2020年5月31日日曜日

「やりたいじょうたい」で、「やれずに」いる。高圧状態


本当にヘビメタで嫌な思いをしたなぁ。本当にヘビメタで簗思いをし続けてきた。もう、いやだ。この空間なんだよな。この空間。本当にほかの人には経験がないからわからないと思うけど、ヘビメタ騒音と日常のトラブルが結びついている。

午後四時から午後一一時まで続く騒音の影響が、次の日に出る。その日は、地獄なんだけど、次の日も地獄だ。あの音は、本当に鳴ってたらなにも考えられない。苦しいだけだ。その強烈さがほかの人にはわからない。そして、それが一〇〇〇日、積もった時のしんどさが、ほかの人にはわからない。

夜は、こんな感じの夜で、ヘビメタ騒音のことで不安になる。からだがどうしても動かない。いま、深夜の二時なので、動かなくても当然なんだけど、きちがいヘビメタにやられた日々、俺は、深夜の二時に起きていた。

おもに、布団の中で起きていた。あとは、午後四時や、午後八時に静かなら終わっていた宿題をやろうとしていた。けど、頭がもうろうとしてうまくいかなかった。で、たとえば、本当に、午後四時にきちがい兄貴のヘビメタが鳴りやめば、その時に、宿題をして宿題が遅くても七時ぐらいには終わって、あとは自由にすごして眠れたはずの時間なのである。

けど、本当にヘビメタが鳴っていると、頭を使うことは全部だめなんだよ。「そんなの鳴ってたって勉強なんてできる。勉強したくないから、ヘビメタがうるさいなんて言っているんだろ」といったやつを、ぶち●してやりたい気持ちになったりする。

そいつにとっては勉強はどれだけ時間があってもやりたくないことかもしれないけど、俺は違う。きちがいヘビメタがなければ、やりたい勉強はあったのでやれた。きちがいヘビメタ騒音の苛烈さがわかってない。あんな音の中で勉強ができるわけがないだろ。

俺にとってヘビメタは、たぶんそいつにとって、この世で一番嫌いな音だ。この世で一番嫌いな音が、至近距離で、どかすか鳴っていたら、どれだけ踏んばっても、やる気を出しても、勉強なんてできない。ようするに、踏んばってやる気を出している状態だけが続く。騒音で緊張して、はりつめている状態だけが続く。意欲だけがカラマワリして、教科書や問題集とにらめっこだ。

「やりたいじょうたい」で、「やれずに」いる。高圧状態。怒りでいっぱい。そりゃ、ヘビメタ騒音に対する怒りではらわたが煮えくりえっている状態だ。本当に、机の前に座っていても……じっと座っていても……全速力で走っている状態なのである。怒りで爆発しそうな気持を意思で押さえつけているような状態なのである。

そして、次から次へとヘビメタ騒音が追い打ちをかけている状態なのである。あんなのない……。あんな状態はきちがいヘビメタが鳴るまで経験したことがなかった。しかも、その一秒だっていやな状態が、何万秒も持続してしまう。

こういう時の「疲れ」がほかの人にはわからない。こういう時間が七時間ぐらい続くと、ぐったりしているのに、眠れなしい状態になる。だから、俺はいつも眠れなかったんだ。苦しかった。

2020年5月30日土曜日

思いっきり鳴らせて、満足して眠っているわけだから、ストレスがたまらない


けっこうしんどい。
からだが楽にならない。

俺はいつになったら、元気になれるんだ? やっぱり、頭がもやーっとしているときは、つらい。今もそうなんだが……。ともかく、楽になりたい。

眠って起きた後はスカッと頭がさえている状態がよいのだけど、そうならない。なんかもやもや地獄のなかを生きている。

昨日は、本当は眠っている時間に起きて、郵便局に行ったんだけど、動いているあいだ、くるしかった。ヘビメタ騒音で眠れないまま、学校に行った時とおなじだ。行ってた時とおなじだ。ずっと、毎日、そんな状態だった。きちがいヘビメタに何時間もさらされて、疲れ果てているのに、きちがいヘビメタが終わったあと、何時間も眠れないという日が、毎日続いた。本当に苦しかった。その時の苦しさとおなじ苦しさを体験してしまう。たぶん、睡眠回路に問題があるのだと思う。そしてそれは、ぼくの不摂生でなったのではなく、ぼくには制御できないヘビメタ騒音の影響でなった。きちがい兄貴に「やめてくれ」と言えばやめてくれるのであれば、制御できる音だけど、やめてくれなければ、制御できない音になる。もともと、騒音というのは制御できない音のことだから、制御できれば、どれだけでかい音で鳴っていたとしても、騒音ではない。自分が好きで、でかい音で鳴らしているのであれば、どんなにでかい音で鳴っていても騒音じゃない。

ともかく、ほかの人は無視してしまうのだけど、鳴らされたあと、眠れなくなる。これは、人間として当然だ。あんなくそでかい音で、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も鳴らされれば、興奮して眠れなくなる。午後一一時一一分に鳴りやめば、午後一一時二〇分ぐらいには眠れるというわけじゃない。きちがい兄貴は、気持ちよく鳴らして、たぶん、午後一一時二〇分ぐらいには眠れたのだろうと思う。俺は、朝の四時、五時まで眠れない。

本当につらかった。午後一一時一一分から午前四時ぐらいまで、金縛りにあっているような状態で、眠れなかった。気は立っているのだけど、からだがだ動かない状態で、眠れないまま横になっていた。歯磨きや小便をするのがたいへんだった。そういうことでも、ぼくは、きちがいヘビメタ騒音の影響を受けていた。歯磨きをしないで、きらわれるのは俺なんだよ。膀胱が影響を受けるのは俺なんだよ。きちがい兄貴は、たかいびきだ。そりゃ、思いっきり鳴らせて、満足して眠っているわけだから、ストレスがたまらない。たとえ一分でも、弟のために、我慢しなければならないとなったら、発狂してしまう。絶対に譲れない音だったんだよ。そういう意味では、音にこだわっていたのはきちがい兄貴なんだよ。俺じゃない。けど、俺が、兄貴が鳴らしていたよりも短い期間、毎日、「ヘビメタ騒音で苦しい」と書けば、ヘビメタ騒音で苦しんだことがない、行儀の悪いやつが「おまえが騒音きちがい!!!」「おまえがヘビメタきちがい」と書き込んでくる。世の中は、そういうふうにできている。きちがい兄貴がこだわってこだわって、ならさなかったら、おれは、こういう見ず知らずの行儀が悪いやつに「おまえが騒音きちがい!!!」「おまえがヘビメタきちがい」と書き込まれることはなかったんだよ。この、行儀が悪いやつは、なまはんかな言霊主義者で俺が言霊について批判したことについて恨みに思っているのだ。批判されると、批判されたことじゃなくて、そういうことで、いちゃもんをつけてくる。こういう性格が悪くて行儀が悪いやつが、一定数、いる。ヘビメタ騒音にやられていたということが、「よわみ」になってしまうだろ。そういう、特別に行儀が悪いやつじゃなくても、ヘビメタ騒音の影響を無視したり、ヘビメタ騒音の影響を過小評価するやつは、俺に対して、頭が悪い説教をしてくる。これは、本当に頭が悪い。兄貴が、マナー違反をした。兄貴がルール違反をしたということが、基本的にわかってない。悪いことをしたやつをせめるのではなくて、悪いことをされたやつをせめる。こういうことになっている。普通の人には、兄貴の態度やおやじの態度がわからない。普通なら、家の中であんな音を鳴らしたら、最初の日の五分以内に、やめさせられることなのに、うちでは、十何年も毎日、鳴らせた。「鳴らせたなら」大した音じゃないんだろと考えてしまう。普通の人はそう考えてしまう。けど、違う。きちがい兄貴の態度やきちがいおやじの態度や、きちがい兄貴の認知やきちがいおやじの認知が、まったくわかってない。「鳴らすな」と言われた時だけ、怒り狂って、鳴らして、そのあと何時間鳴らしても、まったく鳴らさなかったのと同じつもりなんだからな。そんな認知が成り立っているとは、普通の人は考えない。俺だって、きちがい兄貴は、「やめろ」と言われたあと、こだわりつくして鳴らしたということを、認知していると思っていた。けど、きちがいだから、「鳴らしてない」のと「同じ気持ちでいる」。まったく鳴らさなかったという認知と同じ認知が成り立っている。それこそ、おやじのように「やったってやってない」なのである。

普通のうちだったら絶対に!!!!!鳴らせない音なんだよ。

2020年5月29日金曜日

いろんな感情やいろんな記憶がうかびあがってくる


いろんな感情やいろんな記憶がうかびあがってくる。俺、もう、だめだ。あのときの感情、あのときの記憶……。ほんとうにリアルに浮かんでくる。もう、だめだ。

2020年5月27日水曜日

「こんなせかいはない」


俺にしてみれば「こんなせかいはない」のだ。こんな世界はない。こんな世界はない。ヘビメタ騒音にやられて、こんな状態でくらしている、世界はない。こんなのはない。こんなのでいいはずがない。けど、きちがいヘビメタ騒音の威力は、ほかの人にはわからない。不可避的にこうなるということが、ほかの人にはわからない。ほかの人は、自分のほうが能力があるから、そんなことになってないと(自動的に)思うのだ。こういうことからして、ぼくにとっては屈辱的な世界だ。ほかの人には、これもわからない。

2020年5月24日日曜日

常につもりがない虐待


きのうは、Google 日本語入力(の設定など)をいじっているときは楽しかったけど……つらいけど、まあまあいい気分だったけど……要領がわるい店員とのトラブルを思い出してから気分が悪くなった。ここには書くわけにはいかないけど、気違い親父が精神的に虐待をしていたんだよな……俺のことを。けど、気違い親父の虐待は常につもりがない虐待で、ものすごくこまるんだよな。これ、わからないだろうな。この要領が悪い店員とのトラブルも、相当に意味合いが違うのだけど、似ている。ともかく、基本的に、人間がいやなんだよな。


2020年5月23日土曜日

「どうにかしたい」「どうにかなりたい」って、そりゃ、最初はだれだって思っている


「どうにかしたい」「どうにかなりたい」って、そりゃ、最初はだれだって思っている。何千回も何万回も失敗を繰り返してだめになる。ヘビメタ騒音が鳴っていると不可避的に失敗が増えていく。たとえば、いままで一〇回中〇回しか失敗してないのに、ヘビメタがはじまってからは一〇回中五回ぐらい失敗するようになる。

しかも、鳴っている期間が長くなれば、失敗はどんどん増えていく。で、気違いヘビメタ騒音が成り終わらない限り、前のように一〇回中〇回しか失敗しない状態にはもどらない。けど、気違いヘビメタ騒音の「負の影響」を小さく考えるひとにはまったくそこがわからない。俺がヘビメタ騒音について語っても、気違いヘビメタ騒音の「負の影響」を小さく考えるひとはヘビメタ騒音の影響を認めない。

ヘビメタ騒音が鳴ってたって「できないなんてことはない」ということになってしまう……そのひとの頭の中では。そういうひとたちは、「失敗しないようにできないなんてことはない」とか「いっくら鳴ってたって、そんなのは関係がない」と言ってヘビメタ騒音の「負の影響」を認めない。

あるいは、「お兄さんに言えばいい」と言い出す。俺が「うちの兄は、これこれこうで、こうなんだ」ということを言っても、これまた、認めない。「そんなひと、いるのかな? ともかく、ちゃんとやって」と言って、気違い兄貴の性格や気違い兄貴の態度全般を認めない。

認めないひとにとっては、俺が説明したあとも「そんなことはない」ということになっているので、俺が兄貴に説明をすれば、解決できる問題だと認識されているのである。だから、「ちゃんと説明をしないエイリさんが悪い」ということになってしまう。そのひとの頭のなかでは、そのままだ。こういうのは、兄貴がねらってやっているわけではないのだけど、気違い兄貴の頭の構造が、気違いオヤジの頭の構造とおなじだと、いつも俺の説明を理解しないということになる。

普通のひとはそれがわからない。「いいわけをするな。そんなのちゃんと言えば(しずかにしてくれる)」と思ったまま、俺に文句を言ってくる。

で、そのもんくは、あたりまえのもんくだ。もんくとして理解できる。相手の立場は理解できる。けど、それでも、俺は、できない。気違いヘビメタが鳴っていると、どうしても、どれだけ気を使っても、どれだ注意をしても、どれだけ頑張っても「できない」という状態になる。何千日もヘビメタ騒音がおなじように続くと、そういう出来事がふえていく。

ヘビメタ騒音がおなじよう何千日も続くと、一〇〇〇日目には一〇個中五個だったのが、三〇〇〇日目には一〇個中七個も失敗してしまうような状態に、なる。不可避的になる。もちろん、そういう現実はくるしい。だれにとっても、現実はくるしいが、ヘビメタ騒音が鳴っていた俺のほうが、現実はくるしい。

「だれだって苦しい思いをして現実対処している」という言葉で、ヘビメタ騒音の「負の効果」を無効化することはできない。ほんらいなら、ヘビメタ騒音の「負の効果」がないのとおなじようにあつかうということはできない。けど、そういうふうにあつかう。

どうしてかというと、そういうふうに言うやつは、気違いヘビメタ騒音の負の効果を無視しているからだ。だれもが経験すると苦労とヘビメタ騒音の苦労を同じレベルのものだと思っているからだ。

ヘビメタ騒音はだれもが経験していることじゃない。気違い兄貴による気違いヘビメタ騒音はだれもが一五年間経験してきたことじゃない。ヘビメタ騒音の毎日を一五年間経験してきたひとは……ぼくの知る限り……俺だけだ。なので、「だれでも」とか「だれだって」という言葉はあてはまらない。けど、そういうひとは、俺のヘビメタ騒音とだれもが経験する苦労をおなじものだと思ってしまう。

けど、これはちがう。そこで言う、だれもが経験する苦労というのは、俺がヘビメタ騒音を経験しなかった場合の苦労だ。ヘビメタ騒音の苦労と、その他の苦労をわけると、そういうひとたちが問題にしているのは、俺がヘビメタ騒音を浴びなかった場合の日常の苦労だ。

ようするに、一日目に、俺が気違い兄貴に、「うるさいからやめてくれ」と言ったら、兄貴がやめてくれた場合の、苦労だ。これがわかってない。一日目にやめてくれて、二日目以降ずっと、鳴らさなかったにしろ、日常生活のなかでさまざまな困難はうまれる。

けど、それらの苦労は普通の苦労だ。ヘビメタ騒音という特殊な苦労じゃない。問題なのは、気違い兄貴が気違い的なこだわりで、他の人には想像できないようなヘビメタ騒音を鳴らすことで、俺がこういうふうに、ヘビメタ騒音の「負の効果」を認めないやつらから、ダメ出しをされるということだ。

2020年5月21日木曜日

気違い兄貴相当の騒音は、何十年もない……けど一五年間毎日鳴っていたので、いまもくるしい


ヘビメタがたたりきっている。この雰囲気は、だめだ。これは、ない。こんなことの繰り返しで……。こんなことの繰り返しで……。人から誤解を受けて……。まったくやってられない。

いま、ヘビメタ騒音のような騒音が鳴ることはない。やっぱり、あのデカさの騒音がずっと毎日鳴っていたのは、異常。気違い兄貴が異常だから、撃ちで鳴らしていた。幼稚園がうるさくしたり、隣の家でピアノを弾いていたり、別の隣の家で工事をしていたりしていても、気違いヘビメタのような音でずっと鳴っているということはない。ヘビメタが続くということはない。気違い兄貴がこだわった音のでかさで、ヘビメタ騒音が続くということはない。ヘビメタが終わったあと、数十年たっているけど、その数十年のあいだ、気違いヘビメタ騒音と同等の騒音に一日も遭遇したことがない。とうの気違い兄貴だって、結婚してマンションに住んでからは、いっさい鳴らしてない。うちでだけ、こだわりつくして鳴らした。一五歳から三〇歳のあいだ……一五年間毎日、うちでは、気違い的な意地で、息をするように鳴らし続けた。こっちがどれだけ言っても、気違い親父とおなじ状態で鳴らし続けた。気違い親父とおなじ状態で鳴らし続けるということは、鳴らし終わった瞬間に、まったく関係がないひとになるということだ。感覚としては、鳴らしてない……一日中まったく鳴らしてないのとおなじだ。そういう認知が成り立っている。この認知の強さは、気違い的な意地で鳴らすときの意地の強さとおなじだ。正比例する。だからこまる。他の人にはわからない。

2020年5月20日水曜日

重い。


全部が、病人のように、重い。
重い。
重い。


ぼくがどれだけ「のりこえてきた」と思っているんだよ?
もう、限界だ。


2020年5月16日土曜日

「無職はこうだ」「引きこもりはこうだ」という偏見がある人


+++++
どこか、遠くに行きたい。



実際に行くとなると、へたる。
+++++
俺はここには書けない理由で、けっこう精神的にくるしい状態になっている。



なんとか、したいが、けっこう、くるしい。



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ほんとうに、もう、いいかげん、なんとかしたいけど、こういう気持ちが……こういう状態が俺の人生を形作ってきたことも否定できない。ようするに、どのようにあがいても、いったんこうなったら、ぬけられない。長すぎる。






なんとか、生きているだけでも、俺はすごい。なんとか、生きているだけでも、俺はすごい。


よく、生きているよなぁ。あんなこと、やられたら、ふつう、死んじゃう。それを俺は、生きている。これだけでも、もともとの体力が……生命力が尋常じゃないことを意味している。だのに、なんだ。一四年毎日、……ほんとうに土日も含めて一四年毎日……気違いヘビメタを経験してないやつが、俺のことを「よわい」「あまえている」とえらそうなことを言う。それは、もう、セットされている。ヘビメタ騒音がないか、あるいは、ヘビメタ騒音の影響が小さなものだと思うやつは、ごく自然に普通の経路を通って、誤解をする。俺を下に見る。しかも、下に見ているのに、下に見ているという認識がない。佐藤のような人間が多い。あれ、俺のことを下に見ているつもりがないんだ。見てるよ。


ヘビメタ騒音がないか、あるいは、ヘビメタ騒音があったとしても、たいした影響はないと考えているから、そうなる。


気違いヘビメタ騒音にさらされるということがどういうことだか、わかってない。俺がどれだけ説明しても、たぶんわからないのだろう。こいつらはみんな考え違いをしている。


ヘビメタ騒音は無視しようと思えば無視できる刺激じゃない。そこがわかってない。どうしたって、体や精神に影響をあたえる。……どうしたって」の部分が、見えてない。経験したことがないから、さっぱりわからない。「きいたはなし」では理解できない。軽蔑されるべきは、そっちだ。理解できてないだけなのに、なに、えらそうなことを言っているんだ??



あたかも、無視しようと思えば無視できた刺激だと思っているんだよな。そして、その刺激は、鳴り終わったあと体や精神に影響をあたえないと思っている。だから、そういうまちがった認識にもとづいて、まちがったことを言う。

しかも、まちがっているというつもりはない。これが……。こういうことが、どれだけ繰り返されてきたかわからない。気違い兄貴が気違い兄貴の態度で、気違い兄貴がやりたいように夢中になってヘビメタ騒音を鳴らし続けると、気違い兄貴が意図してないのに、俺と他の人とのあいだでその認識のちがいが、問題になる。トラブルを引き起こす。

けど、これですら、『社会経験がないから(乏しいから)そういうトラブルを起こすんだ』と勝手に思い込んでしまうのである。こういうのも、勝手に誤解しておいて、さらに、こっちを、ディスるということになるのだけど、ごく普通に、そういうことをする。ごく普通にそういうことをして、(自分がそうしたと)理解できない。自分は正しいと思っている。自分の認識……ヘビメタ騒音に対する認識とエイリの状態に対する認識は正しいと思っている。正しくない。誤解が誤解をうんでいる状態だ。


一度、無職・引きこもりフィルターが成り立つと、自分とのあいだに起こったことが、すべて、そのフィルターを通して理解されるようになるので、真実の姿が見えなくなってしまうのである。もともと、「無職はこうだ」「引きこもりはこうだ」という偏見がある人が、実際に、無職である人間、実際に引きこもりである人間に対面した場合、その人は意識はしてないけど、無職偏見フィルター、引きこもり偏見フィルターを通して、自分と無職である人間や引きこもりである人間とのあいだに起こったことを考えるようになる。

無職偏見フィルターと言ったけど、無職偏見フレームでも、無職フレームでもどれでもいい。本人が意識している以上にそういうフィルターは強い。認識の枠組みが強固にその後の認識を決定してしまう。

だいたい、佐藤は生まれながらの障害者には深い同情の念をしめすけど、生まれたあとの障害者(後天的な障害者)には、まったく同情の念をしめさない。まったくそういうことについて考えたことがない一般人のように「そんなのは、努力すればできる」「そんなのはあまえだ」と考える。

俺はもともとできたけど、ヘビメタ騒音の一四年間で、できくなった。たとえば、一定の時間に起きることができなくなった。これは、生まれたあとに生じた障害なのである。俺はこういう表現はあまり好きじゃないけど、あえて言えば、後天的な睡眠障害者なのである。後天的な睡眠障害者である俺が「一定の時間に起きることができない』と言った場合、佐藤のような人間は「一定の時間に起きることができないなんていうのは、あまえだ」「そんなのは、努力すればできる」と考える。





わかい時間は絶対にもうかえってこない。
俺にとってはヘビメタに汚染された時間だ。

ヘビメタに汚染された時間でなければ……。俺が普通の人のように、「ふつう」のわかい時間を使えたなら……。わかい時間。わかい時間。わかいときの、楽しい時間……。これが、生きていくのに大切なんだよ。それは、思い出としてだけではなくて、やはり、積み重ねと連鎖がある。

気違い兄貴よ。俺のわかい時間をかえして。

気違い兄貴が息をするように鳴らしていた時間、俺はずっとくるしかった。くるしくてくるしくてたまらなかった。いまもその頂点にいる。頂点の時間ということだけどな。

2020年5月13日水曜日

道徳的で認知療法みたいな考え方が好きな人たちは頭がおかしい親の強烈さがわかってない


いちおう、道徳的で認知療法みたいな考え方が好きな人たちは、普通の家で育ったんだよ。頭がおかしい親にやられなかった。頭がおかしい親の強烈さがわかってない。根本的な考え違いは、ここらへんから発生しているような気がするなぁ。

あとは、野宿の旅で言いたいことなんだけど……前向き思考とかそういうのも、なんていうのなかな?? ……気違いが気違い的こだわって鳴らす……気違いヘビメタ騒音のあとはだめなんだ。そんなんじゃない。世界がちがう。これ、ほんとうにちがうんだよな。普通の人は、フィクションとして、ヘビメタ騒音のことを考える。あるいは、第二次大戦時のナチス収容所の暮らしについて考える。どれだけ、苦しい生活をしていても、希望を持つことは可能だ……。前向きな思考をもっていれば、損なのはなんでもない……。とね。けど、ちがうんだよ。だいたい、この人たちは、気違いヘビメタ騒音生活を経験してない。そして、ナチス収容所の暮らしは案外、短い。ヘビメタ騒音にくらべればずっと短い時間で終わっている。収容所の生活は、(おなじ収容所で暮らしている)他の人も経験したことだけど、ヘビメタ騒音……真横の部屋のヘビメタ騒音は俺しか経験してない。どれだけ苛烈か、他の人には、わからない。フィクションとして聞いているだけだ。ぜんぜんちがう。

自転車・野宿のたびは、人生の中でやりたかったことのひとつだ。

まあ、時期的なことを考えないのであれば……。
……そして、体力的なことを考えないのであれば……自転車・野宿のたびは、人生の中でやりたかったことのひとつだ。

ダイヤ君とそんなたびもよかったかな。ダイヤ君は俺とバイクでツーリングに行きたかったみたいなだよな。ヘビメタ騒音におかされてなかったら、そういうこともできたな。あとは、なんか、内山君もそういうタイプだ。

騒音で楽しむことができなくなった。騒音で、楽しみを生み出す精神回路が壊れた。

2020年5月11日月曜日

「うちのやつら」に対する怒りを表現せずに、


外に出るとき、強烈に腹が立つわけだけど……他の人には関係がないというのわかる。なので、ものすごく、イライラして外に出るわけだけど、向かい合った人には関係がないので、平静を保って、怒っている様子を見せないようにしなければならないのである。俺はずっと、そうしてきた。

ヘビメタ騒音にやられたときも、気違い親父にやられたときも、ずっとそうしてきた。けど、それが、「外に出たくない気持ち」「人と会いたくない気持ち」に影響をあたえている。

普通、引きこもり問題などを考えるときは、そういうことは、考えられない。無視される傾向がある。けど、ものをそろえるとき、ヘビメタ騒音が鳴っていたということは、俺の人間関係にものすごい、影響をあたえている。

ほんとうに、人と会うのがいやになってしまうのである。でも、じゃあ、うちでつぶれていると、ずっとヘビメタ騒音をあびてしまうので、「パス」したときも、ダメなのである。

発狂的な気持ちがつきまとう。

パスというのは、行くのをやめてうちにとどまることだ。行く用意をしているときに、破滅して、発狂して行けなかったとしても、別にいいことが起こるわけじゃない。そういうことがある。

ともかく、なんだか知んないけど、ヘビメタ騒音による引きこもりと、他の理由による引きこもりは、だいぶちがう。印象がだいぶちがう。そして、社会的な引きこもりはものすごく、印象が悪いのである。これも、ヘビメタ騒音によってしょうじたハンディのひとつだ。障害なんだよ。

人生経験のとぼしいやつらは、考えることができない。気違い家族経験のとぼしいやつらは、考えることができない。「そんなのはない」と考える。あるいは、「あったとしても、そんなことに影響を受ける必要はない」と考えてしまう。

それが傲慢なんだよ。無理解なんだよ。

そりゃ、ただ単に経験したことがないからわからないことだということを言いかえているにすぎない。経験の数は重要だ。どれだけ、繰り返されたかということは、重要だ。そういうことを、全部無視して「気にする必要がないことを気にするのはおかしい」と決めつけてしまう。


あー、ともかく、「うちのやつら」に対する怒りを表現せずに、関係のな人と向かい合っているのは、くるしいよ。

気違い兄貴が「無視」して鳴らす態度が、気違い親父そっくりだし、気違い兄貴が「やりきったら」やってないつもりになってしまうのも親父おなじだ。こんなの、他の人にわからない。

「気違い」とつけているから、文が成り立つけど、「兄貴が」とか「親父が」といった場合、文が成り立たない。へんなことを言っているよう気持ちになる。聞いた人は、言っている人が矛盾のあることを言っているような気持ちになる。

そりゃ「やったってやってない」なんておかしいからな。気違い的な意地でやったことを、気違い的な意地で認めないというのはおかしい。けど、「やっているときの態度」と「やったということを認めないときの態度」が、おなじなんだよ。

気違い兄貴がこだわってこだわって、しつこくしつく、息をするように、ヘビメタを鳴らしたので、俺は、学校では愚痴らなかったけど、親友には愚痴った。いま書いているような内容を愚痴った。こういうことも、親友との関係に影響をあたえている。気違い兄貴が鳴らさなかったなら、俺が兄貴のヘビメタ騒音について愚痴ることもなかった。

気違い兄貴のほうがしつこく、何回も何回もヘビメタを鳴らしている。ぼくが他人にグッタ回数がおおいにしろ、気違い兄貴がヘビメタを鳴らした回数よりも回数が少ない。兄貴のこだわりが他の人にはわからない。

「うちでなら、どれだけ鳴らしてもいい」という気違い兄貴の、『うちでのかんかく』はよそのひとにはまったくわからない。

だから、本来ならゆるしてやるべきことにこだわっているように見えてしまうのである。『騒音なんて俺だって鳴ってた(経験した)』と言って、幼稚園の騒音に文句を言う人をバカにする人がいるけど、それは、そいつの頭がおかしいだけだ。これ、バカにしただけではなくて、幼稚園をうったえた人を、こともあろうに、気違い呼ばわりしているのである。幼稚園をうったえた人を気違い呼ばわりするやつが気違い。

けど、俺は、幼稚園の騒音は、別によかったんだよ。そういうことじゃないんだよ。これを言ってしまうと、いま現在「幼稚園の騒音」に悩まされている人と、対立関係になってしまうのだけど、ちがうものはちがうんだよ。幼稚園の騒音に悩まされている人も、気違い兄貴の騒音がどれだけでかくて、どれだけしつこいかわかってない。




2020年5月8日金曜日

なにかをそろえて、時間通りにどこかに行こうとすると、気違いヘビメタのことが思い浮かぶ


外に出るために着替えているとき、「ヘビメタが鳴っていた!!!」「ヘビメタが鳴っていた!!!」「ヘビメタが鳴っていた!!!」とさけびたくなる。さけんだ。何回もさけんだ。俺がどれだけデカイ声でさけんでも、気違い兄貴が鳴らしていたら、その声がかき消されてしまうほど、デカイ音で、鳴らしていた。気違い兄貴がヘビメタを、ものこずく、でかい音で鳴らしていた。「気違い兄貴が、ものすごく!!!でかい音でヘビメタを鳴らしてた」「気違い兄貴が、ものすごく!!!でかい音でヘビメタを鳴らしてた」「気違い兄貴が、ものすごく!!!でかい音でヘビメタを鳴らしてた」と絶叫したくなる。どれだけデカイ声で絶叫したって、気違いヘビメタの数分のイチの音だ。数十分のイチの音だ。人間が感覚する音と、物理的な音のデカさはちがう。で、数分のイチ、数十分のイチというのは、人間の感覚で考えた場合の数分のイチ、数十分のイチの音という意味だ。

も、のすごい、音でヘビメタが鳴ってた。いいわけがないだろ。こんなの毎日、続いていいわけがないだろ。ほんとうに、佐藤みたいなやつが、ヘビメタ騒音のことを過小評価する。「いっくら鳴らしてたと言ってもそんなでかい音で鳴らしているわけがない」と思うわけだ。俺の部屋を中心にして考えるとそうだ。幼稚園の園舎の中でどのくらいの音で兄貴のヘビメタが聞こえるのかわからない。距離は重要だよ。音のデカさは距離の自乗に反比例するからね。本当にわかってない。「親がなにも言わないのはおかしい」……本当にわかってない。そういう、人生経験が少ない、頭が悪いやつから、常に誤解を受けるんだよな。
そういうふうになっている。気違い親父がへんな理由で起こった場合、そのへんな理由が、他の人にはわからないというのとおなじだ。他の人というのは、やられた人の話を聞く他の人という意味だ。

赤の他人、家族ではない人、いっしょの家に住んでいるわけではない人のことだ。そういう人たちは、やられた方の話を聞いても、ちゃんと、ほんとうのことを理解することができない。自分の「人間」のなかに親父みたいな人間が含まれないからだ。自分のなかにある「人間」という概念のなかに、「うちの親父」のような人間が含まれないからだ。きっと、なにかちゃんとした理由があるのだろうと勘ぐってしまう。ゲスノカングリで、まちがっているのだけど。そういうふうに思ってしまう。子供にはわからないけど、親はちゃんとした理由で怒っているわけで、頭がおかしい理由で怒ることなんてない……と考えている。人生経験が少ないから、例外がわからない。そりゃ、人生の中でそういう頭がおかしい親にたたられたことがなければ、わからないだろ。

ともかく、なにかをそろえて、時間通りにどこかに行こうとすると、気違いヘビメタのことが思い浮かぶ。学校に行くとき、気違いヘビメタが鳴っていたからだ。休みの日、どこかに行くとき、気違いヘビメタが鳴っていたから。持って行くものをチェックするとき……ヘビメタが鳴っていたからだ。チェックするときと書いたけど、チェックしたいときという意味だ。気違いヘビメタが鳴っていると、発狂的な気持ちになって、うまくチェックすることができない。このチェックしなければならないのに、騒音でチェックすることができないというこまった状態が、人生の中で、長時間続いた。何回も何回もそういうことを経験した。十数年間にわたってそういう状態だと、何万回もそういうことを経験することになる。そうなると、一五年目にヘビメタ騒音が鳴ってなくても、ものをそろえなければならないときは、へんな緊張が走るのである。ものすごく切羽詰まった気分になるのである。うまくいかない気分になるのである。

今日は、ゴールデンウィークがあけた平日だけど、ゴールデンウィークは、この時間……午後二時ぐらいも、ずっとヘビメタが鳴っていた。毎年毎年、そうだ。いいわけがないだろ。心の平静が保てるわけがないだろ。気違いヘビメタ騒音に毎日毎日たたられることがなく、普通に暮らしてきたやつが「どんな場合でも、心の平静を保つことは可能だ」というようなことを言う。おまえらのほうが世間知らずだ。気違い知らずだ。どれだけ、気違い家族がたたるかわかってない。わかってないだけの話だ。

2020年5月6日水曜日

どれだけの障害になるか


つまんねぇ~~
これが俺の本心。

いまのねーー。いまの、本心さ。

どんだけヘビメタでつらかったか。
どんだけヘビメタでくるしかったか。

鳴っている……。鳴っている。これ、鳴っているときの雰囲気だ。
どれだけ言っても、やめてくれなかったんだよな。呼吸をするように、いつも、あたりまえのように、鳴らしていた。やめてくれなかった。どれだけ言っても、やめてくれなかった。

つもる……。つもる……。不愉快感がつもる。つかれがつもる。『負の時間』がつもる。『負の時間』だからなぁ。ただ単に、むだな時間じゃない。激しく悪影響をあたえる時間。その時間だけではなくて、割ったあとの時間にも激しく悪影響をあたえる時間。

終わったあと、どれだけくるしいか。どれだけ、つらいか。そういう思いを一日も体験したことがないやつが、えらそうなことを言う。

「ちがう」って言っているでしょ。そんなもんじゃないんだよ。ヘビメタ騒音の『負の効果』について、見誤っている。だから、そのあとの結論や意見が、全部まちがったものになる。そして、そういう結論や意見が、ものすごく、失礼なのである。俺に対してものすごく失礼だ。それも、見誤っているから、わからない。

2020年5月2日土曜日

「ついにこうなった」感がつよい。

庭を見る。
「ついにこうなった」感がつよい。
ついに、こうなったか。ついに、こうなったか。
あそこで、ダイヤと花火をしたなぁ。
あーあ。

2020年5月1日金曜日

鳴り始めた当時……俺は小学六年生だったんだぞ


ほんとうに、ヘビメタ騒音で人生がない。これは、おかしな人生だ。

ほんとうに、だれも、一日のヘビメタ騒音のすごさがわからない。どれだけがんばっても、破滅破綻だ。いいことにならない。「元気だ元気だ」と言ったって、元気にならないし、眠れないときは眠れないときで、どれだけ「眠れる」「眠たくなってきた」と言ったって、眠たくならない。

これ、ヘビメタ騒音にずっとさらされていると、鳴り終わったあと、眠れなくなる。ずっと眠れなくなる。あの生活がどれだけきついか、他の人にはまったくわからない。わからないところで、アドバイスをするから、そのアドバイスはだめだということを言わなければならなくなる。

ほんとうに、だめなんだよ。
使えないんだよ。

何回もトライしたけど、まったく意味がなかったの!!!

それどころか、重荷になるようなことばかりなんだよな。ヘビメタが一日じゅう、「なりやまなければ」意味がない。鳴りやむのがさき。鳴りやまない状態で、どれだけ、その人が考えるいいアドバイスをしても、むだ。その人が考えるいいアドバイスというのは、俺の実態を無視している。俺のほんとうの状態を無視している。鳴らされているときの俺の状態を無視している。六時間から一三時間鳴らされたあとの、俺のからだの状態を無視している。

だから、使えない。

けど、どれだけ相手が傷つかないように、そういうことを説明したとしても、「体験してない人は」わからない。「そんなのやってみなくちゃわからないだろ」とか言う。「やったの」。だから、「やったんだよ」と言っても、それで、相手の機嫌がなおるということがない。

やはり、相手は、「アドバイス通りやってみるよ」というような返事を期待している。それが、否定されるわけだから……気分がよくない。さらに、たとえば、数日後に「アドバイス通りにやったら、よくなったよ」「ありがとう」というようなことを多少は期待している。

けど、「だめだ」と言われて腹が立つ。
気分が悪くなる。

けど、ほんとうに、実際の状態が、わからないままアドバイスしているんだよ。俺とおなじ部屋で暮らして、ヘビメタ騒音がどれだけひどいか経験してみてよ。一日だけでもたまったもんじゃないけど、一〇〇日、一〇〇〇日、続いた場合の「一日」を経験してみてよ。こんなの、ほんとうに……。どんだけ、つらいか。ほんとうに、眠れない。

こういうのだって、俺が睡眠薬をのんだってだめなんだぞ。気違い兄貴の騒音のなかで……ガンガンドカドカ鳴っているなかで、振動が響いているところで……睡眠薬なんて毎日飲んで、暮らしてみろ。ほんとうに頭がおかしくなってしまうだろ。俺は、当時……鳴り始めた当時……俺は小学六年生だったんだぞ。鳴りやむのが、さきなんだよ。なんでこれがわからないのか。鳴りやまない状態で、睡眠薬を飲んでもだめなんだよ。ほんとうに、まるまるしてやりたい。




わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。