ヘビメタ騒音のことはちゃんと言ったのに、頭が悪いやつらが、誤解をするんだよな。たとえば、座頭(仮名)は自分(座頭)が一浪したとき、これからどういうふうに生きるか考えていたというようなことを言ったあと、やっぱり人間は働くべきだよというようなことを言った。
これ、ヘビメタ騒音について誤解をしている。
働けなくなるほどの騒音。通学できなくなるほどの騒音だと言っているだろ。働けなくなる騒音の繰り返しがあったと言っているだろ。通学できなくなるほどの騒音の積み重ねがあったと言っているだろ。
「できない」と言っているのに、ほんとうにわかってないなぁ。
「自分はできる」という前提、あるいは「自分なら鳴らされても、できたままでいたはずだ」という前提でものを言っているのだろうけど、それは、俺と同じ状態で俺と同じ時間の長さ、俺と同じ期間の長さ、自分がこの世で一番嫌いな音に、小学六年生から二二歳まで、さらされてないから、そういうことが言えるだけなんだよ。
ほんとうは、二二歳以降も鳴っていたのだけど、一般的な人が大学を卒業するまでの期間ということでいいよ。短めに言っておいた。中学三年間、高校三年間ずっと、毎日ヘビメタが鳴っていたということが重要なんだよ。
それは、積もる。
高校を卒業した時点で、ぼくは、通学をする能力・通勤をする能力をなくした。
これが重要なんだよ。やれるけど、やらないことじゃないんだよ。どれだけがんばってできないことなんだよ。どれだけがんばってもできないことになってしまったんだよ。
だから、ヘビメタ騒音で働けなくなったと言っているだろ。ヘビメタ騒音で通学制の学校には通えなくなったと言っているだろ。これ、高校卒業をした時点ではわからなかったのだけど、あとで、わかった。
ほんとうに、ヘビメタ騒音の話をしたとき、ヘビメタ騒音の効果(負の効果)を過小評価して、本人の苦労話をするのはやめてくれないかな。そのくだらない苦労話の対象となる期間、そいつは、学校に通っていたり、職場に通っていたりするのである。続けることができた。
だから、それは、学校に通えなくなったり、職場に通えなったりするような「でかい出来事」じゃない。同じじゃないだろ。その時点で、できるのだから、同じじゃない。苦労が続いたあと、通勤・通学ができるのだから、通勤・通学ができなくなるような「でかい出来事の連続」ではない。なんでこれがわからない。こいつらは、ゆるさない。
ヘビメタの効果を無視したり、過小評価しているだけなのである。こいつらは、自分がエイリさんより優れているから、ヘビメタ騒音があったとしても、ヘビメタ騒音の効果で通学・通勤する能力がなくなるということはないという前提でものを言っているのである。
侮辱。
こういうほかの人のことがまったくわからないやつら、こういう想像力がまったくわからないやつらが、そういう前提をとおして俺をばかにしてくる。
きちがいヘビメタ騒音でいろいろと恥をかてきたけど、こういうのも、そういうことのうちのひとつだ。
そういう前提をとおしてというのは、前提に関して、そいつらは言及しないのだけど、前提は思考の前提として成り立っているという意味だ。前提がまちがっているのだから、まちがった思考しかしない。まちがった結論を必然的に導き出す。
俺が「できない」と言っているのに「できる」という前提で「人は働くべきだよ」というようなことを言う。これは、俺が言っていることを無視していることに等しい。
しかし、無視しているつもりはないのだろう。これは、きちがい兄貴と同じ構造だとは言わないけど、普通に成り立つ構造だ。
ようするに、きちがい兄貴の場合は、感覚を言い換えてやり切るわけだし、本人がやったことを認めないという構造をもっている。
ほかの人は、同じように「ヘビメタ騒音の影響」を無視しているのだけど、ほかの人が、ヘビメタ騒音を鳴らしたわけではないということは理解している。きちがい兄貴は、自分がこだわってこだわって、すべての使える時間を使ってヘビメタをでかい音で鳴らしたにもかかわらず、「自分がこだわってこだわって、すべての使える時間を使ってヘビメタをでかい音で鳴らした」という認識がないのである。
認識がないのだから、俺がどれだけ「ヘビメタ騒音でこまる」と言っても、「自分には関係がないことだ」と判断してしまうだろう。認識がないわけだから。
そして、普通の人は、「意地になってやったことに関して、認識がないなんてことはない」と思っている。そういう前提でものを言う。きちがい兄貴の無視のしかたは、異常だ。普通の人にはわからない。
さらに、きちがい親父がきちがい兄貴同じ脳の構造をもっているということが、他人に理解されない。ふたりいる。一家に、ふたりいる。四人家族なのに、ふたりも「自分が意地になってやったことは、やってないことだ」と認識てしまう人間がいるということの意味が、わからない。そういう頭の構造をもっている人が、普段どういう意識で、問題行動をするかわかってない。わかるわけがない。これ、ほんとうに、兄貴は、まったくやったつもりがないのとおなじ気分でいる。
* * *
座頭(仮名)のようなやつとのやり取りだって、きちがい兄貴があれほどヘビメタに夢中にならなかったら、しょうじなかった。 全部ちがう。きちがい兄貴のような家族に、きちがい兄貴のようなやり方で、ヘビメタ騒音を聞かされなかったやつらのほとんどが、誤解をする。
きちがいヘビメタ騒音をやられなかった(場合の)ぼくに対して、尾っぽをふるようなやつらまで、俺のことをばかにしてくる。それは、きちがいヘビメタ騒音を無視しているからだ。正確には、ヘビメタ騒音の影響を無視しているからそうなる。その人がもっている常識というのがある。その人がもっている常識……たとえば、ひとは働かなければならないというような常識に、ヘビメタ騒音にやられたぼくが、反しているわけだから、ヘビメタ騒音を無視すれば、常識に従った判断が前面に出る。
それが、そいつの判断になる。
それが、そいつがほんとうに思っていることになる。
けど、そういうことを思うやつだって、自分がこの世で一番嫌いな音を、あの態度で、毎日毎日、何時間も何時間も聞かされたら、「通勤・通学ができなくなる」。根性論や、努力論を言っていたやつが、歳をとれば体が動かなくなったという理由で、仕事をするのをやめてしまう。無職になる。
しかし、本人は、無職でも、無職ではないつもりだ。
ヘビメタ騒音で働けなくなるのと、老化で働けなくなるのと、どっちがつらいと思っているんだよ。ヘビメタ騒音で働けなくなるほうが、つらいに決まっているだろ。老化なんて、自然なものではなくて、神経ガスを常に吸わされてきたようなものなのだから……。記憶力、精神力、体力をうばう、神経ガスを、十代という大切な時期に吸わされ続けて、それ以降、働けなくなったという場合のほうが、働いてきたけど老化で働けなくなったということより、つらいに決まっているだろ。
俺の青春をかえせよ……きちがい兄貴。
俺の学生時代をかえしてくれ……きちがい兄貴。おまえがこだわってこだわって、きちがいヘビメタを、でかい音で鳴らし続けたから、こうなっている。これだって、言いにくいことだ。どんなことであれ、「なんとかのせいだ」というのは、みっともないという感情がある。人間には、ある。だれだって、そういう感情をもっている。
けど、言わなければならない。「けど、言わなければならない」ということの意味すら、考えないやつら……。世間のやつらは、そういうやつらばかりだ。ところで、言わなければ言わないで、いいかというとそうではないのだ。
これ、ヘビメタ騒音のことを説明しても、説明しなくても、うまくいかない。けっきょく、普通の人が普通に信じられる範囲の行動じゃないんだよね。兄貴の行動は。兄貴の意識も態度も同様……。おなじことが成り立つ。
けど、これまた、成り立つということについて、どれだけの人が注意を払うかという問題がある。「人のことなんて知ってられない」のである。そうなれば、一番近い思考ルートを選ぶだろう。一番近い思考ルートというのは、本人のなかにすでにある「常識」に従った思考だ。
なので、何重にも、誤解されることになる。ばかに誤解される。
きちがい家族が、意地になって、きちがいっぷりを発揮して、夢中になって、騒音を出し切るとそういうことになってしまう。横の部屋に住んでいる別の家族が、ほかの人からばかにされるということになる。ほかの家族……が、きちがい家族によるヘビメタ騒音について語っても、語らなくても、誤解されることにはかわりがなぃ。
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努力論や根性論を振り回しているやつは、一生働ないとだめだよ。認知症になっても、新型肺炎になっても、どんなことになっても、働かないとだめだ。自分で言ってただろ。「人間は働くべきだ」と。「どんだけつらくても、努力すればできる」と。自分が人におしつけていたことを、忘れるなよ。「働けないなんていうのはあまえだ」。「できると言えばできる」。一生、最後の一秒、まで、働け。