2020年3月26日木曜日

紅茶も持って行こう。


新しい石けんをおろして、風呂に入る。
どうするかな? 紅茶を持って行くかどうか?
紅茶も持って行こう。
しかし、ほんとうに、いろいろな負の記憶が浮かび上がってきて、しょうがない。
ほんとうにいろいろとくるしかった。家族の長期騒音でくるしかった。すべてが苦しくなる騒音だ。

2020年3月24日火曜日

いちいち説明するのがめんどうくさいという気持ちがしょうじるのだ


めんどくさいから、手短に説明するけど、カネがあるやつとカネがないやつの差がある。で、短縮して説明するけど、PC-8801FAにはカセットインターフェイスはついてない。だから、Nキーを押しながら、立ち上げた場合、保存ができない。スイッチを切ったらおしまいだ。ロムのN-BASICでは、ディスク関係を扱えないと、俺は聞いていた。たぶん、それは正しい。あいつが、「PC-8801FAにはカセットインターフェイスがついてない」ということを知らないだけ。だから、Nキーを押せば、N-BASICでできることは「なんでも」できるのだから、どうして、Nキーを押して立ち上げるということをしないのだと思ってしまったわけ。で、説明がめんどいんだよな。「ディスク」とひとこと言えば、それで通じるかという話しだ。これが、ほんとうにめんどいんだよな。彼は、アルバイトさきの社長の息子だった。カネがないやつのことがわかってない。PC-8801FAを分割払いで買ってしまった俺には、カセットインターフェイスを買う金がない。高いんだよ。「おれからすれば!」「おれからすれば!」「おれからすれば!」。
Nキーを押して立ち上げるとN-BASICが立ち上がるというマル秘テクニックを知っているということが彼にとっては、なんというか、得意になる部分だったのだ。たぶんだけど、彼はPC-8801FAにはカセットインターフェイスがついてない(端子がついてない)ということを知らない。これ、ほんとう、ヘビメタ騒音でいろいろとおくれをとっていて、……大学に通えなくなって……。バイト先で年下先輩みたいのができると、いやなんだよ。これ、ほんとう、ヘビメタ騒音が鳴ってなくて、普通に進学して、就職していたら、俺が教えてやる立場なのに……。なんかいろいろと複雑な気分があるんだよ。そもそも、年下先輩には、いろいろな複雑な気分がある。日本では、「そんなの、浪人したやつが悪いんだ」「そんなの、勉強しなかったやつが悪いんだ」「自業自得」ということになると思う。けど、ヘビメタ騒音という特殊な条件が付け加わると、複雑な気分になる。すべてが屈辱。そうならざるを得ない。これが、十数年も毎日、ヘビメタをガンガン鳴らされて、中学と高校と、毎日勉強できなかった!人間と、そうではなかった人間のちがいなんだよ。感覚のちがい。ヘビメタ騒音が鳴ってなかったら、こんなことになってないということに常に遭遇しなければならないんだぞ。
別にPC-8801シリーズのマル秘テクニックの話しじゃなくても、すべてにおいて、ヘビメタ騒音のせいでうまれてしまった立場の低さという問題が、しょうじる。俺の立場の低さの問題だ。これ、ヘビメタ騒音を経験してない人にはわからない。「ヘビメタ騒音が鳴ってたって、勉強なんていくらだってできる」と勝手に思っている人にはわからない。ほんとうはできない。その人が考えているのは、空想の世界なんだよ。ただちょっと頭の中で考えただけなんだよ。実際に鳴っている、世界の話しじゃない。ほんとうに、次の日にもこたえる。どうしても、睡眠時間がおかしくなる。鳴っているあいだどうしてもヘビメタ騒音で!勉強ができないという状態が、わからない。ヘビメタ騒音のなかで勉強をしようとしたぶんだけ、マイナスなんだよ。ヘビメタ騒音のなかで勉強をすれば、ちょっとでも先に進むことができる……というわけではないのだ。ヘビメタ騒音のなかで勉強をしたら、マイナス。おぼえたことも忘れてしまう。鳴ってなければ簡単にできることが、できなくなる。自信をなくす。頭がこんがらがる。その教科や分野に、「いやな感じ」がつきまとってしまう。へばりついてしまう。ヘビメタ騒音のなかでやったときの、頭がこんがらがる感じがしみついてしまう。これ、あれだけはヘビメタ騒音のなかで、「なんとか勉強をしよう」としたことがない人には、わからない。決定的にわからない。どれだけ想像してもわからない。ほんとうに「そんなものじゃない」のだ。ヘビメタ騒音は「そんなものじゃない」のだ。俺は、親父や兄貴がやったことで、ほんとうに、誤解を受けている。普通に育った人から、お・れ・が・誤解を受ける。俺が誤解を受ける。俺が、発達障害みたいに思われる。PC-8801FAにはインターフェイスがついてないということだって、ぼんぼんに説明するのは、めんどうなんだよ。いやなんだよ。ぼんぼんが、PC-8801FAで、N-BASICを立ち上げた場合、ディスクにもテープにもセーブできないといこうとを理解してないだけ。で、説明すればいいだろということになると思うけど、「きめてかかってくるやつ」に説明するのは、めんどうなんだよ。いやなんだよ。なんらかのことを説明するときに、相手の立場とか自分の立場ということを考えると「もういやだな」「めんどうくさいな」と感じてしまうことがある。そして、それは、ほんとうにヘビメタ騒音の結果できあがった俺の立場の問題なんだよ。「きめてかかってくるやつ」に微妙なことを説明してやるのがほんとうに、めんどうで、いやなんだよ。相手がどこでまちがっているかわかるけど、それを説明するのがめんどうなのだ。「めんどうだな」と思ってしまう。そういう場合、説明しないときがある。そうなると、「説明しないのは発達障害のせいだ」と考えてしまう。「きめてかかってくるやつ」はそういうふうに、誤解する。年上なのに、立場が低いというのが、いろいろなことに影響を与える。相手に対する、気持ちがちがうんだよ。最初から……。最初から、うっくつしたものがある。どうしてそうなってしまったかというと、ヘビメタ騒音にずっとやられていたからだ。気違い兄貴の態度というのは最初から問題があるわけだけど、日本で、気違い兄貴の態度で、気違い兄貴の認知で、ヘビメタを鳴らされると、ほんとうにいろいろなところで、対人関係上の問題ができあがある。もちろん、俺と他の人とのあいだの問題だ。気違い兄貴は、しらんぷりだ。気違い親父が、ハンダゴテのことで兄貴の立場を考えないのとおなじだ。気違い兄貴の態度でヘビメタを鳴らしたことで、気違い兄貴と「他の人」とのあいだで問題がしょうじるのではなくて、俺と「他の人」とのあいだで問題がしょうじる。佐藤との問題だって、そういうことのひとつだ。佐藤は佐藤で、「人間は働くべきだ」と考えているわけだ。これは、「きめてかかってくる」ということだ。「人間働くべきだ」と決めてかかってくるのである。だから、働いてない俺は、「防戦」しなければならなくなるのである。これは、「Nキーを押せばN-BASICが立ち上がるんだぜぇ」といいことを教えてやるつもりで言った人(ぼんぼん)と問題が似ている。「せっかく教えてやったのになんだ」と思ってしまう。ぼんぼんは、PC-8801FAにはカセットインターフェイス(端子)がついてないということを知らない。おそらく、ついてないということを説明すると「だったら、買えばいいだろ」という反応をしてくると思う。で、「だったら、(カセットインターフェイスを)買えばいいだろ」と言われたとき、お金がないので、カセットインターフェイスを買うのはいやだということを言いたくない。そういう気持ちまでしょうじる。ぼんぼんにしてみればPC-8801FAにつけるカセットインターフェイスなんて安いのだから買ってつければいいだろということになる。そう考える。俺には、高いんだよ。けど、「俺には高いんだよ」ということを説明したくない。
ヘビメタ騒音があると、「説明したくない」ということや「説明するのがめんどうだ」ということがいろいろとしょうじる。「説明するのがめんどうだ」という気持ちは、ほんとうにヘビメタ騒音一〇年、一五年で、しょうじて、つみあがる。ほんとうに、つかれがたまっているのだ。だから、「説明するのがめんどうだ」という気持ちになる。そうすると、誤解を受けたままになる。疲労というのは、人とのコミニュケーションにものすごい影響を与える。あとは、ヘビメタ騒音の結果できあがってしまった俺の立場というのがいろいろな影響を与える。これは、立場だけの影響ではなくて、立場にかんする俺の認知にいろいろな影響をあたえる。
これ、説明としては失敗していると思う。けど、相手がどこらへんでまちがっているのかということがわかっても、いちいち説明するのがめんどうくさいという気持ちがしょうじるのだ。それはやはり、騒音疲れでしょうじている。それから、立場の問題がある。
俺は、わからないから、説明しないのではなくて、わかりすぎちゃって、説明がめんどうくさくなって説明しないのである。けど、相手からすれば発達障害でわからないから、説明しないと思えてしまう。あるいは、相手からすれば発達障害で説明する必要性がわからないから、説明しないと思えてしまう。
そもそも、ヘビメタ騒音自体が普通の人から考えるとヘンなことなのだ。「そんなの、言えばいいだろ」ということなのだ。「そんなのは、お兄さんに言えば(やめてくれることなのだから)言えばいいだろ」と思ってしまうようなことなのだ。これも、「きめてかかってくるやつ」はきめてかかってくる。ほんとうに、めんどうくさい。ほんとうにめんどうくさい。

こんな世界は、ない。あってはならない


それにしても、『ヘビメタ騒音でくるしい』と言っているのに、説教をし始めるやつがらゆるせない。『ヘビメタ騒音でくるしい』と言っているだろ。ヘビメタ騒音でくるしいんだよ。おまえらは、ヘビメタ騒音でくるしくないのかもしれないけど、俺はヘビメタ騒音でくるしいんだよ。ヘビメタ騒音でくるしいと言っているのに、説教をし始めるやつらがゆるせない。
これ、ほんとう、どういう現実なんだよ。これ、ほんとう、どういう世界なんだよ。たえがたい。俺がずっとずっとたえてきた。たえてたけど、たえがたい。そして、たえればたえるほど、こういうやつらに、えらそうなことを言わせてしまう。
言わせる、スキを作ってしまう。
こんなのはない。こいつらは、気違いヘビメタ騒音を一日も体験したことがないので、ヘビメタ騒音のひどさがわからない。一日中鳴っていると言うことのつらさがわからない。一日中鳴っていると、どういうことに『鳴っている』ということが悪影響を与えるのかわかってない。
わかってないところで、ものを言う。わかってないところで、説教をしだす。頭が悪すぎる。想像力がないから、ヘビメタその音のつらさがわからない。
俺が説明しても、頭が悪いやつらは、ヘビメタ騒音のつらさがわからない。負の効果がわからない。どういうところに、ヘビメタ騒音が影響を与えるか、まったく、わからない。
こっちが説明しても、こいつらにはわからない。わからなければ、ヘビメタ騒音の負の効果なんてない……という前提でものを言うことができる。頭が悪いやつの頭が悪い説教がはじまる。頭が悪いから、わからないだけなんだぞ。想像できないだけなんだぞ。
気違いヘビメタ騒音にやられると、想像力がない頭の悪いやつに、俺がバカにされるということがしょうじる。これも、ヘビメタ騒音の必然だ。気違い家族によるヘビメタ騒音の必然だ。気違い家族は、あらゆる常識を無視して、とりつかれたようにヘビメタを鳴らす。しかも、無視してヘビメタを実際に鳴らしているとことを無視する。常識的な人間は、あらゆる常識を無視して、頑固にヘビメタ騒音を鳴らす人間のことが、これまた、まったくわからない。『そんな人、いるのかな?』なんて言い出すしまつだ。

こういうことを言うやつは、こちらが説明しても、ヘビメタ騒音の負の効果について、考えない。ヘビメタ騒音のことを小さく見積もる。まるで、俺が気にしないようにすれば、完全に気にしないことができるようなことだとして認識している。

俺が説明した、気違い兄貴のヘビメタ騒音について、こういう認識を持っている。こういうところの無視のしかたが、ある意味、気違い兄貴と似ている。気違い兄貴も、俺の説明を聞いた頭が悪い常識的な人も、ヘビメタ騒音の効果を軽く見積もる。あるいは、ないものとして見積もる。こんな世界は、ない。あってはならない。けど、あった。この世は、そういう世界だ。

2020年3月14日土曜日

ともかく、長期騒音で僕の気持ちが死にました。


競馬とか登山とか、趣味のあるやつはいいなぁ。
そんなのまったくやる気がしない。
ともかく、長期騒音で僕の気持ちが死にました。

2020年3月12日木曜日

毎日の、毎日、が、ちがう。鳴っている以上、傷が深くなっていくだけだ。


やっぱり、ヘビメタでつらい。どうしても、つらい。この、朝の雰囲気。この、午前中の雰囲気。この、晴れた日の雰囲気。すべてが、ヘビメタ騒音の雰囲気だ。どうしてなら、晴れた日の朝、ヘビメタをやられたからだ。まあ、雪の日も、曇りの日も、やられたわけだし、雨の日もやられた。そして、じつは、朝よりも、午後のほうがヘビメタ騒音が長い。そして、ヘビメタ騒音が鳴っていた期間が長い。ともかく、俺の死にものぐるいの努力はすべてむだになった。死にものぐるいの努力をしても、やっと、人並み。死にものぐるいの努力をしても、『鳴らされない場合の俺』よりもはるかに、劣った存在になってしまう。だめな状態になってしまう。死にものぐるいの努力をしているのに、鳴らされてない場合の自分より、ずっとずっと、だめな状態なのである。一〇分の一の能力なのである。そして、他の人は、明るい人、積極的な人のほうが、暗い人、消極的な人よりも価値があると思っているところがある。で、まあ、ヘビメタ騒音をやられ続けると、疲れ果てて、眠れなくなって、自動的に、暗くて消極的なひとになるわけ。そりゃ、からだがついていかないわけだからそうなる。そして、ここが肝心なところなのだけど、全力でやって、そうなる。我慢して、我慢して、限界まで我慢して、力を振り絞ってやっているのに、人からは、サボっているように見える。ひとからは、好きこのんで、暗くなっていると思われる。俺はもともとは、自己満足的な部分もあるけど、明るかった。ヘビメタ騒音がなければ普通に明るくわらえてた。
いまも、動きたくないけど、ほんとうに、死んでもいいから、動きたくないという気持ちのときがある。他の人……気違いヘビメタ騒音に毎日、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も、たたられたことがない人はたちは、動きたくなくても、動けば、からだがなれてくるというようなことをいいやがる。ようは、習慣づけなのだといいやがる。気違いヘビメタを毎日やられたことがないからそんなことを言える。気違いが習慣以上の習慣で、気違いヘビメタを、ものすごくデカイ音で鳴らし切ることにこだわっていた。こだわってこだわってこだわって、いた。そして、絶対の意地で毎日、実行していた。なので、ぼくの時間はすべて、気違いヘビメタがしみつくことになる。動けば、動けるようになる……というような状態しか経験してない人にとっては、『動けないなんていうのは甘えで』……動こうと思えば動ける……というのが、真実だ……とする。けど、それは、そういう人の真実でしかない。気違いヘビメタ騒音を経験してない人の真実だ。そういうことが成り立たない場合がある。しかし、成り立たない場合があるということがわかってない。動けない……と思ったときに、むりやり動いたからこそ……傷ついてしまう場合がある。再起不能になってしまう場合がある。『動けない』と言っても、動けるのではないか……というのも、日常的な真実ではある。『動けない』というのは、かならずしも、ほんとうに動けないことではなくて、『動きたくない』ということを言っている場合があるからだ。けど、じゃあ、動きたくなくても、動いていれば、体がなれるか? それは、ヘビメタ騒音が鳴ってない場合の話しだ。ぜんぜん、ちがう。毎日の、毎日、が、ちがう。鳴っている以上、傷が深くなっていくだけだ。

2020年3月10日火曜日

あいつらは、圧死しそうなやつに「くるしいと言うからくるしくなる」と言っているやつらとおなじなんだよ


ヘビメタ騒音なしで、普通に生きたかったなというのが、俺の本音だ。たとえば、佐藤みたいなやつは、ヘビメタ騒音にやられずに普通に進学し、就職した俺に、どういう態度をとっていただろうか? ああという態度ではないのは、たしかだ。気違いヘビメタ騒音がなければ、俺は、気違い親父というハンディ、貧乏というハンディを克服して……自分の才能で克服して、学者ぐらいにはなれた。ああ・・いう・・態度。ああ・・いう・・態度。ああいう、態度。ああいう、態度。ああいう態度。

気違い兄貴よ、俺は、おまえの趣味で、いろんなやつにバカにされているよ。普通にバカにしてくる。色眼鏡で見てくる。バカにしているとも思ってないよ。
「就職したほうがいい」と言っているときは、ほんとうに心配しているつもりだ。
けど、ちがうんだよ。本人の意識はどうだかわからないけど、俺が説明してきたような偏見がある。色眼鏡をとおして、俺を値踏みして、わかったようなことをいってくる。それは、ほとんど本能行為のようにあたりまえの行為だ。

ほんとうは、本能じゃないんだけどな。
文化的な行動様式としてあたりまえだ。

けど、もし、ヘビメタ騒音にさらされてなかったら、絶対に、あいつはああいう態度をとってこない。ああいうことを言ってこない。そりゃ、そうだろ。就職しているわけだから、就職したほうがいいなんて言うわけがないだろ。

『ヘビメタ騒音で働けない』と言っているのに、それは、信じない。ヘビメタ騒音がナンボのものだと思っている。ようは、ヘビメタ騒音は、(どれだけやられたといっても)働けなくなるようなものではないのである。そいつの頭のなかでは……。
それは、ひっくりかえらない。

だから、自動的に俺をバカにする。ヘビメタ騒音にやられながらもがんばりきった俺をバカにする。がんばりきったから、働けなくなっちゃったんだぞ(*1)。そこもわからない。どうしても、理解することができない。やられてないから、理解できない。毎日何年間も、十何年間も、自分がこの世で一番嫌いな音がものすごい音で鳴っている状態を経験してないから、理解できない。

あいつらは、圧死しそうなやつに「すべては受けとめ方の問題だ」と言っているやつとおなじなんだよ。あいつらは、圧死しそうなやつに「くるしいと言うからくるしくなる」と言っているやつらとおなじなんだよ。「だれだって、くるしいときはある」と言っているやつらとおなじなんだよ。



「だれだって、くるしいときはある」と言っているやつらとおなじなんだ。「俺だって、胸がくるしくなるときはある。けど、がんばっている」と言っているやつらとおなじだ。レベルのちがいがわかってない。



「だれだって、くるしいときはある」と言っているやつらとおなじなんだ。「俺だって、胸がくるしくなるときはある。けど、がんばっている」と言っているやつらとおなじだ。レベルのちがいがわかってない。
胸がくるしくなるときはあると言っている人の場合のくるしさというのは、純粋に心理的なもので五分もあればなおってしまうようなくるしさなのである。あるいは、自分が意図的に酒を飲んで、なんか胸焼けがするといっだ場合のくるしさなのである。ぜんぜんちがう。どうしてわからないのか。

(*1)通勤して普通に働くという意味

2020年3月8日日曜日

俺がどういう気持ちで「むりだ」と言っていると思っているんだ


ほんとうに、ヘビメタ騒音ですべての人間関係がずたぼろになっている。他の人は、親友を含めて、ヘビメタ騒音の効果がわからない。俺がどういう時間をすごしてきたかわからない。『ヘビメタ騒音でできない』と何度も言わせるな。
ほんとうに、まったくちがうんだよな。俺と他の人とではまったくちがうんだよな。俺がどれだけつらい状態を経験してきたか、わからない。そんなこと」でどうにかなるんだったら、とっくにどうにかなっている。「そんなこと」で働けるなら、とっくに働いている(*1)。俺がどれだけたえて、がんばって、日常生活を送っていたか、わかってない。どれだけがんばって、学校に通っていたかわかってない。だれも、わかってない。俺以外、だれもわかってない。
ほんとうに、午前四時ぐらいまで眠れなかった。一番眠たい午前七時四〇分ぐらいに起こされて、学校に通っていた。それがどういうことであるか、他の人はまったくわかってない。親友もわかってない。ダイヤに会いたい。あれはないぞ。
俺が、「むりだ」と言ったら無理なんだよ。俺がどういう気持ちで「むりだ」と言っていると思っているんだ。何回、むりだと言わせた?




ほんとうに普通の人は気違い兄貴の頭の構造がわかってない。気違い兄貴がどんな態度で鳴らしたかわかってない。俺が「やめてくれ」「鳴らさないでくれ」「静かにしてくれ」と言ったときの、気違い兄貴の態度がわかってない。



別に俺がたちなおるまで、まってくれ……と言ってないだろ。行きたいなら、勝手に行ってくれ。俺はおまえの足を引っぱるのは、いやだ。けど、できない。「たちなおる」という言葉を、使ったけど、この言葉も使いたくない。屈辱だ。これがわかるか? 注意書きとして言っておくと「たちなおる」というのは、普通に働くと言うこということだ。ヘビメタ騒音の影響がなくなるということだ。ヘビメタ騒音の影響がからだからきえるということだ。そうじゃなければ「むり」なのだから。けど、他の人は、親友を含めて「むりなのだ」ということがわからない。


それは、自分のからだではないからわからない。自分が実際に、毎日、気違いヘビメタを聞かされたわけじゃないから、自分の体験としては、わからない。ヘビメタを浴びせられる時間がどういう時間かわかってない。それが、毎日何時間も何時間も、毎年毎年続いたら、働けないからだになる。だから、そう言っているのに……どうしてみとめないで、「たちなおる」ことを求めるのだ。「むりだ」と言っているだろ。これがどういうことだかわかるのか?


(*1)普通に通勤して働いているということ。

長期騒音で本当につかれた


俺は正直言って相当につまらない状態になっている。はっきり言うと、墓が浮かんでしまうのである。まあ、詳しくは書かないけど……。
詳しくのところで、詳説なんとかなんとか、といった感じの参考書の背表紙を思い出してしまうのである。長期騒音で本当につかれた。俺の人生は、長期騒音ばかりだ。

2020年3月6日金曜日

「くるしいと言うともっとくるしくなるぞ」と言うのは、不適切なことなのである


例えばの話だけどさ……。たとえば……一つの部屋に人をつめていくとする。満員電車をこえるほど、つめていくとする。そうすると、なかのひとはくるしいわけだ。圧迫死してしまう可能性だってある。

どんどんつめこむから、実際に圧迫死する人も出てきてしまう。そういう部屋の中にいる人に対して「くるしいと言うからくるしい(くるしくなる)」「いたいと言うからいたい(いたくなる)」と言うのは、どうなのかな? ということだ。よいアドバイスをしているのだから、よいのだろうか?


それとも、的外れのことを言って、「くるしい」「いたい」と言っている人をいらつかせているのだろうか?

あなたがそういう部屋に押し込まれてくるしいときに「くるしいと言うからくるしい」「いたいと言うからいたく感じる」と言われたらどんな感じがするだろうか?

ヨソの人は、その部屋のなかにいないわけ。高みの見物であるわけ。だから、くるしくないわけ。いたくないわけ。

で、実際に、圧力で骨が折れそうなほどくるしいのに、「くるしい」と言うことを、事実上、禁止される。ヨソの人の言うとおりにするとなると「いたい」とか「くるしい」ということを言えなくなる。

「くるしいと言うからくるしくなる」わけだから。

ヨソの人は、「くるしいという現実を作り出しているのはあなた自身だ」なんてことも言ってくる。「すべては受け止め方の問題だから受けとめ方をかえればいいんだ」なんてことも言ってくる。

ヨソの人は、それが正しいと思っている。くるしいと言うからくるしくなる……というのは宇宙を貫く法則で、科学的にも証明されたことなのである。ヨソの人の頭のなかでは……。

けど、これは、普通の状態で、「いたい」と言うと、「なんとなくいたく感じる」人が、ほんのちょっといるということにすぎない。「くるしい」と言うとなんとなく、くるしいと感じると思う人がほんのちょっといるということだけを意味している。

どういう状態で、そういうことを『測量しているのか』ということは、決定的に重要なのである。けど、そういう状態のちがいを無視して、人間ならだれでもそう感じると言いきってしまう。

どんな状態でも『いたいと言うといたくなる」ということが成り立つと信じている。

だから、他の人に対してそういうことを言う。
嘘を言っているつもりはないのである。

で、その場合、やはり、圧迫死してしまうほど押されている人にそういうことを言うのは、不適切だと思う。どうしてかと言うと、その人がくるしいのは、圧力が加わっているからなのである。「くるしい」と言ったからくるんでいるわけではないのである。

けど、時系列を無視してしまう人は、「くるしい」と言ったあとに「くるしくなっている」と考えてしまうのだ。しかし、これは間違いで、くるしいと言うまえに、体全体に圧力が加わっているから、くるしいのだ。とくに、呼吸ができないほど、胸が押されているからくるしいのだ。

圧迫されてくるしい……と考える場合は、くるしさの原因は『圧力』だ。……(1)
くるしいと言うからくるしい……と考える場合は、くるしさの原因は『くるしいと言うこと』だ。……(2)

くるしいと言うからくるしくなる……ということを言う人は、原因についてまちがった考え方を持っている。しかし、自分がくるしいわけではないので、どうでもよいのである。だから、『くるしいと言うからくるしくなる』ということを言ったことによって、相手がいやな思いをするということは、わからない。

その人たちの理論にしたがうと、くるしいと言ったことによって、さらにくるしくなるからだ。くるしさから解放されるには、くるしいと言ってはだめなのである。

「たのしいたのしい」と言わなければならないのである。
あるいは「くるしくないくるしくない」と言わなければならないのである。

しかし、部屋に人をもっと押し込もうとしている人が、部屋の中にいる人たちが「たのしい たのしい」「くるしくない くるしくない」といっているのを聞いたらどう思う? まだよゆうなんだなと思うだろう。だから、もっと押し込もうと思うだろう。なので、「たのしいたのしい」と言うことがさらにくるしくなる状態を招来するのである。逆だ。まったくの逆。

いずれにせよ、『くるしいと言うからくるしくなる』と考えている人は、上(右に修正)のようなケースの場合、部屋の中にいる人たちがくるしい理由についてまちがった考えをもっていると言える。なので、そのまちがった考えに基づいたアドバイスも不適切なアドバイスになってしまうのである。

けど、現実の場面では、そういうことを言う人たちが、ほんとうに「くるしんでいるひと」のことを考えてものを言うということはない。他人のくるしみに(ついて)鈍感だからそういうことを言える。

『どんな場合でもそうだ』『どんなにくるしくても、くるしいと言ってはならない』『どんなにくるしくても、楽しいと言わなければならない』『くるしいと言うと、もっとくるしくなるぞ』「くるしいと言うともっとくるしいことがおそってくるぞ』と言って、いいアドバイスをしたつもりになってしまうのである。

けど、さきのケースだと「くるしい」とか「くるしいから、押すな」ということを言わなければならないのである。「くるしい」とか「くるしいから押すな」と言っている人に対して「くるしいと言うともっとくるしくなるぞ」と言うのは、不適切なことなのである。

2020年3月5日木曜日

俺が言っていることは理解されないと思うと虚しくなる。

俺が言っていることは理解されないと思うと虚しくなる。



普通の人間にはぼくが言っていることはわからない。ヘビメタ騒音にやられた人間じゃないとわからない。毎日毎日やられた人間じゃないとわからない。そして、ヘビメタ騒音を鳴らし続けた人間が、家族であるような人間じゃないとわからない。気違いオヤジのような親にたたられた人間じゃないとわからない。気違い兄貴のような人間にたたられた人間じゃないとわからない。根本の根本がわからないからな。「つらさ」の「つらさ」がちがう……ということを書いたけど、けっきょく、普通のつらさしか経験してない人は、特殊なつらさがわからない。とくに、長期間にわたる特殊なつらさがわからない。だから、わからないまま、自分が感じてきたつらさをベースにしてものを言うしかない。そのばあい、どうしても、根性論になりがちだ。けど、そういう人でも、本人が、認知症になってしまった、本人が根性論をずっと他人に言っていたということをわれてしまうのである。

2020年3月3日火曜日

すべて、長期騒音の日々とおなじ状態になってしまう


つかれた。だれがなんと言おうが、俺はつかれた。つかれたんだ。正直言って、だるい。風邪をひいたのかもしれない。このあいだラーメン屋から帰ってくるとき、くしゃみが出て、そのあと、喉がいたくなったんだよな。葬式のときも風邪をひいている人がいたんだけど、たぶん、その人は関係がない。まあ関係があるにしろ、俺が出て欲しくて出てもらったのだから文句はない。
けど、昨日、喉がいたくなった。いまは、そんなにいたくない。
けど問題は、喉の痛みではなくて、体のだるさだ。これは、たぶん、長期騒音が影響していると思う。長期騒音を経験してない人から「病は気から」なんて言われるのがいやなんだよな。どれだけ俺が長期騒音でくるしい思いをしてきたか。長期騒音で体力がおちて、こまっていたか。長期騒音で眠れなくなったか。睡眠回路が壊れてしまった。葬式の前もなかなか眠れなくてこまった。すべて、長期騒音の日々とおなじ状態になってしまう。

いちりある。けど、あるのは、いちりだけだ


動きたくない。動きたくない。
やっとのこと、起きて、水を飲んだ。水分補給は大切なのだ。
動きたくない。
明治ヨーグルトが食べたい。明治ヨーグルトじゃないとだめだ。むかしの明治ヨーグルトに一番味が近い十勝なんとかヨーグルトが欲しい(正式名称は、覚えてない。これは、読んでないから、覚えてない。
けど、まあ、そういうことはどうでいい。ともかく、俺は、明治ヨーグルトを売っているローソン100に行きたいのだけど、ほんのちょっとだけ、遠い。いま
2020年03月03日05時11分37秒
だけど、そのローソン100は、やっている。セブンイレブンのほうが近いんだよな。けど、セブンイレブンですら、行きたくないのだ。なんか、つかれた。うごきたくない。どうしたものか?
つかれた。
もう一回、寝るか。
ほんとう、動きたくない。ズボンを履いて外に出ることを考えると、いやな気分になる。やっぱり、つかれているときは動きたくないんだね。俺が長期騒音中、どれだけ、いやな思いをしてきたか。そして、動きたくない時間動いてきたか。意を決して、動いたか。動きたくない人に、意を決して動けば、動ける……と言う人がいる。「元気だ元気だ」と言えば、元気になる……と言う人がいる。動きたくないなんていうのは、甘えで、まず、動けば動けるというようなことを言う人がいる。いちり、ある。けど、いちり、だけだ。動けば動けるし、そういうことを繰り返せば、体がなれてくる。習慣化できる。……だから、「うごきたくない」なんてことは、なくなる……と言う人がいる。いちり、ある。いちりある。けど、あるのは、いちりだけだ。これ、わからないのかな? つかれているときは動きたくないし、高ストレス下で、動きたくないと感じているときは、いちりあるとぼくが言った方法はまったく無意味だ。百歩譲って無意味。ほんとうのことを言ってしまえば、有害ですらある。けど、そういう人たちは、「からだがなれる」人のことだけ言っている。言及している。騒音生活が続いてつかれている人のことは考えてない。騒音生活が何日も、何千日も続いているとき、そういう『むり』は有害なことだ。これがわからない。『人間はこうだ』と言いやがる。そして、マウントをとる。これは、元気な人が元気ではない人に『元気だ元気だと言えば元気になる』というようなことを言ってマウントをとるのとおなじだ。

2020年3月1日日曜日

過去は関係がない? そんなことはない


いまさら、どれだけ言ってもしかたがないということになるけど、ほんとうに長期騒音でくるしい。いま、くるしい。過去の長期騒音で、いま、くるしい。どうしてこれがわからないのか? 過去は関係がない? そんなことはない。過去は関係がある。だいたい、『過去は関係がない』などと人に言う人は、実際の生活場面では、「自分の過去」の影響を受けている発言をしている。ただ単に、気がつかないだけだ。ほんとうは、過去の影響を受けていま存在しているのに、そういう影響がまったくないように言うのは、おかしい。気がついてないだけで、本人も、過去にかんすることをいっぱい言っている。昨日、マスクを買いに行ったけど、マスクがなかったとする。その場合、今日マスクがないのは、昨日マスクを買いに行ったにもかかわらず、買うことができなかったからだ。マスクのストックはないとする。それは、とりもなおさず、『過去の影響を受けている』ということなのである。そして、誰かに『マスクを買いに言ったけどなかった』というようなことを言ったとする。その発言は、たいしたことじゃないけど、言った途端に『過去の出来事』になる。『マスクを買いに言ったけど、なかった』というあなたのの言葉にだれかがこたえたなら、だれかがこたえるという行為は、あなたの過去の行為によって引き起こされたことなのである。そういうことが積み重なって、現在の自分がいるのだから、過去のことは関係がないなど言えるはずがない。関係がないと考えることができるほど微少の影響しか与えない過去の出来事があるということなのである。影響度の問題なのである。すべての過去の出来事がいまの自分に関係がないなんてことはありえない。『過去なんて関係がない』と自分に対して言うのはいい。それは問題がない。そう思いたいだけなのだからそう思えばいいし、そう言いたいだけなのだから、そう言えばいい。しかし、人に言うな。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。