2020年1月18日土曜日

「はねのけ」たら、その瞬間に、言われたということ自体を忘れてしまう


気違い兄貴が夢中になって、すべての時間鳴らした。もちろん、すべての可能な時間、鳴らしたということだ。一日に一秒間ですら静かにしてくれなかった。気違い兄貴の感覚で言えば、それで当然だった。気違い兄貴のなかでは、「どれだけやったって、いいこと」だったのである。その決めつけは、俺がどれだけ言っても、かわらなかった。それは、親父の決めつけが、親父のなかでかわらないのとおなじなのである。こういうことだって、「気違い家」のひとじゃないとわからない。家のなかで狂っている人が、どれだけの意地でそうするかわかってない。ほかの人はわかってない。家のなかで狂っている人の感覚が、ほかの人にはわかってない。気違い兄貴は、めいいっぱいデカイ音で鳴らしていいと思って鳴らしていたわけで、悪いことをしているとは思ってなかった。それは、どれだけ言われても、そういうふうには思えないのである。たとえば、ぼくがどれだけ「勉強の邪魔だから静かにしてくれ」と言っても、自分の音が「勉強の邪魔になっている」と思わないのである。言われたら、気違い親父とおなじように、怒り狂う。かっっっっと、くる。ようするに、自分にとって不都合なことを言われたということ「だけ」理解して、怒る。で、本人が怒ったらおしまいだ。これも、親父とそっくりなのである。顔を真っ赤にして怒って、「はねのけ」たら、その瞬間に、言われたことの内容を忘れて、言われたということ自体を忘れてしまう。気違い兄貴の頭のなかでは、「言われなかった」ということになってしまう。兄貴のなかでは、「そういうことは言われなかった」ということになってしまうのである。その都度、そういうプロセスで忘れてしまうなら、たとえ、一万回言われても、一度も言われなかったとい主観的な記憶を持つことになってしまうのである。そういう「きたない手」を使って、自分がやりたいことを優先してやってしまう。もちろん、そういう「きたない手」をつかったというつもりもない。実は親父がうちでやってきたことというのは、そういうことなのである。だから、兄貴がまねをしてそういうことをしても、うちなかでは、自然だった。あたりまえだった。うちなかでは、そういうことが普通に成り立つ。相手が言ってきた内容は理解されず、相手は言わなかったということになって、そのままやり続けるのである。けど、相手が言ってきた内容がほんとうに理解されないのかというとそうではない。「おこった」ということが、理解しているということをしめしている。相手が言ってきた内容は、いまの自分にとって認めることができない内容なのである。認めてしまったら、自分の行動をかえなければならないけど、自分の行動をかえるのは、死んだっていやなのである。だから、そういうことで、意地がある。本人は、「意地がある」と思ってないけど、ほんとうは、ものすごく強い「意地がある」。そういうやり方で、相手が言っていることを無視するのは、いつものことで、一〇回に一回だけそうだったわけじゃない。兄貴の頭は一〇回に一〇回そういうやり方で相手が言ってきたことを無視するように「できて」いる。だから、機嫌が悪いときだけそういうふうな反応をしたということではないのだ。これは、どういうことかと言うと、構造として繰り返されたということだ。これを、「たまたま起こったことだ」と考えると現象が説明できないのである。だから、認知療法家の説明では現象が説明できないのである。多くの認知療法家は、だれかが「いつも父がそうした」とか「いつも兄がそうした」ということを言うのを聞くと、自動的に「いつもというのは、行きすぎた一般化だ」と思ってしまう。それは、かならず、「いつも」ではないのである。「たまたま、そうだったにもかかわらずそう言っているだれかがいつもそうだったと誤解している」と思ってしまうのである。しかし、この場合、誤解しているのは、認知療法家のほうだ。認知療法家が「たまたま起こったのだ」という説明にこだわっているから、「いつもそうだった」ということを否定したくなるのである。
「いつも起こった」とだれかが言うのであれば、それは、その人がたまたま起こったことをいつも起こったことだと誤解しているのだと思うこと自体が、むしろ、行きすぎた一般化なのである。どんな場合でも、たまたま起こったことなのだ……ということにこだわって、まちがった一般化をしている。構造的に成り立っていることは、いつも起こることなんだよ。そして、構造的に成り立っているにもかかわらず、たまたま、そうじゃなかった場合があった……としても、それだけでは構造的に成り立っているということを全面的に否定することはできない。そりゃ、構造的に成り立っている場合にしろ、条件があるからな。たとえば、第三者がいるときは、そういうことにならない場合があるとする。その回はそうだった。だったら、「いつもそうだった」ということは成り立たないということになる。けど、だからといって構造的に成り立っていると言っている人が……つまり「いつもそうだった」と言っている人の言っていることが……まちがっているのかというとそうではない。条件がある。あーそれなのに、それなのに、「いつもそうだった」ということを言えば……鬱病患者やだれかが「いつもそうだった」言えば、その人は行きすぎた一般化をしていると思ってしまうわけだ。

もう、まるまるまる。


だるい~~。もう、だめだ。あ~~、兄貴のヘビメタ騒音がはじまってからずっとつらかったな。もう、まるまるまる。ほーんと、ほかのやつらはヘビメタ騒音のことを過小評価して、えらそうなことばかり……。頭にくる。ゆるせない。



これ、もう、ほんとうに手の施しようがないんだよな。他人が想像するヘビメタ騒音とぼくが経験してきたヘビメタ騒音が違いすぎる。こんなの、ない。だから、俺は十数年に渡って、……毎日、言ってきたのに。気違い兄貴に「やめろ」「やめろ」と言ってきたのに……。ほんとうに、他の人は、気楽なことだと思っている。問題と言っても、たいしてデカイ問題だと思ってない。せいぜいのところ、ちょっとうるさい音が一〇分間ぐらい鳴っていたというような感覚でしかない。どれだけ、睡眠の妨げになるかわかってない。どれだけ、勉強の邪魔になるかわかってない。それが、ほんとうに毎日、午後一一時一一分まで積み上がってしまうということが、どれだけ人生に影響を与えるかわかってない。ほかの人は、俺がちょっと、影響を受けないように努力すれば、それですむことだと思っていやがる。ゆるせない。こういうこともゆるせない。もちろん、気違い兄貴もゆるせないけど、俺が影響を受けないように努力すれば、それですむことだと思っている他人もゆるせない。

2020年1月15日水曜日

もう、普通の人間だったら死んでるんだよぉ


いま、やる気がしない。
また、横になる。
俺、本当、どうしようかな。
いまは、なんとなく余裕がある。気分的に余裕がある。
余裕がある「やる気のなさ」だ。
もう、普通の人間だったら死んでるんだよぉ。三年で死んでる。長期騒音の三年で死んでる。けど、俺は生きている。生きているけど、いろいろなものを犠牲にしすぎた。もう、どうやったって、追いつけない。長期騒音がなかった俺に追いつけない。

なぜか、その問題について触れるのは御法度なのだ


夢を見たんだが、この夢が……。いや、複数の夢を見た。どの夢も、孤独・マッシグラーな夢だった。これ、なぜか知らないけど、自分がどこの誰だかわからない。どこに住んでいるのかわからない。けど、教師や友達複数と会話している。けど、この教師も友達複数も俺も、全部、気にくわない。なんか会話のすべてがいやなのだ。「俺は、どこに帰ればよいのだろうか?」という基本的な問題を抱えながら、その問題には一切合切触れずに話をしている。なぜか、その問題について触れるのは御法度なのだ。「俺はどこに帰ればよいのだ」という問題は長期騒音問題と似ている。ともかく、あのときに感じた孤独感がいろいろなところに、影響している。
夢は、小便で中断されているのだけど、三番目の夢で、図書館らしきところに入ったのだ。これも、「俺はどこに帰ればよいのだ」という問題を抱えているのに、その問題について触れるのは禁止されていて、あたかも、問題を抱えてないように振る舞わなければならないのだ。図書館には女子学生やおばさんがいるのだけど、全員風景だ。「せっかく図書館にきたんだから、本でも見ていこう」なんて、のんきなことを考えている場合じゃないのに、俺は、本を物色する。で、あんまり興味がある本はないんだけど、とりあえず二冊、本を選んで、机があるほうに行って、座って読もうとしたら、「一度に、持ち出せる本は一冊です」と係のおばさんに言われてしまう。「えっ? 館内で読むのも一冊なんですか?」と訊こうとしたところで目が覚めた。
なんだか全部、孤独なんだよな。ほんとうにヘビメタ騒音一五年で、ひとりぼっちになっちったよ。

だれだって、睡眠障害になり、体力がなくなり、知力が落ち、注意不足になる


俺はどこでどういうふうに死ぬのかな?
俺の言っていることは、ちょっとは理解されるのかな?
ともかく、ヘビメタ騒音はくるしい。あんなのはおかしい。この世で一番嫌いな音があれだけ長い時間毎日毎日、続けばだれだって、睡眠障害になり、体力がなくなり、知力が落ち、注意不足になるのに、そういう騒音を毎日経験しなかった人が、適当なことを言う。根性論、認知療法、言霊、ポジティブ思考、アドラー心理学……まったくもってくだらない。人類全部におなじようになり立つと思っているやつらが多すぎる。けど、人類すべてに成り立つような「法則」じゃないのである。これを、まちがって理解している。

2020年1月13日月曜日

「お兄さんに相談すればいい」と言う人が考える「お兄さんの態度」

気違い兄貴は、気違い兄貴の意地で、気違い親父のように、頑固に無視してとりつかれたように鳴らしていただけなのだけど、ヘビメタを鳴らされているあいだ、ぼくは、勉強もできないし、好きな本を読むこともできないし、休むこともできない。ひたすら、気違いの音をものすごい音で聞かされ続ける状態になる。これは、想像以上につかれる。破滅的な気分になる。憂鬱な気分になる。「できない」ので不安な気分になる。音と、気違い兄貴の正確や態度にどうしたって、腹が立つ。鳴らされているあいだ高圧状態で腹が立つ。無視できない。そのストレスは、ぼくが、騒音を意識的に無視しても、ずっと続く。無視するとか無視しないに関係なく、ずっと、くるしい。時間を有効に使えない。
そうなると、ぼくが、「説教をされる立場に追い込まれる」。そのときは、学生だったので「無職」であることは関係がないのだけど、ヘビメタ騒音が毎日一〇年続いて、働けないからだになったあとは、ヨソの人から「無職である」ということをせめられるようになる。ヨソの人は、俺が無職であると言うことで、俺のことを、バカにする。俺の人間性とは関係なく、その人にとって、無職である俺は、バカにされて当然のひとになるのである。そいつは俺が無職のあいだバカにし続けて、「くやしかったら働け」と言うわけだ。無職のことはその時点から考えて未来の話しだから、関係がないけど、たとえば、元気がない状態で暮らしていると「元気を出せ」と説教をされるようになる。ヘビメタ騒音を浴びてないやつから、「元気を出せ」「暗い顔をするな」と言われるようになる。気違い兄貴は、そんなことは考えてない。自分がやっていることで、弟がヨソの人から「元気を出せ」「暗い顔をするな」「ニコニコしろ」「積極的に物事に取り組め」と言われるとは思ってない。そして、こういうことについて気違い兄貴に言ってもむだなのだ。それは、「明日試験だから静かにしてくれ」「明日、運動会だから静かにしてくれ」と言っても静かにしてくれなかった……一秒静かにしてくれなかった人間なので明らかなんだよ。ともかく、気違い家族に……話がまったく通じない、自分勝手な家族に、騒音を鳴らされ続けると、俺が、他の人から説教をされるような立場に追い込まれる。これは、鳴らされてない人はわからないかもしれないけど、そうなる。一日に一〇分間とか二〇分間とかそういう話しじゃない。ヨソの人は、それもわからない。一〇分間の騒音と一〇時間の騒音のちがいがわからない。そりゃ、長さがちがうということは、わかるけど、話しの重要性はわからない。どっちも、騒音でこまっている、騒音で腹立たしいという話しであって、「ひとごと」なのだから、被害の総量はその人が考えただけの総量になる。話を聞いて、その人が考えた被害の総量しか想像しない。だから、ヨソの人にとってみれば、一日に一〇時間でも、一日に一〇分間でも、聞いた話しとして!!!!!そんなにかわりはない。けど、やられた本人にしてみれば、それは、大きなちがいなのである。鳴らしている人の態度や感覚だって、ほんとうは、ストレスに大きなちがいを与える。あんな態度はない。あんな感覚はない。気違い兄貴の感覚は、自分勝手さにおいて、ほんとうに気違い的な感覚なのである。親父とおなじ。自分のことしか考えてない。「いま、自分が、デカイ音で鳴らしたい」なら、デカイ音で鳴らすことしか考えないのである。自分がすっきりできるデカイ音で鳴らすということにこだわって、ほかのひとがっていることは一切合切頭のなかにはいらない。聞いたって聞いてない状態なのである。けど、聞こえているので、腹を立てる。人がせっかく、気持ちよく、満足できる音で鳴らしているのに「静かにしろ」とか「不愉快な気持ちになること」を言ってくるなという気持ちにしかならないのである。自分が言われて不愉快な気持ちになった……そういう気持ちしかない。相手のために静かにしてやる気持ちなんて、一切合切、わかない。そんな気持ちは、一切合切、ない。やりたいぶんだけ絶対の意地で、夢中になってやり続ける。だから、まるで悪気がない状態が成り立つ。そりゃ、自分の気持ちしかないのだから、「いやなことを言われて腹が立った」という気持ちにはなるかもしれないけど、相手がどうのこうのということは、言われる前とおなじようにまったく、頭の中にない状態なのである。だから、「言われたって言われてない状態」「言われても言われなかったのとまったくおなじ状態なが成り立つ。こういう態度と……うちにいるときはこういう態度でしかないのだけど……こういう態度と……「お兄さんに相談すればいい」と言う人が考える「お兄さんの態度」はまったく異なるものなんだよ。で、「お兄さんに相談すればいい」と言う人に俺が、俺の兄貴の態度を説明すると、その人は不愉快な気持ちになる。いぶかしい顔をする。あるいは、「そんなことないでしょ」というようなことを言う。これも、ある程度決まっている。「お兄さんに相談すればいい」と言う人の頭のなかには、気違い兄貴のような態度をとる人のデータがない。「そんなことあるのかな」「そんなひといるのかな」と思う。それから、自分の提案を否定されたわけだからおもしろ気分じゃない。ともかく、「お兄さんに相談すればいい」と気楽に言う人には、うちの兄貴の性格はわからないし、うちの兄貴の性格!!!によってもたらされる、気違い的な騒音の総量がわからない。気違い的な騒音の深刻さがわからない。そういう気違い的な家族による迷惑行為がどれだけ深刻なものかわからない。

2020年1月12日日曜日

あんな音で鳴らしている家なんて、一軒もない

これ、ほんとうにヘビメタ騒音で●ぬなぁ。いま、
2020年01月12日16時52分24秒 
日曜日の午後四時五二分。日曜日の午後四時五二分は、気違い的な音のデカさで、気違いヘビメタ騒音が鳴ってた。どれだけ、「静かにしてくれ」と言っても、赤い顔をして鳴らしていた。「静かにしてくれ」と言われると親父のように怒って赤い顔になるから、普段どんな顔で、ヘビメタを鳴らしているのか知らない。これ、もう、さんざん書いたことだけど、エレキギターを鳴らしながらヘビメタを聞いているわけで、六畳間にデカイスピーカーが三つもある状態だ。あんなのない。あんな音で鳴らしている家なんて、一軒もない。一軒もない。あんなのない。つねに、それがあたりまえだったんだからな。



2020年1月8日水曜日

ぼく以外の人類は自分が経験した単発の騒音経験をもとに、ぼくのヘビメタ騒音について類推し考える


ほんとう、どうしようかな。
こんなことをしていてもしかたがない。

しかし、ほんとうに他の人にはわからないだろうけど、ヘビメタ騒音の雰囲気が「ついて」いる。この世の感じに「ついて」いる。要するに、気違いヘビメタ騒音が何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も続く一日というのがあたりまえになってしまった。

ぼくの体はそのときから壊れている。僕のこころも、そのときから壊れている。普通の人が、普通に暮らしていても不愉快なことや悲しいことはある。

しかし、普通の人の「うつ」感情は、普通の人の「うつ」感情で、毎日、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間もヘビメタ騒音を浴びられて、何年間も生活した人の「うつ」感情とはちがう。もう、ちがうレベルになってしまう。質がちがう。鬱になる理由が特にない人が「なんとなく憂鬱だ」というのとは、ちがうし、一般の人が、単発のある出来事で鬱になるというのとはちがうのだ。

けど、ヘビメタ騒音をそれだけ長くやられて生活した人というのがぼく以外にいないので、ぼく以外の人類には、それがわからない。

だから、ぼく以外の人類は自分が経験した単発の騒音経験をもとに、ぼくのヘビメタ騒音について類推し考える。けど、ちがう。それがちがうのだ。

けど、それは、ぼくがどれだけ言葉で言ってもわからないことだ。どれだけのハンディが生じるか、どれだけのハンディが永久化(恒久化)するかわからない。ようするに、騒音が消えてしまえば、ハンディも消えてしまうのではなくて、ハンディが残る。これが、ほかの人たちには、まったくわからない。

2020年1月7日火曜日

ちっとは、気にしろ。


ふぁ~~~い。いろいろな意味で楽しくないなぁ。楽しくない。買い物に行っても楽しくない。普通に生きているやつらがうらやましい。ヘビメタ騒音以降、楽しくない。ヘビメタ騒音以降、こころがいてついて、ずっと、寒い。くるしい。

ヘビメタ騒音でくるしい。ヘビメタ騒音  で  くるしい。「で」だから。ヘビメタ騒音でくるしい。いまもくるしい。

この時間も鳴っていたけど、あいつは、絶対に静かにしてくれなかった。俺が「明日、試験だから静かにしてくれ」とどれだけ頼んでも一秒も静かにしてくれなかった。それが毎日の、気違い兄貴の態度だ。試験前に静かにしてくれなかったのに、試験日前日じゃない日に静かにしてくれるわけがないでしょ。

これも、一五年間やって、一六年目になれば「静かした!静かにした」だ。「ゆずってくれなかった」と言うと、「ゆずったゆずった」だ。ゆずるわけがないだろ。静かにするわけがないだろう。

自分が鳴らせるのに、我慢して静かにしてやるなんてことは、一日に、一秒だってないんだよ。それが気違い兄貴の態度だった。

で、そうじゃない日が、一日にしかない。高校入試の前日だけ、一日だけ、人生の中で静かにした。二日前まで、七時間鳴らせるなら絶対に七時間鳴らして、一秒もゆずってくれなかった。高校入試二日前まで、どれだけもめたと思っているんだよ。中学に入学した日から、土曜日曜、祭日を含めて、三年間、一日も静かにしてくれなかった。

高校入試二日前まで、三年間、ずっと毎日、連続で、うるさくしていた。ほんとうに、気違い親父とおなじで、ゆずってやるということができない。ゆずってやるとしたら、自分のやり方ゆずるということになる。

気違い兄貴のやり方でゆずった場合、気違い兄貴のなかではゆずったことになるらしいけど、実際には、まったくゆずしないでやりきることになる。一秒もゆずらないで、すべての可能な時間、やりきることになる。

これも、親父とおなじなんだよ。ほんとうに、頭の構造が親父とおなじなんだよな。自分が親父にやられたときは、(やられた)ということがわかって、腹を立てていたのに、自分がやる番になったら、気違い親父とまったくおなじやり方でやって、気違い親父とおなじようにゆずらない。

そして、気違い親父とおなじで、「やったつもり」がしょうじない。これ、ほんとうに、気違い的な意地で迷惑行為をしているときも、自分が「やめてくれ」と言われたら、「言われた」ということで腹を立ててとまらない状態になる。怒り狂う。ゆずるなんてことはない。体はそういうふうに行動する。

客観的な世界では、「やめてくれなかった」が正解だ。絶対の意地でやり通したというのが、実際の世界で起こったことだ。ところが、頭がおかしいので……脳みその構造が普通の人とはちがうので……「ゆずってやった」ということになってしまう。これも、なんて言うのかな……ほんとうに、関心がない状態なんだよ。

体は、自分の意志のとおりに動くけど、関心がない状態なんだよ。同時にまったく関心がない状態なんだよ。だから、「やったつもり」がしょうじない。

あとで「やめてくれなかった」と言われると、それは、そのときの気違い兄貴にとって不都合なことなので「そんなんじゃない!そんなんじゃない」と否定してあれる。

これも、親父とおなじなんだよ。前回の投稿でも書いたけど、この否定する態度とやり通す態度がおなじ。あとで「ゆずってくれなかった」と言われて怒って、「ゆずってやった!!!ゆずってやった!!!


」と言うときの態度と、「静かにしてくれ」と言われて、起こって、無視して、夢中になってやりきるときの態度がおなじ。

「ちっとは、気にしろ」と言うの。「気にしない心理学」ばっかり、はやっている。「夢中になってやればいいのだ」という心理学ばっかりはやっている。「他の人が言うことなんて気にしないで、自分がやりたいことを夢中になってやればいい」という心理学ばっかりはやっている。
ちっとは、気にしろ。

2020年1月6日月曜日

その人の頭は、二四時間中二四時間、そういう点ではかわらない


あーー、だれか俺に寿司を買ってきてくれ。

クリスマスから年末年始は、くるしいな。このくるしさは、この時期もヘビメタ騒音をやられた人間にしかわからない。一年中ずっとヘビメタ騒音を毎日やられた人間にしかわからない。このむなしさ……。この人間関係……。この状態……。この立場……。

ほんとうにヘビメタ騒音で追い込まれていくんだよな。それが他の人にはまったくわからないことだから、他の人から見ると、俺が「よくあること」で、勝手に落ち込んでだめになっているようにしか見えなぃ。けど、「よくあること」じゃないんだよ。

気違い兄貴がいる家なんてあるか?

気違いが気違い的な感覚で、ヘビメタをものすっっっごくデカイ音で鳴らしているうちなんてあるか? それを、父親は無視して、「なっちゃったら、なっちゃったでしかたがない」なんて言っているうちがあるか?

気違い親父はこれまた、自分がこまなければ、わからないんだよ。

で、人に注意してくれと言われたら、絶対の意地で注意しないようになるんだよ。注意したくないから「全部鳴らすななんて言えない」とか適当なことを言って逃げる。けど、そうやって、一五年間逃げて、一六年目には「注意した!!注意した」だよ。

これ、言っているときは本気で言っているんだからね。うそやでまかせを言っているつもりがない。これとおなじ状態が、……まったくおなじ状態が、気違い兄貴が気違いヘビメタを鳴らしているときに成り立っている。

あの人たちの頭の構造がおなじなんだよ。

他の人にはわからない。

他の人には、逆立ちしたってわからない。

けど、ものすごく頭にくるとは、ほかの人たちより、兄貴本人のほうがわかってないということだ。本気で、意地なにってやったことは、全部、やってないことなのだ。「やった」ということを認めるのがいやなときは、「やってない」ことになってしまう。自動的にそうなってしまう。そうなってしまったら、もう、どれだけ言ったって聞かない……。

それとまったくおなじ構造が、親父が意地でも注意しないときに成り立っている。他人がわからないというのはわかるけど、親父が親父のかつての状態についてわからないということは、わからない。

他人がわからないというのはわかるけど、兄貴が兄貴のかつての状態についてわからないということは、わからない。どんだけ意地になって鳴らしていたと思っているんだよ? ほんとうに頭がおかしい。頭がおかしい人が(自分勝手なことを自分勝手な感覚でやりきれば)やってないことになってしまうんだぞ!!

こんなの、他の人にわかるわけがない。
けど、本人はもっとわかってないんだよ。
おなじ構造でわかってない。

他人とおなじ構造でわかってないのではなくて、「やっているとき」とおなじ状態でわかってない。「やっているとき」の態度と「やったということを否定するとき」の態度がおなじ!! まったくおなじ。これ、ほんとうに本人がそういう装置を頭の中にかかえているからずっと二四時間中二四時間、そのままなんだぞ。うちにいればという条件がつくけど、それも、組み込まれている精神回路だ。

けっきょく、その人の頭は、二四時間中二四時間、そういう点ではかわらない。どこかでわかるということがない。最初から、わかる精神回路が抜け落ちているからわからない。

2020年1月5日日曜日

どうやっても、人生がない。


本当にヘビメタ騒音で辛かった。どうやっても、人生がない。
他の奴らは「そんなの、たいしたことじゃない」と言うけど、そんなんじゃないから。
どれだけやり直してもくるしい。どれだけ頑張ってもくるしい。どれだけ無視してもくるしい。

2020年1月4日土曜日

ヨソのうちの人にはわからない

ヨソのやつは「うちのなかで頭がおかしい人」のことはわからない。ぜんぜんちがうのにわからない。おなじだと思っていやがる。

人間はみんな同じだと思っていやがる。ちがうのに。ヨソのうちの常識で俺のうちの出来事について考えるな。

つねに乖離がある。そして、ヨソの人に悪くいわれるのは、うちのなかで、やられた方の人間だ。こんなの、ない。けど、必然的に、そうなる。必然的にそうなるということは、ヨソのうちの人にはわからない。

「なかった」ことにはできない



ヘビメタ騒音でくるしい。だれもわかってくれない。わかるわけがない。俺のヘビメタ騒音と同じ体験をした人はいないかな。その人ならわかる。
三年間でだめになる。三年間、やられたら、もうもとには戻れない。もとのからだには戻れない。「なかった」ことにはできない。三年間のヘビメタ騒音がなかった場合の人生には戻れない。

2020年1月3日金曜日

「無職の意見は、すべてまちがっている」「無職は、そもそも意見を言う資格自体がない」


「日本の場合、働けるように見える人が働かない場合、その人が言っていることは、ほとんどすべて否定される」ということを書いたのだけど、もちろん、これは、ぼくが見てきた範囲では、ということだ。私の知るかぎりでは、ということだ。

「ほとんどすべて」と書いたけど、「すべて」と書いたほうが実態には近い。「無職の意見は、すべてまちがっている」「無職は、そもそも意見を言う資格自体がない」という考えを持っている人が多い。無職がなにがしかのことを言ったら、それは、まちがっているのである。なぜなら、その人が無職だからである。

しかし、無職性の低い無職の場合は、そのようには(他の人から)考えられない。無職性の低い無職というのは、定年退職者、専業主婦、学生だ。こういう属性を持っている無職は、無職でも無職あつかいされない。これは、きわめて重要なことなのだけど、「無職問題」を考えているときは、重視されない。無視される。

「無職の意見は、すべてまちがっている」……(1)
「無職は、そもそも意見を言う資格自体がない」……(2)

このように思っている人が、考え方を変えるということはない。なので、相手の人は、無職から脱出しないと、この人たちを説得することはできない。かりに、AさんがBさんから見て働ける人であったとしても、Aさんが働けない人の場合、Aさんは、(いま現在無職であるから)Bさんを説得できないということになる。

Aさんがかりに「自分は働けないのだ」ということを言ったとしても、Bさんは、現在無職であるAさんが言うことは、すべてまちがってると仮定してしまうので、納得しないのである。だから、Aさんが、「自分は働けないのだ」ということをBさんに説得して納得してもらうためには、働かなければならないということになってしまうのである。

ある属性を持っているものが言うことはすべてまちがっているという信念を持っている人は、けっこう、存在するのではないかと思う。しかし、それが、共同幻想であった場合は、もちろん、そういうひとの信念が正しいように思われてしまうのである。

「女の意見は、すべてまちがっている」……(1)
「女は、そもそも意見を言う資格自体がない」……(2)
という信念を持っている人は、現在は少ないと思うけど、むかしは多数いたと思われる。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。