2020年5月27日水曜日

「こんなせかいはない」


俺にしてみれば「こんなせかいはない」のだ。こんな世界はない。こんな世界はない。ヘビメタ騒音にやられて、こんな状態でくらしている、世界はない。こんなのはない。こんなのでいいはずがない。けど、きちがいヘビメタ騒音の威力は、ほかの人にはわからない。不可避的にこうなるということが、ほかの人にはわからない。ほかの人は、自分のほうが能力があるから、そんなことになってないと(自動的に)思うのだ。こういうことからして、ぼくにとっては屈辱的な世界だ。ほかの人には、これもわからない。

2020年5月24日日曜日

常につもりがない虐待


きのうは、Google 日本語入力(の設定など)をいじっているときは楽しかったけど……つらいけど、まあまあいい気分だったけど……要領がわるい店員とのトラブルを思い出してから気分が悪くなった。ここには書くわけにはいかないけど、気違い親父が精神的に虐待をしていたんだよな……俺のことを。けど、気違い親父の虐待は常につもりがない虐待で、ものすごくこまるんだよな。これ、わからないだろうな。この要領が悪い店員とのトラブルも、相当に意味合いが違うのだけど、似ている。ともかく、基本的に、人間がいやなんだよな。


2020年5月23日土曜日

「どうにかしたい」「どうにかなりたい」って、そりゃ、最初はだれだって思っている


「どうにかしたい」「どうにかなりたい」って、そりゃ、最初はだれだって思っている。何千回も何万回も失敗を繰り返してだめになる。ヘビメタ騒音が鳴っていると不可避的に失敗が増えていく。たとえば、いままで一〇回中〇回しか失敗してないのに、ヘビメタがはじまってからは一〇回中五回ぐらい失敗するようになる。

しかも、鳴っている期間が長くなれば、失敗はどんどん増えていく。で、気違いヘビメタ騒音が成り終わらない限り、前のように一〇回中〇回しか失敗しない状態にはもどらない。けど、気違いヘビメタ騒音の「負の影響」を小さく考えるひとにはまったくそこがわからない。俺がヘビメタ騒音について語っても、気違いヘビメタ騒音の「負の影響」を小さく考えるひとはヘビメタ騒音の影響を認めない。

ヘビメタ騒音が鳴ってたって「できないなんてことはない」ということになってしまう……そのひとの頭の中では。そういうひとたちは、「失敗しないようにできないなんてことはない」とか「いっくら鳴ってたって、そんなのは関係がない」と言ってヘビメタ騒音の「負の影響」を認めない。

あるいは、「お兄さんに言えばいい」と言い出す。俺が「うちの兄は、これこれこうで、こうなんだ」ということを言っても、これまた、認めない。「そんなひと、いるのかな? ともかく、ちゃんとやって」と言って、気違い兄貴の性格や気違い兄貴の態度全般を認めない。

認めないひとにとっては、俺が説明したあとも「そんなことはない」ということになっているので、俺が兄貴に説明をすれば、解決できる問題だと認識されているのである。だから、「ちゃんと説明をしないエイリさんが悪い」ということになってしまう。そのひとの頭のなかでは、そのままだ。こういうのは、兄貴がねらってやっているわけではないのだけど、気違い兄貴の頭の構造が、気違いオヤジの頭の構造とおなじだと、いつも俺の説明を理解しないということになる。

普通のひとはそれがわからない。「いいわけをするな。そんなのちゃんと言えば(しずかにしてくれる)」と思ったまま、俺に文句を言ってくる。

で、そのもんくは、あたりまえのもんくだ。もんくとして理解できる。相手の立場は理解できる。けど、それでも、俺は、できない。気違いヘビメタが鳴っていると、どうしても、どれだけ気を使っても、どれだ注意をしても、どれだけ頑張っても「できない」という状態になる。何千日もヘビメタ騒音がおなじように続くと、そういう出来事がふえていく。

ヘビメタ騒音がおなじよう何千日も続くと、一〇〇〇日目には一〇個中五個だったのが、三〇〇〇日目には一〇個中七個も失敗してしまうような状態に、なる。不可避的になる。もちろん、そういう現実はくるしい。だれにとっても、現実はくるしいが、ヘビメタ騒音が鳴っていた俺のほうが、現実はくるしい。

「だれだって苦しい思いをして現実対処している」という言葉で、ヘビメタ騒音の「負の効果」を無効化することはできない。ほんらいなら、ヘビメタ騒音の「負の効果」がないのとおなじようにあつかうということはできない。けど、そういうふうにあつかう。

どうしてかというと、そういうふうに言うやつは、気違いヘビメタ騒音の負の効果を無視しているからだ。だれもが経験すると苦労とヘビメタ騒音の苦労を同じレベルのものだと思っているからだ。

ヘビメタ騒音はだれもが経験していることじゃない。気違い兄貴による気違いヘビメタ騒音はだれもが一五年間経験してきたことじゃない。ヘビメタ騒音の毎日を一五年間経験してきたひとは……ぼくの知る限り……俺だけだ。なので、「だれでも」とか「だれだって」という言葉はあてはまらない。けど、そういうひとは、俺のヘビメタ騒音とだれもが経験する苦労をおなじものだと思ってしまう。

けど、これはちがう。そこで言う、だれもが経験する苦労というのは、俺がヘビメタ騒音を経験しなかった場合の苦労だ。ヘビメタ騒音の苦労と、その他の苦労をわけると、そういうひとたちが問題にしているのは、俺がヘビメタ騒音を浴びなかった場合の日常の苦労だ。

ようするに、一日目に、俺が気違い兄貴に、「うるさいからやめてくれ」と言ったら、兄貴がやめてくれた場合の、苦労だ。これがわかってない。一日目にやめてくれて、二日目以降ずっと、鳴らさなかったにしろ、日常生活のなかでさまざまな困難はうまれる。

けど、それらの苦労は普通の苦労だ。ヘビメタ騒音という特殊な苦労じゃない。問題なのは、気違い兄貴が気違い的なこだわりで、他の人には想像できないようなヘビメタ騒音を鳴らすことで、俺がこういうふうに、ヘビメタ騒音の「負の効果」を認めないやつらから、ダメ出しをされるということだ。

2020年5月21日木曜日

気違い兄貴相当の騒音は、何十年もない……けど一五年間毎日鳴っていたので、いまもくるしい


ヘビメタがたたりきっている。この雰囲気は、だめだ。これは、ない。こんなことの繰り返しで……。こんなことの繰り返しで……。人から誤解を受けて……。まったくやってられない。

いま、ヘビメタ騒音のような騒音が鳴ることはない。やっぱり、あのデカさの騒音がずっと毎日鳴っていたのは、異常。気違い兄貴が異常だから、撃ちで鳴らしていた。幼稚園がうるさくしたり、隣の家でピアノを弾いていたり、別の隣の家で工事をしていたりしていても、気違いヘビメタのような音でずっと鳴っているということはない。ヘビメタが続くということはない。気違い兄貴がこだわった音のでかさで、ヘビメタ騒音が続くということはない。ヘビメタが終わったあと、数十年たっているけど、その数十年のあいだ、気違いヘビメタ騒音と同等の騒音に一日も遭遇したことがない。とうの気違い兄貴だって、結婚してマンションに住んでからは、いっさい鳴らしてない。うちでだけ、こだわりつくして鳴らした。一五歳から三〇歳のあいだ……一五年間毎日、うちでは、気違い的な意地で、息をするように鳴らし続けた。こっちがどれだけ言っても、気違い親父とおなじ状態で鳴らし続けた。気違い親父とおなじ状態で鳴らし続けるということは、鳴らし終わった瞬間に、まったく関係がないひとになるということだ。感覚としては、鳴らしてない……一日中まったく鳴らしてないのとおなじだ。そういう認知が成り立っている。この認知の強さは、気違い的な意地で鳴らすときの意地の強さとおなじだ。正比例する。だからこまる。他の人にはわからない。

2020年5月20日水曜日

重い。


全部が、病人のように、重い。
重い。
重い。


ぼくがどれだけ「のりこえてきた」と思っているんだよ?
もう、限界だ。


2020年5月16日土曜日

「無職はこうだ」「引きこもりはこうだ」という偏見がある人


+++++
どこか、遠くに行きたい。



実際に行くとなると、へたる。
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俺はここには書けない理由で、けっこう精神的にくるしい状態になっている。



なんとか、したいが、けっこう、くるしい。



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ほんとうに、もう、いいかげん、なんとかしたいけど、こういう気持ちが……こういう状態が俺の人生を形作ってきたことも否定できない。ようするに、どのようにあがいても、いったんこうなったら、ぬけられない。長すぎる。






なんとか、生きているだけでも、俺はすごい。なんとか、生きているだけでも、俺はすごい。


よく、生きているよなぁ。あんなこと、やられたら、ふつう、死んじゃう。それを俺は、生きている。これだけでも、もともとの体力が……生命力が尋常じゃないことを意味している。だのに、なんだ。一四年毎日、……ほんとうに土日も含めて一四年毎日……気違いヘビメタを経験してないやつが、俺のことを「よわい」「あまえている」とえらそうなことを言う。それは、もう、セットされている。ヘビメタ騒音がないか、あるいは、ヘビメタ騒音の影響が小さなものだと思うやつは、ごく自然に普通の経路を通って、誤解をする。俺を下に見る。しかも、下に見ているのに、下に見ているという認識がない。佐藤のような人間が多い。あれ、俺のことを下に見ているつもりがないんだ。見てるよ。


ヘビメタ騒音がないか、あるいは、ヘビメタ騒音があったとしても、たいした影響はないと考えているから、そうなる。


気違いヘビメタ騒音にさらされるということがどういうことだか、わかってない。俺がどれだけ説明しても、たぶんわからないのだろう。こいつらはみんな考え違いをしている。


ヘビメタ騒音は無視しようと思えば無視できる刺激じゃない。そこがわかってない。どうしたって、体や精神に影響をあたえる。……どうしたって」の部分が、見えてない。経験したことがないから、さっぱりわからない。「きいたはなし」では理解できない。軽蔑されるべきは、そっちだ。理解できてないだけなのに、なに、えらそうなことを言っているんだ??



あたかも、無視しようと思えば無視できた刺激だと思っているんだよな。そして、その刺激は、鳴り終わったあと体や精神に影響をあたえないと思っている。だから、そういうまちがった認識にもとづいて、まちがったことを言う。

しかも、まちがっているというつもりはない。これが……。こういうことが、どれだけ繰り返されてきたかわからない。気違い兄貴が気違い兄貴の態度で、気違い兄貴がやりたいように夢中になってヘビメタ騒音を鳴らし続けると、気違い兄貴が意図してないのに、俺と他の人とのあいだでその認識のちがいが、問題になる。トラブルを引き起こす。

けど、これですら、『社会経験がないから(乏しいから)そういうトラブルを起こすんだ』と勝手に思い込んでしまうのである。こういうのも、勝手に誤解しておいて、さらに、こっちを、ディスるということになるのだけど、ごく普通に、そういうことをする。ごく普通にそういうことをして、(自分がそうしたと)理解できない。自分は正しいと思っている。自分の認識……ヘビメタ騒音に対する認識とエイリの状態に対する認識は正しいと思っている。正しくない。誤解が誤解をうんでいる状態だ。


一度、無職・引きこもりフィルターが成り立つと、自分とのあいだに起こったことが、すべて、そのフィルターを通して理解されるようになるので、真実の姿が見えなくなってしまうのである。もともと、「無職はこうだ」「引きこもりはこうだ」という偏見がある人が、実際に、無職である人間、実際に引きこもりである人間に対面した場合、その人は意識はしてないけど、無職偏見フィルター、引きこもり偏見フィルターを通して、自分と無職である人間や引きこもりである人間とのあいだに起こったことを考えるようになる。

無職偏見フィルターと言ったけど、無職偏見フレームでも、無職フレームでもどれでもいい。本人が意識している以上にそういうフィルターは強い。認識の枠組みが強固にその後の認識を決定してしまう。

だいたい、佐藤は生まれながらの障害者には深い同情の念をしめすけど、生まれたあとの障害者(後天的な障害者)には、まったく同情の念をしめさない。まったくそういうことについて考えたことがない一般人のように「そんなのは、努力すればできる」「そんなのはあまえだ」と考える。

俺はもともとできたけど、ヘビメタ騒音の一四年間で、できくなった。たとえば、一定の時間に起きることができなくなった。これは、生まれたあとに生じた障害なのである。俺はこういう表現はあまり好きじゃないけど、あえて言えば、後天的な睡眠障害者なのである。後天的な睡眠障害者である俺が「一定の時間に起きることができない』と言った場合、佐藤のような人間は「一定の時間に起きることができないなんていうのは、あまえだ」「そんなのは、努力すればできる」と考える。





わかい時間は絶対にもうかえってこない。
俺にとってはヘビメタに汚染された時間だ。

ヘビメタに汚染された時間でなければ……。俺が普通の人のように、「ふつう」のわかい時間を使えたなら……。わかい時間。わかい時間。わかいときの、楽しい時間……。これが、生きていくのに大切なんだよ。それは、思い出としてだけではなくて、やはり、積み重ねと連鎖がある。

気違い兄貴よ。俺のわかい時間をかえして。

気違い兄貴が息をするように鳴らしていた時間、俺はずっとくるしかった。くるしくてくるしくてたまらなかった。いまもその頂点にいる。頂点の時間ということだけどな。

2020年5月13日水曜日

道徳的で認知療法みたいな考え方が好きな人たちは頭がおかしい親の強烈さがわかってない


いちおう、道徳的で認知療法みたいな考え方が好きな人たちは、普通の家で育ったんだよ。頭がおかしい親にやられなかった。頭がおかしい親の強烈さがわかってない。根本的な考え違いは、ここらへんから発生しているような気がするなぁ。

あとは、野宿の旅で言いたいことなんだけど……前向き思考とかそういうのも、なんていうのなかな?? ……気違いが気違い的こだわって鳴らす……気違いヘビメタ騒音のあとはだめなんだ。そんなんじゃない。世界がちがう。これ、ほんとうにちがうんだよな。普通の人は、フィクションとして、ヘビメタ騒音のことを考える。あるいは、第二次大戦時のナチス収容所の暮らしについて考える。どれだけ、苦しい生活をしていても、希望を持つことは可能だ……。前向きな思考をもっていれば、損なのはなんでもない……。とね。けど、ちがうんだよ。だいたい、この人たちは、気違いヘビメタ騒音生活を経験してない。そして、ナチス収容所の暮らしは案外、短い。ヘビメタ騒音にくらべればずっと短い時間で終わっている。収容所の生活は、(おなじ収容所で暮らしている)他の人も経験したことだけど、ヘビメタ騒音……真横の部屋のヘビメタ騒音は俺しか経験してない。どれだけ苛烈か、他の人には、わからない。フィクションとして聞いているだけだ。ぜんぜんちがう。

自転車・野宿のたびは、人生の中でやりたかったことのひとつだ。

まあ、時期的なことを考えないのであれば……。
……そして、体力的なことを考えないのであれば……自転車・野宿のたびは、人生の中でやりたかったことのひとつだ。

ダイヤ君とそんなたびもよかったかな。ダイヤ君は俺とバイクでツーリングに行きたかったみたいなだよな。ヘビメタ騒音におかされてなかったら、そういうこともできたな。あとは、なんか、内山君もそういうタイプだ。

騒音で楽しむことができなくなった。騒音で、楽しみを生み出す精神回路が壊れた。

2020年5月11日月曜日

「うちのやつら」に対する怒りを表現せずに、関係のな人と向かい合っているのは、くるしいよ


外に出るとき、強烈に腹が立つわけだけど……他の人には関係がないというのわかる。なので、ものすごく、イライラして外に出るわけだけど、向かい合った人には関係がないので、平静を保って、怒っている様子を見せないようにしなければならないのである。俺はずっと、そうしてきた。

ヘビメタ騒音にやられたときも、気違い親父にやられたときも、ずっとそうしてきた。けど、それが、「外に出たくない気持ち」「人と会いたくない気持ち」に影響をあたえている。

普通、引きこもり問題などを考えるときは、そういうことは、考えられない。無視される傾向がある。けど、ものをそろえるとき、ヘビメタ騒音が鳴っていたということは、俺の人間関係にものすごい、影響をあたえている。ほんとうに、人と会うのがいやになってしまうのである。でも、じゃあ、うちでつぶれていると、ずっとヘビメタ騒音をあびてしまうので、「パス」したときも、ダメなのである。発狂的な気持ちがつきまとう。パスというのは、行くのをやめてうちにとどまることだ。行く用意をしているときに、破滅して、発狂して行けなかったとしても、別にいいことが起こるわけじゃない。そういうことがある。

ともかく、なんだか知んないけど、ヘビメタ騒音による引きこもりと、他の理由による引きこもりは、だいぶちがう。印象がだいぶちがう。そして、社会的な引きこもりはものすごく、印象が悪いのである。これも、ヘビメタ騒音によって生じたハンディのひとつだ。障害なんだよ。

人生経験のとぼしいやつらは、考えることができない。気違い家族経験のとぼしいやつらは、考えることができない。「そんなのはない」と考える。あるいは、「あったとしても、そんなことに影響を受ける必要はない」と考えてしまう。それが傲慢なんだよ。無理解なんだよ。そりゃ、ただ単に経験したことがないからわからないことだということを言いかえているにすぎない。経験の数は重要だ。どれだけ、繰り返されたかということは、重要だ。そういうことを、全部無視して「気にする必要がないことを気にするのはおかしい」と決めつけてしまう。


あー、ともかく、「うちのやつら」に対する怒りを表現せずに、関係のな人と向かい合っているのは、くるしいよ。

気違い兄貴が「無視」して鳴らす態度が、気違い親父そっくりだし、気違い兄貴が「やりきったら」やってないつもりになってしまうのも親父おなじだ。こんなの、他の人にわからない。「気違い」とつけているから、文が成り立つけど、「兄貴が」とか「親父が」成り立たない。へんなことを言っているよう気持ちになる。聞いた人は、言っている人が矛盾のあることをいっているような気持ちになる。そりゃ「やったってやってない」なんておかしいからな。気違い的な意地でやったことを、気違い的な意地で認めないというのはおかしい。けど、やっているときの態度と「やったということ」を認めないときの態度が、おなじなんだよ。

気違い兄貴がこだわってこだわって、しつこくしつく、行きをするように、ヘビメタを鳴らしたので、俺は、学校では愚痴らなかったけど、親友には愚痴った。いま書いているような内容を愚痴った。こういうことも、親友との関係に影響をあたえている。気違い兄貴が鳴らさなかったなら、俺が兄貴のヘビメタ騒音について愚痴ることもなかった。

気違い兄貴のほうがしつこく、何回も何回もヘビメタを鳴らしている。ぼくが他人にグッタ回数がおおいにしろ、気違い兄貴がヘビメタを鳴らした回数よりも回数が少ない。兄貴のこだわりが他の人にはわからない。「うちでなら、どれだけ鳴らしてもいい」という気違い兄貴の、『うちでのかんかく』はよそのひとにはまったくわからない。だから、本来ならゆるしてやるべきことにこだわっているように見えてしまうのである。『騒音なんて俺だって鳴ってた(経験した)』と言って、幼稚園の騒音に文句を言う人をバカにする人がいるけど、それは、そいつの頭がおかしいだけだ。これ、バカにしただけではなくて、幼稚園をうったえた人を、こともあろうに、気違い呼ばわりしているのである。幼稚園をうったえた人を気違い呼ばわりするやつが気違い。

けど、俺は、幼稚園の騒音は、別によかったんだよ。そういうことじゃないんだよ。これを言ってしまうと、いま現在「幼稚園の騒音」に悩まされている人と、対立関係になってしまうのだけど、ちがうものはちがうんだよ。幼稚園の騒音に悩まされている人も、気違い兄貴の騒音がどれだけでかくて、どれだけしつこいかわかってない。




2020年5月8日金曜日

なにかをそろえて、時間通りにどこかに行こうとすると、気違いヘビメタのことが思い浮かぶ


外に出るために着替えているとき、「ヘビメタが鳴っていた!!!」「ヘビメタが鳴っていた!!!」「ヘビメタが鳴っていた!!!」とさけびたくなる。さけんだ。何回もさけんだ。俺がどれだけデカイ声でさけんでも、気違い兄貴が鳴らしていたら、その声がかき消されてしまうほど、デカイ音で、鳴らしていた。気違い兄貴がヘビメタを、ものこずく、でかい音で鳴らしていた。「気違い兄貴が、ものすごく!!!でかい音でヘビメタを鳴らしてた」「気違い兄貴が、ものすごく!!!でかい音でヘビメタを鳴らしてた」「気違い兄貴が、ものすごく!!!でかい音でヘビメタを鳴らしてた」と絶叫したくなる。どれだけデカイ声で絶叫したって、気違いヘビメタの数分のイチの音だ。数十分のイチの音だ。人間が感覚する音と、物理的な音のデカさはちがう。で、数分のイチ、数十分のイチというのは、人間の感覚で考えた場合の数分のイチ、数十分のイチの音という意味だ。

も、のすごい、音でヘビメタが鳴ってた。いいわけがないだろ。こんなの毎日、続いていいわけがないだろ。ほんとうに、佐藤みたいなやつが、ヘビメタ騒音のことを過小評価する。「いっくら鳴らしてたと言ってもそんなでかい音で鳴らしているわけがない」と思うわけだ。俺の部屋を中心にして考えるとそうだ。幼稚園の園舎の中でどのくらいの音で兄貴のヘビメタが聞こえるのかわからない。距離は重要だよ。音のデカさは距離の自乗に反比例するからね。本当にわかってない。「親がなにも言わないのはおかしい」……本当にわかってない。そういう、人生経験が少ない、頭が悪いやつから、常に誤解を受けるんだよな。
そういうふうになっている。気違い親父がへんな理由で起こった場合、そのへんな理由が、他の人にはわからないというのとおなじだ。他の人というのは、やられた人の話を聞く他の人という意味だ。

赤の他人、家族ではない人、いっしょの家に住んでいるわけではない人のことだ。そういう人たちは、やられた方の話を聞いても、ちゃんと、ほんとうのことを理解することができない。自分の「人間」のなかに親父みたいな人間が含まれないからだ。自分のなかにある「人間」という概念のなかに、「うちの親父」のような人間が含まれないからだ。きっと、なにかちゃんとした理由があるのだろうと勘ぐってしまう。ゲスノカングリで、まちがっているのだけど。そういうふうに思ってしまう。子供にはわからないけど、親はちゃんとした理由で怒っているわけで、頭がおかしい理由で怒ることなんてない……と考えている。人生経験が少ないから、例外がわからない。そりゃ、人生の中でそういう頭がおかしい親にたたられたことがなければ、わからないだろ。

ともかく、なにかをそろえて、時間通りにどこかに行こうとすると、気違いヘビメタのことが思い浮かぶ。学校に行くとき、気違いヘビメタが鳴っていたからだ。休みの日、どこかに行くとき、気違いヘビメタが鳴っていたから。持って行くものをチェックするとき……ヘビメタが鳴っていたからだ。チェックするときと書いたけど、チェックしたいときという意味だ。気違いヘビメタが鳴っていると、発狂的な気持ちになって、うまくチェックすることができない。このチェックしなければならないのに、騒音でチェックすることができないというこまった状態が、人生の中で、長時間続いた。何回も何回もそういうことを経験した。十数年間にわたってそういう状態だと、何万回もそういうことを経験することになる。そうなると、一五年目にヘビメタ騒音が鳴ってなくても、ものをそろえなければならないときは、へんな緊張が走るのである。ものすごく切羽詰まった気分になるのである。うまくいかない気分になるのである。

今日は、ゴールデンウィークがあけた平日だけど、ゴールデンウィークは、この時間……午後二時ぐらいも、ずっとヘビメタが鳴っていた。毎年毎年、そうだ。いいわけがないだろ。心の平静が保てるわけがないだろ。気違いヘビメタ騒音に毎日毎日たたられることがなく、普通に暮らしてきたやつが「どんな場合でも、心の平静を保つことは可能だ」というようなことを言う。おまえらのほうが世間知らずだ。気違い知らずだ。どれだけ、気違い家族がたたるかわかってない。わかってないだけの話だ。

2020年5月6日水曜日

どれだけの障害になるか


つまんねぇ~~
これが俺の本心。

いまのねーー。いまの、本心さ。

どんだけヘビメタでつらかったか。
どんだけヘビメタでくるしかったか。

鳴っている……。鳴っている。これ、鳴っているときの雰囲気だ。
どれだけ言っても、やめてくれなかったんだよな。呼吸をするように、いつも、あたりまえのように、鳴らしていた。やめてくれなかった。どれだけ言っても、やめてくれなかった。

つもる……。つもる……。不愉快感がつもる。つかれがつもる。『負の時間』がつもる。『負の時間』だからなぁ。ただ単に、むだな時間じゃない。激しく悪影響をあたえる時間。その時間だけではなくて、割ったあとの時間にも激しく悪影響をあたえる時間。

終わったあと、どれだけくるしいか。どれだけ、つらいか。そういう思いを一日も体験したことがないやつが、えらそうなことを言う。

「ちがう」って言っているでしょ。そんなもんじゃないんだよ。ヘビメタ騒音の『負の効果』について、見誤っている。だから、そのあとの結論や意見が、全部まちがったものになる。そして、そういう結論や意見が、ものすごく、失礼なのである。俺に対してものすごく失礼だ。それも、見誤っているから、わからない。

2020年5月2日土曜日

「ついにこうなった」感がつよい。

庭を見る。
「ついにこうなった」感がつよい。
ついに、こうなったか。ついに、こうなったか。
あそこで、ダイヤと花火をしたなぁ。
あーあ。

2020年5月1日金曜日

鳴り始めた当時……俺は小学六年生だったんだぞ


ほんとうに、ヘビメタ騒音で人生がない。これは、おかしな人生だ。

ほんとうに、だれも、一日のヘビメタ騒音のすごさがわからない。どれだけがんばっても、破滅破綻だ。いいことにならない。「元気だ元気だ」と言ったって、元気にならないし、眠れないときは眠れないときで、どれだけ「眠れる」「眠たくなってきた」と言ったって、眠たくならない。

これ、ヘビメタ騒音にずっとさらされていると、鳴り終わったあと、眠れなくなる。ずっと眠れなくなる。あの生活がどれだけきついか、他の人にはまったくわからない。わからないところで、アドバイスをするから、そのアドバイスはだめだということを言わなければならなくなる。

ほんとうに、だめなんだよ。
使えないんだよ。

何回もトライしたけど、まったく意味がなかったの!!!

それどころか、重荷になるようなことばかりなんだよな。ヘビメタが一日じゅう、「なりやまなければ」意味がない。鳴りやむのがさき。鳴りやまない状態で、どれだけ、その人が考えるいいアドバイスをしても、むだ。その人が考えるいいアドバイスというのは、俺の実態を無視している。俺のほんとうの状態を無視している。鳴らされているときの俺の状態を無視している。六時間から一三時間鳴らされたあとの、俺のからだの状態を無視している。

だから、使えない。

けど、どれだけ相手が傷つかないように、そういうことを説明したとしても、「体験してない人は」わからない。「そんなのやってみなくちゃわからないだろ」とか言う。「やったの」。だから、「やったんだよ」と言っても、それで、相手の機嫌がなおるということがない。

やはり、相手は、「アドバイス通りやってみるよ」というような返事を期待している。それが、否定されるわけだから……気分がよくない。さらに、たとえば、数日後に「アドバイス通りにやったら、よくなったよ」「ありがとう」というようなことを多少は期待している。

けど、「だめだ」と言われて腹が立つ。
気分が悪くなる。

けど、ほんとうに、実際の状態が、わからないままアドバイスしているんだよ。俺とおなじ部屋で暮らして、ヘビメタ騒音がどれだけひどいか経験してみてよ。一日だけでもたまったもんじゃないけど、一〇〇日、一〇〇〇日、続いた場合の「一日」を経験してみてよ。こんなの、ほんとうに……。どんだけ、つらいか。ほんとうに、眠れない。

こういうのだって、俺が睡眠薬をのんだってだめなんだぞ。気違い兄貴の騒音のなかで……ガンガンドカドカ鳴っているなかで、振動が響いているところで……睡眠薬なんて毎日飲んで、暮らしてみろ。ほんとうに頭がおかしくなってしまうだろ。俺は、当時……鳴り始めた当時……俺は小学六年生だったんだぞ。鳴りやむのが、さきなんだよ。なんでこれがわからないのか。鳴りやまない状態で、睡眠薬を飲んでもだめなんだよ。ほんとうに、まるまるしてやりたい。




2020年4月29日水曜日

「俺は、もういい」「俺は、もう、いやだ」と絶叫しそうな気持ちになる

俺がやりたそうなことでも、なにかいやな部分があってやりたくない。「俺がやりたそうなこと」っておかしくないかな? と思った人もいるだろう。自分のことなのだから「やりたい」か「やりたくない」のかわるだろ! と思った人もいるだろう。けど、ほんとうに、そんな感じなのだ。自分の感情を外から見ている感じだ。自分の「やりたいきもち」というのが、外見でしかわからないような感じだ。「やりたいきもち」に外見なんてあるのかよ? と思った人もいるだろう。その通り。「やりたいきもち」に外見なんてないよ。だから、まあ、「比喩的に」「擬人化して言うと」そんな感じになるということだ。


+++++++++
なんかやらなきゃならないことがひとつでもできたら、「俺は、もういい」「俺は、もう、いやだ」と絶叫しそうな気持ちになる。そのために動くことを考えただけで、破滅的な気分になる。
けど、「やらなきゃならないこと」がけっこうあるんだよ。普通の状態なら、すぐにできることなんだけど、いまの状態だとなかなかできない。


ヘビメタ騒音で根っこの部分から、つかれはてている。ほんとうなら、……ヘビメタ騒音生活がなければ、簡単にできたことなのに……。ヘビメタ騒音生活を経験してから、まるで手に届かなくなってしまったことが多い。まるで、できなくなってしまったことが多い。もう、意欲からしてちがうんだよな。選択肢うんぬんと、前投稿で書いたけど、これは「状態」なんだよ。積み重なる、三次元的な状態。時間も入れて四次元的な状態。普通、時系列的なことは、時間の流れとして、線としてとらえるけど、「やれないこと」が幾何級数的に、あるいは、三次元的にひろがってしまうのが、ヘビメタ騒音だ。ヘビメタ騒音が毎日、気違い的な音で鳴っているという生活の影響だ。これ、わからないんだよな。他人は……ヘビメタ騒音を経験してない他人は「過去なんて関係がない」とか「どれだけ鳴ってたって、たいしたことじゃない」と言うけど、それは、わかってないだけだから。自分が、おなじようなことを経験すればわかる。それは、自分が嫌いな音が鳴っていたという場合だ。別に、ヘビメタが好きな人は、鳴ってたってかまわないわけだから……。ものすごくでかい音で鳴っていると、こまる音が鳴っていた場合の話しだ。そして、それを鳴らしている人間が家族だという場合の話しだ。家族だから!!!どれだけ、めんどうなことになったか。か・ぞ・く・だから。これ、「家族なんだから、言えばやめてくれるだろ」と思う人は、どうかしている。というか、そういう人は、逆立ちして考えても、俺が言っていることがわからない。俺が言っていることがまったくわからないということが、俺にはわかる。もう、ぜんぜんちがう。で、そういうことを思う人間のほうが、俺のような特殊な家族にやられた人間よりも、おおいんだよな。おおい。圧倒的におおい。この人たちは、考える資格がないと言ってていいほどわからない。

2020年4月26日日曜日

ある時点の選択肢自体に影響をあたえる


俺がつらい。
この世の雰囲気というのがぜんぶ、ヘビメタ騒音に汚染されていく。動きたくない状態で、動きまくると失敗が増えていくのに、動かなければならない状態で動くことになる。これは、ヘビメタ騒音が鳴っているから、そうなる。ちがうんだよな。ヘビメタ騒音は……日常のヘビメタ騒音はほんとうに「選択肢」にものすごい影響をあたえる。これも、時系列的に、ヘビメタ騒音の失敗が積み重なっていかなければ、わからない。ヘビメタ騒音でからだがだるい。だるい体を動かして社会に適応しなければならない状態……で、がまんして、がまんして、がんばってがんばって、動いている……状態がつみかさらなければわからない。状態が結果をうむ。しんどい状態で、がんばって動いても、いやな結果しか招来しない。けど、それが他の人にはわからない。そして、帰れば、夜中まで、気違いヘビメタが鳴っている。どれだけ、何回も、「やめろ」と言いに行っても、気違いが、気違い的なモードで無視しておしまいだ。殺さなければ、ヘビメタ騒音が鳴っている状態が持続してしまう。そして、それは、日中の……ヘビメタ騒音が鳴ってない……ヘビメタ騒音とは関係がない人とのあいだの……出来事に……影響をあたえてしまう。不可避的に影響をあたえる。それは、波及する。二乗、三乗になる。ともかく、倍々で増えていく。三乗で増えていく。幾何級数的に増えてしまうのだ。だから、ある時点の選択肢自体に影響をあたえる。時系列的にヘビメタ騒音の影響を受けた「出来事」が積み重なっていく。一日目と、二日目はちがう。二日目と三日目は、もっとちがう。三日目と四日目はもっともっともっとちがう。いやなことが積み重なってしまう。四日目の選択肢は、一日目、二日目、三日目のいやなことが影響をあたえて、かぎられたものになる。二乗、三乗の世界なので、四日目ぐらいまでのことを言われてもぴんとこないかもしれないけど、それが一〇〇日、積み重なったらどうなるか? 一〇〇〇日積み重なったらどうなるか。四〇〇〇日、五〇〇〇日積み重なったらどうなるか? そりゃ、五〇〇〇日目はもう、取り返しがつかないことになっている。

他人は「鳴り終わったら関係がない」などと言う。その他人はやられてないから、わからないだけ。その他人が無視しているところがあるんだよ。

2020年4月23日木曜日

「元気だ元気だと言えば元気になる」のであれば、医者も病院も薬も必要がない。


「元気だ元気だと言えば元気になる」と言っている人は、このとは科学的に確かめられたことで、事実だと言うのだ。しかし、元気だ元気だと行っても、元気にならない場合がある。元気だ元気だと言えば、かならず、どんな場合でも、元気になるのであれば、医者も病院も薬も必要がない。なぜなら、「元気だ元気だ」と言えば「元気になる」からだ。ちなみに、「元気だ元気だと言えば元気になる」「これは、実験によって確かめられたものだ」ということを言う人は、実験の意味も実験の結果もわかってない。何度も言うけど、「元気だ元気だと言えば元気になる」のであれば、医者も病院も薬も必要がない。

「元気だ元気だと言えば元気になる」と言う人たちは、言霊思考に支配された人たちなので、「私は病気にかからないと言えば、病気にかからない」とも言う。あるいは、「私の病気は治ると言えば、病気は治る」と言う。私は病気にかからない」とひとこと言えば、病気にかからないのであれば、みんなが、そういうふうに言えば、病気にかからないわけだから、病人がいなくなる。

しかし、病院には病人がいる。これは、「私は病気にならない」と言ったにもかかわらず、病気になる人がいるということを意味している。「私は病気にならない」とひとこと言えば、病気にならないのだから、こんなにすばらしいことはない。みんなに教えてあげればいい。そうすれば、すぐにでも、病人がまったくいない世界になる。病院も薬も必要がない世界になる。

しかし、「私は病気にならない」と言うことでは、「病気になる」ことをふせげないので、病人もいるし、病院や薬もある世界のままなのである。

また、不幸にも、病気になってしまった人は「私の病気は治る」とひとこと言えば、なおってしまうのだから、いつまでも病気でいる人はいない。「私の病気はなおる」とひとこと言えば治るのだから、いつまでも病気でいる人は、病気でいたい人だ」と言霊の世界に住んでいる人は言い出す。

さらに「病気と仲良しにしたいと思っているから、病気になる」「病気が好きだから病気になる」などと言い出す。これは、自分が病気にかかってないという有利な立場を利用して、すでに病気にかかっている人をののしっているのとおなじだ。なぜなら、病気を治すには、「私の病気は治る」とひとこと言えばいいのに、そういうことを、さぼってしないから、ダメなのだということになるからだ。

実際、そういうことを言う人たちは、そう信じている。言霊の世界に住んでいる人は、本気でそういうことを言っている。しかし、こういう人が、新型ウィルスによる病気がはやれば、マスクを買い求めたりするのである。「私は新型ウィルスによる病気にはならない」とか、あるいはたんに「私は病気にならない」と言えば、マスクなんて買わなくてすむのである。マスクを買いとめるという行動をするということは、自分が言っていることが、嘘であるということを知っているからだ。

ようするに、自分は病気にかからないだろうと思っているときは、「病気にかからないと言えば、病気にかからない」ということを、他の人に!!言うわけだ。そのときは、そのときで「いいことを教えてやっているつもりなのだ。そりゃ、病気にならない方法を教えてやっているのだから、いいことをしているつもりになるだろう。

しかし、そういうことを言われているほうは、気分がよくないのである。言われたほうが、不愉快になる理由については、すでに述べた。言霊を信じるのは勝手だけど、他の人に「助言」するときは、へんな決めつけはするべきではない。まちがった信念に基づいて、他人をディスっている(攻撃しているのだから)やられた方は、不愉快になる。それが、言霊の世界のなかで生きている人には、まったくわからないんだよな。

どうしてわからないかというと、言霊の世界のなかで生きている人にとってみれば「(病気になる)言ったから病気になる」「病気は治ると言えば治る」「病気にかからないと言えば病気にかからない」ということが、絶対的に正しいからだ。だから、「いつまでも、病気でいるのは、病気が好きだからだ」ということになってしまう。あるいは、「病気を本気で治そうとしていないから、ダメなのだ」ということになってしまう。そんなふうに言われて、いい感じがするやつはいない。言霊信者は、まちがった信念にもとづいて、人を傷つけるようなことを言っているのに、自分がそういうことをしているとは考えない。

2020年4月22日水曜日

俺以外の人間は、だれも、この意味がわからない


すべてがヘビメタ騒音でくるしくなった。
俺以外の人間は、だれも、この意味がわからない。
すべてがヘビメタ騒音でくるしくなった。

ヘビメタ騒音で実際にくるしい。いろいろと誤解される立場におちいるんだよな。
けっきょく、他人は、自分がこの世で一番嫌いな音を、ものすごくデカイ音で、何時間も何時間も、聞かされ続ける毎日というのを経験してないんだよな。
まいにち、つもって、どれだけのことになるか?


「まいにち、つもって、どれだけのことになるか?」まったくわかってない。

で、もの言いやがる。
いわく。「ちゃんとしたほうがいい」。いわく。「働いたほうがいい」。いわく。「できないなんてことはない」。いわく。「過去なんて関係がない」。いわく。「だれだってくるしい」。いわく。いわく。いわく。

ほんとうに頭にくる。頭にくるんだよ。頭に。
腹が立つんだよ。腹が。








俺が注意したとき、気違い兄貴ヘビメタをやめて、普通の音で鳴らしてくれたら、こんなことになってない。親父みたいにこだわって、気違い的な意地で、気違い的にでかい音で鳴らしたからこうなっている。これも、「言い訳するな」とか言い出すやつらがかならず出てくる。そいつらは、気違いヘビメタを浴びた生活をしてない。本人が「俺だってつらいことはあった」。「俺だって騒音ぐらい経験している」と行っても、気違い兄貴の気違いヘビメタを毎日、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も、経験しているわけではない。だから、ちがう。ちがうからちがう。こいつらは、こういうことも、まるでわかってない。理解力や共感する能力が低いのはこいつら。
気違い兄貴が無視して、頑固に頑固に、自分のやりたいことをやると、俺が誤解を受ける。説教されるポジションにおちいる。不可避だ。ゆるせない。

2020年4月21日火曜日

これ、こたえが出ない


これ、こたえが出ない。ほんとうにくるしかった。他の人がわかってないだけだ。あの騒音生活が、どれだけくるしいかわかってないだけ。ほんとうに、ヘビメタ騒音の効果を過小評価するやつは、俺を過小評価する。俺という存在自体を過小評価する。
しかも、「はたらく」とかそういうことについては、共同幻想がそのご認識誤認を支持するので、たちが悪い。俺だって、自分が経験しなければ……ほんとうにそのぶん……経験しなければ、……誤認したと思う。これ、ほんとうにちがうんだよ。「聞いた話し」と「実際の話」がちがう。
ヘビメタ騒音に関する俺の話を聞けば「そういうことがあったんだな」ということは理解できるけど、実際に一日やられたときの、鳴ってない時間の感覚がまったくわからない。鳴ってない時間のつらさがわからない。なおさら、鳴っているときのつらさがわかるはずがない。気違い兄貴の態度ですら、こっちがどれだけ細かく説明しても、わからないやつらがいる。多い。そいつらにしてみれば「そんな人、いるのかな?」と思えることだ。
そういう、ぼけた感覚と、実際に向かい合ったときの感覚がちがう。あの破壊的な騒音なかで、向かい合って文句を言ったときの感覚がちがう。ほんとうに、気違い兄貴は、気違い親父のコピー。頭がおかしい。自分が悪いことをやっいるのに、悪いことをやっているつもりがない。絶対の意地で押し通すけど、「押し通した」という気持ちがない。認識がない。
けど、「やった」ということは、ほんとうはわかっているはずなんだよ。けど、自分がやったことが相手に影響をあたえているということは、ものすごく根本的なところで無視する。「やったってやってなくたって、まったくおなじ」なのである。主観的には、やり終わってしまえば、「やってない」という認識が成り立ってしまう。
たとえ、一日に一三時間鳴らしても、一三時間と一秒後には、「やってない」ことになってしまうのである。「そんなんじゃない」ということになってしまうのである。やっているあいだ、何十回、文句を言われても、文句を言われるたびに、自分がなにも悪いことをやってないのに相手が文句を言ってきたという感じしかない。
「なんだか知んないけど、不愉快なことを言われて腹が立った」という感じしかない。どれだけ言っても、自分の音で弟がこまっているということが、まったくわからない。認知しないのだから、毎日毎日、何十回、言われてもおなじなのだ。この、言われたときだけ、自分が不愉快なことを言われたという感じしかないまま腹を立てて、やりきるというのは、これまた、親父が頑固にやってきたことなのだ。
うちでは、毎日、普通に、何十年間も成り立っていることだ。
頭がおかしいから、ほんとうにわからない。わからないままなのだから、しずかにさせるとしたら、殺さなければならない。殺してやめさせなければ、絶対にやめさせることができない。そういうことを言うと、他の人は、大げさだと言うけど、ほんとうにそうなのだ。そして、これは、俺にとってでかいことだ。けど、はっきり言っておくけど、兄貴にとってみれば、ヨソの人、以上に関心がないことだ。
「そんなの知らない」とまったく関係がない人として無視できるのだ。
だから、際限がない。際限なくやられる。際限なく毎日やられることは……頑固にやっているのに、まったくやってないのとおなじだという態度で頑固にやられるのは……ほんとうにこまったことなのである。この、こまりかたが、他の人にはわからない。これまた、他人には「受けとめ方の問題だ」「言えばわかってくれるはずだ」と軽く言えるような問題なのだ。
そういうことではないんだよ。
これまた、どれだけ言ってもわからないだろうけど。これは、ルールが成り立っていない状態なんだぞ。普通だったら絶対にわかることがわかってない状態なんだぞ。こんな異常な状態で、気違い的にデカイヘビメタ騒音を押しつけられたらこまるに決まっているだろ。
生活全般に、大きな大きな影響をあたえるに決まっているだろ。制限付き、じゃないんだよ。そういう状態が毎日毎日成り立っていたら、人生に大きな大きな影響をあたえるに決まっているだろ。
けど、「過去なんて関係がない」と言っている人は、そういう大きな大きな影響を無視する。あたかも、なかったよとのように処理する。「そんなのは、こだわらなければいい」「そんなのは、影響をあたえない」と言いやがる。ほんとうに頭にくる。で、そういう他者との関係……は……気違い兄貴が気違い的なヘビメタ騒音を、鳴らすことにこだわらなければ、発生しなかったことなんだぞ。
「そんのは、こだわらなければいい」というのは気違い兄貴にむけられるべき言葉だ。
こだわらずに、「やめてくれ」と言われたら、やめてやればいいことなんだよ。けど、当時の気違い兄貴は、これがむりなことなのだ。一日に、一秒だってむりなことなのだ。
で、実際に、自分の意地を通して、一秒もゆずらないで鳴らしている。自分が満足できる音で鳴らしている。……どれだけなにを言われても、まったく気にしないで、怒ってヘビメタを鳴らし続ける。
気違い兄貴が、がまんして、自分が満足できな小さな音で一日中鳴らしていたなんてことはないんだよ。気違い兄貴がヘビメタを鳴らすときは、かならず、よその家ではあり得ないようなデカイ音なんだよ。影響を受けるに決まっているだろ。鳴ってない時間も、くるしい状態が続くに決まっているだろ。
どうして、鳴ってない時間のきつさがわからないのか? そんな一日で、いいわけがないだろ。鳴り終わったら、鳴り終わった途端に、一三時間鳴らされたことの影響が俺のからだから、立ち去るわけがなだろ。こういうのが、わかっない。やられてないやつはわかってない。一日もやられてないやつは、わかってない。一日もやられてないやつは、俺がどれだけ説明してもこういうことが、わからないままなんだよ。こいつらの視点からすれば、俺がこだわらなくていいことにこだわって、ぐちぐち文句を言っているということになる。俺は、ヘビメタ騒音にやられて、むちゃくちゃにくるしい状態で動いているのに、こいつらは俺のことを「さぼっている」と認識するようになる。こいつらは俺のことを「元気がないだめなやつだ」と認識するようになる。それだって、気違いヘビメタ騒音が発生しなかったら、発生してないことなんだぞ。俺がこの世で生活する上でヘビメタ騒音がどれだけたたっているか、おまえらにわかるか? わかるわけがない。そして、一日もヘビメタ騒音を経験しなかったやつらであり、俺をバカにしているやつからが……「俺だってくるしことがあったけどがんばって生きているんだ」なんてことを言い出す。それは、ちがうだろ。そいつらが通勤して働いているのなら、それは、通勤して働くと言うことが可能なレベルのつらいことであるわけだ。ぜんぜんちがう。

2020年4月20日月曜日

生きているこの感じが、くるしい


なんだかんだ言って、おもしろくないんだよ。
ヘビメタ騒音にやられちゃった人生……。……生活。
ほんとーーーに、くるしかった。で、くるしみが終わらない。やっぱり、くるしい。
生きているこの感じが、くるしい。生きているこの感じが、ヘビメタ騒音にやられていたときの生きている感じとおなじなんだよな。だれも、わかってくれないとは思うけど。

2020年4月19日日曜日

どれだけ「できるできる」と暗示をかけても、できない。鳴っているとできないの


ほんとうに、やめろといっているだろ……。どうして、俺だけ……。どうして、俺だけ……。どうして俺だけ、こんなことになっちゃうんだよ。やめろと言っているだろ。
こんなのはない。ほんとうに、鳴らされている日は、めちゃくちゃ。鳴らされている時間も、鳴らされたあとの時間もめちゃくちゃ。鳴らされたあとの時間が、どれだけめちゃくちゃか、他の人にはまったくわからない。わからないから、影響がないと思ってしまう。だから、「できる」と思ってしまう。できない」のに。俺が気違いヘビメタの中で、切羽詰まった状態で、どれだけ「できるように」がんばってきたと思っているんだ。その時間が全部、できないんだぞ。

実際にはできない。

どれだけ、やろうと思っていても、どれだけ「できるできる」と暗示をかけても、できない。鳴っているとできないの。本当に鳴っているからできないわけで、鳴っていなかったら、軽くできることなんだよ。ほんとうに、すべて、なめられる。すべてというのは、イ・ラショナルじゃない。

この、すべてを、イ・ラショナルだと考えるのが、イ・ラショナルナのだ。けど、これまた、やられてない人にとってみれば、それがわからない。俺が、イ・ラショナルナことを言っていると思ってしまう。けど、ちがうんだよ。実情を知らないボンボン、お嬢さんだからわかってないだけ……というのに、似ている。というか、おなじだ。実情を知らないからわかってないだけなのだ。そして、俺が言っていることがイ・ラショナルナことだと結論づけてしまう。

そういうことも含めて、俺がなめられる。ほんとうにおなじ目に遭ったことがない人間に、なめられる。不当になめられる。まちがった前提でまちがったことを言われる。そうなる。佐藤のことについてだいぶ詳しく説明したけど、佐藤とのあいだに起こったことが普通の人とのあいだに発生してしまう。佐藤は、一般的な例として、あげただけだ。「人間は働くべきだ」「ヘビメタ騒音なんて、どれだけ鳴っていると言ったって、たいしたことじゃない」と思ってしまう人間はいっぱいいる。例として出しておいただけだ。

2020年4月16日木曜日

この認めなさが、また、ひどいんだよ

昨日、帰ってくるとき自転車をこぐのがきつくなって、自転車を引いて歩いた。
まあ、そうやって、のんびりと帰ってきた。
ほんとうに、つかれている。




ヘビメタで人生がない。あれだけやめろと言ったのに。あれだけ、やめろと言ったのに。ほんとうに、気違い野郎が……。ほんとうに、気にしないで鳴らす。どれだけ言っても、無視して鳴らす。鳴らしたって、ぜんぜん悪いと思ってない。〇・一デシベルでもしずかにしてやれば、それで「しずかにしてやった」と本気で思える。ぜんぜんしずかになってないから「ちゃんとしずかにしてくれ」と言いに行くと「しずかにしてやったのになんだ」と気違い思考で怒り狂う。で、絶対にきいてやんねぇ……モードで……やりまくる。


で、そういうモードでやりまくったことは、ほんとうに、「やってない」のとおなじなのである。記憶はちょっとはあるかもしれないけど、ぜんぜん自分に関係がないことなのである。「やったってやってなくたっておなじことなのに、こいつはなにを言っているんだ」という気持ちにしかならない。


で、そういう気持のまま、そういうモードでやり続ける。兄貴がそういうモードでやり続ける。毎日、どんなに細かい時間も、すべての時間、気違いヘビメタを鳴らしているのに、本人は、まったく気にしない。「やっているつもりがとくにないまま」鳴らし続ける。それは、おかしい感覚なのだけど、そういう感覚で鳴らし続ける。

で、こういう感覚は、親父にも成り立っている。というか、親父のまねをしたという感じだ。気違い兄貴が親父のまねをして、親父の感覚で、ヘビメタを鳴らし始めたということだ。ほんとうに、うちではあたりまえ、なのである。気違い兄貴が〇歳の時から、気違い兄貴がヘビメタを鳴らし始める一五歳の時まで、いつも、気違い親父はこういう感覚だったんだぞ。おなじなんだよ。感覚も態度も、モードもおなじ。そういうふうに、「はいっちゃっている」。そういうふうに「できている」。そうしたら、「うちではあたりまえ」なんだよ。矛盾した態度、矛盾した行為なのだけど、普通に成り立っている。

で、そういうふうにしているほうは、利益がある。ほんとうは「やっちゃいけないこと」を普通にやることができる。しかも、本人のなかでは「とくにやってない」という記憶が残る。あるいは、「やったかもしれないけど、そんなのは(やったとしても)問題がない」という認識だけが残る。相手の必死さ、なんて、まったく関係がないのである。相手がどれだけしつこく言っても、関係がないのである。まるで自分に関係がないことで文句を言われるような感じしかないから、そのとき!!!「おこって」おしまいなのである。

で、やり続ける。「おこって」おしまいと書いたけど、このときの怒り方が尋常じゃないのである。気違い家族がいるひとじゃないとわからない。そういう人間が家族であるような人しかわからない。ほんとうに想像を絶する気違い的な意地で怒るし、認めない。この認めなさが、また、ひどいんだよ。

けっきょく、全部やりきっているのに、「そんなのぜんぜんやってない」「なんだそんなこと言ってきて」と思ったまま、やってないつもりでやりきる。それだってなんだって、あたりまえなのである。気違い親父の「家での態度」というのは、つねにそうだった。ときどきそうなるわけじゃなくて、つねにそうなのである。

これは、会社でいやなことがあったから、八つ当たりしているということとはちがう。あるいは、そういう態度全体とはちがう。まったく、ちがう。けど、他の人はそういうことの類推でしか、うちの親父の態度、うちの兄貴の態度のことを、理解できない。

それじゃ、そういう「あたまのくせ」がある人のやっていることだから、ゆるせるかというとそうじゃないんだよ。ゆるせないことは、ゆるせない。これも、他人は……。

2020年4月15日水曜日

長期騒音病はうつらないので、他の人にとってはどうでもいいことだ


これは長期戦になりそうだな。
どこかで外出制限を廃止すると、ふりだしにもどるというような感じだから、一年ぐらいはこんなことが続きそうだ。
俺はコロナとは関係なく、だるい。これは長期騒音病なのだ。長期騒音病はうつらないので、他の人にとってはどうでもいいことだ。

2020年4月12日日曜日

「うけとめかたのもんだいだ」という言葉では相対化できない部分がある


まあ、起きたあとのんびりして、他人のブログを読みまくる。
最近思うのだが、やはり、他人のブログを読む時間が長すぎる。
おきてから他人のブログを読み終わるまでで、そうとうに目を使っている。これは、やばい。ぼくはもう、残された目の力を、温存しなければならないような状態になっている。わかいときとはちがうのだ。
永遠に続くいのち……ではないけど、普段生きているときは、すぐに死ぬとは思ってない。思ってない。

死にたいというのは、苦しみたくないということだ。ほんとうに死にたいわけじゃないのである。「つらい状態」から離脱したいということなのである。じゃあ、「つらい状態」というのはなにかというと、これは、人によってちがう。本人が「つらい」と思ったら、他の人から見て「つらそうじゃない」状態でも、「つらい」状態なのだ。だから、本人が決めることだ。

これを、「おもいようだ」と言うつもりはない。「うけとめかたのもんだいだ」と言うつもりがない。どうしてなら、「おもいようのもんだい」でもないし「うけとめかたのもんだいでもない」からだ。

人間にはいままで生きてきた文脈がある。その文脈から離れて「うけとめかた」を考えてみてもしかたがない。「うけとめかたのもんだい」「おもいようのもんだい」という言い方は、すべてを相対化してしまう。だから、一見、「できそうにみえる」けど、「みえるだけ」。もし、受けとめ方の問題だという言い方で納得ができて、別の受けとめ方をすることができる人間であれば、「つらい」と思ってないのだ。

「うけとめかたのもんだいだ」と思ってどうにかなるような「ちいさな」問題は、じつは、(本人にとって)死にたくなるような問題ではない。受けとめ方を変えようと意識的に思ってもどうしても、本人が「つらい」と思ってしまう、あるいは、感じてしまう問題がある。その問題に関しては、じつは「うけとめかたのもんだいだ」というような相対的な文言は意味をなさない。

「うけとめかたのもんだいだ」と言い切ってしまう人は、その人にとって感じる問題が、すべて、「ちいさなもんだい」である場合しか経験してない。ようするに、「うけとめかたのもんだいだ」「だからきにするひつようがない」「だから、つらいとおもうひつようがない」と思って、相対化できるような問題しか経験したことがない人なのだ。そういう人は、いると思う。

しかし、そういう「ちいさなもんだい」しか経験してない人ばかりではない。その場合、「ちいさなもんだい」しか経験してない人には、「おおきなもんだい」が目に入らないし、そういう大きな問題を抱えている他者というのも目に入らない。そもそも、存在ない。

どうしてなら、「おおきなもんだいだ」と感じるのは、個人の受けとめ方の問題だからだ。「ちいさなもんだい」「おおきなもんだい」と言ってきたけど、それは、「個人」によって「相対化される」。べつに、客観的な世界に物理的なものとして「もんだい」が存在しているわけではない。だから、いちおう、説明するために利用した「ちいさなもんだい」という言い方「おおきなもんだぃ」という言い方も、ここでは、相対化される。

しかし、だ……。しかし、文脈はあるというのが俺の考え方だ。「うけとめかたのもんだいだ」という言葉では相対化できない部分がある。それは、物理存在ではないけど、その人が実際に生きてきたことによってしょうじる、積み重ねの認知システムとして存在している。その人のなかに……。

2020年4月8日水曜日

「やめろ」と言われたときの反応がおかしい。これも、他の人には絶対にわからないところなんだよな


ヘビメタ騒音でうまくいかない。
あのときの、感覚が、ある。ある。
他の人には、わからない。

どれだけの繰り返しがあったか……。たとえば、気違いヘビメタ騒音を経験したことがない他人は「ヘビメタ騒音でうまくいかない」という言葉を聞けば、「へびめたそうおんのせいにしている」と思うわけだ。これが、おかしい。これ自体がおかしい。あれがわかってない。あの、雰囲気、あの感覚。あの時間の、持続。実際の持続。毎日、どれだけ続いたと思っているんだよ。どれだけ、毎日長い時間、続いたと思っているんだよ。気違い兄貴は、気違いだから絶対にいうことを聞かない。気違い兄貴は、気違い親父とおなじだから、夢中になってやったことは、全部やってないことになっている。あの長い時間、あのこだわり具合で鳴らし続けたのに……しつこくしつこく鳴らし続けたのに、自分が夢中になってやったことは、やってないことになっているんだからな。「やった」と言われると「やってないやってない」と親父のように「夢中になって」反対して、それでおしまいだ。そのやり方で、やり始める。そのやり方で、やり続ける。で、やり終わったら、「やってないやってない」と夢中になって反対する。やり口がおなじなんだよな。「やめろ」と言われたら、真っ赤な顔をして、夢中になってやる。気違い的な意地で、やる。こだわりの音でやる。自分がこだわっている音でやることに命がかかっているから、こっちが「やめてくれ」「やめろ」とどれだけ近距離で絶叫しても、無視してやり続ける。なにも言われなかったのとおなじ状態でやり続ける。やり続けることができれば、それで、本人のなかでは、すんでいるわけで、「なにもいわれなかった」ということになっている。その場で、即座に殺さなければ、やめさせることができない。真っ赤な顔をして無視して、頑固に鳴らし続ける。こだわりの音で鳴らし続ける。・・・あれで!! あれで!!! やってないつもりなのかよ??
これ、ほんとうに不思議なんだけど、やってないつもりなんだよ。行動と態度を見ると、そうだ。

実際に長い間毎日毎日、そういうことが続くと、不可避的に、こまる。不可避的につかれる。これが、実際にやられてない他人には、心底わからない。「どうにだってなる」と思ってしまう。この溝が……認知の溝が、実際の人間関係の溝になる。深い深い溝になる。

けど、「どうにだってなる」と思っている他者は、それもわからない。俺がただ単に落ちぶれていくだけに見える。俺が「いいわけをしている」ように見える。絶対のちからで、だめになっていくのに、それがわからない。自分がこの世で一番嫌いな音が、家族によってずっと鳴らされている毎日を経験した人じゃないとわからない。その家族というのが、他の人には理解できない、かわった家族で、その家族のなかでは「やったってやってない」がつねに成り立っている。つねにやったってやってない」が成り立っているのだから、終わったときには「やってない」つもりになれるのだ。しかし、やっているときに「やめろ」と言われたときの反応がおかしい。これも、他の人には絶対にわからないところなんだよな。実際に目の前でやられたことがない人にはわからない。そういう家族がいる人以外にはわからない。

気違いヘビメタの程度としつこさと、気違い兄貴態度全体がわかってない人には、俺が「どうでもいいことで」だめになってようにしか見えない。「こだわらなくていいことに」こだわっているようにしか見えない。「そうでなくても、そうなったのに」「それのせいにしている」としか思えない。どうしてなら、ヘビメタ騒音は、それほど重大な理由にならないからだ。ヘビメタ騒音なんてものがそんなに影響をあたえるはずがないからだ。この認知のちがいは、大きい。やられればわかるけど、俺の認知のほうが正しい。ほんとうは、「だれだってそうなる」のに、やられたことがないひとには、わからない。俺だけがやられたから、……俺だけが、世界でただひとり……実際にやられたので……やられた場合のからだの状態を知っている。時間というのはつながっているから……つながっているように思えるものだから……やはり、やられたことの影響を受ける。これも、勝手に否定する常識的な人ばかりだ。「どれだけやられたって影響を受けないことは可能」なのである。けど、ほんとうは、その人にとってもそうではないのだけど、その人には、幼児的な万能感が成り立っているから認めない。あるいは、経験がまったくないから、認めない。想像して……そう思うだけだから、わからない。実際に経験したことではなくて、言葉を聞いてその人が「想像したこと」をもとにして考えているから、わからない。

俺は生きているあいだになにができるんだろう?


死んじゃったらおしまい。
はかないねぇ~~
俺は生きているあいだになにができるんだろう?

2020年4月4日土曜日

俺はもう、全部がいやだ


俺はもう、全部がいやだ

という気持ちになる。
いま、なった。

優先順位をつけて、優先順位が高いものからやろうというのは、一見良さそうなのだけど


まあ、時間がある場合、本人が「どうしてもやりたくない」と思うこと以外はできるんだよな。けど、やはり、からだがだるいときは、動きたくない。これは、他の人にとっては、高齢者にならなければ発生しない問題だったのだろうけど、俺は、小学生のときから、ヘビメタ騒音をやられているので、なにをやるときも「くたくたになった」からだを引きずるようにしてやるようなところがある。そうしないと、「できない」のだ。しかし、それにも限界がある。
今回言いたかったのは、やらなければならないことの優先順位を決めて、下の方から実行していけば、ゼロよりはましなのではないかということだ。

普通、優先順位をつけて、一番上からやっていこうとするだろう。優先順位一位の項目から、やろうとするはずだ。しかし、これがまちがいなのである……ということを言いたかった。できる人はいいけど、鬱病レベルを超えて、疲れ果ててしまった人は、それができない。疲労にはいくつかの種類があると思う。種類がなくても、とりあえず、種類があるとする。

分類方法としては、長期的な累積疲労と短期的な疲労とにわける。長期的な累積疲労がない人は、ぼくが言っていることがわからない。長期的な累積疲労は、一日、よく眠っただけでは、とれない。一〇日間、一日ずつ、よく眠っただけでもとれない。はっきり言えば、一〇〇日間、一日ずつ、よく眠ってもとれない。とれないというのは、つかれがとれないという意味だ。こういう疲れを持っている人は、優先順位一位からやろうとすると、けっきょく、めんどうくさくなってできない。優先順位一位から一〇位まであるなら、むしろ、一〇位からやり始めるべきなのである。けど、一〇位からやろうとしても、ほんとうにつかれているときは……つまり、「疲労度が高い」ときは、できないと思う。

優先順位をつけて、優先順位が高いものからやろうというのは、一見良さそうなのだけど、ダメなのではないかというのが、経験からわかる。どうしても、それだと、やる気になれない。優先順位が低いところからやった方がいい。

2020年4月3日金曜日

「俺だって、騒音ぐらい経験した」……「けど、気にしないでがんばって生きている」


もうちょっと、いろいろな気持ちで、いろいろとやりたいのだけど、「くうきょ」「むなしい」という言葉に代表されるような感情になってダメだ。これは、別に俺がヘビメタ騒音以降、いろいろなこころみをしなかったということではないのだ。

したが、だめだったのだ。

ほんとうに、気違いヘビメタ騒音の一日の影響がわかる人がいない。あの時間を生きた人じゃないとわからない。それが、一〇〇〇日つもったときの状態がわかる人はいない。そして、けっきょく、ヘビメタ騒音の影響なんてゼロなんだという前提でものを言ってくる。

あるいは、「(ヘビメタ騒音は)ちょっとした騒音だ」という前提でものを言ってくる。「俺だって、騒音ぐらい経験した」……「けど、気にしないでがんばって生きている」……というようなことを言うか、あるいは、気分的にそういう気分になる。
けど、ちがう。

クレパス。

ぜんぜんちがう。

ぜんぜんちがうということが、彼らにはわからない。わからないということも、わからないだろう。

2020年4月2日木曜日

「無職は悪」というのは、内在化された基準なので、やっかいなのだ


あー、ヘビメタでぼろぼろで、いいことなんてなかったな。
どれだけ、ぼろぼろになるか。
「鳴ってる」だけで、どれだけこころが、くずれるか。
「鳴りつづける」と、どれだけすべてが、むちゃくちゃになるか。


ほんとうにつらかった。どれだけ言っても、エイリが「言っているだけ」になってしまうんだよな。俺以外の人間は、経験してないから。ほんとうに、やり切れな気持ちを抱えて、騒音に耐えている時間が、くるしすぎる。むだとか不効率とかということではなくて、くるしすぎる。

勉強ということを考えた場合、むだとか不効率ということが問題になる。それ以前の問題で、ヘビメタ騒音にさらされていると、めちゃくちゃだった。「そんなによゆうがない」。効率とか不効率とか言っているよゆうがない。ひたすら、くるしい。

この部屋のどこにいてもくるしかった。気違い兄貴側の壁から、はなれれば、音がちょっとはしずかになるということはなかった。おかあさんの部屋までいけばちがう。おかあさんの部屋では眠ることができたけど、この部屋では眠ることができなかった。だから、鳴っている時間眠って、……学校から帰ってきたら午後四時ぐらいから眠って、午前二時ぐらいに起きて、勉強するということができなかった。

みんながちょっと考えただけで思いつくような「対策」は全部、こころみた。けど、まったくだめだった。実際にやったらまったくうまくいかなかった。「なってたら」だめなんだ。それが、実際にやられてない人にはわからない。俺だって、わかってなかった。けど、毎日続くから、否応なく、いま持っているような認識ができあがった。

何日も何日も、毎日やられてないと、実際に、どういう状態になるかわからない。ちょっと考えれば思いつくような「対策」がどれだけ無意味か、わからない。そういう場合、ちょっと考えて「対策」をアドバイスしてくれた人は、気分が悪くなる。

俺が「その対策はだめだ」と言うからだ。「やってみなければわからないだろ」。「やってだめだったんだよ」。……そういうところでも、対人関係上の問題になるんだよな。よいコミニュケーションが成り立ちにくくなる。


俺の感情はめちゃくちゃ。そして、そういうことがあった日だって、気違い蛇目だ鳴っていた。「やめろやめろ」と怒鳴り込んだあと、ずっと鳴っているときの気持ちといったらない。これも、他の人にはわからない。佐藤のような人間は、「鳴っていると言ったって、たいしたことはないんだろ」と思って、そういう前提で、いろいろなことを言う。その場合、俺をこころから、バカにしているということになる。軽く見積もるということになる。そうならざるを得ないのである。

これ、本人はそのつもりがないんだろうけど、ほんとうは、軽く見積もって、バカにしている。気がつかないだけ。共同幻想はほんとうは、偏見なのだけど、共同幻想内ではもちろん、偏見ではないということになる。中立的な見方だということになる。働いてない人間に対する蔑視の傾向は、ぬぐいがたく、ある。もう、あまりにも深いところにありすぎて、それをそれとして認識することができない。

就職に失敗して、死んでしまう人がいる。「就職ぐらいで死ぬことはないの」と思う人は多いだろう。就職できなかったからといって、殺されるわけではないのだから、自殺する必要はないという考え方だ。就職に失敗して自殺してしまう人のこころのなかには、無職蔑視のこころがあるのである。

だから、自分が無職になるわけにいかないのである。自分が……自分自身が「軽蔑している存在になる」ということがゆるせない。「無職は悪」というのは、内在化された基準なので、やっかいなのだ。

もちろん、表面的にはいろいろとある。「無職蔑視」だけが、原因ではない。しかし、「無職は悪」と思い込んでいる人は、自分が無職になったときに、自殺しやすい。「しかし、定年退職者なんて、自分が無職になったって死んだりしないだろ」と思う人がいるかもしれない。定年退職者は、無職であって無職ではないのだ。

この国ではそうだ。四五年ぐらい働き続けた人は、四六年目に無職になっても、無職性の低い無職になっただけだから、自分のことを無職だとは思わない。「ぜんぜんちがう」のである。「職歴がない三〇歳とは、ちがう」という自意識がある。

そして、共同幻想が、それを支持している。

だから、そういう考え方を持っていたとしても、だれからもせめられない。俺からは、「おなじだ」とせめられるけど、他の人からはせめられない。共同体のなかにいる共同幻想にどっぷりつかった人からはせめられない。その人たちの感覚では「もう、働いたのだからいい」ということになる。けど、それは、ちがうのだ。

よくない。無職かどうかはその時の状態のについて言及しているわけだから、まさしく、過去は関係がないのである。「過去においてじゅうぶん長い期間、働いた人は無職であったとしても無職ではない」と考えるのは、ほんとうはおかしいことだ。共同体のなかにいて、共同幻想にどっぷり使っている人にわからない。

むしろ、僕の感覚のほうがおかしく思えるだろう。現在の状態について言及しているわけだから、「過去において、どれだけ働いたかは関係がない」という考え方は少数派だ。

2020年3月30日月曜日

なら、遅刻しないようにすればいいじゃないかという話になるわけだけど


さて、どうするかな?
税金、保険料などを考慮しないで、だいたい月七万生活でもいいじゃないかと思ったけど、ちょっとさみしいな。
俺が大学生か大学院生で、あの娘と共同生活をしていて、アルバイトで月に七万円かせいでいるというわけではないからな。美少女、必要。未来に向かっている月七万生活じゃないからな。
俺の一生はいったいなんだったのか?
ヘビメタ騒音ばかりで、ひとつもねがいがかなわなかった。
チャンスは何回かあった。ほんとうに、美少女と共同生活だって、二回ぐらいチャンスがあった。荒唐無稽なことを言っているわけじゃない。ヘビメタ騒音がなければ、一〇〇%できた。アルバイトも、長期騒音がなければずっと続けられた。家庭教師のような(俺にむいている)アルバイトもできた。長期騒音がなければ、年下先輩なんて発生しようがない。すべての点でプライドが傷つく。決まった時間に行動ができなくなる。すべてのチャンスを、布団の上で見逃しているような生活になってしまう。ヘビメタ騒音というのはそういう問題で、ただ単にうるさい音が鳴っていたという問題ではない。ちがう。みんな、ただ単にデカイ音が鳴っていた騒音問題だと考えてしまう。ちがう。
ヘビメタ騒音で友達とも親友とも、言いがたい関係になっていく。長く鳴らされているとどうしてもそうなる。けど、これも、他の人にはわからない。実際に五〇〇〇日以上鳴らされ続けた生活をしている人じゃないとわからない。しかも、その生活というのは、五〇代六〇代の生活じゃないんだぞ。一〇代二〇代の生活なんだぞ。自分の人生を切り開くのにどうしても必要な一〇代二〇代が、全部、気違いヘビメタ騒音で埋まっているんだぞ。二〇代の全部ではないけど。鳴り終わったのは二五歳の時だ。けど、学生時代が将来に与える影響のデカさは計り知れない。一三歳から二二歳までの九年間が決定的に重要。その、決定的に重要な九年間、気違いヘビメタがずっと鳴ってた。日曜日も土曜日も、鳴っていた。家に帰れば、鳴っていた。とてつもなく、くるしい。あれは、ただ単に「うるさい時間」じゃないんだよ。破壊的なうるさい時間で、どうやっても有効に使えない時間なのである。そして、がまんしているあいだにからだが壊れてしまう。鳴らされたあと、睡眠回路が壊されて、俺が、遅刻したりして、恥をかいたり、他の人に迷惑をかけることになってしまう。なら、遅刻しないようにすればいいじゃないかという話になるわけだけど、「ヘビメタ騒音が鳴っていると」むりなのだ。けど、他の人は、ヘビメタ騒音を実際に、俺とおなじように鳴らされて生活をしているわけではないので、そこらへんのことが「俺の説明を聞いても」わからない。佐藤のような態度で、佐藤のような認識で、俺の説明を聞くわけだ。そうなると、そういう人間は「鳴っていたって、遅刻しないで学校に来ることは可能だ」と考えてしまう。そういうふうに考えてしまうやつは、実際には、一日もヘビメタ騒音を経験してない。俺の部屋にいて、ヘビメタ騒音にさらされるということがない。だから、「わかってないだけ」なのだけど、「わかってないだけ」だというのも、わからない。だから、共同幻想に合致するかたちで、俺に説教をしてくる。そりゃ、「いっくら鳴っている言ったって、たいして鳴っていないのだろう」という前提に立ち、「たとえ、ヘビメタ騒音が鳴っているのにしろ学校に遅刻をしないで通うことぐらいはできるはずだ」という前提に立って、「ヘビメタ騒音」と「遅刻」ということに考えるから、そういう結論にいたってしまう。説教することになってしまう。けど、しつこいようだけど、そういう説教をする人たちは、ヘビメタ騒音を一日も経験してない。ヘビメタ騒音が一〇〇日つもったときのからだの状態なんて、わかってない。自分の経験としてわかってない。「きいただけ」だ。「かんがえただけ」だ。ぜんぜんちがう。一〇〇〇日つもったときのからだの状態なんて、もっとわからない。二〇〇〇日つもったとき、精神と睡眠回路がどうなってしまうかなんてまったくわからない。三〇〇〇日つもったとき、そういうことを理解しない普通の人との関係がどうなるかなんて、わからない。四〇〇〇日つもったとき、朝、どういう状態になるかわからない。わかるわけがない。五〇〇〇日つもったとき、夜、どうなるかなんてわかるわけがない。人生全部がどうなるかなんてわかるわけがない。

2020年3月26日木曜日

紅茶も持って行こう。


新しい石けんをおろして、風呂に入る。
どうするかな? 紅茶を持って行くかどうか?
紅茶も持って行こう。
しかし、ほんとうに、いろいろな負の記憶が浮かび上がってきて、しょうがない。
ほんとうにいろいろとくるしかった。家族の長期騒音でくるしかった。すべてが苦しくなる騒音だ。

2020年3月24日火曜日

いちいち説明するのがめんどうくさいという気持ちがしょうじるのだ


めんどくさいから、手短に説明するけど、カネがあるやつとカネがないやつの差がある。で、短縮して説明するけど、PC-8801FAにはカセットインターフェイスはついてない。だから、Nキーを押しながら、立ち上げた場合、保存ができない。スイッチを切ったらおしまいだ。ロムのN-BASICでは、ディスク関係を扱えないと、俺は聞いていた。たぶん、それは正しい。あいつが、「PC-8801FAにはカセットインターフェイスがついてない」ということを知らないだけ。だから、Nキーを押せば、N-BASICでできることは「なんでも」できるのだから、どうして、Nキーを押して立ち上げるということをしないのだと思ってしまったわけ。で、説明がめんどいんだよな。「ディスク」とひとこと言えば、それで通じるかという話しだ。これが、ほんとうにめんどいんだよな。彼は、アルバイトさきの社長の息子だった。カネがないやつのことがわかってない。PC-8801FAを分割払いで買ってしまった俺には、カセットインターフェイスを買う金がない。高いんだよ。「おれからすれば!」「おれからすれば!」「おれからすれば!」。
Nキーを押して立ち上げるとN-BASICが立ち上がるというマル秘テクニックを知っているということが彼にとっては、なんというか、得意になる部分だったのだ。たぶんだけど、彼はPC-8801FAにはカセットインターフェイスがついてない(端子がついてない)ということを知らない。これ、ほんとう、ヘビメタ騒音でいろいろとおくれをとっていて、……大学に通えなくなって……。バイト先で年下先輩みたいのができると、いやなんだよ。これ、ほんとう、ヘビメタ騒音が鳴ってなくて、普通に進学して、就職していたら、俺が教えてやる立場なのに……。なんかいろいろと複雑な気分があるんだよ。そもそも、年下先輩には、いろいろな複雑な気分がある。日本では、「そんなの、浪人したやつが悪いんだ」「そんなの、勉強しなかったやつが悪いんだ」「自業自得」ということになると思う。けど、ヘビメタ騒音という特殊な条件が付け加わると、複雑な気分になる。すべてが屈辱。そうならざるを得ない。これが、十数年も毎日、ヘビメタをガンガン鳴らされて、中学と高校と、毎日勉強できなかった!人間と、そうではなかった人間のちがいなんだよ。感覚のちがい。ヘビメタ騒音が鳴ってなかったら、こんなことになってないということに常に遭遇しなければならないんだぞ。
別にPC-8801シリーズのマル秘テクニックの話しじゃなくても、すべてにおいて、ヘビメタ騒音のせいでうまれてしまった立場の低さという問題が、しょうじる。俺の立場の低さの問題だ。これ、ヘビメタ騒音を経験してない人にはわからない。「ヘビメタ騒音が鳴ってたって、勉強なんていくらだってできる」と勝手に思っている人にはわからない。ほんとうはできない。その人が考えているのは、空想の世界なんだよ。ただちょっと頭の中で考えただけなんだよ。実際に鳴っている、世界の話しじゃない。ほんとうに、次の日にもこたえる。どうしても、睡眠時間がおかしくなる。鳴っているあいだどうしてもヘビメタ騒音で!勉強ができないという状態が、わからない。ヘビメタ騒音のなかで勉強をしようとしたぶんだけ、マイナスなんだよ。ヘビメタ騒音のなかで勉強をすれば、ちょっとでも先に進むことができる……というわけではないのだ。ヘビメタ騒音のなかで勉強をしたら、マイナス。おぼえたことも忘れてしまう。鳴ってなければ簡単にできることが、できなくなる。自信をなくす。頭がこんがらがる。その教科や分野に、「いやな感じ」がつきまとってしまう。へばりついてしまう。ヘビメタ騒音のなかでやったときの、頭がこんがらがる感じがしみついてしまう。これ、あれだけはヘビメタ騒音のなかで、「なんとか勉強をしよう」としたことがない人には、わからない。決定的にわからない。どれだけ想像してもわからない。ほんとうに「そんなものじゃない」のだ。ヘビメタ騒音は「そんなものじゃない」のだ。俺は、親父や兄貴がやったことで、ほんとうに、誤解を受けている。普通に育った人から、お・れ・が・誤解を受ける。俺が誤解を受ける。俺が、発達障害みたいに思われる。PC-8801FAにはインターフェイスがついてないということだって、ぼんぼんに説明するのは、めんどうなんだよ。いやなんだよ。ぼんぼんが、PC-8801FAで、N-BASICを立ち上げた場合、ディスクにもテープにもセーブできないといこうとを理解してないだけ。で、説明すればいいだろということになると思うけど、「きめてかかってくるやつ」に説明するのは、めんどうなんだよ。いやなんだよ。なんらかのことを説明するときに、相手の立場とか自分の立場ということを考えると「もういやだな」「めんどうくさいな」と感じてしまうことがある。そして、それは、ほんとうにヘビメタ騒音の結果できあがった俺の立場の問題なんだよ。「きめてかかってくるやつ」に微妙なことを説明してやるのがほんとうに、めんどうで、いやなんだよ。相手がどこでまちがっているかわかるけど、それを説明するのがめんどうなのだ。「めんどうだな」と思ってしまう。そういう場合、説明しないときがある。そうなると、「説明しないのは発達障害のせいだ」と考えてしまう。「きめてかかってくるやつ」はそういうふうに、誤解する。年上なのに、立場が低いというのが、いろいろなことに影響を与える。相手に対する、気持ちがちがうんだよ。最初から……。最初から、うっくつしたものがある。どうしてそうなってしまったかというと、ヘビメタ騒音にずっとやられていたからだ。気違い兄貴の態度というのは最初から問題があるわけだけど、日本で、気違い兄貴の態度で、気違い兄貴の認知で、ヘビメタを鳴らされると、ほんとうにいろいろなところで、対人関係上の問題ができあがある。もちろん、俺と他の人とのあいだの問題だ。気違い兄貴は、しらんぷりだ。気違い親父が、ハンダゴテのことで兄貴の立場を考えないのとおなじだ。気違い兄貴の態度でヘビメタを鳴らしたことで、気違い兄貴と「他の人」とのあいだで問題がしょうじるのではなくて、俺と「他の人」とのあいだで問題がしょうじる。佐藤との問題だって、そういうことのひとつだ。佐藤は佐藤で、「人間は働くべきだ」と考えているわけだ。これは、「きめてかかってくる」ということだ。「人間働くべきだ」と決めてかかってくるのである。だから、働いてない俺は、「防戦」しなければならなくなるのである。これは、「Nキーを押せばN-BASICが立ち上がるんだぜぇ」といいことを教えてやるつもりで言った人(ぼんぼん)と問題が似ている。「せっかく教えてやったのになんだ」と思ってしまう。ぼんぼんは、PC-8801FAにはカセットインターフェイス(端子)がついてないということを知らない。おそらく、ついてないということを説明すると「だったら、買えばいいだろ」という反応をしてくると思う。で、「だったら、(カセットインターフェイスを)買えばいいだろ」と言われたとき、お金がないので、カセットインターフェイスを買うのはいやだということを言いたくない。そういう気持ちまでしょうじる。ぼんぼんにしてみればPC-8801FAにつけるカセットインターフェイスなんて安いのだから買ってつければいいだろということになる。そう考える。俺には、高いんだよ。けど、「俺には高いんだよ」ということを説明したくない。
ヘビメタ騒音があると、「説明したくない」ということや「説明するのがめんどうだ」ということがいろいろとしょうじる。「説明するのがめんどうだ」という気持ちは、ほんとうにヘビメタ騒音一〇年、一五年で、しょうじて、つみあがる。ほんとうに、つかれがたまっているのだ。だから、「説明するのがめんどうだ」という気持ちになる。そうすると、誤解を受けたままになる。疲労というのは、人とのコミニュケーションにものすごい影響を与える。あとは、ヘビメタ騒音の結果できあがってしまった俺の立場というのがいろいろな影響を与える。これは、立場だけの影響ではなくて、立場にかんする俺の認知にいろいろな影響をあたえる。
これ、説明としては失敗していると思う。けど、相手がどこらへんでまちがっているのかということがわかっても、いちいち説明するのがめんどうくさいという気持ちがしょうじるのだ。それはやはり、騒音疲れでしょうじている。それから、立場の問題がある。
俺は、わからないから、説明しないのではなくて、わかりすぎちゃって、説明がめんどうくさくなって説明しないのである。けど、相手からすれば発達障害でわからないから、説明しないと思えてしまう。あるいは、相手からすれば発達障害で説明する必要性がわからないから、説明しないと思えてしまう。
そもそも、ヘビメタ騒音自体が普通の人から考えるとヘンなことなのだ。「そんなの、言えばいいだろ」ということなのだ。「そんなのは、お兄さんに言えば(やめてくれることなのだから)言えばいいだろ」と思ってしまうようなことなのだ。これも、「きめてかかってくるやつ」はきめてかかってくる。ほんとうに、めんどうくさい。ほんとうにめんどうくさい。

こんな世界は、ない。あってはならない


それにしても、『ヘビメタ騒音でくるしい』と言っているのに、説教をし始めるやつがらゆるせない。『ヘビメタ騒音でくるしい』と言っているだろ。ヘビメタ騒音でくるしいんだよ。おまえらは、ヘビメタ騒音でくるしくないのかもしれないけど、俺はヘビメタ騒音でくるしいんだよ。ヘビメタ騒音でくるしいと言っているのに、説教をし始めるやつらがゆるせない。
これ、ほんとう、どういう現実なんだよ。これ、ほんとう、どういう世界なんだよ。たえがたい。俺がずっとずっとたえてきた。たえてたけど、たえがたい。そして、たえればたえるほど、こういうやつらに、えらそうなことを言わせてしまう。
言わせる、スキを作ってしまう。
こんなのはない。こいつらは、気違いヘビメタ騒音を一日も体験したことがないので、ヘビメタ騒音のひどさがわからない。一日中鳴っていると言うことのつらさがわからない。一日中鳴っていると、どういうことに『鳴っている』ということが悪影響を与えるのかわかってない。
わかってないところで、ものを言う。わかってないところで、説教をしだす。頭が悪すぎる。想像力がないから、ヘビメタその音のつらさがわからない。
俺が説明しても、頭が悪いやつらは、ヘビメタ騒音のつらさがわからない。負の効果がわからない。どういうところに、ヘビメタ騒音が影響を与えるか、まったく、わからない。
こっちが説明しても、こいつらにはわからない。わからなければ、ヘビメタ騒音の負の効果なんてない……という前提でものを言うことができる。頭が悪いやつの頭が悪い説教がはじまる。頭が悪いから、わからないだけなんだぞ。想像できないだけなんだぞ。
気違いヘビメタ騒音にやられると、想像力がない頭の悪いやつに、俺がバカにされるということがしょうじる。これも、ヘビメタ騒音の必然だ。気違い家族によるヘビメタ騒音の必然だ。気違い家族は、あらゆる常識を無視して、とりつかれたようにヘビメタを鳴らす。しかも、無視してヘビメタを実際に鳴らしているとことを無視する。常識的な人間は、あらゆる常識を無視して、頑固にヘビメタ騒音を鳴らす人間のことが、これまた、まったくわからない。『そんな人、いるのかな?』なんて言い出すしまつだ。

こういうことを言うやつは、こちらが説明しても、ヘビメタ騒音の負の効果について、考えない。ヘビメタ騒音のことを小さく見積もる。まるで、俺が気にしないようにすれば、完全に気にしないことができるようなことだとして認識している。

俺が説明した、気違い兄貴のヘビメタ騒音について、こういう認識を持っている。こういうところの無視のしかたが、ある意味、気違い兄貴と似ている。気違い兄貴も、俺の説明を聞いた頭が悪い常識的な人も、ヘビメタ騒音の効果を軽く見積もる。あるいは、ないものとして見積もる。こんな世界は、ない。あってはならない。けど、あった。この世は、そういう世界だ。

2020年3月14日土曜日

ともかく、長期騒音で僕の気持ちが死にました。


競馬とか登山とか、趣味のあるやつはいいなぁ。
そんなのまったくやる気がしない。
ともかく、長期騒音で僕の気持ちが死にました。

2020年3月12日木曜日

毎日の、毎日、が、ちがう。鳴っている以上、傷が深くなっていくだけだ。


やっぱり、ヘビメタでつらい。どうしても、つらい。この、朝の雰囲気。この、午前中の雰囲気。この、晴れた日の雰囲気。すべてが、ヘビメタ騒音の雰囲気だ。どうしてなら、晴れた日の朝、ヘビメタをやられたからだ。まあ、雪の日も、曇りの日も、やられたわけだし、雨の日もやられた。そして、じつは、朝よりも、午後のほうがヘビメタ騒音が長い。そして、ヘビメタ騒音が鳴っていた期間が長い。ともかく、俺の死にものぐるいの努力はすべてむだになった。死にものぐるいの努力をしても、やっと、人並み。死にものぐるいの努力をしても、『鳴らされない場合の俺』よりもはるかに、劣った存在になってしまう。だめな状態になってしまう。死にものぐるいの努力をしているのに、鳴らされてない場合の自分より、ずっとずっと、だめな状態なのである。一〇分の一の能力なのである。そして、他の人は、明るい人、積極的な人のほうが、暗い人、消極的な人よりも価値があると思っているところがある。で、まあ、ヘビメタ騒音をやられ続けると、疲れ果てて、眠れなくなって、自動的に、暗くて消極的なひとになるわけ。そりゃ、からだがついていかないわけだからそうなる。そして、ここが肝心なところなのだけど、全力でやって、そうなる。我慢して、我慢して、限界まで我慢して、力を振り絞ってやっているのに、人からは、サボっているように見える。ひとからは、好きこのんで、暗くなっていると思われる。俺はもともとは、自己満足的な部分もあるけど、明るかった。ヘビメタ騒音がなければ普通に明るくわらえてた。
いまも、動きたくないけど、ほんとうに、死んでもいいから、動きたくないという気持ちのときがある。他の人……気違いヘビメタ騒音に毎日、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も、たたられたことがない人はたちは、動きたくなくても、動けば、からだがなれてくるというようなことをいいやがる。ようは、習慣づけなのだといいやがる。気違いヘビメタを毎日やられたことがないからそんなことを言える。気違いが習慣以上の習慣で、気違いヘビメタを、ものすごくデカイ音で鳴らし切ることにこだわっていた。こだわってこだわってこだわって、いた。そして、絶対の意地で毎日、実行していた。なので、ぼくの時間はすべて、気違いヘビメタがしみつくことになる。動けば、動けるようになる……というような状態しか経験してない人にとっては、『動けないなんていうのは甘えで』……動こうと思えば動ける……というのが、真実だ……とする。けど、それは、そういう人の真実でしかない。気違いヘビメタ騒音を経験してない人の真実だ。そういうことが成り立たない場合がある。しかし、成り立たない場合があるということがわかってない。動けない……と思ったときに、むりやり動いたからこそ……傷ついてしまう場合がある。再起不能になってしまう場合がある。『動けない』と言っても、動けるのではないか……というのも、日常的な真実ではある。『動けない』というのは、かならずしも、ほんとうに動けないことではなくて、『動きたくない』ということを言っている場合があるからだ。けど、じゃあ、動きたくなくても、動いていれば、体がなれるか? それは、ヘビメタ騒音が鳴ってない場合の話しだ。ぜんぜん、ちがう。毎日の、毎日、が、ちがう。鳴っている以上、傷が深くなっていくだけだ。

2020年3月10日火曜日

あいつらは、圧死しそうなやつに「くるしいと言うからくるしくなる」と言っているやつらとおなじなんだよ


ヘビメタ騒音なしで、普通に生きたかったなというのが、俺の本音だ。たとえば、佐藤みたいなやつは、ヘビメタ騒音にやられずに普通に進学し、就職した俺に、どういう態度をとっていただろうか? ああという態度ではないのは、たしかだ。気違いヘビメタ騒音がなければ、俺は、気違い親父というハンディ、貧乏というハンディを克服して……自分の才能で克服して、学者ぐらいにはなれた。ああ・・いう・・態度。ああ・・いう・・態度。ああいう、態度。ああいう、態度。ああいう態度。

気違い兄貴よ、俺は、おまえの趣味で、いろんなやつにバカにされているよ。普通にバカにしてくる。色眼鏡で見てくる。バカにしているとも思ってないよ。
「就職したほうがいい」と言っているときは、ほんとうに心配しているつもりだ。
けど、ちがうんだよ。本人の意識はどうだかわからないけど、俺が説明してきたような偏見がある。色眼鏡をとおして、俺を値踏みして、わかったようなことをいってくる。それは、ほとんど本能行為のようにあたりまえの行為だ。

ほんとうは、本能じゃないんだけどな。
文化的な行動様式としてあたりまえだ。

けど、もし、ヘビメタ騒音にさらされてなかったら、絶対に、あいつはああいう態度をとってこない。ああいうことを言ってこない。そりゃ、そうだろ。就職しているわけだから、就職したほうがいいなんて言うわけがないだろ。

『ヘビメタ騒音で働けない』と言っているのに、それは、信じない。ヘビメタ騒音がナンボのものだと思っている。ようは、ヘビメタ騒音は、(どれだけやられたといっても)働けなくなるようなものではないのである。そいつの頭のなかでは……。
それは、ひっくりかえらない。

だから、自動的に俺をバカにする。ヘビメタ騒音にやられながらもがんばりきった俺をバカにする。がんばりきったから、働けなくなっちゃったんだぞ(*1)。そこもわからない。どうしても、理解することができない。やられてないから、理解できない。毎日何年間も、十何年間も、自分がこの世で一番嫌いな音がものすごい音で鳴っている状態を経験してないから、理解できない。

あいつらは、圧死しそうなやつに「すべては受けとめ方の問題だ」と言っているやつとおなじなんだよ。あいつらは、圧死しそうなやつに「くるしいと言うからくるしくなる」と言っているやつらとおなじなんだよ。「だれだって、くるしいときはある」と言っているやつらとおなじなんだよ。



「だれだって、くるしいときはある」と言っているやつらとおなじなんだ。「俺だって、胸がくるしくなるときはある。けど、がんばっている」と言っているやつらとおなじだ。レベルのちがいがわかってない。



「だれだって、くるしいときはある」と言っているやつらとおなじなんだ。「俺だって、胸がくるしくなるときはある。けど、がんばっている」と言っているやつらとおなじだ。レベルのちがいがわかってない。
胸がくるしくなるときはあると言っている人の場合のくるしさというのは、純粋に心理的なもので五分もあればなおってしまうようなくるしさなのである。あるいは、自分が意図的に酒を飲んで、なんか胸焼けがするといっだ場合のくるしさなのである。ぜんぜんちがう。どうしてわからないのか。

(*1)通勤して普通に働くという意味

2020年3月8日日曜日

俺がどういう気持ちで「むりだ」と言っていると思っているんだ


ほんとうに、ヘビメタ騒音ですべての人間関係がずたぼろになっている。他の人は、親友を含めて、ヘビメタ騒音の効果がわからない。俺がどういう時間をすごしてきたかわからない。『ヘビメタ騒音でできない』と何度も言わせるな。
ほんとうに、まったくちがうんだよな。俺と他の人とではまったくちがうんだよな。俺がどれだけつらい状態を経験してきたか、わからない。そんなこと」でどうにかなるんだったら、とっくにどうにかなっている。「そんなこと」で働けるなら、とっくに働いている(*1)。俺がどれだけたえて、がんばって、日常生活を送っていたか、わかってない。どれだけがんばって、学校に通っていたかわかってない。だれも、わかってない。俺以外、だれもわかってない。
ほんとうに、午前四時ぐらいまで眠れなかった。一番眠たい午前七時四〇分ぐらいに起こされて、学校に通っていた。それがどういうことであるか、他の人はまったくわかってない。親友もわかってない。ダイヤに会いたい。あれはないぞ。
俺が、「むりだ」と言ったら無理なんだよ。俺がどういう気持ちで「むりだ」と言っていると思っているんだ。何回、むりだと言わせた?




ほんとうに普通の人は気違い兄貴の頭の構造がわかってない。気違い兄貴がどんな態度で鳴らしたかわかってない。俺が「やめてくれ」「鳴らさないでくれ」「静かにしてくれ」と言ったときの、気違い兄貴の態度がわかってない。



別に俺がたちなおるまで、まってくれ……と言ってないだろ。行きたいなら、勝手に行ってくれ。俺はおまえの足を引っぱるのは、いやだ。けど、できない。「たちなおる」という言葉を、使ったけど、この言葉も使いたくない。屈辱だ。これがわかるか? 注意書きとして言っておくと「たちなおる」というのは、普通に働くと言うこということだ。ヘビメタ騒音の影響がなくなるということだ。ヘビメタ騒音の影響がからだからきえるということだ。そうじゃなければ「むり」なのだから。けど、他の人は、親友を含めて「むりなのだ」ということがわからない。


それは、自分のからだではないからわからない。自分が実際に、毎日、気違いヘビメタを聞かされたわけじゃないから、自分の体験としては、わからない。ヘビメタを浴びせられる時間がどういう時間かわかってない。それが、毎日何時間も何時間も、毎年毎年続いたら、働けないからだになる。だから、そう言っているのに……どうしてみとめないで、「たちなおる」ことを求めるのだ。「むりだ」と言っているだろ。これがどういうことだかわかるのか?


(*1)普通に通勤して働いているということ。

長期騒音で本当につかれた


俺は正直言って相当につまらない状態になっている。はっきり言うと、墓が浮かんでしまうのである。まあ、詳しくは書かないけど……。
詳しくのところで、詳説なんとかなんとか、といった感じの参考書の背表紙を思い出してしまうのである。長期騒音で本当につかれた。俺の人生は、長期騒音ばかりだ。

2020年3月6日金曜日

「くるしいと言うともっとくるしくなるぞ」と言うのは、不適切なことなのである


例えばの話だけどさ……。たとえば……一つの部屋に人をつめていくとする。満員電車をこえるほど、つめていくとする。そうすると、なかのひとはくるしいわけだ。圧迫死してしまう可能性だってある。

どんどんつめこむから、実際に圧迫死する人も出てきてしまう。そういう部屋の中にいる人に対して「くるしいと言うからくるしい(くるしくなる)」「いたいと言うからいたい(いたくなる)」と言うのは、どうなのかな? ということだ。よいアドバイスをしているのだから、よいのだろうか?


それとも、的外れのことを言って、「くるしい」「いたい」と言っている人をいらつかせているのだろうか?

あなたがそういう部屋に押し込まれてくるしいときに「くるしいと言うからくるしい」「いたいと言うからいたく感じる」と言われたらどんな感じがするだろうか?

ヨソの人は、その部屋のなかにいないわけ。高みの見物であるわけ。だから、くるしくないわけ。いたくないわけ。

で、実際に、圧力で骨が折れそうなほどくるしいのに、「くるしい」と言うことを、事実上、禁止される。ヨソの人の言うとおりにするとなると「いたい」とか「くるしい」ということを言えなくなる。

「くるしいと言うからくるしくなる」わけだから。

ヨソの人は、「くるしいという現実を作り出しているのはあなた自身だ」なんてことも言ってくる。「すべては受け止め方の問題だから受けとめ方をかえればいいんだ」なんてことも言ってくる。

ヨソの人は、それが正しいと思っている。くるしいと言うからくるしくなる……というのは宇宙を貫く法則で、科学的にも証明されたことなのである。ヨソの人の頭のなかでは……。

けど、これは、普通の状態で、「いたい」と言うと、「なんとなくいたく感じる」人が、ほんのちょっといるということにすぎない。「くるしい」と言うとなんとなく、くるしいと感じると思う人がほんのちょっといるということだけを意味している。

どういう状態で、そういうことを『測量しているのか』ということは、決定的に重要なのである。けど、そういう状態のちがいを無視して、人間ならだれでもそう感じると言いきってしまう。

どんな状態でも『いたいと言うといたくなる」ということが成り立つと信じている。

だから、他の人に対してそういうことを言う。
嘘を言っているつもりはないのである。

で、その場合、やはり、圧迫死してしまうほど押されている人にそういうことを言うのは、不適切だと思う。どうしてかと言うと、その人がくるしいのは、圧力が加わっているからなのである。「くるしい」と言ったからくるんでいるわけではないのである。

けど、時系列を無視してしまう人は、「くるしい」と言ったあとに「くるしくなっている」と考えてしまうのだ。しかし、これは間違いで、くるしいと言うまえに、体全体に圧力が加わっているから、くるしいのだ。とくに、呼吸ができないほど、胸が押されているからくるしいのだ。

圧迫されてくるしい……と考える場合は、くるしさの原因は『圧力』だ。……(1)
くるしいと言うからくるしい……と考える場合は、くるしさの原因は『くるしいと言うこと』だ。……(2)

くるしいと言うからくるしくなる……ということを言う人は、原因についてまちがった考え方を持っている。しかし、自分がくるしいわけではないので、どうでもよいのである。だから、『くるしいと言うからくるしくなる』ということを言ったことによって、相手がいやな思いをするということは、わからない。

その人たちの理論にしたがうと、くるしいと言ったことによって、さらにくるしくなるからだ。くるしさから解放されるには、くるしいと言ってはだめなのである。

「たのしいたのしい」と言わなければならないのである。
あるいは「くるしくないくるしくない」と言わなければならないのである。

しかし、部屋に人をもっと押し込もうとしている人が、部屋の中にいる人たちが「たのしい たのしい」「くるしくない くるしくない」といっているのを聞いたらどう思う? まだよゆうなんだなと思うだろう。だから、もっと押し込もうと思うだろう。なので、「たのしいたのしい」と言うことがさらにくるしくなる状態を招来するのである。逆だ。まったくの逆。

いずれにせよ、『くるしいと言うからくるしくなる』と考えている人は、上(右に修正)のようなケースの場合、部屋の中にいる人たちがくるしい理由についてまちがった考えをもっていると言える。なので、そのまちがった考えに基づいたアドバイスも不適切なアドバイスになってしまうのである。

けど、現実の場面では、そういうことを言う人たちが、ほんとうに「くるしんでいるひと」のことを考えてものを言うということはない。他人のくるしみに(ついて)鈍感だからそういうことを言える。

『どんな場合でもそうだ』『どんなにくるしくても、くるしいと言ってはならない』『どんなにくるしくても、楽しいと言わなければならない』『くるしいと言うと、もっとくるしくなるぞ』「くるしいと言うともっとくるしいことがおそってくるぞ』と言って、いいアドバイスをしたつもりになってしまうのである。

けど、さきのケースだと「くるしい」とか「くるしいから、押すな」ということを言わなければならないのである。「くるしい」とか「くるしいから押すな」と言っている人に対して「くるしいと言うともっとくるしくなるぞ」と言うのは、不適切なことなのである。

2020年3月5日木曜日

俺が言っていることは理解されないと思うと虚しくなる。

俺が言っていることは理解されないと思うと虚しくなる。



普通の人間にはぼくが言っていることはわからない。ヘビメタ騒音にやられた人間じゃないとわからない。毎日毎日やられた人間じゃないとわからない。そして、ヘビメタ騒音を鳴らし続けた人間が、家族であるような人間じゃないとわからない。気違いオヤジのような親にたたられた人間じゃないとわからない。気違い兄貴のような人間にたたられた人間じゃないとわからない。根本の根本がわからないからな。「つらさ」の「つらさ」がちがう……ということを書いたけど、けっきょく、普通のつらさしか経験してない人は、特殊なつらさがわからない。とくに、長期間にわたる特殊なつらさがわからない。だから、わからないまま、自分が感じてきたつらさをベースにしてものを言うしかない。そのばあい、どうしても、根性論になりがちだ。けど、そういう人でも、本人が、認知症になってしまった、本人が根性論をずっと他人に言っていたということをわれてしまうのである。

2020年3月3日火曜日

すべて、長期騒音の日々とおなじ状態になってしまう


つかれた。だれがなんと言おうが、俺はつかれた。つかれたんだ。正直言って、だるい。風邪をひいたのかもしれない。このあいだラーメン屋から帰ってくるとき、くしゃみが出て、そのあと、喉がいたくなったんだよな。葬式のときも風邪をひいている人がいたんだけど、たぶん、その人は関係がない。まあ関係があるにしろ、俺が出て欲しくて出てもらったのだから文句はない。
けど、昨日、喉がいたくなった。いまは、そんなにいたくない。
けど問題は、喉の痛みではなくて、体のだるさだ。これは、たぶん、長期騒音が影響していると思う。長期騒音を経験してない人から「病は気から」なんて言われるのがいやなんだよな。どれだけ俺が長期騒音でくるしい思いをしてきたか。長期騒音で体力がおちて、こまっていたか。長期騒音で眠れなくなったか。睡眠回路が壊れてしまった。葬式の前もなかなか眠れなくてこまった。すべて、長期騒音の日々とおなじ状態になってしまう。

いちりある。けど、あるのは、いちりだけだ


動きたくない。動きたくない。
やっとのこと、起きて、水を飲んだ。水分補給は大切なのだ。
動きたくない。
明治ヨーグルトが食べたい。明治ヨーグルトじゃないとだめだ。むかしの明治ヨーグルトに一番味が近い十勝なんとかヨーグルトが欲しい(正式名称は、覚えてない。これは、読んでないから、覚えてない。
けど、まあ、そういうことはどうでいい。ともかく、俺は、明治ヨーグルトを売っているローソン100に行きたいのだけど、ほんのちょっとだけ、遠い。いま
2020年03月03日05時11分37秒
だけど、そのローソン100は、やっている。セブンイレブンのほうが近いんだよな。けど、セブンイレブンですら、行きたくないのだ。なんか、つかれた。うごきたくない。どうしたものか?
つかれた。
もう一回、寝るか。
ほんとう、動きたくない。ズボンを履いて外に出ることを考えると、いやな気分になる。やっぱり、つかれているときは動きたくないんだね。俺が長期騒音中、どれだけ、いやな思いをしてきたか。そして、動きたくない時間動いてきたか。意を決して、動いたか。動きたくない人に、意を決して動けば、動ける……と言う人がいる。「元気だ元気だ」と言えば、元気になる……と言う人がいる。動きたくないなんていうのは、甘えで、まず、動けば動けるというようなことを言う人がいる。いちり、ある。けど、いちり、だけだ。動けば動けるし、そういうことを繰り返せば、体がなれてくる。習慣化できる。……だから、「うごきたくない」なんてことは、なくなる……と言う人がいる。いちり、ある。いちりある。けど、あるのは、いちりだけだ。これ、わからないのかな? つかれているときは動きたくないし、高ストレス下で、動きたくないと感じているときは、いちりあるとぼくが言った方法はまったく無意味だ。百歩譲って無意味。ほんとうのことを言ってしまえば、有害ですらある。けど、そういう人たちは、「からだがなれる」人のことだけ言っている。言及している。騒音生活が続いてつかれている人のことは考えてない。騒音生活が何日も、何千日も続いているとき、そういう『むり』は有害なことだ。これがわからない。『人間はこうだ』と言いやがる。そして、マウントをとる。これは、元気な人が元気ではない人に『元気だ元気だと言えば元気になる』というようなことを言ってマウントをとるのとおなじだ。

2020年3月1日日曜日

過去は関係がない? そんなことはない


いまさら、どれだけ言ってもしかたがないということになるけど、ほんとうに長期騒音でくるしい。いま、くるしい。過去の長期騒音で、いま、くるしい。どうしてこれがわからないのか? 過去は関係がない? そんなことはない。過去は関係がある。だいたい、『過去は関係がない』などと人に言う人は、実際の生活場面では、「自分の過去」の影響を受けている発言をしている。ただ単に、気がつかないだけだ。ほんとうは、過去の影響を受けていま存在しているのに、そういう影響がまったくないように言うのは、おかしい。気がついてないだけで、本人も、過去にかんすることをいっぱい言っている。昨日、マスクを買いに行ったけど、マスクがなかったとする。その場合、今日マスクがないのは、昨日マスクを買いに行ったにもかかわらず、買うことができなかったからだ。マスクのストックはないとする。それは、とりもなおさず、『過去の影響を受けている』ということなのである。そして、誰かに『マスクを買いに言ったけどなかった』というようなことを言ったとする。その発言は、たいしたことじゃないけど、言った途端に『過去の出来事』になる。『マスクを買いに言ったけど、なかった』というあなたのの言葉にだれかがこたえたなら、だれかがこたえるという行為は、あなたの過去の行為によって引き起こされたことなのである。そういうことが積み重なって、現在の自分がいるのだから、過去のことは関係がないなど言えるはずがない。関係がないと考えることができるほど微少の影響しか与えない過去の出来事があるということなのである。影響度の問題なのである。すべての過去の出来事がいまの自分に関係がないなんてことはありえない。『過去なんて関係がない』と自分に対して言うのはいい。それは問題がない。そう思いたいだけなのだからそう思えばいいし、そう言いたいだけなのだから、そう言えばいい。しかし、人に言うな。

2020年2月28日金曜日

迫害者との楽しい思い出なんてあるわけがないだろ


俺、ほんとうに『父との楽しい思い出』なんてないわ。迫害者との楽しい思い出なんてあるわけがないだろ。しかも、つもりがない迫害者。俺のからだが親父よりでかくなったときに、とりあえず、精神的な虐待は、なくなったけど、それだからと行って、親父の基本的な構造がかわったわけじゃないんだよ。脳みその構造が変わったわけじゃない。こういうところがわかってない人がいるんだよな。過去は関係がないとか……。あるに決まっているでしょ。しかも、過去は関係がないなんていっている人は、みんな、健常者に育てられたやつばかりなんだよ。こんなのない。過去は関係がないなんていっている人は、ほんとうの意味での妨害工作がわかってない。人の人生を台無しにする行為にこだわり続けて毎日ずっとやっているのに、まったくそのつもりがない人の構造というのがわからない。たとえば、AさんがBさんにそういうことをした場合、Bさんはどんなことをされても、あきらめてゆるさなければならないということを言っているんだぞ。「過去なんて関係がない」と言っている人はそういうことを言っている。Bさんがゆるさなくても、Aさんはそのうち白骨になって、骨壺におさまり、けっきょく、Bさんがどれだけ責任追及をしても、まったく関係がないところに行ける。だから、「あきらめるしかない」というようなことは、一面正しい。けど、ちがう。これ      わかってないんだよ。人生のなかでずっとやられてきた人じゃないとわからない。

いつもいつもおなじだ。

いろいろ、感じたことはあり、いろいろ、書かなければならないのだけど、書けない。書いたとしても、やばい部分は公開できない。あー、これからどうするかな?
頭のなかをまわっているものはある。あるんだよ。
俺がほんとうにひとりぼっちになってしまった。ときどき、うっっってなる。しかも、最後に親父が俺にしたことがひどいんだよ。たぶん親父はひどいということもわかってないだろう。いつもいつもおなじだ。けっきょく、生きているあいだ、そうだったな。
なんか、俺は、いつも死を意識するようになってしまった。それはやきあがった白骨を見たからじゃない。大きな箸でつまんで壺に入れたからじゃない。ああっ、そうじゃないんだ。けど、それも関係、あるかもしれないなぁ。二重にうつっている。ともかく、死を意識するようになった。もともと、ヘビメタ騒音で楽しめなかったけど……常に、ヘビメタノ影響を受けて、楽しいという感情がわかなかったけど……楽しいと思う時間がなかったけど……さらに、楽しいという感情が……。ちらつくのである。
これは、やばい。
ほんとうに最後までたたってくれたなぁ。俺はちゃんと葬式をやってやったのに。いつも、こうなんだよな。親父が俺にやってくれたことで、俺が助かったと思いをしたことがない。親父自身がやる気になってやったこと……親父時間が思いついて、俺のためにやったことで、俺がしあわせになったことがないのである。そうじゃなくて、苦労、苦痛を与える。とてつもなくイライラする。激しい怒りを感じる。絶望を感じる。あいつが俺のためにやったことというのは、いつもそうだ。いつも、くるしみや不安がつきまとう。あいつが俺にやってくれたことで、俺がうれしいと感じたことがないのである。
ほんとうに、気違い親父。おまえ、俺に怒り狂ってたたるだけじゃなくて、そういうことでもたたっているんだ。おまえが勝手にやりたくなってやったことで俺がどれだけ迷惑を被っているか。もう、いやだ。最後の最後に、ほんとうにいやな思いをさせてくれたな。あんなのないよ。
そんなことじゃなくて、たとえば、俺が「ネズミバスターズにたのんだほうがいい」「ちゃんとネズミ対策用の工事をした方が良い」と言ったとき、「そうだそうしよう」と言ってほしかったのである。それがおまえは「おれがやるからいい!!俺がやるからいい」と怒り狂って絶対に、こっちが言うとおりには動いてくれない。結果、ネズミの糞が家中にまかれることになったじゃないか。そして、ダニにさされながら、ネズミの糞をかたづけるのが俺なのである。親父の部屋に親父の時計をとりに行ってものすごくかゆい思いをするが俺なのである。

2020年2月25日火曜日

相手にも「気持ちがある」ということが、根本の根本でわかってない


自分の気持ちばかりの人っていやだな。相手にも「気持ちがある」ということが、根本の根本でわかってない。どれだけ、そいつが「わかっている。わかっている」と言ったって、根本の根本で、わかってない。人だって……他の人だって、感情があるんだということがわかってない。根本的にわかってない。
根本的にわかってないというのはほんとうに、根本的にわかってないのであり、「わかる脳みそ」がないのである。「わかるつもりの脳みそ」はあるかもしれない。それは、自分勝手な思考に満ちている。自分の感情しかない。「わかるつもりの脳みそ」は、自分の側の感情しか考えてないので、やはり、相手の感情はわからないのである。
これ、ほんとうに構造的に抜け落ちているわけで、脳みその構造に欠陥がある。だから、どれだけ言われてもわからない。どれだけ説明がうまい人が、自分の気持ちについて説明しても、わからない人は、わからない。根本的にわからないから、根本的なところを無視した行動をする。けど、常に根本的なところを無視した行動をしているのに、それがわからない。だから、悪意がないのに、常に、相手の心をボロボロにするということになる。相手がいやがることをするということになる。自分のなかでスイッチが入ったら、相手がどれだけやめてくれ」と言っても、どなってもどなっても、やめない。
「やめてくれ」「やめくてれ」とその人の前で何十回絶叫してもやめてくれない。
頭がおかしい人(やってやるという気持ちになってしまったら、相手がどれだけやめてくれと言ってもやめない人)が、「どうしてだ」と相手に聞くことがある。どうしてやって欲しくないのかについて、相手がどれだけ説明しても、これまた、わからないのである。根本的にわからない。ギャグのように何回も聞きやがる。何十回説明しても、理解しない。相手の気持ちは絶対に理解しないことになっている……のである。

「明るい人は良い。暗い人は悪い」という風潮に異議がある


明るい人と暗い人をくらべると……という話になった場合、かならず、明るい人が良く言われて、暗い人が悪く言われる。けど、善人であるとか悪人であるということは、暗いか明るいかでは決められない。明るい悪人もいれば、暗い善人もいる。善悪ではなくて、ただ単に、性格が良いとか性格が悪いということも、暗いか明るいかでは決められない。しかし、なぜか、暗い人は性格が悪く、明るい人は性格が良いというイメージがある。そして、比較の話しでは、常に、明るい人が良い人で、暗い人は悪い人だということになる。こういうステレオタイプはよくない。こういうイメージしかもてないというのであれば、それはよくないことだと思う。
だいたい「暗い人」と言った場合には、ネガティブなイメージが含まれている。「暗い」という言葉のなかにすでにネガティブなイメージが「こめられている」ので、発言者は暗い人は悪い人だというイメージを持ってしまうのである。暗い人ではなくて、落ち着きがある人、冷静な人、思慮深い人というような言葉を使えば、悪いイメージは払拭される。「おとなしいひと」は中立的で、「おとなしい」ということを良いことだととらえる人と、悪いことだととらえる人がいると思う。「おとなしい」には「従順」などの意味も含まれる。その従順というのがまた、現代では、ネガティブなイメージがあるものだと思う。暗い人が、おとなしい人である場合、明るい人よりも、「他人」のことを気にしている場合が多いと思う。他人に配慮することができる人なのだ。しかし、自己主張の度合いが小さいため、ゆずらなくてもいいところでゆずってしまうかもしれない。しかし、ゆずらなくてもいいところでゆずってしまう人は、悪人だろうか? 善人だろうか? ゆずらなくてもいいところでゆずってしまう人は、本人は苦労するかもしれないけど、まわりの人は、それでたすかる場合がある。まあ、ゆずってしまう人がたすからなくていいということはではない。それは別の問題だ。そして、言語の問題は「ゆずらなくてもいいこと」という言葉にも発生する。作者であるぼくが「ゆずらなくてもいいこと」と書けば、「ゆずらなくてもいいこと」になってしまうのだけど、この世では、それは、一元的には決まらない。それぞれの立場とそれぞれがもっている情報で、「ゆずらなくてもいいこと」が決まってくる。どこか中立的な空間に、中立的に「ゆずらなくてもいいこと」が浮遊しているわけではないのだ。けど、「ことば」という抽象的な世界だと、あたかも、「ゆずらなくてもいいこと」が固定的に存在するかのような影響を与えてしまう。だから、これは、言葉の問題として指摘しておきたい。これは、実は、認知療法の本などを読むときも、注意しなければならないことだ。
ともかく、意図的かどうかはわからないけど、暗いのは悪いというイメージがあり、一種のイメージ運動がある。けど、その人が善人かどうかということと、暗いか明るいかは関係がない。また、その人が「良い人」であるかどうかと、明るいかどうかは関係がない。
「あかるいのはせいぎ」「くらいのはあく」というイメージを育てるための啓蒙が行われているけど、それは、おかしい。啓蒙が行われているかどうかだって? そりゃ、普通の人が文章を書けば、「明るい人は良い。暗い人は悪い」という前提で文章を書いてしまう。それは、ポジティブとネガティブでもおなじだ。積極的と消極的でもおなじだ。ともかく、人のことなんてかまわないで、積極的に、自分の人生を楽しむことが奨励されている。けど、そういう人たちの、犠牲になる人がいる。そういう人たちの犠牲になる人がいるというとが、そういう積極的な人たちにはわからない。

幼稚園

幼稚園はいつも通り、うるさい。
死んでいく人と幼稚園生。
まあ、いまは、たいていの人が幼稚園生を経験して死んでいく。親父は、幼稚園生というのは経験してないな。

ともかく、俺は、日時を決められるとだめだ


ともかく、俺は、日時を決められるとだめだ。前の日から眠れなくなる。それは、毎日、ピンチだったからだ。毎日、時間の都合がつかなかったからだ。毎日、ヘビメタ騒音が鳴っていたからだ。ヘビメタ騒音を平日は午後四時から午後一一時一〇分まで、土曜は午後一時から午後一一時一〇分まで、日曜日は午前一〇時から午後一一時一〇分まで、鳴らされていると、眠れなくなる。夏休み、冬休み、春休みは、午前九時一五分から午後一一時一〇分までだ。で、ほんとうに、毎日続く。「途中でやめてくれる」ということが一切合切ない。だから、試験前の冬休みだって、もめてもめてもめてもめて、いるのに、気違い兄貴が自分がやりたい時間、ずっと鳴らしている状態でもめているので、まったく勉強ができないのである。それでまったく悪いと思ってないんだよ。まったく勉強の邪魔をしていると思ってない。試験の邪魔をしていると思ってない。俺の進学を邪魔していると思ってない。

希望とのせめぎ合いによる合成絶望


基本、この雰囲気は、気違いヘビメタが鳴っていた、試験前日の雰囲気だ。いま
2020年02月24日23時55分22秒
で、午後11時11分には鳴り終わっているのだけど、午後11時11分まで、大切な試験の前だというのに、一〇時間ぐらい、気違いヘビメタ騒音に……どれだけやめろ言っても……さらされて、くるしい状態になっている。勉強の復習をしたいのに、それができない。ヘビメタ騒音のなかで復習しようとすればするほど、頭がこんがらがって、爆発してしまう。こころが爆発。覚えていたことも忘れてしまう。学校で聞いているときはできた文章問題もできなくなってしまう。横暴な人……気違いが鳴らしている……家族である気違いが鳴らしている騒音のなかで……ぼくがひとりで発狂している状態なんだぞ。発狂して問題集とにらめっこをしている状態なんだぞ。どれだけ言っても、気違い兄貴は、ハンダゴテの親父のように認めない。ハンダゴテの親父というのは、ハンダゴテ事件の時の親父のようにという意味だ。おなじなんだよね。破壊的にうるさい音が鳴っている。佐藤のような人間は、「うち」で、ヘビメタ騒音レベルの音を聞いたことが、一生のなかで一度もないと思う。だから、音のデカさがわからない。普通の騒音だと思ってしまう。くるしくても笑えばどうにかなる(たえられる)という人も、たぶん「うち」でヘビメタ騒音レベルの音を聞いたことがない人だと思う。

……そんなんじゃないから……。
話し合えばいい……。
……そんなんじゃないから……。
話し合えばいいという人に『兄貴のことを説明しても』通じないんだよな。こっちはこっちで通じない。佐藤もそういう「け」がある。そういうやつらの感覚はわかる。普通の人の感覚だ。異常者が家にいない人の感覚だ。どれだけの意地でやるかわかってない。そして、やり通しているのに、まったくやったつもりがないという主観も、わからない。気違い兄貴や気違い親父が普通にもっている主観が、たぶんまったくわからない。見たことがないから、わからない。「うち」にいるときの気違い兄貴の状態を見たことがないからわからない。ほんとうにまったくやったつもりがないんだからな。そして、親父とおなじように、まったく役に立たない譲歩をしてやれば、一〇〇%ゆずってやったと思ってしまう。だから、ほんとうに「ゆずってやったのになんだ」と怒って、気違い的な音でひきやがるんである。エレキギターをひきやがるのである。で、俺が、ヨソの人になめられる。俺がヨソの人に、だらしない人間だと思われる。俺がヨソの人に甘えていると思われる。たとえば、起きている時間に一〇時間……六時間でも、ヘビメタ騒音にさらされると、眠れなくなる。これも、佐藤や「笑えばどんなにくるしいことも乗り越えられる」と言っている人が経験したことがないことなのである。こいつらは、経験してないのに、自分なら、眠れると思って、俺をバカにする。これも、バカにしているつもりがないのだろうけど、「自分はできる」という立場で、それができなかった俺のことを揶揄しているのだから、バカにしているのとおなじなんだよ。「できないのは、だらしがない」「できないのは、甘えている」と思っているわけだから。そんなのは、「のりこえられる」ことなのである。「どれだけ騒音が鳴ってたって、終わってしまえば眠れるわけで、眠れないなんてことはない」と思っている。眠れないとしたら、エイリさんが悪いんだ(こだわりすぎるから悪いんだ)(神経質だから悪いのだ)と、そもそもの前提として思っている。いろいろな思いこみが重層的に積み重なって、実際に発音される言葉が発せられるのである。
「俺ならそんな騒音は気にしないで勉強できる」……という前提が頭の中に成り立っている成り立っている。「どんなにでかい音で鳴っていても、それがどれだけ長い期間毎日続いていたにせよ、俺だったら、音が鳴りやめばすぐに眠れる。眠れないなんてことはない」……という前提が頭の中に成り立っている。人生の中で一回も経験したことがない騒音なのに、そういうことを勝手に思って、勝手なことを言う。
もう、いやだよ。気違いヘビメタで他のやつからなめれるのはいやだよ。ダイヤだって……親友のダイヤだって……のちにちには、本当に心配して言ってくれたことだけど……。俺にはたえられない発言があった。これ、ほんとうに、気違い兄貴の態度で気違いヘビメタ相当の音にさらされ続けた人間じゃないと、まったくわからない部分がある。それを、想像して、軽く決めつけて、発言する。発言するとしたら、(実際には経験してないのだから)そういう発言をするしかないということになる。で、そこには、距離がある。ぼくが感じた絶望との距離。ぼくが何万時間も十何万時間も感じた、絶望との距離。その絶望というのは、単なる絶望じゃなくて、希望とのせめぎ合いによる合成絶望なのである。これがわかってない。「どうにかしよう」という気持ちが長く続かなかったら、あんなに絶望しない。どうにかしよう」という気持ちが、気違いヘビメタ騒音のなかで続かなかったら、あんなにひきつって疲れ果てて、ボロボロになってない。これがわかってない。なにもやってないのだと思っている。自分がちょっと考えて思いつく方法で解決できることだと思っている。そうじゃないと言っても、これまた、わからない。相手はわからない。どうしてかというと、気違い兄貴のような家族がその人にはいないからだ。そして、気違い的な思考の持ち主が、気違い的な感覚で、気違い的な態度で、気違い的なヘビメタを、気違い的にデカイ音で鳴らしたということがないからだ。「言えば」静かにしてくれる家族なのである。
この、ちがい。どれだけはいっちゃっているかわからない。あにきがどれだけはいっちゃっているかわからない。そして、兄貴はほんとうに気違い的に「自分にとって都合がいい」考え方しかしない。そういう知覚・感覚システムが成り立っている。自分の感情で、事実を言いかえてしまっても、それに気がつかない。ほんとうは、ものすごくデカイ音でデカイ音で鳴らしていても、「こんなのはたいした音じゃない」と本人が思ったら、その瞬間から、何十年でも「たいした音じゃない」ということになってしまうのである。気違い兄貴の頭の中でそうなる。気違い兄貴が正常な耳を持っているのに、事実を言いかえて「小さな音だ」「普通の音だ」と認知・認識してしまう。まあ、自分のヘビメタ騒音で実際に耳が悪くなるんだけど。そういう耳が悪くなるようなでかい音で鳴らしているのに、こんなのはフォークギターぐらいの音だと思ったら、フォークギターぐらいの音にしか聞こえないのである。

2020年2月22日土曜日

言っていることよりも、立ち位置を見なければならないのである


話す人がいない。けど、話す人がいれば俺が気持ちよく、楽しく、くらしていけるのかというとちがうのだ。これが問題だ。これが、問題なんだ。どうしても、ヘビメタ騒音の問題がある。そして、これは、精神や経済の問題の基盤になる問題だ。完全にリンクしている問題だ……。これ、が、きつい。どのみち、きつい。どうしても、きつい。
どうしたって、これがかかわる。そして、他者は、理解不能なのである。これに関して、他者は理解不能。だから、気楽なことを言う。気楽なことを言われると、基本的に落ち込む。それは、やられていたさいちゅうもそうだ。
俺がどれだけいい人でも、孤立せざるを得ないのである。これが、ヘビメタ騒音問題だ。俺がどれだけ能力のある人でも、低能力で暮らし好かないという問題なのである。もちろん、他人の能力なんて、ほんとうは関係がない。けど、そういうことではなくて、ほんとうに、なんて言うのかな、気違い兄貴なめられてヘビメタ騒音を鳴らされていると、他の人からなめられるようになるのである。能力的になめられるようになる。「働いたほうがいい」というアドバイスをする佐藤のような人間だって、ぼくが、ヘビメタ騒音にさらされずに、教育職についていたら、絶対に、そういう「なめた」発言をしない。あれ、全然なめてないように思っているかもしれないけど、ほんとうになめている。完全に格下のものとして、見下している。だから、そういう発言ができる。そして、それが「とうぜん」なのである。どうしてかと言えば、「はたらいてないのだから、(そう言って)当然だ」という気持ちになる。相手は(つまり、佐藤からみて俺は)そう言われて当然の存在なのである。どうしてかというと、働いてないからだ。で、そういう「みなしかた」全体が、俺のばかにしているのである。
「過去なんて関係がない」「いましかない」などと言っている人たちは、他人の過去を見ている。いま現在の職業は、その人が過去においてなにをしてきたかのバロメーターなのである。「現在の職業」はその人の「過去の業績」に関するバロメーターみたいなものなのである。


だいたい、「過去なんて関係がない」「いましかない」などと言っている人たちは社会的な地位がある人と社会的な地位がない人だ。これはどういうことかというと、いちおうは社会的な地位の高い人達が、いちおうは社会的な地位が低い人達をだましている。ある人は、ミスリーディングなどと言っているけど、ミスリーディングなんてものじゃないのだ。発言者の言葉よりも、発言者の立ち位置をまずみなければならないのである。そうしないと、完全にだまされる。社会的な地位が高い人達が言うことを、社会的な地位が低い人たちがありがたがって聞くのは、みずからすすんでだまされるようなものだ。言っていることよりも、立ち位置を見なければならないのである。
「いまに集中すればいい」という人たちが無視していることが、社会的な地位が低い人達の現実なのだ。だから、社会的な地位が低い人達は、「いっしゅん」だまされてしまうのである。現実に集中すればいいというのが、現実無視なのである。一八〇度意味がちがう。どうしてそれがわからないのか? 「だまされた?」「ミスリーディングを誘う表現だ?」……「いや、だまされたくてだまされたんでしょ」「ミスリーディングしたくてミスリーディングしたんでしょ」……。
どうして、彼らが言っていることに集中してしまうのだ。彼らの立ち位置をまずみて、彼らが言っていることを、聞かなければならないんだよ。


まあ、話がずれたな。けど、だましている方も、だましているつもりがないんだよね。まさしく、自分自身をだましている。

2020年2月20日木曜日

ぼくにはどうなのだろう?


小学生には未来がある。
親父にはない。
ぼくにはどうなのだろう?
あと、ヘビメタ騒音の話を聞いたあとの態度で、その人の才能がわかる。

どうして、ヘビメタ騒音を、気楽な問題としてとらえるんだ


生活の基盤を壊されて生活していて、いいはずがないだろ。どうして、ヘビメタ騒音を、気楽な問題としてとらえるんだ。毎日、一日がぼろぼろでいいわけがないだろ。世界一嫌いな音が、横の部屋でがんがんがんがん、何時間も何時間も鳴っている一日が何千日も続いて、いいわけがないだろ。どうして、佐藤のような人間はそれがわからないのか。佐藤のみならず、教師は、みんなそんな対応だったぞ。

進学に影響を与えないわけがないだろ。生活態度に影響を与えないわけがないだろ。

けっきょく、昨日眠ってない。また、28時間起きているような状態で行動しなければならない。俺は、ヘビメタ騒音以降、毎日、そんな感じなんだよ。そういう身体感覚なんだよ。


ほんとうに、こっちがどれだけこまっていても、一分もやめてくれなかった。それが気違い兄貴だ。気違い兄貴の意地がわかってない。他のやつらは、気違い兄貴の意地がわかってない。感覚がわかってない。頭の構造がわかってない。毎日、そうやって、基本的な人権を踏みにじられていいわけがないだろ。

葬式のことで業者と会わなければならないけど、そういうときだって、まったく眠ってない状態であわなきゃならないんだぞ。そして、そういうときの身体状態、は、ヘビメタ騒音を鳴らされていたときの身体状態とおなじだ。憂鬱は、どうにもならない。親父の死よりも、気違い兄貴のヘビメタのほうがずっとずっとずっとずっと、重要な問題なんだよ。気違い兄貴が5000日以上、気違い的な意地でやり続けたから、俺の一生が全部、パーなんだぞ。そして、そういう状態で、葬式の相談をしなければならないんだぞ。葬式には、兄貴は呼ばない。それはもう、ずっと前から言ってある。

ヘビメタ騒音を鳴らされていたときの身体状態は、たとえばの話しだけど、日中活動しているときも、こんな感じなのである。これが、どういう意味を持つか、他の人はまったくわかってない。

気楽な問題であるはずがないだろ。過去のことになれば、忘れられる問題であるはずがないだろ。可のことになれば影響を与えない問題であるはずがないだろ。どうしてわからないんだ。気違い兄貴のやり方が、異常すぎるから、他の人にはわからないのだろう。ヘビメタ騒音なんて、簡単な問題だと思っていやがる。これ、ほんとうに、俺とおなじ、状態で毎日暮らしてろ。どれだけ、言霊や積極思考が、意味のないものかわかる。

言霊や積極思考は、俺をくるしめるものでしかなかった。ヘビメタ騒音という圧力がある以上、普通の人とつかれ方が違う。一日の時間のたちかたがちがう。一日の身体感覚がちがう。

いま、数百人の幼稚園生の内何十人かがさわいでいるけど、そういう騒音じゃないと言っているだろ。どうして、わからないんだ。ヘビメタ騒音はそういう日常的な騒音じゃないんだよ。あんな異常な音を何時間も何時間も続けて聞かされて、いいわけがない。一日で死にたい。どれだけがんばっても、死にたくなる。がんばるとか精神論的なことは、一日が普通にたつ人間が言うことなんだよ。普通に、部活動や社会人生活が成り立つ環境の人が言うことなんだよ。そいつらだって、気違い兄貴のヘビメタとおなじ音をずっと俺の環境でやられたら、そういうことは言ってられなくなる。くるしいと言ったって、スポーツや残業でくるしいと言うことだろ。それが、成り立っているなら普通の生活だ。おまえ、帰ったあと、気違いが、横の部屋で、気違い的にデカイ音で、おまえの嫌いな音をずっとならしていたら、どう思うんだよ。それが家族だったらどう思うんだよ。どれだけ言っても、聞かなかったら、どう思うんだよ。殺したい気持ちで、ずっと、気違いの音を聞かされてしまうんだぞ。その異常な空間の苦痛がわかるか?


親の死は、普通に考えて、騒音一分よりもでかい出来事だと思うだろ。けどちがうんだよ。ヘビメタ騒音の一分は……内のヘビメタ騒音の一分は、親の死よりもでかいことなんだよ。なんで、それがわからない。全部が崩壊する。気違い兄貴のせいで、人生の用意がまったくできないまま、親の死を迎えてしまっただろ。

つらくても明るく振る舞うべきだということを言っているやつは、ここらへんのことがまったくわかってない。どんなにつらいことがあっても、笑えば、(元気になるとか言っているやつは、ヘビメタ騒音のことがまったくわかってない。そんなんじゃない。そんなのは、言ってられない。何千日も続いたらどれだけ、『笑えば元気になる』と言う人だって、つらい顔になる。憂鬱な顔になる。元気がない状態になる)
そのとき、他の人が、『笑えば元気になる』なんて言ったら、どう思うよ。

あっけないね


俺が小さいとき、あんなに怒り狂っていたのに、あっけないね。小さなことで怒り狂うというのはわかるけど、理由がないことで怒り狂っているんだからな。あれは、こたえたね。それに、『気にしなければいい』系の人に言っておきたいけど、それは無理なのだ。理不尽なことで四六時中怒り狂われているということは、そういうレベルのことではない。

2020年2月19日水曜日

ヘビメタで人生がない。どうしても、つらい


ヘビメタで人生がない。どうしても、つらい。俺がやってきたことはなんだったんだ。おれがやってきたことは……。

あんまりにも、他の人とちがうから、認知療法的な理論やポジティブ思考なんて吹き飛んでいる。言霊とか、根性論とか、他の人が受け入れやすい考え方もふっとんでいる。これ、だれにでもある幼児的な万能感にもとづいているものだから、人間はだれもこういう考え方に親和性があるのである。しかし、ちがう。ちがうのだ。

俺の考え方は、他の人に受け入れにくいわけで……。ほんとうに、気違いヘビメタ騒音がなく、認知療法的な理論やポジティブ思考、言霊や根性論のゆりかごのなかですごせたら、どれだけ俺にとって楽だったか。

ヘビメタ騒音でそういうものは吹き飛んだ。

佐藤みたいなやつは、ヘビメタ騒音にやられても普通に働けると思っているんだよな

親父、死す。

これで、俺は本当にひとりぼっちになったな。
(俺がうちに一人で住んでいたのは事実)
長期騒音で嫁さんとかいないしな。


このさきどうするかな?
まあ、もちろん、いろいろとやらなきゃならないことがあるんだけど。
いちおう、葬式は25日だ。いま、決めてきた。

どうするかな。

義理の姉には電話を掛けたけど、親戚の電話番号がわからない。だから、それ、書いておいてと言っておいのたに。それはおかあさんの時だ。


兄の長期騒音にやられてから、俺はくるしいだけの人生だったぞ。だったぞ。親父は俺のことを(つもりはないわけだけど)さんざん精神的に虐待しやがって。暴力は二回だけだ。あー。しかし、あっけないものだな。



特養から電話がきたとき、また入院かなと思った。

けど、今回は、入院じゃなかった。死亡確認だけ。死亡届をもらってきたよ。本当にヘビメタ騒音が鳴ってからの俺の人生というのがつらすぎる。ヘビメタ騒音の原因は、親父にもある。親父が気違い兄貴をいじめたから気違い兄貴があんな風になってしまった。で、気違い兄貴の頭の構造と親父の頭の構造がおなじなんだよ。ヨソの人にはまったくわかってないけど。なので、気違い兄貴が、気違い親父みたいな態度で、ヘビメタを鳴らしまくって絶対にゆずってくれなかった。ゆずってくれなかった。ゆずってくれなかった。

佐藤みたいなやつは、ヘビメタ騒音にやられても普通に働けると思っているんだよな。ヘビメタ騒音にやられても、やられてないときとおなじような大学に(努力で進学できると思っているんだよ)。けど、ちがう。進学も結婚も、ヘビメタ騒音にやられて、できなくなった。




あの中で、殺せずにすごしてみろ


まじ、肩がいたい。
俺は本当にどうなっちゃうんだ??
いろんな記憶の断片が浮かぶ。まじで、むなしい。
ほんとうに、鳴ってたな。でかい、でかい音で鳴ってたな。
絶対にやめてくれなかったな。あの音が全部、ぶっ壊した。

ヘビメタ騒音なしで生きたかった。いちおん、いちおんが、俺の神経をぶっ壊す。睡眠回路をぶっ壊す。能力をぶっ壊す。


ぜーーったいにやめてくれなかったんだよな。


あの音の持続が、くるしい。


じぞく!だから。じぞく!だから。終わらない。さがったまま、時間がすぎていく。むだな時間だけど、むだと言うよりも、マイナス。あれ、俺が騒音のなかでがんばればがんばるほど、神経が壊れて能力がけずられていく。

完全なマイナス時間。

過去のことは関係がない?
そういうことを言ったやつはまるまるまるまるたい。

自己責任?
おまえ、あの中ですごしてみろ。おまえ、あの中で、殺せずにすごしてみろ。あの気違い騒音のなかで暮らしてみろ。そういうことを言うやつはまるまるまるまるたい。

なんで俺だけ、気違い家に生まれて、気違い騒音漬けになるんだよ? 他のやつら、まったくわかってないから、普通の騒音だと思っちゃうだろ。「そんなんじゃない」って何回も言っているのに。

殺さずに、我慢した俺がまるで悪いみたいに言われる。どれだけの騒音が鳴ってたか。あのなかで勉強ができる人なんていない。ヘビメタが好きなら別かもしれないけど、自分のヘビメタじゃなくて人のヘビメタだったらどうかな。あんなの、ない。じゃあ、ヘビメタじゃなくて、自分が一番この世で嫌いな音でいいよ。あのおとのデカさで、自分がこの世で一番嫌いな音が鳴ってたら、勉強なんてできる人はいない。で、ただ単に勉強ができないだけではなくて、ほんとうに、能力がけずられていく。つねに、マイナス。つねに、毒。プラスマイナスゼロじゃなくて、マイナス。つねに、毒。鳴らされたあと何時間も眠れなくなる。あのときの疲労感と言ったらない。頂点で腹が立ち続けて、感情がおかしくなっている。眠れない。五時間は眠れない。成長期、学生時代、ずっと毎日、日曜日も含めて、そんなことが続いて、いいわけがない。けど、ヨソの人は、知らないから、俺がサボっていると思う。ヨソの人に気違い兄貴のことを説明しても、佐藤みたいに、『そんな人いるのかな』と思って、俺が嘘を言っているように思う。佐藤みたいに『鳴っていたとしても親がなにも言わないのだったら、たいした音じゃないのだろう』とヘビメタの効果をあまくみる。






2020年2月18日火曜日

いつから日本は、こんなことになったんだ?


恵まれない人たちが、さらに恵まれない人たちにマウントを取って喜んでいるような状態なんだよな。けど、喜んでいると言ってもほんとうに喜んでいるわけではなくて、いじめて喜んでいるだけなので、どんどんこころがすさんでいく。

不思議なことに、精神世界の人が、特にそういうことをやる。

『引き寄せ』と『自己責任論』が結びつきやすい。不幸な人は、不幸なことを引き寄せたから不幸なんだと言い出す。病気になった人は、病気を引き寄せたからダメなんだということを言い出す。そして、『病気にならない』と言えば、病気にならないということを言い出す。ようは、対象方法は言霊的な呪文の世界だ。

けど、呪文と病原菌は別の原理で動いている。手短に言うと、抵抗力がおちている状態で、病原菌がいっぱいいるところに行くと、病気になりやすい。病原菌による病気の場合はそうだ。『病気にならない』と言うことと、病原菌が増殖するシステムはちがう。

『病気にならない』『病気にならない』『病気にならない』『病気にならない』『病気にならない』と言うことで、多少は、抵抗力が上がる場合がある(かもしれない)。しかし、その影響は絶対的なものではなくて、ほんの少しの影響しか与えないか、まったく影響を与えない。

なので、『病気にならない』『病気にならない』『病気にならない』『病気にならない』『病気にならない』とどれだけ呪文を繰り返しても、病気になってしまう場合がある。それは、他の条件が悪かったからだ。

で、病気になってしまったら、病気になったで、『病気は治る病気は治る病気は治る病気は治る病気は治る病気は治る』と言うと、病気は治るということを言い出す。けど、それも、『病気は治る』と言うと、多少の抵抗力が上がる人もいるかもしれないので、まったく効かないとは言わないけど、『治る』かどうかを決定づけるような要素ではない。

ところが、『治ると言えば治る』と人に言っている人は、そうは思わない。『治る』ということが決定的に重要なことで、『治る』と言えば、どんな病気も治ってしまうのである……。その人の頭のなかでは……。その人は、ほんとうにそういうことを言っているのである。

けど、その人が、実際に病気になった場合は、病院に行ったり、クリスを飲んだりするのである。『治る』と言えばどんな病気も治るんじゃなかったのか? どうして、そういう嘘情報を人には本気で言うのに、自分はちゃっかり、医者に行くのか? だいたい、「病気にならない」と言えば、病気にならないんじゃなかったのか? 病気にならないといっていたにもかかわらず病気になったのなら、自分が言っていたことがまちがっていたということに気がつかないのか?

気がつかないのである。

自分はちゃっかり、医者に行くのに、他の人には、『治る治ると言えば病気は治る』なんてことを言いまくっているのである。

そのときは、本人は病気じゃないから、病気の人に対して、マウントを取れる。『病気になると思ったから病気になるんだ』といい気分で言うことができる。『病気になると思ったから病気になるんだ』のあとには『だから、自己責任だ』という言葉が続くのである。「『病気になる』と思ったから、ダメなんだ」とだめ出しをする。『病気になると思った人が悪い』ということを言い出すのである。思ったから、病気になるわけだから、そんなのは、自己責任なのである。


こういうところで、すぐにマウントをとろうとする。『おまえの責任で病気になったんだ』『おまえが病気を引き寄せたからダメなんだ』と悦に入って言う。ほんとうに、日本はこういう人が多すぎる。いつから、こんなことになったんだ。こんなの、スピリチュアリズムでもなんでもない。

病気と引き寄せについて述べたけど、自称明るい人が、暗い人に投げかける言葉は、だいたいこれと、似ている。バージョンがちがうだけ。こういうのがはやっている。いつから日本は、こんなことになったんだ?

2020年2月17日月曜日

家にいても限界だが、外に行っても限界だ


家にいても限界だが、外に行っても限界だ。ヘビメタ騒音期間中に、俺がどれだけつらい気持ちで、外に出てたと思っているんだ? 学校に行ってたと思っているんだ? 友だちと会ってたと思っているのだ? 決壊しているよ。ほんとうに、気違いヘビメタ騒音のすごさがわかってない。みんな、ぜんぜんわかってない。「過去のことは関係がない」とか言ったやつをデコパッチンBしてやりたい。おまえ、そんなんじゃないから。

それにしてもしんどい。これ、みんなわかってない。ほんとうにみんなわかってない。毎日、あのヘビメタ騒音をあびせられるということがどれだけ、ハンディになるかわかってない。みんな、まるまる。

(俺は、外で働けない体になった。なので、客観的に見れば、ひきこもりになっている。(今はちょっと違うけど、長い間そうだ)。けど、そういうことは、一切合切関係がないのだ。ヘビメタ騒音にやられてくるしい……このことだけが重要だ。ほかは、ヘビメタ騒音にやられたことの「表現型」で、それ自体が重要な問題じゃないのである。俺がくるしいのはヘビメタ騒音にやられたからだ。だから、ヘビメタ騒音にやられた俺が仕事をしていても、ヘビメタ騒音にやられた俺が家に引きこもっていても、かわりがない。外で働いても、かわりがない。もっとも、気違いヘビメタ騒音の連続で、決まった時間に通勤するという能力を完全に失ってしまったので、通勤して働くとということができなくなってしまった。それは、大きな問題だ。けど、仮にそこをクリアしても、ヘビメタでくるしいということにはかわりがない。俺が、遠くの高校に電車通学していたとき、俺は、引きこもりでなかったけど、ものすごくくるしい思いをして、通学していた。それは、友達がいても、表面的に明るく振る舞っても、かわらないことなのだ。どんだけ長くそういう状態が続いたか? ほんとうに、他の人はまったくわかってない。特に、ヘビメタ騒音の影響を軽くみて、わりと気楽に『なんでも明るく解釈すればだいじょうぶだ』みたいなことを言うやつはわかってない。ほんとーーにわかってない。

2020年2月15日土曜日

やっぱり、ヘビメタで全部の人生がない

やっぱり、ヘビメタで全部の人生がない。
俺の身の上に起こったことで、俺にしかわからない。

『笑うことで認知症が治る』と思っている人は、笑ったにもかかわらず認知症が治らない人について、どのように認識するのだろうか


たとえば、『笑うことで認知症が治る』と思っている人たちは、笑うことでで、認知症を治そうとしない人たちをバカにする。いつまでも、その人が認知症でいるのは、努力して笑おうとしないからだと考えてしまう。なので、認知症であるにもかかわらず、『むりやり笑う努力』をしない人は、認知症を治そうとしていない人だということになる。

認知症なのに認知症を治そうとしていないのだから、自己責任だということになる。『笑えば、認知症は治るのに、笑って治そうとする努力をしてない。だから、いつまでも認知症なのだ。だからダメなのだ』と考えてしまう。

この、『笑って認知症を治そうとしない人たち』のなかには、実は、『笑って認知症を治そうとしたけど、効果がなかった人たち』も含まれている場合がある。『笑うことで認知症が治る』と思っている人たちは複数いるのだけど、そのうちのひとりが、ある認知症患者のことについて知ったときに、『笑えば認知症は治るんですよ』と助言するわけだから、その時点で、その認知症の人が、笑っているか、あるいは、笑って治そうとしているのかが問題になる。

『笑うことで認知症が治る』と思っている人にとっては、笑うことで認知症が治るのだから、笑ったのにもかかわらず認知症が治らないのはおかしいということになる。『笑うことで認知症が治る』と思っている人は、笑ったにもかかわらず認知症が治らない人について、どのように認識するのだろうか。

その認知症が治らなかった人は、何回も何回も、笑ってない。だから、効果がないのだ。何回も何回も笑い続ければ、認知症は治る……と思う場合がある。最初は、笑えば、認知症が治ると言っているのに、何回も何回も笑い続けなければ認知症は治らないと言ったとする。その場合、最初に言っていることと、あとで言っていることがちがうということになる。『笑っても認知症が治らない場合がある』ということを認めてしまった場合、『笑うことで認知症が治る』という命題が、偽であるということ認めるということになる。ようするに『笑うことで認知症が治る』という文は、まちがっているということを認めることになる。

しかし、たぶん、『笑うことで認知症が治る』というような思考をしている人は、それには気がつかない。気がつかないまま『笑うことで認知症が治る』と言ったり『何回も何回も笑い続ければ、認知症は治る』と言ったりすると思う。これは、矛盾した発言なのだけど、発言している人がそれに気がつかない。

2020年2月13日木曜日

根性を出して、笑えば、認知症は治るか


これは、根性を出せば認知症が治るのかという問題にも直結する。たとえば、「笑うこと」が認知症の症状の改善に効果的だとしよう。なら、笑っていれば、認知症が治ってしまうのか? 「笑うこと」がある程度、よい影響を与えるにしろ、「笑うこと」では、脳の萎縮や脳の機能障害が治らずに、認知症が「進行」してしまうという場合がある。むしろ、「笑うこと」によって、認知症が治ってしまう場合のほうが少ない。あるいは、ない。

ようするに、脳の物理的な変化にくらべて、「笑う」という行為がもたらす影響が小さいのだ。けど、たとえば、「笑うと認知症に効果がある」というようなことが言われただけで、『笑うことで認知症が治る』と解釈してしまう人が出てきてしまう。その人のなかでは、『笑えば、認知症は治る』ということになってしまう。

『根性を出せば認知症が治るか』という問題にも直結すると書いたけど、これは、こういうことだ。『根性を出して、笑えば、認知症が治る』ということが、ある人たちの頭のなかでは、確定事項になる。認知症だけではなくて、あらゆる、広い意味で病気が治ってしまう。狭い意味では、認知症は「症」だから、病気ではない。あくまでも、広い意味で病気だとする。

『おかしくなくても、笑えば、おかしいと感じる。おかしいから笑うのではなくて、笑うからおかしいのだ。なので、根性を出して、笑えば、認知症は治る』と言い出す人が出てきてしまう。自称明るい人(たち)だ。『根性療法』『笑顔療法』……そんな言い方はしてないけどさ。中身はそういうことだよ。

で、『笑えば認知症は治る』というようなコピーで本を出せば、売れる。

2020年2月12日水曜日

「つらさ」の「つらさ」がちがう


時間というのがなぁ~~~
いまは、なんとなく、時間が「お・し・い」感じだ。おいしいじゃなくて、おしい。けど、そういうふうに思っている時間は、おいしい時間なのかもしれないなぁ。


基本的に言って、ぼくはダウンしている時間がすごく長いのである。これは、他の人にはない長期騒音が影響している。長期騒音の影響がからだからぬけない。なので、普通の人とは、からだが、ちがう。

前向きな人や明るい人が他人について言及するとき、基本的に、後ろ向きな人や暗い人をディするというのがある。本人は、そんな気持ちは、さらさらないという感じなのだろうけど、実際には、ディすっている。ディするというのは悪く言うという意味ね。だったら、悪く言うと書けば良いのだが、なんとなく、ディすると使いたかった。まあ、いいや。これからは、悪く言うと書こう。

まあ、ともかく、ここで言いたいのは、明るい人たちには見えないハンディがあるということだ。これ、ほんとうに、見えないのである。明るい人たちは、自分の基準で物事を考える。経験してない、つかれはわからない。経験してないつらさはわからない。

人間は生きていれば、つかれることもあるし、つらいと感じることもある。なので、明るい人は、『自分だって、つかれるときはある』『自分だって、つらいときはある』と言う。そして、そう思っている。けど、これは、明るい人が感じるつらさと、暗い人が感じるつらさがおなじだという前提が成り立っている。

「つらさのつらさがちがう」ということは、頭にない。

おなじつらさなんだけど、自分は、たえてきた。跳ね返してきたという自負があるのだ。だから、自分はすぐれているのだが、つらさにまけた人間は、すぐれていないという思いこみがある。ほんとうは、そういう比較でものを言っている。

「つらさ」がおなじで、自分は、暗い人よりも『強いので』つらさを跳ね返してきたと思っているのだ。自分は、暗い人にくらべて強いとか、すぐれているという認識がある。これは、「つらさ」の量がおなじで、「つらさ」の質がおなじだという前提において成り立つ『認識』だ。この認識について、明るい人が、どれだけ明確に意識しているかはわからない。むしろ、意識的には、それは、否定される。謙虚でなければならないからだ。傲慢な態度はよくないからだ。

だから、表面的には「別にそんなことは思ってない」という意識を抱えている……場合が多いと思う。けど、ほんとうは、つらさはおなじなのだけど、自分が強いからたえてきたという自負があるのだ。その自負は、暗い人に対する軽蔑につながる。

これは、自然につながるであって、そういう自負をもっていながら、軽蔑してないということはない。本人が自覚しているかどうかはわからないけど、かならず、軽蔑している。これは、軽蔑ではなくて『蔑視』というような言葉を使ったほうがいいのかもしれないけど、言いたいことはおなじだ。

そこで問題なのは、「つらさ」の程度がおなじだと思っているということと「つらさ」の質がおなじだと思っているということだ。問題なのは、こっちなのである。明るい人が経験したことがないつらい状態を、暗い人は経験しているかもしれないのだ。

しかし、明るい人は、暗い人の抱えているものがわからない。まさに、氷山の一角しか見てないのである。氷山の一角は、目に見える部分であり、海水の下に見えない部分がある。明るい人が『俺だってつらいことを経験した』と言う場合、ほんとうに、氷山の一角が浮かんでいる状態なのだ。なので、見えてない部分もある氷山の一角と、見えてない部分がない氷山の一角が、どう見てもおなじものに見える。

ほんとうに、つらさの程度や質に、ちがいがある場合というのがわかってない。

たとえば、父が死んだというばあい、普通はつらい経験として語られるだろう。あるいは、妻が死んだという場合でもいい。あるいは、入試におちたという場合でもいい。あるいは、友達に裏切られたという場合でもいい。あるいは、失恋したという場合でもいい。

しかし、それらの、単発のつらいこととは別に、家族による激しい騒音など、毎日続くつらいことがある。この毎日続くつらいこと……と……単発のつらいことを同様に扱ってはいけない。どうしてなら、質も量もちがうからだ。毎日つらいことを経験している人でも、そりゃ、家族が死ねば、つらいと感じることがあるだろう。これは、連続の上に単発がかさなったかたちになる。

その場合、単発だけを「くらっている」人とはちがう状態になる。だいたい、毎日、連続してつらいことを経験している人は、単発のつらいことも発生しがちなのである。もちろん、家族の死に関しては、確率的におなじだろうけど。毎日、激しい騒音などを経験している人は、失敗が多くなるのである。あらゆることにトライすることができなくなってしまうのである。それは、身体的につかれて、能力がさがっていることによって発生する。ともかく、毎日つらいことがある人の場合は、そもそも、活性状態がちがう。普通に生活ができない状態なのである。普通に生活している人の状態とはちがう。

毎日のたいへん大きな物理刺激が、からだを疲弊させ、能力を下げる。人間の生活なんて、学校に入ったときから、細かい作業の連続だ。その細かい作業でいろいろなミスが発生しやすくなる。だから、連続的につらい思いをしている人は、単発のつらいことも経験しやすくなるのである。


まあ、ともかく、「どんだけつらいことを経験しても、笑えばつらくなくなる」とか「つらくても、元気だ元気だと言えば、元気になる」というようなことを言える人が経験した「つらいこと」は、たいしてつらいことではないということがはっきりと言える。どうしてかというと、そのつらさは、「笑うこと」や「元気だ元気だ」と言うことによって、消滅する「つらさ」だからだ。

そういう質のつらさやそういう程度のつらさしか経験してないから、そんなことが言える。その人たちが経験しているつらさというのは、『笑うこと』できえるようなつらさなのだ。その人たちが経験しているつらさというのは『元気だ元気だと言うこと』できえるようなつらさなのだ。そういうつらさしか経験してないのであれば、そういう発言ができるだろう。暗い人の背後にある「つらさ」のかたまりを見ないまま、そういう発言ができるだろう。暗い人を、自分より弱い人間だと、こころのなかで蔑視することができるだろう。

(つづく)

2020年2月10日月曜日

明るい人が暗い人について述べた文章について考えてみよう


話しの前提になることをちょっとだけ話しておこう。それは、暗い人とか、明るい人という言葉についてである。『暗い人』というのはどういう人か? 『明るい人』というのはどういう人か? こんなものは、定義ができない。本人が主観的に『暗い人』だと思っていても、まわりの人から見ると『明るい人』にうつるという場合だってある。その逆もある。要するに、『明るい人』というのは、本人の主観に基づいたイメージであり、他人の主観にもとついたイメージなのである。たとえば、日本に生まれた日は日本人である場合が多く、日本国籍を持っている人は、日本人であるということができる。しかし、『明るい人』『暗い人』と言う場合は、国籍のような明確なしるしがない。ただ単に、本人が『明るい』と思ったり、本人以外の人が『明るい』と思っているだけなのである。『明るい人』の定義ができるような感じがするかもしれないけど、それは、明るい人にまつわるようなイメージを言っているだけなのである。暗い人の場合もおなじだ。「言っていると」書いたけど、言っているのは、本人である場合と他人である場合がある。暗い人の定義を形作っているようにみえる、いろいろな要素は、(その発言者)がなにを「暗い」ととらえているかの写し絵でしかない。これは、定義にはならない。けど、一般的に、暗い人なら暗い人のイメージとして出てくる言葉が決まっているというのであれば、定義ではないけど、暗い人をこのようにとらえている人が多いということが言える。けど、これは、要素部分のトートロジーでしかない。しかも、発言者のなかのイメージについて語っているにすぎないので、あんまり意味があるとは言えない。
たいていの場合は本人が本人のことを『明るい人』だと考えている人が、本人が暗い人だと考えている人のことを悪く言うときに、『暗い』と言うのである。本人が本人のことを明るい人だと考えていることは問題ではない。けど、暗い人全般のことを悪く言うのは問題がある。自称明るい人だっていっているではないか。『暗い人は人の悪口を言う』と。しかし、明るい人が、自分にとって好ましくない性格を持ってる他者を『暗い人』だと決めつけ、『暗い人』の悪口を言っているという解釈はできないのだろうか?

明るい人が暗い人について述べた文章について考えてみよう。だれか、明るい人が『暗い人はああだこうだ』と書いた記事があるとする。その場合、自分が暗い人間だと思っている人間がその文章を読んだ場合どういう気持ちになるかということを考えてみよう。

けど、自称明るい人は、自分が暗い人だという(かりの)前提で文章を読むことは、苦手だと思う。なので、日本人の場合は、文中の『暗い人』を『日本人』に読み替えて、日本人である自分が、その文章を読んでどう感じるかを考えるようにした方がよいのではないかと思う。暗い人を日本人と読み替えて、文章を読んだとき、いい気持ちになるだろうか。不愉快な気持ちになるだろうか。たぶんだけど、不愉快な気持ちになるのではないかと思う。

これは、いまの時点では、ぼくがそう思っているだけなのだけど、たぶん、好ましくないと感じられる特徴?が述べられている。特徴に「?」をつけたのは、その特徴が日本人の特徴ではなくて、その人が考えている日本人の特徴だからだ。

自称明るい人は気がつかないかもしれないけど、対象になる人がその文章を読んだとき、不愉快な気持ちになることを書いていると思う。(これも、俺が思うだけだけど……)。

これは、たぶん、『暗いこと』と『悪いこと』が結びつけられているからだと思う。なのでやっぱり、自称明るい人は、暗い人の悪口を言っているのではないかと思うのである。

けど、自称明るい人が、暗い人の特徴としてあげる要素のなかに『人の悪口を言う』ということが、ほぼ一〇〇%入っている。(入っている場合のほう非常に多い)。なので、いちおう、自称明るい人は、『暗い人』の悪口を言っているということは、正しいことなのではないかと思うのである。

2020年2月9日日曜日

ヘビメタ騒音によってできあがった、あの状態と、あの気持ちはない


どうするかな? まじでつかれた。

この雰囲気は、やなぎ荘の雰囲気とおなじだなぁ。
本当につかれた。あれから三〇年もたっているのに……。本当につかれたなぁ。あんまり進歩してないなぁ。

本当につかれた。来世に期待するしかないか。
あの、気持ちはない。強烈に自分勝手な兄貴のヘビメタ騒音によってできあがった、あの状態と、あの気持ちはない。

2020年2月8日土曜日

言論に限られるけど、明るい人は暗い人を攻撃している。


しゃくぜんとしないものを感じる。これは、なんなんだろう。まあ、こういう人たちは、『楽しいから、わらうのではなく、わらうから楽しく感じるのだ』といった言い方を好む。これは、これでいい。それに、たとえば、明るい人たちが、明るい人たちといっしょにいたいと思って、それを実行することはまったく問題がない。しかし、『明るい人たち』による、『暗い人たちに対する』攻撃は、看過できない。これは、おかしいと思う。この人たちはまったく、暗い人たちを攻撃するつもりはない。つもりはないし、そうしているとも思ってないだろう。

けど、暗示はしているのだ。

『明るいのは、いい』『暗いのは、ダメだ』と暗に言っている。この人たちは、人の悪口を言うのは、きらいであるそうなのだけど、『暗いのはダメだ』と暗示するのだから、ある特定の人たちの悪口を言っているのとおなじなのではないか。『暗いのは』というのは、『暗い人は』という意味なのだから。『明るい人たちは、いい。暗い人たちは、ダメだ』と言っているのとおなじわけだから……「のは」と言っても、ものについて、言及しているのではない。まあ、明るい人たちが作ったものは、よくて、暗い人たちが作ったものは悪いということも、暗示しているのだけど……。これは、価値観だ。個人の価値観だ。それは、わかる。けど、やはり、攻撃になってないのだろうか?

明るい人たちは『暗い人たちはダメだ』『暗い人たちは、悪い』ということを言っておきながら、人の悪口を言っているつもりがない。なので、『人の悪口を言うのは良くない』と言ったあとに、『暗い人たちはダメだ』『暗い人たちは、悪い』ということを言ってもまるで気にしない。『事実そうだろ』と思っているのだ。けど、暗い人たちとまとめられている人たちの、背後にあるいろいろなものに目を向けてないので、そういうことが言えるのではないかと思う。世の中というのはほんとうに不公平にできている。

だから、それがあたりまえで、実は差別的な言葉を口にしているのに、差別的な言葉を口にしていると思わない人たちも出てくる。そういう人たちは、明るい人として、暗い人を差別し、攻撃する。けど、明るい人たちにとっては、『事実そうだろ』と思えることなのだ。そして、そういう気持ちが強いぶんだけ、余計に、実は、差別的なことを言っているということに、気がつかない。

自称明るい人は、実は、暗い人の悪口を言っている、暗い人なのだということになってしまう。彼らの理論に従えば、人の悪口を言う人は、暗い人なのであるから。
まあ、ここらへん、まったく気がつかないと思う。だから、言っていて、暗い人の悪口を言っているという気持ちにはならないのだろう。『事実を言っているだけだ』という気持ちなのだろう。

さらに、暗い人は、切らなければならないのである。暗い人との付き合いは切るべきなのである。暗い人とはなるべくあわないようにしなければならないのである。これにも、『事実そうだろ』という気持ちがつきまとっていると思う。
まあ、他にも言いたいことはあるけど、とりあえず、言いたいことは以下の通りである。
(1)明るい人は、暗い人の悪口を言っている。
(2)明るい人は、暗いの人の悪口を言っているということに気がついてない。
(3)明るい人は、暗い人を追い詰めている(もちろん言葉の上でだけだけど)
明るい人は、(1)(2)(3)をとてもわかりやすく説明してしまうのである。(もちろん、まったく悪気がないまま説明する。その説明は、正直に言って、わかりやすい。どうしてそういうことが成り立つかというと、『一部』をたしかに説明しているからである。また、人間にとってなじみやすい「けがれ」という考え方を利用しているからである。基本的に、人間は、原始人が持っていたと推測できるとても、原始的な感覚を持っている。これは、幼児的万能感とも関係している。なので、個体発生的にだれもが『分有』しているものなのである。だから、うったえかけやすい。だから、他の人が「なっとく」しやすい。けど、わかりやすくなっとくしやすいから、『暗い人の悪口を言ってない』ということではない。また、他の人が「なっとく」しやすいことだから、正しいことだ(まちがってないことだ)とも、言えない。

2020年2月5日水曜日

それを必死で、追い払って、つっぱって、生きてきた


ほんとうに、すべての時間、勉強の邪魔をされ続けるというのが、つらい。なっている時間は勉強ができない。勉強ができないだけではなく、体力がおちて、夜眠れなくなる。激しく興奮している状態で、その興奮自体が、気持ちが悪い。激しく怒っているのに、それを抑制しようとする気持ちがあって、くるしい。激しく怒るちからと、怒りを抑えるちからが拮抗している状態でくるしい。こんなの、何年間も毎日、続いたら、そりゃ、精神も睡眠回路担当部分の脳も壊れる。

   *   *   *

俺はやっぱり相当にダメだ。つかれた。猛烈につかれた。いま、ご飯を炊くのがめんどうくさい。ただ単に、米を入れて、水を入れて、セットして、スイッチを押すだけなのに、できない。まあ、これは、できないのではなくてやりたくないだけなのだけど……。けど、これ、押してやってもいいことがないんだよな。がんばってやってもいいことがない。よけいにつかれるだけ……。どこかでまた、そのつかれが出る。
押してやった、つかれがでてしまう。それは、気違いヘビメタ騒音のときからずっとそう。気違いヘビメタが鳴り始めてからずっとそうだ。ほんとうに、どれだけ気にしないようにしても、眠れない状態ですごして、体力が一〇分の一、二〇分の一になっちゃうんだよな。他の人にはわからないから、俺がもともと、そういう体力しかないと思ってしまう。で、普通にバカにする。もう、そういうことでも、つかれはてた。昨日やなぎ荘のことを思い出したんだけど、気違い兄貴のヘビメタなんて、気違い兄貴があの音で鳴らしていたら、一号室から九号室の人まで、みんな出てきて、「やめてくれ」って言うと思う。苦情が出ると思うよ。五分間で……。そういうレベルの騒音が、ずっとずっと続いた。

佐藤みたいなやつも普通にバカにするわけだけど、バカにしているとは思ってないんだろうな。けど、じゃあ、ぼくが、助教授として働いていたらどうなんだよ。絶対にあんな態度を、とってない。俺が塾を経営している経営者だったらどうなんだよ? 絶対にあんな態度をとってない。ああいう態度を普通とれるということは、見下して、バカにしているんだよ。日本は、無職に対する偏見がすごい。これは、もう、病気のレベルで、すり込まれている。これは、なんとしても、小さいときから、すり込まなければならないことだから、すり込んでいると言ってもいい。だから、佐藤みたいなやつは、「ふ・つ・う」の人なのである。これが、問題だ。佐藤は普通の人の感覚を持っている。これが、問題だ。

けど、無職じゃなくても、……気違いヘビメタ騒音で、引きこもったとすると、引きこもりということで、バカにするやつが出てくるんだよ。で、これは、小学生のときから続いている。俺は、家でヘビメタが鳴っていたわけだから、学校にいるときよりも家にいるときのほうが、何千倍も、何万倍もつらかった。けど、家で勉強ができないとなると、なめられるのである。あるいは、家で、なめられていると、学校でもなめられるようになるのである。それを必死で、追い払って、つっぱって、生きてきた。わからないんだろうな。気違いヘビメタが鳴っていると言うことがどれだけの威力があるか? 気違い兄貴の態度そのものが、気違い的なレベルで人をなめているので、他の人から、なめられがちになる。家でなめられているやつは、学校でもなめられるようになる……これ、よっぽどのことがないとくつがえせない。ほんとうに、教育学とかそういうことを学んでいる人は、そういうことについてちょっとは真剣に考えたほうがいいよ。これがまた、小さいときに親や兄弟にやられたことは関係がありません……という立場なんだからな。そりゃ、認知療法のレベルだとそうなる。

ほんとうに、そこでどういう交流が為されているのか、ちょっとは真剣に考えたほうがいいよ。

2020年2月4日火曜日

ヘビメタ騒音波及物のことがわからないだけだ


市役所に行くのはやめた。銀行に行こうかと思う。けど、買い物もする。けど、もう、どうでもいいような感じもする。……よくはないのだけど……。

どうするかな。

ヘビメタ騒音のことで、こころがやばい感じになっている。ヘビメタ騒音と長期騒音の波及物。波及物と書いたけど、波及して発生してしまう出来事のこと。これは、どうなんだろな? ヘビメタ騒音波及発生出来事と言うべきか?


気違い兄貴は、かまわずに鳴らしたわけだけど、鳴らされているあいだ、こっちには、気違い兄貴の騒音が関係のあるものになった。気違い兄貴の騒音が、自分の状態や意識と関係があるものなのである。

しかも、「ヘビメタなんて鳴ってたって、どうだっていい」「ヘビメタなんて鳴ってたって平気だ」「ヘビメタなんて鳴ってたって、俺はだいじょうぶだ」とヘビメタ騒音のなかで、俺がどれだけ言っても……けっきょく、影響を受けた。

言霊とか、思いこみとか、自己暗示とか……気違い兄貴のは快適な騒音ですべて吹っ飛んでしまう。そういう影響を受けた。不可避的な影響を受けた。

どれだけ『影響を受けない』とまじないのように、繰り返して、言っても、受けた。

受けたんだよ。

これ、ほんとうに、今世で、ヘビメタ騒音を鳴らされたことがない人にはわからない。別にヘビメタでなくてもいいんだよ。その人にとって、一番苦手な音が、鳴っていたということだ。その人が一番、この世で嫌いな音が、ものすごい音で鳴っていたということだ。こういう経験がずっと積み重なった人じゃないとわからない。

しかも、やっているのが家族で、ヨソの人は『家族なら相談すればいい』『家族なら相談すれば静かにしてくれるはずだ』と思ってしまう。『どれだけ鳴らしていると言っても、たいしたことはない』と思ってしまう。

また、経験して知っているわけではないから、ヘビメタ騒音波及物に重いがおよばず、『俺なら鳴らされたって、だいじょうぶだ』と思ってしまう。けど、それは、実際に鳴らされたことがないから、ヘビメタ騒音波及物のことがわからないだけだ。

ほんとうに、何時間も浴びていると、鳴り終わったあと、眠れなくなる。何時間も何時間も、どうしても眠れなくなる。この、眠らなければならないのに眠れない数時間というのが、どれだけ、一日の生活に影響を与えるかわかってない。あるいは、一日の精神に影響を与えるかわかってない。

2020年2月3日月曜日

今世のそういった記憶を保持したまま、この世で一番嫌いな音を聞かされ続ける人生を来世ですごしたなら


ちょっと掃除をしたあと、洗濯をして、洗濯物を干したあと、また、掃除をした。しかし、だるい。もうれつにだるい。これはもうだめだな。

ヨソの人たちが考えるヘビメタ騒音と、俺が体験したヘビメタ騒音がちがいすぎる。俺が体験したヘビメタ騒音について、俺が述べるわけだけど、俺が述べたことによって『ヨソの人たち』のなかにできあがるヘビメタ騒音のイメージと、俺が体験したヘビメタ騒音のイメージはちがう。

これが、いろいろな「いさかい」の原因になる。


なんてたって、『鳴ってたって、たいしたことはない』と思う人たちにとっては、俺の「障害」がゆるせないことになるわけだから……。俺が、俺の、障害を考えて、「できない」と言うことを、彼らはゆるさないわけだから。

どうしてなら、そんなに深くてデカイ障害になるわけがないと思っているからだ。だから、俺が言っていることは、まちがっているように感じるのである。

要するに、彼らにとって見れば、ヘビメタ騒音は「できない」理由にならない。

しかし、今世のそういった記憶を保持したまま、この世で一番嫌いな音を聞かされ続ける人生を来世ですごしたなら……おくったなら、こういうことだったのかとわかるはずだ。

けど、そんなのはなくて、今世でのできごとしか脳みそにないわけだから、『ヘビメタ騒音でできなんてことはない』『過去のことは関係がない』『鳴り終わっているのであれば(いまの状態には)関係がない』と思ってしまうわけだ。

いま、2020年02月02日13時26分09秒
日曜日の午後一時二六分で、日曜日の午後一時二六分は、鳴っていた。何年間も、十何年間も、日曜日の午後一時二六分は鳴っていた。そして、午後七時一〇分から、午後七時四〇分までの休みはあるけど、他の時間はすべて、気違い的にデカイ音で鳴っている。

ヨソの家じゃ、絶対に一分だってあり得ないような音で鳴っている。で、俺の部屋は、騒音地獄になっている。もちろん、二〇メートル離れたところでどのように聞こえるのかは知らない。けど、俺の部屋は、騒音のうずだ。

以前、幼稚園の園児の出すキーーという音について考えてみたことがあるのだけど、やはり、距離によってだいぶちがう。それこそ、受けとめ方がだいぶちがう。

これは、実際に距離によって物理的な音のデカさが変わっているから、受けとめ方に差ができる。

気違いヘビメタ騒音は、幼稚園生の絶叫でいうと、耳元で絶叫している音よりもデカイ音だ。で、それは、一〇メートルも離れれば、『許容できる音』になる。

実際、平日は、ずっと、二百何十人の幼稚園生の絶叫にさらされる。もちろん、全員が同時に奇声を発してるいるわけではなく、数十人が同時に奇声を発生しているレベルだと思う。

一人だけに注目すれば、奇声をできるだけ全力で発生しているときと、黙っているときがあるわけだけど、数が多いと、誰かが奇声を発生しているとことになる。しかし、外壁を隔てて、一〇メートルぐらいの距離があるために、ヘビメタ騒音よりは、静かだ。ずっと、静かだ。



気違い兄貴のヘビメタ騒音は、二百人の園児が「みみもと」でぜっょきうしているのよりもうるさい。そういう、ドタバタした音だ。いてもたってもいられない。落ちけつない。どれだけ落ちつこうと思っても落ち着けない。ともかく鳴ってたら、くるしい。


『ヘビメタ騒音がどれだけ鳴っていると言ったって、たいした音じゃない』『ヘビメタ騒音が鳴り終わったのであれば、そんなのは関係がない』と思っているやつは、ただ単に想像力がたりないだけだ。そういう人の経験に対して、だぶん、過小評価する傲慢な体質なのだろう。頭の体質。


関係がないわけないだろ。ほんとうに頭が悪いなぁ。

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2020年2月1日土曜日

しかも、家族。


いろいろと他の人から誤解を受けてつらかったという気持ちになった。いろいろなシーンが浮かんでくる。ほんとうに、ヘビメタ騒音以降、他の人に誤解されまくりだ。

他の人は、俺じゃないから、ヘビメタ騒音がどれだけすごい音でなっているかわからないし、ヘビメタ騒音がずっと鳴った場合、どれだけ、体に影響が出るかもわからない。

わかってないところでものを言う。

俺にわかったようなことを言った人たちが、今世の記憶を保持したまま、一一歳のときから、ずっと、自分が一番きらいな騒音にさらされる人生を歩んだら、きっと、「こういうことだったんだな」ということがわかると思う。

佐藤にしたって、自分で体験すれば、来世の佐藤にとっての一番嫌いな音……俺にとってのヘビメタ騒音が……どれだけ「からだにのこるか」わかる。わかるようになると思う。

ヘビメタ騒音が人生全体にどれだけでかい影響を与えるかわかる。わかるようになると思う。

ヘビメタ騒音の結果、ひととあらそわなければならなくなるというのがわかる。わかるようになると思う。

こいつら、ほんとうに、まったくわかってないんだからな。想像しろ。まあ、想像してもわからないか。うちの兄貴は、この人らの想像の範囲外にいる。だから、想像しようと思ってもわからない。

「そんな人、いるのかな」なんて、疑問を持つ。

じゃあ、来世で、うちの兄貴のような家族に、たたられてごらんよ。わかるから。『こういう人もいるんだな」というのがわかる。気違い兄貴がどれだけの意地でやっているかわかってない。

普通の人は、それ自体がわかってない。気違い兄貴の意地なんて他の人にわかるわけがない。気違い兄貴の「やってない」感覚だってわかるわけがない。兄貴は、あれだけデカイ音で鳴らしているのに、デカイ音で鳴らしてないと思っているということ自体がわからない。

そんなことはないだろうと『普通の人は』思う。

聴覚が正常なら、デカイ音で鳴らしているときはでかい音で慣らしているという認知が生じるはずだと思っている。ところが、どっこい、そうじゃない。そして、普通の人以上に、気違い兄貴がその点についてわかってない。

わかってないから、どれだけ「やめてくれ」と言われても、まったく気にしないでずっとずっと鳴らし続けることができる。普通は、気にする。普通は気になる。

どうしたって、本人が「これはないな」と思うほどデカイ音で鳴らしていれば、「デカイ音で鳴らしすぎている」ということが気になるし、そういう状態で鳴らしているとき「やめてくれ」と言われたら「やめてくれ」と言ってきた人のことが気になる。

「やめてくれ」と言ってきた人が、こまっているということがわかる。自分の騒音でこまっているということがわかる。けど、気違い兄貴は、まったくわからない。親父のように、怒っておしまいだ。

これ、ほんとうにうちの親父と、ウチの兄貴の反応がまったくおなじなんだよな。あれは、ほんとうにわかってないよ。自分の腹が立ったという感覚しかない。自分にとって不都合なことを言われたから、腹が立った……それだけ。相手のことなんて、微塵も考えない。考える脳みそがない。

だから、自分が腹を立てたあと、ずっと馴しづけても、なにも感じない。「相手がこまっているのだろう」ということが頭の中にまったくない。そういう状態でどれだけ言われても、まったく悪気がないまま、迷惑をかけてないつもりで鳴らし続けることができる。

こういう人間にやられたことがない人はわからない。

しかも、家族。

『家族なんだから、話せばわかってくれる』と普通の人は考える。『ちゃんと言わないから、お兄さんがわかってくれないだけなんだ』と考える。『エイリさんがちゃんといわないからだめなんだ』と考える。そして、「お兄さんに言えばいい」と助言をする。その助言についてぼくが、上(右に修正)で述べたようなことを言えば、不可思議な顔をする。今度は、助言してくるやつが、俺の言うことを認めない。こういうしくみになっている。

2020年1月31日金曜日

だれもわからないけど、くるしいんだ


ここで、くるしんでいてもなにもかわらない。
けど、外に出てくるしんでいてもなにもかわらないんだよな。だるい体を起こしてさ、頑張って出かけてもあんまりいいことがない。だいたい、俺は今日、午後4時ぐらいに歯医者に行くことになっている。なので、行くだろう。
午後3時40分ぐらいまでの時間をどうやってすごすか? それから、正直言って、からだがかゆい。かゆすぎる。けど、かいてしまってはいけない。なので、がまんしている。ストレスがたまる。ほんとうに「俺の人生はなんだったのか」と思う。ヘビメタ騒音のことを思いながらそう思う。教室を思い浮かべてみても、ヘビメタ騒音で、特別に勉強ができるほうには座ってなかったので、いろいろとめんどうだ。僕は、気違いヘビメタ騒音が鳴ってないところで、本を読むことができれば、興味がある教科にかんしては人に負けなかったと思う。興味がない教科にかんしても、ヘビメタ騒音が鳴ってない状態で、「やらないとだめか」と思ってエンジンがかかったら、相当にできたと思う。ヘビメタ騒音がくるしすぎる。くるしいんだ。だれもわからないけど、くるしいんだ。

言霊信仰者は自分の言葉をもっとたいせつにしよう


カップカレーうどんを食べることにした。
いま、お湯を入れた。おいしくな~~れ おいしくな~~れ。
できた。
まあ、まあ、うまいかな。
あーー。まあ、こんなもんだろうな。俺は正直に言うと、鬱だ。歯医者に行きたくない。けど、ほんとうは歯医者はどうでもいい。はや、どうでもいい。問題なのは、この雰囲気だ。
なんとかがんばって生きているけど、いろいろとあって、気分が落ち込む。特に、この先のことを考えるとだめだ。というか、一人でさみしい空間がだめだ。けど、だからと言って、人と会ってもだめなのだ。どっちもくるしい。どこにいても、だれと会っていても、ひとりでいても、ヘビメタ騒音でくるしい。
あっ、それから、手短に言って、言霊を利用した自己暗示のようなものはいいとおもうよ。「おいしくな~~れ おいしくな~~れ」もそうだ。けど、それは、自分に対して自分の範囲で利用しているだけで、ほかの人に「ああしろ」「こうしろ」と いうのとはちがう。人に言う場合はいろいろな問題がしょうじる。それから、2チャンネルのあらしみたいな人が、言霊を信仰しているんだよね。自分が、他の人に対して、どんなことを言ってきたか、記憶がないのかね? あれも、相手の立場になって考えるということが、とことんできない人なんだろうな。相手と自分の立場を入れ替えて考えるというのが、たいせつ。けど、できない人は、とことんできない。コメント欄のことを反省して、みずからすすんで、コメント欄に書いたきたない言葉を削除しよう。言葉がきたなすぎる。言葉がきたないやつが、言霊とか、わらえる。さかうらみなんだよ。さかうらみ。勝手に誤解して、あほなやつだな。言霊信仰者というのは、言霊についていろいろなことを書くやつがいると、きたない言葉を使ってののしってくるのか? しかも、「まるまるまる」という立場を使って、きたないことをしやがって。
(注)ぼかすためにコメント欄と書いてあるけど、ほんとうはちがう。

けど、そういうレベルのものじゃないから


幼稚園、うるさい。けど、そういうレベルのものじゃないから。カラオケ、近所の人はうるさいだろう。けど、そういうレベルのものじゃないから。俺の部屋で聞く、く……あるいは聞かされる……気違い兄貴のヘビメタ騒音はそういうレベルのものじゃない。ぜんぜん、レベルがちがうのに、おなじレベルのものだと勝手に判断して、えらそうなことを言うやつがいる。説教してくるやつがいる。そういうやつはまるまるまる。ふざけんな!!

2020年1月30日木曜日

つかれはてた人間は、「元気だ元気だ」と言っても元気にならない


むなし~~~~。こういう状態でおれは、バイトに行ってたんだからなぁ。ゆるせないなぁ。こんな状態ない。この雰囲気はない。ヘビメタでくるしい。ヘビメタでくるしい。ヘビメタでくるしい。どうしてもくるしい。へんな方法で乗り越えられるようなくるしさじゃない。俺がどういう状態で暮らしてきた思っているんだよ?
「元気だ元気だ」と言えば元気になるなんていうのは、ヘビメタ騒音を経験してないやつのいうことだ。ぜんぜん、ちがう。もう、その時点でちがいがある。かりに、僕が被験者として「元気だ元気だ」と言ったあと、気分の改善があったかどうかということを聞かれた場合、いまなら、はっきりないと答える。しかし、「元気だ元気だ」と言ったので、元気になったような気がする……と答える場合だってある。これは、やってはいけないことだけど、実験者に対する気遣いだ。まあ、そういうことを差し引いて評価するか、被験者にはそういう気遣いはまったく不要だということをよく言い聞かせておかなければならない。けど、気を使う人はごく普通に気を遣う。
だいたい、元気だ元気だと言ったあと、「気分の改善」があるという場合と、「元気になった」という場合と、「元気になったような気がする」というの場合はちがう。気分の改善って、ほんとうに、誰もいないところで一人で言って気分の改善になるの? 実験をする場合は、被験者として実験に参加するわけだから、そこに行くわけだし、そこにはいろいろな人がいるわけだ。一人で、自分の部屋で、言っているわけではない。
ともかく、僕は普通の人が経験したことがない、激しい騒音を何千日も経験して、つかれた。そもそもが、普通じゃない。普通の状態じゃない。中立的な状態で「元気だ元気だ」と言うわけじゃない。そりゃ、ヘビメタ騒音のつかれがたまった状態で言うわけだから。
気違い兄貴の態度だって普通の人にはわかりにくいものだから、俺が誤解される。普通の人はヘビメタ騒音の影響を過小評価する傾向がある。気違い的な家族にたたられたなかった人は、みんな、ヘビメタ騒音の影響を過小評価して、気違い兄貴みたいな人間がいるということを認めない。
すでに、つかれはてた人間は、「元気だ元気だ」と言っても元気にならない。よけいにむなしくなって、破滅感を感じる。……いつか、俺が実験でそれを証明できたらいいのに。けど、倫理的な問題があるんだよ。だから、実験的に、気違い兄貴のような人が鳴らす騒音の部屋に入ってもらって、そのあとに「元気だ元気だ」と言った場合、元気にならないのかどうか、実験ができない。ただ単に、騒音が鳴っている部屋に入るのではなくて、気違い兄貴のような人間が、横の部屋でデカイ音で鳴らしているから、その部屋にいるとき、騒音を聞かされ続けるという状態だって、つくりにくい。気違い兄貴のような人間と言うけど、被験者と気違い兄貴のような人間とで、やりとりをしてもらわなければならない。そして、そういう人間が……気違い兄貴みたいな人間が……家族なのかどうかというのも、実際のレベルでは非常に感情に影響を与える要素になる。なりえる。しかし、これを、どう実験するというのか?

俺は生きているだけでえらいんだよ


俺は生きているだけでえらいんだよ。えらいのー~~~。だるい俺が、だれにもたよらず、ひとりで生きているだけでえらいんだよ。しかし、だるいから……。そのうち、時間の問題で……。まあ、いいや。
つかれた。なにを隠そう、つかれたのだ。もう、ボロボロにつかれた。ボロッボロ。はぁ~~ははは~~。
どうするかな? うーー。けっこう思うところはあるよ。横になっているとき、いろいろなシーンが走馬燈のように浮かぶ。ヘビメタ騒音を鳴らしてたときの兄貴の態度が、ゆるせない。
夢にも出てくる。
夢は、最近、よくない。今日も毛布をとられそうになる夢を見た。あとは、起きたとき、全身がかゆかったんだけど、室温の問題なのかもしれない。昼間、エアコンのスイッチを切ってしまうのだ。午後六時ぐらいからさむくなってくるから、切るべきじゃないんだ。

2020年1月27日月曜日

相手の立場に立って考えるということが根本的にできない人たち


相手の立場に立って考えるということが根本的にできない人たちがいる。これは、たぶん脳みその障害レベルでできない。だから、そういう人たちに『相手の立場になって考えることが大切だ』ということをどれだけ言っても、わからない。けど、言葉だけはわかるので、特殊な理解の仕方をしてしまうのである。もちろん、(そうやって理解した言葉は)実際の自分の場面には適応されないので、「相手の立場になって考える」ことができない人だとほかの人たちから、見られてしまうのだ。で、その場面の出来事に関しては、ほかの人たちの見方がただしい。実際に、相手の立場になって考えてない行動をしている。この行動には『発言』も含まれる。
「相手の立場になって考える」ことができない人たちは、立場を入れ替えて考えることができない人たちなので、自分の感情にまかせて、相手の人にひどいことを言うことがある。たとえば、ひどい発言内容をXだとする。AさんとBさんがいるとする。Aさんは、立場を入れ替えて考えることが出ない人なので、BさんにXだと言うときは、自分が正しいことをしているつもりなのである。言って当然のことを言っただけで、それはせめられる必要がないことなのである。けど、Aさんも、だれかほかの人にXだと言われると、怒ってしまう。それは、Xという発言内容に、相手を侮辱する要素が含まれているので、当然、Aさんも自分が言われたときは、それがわかって、怒るのである。けど、自分が、言っているときはそれがわからない。自分が言われたときだけ、侮辱的だということがわかるのだけど、自分が言っているときはわからない。Aさんのような人に、どれだけ「自分だって言われたら怒るのだから、自分が言われて怒るようなことを人に言わないようにしたらどうか」ということを言ってもまったくむだなのである。言っているときのAさんにとっては、Xは当然のことで、怒るようなことではないのである。言っているときのAさんと言われているときのAさんはXについてまったく違った考えを持っている。けど、Aさんにはその自覚がない。だから、『自分だって言われたら腹が立つのだから、(言われた人が)腹が立つようなことを言うのはやめましょう』と言われても、根本的に、相手がなにを言っているかわからない。立場を入れ替えて考えるということができないか。そのとき!!!の自分の気持ちしかないから。『気持ち』と書いたけど、これは、考えとおなじだ。そのときの『気持ち』をささえる考え方がある。まあ、その考え方を本人が説明できるかどうかは別の問題であり、さらに、本人が意識しているのかどうかも別の問題だ。


2020年1月26日日曜日

ほんらいこだわる必要がないヘビメタ騒音 じゃない

ほんらいこだわる必要がないヘビメタ騒音に俺がかってにこだわっていると言ったやつ。まるまるまる。まるまるまる。

わかるわけがない


ほかのやつ、ぜんぜんわかってないわぁ。ぜんぜんわかってない。どれだけくるしいか、ぜんぜんわかってない。
わかるわけもないかぁ。わかるわけがない。

そういう人は自分の判断がまちがっているとは思わない


歯が工事中だと亀田の『サラダうす焼き』せんべいでも、歯にこたえるのか。まあ、工事中と、工事がすんだばかりのところだからな。両方、だめなんだよな。けっこう、工事がすんだところにひびくなぁ。ぱりぱりのうすいやつで、歯にこたえるとは思ってなかった。
あーーーー。なんか、歯にこたえた。
まあ、時間がたてばどうにかなるだろう。
普段まったく気にしないせんべいなのに……。ようは、歯にこたえないんだろうな……普段は。けど、今回は、なんか、歯にこたえた。
しかし、めんどうだな。睡眠障害でほんとうに、いつ起きているのかわからないんだよな。一週間後自分が何時から何時まで起きているのかわからない。まったくわからない。これが、一〇日とか二週間になってしまうと、もう、ほんとうにまったくわからない。まあ、一週間でもわからないんだけどな。
サイコパス兄貴の騒音にやられてから、世間の人にいろいろなことを言いたいよ。世間の人は勝手に誤解する。世間の人は世間の常識にこだわるから、俺が言っていることがわからない。あるいは、嘘だと思う。あるいは、誇張して言っているのだと思ってしまう。そういう前提に立った、判断がまちがっている。けど、俺が説明しても、そういう人は自分の判断がまちがっているとは思わない。それなりに、『自信』があるのだ。あーー、やんなっちゃった。あーーー、ああ、おどろいたぁ~~~。世間の人にとって「うち」の常識は考えにくい。「そんなことがあるはずがない」と普通に思ってしまう。俺が言っていることは「もしそうだとしても」という仮定の話になってしまう。けど、過程ではないので、実際に影響がある。けど、ヨソの人たちは……常識的なヨソの人たちは、いつも、ヘビメタ騒音の影響を過小評価してしまう。あるいは、過小評価どころか『そんな影響はない』と思ってしまうのだ。こういう人たちになにを言ってもつうじない。けっきょく、兄貴のやり方は、世間の人をして俺をせめさせる。俺はいつもいつも、世間の常識とうちの常識にはさまれて、つらい思いをすることになっている。世間の人は、普通に俺を誤解してバカにする。「できないなんてことはない」と言い出す。「そんなのはあまえだ」と言い出す。けど、その人たちは、ほんとうに、ヘビメタ騒音にやられたことが一度もない。七時間浴びるとからだがどういう状態になってしまうかわってない。そういう一日が、一〇〇〇日二〇〇〇日、三〇〇〇日、四〇〇〇日、五〇〇〇日続いたら、からだがどうなってしまうかわかってない。わかってないだけなのに、知った風な口をききやがって。あーーあああやんなっちゃった。ああーーおどろいた~~~~。

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亀田の『サラダうす焼き』せんべいは、ほんとうにおいしいせんべいで、普段ならまったく歯にこたえません。いまの俺の口の中がおかしい。

2020年1月21日火曜日

土曜、日曜、祝日にまったく休めない


俺がヘビメタ騒音について説明した音声ファイルがあるんだけど、気違いおやじとか気違い兄貴という発言が多すぎて、youtubeなどには載せられない。気違いは放送禁止用語なんだよね。で、そこのところを全部削除するとかピーを入れるとなると相当に気が重い作業になる。だいたい、ピーと音は、俺もいやなので入れる気になれない。
ともかく、早い時点で、気違い兄貴がまったく鳴らさないという状態にならなければ、僕の人生はなかった。七年間たってしまったところで、「話し合って」もまったく、解決にならない。一日以内に話し合って、気違い兄貴が全面的にならさないということにならなければ、解決はない。気違い兄貴が気違いで、気違い感覚で、気違い的な意地でやりきったので、ぼくの無職引きこもりはそのときに確定した。こんなの、どれだけたえてがんばっていたって、それが、無職引きこもりの引き金になる。ようするに、がんばればがんばるほど、からだダメになって、能力が制限されて、鬱になって、適切な時間に眠れないからだになるのだ。つまり、通勤通学ができないからだになる。通勤通学ができない体になるのに七年間かかった。俺は七年間無理をして頑張っていた。気違いヘビメタに七時間さらされたあとつかれやすいからだになるのだ。
気違いヘビメタを浴びて何年間もくらしているのに、通勤通学できないからだにならない、なんてことはない。けど、他の人たちはそこのところがわかってない。自分が、気違いヘビメタを浴びたわけじゃないからだ。自分自身が気違いヘビメタ騒音を浴びて毎日くらしていたわけではないからだ。土曜、日曜、祝日は一日の中でのヘビメタ騒音時間がさらにのびてしまうので、きつい。ものすごく問題だ。けど、これだって、自分自身が気違いヘビメタ騒音にさらされることがなければ、どれだけきついことかわからない。毎日の「まいにち」が問題なのだ。土曜、日曜、祝日にまったく休めない。土曜、日曜、祝日に一日中やられてしまう。平日の「おくれ」が取り戻せなぃ。土曜、日曜、祝日にまったく勉強ができずに、ヘビメタ騒音の中でつかれつかれまくっているだけというのは、ものすごく、くるしい。けど、これだって、本当にそういう、土曜、日曜、祝日を経験しなければわからない。一日もそういう土曜、日曜、祝日を経験してない人が、「土曜、日曜、祝日も鳴ってた」ということを理解したとしても、実際には、土曜、日曜、祝日も鳴っているということが、どれだけの負の効果をもたらすか、身体的わからない。経験的にわからない。時系列的に、負の効果が波及していく。やられているときは、やられていてつらいだけなのだが、夜、眠れなくなるので、次の日にものすごい影響を与える。それが、毎日ずっと何年間も積もった場合のことが他の人にはわからない。まったくわからなぃ。

もう、つかれたという話し


やっぱり俺はきつい。からだと精神がきつい。
クレジットカードの明細のところにカブ)ジェーアルヒガシニホンみたいのがあったから、ものすごくあせった。「俺がJRなんてつかうはずがない」と思った。けど、使った。JRの電車には乗らなかったけど、じつは駅構内の売店で、歯磨きセットを買った。あれかーー。あれかーー。そういえば買ったわ。あせった。
今日は昼あたりに歯医者なんだよ。じつは、この間 駅構内で歯磨きセットを買ったときも歯医者だった。わかめそばを食った後だ。今回はどうしようかな? 歯医者に行った後はしばらく食えないからな。食えないだけではなくて飲めない。
あとは、ほんとうに、どうしようかな。30代40代と母親の介護で終わった感じがある。もちろん、俺は長期騒音の影響でからだが思うように動かないところがあるので、俺が起きてない時間は親父がやってたんだけどな。俺が料理をしていたから、それを見て親父がやる気になった。介護競争みたいになっちゃったよ。まあ、料理はずっと俺の担当だけどな。親父が作ったおかずなんて食えるわけがない。(しかし、最後の方、じゅうぶんではなかったような感じがする。CMにはいるたびに俺がテレビを消していた。けど、やはり見ているものを消されるとおどろくんだね。けど、料理を作っているときもCMを聞かされたのでいやだった。あれ、限界だったんだよな。
あとは、どうしようかな? かなり限界なんだよな。いまも……。いまも当然限界だ。こんなことになるとは。ヘビメタ騒音で人生をなくしてから20年30年、もう、限界なんだよね。騒音系のことは限界だからね。ちょっとでも限界だ。一生の中でガマできる量を使い切った。うつわに水を入れていくとする。その場合、もう、縁まできたら、あとはこぼれてしまう。人間が人生の中で我慢できる騒音の量が決まっているとする。で、もう、ぼくは、気違いヘビメタ騒音であふれでているので、そのあとのちょっとの騒音でも、もうだめなんだよ。だから、うるさくなるな。繰り返しの音を聞かせるな。

2020年1月20日月曜日

たとえば、認知症は根性で治るのかという問題がある


やっぱり、不愉快だよな。これ、ほんとうに気分でだめになっているわけではないときに、こういうことを言われたら腹が立つよな。けっきょく、気違いヘビメタ騒音が与える全体的な影響というのがまったくわかってないんだよな。
あとは、気分で書いちゃうけど、たとえば、認知症は根性で治るのかという問題がある。さらに言えば、水俣病は根性で治るのかという問題がある。根性を出せば『治る』と思っている人は、根性を出さないやつが悪いと思っている。根性がないからダメなんだと思っている。その根性がなくて、認知症になってしまったやつだって、根性を出せば、認知症が治るのである。治るのに、根性を出してなおそうとしない。だから、ダメなんだ……と思うわけだ。こういうレベルの根性論が、気違いヘビメタ騒音に対して応用されてしまうと、はっきり言って迷惑なのである。けど、認知症に根性論を応用しないやつでも、自分が体験したことがない、長期ヘビメタ騒音に関しては、普通に根性論を応用してしまう。体験してないから、障害のレベルがわかってないだけだ。それから、体験してないから、障害が発生してしまう必然性がわかってない。必然性がわかってないのだから、必然性がないということになってしまう。そういう根性論者の頭のなかでは、必然性がないということになってしまう。ほんとうは、そのように言う根性論者だって、一一歳から二五歳という大事な時期に、俺とおなじ音量で、自分が嫌いな音を、俺とおなじ時間聞かされ続けたら、広範な騒音障害というものがしょうじるのに、それがわかってない。根性の問題になってしまっている。ほんとうに頭にくる。頭にくるんだよ。
で、問題なのは、佐藤のような常識的な人も、根性論者とおなじ思考をしているということだ。行きすぎた根性論者も佐藤のような常識的な人もかわりがないのである。その点においては。どうしてなら、佐藤のような人間も障害が発生してしまう必然性がわかってないからである。佐藤のような人間も、俺におけるヘビメタ騒音の問題は、俺が勝手に発生させてしまった問題だと思っているのである。気分で、ヘビメタ騒音障害者になっている……のである。だから、気分がかわれば……あるいは、根性を出して働く気になれば……ヘビメタ騒音障害の問題が片付くと思っているのである。そういう前提で、すべてのことを言う。なんと、おろかな。なんとおろかしいことか。

気違い家族の影響を受けなければいいんだ(いつまでも影響を受けているやつが悪い)


なんとかして生活をかえないと。かえる必要がある。なんとかして……。去年はいろいろとありすぎて消耗している。ただ、ぼくの場合、この消耗を回収できる感じがしない。つかれたままになってしまう可能性のほうが高い。
いろいろと重なりすぎている。生まれたときからいろいろと障害がある。俺の障害じゃなくて家族の障害だ。やっぱり、家族がおかしいんだよな。頭がおかしい親がいつも怒り狂っていたし、頭がおかしい兄が、頭がおかしいこだわり方で、夢中になってヘビメタを聞きながらエレキギターをかき鳴らしていたので、全部がこわれている。こわれた。ほんとうにこわれた。
ともかく、くるしい。これ、だれもわからないんだよな。気違い兄貴の気違い部分が他の人にはわからないのである。気違い親父の気違い部分が他の人にはわからない。だから、「ないことになっている」。だから、いつもその部分を抜かして、他の人は、俺のことについて考える。そういう他の人は、俺を無意識的に侮辱する。佐藤の例を出しただろ。あれが、常識的な日本人の俺にたいする態度だ。あんなの、ない。頭がおかしい家族にやられた人が、他の人から、なめられ、バカにされる。軽蔑される。自分だって、気違い家族にやられれば……特に騒音でやられれば……働けなくなるのにそれがわからない。「たいしたことじゃない」と思っている。「騒音なんて、どれだけ鳴っていると言ったってたいしたことじゃない」と思っている。そう思っている人間にとって、そういう家族の騒音は、家族で話し合えば解決するはずの騒音なのである。しかし、エイリさんが話し合おうとしなかったからだめなんだと、決めつける。しかも、そういう決めつけがあることに佐藤のような常識的な人間は気がついてない。佐藤にしろ、騒音は経験している。けど、気違い家族がどれだけ、意地になって、気違い行為をするのか、その状態がわかってない。そして、気違い家では、それが当たり前の状態なんだぞ。そうじゃない日がないんだぞ。これがわかってない。
家族の心理的な障害を、引き受けてしまう人がいる。それが気違い家族にやられるということだ。気違い家族がいなくて、気違い家族の本質がわかってない人は、それがわからない。気違い家族の方はほうっておいて、気違い家族の影響を受けなければいいんだ……というようなことを言う。また、気違い家族がやったことの影響は期間限定で、やらなくなったら、影響はなくなるのである……。あるいは、この場合も影響を受ける必要がないということになる。影響を受ける必要がないにもかかわらず、エイリさんが勝手に影響を受けていると思っている。だから、エイリさんが気持ちをかえれば、それで、エイリさんは『その悪い影響』から離脱できるのである。こういう、ある意味勝手な……思考。やられてないから正しいと思える立場……。
学生時代ずっと、騒音生活をすれば……せざる終えない状態で毎日暮らしていたら……その後もずっと影響を受ける……。これがわかってない。俺が勝手にそう思っているだけだと思っている。ヘビメタ騒音の影響を過小評価している。想像力がないから、一切合切わからない。こいつら、ゆるせない。


で、また、「ゆるせない」という気持ちを持つこと自体が、俺の問題だと思うわけだろ。だれだって、そういう気持ちを持つよ。おなじ文脈で、気違い兄貴に気違いヘビメタを毎日押しつけられて、いろいろなところに現実的な障害が生じているのに、さも、自分だけ(俺だけ)が悪いような言い方をされれば、いやな気持ちになるよ。この、『自分だけが悪いような言い方』に関しても、受けとめ方の問題で、「相手は、エイリさんだけが悪いなんて思ってない」と主張しはじめるやつらが出てくる。
こういう、どこまでも空想的な、ポジティブ思考……。合理的という皮を被った不合理な思考スタイル。……もう、こんなのはいやなんだよ。

ほんとうに、まったくやられたことがないやつが、えらそうなことを言うのは、気にくわない。ヘビメタ騒音を経験したことがないやつが、わかったようなことを言うのは、ゆるせない。ゆるせない。

2020年1月18日土曜日

「はねのけ」たら、その瞬間に、言われたということ自体を忘れてしまう


気違い兄貴が夢中になって、すべての時間鳴らした。もちろん、すべての可能な時間、鳴らしたということだ。一日に一秒間ですら静かにしてくれなかった。気違い兄貴の感覚で言えば、それで当然だった。気違い兄貴のなかでは、「どれだけやったって、いいこと」だったのである。その決めつけは、俺がどれだけ言っても、かわらなかった。それは、親父の決めつけが、親父のなかでかわらないのとおなじなのである。こういうことだって、「気違い家」のひとじゃないとわからない。家のなかで狂っている人が、どれだけの意地でそうするかわかってない。ほかの人はわかってない。家のなかで狂っている人の感覚が、ほかの人にはわかってない。気違い兄貴は、めいいっぱいデカイ音で鳴らしていいと思って鳴らしていたわけで、悪いことをしているとは思ってなかった。それは、どれだけ言われても、そういうふうには思えないのである。たとえば、ぼくがどれだけ「勉強の邪魔だから静かにしてくれ」と言っても、自分の音が「勉強の邪魔になっている」と思わないのである。言われたら、気違い親父とおなじように、怒り狂う。かっっっっと、くる。ようするに、自分にとって不都合なことを言われたということ「だけ」理解して、怒る。で、本人が怒ったらおしまいだ。これも、親父とそっくりなのである。顔を真っ赤にして怒って、「はねのけ」たら、その瞬間に、言われたことの内容を忘れて、言われたということ自体を忘れてしまう。気違い兄貴の頭のなかでは、「言われなかった」ということになってしまう。兄貴のなかでは、「そういうことは言われなかった」ということになってしまうのである。その都度、そういうプロセスで忘れてしまうなら、たとえ、一万回言われても、一度も言われなかったとい主観的な記憶を持つことになってしまうのである。そういう「きたない手」を使って、自分がやりたいことを優先してやってしまう。もちろん、そういう「きたない手」をつかったというつもりもない。実は親父がうちでやってきたことというのは、そういうことなのである。だから、兄貴がまねをしてそういうことをしても、うちなかでは、自然だった。あたりまえだった。うちなかでは、そういうことが普通に成り立つ。相手が言ってきた内容は理解されず、相手は言わなかったということになって、そのままやり続けるのである。けど、相手が言ってきた内容がほんとうに理解されないのかというとそうではない。「おこった」ということが、理解しているということをしめしている。相手が言ってきた内容は、いまの自分にとって認めることができない内容なのである。認めてしまったら、自分の行動をかえなければならないけど、自分の行動をかえるのは、死んだっていやなのである。だから、そういうことで、意地がある。本人は、「意地がある」と思ってないけど、ほんとうは、ものすごく強い「意地がある」。そういうやり方で、相手が言っていることを無視するのは、いつものことで、一〇回に一回だけそうだったわけじゃない。兄貴の頭は一〇回に一〇回そういうやり方で相手が言ってきたことを無視するように「できて」いる。だから、機嫌が悪いときだけそういうふうな反応をしたということではないのだ。これは、どういうことかと言うと、構造として繰り返されたということだ。これを、「たまたま起こったことだ」と考えると現象が説明できないのである。だから、認知療法家の説明では現象が説明できないのである。多くの認知療法家は、だれかが「いつも父がそうした」とか「いつも兄がそうした」ということを言うのを聞くと、自動的に「いつもというのは、行きすぎた一般化だ」と思ってしまう。それは、かならず、「いつも」ではないのである。「たまたま、そうだったにもかかわらずそう言っているだれかがいつもそうだったと誤解している」と思ってしまうのである。しかし、この場合、誤解しているのは、認知療法家のほうだ。認知療法家が「たまたま起こったのだ」という説明にこだわっているから、「いつもそうだった」ということを否定したくなるのである。
「いつも起こった」とだれかが言うのであれば、それは、その人がたまたま起こったことをいつも起こったことだと誤解しているのだと思うこと自体が、むしろ、行きすぎた一般化なのである。どんな場合でも、たまたま起こったことなのだ……ということにこだわって、まちがった一般化をしている。構造的に成り立っていることは、いつも起こることなんだよ。そして、構造的に成り立っているにもかかわらず、たまたま、そうじゃなかった場合があった……としても、それだけでは構造的に成り立っているということを全面的に否定することはできない。そりゃ、構造的に成り立っている場合にしろ、条件があるからな。たとえば、第三者がいるときは、そういうことにならない場合があるとする。その回はそうだった。だったら、「いつもそうだった」ということは成り立たないということになる。けど、だからといって構造的に成り立っていると言っている人が……つまり「いつもそうだった」と言っている人の言っていることが……まちがっているのかというとそうではない。条件がある。あーそれなのに、それなのに、「いつもそうだった」ということを言えば……鬱病患者やだれかが「いつもそうだった」言えば、その人は行きすぎた一般化をしていると思ってしまうわけだ。

もう、まるまるまる。


だるい~~。もう、だめだ。あ~~、兄貴のヘビメタ騒音がはじまってからずっとつらかったな。もう、まるまるまる。ほーんと、ほかのやつらはヘビメタ騒音のことを過小評価して、えらそうなことばかり……。頭にくる。ゆるせない。



これ、もう、ほんとうに手の施しようがないんだよな。他人が想像するヘビメタ騒音とぼくが経験してきたヘビメタ騒音が違いすぎる。こんなの、ない。だから、俺は十数年に渡って、……毎日、言ってきたのに。気違い兄貴に「やめろ」「やめろ」と言ってきたのに……。ほんとうに、他の人は、気楽なことだと思っている。問題と言っても、たいしてデカイ問題だと思ってない。せいぜいのところ、ちょっとうるさい音が一〇分間ぐらい鳴っていたというような感覚でしかない。どれだけ、睡眠の妨げになるかわかってない。どれだけ、勉強の邪魔になるかわかってない。それが、ほんとうに毎日、午後一一時一一分まで積み上がってしまうということが、どれだけ人生に影響を与えるかわかってない。ほかの人は、俺がちょっと、影響を受けないように努力すれば、それですむことだと思っていやがる。ゆるせない。こういうこともゆるせない。もちろん、気違い兄貴もゆるせないけど、俺が影響を受けないように努力すれば、それですむことだと思っている他人もゆるせない。

2020年1月15日水曜日

もう、普通の人間だったら死んでるんだよぉ


いま、やる気がしない。
また、横になる。
俺、本当、どうしようかな。
いまは、なんとなく余裕がある。気分的に余裕がある。
余裕がある「やる気のなさ」だ。
もう、普通の人間だったら死んでるんだよぉ。三年で死んでる。長期騒音の三年で死んでる。けど、俺は生きている。生きているけど、いろいろなものを犠牲にしすぎた。もう、どうやったって、追いつけない。長期騒音がなかった俺に追いつけない。

なぜか、その問題について触れるのは御法度なのだ


夢を見たんだが、この夢が……。いや、複数の夢を見た。どの夢も、孤独・マッシグラーな夢だった。これ、なぜか知らないけど、自分がどこの誰だかわからない。どこに住んでいるのかわからない。けど、教師や友達複数と会話している。けど、この教師も友達複数も俺も、全部、気にくわない。なんか会話のすべてがいやなのだ。「俺は、どこに帰ればよいのだろうか?」という基本的な問題を抱えながら、その問題には一切合切触れずに話をしている。なぜか、その問題について触れるのは御法度なのだ。「俺はどこに帰ればよいのだ」という問題は長期騒音問題と似ている。ともかく、あのときに感じた孤独感がいろいろなところに、影響している。
夢は、小便で中断されているのだけど、三番目の夢で、図書館らしきところに入ったのだ。これも、「俺はどこに帰ればよいのだ」という問題を抱えているのに、その問題について触れるのは禁止されていて、あたかも、問題を抱えてないように振る舞わなければならないのだ。図書館には女子学生やおばさんがいるのだけど、全員風景だ。「せっかく図書館にきたんだから、本でも見ていこう」なんて、のんきなことを考えている場合じゃないのに、俺は、本を物色する。で、あんまり興味がある本はないんだけど、とりあえず二冊、本を選んで、机があるほうに行って、座って読もうとしたら、「一度に、持ち出せる本は一冊です」と係のおばさんに言われてしまう。「えっ? 館内で読むのも一冊なんですか?」と訊こうとしたところで目が覚めた。
なんだか全部、孤独なんだよな。ほんとうにヘビメタ騒音一五年で、ひとりぼっちになっちったよ。

だれだって、睡眠障害になり、体力がなくなり、知力が落ち、注意不足になる


俺はどこでどういうふうに死ぬのかな?
俺の言っていることは、ちょっとは理解されるのかな?
ともかく、ヘビメタ騒音はくるしい。あんなのはおかしい。この世で一番嫌いな音があれだけ長い時間毎日毎日、続けばだれだって、睡眠障害になり、体力がなくなり、知力が落ち、注意不足になるのに、そういう騒音を毎日経験しなかった人が、適当なことを言う。根性論、認知療法、言霊、ポジティブ思考、アドラー心理学……まったくもってくだらない。人類全部におなじようになり立つと思っているやつらが多すぎる。けど、人類すべてに成り立つような「法則」じゃないのである。これを、まちがって理解している。

2020年1月13日月曜日

「お兄さんに相談すればいい」と言う人が考える「お兄さんの態度」

気違い兄貴は、気違い兄貴の意地で、気違い親父のように、頑固に無視してとりつかれたように鳴らしていただけなのだけど、ヘビメタを鳴らされているあいだ、ぼくは、勉強もできないし、好きな本を読むこともできないし、休むこともできない。ひたすら、気違いの音をものすごい音で聞かされ続ける状態になる。これは、想像以上につかれる。破滅的な気分になる。憂鬱な気分になる。「できない」ので不安な気分になる。音と、気違い兄貴の正確や態度にどうしたって、腹が立つ。鳴らされているあいだ高圧状態で腹が立つ。無視できない。そのストレスは、ぼくが、騒音を意識的に無視しても、ずっと続く。無視するとか無視しないに関係なく、ずっと、くるしい。時間を有効に使えない。
そうなると、ぼくが、「説教をされる立場に追い込まれる」。そのときは、学生だったので「無職」であることは関係がないのだけど、ヘビメタ騒音が毎日一〇年続いて、働けないからだになったあとは、ヨソの人から「無職である」ということをせめられるようになる。ヨソの人は、俺が無職であると言うことで、俺のことを、バカにする。俺の人間性とは関係なく、その人にとって、無職である俺は、バカにされて当然のひとになるのである。そいつは俺が無職のあいだバカにし続けて、「くやしかったら働け」と言うわけだ。無職のことはその時点から考えて未来の話しだから、関係がないけど、たとえば、元気がない状態で暮らしていると「元気を出せ」と説教をされるようになる。ヘビメタ騒音を浴びてないやつから、「元気を出せ」「暗い顔をするな」と言われるようになる。気違い兄貴は、そんなことは考えてない。自分がやっていることで、弟がヨソの人から「元気を出せ」「暗い顔をするな」「ニコニコしろ」「積極的に物事に取り組め」と言われるとは思ってない。そして、こういうことについて気違い兄貴に言ってもむだなのだ。それは、「明日試験だから静かにしてくれ」「明日、運動会だから静かにしてくれ」と言っても静かにしてくれなかった……一秒静かにしてくれなかった人間なので明らかなんだよ。ともかく、気違い家族に……話がまったく通じない、自分勝手な家族に、騒音を鳴らされ続けると、俺が、他の人から説教をされるような立場に追い込まれる。これは、鳴らされてない人はわからないかもしれないけど、そうなる。一日に一〇分間とか二〇分間とかそういう話しじゃない。ヨソの人は、それもわからない。一〇分間の騒音と一〇時間の騒音のちがいがわからない。そりゃ、長さがちがうということは、わかるけど、話しの重要性はわからない。どっちも、騒音でこまっている、騒音で腹立たしいという話しであって、「ひとごと」なのだから、被害の総量はその人が考えただけの総量になる。話を聞いて、その人が考えた被害の総量しか想像しない。だから、ヨソの人にとってみれば、一日に一〇時間でも、一日に一〇分間でも、聞いた話しとして!!!!!そんなにかわりはない。けど、やられた本人にしてみれば、それは、大きなちがいなのである。鳴らしている人の態度や感覚だって、ほんとうは、ストレスに大きなちがいを与える。あんな態度はない。あんな感覚はない。気違い兄貴の感覚は、自分勝手さにおいて、ほんとうに気違い的な感覚なのである。親父とおなじ。自分のことしか考えてない。「いま、自分が、デカイ音で鳴らしたい」なら、デカイ音で鳴らすことしか考えないのである。自分がすっきりできるデカイ音で鳴らすということにこだわって、ほかのひとがっていることは一切合切頭のなかにはいらない。聞いたって聞いてない状態なのである。けど、聞こえているので、腹を立てる。人がせっかく、気持ちよく、満足できる音で鳴らしているのに「静かにしろ」とか「不愉快な気持ちになること」を言ってくるなという気持ちにしかならないのである。自分が言われて不愉快な気持ちになった……そういう気持ちしかない。相手のために静かにしてやる気持ちなんて、一切合切、わかない。そんな気持ちは、一切合切、ない。やりたいぶんだけ絶対の意地で、夢中になってやり続ける。だから、まるで悪気がない状態が成り立つ。そりゃ、自分の気持ちしかないのだから、「いやなことを言われて腹が立った」という気持ちにはなるかもしれないけど、相手がどうのこうのということは、言われる前とおなじようにまったく、頭の中にない状態なのである。だから、「言われたって言われてない状態」「言われても言われなかったのとまったくおなじ状態なが成り立つ。こういう態度と……うちにいるときはこういう態度でしかないのだけど……こういう態度と……「お兄さんに相談すればいい」と言う人が考える「お兄さんの態度」はまったく異なるものなんだよ。で、「お兄さんに相談すればいい」と言う人に俺が、俺の兄貴の態度を説明すると、その人は不愉快な気持ちになる。いぶかしい顔をする。あるいは、「そんなことないでしょ」というようなことを言う。これも、ある程度決まっている。「お兄さんに相談すればいい」と言う人の頭のなかには、気違い兄貴のような態度をとる人のデータがない。「そんなことあるのかな」「そんなひといるのかな」と思う。それから、自分の提案を否定されたわけだからおもしろ気分じゃない。ともかく、「お兄さんに相談すればいい」と気楽に言う人には、うちの兄貴の性格はわからないし、うちの兄貴の性格!!!によってもたらされる、気違い的な騒音の総量がわからない。気違い的な騒音の深刻さがわからない。そういう気違い的な家族による迷惑行為がどれだけ深刻なものかわからない。

2020年1月12日日曜日

あんな音で鳴らしている家なんて、一軒もない

これ、ほんとうにヘビメタ騒音で●ぬなぁ。いま、
2020年01月12日16時52分24秒 
日曜日の午後四時五二分。日曜日の午後四時五二分は、気違い的な音のデカさで、気違いヘビメタ騒音が鳴ってた。どれだけ、「静かにしてくれ」と言っても、赤い顔をして鳴らしていた。「静かにしてくれ」と言われると親父のように怒って赤い顔になるから、普段どんな顔で、ヘビメタを鳴らしているのか知らない。これ、もう、さんざん書いたことだけど、エレキギターを鳴らしながらヘビメタを聞いているわけで、六畳間にデカイスピーカーが三つもある状態だ。あんなのない。あんな音で鳴らしている家なんて、一軒もない。一軒もない。あんなのない。つねに、それがあたりまえだったんだからな。



2020年1月8日水曜日

ぼく以外の人類は自分が経験した単発の騒音経験をもとに、ぼくのヘビメタ騒音について類推し考える


ほんとう、どうしようかな。
こんなことをしていてもしかたがない。

しかし、ほんとうに他の人にはわからないだろうけど、ヘビメタ騒音の雰囲気が「ついて」いる。この世の感じに「ついて」いる。要するに、気違いヘビメタ騒音が何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も続く一日というのがあたりまえになってしまった。

ぼくの体はそのときから壊れている。僕のこころも、そのときから壊れている。普通の人が、普通に暮らしていても不愉快なことや悲しいことはある。

しかし、普通の人の「うつ」感情は、普通の人の「うつ」感情で、毎日、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間もヘビメタ騒音を浴びられて、何年間も生活した人の「うつ」感情とはちがう。もう、ちがうレベルになってしまう。質がちがう。鬱になる理由が特にない人が「なんとなく憂鬱だ」というのとは、ちがうし、一般の人が、単発のある出来事で鬱になるというのとはちがうのだ。

けど、ヘビメタ騒音をそれだけ長くやられて生活した人というのがぼく以外にいないので、ぼく以外の人類には、それがわからない。

だから、ぼく以外の人類は自分が経験した単発の騒音経験をもとに、ぼくのヘビメタ騒音について類推し考える。けど、ちがう。それがちがうのだ。

けど、それは、ぼくがどれだけ言葉で言ってもわからないことだ。どれだけのハンディが生じるか、どれだけのハンディが永久化(恒久化)するかわからない。ようするに、騒音が消えてしまえば、ハンディも消えてしまうのではなくて、ハンディが残る。これが、ほかの人たちには、まったくわからない。

2020年1月7日火曜日

ちっとは、気にしろ。


ふぁ~~~い。いろいろな意味で楽しくないなぁ。楽しくない。買い物に行っても楽しくない。普通に生きているやつらがうらやましい。ヘビメタ騒音以降、楽しくない。ヘビメタ騒音以降、こころがいてついて、ずっと、寒い。くるしい。

ヘビメタ騒音でくるしい。ヘビメタ騒音  で  くるしい。「で」だから。ヘビメタ騒音でくるしい。いまもくるしい。

この時間も鳴っていたけど、あいつは、絶対に静かにしてくれなかった。俺が「明日、試験だから静かにしてくれ」とどれだけ頼んでも一秒も静かにしてくれなかった。それが毎日の、気違い兄貴の態度だ。試験前に静かにしてくれなかったのに、試験日前日じゃない日に静かにしてくれるわけがないでしょ。

これも、一五年間やって、一六年目になれば「静かした!静かにした」だ。「ゆずってくれなかった」と言うと、「ゆずったゆずった」だ。ゆずるわけがないだろ。静かにするわけがないだろう。

自分が鳴らせるのに、我慢して静かにしてやるなんてことは、一日に、一秒だってないんだよ。それが気違い兄貴の態度だった。

で、そうじゃない日が、一日にしかない。高校入試の前日だけ、一日だけ、人生の中で静かにした。二日前まで、七時間鳴らせるなら絶対に七時間鳴らして、一秒もゆずってくれなかった。高校入試二日前まで、どれだけもめたと思っているんだよ。中学に入学した日から、土曜日曜、祭日を含めて、三年間、一日も静かにしてくれなかった。

高校入試二日前まで、三年間、ずっと毎日、連続で、うるさくしていた。ほんとうに、気違い親父とおなじで、ゆずってやるということができない。ゆずってやるとしたら、自分のやり方ゆずるということになる。

気違い兄貴のやり方でゆずった場合、気違い兄貴のなかではゆずったことになるらしいけど、実際には、まったくゆずしないでやりきることになる。一秒もゆずらないで、すべての可能な時間、やりきることになる。

これも、親父とおなじなんだよ。ほんとうに、頭の構造が親父とおなじなんだよな。自分が親父にやられたときは、(やられた)ということがわかって、腹を立てていたのに、自分がやる番になったら、気違い親父とまったくおなじやり方でやって、気違い親父とおなじようにゆずらない。

そして、気違い親父とおなじで、「やったつもり」がしょうじない。これ、ほんとうに、気違い的な意地で迷惑行為をしているときも、自分が「やめてくれ」と言われたら、「言われた」ということで腹を立ててとまらない状態になる。怒り狂う。ゆずるなんてことはない。体はそういうふうに行動する。

客観的な世界では、「やめてくれなかった」が正解だ。絶対の意地でやり通したというのが、実際の世界で起こったことだ。ところが、頭がおかしいので……脳みその構造が普通の人とはちがうので……「ゆずってやった」ということになってしまう。これも、なんて言うのかな……ほんとうに、関心がない状態なんだよ。

体は、自分の意志のとおりに動くけど、関心がない状態なんだよ。同時にまったく関心がない状態なんだよ。だから、「やったつもり」がしょうじない。

あとで「やめてくれなかった」と言われると、それは、そのときの気違い兄貴にとって不都合なことなので「そんなんじゃない!そんなんじゃない」と否定してあれる。

これも、親父とおなじなんだよ。前回の投稿でも書いたけど、この否定する態度とやり通す態度がおなじ。あとで「ゆずってくれなかった」と言われて怒って、「ゆずってやった!!!ゆずってやった!!!


」と言うときの態度と、「静かにしてくれ」と言われて、起こって、無視して、夢中になってやりきるときの態度がおなじ。

「ちっとは、気にしろ」と言うの。「気にしない心理学」ばっかり、はやっている。「夢中になってやればいいのだ」という心理学ばっかりはやっている。「他の人が言うことなんて気にしないで、自分がやりたいことを夢中になってやればいい」という心理学ばっかりはやっている。
ちっとは、気にしろ。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。