も何千回も何万回もぶたれたあと『元気だ元気だ』と言っても、元気にならないだろ。破滅的なくやしい気持ちで、笑顔をつくっても、楽しくならないだろ。気違い騒音にぶたれまくっていた。俺は毎日毎日、何時間も何時間も、何万回も何万回も、音にぶたれていた。脳みそを、ぶたれていた。あの感覚はない。あの状態で勉強なんできるわけがないのに、『どれだけ騒音が鳴ってたって勉強なんてできる』と言うやつは、ほんとうの騒音が、意志に関係なく、どれだけ脳みそにこたえるか、わかってない。ほんとうに、あの音は、うがうんだって言っているのに。幼稚園の騒音とはちがうと言っているでしょ。けど、そういうふうに言うと、幼稚園の騒音でなやんでいる人のなやみを否定したようになってしまうんだよな。これは、まずかった。

 

 

精神世界的によさそうなことを言っているのに?けっきょく、借金で自殺する人たちを増やしている


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精神系詐欺本というものがあるような気がする。
こういう、レベルなんだよな。こういう、つくりばなしに、感動する人たち? 涙を流す人たち? あーー、あほらしい。


けっきょく、へんな儲け話に引っかかる人を量産しているような感じがする。そもそも、こういう「つくりばなし」が、つくりばなしであるということに気がつかないというのがおかしい。もし、本当に気がつかないで、実行してしまったら、借金で首が回らなくなるだろう。なにか、精神世界的によさそうなことを言っているのに?けっきょく、借金で自殺する人たちを増やしているというブラックジョークのような状態。
感動している人たちは、「さくら」で、ほんとうはそういう人たちは少ないということを願っている。
けど、ほんとうに、無知な人たちをおとしいれるようなことばかり書いてあるな。

 

2020年10月13日火曜日

他の人が寝ているあいだ、ぼくはずっと、くるしみっぱなしだった

 どれだけ、「あれはない」とか「あのときの、あれはない」と言ったところで、他の人にはわからないからな。ヘビメタ騒音でほんーーとーーーに、つらかった。言いようがない。

 

いまの時間も鳴ってた。三六五日中、三六五日、いまの時間、鳴ってた。くるしかった。だから、鳴っているあいだのくるしさと鳴り終わったあとのくるしさがある。どっちも同じぐらいにくるしい。そして、夜、他の人が寝ている時間、破滅破綻がやってくる。あのときの、あれもない。他の人が寝ているあいだ、ぼくはずっと、くるしみっぱなしだった。あんなのない。毎日毎日、あんなが続いていいわけがない。他の人にはまったくわからない。他の人は気違いヘビメタがないので、普通に眠れたわけだから、僕が毎日経験していた、あの地獄の時間がない。それで、「みんな、くるしい」とか言う。ヘビメタ「で」くるしいと言っているだろう。おまえらは、どうして……それがわからないんだ。ヘビメタ騒音「で」くるしいと言っているのに……。ヘビメタ騒音で「で」きないと言っているのに……。ヘビメタ騒音「で」できなくなったと言っているのに……。ヘビメタ騒音がないやつができるから、できるという、クソ理屈を言ってくる。こんなの、ない。

 

 

2020年10月11日日曜日

『引き寄せ』と『自己責任論』


「引き寄せ」パラダイムには、現世でご利益をうけたい人が、むらがっている。別に、それでいいと思う。だれだって、楽しい思いをしたいし、楽な思いをしたい。自分の願望があれば、かなえたいと思う。それが、普通だ。

 

けど、「引き寄せ」パラダイムには問題がある。それは、不幸な人に対して「不幸な人は不幸なことを引き寄せたからだめなんだ」と言ってしまう問題だ。「だめなんだ」と言わなくても、『不幸な人は、不幸なことを引き寄せたから、不幸なんだ』というような考え方自体が、傲慢なのである。これは、容易に自己責任論に置き換わる。ようするに、「不幸である人は、不幸なことを自分で引き寄せたので、自己責任だ」という理論に置き換わってしまうのである。
 


「不幸なこと」という言い方や「すでに不幸な人」という言い方だとよくわかからないかもしれないから、具体的な例をあげるとする。
引き寄せパラダイムを持っている人は、他人の不幸な出来事に対して、こういう見方をするようになる。

・コロナウィルスにやられた人は、コロナウィルスを引き寄せたから、だめなんだ。
・病気になった人は、病気を引き寄せたからだめなんだ。
・事故にあった人は、事故を引き寄せたからだめなんだ。
・家族が死んでしまった人は、家族が死ぬという出来事を引き寄せたからだめなんだ。

もうちょっと、具体的に書こう。

たとえば、Aさんと、Bさんと、Cさんと、Dさんがいるとする。AさんとBさんは夫婦で、Aさんが夫、Bさんが妻だとする。Cさんは、AさんとBさんの娘だとする。Dさんは、ドライバーだとする。

ある日、BさんとCさんが、普通に歩道を歩いていたら、Dさんが、うしろから、車で突っ込んだとする。

その結果、BさんとCさんが死亡したとする。この場合、引き寄せパラダイムにしたがうと、BさんとCさんが「事故」を引き寄せたということになってしまうのである。


また、Aさんは、妻と娘がいっしょに亡くなってしまうという出来事を引き寄せたということになってしまうのである。そして、BさんとCさんが事故を引き寄せたとすると、BさんとCさんが引き寄せたのだから、BさんとCさんの自己責任だということになってしまうのである。

引き寄せパラダイムは、出来事を引き寄せた本人に責任があるとする『自己責任論』に容易に結びつく。本当は、自動車で歩行者につっこんだ、Dさんさんの責任なのに、責任を追及されるのは、事故にあったBさんやCさんであり、BさんやCさんの家族であるAさんなのだ。

引き寄せパラダイム保持者は、被害者や被害者の遺族だけの責任を追及する。事故を起こした方の当事者であるDさんの責任は追及しない。引き寄せた人が悪いということになってしまうのである。これが、引き寄せパラダイムにもとづく、現実解釈の問題点だ。
 

2020年10月9日金曜日

「過去なんて関係がない」と言うやつは、過去を重視している

「過去なんて関係がない」と言うやつは、みんな、学歴や職歴を重視している。学歴や職歴……学歴や職歴の集大成である現在の肩書を重視してものを言うやつばかりだ。これ、自分で自覚がないのかな? 『専門家の意見は信頼ができる』と信じているやつも、学歴や職歴を重視している。

 

けど、そういうやつに限って、『過去なんて関係がない』と言い出す。たぶん、この人たちは、無職や中年アルバイトは『なめてもいい』と考えているのだろう。学歴や職歴の集大成である、現在の肩書を重視しているからこそ、『こいつは、なめてもいい』『こいつには、説教をしてもいい』と考えるのだろう。

 

『過去なんて関係がない』という話がどこにつながるかというと、『就職しろ』『ちゃんと働け』という話につながるのである。もちろん、学歴や職歴がボロボロである人たちは、学歴や職歴が立派であればアクセスできる職場にはアクセスできない。「職場」と書いたけど、「職業」でも「仕事」でもいい。

ようするに、『きつくて、くるしくて、賃金が極端に安い仕事をしろ』ということなのである。

逆算すれば、『きつくて、くるしくて、賃金が極端に安い仕事をしろ』と言いたいがために、『過去なんて関係がない』と言い出すのである。

 

『現実を見て、アクセスできる仕事に就けばいい』ということも言うだろう。これも、『きつくて、くるしくて、賃金が極端に安い仕事をしろ』ということなのである。『現実を見て』というのは、『現在の現実』を見てということだから、『過去なんて関係がない』という意味で過去を軽視しているように見える。 


しかし、現実を見るということは、高望みはせずに『きつくて、くるしくて、賃金が極端に安い仕事をしろ』ということなのだから、過去を重視していると言える。この場合の現実を見るというのは、学歴や職歴がボロボロだという現実を認めろということなのである。さらに、学歴や職歴がボロボロなら、底辺ブラック企業にしか就職できないという現実を認めろということなのである。

 

ぜんぜん、過去を軽視してない。過去の履歴を特別に重視している。

 

『高望みはせずに』というのも『おまえだって、自分の学歴や職歴がボロボロなのはわかっているだろ』ということだ。そういう意味で『現実を見ろ』と言っている。だから、もちろん、過去の履歴を重視している。

「過去なんて関係がない」「現実を見て、アクセスできる仕事に就けばいい」と続けて言った人は、過去を無視しているような印象を(言われたほうに)あたえるが、ほんとうは、過去を重視している。「過去なんて関係がない」「現実を見て、アクセスできる仕事に就けばいい」というのは、過去を重視しているからこそ言える、発言だ。


問題なのは、「過去なんて関係がない」「現実を見て、アクセスできる仕事に就けばいい」と続けて言うような人が、ほんとうは、自分は過去を重視しているということに気がついてないことだ。ほんとうは、ダブルスタンダードなのにまったく気がついてない。
 

2020年10月8日木曜日

総合的な毒なんだよな。

やばい。疲れた。

横になるかな。 


ヘビメタ騒音さえなければ……。ほんとうに、勉強することができなかった。いまでも、後悔。

どうしても、人生がない。ヘビメタ騒音なかで、勉強することが どーーーしても、どーーーしても、できなかった。夜、眠れなくなって、くるしいだけの生活になってしまった。勉強だけではなく、生活自体が騒音でめちゃくちゃになる。日中も、ヘビメタ騒音がその場で鳴ってないにもかかわらず、ヘビメタ騒音で眠れなかったから生じるトラブルがある。毎日、小学六年生のときから、家で勉強することができないということが、人生に影響を与えないはずがないだろ。進学に影響を与えないはずがないだろ。友人関係に影響を与えないはずがないだろ。恋愛に影響を与えないはずがないだろ。

総合的な毒なんだよな。

 

 

 

2020年10月7日水曜日

「やっていれば、体がなれてくる」ということがない

 つまんない。

だるい。

ほんとうに、不利。不利なんだよ~~。不利。

なんか、ネズミは二匹に増えた感じがする。

人に迷惑をかけないように、持ち物に気を使わなきゃならなくなる。それは、バルサンを炊いた場合でもおなじだ。殺虫剤を巻いたときもおなじだ。

 

 

こっちの言うことをまったく聞かないで、こだわりまくって一つのことをやり続ける気違いっぷりが、親父と兄貴でおなじなんだよな。この気違いっぷりに、翻弄された人生だった。あの態度が、他の人にはわからない。驚くべきことに、本人もやってないと思っている。どれだけの意地でやるか。「やってない」と意地を張るときの態度も、おなじ態度なんだよ。だから、際限がない。 

 

気違い親父に対する怒りを隠して、よその人に対処しなければならなくなるんだよ。気違い兄貴に対する怒りとヘビメタ騒音の疲れを隠して、ヨソの人に対処しなければならなくなるんだよ。これが、ものすごいストレスだ。こういうのが、毎日積み重なったら、やっぱり、「元気だ元気だ」と言っても元気にならない状態になる。「楽しい楽しい」と言っても、楽しくならない状態になる。そうなると、言霊を信仰している人とは、……まあ、意見があわなくなる。そういうことも、積み重なる。

たとえば、俺がサービスで「そうですね」と言っても、ボロが出る。……リアル世界で、気違い兄貴の騒音や気違いオヤジの気違い行為にやられてくるしいとしても……睡眠回路を壊されて日中活動できない状態になっても……「楽しい楽しい」と言えば楽しくなるというのが、彼らの理論だ。

しかし、いつまでもいつまでも、ヘビメタ騒音が続くので、俺は楽しくならない。そりゃ、たとえば、言霊主義者に、気違いヘビメタ騒音歴一年目に出会ったとして、ヘビメタ騒音がその後一四年間、毎日、何時間も何時間も鳴ったとしたら、どうなる?

くるしいままなんだよ。一四年間ずっと毎日「楽しい楽しい」と言っても、楽しくならない状態なんだよ。「楽しい楽しい」といえば「楽しくなる」と思っている人は、わりと短い時間を考えて、そう言っている。ほんとうは、中立的な状態で「楽しい楽しい」と言えば楽しくなったような気分になる……ということを言っているにすぎない。

ともかく、サービスで「そうですね」と同意しても、気違い兄貴のヘビメタ騒音が続く限り、楽しくならないので、同意してくれたと思っている人とは、うまくいかないことになる。そりゃ、同意したなら『この方法で楽しくなるはずだ』と思っているわけだから、うまくいかなくなる。

「その方法では楽しくならない」という俺の報告は、その人の気持を傷つけるというか……不愉快なものにさせるのである。けど、「傷つける」とか言うのであれば、「楽しくなると言えば楽しくなる」と言った人が、まず、俺のこころを傷つけている。まあ、だから、「楽しくならない」ということを俺が報告したとしても、気分を害するなということだ。あからさまに怒る人もいる。

楽しくなりました……と報告できない。嘘は言えない。あるいは、楽しくないのに、楽しくなりましたと報告して、その人……アドバイスしてくれた言霊主義者とつきあうのは、気分がよくない。こっちの気分がよくない。

 

ともかく、気違いヘビメタにやられている状態で、「楽しい楽しいと言えば、楽しくなる」ということを本気で信じている言霊主義者に「楽しい楽しいと言えば、楽しくなるから、楽しい楽しいと言えばいい」とアドバイスされてしまったら、そこで、どっちにしろ、その人と良好な関係を維持することができなくなる。

まあ、そんなにつきあいがない人なら、「楽しい楽しいと言ったら楽しくなりました」と嘘の報告をして、波風を立てないようにすることはできる。

 

けど、これは、「サービス」だ。長いことヘビメタが鳴っている状態だと、「楽しくなりました」と報告したあとも、楽しくなさそうな顔で暮らしているということになってしまう。

そうなると、言霊主義者はおなじアドバイスをすることになるのだけど、「長いことずっとさらされている」ということを無視してしまうために、「エイリさんが『楽しくなりました』と言ったのになんだ!」という気持ちになってしまうのである。

で、そういうことが、多くなってしまうのである。気違い兄貴が、気違い的なやり方で、気違いヘビメタをやり続けると、まわりの人(ヨソの人)と、そういうタイプのあらそいが生じてしまうのである。

気違い的なやり方だから、他の人は信じない。兄貴のようにこだわりつくして、鳴らされると、ほんとうに、すべてのことがうまくいかなくなる……という実際の感覚がわからない。なんてたって『鳴り終わったら関係がない』と思っているような人たちばかりなのだから……。『どんだけ、ヘビメタが鳴ってたって勉強はできる』と思っているような人たちばかりなのだから……。 

『楽しい言えば楽しくなる』というのは、ある種の攻撃になってしまうのである。水銀のことで説明したでしょ。水銀でくるしい場合、『楽しくなる楽しくなる』と言っても、水銀が体から出ていかないと、くるしい状態が続いてしまう。長期間騒音が続く人や騒音の後遺症でくるしい人もおなじなのである。

ともかく、 『楽しくなると言えば楽しくなる』と言っている人はわりと短い時間のことを考えている。また、中立的な状態の人が『楽しくなると言えば楽しくなる』ことは、あるかもしれないけど、それを、すべての人に適応してしまうのはよくないことだ。

けど、かりにぼくが「すべての人に適応してしまうのはよくないことだ」ということを言ってしまったとしたら、言霊主義者は「どんな場合でも、どんなにつらくても、どんなにくるしくても……楽しいと言えば楽しくなる」と言うと思う。実際にそういうふうに言った言霊主義者がいた。

ともかく、『楽しいと言えば楽しくなる』というようなことを言う人がいた場合、ぼくが、一回目に、日和って、「そうですね」と言ったとしても、あんまりいいことにならない。長いから。毎日続くから……。後遺症が残るから……。長さがちがう。期間の長さは関係がある。 


ダイヤだって、ほんとうはまだあのころヘビメタは鳴ってたんだけど「いいかげん、よくなってくれ」と言ってきたからなぁ。ダイヤですら……。事情を知っているダイヤですら……。ヘビメタ騒音が毎日、十年以上続くということはそういうことなんだよ。そういうことになってしまう。ぼく以外の人は……実際に一〇年以上毎日、しつこく、最大限のヘビメタ騒音を鳴らされたことがないので、実感としてわからない。ぼくが言っていることが、実感としてわからない。ヘビメタ騒音が鳴っている一日がどういう、一日だと思っているんだよ? もう、そっからちがうんだよ。

 

きちがい兄貴のしつこさが俺をくるしめる。けど、これがまた、ほかの人たちにとっては、俺が勝手に長いことくるしんでいると思ってしまうのだ。俺が勝手に、長いことこだわっていると思ってしまうのだ。こだわるとか、そういこうとじゃないのだ。それから、じつは『過去のことにこだわる』ということでもない。現在のことなんだよ。現在もくるしいの……。

現在も慢性疲労症候群のような易疲労性と睡眠回路の故障でくるしい。 ヘビメタ騒音を一〇年以上毎日やられたことがない人が、「こういうふうにすれば、体がなれてくる」「最初はつらいけど、仕事を続ければ、体がなれてくる」ということを言うけど、それは、ヘビメタ騒音に一〇年以上さらされたことがないから言えることだ。けど、そういう人は、ヘビメタ騒音に一〇年以上さらされたことがないから、わからない。そもそもが、わからない。そもそも、くらべる対象がないということがわかってないだけだ。経験がないから、わからない。

そりゃ、ヘビメタ騒音にさらされず普通に暮らしていれば、そういうことを言われることもないわけだけど、普通の人とおなじように、「やっていれば、体がなれてくる」ということを体験できたはずなのだ。それは、ヘビメタ騒音を鳴らされる前の一一年間でだいたいわかる。けど、ヘビメタ騒音鳴らされてからの数十年間は、数十年間に渡って……そういうことがなりたたない。「やっていれば、体がなれてくる」ということがない。慢性疲労症候群のような疲労と重度の睡眠障害でくるしい。

 

 

ヘビメタ騒音が鳴ってなきゃ、絶対にそんなことにならない……というとが、起こってしまう


まあ、みんな、俺の状態はわかんないよね。
俺も、みんなの状態がわかるわけじゃないしね。
くらべてもしかたがないのは、わかるけど、ね。
中学の時、トラブった友達に、ヘビメタ騒音のことは言わなかったのだけど、どうしても、……どうしても、むりだったと言いたくなるんだよね。あのとき、どうしても、ヘビメタ騒音でできないということを、説明したかった。いろいろなトラブルがあるんだよ。ヘビメタ騒音でどうしてもできない。ヘビメタ騒音でどうしてもよゆうがないから、そういうことになってしまったということが、あった。で、その場合、ヘビメタ騒音でどうしてもできないということを考えないと、俺のほうが悪いんだよね。ヘビメタ騒音でどうしても追い出されてしまって……時間も能力も追い出されてしまって、よゆうがない。すべてのことに、それが影響する。このすべてのこと、というのは、イ・ラショナルじゃない。非・合理的な思考じゃない。だって、その後のことが、全部、影響を受ける。でも、ヘビメタ騒音の切迫さ、どうしょうもなさ、というのは、他の人にはわからない。これ、言った場合も同じなんだよね。「そんな騒音が鳴っているならしかたがない」ということにはならない。もう、トラブルが発生しているから……。相手の気持や相手の都合をぼくがつぶしているから……。どーーしても、ヘビメタ騒音でそうなってしまう……ことがあった。言った場合も、言わなかった場合も、大差がない。けど、まるまるくん(A君)のことに関しては、言っておきたかったな。あれは、ほんとう、ぼくの側の失敗。けど、どーーしても、ヘビメタ騒音で押し出されてしまう。よゆうがない。どうしてもできない。「できない」ということが、やはり、わからないと思う。そりゃ、ヘビメタ騒音が鳴ってなければ、よゆうでできることだからな。
ヘビメタ騒音でいっぱいいっぱいだから、普通なら、「こうしておこう」ということが、できない。どーしても、できない。へんな感じで、浮かれているように思われるんだろうなぁ。あれ、ほんとう、まずかったなぁ。迷惑をかけた。A君はどうしているかな? まあ、俺のことは忘れているだろうな。ヘビメタ騒音が鳴ってなきゃ、絶対にそんなことにならない……というとが、起こってしまう。 


ヘビメタ騒音を抜かして考えれば、こっちが悪いケースというのが俺をくるしめる。けど、ヘビメタ騒音で「全般的に、できなくなる」。佐藤の誤解は、俺が無職になってからはじまったことじゃない。もちろん、佐藤にあったとき、俺が無職だから、あいつがいろいろと誤解をして、あらぬ説教をし始めたのだけど……。けど、それは、むかしからそうなんだよ。俺が小学生の時からそうなの……。

特に、中学生の時は、そういうトラブルが、多かった。そうならざるをえない。ヘビメタ騒音でそうならざるをえない。けど、他の人には……小学時代からぼくがリアルであった他の人には……そこが見えない。ヘビメタ騒音が見えないし、ヘビメタ騒音で……そうならざるをえないということが見えない。そうならざるをえないということが見えないということは、けっきょく、俺がサボりたいからそうしているように見えてしまう。俺がふてぶてしいからそうしているように見えてしまう。

ヘビメタで眠れなくなるということは、すべてのことが「おざなりになる」ということだ。ものすごくピンチで、できない。そりゃ、恋愛だってそうなんだよ。俺が、声をかけてくれた女の子に……。ヘビメタ騒音でどうしてもうまくいかない。

これ、本当に普通の人は、騒音の問題と言うと、鳴っているときだけ問題があるように思ってしまうのだ。実際には、眠れなくなって、日中、ぼろぼろになる。すべての意欲がさがって……普通の要求水準を満たさなくなって……いろいろなトラブルが生じる。そりゃ、よゆうがあったらできることでも、まったく、できなくなるし、やろうという気すら起こらなくなるから、関わっている他者とトラブルが生じやすくなる。実際に生じる。

2020年10月6日火曜日

記憶は、好き勝手に書き換えることができないものだ

ネズミが出た。うまくいかないな。まだ、いるなぁ。
俺はまるまるはあるのに、このざまだ。
希望がないんだよな。意欲がだいぶ足りない。このうちは、もうだめなのかもしれない。ネズミ対策に300万円かかったとして、それで、ほんとうに出なくなるという保証はない。じつは庭も防草シートをはりたいのだけど、それにもかなりの金がかかる。そうなのであれば、300万円で中古マンション(ワンルームも可)でも買って、そこに引っ越すということも考えなければならない。
ともかく、エネルギーがない。「もう、まるまるまる」という気持ちがある。

ほんとうに睡眠回路のズレがくるしい。睡眠回路がこわれてしまって、くるしい。自分が起きている時間に動くのはともかくとして、自分が眠りたい時間に動くのは、死にたくなる。それは、何千日も繰り返してきたことで、やはり、くるしい。どうしたって、「思い出」がある。「記憶」がある。記憶は、好き勝手に書き換えることができないものだ。それが可能なら、人格が崩壊していると言っていい。意志の力を信じている人がいるけど、意志の力で記憶改ざんをしている人は、もう、人格が崩壊している。

 

意志の力を過信しすぎている人たちがいて、それは、意志の力信仰のようなものだ。これはもう、理性とか合理的な考え方というものをこえて、宗教的な信仰になっている。けど、本人たちは「科学だ」と言うわけだ。 けど、それは、科学じゃない。科学の仮面をかぶった宗教だ。

2020年10月5日月曜日

ホリエモン・餃子店問題なんてどうでもいいよ。


ホリエモン・餃子店問題なんてどうでもいいよ。
これは、前にも言ったけど、ドレスコードの問題なのだから、店の主張にあわせるべきだ。で、マスクがなくても入れるところに入ればいい。それだけ。

俺は、ねずみ問題で頭がいっぱいだ。これ、どうするんだよ。もう、二度と買うことがないと思っていた、ネズミシートをぽちってしまったよ。俺は、いま、交渉事をしたくないんだよ。あとは、カネの問題だ。どのみち、粗大ごみを片付けるにはカネが必要だ。問題は、粗大ごみが、単なる粗大ごみではなくて、ネズミの糞がついた粗大ごみになってしまったということなんだ。だから、俺は、親父に何回も、魚の粕漬けをだしたまま寝るなと言ったのに。さらに、穴があいている以上、隙間がある以上、ネズミが入ってくるから、工事をしようと言ったのに「(俺が)捕まえるからいい」と親父が言って、親父が俺の提案を拒否したことだ。

さらに、いろいろとあったんだよ。ともかく、ネズミとダニで追い詰められている。

2020年10月4日日曜日

法務局に行ってきたと書いたけど、それは、好きな時間だから行けたわけ


法務局に行ってきたと書いたけど、それは、好きな時間だから行けたわけ。これが、時間を決められると五〇%の確率で行けなくなる。前回行ったのは、相談の日時を決めるために行っただけで、相談しに行ったわけじゃない。これ、コロナウィルスの影響なのかどうかわからないけど、行った日に相談することができない。何時間待ってもいいから、行った日に相談することができないとこまるのだ。自分でもいつ起きているかわからないから、日時を決めることができない。「睡眠障害で、いつ起きているかわからない」とは、行ったけど、じゃあどうするかということになると、やっぱり、一番近い日で、行けそうな感じの日を選ぶしかない。一番近い日が、一〇月一五日だ。予定では、睡眠時間がだいたい一四時間ぶんズレているはずなんだけど、わからない。このあいだ行けなかった日も、二五時間ズレているはずで、行けるはずだった。けど、当日はだめだった。まあ、当日、ちょっと、風邪みたいな症状もあったので、キャンセルの連絡を入れて行かなかった。

で、実は、また、ネズミに遭遇してしまった。俺はもう、……。親父とネズミがセットなんだよ。そして、工事の人が……言いたくはないけど……ミスをした。俺はもういやだ。
 

この溝はうまらない。


ヘビメタ「で」くるしいと言っているだろ。ヘビメタ「で」できないと言っているだろ。これは、もう、むりだ。どれだけ言ってもつたわらない。つたわらない。あの時間を共有した人でなければ、なにもわからない。
やられてない他人というのは、どこまでも、無作法になるなぁ。この溝はうまらない。生きている限り、うまらないのだろう。

ほんとうに「できなくなっていく」のに……。あいつらだって、同じ一〇年間を毎日すごせば、できなくなっていくのに……。まるで、俺がサボっているようにものごとを言う。ゆるさんからな。

 

2020年10月3日土曜日

こいつら、現実を知らないで、がたがた言いやがって


幼稚園がうるさくなってきた。
運動会の練習で、最近、うるさいんだよね。
けど、ヘビメタ騒音はそういううるささとは違うわけ。ぜんぜん違う。ほんとうに、ぼくはもともとは、騒音に対しては、普通の感性を持っていた。普通の人なのである。そりゃ、きちがいヘビメタに人生を壊されれば、敏感にもなるだろう。一五年もずっとやられて、働けない体になれば、「騒音にくし」ということになる。一五年間やられたことに関しても、そっち……関係がない人にしてみれば……俺がだらしかないからやられたのではないかと思うかもしれないけど、きちがい兄貴がきちがいだったからそうなった。きちがい兄貴が、きちがいおやじと同じ頭の構造を持っていたのでそうなっただけだ。こいつらは、俺が兄貴を殺したら、殺したで、「もうちょっとやりかたがなかったのか」というようなことを言い出すと思う。ないよ。


こいつら、現実を知らないで、がたがた言いやがって。まちがっている。常に間違った前提で間違った判断をしている。ちなみに、ぼくがなんらかのまずいことをしたあと、こいつらにこういうことを言っても無駄だ。まずいことというのは、たとえば、遅刻だ。こいつらは、きちがい兄貴の頭の構造がわからない。きちがいおやじの頭の構造がわからない。お母さんが病弱で、内向的で、どちらかというと事なかれ主義だったことがわからない。そんなに鳴らしているんだったら、「親が絶対に文句を言うはずだ」と言ってくる。「親が絶対に文句を言うはずなのに、文句を言わなかったのだから、たいした騒音じゃないのだろう」と言ってくる。全部、間違っている。ちなみに、おやじも兄貴も、お母さんに、どれだけ、注意されても、まったくいうことを聞かないけどな。きちがい兄貴は、気分がいいと「お母さんに言うなぁ」なんて言って、まったく役に立たない譲歩をしたけど、それは、まったく役に立たない譲歩だから。屈辱的な譲歩だから。これ、ほんとうは、譲歩してないのに、譲歩してやったつもりになっているだけだから……。きちがい兄貴は、朝の九時から夜の一一時一一分までの間なら、自分が好きな音で鳴らしていいと思っているから、好きな音で鳴らす。きちがいおやじのケチとおなじで、兄貴もきちがい的なケチっぷりを発揮する。ぜんぜん譲歩してないのに……大盤振る舞いをしてやったつもりになっている。出血大サービスをしてやったつもりになっている。自分が損をするのは、たとえ、びた一文ぶんでもいやなので、けっきょく、自分がやりたいでかい音で鳴らし続けるということになってしまう。五分間、〇・一デシベル落とした「でかい音で」鳴らしたあと、一三時間、〇・一デシベルもどした「でかい音で」鳴らしても、五分間、〇・一デシベル譲歩したのだから、譲歩したということになってしまう。

となりの、若い人は当時子供で、ずっと文句を言いたかったらしいけど、言ってくれよ。あっちの家の人は、一回しか文句を言ってくれなかった。それも、兄貴に直接、言わないとだめだ。「家の人」がどれだけ言ったってだめなんだよ。それは、きちがいおやじと同じ。それも、きちがいとおなじだ。ほんとうに、きちがいおやじの欠陥を、そのままコピーしている。似てるというよりも、おなじ。

ちなみに、となりに、でかい幼稚園があるから、ここらへんのひとは、騒音耐性がそもそも、強いのだと思う。

2020年10月2日金曜日

まったく、悪気なし

きちがい兄貴は、まるで、「わるいことをしているつもり」がないんだよな。
ほんとうに俺がまるまるたい。

 

まったく、悪気なし。どれだけ言っても、俺がこまるということを認めない。絶対に普通に言えばわかることなんだけど、きちがいおやじモードで認めない。認めないとなったら、……やっぱり、きちがいおやじと同じように……やったってやってないということになる。本人が、一回一回、やってないと思ったら、一万回繰り返そうが、やってないということになる。一〇万回、繰り返そうが、やってないということになる。本人がそう思っていたら、そうなのである。おやじも兄貴も、もともと、意識的にも無意識的にも「やりたいこと」があったら、それができなくなるようなことは、どんなに明らかなことでも、普通の状態なら一回言われれば(きちがい本人だってわかるようなことだって)認めない。認めないモードでやったことは、やったということも、認めないということになる。そりゃ、「やった」ということを認めるということが、自分にとって不都合なことだからだ。「そんなのやってない」という気持ちになってしまう。

きちがいおやじは、常にそういう状態なんだぞ。兄貴だって、おなじだ。けど、そういうしくみが成り立っているということは、普通の人は認めない。だから、俺が……困っている俺が……ほかの人から、悪く言われることになる。そして、悪く言ったやつらが、「ほかの人の評価なんて気にすることがない」などと言ったりするのだ。

 きちがい毒親にやられた人は、世間の人からも悪く言われることとになる。世間の人は「あたりまえ」のことを言っているとしか思わない。こういう態度は、やられた人を追い込む。最近では、認知療法的な考え方にしろ、行動主義的な心理学にしろ、ポジティブシンキングにしろ、精神世界系の考え方にしろ「やられた人」を追い込むようなことしか言わない。特殊なきちがい毒親にやられた人を、追い込むようなことしか言わない。


それから、こういう人たちに言いたいけど、毎日やられたことは、過去のことでも効力を発揮する。過去のことだから、効力を発揮しないということはない。もちろん、効力を発揮しない過去の出来事もある。しかし、効力を発揮してしまう、過去の出来事もある。それが、ほんとうに、「心理的なことなのか」というと、ぼくはちがうと思う。

 

体のしくみがある。体を維持している以上、やはり、生物としての影響は受ける。これは、「意志に」関係なく、受ける。だから、意志では制御できない部分があると思う。けど、『意志教』の人たちは、意志で制御できないことはないと思っている。脳みそも、体の一部だし、ほかの内臓と同じように生体組織として成り立っているのだから、例外ではない。

2020年10月1日木曜日

きのう、市役所と法務局に行ってきた


きのう、市役所と法務局に行ってきた。じつは、市役所に忘れ物をしてしまった。なので、とりに行かなければならない。

きのうは、さらに、ネズミ対策としてパティをつけた。けど、この作業中に、やはり、ダニにやられて、肌がきたなくなった。いまも、かゆい。ネズミ対策は、隙間を見つけてしまったらやらなければならない。風呂のネズミ対策もした。正直言って、「これはもうダメかな」と思う。この家は、もうだめかもしれない。

ほんとうは、今日、忘れ物をとりに行くべきなのだが、疲れたので、明日行こうかな。

きのうは、法務局から帰ってくるとき、自動販売機でジュースを3本も買って、飲んでしまった。これは全部、人工甘味料ではなくて、砂糖で甘みをつけてあるやつだから、けっこう、砂糖を摂取したことになるんじゃないかな。実際、甘かったし。

服がダニにやられて、ダメなんだよね。で、これは、熱湯方式ではなくて、時間はかかるけど冷凍方式でどうにかするつもりだ。あとは、Tシャツやパンツなら、あきらめて捨てるという方法を採用することにした。
 

2020年9月30日水曜日

俺は、自分が好きなゲームをやっていて、朝起きれないとかそういうことを言っているわけじゃないんだぞ


ななーーんと、市役所が午前8時30分からあいているというから、いまから出発しても、ついたころにはもうすでに、あいているということになる。
いま2020年09月30日07時53分51秒
ネズミのことが気になって仕方がないが、行ってくるかな。
しかしまあー、お母さんのときから、いろいろたいへんだったなぁ。
市役所は、そういう手続きの思い出ができてしまっている。
去年はおやじのことでたいへんだったよ。で、この時期もネズミ問題で悩んでいたのだけど、まさか、今年も同じ問題で(この時期に)悩んでいるとは思わなかった。

あーーけど、やっぱり、しんどい。体がしんどい。このさき、どうするかな?

とりあえず行って、帰ってきて、考えるか?

この、朝の雰囲気がヘビメタ騒音をやられていたとき同じなんだよな。これ、小学生、中学生、高校生の時の朝とおなじだ。死にたいほど憂鬱になる。で、それをこらえて!出ていくわけだけど、くるしい。激しく、くるしい。ボロボロ感があるんだよ。まあ、似たようなものだけど、もうちょっと一般的な言葉で言うと、疲労感がある。ボロボロ感は疲労感を含んでいるけど、疲労感だけじゃないんだよな。

 

すりきれた身体感覚と、すりきれた倦怠感と、すきりれた緊張感と、すりきれた破滅感がある。あとは、泣き出したいような気持と叫びたいような怒りがある。あれだけ無理やり、体を動かしたのは……。普通の人は、あれだけ無理やり体を動かした記憶がないのだと思う。経験がないのだと思う。

 

しかも、続くわけだし、「帰ってきたら」またヘビメタが鳴るということがわかっている。ヘビメタ騒音が原因でボロボロなんだよ。こういうハンディを軽く見るな。これ、ヘビメタ騒音生活の経験がない人が、「過去なんて関係がない」とか言い出す。説教をし始める。

 

俺は、自分が好きなゲームをやっていて、朝起きれないとかそういうことを言っているわけじゃないんだぞ。ヘビメタ騒音で、そうなっている。きちがい兄貴が、常識では考えられないほどでかい音で鳴らしているわけだから、きちがい兄貴が悪い。きちがい兄貴の行為が原因で、そうなっている。

俺が、ボロボロになって困っている。

 

それを、まるで、俺が……。俺が、好きなことをして夜更かしをしてボロボロになっているような感覚でものを言いやがって。アドバイスという名の説教をしやがって……。ほんとうにふざけるな。

 

2020年9月29日火曜日

「やったってやってない」が現在進行形で成り立つ人が、この世に実際にいる


ヘビメタ騒音は、一日目から、死ぬか生きるかの問題だ。殺すか、殺さずに自分が死ぬかの問題だ。そういう切迫感が……そういう現実が、佐藤のような常識的な人間にはわからない。「ヘビメタ騒音なんて、たいした問題じゃない」と考えてしまう。「ヘビメタが鳴り終わったなら、そんなのは関係がない」と思ってしまう。どれだけ関係があるかわかってない。ダイヤだって、けっきょくは、ヘビメタ騒音の影響を無視して、俺に「どうにかなってくれ」と言っている。この離れ。この乖離。

きちがい兄貴が、きちがい思考、きちがい感覚で、自分の意地を通すと、俺がよその人から、誤解されることになる。ほかの人は、きちがい兄貴のきちがい思考やきちがい感覚がわからない。よその人は「やったってやってない」が現在進行形で成り立つ人が、この世に実際にいるということがわからない。その人が、精神病院入院しているのではなく、よそでは普通の人として機能しているということがわからない。ようするに、「うち」でだけ狂う。

けど、よその人は「うちでだけ、恒常的に狂う人がいる」ということがわからない。精神病院に入院しているのでなければ、普通に暮らしているのであれば「言えばわかるだろ」ということになってしまう。つまり、これは……「ちゃんと説明すれば、わかってやめてくれるだろ」ということだ。けど、「うち」にいるかぎり、そういうことは絶対になのだ。

きちがいがきちがい感覚で自分の意地を通しているとき、やめさせるとしたら、殺さなければならない。俺は、小学生のときから常に、そういうことを押しつけられていた。これは、兄貴関係だけど、おやじ関係なら、まさしく、生まれた時から、乳幼児のときから、そういうことを押しつけられていたということになる。そういうことも、普通の家……で育った人にはわからない。わからないだけではなくて、ぼくが、「そうなんだ」と説明しても、認めない。「そんなのは、ない」と思ってしまう。

「親をきちがいとか、兄をきちがいとか、おまえのほうがきちがい」とか「親をきちがいとか、兄をきちがいとか、おまえは、なんて悪いやつだ」とか、普通に思ってしまう人がいる。ほんとうの毒親、ほんとうの毒兄貴を持った人の気持ちを、普通の人は、無視する。

まちがった前提で、まちがったことを言うようになる。

けど、「まちがった前提が成り立っている」ということを、どれだけの「普通の人」が認めるだろうか。普通の人なら、認めない。

2020年9月28日月曜日

ぼくが、どういう気持ちで、「高卒だ」とこたえたか


けっこう、疲れている。「もう、どうだっていいか」という気持ちになるときがある。「俺はもう疲れた」という気持ちになるときがある。ぼくは、ドストエフスキーの掲示板で、専門家に、同類の研究者なのかなと思われたときがあるのだけど、そういうことは、わりとある。で、問題なのは、ぼくが高卒だったことだ(当時)。「ヘビメタ騒音さえなければ」と思う。けど、これまた、ヘビメタ騒音のことを言うべきなのかどうかまようのである。これは、無職のことを言うべきなのかどうかまようのとおなじだ。小室直樹掲示板でも、メールアドレスを教えてくれという人がいたから、教えたら、研究者なのかということを訊いてきた。「ぼくは、実は高卒なんですよ」とこえた。ぼくが、どういう気持ちで、「高卒なんですよ(当時)」とこたえたか。そりゃ、ぼくしかわからない。俺、もういやなんだよ。俺は、もう……。
ほんとうに、ヘビメタ騒音さえなければ、そういうことを聞いてくる人たちと、楽しく学問的なおしゃべりができたかもしれないのだぞ。同等の立場で!! 全部、くずされた。
 

2020年9月26日土曜日

うわっ、なんだ!!! 午後なのか??


うわっ、なんだ!!!
午後なのか??


俺、さっき、起きて、五時だというのがわかったので、もうしばらくしたら明るくなると思っていたんだけど、なかなか、明るくならなかった。そのあと、ネットサーフィンをして、ずっと時間をつぶしていた。パソコンの時間を見て、「午後だ」というのが、いまわかった。午後八時になっていた。午前八時じゃなかった。どおりで、暗いはずだ。

これから、明るくなってくれないとやばいぞ。精神的にやばい。俺はもう、ダニやネズミのことで頭がいっぱいだ。補修工事をして七か月間、ネズミが出なかったのに、ネズミが出た。補修工事がムダ。というか、どこを工事していいのかわからない。これ以上ぼくが……なにを……すれば……よいのだろうか。

あとは、だから、「あそこの部分やられたかな」と思って、補修パテをつけようとしたのだけど、思ったよりやられてなかった。で、あそこは、湿気が多いところで、いろいろな虫がいるのだ。

 

で、蚊がいたのはわかっていたのだけど、なんか、ほかの虫にも刺された。蚊に刺されたところがかゆくなったんだけど、蚊ではないものに刺されたところもかゆくなった。

で、蚊じゃないほうが、猛烈にかゆいのである。で、とりあえず、風呂に入って、出たのだけど、かゆみがおさまらず、かいたら、血が出た。けど、血が出ても、かゆくてかゆくてたまらない状態だったので……。

 

まあ、塗り薬はかくまえにつけるべきなのだけど、見つからなかった。で、見つけて、とりあえず、塗った。かゆみどめ成分が入っているので、かゆさは軽減した。……あっ、言っておくと、……これは、明るい時間の話ね。午前一時ぐらいなのかな? かゆくなって、だるくなって、眠ってしまった。

かゆくなったときに、はいていたズボンをとりあえず洗濯しようとして、洗濯した。洗濯したあと、眠ったんだ。あーー。まあ、いろいろと言いたいことはあるのだけど……。ともかく、これ、メンタルにくるなぁ。有害。

 

横になっているときに思ったこと……眠っているさいちゅうに思ったこと?……は、ヘビメタ騒音に対するいろいろな人間の態度だ。ヘビメタ騒音の話に対するいろいろな人間の反応だ。「それは、ちがうんだ」と言いたくなって、目を覚ました。 



*     *     *



ちょっとだけ付け足しておくと、ぼくは、もう、「かゆくなっているところ」を見たくない。なるべく見たくない。どうなっているか、見たくない。かゆくても、見たくない。無意識的に見たくなかったんだろうな。なんかかゆいなぁ」と思っていたんだけど見たくなかったら、見ないままかいた。

 

どうして、外壁の状態を確かめなければならなかったかというと、ネズミが出てしまったからだ。確認して、パティで応急処置ができるなら、パティをつけるということをしなければならなかった。 


あそこは、いかにも「かゆくなりそうなところ」だから、近よりたくなかった。けど、一匹ネズミが入ってきたということは、何匹でも入れるということだ。つがいで行動していることが多いので、やばい。すぐに巣を作って子供を作ってしまう。床下に入れるなら、どこからでも出てこれる。壁に穴をあけることが可能だ。爪でやるのか歯でやるのか、あるいは、その両方でやるのか、よくわからないけど、ともかく、しっくい壁を突き破ることができるのだ。

ほんとうは、だれだって!!!働けない体になるのに……


ヘビメタでつらい。どいつも、こいつも、ヘビメタでつらいということを、究極的には、認めない。たいしたことじゃないのに、俺がこだわっていると思っている。これが、屈辱。これは、きちがいヘビメタの効果だ。もと親友ですら、きちがいヘビメタの効果を見誤った。ほかの人は、経験してないから、どれだけ影響を与えるかわかってない。わかってないところで、ものを言うんだよな。そりゃ、自分の経験の範囲では、自分が言ってることが正しいわけだから、俺が言っていることを究極的には認めない。ほんとうは、だれだって!!!働けない体になるのに……。ほんとうは、だれだって、入学試験に落ちるような状態になるのに。ほんとうは、だれだって、体力がなくなるのに……。ほんとうは、だれだって、気力がなくなるのに。ほんとうは、だれだって、睡眠障害になるのに……。そして、ほかの人に誤解されるようになるのに……。ほんとうは、だれだって、憂鬱な顔になるのに……。


ゆるせない。

2020年9月25日金曜日

法務局に行くつもりだったけど、キャンセルの電話を入れた

法務局に行くつもりだったけど、キャンセルの電話を入れた。正直言って、だるい。これは、睡眠障害でだるいわけだけど、……どーも、昨日から、鼻水が出るので、行くのはやめておいた。
しかし、ネズミが気になる。ネズミが気になる。
仏壇の上は、ひどい思いをして、きれいにしたのに、また、ネズミの糞がのっかっていた。

 

 

俺は、兄貴がフォークギターを3年間毎日鳴らしているとき、文句を言わなかった

 
ネズミが出たし、午後1時ぐらいからは動かなければならないのに、まったく眠ってない。眠れるかと思って横になっていたけど、眠れなかった。で、そういうときの気分が、ヘビメタ騒音が鳴り終わった後の気分なんだよな。なり終わったから眠れるだろと思うだろ。けど、これが、眠れなかった。毎日眠れなかった。毎日、ほんとうに明るくなってからやっと眠ったような感じで、午前2時、午前3時、午前4時と不安な気持ちですごした。横になっていた。あのとき、ぼくのこころのほとんどが崩壊している。そして、わずか、2時間くらいか眠ってない、ものすごく、眠たいときに起こされて、学校に行ってた。行ってたならいいだろと思うだろ。ところが違うんだよね。もう、〇にたくなってた。自〇したくなっていた。気分が尋常じゃないのである。もちろん、意志の力で動いた。けど、これは、相当に無理をしている。そして、無理は、いつか終わる。俺の場合は、7年ぐらいで終わった。7年間、夏休みも冬休みも、土曜日も日曜日も、試験3日前も、試験2日前も、試験1日前も、ずっとずっと、鳴ってたんだぞ。ずっと、夜、眠れないまますごしたんだぞ。これだけで、終わっている。そういう、中学時代、高校時代をすごしてないやつが、「誰だって朝はきつい」とか「誰だって、眠たいのに必死で動かなければならないときがある」とかいうことを言ったとき、ぶっ飛ばしてやろうかと思った。中学時代高校時代と、普通に眠ることができて、普通に家で勉強することができた人が、幸福論を語っても、自分とは関係がない感じがする。どんな状態でも、だれだって、幸福を感じることができる……って、そりゃ、無理だぜ。まあ、これ、どのみち、「うまれの差」というのは、勘定に入ってない。学歴獲得競争は公平だという建て前がある。けど、最初から、不公平だ。きちがいおやじのハンディや、きちがい兄貴のハンディが並みじゃない。きちがい兄貴が、囲碁に凝ったならよかった。音は出ないから。まあ、ぱしんぱしんと音がするかもしれない。言っておくけど、俺は、兄貴がフォークギターを3年間毎日鳴らしているとき、文句を言わなかった。フォークギターぐらいの音なら、問題はなかった。横が幼稚園で、とてつもなくうるさい。けど、勉強ができないとか本が読めないということはなかった。横の部屋の、きちがいヘビメタ騒音は、すべてを破壊した。「みんな、くるしくても、がんばっている」「だれだって、眠たいときはある」と言う人たちは、ヘビメタ騒音を浴びせられて、眠るべき時間に眠れなかったわけじゃない。自分で夜更かしをしようと思って、夜更かしをしていたわけじゃない。ゲームに夢中になって、夜、起きていたわけじゃない。きちがいヘビメタを一日に6時間以上浴びせられると、どうしても、眠れなくなる。ほんとうにくるしかった。すべてが、くるしくなる。夜、適切な時間に眠れないとなると、すべてが、くるしくなる。



ネズミが出た。


ネズミが出た。
どうして、こうなる。
とても、さみしい。とても、こころ細い。
「もう、だめか」と思った。発狂した。

睡眠時間!ズレまくりなのに、明日は、決まった時間にあるところに行かなければならない。いちおう、雨でもそうするつもりだった。けど、ネズミが出たとなると、ちょっとちがうんだよな。それに、雨が問題だ。キャンセルをすると、穴があくけど、しかたがない。はぁー、行政書士にやってもらうとなると、金がかかる。

さらに、ネズミ対処に金がかかる。金が……。金が……。
おれは、休ませてほしかったんだよ……。こ、こ、で、ネズミが出るとか、いいかげんにしてくれよ。休めないだろ。おれは、休ませてほしかったんだよ。

言っておくけど、明日行かなければならない時間は、普段というか、今日は寝ていた時間だ。眠っていた時間だ。これは、グロッキーだ。睡眠時間の調整が、けっきょく、できなかった。25日間もあったのに、けっきょく、睡眠時間の調整ができなかった。行動しなければならない時間は、今回の場合、午後1時30分ぐらいから、午後4時ぐらいまでの間だ。なので、前の日の午前1時ぐらいに起きるという睡眠リズムでもよかった。しかし、いまの睡眠リズムは、……入眠時間は、だいたい午前10時ぐらいだ。午前11時が明日の、本来の入眠時間になるはずだった。2時間30分眠れればどうにかなるとは思う。けど、けど、午前10時ぐらいから、眠りたいのに眠れないという状態になってしまったら、またまた、20時間ぐらい起きている状態で、動かなければならなくなる。当然、相手の話を聞いても、いろいろと、ミスをするかもしれない。相手は、覇気がない人だとなとか思うかもしれないし、ひょっとしてコロナウィルスに感染しているのかなと思うかもしれない。

午前4時ぐらいから、睡眠トライをしたいけど、「ネズミが出た」という事実が頭に刺さっている。

 

2020年9月24日木曜日

すべてはうけとめ方の問題だというような言い方には問題がある。


すべてはうけとめ方の問題だというような言い方には問題がある。

たとえば、障害者を殺した人がいるとする。すべてはうけとめ方の問題なので、障害者を殺した人を、いい人だと思うことだってできるのである。本当にあった話だけど、障害者を殺した人は、自分を英雄だと思っていたフシがある。すくなくても、彼のなかでは、自分は悪いことをしたのではなくて、いいことをしたという認識が成り立っていた。そして、それは、他人に、どういうふうに言われても、かわらなかった。


すべてはうけとめ方の問題だとするのであれば、第三者は、彼を(彼が思っているように)いい人だと思うことだってできるのである。彼に刺されて死んでしまった人は、もう、思いようがないけど、半殺しにされて、障害を背負って行きている人にも、「すべてはうけとめ方の問題だ」という理論は成り立つ。

自分がひどいことをされたと「思うから」ひどいことをされたという感情が生じる……ということになる。彼らの理論は、すべてはうけとめ方の問題だから、「ひどいことをされた」とうけとめなければいいということになってしまうのである。自分はひどいことをされたのではなくて、自分はすごくいいことをしてもらったとうけとめれば、自分はすごくいいことをしてもらったということになるのである。

「ひどいことをされた」という現実を作り出しているのは、まさに、その人本人だから……すべては、うけとめ方の問題だからだ。自分を刺した彼は、正しいことをしたとうけとめることだってできるのだ。、、すべてはうけとめ方の問題だからだ。

妄想を持っている人にナイフで刺された……それをどううけとめるかは、その人次第なのである。

そして、すべてはうけとめ方の問題だから、「ひどいことをされた」とうけとめなければいいということになってしまうのである。「いいことをされた」とポジティブにうけとめればいいということになってしまうのである。ポジティブにうけとめればいいのに、ネガティブに受け取るからだめなんだということになってしまう。ポジティブにうけとめることが可能なのに、ネガティブに受け取ることに固着する人は、こだわる必要性がないことにこだわる非・合理的な人だということになってしまうのである。

彼……自分を刺した人は、自分に「気づきを与えてくれたんだ」とポジティブにうけとめればよいのである。すべてはうけとめ方の問題なので「自分に気づきを与えてくれたんだ」とうけとめることももちろん可能なはずだ。「すべては、うけとめ方の問題だ」とい言っている人は、実は、刺された人に対して、こういうことを言っているのとおなじだ。


こういう人たちは、すでに不幸な人を、せめている。不幸だと思うから、不幸なんだ……とせめている。不幸な出来事だと思うから、不幸な出来事なんだ……とせめている。ポジティブにうけとめることが可能なのに、そうしないから、だめなんだと……せめている。

もちろん、「うけとめかた」の問題だから、せめているとうけとめる人はそういうふうにうけとめるのでしょう……ということになってしまう。

けど、ぼくは、これはおかしいと思う。
けど、こういうでたらめな理論がまかり通っているのが、この世なんだよな。こんな、すでに不幸な人を追い詰めるような理論を、得意顔で言うようなやつら……。

ぼくは、すでに成り立っている文脈がたいせつだと思う。その文脈は、個体発生的に意味があるものなのである。
 

呪文を唱えれば、自分が思ったとおりになるのだから、こんなに楽なことはない


これから、買い物に行くかどうかまよっている。
風呂に入っている間も、買い物をしている間も、考えていることはヘビメタ騒音のことだ。

ヘビメタ騒音で、ぼくは人から、誤解を受けている。

その、誤解が、気になるのだ。

まあ、ぼくを誤解している人は、「人がどう思ったっていいじゃないか」というようなことを言う。「誤解しておいて、そりゃないぜ」と思うけど、言っても通じないんだよね。

労働にまつわる信仰心みたいなものがあるから、通じない。

労働にまつわる信仰心は、普通の日本人なら持っていると思う。ぼくにも、彼らの気持ちがわかる。ぼくも、日本人として日本の中でながらく、暮らしてきた人間なので、彼らが無職に対してどういう考えを持っているのか、あるいは、ニートに対してどういう気持ちを持っているのか、わかるのだ。

まあ、ようするに、普通の人は、間違いなく、日本労働教徒になる。そして、普通の人は、言霊思考が残るので、日本労働教徒であるということと、言霊思考を持っているということが、かなりの確率でかさなる。

言霊思考は、日本人だけではなくて、実は、世界中の人が持っている思考だ。どうしてかというと、言霊思考は、幼児的万能感から生まれるからだ。幼児的万能感は、人間なら、幼児時代に持っていた万能感(感覚・気持ち・考え方)なので、どうしても、「しん」の部分では感覚として残っている。

これは、ようするに、過去のことは現在に影響を与えるということなのだけど、それはまた、別の機会に話そうか。

幼児的万能感はファンシー世界の話だ。ファンシー感覚なのである。魔法が使えるつもりでいる状態なのである。「言えば現実化する」というのは、「呪文を唱えれば、どんなことも現実化する(そのとおりになる)」というふうに言い換えることができる。

呪文を唱えれば、自分が思ったとおりになるのだから、こんなに楽なことはない。たぶん、言霊思考に関しても、幼児的万能感に関しても、「個体発生は系統発生を繰り返す」ということが成り立っていると思う。長い原始時代の感覚が、個体発生の中で繰り返されるのだ。もっとも、中世でも、科学的なものの見方というのは成り立っていなかったので、原始時代から中世までの感覚が、繰り返されると言ってもよいのではないかと思う。

2020年9月22日火曜日

「言う」にしろ「言わない」にしろ、他人から誤解を受けがち


ヘビメタ騒音のことは、「言う」にしろ「言わない」にしろ、他人から誤解を受けがちなんだよな。言わなかった場合、ほぼ一〇〇%、誤解される。言った場合は、相手による。相手が、ぼくの言ったことを信じれば、誤解はとける。あるいは、誤解がとける可能性がある。信じないやつは、言ったあとも、誤解したままだ。誤解なんだよ。けど、相手は、誤解だとは思ってない。ヘビメタ騒音病という「やまい」は、ほかの人から誤解を受ける「やまい」だ。どうしてかというと、ヘビメタ騒音病になった人が、俺以外にいないからだ。ほかの人は、ヘビメタ騒音病になったことがないから、誤解をする。

誤解する人と誤解しない人とでは、想像の範囲がちがうのだ。騒音「で」そうなることがあると思うか、ないと思うかの違いだ。騒音「で」そうなることがないと思っているやつは、俺の話を聞いた後も、騒音「で」そうなることはないと思っているから、ずっと誤解したままだ。俺という存在について誤解したままだ。誤解したままの相手と、仲良く付き合うのは、とてもむずかしい。

2020年9月21日月曜日

一一歳のときに始まった。あれから、ずっと、俺は、くるしいんだよ



強烈にからだがだるくなって、横になっていた。二、三日、横になれば、治ってくれればいいけど。これは、気違いヘビメタ騒音病だ。体の状態が同じだから、わかる。頭もくるしい。強烈にくるしい。「もう、だめかな。まるまるまるまる」と考えてしまう。気違いヘビメタ騒音にやられていたときの「からだ」のまんまだ。どうしても、生きるのがつらい。くるしい。気違いヘビメタ騒音でくるしくなった。それまでも、気違い親父にやられてくるしいことはあったけど、そんなことを吹き飛ばしてしまうような、気違い騒音がはじまった。一一歳のときに始まった。

 

あれから、ずっと、俺は、くるしいんだよ。

 

で、他の人は、ヘビメタ騒音一日ぶんも、わからない。わからないんだよな。

一〇〇〇日、つもったときの、状態なんてわかるはずがない。

 

それで、かってに、自分の騒音体験から類推して、『俺のヘビメタ騒音』について考えてしまう。その人のなかにある『俺のヘビメタ騒音』は実際のヘビメタ騒音とはまったくちがったものだ。だから、ヘビメタ騒音の効果を無視してしまう。

そうすると、俺が勝手にサボっているだけに見えてしまうのだ。どれだけ説明しても『過去なんて関係がない』というような、アホな言葉が返ってくる。

しかも、アホな言葉を返しているつもりがないと思う。非・合理的なのは、いつまでも、ヘビメタ騒音こだわるエイリさんの方なのだ。そういう人にとっては……。こういう、世界の亀裂はどうにもならない。

善意がある人ですらそれなのだから、もちろん、『世界』はぼくにとって、たいへん生きづらいものになる。

しかし、そういう生きづらさを作ったやつらが、俺にこう言うんだよ。『元気だ元気だと言えば元気になる』とね。もう、やめてくれ。
 

2020年9月20日日曜日

ヘビメタ騒音がついた『だるさ』は他の人には類推できないものになる。


正直なことを書いていいのかどうかわからないが、相当に、だるくて、相当にあれていた。こころがあれるんだよ。だるいと、こころがあれる。だるいと言うよりも、くるしい。本当に、くるしかった。いまは、なんとかなった。けど、意欲うんぬんは戻ってないな。
あたまがもやもやするとか、書いたけど、もやもやだけじゃないんだよね。くるしかった。ベビメタ騒音がなっていたときと同じ、状態になってしまう。これ、ヘビメタ騒音経由なんだよ。いや、直通でヘビメタ騒音なんだよ。だれもわかってくれない。あまりにもレアケースだから、だれもわからないんだよな。医者も含めて……。
いま!ヘビメタ騒音でくるしい。ヘビメタ騒音自体は、終わったけど、いま!ヘビメタ騒音でくるしい。たぶん、睡眠回路と意欲回路を破壊された。「だるい」という感覚は、睡眠回路と関係しているんじゃないかな。からだが、動かない状態になるわけだから。他の人が『類推』で想像できるのは……『寝不足のときのだるさ』だけなんだけど、ヘビメタ騒音がつくと、それだけじゃなくなる。ヘビメタ騒音がつくと、ヘビメタ騒音がついた『だるさ』は他の人には類推できないものになる。
ともかく、くるしいんだよ。ヘビメタ騒音で、俺は、くるしい。

気違い兄貴のやり方が異常だというのが他の人にはわからない。気違い兄貴の、ヘビメタ騒音の感覚が異常だというのが、他の人にはわからない。気違い兄貴の、ヘビメタ騒音に関する認知が異常だということが他の人にはわからない。気違い兄貴の、苦情を言われたときの反応が異常だということが、他の人にはわからない。 



2020年9月19日土曜日

うちだけ、おかしい。 いつも、いつも、うちだけ、おかしい。



ヘビメタが、鳴ってた。だれもわかってない。
ヘビメタが、鳴ってた。だれもわかってない。

どれだけ、でかい音でなっていたかだれもわかってない。
気違い兄貴の態度なんて、だれもわからない。だれも……。俺だって、わからなかった。気違い兄貴が、あれでゆずったつもりがあるとか、頭がおかしいレベルだ。ともかく、ぼくが、絶叫する声の、何百倍、何千倍というでかい音で鳴ってたんだ。

あんなの、いいわけがないでしょ。あんなの、いいわけがないんだよ。どこのうちも……どのうちも……あんな音でステレオを鳴らしてない。

うちだけ、おかしい。

いつも、いつも、うちだけ、おかしい。

これ、気違い親が頭のおかしい人だから、そうなっちゃったんだ。

で、兄貴は、ほんとうに、かかわっているつもりがなんだよな。

気違い親父が、頭がおかしい理由で怒り狂ったあと、気違い親父が『まったく関係がない人』になってしまうのとおなじなんだよな。こんなこと、ひとに言ったってわからない。

佐藤なんて、さかだちしたってわからないだろう。『障害者』でなければ、そんなことはないと思っているんだからな。けど、その障害者というのは、障害者として認定された障害者だ。認定されなければ、佐藤のなかでは、どこかのだれかは障害者じゃない。だから、信じない。俺の話を信じない。こういうのが、まったくわかってない。

2020年9月15日火曜日

「働かざる者、食うべからず」 じゃなくて、 カネがないもの、食うべからず

 「働かざる者、食うべからず」

じゃなくて、

 

「カネがない者、食うべからず」

なんだよ。 


どうして、簡単にだまされるのか?

いいかげん、気がつけ。

俺に、どれだけ的はずれなことを言っているか、佐藤らは一生理解しないだろう


俺に、どれだけ的はずれなことを言っているか、佐藤らは一生理解しないだろう。そして、自分は勝手に、退職して無職になる。

人は働くべきなんだろ。どれだけ、苦しくても、人は、働くべきなんだよ。だったら、どうして、退職する? いきているあいだ、どれだけつらいことがあっても、働け!

高齢者は人じゃないのか? 赤ちゃんは、人じゃないのか?

高齢者も赤ちゃんも人だ。「人は働くべき」なんていうのは、そもそもがまちがった言い方なんだよ。自分がとしをとったら、「もう、俺は体が動かないからいいや」なんて思って仕事をやめるやつは、他人に対しても、「人は働くべきだ」と言うべきではない。

「他の人が考えるヘビメタ騒音」と「ぼくが実際に経験したヘビメタ騒音」


ほんとう、みんな、ヘビメタ騒音でどれだけ追い詰められるかわかってない。気違い家族によるヘビメタ騒音がどれだけ過酷なものかわかってない。気違い家族による、ヘビメタ騒音がどれだけ、生活を破壊するかわかってない。全部、たてまえになってしまうんだぞ。全部。これは、イ・ラショナル・シンキング(非合理的思考)じゃない。逆に、ヘビメタ騒音で、生活が完全に破壊されるということが、わからないというのが、おかしい。想像力の欠如。他人対する共感の欠如。

生活できないようになるに、決まっている、でしょ。通勤しなければならないなら、死ぬしかない」と思うのは、イ・ラショナル(非合理的)なことじゃない。むしろ、体力的に合理的。自分の体力や睡眠力?を考えると、死ぬしかないのである。あるいは、入院か。けど、いつまで入院しているんだという問題がある。入院しているあいだに、治ればいいけど、治らない。これも、ヘビメタ騒音を数千日、経験した人じゃないとわからないかもしれないけど、だいたい、七〇〇日ぐらい、毎日続いたら、治らなくなる。だいたい、入院して寝ているのと、安いアパートで寝ているのは、かわりがない。ヘビメタ騒音によって生じる障害に関しては、病院も安いアパートも、かわりがない。だいたい、病院にずっと入院しているというのは、経済的に無理なのである。本当に、まったくわかってないな。

 

「他の人が考えるヘビメタ騒音」と「ぼくが実際に経験したヘビメタ騒音」が違いすぎる。ぜんぜん違う。けど、違うということが、経験のない人にはわからない。そりゃ、想像するだけなのだから、しかたがない。 


他の人は、騒音による障害というのは、ずっと続くものだと思わない。騒音による障害は、水銀による障害に近い。ぬけない! たぶん、三〇〇〇日以上、毎日やられると、ぬけなくなる。これは、騒音が終わったにもかかわらず、障害が続くという状態だ。

『音がなくなれば、障害なんてなくなっちゃうだろ』と思うのが、経験のない人だ。経験がない人のほうが圧倒的に多いのだから、ぼくが、言っていることはつたわらない。その人たちには、つたわらない。

けど、実際に経験したぼくの感じで言うと、長期騒音による障害は、ずっと残る。ずっと、体に残り続ける。いきているあいだ、改善しない。繰り返される物理刺激で、海馬や扁桃体が損傷を受けたままになると思う。

 

2020年9月14日月曜日

「働いてくれ」と言われたら「自殺してくれ」と言われたのと同じ


これ、もう、だいぶ前に何回か書いているのだけど、ある人にとっては、働くということは、どれだけ頑張っても、一週間か一ヶ月で自殺することになるから、さけなければならないことなのである。

 

だから、そういう人に対して、『働いたほうがいい』と言うのは、『自殺したほうがいい』と言うことと同じだ。切迫している状態がわからないのである。あるいは、経験に基づいて「もうだめだ」と言っているのに、その経験が……何万回と繰り返された経験がわからないから、経験に基づいた発言だということを、……無視してしまうのである。

だから、つねにギャプがある。「できない」と言っても「もう、できない」のか「最初から、できない」のかは違うと言っているだろ。「もう、できない」と言って、通学通勤をやめた人は、「最初から、できない」わけではない。何千回、何万回とやっている。その、何千回何万回やった人が、限界のところで「もう、できない」と言っているのだから、できないんだよ。あと何回かやったら、自殺するしかないんだよ。そういう切迫した問題なんだよ。だから、そういう人に「働け」と言うのは、くるしんで自殺してくれと言っていることと同じなんだよ。


本当に、誰だって、一一歳のときからずっと、毎日、ヘビメタ騒音にさらされたら一九歳のときには、通学も通勤もできなくなるのに、そういう経験がない人にはわからない。理解できない。

 

いっくら騒音が鳴ってたって、通学も通勤もできるだろと考えてしまうのだ。

けど、それは、積み重なった騒音疲労を無視した考え方だ。

本当に、違う。

けど、普通の人は違いがわからない。どうしてかというと、ヘビメタ騒音かヘビメタ騒音相当の騒音を経験してない人には、それに対応した騒音疲労がないからだ。

だから、「無理だ」ということがわからない。「無理だ」ということは、無視して、「できるのだからやればいい」「やるべきだ」という考え方を披露することになる。けど、それは、経験がないから、……あるいは経験に基づいた認識がないから、言えることだ。

日本人は「人は働くべきだ」と考えているので、働けるように(みえる)人が働いていないということは、ゆるせない。

だから、二〇代から五〇代ぐらいの男性が働いてないということを聞くと「働くべきだ」と自動的に思ってしまう。「働くべきなのに働いていない」「それは、けしからんことだ」と自動的に考えてしまうのである。

だから、説得して、相手を働かせないと、落ち着かない。相手が働くまでは、会えばば、説得をし続けるということになってしまう。これは、不幸なことなのに、説得を試みるほうには、「不幸なことだ」という認識がない。

ヘビメタ騒音で無理だと言っているのに、説得を試みる人との付き合いは、切るしかない。そりゃ、そうだろ。会えば「苦しんで自殺してくれ」と熱心に説得してくるやつと、会う気がするか?

 

ヘビメタ騒音「で」できないと言っているだろ。

「働いてくれ」と言っている方は、自分が相手に「自殺してくれ」と言っているつもりはない。けど、相手の方は、「自殺してくれ」と言われたと、認識するのである。他の解釈はない。どうしてなら、働いたら、……自殺するしかないというのは、すでに決まっていることだからだ。一意に決まっている。「働いてくれ」と言われたら「自殺してくれ」と言われたのと同じなんだよ。

「働いたら、自殺するしかない」という考え方に、疑問をもつ人もいると思う。働いても自殺しないようにすればいいからだ。

けど、それができないと言っているんだよ。
「働いたら、自殺するしかない」という考え方は、非合理的な思考に思えるかもしれないけど、経験に基づいた正しい考え方なのである。正しい考え方度思えない人たちが、正しい考え方だと思えないのは、経験がないからだと思う。


「『働いたら、自殺するしかない』というのは、非合理的だ」と言う場合、「働いたら自殺するしかない」という考え方を持っている人が、経験した仕事でなければいいと思っていると思う。

 実際、そういう場合もある。けど、ぼくの場合は、通勤することが必要なのであれば、どんな仕事もだめなので、通勤することが必要な仕事はだめだということになる。もちろん、仕事と通勤する必要がある仕事は、違う。通勤しない仕事だってあるではないかということが言える。しかし、あのときのぼくは、通勤する必要がある仕事にしかアクセスすることができなかった。通勤する必要がない仕事にアクセスすることができないのであれば、仕事がないのと同じだ。 


*     *     *


2020年9月13日日曜日

ヘビメタ「で」苦しいと言っているだろ


ヘビメタでくるしいと言っているだろ。ヘビメタ「で」くるしいと言っているだろ。どうして、ヘビメタ「で」くるしいというとがわからないのだろう。

 

ヘビメタ騒音の影響を無視する人は、どれだけ言っても、ヘビメタ騒音「で」くるしいということがわからないんだよな。

 

同様に、ヘビメタ騒音「で」できないと言っているのに、ヘビメタ騒音の影響を無視する人は、どれだけ言っても、ヘビメタ騒音「で」できないということがわからない。認めようとしない。

 

この人たちは、たぶん、家族が気違いではないのだろう。

どれだけ、気違い兄貴の、認知に、ゆがみがあるかわかってない。

全部が全部、違うんだよな。「うち」と「よそ」では、全部が全部違う。

実際に、自分がこの世で一番キライな音に、長時間さらされたことがないから、わからない。「うち」というのは、生活の基盤だ。職場や学校よりも、たいせつな場所だ。その場所で、ずっと、自分がこの世で一番きらいな音にさらされ続けるということが、生活全体にどういう影響を与えるかわかってない。

 

「わかってないなら、説明すればいい」と思うかもしれないけど、説明しても、わからないやつはわからない。「わかってないなら、説明すればいい」と書いたけど、これは、「相手がわかってないようなのであれば、あなたがちゃんと説明をすればいい」という意味ね。主体と客体を明示するとそういうことになる。けど、日本語の特徴を考えると「わかってないなら、説明すればいい」で伝わるはずだ。けど、誤解をまねくといけないから、説明しておいた。


まず、こういう人たちが無視するのは、気違い兄貴の意識なんだよな。態度と言ってもいいけど、気違い兄貴の態度全体が、わからない。普通の人には、「うち」の兄貴の態度全体がわからない。そして、気違い兄貴自身もわかってないところがある。これは、親父と同じなのである。兄貴は、親父のコピー。兄貴の態度は、親父の態度のコピー。兄貴の認識システムは、親父の認識システムのコピー。

で、これが、異常だから……異常すぎるので、ほかのひとにはわからない。そうすると、自然に誤解をするということになる。そして、誤解のうえに本人の意見を成立させることになる。前回、書いたけど、本当に厄介な話だ。こいつら、つねに、誤解しているし、誤解しているということがわかってない。佐藤みたいな思慮深く、洗練されたやつが、普通に誤解するというのが、やっかいなところだ。
 

2020年9月11日金曜日

うしろでベルを鳴らすと、ころびそうだからどうしましょうか


つまらない。
いま、時間ができてしまっている。
午前9時には家を出る予定だ。
2020年06月12日07時57分32秒
約1時間、どうやって時間をつぶすべきか?

むかし、線路の横にある道を通ったとき、ちょっとした出来事があった。線路を横断して、その道に入ったとき、若い夫婦が道をふさぐような感覚で歩いていたので、ベルを鳴らすかどうかまよった。

で、夫のほうが気がついて道を開けてくれた。そのあとが問題なんだ。前を、小さな子供(幼児)が走っていた。たぶん、四歳ぐらいかな。「わわわわーわーーー」という感じで走っていた。で、その子のうしろで、ベルを鳴らすと、振り返ってころぶ感じがした。

足は走っている状態で前に出ているのに、振り返るために、左うしろうを見た場合、左側に倒れてしまう。子供が走っているところと道の関係から言って、自転車は左側を通るしかない。ようするに、「ちりんちりん」とベルを鳴らすと、走りながら「なんだ」と思って、そっちのほうを振り返るので、足がたどたどしい幼児だからころんでしまうのではないかと思った。

なので、ちょっととまって、考えていたら、父親(夫婦関係でいうと夫)のほうが、子供に「おい、とまれ」と声をかけてくれた。なので、「あーよっかた」と思って、ベルは鳴らさないで、子供との距離を詰めた。

俺は、実は急いでいたので、なるべく、とまりたくなかった。けど、父親のほうが「おい、とまれ」「とまれって言っているだろ」「とまれ!!!」「とまれ!!!!」と絶叫しても、幼児がとまらなかった。

で、俺は、一メートルぐらい近づいたところで、やっぱり、「ベルを鳴らすと、ふりかえってころぶ感じ」がしたので、ベルを鳴らさなかった。で、幼児の動きに細心の注意を払いながら、幼児を追い抜かした。

で、かどのところまできて、うしろをみたら、幼児が、お父さんにしかられて、泣いていた。正直言ってかわいそうだった。「とまれと言ったら、とまらなきゃだめだろ!!」とどなられていたのだ。

で、母親のほうは、「ベルを鳴らさなかったんだから、しかたがない」と言っていた。で、それにこたえて父親のほうが「あんなにでかい声で叫んだのに、止まらなかったんだから、ベルなんて関係がない。あの人は悪くない」と言っていたのが聞こえた。

で、そのあと、父親が子供に「とまれと言ったらちゃんととまらなきゃだめだぞ」と言っていた。その子には、そういうおこられるような場面を作ってしまって、もうしわけなかった。「しまったな」と思った。かわいそう。わかるんだよな。「わわわわーーー」って時が、幼児にはある。けど、やっぱり、あの足どりとあの速度だと、振り返って足がもつれてころぶ。幼児にとっては全速力だからね。

うしろで、ベルが鳴ったら、どうしたって、うしろを向く。まあ、大人なら、前に走りながら振り返ってもころばないけど、幼児だと、ころぶ可能性が高い。まあ、基本、夫婦にたいして、「(お子さんの)うしろでベルを鳴らすと、ころびそうだからどうしましょうか」と問うべきだったのかもしれない。

まあ、父親がどなって「とまれ」と言ったら、とまるべきだということを学んだということでいいのか。その子供も、いまはもう、たぶん三〇歳ぐらいだと思う。もう、そういう出来事があったということを忘れているだろう。

2020年9月10日木曜日

まちがった仮定で、まちがった結論を述べる人たち


幼稚園がうるさい。運動会の練習が始まった。というか、ちょっとまえから、運動会の練習はあるんだけどね。しかし、幼稚園のうるささと、兄貴のヘビメタのうるささを、いっしょに語ることはできない。同じではない。本当に兄貴のヘビメタは破壊的。あの音の中に一秒間いたら、一秒間、猛烈に苦しい。あの音の中に一時間いたら、一時間ずっと、猛烈に苦しい。勉強なんてできない。ただひたすら、苦しむだけの時間だ。

普通の騒音と、うちのヘビメタ騒音を同じレベルの騒音だと仮定してしまう人達がいる。その人たちは、仮定のレベルでまちがっている。まちがった仮定で、まちがった結論を述べることになる。そして、それは、その人たちのなかでは、真実だから、自分たちがまちがっていることを言っているとは思わない。

けど、まちがった前提で、まちがったことを言っている。気違い兄貴のヘビメタを経験してないから、わからない。まちがっているということがわからない。

どうしても、その人の『固有の』騒音体験をもとにして、騒音を考える。そうすると、鳴り終わったら、どんな騒音も関係がないと思ってしまうのだ。

そんなことはないのに、そう思ってしまう。

だから、必然的に俺を低く見ることになる。『誰だって騒音ぐらいある。エイリさんが騒音に弱いから、そんなふうになっているのだ』と思ってしまう。違うんだよ。

ぼくは、騒音感度は普通の人と同じだった。そして、生活体力は、じつは普通の人よりもあった。生活体力というのは、いろいろなことが関係しているけど、生活体力の一部は、一定の時間に起きて、決められた場所に行って、決められた活動をして、帰ってくるという能力に直結している。

いまでこそ、テレワークがはやっているし、いまでこそ、雇われない生き方が可能だけど、むかしはそうではなかった。自営業をする場合も会社で修行をして、そのあと、ひとりだちするというのが一般的だった。インターネットがない世界では、自宅で働くというのが、とてつもなくむずかしいことだった。

ともかく、通勤して働くのが当たり前の世界では、働くというのは、通勤して働くということなのである。

だから、通勤がそもそも、できないのであれば、それは、すなわち、働けないということだった。こういうことがわかってないのである。兄貴のヘビメタを、兄貴の態度でやられなかったやつらが、俺を「甘い」と言い出す。「甘えている」と言い出す。

『通勤ができない』なんていうのは甘えなのである。「通勤はたいへんだけど、みんなやっている。甘えるな」ということを言い出す。けど、そいつも、そこで語られている「みんな」とやらも、ヘビメタ騒音を浴びていない人たちなのだ。何年間も毎日、ヘビメタ騒音生活をしてない人たちなのだ。俺は、ヘビメタ騒音にたたられながらも、毎日……平日は……学校に通っていた。「ならいいじゃない」と悪意がある人たちは言うのだ。「よくない」。よくないんだよ。よくない。

体力がある俺ですら、ヘビメタ騒音で働けなくなった。それまでに七年間かかっている。それが重要なのだ。時系列的なことがわかってない人は、俺が『ヘビメタ騒音をやられる前は』健康だったという話をしているのに、それがわかってない。健康だった俺が、不健康になってしまうほど、ヘビメタ騒音が『強力』だったのだ。そして、いま現在は、働けないからだになっているわけだから、よくない。『ならいいじゃない』ということにはならない。けど、そういうことを言う人たちは、いろいろなことを混同して、いやみで、そういうことを言っている。これ、「いやみ」なんだよね。俺のことをせめたい気持ちがある。だから、わざと、ほんとうなら理解できることを理解せずに、あるいはまた、時系列的なことを考えずに、「ならいいじゃない」と言いやがる。「ならいいじゃない」と言ったやつはみんな、ヘビメタ騒音に相当する騒音を、自分の人生のなかで、経験しなかったやつらだ。
 

2020年9月5日土曜日

『本人』だって「できない」ようになるのに、それがわかってない。


「ものすごい音でヘビメタが鳴ってたんだぞ!!」「ものすごい音でヘビメタが鳴ってたんだぞ!!」「ものすごい音でヘビメタが鳴ってたんだぞ!!」と怒鳴りたくなるときがある。
「俺が怒鳴る声の、一〇〇倍でかい音でヘビメタが鳴ってたんぞ!!」と怒鳴りたくなる。

どれだけ、でかい声で、怒鳴ってもヘビメタの音にまける。ほんとうに、気違い的にでかい音で鳴ってた。気違い的にでかい音でずっと鳴っていると、ほんとうにできなくなることがあるのである。本当にできくなるのである。あーー、それなのにそれなのに、ヘビメタ騒音の影響を無視するやつが、いろいろな「できないこと」を押しつけてくる。こういう、世界になってしまう。ヘビメタ騒音がなければ!!!できる。けど、ヘビメタ騒音が鳴っていると「できない」。けど、他人には、ヘビメタ騒音がどれだけでかい音でなっているかわからないし、そういう音がずっと鳴っている状態で生活すると「できなくなる」といこうとがわからない。

自分の体でわからない。自分の経験でわからない。その人たちが経験した騒音というのは、ヘビメタ騒音相当の音ではない。ヘビメタ騒音ほどでかくないし、ヘビメタ騒音ほど「ながく」続かない。どれだけ、騒音で体がぼろぼろになるかわかってない。

ほんとうに、「すべて」に影響を与える。この「すべて」というのは、非・合理的な思考ではない。そりゃ、影響を受けたら、影響を受けるでしょ。たとえば、毒をもられた場合、毒が効いている時間は、「すべてのことが」影響を受ける。毒が、後遺症をもたらすものであれば、毒を飲んだあとずっと、影響がある。体に影響がある。すべてのことを、毒に影響を受けた体でやることになるので、すべてのことが、影響を受けていると言っても、非・合理的ではない。

むしろ、毒の影響を無視して、「過去において毒を飲んだって、いまには影響がない」と考えるほうが非・合理的なのだ。どうして、これが、わからないか??

まあ、影響が残るような、繰り返される物理刺激を経験したことがないのだろう。影響は残る。けど、他の人は、経験的にわかってないので、影響は残らないと思っている。影響は残らないと思っている人から見ると、ぼくが言っていることが非・合理的に見えるのである。こだわらなくてもいいことにこだわっているように見えるのである。甘えているように見えるのである。ダメ人間のように見えるのである。

本当に、ヘビメタ騒音は、『その他の時間』を追い出してしまうのである。これがわかってない。ヘビメタが一二時間鳴っていたら、四八時間、働いているのと同じことになる。そういう疲れがある。そういう疲労がたまる。

半日で、二日ぶんの遅れが出る。一日は二四時間しかないのだけど、気違いヘビメタが一二時間鳴っていると、四八時間分の『おくれ』がしょうじる。四八、引く、一二で、三六時間が消えしまう。〇時間で三六時間ぶんの『疲労』を回復しなければならなくなる。ヘビメタの毎日というのは、そういう毎日だ。切羽詰まっている毎日なのである。宿題だって、できない。うちでやることは、ほとんど全部できなくなる。

 

学校でやることに関しても、じつは前の日や、前の前の日の影響がある。一〇〇〇日つづいたら、一〇〇〇日ぶん、つもっている。遅れも、疲労も、つもっている。体の感覚としてそういうことがわかってないのは、『本人』が自分のこととして、経験してないから。ヘビメタ騒音か『本人』にとってヘビメタ騒音級の騒音を経験してないから。『本人』が、俺よりすぐれているからではない。『本人』が、俺より体力があるからではない。『本人』が、俺より根性があるからではない。けど、経験してないと、ほぼ一〇〇%の『本人』が、そういうふうに誤解する。


これがわかってない。あとは、「できる」というのは、ヘビメタ騒音がない状態ならできることだから。……ヘビメタ騒音を経験してない人は、ヘビメタ騒音がない状態でできることを『人間が』できることだと思っている。俺もヘビメタ騒音がなければ、できるけど、ヘビメタ騒音がある場合は、できない。どーーしてもできなくなる。それは、たぶん!他の人間もおなじだ。

他の人間とぼくの違いは、じつは、ヘビメタ騒音を経験したかどうかなのである。言っておくけど、ただのヘビメタ騒音ではなくて、この世でぼくが経験したヘビメタ騒音だ。逃げられないところで、気違い家族が鳴らしているヘビメタ騒音だ。ほんとうは、本人にとってヘビメタ騒音級の音を鳴らされ続ければ、『本人』だって「できない」ようになるのに、それがわかってない。


 

2020年9月1日火曜日

発狂モードでやり続けたことは、どれだけやったってやってないことになっている……


ヘビメタ騒音でくるしい記憶しかない。だいじなことは、ヘビメタ騒音の中で、もげて、こぼれていった。

俺が「できない」と言ったら「できない」のに、ヘビメタの影響を無視して、勝手なことを言いやがって。

全部、そういう関係になっちゃうだよな。人知れず、ヘビメタが鳴り始めてから、ずっとそうだ。

「鳴ってた」と言っているだろ。「ヘビメタでできない』と言っているだろ。くそ、こいつら。自分だって同じことをされたら……同じ時期に同じことをされ続けたら、だんだん「できなくなる」のに……。やられてないから、わからないだけ。

わからないから、「みんながんばっている」「ヘビメタ騒音なんて、そんなのはいいわけだ」と言ってくる。

ヘビメタ騒音が鳴っていると、まわりのやつにそういうことを言われる状態になる。まわりのやつは、じつはヘビメタ騒音にさらされていないのに、「そんなのは、たいしたことじゃない」と決めつけて、偏見に満ちたことを言う。

その偏見は、ヘビメタ騒音ということをぬかせば、共同幻想に合致したものだから、自分がへんなことを言っているという気持ちが生じない。正しいことを言っていると思っている。

けど、それは、ヘビメタ騒音のことを「ぬかした」話だ。おまえらがヘビメタ騒音のことを『無視して』も、ヘビメタ騒音はあるからある。

あったからあった。

影響は、うける。不可避的にうける。

これも、やられてないやつが、「影響をうけないことは可能だ」と、ほとんど無意識的に前提して、まちがったことを言い出す。言ってくる。

けど、これも、本人たちはまちがったことを言っていると思ってない。で、家に帰って、気違い兄貴ともめる。

気違い兄貴は、気違い親父と同じで、どれだけ言われても、わからない。

これ、殺さなければやめさせることができない。

これも、今まで話した一般人の態度とは関係がないけど、自分にとって不都合なことを言われたら、カッときて、怒り狂って、耳は正常なのに、なにも聞こえないという状態になる。

そういう状態でやりきる。

で、やりきったら、言われたということがわかってない状態になる。やめろと言われたのに、やりきったという記憶がまったくない状態になる。それの、くりかえし。毎日毎日、同じだ。


そういう状態でやったことは、まったくやってないことになる。本人のなかでは、やってないのとまったく同じことなのである。自分がやってないことについてやったと言われたという、反発が生まれる。これも、親父と同じなんだよな。自分が、気違い的な意地でやったことは、全部、全然知らないことなのだ。やったのに!! 頭がおかしいから、夢中になって、相手を無視するモードでやったことは、まったくやってないのと同じなんだよ。等価なの。頭のなかでは、無視モードでやったことは、まったくやってないことと同じなの!!

これも、他の人にはわからないから、「エイリさんがちゃんと言わないから悪いんだ」みたいに言われる。同じなんだよな。

ぜーんぶ、しくみが同じ。他の人から誤解されようにできている。やられた人が、他の人から誤解されるようにできている。うちでは、そうなんだよ。うちでは、やった人じゃなくて、やられた人が、『まったく関係がない他人』から、誤解をうけるようになっている。

それは、うちでやっている人の頭の構造が、『まったく関係がない他人』には、わからないからだ。必然的に誤解をうけるようになっている。

けど、やっているやつは、もちろん、そんなことは理解しない。どれだけそういうことを説明されたって、理解しない。同じように「はねのけて」おしまいだ。

そして、頑固にやり続ける。発狂モードでやり続ける。発狂モードでやり続けたことは、どれだけやったってやってないことになっている……。これが、他の人には、まったくわからない。
 

2020年8月30日日曜日

『人間がいやだ』という気持ちになっている

 

この先どうするかな??

こころが破壊されているのだけど、修復できるかね?

『人間がいやだ』という気持ちになっている。もちろん、ほんとうは人間全部ではない。俺に対して悪いことをやってきた人間のイメージがもとになっている。神はやはり、俺も含めて人間を「しょーーもないもの」としてつくったと思う。まあ、神がつくったのではないとしても、いまの人間というのがしょーーもない」存在であることは疑いがない。 悪い奴らがイメージのもとなのだけど、いい人も含めて、しょうーーもないところがある。もちろん、ぼくも分有している。人間はもともと、ものすごく自分勝手な存在としてうまれてくる。何割かが、なんとか、多少は自分勝手ではない状態になる。けど、基本は、自分勝手なんだよ。そして、自分の認知が自分の認知であるということが、この性質を裏付けている。自分の認知が自分の認知である……自分の認知が自分の認知でしかない……ということは、人間の認知の限界を示している。

 

2020年8月23日日曜日

そいつの人生なかで生じなかったから、そいつは、『普通の体』『働ける体』を維持しているだけ


ほとんどすべてのことが、『ムリ』になってしまう、プロセスがある。それは、たとえば、走ると呼吸が激しくなるのと同じで、人間の体としては、ごく普通の反応だ。

しかし、走ることとは違って、刺激のほうが異常なのである。
だから、異常な刺激で、おかしくなる。

これは、ほんとうは、だれだって、そうなるのに、だれも……俺以外だれも……経験したことがない連続した刺激なので、他の人にはわからない。「そういうふうになる」ということが他の人にはわからない。まったく聞いたことがない異世界の言語を聞かされているようなものだ。

けど、俺のからだはこの世にある。

だから、理解してない他人が、「そんなのはおかしい」と言ってくる。「そんなのは、関係がない」と言ってくる。「(できないなんて)そんなのはあまえだ」と言ってくる。

俺が、異常であるかのように言うのだ。しかし、俺は異常じゃない。気違いヘビメタが異常だったのだ。そして、気違いヘビメタを……あれだけでかい気違いヘビメタを……絶対の意地で鳴らし続けて、まったく気にしない兄貴が異常だったのだ。

けど、実際にやられてない人にとっては、そんなことは『関係がない』。だから、ぼくには、学校にいるときは、ちゃんとした生徒として動いてほしいわけだし、学校を卒業したあとは、ちゃんとした社会人として動いてほしいわけだ。

けど、ぼくの体は、ヘビメタ騒音で崩壊していた。

崩壊のプロセスはある。

けど、誰にもわからない。
そりゃ、親友だって、母親だってわからないのだ。
わかるはずがない。

体の反応は正常なのに、異常な刺激が十数年間毎日つづいて、体が、『異常な状態』になった。その場合、ヘビメタ騒音の影響を無視する他人は、『異常な状態である俺』をせめるのだ。

ほんとうは、俺と同じ部屋で暮せば、そいつだって、『働けない体』になるのに、『働ける体』を持っているそいつは、『働けない体』を持っている俺よりも、一段も、二段も、三段も偉い人間だと思ってしまうのだ。

一段も、二段も、三段も上の人間として、俺にダメ出しをしてくる。……たまたま、そういうことが、そいつの人生なかで生じなかったから、そいつは、『普通の体』『働ける体』を維持しているだけなのに、俺のことをバカにしてくる。

崩壊のプロセスはある。

 

崩壊のプロセスは重要だ。

 

どれだの時間をかけて「こわれた」のか、他のやつは、わからない。わかってない。俺がひとことで『できない』と言ったとき、その『できない』にどれだけの意味がこめられているのかわからない。その意味は、経験によって生じたもので、経験を通して理解しなければ理解できない。


なので、言葉でどれだけ言っても、他のやつは理解しないということになる。
 

2020年8月22日土曜日

四〇年前のことが、二、三日前のことのように感じる。

五分で三〇年ぐらいたったような感じだな。

ここにいると、三〇年前のことが、ついこないだのことのようだ。

四〇年前のことが、二、三日前のことのように感じる。

 

もう、まるまるまるだな。 



それにしても、疲れた。疲れが頂点。『ヘビメタの朝』がつらかった。それも同じだな。けっきょく、ずっとやられたままだ。……やられたままの世界をいきている。他の人たちは、やられてないから、まったく理解してない。実際の体験がないから、体験がないところで、適当なことを言う。ちがうんだって……。ちがうの……。ちがう。

 

そりゃ、だれだって、疲労は経験したことがある。疲労感』もわかっているつもりだ。けど、ちがうんだよ。ヘビメタ騒音がはじまってからの疲労は、それまでの疲労とは違うの……。質的にまったくちがうの……。だから、他の人が理解できない疲労感が抜けない。他の人が人生のなかで経験したことがない疲労感が抜けないまま、次の『ヘビメタ騒音』がつもっていく。

 

気違い兄貴のやり方にしたって、他の人は、わからない。そりゃ、気違い親父が作った家で、気違い親父にやられないとわからない。理屈としてもわからない。気違い兄貴のヘビメタのやり方が、気違い親父の『すべてのことに関するやり方』と同じなんだよ。けど、それだって、じゃあ、気違い親父のやり方とはなにかということを説明しなければならなくなる。で、説明しても、わからない。疑問を持ったままだ。「そんなひといるのかな」「そんなことってあるのかな」と疑問を持ったままだ。俺の言うことを信じない。

それなら……俺が言うことを信じられないのであれば、すべてが、わからない。俺が言っていることのすべてがわからない。

あとは、書いていて思ったことだけど、「たまたま論』は成り立たない。この「たまたま論』というのは、認知療法家が持っている理論だ。いまの、話に関係したことで言えば、『お父さんは、たまたまそうした』という解釈をする。『たまたま、そうしただけなのだから、理由を考えるのはムダだ』とか『たまたま、そうなったのだから、いつもそうなると考える必要はない』とかいうような理論も付け加わる。プールで「たまたま」背中を押されて、プールに落ちた。それ以降、水がこわくなった……。けど、「たまたま」そういう事が起こったということを理解すれば、水は特にこわいものではなくなるという理論だ。

 

たとえば、背中を押したのが父親だったとしよう。そうなると、父親が、たまたまやったことだから、いつもそうなると考えるのは不適切だ……と考えるのだ。たまたま、一回発生したことが、何回もずっと発生すると考えるのは、おろかなことなのだ……と認知療法家や認知療法家は考える。『たまたま論』にしたがえばそういうことになる。

 

けど、構造としてくりかえしている場合は、ちがう。認知療法家や認知療法家のファンは、そういうのがまったくわかってないのだ。

 

これ、どこかに書いたことがあるから、ここでは書かないけど、構造としてくりかえしていることを、『たまたま論』で説明しようとするのは無理がある。けど、認知療法家は、脳の機能障害やや無意識を無視するので、どうしても、『たまたま論』でかたづけるしかない。『たまたま、起こったことだから、これからも起こり続けと考えるのはナンだ』とか『たまたま、起こったことだから、理由を考える必要はない』と認知療法家は考える。たまたま、起こったであるなら、それでいいけど、『たまたま論』では説明できないことが、人間生活のなかにはある。


2020年8月21日金曜日

『騒音と言っても騒音の騒音が違う』なんて言っても

 
けっきょく、気違い兄貴がヘビメタをやっていたときだけ、ものすごい騒音を経験したということになる。後にも先にも、気違い兄貴のヘビメタ騒音に相当する騒音を経験してない。『騒音』と言っても、『騒音』の『騒音』が違う。程度が違う。この程度の違いが、実際に、気違いヘビメタ騒音生活をしたことがない人にはわからない。幼稚園の騒音だって相当にうるさい。けど、それは、生活全体を破壊しない。人生全体を破壊しない。気違い兄貴の騒音は、生活全体を破壊して、人生全体を破壊する。そういう騒音だ。『騒音』の『騒音』が違う。後にも先にも、気違い兄貴がヘビメタを鳴らしていたときだけ、ヘビメタ騒音級の騒音を経験した。俺の横で鳴らしていたのでそういうことになる。俺にとってはそういうことなのだけど、だれもわからない。ヘビメタ騒音を経験したことがないから『普通の騒音』とヘビメタ騒音級の騒音の違いがわからない。音の大きさの違いも、音が与える影響の違いもわからない。気違いヘビメタは、まがいなりにも、旋律がある。曲として成り立っている。同じ旋律があの濃度で、あのデカさで、ガンガンなっている状態というのが、他の人にはわからない。
騒音と言っても、いろいろあって、ぼくにしても、気違いヘビメタ騒音のような騒音は、気違い兄貴がヘビメタに凝っていたとき以外、経験していない。聞いてない。他の人は、『騒音』は『騒音』だと思っている。話にならない。そして、勝手に誤解をして、勝手に偉そうなことを言う。佐藤や日本労働教の教えをまもっている人が言うことは、全部、まちがっている。その人たちが、騒音と騒音の影響について、まちがった認識を持っている。まちがった前提でまちがったことを言って、いい気になっている。けど、ここで問題なのは、ヘビメタ騒音級の騒音を経験した人が少ないということだ。その人たちしか、ぼくの言っていることがわからない。『騒音と言っても騒音の騒音が違う』なんて言っても、他の人にはわからない。圧倒的多数派には、ぼくが言っていることがわからない。圧倒的多数派は、僕に対して、まちがったことを言ってくる。そして、それがまちがっているということを俺が説明しても、わからない。彼らにしてみれば、『騒音は騒音』だからだ。
気違い兄貴や気違い親父にかかわると「どはずれ」なことになってしまうんだよな。あまりにも「どはずれ」だから、普通の人にはわからない。普通の人の認知の範囲外にある。普通の人たちは、どうしても、全体的な思考になってしまう。「場合わけ」ができない。ヘビメタ騒音級の騒音を経験たことがないのだから、ヘビメタ騒音級の騒音を経験した場合と、そうではない騒音を経験した場合を、わけて考えることが、できない。自分の経験に基づいてん考えようとするとそうなる。自分の経験を超えたことも考えるとしても、それは、考えの中の経験でしかないので、実際の経験とは異なる。

2020年8月17日月曜日

五〇年間働いた人の二倍ぐらい疲れた状態になっていた ……いや一〇倍ぐらい


本当にみんな何歳まで生きて、何歳まで働くつもりなんだろう。あれほど無職をバカにしていたのに、本人が無職になるのは、別にかまわないわけだからな。

自分のからだがおとろえて、限界を感じたら、働かなくてもいいわけだから。

俺のからだは、気違いヘビメタで、相当にだめになった。ヘビメタ騒音の一〇年間は、労働の一〇〇年間に相当する。

なので、ぼくは、ヘビメタ騒音歴の一一年目から、からだに限界を感じて、働けない状態になった。
たとえばの話だけど、七〇歳の人が、『もう、からだが思うように動かないな』と思って、仕事をやめたとしよう。その人は、無職になるわけだけど、自分が無職になる認識はできているのだろうか。

もしも、そいつが働いていたときは、働いてない他人に対して「つらくても働かなければならない」「からだが動かないなんていうのあまえだ」「みんな、つらくても頑張って働いている」と言っていたやつだとしよう。

そういうことを言っていたのに、自分のからだがつらくなったら、「もう、自分は働かなくてもいい」ということを言い出すのだ。

からだがつらくなったら、働かなくていいということになるのか? 『人は』働くべきなのではないのか? そいつは、「からだがつらいから働かないなんていうのは、あまえだ」と言っていたやつなんだぞ。他人にはそういうふうに言っておいて、自分の場合はいいのか?
 

 

としをとって、からだを動かすのがつらくなったから、働くのをやめるのならば、そいつはヘビメタ騒音で働けなくなった俺に、説教をする資格がない。


ヘビメタ騒音の疲労は、七〇歳まで五〇年間働いた疲労よりも、大きい。はるかに大きい。そいつは『もう働けない』と思うような疲労を感じた。俺は一八歳のときに、『もう働けない』と思うような疲労を感じた。そいつだって、七〇歳のとき、なんとか日常生活はできるのだから、日常生活をする体力と、通勤して働く体力は違う。

五〇年間働いて、ムリができない状態になった。

働けない状態になったということだ。

 

俺の場合、ヘビメタ騒音の一〇年間は、普通の人の一〇〇年に相当する。

そういうことを無視して、俺に『人は働かなければならない』なんて言ったやつは、どれだけ、からだが動かなくなっても、死ぬまで……死ぬ寸前まで、働くべきだ。なぜなら、その人は、たとえ、働きにくいからだになったとしても、人だからだ。

「人は働かなければならない」のだから、からだが動かなくても……働くべきだ。こいつは、俺に言ったことの意味がわかっているのか?


自分が言ったことの意味がわかってないのだろう。それか、ヘビメタ騒音の影響を無視しているのだろう。俺は、一一歳のある日から二五歳のある日までヘビメタを毎日毎日、鳴らされたけど、二〇歳のときには、働けないからだになっていた。

それは、五〇年間働いた人が、働けないからだになるのといっしょだ。あるいは、それよりもひどい状態なのである。五〇年間働いた七〇歳の人よりも、ヘビメタを一〇年間経験した二〇歳の俺は、五〇年間働いた七〇歳の人よりも二倍ぐらい疲れた状態になっていた。……いや、一〇倍ぐらい。


 

こいつが勝手にヘビメタ騒音の影響を無視して、あるいは、過小評価して、頭がおかしいことを言っているだけだ。人には、働くように言うけど、自分が疲れたら、自分は働かなくてもいいなんて、自分勝手すぎる。都合がよすぎる。あまえている。 

 

*     *     *


ヘビメタ騒音さえなければ、こんなアホに、こんなアホなことを言われなくてもすむのに……。実際には、この世で、ヘビメタ騒音があったので、アホなことを言われる。アホなことを言われる機会が増えてしまう。アホなことを言っているやつは、アホなことを言っているつもりはない。重要なことを言っているつもりなのである。正しいことを言っているつもりなのである。ただ単に、ヘビメタ騒音が見えてないだけだ。ヘビメタ騒音の影響が見えてないだけだ。

 

自分だって、俺と同じヘビメタ騒音生活をすれば、働けないからだになるのに……。それがわかってない。わかってないアホが、正しいことを言っているつもりで、アホなことを言ってくる……。これは、地獄ではないか? この世の地獄だ。

2020年8月13日木曜日

毒を飲んだからといって、毒に反応する必要はないと言っているに等しい。


つねに、からだを焼かれるような状態で暮らしていた。つねに、くるしかった。ヘビメタ騒音なしで、生きたかった。ヘビメタ騒音なしで普通に暮らしたかった。

 

どーしても、ヘビメタ騒音でくるしい。

 

鳴っているさいちゅうだけでなく、ヘビメタ騒音を鳴らされたあとは、ずっと、くるしかった。

 

やられてしまったら、どうしても、ヘビメタ騒音の影響を受ける。影響を受けて暮らさなければならなくなる。「だいじょうぶ」と言えばだいじょうぶ。平気だと言えば、平気になるといった気楽さはない。そういう言霊がまったく無力化する空間がある。生活がある。経験してない人は、それがわからない。

 

だから、軽いライフハックみたいなアドバイスを、俺にしてくる。その人にとっては、ヘビメタ騒音というものは、そういうことで解決できるような感じがするものでしかない。けど、違う。違うので違う。正論ぽい、まったく無効なアドバイスは、人を傷つける。

 

ほんとうは、ヘビメタ騒音の影響をまったく無視して、アドバイスしているからだ。

 


認知療法的なアドバイスも同じだ。「影響を受ける必要がない」と言っても、影響を「不可避的に」受けている。けど、やられてないから、ヘビメタ騒音生活の「全体」がわからない。やられているときの状態が……やられてないときの状態に影響を与えないはずがない。

こんなの、「なぐられたからといって、いたがる必要はない」とか、「なぐられたからといって、青あざを『つくる』必要がない」と言っているのと同じだ。どうしたって、からだが影響を受ける。そういう時間があったということは、そのあとの時間に影響を与える。

「毒を飲んだからといって、毒に反応する必要はない」と言っているに等しい。

 

 音は物理的な刺激だから、影響を受ける。でかすぎる音にはからだが「はんのう」する。そして、でかすぎるが鳴っている時間が長ければ、そのあとの時間にも影響を与える。どうして、こんなことがわからないんだ。どうして、こういうことを意図的に否定するんだ。『影響を与えるはずがない』と考えるんだ?

 

『説得しよう』『明るく生活してもらおう』『ちゃんと働いてもらおう』という意図があるからなんだろうけど、影響は不可避的に生じるので、影響を無視したアドバイスや影響を過小評価したアドバイスは、適切ではない。現実を無視している。でかすぎるヘビメタ騒音……長すぎるヘビメタ騒音の影響を無視する人たちは、間違いをおかしている。

2020年8月12日水曜日

はねのけてやっているのに、やったつもりが、ぜんぜんない


なんでぼくの人生は、気違い家族に荒らされる人生なんだ? 気違い的な意地でやったやつは、まったくやってないと思っている。つねに!そうだ。やってないつもりで、やる。気違い的な意地でやる。頑固にやる。頑固にはねのける。はねのけてやっているのに、やったつもりが、ぜんぜんない。しょうじない。「やった」と言われると、頑固に否定する。その頑固さが同じなんだよ。で、否定して、当の行為をやってしまう。頭がおかしいから、わからない。ぜんぜん悪意なく、そういうことをやりきる。

2020年8月8日土曜日

意識的な努力は、作用の反作用として機能してしまう


みんな、気違い的な親がどういうふうにたたるかわかってない。
影響を受ける必要があるか、ないかなんて考えられるわけがないだろ。気違いが、死にものぐるいになってかかってくるんだぞ。「よし、影響を受けよう』と思って影響を受けたのではないので、『影響を受けるのはやめよう』と思っても、影響を受ける。それから、必死になって……意識的な部分では『影響を受けないぞ』と頑張ると、無意識的な部分が反応して、神経症の症状が形成されるのである。だから、この場合『影響を受けないぞ』という意識的な頑張りが、神経症の症状を生み出す直接的な原因のひとつになってしまうのである。それが、認知療法家には、わからない。そして、認知療法家の影響を受けた人もわからない。
 

 
気違いの認知のほうが、押しがちしてしまうのである。それが問題なんだよ。それが直接的な原因なのだけど、『気にしないようにしよう』『影響を受けないようにしよう』という意識的な努力は、作用の反作用として機能してしまう。ようするに、押しがちされてしまったということが、作用で、気にしないようにしようという意識的な努力が反作用だ。しかも、気違いの親が『押しがち』しているにも関わらず、押しがちしているとは思ってないのである。やっている本人がやったと思ってない。気違いが、意地を押し通してやったにもかかわらず、気違いが「やってない」と思っている空間全体が、神経症の症状を押し出すのである。もちろん、やられたほうの神経症だ。いったんそうなると、『おかしいのは子供の方だ』ということになる。

精神異常である親はいる。しかも、精神異常の『以上』が微妙で、うちでだけ、妄想的な怒りを爆発させる人がいる。本人にしかわからない理由で起こっている。しかし、本人もわかってないのだ。けど、気違い的な怒りを感じているのは確かなのだ。普通は、理由がないことでは怒らないけど、そういう親は理由がないことでおこる。けど、それが、よその人にはわからない。『理由もなくおこる親なんていない」と信じている人たちは、子供の訴えを、まともに聞かない。そして問題なのは、理由がないことで怒り狂っている親が、怒り狂ったということを、怒り狂った瞬間にわすれてしまうのである。ぜんぜん関係がないことになってしまうのである。こんなのは、狂気も狂気のだけど、普通にやる。ちなみに、そうやって、意地を張っている親を説得するというのはムリだ。怒っている真の理由を聞き出そうというのはムリだ。気違いを相手にすることがどれだけ無意味なことか、普通の人はわかってない。相手は、妄想のなかで怒り狂っている。そして、対象は、リアルな子供だ。妄想的な理由で、リアル世界の子供を対象にして怒り狂う。目の前の子供に向かって、気違いしかわからないようなへんな理由で怒り狂う。で、このときの、強情さがまた、気違いなのだ。気違いとしか言いようがない。『殺して排除しなければ、言うことを聞かせる』ということができない。ようするに、『怒らないようにしてもらう』ということができない。もう、本当に、まるで違う交流(コミニュケーション)なのである。気違い的な親にたたられてない子供時代を過ごした普通の人は、この交流について理解することができない。他の人は……健常者に育てられた人は、異常者に育てられた人間の言葉を信じることができない。

 

気違い親父がわけのわからない理由で、怒り狂っているときの頑固さがすごい。強情さがひどい。

「このときの強情さが、また気違いだ」と書いたけど、兄貴がヘビメタを鳴らしているときも同じなんだよ。まったく同じ仕組みが成り立っている。殺さなければ、やめさせることができない。相手は……つまり、親父や兄貴は、気違い的な意地でやりきって……やりきったということを、気違い的な意地で認めない。

 

俺が、どれだけ、他の人に受けないことを書いているかわかる。こんなことを理解できるのは、よっぽど頭がいい人か、実際に同じようにやられた人でしかない。割合としては本当に、小さい。どこまでも、例外的な少数者。例外的な少数者というのは、多数者から理解されない。多数者には、理解しようとする理由がない。少数者がどうして、そんなこと!にこだわって!!いるのか、多数者は、わからない。多数者から見ると、その、やられた方の少数者が非合理的なことを言って、こだわる必要がないことにこだわっているようにしか見えない。 

 

 


2020年8月7日金曜日

俺が言っていることは、他の人には理解されない


俺が言っていることは、他の人には理解されない。他の人は、俺が言っていることがわからない……。こんなのは、どれだけ書いてもムダだ。ムダ!ムダ!!

けど、書かざるを得ない。実際にそういう事があったわけだし……。こういうレベルの騒音にさらされ続けると、「人類」はどうなるかということは、実験できないわけだから、実際に経験した俺が記録を残しておくしかない。

けど、他の人には理解できないということがわかってしまった。

そこまで、つたわらないのか……。

まるで理解できてない。

理解できる人はほんの少し。大半の人は、俺がなにを言っているのかわからない。まったくわかってない。それは、気違い兄貴がヘビメタを始めたときから、つづいている。気違い兄貴がヘビメタを鳴らし始めたとき、俺は小学六年生だったけど、小学六年生のときから、ずっと理解されてない。

俺が、『兄貴のヘビメタ騒音』について語っても、他の人は、デフォルトで理解しない。他の人が無視するのは、大きくわけてふたつある。

ひとつは、影響の大きさだ。この世で一番キライな音が、ずっとなっているということが、どれだけの影響を与えるか、他の人は理解しない。他の人にとっては、「そんなのはたいしたことがない」ということになっている。

もうひとつは、兄貴の性格だ。兄貴の認知と態度を含めて性格と言ってしまうけど、他の人は兄貴の性格を理解しない。「そんなのは、お兄さんに言えばいい」……これが、普通の人の反応だ。どれだけ言っても他の人には理解できない部分があるから、ムダなのだけど、ぼくが認知していることと他の人が認知していることの差がでかすぎる。

他の人には、ヘビメタ騒音が小さな問題に見える。影響を受けないようにすれば、影響を最小限にすることができる問題だと思っている。けど、それは、他の人が『俺の言うことを聞いて』思ったことだ。

他の人は、現実を知らない。現実には、いろいろな情報が含まれている。他の人は、いろいろな情報がわかってない。だから、俺との間に差ができる。これが強烈にでかい差なのだ。

だから、ぼくはつねに誤解されるということになる。

しかも、誤解している方は誤解しているとは思わない。思えるはずがない。その人の知っていることを土台にして、その人の思考方法で考えているからだ。

情報にどれだけの差があるかわかってない。俺が言ったこと……を、その人が理解したことだけで、すべてだと思っている。

だから、導き出される結論がまったく違う。それは、親友でもそうなんだよ。実際にヘビメタを聞いたことがある人でも、そうなんだよ。

これは、絶望的だ。他の人は、システム的に俺を誤解するようにできている。これが、絶望でなくてなんだ? 言っていることが通じない。理解されない。


 

2020年8月4日火曜日

一番問題なのは、俺の意欲がなくなってしまったことだ


一番問題なのは、俺の意欲がなくなってしまったことだ。親父とネズミに持っていかれた。本当にくるしかったよ。
友だち、親友、彼女は気違いヘビメタに持っていかれた。ともかく、くるしいだけの世界になったよ。

ああっ、意欲も、じつはヘビメタ騒音でぼろぼろになっていた。そういうところが、他の人と違うんだよな。そもそも、違う。で、ほんのちょっと残っていた、意欲を、親父とネズミにとられた。


2020年8月2日日曜日

なんでおまえらは、過去の影響を軽く見積もる?


ヘビメタががーーーって、鳴ってた。ヘビメタががーーーって、鳴ってた。ヘビメタががーーーって、鳴ってた。……と、自分が出せる最大の声で、怒鳴っている。
みんな、わすれちゃっているけど、も!の!す!ご!い!音で鳴ってたんぞ!!!……と自分が出せる最大の声で怒鳴っている。
俺が、俺が怒鳴る声の、何十倍も、何百倍も千倍もでかい音でヘビメタが鳴ってたんぞ。……と怒鳴りまくる。

この風景に……いきているこの風景に、ヘビメタ騒音が「くっついて」いる。認知が、同じだ。いきている感じに、ヘビメタ騒音が「くっついている」。くるしい。まるまるたい。まるまるたい。

あの、感覚が、後の人生に影響を与えないはずがないだろ。過去が関係ないはずがないだろ。学生時代ずっと毎日、あんな音を聞かれさて、育って、それで人生がうまくいくはずがないだろ。過去が現在に影響を与えている!! なんでおまえらは、過去の影響を軽く見積もる? どうして、過去の影響を無視する?

あっ、そうか。気違いヘビメタにやられてない過去だからか。そりゃ、そういう、特別な過去がなければ、過去の影響なん無視できるよな。けど、どうして、あたかも、だれにでも成り立つ一般法則のように言うのだ? おまえが、「無視できる過去」しか経験してないということだろ。おまえが、「現在に影響を与えない過去」しか持ってないということだろ。

2020年8月1日土曜日

突然、さみしさを感じた。


突然、さみしさを感じた。
けど、動きたくない。どこにも行きたくない。
だれともあいたくない。
ヘビメタ騒音でくるしい。
累積ヘビメタ騒音でくるしい。
「あんときの、あれはない」と俺が言っても、他の人にはわからない。「あんとき」の体験がないからだ。「あんとき」は、何千回も何万回も繰り返された「あんとき」だ。ヘビメタ騒音でくるしい「あんとき」。ヘビメタ騒音が前の日ずっと何時間も何時間も鳴っていたので、何時間も何時間も眠れず、やっと眠れたと思ったら?起こされて、しかたなく起きた「あんとき」。ヘビメタ騒音に六年間毎日たたられて、ほとんど眠れないまま行った、試験日当日の「あんとき」。


2020年7月30日木曜日

ぼくの騒音感度は『普通』だった


幼稚園があいかわらず、うるさい。

いろいろと考え事がある。あるきながら考えようかと思う。

今日はすでに、ゴミを出した。きのうスイカを食べたので、出しておきたかった。むりやり量を増やして、出してきた。まあ、普通の袋になっていると思うから、持って行くだろう。そう言えば、ゴミ袋『小』を買っておこう。

ご飯は、ただ単に、味噌汁を飲んだだけである。そう言えば、低温クッカーのなかにある味噌汁を、冷蔵庫に入れたほうがいいな。

幼稚園が地震の訓練をやり始めたので、うるささに、拍車がかかったのである。というわけで、ぼくは、どこかに行こうと思う。
まあ、けど、幼稚園の騒音はたいしたことがない。普通の人にとっては大きめの騒音だと思うけど。俺の場合は、騒音感度遍歴がいろいろとあってだなぁー。あってだなぁーーー。説明がたいへんなのだ。

他の人にはわからない。……わからない。ぼくの騒音感度は『普通』だった。けど、ヘビメタ騒音によって、騒音感度が上がっている。それから、騒音感度が低い人は、基本的に言って、『自分勝手な人』が多い。ほんとうにものの見方が幼稚なのである。幼稚な人が『自分の感覚』で考えてしまうのだから、他人が考えていることなんてわからないだろう。自分の行為に関して、他人がどう考えているかということを考えることが少ない人間、気にしない人間が、多いと思う。騒音感度が低い人間の中には、そういう人間が多いと思う。

2020年7月29日水曜日

能力がさがったところでそういうことを言われる、存在になる


俺の人生はどうなってしまうのか?

ヘビメタ騒音で本当にくるしい。
他のやつにはわからない。ヘビメタ騒音の影響を無視してかかってくるやつが、大半だ。毎日、毎日、やられたことがないから、どれだけつらいかわからない。毎日、毎日やられたことがないから、影響の大きさがわからない。「じぶんならへいきだ」と思っている。「じぶんなら、(そのきちがいあにきというひとを)どうにかできた」「じぶんなら、そうおんをやめさせることができた」と思っている。くそ野郎ども。くそ野郎ども。

本当に能力も精神力も落とされてしまうんだよな。どうしたって、暗い顔になる。暗い顔になれば、『元気にしろ』『明るくふるまえ』と気違いヘビメタにやられてないやつから、説教をされる『スキ』ができる。

『気違いヘビメタにやられたって、働けると思っている』やつから、説教をされる『スキ』ができる。

ヘビメタ騒音の繰り返しによって、実際の能力がさがったところで、そういうことを言われる、存在になる。こんなこと、たえられるわけがないだろ。自分の身体で経験してみろ。一〇年間、一四年間、毎日つづいた場合、どうなるか、考えてみろ。

経験してみろ。

『気違い兄貴……なんてものは、制御できた』『俺だったらやめさせることができた』と考えるわけだろ。本当に人をバカにしやがって。こんな世界がゆるせるか。

2020年7月26日日曜日

『知っている』内容に違いがあった

ダイヤのことを考えている。
あのとき、やっぱり、もうちょっと説明をするべきだったのか。『エイリがどういうめにあったか知っているけど!』という前置きが、きいた。あれが、きいたんだよ。

『知っている』なら、『知らない』ということを言うことができないと思った。実際、ダイヤは僕の部屋で、ヘビメタがどのくらい大きな音で鳴っているか、知っていた。俺の部屋に遊びにきてたから知っていた。体験的に知っていた。

……けど、それは、この部屋にずっと住んで、体験的に知っているということではない。この部屋にいたあいだ、ヘビメタ騒音を聞いただけだ。夜の一一時一一分まで、何時間何時間もヘビメタ騒音を聞いていたわけじゃない。聞かされたわけじゃない。一日中、聞かされたわけじゃない。

うちから出れば……この部屋から出れば……自分のうちに帰れば、しずかな状態だった。自分のうちに帰るということでヘビメタ騒音から解放される状態だった。

そういう権利があった。ヘビメタ騒音からのがれて暮らす権利があった。

これは、うち以外に行くところがない俺とは違う。さらに、決定的に違うのは、ヘビメタ騒音を何時間も何時間も聞かされたあと、眠れないということを経験してないということだ。

一日ですら経験してない。

だから、ダイヤは『知らない』。『知っている』とは言えない状態だ。けど、実際にヘビメタ騒音を聞いて、ダイヤはヘビメタ騒音のことを『知っている』と思っている。ぼくが毎日ヘビメタのことで愚痴っていたので、毎日、俺がヘビメタ騒音でこまっているということを『知って』いた。

ダイヤが僕の部屋に遊びにきてたのは、中学生の時で、ダイヤが俺に「たちなおってくれ」「どうにかなってくれ」と言ったのは、二三歳のときだから、時間的なズレがある。

けど、その時間的なズレは、重要なことじゃない。『知っていなかった』ということが重要だ。『知っている』状態ではなかった。『知っている』内容が違いすぎた。たしかに、自分のことのように心配してくれたのだけど……。

『知っている』と前置きする人に言われとる、つらすぎる。『知っている』内容に違いがあるというとに、俺が気がついていなかった。実際に、俺の部屋にいて、ヘビメタ騒音が鳴っているのを聞いたことがある数少ない人物に、「『知っているけど』どうにかなってくれ」と言われると、くるしい。知っていると思っていたから……。

けど、『知っている』内容に違いがあった。ものすごく、でかい違いがあった。そのことに、俺もダイヤも気がついていなかった。

実際に『ヘビメタ騒音生活』をするのと、数時間だけ僕の部屋に滞在して、ヘビメタ騒音を聞いたことがあるというのは、違う。違っていたんだ。そういうことに気がつかなかった。あとは、蓄積の問題があるということにも気がついていなかったので、そのふたつを説明することができなかった。

けど、どれだけ説明しても、ぼくができると思っている人は、聞かないんだよな。ヘビメタ『で』できないと言っているのに……。これ、やられた量が違うんだよ。ヘビメタ騒音を聞かされたあと、眠れない状態になったことがない。眠れない状態のまま朝になったことがない。眠れないまま、五時になってしまって、二時間ぐらいしか眠れないまま、学校に行ったことがない。

それは、徹夜でゲームをして眠れなかったわけじゃないのだ。

どーーしても、日中、あるいは夕方から夜にかけてずっと、ヘビメタを至近距離で聞かされていると、眠れなくなる。ヘビメタ騒音がなっているあいだ、ものすごく腹が立っているわけだ。

ずっとずっと、超高圧状態なんだ。超ストレス状態なんだ。腹を刺して死んでしまおうかと思うような、はらわたがにえくりかえった状態だ。強制的に、ヘビメタ騒音で腹が立っている状態ですごすことになる。その時間は、勉強もできないし、好きな本を読むこともできない。騒音で苦しんでいるだけなのである。

それが、学校から帰ったあとずっと続くというのは、くるしすぎる。勉強なんてできないわけだし、遊んでいるから楽しいというわけでもない。ゲームをして、充実していたというわけでもない。好きなラジオを聞いて、いろいろなことに空想をめぐらしていたわけでもない。

ヘビメタ騒音で、強制的に立腹させられている、切羽詰まった状態だ。その切羽詰まった状態が(友だちが部屋にいるわけでもなく)ひとりで、経験している。その時間が長すぎる。その毎日が、長い。長すぎる。それが、ぼく以外の人にはわからない。

2020年7月24日金曜日

基準が違う


俺が、「できない」とひとこと言ったら、それは、数万語ぶんの「できない」なんだよ。数万時間の体験にもとづいた「できない」なんだよ。

ただ、ちょっとやってみて、「できない」と言っているやつといっしょににするな。そういう言葉じゃないんだ。たえて、数万回やってきたが、もうだめだという「できない」なんだよ。

「数万回やってきたならできるだろ?」と言うかもしれない。それは、傲慢だ。俺が体験したことを無視した傲慢な発言だ。「がまんして、限界を超えてやってきたけど、もうできない」という意味で「できない」と言っているんだよ。

「限界を超えてやってきたなら、できるのでは」と言うかもしれない。それは、傲慢な発言だ。俺が体験してきことを過小評価した、傲慢な発言だ。

けっきょく、自分が自分のこととして体験してないから、わかってない。

「わかってないだけ」だから。

気違いヘビメタがなければ、簡単にできたことなんだよ。ふざけるな。

基準が違う。ヘビメタ騒音経験してない俺と、経験したあとの俺では、基準がちがうんだよ。ほかのやつらは、もちろんヘビメタ騒音を経験してないから「ヘビメタ騒音を経験してない場合の俺」と同じような感覚で、ものを言うのだろう。

けど、それは、間違っている。

ヘビメタ騒音がどういうものかわかってないだけ。ヘビメタ騒音の連続がどういうものだかわかってないだけ。ヘビメタ騒音生活が、数千日にわたって続くということがどういうことだか、わかってないだけだ。そりゃ、わからないのだから、しかたがない。けど、むかつく。


2020年7月23日木曜日

ずっとずっと、超高圧状態なんだ。超ストレス状態なんだ

ダイヤのことを考えている。
あのとき、やっぱり、もうちょっと説明をするべきだったのか。『エイリがどういうめにあったか知っているけど!』という前置きが、きいた。あれが、きいたんだよ。

『知っている』なら、『知らない』ということを言うことができないと思った。実際、ダイヤは僕の部屋で、ヘビメタがどのくらい大きな音で鳴っているか、知っていた。俺の部屋に遊びにきてたから知っていた。体験的に知っていた。

……けど、それは、この部屋にずっと住んで、体験的に知っているということではない。この部屋にいたあいだ、ヘビメタ騒音を聞いただけだ。夜の一一時一一分まで、何時間何時間もヘビメタ騒音を聞いていたわけじゃない。聞かされたわけじゃない。一日中、聞かされたわけじゃない。

うちから出れば……この部屋から出れば……自分のうちに帰れば、しずかな状態だった。自分のうちに帰るということでヘビメタ騒音から解放される状態だった。

そういう権利があった。ヘビメタ騒音からのがれて暮らす権利があった。

これは、うち以外に行くところがない俺とは違う。さらに、決定的に違うのは、ヘビメタ騒音を何時間も何時間も聞かされたあと、眠れないということを経験してないということだ。

一日ですら経験してない。

だから、ダイヤは『知らない』。『知っている』とは言えない状態だ。けど、実際にヘビメタ騒音を聞いて、ダイヤはヘビメタ騒音のことを『知っている』と思っている。ぼくが毎日ヘビメタのことで愚痴っていたので、毎日、俺がヘビメタ騒音でこまっているということを『知って』いた。

ダイヤが僕の部屋に遊びにきてたのは、中学生の時で、ダイヤが俺に「たちなおってくれ」「どうにかなってくれ」と言ったのは、二三歳のときだから、時間的なズレがある。けど、その時間的なズレは、重要なことじゃない。『知っていなかった』ということが重要だ。『知っている』状態ではなかった。『知っている』内容が違いすぎた。たしかに、自分のことのように心配してくれたのだけど……。

『知っている』と前置きする人に言われとる、つらすぎる。『知っている』内容に違いがあるというとに、俺が気がついていなかった。実際に、俺の部屋にいて、ヘビメタ騒音が鳴っているのを聞いたことがある数少ない人物に、「『知っているけど』どうにかなってくれ」と言われると、くるしい。知っていると思っていたから。けど、『知っている』内容に違いがあった。ものすごく、でかい違いがあった。そのことに、俺もダイヤも気がついていなかった。

実際に『ヘビメタ騒音生活』をするのと、数時間だけ僕の部屋に滞在して、ヘビメタ騒音を聞いたことがあるというのは、違う。違っていたんだ。そういうことに気がつかなかった。あとは、蓄積の問題があるということにも気がついていなかったので、そのふたつを説明することができなかった。

けど、どれだけ説明しても、ぼくができると思っている人は、聞かないんだよな。ヘビメタ『で』できないと言っているのに……。これ、やられた量が違うんだよ。ヘビメタ騒音を聞かされたあと、眠れない状態になったことがない。眠れない状態のまま朝になったことがない。眠れないまま、五時になってしまって、二時間ぐらいしか眠れないまま、学校に行ったことがない。それは、徹夜でゲームをして眠れなかったわけじゃないのだ。どーーしても、日中、あるいは夕方から夜にかけてずっと、ヘビメタを至近距離で聞かされていると、眠れなくなる。ヘビメタ騒音がなっているあいだ、ものすごく腹が立っているわけだ。ずっとずっと、超高圧状態なんだ。超ストレス状態なんだ。腹を刺して死んでしまおうかと思うような、はらわたがにえくりかえった状態だ。強制的に、ヘビメタ騒音で腹が立っている状態ですごすことになる。その時間は、勉強もできないし、好きな本を読むこともできない。騒音で苦しんでいるだけなのである。それが、学校から帰ったあとずっと続くというのは、くるしすぎる。勉強なんてできないわけだし、遊んでいるから楽しいというわけでもない。ゲームをして、充実していたというわけでもない。好きなラジオを聞いて、いろいろなことに空想をめぐらしていたわけでもない。ヘビメタ騒音で、強制的に立腹させられている、切羽詰まった状態だ。その切羽詰まった状態が(友だちが部屋にいるわけでもなく)ひとりで、経験している。その時間がない。長すぎる。その毎日が、長い。長すぎる。それが、ぼく以外の人にはわからない。

チート技を使えるようなものなんだよ。


俺だけ、気違い兄貴の気違いヘビメタのハンディがあるのは、ゆるしがたい。どうして、俺だけ。

気違い兄貴が、ヘビメタではなく、将棋とか囲碁に夢中になっていたら、ぼくの人生はまったく違ったものになっていただろう。ぜんぜん違う。

どうして、俺だけ。俺だけが、ずっとずっとずっと、気違い兄貴のヘビメタ騒音にやられている。他の人たちは、ヘビメタ騒音がない。ヘビメタ騒音のハンディがない。それが、俺にとって、どれだけうらやましいことか、わかるか。わからないだろう。チートなんだよ。ずるいんだよ。ヘビメタ騒音のハンディがないということは、チート技を使えるようなものなんだよ。




2020年7月22日水曜日

ヘビメタ騒音以降、ずっとこの世は、くるしい


ヘビメタ騒音以降、ずっとこの世は、くるしい。はてしなく、くるしい。くるしいだけで、無意味。ほんとうに、ぜんぶの風景に、光景に、ヘビメタ騒音が「くっついて」いる。気違いヘビメタにやられて、この世の認知そのものが、くるしいものになってしまった。

ヘ・ビ・メ・タというところが、なんとなく、笑いをさそうところ


ほんとうに、ヘビメタ騒音でくるしい。ヘビメタ騒音で憂鬱で、いつもまるまるまるしたいなと思いながら生きてきた。ヘビメタ騒音は他の人が思うような、『楽な障害』じゃない。他の人は『障害』だとも思ってないだろ。そして、ヘ・ビ・メ・タというところが、なんとなく、笑いをさそうところなのだ。たいしたことじゃないような印象を与えるところなのだ。これ、だけど、生きるか死ぬかの問題だから。自殺するしかないかの問題だから。憂鬱度が違う。他の人が思い描く憂鬱度と、実際の憂鬱度が違う。他の人だって、自分が世界で一番キライな音を、あの至近距離で、あのしつこさで、鳴らされたらわかるよ。けど、普通の家では、そういうことは、ありえない。うちは、頭にクセがある(頭がおかしい)孤児がつくった家だから、そういうことがありえる。普通に成り立ち続けてしまう。あんなのが、ずっと成り立ち続ける家というのは、ほんとうに、ない。うちしかない。

ほんとうに、す・べ・て・が違うんだよな。普通だったら、気違い兄貴がどれだけ頑張っても、一日目には、やめさせられる音だ。音のデカさだ。それが、うちでは、もともとが、気違い親父が作った家だから、気違い兄貴が、普通の人では理解できないような意地を通すことができた。あ母さんが「やめてあげて」と言ったって、聞かない。俺が「やめくれ」『静かにしてくれ』と、どれだけ言ったって、聞かない。気違いの意地を通すのみ。オヤジ? オヤジは、知らんぷりだよ。兄貴が悪いことをしてないときは、気違い的な理由で、怒り狂って怒り狂っておさえつけていたのに、兄貴が悪いことをし始めたら、しらんぷりだよ。そういうことになっちゃうの。ユキさんは、「そんなに、親がうるさく注意してたのに、注意しなくなっちゃうなんて、おかしい」という意味のことを言ってた。そういうふうに考える人たちがいる。『子供が小さいとき、怒り狂っていたのに、子供が高校生になって、エレキギターを弾き始めたら、黙っちゃうなんておかしい……そんなのはおかしい……エイリさんが嘘をついているにちがいがない』……そういうふうに思ってしまう人たちが出てくる。こういうのも、気違いオヤジが別に、俺のことをワナにはめてやろうとしくんだことじゃないけど、俺が、オヤジの気違い的な態度で、人から誤解を受けるということのひとつの例だ。

2020年7月20日月曜日

『こだわらなくていいことにこだわっている』


ヘビメタが本当にくるしかった。地獄である。ほんとうにこの世は地獄。どれだけ、がんばっても、気違いヘビメタ騒音の影響からのがれることができなかった。ほんとうに、死にものぐるいの努力をしても、悪くなっていくばかりなのである。

気違い騒音の圧力がかかってけっきょくは、失敗する。だめになる。気違い騒音の圧力が問題だったわけで、なくなれば、それでよかった。

なくなるというのは、まったく、ヘビメタが聞こえなくなるということなのである。気違い兄貴が、気違い兄貴の基準で「ゆずった」と思っても、まったく無意味なのである。せめて、フォークギターぐらいの音に落とすことが必要だった。

気違い兄貴を知らない人、あるいは、気違い兄貴のような家族を知らない人は、気違い兄貴のような家族が、『意地になって』気違い行為をしている時の状態がわからない。

『どれだけ、でかいと言っても、ヘビメタ騒音なんてたいしたこと、ない』と思ってしまう。『ちゃんと言えば、家族なのだから、静かにしてくれるはずだ』と思ってしまう。『親が文句を言ってないのであれば、どれだけでかい音で鳴っていると言っても、たいしてでかい音で鳴ってないのだろう』などと思ってしまう。

そういう思い込みと、こっちの現実の乖離がでかすぎる。実際に経験してみないと、どれだけ過酷な経験かわからない。毎日が、どれだけ、くるしくなるかわからない。

このあいだ書いた、『いっしょに練習しようという誘いをことわった』という話は、いろいろなことの雛形なのである。あれひとつで終わったわけじゃない。ほんとうに、人間関係のかなりの部分がそういうことになってしまう。

親友が『(エイリのことをおいていけないから)いいかげん立ち直ってくれ』と言ったときだって、同じ構造が成り立っている。部活をやめたときだって同じ構造が成り立っている。佐藤の俺に対する『みくだし』にしたって同じ構造が成り立っている。

他の人には、ヘビメタ騒音の影響がわかってない。実際に経験したわけではないので影響のデカさがわかってない。ほんとうは、ものすごくでかい影響をあたえているのに、他の人からは、小さな影響だと思われる。その乖離・ギャップは、人間が人間としていきている限り、うまらない。

どーーしたって、経験がない他者は、そういうふうに『見なす』。『見くだす』。そりゃ、わからないのだから、『そんなのに気にしなければいい』という話になる。『気にしているエイリさんが悪いのだ』という話になる。『お兄さんがやっていたにしろ、とめられなかったのであれば、エイリさんの自己責任だ』ということになる。

『いずれにせよ、「たいしたことじゃない」のだから、気持ちを切り替えて、やる気になれば、できるようになる』……という『見なし方』が成り立っている。けど、そうじゃないのだ。

けど、「そうじゃないのだ」ということを、経験のない相手にどれだけ、ぼくが言っても、その経験のない相手はわからない。自分の範囲内で考えてしまう。『自分の経験』の範囲内で考えてしまう。

だから、どこまでいっても『そんなのはたいしたことじゃない』という考えを持ったままだ。そのうえで、『現在の俺』を判断するのである。だから、『エイリさんが過去のことにこだわってサボっている』『エイリさんが過去のことにこだわってあまえている』ということになってしまうのである。その人のなかでは……。そういう『見なし方』をした以上、確信のようなものになっている。……その人のなかでは。

けど、それは、その人が、気違い家族にものすごいヘビメタ騒音を毎日鳴らされるということを経験しなかっただけの話なのである。経験しなかったから、影響の範囲がわからない。

どれだけいろいろなところに波及するかわからない。

わからない以上は、どうしたって、『たいしたことじゃないのに、こだわっている』ようにしか見えない。『こだわらなくていいことにこだわっている』ように見えてしまう。『いまは影響がないことにこだわっているから、ダメなんだ』と思えてしまう。

やった人間の『頭のクセ』は重要だ。ようするに、気違いかどうかはものすごく重要だ。こういうことも、まったく関係がないと見なしてしまう。それは、頭がおかしい家族にやられたことがないから、そういうふうに見なしてしまうということにすぎない。

すぎない……。けど、ものすごくでかいことだ。

他者は、たいていの場合、頭がおかしい家族にやられたことがない人なのだから、根本的なところがわからない。どうしたって、『そんなのは、たいした影響がない』と思ってしまう。『ちゃんと言えばよかったのに、言わなかったから、ダメなのだ』と思ってしまう。普通にそう思ってしまう。

2020年7月19日日曜日

この世の『雰囲気』に破滅破綻がつきまとう。


歯磨きが終わったところだ。
どうするかな? ファミリマートに行きたいところなんだが、正直言って、腹が痛い。ファミリーマートは、わりと遠いので、不安な側面がある。

まあ、けっきょくぼくは、好き勝手に生きてきたということになるのだろう。しかし、いろいろとあって、つらい。見える風景がつらい。たとえば、自転車に乗って、ファミリーマートまで行くということを考えた場合、普通の人だったら、楽しめる部分があると思う。けど、俺はいろいろとあって、正直に言うと楽しめない。一番大きな理由は、ヘビメタ騒音だ。ヘビメタ騒音で、楽しめない。

ファミリーマートまでの道は、図書館までの道とほぼ同じ道だ。あるいは、まるまる荘までの道とほぼ同じだ。だから、まるまる荘とうちのあいだを行き来していた頃の思い出がどうしても思い浮かんでしまう。そして、あのとき、社会人としては破綻していたので、破綻している感じしかしない。ヘビメタ騒音以降、他の人にはわからない方法で、世界を認知している。ヘビメタ騒音以前の、世界認知とはぜんぜん違う方法で、世界を認知している。どうしても、破滅破綻がつきまとう。この世の『雰囲気』に破滅破綻がつきまとう。

2020年7月18日土曜日

どうしても、長期騒音以前の状態にならない

目が治ってない。
かなり長い間、治ってない。

幼稚園生が絶叫しているなぁ。
俺は、平気だったのに……。

ともかく、ぼくの元気がないんです。
ほんとうは、あるところに行かなければならないのだけど、行きたくない。
しかも、行くとお金をもらえるところなんだ。

あー。

他の人は、わかってない。わかるわけがない。けど、それとは別に、ぼくがつまらないんだよ。ぼくの感情が死んでしまったわけ。どこに行くにしても、長期騒音の影響を受けている。どうしても、長期騒音以前の状態にならない。長期騒音の前……ぼくにも普通の感情が成り立っていた。普通の落ち込み、普通のよろこび……そういうものが、ぼくにも、たしかにあった。けど、落ち込みの落ち込みが違うという状態になった。楽しめなくなった。どこに行くにしろ、行く前、普通の落ち込みではない落ち込みがある。負の学習をしてしまった。負の学習を打ち消すほどの学習ができない。負の学習は、あたまの「しん」に入ってしまった。あたまのしんをかえてしまった。汚染された魚のように、汚染された魚を食べた人のように、脳みそのしんが、影響を受けた。

汚染魚を食べたあとは『普通の状態』ではなくなる。汚染魚を食べたあと、どこかに行くとなると、汚染魚を食べたからだで、どこかに行くことになる。それは、汚染魚を食べて「くるしい」という状態からはにげられないということを意味している。たとえば、快楽のために旅行に行っても、快楽を得られないということになる。普通の人が快楽を得られるところでも、汚染魚の影響で、快楽を得られないということになる。かりに、快楽を得ているにしろ、快楽は、そのままの快楽ではなくて、50%の快楽、10%の辛くということになる。

2020年7月17日金曜日

繰り返されたことは、いまの感情に影響を与える


けっきょく、ヘビメタ騒音でくるしい。他のやつは、ヘビメタ騒音がないから楽だ。人生すべてが、イージーモードだ。もちろん、ヘビメタ騒音が鳴っていた場合よりも、イージーイードだということだ。

これは、比較の問題で、相対的な問題だ。

やられてない人には、やられた状態というのがほんとうにわからない。他の人がどれだけ考えてもわからないようなところで、相当のダメージを食らう。けど、それが、他の人にはわからない。他の人は、俺がもともと「そうなんだ」と思うわけだ。

しかし、違うんだよね。たとえば、ぼくが暗いとしよう。他の人はもともと、ぼくが暗い人なんだと思うわけだ。

けど、違うんだよね。

ヘビメタ騒音で暗くなった。ヘビメタ騒音で、あかるい感情をなくした。なにをやるときも、だるくてだるくて、くるしい状態になった。憂鬱な状態になった。疲労している状態になった。そういう状態が、他の人から見ると『暗く』見えるのである。実際に、ぼくは、だるくて、しんどくて、憂鬱なので、暗い。

ほんとうに、学校に通っていて、なおかつ、午後四時から午後一一時一〇分まで、鳴っている生活というのはくるしい。どうしても、ヘビメタが成り終わったあと、勉強をするということができない。他の人は、ヘビメタ騒音が成り終わったあと、ぼくがどれだけだるいかわかってない。怒りで、疲れ果てている。

強制的に何時間も何時間も、怒り狂っている状態になってしまう。これは、強制的で『鳴っている以上』無視できない。鳴っている以上、怒ってない状態になれない。鳴っている以上普通の状態ですごすことができない。

あの態度で、鳴らされたら、そりゃ、腹が立つ。

で、ヘビメタ騒音は、ほんとうに音と音の感覚が短い。ピークの音が、単位時間あたりにいっぱいつまっている。どの瞬間も、気違い的に腹が立つ音がピークの音量で鳴っている。それがくるしい。これが、連続的で持続的な緊張をしいる。

そうすると、やはり、我慢に我慢を重ねて、つらい状態になってしまうのである。疲れ果てた状態になってしまうのである。で、これは、勉強をしなかったけど、趣味のゲームをしていたから充実していたという時間ではない。

完全に、マイナスの時間だ。

他の時間の勉強に影響を与える。気違い親父が作った家でなければ、あんな音が、1日に一〇分でも鳴っているということは、絶対にありえないことなんだよ。そういうことも、他の人はわかってない。どうしても、自分たちの基準で『騒音』というものを考える。自分たちの基準で『ステレオ騒音』『エレキギター騒音』というものを考える。けど、違う。あんなのは、おかしい。

ほんとうに、うちが、でかいでかい幼稚園の前で、他の家とも離れていたから、気違い兄貴がああいうでかい音で鳴らすことができた。で、兄貴は二階の部屋で鳴らしていたわけで、僕の部屋とは、地続きなんだよ。壁が透明なら、「そこで」スピーカーが鳴っている。手を伸ばせば、スピーカにとどく距離でなっている。

部屋の壁がでかいスピーカーのような感じで、ドカスカ鳴っている。これがからだに響く。横になると、枕らに響く。気違いヘビメタ騒音のなかで眠るということができない。だから、まず、学校から帰って、ヘビメタ騒音が鳴っている時間は、眠って、鳴り終わったあとに起きてやるということができなかった。

なにをするのもヘビメタ騒音なのである。

ヘビメタ騒音の影響を受ける。友だちが、「マラソン大会の練習をしよう」と言ってきたことがある。ダイヤほどではなかったけど、よい友だちだったので、ぼくもヘビメタ騒音がなければ、いっしょに練習していたと思う。けど、ヘビメタ騒音が鳴っているから、練習をことわることになる。ヘビメタが鳴っていて、マラソンの練習なんてできない。ほんとうに、切羽詰まった状態なんだよ。

で、その友だちは「ほんとうに、いしっょに練習をしてほしかったな」なんて言うんだよ。その友だちは、じつはその時は俺のことが好きで、ほんとうに、練習に参加してほしかったわけ。それから、その友だちの他にも、練習に参加していた友だちが数人いたのだけど、どの友だちも、みんな、いい人だった。

あのメンバーだったら、ほんとうに、ヘビメタ騒音がなければ、一緒に走って汗を流して、帰ってきたあと、気持ちいい状態で勉強をするということもできた。けど、実際には、俺は一人でヘビメタ騒音で苦しんでいた。

ぼくの人生というのは本当にそういうことが、何千回も何万回も繰り返されている。ひとつひとつは小さいことだけど、何千回も何万回も、繰り返されれば、話は違う。まとまりとしてはでかいことになる。同じ感情の繰り返しなのだから、やはり、まとまった感情としては、でかい。こういう経験が、『やる気が出ない状態』のベースになっている。あるいは、ヘビメタ騒音を経験してない人との関係のベースになっている。

2020年7月16日木曜日

からだが眠たくなってきた


 スリッパを買いに行くつもりだったけど、どうもだめだ。
まだ、眠りたくはないけど、からだが眠たくなってきた。なんていうのかな? 頭がもやもやしている。これは、外に出て歩くとき、相当に……。歩くとき、憂鬱で憂鬱でしかたがない。だいたい、疲れと憂鬱は似ている。もちろん、爽快な疲れもある。けど、ぼくが言っている疲れは、しんどい疲れで、憂鬱な疲れだ。ともかく、からだがこの状態になってしまったら、外に出ることができない。これで、むりやり動くと、あんまりいいことが起こらない。睡眠時間がずれるし、不注意な状態で買い物をするのはよくない。


それにしても、幼稚園児がうるさいな。こまったな。
だるい。そして、憂鬱だ。

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2020年7月14日火曜日

怒り狂った途端に、まったく関係がない人になってしまう


あのときの、あれ、ないな。
ヘビメタ騒音なしで普通にテストを受けたかったな。
中学に入って以来、ずっと、テストの日まで、ヘビメタ騒音に祟られているなんて、ないだろ。おかしいだろ。普通じゃないだろ。ありえないだろう。その、普通ならありえないことが怒った。気違い兄貴の気違い的な態度なんて、みんなわかってくれない。どれだけの意地で鳴らしたかわかってない。どれだけ、自分がやっていることに無関心だったかわかってない。これは、ようするに、自分が意地になってやっていることは、意地になって認めないということだ。主観的には「まったくやってない」のと同じなのである。自分が意地になってやっていることで、相手が困っているということは、まったくわからないのである。どれだけ相手が言ってきてもわからない。わからない以上、まったくやってないのと同じなのである。まったく関係がないつもりなのである。

気違い兄貴にわかりやすいように言っておこう。気違い兄貴が、学校に持っていくハンダゴテのことで困っていたとき、親父は、兄貴が困っているということがまったくわかってなかった。兄貴が困っている原因は、オヤジの態度なんだよ。親父が、エレクトロニクス工作用のハンダゴテを買ってやらないと決めたから、兄貴が困っていた。親父にとっては、自分が持っているエレクトロニクス工作には使えないハンダゴテを持たせてやることなんだよ。それが、最大限の譲歩なんだよ。だから、親父としては、譲歩しているつもりなのである。けど、そのオヤジのハンダゴテを持っていくと、恥をかくことになる。ちょっと話がそれるけど、気違い兄貴の譲歩というのはオヤジの譲歩と同じだ。相手がこまるような譲歩しかしない。けど、譲歩してやったら、それでおしまいなのである。だから、困ったことをやり続ける。相手が困ることを、やり続ける。けど、相手を困らせているとは思わない。それは、相手がどれだけ強く言ってきても、思わない。相手が、これこれこういうことで困っているということを言っても、そのことが自分にとって不都合なことであれば、怒り狂って、認めないのである。この場合、認めなかったということも認めないというような状態になる。認めなかったということをも認めなかったいうことを言っても、それは同じやり方で認めないので、二重、三重に認めないということになる。「言えば、わかる」という世界じゃない。「ちゃんと言えばわかってくれる」はずだという世界観を持っていると、被害を受けたほうが言っていることがわからなくなる。その人も、『ちゃんと言えばわかってくれるはずだ』という世界観にたって、被害を受けたほうが真実の報告をしていても、それが真実だとは認めない……のである。そういうふうなことになってしまうんだよな。ごく自然に……。別に、発狂して認めないときに、相手が他の人に言ったとき、他の人が認めないような態度で発狂しようと思っているわけではないのに、そううことになってしまう。『ちゃんと言えばわかってくれるはずだ』という世界観を持っている人に『ちゃんと説明しないからダメなんだ』と言われたときの気持ちがわかるか? 話がちょっとだけずれた。
ともかく、親父が『使える使える』と発狂して、兄貴に新しいハンダゴテを買ってやらなかったとき、親父が兄貴が困っているということを認識できたかというと、認識できなかったのである。で、同じように、兄貴のヘビメタ騒音で、俺が困っているということを、兄貴は認識できなかった。オヤジにしてみれば、カネを払いたくないので、オヤジの空想世界では、自分のハンダゴテは使えるということになってしまうのである。そうなったら、現実世界でも使えるということになって、『使えない』という情報は、意地でも認めないのである。それは、カネを払いたくないと思ったときに決まっている。絶対に、『使えない』ということは認めない。それと同じように、兄貴は、自分が思った通りの音でヘビメタを鳴らしたかったから、自分が鳴らしている音がでかい音だということを認めなかったのである。認めたら、静かにしなければならなくなる。だから、最初から、オヤジのように、認めないのである。自分が思った通りの音で、ヘビメタを鳴らすと決めている以上、自分のヘビメタの音で相手が困っているということは絶対に認めないのである。でかい音だということも認めないし、その、自分が意地なにって鳴らしている、でかい音で、弟が困っているということは、絶対に認めないのである。認めてしまったら、静かにしなければならなくなる。それは、命にかけても、命にかえても、絶対に避けなければならないことなのである。そうなると、本人は意識しているわけではないけど、『無意識的な無視』が発動して、認めないということも認めないという意識状態になってしまう。その意識状態でやってことは、本当にやってないつもりのままなのである。本人が関わっている感じがしない。本当は、本人の行為によって、相手が困っているのに、相手が困っているということは、一切合切、わからない状態になる。認知できない状態になる。だから、自分が譲らずに、意地になってやるから、相手が困っているのに、相手が困っているということは、自分にはまったく関係がないという認識が成り立ってしまうのである。『つもりがない』というのは、そういうことなんだよ。『つもりがない』からやってないという状態とは正反対の状態なんだよ。『つもりがない』から、発狂的な意地でやっている。やってないわけじゃない。けど、『自分がやってないこと』のように(本人には)感じられる。押し切ることができたら、一切合切関係がない人になってしまうのである。押し切ったのだから、おなじ状態が続く。これは、どういうことかというと、兄貴のハンダコテに関しては、兄貴がハンダゴテを買ってもらえない状態が続く。俺のヘビメタ騒音に関しては、ヘビメタ騒音が鳴っている状態が続く。兄貴のハンダゴテは、オヤジの意地が関わっているし、俺のヘビメタ騒音に関しては、兄貴の意地が関わっている。本人が強く主張して、こだわりつくして、怒り狂ってそうしているから、そうしているのに、やっている本人は、怒り狂った途端に、まったく関係がない人になってしまう。これがどれだけ困るか……。気違い兄貴はわかるよな。親父にやられたぶんはわかるはずだ。けど、自分が弟にやったことは、オヤジのようにわからないんだよ。「やった」と言われたら「やってないやってない」とオヤジのように発狂しておしまいなんだよ。「ゆずってくれなかった」と言われたら「ゆずったゆずった」とオヤジのように発狂して、おしまいなんだよ。「譲歩してくれなかった」でも「やってくれなかった」でも同じだ。正反対のことを絶叫しておしまい。ほんとうに、本人の中では終わっている。……やっているときは、そういうやりかたで、意地を通して、発狂してやり続ける。だから、本人は「やってないつもりのまま」なんだよ。自分がやっていることで……特に意地を張ってやっていることで、相手が困っているということを認めることができない。認めないまま、発狂的な意地で押し切っておしまいだ。やっておしまいだ。けど、主観的にはやったということになってないのである。本当は、意地になってやり続けたのに、やり続けたということになってない。

2020年7月12日日曜日

複合的に重層的に影響を受ける部分がひろがる


あの女の子となかよくしたかったな。
ヘビメタ騒音「なしで」なかよくしたかったな。

ほんとうに、すべてがヘビメタ騒音でめちゃくちゃになる。生活というのは、いろいろなことが複雑に噛み合ってなりたっているものだから、一日の半分をヘビメタに取られるとなると、もう半分もうまくいかなくなる。これは、事実で、妄想じゃない。ヘビメタ騒音の影響を、うつ的な気分で、非合理的に大きく考えたから、そのように思えるというものではないのだ。それは、やってみればかる。ほんとうに、すべてのことに、たたる。

そういう一日が、毎日続けば、やはり、複合的に重層的に影響を受ける部分がひろがる。他の人にはそれがわかってないから、俺が大げさに言っているように思える。俺が、『関係のない範囲まで』関係があると言っているように思える。「そんなのは、ヘビメタ騒音がなくたっておんなじなんだよ」と意地悪な人は言いたくなる。この意地悪な人は、自分が女の子にもてないから、そういうことを言いたくなるのだ。これは、そいつの言動からしてあきらかだ。俺にやったことについて考えてもあきらかだ。こんなやつはもてるわけがない。俺が女だったら、こんな性格のやつは相手にしない。だれが、掲示板で荒らし行為をおこなうやつとなかよくなりたいと思うんだよ? 「自分の性格をなおしてからものを言え」と言いたくなる。けど、まあ、ともかく、ヘビメタ騒音でそういうやつから、「そんなのはヘビメタ騒音がなくたっておんなじなんだよ」と言われるような立場まで、落ちてしまった。こういう、不愉快なやりとりだって、気違い兄貴が夢中なって、何年間も何年間も、毎日毎日、普通の人が信じられないような音のデカさで、普通の人が信じられないような態度で、ヘビメタを鳴らし続けたから発生することだ。ヘビメタがなければ、こういう性格が悪いやつとのやりとりもなかった。

ヘビメタ騒音が長すぎる。
ほんとう、どこに行ってもヘビメタ騒音がつきまとう。


2020年7月9日木曜日

同じカテゴリーに属する人はみんな同じという思考について


同じカテゴリーに属する人はみんな同じという思考についてちょっと言っておこう。
前投稿で「汚染魚を食べたとしても働ける」と書いたけど、これは、こういうふうに言い換えることができる。「水俣病でも働いている人はいる(だから、水俣病であるあなたも働ける)」と。同じように水俣病でも……と言うこともできる。どこが『同じ』なのかよくわからないが、「同じように水俣病でも働いている人がいる。だから、水俣病であるということは、働けないという理由にならない」ということだ。この人達が主張しているのは……。しかし、水俣病と言っても、程度のちがいがある。どうして、程度の違いを無視してしまうのか? 水銀の摂取量に違いがあるのだから、障害の度合いに違いがあるのはむしろ、当然のことだ。同じ水俣病でも、水銀の摂取量によって、障害の度合いが違う。けど、「同じように水俣病でも」と言ってしまう。同じように『うつ病でも』という言葉を使う場合でも同じだ。程度の違いがあるのに、同じカテゴリーに属している人は、あるいは、同じ障害名?同じ病名が付く人は、みんな同じだという、間違った信念を持っている人がいる。これは、間違った信念で、間違った結論をうむ前提になる。ごく普通にそういう思考をする人は、自分が間違った前提で結論を言っていることに気がつかない。
ヘビメタ騒音に関しても、同じことが成り立つ。ぜんぜん違う。量と、一日の中での時間の長さが違う。そして、期間の長さがちがいすぎる。長期間の騒音に関して間違った考え方を持っている人が、間違った前提に基づいて、間違ったことを言う。「同じように騒音を聞かされたとしても、遅刻をしない人は遅刻をしない」「同じように騒音を、長期に渡って聞かされたとしても、働いている人はいる」と言う人がいる。本当にそうですか? 本当に同じ時間の長さ、同じ期間の長さ、同じ騒音を聞かされているのですか?

2020年7月8日水曜日

被害者に説教するのは簡単だが、加害者に説教するのはむずかしい


道徳性や善悪を持ち出すのであれば、佐藤はまず、兄貴に対して、怒らなければならないのである。説教しなければならないのである。注意しなければならないのである。責任追及をしなければならないのである。しかし、日本では「働いているやつは、悪い奴でも、悪くない」「働いていなければ、善人でも悪い奴」という感覚が成り立っている。日本人として標準的な道徳観を持っている佐藤のような人間は、ヘビメタ騒音の話を聞いた後も、ぼくの無職性を責めるのである。非道徳的なことをした兄貴ではなく、道徳的なぼくを責めるのである。こんなのはおかしい。おかしいけど、日本だと佐藤のような感覚を持っている人がほとんどなので、俺は、美メタ騒音にやられて、働けなくなったにもかかわらず、ほとんどの日本人から説教をされる立場に立っているということになる。(当時)。

これ、ほんとうに、ひどい。水俣病患者に対して、「どうして働かないんだ」「そんなのが、そんなにひびくはずがない」「汚染魚を食べたとしても働ける」「働かないのは人としておかしい」「いつまでも、企業のせいにしてもしかたがない」と言っているのと同じなのである。一方、公害をまき散らした企業に対してはまったくなにも言わない。責任追及しない。……日本人は、いまや、そういう立場の人が多い。たたけるところをたたいている。精神世界の人でもそうだ。やられたやつに説教をすることで、(自分が)浮かび上がろうとする。ストレスを発散しようとする。「いじめられたほうにも責任がある」といじめられたほうの責任追及ばかりをして、いじめたほうの責任追及をしない。いじめられたやつのほうが、たたきやすいから、たたいている。いじめるようなやつの責任追及をするのは、ここちがよくないのである。みんな、それに気がつかない。

十数年間に渡ってどでかい騒音を鳴らして人を働けないからだにしたやつを道徳的に責めずに、十数年間に渡って耐えたがゆえに働けなくなった人を、『働かない』道徳的に責めるのはおかしいと思う。それは、たとえば、水俣病に鳴ったから働けなくなった人を、『働かない』という理由でせめて、当の原因をつくった企業の責任は一切合切問わないということに匹敵することだ。

けど、そういうことを普通の人がやってしまう。どうしてかというと、その人の中では、ヘビメタ騒音は、働けない体になる理由ではないのだ。そんなのことを、もし仮にやれたとしても……鳴らされ続けたとしても、『働けない』ということはないだろう……と考えてしまう。

2020年7月7日火曜日

そいつらだって、同じ目にあえば、同じような状態になる



だるい。くるしい。どうしても、くるしい。そして、この雰囲気。きちがいヘビメタの記憶。いま、ヘビメタ騒音「で」くるしい。

ヘビメタ騒音の身体感覚がある。

ヘビメタ騒音にやられたいた頃のからだのままだ。くるしい。他の人は経験がないからわからないだけだ。

同じように、あの距離で、自分がこの世で一番キライな音をマィ2値何時間も何時間も、繰り返し繰り返し聞かされ続けたら、こうなる。体の反応としてこうなる。身体が、その刺激によって変化を受ける。気違いヘビメタ騒音にやられてない人は、音は終わったらおしまいだと思っている。音が終われば効果もないと思う。音が終わっているのに、眠れないなんてことはないと思っている。騒音期間が一五年間毎日続いたにしろ、一五年間で終わったなら、一六年目からは、騒音とは関係がない生活ができるのだから、騒音でだるいなんてことはない……と思っている。

ぜんぶ、ハズレ。ぜんぶ、不正解。実際に、経験してみればわかることだ。逆に言えば、実際に経験しなければわからない。一五年間の騒音体験で、脳みその睡眠回路が壊れる。しかも、不可逆的な変化を伴うと思う。

パンチドランカーのように残り続ける。体の不調が残り続ける。常にだるい身体になる。疲れやすくなる。易疲労性も、治らない。能力一〇分の一で生きてみろ。どれだけの屈辱に見舞われるか。佐藤とのやり取りを詳しく書いたけど、ごく普通の人がそういう反応をしてくるんだぞ。

説教をされる。

そりゃ、日本で「働いているはずの年齢なのに」働いていない男を見たら、説教したくなるんである。そいつらは、気違いヘビメタ騒音に小学六年生の頃から、やられ続けたわけではないから、働ける体を普通に維持できただけなのに、俺よりも、立派な人間だと思って言ってくるんだよ。俺よりも、根性がある人間だと思って言ってくるんだよ。俺よりも、身体がすぐれていると思って言ってくるんだよ。

まあ、睡眠回路と易疲労性において、ぼくが、劣った存在になっているというのが、事実だから、最後のところはあたってないわけでもないけど……。それだって、そいつらだって、同じ目にあえば、同じような状態になる。

これは、同じ分だけ水銀を摂取した場合とおなじだ。同じ症状が出るんだよ。「できなくなってしまう」んだよ。それがわかってない。根性のちがい、だと思っている。あるいは、自分にくらべてエイリさんが甘えた人間だから、そういうふうにしていると思ってしまうんだよ。そういうふうにしているというのは、甘えて働いてないということだ。こんなのは、屈辱以外のなにものでもない。けど、そいつらはこういうふうに言うんだよ。「くやしかったら働いてみろ」とね。

2020年7月5日日曜日

俺がどれだけうまい説明をしても、わからない。


ほかの人にはぼくの事情は、絶対にわからない。わからないんだ。それぞれ、思いついたことを言う。けど、ちがうんだ。けど「ちがうんだ」と言っても、「違い」がわからない。それは、やっぱり、異常な音を、異常に長い時間、異常に長い期間にわたって聞かされたことがない人間には、逆立ちしてもわからない。追い詰められていく状況がわからない。頭がおかしい家族に、騒音でやられたことがない人には、頭がおかしい家族のことがわからない。

もう、これは、「はなっから」わからないわけで、俺がどれだけうまい説明をしても、わからない。信じない。だから、信じない人にとっては、俺が勝手に言っているだけということになってしまう。そうなると、俺が妄想で兄貴の悪口を言っている、家族の悪口を言っているということになってしまうのである。ほんとうは「俺の責任(エイリの責任)なのに、兄のせいにしている、家族のせいにしているということになってしまうのである。こういうことが、生じてしまうということ自体が、異常なことなのである。ほかの人は「なんとか我慢してうまくやってくれ」というようなところに落ち着く。けど、それは、きちがいヘビメタ騒音でくるしい生活が続くということになってしまうのである。きちがいヘビメタ騒音の深刻さが、ほかの人にはわからない。ちょっとうるさい音が鳴っているだけだと思ってしまう。そんなんじゃないのだけど、「そんなんじゃない」と俺が「うちの特殊事情」を説明しても、ほかの人にはわからない。きちがい家族にやられたことがない人にはわからない。きちがい家族が、「うちのなかで!!!」どういう態度でどういうことをするのか、根本的なところでわかってない人には、逆立ちしてもわからない。そりゃ、兄貴の態度や、兄貴の態度を支える、兄貴側の認知というのは、わからない。それは、ほかの人が、おやじの態度やおやじの態度を支える、おやじ側の認知がわからないのと同じように、わからない。ほかの人たちにとっては、「へんなはなし」に思えるのである。「そんなひと、いるのかな」「そんなことってあるのかな」と思ってしまう。「そんなでかい音でなっているのなら、いっくらなんでも、親が注意をする」と思ってしまうのである。おやじは、頭がおかしいので、「注意しない」となったら、意地でも注意しないのである。「そんな、子供が小さいころ、子供を虐待していろいろなところでおこっていた人が、おこらないなんておかしい」と思ってしまう。お母さんはお母さんで、世間の基準からは、相当にずれている人なのである。で、お母さんが、注意をしたって兄貴は聞かない。「弟の見方をしてぇ」と怒り狂って鳴らし続ける。お母さんは、ずれている。

2020年6月29日月曜日

水俣病の人に「だるいと言うからだるくなる」と言うことは、正しいことなのだろうかという問題


一番、重要なのは、ぼくが疲れたということだ。本当に疲れた。だれがなんと言っても、疲れた。ぼくがすでに疲れているということはぼくにとって、とてつもなく重要なことだ。

これは、他の人にとってはまったく重要じゃないことだ。
けど、俺にとっては、重要なことだ。

これが出発点になってしまう。やれることは、疲れた俺にもできることにならざるをえない。ムリはできない。

あらゆる点で、足かせになっている。気違い兄貴のヘビメタ騒音が、あらゆる点で足かせになっている。それは、鳴っているときから、ずっと、今の今まで続いていることだ。『過去の出来事で、今の自分には関係がないこと』ではない。

これは、水俣病みたいなものなのだ。いちおう、いまはキレーション治療などがあるけどね。とりあえず、体外に排出できない毒のようなもので、現在のからだに、直接、影響を与える。それが、『ヘビメタ騒音病』だ。ヘビメタ騒音は単なる過去の出来事ではなくて、不可避的に現在に影響を与える過去の出来事なのだ。

けど、普通の人は、ヘビメタ騒音が俺にとってどういう意味をもつのかということがわからない。普通の人にとっては、『過去の出来事』でしかない。この『過去の出来事』というのは『現在に影響を与えない過去の出来事』だ。

『もし、現在に影響を与えているとしたら、それは、こだわっているからだ』……と普通の人は考える。

だから、『こだわらなければよい』のである。

けど、これは、『ヘビメタ騒音病』がどういう病気かわかってない人が、言うことだ。『こだわる』か『こだわらないか』に関係なく、水銀のように影響を与える。「わかってないのは、そっちだ」と言いたくなる。けど、ヘビメタ騒音病に罹患しているのは、ぼくだけなので、ぼく以外の人類すべてを敵にまわすことになる。



本当にいろいろなことが起こりすぎた。「もうつかれたよ」って、ずっと言っている。けど、これも、そういうふうに言ってしまうと「もうつかれたよ」とずっと言っているから、疲れるのだ」と言ってくる人たちが、いっぱい出てくることになる。これは、水俣病でだるくなった人に対して、「だるいと言うからだるくなる」と言っているのと同じだ。そういうことを言う人は、水銀を無視している。

たとえば、水銀を摂取したあと、水銀が一〇年間、体外に排出されないのであれば一〇年間ずっとだるい状態が続く場合がある。水銀中毒で実際にだるいので、だるいと言っているにすぎない。水銀を摂取する前に、「だるい」といったから、「だるくなっている」わけではない。その人は、水銀を摂取する前は「だるい」と言ってなかったのだ。

けど、そういう人に対して、言霊主義者は「だるいと言っているから、だるくなる」と言ってしまう。

「から」が間違っている。その水俣病の人がだるいのは、「水銀を摂取してしまったから」なのだ。「だるいと言っているから」ではない。言霊主義者は元気づけるつもりでそういうことを言う。けど、これは、「理由」について壮大な勘違いをしている。そして、その壮大な勘違いが、その人をいらつかせる。その人というのは、この場合は、水銀を摂取したことによってだるくなっている人であり、また、言霊主義者に「だるいと言っているから、だるくなるんだ」と言われた人のことだ。

そういうことを言う、言霊主義者は、水俣病の人のようには、水銀を摂取してない。水銀の量は少ないけど、今現在、普通に売られている魚を食べると、ほんとーーにちょっとだけ、水銀を摂取したことになる。なので、だれかが「俺だって、水銀を摂取したことがある」と言った場合、その発言は、たいていの場合、正しい。

けど、この場合でも、量を無視してはいけない。

その人というような表現だと問題がしょうじるので、言霊主義者をAさん、水俣病でだるくなっている人をBさんとしておこう。言霊主義者のAさんも人間であれば、Bさんと同じ分量だけ水銀を摂取すれば、水俣病になる。これは、生物としての当然の反応だ。

もちろん、AさんとBさんの体重の違いなども考慮されなければならない。けど、生物としてだいたい同じ反応がおこる。神経細胞に水銀が結びつくプロセスは同じだ。そして、実際に水銀が結びつく神経細胞の部位にもよるけど、だいたい、同じような症状が出る。生物としての当然の反応がある。

ちょっと話がちがうが、過去における物理的な刺激の繰り返しが、現在のからだに影響を与えることがある。たとえば、パンチドランカーは、物理的な刺激によって引き起こされる症状だ。これは、だれでも、同じような刺激を同じような期間の長さ受けづければ、だいたい同じような症状が出るということをしめしている。

もちろん、個体差もあるのだけど、刺激の程度(頭の強打)と、その刺激が起こる頻度と、その刺激が続く期間の長さがだいたい同じだと、だいたい同じような症状が出るということが確認されている。人間のからだはそういうふうにできている。

いわゆる毒と物理刺激はちがうのだけど、生物としての「人間の反応」というものが、だいたい同じなのである。これは、『意識のレベルの反応』じゃない。「影響を受けないようにしようと思えば、影響を受けないようにすることができる」というものではない。

「影響を受けないぞ」と何回も何回も言えば、影響を受けずにすむいうものではない。「『だるいだるい』と言うからだるくなる」という説明のしかたで説明できるものではない。「『まっすぐ歩けない』と言うから、まっすぐ歩けなくなる」という説明のしかたで説明できるものではない。

水俣病の場合は、水銀が神経細胞に影響を与えるから「まっすぐ歩くことができない」という症状が形成されるわけで、「まっすぐ歩くことができない」と言うから、まっすぐ歩くことができなくなったわけではない。

パンチドランカーの場合も、何回も何回も頭部をぶたれるという経験が長期間、続いたから、「まっすぐ歩くことができない」という症状が形成されるわけで、「まっすぐ歩くことができない」と言うから、まっすぐ歩くことができなくなったというわけではない。

しかし、言霊主義者は『言ったからそうなる』と考えるので、間違った理由付けをして、間違ったアドバイスをしてしまう。相手の受け取り方にもよるけど、これは問題を含んだ発言だ。言霊主義者は想像することもできないと思うけど、そういう間違ったことを言われたほうは、不愉快な気持ちになることがある。

2020年6月25日木曜日

佐藤が思い描くヘビメタ騒音と俺が実際に経験したヘビメタ騒音がちがいすぎる


やっぱり、ヘビメタ騒音で人から誤解される。誤解されざるを得ない。けど、そういうことになるということが、これまた、ほかの人にはわからない。経験してないからわからない。

きちがい兄貴の騒音感覚が、また、ドハズレ、ケタハズレなんだよな。そこでも、ぼくは、ほかの人から誤解を受ける。佐藤は、俺にたいしていろいろと間違った認識を持ったけど、それは、佐藤が思い描くヘビメタ騒音と俺が実際に経験したヘビメタ騒音がちがいすぎるからなのだ。

*     *     *

ああっ、いま、2020年06月25日17時37分10秒
夕方の五時半。ものすごい、音でヘビメタが鳴っていた。ここは、あの気違い空間だった。気違い兄貴の態度がおかしいし、騒音に対する感覚がおかしい。自分の騒音に対する感覚がおかしいだけで他の人の出す騒音に対しては普通の感覚を持っているのだけど……。(気違い兄貴は)真っ赤な顔をして、怒ったあとは、気違いオヤジのようにまったく関係がない人になってしまっているんだろうな。発狂的な意地でやり続けるけど、本人は、やってないのと同じ気持ちなんだよな。こういう態度は、他の人に説明してもわからない。だいたいオヤジの態度だって、他の人にはわからない。

気違い兄貴や気違いオヤジの問題なのに……やられた俺が他の人から、誤解されて、悪く言われる。こんなのは、ない。俺は、まるまるまるまる。

ほんとうに、生きている間、誤解を受けっぱなしでいやだな。他の人は経験したことがないから、ヘビメタ騒音が与えている影響というものがわからない。一日の範囲で与える影響も、人生の範囲で与える影響もわからない。それは、親友だろうが母親だろうがわからない。横の部屋で、鳴らされていたのは俺だけだ。床続き」で鳴らされていたのは俺だけだ。ほんとうに、僕の部屋で鳴らしているようなものなんだよな。あれだけでかい音で鳴らすと、一枚の壁の効果は果てしなく小さなって、まるで、自分の部屋で鳴らしているのと同じ状態になる。兄貴の友達が『こんなにでかい音で鳴らしたことがない』と言ったのだけど、そういう音だ。この兄貴の友達は、ヘビメタが好きな人だ。その人が、最初の一分間で「こんなでかい音で鳴らしたことがない」と言ってしまうほどでかい音なんだよ。

他の人は、「はなしのつうじなさ」という点について誤解している。兄貴が普通の人だと思っている。だから、「ちゃんと言えばつうじる」と思ってしまう。それがまちがいんだよな。気違い兄貴も、気違い親父も、普通の状態じゃない。頭がおかしい状態でやる。「やるな」ということを言われたら、発狂して、夢中になってやり続けて、「やってないつもり」になってしまう。毎回同じだ。毎日同じだ。こういうのが、ほんとうに、生活感覚的に、わかってない。他の人は、こういう人間がいるということが生活感覚的にわかってない。

気違い的な意地でやったことは、気違い的な意地で否定する。それが兄貴と親父だ。毎日、何時間やったって、そうだ。まるで自分がやってないから関係がない……というような態度のままやり続ける。たぶん、ほんとうに「やってないつもり」「やってない気持ち」が成り立っている。何万回言われたって、『関係がない人』のままなんだよ。張本人なのに。……気違い兄貴や気違い親父がやりたいからやっていることなのに……。だれも、気違い兄貴や気違い親父に矯正していることじゃないのに……。自分がやりたいから、意地になってやっていることなのに、まるで、関係がない人のつもりでいる。やってないのと同じ気分でいる。まったくやってない人……事実としてそういうことをしなかった人の態度なんだよ。気分なんだよ。本当は、気違い的な意地でやっているのに……。やめさせられそうになったら、発狂してやり続ける。けど、「つもりがない」。やったという認識がまったく成り立ってない。まったく関係がない人のままでいる。張本人なのに……。本人がこだわって、こだわって、譲らずにやりきったことなのに……。やってないつもりでいる。頭がおかしい。

本人にとって都合がいいように、狂っているんだよな。やりつづけるけどやったことになってない……都合がいいだろ。やりたいことは絶対の意地でやるけど、責任は絶対に取らないわけだから。関与すら認めないわけだから。関与を認めないまま、やり続けるわけだから、自分にって都合がいい。止められたら……「やめてくれ」と言われたら、発狂してやり続けて、やり続けたということを忘れてしまう。これは、便宜上『忘れてしまう』と書いたけど、本当は「やった」という認識が成り立ってない。認識が成り立ってないわけだから、『忘れた』わけではないのだ。けど、ここらへのことは、他の人にはわからない。他の人がわからないようなへんなしくみを利用して、やり続ける。けど、やったのが本人ではないような感覚が成り立っている。「やめろ」と言われたのに、こだわってやり続けたという記憶がない状態が成り立っている。

2020年6月23日火曜日

引きこもり対策について……アプローチが逆……負の学習と正の学習……

https://www.30hikikomori.com/p/1110-httpswww.html
↑引きこもり対策について……アプローチが逆……負の学習と正の学習……
ページのほうに書いたので、当行には反映されないので、いちおう、投稿にURLを貼り付けておきます。
(この記事についてなにがしかのことを語る場合は、このサイトのトップページにリンクを張って、語ってください。)
https://www.30hikikomori.com/


2020年6月22日月曜日

生活が、全部、めちゃくちゃになった


つまんない。
やっぱり、俺はヘビメタ騒音「で」ダメなのか?
ヘビメタ騒音で! ヘビメタ騒音で!
おんなじ状態が続いている。おんなじようにくるしい。
くるしい。けど、ほかの人はわからない。ほかの人には騒音体験があったとしても、きちがい兄貴によるヘビメタ騒音体験がない。あれだけしつこい、騒音を聞かされていいわけがない。生活が、全部、めちゃくちゃになった。全部というのは、この場合、イ・ラショナルじゃない。めちゃくちゃになったとしても、生きてはいる。生きてはいるからめちゃくちゃじゃない部分があるということになるのかもしれない。けど、くるしい。ずっと、くるしい。ヘビメタ騒音がなければ経験しなくていいことを経験した。ヘビメタ騒音がなければ、経験できたことが経験できないものになってしまった。そういった意味で、時系列的に「全部」めちゃくちゃなのである。そりゃ、ちがうよ。生活がめちゃくちゃになるということは、「死ぬ」ことではない。生活がめちゃくちゃになるということは、生活がまったく成り立たないということではない。生きていけないということではない。だから、生きているのだから、生活は成り立っている。だから、「全部」はイ・ラショナルであるという意見は間違っている。めちゃくちゃになったという場合、生活の質を問題にしているのだ。俺が問題にしたい「質」が全部めちゃくちゃになったのだから、全部めちゃくちゃになったという表現で正しい。


2020年6月21日日曜日

ヘビメタ騒音にさらされてない場合の俺は、普通によろこんで行けるわけ


今日も生きている。
生きてはいるけどいろいろとつらい。

さてと、どうするかな?

昨日は、通販の受け取りのために玄関まで行ったり、町内会の会費を払うために玄関まで行ったりした。

今日も通販の受け取りをした。

もう、これだけでつかれている。

つかれたとか、ほんとうにどうしようかな? 漢字か?ひらがなか? まだ、変換する必要がある。活用があるものに関しては、ちゃんと活用のことを考えて変換してよ。

あっ、そうだ。風呂にも入った。これで、けっこうきてる。きてますきてます。だいぶ、つかれた。このさき、ほんとうにどうしようかな。いろいろと、考えることがある。たとえばの話だけど、パーティーに誘われたとする。で、いまはコロナなどのことを心配しないとだめだけど、コロナは、はやってないとする。

その場合、普通の人だと、パーティーに行くことを考えると憂鬱になるということはないと思う。あるのかもしれないな。言い方が悪いかな? ヘビメタ騒音にさらされてない場合の俺は、普通によろこんで行けるわけ。

けど、ヘビメタ騒音にさらされたので、ある種の破滅感がある。これは、ほかの人にはわからない破滅感なんだけど、ともかく、破滅感がある。なので、行かないということになるだろう。たとえばの話なんだけどさ。そのパーティーには自分の好きな人ばかりが参加するとしよう。それでも行きたくないのだ。こういう状態になる。まるでわからないだろうけど、そうなんだよ。

2020年6月18日木曜日

言えば願いがかなう…と…何回も言えば願いがかなう について


●「回数が足りないだけ」のトリック(かなってないとしたら、回数がたりないだけですよ(にた~~) 私は願いがかないましたから(にた~~)

「言えば願いがかなう」とAさんがBさんに言ったとする。Bさんは、自分の願い事を言葉に出して言ったが、願いがかなわなかったとする。そのとき、AさんがBさんに「何回も言えば願いがかなう」と言ったとする。.

じつは、Aさんのなかでは、「言えば願いがかなう」ということと「何回も言えば願いがかなう」ということは、それほど矛盾したことではない。Aさんにとってみれば、「何回も言えば願いがかなう」ということは、「言えば願いがかなう」の拡張バージョンみたいなもので、特に矛盾した意味を含んでいないということになる。

しかし、本当は、矛盾した内容を含んでいる。

何回も……というのが、実際何回かは、あとで考えることにしよう。とりあえず、何回もという場合の回数をn回だとする。

その場合、じつはn-1回目まで、どれだけ願いを言葉に出していっても、かなわないということを言っている。「何回も言えば願いがかなう」ということは、「何回も言わないと願いがかなわない」ということなのである。必然的にそういう事を言っているということになる。

かりに、n回を1000回だとする。その場合、1000回言えば、願いがかなうけど、1回目から999回目までは願いがかなわないということを言っているのだ。

一方「言えば願いがかなう」というのは、1回でも言えば願いがかなうということを言っているのである。1回でも、口に出して言えば、かならず!願いがかなうのである。

この「言えば願いがかなう」というのは、「言えば願いがかなうこともある」ということを言っているのではない。そうでなくて「言えば、かならず、願いがかなう」ということを言っているのである。

じつは、「言えば願いがかなう」という言葉は、使うときによって、意味が違う。それは、言霊信者のAさんにとっても、意味が違うのである。しかし、言霊信者のAさんは、自分でその言葉を使っているのに、言うたびに意味が違うということに気がつかない。

意味が違うということに気がつかないということを利用して、困難を避けている。自分が言っていることが当たらないこともあるという現実にむかいあうことを避けている。

ひとつの言葉に、まったくちがったふたつの意味を込めて使っているのに、そのことがわかってない。使っている本人がわかってない。

だからこそ、現実の認知を回避することができるのである。最初に(言霊信者が)言えば願いがかなうと言った場合は、「言えばかならず、願いがかなう」という意味で言っているのである。

「言えば願いがかなう」ということを「言えば願いがかなう場合もあるし、願いがかなわない場合もある」という意味で、使っている言霊信者はいない。「願わない場合もある」ということは、認めないのが、言霊信者なのである。

だから、言霊信者が「言えば願いがかなう」と言った場合は、「言えばかならず!願いがかなう」という意味で言っている。

しかし、実際には、「かなわないばあい」がある。けど、言霊信者は、かなわない場合があるということを認めるわけにはいかないのである。

そこで、時間をずらすのである。今はかなわないかもしれないけど、何回も言えばかなうということにして、「かなわなかった」という現実を無視する。

言霊主義者のAさんはBさんのような人に対して、「回数がたりないからだめなんだ」ということを言う。けど、「回数がたりないからだめなんだ」と言ったときには「言えば、かならず、願いがかなう」ということは、1回目からその回数マイナス1回の範囲で、部分的に否定されている。

1回でかなわなければならないのである。「言う」か「言わないか」の二値しかないからだ。

未来に先延ばしすることで、延命している。もう、本当は否定された理論を、未来に先延ばしすることによって延命する。だから、その時点で、じつは、本来の意味での「言えば願いがかなう」ということは、否定されている。

けど、言霊信者はそれに気がつくことはない。気がついたら、「言っても願いがかなわないことがある」というアタリマエの現実を認めなければならないからだ。「言っても願いがかなわない場合もある」という現実は、無視される。

かわって「回数がたりないからだめなんだ」という、破綻した理論が持ち出される。

「1000回言えば願いがかなう」と言った場合は、999回目までは、いったって願いがかなわないということを、言っているのである。100回なら99回目までは、願いがかなわないということを言っているのである。「10回言えば願いがかなう」と言った場合は9回目までは、「言っても願いがかなわない」ということをいっているのである。

●わからない人に、繰り返して同じことを言うとこうなる。

言えば願いがかなう……言えば願いがかなうこともあるし、かなわないこともある。「言えば願いがかなう」と言霊主義者が言ったとき「言っても願いがかなわないこともある」ということは、認めていない。言霊主義者の場合、「言えば、かならず、願いがかなう」という世界観を持っているのだから、かなわないということは考えないのである。だから、言えば願いがかなうというのは、二値の世界なのである。

言ったか言わないかの二値と、かなうかかなわないかの二値があるだけなのである。言えばかなうのであって、言ったのにかなわないということはないのだ。

しかし、言ったのにかなわないという現実を認知しなければならないときがある。そのようなときに、言ったのにかなわないことがあるという現実を認知することを避けて、「何回も言えば願いがかなう」と思うことにしているのだ。

しかし、これは、今まで見てきたように、理論的に破綻している。1000回言えば願いがかなう」という場合は、1回だけ、言っても、願いがかなわないということを、意味しているのである。2回でも、3回でも、願いがかなわないということを言っているのである。

999回でも願いは、かなわないのだ。999回言えば願いがかなうのか? かなわないのか? 999回では願いがかなわない。1000回、言えば願いがかなう」ということを言っているときは、999回、言っても、願いがかなうことはないということを言っているのである。ただ、それに気がついてない。「言えば願いがかなう」と言っているときと「1000回言えば、願いがかなう」と言っているときでは、その人の気分が違うので、込められた意味の違いに気がつかない。

言霊主義者にとって「何回も言えば願いがかなう」は「言えば願いがかなう」の拡張バージョンにすぎないから、矛盾しているとは考えない。

「何回も」と言った場合、何回が実際に何回目を意味しているのかわからないので、n回ということにしておこう。この場合、1回目から、n-1回目までは、願いがかなわないということを言っているのである。

気がつかないのだろうけど、これは、「1回言っても願いはかなわない」ということを含んでいる。なので、「言えば願いがかなう(2値バージョン)」とは、正反対のことを言っている。「言えば願いがかなう(2値バージョン)」の場合は、1回願いを言えば、どんなことがあってもかなうのである。かなわないなんてことはないのである。「かなわない場合」のことは考えてないのである。「かなわない」ということはないのだから、考えない。




2020年6月17日水曜日

楽しいと感じるもとのこころが、死んだ


俺はこれでも、わりとがんばって生きているのである。ほんとうだったら、一日中寝てしまうところを、がんばって、外に出ているのである。けど、去年、つかれすぎた。だから、「もういいや」というところもある。
しかし、「ほかの人はどうなんだろうな」と、ときどき考えてしまう。けど、すぐに「ほかの人は、ほかの人で、ぼくはぼくだから、ほかの人は参考にならない」と考えるところがある。ほかの人はぼくが体験したことを体験してないわけだから比較対象にはならない。立場を逆にして、ほかの人から見ても、そうだろう。
けど、人間は人間なので、多少は参考になるかもしれない……と考えたりする。

まあ、ぼくがいちおうは人並みに、楽しくなれればよいのだけど、ぼくは、……。ぼくは……。ぼくは、楽しくなれない。楽しいと感じるもとのこころが、死んだ。だから、そういう地点から、考えないとだめなのである。

2020年6月16日火曜日

そんなえらそうなことを言っているやつは、ヘビメタ騒音の数千日を経験してない


ヘビメタでくるしい。おまえらにはわからない。ほんとうに、俺と同じ経験をしてから、ものを言え。ものを……。ものを……。


いつも、くるしい。そりゃ、くるしくなる。けど、そういうことですら、ヘビメタ騒音を経験したことがないやつから、あれやこれやと言われる。そういうポジションに落ちていく。曰く。「人間は自分の感情に責任を持たなければならない」。曰く。「どれだけくるしいときも、笑えば、楽しくなる」。などなど。何千日も、気違いヘビメタが続いてくるしいときは、笑っても、元気にならないー。ならないーー。ビック・ノー。ならないーー。自分の感情に責任を持つというのは、ようするに、自分の感情は自分が完全に制御できるものでなければならないという意味だ。どれだけつらくても、くるしくても、なになにができないということはないという意味だ。どれだけつらくても、くるしくても、「不愉快な感情」をもつ必要はないので、「不愉快な感情」をもつということ自体が、未熟なのだという意味だ。なおさら、不愉快な顔をして人前に出るのはけしからんことだという意味だ。けど、そんなえらそうなことを言っているやつは、ヘビメタ騒音の数千日を経験してない。数千日に渡って、寝不足が続く世界を経験してない。寝不足でよれよれだ。……けど、「寝不足でよれよれだ」といえば、「どれだけ眠たくなくても、眠ろうと思えば眠れる」とか言い出す。「日光を浴びて、規則正しい生活をすればいい」などと言い出す。俺はヘビメタ騒音でくるしいんだよ。

2020年6月15日月曜日

ニートに説教は、ホームレスに石を投げるのと同じ

●ニートに説教は、ホームレスに石を投げるのと同じ


引きこもり云々についてちょっと書いておくかな?

言いたいことは、「その人ができる仕事」を用意したほうが説教をするよりずっといいということなのだ。けど、「自分で見つけろ」ということになると思う。これは、「働けない」のか「働かない」のかという問題に直結している。

働けない人……に働いてもらう場合は、「その人ができる仕事」を用意するしかないわけで、用意できないのであれば、その人が働かない状態でもよいというような「一般合意?」を作っておいたほうが、説教をするよりもずっとよいのではないかと思う。

これ、説教なんて、ホームレスに石を投げるのと同じことなんだからな。これがわかってないやつが多い。「働けない」人には「自分が働けない」という認識がある。それは、実際に働いたときに生じたものだ……とする。

だから、これは、働いてみたけど、働けないということを悟った人を対象にしている。働いたことがない人のことはいちおう、ここでは対象にしないことにする。「確信」があるんだよ。

基本的には、なんていうのかな? ダメになるのに時間がかかるのだけど、ダメになるまでの間、「働けたから」といって(その人が)働ける人間だと認識してしまうのはまずいのだということだ。こういうことも、働ける人はわからないと思う。どれだけの深い絶望があるかわかってない。

「自分が働けない人間である」というのは、単なる認識じゃなくて動かない確信なんだよ。そういう人に働いてもらうにはどうしたらいいか? 

その人が楽にできる?仕事を用意するしかない。
ニートや無職に対して、……アドバイスをする人がいるのだけど、そんなのは、まったく役に立たない。役に立たないというよりも、有害なのである。自殺に追い込むためにやっているというのであれば効果的ではあるけど、そうではない場合は、やめたほうがいい。

けど、アドバイスをしているほうは、実は、ストレス発散のためにやっているので、ホームレスに向かって石を投げる中学生のように、楽しみながら、アドバイスをするだろう。(相手(ニート)に受け入れられなくて、怒っている場合も、同じだ。

怒っているのは、アドバイスをするほうだ。「自分は立派にやっている」「不利な条件でも頑張った(だから、成功した)」という自負がある場合は、特に、ダメなんだよな。アドバイスをする人として失格なのである。そんなのは……そういう説教は、ていのいい、いじめでしかない。

ほんとうはホームレスに向かって石を投げたいのだけど……かわりに、ニートに向かって説教をして、ストレス発散をしているようなものなのだよ。これ、本人は「真摯に相談にのっている」と思っている場合でもそうだから。というか、「真摯に相談にのっている」と思っている人が「説教」をしている場合は、まちがいなく、石の代わりに説教を投げつけていると思ったほうがいい。

基本的にニートのほうが立場が弱いのであり、アドバイスをするほうの人は、日本人の宗教的な労働観にもとづいて、ニートに(説教という)石を投げるので、日本の社会のなかでは、肯定されるのである。だから、そういう「相談」のようなものは、ただ単に、体のいい集団リンチ(いじめ)になってしまうのである。そりゃ、アドバイスをされたほうはたまったものではないだろう。さらに引きこもってしまうだろう。さらに心を閉じてしまうだろう。

たぶんだけど、援助を求めずに飢え死にした無職の人は、そういうことを割と繰り返してきたのではないかと思うのである。「自分は働けない」という動かない認識があるのに、アドバイスをする人は、自分にできる仕事を紹介してくれるわけではなく、ただ単に、説教という石を投げつけてくるわけだから、そりゃ、物別れになって終わる。

しかも、これが、ショーとして成り立っている場合は、たいていの人は(アドバイスをする側に立つので)集団リンチのようになってしまうのである。援助の中身が、ろくでもない説得であるならば、そりゃ、「もう、いい」と思うのが人間だ。生物としての人間だ。社会的な存在としての人間だ。

■ゲームバランスのような仕事バランス

ゲームというのは、難しすぎても簡単すぎてもだめなのだ。工夫をすると前に進めるような状態が一番、いい状態だ。人によって、能力や得意分野がちがうので、同じ仕事に対して、難易度がちがうのである。

仕事の場合も、その人にとって、難しすぎても簡単すぎてもだめなのだ。つまり、工夫をすると前に進めるような仕事でなければならないのだ。工夫をすると前に進める仕事を紹介できるときだけ、ニートや無職にアドバイスをしたらどうかと思う。


2020年6月13日土曜日

俺ができないと言ったらできないんだよぉ!


俺ができないと言ったらできないんだよぉ! 俺ができないと言ったらできないんだよぉ! 「ヘビメタ騒音でできない。ヘビメタ騒音でできなくなった」と言っているだろ!! こいつら、ゆるせない。自分はヘビメタにやられなかったからといって……。ヘビメタ騒音にやられなかった立場で、俺が言っていることを否定するな!!! 俺ができないと言ったら、できないんだよぉ!! くそまるまる。くそ、まるまる。こいつらは、水俣病にかかってできなくなった人に「できないのはおかしい」「そんなのはいいわけだ」と言っているようなものなんだぞ。

そして、自分は水俣病にかかっているわけではない。自分が水俣病にかかってないから、水俣病になったあと、できなくなったということを認めない。自分かかかってないから、自分はできくなってない。だから、そんなのは、認めない。水俣病という要素を無視するか、軽く見るので、水俣病でできなくなったということを、認めない。「水俣病にかかったからできなくなったなんていうのは、いいわけだ」「水俣病にかかったってできる」……そういうふうに決めつけて、そういうふうに言う。

ある人が、水俣病にかかるまえ、まっすぐ、歩けたとする。歩けたんだよ。その人は!! 水俣病にかかって、まっすぐ、歩けなくなった。だから、その人が「水俣病で、まっすぐ歩けなくなった」と言った場合、正しいことを言っている。ヘビメタ騒音もおなじなんだよ。ヘビメタ騒音で、できたことが、できなくなったの!!! かつて、できたことができなくなったんだよ。かつて、普通に!!!!できたことが、どうしてもできくなったんだよ!!! おまえが決めるな。ふざけるな。ふざけるな!! 俺ができないと言ったら、できないんだよ。俺はできたんだよ。長いヘビメタ騒音の影響でどうしてもできなくなったんだよ。他人事だと思って、簡単に言いやがって!!!

「ヘビメタ騒音でできくなることなんてない」とヘビメタ騒音を毎日経験しなかったやつが、平気で言いやがる。ゆるせない。

ほんと、どれだけ!! ほんと、どれだけ。けっきょく、親友とのあらそいの根本が、これだからな。ヘビメタ騒音を毎日経験した人と、ほかの人とでは、「できない」ということに関する 根本的な考え方がちがう。経験してない人は、知らないだけだ。自分の体で経験してないから、ヘビメタ騒音生活が、どれだけ、足を引っ張るかわかってないだけ。どれだけの能力を、つぶしてしまうかわからないだけ。

ヘビメタ騒音生活というのは、ほんとうに、過労死寸前の状態で頑張って生活している状態なんだぞ。過労死寸前の人は、まえ、できていたことが、できなくなる。「できない」と言い出す。実際「できなくなった」からそういうふうに言う。あるいは、「もう限界だから、できない」と言う。


けど、過労死寸前の生活を経験したことがない人が、「できないなんてない」「あまえるな」と言う。俺や過労死寸前の生活をしている人が「できない」と言った場合、それは、「できない」ということを意味しているんだよ。ほんとうに「できない」んだよ。ほんとうにわかってない。そりゃ、やられてないなら、できるよ。けど、毎日、ヘビメタ騒音が続いて、できなくなった。

どうして、否定する!! どうして否定する!!

そりゃ、これを否定されたら、頭にくるだろ。憎しみの感情がしょうじるだろ。「いっしょにいたくない」と思うだろ。こいつらは、こっちができないと言っているのに、それを否定して、喧嘩を売っている。けど、喧嘩を売っているつもりがない。そりゃ、そいつらにとっては「できないなんてことはない」からだ。「ヘビメタ騒音でできなくなった、なんてことは、ない」からだ。頭にくる。頭にくる。頭にくる。

ただ単に自分が経験してないから、わかってないだけのことだろ。威張れることじゃないのに、「できないなんてことはない」とえらそうに!! ただ単に、俺レベルの騒音生活を毎日一四年間経験したことがないから、「普通にできている」だけなんだよ。俺レベルの騒音生活を経験したら「できなくなる」。できないから、「できない」と言っているのに、否定するな。おまえらの考え方はまちがっている。おおいに、まちがっている。前提がわかってない。どれだけの睡眠不足が積み重なるかわかってない。どれだけの疲れが積み重なるかわかってない。わかってないだけ。「できなくなった」んだよ。できたんだよ!!普通にできたの!! 別に甘えているわけじゃないんだよ。それどころか、甘えたことを言わずに、自殺寸前の生活に、十何年も耐えてきたの!!毎日!!毎日!!こいつら、ふざけやがって。 こいつら、ふざけやがって。頭にくるにきまっているだろ。けど、こいつらの頭だと、俺が、頭にくる理由というのがわからないんだよな。こいつらは、俺を侮辱していることに気がついてない。しかも、「できないと言っているだろ」とこっちが言えば、そいつらだって、腹を立てる。どうしてかというと、そいつらにとって当たり前のことを言っているに、俺が腹を立てて「できないと言っているだ」というから腹を立てるのだ。いや、それ以前に、俺のできない状態に腹を立てている。ほんとうに、頭にくるやつらだ。「ヘビメタでできない」と言っているだろ。できたんだよ。できたの。ヘビメタでできなくなった。否定するな! こいつらは、否定しているとき、頭にきているのか? まあ、(こいつらの態度は)友好な関係を築こうとする態度じゃないよな。こいつらは、俺が「できないと言っているだろ」と言ったとき、ちょっとは腹を立てているんだよな。こいつらは、「できないなんてことはない」と腹を立て、「あまえるな」と腹を立てる。ほんとうに腹立たしいやつらだな。


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夢の中で、俺が、ものすごくいきいきと、仕事をしていた。交渉なんかも嫌いじゃない。けど、現実の俺は疲れ果てている。なので、仕事は、夢の中で俺に頼んでくれ。夢の中の俺はきっと、ガンガン仕事をしてくれることだろう。

夢の中の俺はヘビメタ騒音にやられてない場合の俺だ。

+++++++++++

ほんとうにこういうことで、親友や友達がへっていくんだよな。俺における「ヘビメタ騒音」という要素が、水俣病患者における「有機水銀」という要素とおなじだということがわかってない。経験を通して、わかってない。自分の体で分かってない。俺が、数千日にわたって、どれだけ我慢してがんばってきたか、……あわせて生活をしてきた……わかってない。俺が言うのは、よっぽどの場合なんだよ。俺が「できない」と言う場合は、よっぽどの場合なの。限界なんだよ。否定するな! 否定するな!! 否定したやつは、ゆるせない。ゆるせない。

どうしたって、そういう感情がうまれるんだよな。きちがいが夢中になって、こっちの言っていることを無視して、きちがいヘビメタ騒音をものすごい音で鳴らし続けると、俺とほかの人とのあいだで、そういうあらそいが生まれる。で、鳴らしているやつはそんなのは、知らないのだ。どれだけ言ったってわからない。そんなのわかるわけないだろ。自分の出している音が、でかい音だということすら認めない。きちがいだから認めない。でかい音で鳴らしたいなら、でかい音で鳴らしてたって、普通の音で鳴らしていると、悪気なく、ほんとうに認識してしまうのが、きちがいだ。そりゃ、別に、意識してやっていることじゃないからな。ほんとうはでかい音で鳴らしているということを認識しているのに、でかい音で鳴らしたいから、わざとしらばっくれて、認めないで鳴らすという場合とは、ちがうんだよ。きちがいだからこそ、無意識的にそういうことができる。本人の意識としては、ほんとうに「普通の音」で鳴らしているつもりなのである。頭がおかしいから、そういう、自分をだますようなことを、意識せずに、平気でできる。これが、「あたまのくせ」なら、こういう「あたまのくせ」を持っている人は、そうしていいということなのか? という問題がある。「あたまのくせ」という言い形で中和するな。やられているやつが、やられっぱなしの世界ができてしまうだろ。やっているやつには、人権があるのに、やられているやつには人権がないのか? これは、そういう問題なんだぞ。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。