2020年8月13日木曜日

毒を飲んだからといって、毒に反応する必要はないと言っているに等しい。


つねに、からだを焼かれるような状態で暮らしていた。つねに、くるしかった。ヘビメタ騒音なしで、生きたかった。ヘビメタ騒音なしで普通に暮らしたかった。

 

どーしても、ヘビメタ騒音でくるしい。

 

鳴っているさいちゅうだけでなく、ヘビメタ騒音を鳴らされたあとは、ずっと、くるしかった。

 

やられてしまったら、どうしても、ヘビメタ騒音の影響を受ける。影響を受けて暮らさなければならなくなる。「だいじょうぶ」と言えばだいじょうぶ。平気だと言えば、平気になるといった気楽さはない。そういう言霊がまったく無力化する空間がある。生活がある。経験してない人は、それがわからない。

 

だから、軽いライフハックみたいなアドバイスを、俺にしてくる。その人にとっては、ヘビメタ騒音というものは、そういうことで解決できるような感じがするものでしかない。けど、違う。違うので違う。正論ぽい、まったく無効なアドバイスは、人を傷つける。

 

ほんとうは、ヘビメタ騒音の影響をまったく無視して、アドバイスしているからだ。

 

認知療法的なアドバイスも同じだ。影響を受ける必要がないと言っても、影響を「ふかひてきに」受けている。けど、やられてないから、ヘビメタ騒音生活の「ぜんたい」がわからない。やられている時の状態が……やられてないときの状態に影響を与えないはずがない。こんなの、なぐられたからといって、いたがる必要はないとか、なぐられたからといって、青いあざを「つくる」必要がないと言っているのと同じだ。どうしたって、からだが影響を受ける。

 

そういう時間があったということは、そのあとの時間に影響を与える。毒を飲んだからと言って、毒に反応する必要はないと言っているに等しい。

 

 音は物理的な刺激だから、影響を受ける。でかすぎる音にはからだが「はんのう」する。そして、でかすぎるが鳴っている時間が長ければ、そのあとの時間にも影響を与える。どうして、こんなことがわからないんだ。どうして、こういうことを意図的に否定するんだ。『影響を与えるはずがない』と考えるんだ?

 

『説得しよう』『明るく生活してもらおう』『ちゃんと働いてもらおう』という意図があるからなんだろうけど、影響は不可避的に生じるので、影響を無視したアドバイスや影響を過小評価したアドバイスは、適切ではない。現実を無視している。でかすぎるヘビメタ騒音……長すぎるヘビメタ騒音の影響を無視する人たちは、間違いをおかしている。

2020年8月12日水曜日

はねのけてやっているのに、やったつもりが、ぜんぜんない


なんでぼくの人生は、気違い家族に荒らされる人生なんだ? 気違い的な意地でやったやつは、まったくやってないと思っている。つねに!そうだ。やってないつもりで、やる。気違い的な意地でやる。頑固にやる。頑固にはねのける。はねのけてやっているのに、やったつもりが、ぜんぜんない。しょうじない。「やった」と言われると、頑固に否定する。その頑固さが同じなんだよ。で、否定して、当の行為をやってしまう。頭がおかしいから、わからない。ぜんぜん悪意なく、そういうことをやりきる。

2020年8月8日土曜日

意識的な努力は、作用の反作用として機能してしまう


みんな、気違い的な親がどういうふうにたたるかわかってない。
影響を受ける必要があるか、ないかなんて考えられるわけがないだろ。気違いが、死にものぐるいになってかかってくるんだぞ。「よし、影響を受けよう』と思って影響を受けたのではないので、『影響を受けるのはやめよう』と思っても、影響を受ける。それから、必死になって……意識的な部分では『影響を受けないぞ』と頑張ると、無意識的な部分が反応して、神経症の症状が形成されるのである。だから、この場合『影響を受けないぞ』という意識的な頑張りが、神経症の症状を生み出す直接的な原因のひとつになってしまうのである。それが、認知療法家には、わからない。そして、認知療法家の影響を受けた人もわからない。
 

 
気違いの認知のほうが、押しがちしてしまうのである。それが問題なんだよ。それが直接的な原因なのだけど、『気にしないようにしよう』『影響を受けないようにしよう』という意識的な努力は、作用の反作用として機能してしまう。ようするに、押しがちされてしまったということが、作用で、気にしないようにしようという意識的な努力が反作用だ。しかも、気違いの親が『押しがち』しているにも関わらず、押しがちしているとは思ってないのである。やっている本人がやったと思ってない。気違いが、意地を押し通してやったにもかかわらず、気違いが「やってない」と思っている空間全体が、神経症の症状を押し出すのである。もちろん、やられたほうの神経症だ。いったんそうなると、『おかしいのは子供の方だ』ということになる。

精神異常である親はいる。しかも、精神異常の『以上』が微妙で、うちでだけ、妄想的な怒りを爆発させる人がいる。本人にしかわからない理由で起こっている。しかし、本人もわかってないのだ。けど、気違い的な怒りを感じているのは確かなのだ。普通は、理由がないことでは怒らないけど、そういう親は理由がないことでおこる。けど、それが、よその人にはわからない。『理由もなくおこる親なんていない」と信じている人たちは、子供の訴えを、まともに聞かない。そして問題なのは、理由がないことで怒り狂っている親が、怒り狂ったということを、怒り狂った瞬間にわすれてしまうのである。ぜんぜん関係がないことになってしまうのである。こんなのは、狂気も狂気のだけど、普通にやる。ちなみに、そうやって、意地を張っている親を説得するというのはムリだ。怒っている真の理由を聞き出そうというのはムリだ。気違いを相手にすることがどれだけ無意味なことか、普通の人はわかってない。相手は、妄想のなかで怒り狂っている。そして、対象は、リアルな子供だ。妄想的な理由で、リアル世界の子供を対象にして怒り狂う。目の前の子供に向かって、気違いしかわからないようなへんな理由で怒り狂う。で、このときの、強情さがまた、気違いなのだ。気違いとしか言いようがない。『殺して排除しなければ、言うことを聞かせる』ということができない。ようするに、『怒らないようにしてもらう』ということができない。もう、本当に、まるで違う交流(コミニュケーション)なのである。気違い的な親にたたられてない子供時代を過ごした普通の人は、この交流について理解することができない。他の人は……健常者に育てられた人は、異常者に育てられた人間の言葉を信じることができない。

 

気違い親父がわけのわからない理由で、怒り狂っているときの頑固さがすごい。強情さがひどい。

「このときの強情さが、また気違いだ」と書いたけど、兄貴がヘビメタを鳴らしているときも同じなんだよ。まったく同じ仕組みが成り立っている。殺さなければ、やめさせることができない。相手は……つまり、親父や兄貴は、気違い的な意地でやりきって……やりきったということを、気違い的な意地で認めない。

 

俺が、どれだけ、他の人に受けないことを書いているかわかる。こんなことを理解できるのは、よっぽど頭がいい人か、実際に同じようにやられた人でしかない。割合としては本当に、小さい。どこまでも、例外的な少数者。例外的な少数者というのは、多数者から理解されない。多数者には、理解しようとする理由がない。少数者がどうして、そんなこと!にこだわって!!いるのか、多数者は、わからない。多数者から見ると、その、やられた方の少数者が非合理的なことを言って、こだわる必要がないことにこだわっているようにしか見えない。 

 

 


2020年8月7日金曜日

俺が言っていることは、他の人には理解されない


俺が言っていることは、他の人には理解されない。他の人は、俺が言っていることがわからない……。こんなのは、どれだけ書いてもムダだ。ムダ!ムダ!!

けど、書かざるを得ない。実際にそういう事があったわけだし……。こういうレベルの騒音にさらされ続けると、「人類」はどうなるかということは、実験できないわけだから、実際に経験した俺が記録を残しておくしかない。

けど、他の人には理解できないということがわかってしまった。

そこまで、つたわらないのか……。

まるで理解できてない。

理解できる人はほんの少し。大半の人は、俺がなにを言っているのかわからない。まったくわかってない。それは、気違い兄貴がヘビメタを始めたときから、つづいている。気違い兄貴がヘビメタを鳴らし始めたとき、俺は小学六年生だったけど、小学六年生のときから、ずっと理解されてない。

俺が、『兄貴のヘビメタ騒音』について語っても、他の人は、デフォルトで理解しない。他の人が無視するのは、大きくわけてふたつある。

ひとつは、影響の大きさだ。この世で一番キライな音が、ずっとなっているということが、どれだけの影響を与えるか、他の人は理解しない。他の人にとっては、「そんなのはたいしたことがない」ということになっている。

もうひとつは、兄貴の性格だ。兄貴の認知と態度を含めて性格と言ってしまうけど、他の人は兄貴の性格を理解しない。「そんなのは、お兄さんに言えばいい」……これが、普通の人の反応だ。どれだけ言っても他の人には理解できない部分があるから、ムダなのだけど、ぼくが認知していることと他の人が認知していることの差がでかすぎる。

他の人には、ヘビメタ騒音が小さな問題に見える。影響を受けないようにすれば、影響を最小限にすることができる問題だと思っている。けど、それは、他の人が『俺の言うことを聞いて』思ったことだ。

他の人は、現実を知らない。現実には、いろいろな情報が含まれている。他の人は、いろいろな情報がわかってない。だから、俺との間に差ができる。これが強烈にでかい差なのだ。

だから、ぼくはつねに誤解されるということになる。

しかも、誤解している方は誤解しているとは思わない。思えるはずがない。その人の知っていることを土台にして、その人の思考方法で考えているからだ。

情報にどれだけの差があるかわかってない。俺が言ったこと……を、その人が理解したことだけで、すべてだと思っている。

だから、導き出される結論がまったく違う。それは、親友でもそうなんだよ。実際にヘビメタを聞いたことがある人でも、そうなんだよ。

これは、絶望的だ。他の人は、システム的に俺を誤解するようにできている。これが、絶望でなくてなんだ? 言っていることが通じない。理解されない。


 

2020年8月4日火曜日

一番問題なのは、俺の意欲がなくなってしまったことだ


一番問題なのは、俺の意欲がなくなってしまったことだ。親父とネズミに持っていかれた。本当にくるしかったよ。
友だち、親友、彼女は気違いヘビメタに持っていかれた。ともかく、くるしいだけの世界になったよ。

ああっ、意欲も、じつはヘビメタ騒音でぼろぼろになっていた。そういうところが、他の人と違うんだよな。そもそも、違う。で、ほんのちょっと残っていた、意欲を、親父とネズミにとられた。


2020年8月2日日曜日

なんでおまえらは、過去の影響を軽く見積もる?


ヘビメタががーーーって、鳴ってた。ヘビメタががーーーって、鳴ってた。ヘビメタががーーーって、鳴ってた。……と、自分が出せる最大の声で、怒鳴っている。
みんな、わすれちゃっているけど、も!の!す!ご!い!音で鳴ってたんぞ!!!……と自分が出せる最大の声で怒鳴っている。
俺が、俺が怒鳴る声の、何十倍も、何百倍も千倍もでかい音でヘビメタが鳴ってたんぞ。……と怒鳴りまくる。

この風景に……いきているこの風景に、ヘビメタ騒音が「くっついて」いる。認知が、同じだ。いきている感じに、ヘビメタ騒音が「くっついている」。くるしい。まるまるたい。まるまるたい。

あの、感覚が、後の人生に影響を与えないはずがないだろ。過去が関係ないはずがないだろ。学生時代ずっと毎日、あんな音を聞かれさて、育って、それで人生がうまくいくはずがないだろ。過去が現在に影響を与えている!! なんでおまえらは、過去の影響を軽く見積もる? どうして、過去の影響を無視する?

あっ、そうか。気違いヘビメタにやられてない過去だからか。そりゃ、そういう、特別な過去がなければ、過去の影響なん無視できるよな。けど、どうして、あたかも、だれにでも成り立つ一般法則のように言うのだ? おまえが、「無視できる過去」しか経験してないということだろ。おまえが、「現在に影響を与えない過去」しか持ってないということだろ。

2020年8月1日土曜日

突然、さみしさを感じた。


突然、さみしさを感じた。
けど、動きたくない。どこにも行きたくない。
だれともあいたくない。
ヘビメタ騒音でくるしい。
累積ヘビメタ騒音でくるしい。
「あんときの、あれはない」と俺が言っても、他の人にはわからない。「あんとき」の体験がないからだ。「あんとき」は、何千回も何万回も繰り返された「あんとき」だ。ヘビメタ騒音でくるしい「あんとき」。ヘビメタ騒音が前の日ずっと何時間も何時間も鳴っていたので、何時間も何時間も眠れず、やっと眠れたと思ったら?起こされて、しかたなく起きた「あんとき」。ヘビメタ騒音に六年間毎日たたられて、ほとんど眠れないまま行った、試験日当日の「あんとき」。


2020年7月30日木曜日

ぼくの騒音感度は『普通』だった


幼稚園があいかわらず、うるさい。

いろいろと考え事がある。あるきながら考えようかと思う。

今日はすでに、ゴミを出した。きのうスイカを食べたので、出しておきたかった。むりやり量を増やして、出してきた。まあ、普通の袋になっていると思うから、持って行くだろう。そう言えば、ゴミ袋『小』を買っておこう。

ご飯は、ただ単に、味噌汁を飲んだだけである。そう言えば、低温クッカーのなかにある味噌汁を、冷蔵庫に入れたほうがいいな。

幼稚園が地震の訓練をやり始めたので、うるささに、拍車がかかったのである。というわけで、ぼくは、どこかに行こうと思う。
まあ、けど、幼稚園の騒音はたいしたことがない。普通の人にとっては大きめの騒音だと思うけど。俺の場合は、騒音感度遍歴がいろいろとあってだなぁー。あってだなぁーーー。説明がたいへんなのだ。

他の人にはわからない。……わからない。ぼくの騒音感度は『普通』だった。けど、ヘビメタ騒音によって、騒音感度が上がっている。それから、騒音感度が低い人は、基本的に言って、『自分勝手な人』が多い。ほんとうにものの見方が幼稚なのである。幼稚な人が『自分の感覚』で考えてしまうのだから、他人が考えていることなんてわからないだろう。自分の行為に関して、他人がどう考えているかということを考えることが少ない人間、気にしない人間が、多いと思う。騒音感度が低い人間の中には、そういう人間が多いと思う。

2020年7月29日水曜日

能力がさがったところでそういうことを言われる、存在になる


俺の人生はどうなってしまうのか?

ヘビメタ騒音で本当にくるしい。
他のやつにはわからない。ヘビメタ騒音の影響を無視してかかってくるやつが、大半だ。毎日、毎日、やられたことがないから、どれだけつらいかわからない。毎日、毎日やられたことがないから、影響の大きさがわからない。「じぶんならへいきだ」と思っている。「じぶんなら、(そのきちがいあにきというひとを)どうにかできた」「じぶんなら、そうおんをやめさせることができた」と思っている。くそ野郎ども。くそ野郎ども。

本当に能力も精神力も落とされてしまうんだよな。どうしたって、暗い顔になる。暗い顔になれば、『元気にしろ』『明るくふるまえ』と気違いヘビメタにやられてないやつから、説教をされる『スキ』ができる。

『気違いヘビメタにやられたって、働けると思っている』やつから、説教をされる『スキ』ができる。

ヘビメタ騒音の繰り返しによって、実際の能力がさがったところで、そういうことを言われる、存在になる。こんなこと、たえられるわけがないだろ。自分の身体で経験してみろ。一〇年間、一四年間、毎日つづいた場合、どうなるか、考えてみろ。

経験してみろ。

『気違い兄貴……なんてものは、制御できた』『俺だったらやめさせることができた』と考えるわけだろ。本当に人をバカにしやがって。こんな世界がゆるせるか。

2020年7月26日日曜日

『知っている』内容に違いがあった

ダイヤのことを考えている。
あのとき、やっぱり、もうちょっと説明をするべきだったのか。『エイリがどういうめにあったか知っているけど!』という前置きが、きいた。あれが、きいたんだよ。

『知っている』なら、『知らない』ということを言うことができないと思った。実際、ダイヤは僕の部屋で、ヘビメタがどのくらい大きな音で鳴っているか、知っていた。俺の部屋に遊びにきてたから知っていた。体験的に知っていた。

……けど、それは、この部屋にずっと住んで、体験的に知っているということではない。この部屋にいたあいだ、ヘビメタ騒音を聞いただけだ。夜の一一時一一分まで、何時間何時間もヘビメタ騒音を聞いていたわけじゃない。聞かされたわけじゃない。一日中、聞かされたわけじゃない。

うちから出れば……この部屋から出れば……自分のうちに帰れば、しずかな状態だった。自分のうちに帰るということでヘビメタ騒音から解放される状態だった。

そういう権利があった。ヘビメタ騒音からのがれて暮らす権利があった。

これは、うち以外に行くところがない俺とは違う。さらに、決定的に違うのは、ヘビメタ騒音を何時間も何時間も聞かされたあと、眠れないということを経験してないということだ。

一日ですら経験してない。

だから、ダイヤは『知らない』。『知っている』とは言えない状態だ。けど、実際にヘビメタ騒音を聞いて、ダイヤはヘビメタ騒音のことを『知っている』と思っている。ぼくが毎日ヘビメタのことで愚痴っていたので、毎日、俺がヘビメタ騒音でこまっているということを『知って』いた。

ダイヤが僕の部屋に遊びにきてたのは、中学生の時で、ダイヤが俺に「たちなおってくれ」「どうにかなってくれ」と言ったのは、二三歳のときだから、時間的なズレがある。

けど、その時間的なズレは、重要なことじゃない。『知っていなかった』ということが重要だ。『知っている』状態ではなかった。『知っている』内容が違いすぎた。たしかに、自分のことのように心配してくれたのだけど……。

『知っている』と前置きする人に言われとる、つらすぎる。『知っている』内容に違いがあるというとに、俺が気がついていなかった。実際に、俺の部屋にいて、ヘビメタ騒音が鳴っているのを聞いたことがある数少ない人物に、「『知っているけど』どうにかなってくれ」と言われると、くるしい。知っていると思っていたから……。

けど、『知っている』内容に違いがあった。ものすごく、でかい違いがあった。そのことに、俺もダイヤも気がついていなかった。

実際に『ヘビメタ騒音生活』をするのと、数時間だけ僕の部屋に滞在して、ヘビメタ騒音を聞いたことがあるというのは、違う。違っていたんだ。そういうことに気がつかなかった。あとは、蓄積の問題があるということにも気がついていなかったので、そのふたつを説明することができなかった。

けど、どれだけ説明しても、ぼくができると思っている人は、聞かないんだよな。ヘビメタ『で』できないと言っているのに……。これ、やられた量が違うんだよ。ヘビメタ騒音を聞かされたあと、眠れない状態になったことがない。眠れない状態のまま朝になったことがない。眠れないまま、五時になってしまって、二時間ぐらいしか眠れないまま、学校に行ったことがない。

それは、徹夜でゲームをして眠れなかったわけじゃないのだ。

どーーしても、日中、あるいは夕方から夜にかけてずっと、ヘビメタを至近距離で聞かされていると、眠れなくなる。ヘビメタ騒音がなっているあいだ、ものすごく腹が立っているわけだ。

ずっとずっと、超高圧状態なんだ。超ストレス状態なんだ。腹を刺して死んでしまおうかと思うような、はらわたがにえくりかえった状態だ。強制的に、ヘビメタ騒音で腹が立っている状態ですごすことになる。その時間は、勉強もできないし、好きな本を読むこともできない。騒音で苦しんでいるだけなのである。

それが、学校から帰ったあとずっと続くというのは、くるしすぎる。勉強なんてできないわけだし、遊んでいるから楽しいというわけでもない。ゲームをして、充実していたというわけでもない。好きなラジオを聞いて、いろいろなことに空想をめぐらしていたわけでもない。

ヘビメタ騒音で、強制的に立腹させられている、切羽詰まった状態だ。その切羽詰まった状態が(友だちが部屋にいるわけでもなく)ひとりで、経験している。その時間が長すぎる。その毎日が、長い。長すぎる。それが、ぼく以外の人にはわからない。

2020年7月24日金曜日

基準が違う


俺が、「できない」とひとこと言ったら、それは、数万語ぶんの「できない」なんだよ。数万時間の体験にもとづいた「できない」なんだよ。

ただ、ちょっとやってみて、「できない」と言っているやつといっしょににするな。そういう言葉じゃないんだ。たえて、数万回やってきたが、もうだめだという「できない」なんだよ。

「数万回やってきたならできるだろ?」と言うかもしれない。それは、傲慢だ。俺が体験したことを無視した傲慢な発言だ。「がまんして、限界を超えてやってきたけど、もうできない」という意味で「できない」と言っているんだよ。

「限界を超えてやってきたなら、できるのでは」と言うかもしれない。それは、傲慢な発言だ。俺が体験してきことを過小評価した、傲慢な発言だ。

けっきょく、自分が自分のこととして体験してないから、わかってない。

「わかってないだけ」だから。

気違いヘビメタがなければ、簡単にできたことなんだよ。ふざけるな。

基準が違う。ヘビメタ騒音経験してない俺と、経験したあとの俺では、基準がちがうんだよ。ほかのやつらは、もちろんヘビメタ騒音を経験してないから「ヘビメタ騒音を経験してない場合の俺」と同じような感覚で、ものを言うのだろう。

けど、それは、間違っている。

ヘビメタ騒音がどういうものかわかってないだけ。ヘビメタ騒音の連続がどういうものだかわかってないだけ。ヘビメタ騒音生活が、数千日にわたって続くということがどういうことだか、わかってないだけだ。そりゃ、わからないのだから、しかたがない。けど、むかつく。


2020年7月23日木曜日

ずっとずっと、超高圧状態なんだ。超ストレス状態なんだ

ダイヤのことを考えている。
あのとき、やっぱり、もうちょっと説明をするべきだったのか。『エイリがどういうめにあったか知っているけど!』という前置きが、きいた。あれが、きいたんだよ。

『知っている』なら、『知らない』ということを言うことができないと思った。実際、ダイヤは僕の部屋で、ヘビメタがどのくらい大きな音で鳴っているか、知っていた。俺の部屋に遊びにきてたから知っていた。体験的に知っていた。

……けど、それは、この部屋にずっと住んで、体験的に知っているということではない。この部屋にいたあいだ、ヘビメタ騒音を聞いただけだ。夜の一一時一一分まで、何時間何時間もヘビメタ騒音を聞いていたわけじゃない。聞かされたわけじゃない。一日中、聞かされたわけじゃない。

うちから出れば……この部屋から出れば……自分のうちに帰れば、しずかな状態だった。自分のうちに帰るということでヘビメタ騒音から解放される状態だった。

そういう権利があった。ヘビメタ騒音からのがれて暮らす権利があった。

これは、うち以外に行くところがない俺とは違う。さらに、決定的に違うのは、ヘビメタ騒音を何時間も何時間も聞かされたあと、眠れないということを経験してないということだ。

一日ですら経験してない。

だから、ダイヤは『知らない』。『知っている』とは言えない状態だ。けど、実際にヘビメタ騒音を聞いて、ダイヤはヘビメタ騒音のことを『知っている』と思っている。ぼくが毎日ヘビメタのことで愚痴っていたので、毎日、俺がヘビメタ騒音でこまっているということを『知って』いた。

ダイヤが僕の部屋に遊びにきてたのは、中学生の時で、ダイヤが俺に「たちなおってくれ」「どうにかなってくれ」と言ったのは、二三歳のときだから、時間的なズレがある。けど、その時間的なズレは、重要なことじゃない。『知っていなかった』ということが重要だ。『知っている』状態ではなかった。『知っている』内容が違いすぎた。たしかに、自分のことのように心配してくれたのだけど……。

『知っている』と前置きする人に言われとる、つらすぎる。『知っている』内容に違いがあるというとに、俺が気がついていなかった。実際に、俺の部屋にいて、ヘビメタ騒音が鳴っているのを聞いたことがある数少ない人物に、「『知っているけど』どうにかなってくれ」と言われると、くるしい。知っていると思っていたから。けど、『知っている』内容に違いがあった。ものすごく、でかい違いがあった。そのことに、俺もダイヤも気がついていなかった。

実際に『ヘビメタ騒音生活』をするのと、数時間だけ僕の部屋に滞在して、ヘビメタ騒音を聞いたことがあるというのは、違う。違っていたんだ。そういうことに気がつかなかった。あとは、蓄積の問題があるということにも気がついていなかったので、そのふたつを説明することができなかった。

けど、どれだけ説明しても、ぼくができると思っている人は、聞かないんだよな。ヘビメタ『で』できないと言っているのに……。これ、やられた量が違うんだよ。ヘビメタ騒音を聞かされたあと、眠れない状態になったことがない。眠れない状態のまま朝になったことがない。眠れないまま、五時になってしまって、二時間ぐらいしか眠れないまま、学校に行ったことがない。それは、徹夜でゲームをして眠れなかったわけじゃないのだ。どーーしても、日中、あるいは夕方から夜にかけてずっと、ヘビメタを至近距離で聞かされていると、眠れなくなる。ヘビメタ騒音がなっているあいだ、ものすごく腹が立っているわけだ。ずっとずっと、超高圧状態なんだ。超ストレス状態なんだ。腹を刺して死んでしまおうかと思うような、はらわたがにえくりかえった状態だ。強制的に、ヘビメタ騒音で腹が立っている状態ですごすことになる。その時間は、勉強もできないし、好きな本を読むこともできない。騒音で苦しんでいるだけなのである。それが、学校から帰ったあとずっと続くというのは、くるしすぎる。勉強なんてできないわけだし、遊んでいるから楽しいというわけでもない。ゲームをして、充実していたというわけでもない。好きなラジオを聞いて、いろいろなことに空想をめぐらしていたわけでもない。ヘビメタ騒音で、強制的に立腹させられている、切羽詰まった状態だ。その切羽詰まった状態が(友だちが部屋にいるわけでもなく)ひとりで、経験している。その時間がない。長すぎる。その毎日が、長い。長すぎる。それが、ぼく以外の人にはわからない。

チート技を使えるようなものなんだよ。


俺だけ、気違い兄貴の気違いヘビメタのハンディがあるのは、ゆるしがたい。どうして、俺だけ。

気違い兄貴が、ヘビメタではなく、将棋とか囲碁に夢中になっていたら、ぼくの人生はまったく違ったものになっていただろう。ぜんぜん違う。

どうして、俺だけ。俺だけが、ずっとずっとずっと、気違い兄貴のヘビメタ騒音にやられている。他の人たちは、ヘビメタ騒音がない。ヘビメタ騒音のハンディがない。それが、俺にとって、どれだけうらやましいことか、わかるか。わからないだろう。チートなんだよ。ずるいんだよ。ヘビメタ騒音のハンディがないということは、チート技を使えるようなものなんだよ。




2020年7月22日水曜日

ヘビメタ騒音以降、ずっとこの世は、くるしい


ヘビメタ騒音以降、ずっとこの世は、くるしい。はてしなく、くるしい。くるしいだけで、無意味。ほんとうに、ぜんぶの風景に、光景に、ヘビメタ騒音が「くっついて」いる。気違いヘビメタにやられて、この世の認知そのものが、くるしいものになってしまった。

ヘ・ビ・メ・タというところが、なんとなく、笑いをさそうところ


ほんとうに、ヘビメタ騒音でくるしい。ヘビメタ騒音で憂鬱で、いつもまるまるまるしたいなと思いながら生きてきた。ヘビメタ騒音は他の人が思うような、『楽な障害』じゃない。他の人は『障害』だとも思ってないだろ。そして、ヘ・ビ・メ・タというところが、なんとなく、笑いをさそうところなのだ。たいしたことじゃないような印象を与えるところなのだ。これ、だけど、生きるか死ぬかの問題だから。自殺するしかないかの問題だから。憂鬱度が違う。他の人が思い描く憂鬱度と、実際の憂鬱度が違う。他の人だって、自分が世界で一番キライな音を、あの至近距離で、あのしつこさで、鳴らされたらわかるよ。けど、普通の家では、そういうことは、ありえない。うちは、頭にクセがある(頭がおかしい)孤児がつくった家だから、そういうことがありえる。普通に成り立ち続けてしまう。あんなのが、ずっと成り立ち続ける家というのは、ほんとうに、ない。うちしかない。

ほんとうに、す・べ・て・が違うんだよな。普通だったら、気違い兄貴がどれだけ頑張っても、一日目には、やめさせられる音だ。音のデカさだ。それが、うちでは、もともとが、気違い親父が作った家だから、気違い兄貴が、普通の人では理解できないような意地を通すことができた。あ母さんが「やめてあげて」と言ったって、聞かない。俺が「やめくれ」『静かにしてくれ』と、どれだけ言ったって、聞かない。気違いの意地を通すのみ。オヤジ? オヤジは、知らんぷりだよ。兄貴が悪いことをしてないときは、気違い的な理由で、怒り狂って怒り狂っておさえつけていたのに、兄貴が悪いことをし始めたら、しらんぷりだよ。そういうことになっちゃうの。ユキさんは、「そんなに、親がうるさく注意してたのに、注意しなくなっちゃうなんて、おかしい」という意味のことを言ってた。そういうふうに考える人たちがいる。『子供が小さいとき、怒り狂っていたのに、子供が高校生になって、エレキギターを弾き始めたら、黙っちゃうなんておかしい……そんなのはおかしい……エイリさんが嘘をついているにちがいがない』……そういうふうに思ってしまう人たちが出てくる。こういうのも、気違いオヤジが別に、俺のことをワナにはめてやろうとしくんだことじゃないけど、俺が、オヤジの気違い的な態度で、人から誤解を受けるということのひとつの例だ。

2020年7月20日月曜日

『こだわらなくていいことにこだわっている』


ヘビメタが本当にくるしかった。地獄である。ほんとうにこの世は地獄。どれだけ、がんばっても、気違いヘビメタ騒音の影響からのがれることができなかった。ほんとうに、死にものぐるいの努力をしても、悪くなっていくばかりなのである。

気違い騒音の圧力がかかってけっきょくは、失敗する。だめになる。気違い騒音の圧力が問題だったわけで、なくなれば、それでよかった。

なくなるというのは、まったく、ヘビメタが聞こえなくなるということなのである。気違い兄貴が、気違い兄貴の基準で「ゆずった」と思っても、まったく無意味なのである。せめて、フォークギターぐらいの音に落とすことが必要だった。

気違い兄貴を知らない人、あるいは、気違い兄貴のような家族を知らない人は、気違い兄貴のような家族が、『意地になって』気違い行為をしている時の状態がわからない。

『どれだけ、でかいと言っても、ヘビメタ騒音なんてたいしたこと、ない』と思ってしまう。『ちゃんと言えば、家族なのだから、静かにしてくれるはずだ』と思ってしまう。『親が文句を言ってないのであれば、どれだけでかい音で鳴っていると言っても、たいしてでかい音で鳴ってないのだろう』などと思ってしまう。

そういう思い込みと、こっちの現実の乖離がでかすぎる。実際に経験してみないと、どれだけ過酷な経験かわからない。毎日が、どれだけ、くるしくなるかわからない。

このあいだ書いた、『いっしょに練習しようという誘いをことわった』という話は、いろいろなことの雛形なのである。あれひとつで終わったわけじゃない。ほんとうに、人間関係のかなりの部分がそういうことになってしまう。

親友が『(エイリのことをおいていけないから)いいかげん立ち直ってくれ』と言ったときだって、同じ構造が成り立っている。部活をやめたときだって同じ構造が成り立っている。佐藤の俺に対する『みくだし』にしたって同じ構造が成り立っている。

他の人には、ヘビメタ騒音の影響がわかってない。実際に経験したわけではないので影響のデカさがわかってない。ほんとうは、ものすごくでかい影響をあたえているのに、他の人からは、小さな影響だと思われる。その乖離・ギャップは、人間が人間としていきている限り、うまらない。

どーーしたって、経験がない他者は、そういうふうに『見なす』。『見くだす』。そりゃ、わからないのだから、『そんなのに気にしなければいい』という話になる。『気にしているエイリさんが悪いのだ』という話になる。『お兄さんがやっていたにしろ、とめられなかったのであれば、エイリさんの自己責任だ』ということになる。

『いずれにせよ、「たいしたことじゃない」のだから、気持ちを切り替えて、やる気になれば、できるようになる』……という『見なし方』が成り立っている。けど、そうじゃないのだ。

けど、「そうじゃないのだ」ということを、経験のない相手にどれだけ、ぼくが言っても、その経験のない相手はわからない。自分の範囲内で考えてしまう。『自分の経験』の範囲内で考えてしまう。

だから、どこまでいっても『そんなのはたいしたことじゃない』という考えを持ったままだ。そのうえで、『現在の俺』を判断するのである。だから、『エイリさんが過去のことにこだわってサボっている』『エイリさんが過去のことにこだわってあまえている』ということになってしまうのである。その人のなかでは……。そういう『見なし方』をした以上、確信のようなものになっている。……その人のなかでは。

けど、それは、その人が、気違い家族にものすごいヘビメタ騒音を毎日鳴らされるということを経験しなかっただけの話なのである。経験しなかったから、影響の範囲がわからない。

どれだけいろいろなところに波及するかわからない。

わからない以上は、どうしたって、『たいしたことじゃないのに、こだわっている』ようにしか見えない。『こだわらなくていいことにこだわっている』ように見えてしまう。『いまは影響がないことにこだわっているから、ダメなんだ』と思えてしまう。

やった人間の『頭のクセ』は重要だ。ようするに、気違いかどうかはものすごく重要だ。こういうことも、まったく関係がないと見なしてしまう。それは、頭がおかしい家族にやられたことがないから、そういうふうに見なしてしまうということにすぎない。

すぎない……。けど、ものすごくでかいことだ。

他者は、たいていの場合、頭がおかしい家族にやられたことがない人なのだから、根本的なところがわからない。どうしたって、『そんなのは、たいした影響がない』と思ってしまう。『ちゃんと言えばよかったのに、言わなかったから、ダメなのだ』と思ってしまう。普通にそう思ってしまう。

2020年7月19日日曜日

この世の『雰囲気』に破滅破綻がつきまとう。


歯磨きが終わったところだ。
どうするかな? ファミリマートに行きたいところなんだが、正直言って、腹が痛い。ファミリーマートは、わりと遠いので、不安な側面がある。

まあ、けっきょくぼくは、好き勝手に生きてきたということになるのだろう。しかし、いろいろとあって、つらい。見える風景がつらい。たとえば、自転車に乗って、ファミリーマートまで行くということを考えた場合、普通の人だったら、楽しめる部分があると思う。けど、俺はいろいろとあって、正直に言うと楽しめない。一番大きな理由は、ヘビメタ騒音だ。ヘビメタ騒音で、楽しめない。

ファミリーマートまでの道は、図書館までの道とほぼ同じ道だ。あるいは、まるまる荘までの道とほぼ同じだ。だから、まるまる荘とうちのあいだを行き来していた頃の思い出がどうしても思い浮かんでしまう。そして、あのとき、社会人としては破綻していたので、破綻している感じしかしない。ヘビメタ騒音以降、他の人にはわからない方法で、世界を認知している。ヘビメタ騒音以前の、世界認知とはぜんぜん違う方法で、世界を認知している。どうしても、破滅破綻がつきまとう。この世の『雰囲気』に破滅破綻がつきまとう。

2020年7月18日土曜日

どうしても、長期騒音以前の状態にならない

目が治ってない。
かなり長い間、治ってない。

幼稚園生が絶叫しているなぁ。
俺は、平気だったのに……。

ともかく、ぼくの元気がないんです。
ほんとうは、あるところに行かなければならないのだけど、行きたくない。
しかも、行くとお金をもらえるところなんだ。

あー。

他の人は、わかってない。わかるわけがない。けど、それとは別に、ぼくがつまらないんだよ。ぼくの感情が死んでしまったわけ。どこに行くにしても、長期騒音の影響を受けている。どうしても、長期騒音以前の状態にならない。長期騒音の前……ぼくにも普通の感情が成り立っていた。普通の落ち込み、普通のよろこび……そういうものが、ぼくにも、たしかにあった。けど、落ち込みの落ち込みが違うという状態になった。楽しめなくなった。どこに行くにしろ、行く前、普通の落ち込みではない落ち込みがある。負の学習をしてしまった。負の学習を打ち消すほどの学習ができない。負の学習は、あたまの「しん」に入ってしまった。あたまのしんをかえてしまった。汚染された魚のように、汚染された魚を食べた人のように、脳みそのしんが、影響を受けた。

汚染魚を食べたあとは『普通の状態』ではなくなる。汚染魚を食べたあと、どこかに行くとなると、汚染魚を食べたからだで、どこかに行くことになる。それは、汚染魚を食べて「くるしい」という状態からはにげられないということを意味している。たとえば、快楽のために旅行に行っても、快楽を得られないということになる。普通の人が快楽を得られるところでも、汚染魚の影響で、快楽を得られないということになる。かりに、快楽を得ているにしろ、快楽は、そのままの快楽ではなくて、50%の快楽、10%の辛くということになる。

2020年7月17日金曜日

繰り返されたことは、いまの感情に影響を与える


けっきょく、ヘビメタ騒音でくるしい。他のやつは、ヘビメタ騒音がないから楽だ。人生すべてが、イージーモードだ。もちろん、ヘビメタ騒音が鳴っていた場合よりも、イージーイードだということだ。

これは、比較の問題で、相対的な問題だ。

やられてない人には、やられた状態というのがほんとうにわからない。他の人がどれだけ考えてもわからないようなところで、相当のダメージを食らう。けど、それが、他の人にはわからない。他の人は、俺がもともと「そうなんだ」と思うわけだ。

しかし、違うんだよね。たとえば、ぼくが暗いとしよう。他の人はもともと、ぼくが暗い人なんだと思うわけだ。

けど、違うんだよね。

ヘビメタ騒音で暗くなった。ヘビメタ騒音で、あかるい感情をなくした。なにをやるときも、だるくてだるくて、くるしい状態になった。憂鬱な状態になった。疲労している状態になった。そういう状態が、他の人から見ると『暗く』見えるのである。実際に、ぼくは、だるくて、しんどくて、憂鬱なので、暗い。

ほんとうに、学校に通っていて、なおかつ、午後四時から午後一一時一〇分まで、鳴っている生活というのはくるしい。どうしても、ヘビメタが成り終わったあと、勉強をするということができない。他の人は、ヘビメタ騒音が成り終わったあと、ぼくがどれだけだるいかわかってない。怒りで、疲れ果てている。

強制的に何時間も何時間も、怒り狂っている状態になってしまう。これは、強制的で『鳴っている以上』無視できない。鳴っている以上、怒ってない状態になれない。鳴っている以上普通の状態ですごすことができない。

あの態度で、鳴らされたら、そりゃ、腹が立つ。

で、ヘビメタ騒音は、ほんとうに音と音の感覚が短い。ピークの音が、単位時間あたりにいっぱいつまっている。どの瞬間も、気違い的に腹が立つ音がピークの音量で鳴っている。それがくるしい。これが、連続的で持続的な緊張をしいる。

そうすると、やはり、我慢に我慢を重ねて、つらい状態になってしまうのである。疲れ果てた状態になってしまうのである。で、これは、勉強をしなかったけど、趣味のゲームをしていたから充実していたという時間ではない。

完全に、マイナスの時間だ。

他の時間の勉強に影響を与える。気違い親父が作った家でなければ、あんな音が、1日に一〇分でも鳴っているということは、絶対にありえないことなんだよ。そういうことも、他の人はわかってない。どうしても、自分たちの基準で『騒音』というものを考える。自分たちの基準で『ステレオ騒音』『エレキギター騒音』というものを考える。けど、違う。あんなのは、おかしい。

ほんとうに、うちが、でかいでかい幼稚園の前で、他の家とも離れていたから、気違い兄貴がああいうでかい音で鳴らすことができた。で、兄貴は二階の部屋で鳴らしていたわけで、僕の部屋とは、地続きなんだよ。壁が透明なら、「そこで」スピーカーが鳴っている。手を伸ばせば、スピーカにとどく距離でなっている。

部屋の壁がでかいスピーカーのような感じで、ドカスカ鳴っている。これがからだに響く。横になると、枕らに響く。気違いヘビメタ騒音のなかで眠るということができない。だから、まず、学校から帰って、ヘビメタ騒音が鳴っている時間は、眠って、鳴り終わったあとに起きてやるということができなかった。

なにをするのもヘビメタ騒音なのである。

ヘビメタ騒音の影響を受ける。友だちが、「マラソン大会の練習をしよう」と言ってきたことがある。ダイヤほどではなかったけど、よい友だちだったので、ぼくもヘビメタ騒音がなければ、いっしょに練習していたと思う。けど、ヘビメタ騒音が鳴っているから、練習をことわることになる。ヘビメタが鳴っていて、マラソンの練習なんてできない。ほんとうに、切羽詰まった状態なんだよ。

で、その友だちは「ほんとうに、いしっょに練習をしてほしかったな」なんて言うんだよ。その友だちは、じつはその時は俺のことが好きで、ほんとうに、練習に参加してほしかったわけ。それから、その友だちの他にも、練習に参加していた友だちが数人いたのだけど、どの友だちも、みんな、いい人だった。

あのメンバーだったら、ほんとうに、ヘビメタ騒音がなければ、一緒に走って汗を流して、帰ってきたあと、気持ちいい状態で勉強をするということもできた。けど、実際には、俺は一人でヘビメタ騒音で苦しんでいた。

ぼくの人生というのは本当にそういうことが、何千回も何万回も繰り返されている。ひとつひとつは小さいことだけど、何千回も何万回も、繰り返されれば、話は違う。まとまりとしてはでかいことになる。同じ感情の繰り返しなのだから、やはり、まとまった感情としては、でかい。こういう経験が、『やる気が出ない状態』のベースになっている。あるいは、ヘビメタ騒音を経験してない人との関係のベースになっている。

2020年7月16日木曜日

からだが眠たくなってきた


 スリッパを買いに行くつもりだったけど、どうもだめだ。
まだ、眠りたくはないけど、からだが眠たくなってきた。なんていうのかな? 頭がもやもやしている。これは、外に出て歩くとき、相当に……。歩くとき、憂鬱で憂鬱でしかたがない。だいたい、疲れと憂鬱は似ている。もちろん、爽快な疲れもある。けど、ぼくが言っている疲れは、しんどい疲れで、憂鬱な疲れだ。ともかく、からだがこの状態になってしまったら、外に出ることができない。これで、むりやり動くと、あんまりいいことが起こらない。睡眠時間がずれるし、不注意な状態で買い物をするのはよくない。


それにしても、幼稚園児がうるさいな。こまったな。
だるい。そして、憂鬱だ。

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2020年7月14日火曜日

怒り狂った途端に、まったく関係がない人になってしまう


あのときの、あれ、ないな。
ヘビメタ騒音なしで普通にテストを受けたかったな。
中学に入って以来、ずっと、テストの日まで、ヘビメタ騒音に祟られているなんて、ないだろ。おかしいだろ。普通じゃないだろ。ありえないだろう。その、普通ならありえないことが怒った。気違い兄貴の気違い的な態度なんて、みんなわかってくれない。どれだけの意地で鳴らしたかわかってない。どれだけ、自分がやっていることに無関心だったかわかってない。これは、ようするに、自分が意地になってやっていることは、意地になって認めないということだ。主観的には「まったくやってない」のと同じなのである。自分が意地になってやっていることで、相手が困っているということは、まったくわからないのである。どれだけ相手が言ってきてもわからない。わからない以上、まったくやってないのと同じなのである。まったく関係がないつもりなのである。

気違い兄貴にわかりやすいように言っておこう。気違い兄貴が、学校に持っていくハンダゴテのことで困っていたとき、親父は、兄貴が困っているということがまったくわかってなかった。兄貴が困っている原因は、オヤジの態度なんだよ。親父が、エレクトロニクス工作用のハンダゴテを買ってやらないと決めたから、兄貴が困っていた。親父にとっては、自分が持っているエレクトロニクス工作には使えないハンダゴテを持たせてやることなんだよ。それが、最大限の譲歩なんだよ。だから、親父としては、譲歩しているつもりなのである。けど、そのオヤジのハンダゴテを持っていくと、恥をかくことになる。ちょっと話がそれるけど、気違い兄貴の譲歩というのはオヤジの譲歩と同じだ。相手がこまるような譲歩しかしない。けど、譲歩してやったら、それでおしまいなのである。だから、困ったことをやり続ける。相手が困ることを、やり続ける。けど、相手を困らせているとは思わない。それは、相手がどれだけ強く言ってきても、思わない。相手が、これこれこういうことで困っているということを言っても、そのことが自分にとって不都合なことであれば、怒り狂って、認めないのである。この場合、認めなかったということも認めないというような状態になる。認めなかったということをも認めなかったいうことを言っても、それは同じやり方で認めないので、二重、三重に認めないということになる。「言えば、わかる」という世界じゃない。「ちゃんと言えばわかってくれる」はずだという世界観を持っていると、被害を受けたほうが言っていることがわからなくなる。その人も、『ちゃんと言えばわかってくれるはずだ』という世界観にたって、被害を受けたほうが真実の報告をしていても、それが真実だとは認めない……のである。そういうふうなことになってしまうんだよな。ごく自然に……。別に、発狂して認めないときに、相手が他の人に言ったとき、他の人が認めないような態度で発狂しようと思っているわけではないのに、そううことになってしまう。『ちゃんと言えばわかってくれるはずだ』という世界観を持っている人に『ちゃんと説明しないからダメなんだ』と言われたときの気持ちがわかるか? 話がちょっとだけずれた。
ともかく、親父が『使える使える』と発狂して、兄貴に新しいハンダゴテを買ってやらなかったとき、親父が兄貴が困っているということを認識できたかというと、認識できなかったのである。で、同じように、兄貴のヘビメタ騒音で、俺が困っているということを、兄貴は認識できなかった。オヤジにしてみれば、カネを払いたくないので、オヤジの空想世界では、自分のハンダゴテは使えるということになってしまうのである。そうなったら、現実世界でも使えるということになって、『使えない』という情報は、意地でも認めないのである。それは、カネを払いたくないと思ったときに決まっている。絶対に、『使えない』ということは認めない。それと同じように、兄貴は、自分が思った通りの音でヘビメタを鳴らしたかったから、自分が鳴らしている音がでかい音だということを認めなかったのである。認めたら、静かにしなければならなくなる。だから、最初から、オヤジのように、認めないのである。自分が思った通りの音で、ヘビメタを鳴らすと決めている以上、自分のヘビメタの音で相手が困っているということは絶対に認めないのである。でかい音だということも認めないし、その、自分が意地なにって鳴らしている、でかい音で、弟が困っているということは、絶対に認めないのである。認めてしまったら、静かにしなければならなくなる。それは、命にかけても、命にかえても、絶対に避けなければならないことなのである。そうなると、本人は意識しているわけではないけど、『無意識的な無視』が発動して、認めないということも認めないという意識状態になってしまう。その意識状態でやってことは、本当にやってないつもりのままなのである。本人が関わっている感じがしない。本当は、本人の行為によって、相手が困っているのに、相手が困っているということは、一切合切、わからない状態になる。認知できない状態になる。だから、自分が譲らずに、意地になってやるから、相手が困っているのに、相手が困っているということは、自分にはまったく関係がないという認識が成り立ってしまうのである。『つもりがない』というのは、そういうことなんだよ。『つもりがない』からやってないという状態とは正反対の状態なんだよ。『つもりがない』から、発狂的な意地でやっている。やってないわけじゃない。けど、『自分がやってないこと』のように(本人には)感じられる。押し切ることができたら、一切合切関係がない人になってしまうのである。押し切ったのだから、おなじ状態が続く。これは、どういうことかというと、兄貴のハンダコテに関しては、兄貴がハンダゴテを買ってもらえない状態が続く。俺のヘビメタ騒音に関しては、ヘビメタ騒音が鳴っている状態が続く。兄貴のハンダゴテは、オヤジの意地が関わっているし、俺のヘビメタ騒音に関しては、兄貴の意地が関わっている。本人が強く主張して、こだわりつくして、怒り狂ってそうしているから、そうしているのに、やっている本人は、怒り狂った途端に、まったく関係がない人になってしまう。これがどれだけ困るか……。気違い兄貴はわかるよな。親父にやられたぶんはわかるはずだ。けど、自分が弟にやったことは、オヤジのようにわからないんだよ。「やった」と言われたら「やってないやってない」とオヤジのように発狂しておしまいなんだよ。「ゆずってくれなかった」と言われたら「ゆずったゆずった」とオヤジのように発狂して、おしまいなんだよ。「譲歩してくれなかった」でも「やってくれなかった」でも同じだ。正反対のことを絶叫しておしまい。ほんとうに、本人の中では終わっている。……やっているときは、そういうやりかたで、意地を通して、発狂してやり続ける。だから、本人は「やってないつもりのまま」なんだよ。自分がやっていることで……特に意地を張ってやっていることで、相手が困っているということを認めることができない。認めないまま、発狂的な意地で押し切っておしまいだ。やっておしまいだ。けど、主観的にはやったということになってないのである。本当は、意地になってやり続けたのに、やり続けたということになってない。

2020年7月12日日曜日

複合的に重層的に影響を受ける部分がひろがる


あの女の子となかよくしたかったな。
ヘビメタ騒音「なしで」なかよくしたかったな。

ほんとうに、すべてがヘビメタ騒音でめちゃくちゃになる。生活というのは、いろいろなことが複雑に噛み合ってなりたっているものだから、一日の半分をヘビメタに取られるとなると、もう半分もうまくいかなくなる。これは、事実で、妄想じゃない。ヘビメタ騒音の影響を、うつ的な気分で、非合理的に大きく考えたから、そのように思えるというものではないのだ。それは、やってみればかる。ほんとうに、すべてのことに、たたる。

そういう一日が、毎日続けば、やはり、複合的に重層的に影響を受ける部分がひろがる。他の人にはそれがわかってないから、俺が大げさに言っているように思える。俺が、『関係のない範囲まで』関係があると言っているように思える。「そんなのは、ヘビメタ騒音がなくたっておんなじなんだよ」と意地悪な人は言いたくなる。この意地悪な人は、自分が女の子にもてないから、そういうことを言いたくなるのだ。これは、そいつの言動からしてあきらかだ。俺にやったことについて考えてもあきらかだ。こんなやつはもてるわけがない。俺が女だったら、こんな性格のやつは相手にしない。だれが、掲示板で荒らし行為をおこなうやつとなかよくなりたいと思うんだよ? 「自分の性格をなおしてからものを言え」と言いたくなる。けど、まあ、ともかく、ヘビメタ騒音でそういうやつから、「そんなのはヘビメタ騒音がなくたっておんなじなんだよ」と言われるような立場まで、落ちてしまった。こういう、不愉快なやりとりだって、気違い兄貴が夢中なって、何年間も何年間も、毎日毎日、普通の人が信じられないような音のデカさで、普通の人が信じられないような態度で、ヘビメタを鳴らし続けたから発生することだ。ヘビメタがなければ、こういう性格が悪いやつとのやりとりもなかった。

ヘビメタ騒音が長すぎる。
ほんとう、どこに行ってもヘビメタ騒音がつきまとう。


2020年7月9日木曜日

同じカテゴリーに属する人はみんな同じという思考について


同じカテゴリーに属する人はみんな同じという思考についてちょっと言っておこう。
前投稿で「汚染魚を食べたとしても働ける」と書いたけど、これは、こういうふうに言い換えることができる。「水俣病でも働いている人はいる(だから、水俣病であるあなたも働ける)」と。同じように水俣病でも……と言うこともできる。どこが『同じ』なのかよくわからないが、「同じように水俣病でも働いている人がいる。だから、水俣病であるということは、働けないという理由にならない」ということだ。この人達が主張しているのは……。しかし、水俣病と言っても、程度のちがいがある。どうして、程度の違いを無視してしまうのか? 水銀の摂取量に違いがあるのだから、障害の度合いに違いがあるのはむしろ、当然のことだ。同じ水俣病でも、水銀の摂取量によって、障害の度合いが違う。けど、「同じように水俣病でも」と言ってしまう。同じように『うつ病でも』という言葉を使う場合でも同じだ。程度の違いがあるのに、同じカテゴリーに属している人は、あるいは、同じ障害名?同じ病名が付く人は、みんな同じだという、間違った信念を持っている人がいる。これは、間違った信念で、間違った結論をうむ前提になる。ごく普通にそういう思考をする人は、自分が間違った前提で結論を言っていることに気がつかない。
ヘビメタ騒音に関しても、同じことが成り立つ。ぜんぜん違う。量と、一日の中での時間の長さが違う。そして、期間の長さがちがいすぎる。長期間の騒音に関して間違った考え方を持っている人が、間違った前提に基づいて、間違ったことを言う。「同じように騒音を聞かされたとしても、遅刻をしない人は遅刻をしない」「同じように騒音を、長期に渡って聞かされたとしても、働いている人はいる」と言う人がいる。本当にそうですか? 本当に同じ時間の長さ、同じ期間の長さ、同じ騒音を聞かされているのですか?

2020年7月8日水曜日

被害者に説教するのは簡単だが、加害者に説教するのはむずかしい


道徳性や善悪を持ち出すのであれば、佐藤はまず、兄貴に対して、怒らなければならないのである。説教しなければならないのである。注意しなければならないのである。責任追及をしなければならないのである。しかし、日本では「働いているやつは、悪い奴でも、悪くない」「働いていなければ、善人でも悪い奴」という感覚が成り立っている。日本人として標準的な道徳観を持っている佐藤のような人間は、ヘビメタ騒音の話を聞いた後も、ぼくの無職性を責めるのである。非道徳的なことをした兄貴ではなく、道徳的なぼくを責めるのである。こんなのはおかしい。おかしいけど、日本だと佐藤のような感覚を持っている人がほとんどなので、俺は、美メタ騒音にやられて、働けなくなったにもかかわらず、ほとんどの日本人から説教をされる立場に立っているということになる。(当時)。

これ、ほんとうに、ひどい。水俣病患者に対して、「どうして働かないんだ」「そんなのが、そんなにひびくはずがない」「汚染魚を食べたとしても働ける」「働かないのは人としておかしい」「いつまでも、企業のせいにしてもしかたがない」と言っているのと同じなのである。一方、公害をまき散らした企業に対してはまったくなにも言わない。責任追及しない。……日本人は、いまや、そういう立場の人が多い。たたけるところをたたいている。精神世界の人でもそうだ。やられたやつに説教をすることで、(自分が)浮かび上がろうとする。ストレスを発散しようとする。「いじめられたほうにも責任がある」といじめられたほうの責任追及ばかりをして、いじめたほうの責任追及をしない。いじめられたやつのほうが、たたきやすいから、たたいている。いじめるようなやつの責任追及をするのは、ここちがよくないのである。みんな、それに気がつかない。

十数年間に渡ってどでかい騒音を鳴らして人を働けないからだにしたやつを道徳的に責めずに、十数年間に渡って耐えたがゆえに働けなくなった人を、『働かない』道徳的に責めるのはおかしいと思う。それは、たとえば、水俣病に鳴ったから働けなくなった人を、『働かない』という理由でせめて、当の原因をつくった企業の責任は一切合切問わないということに匹敵することだ。

けど、そういうことを普通の人がやってしまう。どうしてかというと、その人の中では、ヘビメタ騒音は、働けない体になる理由ではないのだ。そんなのことを、もし仮にやれたとしても……鳴らされ続けたとしても、『働けない』ということはないだろう……と考えてしまう。

2020年7月7日火曜日

そいつらだって、同じ目にあえば、同じような状態になる



だるい。くるしい。どうしても、くるしい。そして、この雰囲気。きちがいヘビメタの記憶。いま、ヘビメタ騒音「で」くるしい。

ヘビメタ騒音の身体感覚がある。

ヘビメタ騒音にやられたいた頃のからだのままだ。くるしい。他の人は経験がないからわからないだけだ。

同じように、あの距離で、自分がこの世で一番キライな音をマィ2値何時間も何時間も、繰り返し繰り返し聞かされ続けたら、こうなる。体の反応としてこうなる。身体が、その刺激によって変化を受ける。気違いヘビメタ騒音にやられてない人は、音は終わったらおしまいだと思っている。音が終われば効果もないと思う。音が終わっているのに、眠れないなんてことはないと思っている。騒音期間が一五年間毎日続いたにしろ、一五年間で終わったなら、一六年目からは、騒音とは関係がない生活ができるのだから、騒音でだるいなんてことはない……と思っている。

ぜんぶ、ハズレ。ぜんぶ、不正解。実際に、経験してみればわかることだ。逆に言えば、実際に経験しなければわからない。一五年間の騒音体験で、脳みその睡眠回路が壊れる。しかも、不可逆的な変化を伴うと思う。

パンチドランカーのように残り続ける。体の不調が残り続ける。常にだるい身体になる。疲れやすくなる。易疲労性も、治らない。能力一〇分の一で生きてみろ。どれだけの屈辱に見舞われるか。佐藤とのやり取りを詳しく書いたけど、ごく普通の人がそういう反応をしてくるんだぞ。

説教をされる。

そりゃ、日本で「働いているはずの年齢なのに」働いていない男を見たら、説教したくなるんである。そいつらは、気違いヘビメタ騒音に小学六年生の頃から、やられ続けたわけではないから、働ける体を普通に維持できただけなのに、俺よりも、立派な人間だと思って言ってくるんだよ。俺よりも、根性がある人間だと思って言ってくるんだよ。俺よりも、身体がすぐれていると思って言ってくるんだよ。

まあ、睡眠回路と易疲労性において、ぼくが、劣った存在になっているというのが、事実だから、最後のところはあたってないわけでもないけど……。それだって、そいつらだって、同じ目にあえば、同じような状態になる。

これは、同じ分だけ水銀を摂取した場合とおなじだ。同じ症状が出るんだよ。「できなくなってしまう」んだよ。それがわかってない。根性のちがい、だと思っている。あるいは、自分にくらべてエイリさんが甘えた人間だから、そういうふうにしていると思ってしまうんだよ。そういうふうにしているというのは、甘えて働いてないということだ。こんなのは、屈辱以外のなにものでもない。けど、そいつらはこういうふうに言うんだよ。「くやしかったら働いてみろ」とね。

2020年7月5日日曜日

俺がどれだけうまい説明をしても、わからない。


ほかの人にはぼくの事情は、絶対にわからない。わからないんだ。それぞれ、思いついたことを言う。けど、ちがうんだ。けど「ちがうんだ」と言っても、「違い」がわからない。それは、やっぱり、異常な音を、異常に長い時間、異常に長い期間にわたって聞かされたことがない人間には、逆立ちしてもわからない。追い詰められていく状況がわからない。頭がおかしい家族に、騒音でやられたことがない人には、頭がおかしい家族のことがわからない。

もう、これは、「はなっから」わからないわけで、俺がどれだけうまい説明をしても、わからない。信じない。だから、信じない人にとっては、俺が勝手に言っているだけということになってしまう。そうなると、俺が妄想で兄貴の悪口を言っている、家族の悪口を言っているということになってしまうのである。ほんとうは「俺の責任(エイリの責任)なのに、兄のせいにしている、家族のせいにしているということになってしまうのである。こういうことが、生じてしまうということ自体が、異常なことなのである。ほかの人は「なんとか我慢してうまくやってくれ」というようなところに落ち着く。けど、それは、きちがいヘビメタ騒音でくるしい生活が続くということになってしまうのである。きちがいヘビメタ騒音の深刻さが、ほかの人にはわからない。ちょっとうるさい音が鳴っているだけだと思ってしまう。そんなんじゃないのだけど、「そんなんじゃない」と俺が「うちの特殊事情」を説明しても、ほかの人にはわからない。きちがい家族にやられたことがない人にはわからない。きちがい家族が、「うちのなかで!!!」どういう態度でどういうことをするのか、根本的なところでわかってない人には、逆立ちしてもわからない。そりゃ、兄貴の態度や、兄貴の態度を支える、兄貴側の認知というのは、わからない。それは、ほかの人が、おやじの態度やおやじの態度を支える、おやじ側の認知がわからないのと同じように、わからない。ほかの人たちにとっては、「へんなはなし」に思えるのである。「そんなひと、いるのかな」「そんなことってあるのかな」と思ってしまう。「そんなでかい音でなっているのなら、いっくらなんでも、親が注意をする」と思ってしまうのである。おやじは、頭がおかしいので、「注意しない」となったら、意地でも注意しないのである。「そんな、子供が小さいころ、子供を虐待していろいろなところでおこっていた人が、おこらないなんておかしい」と思ってしまう。お母さんはお母さんで、世間の基準からは、相当にずれている人なのである。で、お母さんが、注意をしたって兄貴は聞かない。「弟の見方をしてぇ」と怒り狂って鳴らし続ける。お母さんは、ずれている。

2020年6月29日月曜日

水俣病の人に「だるいと言うからだるくなる」と言うことは、正しいことなのだろうかという問題


一番、重要なのは、ぼくが疲れたということだ。本当に疲れた。だれがなんと言っても、疲れた。ぼくがすでに疲れているということはぼくにとって、とてつもなく重要なことだ。

これは、他の人にとってはまったく重要じゃないことだ。
けど、俺にとっては、重要なことだ。

これが出発点になってしまう。やれることは、疲れた俺にもできることにならざるをえない。ムリはできない。

あらゆる点で、足かせになっている。気違い兄貴のヘビメタ騒音が、あらゆる点で足かせになっている。それは、鳴っているときから、ずっと、今の今まで続いていることだ。『過去の出来事で、今の自分には関係がないこと』ではない。

これは、水俣病みたいなものなのだ。いちおう、いまはキレーション治療などがあるけどね。とりあえず、体外に排出できない毒のようなもので、現在のからだに、直接、影響を与える。それが、『ヘビメタ騒音病』だ。ヘビメタ騒音は単なる過去の出来事ではなくて、不可避的に現在に影響を与える過去の出来事なのだ。

けど、普通の人は、ヘビメタ騒音が俺にとってどういう意味をもつのかということがわからない。普通の人にとっては、『過去の出来事』でしかない。この『過去の出来事』というのは『現在に影響を与えない過去の出来事』だ。

『もし、現在に影響を与えているとしたら、それは、こだわっているからだ』……と普通の人は考える。

だから、『こだわらなければよい』のである。

けど、これは、『ヘビメタ騒音病』がどういう病気かわかってない人が、言うことだ。『こだわる』か『こだわらないか』に関係なく、水銀のように影響を与える。「わかってないのは、そっちだ」と言いたくなる。けど、ヘビメタ騒音病に罹患しているのは、ぼくだけなので、ぼく以外の人類すべてを敵にまわすことになる。



本当にいろいろなことが起こりすぎた。「もうつかれたよ」って、ずっと言っている。けど、これも、そういうふうに言ってしまうと「もうつかれたよ」とずっと言っているから、疲れるのだ」と言ってくる人たちが、いっぱい出てくることになる。これは、水俣病でだるくなった人に対して、「だるいと言うからだるくなる」と言っているのと同じだ。そういうことを言う人は、水銀を無視している。

たとえば、水銀を摂取したあと、水銀が一〇年間、体外に排出されないのであれば一〇年間ずっとだるい状態が続く場合がある。水銀中毒で実際にだるいので、だるいと言っているにすぎない。水銀を摂取する前に、「だるい」といったから、「だるくなっている」わけではない。その人は、水銀を摂取する前は「だるい」と言ってなかったのだ。

けど、そういう人に対して、言霊主義者は「だるいと言っているから、だるくなる」と言ってしまう。

「から」が間違っている。その水俣病の人がだるいのは、「水銀を摂取してしまったから」なのだ。「だるいと言っているから」ではない。言霊主義者は元気づけるつもりでそういうことを言う。けど、これは、「理由」について壮大な勘違いをしている。そして、その壮大な勘違いが、その人をいらつかせる。その人というのは、この場合は、水銀を摂取したことによってだるくなっている人であり、また、言霊主義者に「だるいと言っているから、だるくなるんだ」と言われた人のことだ。

そういうことを言う、言霊主義者は、水俣病の人のようには、水銀を摂取してない。水銀の量は少ないけど、今現在、普通に売られている魚を食べると、ほんとーーにちょっとだけ、水銀を摂取したことになる。なので、だれかが「俺だって、水銀を摂取したことがある」と言った場合、その発言は、たいていの場合、正しい。

けど、この場合でも、量を無視してはいけない。

その人というような表現だと問題がしょうじるので、言霊主義者をAさん、水俣病でだるくなっている人をBさんとしておこう。言霊主義者のAさんも人間であれば、Bさんと同じ分量だけ水銀を摂取すれば、水俣病になる。これは、生物としての当然の反応だ。

もちろん、AさんとBさんの体重の違いなども考慮されなければならない。けど、生物としてだいたい同じ反応がおこる。神経細胞に水銀が結びつくプロセスは同じだ。そして、実際に水銀が結びつく神経細胞の部位にもよるけど、だいたい、同じような症状が出る。生物としての当然の反応がある。

ちょっと話がちがうが、過去における物理的な刺激の繰り返しが、現在のからだに影響を与えることがある。たとえば、パンチドランカーは、物理的な刺激によって引き起こされる症状だ。これは、だれでも、同じような刺激を同じような期間の長さ受けづければ、だいたい同じような症状が出るということをしめしている。

もちろん、個体差もあるのだけど、刺激の程度(頭の強打)と、その刺激が起こる頻度と、その刺激が続く期間の長さがだいたい同じだと、だいたい同じような症状が出るということが確認されている。人間のからだはそういうふうにできている。

いわゆる毒と物理刺激はちがうのだけど、生物としての「人間の反応」というものが、だいたい同じなのである。これは、『意識のレベルの反応』じゃない。「影響を受けないようにしようと思えば、影響を受けないようにすることができる」というものではない。

「影響を受けないぞ」と何回も何回も言えば、影響を受けずにすむいうものではない。「『だるいだるい』と言うからだるくなる」という説明のしかたで説明できるものではない。「『まっすぐ歩けない』と言うから、まっすぐ歩けなくなる」という説明のしかたで説明できるものではない。

水俣病の場合は、水銀が神経細胞に影響を与えるから「まっすぐ歩くことができない」という症状が形成されるわけで、「まっすぐ歩くことができない」と言うから、まっすぐ歩くことができなくなったわけではない。

パンチドランカーの場合も、何回も何回も頭部をぶたれるという経験が長期間、続いたから、「まっすぐ歩くことができない」という症状が形成されるわけで、「まっすぐ歩くことができない」と言うから、まっすぐ歩くことができなくなったというわけではない。

しかし、言霊主義者は『言ったからそうなる』と考えるので、間違った理由付けをして、間違ったアドバイスをしてしまう。相手の受け取り方にもよるけど、これは問題を含んだ発言だ。言霊主義者は想像することもできないと思うけど、そういう間違ったことを言われたほうは、不愉快な気持ちになることがある。

2020年6月25日木曜日

佐藤が思い描くヘビメタ騒音と俺が実際に経験したヘビメタ騒音がちがいすぎる


やっぱり、ヘビメタ騒音で人から誤解される。誤解されざるを得ない。けど、そういうことになるということが、これまた、ほかの人にはわからない。経験してないからわからない。

きちがい兄貴の騒音感覚が、また、ドハズレ、ケタハズレなんだよな。そこでも、ぼくは、ほかの人から誤解を受ける。佐藤は、俺にたいしていろいろと間違った認識を持ったけど、それは、佐藤が思い描くヘビメタ騒音と俺が実際に経験したヘビメタ騒音がちがいすぎるからなのだ。

*     *     *

ああっ、いま、2020年06月25日17時37分10秒
夕方の五時半。ものすごい、音でヘビメタが鳴っていた。ここは、あの気違い空間だった。気違い兄貴の態度がおかしいし、騒音に対する感覚がおかしい。自分の騒音に対する感覚がおかしいだけで他の人の出す騒音に対しては普通の感覚を持っているのだけど……。(気違い兄貴は)真っ赤な顔をして、怒ったあとは、気違いオヤジのようにまったく関係がない人になってしまっているんだろうな。発狂的な意地でやり続けるけど、本人は、やってないのと同じ気持ちなんだよな。こういう態度は、他の人に説明してもわからない。だいたいオヤジの態度だって、他の人にはわからない。

気違い兄貴や気違いオヤジの問題なのに……やられた俺が他の人から、誤解されて、悪く言われる。こんなのは、ない。俺は、まるまるまるまる。

ほんとうに、生きている間、誤解を受けっぱなしでいやだな。他の人は経験したことがないから、ヘビメタ騒音が与えている影響というものがわからない。一日の範囲で与える影響も、人生の範囲で与える影響もわからない。それは、親友だろうが母親だろうがわからない。横の部屋で、鳴らされていたのは俺だけだ。床続き」で鳴らされていたのは俺だけだ。ほんとうに、僕の部屋で鳴らしているようなものなんだよな。あれだけでかい音で鳴らすと、一枚の壁の効果は果てしなく小さなって、まるで、自分の部屋で鳴らしているのと同じ状態になる。兄貴の友達が『こんなにでかい音で鳴らしたことがない』と言ったのだけど、そういう音だ。この兄貴の友達は、ヘビメタが好きな人だ。その人が、最初の一分間で「こんなでかい音で鳴らしたことがない」と言ってしまうほどでかい音なんだよ。

他の人は、「はなしのつうじなさ」という点について誤解している。兄貴が普通の人だと思っている。だから、「ちゃんと言えばつうじる」と思ってしまう。それがまちがいんだよな。気違い兄貴も、気違い親父も、普通の状態じゃない。頭がおかしい状態でやる。「やるな」ということを言われたら、発狂して、夢中になってやり続けて、「やってないつもり」になってしまう。毎回同じだ。毎日同じだ。こういうのが、ほんとうに、生活感覚的に、わかってない。他の人は、こういう人間がいるということが生活感覚的にわかってない。

気違い的な意地でやったことは、気違い的な意地で否定する。それが兄貴と親父だ。毎日、何時間やったって、そうだ。まるで自分がやってないから関係がない……というような態度のままやり続ける。たぶん、ほんとうに「やってないつもり」「やってない気持ち」が成り立っている。何万回言われたって、『関係がない人』のままなんだよ。張本人なのに。……気違い兄貴や気違い親父がやりたいからやっていることなのに……。だれも、気違い兄貴や気違い親父に矯正していることじゃないのに……。自分がやりたいから、意地になってやっていることなのに、まるで、関係がない人のつもりでいる。やってないのと同じ気分でいる。まったくやってない人……事実としてそういうことをしなかった人の態度なんだよ。気分なんだよ。本当は、気違い的な意地でやっているのに……。やめさせられそうになったら、発狂してやり続ける。けど、「つもりがない」。やったという認識がまったく成り立ってない。まったく関係がない人のままでいる。張本人なのに……。本人がこだわって、こだわって、譲らずにやりきったことなのに……。やってないつもりでいる。頭がおかしい。

本人にとって都合がいいように、狂っているんだよな。やりつづけるけどやったことになってない……都合がいいだろ。やりたいことは絶対の意地でやるけど、責任は絶対に取らないわけだから。関与すら認めないわけだから。関与を認めないまま、やり続けるわけだから、自分にって都合がいい。止められたら……「やめてくれ」と言われたら、発狂してやり続けて、やり続けたということを忘れてしまう。これは、便宜上『忘れてしまう』と書いたけど、本当は「やった」という認識が成り立ってない。認識が成り立ってないわけだから、『忘れた』わけではないのだ。けど、ここらへのことは、他の人にはわからない。他の人がわからないようなへんなしくみを利用して、やり続ける。けど、やったのが本人ではないような感覚が成り立っている。「やめろ」と言われたのに、こだわってやり続けたという記憶がない状態が成り立っている。

2020年6月23日火曜日

引きこもり対策について……アプローチが逆……負の学習と正の学習……

https://www.30hikikomori.com/p/1110-httpswww.html
↑引きこもり対策について……アプローチが逆……負の学習と正の学習……
ページのほうに書いたので、当行には反映されないので、いちおう、投稿にURLを貼り付けておきます。
(この記事についてなにがしかのことを語る場合は、このサイトのトップページにリンクを張って、語ってください。)
https://www.30hikikomori.com/


2020年6月22日月曜日

生活が、全部、めちゃくちゃになった


つまんない。
やっぱり、俺はヘビメタ騒音「で」ダメなのか?
ヘビメタ騒音で! ヘビメタ騒音で!
おんなじ状態が続いている。おんなじようにくるしい。
くるしい。けど、ほかの人はわからない。ほかの人には騒音体験があったとしても、きちがい兄貴によるヘビメタ騒音体験がない。あれだけしつこい、騒音を聞かされていいわけがない。生活が、全部、めちゃくちゃになった。全部というのは、この場合、イ・ラショナルじゃない。めちゃくちゃになったとしても、生きてはいる。生きてはいるからめちゃくちゃじゃない部分があるということになるのかもしれない。けど、くるしい。ずっと、くるしい。ヘビメタ騒音がなければ経験しなくていいことを経験した。ヘビメタ騒音がなければ、経験できたことが経験できないものになってしまった。そういった意味で、時系列的に「全部」めちゃくちゃなのである。そりゃ、ちがうよ。生活がめちゃくちゃになるということは、「死ぬ」ことではない。生活がめちゃくちゃになるということは、生活がまったく成り立たないということではない。生きていけないということではない。だから、生きているのだから、生活は成り立っている。だから、「全部」はイ・ラショナルであるという意見は間違っている。めちゃくちゃになったという場合、生活の質を問題にしているのだ。俺が問題にしたい「質」が全部めちゃくちゃになったのだから、全部めちゃくちゃになったという表現で正しい。


2020年6月21日日曜日

ヘビメタ騒音にさらされてない場合の俺は、普通によろこんで行けるわけ


今日も生きている。
生きてはいるけどいろいろとつらい。

さてと、どうするかな?

昨日は、通販の受け取りのために玄関まで行ったり、町内会の会費を払うために玄関まで行ったりした。

今日も通販の受け取りをした。

もう、これだけでつかれている。

つかれたとか、ほんとうにどうしようかな? 漢字か?ひらがなか? まだ、変換する必要がある。活用があるものに関しては、ちゃんと活用のことを考えて変換してよ。

あっ、そうだ。風呂にも入った。これで、けっこうきてる。きてますきてます。だいぶ、つかれた。このさき、ほんとうにどうしようかな。いろいろと、考えることがある。たとえばの話だけど、パーティーに誘われたとする。で、いまはコロナなどのことを心配しないとだめだけど、コロナは、はやってないとする。

その場合、普通の人だと、パーティーに行くことを考えると憂鬱になるということはないと思う。あるのかもしれないな。言い方が悪いかな? ヘビメタ騒音にさらされてない場合の俺は、普通によろこんで行けるわけ。

けど、ヘビメタ騒音にさらされたので、ある種の破滅感がある。これは、ほかの人にはわからない破滅感なんだけど、ともかく、破滅感がある。なので、行かないということになるだろう。たとえばの話なんだけどさ。そのパーティーには自分の好きな人ばかりが参加するとしよう。それでも行きたくないのだ。こういう状態になる。まるでわからないだろうけど、そうなんだよ。

2020年6月18日木曜日

言えば願いがかなう…と…何回も言えば願いがかなう について


●「回数が足りないだけ」のトリック(かなってないとしたら、回数がたりないだけですよ(にた~~) 私は願いがかないましたから(にた~~)

「言えば願いがかなう」とAさんがBさんに言ったとする。Bさんは、自分の願い事を言葉に出して言ったが、願いがかなわなかったとする。そのとき、AさんがBさんに「何回も言えば願いがかなう」と言ったとする。.

じつは、Aさんのなかでは、「言えば願いがかなう」ということと「何回も言えば願いがかなう」ということは、それほど矛盾したことではない。Aさんにとってみれば、「何回も言えば願いがかなう」ということは、「言えば願いがかなう」の拡張バージョンみたいなもので、特に矛盾した意味を含んでいないということになる。

しかし、本当は、矛盾した内容を含んでいる。

何回も……というのが、実際何回かは、あとで考えることにしよう。とりあえず、何回もという場合の回数をn回だとする。

その場合、じつはn-1回目まで、どれだけ願いを言葉に出していっても、かなわないということを言っている。「何回も言えば願いがかなう」ということは、「何回も言わないと願いがかなわない」ということなのである。必然的にそういう事を言っているということになる。

かりに、n回を1000回だとする。その場合、1000回言えば、願いがかなうけど、1回目から999回目までは願いがかなわないということを言っているのだ。

一方「言えば願いがかなう」というのは、1回でも言えば願いがかなうということを言っているのである。1回でも、口に出して言えば、かならず!願いがかなうのである。

この「言えば願いがかなう」というのは、「言えば願いがかなうこともある」ということを言っているのではない。そうでなくて「言えば、かならず、願いがかなう」ということを言っているのである。

じつは、「言えば願いがかなう」という言葉は、使うときによって、意味が違う。それは、言霊信者のAさんにとっても、意味が違うのである。しかし、言霊信者のAさんは、自分でその言葉を使っているのに、言うたびに意味が違うということに気がつかない。

意味が違うということに気がつかないということを利用して、困難を避けている。自分が言っていることが当たらないこともあるという現実にむかいあうことを避けている。

ひとつの言葉に、まったくちがったふたつの意味を込めて使っているのに、そのことがわかってない。使っている本人がわかってない。

だからこそ、現実の認知を回避することができるのである。最初に(言霊信者が)言えば願いがかなうと言った場合は、「言えばかならず、願いがかなう」という意味で言っているのである。

「言えば願いがかなう」ということを「言えば願いがかなう場合もあるし、願いがかなわない場合もある」という意味で、使っている言霊信者はいない。「願わない場合もある」ということは、認めないのが、言霊信者なのである。

だから、言霊信者が「言えば願いがかなう」と言った場合は、「言えばかならず!願いがかなう」という意味で言っている。

しかし、実際には、「かなわないばあい」がある。けど、言霊信者は、かなわない場合があるということを認めるわけにはいかないのである。

そこで、時間をずらすのである。今はかなわないかもしれないけど、何回も言えばかなうということにして、「かなわなかった」という現実を無視する。

言霊主義者のAさんはBさんのような人に対して、「回数がたりないからだめなんだ」ということを言う。けど、「回数がたりないからだめなんだ」と言ったときには「言えば、かならず、願いがかなう」ということは、1回目からその回数マイナス1回の範囲で、部分的に否定されている。

1回でかなわなければならないのである。「言う」か「言わないか」の二値しかないからだ。

未来に先延ばしすることで、延命している。もう、本当は否定された理論を、未来に先延ばしすることによって延命する。だから、その時点で、じつは、本来の意味での「言えば願いがかなう」ということは、否定されている。

けど、言霊信者はそれに気がつくことはない。気がついたら、「言っても願いがかなわないことがある」というアタリマエの現実を認めなければならないからだ。「言っても願いがかなわない場合もある」という現実は、無視される。

かわって「回数がたりないからだめなんだ」という、破綻した理論が持ち出される。

「1000回言えば願いがかなう」と言った場合は、999回目までは、いったって願いがかなわないということを、言っているのである。100回なら99回目までは、願いがかなわないということを言っているのである。「10回言えば願いがかなう」と言った場合は9回目までは、「言っても願いがかなわない」ということをいっているのである。

●わからない人に、繰り返して同じことを言うとこうなる。

言えば願いがかなう……言えば願いがかなうこともあるし、かなわないこともある。「言えば願いがかなう」と言霊主義者が言ったとき「言っても願いがかなわないこともある」ということは、認めていない。言霊主義者の場合、「言えば、かならず、願いがかなう」という世界観を持っているのだから、かなわないということは考えないのである。だから、言えば願いがかなうというのは、二値の世界なのである。

言ったか言わないかの二値と、かなうかかなわないかの二値があるだけなのである。言えばかなうのであって、言ったのにかなわないということはないのだ。

しかし、言ったのにかなわないという現実を認知しなければならないときがある。そのようなときに、言ったのにかなわないことがあるという現実を認知することを避けて、「何回も言えば願いがかなう」と思うことにしているのだ。

しかし、これは、今まで見てきたように、理論的に破綻している。1000回言えば願いがかなう」という場合は、1回だけ、言っても、願いがかなわないということを、意味しているのである。2回でも、3回でも、願いがかなわないということを言っているのである。

999回でも願いは、かなわないのだ。999回言えば願いがかなうのか? かなわないのか? 999回では願いがかなわない。1000回、言えば願いがかなう」ということを言っているときは、999回、言っても、願いがかなうことはないということを言っているのである。ただ、それに気がついてない。「言えば願いがかなう」と言っているときと「1000回言えば、願いがかなう」と言っているときでは、その人の気分が違うので、込められた意味の違いに気がつかない。

言霊主義者にとって「何回も言えば願いがかなう」は「言えば願いがかなう」の拡張バージョンにすぎないから、矛盾しているとは考えない。

「何回も」と言った場合、何回が実際に何回目を意味しているのかわからないので、n回ということにしておこう。この場合、1回目から、n-1回目までは、願いがかなわないということを言っているのである。

気がつかないのだろうけど、これは、「1回言っても願いはかなわない」ということを含んでいる。なので、「言えば願いがかなう(2値バージョン)」とは、正反対のことを言っている。「言えば願いがかなう(2値バージョン)」の場合は、1回願いを言えば、どんなことがあってもかなうのである。かなわないなんてことはないのである。「かなわない場合」のことは考えてないのである。「かなわない」ということはないのだから、考えない。




2020年6月17日水曜日

楽しいと感じるもとのこころが、死んだ


俺はこれでも、わりとがんばって生きているのである。ほんとうだったら、一日中寝てしまうところを、がんばって、外に出ているのである。けど、去年、つかれすぎた。だから、「もういいや」というところもある。
しかし、「ほかの人はどうなんだろうな」と、ときどき考えてしまう。けど、すぐに「ほかの人は、ほかの人で、ぼくはぼくだから、ほかの人は参考にならない」と考えるところがある。ほかの人はぼくが体験したことを体験してないわけだから比較対象にはならない。立場を逆にして、ほかの人から見ても、そうだろう。
けど、人間は人間なので、多少は参考になるかもしれない……と考えたりする。

まあ、ぼくがいちおうは人並みに、楽しくなれればよいのだけど、ぼくは、……。ぼくは……。ぼくは、楽しくなれない。楽しいと感じるもとのこころが、死んだ。だから、そういう地点から、考えないとだめなのである。

2020年6月16日火曜日

そんなえらそうなことを言っているやつは、ヘビメタ騒音の数千日を経験してない


ヘビメタでくるしい。おまえらにはわからない。ほんとうに、俺と同じ経験をしてから、ものを言え。ものを……。ものを……。


いつも、くるしい。そりゃ、くるしくなる。けど、そういうことですら、ヘビメタ騒音を経験したことがないやつから、あれやこれやと言われる。そういうポジションに落ちていく。曰く。「人間は自分の感情に責任を持たなければならない」。曰く。「どれだけくるしいときも、笑えば、楽しくなる」。などなど。何千日も、気違いヘビメタが続いてくるしいときは、笑っても、元気にならないー。ならないーー。ビック・ノー。ならないーー。自分の感情に責任を持つというのは、ようするに、自分の感情は自分が完全に制御できるものでなければならないという意味だ。どれだけつらくても、くるしくても、なになにができないということはないという意味だ。どれだけつらくても、くるしくても、「不愉快な感情」をもつ必要はないので、「不愉快な感情」をもつということ自体が、未熟なのだという意味だ。なおさら、不愉快な顔をして人前に出るのはけしからんことだという意味だ。けど、そんなえらそうなことを言っているやつは、ヘビメタ騒音の数千日を経験してない。数千日に渡って、寝不足が続く世界を経験してない。寝不足でよれよれだ。……けど、「寝不足でよれよれだ」といえば、「どれだけ眠たくなくても、眠ろうと思えば眠れる」とか言い出す。「日光を浴びて、規則正しい生活をすればいい」などと言い出す。俺はヘビメタ騒音でくるしいんだよ。

2020年6月15日月曜日

ニートに説教は、ホームレスに石を投げるのと同じ

●ニートに説教は、ホームレスに石を投げるのと同じ


引きこもり云々についてちょっと書いておくかな?

言いたいことは、「その人ができる仕事」を用意したほうが説教をするよりずっといいということなのだ。けど、「自分で見つけろ」ということになると思う。これは、「働けない」のか「働かない」のかという問題に直結している。

働けない人……に働いてもらう場合は、「その人ができる仕事」を用意するしかないわけで、用意できないのであれば、その人が働かない状態でもよいというような「一般合意?」を作っておいたほうが、説教をするよりもずっとよいのではないかと思う。

これ、説教なんて、ホームレスに石を投げるのと同じことなんだからな。これがわかってないやつが多い。「働けない」人には「自分が働けない」という認識がある。それは、実際に働いたときに生じたものだ……とする。

だから、これは、働いてみたけど、働けないということを悟った人を対象にしている。働いたことがない人のことはいちおう、ここでは対象にしないことにする。「確信」があるんだよ。

基本的には、なんていうのかな? ダメになるのに時間がかかるのだけど、ダメになるまでの間、「働けたから」といって(その人が)働ける人間だと認識してしまうのはまずいのだということだ。こういうことも、働ける人はわからないと思う。どれだけの深い絶望があるかわかってない。

「自分が働けない人間である」というのは、単なる認識じゃなくて動かない確信なんだよ。そういう人に働いてもらうにはどうしたらいいか? 

その人が楽にできる?仕事を用意するしかない。
ニートや無職に対して、……アドバイスをする人がいるのだけど、そんなのは、まったく役に立たない。役に立たないというよりも、有害なのである。自殺に追い込むためにやっているというのであれば効果的ではあるけど、そうではない場合は、やめたほうがいい。

けど、アドバイスをしているほうは、実は、ストレス発散のためにやっているので、ホームレスに向かって石を投げる中学生のように、楽しみながら、アドバイスをするだろう。(相手(ニート)に受け入れられなくて、怒っている場合も、同じだ。

怒っているのは、アドバイスをするほうだ。「自分は立派にやっている」「不利な条件でも頑張った(だから、成功した)」という自負がある場合は、特に、ダメなんだよな。アドバイスをする人として失格なのである。そんなのは……そういう説教は、ていのいい、いじめでしかない。

ほんとうはホームレスに向かって石を投げたいのだけど……かわりに、ニートに向かって説教をして、ストレス発散をしているようなものなのだよ。これ、本人は「真摯に相談にのっている」と思っている場合でもそうだから。というか、「真摯に相談にのっている」と思っている人が「説教」をしている場合は、まちがいなく、石の代わりに説教を投げつけていると思ったほうがいい。

基本的にニートのほうが立場が弱いのであり、アドバイスをするほうの人は、日本人の宗教的な労働観にもとづいて、ニートに(説教という)石を投げるので、日本の社会のなかでは、肯定されるのである。だから、そういう「相談」のようなものは、ただ単に、体のいい集団リンチ(いじめ)になってしまうのである。そりゃ、アドバイスをされたほうはたまったものではないだろう。さらに引きこもってしまうだろう。さらに心を閉じてしまうだろう。

たぶんだけど、援助を求めずに飢え死にした無職の人は、そういうことを割と繰り返してきたのではないかと思うのである。「自分は働けない」という動かない認識があるのに、アドバイスをする人は、自分にできる仕事を紹介してくれるわけではなく、ただ単に、説教という石を投げつけてくるわけだから、そりゃ、物別れになって終わる。

しかも、これが、ショーとして成り立っている場合は、たいていの人は(アドバイスをする側に立つので)集団リンチのようになってしまうのである。援助の中身が、ろくでもない説得であるならば、そりゃ、「もう、いい」と思うのが人間だ。生物としての人間だ。社会的な存在としての人間だ。

■ゲームバランスのような仕事バランス

ゲームというのは、難しすぎても簡単すぎてもだめなのだ。工夫をすると前に進めるような状態が一番、いい状態だ。人によって、能力や得意分野がちがうので、同じ仕事に対して、難易度がちがうのである。

仕事の場合も、その人にとって、難しすぎても簡単すぎてもだめなのだ。つまり、工夫をすると前に進めるような仕事でなければならないのだ。工夫をすると前に進める仕事を紹介できるときだけ、ニートや無職にアドバイスをしたらどうかと思う。


2020年6月13日土曜日

俺ができないと言ったらできないんだよぉ!


俺ができないと言ったらできないんだよぉ! 俺ができないと言ったらできないんだよぉ! 「ヘビメタ騒音でできない。ヘビメタ騒音でできなくなった」と言っているだろ!! こいつら、ゆるせない。自分はヘビメタにやられなかったからといって……。ヘビメタ騒音にやられなかった立場で、俺が言っていることを否定するな!!! 俺ができないと言ったら、できないんだよぉ!! くそまるまる。くそ、まるまる。こいつらは、水俣病にかかってできなくなった人に「できないのはおかしい」「そんなのはいいわけだ」と言っているようなものなんだぞ。

そして、自分は水俣病にかかっているわけではない。自分が水俣病にかかってないから、水俣病になったあと、できなくなったということを認めない。自分かかかってないから、自分はできくなってない。だから、そんなのは、認めない。水俣病という要素を無視するか、軽く見るので、水俣病でできなくなったということを、認めない。「水俣病にかかったからできなくなったなんていうのは、いいわけだ」「水俣病にかかったってできる」……そういうふうに決めつけて、そういうふうに言う。

ある人が、水俣病にかかるまえ、まっすぐ、歩けたとする。歩けたんだよ。その人は!! 水俣病にかかって、まっすぐ、歩けなくなった。だから、その人が「水俣病で、まっすぐ歩けなくなった」と言った場合、正しいことを言っている。ヘビメタ騒音もおなじなんだよ。ヘビメタ騒音で、できたことが、できなくなったの!!! かつて、できたことができなくなったんだよ。かつて、普通に!!!!できたことが、どうしてもできくなったんだよ!!! おまえが決めるな。ふざけるな。ふざけるな!! 俺ができないと言ったら、できないんだよ。俺はできたんだよ。長いヘビメタ騒音の影響でどうしてもできなくなったんだよ。他人事だと思って、簡単に言いやがって!!!

「ヘビメタ騒音でできくなることなんてない」とヘビメタ騒音を毎日経験しなかったやつが、平気で言いやがる。ゆるせない。

ほんと、どれだけ!! ほんと、どれだけ。けっきょく、親友とのあらそいの根本が、これだからな。ヘビメタ騒音を毎日経験した人と、ほかの人とでは、「できない」ということに関する 根本的な考え方がちがう。経験してない人は、知らないだけだ。自分の体で経験してないから、ヘビメタ騒音生活が、どれだけ、足を引っ張るかわかってないだけ。どれだけの能力を、つぶしてしまうかわからないだけ。

ヘビメタ騒音生活というのは、ほんとうに、過労死寸前の状態で頑張って生活している状態なんだぞ。過労死寸前の人は、まえ、できていたことが、できなくなる。「できない」と言い出す。実際「できなくなった」からそういうふうに言う。あるいは、「もう限界だから、できない」と言う。


けど、過労死寸前の生活を経験したことがない人が、「できないなんてない」「あまえるな」と言う。俺や過労死寸前の生活をしている人が「できない」と言った場合、それは、「できない」ということを意味しているんだよ。ほんとうに「できない」んだよ。ほんとうにわかってない。そりゃ、やられてないなら、できるよ。けど、毎日、ヘビメタ騒音が続いて、できなくなった。

どうして、否定する!! どうして否定する!!

そりゃ、これを否定されたら、頭にくるだろ。憎しみの感情がしょうじるだろ。「いっしょにいたくない」と思うだろ。こいつらは、こっちができないと言っているのに、それを否定して、喧嘩を売っている。けど、喧嘩を売っているつもりがない。そりゃ、そいつらにとっては「できないなんてことはない」からだ。「ヘビメタ騒音でできなくなった、なんてことは、ない」からだ。頭にくる。頭にくる。頭にくる。

ただ単に自分が経験してないから、わかってないだけのことだろ。威張れることじゃないのに、「できないなんてことはない」とえらそうに!! ただ単に、俺レベルの騒音生活を毎日一四年間経験したことがないから、「普通にできている」だけなんだよ。俺レベルの騒音生活を経験したら「できなくなる」。できないから、「できない」と言っているのに、否定するな。おまえらの考え方はまちがっている。おおいに、まちがっている。前提がわかってない。どれだけの睡眠不足が積み重なるかわかってない。どれだけの疲れが積み重なるかわかってない。わかってないだけ。「できなくなった」んだよ。できたんだよ!!普通にできたの!! 別に甘えているわけじゃないんだよ。それどころか、甘えたことを言わずに、自殺寸前の生活に、十何年も耐えてきたの!!毎日!!毎日!!こいつら、ふざけやがって。 こいつら、ふざけやがって。頭にくるにきまっているだろ。けど、こいつらの頭だと、俺が、頭にくる理由というのがわからないんだよな。こいつらは、俺を侮辱していることに気がついてない。しかも、「できないと言っているだろ」とこっちが言えば、そいつらだって、腹を立てる。どうしてかというと、そいつらにとって当たり前のことを言っているに、俺が腹を立てて「できないと言っているだ」というから腹を立てるのだ。いや、それ以前に、俺のできない状態に腹を立てている。ほんとうに、頭にくるやつらだ。「ヘビメタでできない」と言っているだろ。できたんだよ。できたの。ヘビメタでできなくなった。否定するな! こいつらは、否定しているとき、頭にきているのか? まあ、(こいつらの態度は)友好な関係を築こうとする態度じゃないよな。こいつらは、俺が「できないと言っているだろ」と言ったとき、ちょっとは腹を立てているんだよな。こいつらは、「できないなんてことはない」と腹を立て、「あまえるな」と腹を立てる。ほんとうに腹立たしいやつらだな。


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夢の中で、俺が、ものすごくいきいきと、仕事をしていた。交渉なんかも嫌いじゃない。けど、現実の俺は疲れ果てている。なので、仕事は、夢の中で俺に頼んでくれ。夢の中の俺はきっと、ガンガン仕事をしてくれることだろう。

夢の中の俺はヘビメタ騒音にやられてない場合の俺だ。

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ほんとうにこういうことで、親友や友達がへっていくんだよな。俺における「ヘビメタ騒音」という要素が、水俣病患者における「有機水銀」という要素とおなじだということがわかってない。経験を通して、わかってない。自分の体で分かってない。俺が、数千日にわたって、どれだけ我慢してがんばってきたか、……あわせて生活をしてきた……わかってない。俺が言うのは、よっぽどの場合なんだよ。俺が「できない」と言う場合は、よっぽどの場合なの。限界なんだよ。否定するな! 否定するな!! 否定したやつは、ゆるせない。ゆるせない。

どうしたって、そういう感情がうまれるんだよな。きちがいが夢中になって、こっちの言っていることを無視して、きちがいヘビメタ騒音をものすごい音で鳴らし続けると、俺とほかの人とのあいだで、そういうあらそいが生まれる。で、鳴らしているやつはそんなのは、知らないのだ。どれだけ言ったってわからない。そんなのわかるわけないだろ。自分の出している音が、でかい音だということすら認めない。きちがいだから認めない。でかい音で鳴らしたいなら、でかい音で鳴らしてたって、普通の音で鳴らしていると、悪気なく、ほんとうに認識してしまうのが、きちがいだ。そりゃ、別に、意識してやっていることじゃないからな。ほんとうはでかい音で鳴らしているということを認識しているのに、でかい音で鳴らしたいから、わざとしらばっくれて、認めないで鳴らすという場合とは、ちがうんだよ。きちがいだからこそ、無意識的にそういうことができる。本人の意識としては、ほんとうに「普通の音」で鳴らしているつもりなのである。頭がおかしいから、そういう、自分をだますようなことを、意識せずに、平気でできる。これが、「あたまのくせ」なら、こういう「あたまのくせ」を持っている人は、そうしていいということなのか? という問題がある。「あたまのくせ」という言い形で中和するな。やられているやつが、やられっぱなしの世界ができてしまうだろ。やっているやつには、人権があるのに、やられているやつには人権がないのか? これは、そういう問題なんだぞ。

2020年6月11日木曜日

「いまから、日本語をわからないようにする」という強い意志を持っていたとしても


やっぱり、ヘビメタ騒音で人生ないわ。
どうやっても、あれじゃ、だめだったんだ。
鳴らされていては、だめだったんだ。ほんとうに、殺さないとやめさせることができない。ほかの人は、きちがい兄貴のきちがい的な意地がわからない。殺さなければ!!!絶対にやめさせることができない。実際やめてくれなかった。

で、毎日が、ぼくのすべてを壊す。ぼくの人生を壊す。ぼくの就職を壊す。ぼくの進学を壊す。ぼくの恋愛を壊す。ぼくの友情を壊す。人知れずそうなる。どうしたって、きちがい兄貴が住んでいて、きちがい兄貴が鳴らしている以上、そうなる。で、それは、ほかの人には関係がないことなのである。ほかの人にとって、ぜんぜんたいしたことじゃないのである。

けど、これは、体内に有機水銀がどんどん蓄積していくような効果があった。ヘビメタ騒音は、有機水銀のようにたたる。ほかの人にとっては、過去のことは過去のことだから、「今現在に影響を与えない」ということになる。これは、今現在に影響を与える過去と、今現在に影響を与えない過去の両方があるということを無視した考え方だ。「今現在に影響を与えない過去」というのは、ないのではないかと思う。しかし、その過去の出来事が与える影響が些細なものなので、今現在は影響がないものとして無視できるという意味でなら、「今現在に影響を与えない過去」というものを考えてもよいとは思う。

まあ、とりあえず、簡単に省略して言って今現在に影響を与える過去と、今現在に影響を与えない過去の両方があるとしておこう。過去の出来事は現在に影響を与えないというのは、合理的な考え方じゃなくて、信仰みたいなものだ。いや、みたいなものではなくて、まぎれもなく、信仰だ。

けど、認知療法のようなポジティブにゆがんだ思想を持っている人は、「過去の出来事は現在に影響を与えない」と信じている。何度も言うけど、これは、合理的な判断ではなくて、信仰だ。過去の出来事は現在に影響を与える。

特に、言語の学習や脳に不可逆的な影響を与える過去の出来事は、今現在に影響を与える。たとえば、日本に住んでいる人は、普通は日本語を学習してしまう。これは、とりもなおさず、過去の出来事の影響を受けているということなのである。

また、認知療法のようなポジティブにゆがんだ思想を持っている人は「意志」を重視して、無意識の部分を「意志」の力でねじ伏せることができると考えている。しかし、たとえば、日本語を聞いてもわからないようにしよう(理解しないようにしよう)ということにこだわって、それを実行しようとしたとしても、日本語を聞いてもわからないようなふりをするということになると思う。

一度、覚えてしまった日本語を、急に忘れることはなかなかできない。事故で、脳みその一部が破損した場合は別だが、「いまから、日本語をわからないようにする(理解できないようにする)」という強い意志を持っていたとしても、……脳みその一部が破損していなければ……日本語を聞いたらわかる(理解できる)という状態が維持されてしまう。これは、「意志」の力では、そういう能力を封じることができないということを意味しているのである。意志の力でなんでもできる……自分のことならすべて制御できると考えるのは、勝手だが、それは、合理的な考え方ではなくて、一種の信仰だ。

2020年6月10日水曜日

俺はいやだ


やる気になって、ネズミシートを封印した。これは、ネズミを捕まえるためのものなのだけど、ふちにネズミの糞が落ちている。フチの部分は粘着シートになってない。で、ほんとうはそのまま、燃えるごみの袋に入れていいのだけど、俺は、そのまま燃えるごみの袋に入れるのはいやだ。

だから、ビニール袋に入れて、封印して捨てようと思った。けど、これが……。いろいろと説明しなければならないことがあるのだけど、省略。で、ともかく……俺はいやなんだよ。どうして俺がこんなことをしなければならないのか」と思う。おやじがネズミを餌付けした。一日中、酒糟がついた魚の切り身を出しておいて、近所中の、ネズミを集めた。

「明るい顔をしろ」「暗い顔をするな」

多くの人が、兄貴のことは悪く言わずに、俺のことを悪く言う。これは、おかしい。マナー違反、ルール違反をしたのは、兄貴だ。どうして、これがわからないのか? ほんとうに、こういう反応で、俺はくるしんできた。おかしい。多いんだよな。頭がおかしいと思う。きちがい兄貴が、普通の家ではありえないようなでかい音でヘビメタを鳴らした。……そう言っているだろ。きちがい兄貴に、注意したけど、きちがい兄貴は、絶対の意地で鳴らし続けた……そう言っているだろ。こういうことを聞いて、俺が悪いと思う普通の人たちは、間違っている。ヘビメタが鳴っていたから、睡眠不足になって暗い顔をするようになった……と言っているだろ。おまらだって、ずっと鳴らされ続けたらそうなる。

けど、そういう話を聞いた時の反応が、「明るい顔をしろ」「暗い顔をするな」「暗い顔をされると、こっちも暗い気持ちになる(俺、私のことを考えて、暗い顔をするのはやめろ)」という反応だ。これは、相手のことを考えてない自分中心的な考え方だ。けど、こういうことを言うやつが、「世のため人のために行動するのがたいせつ」「他人のことを考えるのがたいせつ」というようなことを言いやがるのだ。

もちろん、礼儀として明るい顔をしたほうがいいというのはわかる。けど、それと、「世のため人のために行動するのが大切」という考え方がどうむすびつくのだ? おまえは、その発言で俺をおびやかしている。おまえにとって、俺は他人なんだぞ。「人」なんだぞ。

……と、まあ、こういう気分になるときがある。

すでにヘビメタに(何時間も何時間も)やられてくるしいということが、どれだけ、普通の人との、普通の交際・交流をさまたげるか?

何千日も、横で、きちがい的な音を鳴らされ続けていいわけがないだろ。どうして、こんな簡単なことが、きちがい兄貴にはまったく通じないんだ?

よその人も、俺が兄貴に「静かにしてくれ」と言えば、静かにしてくれたはずだという前提で、俺が話した内容を判断するのは、やめろ。佐藤のようなやつは、普通の人だ。普通の人がそういう反応を返してくる。


++++++++++++++

暗い顔をした人には近づきたくないという「きもち」は、わかる。けど、俺はヘビメタ騒音でくるしい。はさまれてしまう。ずっとはさまれて、くらしてきた。で、俺はほんとうに、きちがいヘビメタにやられている期間中、一〇年ぐらいは毎日、暗い顔をしないで……くらしてきたのだ。で、それは、むりやりやっていることだ。限界がある。

「暗い顔をするな」と「人間は働かなければならない」が組み合わさると、悲惨なことになる。おまえら、ほんとうに有機水銀中毒で働けなくなった人に「働け」「どんなにくるしくても働け」「働けないなんて、いいわけだ。あまえている」「みんな、くるしくても働いている」「だから、おまえだけ働かないなんていうのはゆるせない」「水銀中毒なんてたいしたことじゃない。俺だって、ちょっとは有機水銀を摂取している*1」と言っているようなもんなんだぞ。さらに、「有機水銀を摂取したのは、自己責任」と言っているようなもんなんだぞ。さらに、「有機水銀を海水に流した企業を責めてもしかたがない。「企業が悪い」と言ってもしかたがない」「企業のせいにするな」「ほかの人のせいにするな*2」と言っているようなもんなんだぞ。
これが普通の日本人の反応なんだからな。






2020年6月9日火曜日

どういう世界になるか、まったく見当もつかないだろう


人に言ってもしかたがないのだけど、
いろいろとめんどい。
いろいろとくるしい。

もうちょっと気楽に動けないか?

たとえば、自転車でどこかに行くにしろ、けっこうくるしい状態で行っているんだよな。ヘビメタ騒音でくるしい。ほかの人にはわからない。経験した人じゃないとわからない。どういう世界になるか、まったく見当もつかないだろう。だから、やられてない状態で、俺のことを推し量るしかない。俺が「言っていること」を推し量るしかない。で、そうなると、なんかくだらない、ネガティブなことを言っているようにしか思わないだろう。けど、ちがうんだよな。ちがう。ぜんぜん、ちがう。けど、わからない。ほかの人にはわからない。



ほかの人は騒音の影響なんて、「つもらない」と思っていると思う。けど、つもる。何千日も、同じ、音を聞かされ続けるとくるしい。何千日も、同じ、「この世で一番嫌いな音」を聞かされ続けると、どれだけポジティブ思考にこだわっても、暗い気持ちになる。からだがつかれて動けないときが、長い間、しょうじてしまう。つかれやすくなっているところで、その日の、きちがいヘビメタ騒音が積み重なる。どれだけ、無視しようと思っても、その中にいる限り……音にさらされているかぎり、どうしても、影響を受ける。そして、眠れなくなる。夜、眠るべき時間に眠れなくなる。次の日は、寝不足のつらいからだをひきずって、行動することになる。

だれでも、夏の暑さはきつい。気温三五度の真夏日に自転車に乗って移動するのはくるしい。けど、「みんな」のなかに俺がいたとする。「だれだって、暑い日に自転車に乗って移動するのはくるしい」とする。俺もつらいわけだけど、……そして、俺も、「暑い日に自転車に乗って移動しているから」つらいという部分を抱えているのだけど、ヘビメタ騒音で、くるしいのだ。前の日も、前の前の日も、ヘビメタ騒音で眠れなかったからくるしいのだ。本当にからだがつかれやすくなっている。つらさの、つらさがちがう。しんどさの、しんどさがちがう。けど、俺の特殊事情はほかの人にはわからないか、あるいは、無視される。これが、勉強やほかの活動すべてにも、なりたつ。ずっと、なりたつ。人生の中で中学三年間と、高校三年間は、とてつもなく重要な時期だ。期間だ。その期間中ずっと、ヘビメタを鳴らされ続けた。土曜日も日曜日も祭日・祝日もヘビメタを鳴らされ続けた。ずっと、俺だけにしかない……俺だけにはある……くるしさが持続している。「どこかで消化」することができない。「どこか」というのは、時間的な意味で「どこか」だ。不定期的なある時点で、それまでのくるしさを一度消化するということができない。どうしてかというと、連続して、毎日、鳴っているからだ。休みなく、毎日、鳴っているからだ。「だれだってつらい」というような言い方があるけど、俺、そういう言い方を聞くたびに、「うぇっ」とはきそうな気持になる。我慢の限界。「俺がつらいのは、そこじゃない。ヘビメタ騒音がプラスされているところだ」と、むなくそ悪い、絶望的な気持になる。そういう、はりつめた状態で、走り続けた。そりゃ、走り続けるしかないからな。けど、限界だったんだ。あんな、二時間、三時間しか眠れない生活。毎日。
つかれというのは、たまると、もっともっと、つかれやすくなるのだ。毎日、じゅうぶんに眠って、その都度回復している人には、わからない。そういう、つらい日が……特別、ほかになにがなくてもつらい日が何千日も続いた人の状態がわからない。「特別、ほかになにがなくても」というのは、たとえば、「ものすごく、暑い日に自転車で移動する」ような特別イベントがなくても……という意味だ。



「騒音なんて、鳴り終わったら関係がない」とか「過去なんて関係がない」とか言う人をまるまるしたくなるんだよ。(でこぱっちんしたくなる)。そういう感情がわく。それは、よくないことなのだけど、どうしても、そういう感情が沸き起こる。言われれば、そりゃ、腹が立つ。で、それは、やはり、ぼくと他人が有効な関係を作るためにはよくないことだ。障害になる。きちがい兄貴は、別にぼくと他人の仲を裂こうとして、無視して鳴らしているわけではないのだけど、無視して鳴らし続ける、そういうことになってしまう。

おやじだって、別に、兄貴をくるめてやろうと思って、「このはんだごてをもってけ」と言ったわけではないのだ。そして、おやじは、実は、激しく主張したことを覚えてない。やり終わったらその瞬間に忘れてしまう。関係がない人になってしまう。はんだごてを「おしつけた」ことになってない。おやじのなかでは、はんだごてを「おしつけた」ことになってない。それから、逆上して兄貴の言い分を無視したのだけど、兄貴の言い分を無視したということにもなってない。おやじのなかでは、兄貴の言い分を無視したということにはなってない。発狂して、はんだごてを押しつけて、「これは使えない」という兄貴の言い分を無視したということが、おやじはまったくわかってない。わかってないということは、そのように認識されてないということだから、おやじのなかでは、やってないのと同じことなのだ。まさくし、「やったってやってない」ということになってしまっているのだ。

これと同じように、兄貴も、ヘビメタ騒音を押しつけているつもりなんて、ないのだ。俺の言い分を無視したという気持ちもない。そういう認識自体がない。「やめてくれ」「静かにしてくれ」という俺の言い分を無視したつもりがないのだ。まったく生じない。けど、そうしている。頑固にそうしている。言われたとたんに、言われなかったことになってしまう。ごく普通にそうなる。だから、常につもりがないまま、鳴らすということになる。どれだけ、「鳴らすな」言われても、言われたということが、頭に残らない。おやじのように頭に残らない。だから、まったく「いわれなかった」と思っている。何万回言われても、その都度、そういう形で、記憶に残らない。相手がいやがること、……やめてくれと、強く主張していることを、やり切ったという気持ちがない。相手が言っていることを無視して、やり切ったという認識がまったくない。おやじと兄貴は、この頭の構造がまったく同じ。きちがい的な意地でやったことは、全部やってないことになっているのである。相手の主張を認めなかったのに、相手の主張を認めなかったということが、まったくわかってない。相手はなにも言ってこなかった……ということになっているのである。何万回、強く言われても、そういう状態のままだ。そのまま、なにも気にしないでやり続ける。言われた時だけ、発狂して、「おしのければ」、それで、本人のなかではすんでしまうのだ。「言われなかった」ということになってしまう。関心がない。まったく関係がない人になってしまう。

2020年6月7日日曜日

寝不足でがんばってハイになっているときの問題


基本、きちがいヘビメタ騒音を抱えていると「ふつうのつきあい」ができくなる。基本……。基本、基本……。これ、わからないだろうな。あまりにも長期間にわたってきちがいヘビメタが、よその家じゃありえないほどでかい音で鳴っていたので、時期ごとの「できなくなる理由」を説明しなければならなくなる。よその人が想像できないほどでかい音で鳴っいた。よその人が疑問に思うような態度できちがい兄貴がきちがいヘビメタを鳴らしていた。よその人には騒音問題にしか思えないだろうけど、騒音にさらされ続けると眠れくなるので、長時間の騒音問題はそのまま、睡眠の問題だ。そして、睡眠の問題は、日中の活動している時間にも影響を与える。「きもちがあがらない」というような問題もそのうちの一つだ。さらに、ほかの人にはまったくわからないと思うけど、寝不足なのに、がんばって活動していると、ハイになるときがある。「はい」になっているのだからよいのではないかと思うもしれないけど、これは、躁うつ病患者が躁状態になっているのと同じ危険性がある。へんなぐあいでハイになっているわけで、つかれて判断力がなくなっている状態なのである。これは、うつ状態でもうろうとして判断ができない状態と同じように悪い状態なのである。眠たい頭で、なんとか、元気に見せなければならないと思って行動していると、問題を引き起こすことがある。これも、「きちがいヘビメタ騒音」「きちがい兄貴によるきちがいヘビメタ騒音」というファクターをのぞくと俺が、勝手にそうなっているように見えてしまうのだ。要するに「きちがいヘビメタ騒音」のことを説明した後も「きちがいヘビメタ騒音」というファクターを考えない人たちにとっては、躁うつ病でハイになっているのか、ヘビメタ騒音の寝不足でハイになっているのかが区別できない。そもそも、ほかの人にとってはそんなことは関係がない。しかし、言ってみれば自然にそうなったのか、誰かの行為が原因でそうなったのかは、重要な問題だ。躁うつ病の場合は、なんらかのきっかけとなる原因があるにしろ、躁鬱気質の人が、自然にそうなっている場合が多い。ほんとうに、本人以外に理由があるケースと、本人にしか理由がないケースを同一の問題として語るのは、無礼なのである。どうして、そこを一緒にするか? まあ、今回はこれに関しては、ここまでにしておこう。ともかく、騒音でハイになっているときに、間違った判断をしてしまうことがあるということは、言っておきたい。騒音がなければ、そういう判断はしないのである。ヘビメタ騒音にずっとやられるというのは、……つまり、ヘビメタ騒音生活が続くという場合、プラス向きにがんばったとしてもそういう問題がしょうじる。で、うつ状態のほうが長いので、「よその人」はうつ状態だけを見て、無駄に励ましてしまうのだけど、それは、あんまりいい結果を及ぼさない。「だめだだめだ」「できないできない」と言っている人にたいして、普通の人は励ましのつもりで、根性論やポジティブ思考を説明するのだけど、それは、喧嘩を売っているようなものだということを理解しなければならない。まあ、理解できないとは思うけど。

2020年6月6日土曜日

「今日はだいじょうぶだ。さみしくない」と思っていたのに


「今日はだいじょうぶだ。さみしくない」と思っていたのに、急に、くるんだよな。ふとした瞬間、猛烈にさみしくなる。ヘビメタ騒音以降、俺がどれだけ辛抱して生きてきたか。俺がどれだけさみしい思いをして生きてきたか。もう、それだけでも、きちがい兄貴は責任を取ってまるまるするべきだ。

すべてにつかれた。

それにしても、俺は、元気がないなぁ。
あーー。ほんとうにつかれた。
すべてにつかれた。

2020年6月5日金曜日

同じことをする。同じ反応を返す。


ほんとうにヘビメタ騒音で、俺がほかの人から悪く言われるところに落ちていくんだよな。これ、必然なんだよな。きちがい兄貴の態度の必然。どれだけきちがい的な態度で夢中になって、普通の人が想像できないような音を鳴らしたか? ほかの人は、経験がないから、わからない。頭で聞いて、普通の騒音だと思ってしまう。普通の「あにき」だと思ってしまぅ。普通の親だと思ってしまう。そうなると、言わない俺が悪い、ということになる。どれだけ、夢中になって言ったか。そして、ほんとうに、続くとなると、普通の人が想像できない範囲に影響がおよぶ。騒音の影響がおよぶ。これも、ほんとうにそういう生活を経験しないとわからない。俺が、勝手に、妄想で、そうなると言っているように思われる。彼らにとってみれば(自分は経験してないので)そうなる必然性があるということがわからない。だから、必要がないことで、俺が言い訳をしているようにしか思わない。説教をしてくる奴というのは、そういうやつらだ。で、そういうやつらのほうが多い。親友にすら、言ってみれば「説教」をされたわけだけど、そんな関係が続くわけがないだろ。これ、生まれ変わって、人生を入れ替えて経験すればわかる。「そういうことだったんだ」ということがわかる。どれだけ俺が誠実な人でも、どれだけ俺に才能があっても、きちがい兄貴の態度で、ずっと騒音を鳴らされ続けたら、「言い訳をしている人」にならざるをえない。俺は、佐藤の反応についてかなり詳しく書いているけど、あれが、「普通の人」の反応だ。それは、俺が無職になったときに発動されるものではなくて、最初から構造として成り立っている。ようするに、小学六年生のときから、ああいう構造のもめごとがなりたっている。中学一年生になると、(小学六年生時より)もっとひどくなる。求められることが(小学六年生の時よりは!)職場に近くなるからだ。いろいろなトラブルがしょうじる。それは、働いてなくてもそうなんだよ。働く年齢に達してなくてもそうなんだよ。学校なんて職場の「うつしえ」みたいなものだからな。あるいは、練習場所みたいなものだからな。同じ構造が成り立っている。きちがい野郎……相手の表情をまったく読めない家族にやられると、そういうことになってしまう。これは、おやじと兄貴の関係でも成り立っている、おやじと俺の関係でも成り立っているし、兄貴と俺の関係でも成り立っている。きちがい兄貴ときちがいおやじの頭の構造が同じなんだよ。自分にとってやりたいことがあると、それを夢中になってやる。ほかの人に迷惑がかかることでもまったく気にしないでやる。その場合、相手がどれだけすごい形相で、「やめてくれやめてくれ」と言っても無視する。発狂して無視する。そして、無視してやり続けた言うことも無視する。そして、夢中になって、やり続けたことは「やってないこと」になってしまうのである。あるいは、「やってたってやってなくたってどうでもいいこと」になってしまうのである。また、相手が「やめてくれ」と何回も(ものすごい形相で言ってきた)ということが、記憶から消えてしまう。自分は、だれからも反対されずにやったということになってしまう。騒音ではなくて、ようするにもののことではなくて、もとのことについて、こういうことがあったということを言われれば、「おなじじょうたい」になって発狂して、はねのけて!!!しまう。発狂して!!!はねのけたら、「あったってないこと」なんだよ。自分がやったことについて文句を言われた時とおなじ構造が成り立っている。同じ頭の構造が成り立っている。同じ行動の構造が成り立っている。同じ認識の構造が成り立っている。こういうことが、よその人にはわからない。もめたなら、もめたということを覚えているはずだと、よその人は前提してしまう。けど、そうじゃない。実際はそうじゃない。そして、時系列なことを考えれば、何回も上書きされてしまうのである。何万回繰り返しても、何万回、実際にはもめていても、「そんなの知らない」ということになってしまう。きちがい兄貴の頭の中では、俺と兄貴がヘビメタ騒音についてもめたという記憶が、ない。何万回もめても、ない。そういう状態で、何万回目も現在進行形で、同じことをする。同じ反応を返す。だから、どれだけ繰り返しても、あっちには、「たまる」ということがない。いつもいつも、過去においてもめたということはない……という認識のもとで、きちがい兄貴が爆音できちがいヘビメタを鳴らすのである。で、その時、俺が「やめてくれ」と文句を言いに行っても、同じ反応が返ってくるだけなのである。自分がかかわっているという「気持ちが」ない。まったくない。「認識」としてない。こういう状態が、ほかの人にはわからない。だから、「言えばいいのに言わないから」だめなんだ。「ちゃんと言えばやめてくれるのに、ちゃんと言わないからダメなんだ」と(ほかの人が)思ってしまうのである。だから、佐藤なんて、ほんとうに典型。典型的な反応。「そんなのはおかしい」のである。「そんなのはおかしいから(そうじゃないんじゃないか)」と思ってしまうのである。

2020年6月3日水曜日

「認知療法の理論」だけを考えるなら、どちらにも適応できる


だるい。強烈にだるい。今日もむりか?

どうしてもつらいな。
だれもわかってくれないな。わかってくれても、しかたがないが。

機器介入や「それとこれとは話が違う」といったタイプの先験的な?価値判断があるのだけど、普通はそういうことは問題にならない。気違いヘビメタ騒音は騒音の問題だけど、パンチドランカーや水俣病のような「ある程度」精神とは関係がない「病気」あるいは「障害」なのだ。けど、他の人は、ここのところがわからない。

それから、実験するわけにはいかないという点がある。被験者が生涯に渡って苦しむようなことを実験的に確かめるということはできない。倫理規定に反する。なので、ヘビメタ騒音問題が実は「ある程度」精神とは関係がない「病気」あるいは「障害」なのだということは、確かめることができない。なので、ぼくが言っているだけということになる。しかし、長すぎるヘビメタ騒音生活は、脳の器質的な変化をともなう「病気」あるいは「障害」だ。

たとえば、水俣病でからだが動かなくなった人が「仕事をすることができない」ということで悩む場合と、じゅうぶんに体が動くサラリーマンが、同僚とテニスをやったあとになんとなく不安になって「このさきどうしよう」と悩む場合は、おなじ?「悩み」なのだけど、悩みの質が違う。水俣病でからだが動かなくなった人が悩むのにはそれなり根拠がある。

一方、「なんとなく不安」を感じているサラリーマンのほうは「特に理由がない」にも関わらず不安になっている。なので、この両者を同一に扱うことはできない。しかし、「認知療法の理論」だけを考えるなら、どちらにも適応できるのである。この場合、水俣病で悩んでいる人の悩みの原因を軽視している。「あったってない」ものだとみなしている。

認知療法家は、危機介入という考え方について、一般向けの本を書くときにあまり紹介してない。なので、一般の人は、危機介入という考え方を知らずに、認知療法家の考え方が「合理的である」と思ってしまうのである。また、特に不安になる必要がない?にもかかわらず、不安になっているクライアントは、認知療法家の合理的な説明を「どんな場合にも成り立つ真実だ」と思い込んでしまう。しかし、それは、まちがいだ。

どうしてもつらいな。


だるい。強烈にだるい。今日もむりか?

どうしてもつらいな。
だれもわかってくれないな。わかってくれても、しかたがないが。

2020年6月2日火曜日

兄貴やおやじの態度というのは、「よその人」が誤解するようにできている


ヘビメタで苦しい。ヘビメタで、……苦しい。ヘビメタ……で、苦しい。苦しい。

これ、ほかの人にはまったくわからないことなんだな。ヘビメタがどれだけでかい障害か、わからない。ハンディかわからない。そりゃ、ほとんどすべてのことが暗黒色になっちゃうだろ。必然的にそうなるんだよ。必然的にそうならないような感じがするのは、「聞いただけ」だからな。俺の話を聞いただけだから、ヘビメタ騒音の深刻さがわからない。どういうところに影響がおよぶのかわからない。ただ、「ものすごい音で鳴ってたんだな」というのがわかるだけだ。人によっては、「でれだけ、すごい音で鳴ってたと言ったってそんなにすごい音で鳴っているわけがない」「ものすごい音で鳴っていたとしても、過去のことなんて関係がない」と思うわけだよ。こういうやつと……うまくいくはずがない。まるまるすればいいと思う。どれだけ大きな範囲で影響を受けるかわかってない。一日がめちゃくちゃになってしまうんだぞ。寝不足で体調が悪くなるからすべてのことに影響がおよぶ。すべてに影響がおよぶというのは、イ・ラショナルな考え方ではない。本当に「すべて」だ。そりゃ、影響を受けるだろ。

だいたい、ほかの人は……よその人は、きちがいおやじの性格もわからない。きちがい兄貴の性格もわからない。だから、誤解する。きちがい兄貴よ……きちがい兄貴の態度は本当に、おやじの態度そのものだ。ヘビメタを鳴らしているときの兄貴の態度は、はんだごてを買ってやらないときのおやじの態度と同じだ。どれだけ意地を張って、発狂して、やききる!と思うんだよ。押し通すと思うんだよ。けど、自分がやりたいようにやったという気持ちがないんだよな。だから、知らんぷりで、まったく関係がない人になってしまう。発狂して、主張したことを、すぐに忘れてしまう。これが、ほかの人にはわからないんだよな。

兄貴やおやじの態度というのは、「よその人」が誤解するようにできている。かならず、誤解させるようにできている。だから、やられたやつが苦しむことになる。やったやつは、まったく、わかってない。やったということすらわかってない。やったということすらわかってない……なんて言ったって比喩だと思うだろ。本当に文字通り、わかってないんだよ。どれだけしつこくやったってやってないことなんだよ。きちがいのなかではそうなっているの。で、これは、ごく普通に、そうなってしまうわけで、どれだけ言ったって、そうならない状態にならない。

2020年5月31日日曜日

「やりたいじょうたい」で、「やれずに」いる。高圧状態


本当にヘビメタで嫌な思いをしたなぁ。本当にヘビメタで簗思いをし続けてきた。もう、いやだ。この空間なんだよな。この空間。本当にほかの人には経験がないからわからないと思うけど、ヘビメタ騒音と日常のトラブルが結びついている。

午後四時から午後一一時まで続く騒音の影響が、次の日に出る。その日は、地獄なんだけど、次の日も地獄だ。あの音は、本当に鳴ってたらなにも考えられない。苦しいだけだ。その強烈さがほかの人にはわからない。そして、それが一〇〇〇日、積もった時のしんどさが、ほかの人にはわからない。

夜は、こんな感じの夜で、ヘビメタ騒音のことで不安になる。からだがどうしても動かない。いま、深夜の二時なので、動かなくても当然なんだけど、きちがいヘビメタにやられた日々、俺は、深夜の二時に起きていた。

おもに、布団の中で起きていた。あとは、午後四時や、午後八時に静かなら終わっていた宿題をやろうとしていた。けど、頭がもうろうとしてうまくいかなかった。で、たとえば、本当に、午後四時にきちがい兄貴のヘビメタが鳴りやめば、その時に、宿題をして宿題が遅くても七時ぐらいには終わって、あとは自由にすごして眠れたはずの時間なのである。

けど、本当にヘビメタが鳴っていると、頭を使うことは全部だめなんだよ。「そんなの鳴ってたって勉強なんてできる。勉強したくないから、ヘビメタがうるさいなんて言っているんだろ」といったやつを、ぶち●してやりたい気持ちになったりする。

そいつにとっては勉強はどれだけ時間があってもやりたくないことかもしれないけど、俺は違う。きちがいヘビメタがなければ、やりたい勉強はあったのでやれた。きちがいヘビメタ騒音の苛烈さがわかってない。あんな音の中で勉強ができるわけがないだろ。

俺にとってヘビメタは、たぶんそいつにとって、この世で一番嫌いな音だ。この世で一番嫌いな音が、至近距離で、どかすか鳴っていたら、どれだけ踏んばっても、やる気を出しても、勉強なんてできない。ようするに、踏んばってやる気を出している状態だけが続く。騒音で緊張して、はりつめている状態だけが続く。意欲だけがカラマワリして、教科書や問題集とにらめっこだ。

「やりたいじょうたい」で、「やれずに」いる。高圧状態。怒りでいっぱい。そりゃ、ヘビメタ騒音に対する怒りではらわたが煮えくりえっている状態だ。本当に、机の前に座っていても……じっと座っていても……全速力で走っている状態なのである。怒りで爆発しそうな気持を意思で押さえつけているような状態なのである。

そして、次から次へとヘビメタ騒音が追い打ちをかけている状態なのである。あんなのない……。あんな状態はきちがいヘビメタが鳴るまで経験したことがなかった。しかも、その一秒だっていやな状態が、何万秒も持続してしまう。

こういう時の「疲れ」がほかの人にはわからない。こういう時間が七時間ぐらい続くと、ぐったりしているのに、眠れなしい状態になる。だから、俺はいつも眠れなかったんだ。苦しかった。

2020年5月30日土曜日

思いっきり鳴らせて、満足して眠っているわけだから、ストレスがたまらない


けっこうしんどい。
からだが楽にならない。

俺はいつになったら、元気になれるんだ? やっぱり、頭がもやーっとしているときは、つらい。今もそうなんだが……。ともかく、楽になりたい。

眠って起きた後はスカッと頭がさえている状態がよいのだけど、そうならない。なんかもやもや地獄のなかを生きている。

昨日は、本当は眠っている時間に起きて、郵便局に行ったんだけど、動いているあいだ、くるしかった。ヘビメタ騒音で眠れないまま、学校に行った時とおなじだ。行ってた時とおなじだ。ずっと、毎日、そんな状態だった。きちがいヘビメタに何時間もさらされて、疲れ果てているのに、きちがいヘビメタが終わったあと、何時間も眠れないという日が、毎日続いた。本当に苦しかった。その時の苦しさとおなじ苦しさを体験してしまう。たぶん、睡眠回路に問題があるのだと思う。そしてそれは、ぼくの不摂生でなったのではなく、ぼくには制御できないヘビメタ騒音の影響でなった。きちがい兄貴に「やめてくれ」と言えばやめてくれるのであれば、制御できる音だけど、やめてくれなければ、制御できない音になる。もともと、騒音というのは制御できない音のことだから、制御できれば、どれだけでかい音で鳴っていたとしても、騒音ではない。自分が好きで、でかい音で鳴らしているのであれば、どんなにでかい音で鳴っていても騒音じゃない。

ともかく、ほかの人は無視してしまうのだけど、鳴らされたあと、眠れなくなる。これは、人間として当然だ。あんなくそでかい音で、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も鳴らされれば、興奮して眠れなくなる。午後一一時一一分に鳴りやめば、午後一一時二〇分ぐらいには眠れるというわけじゃない。きちがい兄貴は、気持ちよく鳴らして、たぶん、午後一一時二〇分ぐらいには眠れたのだろうと思う。俺は、朝の四時、五時まで眠れない。

本当につらかった。午後一一時一一分から午前四時ぐらいまで、金縛りにあっているような状態で、眠れなかった。気は立っているのだけど、からだがだ動かない状態で、眠れないまま横になっていた。歯磨きや小便をするのがたいへんだった。そういうことでも、ぼくは、きちがいヘビメタ騒音の影響を受けていた。歯磨きをしないで、きらわれるのは俺なんだよ。膀胱が影響を受けるのは俺なんだよ。きちがい兄貴は、たかいびきだ。そりゃ、思いっきり鳴らせて、満足して眠っているわけだから、ストレスがたまらない。たとえ一分でも、弟のために、我慢しなければならないとなったら、発狂してしまう。絶対に譲れない音だったんだよ。そういう意味では、音にこだわっていたのはきちがい兄貴なんだよ。俺じゃない。けど、俺が、兄貴が鳴らしていたよりも短い期間、毎日、「ヘビメタ騒音で苦しい」と書けば、ヘビメタ騒音で苦しんだことがない、行儀の悪いやつが「おまえが騒音きちがい!!!」「おまえがヘビメタきちがい」と書き込んでくる。世の中は、そういうふうにできている。きちがい兄貴がこだわってこだわって、ならさなかったら、おれは、こういう見ず知らずの行儀が悪いやつに「おまえが騒音きちがい!!!」「おまえがヘビメタきちがい」と書き込まれることはなかったんだよ。この、行儀が悪いやつは、なまはんかな言霊主義者で俺が言霊について批判したことについて恨みに思っているのだ。批判されると、批判されたことじゃなくて、そういうことで、いちゃもんをつけてくる。こういう性格が悪くて行儀が悪いやつが、一定数、いる。ヘビメタ騒音にやられていたということが、「よわみ」になってしまうだろ。そういう、特別に行儀が悪いやつじゃなくても、ヘビメタ騒音の影響を無視したり、ヘビメタ騒音の影響を過小評価するやつは、俺に対して、頭が悪い説教をしてくる。これは、本当に頭が悪い。兄貴が、マナー違反をした。兄貴がルール違反をしたということが、基本的にわかってない。悪いことをしたやつをせめるのではなくて、悪いことをされたやつをせめる。こういうことになっている。普通の人には、兄貴の態度やおやじの態度がわからない。普通なら、家の中であんな音を鳴らしたら、最初の日の五分以内に、やめさせられることなのに、うちでは、十何年も毎日、鳴らせた。「鳴らせたなら」大した音じゃないんだろと考えてしまう。普通の人はそう考えてしまう。けど、違う。きちがい兄貴の態度やきちがいおやじの態度や、きちがい兄貴の認知やきちがいおやじの認知が、まったくわかってない。「鳴らすな」と言われた時だけ、怒り狂って、鳴らして、そのあと何時間鳴らしても、まったく鳴らさなかったのと同じつもりなんだからな。そんな認知が成り立っているとは、普通の人は考えない。俺だって、きちがい兄貴は、「やめろ」と言われたあと、こだわりつくして鳴らしたということを、認知していると思っていた。けど、きちがいだから、「鳴らしてない」のと「同じ気持ちでいる」。まったく鳴らさなかったという認知と同じ認知が成り立っている。それこそ、おやじのように「やったってやってない」なのである。

普通のうちだったら絶対に!!!!!鳴らせない音なんだよ。

2020年5月29日金曜日

いろんな感情やいろんな記憶がうかびあがってくる


いろんな感情やいろんな記憶がうかびあがってくる。俺、もう、だめだ。あのときの感情、あのときの記憶……。ほんとうにリアルに浮かんでくる。もう、だめだ。

2020年5月27日水曜日

「こんなせかいはない」


俺にしてみれば「こんなせかいはない」のだ。こんな世界はない。こんな世界はない。ヘビメタ騒音にやられて、こんな状態でくらしている、世界はない。こんなのはない。こんなのでいいはずがない。けど、きちがいヘビメタ騒音の威力は、ほかの人にはわからない。不可避的にこうなるということが、ほかの人にはわからない。ほかの人は、自分のほうが能力があるから、そんなことになってないと(自動的に)思うのだ。こういうことからして、ぼくにとっては屈辱的な世界だ。ほかの人には、これもわからない。

2020年5月24日日曜日

常につもりがない虐待


きのうは、Google 日本語入力(の設定など)をいじっているときは楽しかったけど……つらいけど、まあまあいい気分だったけど……要領がわるい店員とのトラブルを思い出してから気分が悪くなった。ここには書くわけにはいかないけど、気違い親父が精神的に虐待をしていたんだよな……俺のことを。けど、気違い親父の虐待は常につもりがない虐待で、ものすごくこまるんだよな。これ、わからないだろうな。この要領が悪い店員とのトラブルも、相当に意味合いが違うのだけど、似ている。ともかく、基本的に、人間がいやなんだよな。


2020年5月23日土曜日

「どうにかしたい」「どうにかなりたい」って、そりゃ、最初はだれだって思っている


「どうにかしたい」「どうにかなりたい」って、そりゃ、最初はだれだって思っている。何千回も何万回も失敗を繰り返してだめになる。ヘビメタ騒音が鳴っていると不可避的に失敗が増えていく。たとえば、いままで一〇回中〇回しか失敗してないのに、ヘビメタがはじまってからは一〇回中五回ぐらい失敗するようになる。

しかも、鳴っている期間が長くなれば、失敗はどんどん増えていく。で、気違いヘビメタ騒音が成り終わらない限り、前のように一〇回中〇回しか失敗しない状態にはもどらない。けど、気違いヘビメタ騒音の「負の影響」を小さく考えるひとにはまったくそこがわからない。俺がヘビメタ騒音について語っても、気違いヘビメタ騒音の「負の影響」を小さく考えるひとはヘビメタ騒音の影響を認めない。

ヘビメタ騒音が鳴ってたって「できないなんてことはない」ということになってしまう……そのひとの頭の中では。そういうひとたちは、「失敗しないようにできないなんてことはない」とか「いっくら鳴ってたって、そんなのは関係がない」と言ってヘビメタ騒音の「負の影響」を認めない。

あるいは、「お兄さんに言えばいい」と言い出す。俺が「うちの兄は、これこれこうで、こうなんだ」ということを言っても、これまた、認めない。「そんなひと、いるのかな? ともかく、ちゃんとやって」と言って、気違い兄貴の性格や気違い兄貴の態度全般を認めない。

認めないひとにとっては、俺が説明したあとも「そんなことはない」ということになっているので、俺が兄貴に説明をすれば、解決できる問題だと認識されているのである。だから、「ちゃんと説明をしないエイリさんが悪い」ということになってしまう。そのひとの頭のなかでは、そのままだ。こういうのは、兄貴がねらってやっているわけではないのだけど、気違い兄貴の頭の構造が、気違いオヤジの頭の構造とおなじだと、いつも俺の説明を理解しないということになる。

普通のひとはそれがわからない。「いいわけをするな。そんなのちゃんと言えば(しずかにしてくれる)」と思ったまま、俺に文句を言ってくる。

で、そのもんくは、あたりまえのもんくだ。もんくとして理解できる。相手の立場は理解できる。けど、それでも、俺は、できない。気違いヘビメタが鳴っていると、どうしても、どれだけ気を使っても、どれだ注意をしても、どれだけ頑張っても「できない」という状態になる。何千日もヘビメタ騒音がおなじように続くと、そういう出来事がふえていく。

ヘビメタ騒音がおなじよう何千日も続くと、一〇〇〇日目には一〇個中五個だったのが、三〇〇〇日目には一〇個中七個も失敗してしまうような状態に、なる。不可避的になる。もちろん、そういう現実はくるしい。だれにとっても、現実はくるしいが、ヘビメタ騒音が鳴っていた俺のほうが、現実はくるしい。

「だれだって苦しい思いをして現実対処している」という言葉で、ヘビメタ騒音の「負の効果」を無効化することはできない。ほんらいなら、ヘビメタ騒音の「負の効果」がないのとおなじようにあつかうということはできない。けど、そういうふうにあつかう。

どうしてかというと、そういうふうに言うやつは、気違いヘビメタ騒音の負の効果を無視しているからだ。だれもが経験すると苦労とヘビメタ騒音の苦労を同じレベルのものだと思っているからだ。

ヘビメタ騒音はだれもが経験していることじゃない。気違い兄貴による気違いヘビメタ騒音はだれもが一五年間経験してきたことじゃない。ヘビメタ騒音の毎日を一五年間経験してきたひとは……ぼくの知る限り……俺だけだ。なので、「だれでも」とか「だれだって」という言葉はあてはまらない。けど、そういうひとは、俺のヘビメタ騒音とだれもが経験する苦労をおなじものだと思ってしまう。

けど、これはちがう。そこで言う、だれもが経験する苦労というのは、俺がヘビメタ騒音を経験しなかった場合の苦労だ。ヘビメタ騒音の苦労と、その他の苦労をわけると、そういうひとたちが問題にしているのは、俺がヘビメタ騒音を浴びなかった場合の日常の苦労だ。

ようするに、一日目に、俺が気違い兄貴に、「うるさいからやめてくれ」と言ったら、兄貴がやめてくれた場合の、苦労だ。これがわかってない。一日目にやめてくれて、二日目以降ずっと、鳴らさなかったにしろ、日常生活のなかでさまざまな困難はうまれる。

けど、それらの苦労は普通の苦労だ。ヘビメタ騒音という特殊な苦労じゃない。問題なのは、気違い兄貴が気違い的なこだわりで、他の人には想像できないようなヘビメタ騒音を鳴らすことで、俺がこういうふうに、ヘビメタ騒音の「負の効果」を認めないやつらから、ダメ出しをされるということだ。

2020年5月21日木曜日

気違い兄貴相当の騒音は、何十年もない……けど一五年間毎日鳴っていたので、いまもくるしい


ヘビメタがたたりきっている。この雰囲気は、だめだ。これは、ない。こんなことの繰り返しで……。こんなことの繰り返しで……。人から誤解を受けて……。まったくやってられない。

いま、ヘビメタ騒音のような騒音が鳴ることはない。やっぱり、あのデカさの騒音がずっと毎日鳴っていたのは、異常。気違い兄貴が異常だから、撃ちで鳴らしていた。幼稚園がうるさくしたり、隣の家でピアノを弾いていたり、別の隣の家で工事をしていたりしていても、気違いヘビメタのような音でずっと鳴っているということはない。ヘビメタが続くということはない。気違い兄貴がこだわった音のでかさで、ヘビメタ騒音が続くということはない。ヘビメタが終わったあと、数十年たっているけど、その数十年のあいだ、気違いヘビメタ騒音と同等の騒音に一日も遭遇したことがない。とうの気違い兄貴だって、結婚してマンションに住んでからは、いっさい鳴らしてない。うちでだけ、こだわりつくして鳴らした。一五歳から三〇歳のあいだ……一五年間毎日、うちでは、気違い的な意地で、息をするように鳴らし続けた。こっちがどれだけ言っても、気違い親父とおなじ状態で鳴らし続けた。気違い親父とおなじ状態で鳴らし続けるということは、鳴らし終わった瞬間に、まったく関係がないひとになるということだ。感覚としては、鳴らしてない……一日中まったく鳴らしてないのとおなじだ。そういう認知が成り立っている。この認知の強さは、気違い的な意地で鳴らすときの意地の強さとおなじだ。正比例する。だからこまる。他の人にはわからない。

2020年5月20日水曜日

重い。


全部が、病人のように、重い。
重い。
重い。


ぼくがどれだけ「のりこえてきた」と思っているんだよ?
もう、限界だ。


2020年5月16日土曜日

「無職はこうだ」「引きこもりはこうだ」という偏見がある人


+++++
どこか、遠くに行きたい。



実際に行くとなると、へたる。
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俺はここには書けない理由で、けっこう精神的にくるしい状態になっている。



なんとか、したいが、けっこう、くるしい。



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ほんとうに、もう、いいかげん、なんとかしたいけど、こういう気持ちが……こういう状態が俺の人生を形作ってきたことも否定できない。ようするに、どのようにあがいても、いったんこうなったら、ぬけられない。長すぎる。






なんとか、生きているだけでも、俺はすごい。なんとか、生きているだけでも、俺はすごい。


よく、生きているよなぁ。あんなこと、やられたら、ふつう、死んじゃう。それを俺は、生きている。これだけでも、もともとの体力が……生命力が尋常じゃないことを意味している。だのに、なんだ。一四年毎日、……ほんとうに土日も含めて一四年毎日……気違いヘビメタを経験してないやつが、俺のことを「よわい」「あまえている」とえらそうなことを言う。それは、もう、セットされている。ヘビメタ騒音がないか、あるいは、ヘビメタ騒音の影響が小さなものだと思うやつは、ごく自然に普通の経路を通って、誤解をする。俺を下に見る。しかも、下に見ているのに、下に見ているという認識がない。佐藤のような人間が多い。あれ、俺のことを下に見ているつもりがないんだ。見てるよ。


ヘビメタ騒音がないか、あるいは、ヘビメタ騒音があったとしても、たいした影響はないと考えているから、そうなる。


気違いヘビメタ騒音にさらされるということがどういうことだか、わかってない。俺がどれだけ説明しても、たぶんわからないのだろう。こいつらはみんな考え違いをしている。


ヘビメタ騒音は無視しようと思えば無視できる刺激じゃない。そこがわかってない。どうしたって、体や精神に影響をあたえる。……どうしたって」の部分が、見えてない。経験したことがないから、さっぱりわからない。「きいたはなし」では理解できない。軽蔑されるべきは、そっちだ。理解できてないだけなのに、なに、えらそうなことを言っているんだ??



あたかも、無視しようと思えば無視できた刺激だと思っているんだよな。そして、その刺激は、鳴り終わったあと体や精神に影響をあたえないと思っている。だから、そういうまちがった認識にもとづいて、まちがったことを言う。

しかも、まちがっているというつもりはない。これが……。こういうことが、どれだけ繰り返されてきたかわからない。気違い兄貴が気違い兄貴の態度で、気違い兄貴がやりたいように夢中になってヘビメタ騒音を鳴らし続けると、気違い兄貴が意図してないのに、俺と他の人とのあいだでその認識のちがいが、問題になる。トラブルを引き起こす。

けど、これですら、『社会経験がないから(乏しいから)そういうトラブルを起こすんだ』と勝手に思い込んでしまうのである。こういうのも、勝手に誤解しておいて、さらに、こっちを、ディスるということになるのだけど、ごく普通に、そういうことをする。ごく普通にそういうことをして、(自分がそうしたと)理解できない。自分は正しいと思っている。自分の認識……ヘビメタ騒音に対する認識とエイリの状態に対する認識は正しいと思っている。正しくない。誤解が誤解をうんでいる状態だ。


一度、無職・引きこもりフィルターが成り立つと、自分とのあいだに起こったことが、すべて、そのフィルターを通して理解されるようになるので、真実の姿が見えなくなってしまうのである。もともと、「無職はこうだ」「引きこもりはこうだ」という偏見がある人が、実際に、無職である人間、実際に引きこもりである人間に対面した場合、その人は意識はしてないけど、無職偏見フィルター、引きこもり偏見フィルターを通して、自分と無職である人間や引きこもりである人間とのあいだに起こったことを考えるようになる。

無職偏見フィルターと言ったけど、無職偏見フレームでも、無職フレームでもどれでもいい。本人が意識している以上にそういうフィルターは強い。認識の枠組みが強固にその後の認識を決定してしまう。

だいたい、佐藤は生まれながらの障害者には深い同情の念をしめすけど、生まれたあとの障害者(後天的な障害者)には、まったく同情の念をしめさない。まったくそういうことについて考えたことがない一般人のように「そんなのは、努力すればできる」「そんなのはあまえだ」と考える。

俺はもともとできたけど、ヘビメタ騒音の一四年間で、できくなった。たとえば、一定の時間に起きることができなくなった。これは、生まれたあとに生じた障害なのである。俺はこういう表現はあまり好きじゃないけど、あえて言えば、後天的な睡眠障害者なのである。後天的な睡眠障害者である俺が「一定の時間に起きることができない』と言った場合、佐藤のような人間は「一定の時間に起きることができないなんていうのは、あまえだ」「そんなのは、努力すればできる」と考える。





わかい時間は絶対にもうかえってこない。
俺にとってはヘビメタに汚染された時間だ。

ヘビメタに汚染された時間でなければ……。俺が普通の人のように、「ふつう」のわかい時間を使えたなら……。わかい時間。わかい時間。わかいときの、楽しい時間……。これが、生きていくのに大切なんだよ。それは、思い出としてだけではなくて、やはり、積み重ねと連鎖がある。

気違い兄貴よ。俺のわかい時間をかえして。

気違い兄貴が息をするように鳴らしていた時間、俺はずっとくるしかった。くるしくてくるしくてたまらなかった。いまもその頂点にいる。頂点の時間ということだけどな。

2020年5月13日水曜日

道徳的で認知療法みたいな考え方が好きな人たちは頭がおかしい親の強烈さがわかってない


いちおう、道徳的で認知療法みたいな考え方が好きな人たちは、普通の家で育ったんだよ。頭がおかしい親にやられなかった。頭がおかしい親の強烈さがわかってない。根本的な考え違いは、ここらへんから発生しているような気がするなぁ。

あとは、野宿の旅で言いたいことなんだけど……前向き思考とかそういうのも、なんていうのなかな?? ……気違いが気違い的こだわって鳴らす……気違いヘビメタ騒音のあとはだめなんだ。そんなんじゃない。世界がちがう。これ、ほんとうにちがうんだよな。普通の人は、フィクションとして、ヘビメタ騒音のことを考える。あるいは、第二次大戦時のナチス収容所の暮らしについて考える。どれだけ、苦しい生活をしていても、希望を持つことは可能だ……。前向きな思考をもっていれば、損なのはなんでもない……。とね。けど、ちがうんだよ。だいたい、この人たちは、気違いヘビメタ騒音生活を経験してない。そして、ナチス収容所の暮らしは案外、短い。ヘビメタ騒音にくらべればずっと短い時間で終わっている。収容所の生活は、(おなじ収容所で暮らしている)他の人も経験したことだけど、ヘビメタ騒音……真横の部屋のヘビメタ騒音は俺しか経験してない。どれだけ苛烈か、他の人には、わからない。フィクションとして聞いているだけだ。ぜんぜんちがう。

自転車・野宿のたびは、人生の中でやりたかったことのひとつだ。

まあ、時期的なことを考えないのであれば……。
……そして、体力的なことを考えないのであれば……自転車・野宿のたびは、人生の中でやりたかったことのひとつだ。

ダイヤ君とそんなたびもよかったかな。ダイヤ君は俺とバイクでツーリングに行きたかったみたいなだよな。ヘビメタ騒音におかされてなかったら、そういうこともできたな。あとは、なんか、内山君もそういうタイプだ。

騒音で楽しむことができなくなった。騒音で、楽しみを生み出す精神回路が壊れた。

2020年5月11日月曜日

「うちのやつら」に対する怒りを表現せずに、


外に出るとき、強烈に腹が立つわけだけど……他の人には関係がないというのわかる。なので、ものすごく、イライラして外に出るわけだけど、向かい合った人には関係がないので、平静を保って、怒っている様子を見せないようにしなければならないのである。俺はずっと、そうしてきた。

ヘビメタ騒音にやられたときも、気違い親父にやられたときも、ずっとそうしてきた。けど、それが、「外に出たくない気持ち」「人と会いたくない気持ち」に影響をあたえている。

普通、引きこもり問題などを考えるときは、そういうことは、考えられない。無視される傾向がある。けど、ものをそろえるとき、ヘビメタ騒音が鳴っていたということは、俺の人間関係にものすごい、影響をあたえている。

ほんとうに、人と会うのがいやになってしまうのである。でも、じゃあ、うちでつぶれていると、ずっとヘビメタ騒音をあびてしまうので、「パス」したときも、ダメなのである。

発狂的な気持ちがつきまとう。

パスというのは、行くのをやめてうちにとどまることだ。行く用意をしているときに、破滅して、発狂して行けなかったとしても、別にいいことが起こるわけじゃない。そういうことがある。

ともかく、なんだか知んないけど、ヘビメタ騒音による引きこもりと、他の理由による引きこもりは、だいぶちがう。印象がだいぶちがう。そして、社会的な引きこもりはものすごく、印象が悪いのである。これも、ヘビメタ騒音によってしょうじたハンディのひとつだ。障害なんだよ。

人生経験のとぼしいやつらは、考えることができない。気違い家族経験のとぼしいやつらは、考えることができない。「そんなのはない」と考える。あるいは、「あったとしても、そんなことに影響を受ける必要はない」と考えてしまう。

それが傲慢なんだよ。無理解なんだよ。

そりゃ、ただ単に経験したことがないからわからないことだということを言いかえているにすぎない。経験の数は重要だ。どれだけ、繰り返されたかということは、重要だ。そういうことを、全部無視して「気にする必要がないことを気にするのはおかしい」と決めつけてしまう。


あー、ともかく、「うちのやつら」に対する怒りを表現せずに、関係のな人と向かい合っているのは、くるしいよ。

気違い兄貴が「無視」して鳴らす態度が、気違い親父そっくりだし、気違い兄貴が「やりきったら」やってないつもりになってしまうのも親父おなじだ。こんなの、他の人にわからない。

「気違い」とつけているから、文が成り立つけど、「兄貴が」とか「親父が」といった場合、文が成り立たない。へんなことを言っているよう気持ちになる。聞いた人は、言っている人が矛盾のあることを言っているような気持ちになる。

そりゃ「やったってやってない」なんておかしいからな。気違い的な意地でやったことを、気違い的な意地で認めないというのはおかしい。けど、「やっているときの態度」と「やったということを認めないときの態度」が、おなじなんだよ。

気違い兄貴がこだわってこだわって、しつこくしつく、息をするように、ヘビメタを鳴らしたので、俺は、学校では愚痴らなかったけど、親友には愚痴った。いま書いているような内容を愚痴った。こういうことも、親友との関係に影響をあたえている。気違い兄貴が鳴らさなかったなら、俺が兄貴のヘビメタ騒音について愚痴ることもなかった。

気違い兄貴のほうがしつこく、何回も何回もヘビメタを鳴らしている。ぼくが他人にグッタ回数がおおいにしろ、気違い兄貴がヘビメタを鳴らした回数よりも回数が少ない。兄貴のこだわりが他の人にはわからない。

「うちでなら、どれだけ鳴らしてもいい」という気違い兄貴の、『うちでのかんかく』はよそのひとにはまったくわからない。

だから、本来ならゆるしてやるべきことにこだわっているように見えてしまうのである。『騒音なんて俺だって鳴ってた(経験した)』と言って、幼稚園の騒音に文句を言う人をバカにする人がいるけど、それは、そいつの頭がおかしいだけだ。これ、バカにしただけではなくて、幼稚園をうったえた人を、こともあろうに、気違い呼ばわりしているのである。幼稚園をうったえた人を気違い呼ばわりするやつが気違い。

けど、俺は、幼稚園の騒音は、別によかったんだよ。そういうことじゃないんだよ。これを言ってしまうと、いま現在「幼稚園の騒音」に悩まされている人と、対立関係になってしまうのだけど、ちがうものはちがうんだよ。幼稚園の騒音に悩まされている人も、気違い兄貴の騒音がどれだけでかくて、どれだけしつこいかわかってない。




2020年5月8日金曜日

なにかをそろえて、時間通りにどこかに行こうとすると、気違いヘビメタのことが思い浮かぶ


外に出るために着替えているとき、「ヘビメタが鳴っていた!!!」「ヘビメタが鳴っていた!!!」「ヘビメタが鳴っていた!!!」とさけびたくなる。さけんだ。何回もさけんだ。俺がどれだけデカイ声でさけんでも、気違い兄貴が鳴らしていたら、その声がかき消されてしまうほど、デカイ音で、鳴らしていた。気違い兄貴がヘビメタを、ものこずく、でかい音で鳴らしていた。「気違い兄貴が、ものすごく!!!でかい音でヘビメタを鳴らしてた」「気違い兄貴が、ものすごく!!!でかい音でヘビメタを鳴らしてた」「気違い兄貴が、ものすごく!!!でかい音でヘビメタを鳴らしてた」と絶叫したくなる。どれだけデカイ声で絶叫したって、気違いヘビメタの数分のイチの音だ。数十分のイチの音だ。人間が感覚する音と、物理的な音のデカさはちがう。で、数分のイチ、数十分のイチというのは、人間の感覚で考えた場合の数分のイチ、数十分のイチの音という意味だ。

も、のすごい、音でヘビメタが鳴ってた。いいわけがないだろ。こんなの毎日、続いていいわけがないだろ。ほんとうに、佐藤みたいなやつが、ヘビメタ騒音のことを過小評価する。「いっくら鳴らしてたと言ってもそんなでかい音で鳴らしているわけがない」と思うわけだ。俺の部屋を中心にして考えるとそうだ。幼稚園の園舎の中でどのくらいの音で兄貴のヘビメタが聞こえるのかわからない。距離は重要だよ。音のデカさは距離の自乗に反比例するからね。本当にわかってない。「親がなにも言わないのはおかしい」……本当にわかってない。そういう、人生経験が少ない、頭が悪いやつから、常に誤解を受けるんだよな。
そういうふうになっている。気違い親父がへんな理由で起こった場合、そのへんな理由が、他の人にはわからないというのとおなじだ。他の人というのは、やられた人の話を聞く他の人という意味だ。

赤の他人、家族ではない人、いっしょの家に住んでいるわけではない人のことだ。そういう人たちは、やられた方の話を聞いても、ちゃんと、ほんとうのことを理解することができない。自分の「人間」のなかに親父みたいな人間が含まれないからだ。自分のなかにある「人間」という概念のなかに、「うちの親父」のような人間が含まれないからだ。きっと、なにかちゃんとした理由があるのだろうと勘ぐってしまう。ゲスノカングリで、まちがっているのだけど。そういうふうに思ってしまう。子供にはわからないけど、親はちゃんとした理由で怒っているわけで、頭がおかしい理由で怒ることなんてない……と考えている。人生経験が少ないから、例外がわからない。そりゃ、人生の中でそういう頭がおかしい親にたたられたことがなければ、わからないだろ。

ともかく、なにかをそろえて、時間通りにどこかに行こうとすると、気違いヘビメタのことが思い浮かぶ。学校に行くとき、気違いヘビメタが鳴っていたからだ。休みの日、どこかに行くとき、気違いヘビメタが鳴っていたから。持って行くものをチェックするとき……ヘビメタが鳴っていたからだ。チェックするときと書いたけど、チェックしたいときという意味だ。気違いヘビメタが鳴っていると、発狂的な気持ちになって、うまくチェックすることができない。このチェックしなければならないのに、騒音でチェックすることができないというこまった状態が、人生の中で、長時間続いた。何回も何回もそういうことを経験した。十数年間にわたってそういう状態だと、何万回もそういうことを経験することになる。そうなると、一五年目にヘビメタ騒音が鳴ってなくても、ものをそろえなければならないときは、へんな緊張が走るのである。ものすごく切羽詰まった気分になるのである。うまくいかない気分になるのである。

今日は、ゴールデンウィークがあけた平日だけど、ゴールデンウィークは、この時間……午後二時ぐらいも、ずっとヘビメタが鳴っていた。毎年毎年、そうだ。いいわけがないだろ。心の平静が保てるわけがないだろ。気違いヘビメタ騒音に毎日毎日たたられることがなく、普通に暮らしてきたやつが「どんな場合でも、心の平静を保つことは可能だ」というようなことを言う。おまえらのほうが世間知らずだ。気違い知らずだ。どれだけ、気違い家族がたたるかわかってない。わかってないだけの話だ。

2020年5月6日水曜日

どれだけの障害になるか


つまんねぇ~~
これが俺の本心。

いまのねーー。いまの、本心さ。

どんだけヘビメタでつらかったか。
どんだけヘビメタでくるしかったか。

鳴っている……。鳴っている。これ、鳴っているときの雰囲気だ。
どれだけ言っても、やめてくれなかったんだよな。呼吸をするように、いつも、あたりまえのように、鳴らしていた。やめてくれなかった。どれだけ言っても、やめてくれなかった。

つもる……。つもる……。不愉快感がつもる。つかれがつもる。『負の時間』がつもる。『負の時間』だからなぁ。ただ単に、むだな時間じゃない。激しく悪影響をあたえる時間。その時間だけではなくて、割ったあとの時間にも激しく悪影響をあたえる時間。

終わったあと、どれだけくるしいか。どれだけ、つらいか。そういう思いを一日も体験したことがないやつが、えらそうなことを言う。

「ちがう」って言っているでしょ。そんなもんじゃないんだよ。ヘビメタ騒音の『負の効果』について、見誤っている。だから、そのあとの結論や意見が、全部まちがったものになる。そして、そういう結論や意見が、ものすごく、失礼なのである。俺に対してものすごく失礼だ。それも、見誤っているから、わからない。

2020年5月2日土曜日

「ついにこうなった」感がつよい。

庭を見る。
「ついにこうなった」感がつよい。
ついに、こうなったか。ついに、こうなったか。
あそこで、ダイヤと花火をしたなぁ。
あーあ。

2020年5月1日金曜日

鳴り始めた当時……俺は小学六年生だったんだぞ


ほんとうに、ヘビメタ騒音で人生がない。これは、おかしな人生だ。

ほんとうに、だれも、一日のヘビメタ騒音のすごさがわからない。どれだけがんばっても、破滅破綻だ。いいことにならない。「元気だ元気だ」と言ったって、元気にならないし、眠れないときは眠れないときで、どれだけ「眠れる」「眠たくなってきた」と言ったって、眠たくならない。

これ、ヘビメタ騒音にずっとさらされていると、鳴り終わったあと、眠れなくなる。ずっと眠れなくなる。あの生活がどれだけきついか、他の人にはまったくわからない。わからないところで、アドバイスをするから、そのアドバイスはだめだということを言わなければならなくなる。

ほんとうに、だめなんだよ。
使えないんだよ。

何回もトライしたけど、まったく意味がなかったの!!!

それどころか、重荷になるようなことばかりなんだよな。ヘビメタが一日じゅう、「なりやまなければ」意味がない。鳴りやむのがさき。鳴りやまない状態で、どれだけ、その人が考えるいいアドバイスをしても、むだ。その人が考えるいいアドバイスというのは、俺の実態を無視している。俺のほんとうの状態を無視している。鳴らされているときの俺の状態を無視している。六時間から一三時間鳴らされたあとの、俺のからだの状態を無視している。

だから、使えない。

けど、どれだけ相手が傷つかないように、そういうことを説明したとしても、「体験してない人は」わからない。「そんなのやってみなくちゃわからないだろ」とか言う。「やったの」。だから、「やったんだよ」と言っても、それで、相手の機嫌がなおるということがない。

やはり、相手は、「アドバイス通りやってみるよ」というような返事を期待している。それが、否定されるわけだから……気分がよくない。さらに、たとえば、数日後に「アドバイス通りにやったら、よくなったよ」「ありがとう」というようなことを多少は期待している。

けど、「だめだ」と言われて腹が立つ。
気分が悪くなる。

けど、ほんとうに、実際の状態が、わからないままアドバイスしているんだよ。俺とおなじ部屋で暮らして、ヘビメタ騒音がどれだけひどいか経験してみてよ。一日だけでもたまったもんじゃないけど、一〇〇日、一〇〇〇日、続いた場合の「一日」を経験してみてよ。こんなの、ほんとうに……。どんだけ、つらいか。ほんとうに、眠れない。

こういうのだって、俺が睡眠薬をのんだってだめなんだぞ。気違い兄貴の騒音のなかで……ガンガンドカドカ鳴っているなかで、振動が響いているところで……睡眠薬なんて毎日飲んで、暮らしてみろ。ほんとうに頭がおかしくなってしまうだろ。俺は、当時……鳴り始めた当時……俺は小学六年生だったんだぞ。鳴りやむのが、さきなんだよ。なんでこれがわからないのか。鳴りやまない状態で、睡眠薬を飲んでもだめなんだよ。ほんとうに、まるまるしてやりたい。




2020年4月29日水曜日

「俺は、もういい」「俺は、もう、いやだ」と絶叫しそうな気持ちになる

俺がやりたそうなことでも、なにかいやな部分があってやりたくない。「俺がやりたそうなこと」っておかしくないかな? と思った人もいるだろう。自分のことなのだから「やりたい」か「やりたくない」のかわるだろ! と思った人もいるだろう。けど、ほんとうに、そんな感じなのだ。自分の感情を外から見ている感じだ。自分の「やりたいきもち」というのが、外見でしかわからないような感じだ。「やりたいきもち」に外見なんてあるのかよ? と思った人もいるだろう。その通り。「やりたいきもち」に外見なんてないよ。だから、まあ、「比喩的に」「擬人化して言うと」そんな感じになるということだ。


+++++++++
なんかやらなきゃならないことがひとつでもできたら、「俺は、もういい」「俺は、もう、いやだ」と絶叫しそうな気持ちになる。そのために動くことを考えただけで、破滅的な気分になる。
けど、「やらなきゃならないこと」がけっこうあるんだよ。普通の状態なら、すぐにできることなんだけど、いまの状態だとなかなかできない。


ヘビメタ騒音で根っこの部分から、つかれはてている。ほんとうなら、……ヘビメタ騒音生活がなければ、簡単にできたことなのに……。ヘビメタ騒音生活を経験してから、まるで手に届かなくなってしまったことが多い。まるで、できなくなってしまったことが多い。もう、意欲からしてちがうんだよな。選択肢うんぬんと、前投稿で書いたけど、これは「状態」なんだよ。積み重なる、三次元的な状態。時間も入れて四次元的な状態。普通、時系列的なことは、時間の流れとして、線としてとらえるけど、「やれないこと」が幾何級数的に、あるいは、三次元的にひろがってしまうのが、ヘビメタ騒音だ。ヘビメタ騒音が毎日、気違い的な音で鳴っているという生活の影響だ。これ、わからないんだよな。他人は……ヘビメタ騒音を経験してない他人は「過去なんて関係がない」とか「どれだけ鳴ってたって、たいしたことじゃない」と言うけど、それは、わかってないだけだから。自分が、おなじようなことを経験すればわかる。それは、自分が嫌いな音が鳴っていたという場合だ。別に、ヘビメタが好きな人は、鳴ってたってかまわないわけだから……。ものすごくでかい音で鳴っていると、こまる音が鳴っていた場合の話しだ。そして、それを鳴らしている人間が家族だという場合の話しだ。家族だから!!!どれだけ、めんどうなことになったか。か・ぞ・く・だから。これ、「家族なんだから、言えばやめてくれるだろ」と思う人は、どうかしている。というか、そういう人は、逆立ちして考えても、俺が言っていることがわからない。俺が言っていることがまったくわからないということが、俺にはわかる。もう、ぜんぜんちがう。で、そういうことを思う人間のほうが、俺のような特殊な家族にやられた人間よりも、おおいんだよな。おおい。圧倒的におおい。この人たちは、考える資格がないと言ってていいほどわからない。

2020年4月26日日曜日

ある時点の選択肢自体に影響をあたえる


俺がつらい。
この世の雰囲気というのがぜんぶ、ヘビメタ騒音に汚染されていく。動きたくない状態で、動きまくると失敗が増えていくのに、動かなければならない状態で動くことになる。これは、ヘビメタ騒音が鳴っているから、そうなる。ちがうんだよな。ヘビメタ騒音は……日常のヘビメタ騒音はほんとうに「選択肢」にものすごい影響をあたえる。これも、時系列的に、ヘビメタ騒音の失敗が積み重なっていかなければ、わからない。ヘビメタ騒音でからだがだるい。だるい体を動かして社会に適応しなければならない状態……で、がまんして、がまんして、がんばってがんばって、動いている……状態がつみかさらなければわからない。状態が結果をうむ。しんどい状態で、がんばって動いても、いやな結果しか招来しない。けど、それが他の人にはわからない。そして、帰れば、夜中まで、気違いヘビメタが鳴っている。どれだけ、何回も、「やめろ」と言いに行っても、気違いが、気違い的なモードで無視しておしまいだ。殺さなければ、ヘビメタ騒音が鳴っている状態が持続してしまう。そして、それは、日中の……ヘビメタ騒音が鳴ってない……ヘビメタ騒音とは関係がない人とのあいだの……出来事に……影響をあたえてしまう。不可避的に影響をあたえる。それは、波及する。二乗、三乗になる。ともかく、倍々で増えていく。三乗で増えていく。幾何級数的に増えてしまうのだ。だから、ある時点の選択肢自体に影響をあたえる。時系列的にヘビメタ騒音の影響を受けた「出来事」が積み重なっていく。一日目と、二日目はちがう。二日目と三日目は、もっとちがう。三日目と四日目はもっともっともっとちがう。いやなことが積み重なってしまう。四日目の選択肢は、一日目、二日目、三日目のいやなことが影響をあたえて、かぎられたものになる。二乗、三乗の世界なので、四日目ぐらいまでのことを言われてもぴんとこないかもしれないけど、それが一〇〇日、積み重なったらどうなるか? 一〇〇〇日積み重なったらどうなるか。四〇〇〇日、五〇〇〇日積み重なったらどうなるか? そりゃ、五〇〇〇日目はもう、取り返しがつかないことになっている。

他人は「鳴り終わったら関係がない」などと言う。その他人はやられてないから、わからないだけ。その他人が無視しているところがあるんだよ。

2020年4月23日木曜日

「元気だ元気だと言えば元気になる」のであれば、医者も病院も薬も必要がない。


「元気だ元気だと言えば元気になる」と言っている人は、このとは科学的に確かめられたことで、事実だと言うのだ。しかし、元気だ元気だと行っても、元気にならない場合がある。元気だ元気だと言えば、かならず、どんな場合でも、元気になるのであれば、医者も病院も薬も必要がない。なぜなら、「元気だ元気だ」と言えば「元気になる」からだ。ちなみに、「元気だ元気だと言えば元気になる」「これは、実験によって確かめられたものだ」ということを言う人は、実験の意味も実験の結果もわかってない。何度も言うけど、「元気だ元気だと言えば元気になる」のであれば、医者も病院も薬も必要がない。

「元気だ元気だと言えば元気になる」と言う人たちは、言霊思考に支配された人たちなので、「私は病気にかからないと言えば、病気にかからない」とも言う。あるいは、「私の病気は治ると言えば、病気は治る」と言う。私は病気にかからない」とひとこと言えば、病気にかからないのであれば、みんなが、そういうふうに言えば、病気にかからないわけだから、病人がいなくなる。

しかし、病院には病人がいる。これは、「私は病気にならない」と言ったにもかかわらず、病気になる人がいるということを意味している。「私は病気にならない」とひとこと言えば、病気にならないのだから、こんなにすばらしいことはない。みんなに教えてあげればいい。そうすれば、すぐにでも、病人がまったくいない世界になる。病院も薬も必要がない世界になる。

しかし、「私は病気にならない」と言うことでは、「病気になる」ことをふせげないので、病人もいるし、病院や薬もある世界のままなのである。

また、不幸にも、病気になってしまった人は「私の病気は治る」とひとこと言えば、なおってしまうのだから、いつまでも病気でいる人はいない。「私の病気はなおる」とひとこと言えば治るのだから、いつまでも病気でいる人は、病気でいたい人だ」と言霊の世界に住んでいる人は言い出す。

さらに「病気と仲良しにしたいと思っているから、病気になる」「病気が好きだから病気になる」などと言い出す。これは、自分が病気にかかってないという有利な立場を利用して、すでに病気にかかっている人をののしっているのとおなじだ。なぜなら、病気を治すには、「私の病気は治る」とひとこと言えばいいのに、そういうことを、さぼってしないから、ダメなのだということになるからだ。

実際、そういうことを言う人たちは、そう信じている。言霊の世界に住んでいる人は、本気でそういうことを言っている。しかし、こういう人が、新型ウィルスによる病気がはやれば、マスクを買い求めたりするのである。「私は新型ウィルスによる病気にはならない」とか、あるいはたんに「私は病気にならない」と言えば、マスクなんて買わなくてすむのである。マスクを買いとめるという行動をするということは、自分が言っていることが、嘘であるということを知っているからだ。

ようするに、自分は病気にかからないだろうと思っているときは、「病気にかからないと言えば、病気にかからない」ということを、他の人に!!言うわけだ。そのときは、そのときで「いいことを教えてやっているつもりなのだ。そりゃ、病気にならない方法を教えてやっているのだから、いいことをしているつもりになるだろう。

しかし、そういうことを言われているほうは、気分がよくないのである。言われたほうが、不愉快になる理由については、すでに述べた。言霊を信じるのは勝手だけど、他の人に「助言」するときは、へんな決めつけはするべきではない。まちがった信念に基づいて、他人をディスっている(攻撃しているのだから)やられた方は、不愉快になる。それが、言霊の世界のなかで生きている人には、まったくわからないんだよな。

どうしてわからないかというと、言霊の世界のなかで生きている人にとってみれば「(病気になる)言ったから病気になる」「病気は治ると言えば治る」「病気にかからないと言えば病気にかからない」ということが、絶対的に正しいからだ。だから、「いつまでも、病気でいるのは、病気が好きだからだ」ということになってしまう。あるいは、「病気を本気で治そうとしていないから、ダメなのだ」ということになってしまう。そんなふうに言われて、いい感じがするやつはいない。言霊信者は、まちがった信念にもとづいて、人を傷つけるようなことを言っているのに、自分がそういうことをしているとは考えない。

2020年4月22日水曜日

俺以外の人間は、だれも、この意味がわからない


すべてがヘビメタ騒音でくるしくなった。
俺以外の人間は、だれも、この意味がわからない。
すべてがヘビメタ騒音でくるしくなった。

ヘビメタ騒音で実際にくるしい。いろいろと誤解される立場におちいるんだよな。
けっきょく、他人は、自分がこの世で一番嫌いな音を、ものすごくデカイ音で、何時間も何時間も、聞かされ続ける毎日というのを経験してないんだよな。
まいにち、つもって、どれだけのことになるか?


「まいにち、つもって、どれだけのことになるか?」まったくわかってない。

で、もの言いやがる。
いわく。「ちゃんとしたほうがいい」。いわく。「働いたほうがいい」。いわく。「できないなんてことはない」。いわく。「過去なんて関係がない」。いわく。「だれだってくるしい」。いわく。いわく。いわく。

ほんとうに頭にくる。頭にくるんだよ。頭に。
腹が立つんだよ。腹が。








俺が注意したとき、気違い兄貴ヘビメタをやめて、普通の音で鳴らしてくれたら、こんなことになってない。親父みたいにこだわって、気違い的な意地で、気違い的にでかい音で鳴らしたからこうなっている。これも、「言い訳するな」とか言い出すやつらがかならず出てくる。そいつらは、気違いヘビメタを浴びた生活をしてない。本人が「俺だってつらいことはあった」。「俺だって騒音ぐらい経験している」と行っても、気違い兄貴の気違いヘビメタを毎日、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も、経験しているわけではない。だから、ちがう。ちがうからちがう。こいつらは、こういうことも、まるでわかってない。理解力や共感する能力が低いのはこいつら。
気違い兄貴が無視して、頑固に頑固に、自分のやりたいことをやると、俺が誤解を受ける。説教されるポジションにおちいる。不可避だ。ゆるせない。

2020年4月21日火曜日

これ、こたえが出ない


これ、こたえが出ない。ほんとうにくるしかった。他の人がわかってないだけだ。あの騒音生活が、どれだけくるしいかわかってないだけ。ほんとうに、ヘビメタ騒音の効果を過小評価するやつは、俺を過小評価する。俺という存在自体を過小評価する。
しかも、「はたらく」とかそういうことについては、共同幻想がそのご認識誤認を支持するので、たちが悪い。俺だって、自分が経験しなければ……ほんとうにそのぶん……経験しなければ、……誤認したと思う。これ、ほんとうにちがうんだよ。「聞いた話し」と「実際の話」がちがう。
ヘビメタ騒音に関する俺の話を聞けば「そういうことがあったんだな」ということは理解できるけど、実際に一日やられたときの、鳴ってない時間の感覚がまったくわからない。鳴ってない時間のつらさがわからない。なおさら、鳴っているときのつらさがわかるはずがない。気違い兄貴の態度ですら、こっちがどれだけ細かく説明しても、わからないやつらがいる。多い。そいつらにしてみれば「そんな人、いるのかな?」と思えることだ。
そういう、ぼけた感覚と、実際に向かい合ったときの感覚がちがう。あの破壊的な騒音なかで、向かい合って文句を言ったときの感覚がちがう。ほんとうに、気違い兄貴は、気違い親父のコピー。頭がおかしい。自分が悪いことをやっいるのに、悪いことをやっているつもりがない。絶対の意地で押し通すけど、「押し通した」という気持ちがない。認識がない。
けど、「やった」ということは、ほんとうはわかっているはずなんだよ。けど、自分がやったことが相手に影響をあたえているということは、ものすごく根本的なところで無視する。「やったってやってなくたって、まったくおなじ」なのである。主観的には、やり終わってしまえば、「やってない」という認識が成り立ってしまう。
たとえ、一日に一三時間鳴らしても、一三時間と一秒後には、「やってない」ことになってしまうのである。「そんなんじゃない」ということになってしまうのである。やっているあいだ、何十回、文句を言われても、文句を言われるたびに、自分がなにも悪いことをやってないのに相手が文句を言ってきたという感じしかない。
「なんだか知んないけど、不愉快なことを言われて腹が立った」という感じしかない。どれだけ言っても、自分の音で弟がこまっているということが、まったくわからない。認知しないのだから、毎日毎日、何十回、言われてもおなじなのだ。この、言われたときだけ、自分が不愉快なことを言われたという感じしかないまま腹を立てて、やりきるというのは、これまた、親父が頑固にやってきたことなのだ。
うちでは、毎日、普通に、何十年間も成り立っていることだ。
頭がおかしいから、ほんとうにわからない。わからないままなのだから、しずかにさせるとしたら、殺さなければならない。殺してやめさせなければ、絶対にやめさせることができない。そういうことを言うと、他の人は、大げさだと言うけど、ほんとうにそうなのだ。そして、これは、俺にとってでかいことだ。けど、はっきり言っておくけど、兄貴にとってみれば、ヨソの人、以上に関心がないことだ。
「そんなの知らない」とまったく関係がない人として無視できるのだ。
だから、際限がない。際限なくやられる。際限なく毎日やられることは……頑固にやっているのに、まったくやってないのとおなじだという態度で頑固にやられるのは……ほんとうにこまったことなのである。この、こまりかたが、他の人にはわからない。これまた、他人には「受けとめ方の問題だ」「言えばわかってくれるはずだ」と軽く言えるような問題なのだ。
そういうことではないんだよ。
これまた、どれだけ言ってもわからないだろうけど。これは、ルールが成り立っていない状態なんだぞ。普通だったら絶対にわかることがわかってない状態なんだぞ。こんな異常な状態で、気違い的にデカイヘビメタ騒音を押しつけられたらこまるに決まっているだろ。
生活全般に、大きな大きな影響をあたえるに決まっているだろ。制限付き、じゃないんだよ。そういう状態が毎日毎日成り立っていたら、人生に大きな大きな影響をあたえるに決まっているだろ。
けど、「過去なんて関係がない」と言っている人は、そういう大きな大きな影響を無視する。あたかも、なかったよとのように処理する。「そんなのは、こだわらなければいい」「そんなのは、影響をあたえない」と言いやがる。ほんとうに頭にくる。で、そういう他者との関係……は……気違い兄貴が気違い的なヘビメタ騒音を、鳴らすことにこだわらなければ、発生しなかったことなんだぞ。
「そんのは、こだわらなければいい」というのは気違い兄貴にむけられるべき言葉だ。
こだわらずに、「やめてくれ」と言われたら、やめてやればいいことなんだよ。けど、当時の気違い兄貴は、これがむりなことなのだ。一日に、一秒だってむりなことなのだ。
で、実際に、自分の意地を通して、一秒もゆずらないで鳴らしている。自分が満足できる音で鳴らしている。……どれだけなにを言われても、まったく気にしないで、怒ってヘビメタを鳴らし続ける。
気違い兄貴が、がまんして、自分が満足できな小さな音で一日中鳴らしていたなんてことはないんだよ。気違い兄貴がヘビメタを鳴らすときは、かならず、よその家ではあり得ないようなデカイ音なんだよ。影響を受けるに決まっているだろ。鳴ってない時間も、くるしい状態が続くに決まっているだろ。
どうして、鳴ってない時間のきつさがわからないのか? そんな一日で、いいわけがないだろ。鳴り終わったら、鳴り終わった途端に、一三時間鳴らされたことの影響が俺のからだから、立ち去るわけがなだろ。こういうのが、わかっない。やられてないやつはわかってない。一日もやられてないやつは、わかってない。一日もやられてないやつは、俺がどれだけ説明してもこういうことが、わからないままなんだよ。こいつらの視点からすれば、俺がこだわらなくていいことにこだわって、ぐちぐち文句を言っているということになる。俺は、ヘビメタ騒音にやられて、むちゃくちゃにくるしい状態で動いているのに、こいつらは俺のことを「さぼっている」と認識するようになる。こいつらは俺のことを「元気がないだめなやつだ」と認識するようになる。それだって、気違いヘビメタ騒音が発生しなかったら、発生してないことなんだぞ。俺がこの世で生活する上でヘビメタ騒音がどれだけたたっているか、おまえらにわかるか? わかるわけがない。そして、一日もヘビメタ騒音を経験しなかったやつらであり、俺をバカにしているやつからが……「俺だってくるしことがあったけどがんばって生きているんだ」なんてことを言い出す。それは、ちがうだろ。そいつらが通勤して働いているのなら、それは、通勤して働くと言うことが可能なレベルのつらいことであるわけだ。ぜんぜんちがう。

2020年4月20日月曜日

生きているこの感じが、くるしい


なんだかんだ言って、おもしろくないんだよ。
ヘビメタ騒音にやられちゃった人生……。……生活。
ほんとーーーに、くるしかった。で、くるしみが終わらない。やっぱり、くるしい。
生きているこの感じが、くるしい。生きているこの感じが、ヘビメタ騒音にやられていたときの生きている感じとおなじなんだよな。だれも、わかってくれないとは思うけど。

2020年4月19日日曜日

どれだけ「できるできる」と暗示をかけても、できない。鳴っているとできないの


ほんとうに、やめろといっているだろ……。どうして、俺だけ……。どうして、俺だけ……。どうして俺だけ、こんなことになっちゃうんだよ。やめろと言っているだろ。
こんなのはない。ほんとうに、鳴らされている日は、めちゃくちゃ。鳴らされている時間も、鳴らされたあとの時間もめちゃくちゃ。鳴らされたあとの時間が、どれだけめちゃくちゃか、他の人にはまったくわからない。わからないから、影響がないと思ってしまう。だから、「できる」と思ってしまう。できない」のに。俺が気違いヘビメタの中で、切羽詰まった状態で、どれだけ「できるように」がんばってきたと思っているんだ。その時間が全部、できないんだぞ。

実際にはできない。

どれだけ、やろうと思っていても、どれだけ「できるできる」と暗示をかけても、できない。鳴っているとできないの。本当に鳴っているからできないわけで、鳴っていなかったら、軽くできることなんだよ。ほんとうに、すべて、なめられる。すべてというのは、イ・ラショナルじゃない。

この、すべてを、イ・ラショナルだと考えるのが、イ・ラショナルナのだ。けど、これまた、やられてない人にとってみれば、それがわからない。俺が、イ・ラショナルナことを言っていると思ってしまう。けど、ちがうんだよ。実情を知らないボンボン、お嬢さんだからわかってないだけ……というのに、似ている。というか、おなじだ。実情を知らないからわかってないだけなのだ。そして、俺が言っていることがイ・ラショナルナことだと結論づけてしまう。

そういうことも含めて、俺がなめられる。ほんとうにおなじ目に遭ったことがない人間に、なめられる。不当になめられる。まちがった前提でまちがったことを言われる。そうなる。佐藤のことについてだいぶ詳しく説明したけど、佐藤とのあいだに起こったことが普通の人とのあいだに発生してしまう。佐藤は、一般的な例として、あげただけだ。「人間は働くべきだ」「ヘビメタ騒音なんて、どれだけ鳴っていると言ったって、たいしたことじゃない」と思ってしまう人間はいっぱいいる。例として出しておいただけだ。

2020年4月16日木曜日

この認めなさが、また、ひどいんだよ

昨日、帰ってくるとき自転車をこぐのがきつくなって、自転車を引いて歩いた。
まあ、そうやって、のんびりと帰ってきた。
ほんとうに、つかれている。




ヘビメタで人生がない。あれだけやめろと言ったのに。あれだけ、やめろと言ったのに。ほんとうに、気違い野郎が……。ほんとうに、気にしないで鳴らす。どれだけ言っても、無視して鳴らす。鳴らしたって、ぜんぜん悪いと思ってない。〇・一デシベルでもしずかにしてやれば、それで「しずかにしてやった」と本気で思える。ぜんぜんしずかになってないから「ちゃんとしずかにしてくれ」と言いに行くと「しずかにしてやったのになんだ」と気違い思考で怒り狂う。で、絶対にきいてやんねぇ……モードで……やりまくる。


で、そういうモードでやりまくったことは、ほんとうに、「やってない」のとおなじなのである。記憶はちょっとはあるかもしれないけど、ぜんぜん自分に関係がないことなのである。「やったってやってなくたっておなじことなのに、こいつはなにを言っているんだ」という気持ちにしかならない。


で、そういう気持のまま、そういうモードでやり続ける。兄貴がそういうモードでやり続ける。毎日、どんなに細かい時間も、すべての時間、気違いヘビメタを鳴らしているのに、本人は、まったく気にしない。「やっているつもりがとくにないまま」鳴らし続ける。それは、おかしい感覚なのだけど、そういう感覚で鳴らし続ける。

で、こういう感覚は、親父にも成り立っている。というか、親父のまねをしたという感じだ。気違い兄貴が親父のまねをして、親父の感覚で、ヘビメタを鳴らし始めたということだ。ほんとうに、うちではあたりまえ、なのである。気違い兄貴が〇歳の時から、気違い兄貴がヘビメタを鳴らし始める一五歳の時まで、いつも、気違い親父はこういう感覚だったんだぞ。おなじなんだよ。感覚も態度も、モードもおなじ。そういうふうに、「はいっちゃっている」。そういうふうに「できている」。そうしたら、「うちではあたりまえ」なんだよ。矛盾した態度、矛盾した行為なのだけど、普通に成り立っている。

で、そういうふうにしているほうは、利益がある。ほんとうは「やっちゃいけないこと」を普通にやることができる。しかも、本人のなかでは「とくにやってない」という記憶が残る。あるいは、「やったかもしれないけど、そんなのは(やったとしても)問題がない」という認識だけが残る。相手の必死さ、なんて、まったく関係がないのである。相手がどれだけしつこく言っても、関係がないのである。まるで自分に関係がないことで文句を言われるような感じしかないから、そのとき!!!「おこって」おしまいなのである。

で、やり続ける。「おこって」おしまいと書いたけど、このときの怒り方が尋常じゃないのである。気違い家族がいるひとじゃないとわからない。そういう人間が家族であるような人しかわからない。ほんとうに想像を絶する気違い的な意地で怒るし、認めない。この認めなさが、また、ひどいんだよ。

けっきょく、全部やりきっているのに、「そんなのぜんぜんやってない」「なんだそんなこと言ってきて」と思ったまま、やってないつもりでやりきる。それだってなんだって、あたりまえなのである。気違い親父の「家での態度」というのは、つねにそうだった。ときどきそうなるわけじゃなくて、つねにそうなのである。

これは、会社でいやなことがあったから、八つ当たりしているということとはちがう。あるいは、そういう態度全体とはちがう。まったく、ちがう。けど、他の人はそういうことの類推でしか、うちの親父の態度、うちの兄貴の態度のことを、理解できない。

それじゃ、そういう「あたまのくせ」がある人のやっていることだから、ゆるせるかというとそうじゃないんだよ。ゆるせないことは、ゆるせない。これも、他人は……。

2020年4月15日水曜日

長期騒音病はうつらないので、他の人にとってはどうでもいいことだ


これは長期戦になりそうだな。
どこかで外出制限を廃止すると、ふりだしにもどるというような感じだから、一年ぐらいはこんなことが続きそうだ。
俺はコロナとは関係なく、だるい。これは長期騒音病なのだ。長期騒音病はうつらないので、他の人にとってはどうでもいいことだ。

2020年4月12日日曜日

「うけとめかたのもんだいだ」という言葉では相対化できない部分がある


まあ、起きたあとのんびりして、他人のブログを読みまくる。
最近思うのだが、やはり、他人のブログを読む時間が長すぎる。
おきてから他人のブログを読み終わるまでで、そうとうに目を使っている。これは、やばい。ぼくはもう、残された目の力を、温存しなければならないような状態になっている。わかいときとはちがうのだ。
永遠に続くいのち……ではないけど、普段生きているときは、すぐに死ぬとは思ってない。思ってない。

死にたいというのは、苦しみたくないということだ。ほんとうに死にたいわけじゃないのである。「つらい状態」から離脱したいということなのである。じゃあ、「つらい状態」というのはなにかというと、これは、人によってちがう。本人が「つらい」と思ったら、他の人から見て「つらそうじゃない」状態でも、「つらい」状態なのだ。だから、本人が決めることだ。

これを、「おもいようだ」と言うつもりはない。「うけとめかたのもんだいだ」と言うつもりがない。どうしてなら、「おもいようのもんだい」でもないし「うけとめかたのもんだいでもない」からだ。

人間にはいままで生きてきた文脈がある。その文脈から離れて「うけとめかた」を考えてみてもしかたがない。「うけとめかたのもんだい」「おもいようのもんだい」という言い方は、すべてを相対化してしまう。だから、一見、「できそうにみえる」けど、「みえるだけ」。もし、受けとめ方の問題だという言い方で納得ができて、別の受けとめ方をすることができる人間であれば、「つらい」と思ってないのだ。

「うけとめかたのもんだいだ」と思ってどうにかなるような「ちいさな」問題は、じつは、(本人にとって)死にたくなるような問題ではない。受けとめ方を変えようと意識的に思ってもどうしても、本人が「つらい」と思ってしまう、あるいは、感じてしまう問題がある。その問題に関しては、じつは「うけとめかたのもんだいだ」というような相対的な文言は意味をなさない。

「うけとめかたのもんだいだ」と言い切ってしまう人は、その人にとって感じる問題が、すべて、「ちいさなもんだい」である場合しか経験してない。ようするに、「うけとめかたのもんだいだ」「だからきにするひつようがない」「だから、つらいとおもうひつようがない」と思って、相対化できるような問題しか経験したことがない人なのだ。そういう人は、いると思う。

しかし、そういう「ちいさなもんだい」しか経験してない人ばかりではない。その場合、「ちいさなもんだい」しか経験してない人には、「おおきなもんだい」が目に入らないし、そういう大きな問題を抱えている他者というのも目に入らない。そもそも、存在ない。

どうしてなら、「おおきなもんだいだ」と感じるのは、個人の受けとめ方の問題だからだ。「ちいさなもんだい」「おおきなもんだい」と言ってきたけど、それは、「個人」によって「相対化される」。べつに、客観的な世界に物理的なものとして「もんだい」が存在しているわけではない。だから、いちおう、説明するために利用した「ちいさなもんだい」という言い方「おおきなもんだぃ」という言い方も、ここでは、相対化される。

しかし、だ……。しかし、文脈はあるというのが俺の考え方だ。「うけとめかたのもんだいだ」という言葉では相対化できない部分がある。それは、物理存在ではないけど、その人が実際に生きてきたことによってしょうじる、積み重ねの認知システムとして存在している。その人のなかに……。

2020年4月8日水曜日

「やめろ」と言われたときの反応がおかしい。これも、他の人には絶対にわからないところなんだよな


ヘビメタ騒音でうまくいかない。
あのときの、感覚が、ある。ある。
他の人には、わからない。

どれだけの繰り返しがあったか……。たとえば、気違いヘビメタ騒音を経験したことがない他人は「ヘビメタ騒音でうまくいかない」という言葉を聞けば、「へびめたそうおんのせいにしている」と思うわけだ。これが、おかしい。これ自体がおかしい。あれがわかってない。あの、雰囲気、あの感覚。あの時間の、持続。実際の持続。毎日、どれだけ続いたと思っているんだよ。どれだけ、毎日長い時間、続いたと思っているんだよ。気違い兄貴は、気違いだから絶対にいうことを聞かない。気違い兄貴は、気違い親父とおなじだから、夢中になってやったことは、全部やってないことになっている。あの長い時間、あのこだわり具合で鳴らし続けたのに……しつこくしつこく鳴らし続けたのに、自分が夢中になってやったことは、やってないことになっているんだからな。「やった」と言われると「やってないやってない」と親父のように「夢中になって」反対して、それでおしまいだ。そのやり方で、やり始める。そのやり方で、やり続ける。で、やり終わったら、「やってないやってない」と夢中になって反対する。やり口がおなじなんだよな。「やめろ」と言われたら、真っ赤な顔をして、夢中になってやる。気違い的な意地で、やる。こだわりの音でやる。自分がこだわっている音でやることに命がかかっているから、こっちが「やめてくれ」「やめろ」とどれだけ近距離で絶叫しても、無視してやり続ける。なにも言われなかったのとおなじ状態でやり続ける。やり続けることができれば、それで、本人のなかでは、すんでいるわけで、「なにもいわれなかった」ということになっている。その場で、即座に殺さなければ、やめさせることができない。真っ赤な顔をして無視して、頑固に鳴らし続ける。こだわりの音で鳴らし続ける。・・・あれで!! あれで!!! やってないつもりなのかよ??
これ、ほんとうに不思議なんだけど、やってないつもりなんだよ。行動と態度を見ると、そうだ。

実際に長い間毎日毎日、そういうことが続くと、不可避的に、こまる。不可避的につかれる。これが、実際にやられてない他人には、心底わからない。「どうにだってなる」と思ってしまう。この溝が……認知の溝が、実際の人間関係の溝になる。深い深い溝になる。

けど、「どうにだってなる」と思っている他者は、それもわからない。俺がただ単に落ちぶれていくだけに見える。俺が「いいわけをしている」ように見える。絶対のちからで、だめになっていくのに、それがわからない。自分がこの世で一番嫌いな音が、家族によってずっと鳴らされている毎日を経験した人じゃないとわからない。その家族というのが、他の人には理解できない、かわった家族で、その家族のなかでは「やったってやってない」がつねに成り立っている。つねにやったってやってない」が成り立っているのだから、終わったときには「やってない」つもりになれるのだ。しかし、やっているときに「やめろ」と言われたときの反応がおかしい。これも、他の人には絶対にわからないところなんだよな。実際に目の前でやられたことがない人にはわからない。そういう家族がいる人以外にはわからない。

気違いヘビメタの程度としつこさと、気違い兄貴態度全体がわかってない人には、俺が「どうでもいいことで」だめになってようにしか見えない。「こだわらなくていいことに」こだわっているようにしか見えない。「そうでなくても、そうなったのに」「それのせいにしている」としか思えない。どうしてなら、ヘビメタ騒音は、それほど重大な理由にならないからだ。ヘビメタ騒音なんてものがそんなに影響をあたえるはずがないからだ。この認知のちがいは、大きい。やられればわかるけど、俺の認知のほうが正しい。ほんとうは、「だれだってそうなる」のに、やられたことがないひとには、わからない。俺だけがやられたから、……俺だけが、世界でただひとり……実際にやられたので……やられた場合のからだの状態を知っている。時間というのはつながっているから……つながっているように思えるものだから……やはり、やられたことの影響を受ける。これも、勝手に否定する常識的な人ばかりだ。「どれだけやられたって影響を受けないことは可能」なのである。けど、ほんとうは、その人にとってもそうではないのだけど、その人には、幼児的な万能感が成り立っているから認めない。あるいは、経験がまったくないから、認めない。想像して……そう思うだけだから、わからない。実際に経験したことではなくて、言葉を聞いてその人が「想像したこと」をもとにして考えているから、わからない。

俺は生きているあいだになにができるんだろう?


死んじゃったらおしまい。
はかないねぇ~~
俺は生きているあいだになにができるんだろう?

2020年4月4日土曜日

俺はもう、全部がいやだ


俺はもう、全部がいやだ

という気持ちになる。
いま、なった。

優先順位をつけて、優先順位が高いものからやろうというのは、一見良さそうなのだけど


まあ、時間がある場合、本人が「どうしてもやりたくない」と思うこと以外はできるんだよな。けど、やはり、からだがだるいときは、動きたくない。これは、他の人にとっては、高齢者にならなければ発生しない問題だったのだろうけど、俺は、小学生のときから、ヘビメタ騒音をやられているので、なにをやるときも「くたくたになった」からだを引きずるようにしてやるようなところがある。そうしないと、「できない」のだ。しかし、それにも限界がある。
今回言いたかったのは、やらなければならないことの優先順位を決めて、下の方から実行していけば、ゼロよりはましなのではないかということだ。

普通、優先順位をつけて、一番上からやっていこうとするだろう。優先順位一位の項目から、やろうとするはずだ。しかし、これがまちがいなのである……ということを言いたかった。できる人はいいけど、鬱病レベルを超えて、疲れ果ててしまった人は、それができない。疲労にはいくつかの種類があると思う。種類がなくても、とりあえず、種類があるとする。

分類方法としては、長期的な累積疲労と短期的な疲労とにわける。長期的な累積疲労がない人は、ぼくが言っていることがわからない。長期的な累積疲労は、一日、よく眠っただけでは、とれない。一〇日間、一日ずつ、よく眠っただけでもとれない。はっきり言えば、一〇〇日間、一日ずつ、よく眠ってもとれない。とれないというのは、つかれがとれないという意味だ。こういう疲れを持っている人は、優先順位一位からやろうとすると、けっきょく、めんどうくさくなってできない。優先順位一位から一〇位まであるなら、むしろ、一〇位からやり始めるべきなのである。けど、一〇位からやろうとしても、ほんとうにつかれているときは……つまり、「疲労度が高い」ときは、できないと思う。

優先順位をつけて、優先順位が高いものからやろうというのは、一見良さそうなのだけど、ダメなのではないかというのが、経験からわかる。どうしても、それだと、やる気になれない。優先順位が低いところからやった方がいい。

2020年4月3日金曜日

「俺だって、騒音ぐらい経験した」……「けど、気にしないでがんばって生きている」


もうちょっと、いろいろな気持ちで、いろいろとやりたいのだけど、「くうきょ」「むなしい」という言葉に代表されるような感情になってダメだ。これは、別に俺がヘビメタ騒音以降、いろいろなこころみをしなかったということではないのだ。

したが、だめだったのだ。

ほんとうに、気違いヘビメタ騒音の一日の影響がわかる人がいない。あの時間を生きた人じゃないとわからない。それが、一〇〇〇日つもったときの状態がわかる人はいない。そして、けっきょく、ヘビメタ騒音の影響なんてゼロなんだという前提でものを言ってくる。

あるいは、「(ヘビメタ騒音は)ちょっとした騒音だ」という前提でものを言ってくる。「俺だって、騒音ぐらい経験した」……「けど、気にしないでがんばって生きている」……というようなことを言うか、あるいは、気分的にそういう気分になる。
けど、ちがう。

クレパス。

ぜんぜんちがう。

ぜんぜんちがうということが、彼らにはわからない。わからないということも、わからないだろう。

2020年4月2日木曜日

「無職は悪」というのは、内在化された基準なので、やっかいなのだ


あー、ヘビメタでぼろぼろで、いいことなんてなかったな。
どれだけ、ぼろぼろになるか。
「鳴ってる」だけで、どれだけこころが、くずれるか。
「鳴りつづける」と、どれだけすべてが、むちゃくちゃになるか。


ほんとうにつらかった。どれだけ言っても、エイリが「言っているだけ」になってしまうんだよな。俺以外の人間は、経験してないから。ほんとうに、やり切れな気持ちを抱えて、騒音に耐えている時間が、くるしすぎる。むだとか不効率とかということではなくて、くるしすぎる。

勉強ということを考えた場合、むだとか不効率ということが問題になる。それ以前の問題で、ヘビメタ騒音にさらされていると、めちゃくちゃだった。「そんなによゆうがない」。効率とか不効率とか言っているよゆうがない。ひたすら、くるしい。

この部屋のどこにいてもくるしかった。気違い兄貴側の壁から、はなれれば、音がちょっとはしずかになるということはなかった。おかあさんの部屋までいけばちがう。おかあさんの部屋では眠ることができたけど、この部屋では眠ることができなかった。だから、鳴っている時間眠って、……学校から帰ってきたら午後四時ぐらいから眠って、午前二時ぐらいに起きて、勉強するということができなかった。

みんながちょっと考えただけで思いつくような「対策」は全部、こころみた。けど、まったくだめだった。実際にやったらまったくうまくいかなかった。「なってたら」だめなんだ。それが、実際にやられてない人にはわからない。俺だって、わかってなかった。けど、毎日続くから、否応なく、いま持っているような認識ができあがった。

何日も何日も、毎日やられてないと、実際に、どういう状態になるかわからない。ちょっと考えれば思いつくような「対策」がどれだけ無意味か、わからない。そういう場合、ちょっと考えて「対策」をアドバイスしてくれた人は、気分が悪くなる。

俺が「その対策はだめだ」と言うからだ。「やってみなければわからないだろ」。「やってだめだったんだよ」。……そういうところでも、対人関係上の問題になるんだよな。よいコミニュケーションが成り立ちにくくなる。


俺の感情はめちゃくちゃ。そして、そういうことがあった日だって、気違い蛇目だ鳴っていた。「やめろやめろ」と怒鳴り込んだあと、ずっと鳴っているときの気持ちといったらない。これも、他の人にはわからない。佐藤のような人間は、「鳴っていると言ったって、たいしたことはないんだろ」と思って、そういう前提で、いろいろなことを言う。その場合、俺をこころから、バカにしているということになる。軽く見積もるということになる。そうならざるを得ないのである。

これ、本人はそのつもりがないんだろうけど、ほんとうは、軽く見積もって、バカにしている。気がつかないだけ。共同幻想はほんとうは、偏見なのだけど、共同幻想内ではもちろん、偏見ではないということになる。中立的な見方だということになる。働いてない人間に対する蔑視の傾向は、ぬぐいがたく、ある。もう、あまりにも深いところにありすぎて、それをそれとして認識することができない。

就職に失敗して、死んでしまう人がいる。「就職ぐらいで死ぬことはないの」と思う人は多いだろう。就職できなかったからといって、殺されるわけではないのだから、自殺する必要はないという考え方だ。就職に失敗して自殺してしまう人のこころのなかには、無職蔑視のこころがあるのである。

だから、自分が無職になるわけにいかないのである。自分が……自分自身が「軽蔑している存在になる」ということがゆるせない。「無職は悪」というのは、内在化された基準なので、やっかいなのだ。

もちろん、表面的にはいろいろとある。「無職蔑視」だけが、原因ではない。しかし、「無職は悪」と思い込んでいる人は、自分が無職になったときに、自殺しやすい。「しかし、定年退職者なんて、自分が無職になったって死んだりしないだろ」と思う人がいるかもしれない。定年退職者は、無職であって無職ではないのだ。

この国ではそうだ。四五年ぐらい働き続けた人は、四六年目に無職になっても、無職性の低い無職になっただけだから、自分のことを無職だとは思わない。「ぜんぜんちがう」のである。「職歴がない三〇歳とは、ちがう」という自意識がある。

そして、共同幻想が、それを支持している。

だから、そういう考え方を持っていたとしても、だれからもせめられない。俺からは、「おなじだ」とせめられるけど、他の人からはせめられない。共同体のなかにいる共同幻想にどっぷりつかった人からはせめられない。その人たちの感覚では「もう、働いたのだからいい」ということになる。けど、それは、ちがうのだ。

よくない。無職かどうかはその時の状態のについて言及しているわけだから、まさしく、過去は関係がないのである。「過去においてじゅうぶん長い期間、働いた人は無職であったとしても無職ではない」と考えるのは、ほんとうはおかしいことだ。共同体のなかにいて、共同幻想にどっぷり使っている人にわからない。

むしろ、僕の感覚のほうがおかしく思えるだろう。現在の状態について言及しているわけだから、「過去において、どれだけ働いたかは関係がない」という考え方は少数派だ。

2020年3月30日月曜日

なら、遅刻しないようにすればいいじゃないかという話になるわけだけど


さて、どうするかな?
税金、保険料などを考慮しないで、だいたい月七万生活でもいいじゃないかと思ったけど、ちょっとさみしいな。
俺が大学生か大学院生で、あの娘と共同生活をしていて、アルバイトで月に七万円かせいでいるというわけではないからな。美少女、必要。未来に向かっている月七万生活じゃないからな。
俺の一生はいったいなんだったのか?
ヘビメタ騒音ばかりで、ひとつもねがいがかなわなかった。
チャンスは何回かあった。ほんとうに、美少女と共同生活だって、二回ぐらいチャンスがあった。荒唐無稽なことを言っているわけじゃない。ヘビメタ騒音がなければ、一〇〇%できた。アルバイトも、長期騒音がなければずっと続けられた。家庭教師のような(俺にむいている)アルバイトもできた。長期騒音がなければ、年下先輩なんて発生しようがない。すべての点でプライドが傷つく。決まった時間に行動ができなくなる。すべてのチャンスを、布団の上で見逃しているような生活になってしまう。ヘビメタ騒音というのはそういう問題で、ただ単にうるさい音が鳴っていたという問題ではない。ちがう。みんな、ただ単にデカイ音が鳴っていた騒音問題だと考えてしまう。ちがう。
ヘビメタ騒音で友達とも親友とも、言いがたい関係になっていく。長く鳴らされているとどうしてもそうなる。けど、これも、他の人にはわからない。実際に五〇〇〇日以上鳴らされ続けた生活をしている人じゃないとわからない。しかも、その生活というのは、五〇代六〇代の生活じゃないんだぞ。一〇代二〇代の生活なんだぞ。自分の人生を切り開くのにどうしても必要な一〇代二〇代が、全部、気違いヘビメタ騒音で埋まっているんだぞ。二〇代の全部ではないけど。鳴り終わったのは二五歳の時だ。けど、学生時代が将来に与える影響のデカさは計り知れない。一三歳から二二歳までの九年間が決定的に重要。その、決定的に重要な九年間、気違いヘビメタがずっと鳴ってた。日曜日も土曜日も、鳴っていた。家に帰れば、鳴っていた。とてつもなく、くるしい。あれは、ただ単に「うるさい時間」じゃないんだよ。破壊的なうるさい時間で、どうやっても有効に使えない時間なのである。そして、がまんしているあいだにからだが壊れてしまう。鳴らされたあと、睡眠回路が壊されて、俺が、遅刻したりして、恥をかいたり、他の人に迷惑をかけることになってしまう。なら、遅刻しないようにすればいいじゃないかという話になるわけだけど、「ヘビメタ騒音が鳴っていると」むりなのだ。けど、他の人は、ヘビメタ騒音を実際に、俺とおなじように鳴らされて生活をしているわけではないので、そこらへんのことが「俺の説明を聞いても」わからない。佐藤のような態度で、佐藤のような認識で、俺の説明を聞くわけだ。そうなると、そういう人間は「鳴っていたって、遅刻しないで学校に来ることは可能だ」と考えてしまう。そういうふうに考えてしまうやつは、実際には、一日もヘビメタ騒音を経験してない。俺の部屋にいて、ヘビメタ騒音にさらされるということがない。だから、「わかってないだけ」なのだけど、「わかってないだけ」だというのも、わからない。だから、共同幻想に合致するかたちで、俺に説教をしてくる。そりゃ、「いっくら鳴っている言ったって、たいして鳴っていないのだろう」という前提に立ち、「たとえ、ヘビメタ騒音が鳴っているのにしろ学校に遅刻をしないで通うことぐらいはできるはずだ」という前提に立って、「ヘビメタ騒音」と「遅刻」ということに考えるから、そういう結論にいたってしまう。説教することになってしまう。けど、しつこいようだけど、そういう説教をする人たちは、ヘビメタ騒音を一日も経験してない。ヘビメタ騒音が一〇〇日つもったときのからだの状態なんて、わかってない。自分の経験としてわかってない。「きいただけ」だ。「かんがえただけ」だ。ぜんぜんちがう。一〇〇〇日つもったときのからだの状態なんて、もっとわからない。二〇〇〇日つもったとき、精神と睡眠回路がどうなってしまうかなんてまったくわからない。三〇〇〇日つもったとき、そういうことを理解しない普通の人との関係がどうなるかなんて、わからない。四〇〇〇日つもったとき、朝、どういう状態になるかわからない。わかるわけがない。五〇〇〇日つもったとき、夜、どうなるかなんてわかるわけがない。人生全部がどうなるかなんてわかるわけがない。

2020年3月26日木曜日

紅茶も持って行こう。


新しい石けんをおろして、風呂に入る。
どうするかな? 紅茶を持って行くかどうか?
紅茶も持って行こう。
しかし、ほんとうに、いろいろな負の記憶が浮かび上がってきて、しょうがない。
ほんとうにいろいろとくるしかった。家族の長期騒音でくるしかった。すべてが苦しくなる騒音だ。

2020年3月24日火曜日

いちいち説明するのがめんどうくさいという気持ちがしょうじるのだ


めんどくさいから、手短に説明するけど、カネがあるやつとカネがないやつの差がある。で、短縮して説明するけど、PC-8801FAにはカセットインターフェイスはついてない。だから、Nキーを押しながら、立ち上げた場合、保存ができない。スイッチを切ったらおしまいだ。ロムのN-BASICでは、ディスク関係を扱えないと、俺は聞いていた。たぶん、それは正しい。あいつが、「PC-8801FAにはカセットインターフェイスがついてない」ということを知らないだけ。だから、Nキーを押せば、N-BASICでできることは「なんでも」できるのだから、どうして、Nキーを押して立ち上げるということをしないのだと思ってしまったわけ。で、説明がめんどいんだよな。「ディスク」とひとこと言えば、それで通じるかという話しだ。これが、ほんとうにめんどいんだよな。彼は、アルバイトさきの社長の息子だった。カネがないやつのことがわかってない。PC-8801FAを分割払いで買ってしまった俺には、カセットインターフェイスを買う金がない。高いんだよ。「おれからすれば!」「おれからすれば!」「おれからすれば!」。
Nキーを押して立ち上げるとN-BASICが立ち上がるというマル秘テクニックを知っているということが彼にとっては、なんというか、得意になる部分だったのだ。たぶんだけど、彼はPC-8801FAにはカセットインターフェイスがついてない(端子がついてない)ということを知らない。これ、ほんとう、ヘビメタ騒音でいろいろとおくれをとっていて、……大学に通えなくなって……。バイト先で年下先輩みたいのができると、いやなんだよ。これ、ほんとう、ヘビメタ騒音が鳴ってなくて、普通に進学して、就職していたら、俺が教えてやる立場なのに……。なんかいろいろと複雑な気分があるんだよ。そもそも、年下先輩には、いろいろな複雑な気分がある。日本では、「そんなの、浪人したやつが悪いんだ」「そんなの、勉強しなかったやつが悪いんだ」「自業自得」ということになると思う。けど、ヘビメタ騒音という特殊な条件が付け加わると、複雑な気分になる。すべてが屈辱。そうならざるを得ない。これが、十数年も毎日、ヘビメタをガンガン鳴らされて、中学と高校と、毎日勉強できなかった!人間と、そうではなかった人間のちがいなんだよ。感覚のちがい。ヘビメタ騒音が鳴ってなかったら、こんなことになってないということに常に遭遇しなければならないんだぞ。
別にPC-8801シリーズのマル秘テクニックの話しじゃなくても、すべてにおいて、ヘビメタ騒音のせいでうまれてしまった立場の低さという問題が、しょうじる。俺の立場の低さの問題だ。これ、ヘビメタ騒音を経験してない人にはわからない。「ヘビメタ騒音が鳴ってたって、勉強なんていくらだってできる」と勝手に思っている人にはわからない。ほんとうはできない。その人が考えているのは、空想の世界なんだよ。ただちょっと頭の中で考えただけなんだよ。実際に鳴っている、世界の話しじゃない。ほんとうに、次の日にもこたえる。どうしても、睡眠時間がおかしくなる。鳴っているあいだどうしてもヘビメタ騒音で!勉強ができないという状態が、わからない。ヘビメタ騒音のなかで勉強をしようとしたぶんだけ、マイナスなんだよ。ヘビメタ騒音のなかで勉強をすれば、ちょっとでも先に進むことができる……というわけではないのだ。ヘビメタ騒音のなかで勉強をしたら、マイナス。おぼえたことも忘れてしまう。鳴ってなければ簡単にできることが、できなくなる。自信をなくす。頭がこんがらがる。その教科や分野に、「いやな感じ」がつきまとってしまう。へばりついてしまう。ヘビメタ騒音のなかでやったときの、頭がこんがらがる感じがしみついてしまう。これ、あれだけはヘビメタ騒音のなかで、「なんとか勉強をしよう」としたことがない人には、わからない。決定的にわからない。どれだけ想像してもわからない。ほんとうに「そんなものじゃない」のだ。ヘビメタ騒音は「そんなものじゃない」のだ。俺は、親父や兄貴がやったことで、ほんとうに、誤解を受けている。普通に育った人から、お・れ・が・誤解を受ける。俺が誤解を受ける。俺が、発達障害みたいに思われる。PC-8801FAにはインターフェイスがついてないということだって、ぼんぼんに説明するのは、めんどうなんだよ。いやなんだよ。ぼんぼんが、PC-8801FAで、N-BASICを立ち上げた場合、ディスクにもテープにもセーブできないといこうとを理解してないだけ。で、説明すればいいだろということになると思うけど、「きめてかかってくるやつ」に説明するのは、めんどうなんだよ。いやなんだよ。なんらかのことを説明するときに、相手の立場とか自分の立場ということを考えると「もういやだな」「めんどうくさいな」と感じてしまうことがある。そして、それは、ほんとうにヘビメタ騒音の結果できあがった俺の立場の問題なんだよ。「きめてかかってくるやつ」に微妙なことを説明してやるのがほんとうに、めんどうで、いやなんだよ。相手がどこでまちがっているかわかるけど、それを説明するのがめんどうなのだ。「めんどうだな」と思ってしまう。そういう場合、説明しないときがある。そうなると、「説明しないのは発達障害のせいだ」と考えてしまう。「きめてかかってくるやつ」はそういうふうに、誤解する。年上なのに、立場が低いというのが、いろいろなことに影響を与える。相手に対する、気持ちがちがうんだよ。最初から……。最初から、うっくつしたものがある。どうしてそうなってしまったかというと、ヘビメタ騒音にずっとやられていたからだ。気違い兄貴の態度というのは最初から問題があるわけだけど、日本で、気違い兄貴の態度で、気違い兄貴の認知で、ヘビメタを鳴らされると、ほんとうにいろいろなところで、対人関係上の問題ができあがある。もちろん、俺と他の人とのあいだの問題だ。気違い兄貴は、しらんぷりだ。気違い親父が、ハンダゴテのことで兄貴の立場を考えないのとおなじだ。気違い兄貴の態度でヘビメタを鳴らしたことで、気違い兄貴と「他の人」とのあいだで問題がしょうじるのではなくて、俺と「他の人」とのあいだで問題がしょうじる。佐藤との問題だって、そういうことのひとつだ。佐藤は佐藤で、「人間は働くべきだ」と考えているわけだ。これは、「きめてかかってくる」ということだ。「人間働くべきだ」と決めてかかってくるのである。だから、働いてない俺は、「防戦」しなければならなくなるのである。これは、「Nキーを押せばN-BASICが立ち上がるんだぜぇ」といいことを教えてやるつもりで言った人(ぼんぼん)と問題が似ている。「せっかく教えてやったのになんだ」と思ってしまう。ぼんぼんは、PC-8801FAにはカセットインターフェイス(端子)がついてないということを知らない。おそらく、ついてないということを説明すると「だったら、買えばいいだろ」という反応をしてくると思う。で、「だったら、(カセットインターフェイスを)買えばいいだろ」と言われたとき、お金がないので、カセットインターフェイスを買うのはいやだということを言いたくない。そういう気持ちまでしょうじる。ぼんぼんにしてみればPC-8801FAにつけるカセットインターフェイスなんて安いのだから買ってつければいいだろということになる。そう考える。俺には、高いんだよ。けど、「俺には高いんだよ」ということを説明したくない。
ヘビメタ騒音があると、「説明したくない」ということや「説明するのがめんどうだ」ということがいろいろとしょうじる。「説明するのがめんどうだ」という気持ちは、ほんとうにヘビメタ騒音一〇年、一五年で、しょうじて、つみあがる。ほんとうに、つかれがたまっているのだ。だから、「説明するのがめんどうだ」という気持ちになる。そうすると、誤解を受けたままになる。疲労というのは、人とのコミニュケーションにものすごい影響を与える。あとは、ヘビメタ騒音の結果できあがってしまった俺の立場というのがいろいろな影響を与える。これは、立場だけの影響ではなくて、立場にかんする俺の認知にいろいろな影響をあたえる。
これ、説明としては失敗していると思う。けど、相手がどこらへんでまちがっているのかということがわかっても、いちいち説明するのがめんどうくさいという気持ちがしょうじるのだ。それはやはり、騒音疲れでしょうじている。それから、立場の問題がある。
俺は、わからないから、説明しないのではなくて、わかりすぎちゃって、説明がめんどうくさくなって説明しないのである。けど、相手からすれば発達障害でわからないから、説明しないと思えてしまう。あるいは、相手からすれば発達障害で説明する必要性がわからないから、説明しないと思えてしまう。
そもそも、ヘビメタ騒音自体が普通の人から考えるとヘンなことなのだ。「そんなの、言えばいいだろ」ということなのだ。「そんなのは、お兄さんに言えば(やめてくれることなのだから)言えばいいだろ」と思ってしまうようなことなのだ。これも、「きめてかかってくるやつ」はきめてかかってくる。ほんとうに、めんどうくさい。ほんとうにめんどうくさい。

こんな世界は、ない。あってはならない


それにしても、『ヘビメタ騒音でくるしい』と言っているのに、説教をし始めるやつがらゆるせない。『ヘビメタ騒音でくるしい』と言っているだろ。ヘビメタ騒音でくるしいんだよ。おまえらは、ヘビメタ騒音でくるしくないのかもしれないけど、俺はヘビメタ騒音でくるしいんだよ。ヘビメタ騒音でくるしいと言っているのに、説教をし始めるやつらがゆるせない。
これ、ほんとう、どういう現実なんだよ。これ、ほんとう、どういう世界なんだよ。たえがたい。俺がずっとずっとたえてきた。たえてたけど、たえがたい。そして、たえればたえるほど、こういうやつらに、えらそうなことを言わせてしまう。
言わせる、スキを作ってしまう。
こんなのはない。こいつらは、気違いヘビメタ騒音を一日も体験したことがないので、ヘビメタ騒音のひどさがわからない。一日中鳴っていると言うことのつらさがわからない。一日中鳴っていると、どういうことに『鳴っている』ということが悪影響を与えるのかわかってない。
わかってないところで、ものを言う。わかってないところで、説教をしだす。頭が悪すぎる。想像力がないから、ヘビメタその音のつらさがわからない。
俺が説明しても、頭が悪いやつらは、ヘビメタ騒音のつらさがわからない。負の効果がわからない。どういうところに、ヘビメタ騒音が影響を与えるか、まったく、わからない。
こっちが説明しても、こいつらにはわからない。わからなければ、ヘビメタ騒音の負の効果なんてない……という前提でものを言うことができる。頭が悪いやつの頭が悪い説教がはじまる。頭が悪いから、わからないだけなんだぞ。想像できないだけなんだぞ。
気違いヘビメタ騒音にやられると、想像力がない頭の悪いやつに、俺がバカにされるということがしょうじる。これも、ヘビメタ騒音の必然だ。気違い家族によるヘビメタ騒音の必然だ。気違い家族は、あらゆる常識を無視して、とりつかれたようにヘビメタを鳴らす。しかも、無視してヘビメタを実際に鳴らしているとことを無視する。常識的な人間は、あらゆる常識を無視して、頑固にヘビメタ騒音を鳴らす人間のことが、これまた、まったくわからない。『そんな人、いるのかな?』なんて言い出すしまつだ。

こういうことを言うやつは、こちらが説明しても、ヘビメタ騒音の負の効果について、考えない。ヘビメタ騒音のことを小さく見積もる。まるで、俺が気にしないようにすれば、完全に気にしないことができるようなことだとして認識している。

俺が説明した、気違い兄貴のヘビメタ騒音について、こういう認識を持っている。こういうところの無視のしかたが、ある意味、気違い兄貴と似ている。気違い兄貴も、俺の説明を聞いた頭が悪い常識的な人も、ヘビメタ騒音の効果を軽く見積もる。あるいは、ないものとして見積もる。こんな世界は、ない。あってはならない。けど、あった。この世は、そういう世界だ。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。