2020年12月31日木曜日

兄貴は、ぜんぶやりきるけど、ぜんぜんわかってないんだよね

 あーーああああ、ヘビメタでくるしい。きちがい兄貴は、ぜんぶやりきるけど、ぜんぜんわかってないんだよね。はんだごて事件のときのおやじとおなじなんだよね。自分がやっていることで、相手がこまっているということは、認知しない。「自分」が文句を言われたということでおこっておこって、おしまい。自分が認めたくないことは、発狂して認めない。認めなかったら、ないのとおなじなんだよ。どれだけやったって、やってないのとおなじなんだよ。だから、本人は、まるでやってないつもりでいられる。もちろん、ぜんぶの時間やりきる。全部の時間(自分はやりきる)という成果は、怒り狂って、手に入れている。あとは、ほんとうに「なにもやってない」ときとおなじなんだよ。相手が言ってきたということもわすれてしまう。なにも言われなかったという前提、認知でやりきる。だから、相手に対して申し訳がないという気持ちが生じない。相手がいやがっていることをやったという気持ちがなぃ。自分意地をお通して、自分の気持ちを優先して、なにがなんだろうが、自分がやりたいようにやりきったのに、「やりきった」という気持ちがない。まったくなにもしてないつもりのままなのである。まったくなにもしないつもりで、やりきる。やり続ける。一晩寝れば、一切合切残ってない状態になる。まあ、やり終えた時点で、おぼえてないのだし、言われたとたんに、おぼえてないのだけど……。そして、きちがい兄貴は、「たとえば」はんだごて事件で、そういう態度は腹が立つということを経験的に知っているのに、自分がやる番になったら、おやじのまねをする。まったくおやじとおなじ態度になる。まったくおやじとおなじ行動をする。まったくおやじとおなじ認知になってしまう。最初から関係が切れているのだけど、相手が「やめてくれ」としつこくしつこく言ってきたときですら、まったく残ってないんだよ。切れていて、「やってないこと」になっている。「言われなかった」ことになっている。だから、相手がそのことで自分を恨んでいるとかそういうことが、まったくわかってない。わかってないとどうなるかというと「おまえが言うか!!!!」ということを、言いやがるんだよ。これも、おやじと兄貴でおなじだから。「どの口でそういうことを言っているのか」と(相手が)思うようなことを言う。で、ここがきちがいなんだけど、言ったあとですら、相手が(何万回も)やめてくれと言ったことをやって、平気なんだよ。

2020年12月30日水曜日

制御できる部分はあるように思える。しかし、それは部分で、すべてではない

 思ったことを書いちゃうけど、つまらないーー。ほんとう、つまらない。

ぼくはもう、普通の人じゃないから、普通の楽しみはない。ほんとうに、つかれた。おやじ騒動とネズミ騒動で最後の力がなくなった感じがする。そりゃ、なるべく楽しく感じでくらしたいけど、そういう気持ちは、制御できるものじゃない。これに関しても、「制御できる」と言い張る人たちがいる。その人たちは、今現在、中立的な立場にいるのである。だから「制御できる」と感じることができる。思い上がり、傲慢だと思うけど、今現在、中立的な立場にいる以上、ぼくが言っていることはわからないだろう。赤ちゃんに、老人が、老人の苦しさについて説明しても、わからないでしょ。赤ちゃんはわからない。そんなものさ。

中立的な人は、傲慢で無垢なので、俺の言っていることがわからない。それはそれでいい。けど、「正しさ」に関しては、ゆずれない。書き換えらる感情もあるけど書き換えられない感情もある。ようするに、制御できるような流れもあるけど、制御できない流れもある。だいたい、本人が、意識的に思っている「感情」が感情なのだから、たしかに、制御できる部分はあるように思える。しかし、それは部分で、すべてではない。すべての感情が制御できるかというと、ちがう。

 

 

2020年12月29日火曜日

きちがい兄貴が、きちがいおやじの顔つきで、二階にあがって行っちゃう。

 あのときの、あれ、ない。きちがい兄貴が、きちがいおやじの顔つきで、二階にあがって行っちゃう。あのときの、あれ、ない。俺が、試験前に「試験だからやめてくれ」とさんざん言っているのに、おやじの顔つきになって、二階にあがって、やっちゃうんだよな。きちがい兄貴が鳴らすとなったら、本人がヘビメタ軟調になるほど、でかい音で鳴らすんだよ。本人が、最大限「譲ってやったつもりの音」も同じ。だから、ほんとうは、静かになってないのだけど、きちがいおやじの譲歩とおなじで、本人が「ゆずってやった」と思ったら、どんだけ、ドケチぶりを発揮する、まったく意味がない「譲歩」でも、「ゆずってやった」「ゆずってやった」と思ってしまうわけ。そのきちがい兄貴が「ゆずってやった」「ゆずってやった」と思っている日だって、十二時間鳴らせるなら、十二時間、絶対の意地で鳴らするんだよ。きちがい兄貴が好きで鳴らしている音なのだから、下げることができないということはない。けど、きちがいのなかでは、下げることができないことなのだ。下げたら、死んでしまうというような意地で下げない。下げると言っても、〇・一デシベルだけ下げてやるということになる。九十デシベルで鳴らしているのであれば、八十九・九デシベルにしかならない。八十九・九デシベルは、爆音だ。壁のすぐ後ろに、きちがい兄貴のスピーカーがある。壁の表面がスピーカーの表面みたいにばしばし振動して鳴っているような状態だ。壁の表面って、俺の部屋を構成している壁の表面ね。

 

2020年12月28日月曜日

「やったってやってない」が常に成り立っている

 ヘビメタ騒音でつらい。

あの女の子となかよくしたかった。

ほんとうに、きちがい兄貴の脳みそのことがほかの人にはわからない。ほかの人にはきちがい兄貴の態度がわからない。きちがい兄貴も自覚してないけど、ほんとうにきちがいおやじとおなじ。「やったってやってない」が常に成り立っている。ほんとうは、こだわりつくして、絶対の意地で「でかい音で鳴らしている」のに「でかい音で鳴らしている」というつもりがなまったくない。認知・認識がまったくない。自覚がない。で、そういうふうに、きちがい兄貴がやりたいだけやってしまう「空間」が一度成り立つと、生活全部が、だめになる。あっちから、好みの女の子が告白してきたって、ヘビメタノイズでダメなんだよ。なんか、ヘビメタで中身がボロボロなのがばれて、相手が去って行ってしまうような感じがする。夕方だって、暗くなったばかりの夜だって、深夜だって、ヘビメタでダメなんだよ。「ヘビメタでダメだ」というのが、ほかの人には、わからない。これも、絶対わからないというレベルでわからないんだよな。そういうものだということは、ダイヤの反応でわかる。あれだけ、自分のことのように心配してくれたのに……。ほんとうに、ずっと俺と同じ部屋でくらしている人じゃないとわからない。そういう人がいなかったわけだから、俺以外のすべての人類が、ぼくの事情についてはわからないということになる。ほんとうに、やられたわけじゃないからさ。想像で補うしかないわけだから。そして、想像で補う場合は、事実とはまったくちがってしまうのである。

 

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いろいろな人から誤解を受けてきた。こんな人生ない。出版社社長のまるまるさんだって……。ヘビメタ騒音について誤解をしている。あとは、おなじことなんだけど、「自己紹介」ができなかった。自分はなになにだと言えない人間はあんまり信用されない。だから、ヘビメタ騒音で通勤・通学ができなくなったと言っているだろ。これ、兄貴の態度全般がわかってない人には、わからないことなんだよな。「そんなに影響を与えることであるはずがない」みたいな感じ方がある。 「騒音なんてものがそんなに影響を……」「家族の騒音なんてものが……」という考え方がある。「そんなの、静かにしてって言えばいいでしょ」というノリがある。軽い問題だと思ってしまうんだよな。そんなものじゃないのに。

ヘビメタ騒音歴九年目からなにもかもが、うまくいかないよ。「なにもかも」というのは、ヘビメタをやられてない人から見れば、イ・ラショナルなんだけど、俺のこころのなかでは、かならずしも、イ・ラショナルとは言えない。ほんとうに「なにもかも」と言いたくなるほど、広範な範囲が「おかされる」。そりゃ、やられたら、やられた体で生きているわけだから、「やられた」ということの影響下にある。その場合、やられたということの影響下にある時間がすぎていくわけだから、「なにもかも」と言いたくなる。「うまくいったこと」というのは、純粋に「うまくいったこと」ではなくて、「だめになったなかでうまくいったこと」なんだよ。それは、うまくいったことなのかというと、だめになったことなんじゃないかということだ。ともかく、他人が考えているよりも、範囲が広大だ。細かいことも、案外影響を受けている。そういうやりとりや結果が生じてしまうことに、影響を与えている。きちがい兄貴が何年間も毎日、きちがいヘビメタを鳴らしたということが、そういうやりとりや結果が生じてしまうことに、影響を与えている。

けど、たとえば、「いきているじゃないか」というようなことを「うまくいったこと」としてカウントするなら、たしかに、「なにもかも」「うまくいかなかった」というのは、イ・ラショナルな思考になる。しかし、しかし、しかし……ほんとうにそうなのだろうか?

いまですら、悪い影響を与えているというのは、事実だ。それは、「すべてがうまくいなかったわけじゃない。実際、俺は生きている」ということでは、くつがえすことができないことだ。じゃあ、言い方をかえよう。きちがい兄貴が、こだわりつくしてヘビメタ騒音を鳴らしたということが、俺の人生において生じた細かいことにまで影響を与えている。細部まで、ヘビメタ騒音の影響を受けている。 なにもかも、という言い方は、たしかに、誤解がしょうじる。すべてに影響を与えたというべきか。だって、それ以降のすべてに影響を与えている。体が影響を受けている。そして、影響を受けた履歴が出来上がる。影響を受けた履歴は影響を受けない履歴なのか? 影響を受けた履歴でしょ。

 たとえば、相手がヘビメタ騒音の影響を軽視した場合、あるいは、無視した場合、相手に対してなんらかの感情が生じるんだよ。そうなると、その感情にしたがった、行為が誘発される。無意識的にしろ、意識的にしろ。無意識的なことに関しては、ぼくは、この場合……感知しない。だって、本人の無意識的なことなんて、わかるわけがないだろ。けど、影響を受けているのではないかというような予想はつく。

まあ、たしかに、「成功したこと」はある。しかし、それがまた、次のいやなことを生み出すのである。その場合、次のいやなことは、ヘビメタ騒音の影響をまったく受けてないことかというとそうじゃないのである。「成功したこと」は、じつは、ヘビメタ騒音が生じたから、「あなうめ」的に必要になったことなのである。めんどうなことなのである。ある時点で失敗したので、その失敗を「うめる」ためにやったことで、失敗の穴をうめたところで、失敗のほうにものごとが動いていることにはかわりがない。

ともかく、鳴りやまなかったので、くるしい。最初の日、鳴りやまなければならなかった。最初の日鳴りやんでくれたら、失敗の穴埋めをする必要もないんだよ。成功しているから。

2020年12月26日土曜日

自分の体験をもとに考えるしかないことというのが……人間という生物にはある


そりゃ、本人だって、「そういうこと」がなくて、いろいろなことができる自分のほうがよいのである。けど、できなくなってしまった。これは、努力しないからできないというのとはちがう。ちがう……。しかし、わかってないんだよな。どれだけ、努力して「できない状態」になったのかわかってない。けど、実際に「そういうこと」を体験してない人は、体験してないわけだから、頭で「そういうこと」があったんだなと思っても、実際のところは、わからないという状態のままだ。そうなると、他人事でもあるし、「努力しなかった」場合と「努力したからこそできない状態になった」場合のちがいが、わからない。区別がつかない。どっちにしろ、「できない状態」なのだから「できるようにすればいいじゃないか」と思うようになる。できるようにするには、やる気を出して努力すればいいということになってしまう……その人のなかでは、そういうことでしかないのである。経験したことがないから……。
自分の体験をもとに考えるしかないことというのが……人間という生物にはある。だから、わからない人はわからない。わからない人が、助言をする場合、「そういうこと」が実際にあったということと、「そういうことが実際にあったということが、及ぼしている影響」を無視することになる。「そんなの過去の影響なんてない」という前提で、ものを言う。けど、これは、正しいのだろうか?
 

2020年12月23日水曜日

自己責任論について


もう、これは、前に書いたので、単純にまとめておくだけにする。
自己責任論には三種類の自己責任論がある。

ひとつ目は、自己責任の範囲を自分自身に限定したものだ。『すべては自己責任』と言っている場合は、もちろん、どんなことであれ、自分の身に生じたことは、自分の責任だということになる。
これを、(1)対象を自分に限った自己責任ということにしよう。

ふたつ目は、自己責任の範囲を、他者に限定したものだ。『すべて自己責任』と言っている場合は、もちろん、どんなことであれ、その他者の責任だというとになる。その他者の自己責任なのである。
これを、(2)他者に限った自己責任論ということにしよう。

みっつ目は、自己責任の範囲を、自分と他者の両方に拡張したものだ。しかし、これは、(2)の自己責任論者が言い逃れのために用意しているような自己責任論なので、実質的には、(2)の自己責任論とおなじだ。なので、基本的には(1)と(2)の違いについて説明することにする。

(1)の自己責任論者の自己責任は、いちおう、すじが通っている。通りすぎていると言っても過言ではない。

 

もしかりに、AさんとBさんがいたとする。Aさんが(1)の自己責任論者だとする。Bさんは、いろいろなことに不満を抱えている人だとする。

ある日、Aさんが、自分の会社に行くためにいつも通る道を通っていたとする。そのとき、Bさんがナイフを持ってAさんに切りかかったとする。このような場合、普通は、Bさんの行為によって、Aさんが傷ついたと解釈するだろう。

けど、Aさんはちがう。Aさんは、Bさんの責任を追及せず、自分の責任だと思うのである。これが、本来の意味での「自己責任」だ。その時間にその通りを歩いていた自分に責任がある。Bさんの行動に気がつかずに、刺されてしまった自分に責任がある……とAさんは考えるのだ。

自分の身に生じたことは、すべて、自己責任なので、自己責任論者のAさんはそのように考えるのである。

(2)の自己責任論者の自己責任は、すじが通ってない。

かりに、(2)の自己責任論者をCさんとする。その場合、Cさんは、刺したほうのBさんの責任は追及せず、刺されたAさんの責任を追及するのである。

Cさんは、まったく自分に関係がない、Aさんの責任を追及する。この感覚はかなりおかしいと私は思うが、いまでは、(2)の自己責任論がまかり通っているので、Cさんの「もののみかた」はおかしくないと思う人が多数いると思われる。

ちょっと話をかえて、CさんがBさんに刺されたとする。この場合、Cさんは、自分がBさんに刺されたのは自己責任だと思うことができるだろうか?

おそらく、Cさんは、自分を刺したBさんの責任を追及するのではないだろうか。

まあ、それは、実際にCさんが刺されてみないとわからないけど、まったく無関係なAさんの責任を追及するという態度から考えて、自分に被害を及ぼしたBさんの責任を追及しないとは考えにくい。

自分になんの被害も及ぼしてないAさんの責任を追及する人が、自分に被害を及ぼすことになったBさんの責任を追及しないというのは、なにか不自然だと思われるのである。

まあ、刺されたとたんに、「このやろう、ふざけんなぁ」と思うだろう……Cさんは。Cさんはそういう「性格」なので、刺されたとき「すべては、自己責任だ」と思わないと思う。

Cさんは、Aさんの責任を追及しているという意味で、過剰に人のせいにしがちな人なのである。Cさんは、他人をせめやすい人なのである。
Aさんに対して自己責任だと言うのは、ある種、いじめの延長なのではないかと思う。Cさんは、自己責任論というかくれみのにかくれて、Aさんを攻撃してやりたいのである。Cさんは、自分では気がつかないかもしれないけど、人をいじめてよろこぶような性格傾向があると思っていい。

もし、Cさんが会社にいるなら、上の者にはごまをすって、下の者には圧力をかける性格だろうと思う。ようするに、強いものにはへつらい、弱いものには、威張る性格なのではないかと思う。

Cさんは、(1)のタイプの自己責任論者とは違って、人をせめることに快感を感じるタイプだと思う。Cさんのような人は他人にケチをつけがちだと思う。そういう性格傾向が、実際には自分に関係がないAさんをせめるということに、あらわれている。

実際には自分に関係がないAさんをせめるのは、「弱っている人がいたら」攻撃してやろうと思っている性格のあらわれだ。「弱っている人がいたら」攻撃してやろうと思っている人が、本来の意味での自己責任論者のように謙虚な人だとは思えない。

「すべては自己責任」という言葉が同じでも、その言葉が向けられる対象が、自分なのか? 他人なのか? で言っていること全体が真逆になってしまうのである。

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2020年12月22日火曜日

けど、ちがうんだよな。まったくちがう。ちがいすぎて、言いようがない。ちがうということだって、やられてない人は、わからないだろう。

 ヘビメタ騒音で人生がない。鳴ってた。鳴ってたんだよな。ものすごい音で鳴ってたの!!

あー、いま、午後三時だけど、午後三時はヘビメタ騒音の雰囲気がある。もう、十二月二十二日だから、「早帰り」だったら、鳴っている。この雰囲気は、ヘビメタ騒音の雰囲気だ。

みんな、どれだけひどい音で鳴っていたか、わかってない。佐藤とかユキオとかぜんぜんわかってない。あとは、そのひどい音でどれだけ生活が乱れるかわかってない。あとは、そのひどい音で、どれだけ、人間関係にひびが入るかわかってない。あとは、そのひどい音で、どれだけ勉強ができなくなるかわかってない。ほんとうに、きちがいヘビメタが鳴ってない状態で、まったく勉強をしないのよりも、ずっとマイナスなんだよ。これがわかってない。そして、そういうことが学生時代積み重なれば、どういうことになるか、わかってない。佐藤とかユキオとか、俺を学歴でバカにしたつもりはないのだろうけど、認知そのものとしてバカにしている。ほんとう、きちがいヘビメタなしで、俺が大学の教授だったら、あんな態度はとらない。あたりまえだ」と思うかもしれないけど、ヘビメタ騒音がなければ、ありえた現実だ。 佐藤とかユキオとか、俺を職歴でバカにしたつもりはあるのだろうけど、学歴のほうはないつもりだろう。けど、そうなんだよ。学生時代ずっと、勉強することができない……ということが、どれだけ、人の評価に影響を与えるかわからない。人の人生全体に影響を与えるかわからない。これは、無職になってからはじまったことではなくて、もう、小学生のときからはじまっている。これがわからないんだよな。学生なのに、家で勉強することができないということが、どれだけ影響を与えるかわかってない。佐藤やユキオたちは、「どれだけヘビメタが鳴ってたって、勉強ぐらいできるだろ」と思っている。経験したことがないからわからない。だいたい、勉強することができないというだけではなくて、ほんとうに、マイナスなのである。これもわからないだろうな。どういう体の状態になるか、ほんとうにそういう一日を経験したことがないからわからない。それが、五〇〇〇日続いたらどういうことになるのか、まったくわかってない。そんな、「鳴り終わったら関係がない」なんて言えるようなものじゃないのである。一日のなかで、どれだけ、ヘビメタ騒音で体力を消費するかわかってない。あの、苦痛はない。あの疲れ方はない。ほんとうにまったく経験したことがないから、どういう状態になるのかわかってない。そういうやつらが、勝手にヘビメタ騒音の影響を無視して、頭がおかしいことじゃなくて……もっともらしいことを言いやがる。説教しやがる。きちがいヘビメタにやられて、ズタボロになったので、説教されるポジションに落ちてしまったのである。僕の日常というのは、死に物狂いの日常なんだぞ。ヘビメタ騒音にやられながらも、死に物狂いで頑張ってきた日常なんだぞ。おまえ、ほんとうに、どれだけ!! ダイヤも、くそ。みんな、くそ。きちがいヘビメタ影響を無視するやつらは、みんなくそ!!!

俺は死に物狂いで、やっきたんだよ。俺がもうできないと言ったら、できないんだよ!!

くそ、こいつら! 自分はやられてないと思って、やられてない状態で、あほなことを言ってくる。無理なことを言ってくる。ヘビメタの影響を無視すれば、そりゃ、「むりじゃないことに」見えるだろう。けど、むりなんだよ!!!  本来こだわる必要がないことにこだわっているということではないんだよ。これも、認知療法家のくそ思想。まちがった考え方。ゆがみきった認知・認識。こういう妄想で、人を判断するな!!!

限界を乗り越えて常に頑張ってきた俺に、おまえらは、なにを言ったのか? 俺が生きているだけでも、奇跡なんだぞ。俺が、小学校、中学校、高校に通いきったことだけでも奇跡なんだぞ。おまえらだったら、小学生の時点で、挫折して、引きこもりになっている。引きこもりになったっとしても、きちがい兄貴は、まったく容赦なく、鳴らし続けるからな!! で、きちがい兄貴が学校に行っている間は、鳴ってないから、その時間に勉強ができると思うだろ!! ところが、それは、うまくいかない。 俺もやってみないとわからなかったけど、できない。まあ、俺が実際にそれをしたのは、すでに八年間以上、ヘビメタを毎日やられたあとなんだけど……。6か月やられた状態で、不登校になり、家で勉強するようにしたとしても、むだだ。これ、考えたんだよな。経験がなかった場合の俺も、ほかの人も、まったくわかってない。想像で、「ヘビメタ騒音」を考えて、想像で「ヘビメタ騒音の影響」を考えるわけだ。けど、「ヘビメタ騒音の影響」に関しては、経験してなければ、どれだけ考えたってわからない。ほんとうに、想像するのと実際にやられるのとでは、おおちがい。ぜんぜんちがう。まったくの別物。だから、そういうことでも、俺が「やられてない人」から、普通に!!誤解を受ける。やられてない人から、普通に誤解される。それでまた、日本という「いれもの」が、すべて、たたるようにできている。ヘビメタ騒音にたたられたやつに、たたるようにできている。これが、ものすごい、相乗効果がある。佐藤やユキオの反応だって、「日本といういれもの」の一部なんだよ。主婦の反応だって、社長の反応だって、「日本といういれもの」の一部なんだよ。実際に気ちがいヘビメタ騒音にやられた人の日常感覚は、実際にはきちがいヘビメタ騒音にやられたなかった人には、死んでもわからない。基本的に、過小評価したり、無視する。ないものとして、あつかってしまう。それは、やられてない人の感覚として当然だ。そして、やられてない以上わからないのだから……俺がどれだけ、言語で説明しても……やられてない以上わからないのだから……そういう感覚が続く。俺の話を聞いた後も、そういう感覚が続く。だから、佐藤やユキオみたいに、俺を、なめてかかってくる。説教をしはじめる。ダイヤもおなじなんだよな。

「もうできない」と言っているだろ。

きちがい兄貴は、俺とダイヤの仲を裂こうとしてヘビメタを鳴らしていたわけではない。けど、ごく自然に、そうなる。そういうふうに、なる。時間の経過とともに、そういう出来事が発生してしまう。そりゃ、ヘビメタ騒音がはじまってから、一年目と、ヘビメタ騒音がはじまってから10年目の、ダイヤの態度はちがう。こっちの状態だってちがうのだけど……。ちがうんだよ。1年目と10年目では、こっちの体の状態がちがう。よその人……経験してない人には、わからない。10年目にアパートを借りて、ヘビメタ騒音にさらされる時間がすくなくなれば、「過去の話だ」と思ってしまう。ヘビメタ騒音の影響がなくなったのだから、ヘビメタ騒音の影響はないのだろうと思ってしまう。 言い換えると、ヘビメタ騒音の時間が短くなったのだから、そのぶんだけ、負担が軽くなったはずだと考えてしまう。けど、ちがうんだよな。まったくちがう。ちがいすぎて、言いようがない。ちがうということだって、やられてない人は、わからないだろう。納得しないだろう。けど、ちがうんだよ。


もう、まるまるまる。俺が、どれだけ説明したって、やられてないひとにわからないのだから、説明したってむだだということになる。全部、むだ。

ヘビメタ騒音つかれというのは、ほかのつかれとちがう。まったくちがう。これも、ぼく以外の人はわからないわけだろ。どれだけのハンディになるか。ほんとうに、俺以外の人間が敵になる。きちがい兄貴はそれを目指したわけではないけど、あの態度でやればそうなる。きちがい兄貴の態度は、普通の人には、理解できない。想定外の態度だ。しかも、きちがいおやじとおなじで、本人が一番わかってない。きちがい的な意地でやる人間が、きちがい的な意地で否定する。きちがい的なこだわりやる人間が、まったくこだわってないような認知でいる。

2020年12月20日日曜日

いじめられて、引きこもりになり、結果的に、生活保護をもらうようになった人は、なにも悪いことをしてない


たとえば、いじめられて、引きこもりになり、働けなくなった人がいたとする。この場合、いじめた人間が悪い。しかし、いじめた人間が責任を取らないのであれば、いじめた人間が責任を取らないことを放置した社会が悪い。なので、社会が、責任を取るべきだ。
なので、いじめられて、引きこもりになり、結果的に、生活保護をもらうようになった人は、なにも悪いことをしてない。生活保護を請求して、当然。社会は、生活保護費を負担して当然。

いじめられて、引きこもりになり、生活保護を受け取るようになった人のことを悪く言う人たちがいるけど、こういう人たちのほうが、悪い。なぜなら、彼らは、いじめられたほうの責任を追及して、いじめたほうの責任を追及しないからだ。これは、不当に被害者の責任を追及していることになる。なので、そういう悪いことを言う人たちのことはまったく気しないで、生活保護を受けるということが正しい。

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いじめの程度はじつは問題だ。だから、ほんとうは、いじめられた人が、生活保護を請求するのは、当然だというのは、場合による。しかし、もし、いじめと言われているものが、犯罪なのであれば、当然、犯罪を放置した社会に責任がある。なので、そういう場合は、社会が責任をとって、生活保護を支給するべき。 

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まあ、生きていればいいというものでもないけど、社会に対する責任追及をして、生きようとするのは、少なくても間違いじゃない。なので、いじめられて、結果的に引きこもりになり、引きこもりになった結果、たいへん働きにくい状態になった人は、生活保護を請求するべきである。

いじめられた人の自己責任だと、いじめられた人を悪く言っている人は、自分が悪いことをしているということに気がついてない。しかし、責任がない人に対して、責任を追及するのは間違っている。なので、いじめられたことがきっかけになって、生活ができなくなった人は、自己責任論者の言うことを、気にするべきではない。

だいたい、こういう自己責任論者は、たいていの場合「自分の問題と他人の問題を切り分けるべきだ」と考えるようなアドラー心理学に親和的だ。なので、自分の問題と他人の問題を切り分けて、自己責任論者が言うことを無視するのが正しい態度だ。

言い換える必要があるか? ともかく、自己責任論者は、過剰に、被害者の責任を追及している。なので、被害者は、自己責任論者の言うことを、気にする必要がない。自己責任論者は、自分に関係がないことに口出しをしているにすぎない。

ぼくも、自分に関係がないことに口出しをしているけど、それは、ぼくが自己責任論者ではないからである。ぼくの場合は、矛盾がない。

しかし、もし、自己責任論者が、普段は、他人の問題と自分の問題を切り分けているのであれば、自己責任論者は、矛盾した行動をしていることになるので、そういう行動をつつしむべきである。

だいたい、すべては自分の責任であるという意味で、自己責任論を語っている人なのであれば、生活保護という制度を維持している社会に住んでいるのは、(その人の)自己責任なのである。

さらに、自己責任という理論を展開するのであれば、違法な生活保護受給者がいるということに関しても、「その人の責任」なのである。「その人の責任」というのは、この場合、「その自己責任論者の責任」だということだ。「すべては自己責任」なのだから、違法な生活保護受給者がいる社会に住んでいるということに関しても、「すべてが、自己責任」だと言っている人の責任だ。

もし、不正受給者がいることで、本人(自己責任論者)がなんらかの被害をこうむるというのであれば、それも、本人(自己責任論者)の責任である。他人がなにかをすることによって、本人が「損」をするにしても、それは、本人(自己責任論者)の責任だ。なぜなら、「すべては自分の責任」だからだ。他人がやることによって、自分が損をしたとしても、それは、自分の責任なのである。

もし、そうでなければ、すべては自己責任という意味での自己責任論が成り立たないことになる。もちろん、本人の範囲においてはという条件がつく。この場合の「本人」というのは、その自己責任論者のことを意味している。

 


2020年12月19日土曜日

すべて、おかしい。 すべて、まちがっている。

 すべて、おかしい。

すべて、まちがっている。 



この、もやもや、どうすんだよ。

もやもや~~もやもや~~~

さっき、買い物に行ってきた。いろいろと買ってきた。

しかし、ぼくのこころは晴れない。晴れないのだぁ。

もっと、気楽にいろいろとできればいいのに、めちゃくちゃに、「きおも」なんだよ。そして、あのシーンがちらつく。あんなの、ない。あんなの、ない。どうして、俺が、きちがい兄貴にやられて、誤解をされ続けなければならないのか? もう、きちがいおやじだけでめいいっぱいなのに、きちがい兄貴が、つみかさなる。ほかの人は、きちがい兄貴やきちがいおやじの「性格」がわかってないけど、それだけじゃないんだよ。わかってないのは……。実際に、ヘビメタ騒音が続いた場合、どういうことになるのか、まったくわかってない。俺が、教師とか教授とか、人に説明できる職業についていたら……あの当時ということだけど……ぜんぜんちがうんだよな。ほかの人は、必然性がわからない。働けなくなるという必然性がわからない。眠れなくなるという必然性がわからない。勉強ができなくなるという必然性がわからない。これが、……俺は小学生のとき、ほんとうに勉強してなかったわけ。けど、理科では100点をとれていたわけ。けど、きちがいヘビメタで「本を読む」こともできなくなって、それが終わった。ほんとうに、勉強も、本も、ヘビメタ騒音なんだよ。ヘビメタ騒音で、勉強ができなくなるし、本も読めなくなる。勉強をしなくても成績がいい人というのは、本を読んでいる。まあ、いまは、動画である場合もあるけど……。貧乏で、おやじの性格がああいう性格なのであれば、学歴であがっていくしかなかった。けど、きちがい兄貴が、どの細かい時間も、きちがいヘビメタをバカでかい音で鳴らしていた。これが、ほんとうにおやじとおなじで、全自動なんだよな。ぜーーったいに、殺さないとやめさせることができない。全自動でやったことは……きちがい的な意地で、どれだけ反対されても、全自動でやったことは……全自動でやったことになってないのである。やっているそばから、やっているつもりがなくなる。あるいは、最初からない。こういう態度がわからない……。ほんとうに、静かしてくれてないのに……静かにしてやったつもりがたっぷりあるという態度……。こういう態度が、どれだけむかつく態度かほかの人はわかってない。「騒音が鳴ってた」と言えば「騒音が鳴っていたんだな」ということはわかるけど、実際に、俺の部屋でくらしてないから、それが、学校生活にどういう影響を与えるか、自分の経験を通してわかってない。どういう、からだになるか、ぜんぜんわかってない。だから、「昔のことは関係がない」とか「どれだけ鳴ってたって、宿題ぐらいできる」といいやがる。ほんとうに、俺がどれだけ、ほかの人から「やられて」きたか? こんな不公平、ない。あいつらも、俺と同じように、自分がきらいな音が、ものすごい音で鳴っている生活をするべきだ。それで、俺よりも、勉強ができるなら、尊敬する。けど、俺の部屋に住んでないわけだから……。きちがいヘビメタ騒音と言っているけど、もちろん、ヘビメタが好きな人にとっては騒音じゃない……。自分のヘビメタとほかの人のヘビメタのちがいはあるかもしれないけど……。けど、ヘビメタが好きな人だって苦手な音があるはずだ。苦手なリズムがあるはずだ。それが鳴っていると……でかい音で鳴っていると……どうしても、腹が立つという音があるはずだ。そういう音が、あのでかい音でずっと、鳴時間も何時間も鳴っていて、生活がめちゃくちゃにならないなんてことはないんだよ。人から誤解を受けないですむということもないんだよ。遅刻をしただけで、どれだけ、文句を言われるか? まあ、班の連帯責任だったからな……。



墓の赤い文字

 実は、俺は、もうすでに、墓に名前がきざまれている。これが、いやだったんだよな。おやじの葬式を済ませたあと、霊園に行くわけだけど、そこで、自分の名前を見てしまった。もちろん、名前には赤い顔料?が塗られていて、赤い名前になっている。この赤い名前が、きもちわるくてさぁ。おやじとお母さんの墓のところに行ったときに、「こんなのは絶対に嫌だ」と言ったんだよ。おやじと行動するのは、基本的に嫌なことなんだけど、お母さんのことであれば、一緒に行動するしかないときは、一緒に行動した。お母さんの骨が入っているのは、共同墓というやつで、何十人かが一緒の墓に入っている。これは、まあ、ツボを保管するような部屋と名前が書いてある石のプレートが一体化したものだ。部屋と書いたけど、ツボがおいてある棚があるだけで、もちろん、他のスペースはない。ただ、中に入って歩けるので部屋と書いておいた。納骨スペースとは反対側に、花やお菓子などをおく石がある。まあ、それが、墓石だ。そして、収納スペースの後ろ側に石のプレートがついてる。後ろ側というのは、また、後ろ側の壁ということだ。外壁の部分に、石のプレートがついていて、そこに、名前がきざまれているのである。

で、 お母さんのことでは、おやじと行動をもとにするしかないと思っていた俺は、おやじとお母さんの墓に行ったことが、何回かある。そのとき、墓のプレートに赤い字で「書いて」ある名前があったので、「これは、なんだろう」ということを親父に言ったことがある。で、おやじは、「この人たちはまだ生きている人たちで、書いておいて、死んだら、赤い部分をとるのだ」ということを言った。で、「俺はそんなのは絶対に嫌だな」と俺は言った。俺は、はっきりと言ったんだよ。だから、知らないわけじゃないのである。その時はまだ、脳こうそくで倒れる前で、頭もしっかりしていた。おやじの頭はおかしいけど、まだ、脳こうそくによる障害はなかった。認知症もその時点ではなかった。ちゃんと、子供が言ったことを理解できるはずなのである。日本が理解できるのだから、ちゃんと、子供が「赤い字は気持ちが悪い」「こういうのは絶対に嫌だ」と言ったということは、わかるはずなのだ。俺の発言に対して、おやじが「自分は気にならない」ということを言っていたわけだから、通じているはずなのだ。で、何回もこのことは、話したのである。だから、頭が正常なのであれば、こども(エイリ)が『赤い字は気持ちが悪い』『俺は絶対にいやだ』と言ったことが、記憶に残るはずなのである。

(つづく)

2020年12月17日木曜日

ヘビメタ騒音と「跳ね返さなければ(ならない)という緊張」の綱引きで出来上がったもの

 ぼくは、ほかの人たちとはちがう状態になっている。そりゃ、楽しめない。ちがうんだよな。経験してきたことがちがう。家族がちがう。こんど、うまれかわったら、きちがい兄貴ときちがいおやじがいない人生を歩むんだ。

 もう、今回はだめだろう。ヘビメタ騒音がでかすぎる。毎日、きちがいヘビメタ騒音が鳴っている生活というのがほかの人にはわからない。きちがい兄貴の態度全体も、たぶん、まったくわからない。そうなると、俺がほかの人に誤解される『世界』ができあがる。避けようがないんだよな。避けようがない。ほかの人は想像で「避けようはある」と言うかもしれないけど、ない。ほんとうに、きちがい兄貴を殺してしまえばよかったな。殺したら、案外、佐藤みたいなやつは、こっちの味方になってくれるかもしれない。けど、殺さずにこたえたら、敵になる。ヘビメタ騒音の影響を無視して、日本労働教徒の考え方を押し付けてくる。佐藤も、由紀夫も、ヘビメタ騒音がどういうものかわかってない。ヘビメタ騒音生活全体がどういうものか、わかってない。過小評価しすぎ。ヘビメタ騒音の影響を過小評価しすぎ。俺はNHKに教育関係の論文を送ったら、言いたいことがあるなら、番組を作ってあげるみたいなことを言われた。けど、そこで問題なのが、俺が無職・ニートだったことだ。これ、出版のときもおなじなんだよな。きちがい兄貴がいない状態で、俺が普通に、大学に行って、大学院に行って、そこそこ活躍していたら、「職業を聞かれて困る」ということがなかった。これ、けっこう、でかいんだよ。普通のコースを歩めた人間にしてみれば「そんなの、なんだ?」「そんなの関係ない」と言えることなんだけど、普通のコースを歩めなかった人にしてみればでかい問題だ。きちがいヘビメタ騒音の数千日が重い。重すぎる。毎日、普通じゃなかった。毎日、ヘビメタ騒音でズタボロだった。毎日、何時間も何時間も発狂して疲れ果てていた。そして、疲れ果てたあと、気分がきゅーっっと冷えて、死にたくなっていた。寝る前まで、きちがいヘビメタで加熱され、寝る時間になったら、きちがいヘビメタは終わるけど、俺の気持ちと体は、急速にひえて死にたくなっていた。毎日、それだ。

俺は、中学生のとき、職業は聞かれないけど!!!本質的には「おなじような思い」をしてきた。ばつのわるさ。「自分はこれこれである」と言えない、もどかしさ。きちがいヘビメタでほんとうに、ばつのわるい思いをしてきた。メンツがたたない思いをしてきた。それなら、それを跳ね返して……と思うだろ。けど、そんなこと、どれだけ思っても、ヘビメタ騒音でかき消されてしまう。俺がどれだけ、跳ね返すことにこだわってきたと思っているんだよ。その緊張が……はっきり言えば……全体的なうつ感情を引き起こしているんだよ。全体的な破滅の感情をひきこ起こしているんだよ。意欲の低下を引き起こしているんだよ。

それを……「跳ね返せばいい」というような「根性論」を言う人は、ぜんぜんわかってない。

憂鬱な状態や破滅感は、ヘビメタ騒音だけで醸成されたものじゃない。できあがったものじゃない。ヘビメタ騒音と「跳ね返さなければ(ならない)という緊張」の綱引きで出来上がったものなんだよ。作用と、反作用なんだよ。作用と反作用で、引き裂かれていく。ズタボロになっていく。もっとも、「跳ね返さなければならない」ときちがい兄貴にどれだけぶつかっても、きちがい兄貴の頭がきちがいおやじの頭とおなじだから、殺さなければ、まったく気にしないでやり続けるということになってしまう。実際、きちがい兄貴はそうした。だから、俺が自分の部屋に入って、きちがい兄貴のヘビメタにさらされながら「跳ね返さなければならない」という気持ちで、教科書を見たとき……緊張の度合いが強烈に強くなってしまうのである。頭が、まわらない状態、胸が引き裂かれるような状態で教科書を見たって、「負の効果」しかない。教科書を見た……教科書を読んだ……教科書に書いてあることを記憶しようした……そういうことが、きちがいヘビメタのなかで、どれだけ負の体験になるかわからない。こんなのは、ほんとうにやらないほうがいいのである。ヘビメタ騒音のなかで、頭がめちゃくちゃで、胸が引き裂かれるような状態で「しようとした」というのが、まちがいなのである。けど、じゃあ、やろうとしないとどうなるかというと、まあ、「やろうとした」状態よりはよいのだろうけど、ヘビメタ騒音のなかでぐちゃぐちゃな状態だ……あるいは……発狂したい気分でそれをおさえて、煮えくり返っている状態……だというのは、かわらないのである。それは、酒を飲むと酔っぱらう……というような反応なんだよ。これもわからないと思うけど。意志教の人は、「どんな状態だって勉強なんてできる」と言うだろうけど。薬を飲めば体が反応する……毒を飲めば体が反応する……。それと同じように、ヘビメタがきちがい的にでかい音で鳴っていると、体が反応する。酒に弱い人が、酒をがぶ飲みして、酒の影響を受けないようにしようとしても無理だ。「影響を受けないぞ」というような強い意志を持ってがぶ飲みすれば、だいじょうぶだ……なんてことはない。急性アルコール中毒で、たおれてしまう。毒物に対する「生物的な体の反応」だから、そうなる。それを、意志教の連中は、漫画やアニメの主人公になったつもりで、想像の翼をはためかせて、見当はずれなことを言ってしまう。これは、こっちにとっては、屈辱なんだよ。だいたい、そういうやつは、俺の部屋でくらしたわけじゃない。俺とおなじヘビメタ騒音をあびてない。きちがい兄貴の態度がわかってない。俺の部屋で何年間もくらしてから、そういうふうに言ってくれよ。俺も、六か月目あたりまでは根性論みたいなことを、こころのなかで言っていた。根性論みたいなことを考えていた。根性論みたいなすごい想像をしていた。跳ね返す想像をしていた。けど、七か月、八か月……一年、二年、三年と続いて……ぼろぼろになって、「そんなのはうそ」だなというのがわかってくる。単なる気分の産物なんだなというのがわかってくる。単なる想像の産物なんだなというのがわかってくる。

 

 

2020年12月15日火曜日

一回だけで腹が立って腹が立って仕方がない状態になってしまうのに


そこそこ、活動できるような状態になってきた。
けど、つまんない。やらなきゃならないことがあるけど、やりたくない。おもしろくない。

まじめに生きてきた俺が、こんな思いをするようになるんだからなぁ。こんなのはない。

気違い兄貴を殺してでも、自分のしあわせを追求するべきだったんだ。ぉれがずっとやられ続けた。気違い兄貴は気違いだからやっている最中も、やっているつもりがない。どれだけ言われたって、なにも認めない。怒っているときの気違いおやじと同じ状態なんだよな。自分だってやられたら、わかるのに……。腹を立ててたのに……。同じことを折れにしやがって……。ともかく、本人がものすごくでかい音で鳴らしたいなら、どれだけ、でかい音で鳴らしても、たいした音じゃないんだよ。もう、知覚・感覚を言い換えてそう思ってしまう。気違い兄貴がたいした音じゃないと思っている音で、他の音が鳴ってたらどうなんだよ。あの音のでかさだったら、一秒で怒るだろ。そういう音のでかさだ。けど、自分が思いっきり鳴らしたいなら、これは普通の音だということになってしまう。これは特別にでかい音じゃないということになってしまう。自己催眠でそう思ってしまう。

しかも、自己催眠をかけたつもりがない。

意識的にはそんなことをしているつもりがないのである。けど、気違いおやじのように、あるいは、まるまるまるまる症患者のように絶対の意地で信じているのだ。だから、本心から、やってないつもりだ。本心からやってないつもりで、頑固にやり続けることができる。どれだけ言われたって、わからないんだよ。わからなければ、どれだけやってたって、やったことになってないんだよ。そういう脳みその状態がずっと成り立ってしまう。
 

自分だっておやじにやられたら、一回だけで腹が立って腹が立って仕方がない状態になってしまうのに、同じことを、毎日毎日、何回も何回も俺にやりやがって!! しかも、おやじのように他の人には理解できないのである。おまえ、気違い兄貴、おやじがおやじのしくみで、理解せずに怒り狂って、使えないハンダゴテを押しつけたのに、まわりの人が「おまえ(兄貴)の説明のしかたが悪かったんだ(だから、おやじさんが理解できなかったんだ)」と言ったときのくやしさを忘れたのか? まあ、そんなの覚えてたって、結びつかないけどな。ともかく、気違い的な意地で頑固にやったことは、気違い的な意地で頑固に認めないのである。認めないということも認めないということになってしまうので、合わせ鏡のようにきりがない。人から、誤解される。

佐藤や他の人には気違い兄貴の気違い的な態度がわからない。気違い的な知覚がわかない。だから、「エイリさんが(お兄さんに)言わなかったからだめなんだ」ということになってしまう。こういうことが、気違い家族にやられた人をどれだけ、傷つけるか、おまえらはわかってない。おまえらは、わかってない。やられた人を傷つけるように、まわりの人が動く。ボケた発言をする。けど、もちろん、ボケた発言したとは思ってないのである。だから、「そんなんじゃないと言っているだろ。ボケた発言をするな」と俺が正直に言ってしまえば、そいつらは、腹をたてるのである。そうなると、「エイリさんがちゃんと言わなかったからだめなんじゃないの」ということを言っただけなのに、そんなに怒って……やはり、エイリさんはコミュ障だ」と、思ってしまう。思う……ようになるのではないかなぁ~~~。まあ、「それは違います」と丁寧に言ったあと、ここで書いているようなことを説明しても、そいつらは、信じない。半信半疑だ。気違いおやじや気違い兄貴のような人がいるということを信じない。だから、俺が嘘を言っていると思ってしまうのだ。まあ、ぼくの場合、「ボケた発言をするな」とは本当は、言わない。けど、ちゃんと説明しても、たいしてかわらないんだよね。

このさき、今日、一日、どうするかな?


このさき、今日、一日、どうするかな?
いま、起きたばかりだからなぁ。
このさきの一日と、このさきの人生、どうするかな?
風呂に入りたくないとか、そういうことが、わりと、でかい問題だ。気分が落ち込む。寒くなると風呂がけっこう、たいへん。風呂場に行くまでに、いちおう屋内だけどさむいところを通らなければならないから、気分的には、宿から温泉に歩いていくような気分になる。ようするに、歩いているあいだ、さむい。
それに、このあいだ、ナメクジが出たんだよ。これは、やばい!! 葉っぱものを買ってないのに、ナメクジが出たということは、かなりの確率で、ネズミが出たということなんだよ。おやじが、まず、物置に生ごみを置くようになってからがやばいんだよ。そのあと、おやじが、家の中にものすごくにおう魚の切り身を置くようにした。これで、餌付け完了。ネズミがガンガンくるようになった。穴や隙間があったのに、おやじがものすごくにおう魚の切り身を出しっぱなしにするまでは、数十年間一回も、ネズミの侵入を受けてないのだ。におうからやめろ」と言っているのに絶対にやめないんだよね。もう、そういうことで、どれだけ俺が迷惑をこうむってきたか。

 

2020年12月14日月曜日

これが自分の人生だとは思えない。思えない。

 眠れない。幼稚園、うるさい。

俺はほんとうにどうなってしまうのだろう。

俺のことなんて気にしているのは、俺だけなんだよな。

けど、ヘビメタ騒音の雰囲気がぬけない。なので、こまっている。 なにをやるにしてもおなじなんだよな。この雰囲気がきえない。ほかの人はもちろん、関係がない。わからない。けど、どこに行くにしろ、なにをやるにしろ、ヘビメタ騒音の雰囲気なんだよ。幼稚園は、うるさいといっても、たいしたことはない。ほかの人にはまったくわからないことなんだよな。俺は、長期騒音がはじまってから、現実感がない。悪夢のような毎日だ。これが自分の人生だとは思えない。思えない。

一日のなかで、時間感覚がおかしいのだけど、人生のなかでも時間感覚がおかしい。何十年も前のことがついこのあいだのことようだし、数か月前のことが、なんか、数年、前のことに感じる。 本当、ヘビメタ騒音がはじまってから、はじの多い人生になった。で、なんていうのかな?ヘビメタ騒音のことを言っても、ヘビメタ騒音のことを言わなくても、あんまり、結果はかわらない。「俺がお兄さんに注意してやる」と言ってくれた友達はふたりいたけど、俺が断った。俺が断った……。

 

どのみち、兄貴は、だれの言うことも聞かない。かりに、友達が注意して、静かにした?にしろ、友達が帰ってしまえば、それでおしまいだ。だいたい、電車賃まで、相手が出すとか言ってたんだけど、さすがに悪すぎる。

まあ、きてもらったほうがよかったのかな。どのくらいの音で鳴っているか、証人がひとり、増えた。まあ、ふたりなんだけど。

きちがい兄貴の脳みそはおやじとおなじだから、第三者がいる場面と、第三者がいなくなって、うちだけの人になった場合の場面が、つながってない。ほかの人の前で言ったことなんて、関係がないんだよ。その人が、帰って、目の前から消えちゃえば。それから、「静かにしたつもり」で、ものすごくでかい音で鳴らすということになると思う。

「静かにしたつもり」で、自分の耳が悪くなってしまうような爆音で聞くんだよ。おやじとおなじだから、それで、ほんとうに「静かにしてやったつもり」になる。本人のなかでは、「可能な限りゆずった」ということになってしまう。おやじの譲歩も、兄貴の譲歩も、トラブルしかうみださない。どけちぶりを発揮して、わざと、意地悪で、しらばっくれて、やっているのではないかと思うようなことを、する。悪気なく、する。本人は、真面目なんだよ。どんなに、小さな譲歩でも、譲歩してやったら、譲歩してやったことになる。きちがい兄貴のなかでも、きちがいおやじのなかでも……。

ほんとうに、きちがい兄貴の譲歩は、おやじのハンダゴテとおなじ。そういうときの態度が、ぜんぶ同じなんだよね。そして、自分の気持ちしかない。「やめてくれ」と言われたら、発狂して、真っ赤な顔をして、無言でやり続ける。けど、やったことになってないんだよ。ほんとうに、「つもりがない」。ものすごく言いにくいのだけど、「やった」という事実がないことになっている。あるいは、発狂して、基本的なことを否定して、おしまいなんだよ。この場合も「つもりがない」。相手が自分のやっていることで、こまっているという認知が、一切合切しょうじない。何万回言われても、言われたときに、発狂して、「相手がこまっている」という認知が、一切合切しょうじない。発狂したところで、「はねのけている」。相手がこまっているという認知をはねのけている。だから、言われたとたんにそういうモードになるから……言われたとたんにそういうスイッチがはいるから……何万回言われても、言われたことになってないのである。だから、自分がやったことで、相手が宿題をすることができなかったから……学校で恥をかいたということを、聞いても、まるで、心が動かない。おやじの反応と兄貴の反応がおなじ。おやじの場合は、兄貴が、ちゃんとしたハンダゴテを持っていけなくて、恥をかいたということを、じかに聞いても、まったくわからない。兄貴も、兄貴のヘビメタ騒音で宿題ができなくて、学校で恥をかいたということを、じかに聞いても、まったくわからない。最初に、「静かにしてくれ」と言われたときの態度と「恥をかいた」ということを聞いたときの態度がおなじ。そのくせ「心配してやった」というような恩着せがまいし態度がある。この態度がまた、頭にくるんだよ。相手にとって一番肝心なことを吹っ飛ばしておいて、 頑固に認めないで虐待するように、いじになってやったくせに……「心配してやった」「しんぱいしてやった」ということになる。これも、きちがいだから、意地悪でそうしているわけではないのだ。自分がやっていることを補うように、相手にとってどうでもいいことを、「心配してやって」それで、イーブンにするという心理的な機制がある。

 

 

*     *     *

 

 

2020年12月13日日曜日

ライフハック的な浅知恵は、燃え尽きたタイプを、ぶちのめす。


燃え尽きた人に対しては、たとえ、無職セミリタイア者でも、偏見を持っているということがわかってしまった。まあ、その人が無職セミリタイア者の代表じゃないから、その人が偏見を持っているということなのだけど……。無職セミリタイア者のなかで、どれだけの人が燃え尽きた人なのだろうかと考えると、燃え尽きた人は少ないのではないかと思う。ここでも少数派なのだ。

そりゃ、仕事はいやだけど、生活すること自体は楽しいというやつらが、セミリタイアしているわけだから、そっちのほうが、人数は多いよなぁ。無職セミリタイア者という少数派のなかでも、燃え尽きてどうにもならないタイプは少数派だ。

あるいは、燃え尽きた人は、声をあげない。声をあげる気力もないという状態で、うずくまっていると思う。ブログで情報発信をしている人は、元気なタイプが多いのだろうと思う。俺は、執念で「書くこと」だけは続けているけど……。

しかし、無職セミリタイア者で元気な人たちも、仕事に関しては、「元気ではない」。仕事には対しては、ネガティブな意見を持っている。けど、生活全体に対しては……あるいは、人生全体に対してはポジティブな意見を持っている。なんでなら、浸食された部分が、「仕事」に限定されているからだ。浸食された部分の「大きさの問題」なんだよな。

セミリタイア者のなかでも、やっぱり、燃え尽きタイプと燃え尽きてないタイプ(元気タイプ)の差があるなぁ。

まあ、これ、理解しろというのが無理なんだよな。

問題なのは、ライフハック的な浅知恵だ。ライフハックは、問題解決とか言っているけど、問題解決にならない。だから、仕事に関しては脳内変換なんてできないやつが、生活に関しては、「こんなふうに脳内変換すればいいんだ」ということを言い出す。

これは、これで問題なんだけど、なんと言っても少数派のなかの少数派だから、問題だと理解できる人間が少ない。少数派のなかの多数派は、「脳内変換して楽しんだほうが勝ちだ」と思っている。「脳内変換して楽しんだほうが勝ちだ」と思っている人は、「だれでも」脳内変換が可能だと思っている。自分だって、仕事に関しては脳内変換して楽しむなんてことはできなかったくせに……。


いままで、言霊や認知療法と「たたかってきた」けど、ライフハック的な助言やライフハック的な浅知恵は、燃え尽きたタイプを「うちのめす」のである。ほんとうにしんどい問題を抱えているタイプを、ぶちのめす。

「脳内変換して楽しんだほうが勝ちだ」という意見には、じつは、脳内変換は一〇〇%可能だという「前提」が含まれている。なので、脳内変換ができないということは、認めていない。

しかし、脳内変換ができない人はいる。なので、話がくいちがっていくのである。

「脳内変換が可能だ」と「脳内変換が可能だ」と言っている人が言う場合、じつは、「だれでも」という補足事項が含まれている。しかし、この条件に関しては、無自覚なのである。ようするに、言霊主義者のように、場合によって使い分けている。

脳内変換ができない人に脳内変換すればいいと言ってもむだだ。むだなんだけど、「脳内変換ができない」ということは、認めてないので、言ってしまうのである。もちろん、ほんとうは、自分自身だって「脳内変換」できない分野はあるのだけど、それに関しては、無自覚なのである。あるいは、人に言う場合と、自分のことの考える場合で、「気分」がちがってしまっている。「気分」の違いが「補足事項」の有無にあらわれる。

「できない」から、こまっている人に、「(できるから)すればいい」と言ってもむだなのに、むだだと思ってない。「できないからこまっている人」はいないと思っているから、「やらないからだめなんだ」というような感情が沸き上がる。

こういう場合は、基本的に「努力」の問題になる。「根性」の問題になる。「脳内変換すればいい」と「つまらないと言っている人に」助言する場合、「脳内変換すればいい」と言っている人は、『つまらないと言っている人も脳内変換することができる』と思って言っているので、「つまらないと言っている人」が「できない」ということを言い出すと、『それは、努力しないからだ』『努力がたりないからだ』と思ってしまう。

ほんとうに「できない」場合を、根底では認めていない。「だれでもできる」と思って発言しているので、できないとしたら、「努力しないから、できないんだ」「やろうとしないから、できないんだ」と思ってしまう。


 *     *     *

手短に言うと、俺だって、ヘビメタ騒音にやられてなかったら、浅知恵をふりまわしていたと思う。きちがいおやじ……毒親にやられただけであれば、浅知恵ライフハックをふりまわしていたと思う。 毒親にやられて、なおかつ貧乏家出身なのに、努力で、いまの地位を勝ち得たという気分になっていたと思う。「俺が、どれだけ努力してきたか」と言っていたと思う。毒親・貧乏という二重苦(ハンディ)を自分の努力と才能で跳ね返したというプライドを持っていたと思う。


2020年12月12日土曜日

人が何事かを否定するときは、否定することが格好いいと思っているから否定する」と一般化してしまったところに間違いがある

 
否定から入る人は格好いいか?
つまらないと言っている人は格好いいか?
ということについて考えてみたいと思う。


Aさんがいたとする。Aさんは、「格好をつけて、否定する人」をたくさん見てきたとする。そうなると、Aさんのなかでは「否定する人は、否定するのが格好いいと思って、否定する」というような「他人に対する」見方が発生する。


きちがいヘビメタ騒音にやられている俺は、「認知療法」や「言霊」を含めて、いろいろなことを否定しているように(他人からは)見える。別に、なんでも否定しているわけではないが、否定するものは、広範囲に及ぶと思う。一般的に正しいとされているものは、俺の場合は「なりたたなかった」のである。なので、それなりに、根拠があって否定している。あるいは、問題点について語っている。


あとは、ヘビメタ騒音で疲れ果てているので、いろいろなものについて興味をなくしている状態である。ストレスアウトして「つまらない」と感じることが多いということだ。その場合、他人から見れば、「否定ばかりする人」「つまらないとばかり言っている人」に、見える。実際つまらないわけだからな。それは、ヘビメタ騒音という特殊な事情があったからだ。しかし、たとえば、Aさんのような人は、俺を見て「否定ばかりする人」「つまらないとばかり言う人」だと思ってしまう。


そうなると、Aさんのなかでは「否定ばかりする人」は、「否定するのが格好いいから否定する」ということになっているので、俺も自動的に「否定するのが格好いいから否定する人だ」ということになってしまうのである。

これは、Aさんが、個別の事情や、個人について考える必要があることを、「全体」として考えるからなのである。Aさんのなかでは「否定する人」は「否定から入るのが格好いいと考えている人」であって、なおかつ、「否定から入るのが格好いいと思っているから、否定している人」なのである。


否定する人(全体)……否定するのが格好いいから否定すると思い込んでいると、個別のことについて、否定する人も「否定するのが格好いいと思っているから、否定する人だ」と思い込んでしまうのである。

なので、そういうことを前提とした「批判」をする。


Aさんは、仕事が大嫌いで、仕事に関しては、否定する人だとする。その場合、仕事という個別のことに関しては、否定しているわけだけど、別に「否定するのが格好いいと思っているから」否定しているわけではないということが成り立つ。

しかし、自分自身に関しては、否定する理由があまりにも明らかなので、格好をつけるために否定しているとは自分では思えないのである。けど、AさんがAさんを外側から見て、「否定しているということ」に注目するのであれば、もちろん、Aさんは、「格好つけて否定している人」に見えてしまう。


ようするに、Aさんのなかにあるいきすぎた一般化が問題なのだ。個別例から全体へという概念の飛躍がある。


「格好をつけて否定する人がいる」「否定すると格好いいと思って否定する人がいる」……というのは、個別例なのだ。否定することや否定する人という概念を含んではいるけど、あくまでも、個別例。これを、Aさんが「人が何事かを否定するときは、否定することが格好いいと思っているから否定する」と一般化してしまったところに間違いがある。

ヘビメタ騒音の問題に戻ると、きちがいヘビメタを長年らやれたために、Aさんのようなひとが、間違った考えに基づいて、俺について間違った考えを持つということが生じてしまうのである。で、ヘビメタ騒音問題は、人格全部にかかわる問題なので、こういうことが、発生しやすいのである。


ほかのやつらにとっては、どうでもいいことだろうけど、こういうことが、いろいろな分野で発生してしまうのが、精神病質家族による騒音問題なのだ。「家族による騒音問題」というのは、他人にとっては、これまた、どうでもいいことなのだけど、「家族だ」というのが、いろいろな問題の根底になっている。騒音を出し続ける人が、あかの他人ではなくて、家族だというのは、問題がある。それは、やはり、「他人の無理解」という問題につながる。他人の無理解というのは、ヘビメタ騒音に関する「他人の無理解」という問題だ。

過去のことって……。

すでに、頭がおかしくなっているやつ……頭の癖があるやつ……にやられて、人生がうまくいかなくなっている人の、人権はない。頭の癖があるやっは、人権がある。そりゃ、立派な人権があるんだよ。頭の癖があるやつに、やられてきたやつの、人権がない。人権がない。どこに行っても、「そんなのは関係がない」と言われる。「ちゃんと言えば、やめてくれるんじゃないの」と言われる。「ちゃんと言わないからだめなんだよ」と言われる。「いずれにせよ、過去のことなら関係がない」と言われる。過去のことって……。こいつら、ほんとうにむかつく。

特に、頭の癖がある人が、家族だとやっかいなことになる。しかも、四人家族でふたりが、そういう状態なんだからな。こんなの、どれだけ「よそのひと」に言っても理解されない。

 きちがいおやじが何十年もやってきたことが、うちではあたりまえのことだから、きちがいあにきがやってきたことも、あたりまえ、なんだよ。うちでは!! きちがい兄貴の頭のなかでは、あたりまえ。きちがいおやじは、兄貴がやっていることがわからない。きちがいおやじは、「おおきくなった」兄貴に文句が言えない状態になってしまったのだ。これも、本人は「そんなんじゃないつもり」だ。こういう状態は「よそのひと」にはわからない。よそのひとは「そんなに、怒りやすいおやじさんだったら、ヘビメタ騒音のことだって怒るだろ」と言ってくる。そういうふうにまちがった想像をしてしまう。小さい子供に、容赦なく、きちがい的な理由で怒り狂うやつであって、なおかつ、「よそ」では比較的に言っておとなしくしているやつは、小心者なんだよ。そりゃ、よそでも、発狂することがあるけど、……小さい子供だから「安心して」ぶつかっていけるやつなんて、小心者に決まっているだろ。まったく、そういうことが、「よそのひと」にはわからないんだよな。「よそのひと」が普通に考える予想というのは、ぜんぶちがうんだよ。これも言いようがない。

佐藤や由紀夫のような、常識的な人は、こういうこともわからないと思う。「はだでわからない」のだよ。「はだで」……。そんなのおかしい」と思ってしまうのだ。「おかしいから、エイリさんが嘘を言っている」と思ってしまう。この場合も、「過去のことなら関係がない」ということになってしまう。過去のことって……。 

過去のことって……過去十数年間にわたって、毎日兄貴がやったことによって……いま、ぼくがこまっているのに……なんだ!!それ!!

きちがい兄貴がやったことによって、学歴が制限され、治らない睡眠障害がしょうじて、ものすごく疲れやすい体になって、こまっているんだよ。治らない睡眠障害がしょうじて、ものすごく疲れやすい体になってしまうと、通勤・通学ができないだよ。通勤ができないと、 働けないだろ。むかしは、そうだったんだよ!!! いまは、インターネットが発達して、通勤なしで働けるようになったけど、むかしはちがう。働けない体をかかえて、こまっているのは「いま」なんだよ。どうして、こいつらは、そういうことを言うのか?

ヘビメタ騒音の影響を無視して、エイリさんの体がヘビメタ騒音の影響を受ける前の体だと思っているからだ。汚染魚を食べて水俣病になったあとの体と、汚染魚を食べる前の体はちがうだろ。汚染魚を食べて、働けなくなった人に、汚染魚を食べたという過去のことを無視して、働ける体なのに、働かないのはけしからんということを言っても、なにも解決にならないだろ。 

「過去のことは関係ない」なんて、どういう気持ちで言えるんだよ??

それこそ、人間としておかしいぞ!!

人権!!人権!!!なんて言っているやつが、平気でそういうことをする。……やる。


 

それから、

2020年12月10日木曜日

対処不可能部屋につめられて、騒音生活をさせられたら、そういう性格だって、かわってしまう

ほんとうに、仕事でつらい思い?をした人は、仕事だけはつまらないということになって、仕事が「つまらないと感じる」範囲になる。けど、生活でつらい思いをした人は、生活全体が「つまらないと感じる」範囲になる。

それも、家族による長期騒音という、ほかの人にはわからないことだ。どうしてわからないかというと、「家族なら、言えば静かにしてくれるはず」だからだ。「そんなでかい音で鳴らしているはずがない」と思うからだ。日本の企業文化に慣れ親しんだ労働者が、「仕事をやりたくないと思っている」労働者にかける言葉と、家でひどい目にあわなかった人間が「すべてがつまらない」と感じている人間にかける言葉が、おなじ。おなじなんだよ。まるで気がついてないのだろうけど。

「ひとごと」というのがある。そればかりではなく、やはり、自分がほんとうに経験したことしか、わからないという部分が人間にはある。しかし、自分がほんとうに経験したことでなくても、「想像でおぎなえる」ということになっている。しかし、それは、想像でおぎなっているにすぎない。つまり、ちがう。実際に経験しないとわからないあれやこれやがある。

しかも、人間の生活の中で、つみかさなるのである。波及していくのである。裁量権がなくてつまらないと言っていた人は、裁量権がないような仕事をしていた。それは、学歴である程度決まってくる。もちろん、普通の会社に入社したあと、裁量権がある仕事をするところまで、のぼっていく人間はいるはいる。しかし、学歴である程度きまってしまうところがある。時間とともに、なんていうのかな? 不利が積み重なり、不利が波及していくのである。それでも、仕事だけがきらいな人……損害の範囲が仕事だけにかぎられている人は、しあわせである。

 たとえば、「自分が物事を楽しめるのは、自分の性格によるものだ」と考えるのである。もし、対処不可能部屋につめられて、騒音生活をさせられたら、そういう性格だって、かわってしまう。そういうことに、気がつかない。「自分は、楽しめる性格だから、いい。楽しめないやつは、楽しめない性格なのだからだめなのだ」……と思ってしまう。さらに、ライフハック的な知恵を披露して、「こういうふうに考えればいいのに、こういうふうに考えられないからダメなのだ」と言ってしまう。

学習性無気力感は、学習の結果だ。だから、もともとの性格とは関係がない。もちろん、個人差はある。たぶん、それもノーマルカーブを描くのだろう。まあ、人間を使った実験はできないのだけど、……。たぶん、もともとの性格に関係なく、学習性無気力感に閉じ込められた期間が短い人は、自分は才能があるから、損傷が限定されたと思うだろう。期間が短いだけなのに、「天性の才能」だと思うだろう。あるいは、「自分は強いから、たえられた」と思うだろう。これは、「耐えられなかったやつは、(もともと)弱いやつだ」というような考えを生み出すことになる。 

けど、期間の長さが同じではないから、そうは、言いきれない。

しかし、何度も言うけど、人間を使った実験はできない。ハツカネズミの自己肯定感なんて、わかるわけがない。ハツカネズミがどういうふうに原因を考えたかなんてわかるわけがない。そして、わかったにしろ、それは、ハツカネズミの心理学だ。まあ、ハツカネズミはいいんだけどさ。ともかく、ほんとうは、強いかどうかなんてわかってないのに、症状がない人は、自分が強いから、平気だったと思う……ような気がする。

ともかく、対処不可能箱に入れられた期間が特別に長い人は、ストレスアウトしてしまう。その場合、生きてたとしても「つまらない」と言うことになると思う。

その場合、対処不可能箱に長いあいだ入れられていたというようなことは、無視して、他人はライフハック的な知恵を披露することになるんじゃないかなと思う。『その人』とか『他人』という言葉を使うとわかりにくくなるから、AさんとかBさんと言った言葉を使うことにする。

Aさんが対処不可能箱に長い間、入れられた人だとすると、Aさん以外の他者が、わかったようなことをAさんに言うようになるということだ。その場合、Aさんは、余計に、めんどうな気持ちになるのである。破滅感が強くなる。説明をしたところで、対処不可能箱に入ったことがない他者は、それがわからない。自分のことじゃないから、わからない。そうなると、ごく自然に、「こういうふうにすればいい」と助言してしまうのである。

あるいは、「つまらない」と感じるようになったのは、その人の責任だと考えていればそういうことを言うだろう。自己責任!自己責任!と言うわけだ。そして、「こういうふうにすれば楽しく感じるのにそういうことをしようとしない。だからダメなんだ」とダメ出しをするだろう。

やられた人間が、やられてない他者と触れ合うと、余計に疲れてしまうのである。それこそ、ストレスアウトしてしまう。

こういうしくみで、きちがい家族にやられた人間は、他者からも責任追及されるようになる。そうなると、やはり、「めんどうだな」と思ったり「つかれたな」と思ったりするわけなのである。「否定するのが格好いいと思っているから否定する」などと、まとはずれな意見を押し付けられたりする機会も増えるだろう。 そうすると、余計に疲れるのだ。

 

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2020年12月9日水曜日

ヘビメタで苦しいと言っているだろ

 ヘビメタで苦しいと言っているだろ。ヘビメタ「で」苦しいと言っているだろ。ヘビメタで苦しいんだよ。他のことじゃなくて、ヘビメタ、で、苦しいの。他のことじゃないんだよ。けど、ヘビメタの苦しさは、水銀中毒のように、他のことに影響をあたえる。ぬけない。時間がたってもぬけない。

ほんとうに、他の人とちがいすぎるんだよな。ちがいすぎる。他の人はきちがい家族がいないからきちがい家族の意地がわからない。他の人は、きちがい家族がいないから、きちがい家族の構造がわからない。ごく自然にそうなっているのだけど、本人は自覚がないんだよ。だから、やってないことになっている。やってないことになっているということも含めて、自然にそうなっている。だから、俺と兄貴とでは、認知がちがう。きちがい兄貴の行動に関する認知がまったくちがう。きちがい兄貴は、きちがいおやじと同じだから、こだわってこだわってこだわってやったことを、否定する。ほんとうは、やってくれなったことをやってやったと言い出す。絶対の意地でゆずらなかったのに、「ゆずってやったゆずってやった」と言うことになる。

俺は、去年と今年は、色々とあって「引きこもりの定義」からはずれる。けど、ヘビメタ騒音「で」睡眠回路が壊れ、ヘビメタ騒音で、めちゃくちゃ疲れやすい体になった。なので、基本的に通勤ができない。日本で、通勤ができないまま、無職状態でいると、それまであった人間関係が切れていくのである。これも、わからないだろうけど……。必然的に切れていく。まあ、日本労働教の影響と、ヘビメタ騒音に関する無理解の影響がある。どうしたって、ダイヤとの間に起こったことが、他の友達との間でも繰り返される。他の人は、俺から説明を受けても、実際に自分の体でヘビメタ騒音生活を経験したわけじゃない。「きいて、りかいしたこと」なのである。だから、俺のなかにあるヘビメタ騒音と、その人のなかにあるヘビメタ騒音は、ちがう。ぜんぜん、ちがう。まったく異なるものだ。そうなると、やはり、認知に差ができるのである。その差は、たとえば、仕事に対する考え方に影響をあたえる。俺が「むりだ」と言っても、むりだと思わないやつが、ずれた話をしてくる。そうなる。ごく自然にそうなる。

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ともかく、楽しくない。楽しくない。楽しくない。

あの女と付き合っておけばよかったか。けど、やっぱり、楽しめなかっただろうな。つまらないんだよ。その人のせいじゃないけど、こころがおどらない。ヘビメタ騒音でこころが凍りついている。おどらない。それに、ヘビメタ騒音で無職だったんだけど、自分は無職だと言いたくなかった。言いたくなかった。当時俺が三十五歳で、その女が二十歳だったな。

何度か一緒に歩いたけど、まったく楽しくなかったんだよな。ヘビメタで、なんていうのかな、つきあげるものがある。あとは、楽しくない。別にその女が悪いわけじゃないんだけどヘビメタ騒音でこころが凍りついている。本当に、昔だったら、わらえた冗談で、わらえない。


2020年12月8日火曜日

価値がわからないというのは、罪だ。

 俺の文章は、人を選ぶ。頭がいい人しか、価値がわからない。

ドストエフスキーについても、小室直樹についても、頭が悪い人は、俺が言ってることがわからない。

価値がわからないというのは、罪だ。

ヘビメタがなければ、俺がドストエフスキーについて書いたことも、小室直樹氏の言ったことについて書いたことも、藤子不二雄のある漫画と超自我の関係についても、ちょちょっと論文に仕立てて、発表することができたのに……。

修士号や博士号を持っている人でも、バカな人がいる。あいつら、俺が学士じゃないと思うと、態度を変える。あとは、『機械の中の幽霊』を売ったときは、みじめだったな。これも、やっぱり、博士課程にいる人が、「どういう人なんですか」といろいろと聞いてきたんだよな。ぼくがものすごくいい人だからね……。ほんとう、適切な値段で売ってあげたんだよ。しかも、早く届くように、その人に郵便局まで行って、発送してあげた。「ほかのやつら、あしもとを見やがって。こんな親切な人にあえるなんて、マーケットプレイスはいいところだな」みたいな感想を送ってきてくれた。けど、「どういう人なんですか」と聞かれると、やばい。ヘビメタ騒音でやばい……。俺がどれだけ……。俺がどれだけ……。

 

 

あっ、機械の中の幽霊を俺から買った人は、バカな人じゃなくて、いい人ね。頭もいい人。ただ、その質問をあの文脈でされると、こまるんだよな。こまるんだよ。きちがい兄貴にやらなければ、いろいろと、話せたのになぁ。

2020年12月7日月曜日

俺は、あそこの階段を通るとき、ヘビメタ騒音がよみがえる


 ほんとうにすごい音で鳴ってた。すごい音で鳴っていた。

俺は、あそこの階段を通るとき、……どーーーしても、どーーしても、きちがいヘビメタ騒音がよみがえる。きちがいヘビメタが鳴っている感じがする。あれ、どれだけやられたか……。

ほんとうに頭がおかしいから、きちがい的な音で鳴らすことに、きちがい的にこだわってこだわってこだわって、きちがいおやじ状態で!鳴らした。兄貴が鳴らした。

これ、ほんとうに、ほかの人にどれだけ言ったって、わからないだろうな。

あれは、ない。

しかも、自分が一〇〇%やりきれれば、ほんとうに「やってない」のとおなじ態度になる。俺に対する感情は、自分が一〇〇%やってないときの感情とおなじなのである。

なにも、悪いと思ってない。

頭がおかしいから、つねにそういう状態なんだよ。どれだけなにを言おうが、つねに、そういう状態で鳴らしきる。もちろん鳴らしきれれば、鳴らしたつもりがない状態になってしまう。

どれだけこだわってやりきっているか? 一秒だって、一分だって、静かにしてやったら負けだと思っている態度なんだよ。一分間静かにしてやったら、一分間、発狂的に腹が立って腹が立ってしかたがない状態になるんだよ。

静かにしてやっている時間が〇分だからこそ、「まったくやってない」つもりになっている。でかい音で、こだわって鳴らしてないことになっている。

きちがい頭のなかでは、そうなのである。

これが、どれだけ言っても、かわらない。入試の前、どれだけもめたと思っているんだよ。普段の定期テストのとき、どれだけもめたと思っているんだよ。


きちがい兄貴のこういうときの態度は、きちがい親父のこういうときの態度おなじなんだよ。親父も兄貴も、発狂して否定するのに、発狂して否定したつもりがない。

自分が相手に与えている影響がわからない。自分が意地を張って、自分の意見?にこだわりつづけて、絶対に買ってやらないということを押し通しているのに、本人は、そのつもりがないのである。相手が、学校恥をかいたって、知らんぷりだ。

兄貴と親父は、自分が相手にやったことで、相手が恥をかいても、まったくなにも感じない。自分のせいで、相手が恥をかいたと思わない。

親父や兄貴にかかわるとそういうことに、自動的に、なってしまう。それは、おやじの頭や兄貴の頭が二四時間中、二四時間、おやじの頭や兄貴の頭として機能しているからだ。

きちがい兄貴に、ヘビメタ騒音のことで、文句を言うと、……きちがい兄貴は、あたかも、はんだごてを買ってくれと言われたときのおやじとおなじ状態になって……荒れ狂って認めない。

きちがいおやじが、相手にとって都合が悪いことをするとき、相手がやめてくれと言ってくると、無言のまま、脂汗をかいて、体を真っ赤にしてやり続けるのだけど、そういう状態に、兄貴もなってしまう。きちがい兄貴の頭が、おやじとおなじ頭だから二四時間中、二四時間、どんなときに言っても、おなじなのである。

兄貴もおやじも、自分にとって不都合なことを言われたら、真っ赤な顔になって、真っ赤な体になって、脂汗をかいて、やりきってしまうのである。で、その時の認知が、「相手がやめてくれと言ってきたけど、自分はやりきった」ということになってないのである。

無視したとたんに、「なにも言われなかった」ことになっている。

だから、おやじも兄貴も、本人としては、「なにも言われてないからやっている」という状態で、こだわりきって、こだわりきって、こだわりきって、こだわりきって、こだわりきって、こだわりきって、こだわりきって、こだわりきって、ずっとやりきる。

何回、何万回同じことが起こっても、ずっとそういう状態でやりきる。そういう認知でやりきる。

だから、おやじも兄貴も、本人の認識としては、まったくなにもやってないという認識なのである。相手がこまるようなことをまったくやってないという認識なのである。

どれだけもめたって、本人のなかでスイッチが入っていたら、そういうモードでやりきるのである。……兄貴もおやじも。

けど、本人がそういうモードでやりきったことは、「やったことになってない」のである。……兄貴もおやじも。

だから、兄貴もおやじも、自分がそうしたことによって相手から「うらまれている」ということが、根本的にわかってない。相手に対して、まずいことをしているという気持ちがまったくない。

2020年12月6日日曜日

ヘビメタ騒音は、勉強ができなくなる薬。体力がなくなる薬。眠れなくなる薬。憂鬱になる薬。気力がなくなる薬

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あーー、ともかく、きちがいヘビメタで、人生がない。すべてにおいてマイナス。しかも、他人がほんとうに理解しない。理解できない。俺がひたすら、誤解を受けて、ぬれぎぬを着せられることになる。ヘビメタ騒音は、勉強ができなくなる薬。体力がなくなる薬。眠れなくなる薬。憂鬱になる薬。気力がなくなる薬。こんなもの、毎日、ガンガン投与されて、いいわけがないだろ。学生時代ずっと、毎日毎日、勉強ができなくなる薬、を飲まされ続けていいわけがないだろ。それが、6年間続いたら、6年間、勉強ができなくなる薬を飲み続けたということなんだよ。

そうなると、たいした学歴ではなくなるので、佐藤や由紀夫が、偏見の眼で見ることになる。ヘビメタ騒音を抜かして、考えるなと言いたくなる。けど、「そうであるいじょうはそうだ」という彼らの認知は、かえられない。こんな屈辱は、きちがい兄貴が、一日目にちゃんと静かにして、そのあとずっと、ちゃんと静かにしてくれればなかった。おやじと同じような頭で、オヤジと同じような意地で、きちがい的にでかい音で鳴らすことにこだわって、きちがい的にでかい音で鳴らした。自分が鳴らしたい時間というのが、自分が鳴らすことができる時間すべて、なので、すべての時間、鳴っていた。可能な時間はどんな細かい時間も鳴らしていた。まあ、ずっと鳴らしているから、長い時間になるんだけどな。おやじとおなじで「ゆうずう」がきかない。相手があせっているようだから、しずかにしてやろう」というような気持がない。相手が「重要なテストだからやめてくれ」と言ってきても、きちがい回路で無視してずっと鳴らしてしまう。しかも、鳴らしたつもりが……普通の意味で……ない。ハンダゴテ事件のときに、おやじが、うちにあるハンダゴテにこだわったつもりがないのとおなじだ。ハンダゴテ事件のときに、おやじがうちにあるハンダゴテを、相手がなにを言おうが押し付けたのだけど、押し付けたつもりがまったくないのとおなじだ。おやじと兄貴はこういう態度がまったくおなじなの。押し付けたとたんに、忘れているよ。きちがい兄貴もきちがいおやじも。そういうことがまた、佐藤や由紀夫には理解できないことなんだよ「そんなへんなことはない」と思ってしまう。

 

ともかく、兄貴は、つねに、騒音を押し付けているのに、押し付けた気持ちがまったくない。「やめてくれ」と言われたら、発狂して、怒り狂って怒り狂って、黙りこくって、絶対の意地で鳴らす。絶対の意地で鳴らすように、スイッチが入ってしまう。だから、「やめてくれ」と言われたら、静かにするわけがないのである。なら、「やめてくれ」と言わないと、ずっと鳴らしているということになる。だから、「やめてくれ」と言っても言わなくても、きちがい兄貴が「こっちの存在自体を無視して」きちがい兄貴が鳴らしたい音のでかさで鳴らすということになってしまう。何度も言うけど、特に、そうしているつもりがないのである。これ、も、う、ほんとうに、催眠術にかかったような状態なんだよな。「やめてくれ」と……自分がちょっとでもやめなければならないようなことを言われたら……体に力が入った状態で、体を真っ赤にして、無言でやり続ける。「やっているから」。そのとき、鳴らしているから……。これ、ぜんぶの期間を通して「ならしたつもりがない」のとおなじ態度なんだよな。これも、ほかの人に言ったってわかるわけがない。

 

2020年12月4日金曜日

Aさんがへんな考えを持っているのは、Aさんの問題だから、あなたには関係がないと、あなたは思うことができるのか?


たとえば、あなたが障害者だったとする。ある人が、『障害者を殺して、お金を節約するのはいいことだ』と考えたとしよう。この人をとりあえず、Aさんということにする。で、その人が、あなたを包丁で刺したとする。あなたは、刺されたけど、一命はとりとめて、生き残ることができたとする。Aさんがへんな考えを持っているのは、Aさんの問題だから、あなたには関係がないと、あなたは思うことができるのか? できないのか? 
Aさんは妄想性障害者だったということが明らかになったとする。それは、Aさんの問題だから、あなたには関係がないことだと言えるのか? 言えないのか?

佐藤やアドラー信者はこういうことが起こったとき、どう考えるのか? 

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2020年12月3日木曜日

「他人の不幸はめしうま」ではなくて、「他人の不幸はめしまず」なのではないか?


「他人の不幸はめしうま」という感覚はぼくにはないなぁ。他人の不幸な話を聞いたら、同情して暗い気持ちになると思うけどなぁ。どうして、他人の不幸な話を聞くと、めしうまになるのだろう。これって、『楽しい』ということなんだろ。わからない。
けど、ぼくにたいして、ずっと、いやがらせをしてきた人間が、なにか不幸な目にあったら「ざまあみろ」とは思うから、そういう気持ちの延長線上にあるのかなとは思う。「めしうま」と思う人は、たぶんだけど、他人全体に対して、『いやがらせをしてきた』他人に対するような気持ちがあるんだろうな。そうとしか考えられない。いやがらせと、書いたけど、いじめとか虐待も含まれる。そういうことをしてきた他人に対しては、それは、うらみの感情が生じて当然だ。人間はそういうふうにできている。けど、自分になにもしてこなかった人間が、不幸になったところで、まったく、「めしうま」とか「ざまあみろ」という気持ちは生じないのだけど……。むしろ、かわいそうだと思うけどなぁ。自分に悪事を働いてきた人間が、不幸な目にあうなら、気持ちはわからないではないけど、まったく知らない他人が不幸な目にあって、『楽しい』とか『嬉しい』とか『飯がうまい』と感じるのは、おかしいんじゃないか。飯がまずくなるんじゃないのか? 


「他人の不幸がめしうま」だと感じる人間が住んでいる世界は、暗い。どれだけ、暗いか? 他人すべてが、憎しみの対象なのだから、暗くないわけがない。相当にくるしい思いをして生きてきたんじゃないかと思う。生きているあいだにあってきた他人が、みんな、くそ、なのである。みんな、腹立たしい存在なのである。そりゃ、くるしいだろう。

自分が好きな人が、不幸な目にあったら、そりゃ、こころがいたんで、くるしいと思うはずだ。どうにかしてあげたいと思うはずだ。ようするに、「他人の不幸はめしうま」と言っている人は、「好きな他人」がいないのである。荒涼とした世界の中で生きている。「他人はみんな敵」と思っているなかで、生きていくとしたら、どれだけ、つらいだろう。まあ、あかの他人と身近な存在である他人はちがうけど……。けど、身近な存在である他人のなかに好きな他人がいるのであれば、あかの他人に対しても、「他人の不幸はめしうま」みたいな感覚は育たないと思う。「めしうま」と言っている人は、身近な他人も敵ばかりなのである……たぶん。そりゃ、好きな他人にかこまれて生活していたら「他人すべてが敵」とは思いにくいからなぁ。

2020年12月2日水曜日

『ポジティブシンキングだ』などと考えて行動すると、ろ・く・な・こ・と・に・な・ら・な・い!


俺がまずいことをした記憶が突然、よみがえる時がある。これも、そのとき見ているニュースとか、自分の動作とか、そのとき見えているもの……コップでもコードでもなんでも……が関係しているんだけど、関係度がとてつもなく、うすい。

で、自分の方の失敗がある。けど、これも、ヘビメタ騒音で疲れまくっているところで、ポジティブシンキングをしたときに、やっていることが多いんだよ。他の人は、ヘビメタ騒音で疲れまくっているときがないのだから、わからないと思う。ヘビメタ騒音を鳴らしている、気違い兄貴の態度というのが問題なのだ。ほんとうに、気違い的なこだわりで、ものすごくでかい音で鳴らしているのに、でかい音で鳴らしているという気持ちがないんだよね。あとは、「やめてくれ」「静かにしてくれ」と言われたときの態度が問題なんだ。これは、ここでは何回も説明しているけど、オヤジの態度とおなじなんだよ。なにか、不都合なことを言われたときのオヤジの態度と同じだ。発狂して無視するのだけど、無視したということも無視してしまうのだ。だから、言われた途端に、怒って、起こった途端に、言われたということを忘れてしまう……そういう態度だ。で、こういう『態度』でやられているとなると、本当にやばいのである。通されていること……押し通されていること……が押し通されていないことになっている。こういうとろに「うそ」がある。こういうところに、『認知の誤謬』がある。そうすると、そういう態度で「ずっと」「ずっと」「ずっと」気違いヘビメタが何時間も何時間も何時間もなっているということは、そういう態度をずっと押し付けられているということになる。もちろん、騒音は重要なのだけど……。騒音だけではないのだ。押し付けられていることは、騒音だけではない。ハンダゴテ事件のとき、兄貴が親父から、押し付けられているものは、使えないハンダゴテだ。これは、騒音じゃない。だから、親父とのやり取りは、親父と実際に関わっているときしかしょうじていない。親父が、現実を無視して、気違い的な意地で『使える!!!使える!!!』とわめいているとき、不愉快な思いをするわけだけど、それは、気違い親父と『交渉しているとき』でしかない。もちろん、使えないハンダゴテを押し付けられて、学校で恥をかくわけだから不愉快なんだけど……。そういう意味で効力が続くのだけど……。けど、兄貴が俺におつけているものが、ハンダゴテではなくて、騒音だということは、重要なことなんだよ。しかも、交渉のあと、ずっと続く。ハンダゴテの場合は、気違い親父にハンダゴテを押し付けられたあと、学校でハジをかくまでのあいだに、時間がある。その間は、とりあえず、ハンダゴテのことを忘れることができる。不愉快なんだけど……。けど、騒音は、『現前』してしまう。騒音は『持続』してしまう。無視できない。ハンダゴテ事件における『オヤジの態度』とヘビメタ騒音事件における『兄貴の態度』はおなじだ。まったくおなじ。けど、押し付けているものがちがうし、持続時間の長さがちがう。ようするに、騒音が鳴っているあいだじゅう、ハンダゴテ事件で言うと、親父と交渉しているとき……のいらだちが、続くわけだよ。交渉と言ったけど、交渉なんてよべるものじゃない。ともかく、『音のデカさ』と『持続時間』だけではない『要素』がある。それは、気違い兄貴の態度なのだけど、気違い的な態度なので……本当は、矛盾がある認識をしているので……他の人にはわかりにくい。本当は、矛盾がある認識というのは、『鳴らしてたって、鳴らしてない』『でかい音で鳴らしてたって、でかい音で鳴らしてない』という認識の問題だ。普通の人は、こういうことがあるということが、よくわかってない。ちなみに、オヤジの場合は『やったってやってない』ということになる。兄貴の場合も、本当に『やったってやってない』という部分がある。あれだけこだわって、人が言うことは絶対に聞かないで、やりきったのに、認知としては『やったってやってない』が常に成り立っているような状態なのだ。だいたい、『やったってやってない』という態度を持っているので、何回も、もめることになるのたげど、もめたということも、『もめたってもめてない」『そんなことはない』ということになって、本人のなかでは、関係がないことになっているのである。自分が優位にたって、ゆずらずに、やりきれるときは、こういう態度なのである。こういう認知・認識なのである。こういう感覚が成り立っている。この関係のなさというのが、また、他の人には理解しづらいことなんだよな。本当は、押し付けているのに、押し付けていると思ってないのである。そして、相手が不利益をこうむったということを、絶対に認めない。そりゃ、その時は、気違い的な意地で現実を否定するわけだから、そいつの頭の中では、押し付けてないことになっている。『相手が、自分には関係がないことで、文句を言ってくる』という感覚に似たところが、たぶん、ある。けど、絶叫して、発狂して、絶対ゆずらないで、押し付ける。だから、『関係がある』。けど、関係性も、無視される。

ともかく、こういう気違い的な他者……とくに、いっしょに住んでいる気違い的な家族に……不愉快なことをやられ続けると、へんなモードになるときがある。疲れと、ポジティブシンキングで、おかしくなる。これ、絶対に他の人にはわからないんだろうな。じつは、運動系の部活に入ってしまったときも、おなじような感じがある。普段なら、絶対にしないことをやってしまうんだよな。うちにいる時間を減らさなければならないという気持ちがあったんだよな。気違いヘビメタにさらされている時間をなんとしても、減らしたかった。

まあ、話がずれた。ともかく、ヘビメタ騒音にやられて疲れまくっているとき、『ポジティブシンキング!!ポジティブシンキング!!』なんて思うと、『ろくなことにならない』のである。これ、問題のある家族に長くやられた人じゃないとわからない。普通の人はそうではないのだから、普通に『ポジティブシンキングでいいじゃないか』と思ってしまう。どちらかと言えば、俺が悪い場合の、対人関係上のトラブルは、『ポジティブシンキング』とか考えているときしょうじるんだよな。寝不足で疲れまくっているときに、『ポジティブシンキングだ』などと考えて行動すると、ろ・く・な・こ・と・に・な・ら・な・い!!! ろくなことにならない。 


2020年12月1日火曜日

子供が自然に精神病になった場合と子供が親のせいで精神病になった場合


ここで、考えを整理するためにふたつの場合について考えてみよう。
子供が自然に精神病になった場合。……ほんとうに親のせいではない。……(4)
子供が親のせいで精神病になった場合。……ほんとうに親せいである。……(5)


子供が自然に精神病になった場合は、親のせいではない。子供が自然に発達障害になる場合、親のせいではない。子供が自然に妄想を抱くようになった場合、親せいではない。

 しかし、子供になんらかの障害がある場合、よその人が親のしつけが悪いからそうなっているではないかと考えてしまう場合がある。ようするに、「よその人」という要素が付け加わる。親が白なのに、親が黒だと思う人たちは、無実の親を追及することになる。

 

たとえば、多動型の自閉症スペクトラム障害の場合、ものすごく、わがままなことを言って荒れているように思われる場合がある。たとえば、多動型の自閉症スペクトラム障害である子供が自発的にやり始めたことを、親がやめさせようとすると、子供が騒ぐということがある。その場合、よその人は、「親が子供をあまやかせているから、そんなふうになるんだ」と思ってしまうことがある。

 

もちろん、家の中でそういうことが発生する場合が多いのだけど、電車のなかとか公園などでそういうことが発生する場合もある。その場合、よその人が、その状態を見て、親があまやかす「から」だめなんだと判断してしまうということが発生する。これは、親は白なのに、よその人が、障害の特性をよく理解していないので、偏見に基づいてそう考えてしまう場合だ。


いままで、親が白である場合とか、親が黒である場合について述べてきたが、これは、ぼくがここで述べているので、「親が白」とか「親が黒」ということが決まっているのである。実際には、医者やカウンセラーが判断することが多いのだけど、それも、その特定の社の目にはそううつるということだし、その特定のカウンセラーの目にはそううつるということしか意味してない。子供が神経症になっていたとしても、それは、絶対に親のせいではないという、信念を持っているカウンセラーは、親が黒である場合も、親が白であるとみなして、子供側の人に助言をすることになる。つまり、子供側をカウンセリングすることになる。その場合、そのカウンセラーは、間違った判断をして、間違った助言をしているのだけど、特定はできないということになる。どうしてかというと、こういう論考で、書いているときには、親が黒である場合について述べているということが、読者にもわかるのだけど、実際には、原因は不定のままだからだ。精神分析に傾倒しているカウンセラーなら、親が黒である場合を考えているので、親が黒である場合は、親が黒であるということを探り当てることができるだろうけど、認知療法に傾倒しているカウンセラーは、「原因なんて関係がない」と考えるので、親が黒であるということは、考えない。この場合は、自動的に親は白になる。世間的には、「悪者を探さず」「親を悪者にしないで」「現実的な対処法」を考える認知療法に傾倒しているカウンセラーは、よい存在だと思われるだろう。しかし、彼らは、最初から「可能性」を排除しているという点で、間違いをおかしている。なんの可能性かというと親がその症状の原因である可能性だ。また、症状を解決するためには「原因について考える必要がない」と考えている点で間違いをおかしている。原因を考えなくても対処療法で解決できる場合もあるが、原因を考えないと解決できない場合もある。原因を考えなくてもいい場合と、原因を考える必要がある場合があるのであれば、最初から、原因を考えなくてもよいとする態度をとるのは、問題がある。
 

2020年11月30日月曜日

「引きこもりは未熟だ」という思い込みは、共同幻想に合致している



今日は、起きたあと、「おじちゃん」のことを考えていた。まあ、いろいろとあった。基本的には、ぼくは誤解されていると思う。葬式にも行けなかった。葬式できちがい兄貴に会うと、きちがい兄貴を、なぐりそうなのである。それは、葬式が円滑に行われることをさまたげることになってしまう。

言いようがないんだよな。ほんとうに、父親がきちがいという場合の、困難やトラブルは、父親がきちがいではない人には、わからないと思う。説明したってわからないだろうな。
 

おやじの場合は、精神病質で、ほかの人にはわかりにくいのである。兄貴も同じだ。「そんなの、静かにしてと言えばいいのに」と言って、話を打ち切った社長には、逆立ちしても、わからない。うちのなかで、狂っている人の感覚というのは、うちのなかで狂っている人がいた人じゃないとわからない。ほんとうに、こっちからすれば、「すっとぼけている」ような感じさえうける。「すっとぼけて」わざと無視をしているような感じさえうける。こいつらの「わからなさ」はかなりすごい。けど、こいつらにしてみれば、「そんなのは、やめてくれと言えないやつが未熟なのだ」ということになる。「俺はちゃんと言った」ということを言っても、この意見がかわることはない。最初にできた思い込みは、強烈なのである。まあ、この過程は、佐藤の件で書いた。

たとえば、「引きこもりは未熟だ」という思い込みは、共同幻想に合致しているので、強固なのである。この共同幻想に合致している思い込みというのは、その人の……わりと意識的な意見に……底のほうで影響を与える。ヘビメタ騒音で通勤・通学ができなくなったので、結果的に引きこもりの定義に当てはまるようになった(当時)と言っても、そんなのは、通用しない。『引きこもりで未熟な人が言っているから「ヘビメタ騒音云々」のことも信用できない』と彼らは感じてしまうのである。

2020年11月29日日曜日

自然に精神病になるタイプと、親が原因で精神病になるタイプ


自然に精神病になるタイプと、ほんとうに親が原因で精神病になるタイプがある。
精神病と言っても、範囲が広い。ごく自然に、発達障害になるように、ごく自然に脳の機能障害が発生することがある。ふたつのタイプが存在している。だから、基本的には『親が原因で精神病になることはない』とは言えない。たとえば、まるまるまる症は、誰かのせいでなるようなものではない。しかし、たとえば、強迫性障害(強迫神経症)は、親のせいで、強迫神経症になることがある。別にこれは、親でなくてもいい。一緒に住んでいる誰か別の人が原因になることがある。この場合は、誰か(A)の働きかけによって誰か(B)が広い意味で精神病になることがあるということを意味している。親が原因で強迫神経症になる場合がないかと言えば、あるのだ。他の理由で強迫神経症になることもある。その場合、最初から、親が原因で強迫神経症になる場合があるということを、無視していいのかという問題がある。
原因なんてどうだっていい(1)
親のせいにするのはけしからん(2)
悪者探しはよしましょう(3)
(1)(2)(3)のような決めつけがある場合、ほんとうは治る強迫神経症が治らないまま放置されるということが考えられる。
(1)(2)(3)のようなことを主張する人たちが、実際に親が原因で精神病になったわけではない事例をあげて、だから、親が原因で強迫神経症になることはないと決めつけてしまう場合は注意が必要だ。たしかに、親が原因で精神病になったわけではない場合があるが、親が原因で精神病になる場合もあるのだから、その事例をもってして、親が原因で子供が精神病になることはないと決めつけるのは問題がある。両方とも存在しているのだから、ひとつの事例をあげて、もう一方の可能性を否定するということは、できない。しかし、そういうことをやってしまうのである。
 

2020年11月28日土曜日

あのときの、あれ、ない。

 あのときの、あれ、ない。

 

だれもわからない。

けっきょく、俺が言っているだけになってしまう。

ほんとーーーに、きちがい感覚で、無視してやってたんだよ。きちがい兄貴は、きちがいおやじとおなじ構造の頭を持っているのだけど……。


毎日やられたらおしまいだ。どれだけ、努力してもむくわれない。きちがいヘビメタ騒音のなかで、体力をなくし、疲れていくだけだ。

 

「そんなの、静かにしてって、言えばいいでしょ」と言った某会社の代表取締役……ゆるさない。 

今度生まれ変わったら、ヘビメタ騒音がない世界に行きたい。

基本、ほかの人には、きちがい兄貴の、きちがいヘビメタ騒音がない。こだわりつくしの音で鳴らし続ける、きちがい野郎が横の部屋に住んでいるということが……持つ意味がわからない。ほんとうに、俺が言っているだけになってしまう。

きちがい兄貴は、こだわりがすごいんだよ。絶対に自分が好きな時間に鳴らすということに、こだわっていた。絶対に自分が鳴らしたい音で鳴らすということにこだわっていた。自分が鳴らしたい音で鳴らすということに、きちがいおやじと同じレベルの頑固さでこだわっていたやつが、「静かにするわけがない」でしょ。殺さないと、解決しない。殺さないと、解決しない。やられっぱなしだと、どうしても、一日が重たくなる。佐藤などは、そういう一日の積み重ねを無視しやがる。佐藤のような人間にとってみれば、俺がおかしいことを言っているだけなのである。

ほんとうに、偏差値二十、二十五下の世界で生きてみろ。どれだけの屈辱を受けるか。佐藤の態度も、ほんとうは、俺が屈辱を感じる態度なんだぞ。本人は、まるで、気がついてないけど。他人は……そうだよ。他人はそうなんだよ。

たとえば、きちがい兄貴の頭のつくりが特殊だとしよう……なら、きちがい兄貴は、きちがい兄貴の欲望のおもむくまま、こだわりの曲を、こだわりの音のでかさで、聞いていいのか?

それは、ちっちゃい問題じゃないんだぞ。おまえら、まったくわかってないだろ。

2020年11月26日木曜日

うちのなかにいるときは、『ハイドモード』だよ。……ジキルとハイドだとハイドモード


気違い兄貴によるヘビメタ騒音というハンディが、ほとんどすべてのことを不可能なことにしてしまう。これ、正しいのである。やられたことがない人は、「そんなことはない」と思うかもしれないけど、そうなのである。連続的にやられたことがない人は「やりようはある」と思うかもしれないけど、「やりよう」はない。思いつくことをすべて試したが、『鳴っているいじょう』だめなのである。毎日連続的にやらたれことがない人は「俺だったら、こうする。こうすれば、そんなのは、どうにかできる」と思うかもしれないけど、『鳴っているいじょう』だめなのである。


ほんとう、『家族』ということが、隠れたファクターで影響をあたえる。家族の中に、ふたり、兄貴と同じ頭の構造を持つものがいるということが、隠れたファクターで影響をあたえる。このふたつは、他の人が『どれだけ考えてもまったく想像がつかない』影響をあたえる。


他の人は、どうしても、自分の家族や、自分があってきた人を基準にして物事を考える。けど、『うちのなかにいる兄貴』や『うちのなかにいる親父』はそういう、想像をこえるものなのである。あとは、普通の人には、実際にやられた場合が……想像できない。だから、まとはずれな助言をすることになる。

 

けど、「まとはずれだ」ということを言ってしまうと、そういう助言をした人が、いちおうは、怒るような状態になる。怒るまではいかなくても、少なくても、自分の意見を否定されて、不愉快な思いをする。で、これがまた問題なのだ。問題を作り出している気違い兄貴は、どれだけ、そういうことを説明しても、気違い頭で否定して、やり続ける。これは、気違い親父が、ハンダゴテ事件のとき、兄貴の説明を受けて、否定して怒りくるうのと同じ状態なのである。

 

しかも、この状態のときのことは、本人にとって「よそよそしいこと」なので、時間が経てば、「そうしたということ」自体を本気で否定する。『そのとき』からちょっとでも、時間が経てば?『そんなんじゃない』ということになってしまうのである。『関係がない』ということになってしまうのである。自分が関わっているのに、関わっているということがわからない状態になってしまうのである。そして、それは、怒っているときもそうなのである。怒ってやり続けているときもそうなのである。

 

だから、本人としては「つもりがない」まま、ずっと、夢中になってやり続けるということが発生してしまう。気違い兄貴がやっていることが、囲碁なら……囲碁の練習なら、どうでもいい。しかし、気違いヘビメタを、思っきり鳴らすことだから、問題がしょうじる。一秒だって、ヘッドホンをしないのに……『静かにしてやった』と思っている状態で、鳴らし続ける。

まあ、鳴らしているときは、一切合切、俺のことが頭にないので、本人としては『鳴らしていい』状態で鳴らしているということになっているみたいなのである。この、発狂して押しつけるけど、押しつけているということがまったくわからない状態というのが、他の人にはわかりにくい。

 

そして、意外なことなのだけど? あるいは、まったくあたりまえのことなのだけど?……本人がまったくわかってないんだよな。他の人の以上に、わかってない。他の人以上にわかってない状態で、こだわってこだわってこだわって、発狂して、一秒もゆずらずに、鳴らし続ける。気違い兄貴は、「うちでは」そういうモードなのである。うちに二十四時間いるときは、二十四時間そういうモードなのである。そういう人格なのである。ジキルとハイドだとハイドモードなのである。

これは、親父もおなじなのである。で、親父は、頭がおかしいから、体がでかくなった兄貴には、注意ができなかった。無意識的にそうなのである。だから、そうなると、気違い的な理由をつけて……普通の人から見るとありえない理由をつけて、注意しないのである。けど、それがまた、他の人にはわからないことなんだよな。俺が説明したって、わからない。そうすると、他の人は『親が注意しないなら、たいした騒音じゃないんだな』と判断してしまう。

 

まあ、これ、『普通の人から見るとありえない理由』というのが、また、わかりにくいんだよな。気違い親父としては否定できればいいわけだから。これは、ハンダゴテを買ってやらなければならない場合の、態度とおなじなんだよ。自分の無意識的な要求が、かなえば、理由なんて、どうだっていいという態度だ。この場合の無意識的な要求は、『兄貴にヘビメタ騒音のことで注意をしない』ということだ。

一度、無意識的な命令が下ると『現実』ははるか後方にしりぞいてしまうのである。だから、関係者としては「ありえない」理由をつけて、否定する。拒否する。ともかく、兄貴に注意をしないときの態度と、ハンダゴテを買ってやらないときの態度は、おなじなんだよ。おなじなの~~~。おなじなの~~。

親父にしても、兄貴にしても、うちのなかでは、無意識的な欲求をまるだしなのである。まるだし~~まるだし~~。やっているときから、気づいてない。やっているときから、否定している。こんなのは、ない。ないから、他の人は、信じない。

本人だって夢中になってやっているだけで……やっていることがわかってない状態なのである。そのとおりには、認識してない状態なのである。見ればわかることを否定する。聞けばわかることを否定する。……そういう状態になる。無意識的な欲求のほうが大事だから、現実は無視する。けど、無視したということが「ぬけている」状態なのである。主観的には『無視してない』状態なのである。だから、こまる。

無意識的な欲求の大事さが、本人にも、わかってないのである。命がけで、つらぬくべきことなのである。そういうこだわりがある。けど、本人がわかってない。さらに、そういう構造でやり抜くということが、他の人にはわからない。

だから、『相談すればいい』とか言ってくる。

けど、これがまた、やっかいなことになる。簡単に言えば、俺が相手のアドバイスを否定することになるから、相手としては、気分が悪いのである。不愉快な気持ちになるのである。これは、人間として、やはり、さけられないことだ。俺だって、自分が思いついたアドバイスをして「あげている」のに、相手が「それはだめなんだ」と否定してくると、いやな気持ちになる。


ハイドって、「かくした」という意味を暗示しているのだけど、たしかに、「うちのなか」だと「かくした」モードだよな。まあ、受け身にして「かくされたモード」のほうが正確だと思うけど。
 

2020年11月24日火曜日

どれだけ俺が、友達から誤解されてきたか?


もう、無職とかひきこもりとか、いいか?
あまりにも、意見があわない。一般人や一般的な研究者とは、意見があわないようだ。それにしても疲れたなぁ。
ヘビメタで、疲れた。ヘビメタ『で』疲れた。あの時からずっと疲れているんだよな。ボロボロだよ。気違いヘビメタ『で』疲れた。気違い兄貴の態度が他の人にはわからない。気違い兄貴の態度で、ヘビメタをやられたときの疲れ方が他の人にはわからない。あれは、本当に、こだわってこだわってこだわって、ビタイチモンゆずらずに、やるけど、『やったつもり』がないんだよな。親父とまったく同じなんだよ。どれだけのハンディが生じるか、他の人にはわからない。俺が言ってるだけだと感じてしまう。『過去のことなんて関係がない』と感じてしまう。『鳴り終わったなら関係がない』と感じてしまう。ちがうんだよなぁ。ヘビメタをやられて、働けない体になり、むかしからの人間関係が途絶えれば、ひきこもり状態になる。睡眠障害だって、「ひきこもれば『みんな』昼夜逆転する」と言って、ヘビメタ騒音が鳴っていたという、俺・特有の問題を無視する。ひきこもりのなかで、何人が、俺と同じ騒音を経験したというのだ? 騒音生活を十数年間、毎日、続けたというのだ? むかしからの人間関係が途絶えればと書いたけど、それも、ヘビメタ騒音が関係している。どれだけ俺が、ヘビメタ騒音のことで、友達から誤解されてきたか? 


ヘビメタ騒音でボロボロだ。

 

気違い兄貴が夢中になったときの「こだわりかた」が他の人にはわからない。そして、気違い兄貴もわかってない。そして、気違い親父も、まったくわかってない。気違い親父と、気違い兄貴は、わかってないということも、わかってないという状態だ。ほんとうに、自動的に動くんだよな。自動的に、こっちがこまったことをする。ヘビメタ騒音に対する気違い親父の態度なんて、絶対に他の人にはわからない。だから、『親が注意しないなら、たいした騒音じゃないのだろう』と思ってしまう。そうやって、俺の顔に、泥を塗っていく。じゃあ、話せば……そういうことについて説明すれば、少しはわかってくれるのかというと、まったくわからないままだ。これ、どれだけ説明してもむだなのである。

 

気違いヘビメタ騒音で「あいたあな」をふさごうとすると、よけいにまずいことが起きてしまうのである。それは、対人関係でそうなる。

2020年11月23日月曜日

生活保護を受けるのは「はじだ」とする考え方が守っているもの


生活保護に関しては、生活保護を受けるのは「はじだ」とする考え方を植え付けて、生活保護を受ける人たちを減らしているのである。この社会において生活保護を受けるというのは、一種のペナルティーなのである。

だから、ペナルティーを受けたくない人たちが一定数、存在する。生まれたときから差があるのに、生活保護に「おちた」のは、個人が努力をしなかったからだという考え方がある。そういう考え方がなければ「(生活保護を受けることは)ばすかしいこと」にならない。

だから、たしかに「生活保護のような制度があるから、働かなければ食べることができない社会ではない」のだが、それでも、「働かなければ食べることができない」というルールは成り立っていると考えたほうが、現実の現象を説明できる。

もちろん、金を持っている親の元に生まれれば、働かずに生きていくことが可能な場合もあるが、このような場合ですら、「はずかしいことだ」と認識されているという現実がある。親の金で、ずっと生きていくことは、生活保護と同じように「はずかしいこと」なのだ。

なので、基本的には「働かなければ、飢え死にしてしまう」という考え方は、単なる妄想ではなくて、現実にそくした考え方だと言える。働かなければ飢え死にしてしまうのであれば、飢え死にしてしまうと考える個人は、たとえ、「やりたくない仕事」でもやるだろう。

だから、この場合の「選択」は、自己責任論者が使う「選択」ではない。本人が選択したのだから「しかたがない」とは言えない。本人が、自由意思によって選択したのだから、自由な選択の結果だとは言えない。不自由な選択なのだから、自由な選択ではない。自由意思ではなくて、不自由意思による選択なのだから、自由意思による選択とは言えない。

自己責任論者は、「働かなければ飢え死にする」という現実的な条件を無視して、「本人が、自由意思によって選択したのだから、それを選択した者の責任だ」と言う。
自己責任論者は「いやな仕事をしている人は、いやな仕事をすることを、間接的に直接的に選んだから、いやな仕事をしている」と言う。

しかし、それは、「働かなければ飢え死にする」という現実的な条件を無視した場合の話なので、「働かなければ飢え死にする」という現実的な条件を無視できない世界では、成り立たない。「自由な選択」ではないのである。
 

2020年11月21日土曜日

「やりたくない仕事をしている人はやりたくない仕事をすることを選んだ」のか??


たとえば、自己責任論者は「やりたくない仕事をやっている人は、やりたくない仕事を選んだ」ということを言う。

けど、ぼくは、「生まれの差」があるから、やりたくない仕事をしている人だっていると思うのだ。生まれた状態で差があるのだから、やりたくない仕事をする人間だっているだろう。

どうして、生まれの差を無視して、その時の状態だけを考えて、「やりたくない仕事をしている人はやりたくない仕事をすることを選んだ」と、言うのか?

働かなければ、やがて餓死するという状態なら、働く場合だってあるだろう。生活保護にたよるという選択肢も日本にはある。

これは、いいことだと思う。けど、ここでは、話を楽にするために生活保護や生活保護に似た制度がない社会を考えることにする。

働かなければ、餓死してしまう社会で、働くことは、事実上の強制であり、選択の結果ではない。

働かなくても、餓死することがない社会の場合は、働かなくても生きていけるのだから、そういう社会で、働いている場合は、働くことを選択したと言える。

また、働かなくても食べることができるから、働かないことを選択したという場合は、たしかに、自分の選択で働かないことを選んだと言える。

しかし、それは、働かなくても生きていける社会だからだ。

働かなければ生きていない社会で、働いている人は、働くことを選択したわけじゃない。生きるために、したかたがなく、働いているだけだ。ほかに選択肢がないのだから、そうせざるを得ない。これを、積極的な選択のように言うのは、ごまかしだ。

たとえば、自己責任論者は「やりたいことをやる一日にするか、やりたくないことをやらされる一日にするかは、本人次第だ」と言う。

やりたくないことをやらなくても、生きていける社会なら、たしかにその通りだと思うけど、やりたくないことをやらなければ生きていけない社会ならば、別にその人は「選択して」やっているわけではないと思う。ようするに、自分で決めていることではない。

けど、さらっとそういうことを言ってしまう人は、「生まれの差はない」と思っているのである。けど、「生まれの差は」ある。それから、働かなくても生きていける社会ではないのだから、働かないという選択は、事実上できない。

そりゃ、持たざる者が、働かなければ、死んでしまう世界なのだから、生きようとしたら、働く以外に選択肢はない。

繰り返しになるが、上記のような「本人次第だ」というような意見というのは、「生まれの差がある」ということと「働かなければ生きていけない」という状態を無視している。

生まれの差はなく、あるいは、あったとしても小さな差なので無視することができる……1

生まれの差はあるかもしれないけど、その差は本人の才能と努力で、いくらでも、縮めることができる……2

競争は公平に行われているので、誰かが圧倒的に不利であるというようなことはない……3

働かなければ生きていけない社会だが、それは、あたりまえのことなので、無視できる……(4)

(1)(2)(3)(4)というような、暗黙の前提が成り立っているのである。しかし、これらは、自明なことではない。

我々は、生まれたときから差がある社会で生きている。我々は、働かなければ飢え死にしてしまうという世界で生きている。上記の前提は成り立っていない。

2020年11月20日金曜日

「やりたくない仕事をやるような状態は本人が選んでいる」のか??


本当に、生まれながらの差がある。

しかし、生まれながらの差を無視して「そのとき」こういう状態なら、その人は、そういう状態を自分で選択したと言ってしまう人たちがいる。こういう人たちは、自分がどれだけ有利な状態で生まれてきたか、無視してしまう。

本当は、環境がよかったからそんなことを言えるのだが、自分の意志的な努力で、そういう状態を勝ち得たのだと根底で思っている。

だから、他者がそうでなかったのであれば、それは、他者が意志的な努力をしなかったからだと思ってしまう。「不幸な状態は、本人が選んでいる」と言う。「やりたくない仕事をやるような状態は本人が選んでいる」と言う。

瞬間的な状態について、あるいはその時間の状態について、あるいは、その日の状態について、まず、生まれながらの差を無視して、考えるのである。だから、いま、不幸な状態で暮らしている人は、不幸な状態を選んだと言ってしまう。自分で不幸になることを決めたので、不幸になっていると、中立的な立場から言う。

しかし、生まれながらの差を無視していることにはかわりがない。 

(つづく)

2020年11月18日水曜日

アドラーがたまたま、トラウマになるような出来事を経験しなかっただけの話


自分の家が燃えなかったとしよう。そうしたら、「火事なんてない」と言えるだろうか。他の人の家が燃えたとしよう。そうしたら、他の人にとっては、『火事はある』ということになる。アドラーが「トラウマなんてない」と言っているけど、それは、アドラーがたまたま、トラウマになるような出来事を経験しなかっただけの話だ。自分が、「トラウマになるような出来事を経験しなかった」だけなのに、「トラウマなんてない」と言い出す。トラウマはある。アドラーがトラウマになるようなことを経験しなかっただけの話だ。
 

2020年11月16日月曜日

騒音で、脳みそ、焼かれた……体の内側が、全身やけどをしているようなものなのだよ


ほんとうにつまらないなぁ。
いつか、おもしろく感じる日がくるのだろうか?
楽しい気分が復活する日がくるのだろうか?

焼け野原のまんまなんだよな。
まったく復活しない。

けっきょく、ヘビメタをやられた日から、不愉快と苦悩の連続だ。どうしたって、トラブルがしょうじる。きちがいヘビメタが鳴っていない時間の出来事だ。

きちがいヘビメタが鳴っていない時間に、俺が、よそで、よそのひとともめることになる。ヘビメタ騒音が隠された要素である以上、あるいは、ヘビメタ騒音がその他者にとって「見えない要素」である以上、どうしても、対立せざるを得ない。

 

問題なのは、他者にとって、「見えない要素」ではなくても、うまくいかないということだ。それは、「鳴らされてしまったから」うまくいかない。こちらの失敗に対して「それは、ヘビメタ騒音が鳴っていたからしかたがない」という理解を得られたとしても、それは、いいことではない。

 

誤解をされるよりもいいことだけど、そもそも、そういう事態が発生しないように、ヘビメタ騒音が、「即座に」鳴りやむべきなのだ。

 

けど、鳴りやまなかった。

 

だから、くるしい。

 

けっきょく、やけどをしたあと、『放置』なのか、『シップを貼る』のかというちがいだ。そもそも、やけどをしないに、こしたことはない。そして、ヘビメタ騒音は「くりかえされていた」。一回で、鳴りやむことが必要だ。そうでなければ、シップをしていたとしても、また、やけどをするということになる。

毎日、全身やけどで、俺が、ほかの人から、〇〇〇と言われ、毎日、全身やけどで、俺がほかの人から、だらしがないと言われる。毎日、全身やけどで、俺が、ほかの人から、あまいと言われ、毎日、全身やけどで、俺が、ほかの人から、弱いと言われる。

そんなことでいいわけがないでしょ。

しかも、全身やけどの痛みが残っている状態なのに、「〇〇〇、だらしがいない、あまい、弱い」と言ってくるやつが、「過去なんて関係がない」と言い出す。

ヘビメタ騒音をやられれば、暗くなるのに、暗いのは、だめだと言われる。ヘビメタ騒音をやられれば、憂鬱になるのに、憂鬱な顔をしているのは、だめだと言われる。ニコニコしろ、元気を出せ。うっさい。まるまるまる。

ああ、全身やけどって、ヘビメタ騒音に焼かれたということの比喩ね。ヘビメタ騒音に数千日やられたということは、体の内側が、全身やけどをしているようなものなのだよ。

睡眠をつかさどる回路が、焼き切られて、元に戻らない状態なんだよ。関係、なくない。過去のことでも、関係がないわけではない。人のことだと思って、まちがった基準でまちがったことを言いやがって。


 

 

2020年11月15日日曜日

残りの一六時間がどれだけめちゃくちゃになるか


ほんとうに、疲れた。無意味。すべて、疲れた。くるしい。ヘビメタ騒音でくるしい。ヘビメタ騒音で、楽しめない。ヘビメタ騒音で楽しくない。みんな、ほんとうにわかってないんだよな。ヘビメタ騒音がどれだけ有害な騒音かわかってない。ヘビメタ騒音にたたられたら、やはり、すべてがつまらなくなるのだということがわかってない。しかも、がんばってがんばって、それなんだからな。ヘビメタ騒音を鳴らされると、ヘビメタ騒音を鳴らされてない時間がめちゃくちゃにくるしくなるのである。たとえば、一日に、ヘビメタ騒音を八時間鳴らされると、残りの一六時間が、めちゃくちゃにくるしい時間になる。これがわかってないんだよな。くるしいのは、八時間だと思っていやがる。残りの一六時間がどれだけめちゃくちゃになるか。どれだけたいへんなことになるか? そして、たいへんなわりに、マイナスが必然的に積み重なるのである。どうしたって、失敗する。どうしたって、トラブルが発生する。それは、ほんとうに、八時間のヘビメタ騒音がもたらすことなのである。残り一六時間の、トラブルは、ヘビメタ騒音が引き起こすことなのである。これが、わかってないんだよな。佐藤(仮名)の背後には数千万のサラリーマンや公務員がいるのだけど、そいつらは、これが、まったくわかってない。由紀夫(仮名)の背後には数千万の主婦がいるのだけど、そいつらは、これがわかってない。これも、「わかってないということもわかってない」というレベルでわかってないので、こちらがそのように説明しても、つたわらない。この人たちは、鳴っている八時間はつらいのだろうけど、残りの一六時間は、まったく平気だろうと思ってしまう。「いつもどおりに」くらしていけるだろうと思ってしまう。騒音なんてものは、鳴り終わったら影響を与えないものだと思ってしまう。影響を受けているとしたら、すきこのんで、意図的に影響を受けているだけだということになってしまう。ようするに、「そういうふうにうけとめるから、悪いんだ」ということになってしまうのである。そいつらのなかでは……。けど、これがぜんぜんちがう。もちろん、こいつらは、「ぜんぜんちがう」ということも、わからない。体験を通してわかってないし、理論的にもわかってない。感情的に、残りの一六時間は、普通にくらせるはずだと思ってしまうのである。もし、普通にくらせないとしたら、その人がこだわっているからダメなんだと思ってしまう。けど、ほんとうにちがうんだよ。まあ、ちがうと言っても、理解を得られるとは思ってないけど。



 

2020年11月13日金曜日

こういうやつらは、『非常識だから』ということで、俺の説明を信じない


たとえば、偏差値で二〇下げられた状態で暮らしてみろ。どんだけ、不愉快な思いをするか。ほかのやつらは「そういうもんだ」と思って接してくるんだぞ。ともかく、勉強することができないということは、不愉快なことなんだよ。

 

学生時代ずっとそんな状態で、いいわけがないだろ。みんながみんな、俺と同じように、この世で一番キライな音に毎日、何時間も何時間も、何時間も何時間も、何時間も何時間も、何時間も何時間も、さらされているなら、公平な競争だけど、そうじゃないのだから、公正な競争じゃない。佐藤や由紀夫は、そういうことを無視して、俺にガタガタ説教したり、さけたりする。

勉強することができなかったばかりではなく、それで、通勤、通学するための睡眠力、体力をうしなっている。けど、やつらには、俺がサボっているように見える。やつらには、俺があまえている?ように見える。こういう、勘違いするやつを、大量に生み出す。

気違いヘビメタに「人知れず」さらされるということは、こういうことだ。

そして、こういうやつらは、『非常識だから』ということで、俺の説明を信じない。『そんな人いない』『そんなことはない』と思っているのだ。

気違い兄貴が、気違い的な意地で、気違い的な感覚で、ヘビメタを、ものすごくでかい音で毎日毎日鳴らし続けると……こういうことになる。俺の人間関係に影響が出る。通勤ができない体になったということが、他の人にはわからない。徹底的にわからない。

気違い兄貴の状態を信じないので、俺が言っていることが嘘だと思うのである。嘘なのであれば、ヘビメタ騒音が影響をあたえるはずはないので、ただたんに、あまえているだけだということになってしまうのである。ヘビメタ騒音の影響を無視するやつは、俺に失礼なことを言うことになるが、そういうやつらは、全員、失礼なことを言っているとは思わない。

ヘビメタ騒音の影響を無視するやつは、俺をみくだすけど、特にみくだしているとは思ってないのだ。ようするに、そういうレベルでみくだしている。

こういうやつらだって、ヘビメタ騒音をあれだけ浴びせられたら、通勤通学が『どうしても!どうしても』できない体になるのに、それがわかってない。通勤通学ができない体になると、もともとの『学生時代のつきあい』が途絶えれば、『ひきこもり』と呼ばれる状態になりやすいのに、それがわかってない。

もともとの『学生時代のつきあい』は、ヘビメタ騒音のことでもめて、とだえる。学生時代の友だちも、無職が長く続けば、佐藤のようなことを言ってくるようになる。心配して「どうにかなってくれ」と言ってくる。けど、ヘビメタ騒音にやられて睡眠力と体力をうしなっている俺にはどうすることもできない。なので、基本的に仲が悪くなりがちだ。

 

日本人なんて、 ほぼ全員が日本労働教徒なので、『無職』や『ひきこもり』は、『悪い人だ』『全員ダメ人間』だと思っている。こちらが無職だ(当時)と言ってしまったら、『悪い人だから、ヘビメタ騒音の話は嘘だろう』『ヘビメタ騒音とかなんとか言っているけど、本当にそんなことが起こったことなのかどうか、たいへんに疑わしい』と思ってしまう。

一度、偏見が成り立つと、こっちがなにを言ってもダメなのである。

ヘビメタ騒音「で」働けなくなったと言っても、それは無視する。平然と無視する。こういう態度で、人に接する方が、よっぽど人間としてできてないと思うが、あなたがたは、そのことについて、どう考えるのか?

気違い兄貴が、人としてやってはいけないことをやって、俺を『騒音漬け』にした。毎日毎日、気違い的なこだわりで、ものすごくでかい音で、本人が鳴らしたい音を鳴らした。気違い的なこだわりがあるので、絶対にゆずらない。これは、悪いことだ。

けど、日本労働教徒にとっては、そういうことよりも、働いてないということが悪いことなのである。気違い兄貴の、迷惑行為よりも、俺が無職で働いてないということのほうが、はるかに悪いことなのだ。とにもかくにも、働いてない人の言うことは、信用でないのである。「ヘビメタ騒音で働けなくなった」と言っても、働いてない人の言うことだから信用しない……。

相手が言っていることを無視して、ヘビメタ騒音鳴らし続けることが、悪い行為なのだ。迷惑行為なのだ。俺は、気違い兄貴、直接、何万回も何万回も、『静かにしてくれ』『勉強ができなくてこまる』ということを言った。

けど、気違い兄貴は、気違いおやじの態度で無視した。腹を立ててやりきった。けど、気違い兄貴は気違い親父と同じ感覚の持ち主なので、一〇〇%やりきることができたら、やってないことになってしまうのである。

気違い的な意地でやっているのに……行為の「ぬし」であるのに……関係がない人になってしまうのである。相手が言っていることは、気違い的な感覚で無視してしまうのである。相手がどれだけせっぱつまっているか、わからない。

相手がどれだけ必死になって言っても表情が読み取れない。何千日も、こういう態度で、俺が必死になっていっていることは無視して、一秒もゆずらないで、ガンガン鳴らし続けた。その結果、俺が働けない体になった。『働けるように見えるけど』働けない体になった。

けど、常識的な人は、みずからがヘビメタ騒音を経験してないので、そういうふうになるという必然性が理解できない。なので、結果として、『無職』『ひきこもり』になっている俺をせめる。彼ら……常識的な人にとっては、兄貴が、人の表情を読み取れない人なのではなくて、『ひきこもり』の俺が人の表情を読み取れない人なのである。

 そういう人たちのなかでは、『ひきこもり』全員が、アスペでコミュ障なので、人の表情を読み取れないということになってしまうのである。これも、偏見だ。偏見だけど、日本労働教徒は、『ひきこもり』であれば、なにか悪い人で、コミュ障であるに違いがないと思ってしまうのである。一度、そういう偏見が成り立つと、『コミュ障だから、お兄さんに静かにしてと言えなかったんだ』と間違った推論をしてしまうのである。

 

 *     *     *

 

共同幻想を相対化して考える能力なんて、常識的な人にはない。常識的な人はかならず、共同幻想の「うちがわ」で考える。共同幻想を「こえて」思考するなんて、できるわけがない。けど、それは、「学問的な思考」にとっては、必要なことなんだよ。もちろん、「勉強」じゃない。そういう力は学力には反映しない。

2020年11月12日木曜日

ヘビメタ騒音が鳴っていたという事実のほうが、いまの現実に影響を与える


みんな、ヘビメタ騒音のすごさがわかってない。

きちがいヘビメタが鳴っているときの状態がわかってない。実際にヘビメタ騒音が鳴っていたので、体が影響を受けている。

脳みそとしての「精神」も影響を受けている。事実は事実なので、事実。事実は事実なので記憶がある。事実は事実なので体に影響が出る。

きちがいヘビメタの現実と認知療法家の空理空論では、ヘビメタ騒音の現実のほうが、現実感がある。きちがいヘビメタの現実と、「元気だ元気だと言えば元気になる」といった感じの言霊教の教えでは、ヘビメタ騒音の現実のほうが、現実感がある。

ようするに、ヘビメタ騒音が鳴っていたという事実のほうが、いまの現実に影響を与えるということ。

そして、学歴も職歴も、「歴」だから過去のことだけど、その過去のことが今の現実に影響を与える。ヘビメタ騒音が実際に鳴っていたので、実際に鳴っていた時間の「歴」がつもる。現実なんだよ。げ・ん・じ・つ。

ほんとうに水俣病のようなものなのに、ほかの人は、水俣病のようなものだと思ってないので、ぼくの状態を理解できない。水俣病患者に、「すべては受け止め方の問題だ」とか「だるくなる必要はない」とかと言っても無理でしょ。実感としてだるいし、体の生理としてだるくなるしくみが成り立っているのだから、「すべては受け止め方の問題だ」とか「だるくなる必要はない」とかと言っても、だるいと感じる。

水銀が体の外に出て、元に戻らなければだるいわけだから……。水銀がそのように体に影響を与えるということを無視して、「だるく感じる必要はない」と言ったって、しかたがない。

言われたほうは迷惑。

水銀が体に影響を与えるということを無視して「元気だ元気だと言えば元気になる」と言ったって、しかたがない。

言われたほうは迷惑。 


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「」とか「」と

のほうが、すんなりするんだけど

「」とか「」とかと

のほうが、正しいんだよね。

どちらかと言えば、「」とか「」と

を使いたい。

俺が兄や父親の悪口を言っていると思っている人が、俺の悪口を平気で言う


ほんとうに、ヘビメタ騒音の影響はものすごい。ものすごいものがあるのに、ヘビメタ騒音の影響を無視して、俺のことを悪く言うな。悪口を言うな。これ、ほんとうにおかしいことなのだけど、ヘビメタ騒音の影響を無視して、俺の悪口を言う人たちが、「悪口を言うのはよくない」ということを言う。これは、俺が、父親の「悪口」を言っていると思っているのだ。俺が、兄の「悪口」を言っていると思っているのだ。兄貴の騒音で、どれだけこまったか。実際にやったことなんだよ。兄貴がやったことなの。そして、おやじが俺のことを虐待してどれだけこまったか。これ、ほんとうに、事実だから悪口じゃない。けど、こいつらのは悪口だ。「だれだって」それだけヘビメタ騒音にさらされたら、働けなくなるということがわかってない。働けなくなるんだよ。そういうふうに説明しているでしょ。俺が説明しなかったわけじゃないよね。睡眠障害、生活体力障害(易疲労性・慢性疲労症候群)、ポストトラウマティックスストレス症候群になって、通勤通学が「絶対に」不可能になる。つらくもやっていたら、なれるというものではない。つらくても、やっていたから、睡眠障害、生活体力障害(易疲労性・慢性疲労症候群)、ポストトラウマティックスストレス症候群になってしまったのだ。それも、十年とか十五年とか長い年月をかけて、そうなった。一日や二日のことではないのだ。長い期間、ずっと毎日、土曜日も日曜日も祭日も、鳴ってた。ほんとうに「やすみなく」鳴っていた。「やすみなく」鳴るということは、こっちは、まるで「やすめない」ということなのである。そりゃ、ガンガン鳴っているからな。ガンガン鳴っているときの気分を、俺が兄の悪口を言っていると思っている人は、経験してない。俺が、「やめてくれ!!!やめてくれ!!!」と兄貴に必死になって言ったときの、兄貴の態度が、俺が兄の悪口を言っていると思っている人には、わからない。どれだけ、自分勝手な態度で鳴らしていたかわからない。どれだけ、きちがい的な頑固さで鳴らしていたかわからない。「やっているのに、やってない」と思っている状態が、わからない。やったって、いいと思って、悪いことをし続けるやつの状態が、わからない。ほんとうに、こだわりつくして、どれだけやめろと言われても、頑固にやりきるのに、やりきったつもりがまったくないのだ。これは、事実だ。俺が勝手に、兄貴ことを悪く言っているわけじゃないのだ。これがわかってない。「そんなのはおかしい」と俺が兄の悪口を言っていると思っている人は、言う。これが、どれだけ俺にとって不愉快な言葉か、わかってない。こいつらは、あたりまえのことを言っている気持ちしかない。もう、ほんとうに、ぜんぶいやだ。きちがい兄貴も、きちがいおやじも、俺が兄や父親の悪口を言っていると思っている人も、いやだ。で、俺が兄や父親の悪口を言っていると思っている人が多数派なんだよな。いやだいやだ。生きているのが、いやだ。ほんとうに、ヘビメタが鳴っている空間がどういう空間だと思っているんだよ。きちがいおやじが、きちがい的な理由で意地を張ってやりきっているときの空間がどういう空間だと思っているんだよ? きちがいおやじもきちがい兄貴も、絶対の意地でやるし、絶対の意地でやったことは、絶対の意地で認めないのである。それが、常に、更新更新、なんだよ。だから、本人はほんとうにやってないつもりでいられる。やったって、そんなのは、自分に関係がないことなのだ。自分がきちがい的な意地でやっていることなのに、やり続けていることなのに、「自分はまったく関係がない」と思っていやがる。けど、「やるな」と言われたときの、頑固な態度がすごいのだ。あんなのない。普通の人が、信じないのも若干は、わかる。わかるけど……わかるけど、俺はほんとうのことを言っているわけで、妄想や捏造で父親や兄の悪口を言っているわけではないのだ。

ヘビメタ騒音で、遅刻してしまうというのがある。これは、ずっと鳴らされていると、どれだけ努力しても、遅刻してしまう日が出てくるのだ。けど、これも、上記の理由とほぼ同じ理由で、俺が悪く言われる。実際に遅刻するのは俺だからだ。けど、俺を遅刻したとせめている人であって、なおかつ、ヘビメタ騒音「で」どうしても遅刻してしまう状態になるということを認めない人は、俺のことを悪く言い出す。「ヘビメタ騒音でどうしても遅刻してしまう」ということを言っても、その人が俺の言ったとおりの意味で、俺の言ったことを理解するということがない。ヘビメタ騒音……この世で一番嫌いな音が、四六時中鳴っている状態を経験してないので、ほかの人にはその効果がわからない。
 

2020年11月11日水曜日

あの、図書館だって、「思い出の図書館」なんだからなぁ。



俺は生きてはいるけど、
「俺の一生はなんだったんだ」って
ずっと、ずっと、自転車をこぎながら、考えいていた。

あの、図書館だって、「思い出の図書館」なんだからなぁ。
何十年前のはなしだっていーうーのーー。
三十四年たっている。あれから三十四年?
ありえない。

 

2020年11月9日月曜日

まじめに生きてきた俺が、どれだけ悪く言われてきたか??


まじめな俺が、気違い兄貴のヘビメタ騒音にやられて、くるしんでいるだけなのに、佐藤のような普通のやつから、悪く言われる。こんなのはない。そいつらは、みんな、兄貴のことは悪く言わない。
ほんとう、俺がどれだけまじめに生きてきたか?? まじめに!!
そして、まじめに生きてきた俺が、どれだけ悪く言われてきたか?? 


こいつらは、兄貴の責任は追及しないのに、俺の責任は、追及してくる。けっきょく、鳴らされたのであれば、鳴らされたおまえが悪いという理論だ。じゃあ、殺せばよかったのかと言うと、そうじゃないと言い出す。殺さなければ絶対にやめない家族と一緒に住んでいる場合、どうしたらいいのか? 気違い家族は、やったこともやったと認めない。これは、ほんとうに、そう思っているのだ。そういうところで、頭がおかしい。やっているときはやっているときで、意地でもやるわけで、態度が同じだ。やりきっているときと、相手に言われたことを否定しているときの態度がまったく同じなのだ。だから、普通に言っても聞くわけがない。

 

ともかく、こいつらは、俺が小学六年生のときに、気違い兄貴を、殺したら、「もっとほかにやりようがなかったのか」みたいなことを言うと思う。いや、絶対に言う。

ほんとうに、まじめに生きてきて……。殺人を……殺人を、さけて生きてきたのに、俺が、いつもわるく言われる。殺人をしなかったから……俺のからだ動かなくなったんだよ。俺がずっと、くるしいままなんだよ。

こいつらは、『過去は頭の中にしかない』というアホな理論を持ち出す。脳みそも身体を構成する臓器の一部だから、物理攻撃を受ければ、影響を受ける。それから、こいつらが『現在』をどのように考えているかわからないけど、『過去が頭の中にしかない』と言うのであれば、『現在も頭の中にしかない』ということにどうして気がつかないのか?

過去のある時点で、認知症になったとしよう。認知症が脳の物理的、化学的、生物的変化をもたらすものだとしよう。過去のある時点で認知症になったら、それが治らない限り……影響を受ける。現在に影響を与える。過去は脳みその中にしかないから、影響がないとは言えない。

2020年11月8日日曜日

専業主婦や定年退職者には、自分たちは無職じゃないという特別な意識がある


もと親友にしろ佐藤にしろ由紀夫にしろ、俺が「できない」と言っているのに、「できない」ということを無視して「そこをなんとか(できるようにして)やってくれ」ということを言ってくる。俺は、「もう、ヘビメタ騒音で、できなくなった」と言っているだろ。

俺が「もう、ヘビメタ騒音で、できなくなった」と言っているのに、「人間は働くべきだ」と言ってくる。「もう、できなくなった」という部分を無視してくる。こういうやつらは、みんな、ヘビメタ騒音を経験してない。数千日の、ヘビメタ騒音生活を経験してない。

どれだけ、睡眠時間がずれるか、どれだけ睡眠時間がなくなるか、わかってない。鳴らされている最中の、せっぱつまった時間のことがわかってない。せっぱつまった時間が何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も続くと、「どーーしても眠れなくなる」ということがわかってない。

鳴らされているあいだも勉強ができないし、じつは、そのあとの時間も、勉強ができくなる。勉強ができなくなると、当然、ヘビメタ騒音がない本来の値より、学力が下がるのだけど、学力が下がった場合の、屈辱生活がわかってない。

ヘビメタ「で」そうなっているということが、ほかの人にはわかってない場合の!!生活というのが!!!わかってない。やられてないから、わかってない。俺が「そういうことになる」「こうだ」と言っても、実感がわかないので、わからない。無視する。ヘビメタ騒音の「負の効果」を徹底的に無視する。

それこそ……きちがい兄貴やきちがいおやじじゃないが「あったってない」のだ。
そして、「ない」「負の効果なんてない」ということを前提にして、「人間は働くべきだ」と言ってくる。

あるいは「そんな人はいない」と言ってくる。「そんなの人はいない」というのは、「あなたの父のような人はいない」「あなたの兄のような人はこの世に存在しない」ということだ。

こいつらは、根底では「あなたはうそを言っている」「あなたは、あなたの兄やあなたの父のことを不当に、悪く言っている」と思っているのだ。「不当に、悪く言っている」というのは、「事実ではないことを言っている」ということだ。事実なのに……。

こいつらは、信じない。

信じないで、「そういうことはなかった」という前提で、説教をしてくる。これが、普通の人間のやることだ。ある意味、レベルが高い、哲学や教育学に興味がある洗練された人たちのやることだ。専業主婦や定年退職者がやることだ。

専業主婦や定年退職者はともに無職なのに、ヘビメタ騒音で、しかたがなく無職になった俺を、邪険にあつかう。専業主婦や定年退職者には、自分たちは無職じゃないという特別な意識がある。そして、共同幻想がそれを支持している。ヘビメタ騒音「で」働ないということは、共同幻想によって、認められてない理由なのである。

「もう、じゅうぶんに働いたので無職でもいい」という理由は共同幻想によって、認められた理由なのである。「こどもを育てているから無職でもいい」という理由は共同幻想によって、認められた理由なのである。

この人たちは、ヘビメタ騒音のひどさがまったくわかってない。

どれだけ健康な人でも、数千日、ヘビメタ騒音が続けば、働けなくなるということが、からだで、わかってない。からだで、わかってなければ、わからないことなのだ。「そんなのはない」ことなのだ。

2020年11月7日土曜日

無職の人はおそろしいので、かかわらないようにしよう……ヘビメタ騒音で働けなくなったと言っているだろ


全体的な体力や全体的な精神力というものがものすごく大切なのだ。ヘビメタ騒音は、そういうたいせつなものを破壊する。俺が、ヘビメタ騒音のことを説明したにもかかわらず、俺のことを、無職だから「おそろしい」と感じてしまう人がいるのだ。

おそろしいというのは、悪い意味で恐ろしいということだ。

「そんなのは、ない」のである。「そんなのは、ない」というのは、「そのとしで働いてないとか、そんなのはない」という意味だ。ようするに、由紀夫(仮名)のなかではぼくは「悪い人」になってしまったわけだ。

働いてないのだから、悪い人なのだ。

「そんなに長い間働いてないのだから悪い人にちがいない」と彼は確信する。「そのとしで正社員になったことが一度もないなんて、そんなのは人間としておかしい」と思ってしまう。「そのとしで正社員として働いたことがないような人は、悪い人間だ」と決めつけてしまう。

悪い人間だから、かかわりをもちたくないという気持ちになる。

佐藤は説教をしたけど、由紀夫は、さけた。

俺から話しかけられるのをさけるために、すたすたと、はやあしで歩いて行ってしまった。同じところに行くんだけどな。ようするに、先についたわけだ。

で、そういう人は、じつはおおい。無職は悪い人だと決めつけてしまう人はおおい。「そういう悪い人」とはかかわりを持ちたくないので、無職である人をさけるのだ。そして、かげで「あのとしで無職なのはおかしい」と、同じ考えを持つ人と、悪口を言いあう。

で、俺が、ヘビメタ騒音「で」無職になったということを認めない。「ヘビメタ騒音なんて、どれだけ鳴ってたって言ったって、たいしたことがいないのだろう」と思ってしまうのだ。「親が注意しなかったなら、たいした音で鳴ってなかったのだろう」と思ってしまうのだ。「そんな過去のことが影響を与えるわけがないだろう」と思ってしまうのだ。

これは、実際に、ヘビメタ騒音にやられて苦しんだ俺としては、ほんとうに、侮辱的なことだ。

こいつらは、俺が嘘を言っていると半分は思っている。いや、半分以上、思っている。ともかく、「正社員歴が三十五歳なのにない」ということで、そうとうに、俺のことを「悪い人間だ」と思ってしまうのである。そういう偏見ができると、その偏見から逆算して、「ヘビメタ騒音の話なんて嘘なんじゃないか」と思ってしまうのである。

まず、無職だということで、俺に対する、偏見ができる。「みかた」が決まってしまう。以降は、その見方にそって、俺が言っていることが、解釈されるのである。で、これは、俺にとっては、何度も言うけど……侮辱的なことだ。

 

ほんとうにそういう偏見を持っている人だって、小学六年生のときから二十五歳までずっと、毎日ヘビメタを鳴らされたら、働けない体になるのに、それがわかってない。最初の八年間でだめだ。通学も通勤もできない体になる。


 

2020年11月6日金曜日

その人が一番きらいな音を毎日毎日、何時間も何時間もでかい音で聞かされる生活


ほんとうに、つまらない。もう、まるまるまるまるか。
ほんとうに、ヘビメタ騒音で、屈辱の日々。他人事だからわからないかもしれないけど、鳴っているときだけ、つらいわけじゃない。鳴っているときも、つらいけどな。ほんとうに、きちがい兄貴の感じ方がおかしい。きちがい兄貴の態度がおかしい。おやじとおなじなんだよな。けど、こんなこと、どれだけ、普通の家庭で育った人に言っても、わからない。「俺がおかしいことを言っているように」見えてしまうだろう。その人たちからすれば、「そんなのは、言えばいい」「そんなのは、相談すればいい」というようなことでしかないのだから……。
ヘビメタ騒音は、ほんとうにすべてのことをうばった。で、「すべて」というのが、イ・ラショナルな言い方なのか、そうではないのかということについては、じつは、問題が少ない。そういうことでは、ないんだ。この「そういうことではないんだ」ということだって、実際にヘビメタ騒音生活をした人じゃないと、実感としてわからないから、「実はすべてではない」ということに「こだわる」かもしれない。「すべてではない」ということを言えば……俺がこうむったいろいろな現実がかわるかというとかわらない。けど、これまた、「こうむったいろいろな現実」というのは、こちらがの解釈によってちがうものになるというようなことを言い出すかもしれない。けど、それにしても、ちがうんだよ。ちがうものにならない。けっきょく、ヘビメタ騒音生活を……あるいは、その人が一番きらいな音を毎日毎日、何時間も何時間もでかい音で聞かされる生活を……一〇〇〇日以上続けた人じゃないと、わからない。そもそもが、わからない。わからないところでものを言っている。そして、こういう人たちは、案外、頑固だ。ちょっとだけ、きちがいおやじと似ているのである。もちろん、現実認知や道徳性においてちがいがあるから、まったくちがったものに見えるし、実際、ちがった人たちなのだけど、それでも、こっちが言いたいことがまったく伝わってないなぁという、印象を受ける。こっちの、実際の現実を、無視しやがる。軽視しやがる。鳴っていたのが、現実。鳴っていたので、被害をこうむったのが現実。これも、「こうむった」という言う方に、難癖をつけることができる。「こうむった」と思ったから、「こうむった」という現実ができあがるのだ……という解釈ができる。「こうむった」と受けとめたから、「こうむった」と思っているだけなのだ……という解釈ができる。けど、ちがう。そういう言い換えじゃダメなんだよ。

あなたは、その障害者にまったく悪いことをしてない

 むかし、上の階の騒音で、悩んでいる人がいた。

こどもが、ものすごく奇声を発しながら、あそぶので、不愉快な思いをしていた人だ。

で、ぼくは、そのひとのことを傷つけるようなことを書いてしまった?のかと、ときどき、思う。ヘビメタ騒音よりは、小さな音だと思うけど、じゅうぶん頭にくる音だと思う。一日中やられていたら、さぞかし、気分がふさぐだろうと思う。その子どもたちを育てている母親の態度があれだから、さぞかし、腹が立つだろうと思う。相当に気分が悪い思いをして暮らしているということは、わかっていた。そして、あなたの感覚が正しいということがわかっていた。

で、話は違うのだけど、ともかく、

あなたは、その障害者にまったく悪いことをしてないということを、伝えたい。

 まあ、このメッセージは、他の人にはわからないだろうけど。

2020年11月5日木曜日

『貧乏』は本当に、多くのトラブルの原因になる


不愉快な記憶がよみがえるなぁーー。
これが、いやなんだよな。

あのときは、金がなかった。
 

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『貧乏』は本当に、多くのトラブルの原因になる。直接の原因にならなくても、間接的な原因になる。最初から、選択肢が限られているのである。そして、そこでの!!!人間関係がある。けど、「そんなのは関係がない」「貧乏でも、しあわせな人がいる」と言って、そういうことを認めない人たちもいる。 そういうことを認めない人たちというのは、基本的に『貧乏である』ということがわかってない。わかってないので、そういうことが言える。

 

いま、金ができてよかったよ。さけられるからな。けど、本当に、 「そんなのは関係がない」「貧乏でも、しあわせな人がいる」と言う人たちがまったく想像できないことが、起こる。「そんなのは関係がない」「貧乏でも、しあわせな人がいる」という人たちは「さけられない」というともわからないだろう。その人たちにとっては「さけられること」なのである。あるいは、経験したことがないから「さっぱりわからないこと」なのである。けど、本当は、さけられないあれやこれやのことが生じる。そして、それは、主に人間関係上のトラブルに発展する。ひとつずつのトラブルが『些細なこと』であったとしても、そこに投入される感情料は膨大なものがあるので、記憶に残りやすい。そして、貧乏だとそういうことが数多く発生するわけだから、『考え方』を規定する。そりゃ、実際に何回も何回も起ったことが、考え方を規定するだろう。実際にはまったく起こらなかった空理空論に基づくことと、実際に何回も何回も起こったことでは、実際に何回も何回も起こったことのほうが、考え方を規定する。ものを考えるときの土台になる。『こういうことをするとどういうことが起こるのか』という推論のもとになる。 それは、『この世とは何か』とか『人間とはどういう存在か』とか『他者とはなにか』という基本的なものの見方に影響をあたえる。

 

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実際にはまったく起こらなかった空理空論に基づくことというのは、認知療法家の話の中に出てくるようなことだ。認知療法家にとっては、そっちのほうが現実的なことなのだろうけど、気違いおやじに育てられたものにしてみれば、そっちのほうが空理空論に基づくこと(基づいたこと)なのだ。認知療法家はえそらごとの抽象的な話をしているだけで……(気違いおやじに育てられた人にしてみれば「うそのはなし」をしているだけで……現実に対処してない。もちろん、この場合の『現実』というのは気違いおやじに育てられた人の現実だ。

 

2020年11月4日水曜日

健常者に育てられた人は、毒親に育てられた人のことがわからない


ほかの人はどうなんだろうな? 不愉快な記憶が突然、鮮明によみがえるというのはないのか? あるとして、その頻度は? 回数は?「なんかいやなんだよな」という予感はあるんだよ。けど、そこにいくしかないというような状況だったりする。

なんか、あんまり、外に出たくないときに……買い物だって、めんどうなときはなるべくなら、したくないわけで……「外に出たくない気持ち」とそういう不愉快な記憶が連動しているらしくて、ふと、思い出してしまうんだよな。で、そういう不愉快な記憶……ひとがらみの不愉快な記憶というのが……わりとあるんだよ。回数がある。それは、ゼロ歳児のときからそうなんだよ。さすがに、ゼロ歳児のときの記憶はないけど……。母親の話を聞くと、俺はゼロ歳児のときから、きちがいおやじにたたられている。やられている。どうも、ほんとうに、きちがいおやじがだめなんだよな。あいつは、俺の不幸の源だ。がんだ。

これも、ほかの人とはぜんぜんちがうんだよな。毒親という用語だと、はっきりいって、程度が弱い。これ、だけど、ほかの用語を使うといろいろと問題があるんだよな。頭がおかしい親というのはいる。その、頭のおかしさのタイプがあるんだよ。頭がおかしい親はいるんだけど、その頭のおかしい親の中で、さらに、タイプがわかれる。だから、Aという頭がおかしい親の特徴と、Bという頭がおかしい親の特徴が一致するわけじゃない。けど、「毒親」という用語を使うと、なんか、同じような親(同一タイプの親)であるような印象を与えてしまう。毒親よりも、頭がおかしい親のほうが、どちらかというと、正確だ。なんか、毒親というと、ひとつの毒親というタイプがあるような印象を与えてしまう。

まあ、ともかく、いちおう健常者に入るほうの親のほうが多数はなんだよ。で、健常者である親に育てられた人は、頭がおかしい親に育てられた人のことは、わからない。健常者どうしでも、人間関係のトラブルはある。いっしょに、何十年か、あるいは、すくなくても、十数年暮らしていれば、それは、いろいろなトラブルがあるだろう。そして、そのトラブルは、形式としては、毒親とのトラブルと同じように見えるのである。けど、それは、形式としては同じように見えるというだけで、本質的にはちがうものだ。けど、健常者に育てられた人は、そのことがわからない。これは、学者でもカウンセラーでも同じだ。ほんとうはわからないから、観察対象になるのである。そして、基本的には、間違ったことを言うやつらが出てくる。これも、部分的には正しいわけで、ぜんぶ間違っているわけではない。けど、こういう人たちは、いろいろな間違いをおかす。

けど、まあ、これはいいや。これは、いちおう、認知療法、行動認知療法、アドラー心理学について書いたところで、説明している。理論的に、「ことがら」を間違って理解している。

何十年も前の、本当に細かい会話が浮かんでくる


何十年も前の、本当に細かい会話が浮かんでくる。これはもう、拷問だ。どうしてこんなに細かい記憶が、芋づる式に浮かんでくるのか? なんかのきっかけはあるんだよ。トリガーのような。もう、何十年も忘れていた記憶なのに、思い出す。それも、いい記憶じゃないのだ。これは、もう、拷問だ。
 

兄貴に言っておく。おまえ、おやじにそっくりだよ


起きたときの、孤独感が半端じゃないな。

ウトウトしていた。ウトウトしていたなどと、書くと、なんかのんびりしてて、よさそうだが、よくない。

ほんとうに、ヘビメタ騒音で、まるでちがうんだよな。ぼくは他の人とまるでちがう。他の人の精神状態と、ぼくの精神状態はまるでちがう。

ちがうので、ちがう。

ちがうので、他の人の言っていることがまるで、参考にならないんだよな。そういうところがある。俺だって、楽しみたい。楽しみたい。

けど、これが、ヘビメタ騒音にやられて、まるで、だめになった。どうやっても、楽しめない。他の人は、一〇年以上の気違い騒音生活をしていない。なので、ぼくとはちがう。ちがうので、ちがう。他の人が言うことは、気違いヘビメタ騒音に一〇年間やられてない状態のぼくなら、賛成できることだ。

けど、一〇年間やられたあとは、賛成できない。それから、たとえば、『元気だ元気だと言えば元気になる』とか『むりやりでもいいから、声出してわらえば、楽しい気分になる』とかと言う人がいるけど、それは、ヘビメタ騒音が鳴っているときに、ためしたことだ。

ヘビメタ騒音が成り終わったあとも試した。

けど、俺の気持ちを破壊するような効果しかない。そういう人たちは「やってみなければわからないだろ」と言う。「なんでも、そうやって否定して」と言う。けど、ちがうんだよ。ちがうの……。まちがっているのは、そっちなんだよ。勘違いしているのはそっちなの……。

どうして、ヘビメタ騒音という要素を見ないのか?

俺が言っているだろ!!

言われても、わからないからわからないんだろうと思う。ヘビメタ騒音の影響を無視するから、俺が言っていることがわからなくなる。

俺が『やってもしないで、ただ否定したいから、そう言っている』と思ってしまう。ちがうんだよ!!

いずれにせよ、そういう『楽しい人達』は、否定されるとやっぱり、不愉快な気持ちになるわけだろ。俺に対して、あんまりよくない感情を抱くわけだろ。けど『ヘビメタ騒音』の影響を無視して、勘違いしたことを言っているのはそっちなんだよ。

けど、そういうレベルでも他の人と話があわなくなる……。俺がもし、気違い家族よる、しつこい!しつこい!!騒音を経験してなかったなら、ちがうんだよ。

そういう人たちの言っていることに、賛成できた。

けど、気違い兄貴のヘビメタ騒音を経験して、とてもじゃないけど、賛成、できなくなった!!!!

なので、そういうところにも、影響を与えているんだよな。ヘビメタのすさまじさが、わからない。他の人たちにはわからない。

ヘビメタだって好きな人はいる。そういう人たちは、自分が一番この世で嫌いな音が、九〇デシベル付近の音で毎日ずっと鳴っている状態というのをか想像してほしい。けど、まあ、これが、『想像」と『現実』はまるでちがうんだよな。経験しないとわからない。一日じゃだめだぜ。一〇〇日、一〇〇〇日、二〇〇〇日、三〇〇〇日。四〇〇〇日。五〇〇〇日経験しないとだめだ。そして、やっているやつは、『家族』でなければならない。そして、九〇デシベル付近の、自分の耳が悪くなるような音で鳴らしているのに、こんなのは、三味線ぐらいの音だと本気で思えるようなやつじゃないとだめだ。

 

ぜんぜん静かにしてやってないのに、〇・一デシベルでも、落として我慢してやったら、『我慢してやった!!我慢してやった!!』『ゆずってやった!!ゆずってやった!!』『静かにしてやった!!!静かにしてやった』と本気で思えるようなやつじゃないとだめだ。『我慢してやった!!我慢してやった!!』『ゆずってやった!!ゆずってやった!!』『静かにしてやった!!!静かにしてやった』と思いながら、弟の入学試験前日に、一三時間ヘビメタを『自分が思った通りの音で』鳴らし続けても、なにも感じないやつじゃないとだめだ。

本当に、『ゆずってやった』と思っているのである。一三時間鳴らしているのに、一〇分間、〇・一デシベルでも静かにしてやれば、『静かにしてやった』『ゆずってやった』と本気で思える。思っている。

そういう頭の構造。そういう脳みその機能障害。感覚器を総動員して、自分をだましている。感覚器を言い換えている。普通なら絶対にわかることを、否定する。普通なら絶対に、わかることがわからない状態になっている。耳が正常なら絶対にわかることが、わからなくなっている。自分が無意識的に、やりたいなら、そうなる。感覚器の情報を書き換える。もし、「やりたい」という気持ちがないなら、絶対に、でかい音だと感覚できる。認知できる。認識できる。自分が『思いっきり、でかい音で鳴らしたい』という気持ちがあると、途端に、感覚器がおかしくなる。『そんなんじゃない』ということになる。『でかい音じゃない』ということになる。『三味線ぐらいの音だ』ということになる。物理的な音の大きさなら三味線より、一〇万倍でかいよ。

気違い兄貴に言っておく。おまえ、おやじにそっくりだよ。やっていることが、同じ。うりふたつ。やり方が同じ。考え方が同じ。感じ方が同じ。自分がやりたいことは、発狂して夢中でやってしまうけど、本人はやったつもりがないというところが、そっくりなんだ。ゆずってないのに、時間がたてば「ゆずってやった、ゆずってやった」と言うことになる。そういうふうに言った日だって、静かにしない。ゆずらない!!

けど、本人は、本当に気にならない。どれだけ言われても、言われたときだけ、真っ赤になって、怒っておしまいだ。絶対の意地でやりきる。やりきるけど、やったことになってない!!

これ、ほんとうに、やっている相手で、話が違ってくる。騒音の主観的な大きさがちがってくる。騒音の『負の効果』の大きさがちがってくる。


 

2020年11月3日火曜日

しかし、それでも、絶対的な多数なので……多数者の問題になる


まあ、ぼくの場合はヘビメタ騒音の問題がある。これは、他の人にはない。他の人には、ない、特殊な問題だ。これが、たとえば、五〇年間、会社につとめた人が、退職後、アイディンティーをなくして不安定になるという問題であれば、五〇年間、会社につとめた人が共感できる問題になる。もっとも、五〇年間、会社につとめた人が、全員、アイディンティーを失うわけではない。だから、五〇年間、会社につとめた人のうち、何割かがそういう問題を抱えるということだ。しかし、それでも、絶対的な多数なので……多数者の問題になる。五〇年間、会社につとめた人が、定年後、アイディンティーを失って精神的に不安な状態になり、苦しんだけど、ボランティアをすることやボランティアで出会った人とのつきあいを通して、新しいアイディンティーを獲得していく物語なら、共感を呼ぶだろうけど、ヘビメタ騒音の問題は、俺だけの問題なので、共感を呼ばない。しかも、日本労働教の教えに逆らったことを書いているので、多くの人は難色をしめす。まあ、普通の人には理解されないね。だいたい、気違い兄貴のような兄にやられた人間が少なすぎる。うちのおやじのような父親にやられた人間が少なすぎる。レアなんだよ。悪い意味で。共感なんてあるわけがないだろ。そういうところでも、不利なんだよ。精神的に問題がある父親にやられた人は、そういうところでも不利だ。精神的に問題がある兄にやられた人はそういうところでも、不利だ。 

 

*     *     * 


おやじは特殊な頭の持ち主で、常に、怒り狂って他の人に迷惑をかけていたけど、本人は、そういうふうに認知してないのである。どれだけ言われたって、そういうふうに認知しない。そういう認知が成り立つということがない。

けど、行動は、出っ張っている。アクティングアウトしてしまう。

だから、「やったってやってない」ということが普通に成り立ってしまう。兄貴だって、本当はヘビメタではない音で鳴っていたら、本人だって『ものすごい騒音だ』と感じる音で鳴らしているのに、いつまでたっても、でかい音で鳴らしているという認知自体が成り立たない。どれだけやってたって、やってない」と思える状態が続く。こういうのを、「あたまのくせ」だと言ったら、「あたまのくせ」になる。けど、「あたまのくせだ」と言っている人には、意図があるのだ。隠された主張がある。それは、「あたまのくせ」だからしかたがないという主張だ。「あたまのくせ」を持っている家族にやられた人は、我慢しなければならないのである。あるいは、あたたかくみまもってあげないといけないのである。やられたひとの人権はない。気がつかずに、頑固にやっているやつの人権はあるけど、そういう人にやられている人の人権はないのだ。これが、隠された意図だ。

2020年11月2日月曜日

おやじと同じなんだよな


俺にとって、一番いやな人間は、気違い兄貴だ。二番目が気違いおやじだ。この二人が、飛び抜けていやな人間だ。けど、他のやつも、気違い兄貴や気違いおやじみたいなやつがいて、なんていうのかな? 俺を悪いことに巻き込むのだ。こいつら、同じなんだよな。それに、とりつかれたように、悪いことをする。これは、悪いことであると同時に迷惑行為でもあることだ。俺が打撃を食らうわけだけど、こういうやつらは、まるで気にしないで、のさばって?生きている。生きていく。俺を、悪いことに巻き込むな。「やめろ!!!」「やめろ!!!」「やめろ!!!」と言っているのに……勝手にやりやがって……。これ、社会的には、気違い兄貴にやられて無職だった俺より、気違い兄貴のほうが成功しているんだよ。いつも、そうなんだよ。

 

かなり、ぼやかして書いているけど、俺を悪いこと?に巻き込む他人の態度というか性格が、おやじと同じなんだよな。「やめろ!!」と言っているのに、なんか勝手にやっちゃって、外から見ると一緒に動いているように見えるから、連帯責任とか……。どうしてもそういうことになる。

ぼくはもう、人がいやだ。

 ぼくはもう、人がいやだ。

人がいやだ。人がいやだ。

2020年11月1日日曜日

どんな状態でも「楽しい楽しい」と言えば楽しくなるというのは、まちがい


体調と生活の質は直結している。そりゃ、そうだろう。体調が悪いのであれば、なにをやっても、そんなに楽しくない。まあ、反論する人もいるとは思うけど……。体調が悪くても、楽しもうと思えば楽しめるとか……元気だ元気だと言えば元気になるとか……楽しい楽しいと言えば楽しくなるとか……まあ、それはそれでいいのだけど……。ぼくが言いたいのは、そういうことじゃない。たとえば、風呂に入ることを考えたとする。体調がいいときは風呂に入るのが、楽しいとする。リラックスできるとする。けど、体調が悪いと、その風呂も楽しめない。しんどいものになってしまう。「入りたくないな」と思うようになる。しんどいから……。で、入りたくないのだけど、衛生問題を考えると入ったほうがいいと思うとする。で、入るとする。楽しいか? 入りたくないのに、衛生問題を考えて、やっと入る風呂。楽しいか? 楽しいと言っても、なんて言うのかな? めちゃくちゃに楽しいというのではないのだ。普通に「風呂に入りたいなぁ」と思って入る風呂と、「入らなければならない」と思って入る風呂。同じ風呂でも、ぜんぜんちがう。

楽しい楽しいと言えば、楽しくなるか? これは、状態でちがう。上記のように、体がしんどい状態で「楽しい」と言っても楽しくならないと思う。あるいは、楽しくならない人が実在する。これ、どんな状態でも「楽しい楽しい」と言えば楽しくなると言っている人がいるけど、そうだろうか。また、そういうふうに言っている人は「人間なら」だれでもそうだ……という前提でものを言っているのである。要するに人間ならだれでも「楽しい楽しいと言えば」楽しくなる。楽しくならない人間はいないという前提でものを言っている。しかも、それは、科学的実験で証明されたとか言い出すんだよな。ほんとうに、どれだけ迷惑か。
どんな状態でも「楽しい楽しい」と言えば楽しくなるというのは、まちがい。くるしい状態なら、「楽しい楽しい」と言っても楽しくならない。少なくても、そういう人間が実在する。人間ならだれでも「楽しい楽しい」と言えば楽しくなるか? そんなことはない。どれだけ「楽しい楽しい」と言っても、楽しくならない人間は、実在する。
ほんとうに、こういうの、どれだけまちがった前提でものを言っているか、いい加減に気がつけ。
  



1)どんな状態でも「楽しい楽しいと言えば」人間は楽しくなる
まちがい。
2)中立的な状態なら「楽しい楽しいと言えば」楽しくなる場合がある。
正しい。
3)中立的な状態なら「楽しい楽しいと言えば」楽しくなる人間は存在する。
正しい。
4)中立的な状態でも「楽しい楽しいと言っても」楽しくならない人間は存在する
正しい。

3)は、人間ならだれでもそうだというとを言ってないから。1)は人間ならば誰でもそうだと言っている。人間というのは、楽しい楽しいと言えば楽しくなる動物だと言っているのだ。けど、これは、まちがいだ。どうしてなら、楽しい楽しいといったにもかかわらず、楽しくならない人間がいるからだ。楽しくならない人間がいるということは、実証済み。

だいたい、実験に参加できるということが、そのひとが普通の生活をしているということを意味しているのである。また、たとえば、その人がこの世で一番キライな音を10時間、大音量で無理やり聞かせたあと、11時間目に『楽しい楽しい』と言えば楽しく感じるかどうかということは、いまの心理実験では実験できない。どうしてかというと、倫理規定があるからだ。そういう実験はしてはいけない実験なのだ。だから、その人にとって一番キライな音を、大音量で毎日、10時間聞かせて、一ヶ月後、体調や心理状態がどうなるかというようなことは、調べることができない。その人にとって一番キライな音を、大音量で毎日、10時間聞かせて、一年後、睡眠の質はどうなるかというようなことは、調べられない。その人にとって一番キライな音を、大音量で毎日、10時間聞かせて、10年後、記憶力はどうなっているかとかそういこうとは、調べられない。

ヘビメタ騒音はぼくにとって、この世で一番キライな音なんだよ。そんな音を10年以上毎日、大音量で聞かされて、いいわけがないだろ。そのあいだに、高校入試、大学入試があるなら、そりゃ、人生に影響を与えるだろ。学力や勉強に影響を与えるだろ。そういうことを無視して、『鳴り終わったなら、そんなのは関係がない』とひややかに言ったやつを、デコ・パッチンしてやりたい。 


*     *     *



それから、そういう実験に参加する場合、参加者(被験者)が実験スタッフの気持ちを読み取って、サービスしてしまうという問題がある。要するに、『楽しいとこたえてあげたほうがいいのかな?』と思って、「楽しく感じました」「楽しくなったような気がします」とこたえてしまう問題だ。実験者の意図が読み取られやすい実験なのである。最初から……。いづれにせよ、被験者に実験後も影響を与えるような実験はできないのだから、どんな状態でもこうだということは、そういう実験からは言えない。そういう実験というのは、被験者に実験後、影響を与えないような実験ということだ。被験者に実験後、影響を与えないような実験をして、『どんな場合でもこうだ』と言うことはできない。

 

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俺がここに書いたことを理解できる人は少数派で、たいていの人はそんなこと関係がないと思ってしまう。「楽しい楽しいといえば楽しくなる」というのは正しい。どうして文句をつけるのか? と思ってしまう。そういうレベルだ 。心理学や哲学に興味を持っている佐藤ですら、そういうレベルなのではないかと、うたがってしまう。

 

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2020年10月30日金曜日

他の人のことがぜんぜん参考にならない



ヘビメタ騒音にやられた俺は、他の人のことがぜんぜん参考にならない。他の人の意見、他の人の生き方……全部、ぜんぜん、参考にならない。それにしても、この国の無職に対する偏見はすごいものがある。これは、ぼくの被害者意識とか、社会人に対する?逆偏見ではないから。けど、『無職の現象学』でも書いたけど、じつは、無職かどうかよりも『無職性』のほうが重要なのだ。判断基準として、重要だ。判断基準は、無職かどうかではなくて、無職性が高いかどうかだ。 

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きちがいヘビメタにやられた小学生時代、中学生時代、高校生時代をすごしたことがない人は、ヘビメタ騒音のすごさがわかってない。俺以外の人間がそういう人間なのだから俺が説得して、ヘビメタ騒音のすごさを説明しても、けっきょくは、わからないままだろう。だって、ほんとうに「毎日毎日」「毎時間毎時間」経験してなければ、わからないことなのだから……。どれだけ、ヘビメタ騒音が、生活や人生そのものに悪影響を与えるかわからない。「騒音なんて、鳴り終わったら関係がない」とか考えるやつは、ヘビメタ騒音が鳴ってない時間のつらさがわからない。こんなもの、俺にとっては、「妄想にとりつかれている人」とたいしてかわりがない。まちがったことを、信じている。そして、その信仰が生活の一部になっている。「騒音なんて、鳴り終わったら関係がない」と思ってしまう人は、「鳴り終わったら関係がない騒音」しか、経験してない。どれだけ、睡眠時間を圧迫するかわかってない。どれだけ睡眠の質をさげるかわかってない。どれだけ、人間関係に影響があるかわかってない。俺にしてみればこういうことを言うやつは、「なにもわかってないばか野郎」だ。しかし、そういう「ばか野郎」のほうが、圧倒的多数。俺の状況があまりにも異常なので、ほかの人にはわからない。きちがい兄貴の態度や性格がわからない。きちがい兄貴の「認知」がわからない。きちがいおやじの態度や性格がわからない。きちがいおやじの「認知」がわからない。「父親」や「兄貴」ということ関して、「そんな人いない」と考える人は、騒音の影響がわからない人と同じ間違いをおかすことになる。しかも、間違えたって、なんの、罰則もない。なんの悪影響もない。まさに、『いったものがち』『おもったものがち』……そういう世界だ。絶対少数と、絶対多数。……どれだけの偏見にさらされるか。偏見を持っているほうは、それが偏見だと気づくこともない。そういう世界だ。俺以外の人間はそういう人間……。こんな社会で、「ここちよく」生きていけるわけがないだろ。


ある、障害児教育の専門家が「もし、それがほんとうだとしたら、俺があつかっている子供よりもひどいな」と思ったとする。「それ」というのは、兄貴の性格や兄貴が普通にしてきたやおやじの性格やおやじが普通にしてきたことだ。ようするに、うちのおやじと兄貴は「もしそれがほんとうなら」障害児認定された子供よりもひどいということだ。「それがほんとうなら」というのは、「エイリさんが(兄や父について)言っていることがほんとうなら」ということだ。こういうことを思う専門家は、基本的に、ぼくのことを疑っている。ほんとうのことだと思ってない。そして、そこに、「騒音の影響に対する無理解さが」くわわる。そいつは障害児教育の専門家であると同時に普通の日本人なので、日本労働教徒の教えが、からだにしみついている。すべてのことを考えるとき、「日本労働教徒」の教えが体の中をかけめぐる。「日本労働教徒」の教えが、人に対する判断の基準になる。「日本労働教徒」の教えを守ってない他者は、異教徒であり、迫害してもいい存在なのである。どれだけ、『人権人権』と叫んでいても、普通の日本人であれば、無職者の人権はないと考える。そういうふうに行動する。そういうふうに行動しても、悪いことをしたとは思えない。偏見に基づく判断をして、人を見くだし、無理解な発言をしたとしても、まったく問題はないのだ。むしろ、「無職者でいるほうが悪い」と思うだろう。



ヘビメタ騒音の影響が甚大なのである。同じことをされれば、普通に働けない体になるのに、それがわからない。俺がヘビメタ騒音のことについて説明しても「そんなのは関係がない」と思えてしまう。

2020年10月29日木曜日

みんな、自由貿易について誤解しているんだよね


今回の新型肺炎のことなんだが……
中国が責任なんてとるわけないでしょ。
トランプが中国に責任をとらせるとか言ってたけど、むりむり。
けど、あれ、オバマ政権のとき、オバマが中国に研究所と人材をあげたんだよね。アメリカの金で、中国にウィルス(生物科学)研究所をつくってあげた。研究者も中国にうつった。だから、アメリカが持ち込んだ」という中国の言い分も、一理ある。だから、そういうことをしちゃいけないんだよ。中国という国に……。日本も、相当に技術供与してしまったけど、それはまずいことなんだよ。さらに、中国に進出?した日本企業の工場もひどいことになっている。何度も言うけど、自由貿易じゃダメなんだよ。俺が言ったでしょ。「付加価値じゃ勝負にならない。「工場製品をつくっている国が発展する」と。その通りになったでしょ。堺屋太一より、ぼくのほうが正しかったでしょ。あるいは、経済学者よりぼくのほうが正しかったでしょ。みんな、自由貿易について誤解しているんだよね。比較優位に関して誤解をしている。前提条件を無視している。前提条件は無視しちゃだめなのに……。
 

興味のある人は、『無職の現象学』を読んでね。

2020年10月28日水曜日

ほとんど寝てない状態で、根性で、動いていたから、意志が崩壊した


やっぱり、一か月に一回でも、日時を決められるとだめだ。日時を決められて、その時間に会いに行くようにすると、だめだ。脳みそ破壊度が波じゃない。もちろん、普通の人はそうじゃない。けど、俺は長年のヘビメタ騒音でそうなった。毎日、本当にしんどい思いをして起きた。その積み重ねが、ぼくの頭をこわしている。根性で毎日起きたから、睡眠回路がこわれた。ほとんど寝てない状態で、根性で、動いていたから、意志が崩壊した。常に体がだるい状態になった。常に、憂鬱な状態になった。そして、帰ると、きちがい兄貴がきちがい兄貴の態度で、きちがいヘビメタを、きちがい的にでかい音で鳴らしていた。きちがいだから、おやじの態度で、否定する。怒って鳴らし続ける。けど、鳴らし続けることができたなら、一分も鳴らしてないと思ってしまう。「そんなんじゃない」と思ってしまう。「そんなことはしてない」と思ってしまう。どれだけ言っても、兄貴の騒音で、勉強ができなくて困っているということを、きちがい兄貴が認めない。普通に考えればとてつもなくでかい音で鳴らしているのに、でかい音で鳴らしていると思ってない状態が、毎日毎日続く。毎時間毎時間続く。けっきょく、俺の毎日や毎時間が、だめになる。連続的に毎日毎日、だめになる。毎時間毎時間だめになる。影響を与えないわけがないだろ。どれだけの積み重ねがあったか。負の積み重ねがあったか。そういう負の積み重ねが、自分の人生の中で生じなかったやつが、ヘビメタ騒音の「負の影響」を小さく見積もる。ないものとして、俺に対面する。ヘビメタ騒音の「負の影響」がまったくないと考えて俺に対面するということだ。

こんなのない。

2020年10月27日火曜日

「君じゃなくて、彼だよ」(神経質な話)(人を傷つけるかどうかどこまで気にすればよいのか)


俺が、英語のチャットルームにいりびたっているときだった。とりあえず、登場人物をA、B、俺だとする。
Aは俺と知り合いで、英語とスペイン語と日本語が話せるやつだった。で、Bがスペイン語を話せるやつだった。で、Bがどうしても俺としゃべりたいと言ったらしかった。で、Aが「俺が仲介するから、Bと話してやってくれないか」と言うことを言った。なので、ぼくは「オッケー」と返した。ぼくは実は、そのほかに、三つの会話に参加していて、忙しかった。で、Aがそのまま、Bの話を、英語にして俺に伝えればいいのに、「いまの、オッケーというのは、俺と話すということなのか」と聞いてきた。で、俺は「君じゃなくて、彼だよ」と言おうと思ったのだけど、「君じゃなくて」の部分がAに対して失礼かなと思った。俺は、小さなことを気にする。これは、きちがいおやじが、ものすごく小さなことで怒り狂っていたからだ。きちがいおやじがいるときは、かならず、こどもや妻に怒り狂っているのである。で、小さなことと言ったけど、じつは、小さなことではなくて、ゼロのことでも、いちゃもんをつけて怒っていた。だから、「君じゃなくて彼だよ」というと、Aの気持ちを傷つけてしまうのではないかと思った。だから、返事をしないまま、ほかの会話に参加していた。それが、どうも、Bのこころを傷つけてしまったみたいなのである。こういうことがある。それを見ていた別の日本人が俺のことを人種差別者だと言い出したのだ。……あとで……そういううわさがたってた。もう、いやだな。「君じゃなくて彼」と言っておけばよかったのか。これだって、気分を害するやつは、害するんだよ。

2020年10月26日月曜日

ずっとずっとずっと、くるしかった。


朝の九時ぐらいから、昼の一二時ぐらいまで眠った……。
よかった。眠れた。けど、体がだるい。
あーー、この雰囲気。

ヘビメタ騒音にやられていた時とおなじだな。際限なく気ちがいヘビメタの闇が続く。昼間で明るいけど、闇。ほんとうに、くるしい。俺はもう、いやだ。こういうくるしさをどれだけ乗り越えてきたのか? けど、乗り越えてきたわけじゃないか。ようするに、くるしさが堆積してしまうのである。時間が長ければ長いほど、その雰囲気が「こく」なる。もちろん、「元気だ元気だ」と言っても、元気にならない。ヘビメタ騒音の「毒」のほうが濃い影響を与える。ずっとずっとずっと、くるしかった。

あれだけ言ったのに、きちがい兄貴がしずかにしてくれなかった。
これ、きちがい兄貴ときちがいおやじは同じ頭の構造だから、まったくなにもわかってないんだよ。自分にとって「そのとき」不都合なことを言われたら、真っ赤になって怒って、おしまい。まったくなにも、つながってない。まったくなにもわかってない。自分がやってないと思っているんだからな。ずっと続けて、きちがい的な意地でやっているのに……。どれだけ、気持ちが暗くなるか。雰囲気が暗くなるか。破滅・破綻に追い込まれるか。

 

*     *     *

 

どうするかな?
だるい。

飯は食わないで行こう。

*     *     *


だるい。やることがあっても、なくても、なんかいやな感じがある。
ヘビメタ騒音にやられていたときの感じだ。あのときの昼の感じだ。あのときの午後の感じだ。これ、生きているかぎり終わらないんじゃないか。きちがいヘビメタにやられてないやつが、好き勝手ないことを言いやがって。どんだけくるしいか。

*     *     *



 

そして、この雰囲気だよ。この雰囲気。


また、三〇時間ぐらい起きている状態で、行動することになるなぁ。自転車、こげるかな?
あとは、やる気なんだけど、どうにもならない。せめて、三〇代のやる気が復活してくれればいいのだけど、いろいろとやって、もう疲れた。特に、おやじ・ネズミ関係で疲れたなぁ。ほんとうに、いろいろ、ありすぎた。

そして、この雰囲気だよ。この雰囲気。 


ヘビメタで、くるしかったな。ほんとうに、ヘビメタ騒音でくるしいだけの人生なんだよな。生まれたときから、気違いおやじにたたられて、一二歳以降は、ずっとヘビメタにたたられている。これ、本当に、やりようがないんだよな。「やりようはある」と思う人はいると思うけど、その人は、ヘビメタ騒音の数千日を経験してない。

2020年10月25日日曜日

「よる、ふつうにねむれない」ということが、どれだけの影響を与えるか?


ほんとうに、ヘビメタ騒音で……。あんな気分で、人とつきあえるわけがない。どれだけ、「つけあげ」があったか? 普段の俺が、普段の俺じゃないんだよ。ヘビメタにやられて続けている俺と、やられてない俺はちがうの!!あんな気分で女の子とつきあえるわけがないだろ。

あの、気分はない。小学六年生のときから「いえでべんきょうができない」ということが、どれだけ影響を与えるか? 積み重なって影響を与えるか? どれだけのことが積み重なるか? 学校の出来事と家の出来事で相乗効果がある。


小学六年生のときから「よる、ふつうにねむれない」ということが、どれだけの影響を与えるか? 「元気だ元気だと言えば、元気になる」とか、そういうことで、かたづくわけがないだろ。元気になるわけがないだろ。きちがい兄貴が一日目に、ヘビメタをやめなければ、無意味なんだよ。ヘビメタ騒音生活が続いている「なか」で、どれだけ「元気だ元気だ」と言っても、元気にならない。

どれだけ、つきあげられるか? 女の子といっしょにいれなくなってしまうだろ。普通の気分でいれなくなってしまうだろ。つれあったらつきあったで「受験なのにこんなことをしていていいのだろうか」という気分になってしまうだろう。

それは、きちがい兄貴が、俺の存在と俺の言い分を無視して、「しらんぷり」で、いつものように、いつものヘビメタを、ガンガンガンガン、本人が眠るまで鳴らしているからなんだよ。

きちがい兄貴のヘビメタが鳴っている時間は、俺がどれだけヘビメタ騒音を無視しようとしても、ヘビメタ騒音からのがれようと、部屋の中で自分の位置をかえても、どうにもならなかった。外に出れば、さすがに、ヘビメタ騒音からのがれられるけど、帰ってきたら、帰ってきた時点から、きちがい兄貴が眠る時点までずっと鳴っているという状態になる。

 

そういう状態が、たとえ、一分間でもくるしいのに……。

 

ヘビメタ騒音なしで、あの娘と普通につきあいたかった。普通に……。

あれ、気違いヘビメタがあると……どーーーしてもむりなんだよな。ヘビメタ騒音の圧迫。ヘビメタ騒音の発狂的な圧迫。圧迫がすべてをぶちこわす。たつせがない。勉強だって……恋愛だって……友達だって……。前の日のヘビメタでメチャクチャな状態なんだぞ。圧迫。あの、雰囲気はない。全部、メチャクチャになるんだよ。範囲を限定できないんだよ。不可避的にメチャクチャになるの!! おまえら、わかってないだけだろ。自分なら平気だと思っているんだろ。実際にやられたら、ちがうということがわかるよ。それが、一〇年も続いたら……。どんだけつもるか? あの娘と普通につきあいたかった。気違いヘビメタ騒音なしで普通につきあいたかった。
 

2020年10月24日土曜日

普通の人と、ちがいすぎるんだよなぁ


普通の人と、ちがいすぎるんだよなぁ。人生が……。生活が……。環境が……。だから、ほかの人のセミリタイア生活やセミリタイアに関する考え方を読むと、「普通だなぁ」と思ってしまう。「普通の生活をしてきた人はそうなんだろうな」「普通の生活をしてきた人はそう感じるんだろうな」と……思ってしまう。つくづく、俺は普通じゃない。
普通の人の話は別世界の話のようだ。

2020年10月23日金曜日

騒音って言ったって、こんくらいならいいんだよ。


めんどうくさいのはいやだ。もう、限界値だ。
風呂も入りたくない。けど、入らないとやばい。

こどもがきゃーきゃー言って、幼稚園で遊んでいる。幼稚園生ではないかもしれない。騒音って言ったって、こんくらいならいいんだよ。


つまんない。俺はもう限界だ。きちがいヘビメタ騒音にやられてから、いいことがない。ずっと、つらい。それで、本当に、完全に誤解される。これも、くるしい。他のやつに完全に誤解される。

本当に、内側にいるきちがいに、騒音攻撃を受け続けると、普通の人が敵になってしまうんだよな。どういうふうに敵になるかは、たとえば、佐藤のところを読めばわかる。けど、佐藤のところは無職になったあとのところだから、無職になる前は関係がないのではと思うかもしれないけど、そうじゃないのだ。無職にならなくても、個々のいろいろなことで、だいたい、佐藤との間に起こったことと同じようなことが起こる。

無職になる前からずっと、他の人から誤解されている。誤解を受けている。俺は、誤解されている。けど、普通の人は、それがわからない。佐藤のように、ヘビメタ騒音がそんなにでかいことだとは思わないからだ。そんなに、普段の俺の生活に影響を与えるものだとは思わないからだ。幼稚園の騒音のようにちょっと我慢すればいい騒音なのである。そいつらにとって、『俺のヘビメタ騒音』がそういう騒音なのだ。そういう騒音だと思ってしまう。けど、ちがう。破壊的にちがう。

 

俺が仮に、「ちがうのだ」ということを説明しても、そいつらは、理解しない。だから、そいつらは、自動的に俺の敵になる。もと親友のダイヤだってそうなんだよ。

ヘビメタ騒音がなければ、こんなことになってない。きちがい兄貴が、気違い兄貴モードで、知らんぷりで鳴らし続けなかったらこんな事になってない。他の人は、普通の騒音だと思っている。けど、ちがう。 うちのことは、他の人にはわからない。気違いおやじの頭のことだって、他の人にはわからない。ほんとうに、そういう頭の構造を持っているので、そういう人であり続けるのだ。気違い兄貴も同じ。気違い兄貴は、ヘビメタ騒音を鳴らしてから、気違いおやじをずっと無視している。だから、気違い兄貴は、アドラーみたいに、気違いオヤジの問題を、気違いヘビメタを鳴らしはじめたころから、気違いおやじの問題として切り分けている。けど、その気違い兄貴が、気違いおやじモードでやったことが、ヘビメタ騒音なのだ。ヘビメタ騒音はどれだけ無視しようと思っても無視できない。からだに影響がある。

気違いおやじのような人が家族ではない人、気違い兄貴のような人が家族ではない人は、基本的に、大きな誤解をする。しかも、誤解だとは思えない。俺が説明をしても考え方をかえないだろう。誤解したままだ。 

そして、そういう人が圧倒的多数なので、俺は生きづらい。佐藤よ。それが俺の答えだ。生きづらさに関する答え。

2020年10月22日木曜日

認知療法や精神世界が毒親にやられた人をおいつめる(せめる)(症状ひどくする)(破滅に追い込む)


俺は基本的に、ヘビメタ騒音でくるしい。たぶん、これがなかったら、まったく別の人格だっただろうと思う。別に「元気だ元気だ」と言わなくても、元気だったと思う。別に無理に笑おうとしなくても、おかしいときは笑える人間だったと思う。けど、ちがう。楽しくない。
働いている人間とも、リタイアして働いてない人間とも違う。若い人間とも年取った人間とも違う……。これはようするに、ヘビメタ騒音がない若い人や、ヘビメタ騒音がないとしとった人間とは、そもそもの考え方ちがうということだ。

考え方ではなくて、感じ方も違う。この感じ方は、ものすごく、根本的なところでの感じ方だ。そして、ヘビメタ騒音ときちがいおやじ(毒親)がそろってしまうと、明るい人や認知療法系の人や精神世界系の人やアドラー心理学系の人と相性が悪くなってしまうのである。

普通の人の考えだと、やはり、「思ったことが現実化する」「。いったことが現実化する」「引き寄せはある」「笑う門には福来たる」「ニコニコしていればいいことがある」ということになると思う。けど、これが、成り立たない。というか、これが、ようするに、「せめ」になってしまうのである。この仕組みがわかる人なんて、ヘビメタ騒音に長年やられた人しかいないと思う。

ヘビメタ騒音はともかく、いまの日本は、毒親にやられた人が、まわりの人から、せめられるような状態になってしまっている。しかも、認知療法とか精神世界とかそういうことを信じている人たちが、毒親にやられた人をせめるということになっている。ほんとうなら、認知療法は毒親にやられた人にとってプラスにならなければならないし、精神世界の話も毒親にやられた人にとって、プラスにならなければならない。

けど、実際には、マイナスになっている。

それは、たとえば、認知療法家が言う場合も同じだし、認知療法の影響を受けた元患者が言う場合も同じだし、一般読者用に書かれた認知療法の本を一冊読んだだけで、認知療法にかぶれた人が言う場合も同じだ。アドラーだともっとひどい。けど、認知療法に成り立つことはアドラー心理学にも成り立つ。認知療法家とかアドラーは「せいしんぼんぼん」なのである。人間的に成長した親に育てられた人たちなのである。ぜんぜん、わかってない。毒親のことがまったくわかってないのだ。この人たちはフロイト流の無意識を無視しているので、現象を理解してない。

問題なのは、一般の人がそういう本を読んで、普通にアドバイスしてしまうことだ。そりゃ、そこに書いてあることを信じているわけだから、そうなる。普通に解釈すればこういうことが書いてあると解釈するしかないわけだから、自分は正しいことを言っていると……どうしたって、思う。思うだろうと思う。



まあ、毒親といっても、いろいろなので、アドラー心理学が参考になったと言う「毒親サバイバー」もいるかとは思う。毒親と言っても、フロイト流の無意識を抱えている毒親とそうではない毒親がいるのである。フロイト流の無意識を抱えている毒親にやられた人は、認知療法の信者やアドラーの信者から、せめられる。基本的に、まったく、プラスにならない。むしろ、マイナスになる。認知療法ですすめられている考え方や方法は、じつは、フロイト流の無意識を抱えている毒親にやられた人を強迫神経症に追い込む。症状をひどくする。どうしてこれがわからないのか?


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2020年10月20日火曜日

ヘビメタ騒音にやられてないから、感覚が正常だ

 つまんない。他の人はいいなぁ。ヘビメタ騒音にやられてないから、感覚が正常だ。俺は、もう、やられ続けて、どうにもならない。感覚が正常じゃないんだよな。 

つまんない。感情、死んだ。

つまんない。

2020年10月19日月曜日

ヘビメタ騒音で、体調が悪いということさえ、俺の責任にされる


おもしろくない。人間が、いやだ。どうして、ヘビメタ騒音でくるしいと言っているのに、それを認めないのか? どうして、ヘビメタ騒音でできないと言っているのに、それを認めないのか?

そんなことはたいしたことじゃないと決めつけて、俺をバカにする。そんなことは影響を与えないと、あほな判断をして俺を見くだしてくる。しかも、まったく悪気がない。「そんなのはあたりまえ」なのである。「その年で働いてないのは異常」なのである。「どんなことがあったって、楽しく生きていける」とヘビメタ騒音の「影響」をことを認めずに言う。


おまえ、どれだけヘビメタ騒音で積み重なっているか? それは、別に「無職期」以降のことじゃない。一日目から、こういうかたちで、人から誤解されている。それは、俺にとって、どうでもいいことじゃない。毎日そんなことが積み重なって、いいわけがないだろ。

 

けど、きちがいヘビメタが鳴っていると、どうしてもできないということになる。ほかの人には、「ヘビメタ騒音が鳴っていると、どうしてもできない」という必然性がわからない。体で感じたことがないからわからない。「そんなことはない」と思ってしまう。「どれだけ鳴ってたって、勉強はできる」と思ってしまう。「どれだけ鳴ってたって、鳴り終わったら、ぐっすり普通に眠れることができる」と思ってしまう。

 

もし、鳴り終わったら、ぐっすり普通に眠れることができるのであれば、そうしないエイリが悪いのだということになってしまう。こだわるから悪いのだということになってしまう。「眠れななんていうのは、いいわけだ」といこうとになってしまう。どれだけ、はさまれるか? どれだけ主観的な感覚が違うか?

そうなると、すべては受け止め方の問題だという、例の、フラットな理論が持ち出されることになる……。たしかに、ヘビメタという音楽に関しては、受け止め方の問題だけど、きらいな音がでかい音で鳴っているということに関しては、相当に受け止め方の問題じゃない部分がある。平日一日に七時間鳴ってたらくるしいだろ。休日、一日に一三時間鳴ってたら、くるしいだろ。やられたことがないからまったくわかってない。
 

ヘビメタ騒音で、体調が悪いということさえ、俺の責任にされる。「健康管理ができてないのは、おまえのせいだ」ということだ。きちがいヘビメタを、家族に!あの態度で鳴らされて、睡眠がうまくいかないのに、元気だなんてことはないんだよ。

これも、「元気だなんてことはないというから、元気じゃなくなる」と言霊主義者がせめてくる。元気じゃなくなるというから、元気じゃなくなるわけ(元気ではない状態になるわけ)ではなくて、ヘビメタ騒音が鳴っているから、元気じゃないんだよ。

あるいは、ヘビメタ騒音がずっと鳴っていたから、元気じゃなぃんだよ。けど、そういう人とは「みぞ」ができる。そういうことを言われて、気分がいいなんてこともないんだよ。

「みぞ」を感じて、いい気分になれるなんてこともない。

しかも、俺は、そいつが「元気だなんてことはないというから、元気じゃなくなる」「元気だ元気だと言えば、元気になる」と言う前から、そういう方法はずっと試みている。やってもみないで、捨てられた理論じゃないのだ。けど、言霊主義者は、時系列的なことを無視する傾向があるから、そういうことをちゃんと説明しても、理解しない。俺が言っていることを、理解できない。

 

2020年10月18日日曜日

いまだって、そうなんだよ。


ヘビメタ騒音でボロボロになって……そりゃ、こういう状態にもなるだろう。興味を失うだろう。感情が麻痺してしまうだろう。ぼくが、気違いヘビメタでボロボロのからだを動かしていたころ、世間の人は、俺につらくあたった。いまだって、そうなんだよ。
 

生まれながらの格差は、本当はでかい影響を与えているので、無視するべきではない


頭がもやもやする。「これはもう、おわりかな」なとど思ったりする。さっき、横になっていたとき、いろいろと考えた。保の人には、逆立ちしてもわからないことだ。そして、わかりたくもないだろう。うまれるまえに、自分の人生を選べるなら……自分の人生の出来事を選べるなら……だれがこんな人生を選ぶか? 気違いオヤジのハンディと、気違いヘビメタのハンディがでかすぎる。他の人には、これが見えない。見えなければ、ないのと同じだ。見えなければ、「さいしょから」ないのと同じだ。ハンディがない状態を俺を想像できない。こいつらは、ハンディを抱えて弱っている俺に、気違い的なアドバイスをする。いや、ハンディを無視している……なかったことにしている……という点を考えると、気違い的な、無理なアドバイスなのだけど、彼らにしてみれば常識的なアドバイスだ。彼らは、ヘビメタ騒音の長さがわからない。実際に、経験した場合の長さがわからない。そして、それがどういう影響を与えるか、わからない。あたえ続けるかわからない。どういうふうに、時系列的に波及していくのか……自分のことじゃないから……まったくわからない。本人にしてみれば、的確なアドバイスなのだろうけど、こっちにしてみれば「まとはずれ」のアドバイスだ。で、これがまた、アドバイスの前提になっている考え方を指摘すると、そいつらはみんな、怒り狂う……とまではいかないけど、かなり不機嫌になって怒る。ほんとう、他の人がわからない形で、気違い的な家族にやられつづけると、こうなってしまうんだよな。相手? 相手は、悪気はないさ。けど、たとえば、こっちが無職であれば、無職だと思って……バカにしたあと、アドバイスをするんだよ。俺が教授だったらそんなアドバイスはしない。俺が、ヘビメタ騒音で弱りきって、無職だから(当時)、無職に対して、当然のアドバイスをするということになる。無職に対してはそういうアドバイスをしてもよいのである。こいつらは、みんな!!!生まれの格差を無視している。気違い家族に囲まれたら……どうしたってひきうけなければならない、いろいろな不幸な体験を無視している。生まれながらの格差を無視している。


生まれながらの格差は、本当はでかい影響を与えているので、無視するべきではない。なににでかい影響を与えているかと言うと、その人の、過去とその人の現在の状態にでかい影響を与えている。才能か環境かということが議論されることが多いけど……才能も環境も関係があるけど……環境のほうがでかい影響を与える。これ、相乗効果があるものだから、どっちがどっちということを決めることができないのだけど、環境が『才能』を支配してしまう状態のほうが多い。生まれながらに決まっている才能というのは、わりと、割合が小さい。脳みその『発達』や体の『発達』は、環境の影響を大きくうける。才能は、生まれたときに固定されてしまうようなものではないのだ。時系列的に『環境』でかわっていく。

ともかく、ヘビメタ騒音の毎日を経験してないやつが、結果としての無職(当時)や結果としてのひきこもりを重視して、あれこれ、的はずれなことを言うのは、ゆるせない。ヘビメタ騒音がなければ、無職期間を経験しなかったし、引きこもり期間を経験しなかった。ようするに、簡単に言うと、ヘビメタ騒音が続かなければ、無職じゃなかったし、引きこもりにもなってない。なめている。そいつらだって、あれだけヘビメタ騒音が続けば、どれだけ才能がある人でも、どれだけ体力がある人でも、どれだけ精神力がある人でも、今の社会において、無職になるのに、自分は(たとえ、そういう事があったしても)無職なんかにならないと思って、説教をしはじめる。アドバイスは本当は、不適切なのだけど、間違った前提で不適切なアドバイスをしてくる。

2020年10月15日木曜日

眠れなかったので、だるい


眠れなかったので、だるい。眠れなかっただけではなくて、風邪をひいたようにだるい。これは、風邪ではなくて、ヘビメタ騒音病なのだ。だから、人にはうつらない。ウィルスでそういう症状が出ているわけではないから。けど、だるい。ネズミのことを考えると、憂鬱な気分になる。対処がたいへんだからだ。ネズミの場合は、ウィルスや細菌の問題はある。ネズミ本体だけではなくて、ネズミについているダニやノミにもウィルスや細菌の問題はある。ネズミにとりついて、ネズミの血を吸っているダニは、やばいダニなのだ。

それが数千日続いたら、普通の状態ではなくなる

 
幼稚園?
うるさいよ。こどもがものすごい奇声を発生している。しかも、複数。
ぼくは、幼稚園の騒音やマンションの騒音でこまっている人も、こまっているのだと思う。けど、ヘビメタ騒音の破壊度がすごいのだ。このヘビメタ騒音はきちがい兄貴のヘビメタ騒音ということだから……。普通の騒音とはレベルがちがうんだよね。ほんとうに「破壊的」。くるしいんだよ。

一秒間だろうが、一分間だろうが。それが、何時間もなっている状態というのは、普通の人は、考えられない。影響を受ける。どうしても、眠れなくなる。そして、たしかに、「どれだけ、動きたくなくても、まずうごく」とかそういうことは、初期の段階ではできるのだけど、だんだん、できなくなる。行動主義心理学はペテン。うそ。


やはり、その人の経験とかそういうことを考えてない。「人間」なら、こうだという言い方をしている。

寝不足で、動きたくないときに、動かなければならないとなると、どうしても、「憂鬱」になるのである。それが数千日続いたら、普通の状態ではなくなる。この普通の状態というのは、そういう状態が数千日続かなかった場合の(その人の)状態だ。そういう出来事が数千日続いて、体が変化を受けた状態と、そういう出来事が発生せずに、からだ(そのことで)変化を受けてない状態を、同じ状態だとは考えられない。毒にやられた人間と、独にやられてない人間を、同じ人間だからと言って、区別せずに「人間ならこうだ」と言ってしまうのは、問題がある。

行動主義心理学者が「やる気」なんて、最初からないから、「やる気を出す方法なんてない」ということを言った。「やる気」というのは、やる気がない人間が考え出した概念だから、「やる気」などというものは、そもそもないのだ……ということだ。けど、「意欲」に関しては、行動主義心理学者も考えなければならないのである。「やる気」を「意欲」と言い換えれば、「意欲なんてそもそもない」ということは言えない。それから、「まず、行動を起こすには、頭の上にエネルギーの球を想像して、それが、頭の中に落ちてくるところを想像すればいい」などと言っているのだ。これが、「やる気を出す方法」なのではないのか。問題なのは、意欲がないにもかかわらず、意欲を出して行動しなければならないところなのである。

話がとぶけど、マンションの騒音になやんでいる人に、ヘビメタ騒音のほうがひどい騒音なので、その騒音はたいしたことじゃないというつもりはないのだ。ヘビメタ騒音のほうがひどい騒音だと思うけど、マンションの騒音になやんでいる人にとっては、その騒音は、無視できない、でかい騒音だ。騒音問題自体がでかい。だから、ヘビメタ騒音よりも、たぶん、小さい騒音だからなやむ必要がないということ言っているわけではないのだ。それは、なやむでしょうということを言いたいのだ。想像の公的な基準というものを考えたとする。その場合、あの人が言っていたマンションの騒音、あるいは、上の階のこどもがあばれることによって出る騒音は、想像の公的な基準よりも、上だと思う。ヘビメタ騒音もそのマンション騒音も、想像の公的な基準よりも上の騒音だと思うけど、ヘビメタ騒音のほうが、たぶん、そのマンション騒音よりも、強烈だということだ。ヘビメタ騒音よりも「した」の騒音だろうから、なやむ必要がないということを言っているのではないのだ。なやむに相当する騒音でしょうということを言っている。……気違い兄貴のヘビメタ騒音よりもしずかだと思うけど。

粘着面につかないように、ふれないように、行動をしている。


ネズミシートの上に、箸セットの箱をのせて、通ったみたいだ。ネズミが……。あいつら、頭がいいなぁ。おやじが「俺が捕まえるからいい(工事はしなくていい)」とがんばっていた期間に、いろいろとあって、ぼくはあそこらへんをいじりたくない気分になっていた。だから、いろいろとあらされている。ほんとうは、サイドボードもなにもかも撤去して、穴?の前にネズミシートを置くべきなのである。けど、ネズミシートは、相当に警戒されていて、粘着面につかないように、ふれないように、行動をしている。

まあ、これから出かけるから、ネズミがつかまっているところを見ないほうがいいのだけど、それにしても、長期戦になってきた。
 

「健康管理ができてないのは、おまえのせいだ」


おもしろくない。人間が、いやだ。どうして、ヘビメタ騒音でくるしいと言っているのに、それを認めないのか? どうして、ヘビメタ騒音でできないと言っているのに、それを認めないのか? そんなことはたいしたことじゃないと決めつけて、俺をバカにする。そんなことは影響を与えないと、あほな判断をして俺を見くだしてくる。しかも、まったく悪気がない。「そんなのはあたりまえ」なのである。「そのとしで働いてないのは異常」なのである。「どんなことがあったって、楽しく生きていける」とヘビメタ騒音の「影響」をことを認めずに言う。
おまえ、どれだけヘビメタ騒音で積み重なっているか? それは、別に「無職期」以降のことじゃない。一日目から、こういうかたちで、人から誤解されている。それは、俺にとって、どうでもいいことじゃない。毎日そんなことが積み重なって、いいわけがないだろ。けど、きちがいヘビメタが鳴っていると、どうしてもできないということになる。ほかの人には、「ヘビメタ騒音が鳴っていると、どうしてもできない」という必然性がわからない。体で感じたことがないからわからない。「そんなことはない」と思ってしまう。「どれだけ鳴ってたって、勉強はできる」と思ってしまう。「どれだけ鳴ってたって、鳴り終わったら、ぐっすり普通に眠れることができる」と思ってしまう。もし、鳴り終わったら、ぐっすり普通に眠れることができるのであれば、そうしないエイリが悪いのだということになってしまう。こだわるから悪いのだということになってしまう。「眠れないなんていうのは、いいわけだ」といこうとになってしまう。どれだけ、はさまれるか? どれだけ主観的な感覚が違うか? そうなると、すべては受け止め方の問題だという、例の、フラットな理論が持ち出されることになる……。たしかに、ヘビメタという音楽に関しては、受け止め方の問題だけど、きらいな音がでかい音で鳴っているということに関しては、相当に受け止め方の問題じゃない部分がある。平日一日に七時間鳴ってたらくるしいだろ。休日、一日に一三時間鳴ってたら、くるしいだろ。やられたことがないからまったくわかってない。
ヘビメタ騒音で、体調が悪いということさえ、俺の責任にされる。「健康管理ができてないのは、おまえのせいだ」ということだ。きちがいヘビメタを、家族に!あの態度で鳴らされて、睡眠がうまくいかないのに、元気だなんてことはないんだよ。これも、「元気だなんてことはないというから、元気じゃなくなる」と言霊主義者がせめてくる。元気じゃなくなると言うから、元気じゃない状態になるわけではなくて、ヘビメタ騒音が鳴っているから、元気じゃないんだよ。あるいは、ヘビメタ騒音がずっと鳴っていたから、元気じゃなぃんだよ。けど、そういう人とは「みぞ」ができる。そういうことを言われて、気分がいいなんてこともないんだよ。「みぞ」を感じて、いい気分になれるなんてこともない。しかも、俺は、そいつが「元気だなんてことはないというから、元気じゃなくなる」「元気だ元気だと言えば、元気になる」と言う前から、そういう方法はずっと試みている。やってもみないで、捨てた理論じゃないのだ。けど、言霊主義者は、時系列的なことを無視する傾向があるから、そういうことをちゃんと説明しても、理解しない。俺が言っていることを、理解できない。
 

体の具合が相当に悪い。


体の具合が相当に悪い。
どうするかな?

また、ことわりの電話を入れるのか?
 

2020年10月14日水曜日

全体感情というのがある

俺はものすごくつかれた。
眠れないけど、横になる。

ほんとう、つまんない。

これは、どうしょうもないな。はやく、眠らないとだめなんだけど、眠れるかな。


全体感情というのがある。意志で制御できない感情も含んでいる。感情だけではなく「体調」として語られるものも、感情を形成しているのではないかと思う。人間として、疲れた場合、疲れというのはほんとうに感情抜きで語ることができるものなのだろうか? どうしても、疲れは、感情に類した感覚を持っているのではないだろうか。もたらしているのではないだろうか。

「元気だと言えば元気になる」とか「くるしくてもわらえば楽しくなる」とか、そんなことで、元気になったり、楽しくなったら、うつ病の人なんて、この世からいなくなるだろ。どうして、こういう人たちは、そういうことを、万能薬のように考えるのか? 一〇〇%、だれでも、成り立つと考えるのだろうか。

ヘビメタ騒音でつらいと言っているだろ。ヘビメタ騒音でつらい場合、「元気だ元気だ」と言っても元気にならない。くるしくても、笑えば、楽しくなるかというと楽しくならなぃ。それは、もう、小学生、中学生、高校生のときに、確かめているんだよ。逆に、ヘビメタ騒音「で」くるしくてくるしくてしかたがないのに、「元気だと言えば元気になる」言われるとほんとうに、憂鬱な気持ちになる。死にたくなる。おまえら、そういうの、ぜんぜんわかってないだろ。ヘビメタ騒音がどれだけつらいかわかってないだろ。ま・い・に・ち・つみかさなるヘビメタ騒音がどれだけつらいかわかってないだろ。ヘビメタ騒音がどれだけつらいかわかってないだろ。ま・い・に・ち・つみかさなるヘビメタ騒音がどれだけ、体調に影響を与えるかわかってないだろ。

ヘビメタ騒音のなかで「元気だ元気だ」と言ったら、狂いそうになるんだぞ。発狂しそうになるんだぞ。くるしくてくるしくて自殺したくなるんだぞ。ヘビメタ騒音が鳴り終わったあと、「元気だ元気だ」と言ったら、泣きそうになるんだぞ。自殺したくなるんだぞ。おまえら、まったくわかってないだろ。

「元気だと言えば元気になる」と言っている人たちが、経験している「つらさ」や「憂鬱感」とはちがうんだよ。ヘビメタ騒音のあと、布団に入って、笑えば、楽しくなるか? ものすごい破滅感で死にそうな気持なる。

あとは、そういう一四年間を経験したあとだと、どうも、違う状態になってしまう……みたいなのである。それ、わかいころから、ずっとそういう状態でくらしてきたら、やはり、元気がなくなる。やる気がなくなる。いつもしんどい状態になる。……けど、こいつらは、そういうことを認めない。「元気だ元気だ」と言えば元気になると思っている。どんな状態でも、どれだけくるしくても「元気だ元気だ」と言えば元気になると思っている。「元気にならない」ということを言われると、腹を立てる。彼らにとって、それは、絶対の真実なので、まるで、教祖の悪口を言われたように、腹を立てる。教祖の教えが真実だとして、その真実を否定されると、腹を立てるというのは、わかる。これは、信仰。宗教的な感覚。

けど、これも、考えてみれば、かなしいことだ。不幸なことだ。きちがい兄貴がきちがい的な意地でヘビメタを鳴らし続けただけで、俺とそういう信仰を持っている人たちの間に亀裂がしょうじる。俺は、サービスで「そうですね」と言うことができない。俺が、何千日、試してきたと思っているんだよ? と言いたくなる。

おやじが、兄貴に、うちにある安いはんだごてを持たせることに夢中になっているとき、兄貴とほかの人との間に亀裂がしょうじるとは思ってないだろ。けど、しょうじるんだよ。「そんなの、大人の人が言うわけないだろ」「おまえ(兄貴)の説明のしかたがわるかっだけだろ」と言われるんだよ。気違いおやじには、どれだけちゃんと説明してもわからないのに、きちがいおやじには、どれだけちゃんと説明してもわからないということが、ほかの人たちにはわからない。だか、この場合は、兄貴が、ひどい目にあうということになる。それと、ちょうど同じことが、俺と言霊信者の間に成り立っている。きちがい兄貴のヘビメタというものが与える影響が、ほかの人には、まったくわからない。「ただうるさいだけだろ」「鳴り終わったなら関係がない」と思ってしまう。亀裂がしょうじる。

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何時間も何百回も何千回も何万回もぶたれたあと『元気だ元気だ』と言っても、元気にならないだろ。破滅的なくやしい気持ちで、笑顔をつくっても、楽しくならないだろ。気違い騒音にぶたれまくっていた。俺は毎日毎日、何時間も何時間も、何万回も何万回も、音にぶたれていた。脳みそを、ぶたれていた。あの感覚はない。あの状態で勉強なんできるわけがないのに、『どれだけ騒音が鳴ってたって勉強なんてできる』と言うやつは、ほんとうの騒音が、意志に関係なく、どれだけ脳みそにこたえるか、わかってない。ほんとうに、あの音は、うがうんだって言っているのに。幼稚園の騒音とはちがうと言っているでしょ。けど、そういうふうに言うと、幼稚園の騒音でなやんでいる人のなやみを否定したようになってしまうんだよな。これは、まずかった。

 

 

精神世界的によさそうなことを言っているのに?けっきょく、借金で自殺する人たちを増やしている


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精神系詐欺本というものがあるような気がする。
こういう、レベルなんだよな。こういう、つくりばなしに、感動する人たち? 涙を流す人たち? あーー、あほらしい。


けっきょく、へんな儲け話に引っかかる人を量産しているような感じがする。そもそも、こういう「つくりばなし」が、つくりばなしであるということに気がつかないというのがおかしい。もし、本当に気がつかないで、実行してしまったら、借金で首が回らなくなるだろう。なにか、精神世界的によさそうなことを言っているのに?けっきょく、借金で自殺する人たちを増やしているというブラックジョークのような状態。
感動している人たちは、「さくら」で、ほんとうはそういう人たちは少ないということを願っている。
けど、ほんとうに、無知な人たちをおとしいれるようなことばかり書いてあるな。

 

2020年10月13日火曜日

他の人が寝ているあいだ、ぼくはずっと、くるしみっぱなしだった

 どれだけ、「あれはない」とか「あのときの、あれはない」と言ったところで、他の人にはわからないからな。ヘビメタ騒音でほんーーとーーーに、つらかった。言いようがない。

 

いまの時間も鳴ってた。三六五日中、三六五日、いまの時間、鳴ってた。くるしかった。だから、鳴っているあいだのくるしさと鳴り終わったあとのくるしさがある。どっちも同じぐらいにくるしい。そして、夜、他の人が寝ている時間、破滅破綻がやってくる。あのときの、あれもない。他の人が寝ているあいだ、ぼくはずっと、くるしみっぱなしだった。あんなのない。毎日毎日、あんなが続いていいわけがない。他の人にはまったくわからない。他の人は気違いヘビメタがないので、普通に眠れたわけだから、僕が毎日経験していた、あの地獄の時間がない。それで、「みんな、くるしい」とか言う。ヘビメタ「で」くるしいと言っているだろう。おまえらは、どうして……それがわからないんだ。ヘビメタ騒音「で」くるしいと言っているのに……。ヘビメタ騒音で「で」きないと言っているのに……。ヘビメタ騒音「で」できなくなったと言っているのに……。ヘビメタ騒音がないやつができるから、できるという、クソ理屈を言ってくる。こんなの、ない。

 

 

2020年10月11日日曜日

『引き寄せ』と『自己責任論』


「引き寄せ」パラダイムには、現世でご利益をうけたい人が、むらがっている。別に、それでいいと思う。だれだって、楽しい思いをしたいし、楽な思いをしたい。自分の願望があれば、かなえたいと思う。それが、普通だ。

 

けど、「引き寄せ」パラダイムには問題がある。それは、不幸な人に対して「不幸な人は不幸なことを引き寄せたからだめなんだ」と言ってしまう問題だ。「だめなんだ」と言わなくても、『不幸な人は、不幸なことを引き寄せたから、不幸なんだ』というような考え方自体が、傲慢なのである。これは、容易に自己責任論に置き換わる。ようするに、「不幸である人は、不幸なことを自分で引き寄せたので、自己責任だ」という理論に置き換わってしまうのである。
 


「不幸なこと」という言い方や「すでに不幸な人」という言い方だとよくわかからないかもしれないから、具体的な例をあげるとする。
引き寄せパラダイムを持っている人は、他人の不幸な出来事に対して、こういう見方をするようになる。

・コロナウィルスにやられた人は、コロナウィルスを引き寄せたから、だめなんだ。
・病気になった人は、病気を引き寄せたからだめなんだ。
・事故にあった人は、事故を引き寄せたからだめなんだ。
・家族が死んでしまった人は、家族が死ぬという出来事を引き寄せたからだめなんだ。

もうちょっと、具体的に書こう。

たとえば、Aさんと、Bさんと、Cさんと、Dさんがいるとする。AさんとBさんは夫婦で、Aさんが夫、Bさんが妻だとする。Cさんは、AさんとBさんの娘だとする。Dさんは、ドライバーだとする。

ある日、BさんとCさんが、普通に歩道を歩いていたら、Dさんが、うしろから、車で突っ込んだとする。

その結果、BさんとCさんが死亡したとする。この場合、引き寄せパラダイムにしたがうと、BさんとCさんが「事故」を引き寄せたということになってしまうのである。


また、Aさんは、妻と娘がいっしょに亡くなってしまうという出来事を引き寄せたということになってしまうのである。そして、BさんとCさんが事故を引き寄せたとすると、BさんとCさんが引き寄せたのだから、BさんとCさんの自己責任だということになってしまうのである。

引き寄せパラダイムは、出来事を引き寄せた本人に責任があるとする『自己責任論』に容易に結びつく。本当は、自動車で歩行者につっこんだ、Dさんさんの責任なのに、責任を追及されるのは、事故にあったBさんやCさんであり、BさんやCさんの家族であるAさんなのだ。

引き寄せパラダイム保持者は、被害者や被害者の遺族だけの責任を追及する。事故を起こした方の当事者であるDさんの責任は追及しない。引き寄せた人が悪いということになってしまうのである。これが、引き寄せパラダイムにもとづく、現実解釈の問題点だ。
 

2020年10月9日金曜日

「過去なんて関係がない」と言うやつは、過去を重視している

「過去なんて関係がない」と言うやつは、みんな、学歴や職歴を重視している。学歴や職歴……学歴や職歴の集大成である現在の肩書を重視してものを言うやつばかりだ。これ、自分で自覚がないのかな? 『専門家の意見は信頼ができる』と信じているやつも、学歴や職歴を重視している。

 

けど、そういうやつに限って、『過去なんて関係がない』と言い出す。たぶん、この人たちは、無職や中年アルバイトは『なめてもいい』と考えているのだろう。学歴や職歴の集大成である、現在の肩書を重視しているからこそ、『こいつは、なめてもいい』『こいつには、説教をしてもいい』と考えるのだろう。

 

『過去なんて関係がない』という話がどこにつながるかというと、『就職しろ』『ちゃんと働け』という話につながるのである。もちろん、学歴や職歴がボロボロである人たちは、学歴や職歴が立派であればアクセスできる職場にはアクセスできない。「職場」と書いたけど、「職業」でも「仕事」でもいい。

ようするに、『きつくて、くるしくて、賃金が極端に安い仕事をしろ』ということなのである。

逆算すれば、『きつくて、くるしくて、賃金が極端に安い仕事をしろ』と言いたいがために、『過去なんて関係がない』と言い出すのである。

 

『現実を見て、アクセスできる仕事に就けばいい』ということも言うだろう。これも、『きつくて、くるしくて、賃金が極端に安い仕事をしろ』ということなのである。『現実を見て』というのは、『現在の現実』を見てということだから、『過去なんて関係がない』という意味で過去を軽視しているように見える。 


しかし、現実を見るということは、高望みはせずに『きつくて、くるしくて、賃金が極端に安い仕事をしろ』ということなのだから、過去を重視していると言える。この場合の現実を見るというのは、学歴や職歴がボロボロだという現実を認めろということなのである。さらに、学歴や職歴がボロボロなら、底辺ブラック企業にしか就職できないという現実を認めろということなのである。

 

ぜんぜん、過去を軽視してない。過去の履歴を特別に重視している。

 

『高望みはせずに』というのも『おまえだって、自分の学歴や職歴がボロボロなのはわかっているだろ』ということだ。そういう意味で『現実を見ろ』と言っている。だから、もちろん、過去の履歴を重視している。

「過去なんて関係がない」「現実を見て、アクセスできる仕事に就けばいい」と続けて言った人は、過去を無視しているような印象を(言われたほうに)あたえるが、ほんとうは、過去を重視している。「過去なんて関係がない」「現実を見て、アクセスできる仕事に就けばいい」というのは、過去を重視しているからこそ言える、発言だ。


問題なのは、「過去なんて関係がない」「現実を見て、アクセスできる仕事に就けばいい」と続けて言うような人が、ほんとうは、自分は過去を重視しているということに気がついてないことだ。ほんとうは、ダブルスタンダードなのにまったく気がついてない。
 

2020年10月8日木曜日

総合的な毒なんだよな。

やばい。疲れた。

横になるかな。 


ヘビメタ騒音さえなければ……。ほんとうに、勉強することができなかった。いまでも、後悔。

どうしても、人生がない。ヘビメタ騒音なかで、勉強することが どーーーしても、どーーーしても、できなかった。夜、眠れなくなって、くるしいだけの生活になってしまった。勉強だけではなく、生活自体が騒音でめちゃくちゃになる。日中も、ヘビメタ騒音がその場で鳴ってないにもかかわらず、ヘビメタ騒音で眠れなかったから生じるトラブルがある。毎日、小学六年生のときから、家で勉強することができないということが、人生に影響を与えないはずがないだろ。進学に影響を与えないはずがないだろ。友人関係に影響を与えないはずがないだろ。恋愛に影響を与えないはずがないだろ。

総合的な毒なんだよな。

 

 

 

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。