2021年1月25日月曜日

ヨソの人たちの感覚というのは、三ヶ月目ぐらいヘビメタが続いたという感じなんだよな

 やっぱり、ヘビメタで人生ない。だれも、ほんとうのところがわからないんだよな。そりゃ、言葉がつたわるから知識としては、俺がヘビメタでこまっているということはわかると思うけど、ほんとうのところなんて、だれにもわかりゃ、しない。ほんとうに、どれだけいろいろなことに壊滅的な影響を与えるか、わかってない。身をもってわかってないのだから、俺がへんなことを言っているようにも思うだけだ。「ほんとうはこだわらなくていいことに、エイリさんがこだわっている」と思ったりするわけだろ。「ほんとうはこだわらなくていいこと」に見えるわけだろ……そいつの目から見ると。「そんなんじゃない」とどれだけ言ったって、身をもって経験したわけじゃないから、不可避的にしょうじてしまう「影響の範囲」がわからない。影響の範囲がでかいんだよ。ほんとうに、すべてに影響する。この「すべて」というのも、時系列的なことだから、イ・ラショナルじゃない。それ以降のいろいろなことに、破滅的な影響を与える。そして、破滅的な影響というのは、「つもる」。これも、わかってないんだよ。わかってないから、「過去なんてどうでもいい」と言える。「そんなんじゃない」と言ってもわからないのだろう。だいたい、こういう会話?がしょうじるということ自体が、やばいのだ。もし、きちがい兄貴が一日目にやめてくれたら、こんな会話はしょうじてない。一ヶ月目にやめてくれたら、こんなことになってない。二ヶ月目にやめてくれたらそんなことになってない。三ヶ月目にやめてくれたらそんなことになってない。ヨソの人たちの感覚というのは、三ヶ月目ぐらいヘビメタが続いたという感じなんだよな。「本当はこだわらなくてもいいことに、エイリさんがこだわっている」「過去なんてどうでもいい」……こういうことは、三ヶ月ぐらいの話だ。


2021年1月23日土曜日

あれが鳴っていると、ほとんどすべてが不可能になる

 あれが鳴っていると、ほとんどすべてが不可能になる。やりたかったことがまるでできない。できたことが、できなくなる。自分が「はずかしい」状態になる。それだけで、どれだけのことがしょうじるか?

 「あれが鳴っていると、ほとんどすべてが不可能になる」といった場合の「必然性」がほかの人には、まったくわからないのだ。まったくまったく、わからない。俺が、あてずっぽうで言っていることじゃないのである。必然的にそうなるのである。必然的にできなくなるのである。

あの鳴っている雰囲気はない。そして、鳴り終わったあとの雰囲気はない。そして、ほとんど眠れなかった状態で、次の朝になってしまったときの、くるしい状態はない。そして、くるしい状態なのに、むりをして、出かけたときの切羽詰まった気持ちといったらない。そして、帰ってきたときに、ヘビメタ騒音が鳴っているということがわかったときの、切羽詰まった気持ちといったらない。パニック。パニックになって、きちがい兄貴の部屋に行くために、階段をかけのぼり、「やめろ!!!やめろ!!」「やめろ!!!やめろ!!」「やめろ!!!やめろ!!」「やめろ!!!やめろ!!」「やめろ!!!やめろ!!」「やめろ!!!やめろ!!」「やめろ!!!やめろ!!」「やめろ!!!やめろ!!」と怒鳴ったのに、まったくやめてくれなかった。あれ、その場で殺さなかったら、やめさせることができない。あいつは、おやじとおなじで!!つねに、そういう状態を俺におしつけてきた。もちろん、おやじとぉな字で!!つねに、「おしつけたつもり」なんてないんだよ。「おしつけたつもり」どころか、「やった」という気持ちがない。相手が「やめろやめろ」と怒鳴っていることを、発狂してやり続けたという記憶がない。けど、記憶はないのだけど、つねにそうする。この、記憶がないところまで含めて、「セット」だからな。しらばっくれる「セット」。

 


2021年1月22日金曜日

どっちかに統一するべきだろ

 くそヘビメタのハンディが並じゃないんだよ。おまえら、わかってない。ほんとうに、同じ条件だったら……。みんなも、俺と同じように、この世で一番嫌いな音が一日中、爆音で鳴っている状態でくらすべきだ。そうじゃなければ、やられている俺が、やられていない、こいつらにバカにされることになる。どれだけのハンディになるかわかってない。やつらはわかってない。そして、ハンディなんてないという前提で、こっちの、能力を推し量るわけで、俺としてはゆるせない気持ちになる。きちがい兄貴がやめてくれれば、みんなとおなじように、この世で一番嫌いな音が一日中、爆音で鳴っているわけではない状態でくらせたのに。その状態での俺が、ほんとうの俺だ。けど、事実、鳴っている以上、だめなのである。そんなことを言ったってだめなのである。きちがい兄貴によって、ハンディを押し付けられた。障害を押し付けられた。こんなの、ない。何度も言うけど、普通なら、ありえないことなんだよ。あんな音でずっと、家族が鳴らしているなんてことはない。そして、親が文句を言わないということもない。(お母さんは、注意したけど、兄貴は、お母さんに注意されても聞かない。おやじは、ヘビメタ騒音のことは一切合切、無視だよ。)

 午後五時は、鳴っている感じしかしない。これが、一一時まで続く。地獄だ。ほんとうに、きちがい兄貴がヘビメタに興味を持たなければ、こんなことになってないのに。きちがい兄貴がヘビメタに興味を持ったとしても、「自分が思ったとおりに鳴らす」ということにこだわりきって鳴らさなければ、こんなことになってないのに。きちがい兄貴が、きちがい兄貴ではなく普通の兄貴だったら、こんなことになってないのに。

だいたい、こういうふうに「愚痴を書いている」と思われる行為をするのも、きちがい兄貴がこだわり続けて鳴らしたからだ。普通の人が理解できない、構造がある。「うち」の構造。きちがい兄貴の「頭」の構造。きちがいおやじの「頭」の構造。これ、きちがいおやじだって、かかわっている。脳みその構造が同じだということも、もちろん、影響を与えているのだけど、兄貴が鳴らし始めたら、きちがいおやじが逃げるように、文句を言わなくなったというのも、普通の人にはわからないことなのである。もっとも、そのまえから、きちがいおやじは、きちがい兄貴が大きくなったら、「おもしろくなくて」うちによりつかなくなった。俺が幼児のころ、きちがいおやじが怒り狂っていたという話をすると、「そんなに、怒りやすい人だったら、怒ったはずだ」と思ってしまうのである。「そんなに怒りやすい親なら、ヘビメタ騒音のことを注意するはずだ」と思ってしまうのだ。怒らなかったとしたら、俺の話のどちらかが、ウソなのだと思ってしまう。どちらかというのは、きちがいおやじが(俺が小さい頃)理由もなく怒り狂っていたということか、兄貴がものすごくでかい音でヘビメタを鳴らしていたということの、どちらかという意味だ。

俺と同じように、ヘビメタ騒音をやられたら、そりゃ、こだわる。これも、やられてない人はわかってない。軽く考えてわかってない。実際に、自分の身の上にしょうじたら、いやでも、わかることなのに……。実際には自分の身にしょうじなかったから、わからない。

 

2021年1月21日木曜日

ギリケンの認知は「自分は働けない」であり、他者のそのギリケンに対する認知は「あなたは働ける」なのである

 ギリケンというのは、ぎりぎり健常者のことだ。障碍者と健常者をわけるとする。そうすると、ボーダー付近には、障碍者よりの健常者と健常者よりの障碍者がいることになる。かりに「働く能力」について、試験をつくって、試験の結果順に人を並べると、基本的にはノーマルカーブを描くようになると思う。中央に山ができて、右と左にすそのができるかたちになる。

これは、はかりたいものだけをはかっているだけなので、ほんとうは、「働く能力」の偏差値と実際の働く能力とのあいだにズレができる。これは、こういう試験につきまとう問題のひとつだ。「働く能力」ではなくて、たとえば、「学力」について考えてみよう。

学力テストではかられているものは、じつは「頭の良さ」と一致するものではない。学力と頭の良さとのあいだにはズレがある。そして、学力は、学力としてはかれるものだけをはかっている。学力テストではかれない能力は、はかれないので、値に影響を与えない。

そのはかれない能力が、重要なものだとすると、学力テストの選抜ではつねに、取りこぼしがあるということになる。「頭の良さ」という広範な意味を持つものと、「学力」のあいだには差がある。あくまでも、学力テストでは、学力だけをはかっているということになる。これをまず、頭のなかに入れておかなければならないのだけど、なかには、「学力テスト」で「頭の良さ」ははかれると思っている人たちがいることも事実だ。

で、まあ、今回は、そういうことはいい。 健常者と障碍者という二つのカテゴリーにわけた場合、現実社会のなかでは、障碍者にちかい健常者がつねに、不愉快な思いをして暮らすということになってしまう。

障碍者として認められていれば、障碍者としての権利や人権がしょうじる。しかし、障碍者よりの健常者には当然、障碍者としての権利や人権は与えられない。障碍者が「これこれはできない」と言うことは、認められるが、健常者が「これこれはできない」と言うこと認められないということが、起こる。だれが認めるかというと、他者だ。

他者は障碍者ができないことは「しかたがない」と思ってあきらめるが、健常者ができなということは「あまえるな」と思って認めない。健常者に分類されている以上「ふつうに」できなければならないのである。できなければ、あまえていることになる。

そういうことが、顕著にあらわれるのが、「仕事」にかんすることだ。たとえば、Aさんがギリケンだったとする。Aさんが「自分は働けない」と言ったとする。その場合、「世間」の人が「そうか。働けないなら、しかたがない」と言うかどうか? 世間の人は、Aさんが「働けない」と言っているにもかかわらず、Aさんが働けないということを認めずに、働くことを推奨する。つまり、「働け」という圧力をかける。

ギリケン「働けない」

世間「働けないなんてことはない。健常者なのだから働ける。働けないなんていうのはあまえだ。あまえるな」

という会話が繰り返されることになる。

ほんとうに必要なのは、説得ではない。どういう状態ならAさんが「続けて」働けるのか、考えてやる必要がある。また、そういう条件を満たした「仕事場」をさがしてやる必要がある。それが、ギリケンに対する、就労指導として正しいあり方だ。

しかし、そういうことをしないで、説得を試みるというのが、日本で行われている方法だ。

まあ、「仕事場をさがしてやる必要がある」と言ってもそういう、仕事場が日本には実在しないのであれば、さがしても、ないということになる。

ないのであれば、しかたがない。

「つくればいい」ということは、言える。だれがつくるのからないけど……。

いづれにせよ、「説得」はバカらしい。説得は無意味であるばかりでなく、有害だ。説得をすることでAさんを死に追い込むことができるのである。また、さがしたところで、ないので、とりあえず、ブラック企業に入ったとする。

けど、そこで長くやっていけるかというと、長くはやっていけない。日本では、ブランク……無職である期間の長さ……は致命的な問題になる。なので、ブラック企業で働いたり、やめたりということを繰り返していると、たいへん、働きにくい状態になる。もともと、ギリケンで働けない人が、がんばって、短期間、働いても、いいことにはならない。

ギリケンの認知は「自分は働けない」であり、他者のその人間に対する認知は「働ける」なのであるから、まず、この認知の差に注目する必要がある。スタートはそこからしなければならない。

けど、他者は「働けるはずだ」という認知からスタートするので、ギリケンに対する就職指導が、ギリケンを死に追いこむことになってしまうのである。 「働かざる者食うべからず」という言葉にこだわって、助けを求めず、死んだ人がいるけど、あの人は、たぶん、働けない人だったのではないかと思う。ギリケンは多くの場合、働けない人だけど、ギリケンではなくても、働けない人がいる。

まあ、その人はたぶん、ぼくの考えではHSPなのだけど、働けないという意味ではギリケンとおなじところに立っていると言っていい。もうすでに、働けないギリケンやHSPが、助けを求めずに死んでしまうということが起こっているのではないかと思う。

助けを求められなかったのは……あるいは、助けを求めなかったのは、どのみち「働くように説得される」からである。「働けない」のだから、死ぬしかないのである。

「働かざる者食うべからず」という日本人が大好きな「おきて」にしたがって死んでいったギリケンやHSPは、認知されないだけで、多いのではないかと思う。けど、認知されないのだから、人数なんてわからない。

 

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じつは、ギリケンにはいくつかの種類があるのではないかと思っている。

 

 


2021年1月20日水曜日

好きなときに勉強することができたやつだ。好きなときに眠ることができたやつだ。

それにしても、俺の人生は長期騒音『で』ない。思い出すことが、ぜんぶ、それだよ。それに関係したことだよ。

きちがいおやじなしで、きちがい兄貴なしで、人生をやり直したい。時間を戻せ。こんな人生じゃない。こんな、人生じゃない。こんなのは俺の人生じゃない。きちがいおやじはともかく、せめて、きちがい兄貴がいなければ、俺の人生はまったくかわったものになっていた。もう、ぜんぜんちがうと思う。しかし、現実は、きちがい兄貴がいて、このとおりの人生になった。「もがいたか?」って? もがいたよ。おまえらが想像できないぐらい、がんばったよ。「それならそれでいいじゃない?」……いいわけがないだろ。ほんとうに人のことをばかにして。こんなのはない。 全部、きちがい兄貴の騒音からはじまったことだ。俺が、なめられる。なめてくるやつは、きちがい兄貴のハンディがない。好きなときに勉強することができたやつだ。好きなときに眠ることができたやつだ。睡眠相を破壊されなかったやつだ。騒音で怒りっぱなしになったことがないやつだ。あの騒音のなかで、怒らないようにしても、怒って興奮している状態が続く。どうしても、きちがいの音で、怒った状態になる。その怒った状態になった時間が、長すぎる。一日のなかで長すぎる。そういうことが影響を与えないわけがないだろ。

 

2021年1月19日火曜日

ガキんちょがいると、めんどうくさいことになりがち


どうでもいいことなのだけど、ちょっと思い出したので書いておこうと思う。
登場人物は、俺、Cさん、ガキんちょ、だ。Cさんと、ガキんちょはアメリカ人で英語が母国語だ。そして、Cさんは日本語学習者なので俺と、よく個別チャットをしていた。で、ぼくはそのとき、ATOKというIME(IM)を使っていたのだけど、そのチャットの画面で、日本語入力をしようとすると、シフト系の文字が打てないというトラブルがあった。それから、ぼくは、新JIS配列に書き換えるソフトを使っていたので、そのチャット画面では、日本語入力ができなかった。なので、ぼくは、よくローマ字を使っていた。英語を学習するためにそのチャットを使っていたので、ぼくは、ほとんど英語を書いていたけど、相手の質問に答えるときなどは、ローマ字を使っていた。あとは、エディターに一度日本語の文字を書いて、それを張り付けるということをしていた。(日本語の貼りつけには、いちおう問題があった。ぼくにとっては問題ではないのだけど、アイコンがまるで動いていないのに、いきなり、日本語の文章が表示されると、あせるという人がいた。アイコンと書いたけど、入力をしていると、ペンを動かすようなアニメーションが繰り返されて、その人が入力中だということがわかるようになっていた。エディターで貼りつけるとアニメーションアイコンが動かないので、いきなり表示されることになるのだけど、それが、いやだという人がいた。)
まあ、いろいろと説明しなければならないのだけど、めんどうなので、はぶく。
ぼくは、そのチャット画面(テキストチャットの入力システム)を使わなければ、「おそろしい速度で」入力することができる。で、個別チャットをしていたCさんには、それを言ったことがある。そうしたら、Cさんが、見せてくれというので、Skypeでチャットをして、見せた。だから、Cさんは俺が「恐ろしい速度で日本語を入力することができる」ということを知っていた。で、ガキんちょが、「日本人なのに、日本語入力がおそい」というようなことを言ってきたのだ。言っておくけど、ぼくは、ローマ字入力時でも普通の人よりははやい。なので、ガキんちょがどこを見ていたのからしないけど、ガキんちょがまちがっている。まあ、ローマ字で日本語?の文を書いている日本人がぼくだけだったので、頭が悪いガキんちょは、ガキんちょモードで、人をからかうようなことをしたかったのだろう。そういうレベルの人間。ガキんちょも、あとで、ぼくのローマ字入力がはやいというのが、わかるのだけど、それは、ずっとあとの話だ。)
で、Cさんが、俺に「能ある鷹は爪を隠すか?」とかいろいろと言ってきたのである。俺は、そういうことを言ってほしくなかった。別に、ガキんちょが俺のことをどう思っていてもかまわらないからだ。だから、そういうことは、言ってほしくなかった。俺の日本語入力がはやいということを、知れば、ガキんちょは見せろと言ってくると思う。そうなると、ガキんちょにSkypeのアカウントを教えなければならないし、いろいろと、めんどうなんだよ。ほんとうに、めんどうなことが発生するようなことを言わないでほしかった。で、Cさんにそれを、英語か日本語で説明するのが面倒だった。そうしたら、ガキんちょが、今度は、Cさんを気持ち悪いとか言い出したのだ。そういうレベルの人間。たぶん、実際には20歳ぐらいだと思うけど、中学一年生ぐらいのレベルなのだ。(中略)。俺は、すべてがめんどうになって、なにも言わないで、チャットルームを出た。ほんとうは、Cさんに「がきんちょにそういうことを言わないでください」というようなことを書くべきだった。けど、それを書くと、チャットルームなので、ガキんちょにもそれが見える。そうなると、「なんのな話だ?」ということになる。そうなると、Cさんが、説明をしてしまうだろう。そうなると、それなら、はやく入力できるところを見せてみろと、かなりの高確率で、ガキんちょが言うだろう。俺は、ほんとーーーに、そういうのがいやなんだよ。いやなの。そういうのに、あわせて、Skypeで、自分の入力速度が速いというところを見せてやるというのが、いやなんだよ。Cさんには、そういうめんどうなことにつながるようなことは、言わなくていいといいたかったのだけど、それも、めんどうなんだよ。
まあ、言いたいことは、ガキんちょがいると、めんどうくさいことになりがちだということだ。
 

わかる人はわかるけど、わからない人はわからない。

 1月も19日、か。ずいぶん、日にちがたったものだ。時間がたったものだ。ほんとう、このあいだ正月だったのに。そして、このあいだ去年のクリスマスだったのに……。早い……。そして、ぼくは、とりのこされている。

むかしは、味のある無職ブログがいっぱいあったのに、もう、数が少なくなっている。まあ、いいか。

毎日、雑用をこなしているだけで、せいいっぱいだ。これはもう、こうやって、死んでいくということなのか? それは、しかたがないことなんだよ。長期騒音がなければ、一発逆転とか考える必要もなかった。そのまま、普通にくらせた。生き生きと暮らせた。普通の標準でくらせた。つまり、それは、普通の標準でいろいろなイベントが起こるということだ。もう、イベントなしでどれだけ暮らしてきたか。たまに起こるイベントは、最悪のイベントだ。いいイベントなんてありゃしない。そりゃ、そうなんだよ。長期騒音がなければ、そうじゃなかった。これは、ゼロか100かという問題に近い。くるしい。だれにもわからないんだよな。ぼく以外のだれにもわからない。ほんとうに、いろいろなところで、がんじがらめになって、動けない。きちがい騒音が鳴っていると、そうなる。家族の一員が、きちがい的にでかい音でヘビメタを鳴らすことにこだわって、毎日、きちがい的な意地で鳴らしているとそうなる。解決できなかったんだよな。これは、いまもおなじだ。俺の立場としては、俗流認知療法も正統認知療法も認めがたい。あとは、いろいろと「正しいこと」として流通しているいろいろな考え方も認めがたい。これは、本にしなければならないと思っているけど 、価値がわかる人が極端に少ないので、本にできない。ドストエフスキー論にしたって、俺の考えがわかる人は、ロシア文学の教授とかそういう人なんだよ。彼は「こんなのは、研究者じゃなきゃ、書けるわけがない」と思っていたみたいなんだけど、そういうふうに思える人は、少ないんだよ。同じ文章を読んだって「なに、くそみたいなことを言ってるんだ、くそやろう」と思うやつだっているわけだよ。そいつは、そいつの頭のレベルで解釈するしかないんだよ。わかる人はわかるけど、わからない人はわからない。そして、圧倒的にわからない人の数のほうが多い。割合としては、たぶん、93対7といったところだろな。もうちょっと低いか? 97対3か。そんなところだろう。

 

2021年1月17日日曜日

きちがい兄貴が、ハイドモードで鳴らして、一切合切気にしなかった

 きちがい兄貴は、どれだけ小さなことでも絶対に我慢しなかった。ことヘビメタに関しては、自分が自由に鳴らす権利があると、思っていた。これは、「うち」だから、そうなったわけで、ぼくのコミュ力とは関係がない。

きちがい兄貴が、きちがいおやじと同じ頭の構造で、絶対にゆずらずに、鳴らした。これ、頭の構造だから、きちがい兄貴が「うち」にいる以上、殺さなければ、やめさせることができない。「一秒だってゆずらない状態」でいいと思っていた。根本的には、それで「あたりまえ」だった。自分が「本当に我慢してゆずる」というのは、たとえ、一日に一秒だって我慢できないこどった。こういうことなのである。

これ、「うち」がかかわっている。きちがいおやじがつくった「うち」がかかわっている。きちがい兄貴だって「うち」じゃなければ、こういう状態にならないのである。……たぶん。いや、実際。あいつは、「うち」だから鳴らしたんだよ。きめつけがある。

「うちなら」自分が「一切合切我慢しないで」鳴らしていい……それであたりまえだ……という気分的な決めつけがある。この気分的な決めつけは、最初に決まってしまう。

きちがいおやじだって、「うちでなら、いくら怒っても問題はない」と最初にきめつけてしまったのだけど、それは、無意識的なきめつけなのである。おやじだって、別に、意識的に「うち」と「そと」の基準を使い分けようと思ったわけじゃないだ。

よそでは、ジキルモードでくらして、うちではハイドモードでくらそうと意識的に思ったわけじゃない。ジキルモードとハイドモードを「使い分けよう」と思ってそうしていたわけじゃない。こういうことが、本人にもわからないということと、よそのひとにはもっとわかりにくいということが、「やられた人間」に負の影響を及ぼすのである。

で、きちがい兄貴も、ヘビメタ騒音に関してまったく、おやじとおなじなの!!! だから、よその人間から、誤解を受ける。「エイリさんが騒音に弱かったからそうなっている」というのも、そういう誤解のひとつだ。こんな人生あるか?

きちがい兄貴がきちがいおやじモードで鳴らした。きちがい兄貴が、ハイドモードで鳴らして、一切合切気にしなかった。そりゃ、主観的には鳴らしてないのとおなじだから。鳴らしてないのに、鳴らしたということを気にすることができるか? けど、実際には、うちにいるときは、自分が起きたときから、食事と入浴の時間を抜かして、眠るまでずっと、自分が思ったとおりの鳴らしたい音で鳴らしてた。実際には、学校があるときは自分が帰宅したときから、食事と入浴の時間を抜かして、眠るまでずっと、自分が思ったとおりの鳴らしたい音で鳴らしてた。自分が思ったとおりの音である必要が、きちがい兄貴のなかには成り立っていた……のだろう。だから、自分がほんとうに我慢してゆずるということは、一日に一秒だってありえなかった。自分がまったく気にならない範囲で我慢してやるということだから、きちがいおやじのハンダゴテみたいなことになってしまうのである。おやじはおやじで、はんだごてのために一円も払いたくなかったので、使えないはんだごてを物置から持ち出すということになってしまう。きちがい兄貴の、譲歩は、きちがいおやじのハンダゴテとおなじで、まったく意味がない譲歩なんだよ。「そんなことされてもまったく意味がない譲歩」……。その「そんなことをされてもまったく意味がない譲歩」だって、自分の「気分が乗らなければ」一秒だって、〇・一秒だって「やってやらなかった」。これが、真実なんだよ。ヘビメタを鳴らすとなったら、かならず、自分が満足できる音で鳴らしていた。ヘビメタを鳴らすのに、自分が満足できない音で(我慢して)鳴らすなんてことはないんだよ。どれだけ言われたって、ないの~~~。死んだって、いやなの~~。だから、俺が殺さなければ、きちがい兄貴をしずかにさせることができなかった。俺が殺さなければ、きちがい兄貴を「一秒だって」静かにさせることができない状態……を毎日、毎分毎秒、おしつけられていいわけがないだろ。俺だって、勉強したいときはあったのだから……。きちがいヘビメタ騒音なしで本を読みたいときだってあったのだから……。ずっとやられている」なかで、勉強するということが、ほんとうに、できないんだよ。これも、きちがいヘビメタ騒音やられたことがないやつが、「騒音なんてどれだけ鳴ってたって、勉強ぐらいできる」「勉強をしたくないから、ヘビメタ騒音のせいにしている」なんて言うんだよ。そいつにとって「へびめた」がどういう音か、わからないけど、そいつにだって、苦手な音はあるはずだ。そいつにだって、そいつのなかで一番嫌いな音があるはずだ。俺にとって、きちがい兄貴のヘビメタは、この世で一番嫌いな音なんだよ。そして、騒音耐性が強いやつも含めて、生活に影響が出るような「でかい音」だったんだよ。 それから、「勉強をしたくないから、ヘビメタ騒音のせいにしている」は、完全な「げすのかんぐり」だから。そういうことをいうやつが、勉強したくないから、しないだけのやつなんだよ。

2021年1月16日土曜日

俺の部屋にいっしょにいたわけじゃないだろ。

いま、実在的にヘビメタでくるしい。いま、くるしい。そりゃ、ヘビメタ騒音を体験してないやつは、体験してないので、ヘビメタ騒音の影響がないわけだし、「他人のことなのでどうでもいい」という意味で、「関係がない」のだけど。ヘビメタ騒音がなかった人にとって、俺のヘビメタ騒音は「どうでもいいこと」なのだけど、だから、俺にとってヘビメタ騒音は関係がないとは言えない。

こういうのをごちゃごちゃにしているやつがいるんだよな。自分にとってヘビメタ騒音が関係ないので(ヘビメタ騒音の影響を受けてないので)エイリさんにとっても、関係がないと考えてしまうやつがいる。それは、自分がかつてヘビメタ騒音を経験しなかったということであり、いま、自分がヘビメタ騒音を経験してないということだろ。

で、俺とその人が別の個体だから、自分にとってはヘビメタ騒音が関係ないわけだろ。それと、俺にとってのヘビメタ騒音をごっちゃするなよ。「過去のことだから関係がない」と言っているやつは、みんな、ヘビメタ騒音の影響を受けたことがないやつで、なおかつ、エイリのなかでヘビメタ騒音の影響はない(はずだ)と考えているやつなんだよ。

ヘビメタ騒音の効果がその時に限られるはずだという頭がおかしい判断をしている。

その判断の根拠には、『自分がヘビメタ騒音を経験したことがないという事実』が影響している。自分の人生のなかでヘビメタ騒音がなかったので、「たいしたことはない」と考えしまうやつが、おかしがちな誤謬だ。

実際にやられなかった人にとって「関係がない」ことでも、俺にとっては関係があることなんだよ。「おまえ」にとって関係がないことだという事実と、俺にとって関係がないことだという考え……を、ごっちゃにするな。「俺にとって関係がないことだという考え」というのは、正確に言えば「いまのエイリにとって関係がないことであるはずだという思い込み」のことだ。「事実、関係がないことだ」という断定と「関係がないことであるはずだ」という推量はちがうのだけど、たぶんそういうことを言うやつは、そのちがいにこだわってない。

ヘビメタ騒音と書いたけど、きちがい兄貴による、ヘビメタ騒音だ。俺とおなじ量のヘビメタ騒音をあびたわけじゃないだろ。これも、きちがい野郎だと、自分は騒音に強いから、そんなのは平気だと、経験もないのに勝手に考えてしまう。

そして、それを「事実」だと思ってしまう。あほ。「俺だってヘビメタ騒音ぐらいある」と言う人もいるかもしれないけど、その人が経験したヘビメタ騒音と俺が経験したヘビメタ騒音がおなじだと言えるのかどうかということを考えたほうがいいよ。

ちがうでしょ。

俺の部屋にいっしょにいたわけじゃないだろ。

きちがい兄貴が鳴らすヘビメタ騒音が、『隣の部屋』の住人に与える影響なんて、わかっているわけじゃないだろ。

ヘビメタ騒音が鳴っている感じしかしない

 ヘビメタ騒音が鳴っている感じしかしない。特に入試シーズンはいやだな。どれだけ言っても、一秒もやめてくれなかった。一秒もヘッドホンをつけてくれなかった。俺があの音のなかで、どれだけ引きつっていたか……。どれだけ、絶望的な気持ちになったか……。ゆるせない。中学三年間、日曜日も夏休みも冬休みも春休みも含めて、毎日毎日、続いたヘビメタ騒音が、入学試験の前の日もずっと、鳴っているということが、どれだけ、精神に影響を与えるか? ゆるせない。ゆるせない。殺して、試験を受けたかった。静かにさせてから試験を受けたかった。それから、それは、入学試験のときだけじゃない。定期試験のときも模擬試験のときもそうだ。あんなに鳴らされて、どうして、自己責任なんだよ。きちがい家族がいない人に、自己責任とか言われる筋合いはない。やられてないやつが、そういうことを言う。ゆるしがたい。きちがい兄貴が、注意をすれば、すぐにヘッドホンをしてくれる普通の兄貴だったら、こんなことを書く必要もないのだ。やられてないやつに、えらそうなことを言われる筋合いもない。

 

ほんとうに、ものすごい、音なんだからな。あれを毎日浴びせらなかったやつが、なにを言うか? どんな生活になるかわかってないやつが、なにを言うか? おまえらは、普通の受験しか経験してない。きちがい家族によるしつこいしつこい騒音が鳴りっぱなしの受験を経験してない。

ゆるせない。すべて、ゆるせない。 

きちがい兄貴のきちがいヘビメタというハンディがある側から見ると、普通のやつは、まるで、いかさまをしているようなものだ。どうしてこれがわからない? チート。なんで俺だけ、ヘビメタ騒音のハンディがあるのか? どうして、俺だけ、きちがいヘビメタにやられてないやつから、がたがたえらそうなことを言われることになるのか?

こんなのは、ない。

ゆるせない。

  俺と同じハンディを背負ったやつだけ、えらそうなことを言え。

ぜーったいにやめてくれなかったんだよな。あのきちがいは……。それで、「ゆずってやった」と思っている。本物のきちがい。本物のきちがいだと、よその人が、誤解するんだよ。

あーーやってられない。

たえられるわけがないだろ。ここまで、生きているのは、俺だからなんだよ。おまえらよりずっと体力があったからなんだよ。けど、やられ続ければ、体力だってなくなる。一〇年かそこらで、体力ギリケンにならざるを得ない。日本というしくみは、体力ギリケンの存在をゆるさない。ほんとうに、ゆるしがたい、しくみだ。どれだけ、体力ギリケンだってことで、えらそうなことを言われるか? どーしてもゆるせない。ゆるさない。

2021年1月15日金曜日

けど、そういうのを、無視して……説明の体系だけを問題にする

 ヘビメタ騒音がなかったら、俺は、どれだけのことができただろう?

ものすごく、たくさんのことができたと思う。きちがいヘビメタはほんとうに、毎日毎日たたった。この毎日毎日」というのが、ほかの人にはわからない。言ったって、わからない。「毎日だったんだろうな」と思うかもしれないけど、それは、ぼくがほんとうに毎日やられて感じたことの総量ではない。ぜんぜん、ちがう。そうなると、そいつは、「過去のことなんてどうでもいい」と言い出す。 こういうのも、こまるんだよな。まあ、そういうやつがあらわれても、あらわれなくても、こまっている。すでに、やる気や正常な感情をなくして、こまっている。

ほんとうに、あれだけ長い間、毎日毎日、自分がこの世で一番嫌いな音にさらされ続けたら「だれだって」そうなるのに、それがまるでわかってないんだよな。そうなるというのは、いまの俺のような状態になるということだ。ほんとう、ライフハックに書いてあることなんて、すべて、表面的なマヨイゴト。うそ。けど、それが、ほんとうである人たちもいるんだよ。その人たちにとっては、ウソじゃないわけ。じゃ、どこがちがうのかと言うと、「総量」だと思う。総量が、大切なんだよ。

中立的な状態か、ズタボロな状態かというのは、けっこう重要なんだよ。基本的な部分が「おかされているかどうか」というのは、非常に重要だ。けど、そういうのを、無視して……説明の体系だけを問題にする。ちがうのに、おなじものだと思っている。だから、原理的におなじようにあつかうということになる。おなじものを適応すればそれでいいと思ってしまう。 

たとえば、言霊主義者は、「元気だ元気だと言えば元気になる」「楽しい、楽しいと言えば楽しくなる」というようなことを言う。これは、中立的な人にとっては「真実」なのである。ウソではない。けど、もう、完全にやられちゃった人にとっては、真実じゃない。ウソなのである。けど、そういうことを言うと言霊主義者は「どんなにつらい状態でも、楽しい楽しいと言えば楽しくなる」「どれだけつかれた状態でも元気だ元気だと言えば元気になる」というようなことを言いだす。ようするに、中立的な人が考えている「つかれた状態」あるいは「元気がない状態」というのが、もう、完全にやられちゃった人の「つかれた状態」あるいは「元気がない状態」とはちがうのである。ちがうのだけど、中立的な人「自分だって、こういうつらいも思いをした」「自分だって、もすごくつかれたことがある」ということを言いだす。「ものすごくつかれはてたときに、元気だ元気だと言ったら元気になった」というようなことを言う。けど、そういうことを「言える」言霊主義者が経験した「つかれ」と完全にやられちゃった人が経験した「つかれ」はちがうのではないかと思う。けど、言霊主義者は、完全にやられちゃった人のつかれを経験することができない。「つかれた」とか「ものすごくつかれたとき」という言葉を使っているけど、その言葉が対応している内容が、ちがうということが考えられる。けっきょく、言葉はおなじなのだけど、内容がまったくちがったことについて語っているという問題が横たわっているような気がする。どうして、「気がする」というような書き方をしなければならなくなるかというと、ぼくという個体がそういうふうに判断しているだけだからだ。そもそも、比較することができないと予想されることについて話しているのだから、もちろん、ぼくにしても、その範囲外に逃れることはできない。だから、まあ、「可能性」の話にならざるを得ない部分があるのだけど、たぶん、まったく異なることについて話していると思う。「つかれ」という言葉を使ってまったくちがったことについて話しているではないかということだ。

けど、完全にやられちゃった人からすると、これは、やはり、うんざりするようなことなのである。「いいかげんにしてくれ」と思うようなことなのである。

2021年1月13日水曜日

一日目に、注意されて、おしまいなんだよ。

 ヘビメタ騒音なしの人生がほしい。ヘビメタ騒音なんて、みんな、ないじゃないか。どれだけ、ヘビメタが好きな人だって、どんだけ、ヘビメタをでかい音で鳴らしたい人だって、一日目に、注意されて、おしまいなんだよ。けど、「うち」が、きちがいおやじのうちだたっから、きちがい兄貴が意地を通した。しかも、きちがい兄貴は、意地を通したと思ってない。言われるたびに、怒っておしまいなんだよな。本人が、まったく、つもりがない状態になる。こんなのは、普通の人に言ったって、わからない。つもりがない状態というのは、やってないのと同じ認識が成り立っているということなんだからな。もちろん、きちがい的な意地で、やりやがるのだけど……。これ、ほんとうに、言いがたいんだよな。きちがい兄貴の態度。きちがいおやじの態度。「きちがい兄貴の態度」は、「きちがいおやじの態度」のコピーなんだよ。本人が、怒ったとたんに、ぜんぶ「ないことになっている」。それが、いつもいつもかわらない。そして、しつこく鳴らすわけだけど、しつこく鳴らされた場合の、一日というのが、ほかの人にはわからない。どうして、ぼくだけ、こんなハンディがあるんだ。

 

ヘビメタ騒音がない人生だったら、楽勝だったんだぞ。勉強も恋愛も結婚も、ぜんぶ楽勝。こんな、人生ない。 

*     *     *

兄貴の嫁さんが「どうも、ほんとうに、そうらしい。わたしは、ほら、あの人のことをそばで見ているからわかるけど、いっしょに住んでない人にはわからない」と言っていたよ。

*     *     *

きちがい兄貴の状態というのは言いがたい。ほんとうに本人は「つもりがない状態」を維持している。おやじとおなじなんだよな。きちがい兄貴は、おやじにおなじことをやられて怒っていたくせに、自分がきちがいおやじとまったくおなじことをしているということに、気がつかない。この気がつかないというのは、一〇〇%気がつかないわけで、これも、おやじとおなじなんだよ。どれだけ、「相手」がこまっているということを言っても、発狂して、こまっているということを認めなければ、まったくそう言うことを言われなかったのとおなじ精神状態を維持できる。だから、言われるたびに、発狂しておしまいだよ。どれだけ、発狂してやり続けていることで、「こっち」がこまっているということを言っても、同じように怒っておしまいなんだよ。だから、際限がない。毎回同じだ。けど、こっちは、つもっている。ヘビメタ騒音を鳴らされて困っている時間が増えていく。生きていれば生きているほど、そういう時間が増えていく。 

本人が、全否定で怒っておしまい。全否定でおこっているときは、自分がひどいことをされた気分になっている。だから、相手のことは、一切合切記憶に残らない。自分の気持ちだけなんだよ。いやなことを言われて、こころをかき乱されたというような怒りしかない。あとは、やり続けるんだよ。殺さないと、やめさせることができない。で、きちがい兄貴が鳴らしと終ったあと、風呂に入るときに言ったって同じなんだよ。それも、きちがいおやじとおなじなんだよ。これ、くるしい。

こういうことが積み重なると、きちがい家族にやられてない人間から、俺が説教されるということになる。きちがい家族にやられてない人間は、やられてないから、いい状態?を維持しているだけだ。悪い状態だって、本人が「自己責任だ」と言うのであれば、ほんとうに自己責任なのだろう。実際、自己責任である場合がある。けど、俺の場合はちがう。いっしょにするな。俺は自分の責任の範囲内のことはした。じゃあ、殺せばよかったのか? 殺さないと絶対にやめない状態というのを、想像できないだけだろ。当然、やったのにやってないと本気で思っている状態なんて想像できるわけがない。意地になって、意地になって、絶対の意地でやったことを、まったく覚えてないなんて、そんなのは、普通に考えておかしい。けど、きちがい兄貴の態度はそういう態度だ。きちがい兄貴の認識は、たぶん、その態度に相応した認識だ。本人は、ほんとうに「やってない」と思っている状態なのである。これが、きちがい的な意地でやり続けたあとの状態だ。こんなの、ない。現実を無視して、反対のことを言って、やりきるというのが、きちがい兄貴やきちがいおやじのやり方だ。そんなのは、普通の家では「とおらない」。だから、そういう他者にやられたことがない人間なのである。そういう、恵まれた状態なのに、自分で選んで会社をやめた……とする。それなら、自己責任であると言えるだろう。自分で選んでやめているわけだから。

 

ほんとうに、人間の質がちがうんだよなぁ。

2021年1月12日火曜日

どーーーーーしても、くるしい。どーーしても、くるしい。

 ヘビメタが鳴ってた。ヘビメタが鳴ってた。ヘビメタがものすごい音で鳴ってた。も~の~す~ご~い音で鳴ってた。鳴ってた。くるしい。いたたまれない。くるしい。ヘビメタが鳴ってた。俺は、まるまるまる。ここで、きちがいヘビメタが、どれだけ言っても、鳴ってた。一日に、何十回「やめろ」と怒鳴り込んでいると思っているんだ。ずっと鳴らしてたじゃないか。あれで譲ったつもりとか、ほんとうに、頭がおかしい。無制限にやってたんだよ。俺がどれだけ言っても聞かなかったんだよ。お母さんがどれだけ言っても、聞かなかったんだよ。

 

この雰囲気は、きちがいヘビメタ騒音の雰囲気だ。生きているあいだじゅうずっと、きちがいヘビメタ騒音の雰囲気だ。どーーーーーしても、くるしい。どーーしても、くるしい。

俺はほんとう、まるまるまる。まるまるまる。 

++++++++++

 うっ、やばい。つまらない。

こころに火がともらない。

もう、だめどす。

そういえば、オペレーティングシステムのDOSがなつかしいな。 

コマンドラインでいろいろとやったよな。

あーつまらない。

なにをどうしていいか、さっぱりわからない。俺のこころはあのときのまんまだ。これが、つらいんだよ。しかし、長い。どーしょうもなく、長い。着地点はないなぁ。

旅行なんて、昨日も書いたけど……たぶん、行かない。行ったとしても、たぶん、楽しくない。たとえばの話だけど、普通の容姿を持っている20代の女と、どこかに行ったとしても、おもしろくない。ぼくが、ほれてないとだめなんだよね。かわいい女の人でも、きれいな女の人でも、ともかく、ぼくのほうがほれてないとだめなんだよね。もう、ねえぇわ。ない。ないね。

すべてが、おちている。すべてが、代用品。すべてが、まにあわせで使っているもの。けど、それですら、もう、手に入らないというね……。ほんとう、一日ずつ、サバイバルしているだけなんだけど……もう、それで、手がいっぱい。

もう、つかれたというのがある。かりに、ひとりで傷心旅行に行くにしろ、つまらない。つまらないと思う。まるで、死場をさがすような感じになってしまう。あのときのあれが、消えない。とてもつらい。なんとかして、楽しみたい。楽になりたい。楽しみたい。ヘビメタ騒音前の、普通の気持ちが欲しい。普通の楽しさが欲しい。けど、こんなことをどれだけ言っても、だめなんだよ。そして、あたりまえだが、ライフハックはまるで役に立たない。

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せめて、本ぐらいは、夢中になって読みたいというのがあるのだけど、それですら、かなわない夢になってしまったよ。全部、空中に、ぷかぷか浮かんでいる。ちからが入らない。

 

*     *     *

どうして、俺だけヘビメタ騒音なんだ。みんな、ヘビメタ騒音で苦労してない。どうして、俺だけきちがい兄貴のハンディがあるんだ。みんなきちがい兄貴で苦労してない。苦労してないから、きちがい兄貴の頑固さがわからない。いったんやりだすとロボットのように続けてしまう。ほんとうに、どれだけ言っても、やめてくれなかった。一分間ですら、ちゃんと、ヘッドホンをして我慢してくれるということがなかった。これがすべてをものがたっている。ほかの人にはないからわからないんだよ。これも、くるしい。常に俺が誤解されるようにできている。そりゃ、ダイヤだって自分の経験ではないから「知っているけど」という前置きをして「どうにかなってくれ」ということを言うようになる。長いからな。その長いあいだ、ぼくが、不利な状況で、どれだけがんばってきたか。すべてマイナスなのである。こういう経験がないとぼくの言っていることがわからない。「元気だ元気だと言えば元気になる」といった言霊信仰者は、わからない。そういう人たちは、ヘビメタ騒音の一秒ぶんもわからない。すべてが敵対するようになってしまう。言霊信仰者だけじゃない。認知療法家もどき。認知行動療法家もどき。「すべては自己責任」と言うやつ。……そういう問題じゃないということがわかってない。どれだけの連鎖が起こるかわかってない。わかってない。こいつら、ほんとうは、わかってないから言っているだけなんだからな。自分が経験したら、絶対に、口がさけてもそんなことは言えない。連鎖が、わかってない。経験的に、連鎖がわかってない。体調がわかってない。何年も、毎日、積み重なったときの、体調がわかってない。

日本という「しくみ」のなかで、ヘビメタ騒音をやられて、どうしても社会生活ができなくなるということがわかってない。それが、どれだけのことかわかってない。ヘビメタ騒音で、社会的に抹殺された。立場がない思いをしてきた。それだけでも、ゆるされることではない。俺はあいつをまるまるまる権利があるんだ。ゆるせない。

そして、「ゆるせない」ということを言うと、坊さん気取りが、あほなこと言ってくる。なまはんかな精神世界の住民が、まったくわかってない状態で、あほなことを言ってくる。「つまらない」と言えば「つまらない」と言う「から」つまらなくなると、言ってくるあほが出てくる。「くるしい」と言えば「くるしい」と言う「から」くるしくなると言ってくるあほが出てくる。そして、きちがいヘビメタが鳴っている。どんだけつらいか。どんだけ、追い込まれるか。どんだけ、バカにされるか。きちがいヘビメタが鳴ってなかったら、そんなことになってないんだぞ。きちがい兄貴が、きちがい兄貴ではなく、普通の兄貴だったら、そんなことになってないんだぞ。 

どんだけ、うちのめされて、くらすことになるか。どんだけ、バカなやつに、バカにされるようになるか。ほんとうにきちがい騒音の効果がわかってない。みんなまるまるまる。まるまるまる。

 

バカなやつに気を使って、「そうですね」と言ってやる余裕はもうないよ。ヘビメタ騒音一年目で、ない。ほんとうに、この世でぼく以外の人は、きちがい家族による、しつこいヘビメタ騒音を経験してない。ほんとうに、爆音なんだからな。あんなのにさらされていいわけがないだろ。たまたま、家の前がでかい幼稚園だったから。たまたま、よその家が離れていたから。距離が一〇メートルちがえば、音のでかさはぜんぜんちがってくる。これもわからないんだろうな。俺の部屋は、爆音なんだよ。あの中で勉強はできない。勉強だけではなくて、好きな本を読むこともできない。テレビを見ることもできない。やったって、「騒音付き」だ。この「騒音付き」の負の効果がわかる人が、すくない。

 

++++++

中学のとき放送委員だったんだけど、ヘビメタ騒音でボロボロになっていると、トラブルがしょうじる。あの場合、ヘビメタ騒音で「できない」という要素を除いて考えると……あるいは、「ヘビメタ騒音」という要素を除いて考えると、完全に、ぼくが悪いということになる。俺がふざけた態度で失敗したということになってしまう。そういうことが、積もりすぎ。そういうことが積もって、たとえば、「そいつ」との有効な人間関係なんてたもてるわけがない。そいつというのは、俺が迷惑をかけた人だ。ほんとうに、ヘビメタ騒音でいっぱいいっぱいだから、普通ならできることができなくなってしまうのである。普通というのは、ヘビメタ騒音が鳴ってない生活なら……ということだ。毎日毎日ヘビメタ騒音が鳴ってなかったら、普通に覚えることができた。そういうことが、おぼえられなくなる。トラブルが生じたあとに、ヘビメタ騒音が鳴っているからむりだ」ということを言っても、相手は認めない。そういうことが、積もりすぎた。「そんなのは、中学時代のことだから関係がないだろ」と思うかもしれない。けど、いまもおなじなんだよ。いまもおなじなんだよ。これも、俺が水銀中毒の話をして、ヘビメタ騒音中毒は水銀中毒とおなじだということを言っても、鳴りやんだら関係がない」「(水銀のように)効果が続くはずがない」と考えるやつだって出てくる。こいつらは、バカだからわかってないだけだ。こいつらがわかるようになるには、タイムマシンで、小学生時代に戻って、小学生時代から、毎日毎日、何時間も何時間も、自分がこの世で一番嫌いな音にさらされ続けるという生活をおくるしかない。そうしないと、わからない。自分がどれだけおろかなことを言っているか、そういう経験がないとわからない。どれだけ広範な障害がしょうじるかわからない。毎日のヘビメタ騒音が、人間としての能力をどれだけ押し下げるかわからない。わかってない。

ヘビメタ騒音は騒音だけど、騒音だけの問題じゃないと言っているだろ。これだって、わからないやつにはわからない。「そんなのは自己責任だ」というやつにはわからない。

ところで、「そんなのは自己責任だ」というようなやつは、ほんとうに、しょぼいやつ。こいつらは、ちょっと、自分の意見が批判されただけで、人格攻撃をしてくるやつらばかりだ。ぜんぜん「すべては、自己責任」と思ってないやつばかりだ。「そんなのは自己責任だ」と言う人は、ぼくがそいつを、なぐってなぐって、なぐってなぐって、一生、下半身不随になったとしても「それは、自己責任だ」と言えるような人間じゃなければだめなのである。ところが、どうだ? 実際には、「議論の範囲で」自分の言っていることがちょっと批判されただけで、人格攻撃をしてくる人間だ。俺は、議論の範囲でその人が言ったことを批判したけど、あくまでも議論の範囲だ。人格攻撃なんかしてない。けど、こういうやつにかぎって、ヘビメタ騒音のことをせめてくる。「ヘビメタ騒音、ヘビメタ騒音って、おまえがきちがい」とヘビメタ騒音のことについてせめてくる。かりに、ぼくの「議論の範囲での」批判が、本人にとって「ふゆかいなもの」だったとしても、それは、自己責任なんだぞ。普段から「すべては自己責任だ」と言っているのだから。どうして、批判されて不愉快になったということは、「自己責任」じゃないんだよ? ほんとうに、俺から見ると、そいつの言っていることは、いろいろなところで、間違った前提があった。こういうことも考えたほうがいいという意味で、議論の足しになると思って言ったことなのに、いきなり、はげしく人格攻撃をしてくる。それが、普段「すべては自己責任」などと他人に言っているやつのレベルだ。まあ、すべてのひとがそうであるとは言ってない。「ばかりだ」と言っているだけで、割合的には多いと思うな。「批判されたのは、自己責任だ」と思える人は、少数派。一生涯、からだが、動かないようになるようなことをされても、「すべては自己責任だ」とずっと続けて思える人は、少数派。一瞬の問題ではなくて、ずっと、生きているかぎり続く問題なんだぞ。そういう問題でも、ずっと「自分に落ち度はなかったけど、殴られたのは自己責任だから、自己責任」とベットの上で思える人は、少数派。ほかの自己責任論者は、実際の場面で、ちょっと批判されただけで、猛烈に怒って、「自己責任だ」とは考えない。怒って怒って、攻撃をしてくる。議論にならないだろ。労働の問題、アルバイトの問題、採用の問題について話したかったのに、人格攻撃をしてくる。

 

ところで、ヘビメタ騒音問題というのは、こういうふうに、「弱点」になってしまうのである。軒並み普通の人が、ついてくる。そういう弱点になってしまうのである。労働の問題は労働の問題として議論しなければならないのに、ちょっと自分の「傲慢な気持ち」に傷がついただけで「こいつはゆるせない」という気持ちになってしまう。「ヘビメタ騒音とか言っているやつだから、頭にくる」という気持ちになってしまう。

 

軒並み普通の人と言ったけど、そういう、軒並み普通の人が、「すべては自己責任」とか言っているんだよ。自分の実生活とは、切り離されているわけ。自分の感情とは切り離されているわけ。実際には、自分がうぬぼれた発言をしたから、俺に批判されただけなのに、それを「自己責任」とは思わずに、俺の人格攻撃しないと気がすまないような状態になってしまうやつなんだよ。そんなやつが、いっしょうがい」続くハンディを背負って、「自己責任だ」と思えるわけがないだろ。自分の問題として「すべては自己責任」という言葉の意味がわかってないだけなんだよ。 

すべては自己責任」など言っているやつは、「いっしょうがい」続くハンディを背負った場合のことは考えてないのである。ハンディと言ったけど、「いっしょうがい」続くいたみでもいいよ。「いっしょうがいつづく」不自由さでもいいよ。自分のほうに「落ち度」がないとして、自分が「いっしょうがいつづくようなハンディ」を他人に押し付けられたとしても、それを「自分の責任だ」とずっと考えられるやつだけ「すべては自己責任だ」と言ったほうがいい。しかも、これ、他人に言っているだけで、自分に、適応されてないんだよな。まず、自分に適応するべきでしょ。もし、自分に適応している人だったら、俺に自分が言っていることを批判されたとしても怒るということはないんだよ。ほんとうにまったくわかってないな。そういうレベルなんだよな……。多くの人の「自己責任論」のレベルは……。自分がまったく悪いことをしてないのに、誰かによって、生涯続くようなハンディを与えられた場合、ほんとうに「自己責任だ」と思えるかどうか、考えたほうがいいよ。他人に「すべては自己責任だ」など軽々しく言うやつは!!

2021年1月11日月曜日

まず、ヘビメタ騒音にやられてくるしいというのがある

 まず、ヘビメタ騒音にやられてくるしいというのがある。俺以外の人にはそれがない。話が通じないのは、わからないことではない。しかし、ひどいなぁ。

いま、午後六時一一分。きちがいヘビメタがも・の・す・ご・い音で鳴っていた。どれだけ、怒鳴り込んでも、絶対にやめてくれなかった。これがすべてだ。これがおなじように毎日、つづく。くるしくないわけがないだろ。ハンディにならないわけがないだろ。

これを書くと、誤解されるのだけど、……。誤解されるから書くのはやめるか。ぼくは、無職とかニートとか底辺労働者一般について、悪く言うつもりは全くないのだけど、彼らのなかには、「わかったようなことを言うやつ」がまじっている。こいつらは、あたかも経営者みたいなことを言う。で、「自分は無職だけど」とか「自分はしょぼい人間だけど」という前振りをしたあとに、けっこう、無職やニートや底辺労働者をせめるような発言をするんだよ。こういうやつらに言いたいことがあるんだけど、それを言っちゃうと、俺が無職やニートや底辺労働者をバカにしているように聞こえてしまうんだよな。どうしても、ぼくの場合は、ヘビメタ騒音のことについて語らざるを得ないから。ヘビメタ騒音にやられてない、無職やニートや底辺労働者が、誤解してしまうんだよね。自分たちのことを言っているのではないか?と。けど、ぼくは、無職やニートや底辺労働者なのに、経営者みたいなことを言うやつが、きらいなわけ。

ほんとう。きちがい兄貴がきちがい兄貴ではなく、でかい音で鳴らしているということを認めて……普通に生きていれば、一瞬でわかることなのだけど……自分が無意識的に鳴らしたい以上は絶対に認めない……一瞬でわかることを認めないって態度が、どれだけ(相手にとって)頭にくることか、おやじにやられて兄貴は知っているのに、おやじモードでまったくおなじことをしやがるんだよな……無意識的にかられて……自分の無意識的な欲求は現実を無視して……頑固に無視して……絶対の意地で叶えるわけだから……どれだけでかい音で鳴らしてたって、鳴らしてないということになってしまう……けど、そういう、きちがい的な家族がいる人というのが限られているから……きちがい兄貴のことを、ぼくの説明を聞いた後も普通の兄貴だと思ってしまうんだよな……よその人はよその人でそういうこだわりがある……自分が思っている普通の世界が壊されることが嫌だという気持ちがある……まあ、そういうことを前提にして言うと、ともかく、きちがい兄貴は、きちがい兄貴の無意識的な欲求にしたがっていつも、きちがい的にでかい音で、きちがい的に長い時間鳴らしてたんだよ。そりゃ、使える時間はすべて、でかい音で鳴らすることになっているから鳴らすという状態でくらしてしまう。きちがい兄貴の興味が……自分が思った通りの音で鳴らしたいという欲求が……俺が耐えられる限界をこえて……続いた。そうしたら、もう、なおらない。これも、ずっときちがい家族による騒音に苦しめられてきた人じゃないとわからない。家族だってことが、最大の問題になってしまうということがわからない。それに、きちがいおやじがいる。これが、ほんとうに、俺の側のハンディになってしまうのだ。こんなの、俺と同じ状況でくらしている人しかわかるわけがない。よその人のきちがいおやじに関する理解力の低さは並じゃない。並じゃないんだよ。ほとんどすべての人間が並じゃないのだから、それが並だということも言えるけど……まあ、そういうことは、いちおう、置いておこう。

まあ、わかったようなことを言う無職やニートや底辺労働者は、洗脳されているようなものだと思う。

まあ、いいや。これからぼくは、他人には理解を求めず、自分世界に埋没していきたいと思う。ヘビメタ騒音にやられてない人がヘビメタ騒音のことを理解するのはむりだ。無理だということがわかった。しかし、ほんとうに、おろかだよな。おろかすぎる。だれが、おろかだとは言わないけど、おろかすぎる。


 

そういう理屈はこの体調のなかでは成り立たない

 そういう理屈はこの体調のなかでは成り立たない。そういうことだ。

それにしても、俺は、ヘビメタ騒音で、誤解されまくってるなぁ。こんなの、ない。もう、ずっと前からそうなんだよな。詳しくは書けないけど……。おかしいよな。こんな世界。ほんとうに、バカが勘違いして俺をバカにしてくるということが、きちがいヘビメタ以降しょうじて、いやだなぁ。ヘビメタ騒音があるかないかで、まるでちがうのに、まったくわかってないからな。二重三重に、困難がしょうじることになっている……。こんなの、ほんとうに、水俣病とおなじ。ニセ患者が登場して……だるいと言い出す世界。ニセ患者が、水俣病は自分のせい。だるいのは自分のせいと言い出す世界。そして、ニセ患者を少なくても、公的には批判できない世界。こんなのない。

こういうやり方で、ほんものをおいつめることができるんだな。それにしても、自由に書くことができないのか。

 

ともかく、ヘビメタ騒音がはじまってから、俺は人に誤解されまくっている。こんなのない。ほんとうに、いまも、ヘビメタ騒音「で」猛烈にくるしい。この雰囲気。このだるさ。このつかれ。まるまるまるまる。まるまるまるまる。



2021年1月10日日曜日

そういう親がいる場合は、子供に症状が出るから、簡単にわかるか?

 まともな人、おかあさんしかいない。俺を除けば……俺から見れば……。きちがいおやじときちがい兄貴は自動ロボットのように、やりたいことをやりやがる。こっちに迷惑が掛からない行為ならべつにそれでいいけど、こっちに迷惑がかかる行為をやり始めた場合は、ものすごく、こまる。死にたくなる。

ほんとうに、きちがいだから、絶対の意地でやって、絶対の意地で認めない。「あたりまえ」と「やってない」が同居しているような矛盾している状態で、やりやがる。ほんにんはもちろん、そのほうが「おしとおす」ことができるわけだから、便利なわけだよ。都合がいいわけ。さらに、「やってない」ことになっているわけだから、もっと、都合がいい。

けど、やられたほうはこまる。

で、やっている本人がまったく気にしてないんだよな。「何万回、こまるからやめろ」「いいかげんにしろ」とこっちが言っても、本人は気にしない。気にしないとなったら、絶対の意地で気にしない。もちろん、そういう……意識的な……意地があるわけではないのだけど、あたかもそういう意地があるかのような状態で、自分がやっていることを無視して、やり続ける。

絶対の意地でやり続ける。

殺さなければやめさせることができない。

殺さなければやめさせることができない状態!!!をいつでも、相手に押し付ける。これ、末端関係がないように思えるかもしれないけど、おやじの「はんだごて事件」だって同じなんだよ。絶対に認めないし、認めないということも認めない。

そして、頑固に自分の意見??……意見ですらないのだけど、とりあえず、意見ということにすると……意見を押し付けて、ゆずらない。

けど、これが、「おしけつた」ことになってないのだ。

だから、おやじが押し付けたハンダゴテを学校にもって行って、ひどい目にあったということをどれだけ言っても通じない。これが、帽子でも、消しゴムでも、鉛筆でも成り立つのが、「うち」だ。まえまえから、うちの常識なのである。「そういう家族」が「そういうモード」でやりはじめたら……どれだけ言っても、そのきちがい家族が言うことを聞かずにやりきるということが、うちの常識。

けど、よその人はそういうことがわかってないから、よその人の常識でものを言う。で、その、よその人の常識というのは、うちの常識に合致してないのである。うちの現実に合致してないのである。だから、昨日からおなじことを言っているけど、やられたほうが、よそでも、やられるということになる。せめられるということになる。

けど、それなら、それでよそで、せめられてこまったということを説明すればいいということになるだろ。よその常識だとそうなるだろ。

けど、うちの常識だとそうならない。自分意地を通している……家族の一員が、そういう説明を受け付けない。自分の無意識的な欲求にとって、不都合なことは、絶対の意地で認めないのである。

で、認めないということも認めないから、本人としては、まったくなにもやってないということになってしまうのである。

そして、続ける。

いつもいつも、そういうモードなんだよ。

機嫌が悪いときだけ、怒りやすいとかそういうわかりやすい話じゃないんだよ。……会社でいやなことがあったときだけ、子供に当たり散らす親も問題だけど……そういうわかりやすい親とはちがうんだよ。

で、認知療法は、そういうわかりやすい親にやられた場合は、有効なのだけど、そうじゃないんだよ。あるいは、アドラー心理学は、そういうわかりやすい親にやられた場合は、有効なのだけど、そうじゃないんだよ。

アドラーはフロイトの弟子なんだけど、ほんとうに、フロイトが言ったことがまるでわかってない人なのだ。フロイトの成果をすべて、ゴミ箱に捨てたやつだ。わかってないのだからしかたがない。これは、言っちゃうと、問題があるけど、アドラーの「わかららなさ」は、きちがいおやじのわからなさとちょっと似てるんだよね。

もちろん、アドラーの場合、きちがいおやじとは正反対の親に育てられたから、無意識関係のことがわからないということなのだけど、それでも、わからなすぎる。

フロイトの言っていることを理解しなさすぎる。アドラーだけじゃなく、認知療法家もそういうところがある。彼らにしてみれば、そういうきちがい家族の態度も、簡単に無視できることなのである。けど、実際にはちがう。

それは、アドラーを認知療法家が育った家ではなかったことなので、彼らがまったくそう言うことを理解してないということの、あらわれだ。無理解だから、わかってないのである。ほんとうに……。無理解だから、「簡単に無視できること」だと思っていやがるだけなのである。

 

話はずれるけど、一般的な心理学者は、ときどき、きちがい家のこどもを、苦しめることを言う。たとえば、子供が問題を起こす場合は、親との交流に問題があるとする。

そして、たとえば、親と一緒にいる時間が短い子供は、親と一緒にいる時間が長い子供よりも、問題を起こしやすいという研究結果をまとめたとする。そうなると、それなら、「親といる時間を長くすればいいのだ」ということになってしまう。 

そういう提案にしたがって、たとえば、親に対して「子供といる時間をつくってください」「子供といる時間を長くしてください」ということが書いてあるプリントを配るというようなことが、学校で行われてしまう。実際、そういうことがあったんだけど、俺は、ぞっとしたよ。小学生でもわかる。

時間の長さの問題じゃないのである。たとえば、きちがい行為をするきちがい的な親といる時間が長くなったらどうなる? こどもが神経症においつめられるに決まっているじゃないか。どうして、こういうことがわからないのか? 虐待というのは意図的にやっている虐待と、無意識的にやっている虐待がある。

きちがい脳の持ち主だから、いつもいつも、きちがい的な行為をして、子供に迷惑をかける親がいる……いるんだよ。そういうのは、特別だから、無視していいのか? 一括して、プリントを「親」に配るなら、きちがい的な親にもプリントを配るということになる。事前に、よりわけてくれるわけじゃないじゃないか。そもそも、きちがいおやじがきちがいおやじだということは、学校にばれてない。

そういう親がいる場合は、子供に症状が出るから、簡単にわかるか? わからないよ!!!

むしろ、学校は積極的に無視すると言ったほうがいい。学校側は、めんどうなことが起こるといやだから、そういうことは、積極的に無視する。だいたい、自動的にへんなことをする……意地を張ってやりたいことをする親の感覚というのが、「立派な親に育てられた人」にはわからないのである。で、教育や心理学は、そういう人たちに牛耳られている。

ともかく、きちがいおやじみたいなやつがいるということがわかってない、心理学者や心理療法家が、めちゃくちゃに「こまった主張」をしやがるのだ。

2021年1月9日土曜日

「特殊な家族にやられた」家族の一員というのは、ものすごいハンディを背負ってしまっている


 俺はじつは、だいぶまえに、エクセルの使い方系の動画をつくろうとしたことがあるんだよ。で、ヘビメタ騒音で、しゃべり方が暗いのでやめた。どうしても、「ヘビメタでくるしい」というバイブが流れる。

人間の声というのは、ほんとうに思っていることが、波長になってあらわれる。これは、精神世界の人が言うような「波動」ではない。そういう、意味が深い?波動ではなくて、ほんとうに、音の波動として、あらわれる。

ようするに、人間は、人間の声を読み取る力が強い。「本気で言っているのか」「ウソで言っているか」わかるようになっている。これは、読み取り能力が強いということだ。なので、鬱である人が、元気である人のように見せかけて、なにかを言っても、「この人の声はどこか、元気がない」「いつわりの元気だ」ということが、わかってしまうのだ。

だから、やめた。

いま、午後四時二十五分で、きちがいヘビメタが鳴っていた時間なのだけど、きちがいヘビメタ騒音は一秒でくるしい。〇・一秒で、発狂するほど苦しい。それが、ずっとずっと、持続しているのだから、ぼくはたまらない。

これ、ヘビメタ騒音のただなかにいるということは、全力疾走しているようなものなのである。

毒ガスのなかで全力疾走しているようなものなのである。おかしくなってしまう。そういう数千日がない人が、どれだけ、きれいごとを言っても、ぼくの胸にはひびかない。「元気ではない」ということ自体が、弱点になってしまうような時代なのだ。元気がなければ、説教をされ、バカにされてしまうような時代なのだ。

きちがい兄貴は、ヘッドホンをしようと思えば、いつだってヘッドホンをすることができた。「する」というのは、「装着する」という意味だ。きちがい兄貴はヘッドホンを三つもっていた。こだわらなければ、ヘビメタを鳴らすときは、ヘッドホンをして鳴らすということができた。

けど、俺がどれだけ言っても、一日に一秒もヘッドホンをしてくれなかった。これが、事実だ。きちがい兄貴が、その気になれば、普通にヘッドホンをすることができた。けど、しなかった。これが、事実だ。ほかの事実はない!!

きちがい兄貴はやるつもりでやっていたわけで、そこにかんして、申し開きをすることはできない。まあ、そういう責任を一切合切感じなかったから、きちがいおやじのような顔をして、きちがい的に「自分の音」にこだわって、鳴らし続けたわけだけどな……。

自分の音のは、自分が思ったとおりの音という意味だ。ようするに、「でかい音で聞かなければ気がすまない」という状態になっていた。そして、「でかい音で鳴らしている」という現実を無視して「でかい音で鳴らし続けた」。

ほかの人であれば、感覚器を(本人が気がつかないまま)言い換えることはできないけど、きちがい兄貴は、きちがいおやじとおなじで、感覚器を言い換えることができた。「どれだけでかい音で鳴らしたって、でかい音で鳴らてない」という感覚が成り立つ。

一度そういう感覚が成り立ったら、こっちがどれだけ言っても、かえない。「でかい音で鳴らしている」ということに気がつかない。つねに、「でかい音で鳴らしてないつもり」で「でかい音で鳴らす」ということになってしまう。

これは、きちがいおやじの「はんだごて事件」のとき同じ状態だ。この状態になってしまったら、こっちがどれだけ、真実を言っても、聞かないのである。感覚器をだまして、否定して、やりきる。あるいは、目を三角にして、顔を真っ赤にして、無言のままやりきる。

無言のままやりきったとき、「無視してやりきった」という認知がしょうじるかというと、しょうじない。「やってない」のとおなじなのである。「やってない」と思っているときとおなじ認知が成り立っいてる。

一日に十三時間、こだわりつくして、鳴らしたって、一分もやってないのとおなじなのである。

きちがい兄貴の認知としては、そういう認知が成り立っている。これは、きたない。ずるだ。

ずるを「志向」して、「感覚器をだました」のである。けど、これが、きちがい兄貴の無意識部分がやったことなので、たぶん、きちがい兄貴の意識部分はそういうことをしたというつもりがない。認識がない。自分がそうしたということを、まったく認めてない。「そんなことはないつもり」だ。「つもりはつもり」なのだけど、発狂して、真逆のことをしている。

し続けている……。それも、意地を張って、きちがい的な意地でやっている。だから、「つもり」というのが、矛盾した意味になる。きちがい兄貴は、意地を張ってやっている状態なのだけど、本人は、特につもりがない状態なのである。あるいは、「やれてあたりまえだからやっている」という状態なのである。「やれてあたりまえだからやっている」というのも意識的にそう思っている状態ではなくて、無意識的にそう思っている状態だ。

こういう状態について、俺が説明したとしても、信じないやつが出てくる。あるいは、「無意識的にやった」ということを言うのは、本人が否定できないのだから、だめなのではないか」ということを言う人が出てくる。けど、きちがい兄貴が、ほかの人には理解できないような態度で、ずっと鳴らし続けたのは確かだ。

それも、「自分の音」にこだわりつくして鳴らしたから、「譲歩する」と言っても、「譲歩しない」のである。だから、こういうことが、積み重なって、「よその人がきて注意しても、よその人が帰ってしまったら、譲ったつもりで、でかい音で鳴らすだろう」というような認識が僕のほうにできてしまった。

これ、兄貴が、普通のアパートで鳴らしている場合と、ちがうのである。

「家族だ」ということが、足をひっぱっている。

普通のアパートの場合は、大家さんが普通の人だ。けど、「うち」は大家さんに相当する、きちがいおやじがきちがいだ。こういうことが、影響を与えている。

けど、こういうことが影響を与えているということに気がついたのは、きちがい兄貴が鳴らし終わったあとだ。当時は「頑固にやっている」「無視して鳴らしている」「どれだけ言っても、聴いてくれない」というようなことしか言えなかった。普通の人にこういうことを言っても、「それは家族で相談してください」と言われるだけだった。普通の人って、まあ、教師だ。

教師は、きちがいおやじがいるような家庭で育った人ではないのだ。だから、きちがいおやじみたいな人がいるということが、「はだで」わからない。そして、きちがい兄貴は、きちがいおやじのコピーなのだから、きちがい兄貴のしくみもわからない。

教師はわからない。

ともかく、きちがいおやじが大家さんに相当する人であったことと、きちがい兄貴が家族であったということが、ものすごい影響を与えている。これ、当時はわからなかったんだよ。当時は、「よその人は、うちのことがわからない」ということはわかっていたけど、うまく説明ができなかった。まあ、説明したとしても、よその人の半分ぐらいは……八割ぐらいは、「うちのことかわからない」と思う。

ほんとうに「特殊な家族にやられた」家族の一員というのは、ものすごいハンディを背負ってしまっている。普通の他人は、絶対にわからない。そうなると、やられた人がおかしいことを言っている」と判断してしまうのだ。あるいは、やられた人がうまく説明できなかったから相手がわからなかっただけなのではないか」と思ってしまうのだ。……この、屈辱。こういうことが、屈辱になってしまうということが、「特殊な家族にやられた」人の特殊な状態だ。これは、やられた人がおかしいわけではなくて、やった人がおかしいのだけど、やった人のおかしさが、よその人にわからない場合、よその人は、「かならず」間違った判断をしてしまうのである。その場合、そういう相手の意見(よその人の意見は)やられた人間にとってみれば、屈辱以外のなんでもない。けど、「屈辱以外のなにものでもない」なんてことが、よその人にはわからない。そりゃ、わからないだろ。自分の判断が正しいと思っているわけだから……。
 

2021年1月8日金曜日

一か月続けば、どれだけ、くるしいか、身をもってわかるのに……わかってない。


ほんとうに、ヘビメタ騒音のことがほかの人にはわからないんだよな。きちがい兄貴の性格というか、認知がおかしいところとか、感覚器がおかしいところとか、ぜんぜんわからない。

で、実際にやられた場合の、体の状態がわからないんだよな。繰り返せば、必然なのに、必然だということがわからない。

だから、浅知恵ライフハックみたいなことを言いやがる……他人は……。あとは、体の状態と鬱、体の状態とトラウマというのは、くっついている。切り離すことができないことなのに、「や、ら、れ、て、な、い」人は、切り離すことができると思っている。そのほうが合理的で正しいと思っている。

それは、やられてないから、そう思っているだけだ。

「あれ」が、続いたらどうなるか、ぜんぜんわかってない。自分の時間、自分の体験を通して、わかってない。わかってない以上は、その人の頭のなかではそうなんだよ。

あと、これは、ものすごく受けが悪いことになると思うけど……。ある人が、老化や病気で働けなくなったら、その人のところに行って、「人間は働くべきだ」「働けないなんていうのは、あまえだ」「年を取っていても働いている人はいる」「病気でも働いている人はいる」「老化したから働けないなんていうのは、あまえだ」「病気だから働けないなんていうのはあまえだ」と言ってやりたい。

さらに、その人が、おむつをつけていたら、「大人なのに働かないなんて、おむつをつけているような状態なんだぞ」と言ってやりたい。さらに、「自分の姿が横からどう見えるか、考えたほうがいい」と言ってやりたい。

これ、そいつが病気で寝ているのだから、しかたがないと思ったやつは、正常な感覚の持ち主だけど思う。

けど、そういう人ですら、ヘビメタ騒音で、働けなくなった俺には、「人間は働くべきだ」「働けないなんていうのは、あまえだ」と言ってしまうところがある。

その人は、ヘビメタ騒音を、経験してない。学生時代の、ヘビメタ騒音がどれだけこたえるか、経験してない。

俺とおなじヘビメタ騒音を経験してない。俺と同じ部屋で学生時代をすごしたわけじゃない。

一か月続けば、どれだけ、くるしいか、身をもってわかるのに……わかってない。わかってないところで、ヘビメタ騒音がそんなに影響を与えるはずがないと思って「人間は働くべきだ」というような主張に落ち着く説教をしてくる。

おまえに、説教をする資格はない。

しかも、そういうふうに言っていた人が、退職して無職になる。まるまる病で倒れて働かないようになる。人間は、働くべきなんだろ。働かないのは、けしからんのだろ。「まるまる病になったあとでも、働いている人はいる。だから、働くことは可能だ。働くことが可能なのに、まるまる症を理由にして働いてないのはけしからん」という理屈は、自分には成り立たないのか?

こういう人たちは、「程度」というものを無視している。きちがい兄貴のヘビメタ騒音は、そういう人たちが経験した「騒音」とは「程度」がちがうんだよ。こういうのがわかってない。

感覚器がずれたきちがい家族による、はげしい騒音が、おまえらの経験した騒音とおなじわけがないだろ。どれだけ毎日、きちがい兄貴が、意地を張って繰り返したと思っているんだよ?? そして、やっているということを、特殊な脳みそで無視していると思っているんだよ。

2021年1月7日木曜日

こんな、人生、ない。こんなのは、ない。こんなのは、ない。

 やっぱり、ヘビメタ騒音にやられた。こんな人生ない……な。こんな、人生、ない。こんなのは、ない。こんなのは、ない。

ほんとうによく生きてきたなぁ。けど、生きているだけだ。やりたいことがまったくできなかった。できなかった。

体調が、ヘビメタ騒音を鳴らされたいところとおなじなんだよな。ヘビメタ騒音の毒がぬけない。どこに行っても、つらい。なにをやっても、つらい。つらい状態をがまんして、いろいろ、やってんだぞ。ほんとうに、ほかのやつらもゆるせない。ヘビメタ騒音について説明したのに、ヘビメタ騒音の影響を無視して、頭がおかしいことを言ってきたやつらは、ゆるせない。

あんだけ続いたら、そりゃ、機能障害が残るだろ。ほかのやつらはまったくわかってない。 ヘビメタ騒音は鳴り終わったら消えちゃうようなものじゃない。俺の体に残っている。抜けない毒として機能している。毒というよりも、ほんとうは、パンチドランカーにちかいと思う。けど、体調を考えると毒にちかい。

2021年1月6日水曜日

やはり、蛭子さんが出ている路線バスの旅を見たくなるなぁ。

 風呂の用意をしている。スイッチを押してきただけだけど……。やはり、蛭子さんが出ている路線バスの旅を見たくなるなぁ。見るか? ぼくは、ちょっとした都合でアマゾンプライムに入っているから、見れなくはない。けど、アマゾンプライムビデオにおいてある回は全部見ちゃったんだよね。

あと、むかし書いた論文系の文章を音声合成キャラに読ませて、youtubeにあげようかと思っている。基本、収入化は目指していない。だいたい、顔出しして論文系のことを言ったとしても、うけない。基本、収入にはむすびつかない。もし、顔出ししてやるなら、別のことをやらないとだめだと思う。

音声合成ソフトはいろいろある。まあ、俺は、じつは、ある音声合成ソフトを使って作ったことがあるんだけど、その音声合成ソフトでできあがる音声が、聴きにくいのだ。で、音声合成エンジンがかわったみたいだから、もう一回試しにつくってもいいかなと思う。で、じつは、音声に合わせて(人形)の口が動くというのは、あーーんなソフトやこーーんなソフトを使えばできる。

どうするかな? 新しい音声合成エンジンを買おうかどうか迷っている。

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ほんとう、若いときにこの状態だったらなぁ。けど、ヘビメタ騒音を抱えていたから、どのみち、だめか。あれ、ほんとうに、どれだけ、マイナスになっているか、本人以外はわからない。張本人の精神病質・兄貴とか、まったくわかってないんだよな。で、他人もわからない。他人は他人だから、わからない。「そんなの、鳴ってたってできる」とか言い出すのだろうけど、「おまえ、経験してないだろ」……と言いたくなる。ぜんぜんちがう。けど、ぜんぜんちがうということも、わからないと思う。そりゃ、経験がないのだから、わからない。どれだけ説明されたってわからない。どれだけ多くのことにたたるかわからない。ぼくは、じつは、ほかの人より、エネルギー量が多い人間なんだよ。やる気とか創意工夫とか……。なら、やればいいじゃないかという話になるのだけど、それは、「本来」のあたいだ。本来のあたいと「ヘビメタ騒音をやられたあと」のあたいがちがいすぎる。けど、これも、ほかの人にはわからない。

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2021年1月5日火曜日

けど、ちがうんだよ。「すべて」でラショナルなんだよ

 正直言って、元気ない。

これじゃ、かりに、一億円持っていたとしてもおなじだ。おなじおなじおなじ。俺は、二十年、三十年、なにをやっていたんだ? もちろん、二十年間、三十年間と書くべきところだ。けど、二十年、三十年と書きたいので、そう書いた。

これから、弁当焼きそばを買いに行っても、俺の世界はかわらない。まあ、ほんとうに、長期騒音ときちがい兄貴の性格がたたっている。性格というよりも、脳の機能障害か? ほんとうにこれ、学生時代におれとおなじような騒音生活をした人じゃないと、どういうふうに「鳴ってない時間」がこわれていくのか、わからないんだよ。「鳴っているときだけ、うるさくて困っている」と考える人が多い。そうじゃないんだよ。 ぜんぜんちがう。ちがうのだけど、ちがいがわからない。すべてにかかわることなんだけどな。「すべて」というのはイ・ラショナルな考え方だと、認知療法を学んだ人は考えてしまう。けど、ちがうんだよ。「すべて」でラショナルなんだよ。わかってないのは、おまえらのほうだ。わかってないのもわかってないから、これはどうしようもない。けど、そういうとき、学歴がものを言う。博士号を持っている心理学者がイ・ラショナルだと言っているのだから、こんな素人が「ラショナルだ」と言っても、イ・ラショナルんなんだろうなと思ってしまう、あほな人が出てくる。それも、多数。こんな世界、いやだよな。

影響に関してはそうなんだよ。じゃ、影響を受けた世界で、「すべて」がだめなのかというと、そうではない。けど、それは、説明の問題になってしまう。たとえ、だめではないところをさがしたとしても、それでは、疲労や鬱が改善されない。

大きな問題のひとつは、認知療法について語るとき、危機介入という考え方を無視してしまうということがある。さらに、もともと、認知療法自体が、うつ病患者が言っていることに注目してできあがった説明体系だという問題がある。(この場合内因性とか外因性の区別はない。)(内因性だろうが、外因性だろうが、うつ病患者は似たようなことを言って、似たような思考をするという意見もあるかと思うが、似たようなことを言って、似たような思考をするからおなじだとは言えない)。さらに、認知療法家の認知がポジティブにゆがんでいるという問題がある。 



2021年1月3日日曜日

あのときの気分が復活している

さむい。いろいろと書かないけど、あのときの気分が復活している。というわけで、非常にまずい状態になっている。

この気分を押し切って、買い物に行ったとしても、意味がない。

この気分を押し切らずに、買い物に行ったとしても、意味がない。

どっちにしろ、くるしい気持ちのなかで行動しなければならないということだ。

これ、もう、ほかの人に説明してもむだなんだよ。ほかの人には、ぼくとおなじ、数万回の経験がないから。だから、ちがってくる。けど、別の個体なので、ちがうということがわからないし、証明ができない。そりゃ、そうだろ。ちがう個体なのだから、証明なんてできるわけがない。

 

2021年1月2日土曜日

「感覚器ごとずれている人がいない」のだから、俺が、ウソを言っていると思うしかない


きちがい兄貴は、ほんとうにでかい音で鳴らしているのだけど、でかい音で鳴らしているという認知がない。どうして、ないかというと、でかい音で鳴らしたいからだ。これは、「裏切り」なんだよ。ほんとうにまったくわかってない。よその人は、これが、裏切りであることがわかってない。「認知」の裏切りだ。「感覚器」の裏切りだ。感覚器が正常であれば絶対に、認知できることを、「ふつーーに」認知しない。これは、「普通の感覚器」の信頼を裏切っている。普通のルールとマナーを裏切っている。だから、腹が立つんだよ。一方、よその人は、そういうことをされたことがない。きちがい兄貴やきちがいおやじといった、「精神病質者」である家族がいない。一緒に住んでいる人のなかにそういう人がいない。そうなると、わからいまま、俺を断罪することになる。そういう人がいないという前提で、俺の話を聞くから、俺が言っていることが矛盾していると思う。そりゃ、その人の常識のなかには、きちがい兄貴やきちがいおやじのように「感覚器ごとずれている人がいない」のだから、俺が、ウソを言っていると思うしかない。「俺が言っていることがほんとうだとしても、そんなのは、関係がない」ということになる。そりゃ、そいつには、関係がないことだからだ。俺には、「そんなのはおかしい。もし、そうだとしても、そんなことはどうでもいい」と思っているような態度をとる。「他人はかえられない」とか「受け止め方を変えればいい」とかと言う発言は、そういう気持ちがあらわれている。そういう発言は、そういうことを思っているから言える発言なのである。例としてあげておいた。……けど、俺が、細かいルールを破ることは、認めてないのである。そういう人たちは、俺の話のなかに出てくる逸脱行為は無視するのだが、俺の細かい逸脱行為は無視しない。『話で聞いただけの』……きちがいおやじの逸脱行為やきちがい兄貴の逸脱行為をゆるすのと同様に、俺の逸脱行為をゆるのかと言えば、ゆるさない。たとえば、遅刻することは認めない。これは、感覚器を裏切っている逸脱行為よりも、逸脱してない。これが、どういうことだかわかるか? わかるわけがない。ものすごいルール違反とたいしたことがないルール違反をくらべた場合、ものすごいルール違反はゆるすが、たいしたことがないルール違反はゆるさないということになる。

 

よその人は、うちのなかでおこっている大きなルール違反を許容しているのに、自分にかかわる範囲では、小さなルール違反を許容しないのである。俺が遅刻をしたって、「相手はかわらないから、自分を変えるしかない」と思えばいいだけはなしなのである。この場合の相手は、俺だ。自分を変えて、相手の遅刻を非難しないようにすればよいのである。話がずれているように思うかもしれないけど、「働かないこと」も同じだ。働かない相手を変えるのはむりだから、自分がかわればよいのである。働かない相手に説教をしたくなる自分をかえればよいということになる。


感覚器がずれているタイプの精神病質者が、家族にかける圧力が、半端じゃない。うちのなかで、感覚器がずれているタイプの精神病質者にやられた人が、よその人から、誤解を受けるようになっている。そして、ルールに対するギャップや、ルールに対するギャップに関する不公平感が生まれる。この不公平感は、並じゃない。復讐心にちかいものになる。そして、それは、こだわらざるをえないものになる。いつも、こころにひっかかっているものになる。ならないわけがないのだ。これも、感覚器がずれているタイプの精神病質者が家族ではない人にはまったくわからないことなのだろう。俺がなにを言っているかまったくわからないだろう。

感覚器がずれているタイプの家族は、大きなルール違反をしている。それをまず認めなければ、話にならない。そのルール違反が即座に!!!修正されなければ、話にならない。

きちがいおやじやきちがい兄貴が「うち」でやったことは、でかいことだ。とてつもなくひどいことだ。けど、関係がない他者には「ひどさ」がわからないようになっている。まず、自分に直接関係があるか、それとも、直接関係がないかということよりも、逸脱行為のひどさに注目しなければならないのである。逸脱行為の程度に注目しなければならないのである。けど、普通の人は、「聞いた話」で自分が直接迷惑をこうむらないのであれば、どれだけひどい逸脱行為でもたいした逸脱行為だとは思わないという特徴がある。そして、自分が「直接」かかわっているのであれば、些細な逸脱行為でも、怒るという特徴がある。

 

2021年1月1日金曜日

健常者ではない家族にやられた人は、やられた人の自己責任だとは言わない

 缶コーヒー、買いに行った。もう、半分ぐらい飲んでしまった。

まあ、期待していたほどはうまくないけど、しかたがない。

さて、どうするかな?

むかしは、正月ってだけで、うきうきしてたけどな……。ヘビメタ騒音がはじまってからそういうことはない。むかしは、ほんとうに、テレビに振袖の女の人たちがうつっているだけで、正月っていいなと思えた。むかしのテレビは楽しかったな。

ぼくの場合、ヘビメタ騒音が大きいのだけど……理由として大きいのだけど……ほかの人には、ヘビメタ騒音がないので、ぼくの感覚はわからないだろう。依然として、正月が楽しいのかもしれない。「むかしはよかった」じゃなくて「今の正月がいい」と思っている人もいるだろう。そりゃね。自分がつくった家族がいて、その人たちと楽しく暮らしているのであれば、そうだろう。

あーー。

『長期騒音の影響』のでかさが、ほかの人にはわからないから、「そんなのは、気にしなければいい」「過去のことは、どうでもいい」と……ほかの人は……言うことになるのだけど、 それは、『長期騒音の影響』のでかさが、わからないだけから。これも、むなしいね。

この「認知の亀裂」がでかすぎる。これもでかい。ヘビメタ騒音の影響もでかいけど、認知の差がでかすぎる。ほかの人にとっては、きちがいヘビメタのことなんて「そんなのは、気にしなければいい」と言えるようなことなのだ。

けど、ぼくはちがう。五分間だって、くるしいそうなきちがい騒音がずっと鳴っていたということが与えた影響がでかすぎる。そういう影響の上に、いまのぼくがある。それは、否定できない。

これ、ほんとうに、「どんだけ、汚染魚を食べたって、そんなのは気にしなければいい」言っているようなものなのだけど、ほかの人には、わからない。ほかの人にとっては「ヘビメタ騒音」なんてものは、「現在に影響を与えるはずがないもの」なのだ。

俺は実際に、きちがいヘビメタ騒音にさらされた。俺にとって、ヘビメタは、この世で一番嫌いな音だから、その音が鳴っている状態で、きちがいヘビメタを無視するということができなかった。また、一日に数時間ずっと鳴っているということは、ほかの十数時間に影響を与えた。あるいは、一日に十数時間鳴っているということは、ほかの数時間や十数時間に影響を与えた。

たとえば、ヘビメタ騒音に八時間されされた場合、残りの十六時間が地獄なのである。これが、ほかの人には体験的にわかってない。八時間だけではなくて、十六時間の影響は、不可避的なんだよ。

けど、「不可避的だ」ということが、ほかの人には、まったくわかってない。これ、ほんとうに、ヘビメタ騒音で遅刻したって、「そんなのは関係がない」と「ヘビメタ騒音を鳴らされてないやつ」に言われることになる。特に、ヘビメタが好きな人はそういうふうに言いたがる。

ヘビメタが好きなやつだって、その人がきらいな音をあの音のでかさで、八時間聞かされ続けたら、残りの十六時間もめちゃくちゃになるんだよ。どうしたって、うつになる。体がだるくなる。疲れやすくなる。集中力がない状態になる。おこりやすくなる。……おこりやすくなるというのは、きちがい兄貴の態度に由来する。

そりゃ、あんなきちがい丸出しの態度でやられたら、頭にくるだろ。きちがい的な意地で、きちがい的にこだわって、鳴らしているのに、きちがい的な認知で、鳴らしてないのだと認知しているのだから、そういう態度「全体」は頭にくることになる。相手にとって頭にくることになる。「なんだろうが、静かにさせることができなかったのだから、自己責任」というやつもいるだろう。

俺は、即座にそいつの〇〇をまるまるしてやりたいが、そいつは、おれにまるまるされたということは、自己責任だと思ってくれるのだろう。だいたい、そういうことを言うやつは、絶対の意地でやるけど、絶対の意地でやったことを認めないというようなタイプのきちがい家族と一緒に暮らしているわけではない。

認知がおかしい「家族」……おのれの行動に関する認知にずれがある「家族」が、迷惑行為をこだわり続けてやった場合、どういうことになるかわかってない。

そういう「他者」……家族だけど「他者」がいるということがわかってない。言っていることが重複してしまうけど、家族だってことが問題なんだよ。……手短に言って、認知にずれがあるような「悪い家族」にたたられている人は少ない。どうしてかというと、健常者のほうが多いからだ。そして、健常者しか知らない人に、認知にずれがあるような「悪い家族」にたたられている人がけなされる。

悪い家族にたたられたことがない人が、悪い家族にたたられたことがない人に、無茶なことを押しつける……これが現実だ。

悪い家族にたたられたことがない人も、言うんだよ。「俺だって、あれをやられた」「俺だって、これをやられた」と。けど、ちがう。ちがうということは、一発でわかる。ほんとうに認知がずれた家族にやられた人は、俺の言っていることがわかる。

だから、俺に対して自己責任だなどとは言わない。言えるわけがない。ところが、健常者との軋轢しか経験してない人は、俺に対して「自己責任だ」と言える。これは、健常者との軋轢しか経験してないから、そういうことが言えるんだぞ。いちおう、しつこくなるので、健常者だけ書いたけど、「健常者である家族の一員」ということだ。

健常者ではない家族にやられた人は、やられた人の自己責任だとは言わない。「やられた人の自己責任だ」というような感想を持ってしまうということ自体が……じつは「その人」がやられたことがない人だということを証明してしまっている。この場合、なににやられるかというと「健常者ではない家族」にやられるということだ。

自分勝手なタイプの……認知がずれている……健常者ではない家族にやられた人は、そういうことがわかっているから、口が裂けたって、「やられた人の自己責任だ」とは言わない。言えるわけがない。

ただ単に、想像上のもの……健常者ではない家族が想像上のものだから……普通の人……健常者である家族のもとに生まれてきて育ってきた人……は「やられた人」の責任を追及できる……だけの話だ。

これも、ほんとうは、やられてないだけで、「すぐれている」わけじゃないのに、やられてない人は、どうしても、自分のほうがやられた人よりも「すぐれている」と感じてしまう。「すべては自己責任なので、認知がずれた家族にやられた人も自己責任」と言ってしまうような人は、その人自体が、自分勝手な人である可能性が高い。けど、この自分勝手さは健常者の範囲にとどまる。ようするに、病的に自分勝手なわけではない。自分のやった事柄に関する認知がずれているわけではないのである。

自己責任論、について言っておくと、自己責任論を振り回したほうが、かっこうがいいというところがある。自己責任だと言ったほうが、いさぎよい、感じがするのである。

けど、これは、自分のやったことに関して、あるいは、自分がやられたことに関して自己責任だと言っている場合に限られる。対象が「自分」である自己責任論と対象が「他人」である自己責任論は、まったく違った理論なのである。

けど、この違いを無視して、自己責任論を振り回すやつがいるのである。

けど、そういう人ですら、健常者の範囲におさまる。うちのおやじやうちの兄貴は、(自分がやったことに関する)認知がずれてしまっているので、健常者とは言いがたい。じゃあ、なんで、社会人としてやっていけるかというと、うちのなかでだけ、ずれていたからだ。別の言い方をすると、うちのなかでだけ、狂っていたからだ。そういうことが、可能なのかどうかというと、可能だとしか言いようがない。




 

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。