2020年6月29日月曜日

水俣病の人に「だるいと言うからだるくなる」と言うことは、正しいことなのだろうかという問題


一番、重要なのは、ぼくが疲れたということだ。本当に疲れた。だれがなんと言っても、疲れた。ぼくがすでに疲れているということはぼくにとって、とてつもなく重要なことだ。

これは、他の人にとってはまったく重要じゃないことだ。
けど、俺にとっては、重要なことだ。

これが出発点になってしまう。やれることは、疲れた俺にもできることにならざるをえない。ムリはできない。

あらゆる点で、足かせになっている。気違い兄貴のヘビメタ騒音が、あらゆる点で足かせになっている。それは、鳴っているときから、ずっと、今の今まで続いていることだ。『過去の出来事で、今の自分には関係がないこと』ではない。

これは、水俣病みたいなものなのだ。いちおう、いまはキレーション治療などがあるけどね。とりあえず、体外に排出できない毒のようなもので、現在のからだに、直接、影響を与える。それが、『ヘビメタ騒音病』だ。ヘビメタ騒音は単なる過去の出来事ではなくて、不可避的に現在に影響を与える過去の出来事なのだ。

けど、普通の人は、ヘビメタ騒音が俺にとってどういう意味をもつのかということがわからない。普通の人にとっては、『過去の出来事』でしかない。この『過去の出来事』というのは『現在に影響を与えない過去の出来事』だ。

『もし、現在に影響を与えているとしたら、それは、こだわっているからだ』……と普通の人は考える。

だから、『こだわらなければよい』のである。

けど、これは、『ヘビメタ騒音病』がどういう病気かわかってない人が、言うことだ。『こだわる』か『こだわらないか』に関係なく、水銀のように影響を与える。「わかってないのは、そっちだ」と言いたくなる。けど、ヘビメタ騒音病に罹患しているのは、ぼくだけなので、ぼく以外の人類すべてを敵にまわすことになる。



本当にいろいろなことが起こりすぎた。「もうつかれたよ」って、ずっと言っている。けど、これも、そういうふうに言ってしまうと「もうつかれたよ」とずっと言っているから、疲れるのだ」と言ってくる人たちが、いっぱい出てくることになる。これは、水俣病でだるくなった人に対して、「だるいと言うからだるくなる」と言っているのと同じだ。そういうことを言う人は、水銀を無視している。

たとえば、水銀を摂取したあと、水銀が一〇年間、体外に排出されないのであれば一〇年間ずっとだるい状態が続く場合がある。水銀中毒で実際にだるいので、だるいと言っているにすぎない。水銀を摂取する前に、「だるい」といったから、「だるくなっている」わけではない。その人は、水銀を摂取する前は「だるい」と言ってなかったのだ。

けど、そういう人に対して、言霊主義者は「だるいと言っているから、だるくなる」と言ってしまう。

「から」が間違っている。その水俣病の人がだるいのは、「水銀を摂取してしまったから」なのだ。「だるいと言っているから」ではない。言霊主義者は元気づけるつもりでそういうことを言う。けど、これは、「理由」について壮大な勘違いをしている。そして、その壮大な勘違いが、その人をいらつかせる。その人というのは、この場合は、水銀を摂取したことによってだるくなっている人であり、また、言霊主義者に「だるいと言っているから、だるくなるんだ」と言われた人のことだ。

そういうことを言う、言霊主義者は、水俣病の人のようには、水銀を摂取してない。水銀の量は少ないけど、今現在、普通に売られている魚を食べると、ほんとーーにちょっとだけ、水銀を摂取したことになる。なので、だれかが「俺だって、水銀を摂取したことがある」と言った場合、その発言は、たいていの場合、正しい。

けど、この場合でも、量を無視してはいけない。

その人というような表現だと問題がしょうじるので、言霊主義者をAさん、水俣病でだるくなっている人をBさんとしておこう。言霊主義者のAさんも人間であれば、Bさんと同じ分量だけ水銀を摂取すれば、水俣病になる。これは、生物としての当然の反応だ。

もちろん、AさんとBさんの体重の違いなども考慮されなければならない。けど、生物としてだいたい同じ反応がおこる。神経細胞に水銀が結びつくプロセスは同じだ。そして、実際に水銀が結びつく神経細胞の部位にもよるけど、だいたい、同じような症状が出る。生物としての当然の反応がある。

ちょっと話がちがうが、過去における物理的な刺激の繰り返しが、現在のからだに影響を与えることがある。たとえば、パンチドランカーは、物理的な刺激によって引き起こされる症状だ。これは、だれでも、同じような刺激を同じような期間の長さ受けづければ、だいたい同じような症状が出るということをしめしている。

もちろん、個体差もあるのだけど、刺激の程度(頭の強打)と、その刺激が起こる頻度と、その刺激が続く期間の長さがだいたい同じだと、だいたい同じような症状が出るということが確認されている。人間のからだはそういうふうにできている。

いわゆる毒と物理刺激はちがうのだけど、生物としての「人間の反応」というものが、だいたい同じなのである。これは、『意識のレベルの反応』じゃない。「影響を受けないようにしようと思えば、影響を受けないようにすることができる」というものではない。

「影響を受けないぞ」と何回も何回も言えば、影響を受けずにすむいうものではない。「『だるいだるい』と言うからだるくなる」という説明のしかたで説明できるものではない。「『まっすぐ歩けない』と言うから、まっすぐ歩けなくなる」という説明のしかたで説明できるものではない。

水俣病の場合は、水銀が神経細胞に影響を与えるから「まっすぐ歩くことができない」という症状が形成されるわけで、「まっすぐ歩くことができない」と言うから、まっすぐ歩くことができなくなったわけではない。

パンチドランカーの場合も、何回も何回も頭部をぶたれるという経験が長期間、続いたから、「まっすぐ歩くことができない」という症状が形成されるわけで、「まっすぐ歩くことができない」と言うから、まっすぐ歩くことができなくなったというわけではない。

しかし、言霊主義者は『言ったからそうなる』と考えるので、間違った理由付けをして、間違ったアドバイスをしてしまう。相手の受け取り方にもよるけど、これは問題を含んだ発言だ。言霊主義者は想像することもできないと思うけど、そういう間違ったことを言われたほうは、不愉快な気持ちになることがある。

2020年6月25日木曜日

佐藤が思い描くヘビメタ騒音と俺が実際に経験したヘビメタ騒音がちがいすぎる


やっぱり、ヘビメタ騒音で人から誤解される。誤解されざるを得ない。けど、そういうことになるということが、これまた、ほかの人にはわからない。経験してないからわからない。

きちがい兄貴の騒音感覚が、また、ドハズレ、ケタハズレなんだよな。そこでも、ぼくは、ほかの人から誤解を受ける。佐藤は、俺にたいしていろいろと間違った認識を持ったけど、それは、佐藤が思い描くヘビメタ騒音と俺が実際に経験したヘビメタ騒音がちがいすぎるからなのだ。

*     *     *

ああっ、いま、2020年06月25日17時37分10秒
夕方の五時半。ものすごい、音でヘビメタが鳴っていた。ここは、あの気違い空間だった。気違い兄貴の態度がおかしいし、騒音に対する感覚がおかしい。自分の騒音に対する感覚がおかしいだけで他の人の出す騒音に対しては普通の感覚を持っているのだけど……。(気違い兄貴は)真っ赤な顔をして、怒ったあとは、気違いオヤジのようにまったく関係がない人になってしまっているんだろうな。発狂的な意地でやり続けるけど、本人は、やってないのと同じ気持ちなんだよな。こういう態度は、他の人に説明してもわからない。だいたいオヤジの態度だって、他の人にはわからない。

気違い兄貴や気違いオヤジの問題なのに……やられた俺が他の人から、誤解されて、悪く言われる。こんなのは、ない。俺は、まるまるまるまる。

ほんとうに、生きている間、誤解を受けっぱなしでいやだな。他の人は経験したことがないから、ヘビメタ騒音が与えている影響というものがわからない。一日の範囲で与える影響も、人生の範囲で与える影響もわからない。それは、親友だろうが母親だろうがわからない。横の部屋で、鳴らされていたのは俺だけだ。床続き」で鳴らされていたのは俺だけだ。ほんとうに、僕の部屋で鳴らしているようなものなんだよな。あれだけでかい音で鳴らすと、一枚の壁の効果は果てしなく小さなって、まるで、自分の部屋で鳴らしているのと同じ状態になる。兄貴の友達が『こんなにでかい音で鳴らしたことがない』と言ったのだけど、そういう音だ。この兄貴の友達は、ヘビメタが好きな人だ。その人が、最初の一分間で「こんなでかい音で鳴らしたことがない」と言ってしまうほどでかい音なんだよ。

他の人は、「はなしのつうじなさ」という点について誤解している。兄貴が普通の人だと思っている。だから、「ちゃんと言えばつうじる」と思ってしまう。それがまちがいんだよな。気違い兄貴も、気違い親父も、普通の状態じゃない。頭がおかしい状態でやる。「やるな」ということを言われたら、発狂して、夢中になってやり続けて、「やってないつもり」になってしまう。毎回同じだ。毎日同じだ。こういうのが、ほんとうに、生活感覚的に、わかってない。他の人は、こういう人間がいるということが生活感覚的にわかってない。

気違い的な意地でやったことは、気違い的な意地で否定する。それが兄貴と親父だ。毎日、何時間やったって、そうだ。まるで自分がやってないから関係がない……というような態度のままやり続ける。たぶん、ほんとうに「やってないつもり」「やってない気持ち」が成り立っている。何万回言われたって、『関係がない人』のままなんだよ。張本人なのに。……気違い兄貴や気違い親父がやりたいからやっていることなのに……。だれも、気違い兄貴や気違い親父に矯正していることじゃないのに……。自分がやりたいから、意地になってやっていることなのに、まるで、関係がない人のつもりでいる。やってないのと同じ気分でいる。まったくやってない人……事実としてそういうことをしなかった人の態度なんだよ。気分なんだよ。本当は、気違い的な意地でやっているのに……。やめさせられそうになったら、発狂してやり続ける。けど、「つもりがない」。やったという認識がまったく成り立ってない。まったく関係がない人のままでいる。張本人なのに……。本人がこだわって、こだわって、譲らずにやりきったことなのに……。やってないつもりでいる。頭がおかしい。

本人にとって都合がいいように、狂っているんだよな。やりつづけるけどやったことになってない……都合がいいだろ。やりたいことは絶対の意地でやるけど、責任は絶対に取らないわけだから。関与すら認めないわけだから。関与を認めないまま、やり続けるわけだから、自分にって都合がいい。止められたら……「やめてくれ」と言われたら、発狂してやり続けて、やり続けたということを忘れてしまう。これは、便宜上『忘れてしまう』と書いたけど、本当は「やった」という認識が成り立ってない。認識が成り立ってないわけだから、『忘れた』わけではないのだ。けど、ここらへのことは、他の人にはわからない。他の人がわからないようなへんなしくみを利用して、やり続ける。けど、やったのが本人ではないような感覚が成り立っている。「やめろ」と言われたのに、こだわってやり続けたという記憶がない状態が成り立っている。

2020年6月23日火曜日

引きこもり対策について……アプローチが逆……負の学習と正の学習……

https://www.30hikikomori.com/p/1110-httpswww.html
↑引きこもり対策について……アプローチが逆……負の学習と正の学習……
ページのほうに書いたので、当行には反映されないので、いちおう、投稿にURLを貼り付けておきます。
(この記事についてなにがしかのことを語る場合は、このサイトのトップページにリンクを張って、語ってください。)
https://www.30hikikomori.com/


2020年6月22日月曜日

生活が、全部、めちゃくちゃになった


つまんない。
やっぱり、俺はヘビメタ騒音「で」ダメなのか?
ヘビメタ騒音で! ヘビメタ騒音で!
おんなじ状態が続いている。おんなじようにくるしい。
くるしい。けど、ほかの人はわからない。ほかの人には騒音体験があったとしても、きちがい兄貴によるヘビメタ騒音体験がない。あれだけしつこい、騒音を聞かされていいわけがない。生活が、全部、めちゃくちゃになった。全部というのは、この場合、イ・ラショナルじゃない。めちゃくちゃになったとしても、生きてはいる。生きてはいるからめちゃくちゃじゃない部分があるということになるのかもしれない。けど、くるしい。ずっと、くるしい。ヘビメタ騒音がなければ経験しなくていいことを経験した。ヘビメタ騒音がなければ、経験できたことが経験できないものになってしまった。そういった意味で、時系列的に「全部」めちゃくちゃなのである。そりゃ、ちがうよ。生活がめちゃくちゃになるということは、「死ぬ」ことではない。生活がめちゃくちゃになるということは、生活がまったく成り立たないということではない。生きていけないということではない。だから、生きているのだから、生活は成り立っている。だから、「全部」はイ・ラショナルであるという意見は間違っている。めちゃくちゃになったという場合、生活の質を問題にしているのだ。俺が問題にしたい「質」が全部めちゃくちゃになったのだから、全部めちゃくちゃになったという表現で正しい。


2020年6月21日日曜日

ヘビメタ騒音にさらされてない場合の俺は、普通によろこんで行けるわけ


今日も生きている。
生きてはいるけどいろいろとつらい。

さてと、どうするかな?

昨日は、通販の受け取りのために玄関まで行ったり、町内会の会費を払うために玄関まで行ったりした。

今日も通販の受け取りをした。

もう、これだけでつかれている。

つかれたとか、ほんとうにどうしようかな? 漢字か?ひらがなか? まだ、変換する必要がある。活用があるものに関しては、ちゃんと活用のことを考えて変換してよ。

あっ、そうだ。風呂にも入った。これで、けっこうきてる。きてますきてます。だいぶ、つかれた。このさき、ほんとうにどうしようかな。いろいろと、考えることがある。たとえばの話だけど、パーティーに誘われたとする。で、いまはコロナなどのことを心配しないとだめだけど、コロナは、はやってないとする。

その場合、普通の人だと、パーティーに行くことを考えると憂鬱になるということはないと思う。あるのかもしれないな。言い方が悪いかな? ヘビメタ騒音にさらされてない場合の俺は、普通によろこんで行けるわけ。

けど、ヘビメタ騒音にさらされたので、ある種の破滅感がある。これは、ほかの人にはわからない破滅感なんだけど、ともかく、破滅感がある。なので、行かないということになるだろう。たとえばの話なんだけどさ。そのパーティーには自分の好きな人ばかりが参加するとしよう。それでも行きたくないのだ。こういう状態になる。まるでわからないだろうけど、そうなんだよ。

2020年6月18日木曜日

言えば願いがかなう…と…何回も言えば願いがかなう について


●「回数が足りないだけ」のトリック(かなってないとしたら、回数がたりないだけですよ(にた~~) 私は願いがかないましたから(にた~~)

「言えば願いがかなう」とAさんがBさんに言ったとする。Bさんは、自分の願い事を言葉に出して言ったが、願いがかなわなかったとする。そのとき、AさんがBさんに「何回も言えば願いがかなう」と言ったとする。.

じつは、Aさんのなかでは、「言えば願いがかなう」ということと「何回も言えば願いがかなう」ということは、それほど矛盾したことではない。Aさんにとってみれば、「何回も言えば願いがかなう」ということは、「言えば願いがかなう」の拡張バージョンみたいなもので、特に矛盾した意味を含んでいないということになる。

しかし、本当は、矛盾した内容を含んでいる。

何回も……というのが、実際何回かは、あとで考えることにしよう。とりあえず、何回もという場合の回数をn回だとする。

その場合、じつはn-1回目まで、どれだけ願いを言葉に出していっても、かなわないということを言っている。「何回も言えば願いがかなう」ということは、「何回も言わないと願いがかなわない」ということなのである。必然的にそういう事を言っているということになる。

かりに、n回を1000回だとする。その場合、1000回言えば、願いがかなうけど、1回目から999回目までは願いがかなわないということを言っているのだ。

一方「言えば願いがかなう」というのは、1回でも言えば願いがかなうということを言っているのである。1回でも、口に出して言えば、かならず!願いがかなうのである。

この「言えば願いがかなう」というのは、「言えば願いがかなうこともある」ということを言っているのではない。そうでなくて「言えば、かならず、願いがかなう」ということを言っているのである。

じつは、「言えば願いがかなう」という言葉は、使うときによって、意味が違う。それは、言霊信者のAさんにとっても、意味が違うのである。しかし、言霊信者のAさんは、自分でその言葉を使っているのに、言うたびに意味が違うということに気がつかない。

意味が違うということに気がつかないということを利用して、困難を避けている。自分が言っていることが当たらないこともあるという現実にむかいあうことを避けている。

ひとつの言葉に、まったくちがったふたつの意味を込めて使っているのに、そのことがわかってない。使っている本人がわかってない。

だからこそ、現実の認知を回避することができるのである。最初に(言霊信者が)言えば願いがかなうと言った場合は、「言えばかならず、願いがかなう」という意味で言っているのである。

「言えば願いがかなう」ということを「言えば願いがかなう場合もあるし、願いがかなわない場合もある」という意味で、使っている言霊信者はいない。「願わない場合もある」ということは、認めないのが、言霊信者なのである。

だから、言霊信者が「言えば願いがかなう」と言った場合は、「言えばかならず!願いがかなう」という意味で言っている。

しかし、実際には、「かなわないばあい」がある。けど、言霊信者は、かなわない場合があるということを認めるわけにはいかないのである。

そこで、時間をずらすのである。今はかなわないかもしれないけど、何回も言えばかなうということにして、「かなわなかった」という現実を無視する。

言霊主義者のAさんはBさんのような人に対して、「回数がたりないからだめなんだ」ということを言う。けど、「回数がたりないからだめなんだ」と言ったときには「言えば、かならず、願いがかなう」ということは、1回目からその回数マイナス1回の範囲で、部分的に否定されている。

1回でかなわなければならないのである。「言う」か「言わないか」の二値しかないからだ。

未来に先延ばしすることで、延命している。もう、本当は否定された理論を、未来に先延ばしすることによって延命する。だから、その時点で、じつは、本来の意味での「言えば願いがかなう」ということは、否定されている。

けど、言霊信者はそれに気がつくことはない。気がついたら、「言っても願いがかなわないことがある」というアタリマエの現実を認めなければならないからだ。「言っても願いがかなわない場合もある」という現実は、無視される。

かわって「回数がたりないからだめなんだ」という、破綻した理論が持ち出される。

「1000回言えば願いがかなう」と言った場合は、999回目までは、いったって願いがかなわないということを、言っているのである。100回なら99回目までは、願いがかなわないということを言っているのである。「10回言えば願いがかなう」と言った場合は9回目までは、「言っても願いがかなわない」ということをいっているのである。

●わからない人に、繰り返して同じことを言うとこうなる。

言えば願いがかなう……言えば願いがかなうこともあるし、かなわないこともある。「言えば願いがかなう」と言霊主義者が言ったとき「言っても願いがかなわないこともある」ということは、認めていない。言霊主義者の場合、「言えば、かならず、願いがかなう」という世界観を持っているのだから、かなわないということは考えないのである。だから、言えば願いがかなうというのは、二値の世界なのである。

言ったか言わないかの二値と、かなうかかなわないかの二値があるだけなのである。言えばかなうのであって、言ったのにかなわないということはないのだ。

しかし、言ったのにかなわないという現実を認知しなければならないときがある。そのようなときに、言ったのにかなわないことがあるという現実を認知することを避けて、「何回も言えば願いがかなう」と思うことにしているのだ。

しかし、これは、今まで見てきたように、理論的に破綻している。1000回言えば願いがかなう」という場合は、1回だけ、言っても、願いがかなわないということを、意味しているのである。2回でも、3回でも、願いがかなわないということを言っているのである。

999回でも願いは、かなわないのだ。999回言えば願いがかなうのか? かなわないのか? 999回では願いがかなわない。1000回、言えば願いがかなう」ということを言っているときは、999回、言っても、願いがかなうことはないということを言っているのである。ただ、それに気がついてない。「言えば願いがかなう」と言っているときと「1000回言えば、願いがかなう」と言っているときでは、その人の気分が違うので、込められた意味の違いに気がつかない。

言霊主義者にとって「何回も言えば願いがかなう」は「言えば願いがかなう」の拡張バージョンにすぎないから、矛盾しているとは考えない。

「何回も」と言った場合、何回が実際に何回目を意味しているのかわからないので、n回ということにしておこう。この場合、1回目から、n-1回目までは、願いがかなわないということを言っているのである。

気がつかないのだろうけど、これは、「1回言っても願いはかなわない」ということを含んでいる。なので、「言えば願いがかなう(2値バージョン)」とは、正反対のことを言っている。「言えば願いがかなう(2値バージョン)」の場合は、1回願いを言えば、どんなことがあってもかなうのである。かなわないなんてことはないのである。「かなわない場合」のことは考えてないのである。「かなわない」ということはないのだから、考えない。




2020年6月17日水曜日

楽しいと感じるもとのこころが、死んだ


俺はこれでも、わりとがんばって生きているのである。ほんとうだったら、一日中寝てしまうところを、がんばって、外に出ているのである。けど、去年、つかれすぎた。だから、「もういいや」というところもある。
しかし、「ほかの人はどうなんだろうな」と、ときどき考えてしまう。けど、すぐに「ほかの人は、ほかの人で、ぼくはぼくだから、ほかの人は参考にならない」と考えるところがある。ほかの人はぼくが体験したことを体験してないわけだから比較対象にはならない。立場を逆にして、ほかの人から見ても、そうだろう。
けど、人間は人間なので、多少は参考になるかもしれない……と考えたりする。

まあ、ぼくがいちおうは人並みに、楽しくなれればよいのだけど、ぼくは、……。ぼくは……。ぼくは、楽しくなれない。楽しいと感じるもとのこころが、死んだ。だから、そういう地点から、考えないとだめなのである。

2020年6月16日火曜日

そんなえらそうなことを言っているやつは、ヘビメタ騒音の数千日を経験してない


ヘビメタでくるしい。おまえらにはわからない。ほんとうに、俺と同じ経験をしてから、ものを言え。ものを……。ものを……。


いつも、くるしい。そりゃ、くるしくなる。けど、そういうことですら、ヘビメタ騒音を経験したことがないやつから、あれやこれやと言われる。そういうポジションに落ちていく。曰く。「人間は自分の感情に責任を持たなければならない」。曰く。「どれだけくるしいときも、笑えば、楽しくなる」。などなど。何千日も、気違いヘビメタが続いてくるしいときは、笑っても、元気にならないー。ならないーー。ビック・ノー。ならないーー。自分の感情に責任を持つというのは、ようするに、自分の感情は自分が完全に制御できるものでなければならないという意味だ。どれだけつらくても、くるしくても、なになにができないということはないという意味だ。どれだけつらくても、くるしくても、「不愉快な感情」をもつ必要はないので、「不愉快な感情」をもつということ自体が、未熟なのだという意味だ。なおさら、不愉快な顔をして人前に出るのはけしからんことだという意味だ。けど、そんなえらそうなことを言っているやつは、ヘビメタ騒音の数千日を経験してない。数千日に渡って、寝不足が続く世界を経験してない。寝不足でよれよれだ。……けど、「寝不足でよれよれだ」といえば、「どれだけ眠たくなくても、眠ろうと思えば眠れる」とか言い出す。「日光を浴びて、規則正しい生活をすればいい」などと言い出す。俺はヘビメタ騒音でくるしいんだよ。

2020年6月15日月曜日

ニートに説教は、ホームレスに石を投げるのと同じ

●ニートに説教は、ホームレスに石を投げるのと同じ


引きこもり云々についてちょっと書いておくかな?

言いたいことは、「その人ができる仕事」を用意したほうが説教をするよりずっといいということなのだ。けど、「自分で見つけろ」ということになると思う。これは、「働けない」のか「働かない」のかという問題に直結している。

働けない人……に働いてもらう場合は、「その人ができる仕事」を用意するしかないわけで、用意できないのであれば、その人が働かない状態でもよいというような「一般合意?」を作っておいたほうが、説教をするよりもずっとよいのではないかと思う。

これ、説教なんて、ホームレスに石を投げるのと同じことなんだからな。これがわかってないやつが多い。「働けない」人には「自分が働けない」という認識がある。それは、実際に働いたときに生じたものだ……とする。

だから、これは、働いてみたけど、働けないということを悟った人を対象にしている。働いたことがない人のことはいちおう、ここでは対象にしないことにする。「確信」があるんだよ。

基本的には、なんていうのかな? ダメになるのに時間がかかるのだけど、ダメになるまでの間、「働けたから」といって(その人が)働ける人間だと認識してしまうのはまずいのだということだ。こういうことも、働ける人はわからないと思う。どれだけの深い絶望があるかわかってない。

「自分が働けない人間である」というのは、単なる認識じゃなくて動かない確信なんだよ。そういう人に働いてもらうにはどうしたらいいか? 

その人が楽にできる?仕事を用意するしかない。
ニートや無職に対して、……アドバイスをする人がいるのだけど、そんなのは、まったく役に立たない。役に立たないというよりも、有害なのである。自殺に追い込むためにやっているというのであれば効果的ではあるけど、そうではない場合は、やめたほうがいい。

けど、アドバイスをしているほうは、実は、ストレス発散のためにやっているので、ホームレスに向かって石を投げる中学生のように、楽しみながら、アドバイスをするだろう。(相手(ニート)に受け入れられなくて、怒っている場合も、同じだ。

怒っているのは、アドバイスをするほうだ。「自分は立派にやっている」「不利な条件でも頑張った(だから、成功した)」という自負がある場合は、特に、ダメなんだよな。アドバイスをする人として失格なのである。そんなのは……そういう説教は、ていのいい、いじめでしかない。

ほんとうはホームレスに向かって石を投げたいのだけど……かわりに、ニートに向かって説教をして、ストレス発散をしているようなものなのだよ。これ、本人は「真摯に相談にのっている」と思っている場合でもそうだから。というか、「真摯に相談にのっている」と思っている人が「説教」をしている場合は、まちがいなく、石の代わりに説教を投げつけていると思ったほうがいい。

基本的にニートのほうが立場が弱いのであり、アドバイスをするほうの人は、日本人の宗教的な労働観にもとづいて、ニートに(説教という)石を投げるので、日本の社会のなかでは、肯定されるのである。だから、そういう「相談」のようなものは、ただ単に、体のいい集団リンチ(いじめ)になってしまうのである。そりゃ、アドバイスをされたほうはたまったものではないだろう。さらに引きこもってしまうだろう。さらに心を閉じてしまうだろう。

たぶんだけど、援助を求めずに飢え死にした無職の人は、そういうことを割と繰り返してきたのではないかと思うのである。「自分は働けない」という動かない認識があるのに、アドバイスをする人は、自分にできる仕事を紹介してくれるわけではなく、ただ単に、説教という石を投げつけてくるわけだから、そりゃ、物別れになって終わる。

しかも、これが、ショーとして成り立っている場合は、たいていの人は(アドバイスをする側に立つので)集団リンチのようになってしまうのである。援助の中身が、ろくでもない説得であるならば、そりゃ、「もう、いい」と思うのが人間だ。生物としての人間だ。社会的な存在としての人間だ。

■ゲームバランスのような仕事バランス

ゲームというのは、難しすぎても簡単すぎてもだめなのだ。工夫をすると前に進めるような状態が一番、いい状態だ。人によって、能力や得意分野がちがうので、同じ仕事に対して、難易度がちがうのである。

仕事の場合も、その人にとって、難しすぎても簡単すぎてもだめなのだ。つまり、工夫をすると前に進めるような仕事でなければならないのだ。工夫をすると前に進める仕事を紹介できるときだけ、ニートや無職にアドバイスをしたらどうかと思う。


2020年6月13日土曜日

俺ができないと言ったらできないんだよぉ!


俺ができないと言ったらできないんだよぉ! 俺ができないと言ったらできないんだよぉ! 「ヘビメタ騒音でできない。ヘビメタ騒音でできなくなった」と言っているだろ!! こいつら、ゆるせない。自分はヘビメタにやられなかったからといって……。ヘビメタ騒音にやられなかった立場で、俺が言っていることを否定するな!!! 俺ができないと言ったら、できないんだよぉ!! くそまるまる。くそ、まるまる。こいつらは、水俣病にかかってできなくなった人に「できないのはおかしい」「そんなのはいいわけだ」と言っているようなものなんだぞ。

そして、自分は水俣病にかかっているわけではない。自分が水俣病にかかってないから、水俣病になったあと、できなくなったということを認めない。自分かかかってないから、自分はできくなってない。だから、そんなのは、認めない。水俣病という要素を無視するか、軽く見るので、水俣病でできなくなったということを、認めない。「水俣病にかかったからできなくなったなんていうのは、いいわけだ」「水俣病にかかったってできる」……そういうふうに決めつけて、そういうふうに言う。

ある人が、水俣病にかかるまえ、まっすぐ、歩けたとする。歩けたんだよ。その人は!! 水俣病にかかって、まっすぐ、歩けなくなった。だから、その人が「水俣病で、まっすぐ歩けなくなった」と言った場合、正しいことを言っている。ヘビメタ騒音もおなじなんだよ。ヘビメタ騒音で、できたことが、できなくなったの!!! かつて、できたことができなくなったんだよ。かつて、普通に!!!!できたことが、どうしてもできくなったんだよ!!! おまえが決めるな。ふざけるな。ふざけるな!! 俺ができないと言ったら、できないんだよ。俺はできたんだよ。長いヘビメタ騒音の影響でどうしてもできなくなったんだよ。他人事だと思って、簡単に言いやがって!!!

「ヘビメタ騒音でできくなることなんてない」とヘビメタ騒音を毎日経験しなかったやつが、平気で言いやがる。ゆるせない。

ほんと、どれだけ!! ほんと、どれだけ。けっきょく、親友とのあらそいの根本が、これだからな。ヘビメタ騒音を毎日経験した人と、ほかの人とでは、「できない」ということに関する 根本的な考え方がちがう。経験してない人は、知らないだけだ。自分の体で経験してないから、ヘビメタ騒音生活が、どれだけ、足を引っ張るかわかってないだけ。どれだけの能力を、つぶしてしまうかわからないだけ。

ヘビメタ騒音生活というのは、ほんとうに、過労死寸前の状態で頑張って生活している状態なんだぞ。過労死寸前の人は、まえ、できていたことが、できなくなる。「できない」と言い出す。実際「できなくなった」からそういうふうに言う。あるいは、「もう限界だから、できない」と言う。


けど、過労死寸前の生活を経験したことがない人が、「できないなんてない」「あまえるな」と言う。俺や過労死寸前の生活をしている人が「できない」と言った場合、それは、「できない」ということを意味しているんだよ。ほんとうに「できない」んだよ。ほんとうにわかってない。そりゃ、やられてないなら、できるよ。けど、毎日、ヘビメタ騒音が続いて、できなくなった。

どうして、否定する!! どうして否定する!!

そりゃ、これを否定されたら、頭にくるだろ。憎しみの感情がしょうじるだろ。「いっしょにいたくない」と思うだろ。こいつらは、こっちができないと言っているのに、それを否定して、喧嘩を売っている。けど、喧嘩を売っているつもりがない。そりゃ、そいつらにとっては「できないなんてことはない」からだ。「ヘビメタ騒音でできなくなった、なんてことは、ない」からだ。頭にくる。頭にくる。頭にくる。

ただ単に自分が経験してないから、わかってないだけのことだろ。威張れることじゃないのに、「できないなんてことはない」とえらそうに!! ただ単に、俺レベルの騒音生活を毎日一四年間経験したことがないから、「普通にできている」だけなんだよ。俺レベルの騒音生活を経験したら「できなくなる」。できないから、「できない」と言っているのに、否定するな。おまえらの考え方はまちがっている。おおいに、まちがっている。前提がわかってない。どれだけの睡眠不足が積み重なるかわかってない。どれだけの疲れが積み重なるかわかってない。わかってないだけ。「できなくなった」んだよ。できたんだよ!!普通にできたの!! 別に甘えているわけじゃないんだよ。それどころか、甘えたことを言わずに、自殺寸前の生活に、十何年も耐えてきたの!!毎日!!毎日!!こいつら、ふざけやがって。 こいつら、ふざけやがって。頭にくるにきまっているだろ。けど、こいつらの頭だと、俺が、頭にくる理由というのがわからないんだよな。こいつらは、俺を侮辱していることに気がついてない。しかも、「できないと言っているだろ」とこっちが言えば、そいつらだって、腹を立てる。どうしてかというと、そいつらにとって当たり前のことを言っているに、俺が腹を立てて「できないと言っているだ」というから腹を立てるのだ。いや、それ以前に、俺のできない状態に腹を立てている。ほんとうに、頭にくるやつらだ。「ヘビメタでできない」と言っているだろ。できたんだよ。できたの。ヘビメタでできなくなった。否定するな! こいつらは、否定しているとき、頭にきているのか? まあ、(こいつらの態度は)友好な関係を築こうとする態度じゃないよな。こいつらは、俺が「できないと言っているだろ」と言ったとき、ちょっとは腹を立てているんだよな。こいつらは、「できないなんてことはない」と腹を立て、「あまえるな」と腹を立てる。ほんとうに腹立たしいやつらだな。


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夢の中で、俺が、ものすごくいきいきと、仕事をしていた。交渉なんかも嫌いじゃない。けど、現実の俺は疲れ果てている。なので、仕事は、夢の中で俺に頼んでくれ。夢の中の俺はきっと、ガンガン仕事をしてくれることだろう。

夢の中の俺はヘビメタ騒音にやられてない場合の俺だ。

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ほんとうにこういうことで、親友や友達がへっていくんだよな。俺における「ヘビメタ騒音」という要素が、水俣病患者における「有機水銀」という要素とおなじだということがわかってない。経験を通して、わかってない。自分の体で分かってない。俺が、数千日にわたって、どれだけ我慢してがんばってきたか、……あわせて生活をしてきた……わかってない。俺が言うのは、よっぽどの場合なんだよ。俺が「できない」と言う場合は、よっぽどの場合なの。限界なんだよ。否定するな! 否定するな!! 否定したやつは、ゆるせない。ゆるせない。

どうしたって、そういう感情がうまれるんだよな。きちがいが夢中になって、こっちの言っていることを無視して、きちがいヘビメタ騒音をものすごい音で鳴らし続けると、俺とほかの人とのあいだで、そういうあらそいが生まれる。で、鳴らしているやつはそんなのは、知らないのだ。どれだけ言ったってわからない。そんなのわかるわけないだろ。自分の出している音が、でかい音だということすら認めない。きちがいだから認めない。でかい音で鳴らしたいなら、でかい音で鳴らしてたって、普通の音で鳴らしていると、悪気なく、ほんとうに認識してしまうのが、きちがいだ。そりゃ、別に、意識してやっていることじゃないからな。ほんとうはでかい音で鳴らしているということを認識しているのに、でかい音で鳴らしたいから、わざとしらばっくれて、認めないで鳴らすという場合とは、ちがうんだよ。きちがいだからこそ、無意識的にそういうことができる。本人の意識としては、ほんとうに「普通の音」で鳴らしているつもりなのである。頭がおかしいから、そういう、自分をだますようなことを、意識せずに、平気でできる。これが、「あたまのくせ」なら、こういう「あたまのくせ」を持っている人は、そうしていいということなのか? という問題がある。「あたまのくせ」という言い形で中和するな。やられているやつが、やられっぱなしの世界ができてしまうだろ。やっているやつには、人権があるのに、やられているやつには人権がないのか? これは、そういう問題なんだぞ。

2020年6月11日木曜日

「いまから、日本語をわからないようにする」という強い意志を持っていたとしても


やっぱり、ヘビメタ騒音で人生ないわ。
どうやっても、あれじゃ、だめだったんだ。
鳴らされていては、だめだったんだ。ほんとうに、殺さないとやめさせることができない。ほかの人は、きちがい兄貴のきちがい的な意地がわからない。殺さなければ!!!絶対にやめさせることができない。実際やめてくれなかった。

で、毎日が、ぼくのすべてを壊す。ぼくの人生を壊す。ぼくの就職を壊す。ぼくの進学を壊す。ぼくの恋愛を壊す。ぼくの友情を壊す。人知れずそうなる。どうしたって、きちがい兄貴が住んでいて、きちがい兄貴が鳴らしている以上、そうなる。で、それは、ほかの人には関係がないことなのである。ほかの人にとって、ぜんぜんたいしたことじゃないのである。

けど、これは、体内に有機水銀がどんどん蓄積していくような効果があった。ヘビメタ騒音は、有機水銀のようにたたる。ほかの人にとっては、過去のことは過去のことだから、「今現在に影響を与えない」ということになる。これは、今現在に影響を与える過去と、今現在に影響を与えない過去の両方があるということを無視した考え方だ。「今現在に影響を与えない過去」というのは、ないのではないかと思う。しかし、その過去の出来事が与える影響が些細なものなので、今現在は影響がないものとして無視できるという意味でなら、「今現在に影響を与えない過去」というものを考えてもよいとは思う。

まあ、とりあえず、簡単に省略して言って今現在に影響を与える過去と、今現在に影響を与えない過去の両方があるとしておこう。過去の出来事は現在に影響を与えないというのは、合理的な考え方じゃなくて、信仰みたいなものだ。いや、みたいなものではなくて、まぎれもなく、信仰だ。

けど、認知療法のようなポジティブにゆがんだ思想を持っている人は、「過去の出来事は現在に影響を与えない」と信じている。何度も言うけど、これは、合理的な判断ではなくて、信仰だ。過去の出来事は現在に影響を与える。

特に、言語の学習や脳に不可逆的な影響を与える過去の出来事は、今現在に影響を与える。たとえば、日本に住んでいる人は、普通は日本語を学習してしまう。これは、とりもなおさず、過去の出来事の影響を受けているということなのである。

また、認知療法のようなポジティブにゆがんだ思想を持っている人は「意志」を重視して、無意識の部分を「意志」の力でねじ伏せることができると考えている。しかし、たとえば、日本語を聞いてもわからないようにしよう(理解しないようにしよう)ということにこだわって、それを実行しようとしたとしても、日本語を聞いてもわからないようなふりをするということになると思う。

一度、覚えてしまった日本語を、急に忘れることはなかなかできない。事故で、脳みその一部が破損した場合は別だが、「いまから、日本語をわからないようにする(理解できないようにする)」という強い意志を持っていたとしても、……脳みその一部が破損していなければ……日本語を聞いたらわかる(理解できる)という状態が維持されてしまう。これは、「意志」の力では、そういう能力を封じることができないということを意味しているのである。意志の力でなんでもできる……自分のことならすべて制御できると考えるのは、勝手だが、それは、合理的な考え方ではなくて、一種の信仰だ。

2020年6月10日水曜日

俺はいやだ


やる気になって、ネズミシートを封印した。これは、ネズミを捕まえるためのものなのだけど、ふちにネズミの糞が落ちている。フチの部分は粘着シートになってない。で、ほんとうはそのまま、燃えるごみの袋に入れていいのだけど、俺は、そのまま燃えるごみの袋に入れるのはいやだ。

だから、ビニール袋に入れて、封印して捨てようと思った。けど、これが……。いろいろと説明しなければならないことがあるのだけど、省略。で、ともかく……俺はいやなんだよ。どうして俺がこんなことをしなければならないのか」と思う。おやじがネズミを餌付けした。一日中、酒糟がついた魚の切り身を出しておいて、近所中の、ネズミを集めた。

「明るい顔をしろ」「暗い顔をするな」

多くの人が、兄貴のことは悪く言わずに、俺のことを悪く言う。これは、おかしい。マナー違反、ルール違反をしたのは、兄貴だ。どうして、これがわからないのか? ほんとうに、こういう反応で、俺はくるしんできた。おかしい。多いんだよな。頭がおかしいと思う。きちがい兄貴が、普通の家ではありえないようなでかい音でヘビメタを鳴らした。……そう言っているだろ。きちがい兄貴に、注意したけど、きちがい兄貴は、絶対の意地で鳴らし続けた……そう言っているだろ。こういうことを聞いて、俺が悪いと思う普通の人たちは、間違っている。ヘビメタが鳴っていたから、睡眠不足になって暗い顔をするようになった……と言っているだろ。おまらだって、ずっと鳴らされ続けたらそうなる。

けど、そういう話を聞いた時の反応が、「明るい顔をしろ」「暗い顔をするな」「暗い顔をされると、こっちも暗い気持ちになる(俺、私のことを考えて、暗い顔をするのはやめろ)」という反応だ。これは、相手のことを考えてない自分中心的な考え方だ。けど、こういうことを言うやつが、「世のため人のために行動するのがたいせつ」「他人のことを考えるのがたいせつ」というようなことを言いやがるのだ。

もちろん、礼儀として明るい顔をしたほうがいいというのはわかる。けど、それと、「世のため人のために行動するのが大切」という考え方がどうむすびつくのだ? おまえは、その発言で俺をおびやかしている。おまえにとって、俺は他人なんだぞ。「人」なんだぞ。

……と、まあ、こういう気分になるときがある。

すでにヘビメタに(何時間も何時間も)やられてくるしいということが、どれだけ、普通の人との、普通の交際・交流をさまたげるか?

何千日も、横で、きちがい的な音を鳴らされ続けていいわけがないだろ。どうして、こんな簡単なことが、きちがい兄貴にはまったく通じないんだ?

よその人も、俺が兄貴に「静かにしてくれ」と言えば、静かにしてくれたはずだという前提で、俺が話した内容を判断するのは、やめろ。佐藤のようなやつは、普通の人だ。普通の人がそういう反応を返してくる。


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暗い顔をした人には近づきたくないという「きもち」は、わかる。けど、俺はヘビメタ騒音でくるしい。はさまれてしまう。ずっとはさまれて、くらしてきた。で、俺はほんとうに、きちがいヘビメタにやられている期間中、一〇年ぐらいは毎日、暗い顔をしないで……くらしてきたのだ。で、それは、むりやりやっていることだ。限界がある。

「暗い顔をするな」と「人間は働かなければならない」が組み合わさると、悲惨なことになる。おまえら、ほんとうに有機水銀中毒で働けなくなった人に「働け」「どんなにくるしくても働け」「働けないなんて、いいわけだ。あまえている」「みんな、くるしくても働いている」「だから、おまえだけ働かないなんていうのはゆるせない」「水銀中毒なんてたいしたことじゃない。俺だって、ちょっとは有機水銀を摂取している*1」と言っているようなもんなんだぞ。さらに、「有機水銀を摂取したのは、自己責任」と言っているようなもんなんだぞ。さらに、「有機水銀を海水に流した企業を責めてもしかたがない。「企業が悪い」と言ってもしかたがない」「企業のせいにするな」「ほかの人のせいにするな*2」と言っているようなもんなんだぞ。
これが普通の日本人の反応なんだからな。






2020年6月9日火曜日

どういう世界になるか、まったく見当もつかないだろう


人に言ってもしかたがないのだけど、
いろいろとめんどい。
いろいろとくるしい。

もうちょっと気楽に動けないか?

たとえば、自転車でどこかに行くにしろ、けっこうくるしい状態で行っているんだよな。ヘビメタ騒音でくるしい。ほかの人にはわからない。経験した人じゃないとわからない。どういう世界になるか、まったく見当もつかないだろう。だから、やられてない状態で、俺のことを推し量るしかない。俺が「言っていること」を推し量るしかない。で、そうなると、なんかくだらない、ネガティブなことを言っているようにしか思わないだろう。けど、ちがうんだよな。ちがう。ぜんぜん、ちがう。けど、わからない。ほかの人にはわからない。



ほかの人は騒音の影響なんて、「つもらない」と思っていると思う。けど、つもる。何千日も、同じ、音を聞かされ続けるとくるしい。何千日も、同じ、「この世で一番嫌いな音」を聞かされ続けると、どれだけポジティブ思考にこだわっても、暗い気持ちになる。からだがつかれて動けないときが、長い間、しょうじてしまう。つかれやすくなっているところで、その日の、きちがいヘビメタ騒音が積み重なる。どれだけ、無視しようと思っても、その中にいる限り……音にさらされているかぎり、どうしても、影響を受ける。そして、眠れなくなる。夜、眠るべき時間に眠れなくなる。次の日は、寝不足のつらいからだをひきずって、行動することになる。

だれでも、夏の暑さはきつい。気温三五度の真夏日に自転車に乗って移動するのはくるしい。けど、「みんな」のなかに俺がいたとする。「だれだって、暑い日に自転車に乗って移動するのはくるしい」とする。俺もつらいわけだけど、……そして、俺も、「暑い日に自転車に乗って移動しているから」つらいという部分を抱えているのだけど、ヘビメタ騒音で、くるしいのだ。前の日も、前の前の日も、ヘビメタ騒音で眠れなかったからくるしいのだ。本当にからだがつかれやすくなっている。つらさの、つらさがちがう。しんどさの、しんどさがちがう。けど、俺の特殊事情はほかの人にはわからないか、あるいは、無視される。これが、勉強やほかの活動すべてにも、なりたつ。ずっと、なりたつ。人生の中で中学三年間と、高校三年間は、とてつもなく重要な時期だ。期間だ。その期間中ずっと、ヘビメタを鳴らされ続けた。土曜日も日曜日も祭日・祝日もヘビメタを鳴らされ続けた。ずっと、俺だけにしかない……俺だけにはある……くるしさが持続している。「どこかで消化」することができない。「どこか」というのは、時間的な意味で「どこか」だ。不定期的なある時点で、それまでのくるしさを一度消化するということができない。どうしてかというと、連続して、毎日、鳴っているからだ。休みなく、毎日、鳴っているからだ。「だれだってつらい」というような言い方があるけど、俺、そういう言い方を聞くたびに、「うぇっ」とはきそうな気持になる。我慢の限界。「俺がつらいのは、そこじゃない。ヘビメタ騒音がプラスされているところだ」と、むなくそ悪い、絶望的な気持になる。そういう、はりつめた状態で、走り続けた。そりゃ、走り続けるしかないからな。けど、限界だったんだ。あんな、二時間、三時間しか眠れない生活。毎日。
つかれというのは、たまると、もっともっと、つかれやすくなるのだ。毎日、じゅうぶんに眠って、その都度回復している人には、わからない。そういう、つらい日が……特別、ほかになにがなくてもつらい日が何千日も続いた人の状態がわからない。「特別、ほかになにがなくても」というのは、たとえば、「ものすごく、暑い日に自転車で移動する」ような特別イベントがなくても……という意味だ。



「騒音なんて、鳴り終わったら関係がない」とか「過去なんて関係がない」とか言う人をまるまるしたくなるんだよ。(でこぱっちんしたくなる)。そういう感情がわく。それは、よくないことなのだけど、どうしても、そういう感情が沸き起こる。言われれば、そりゃ、腹が立つ。で、それは、やはり、ぼくと他人が有効な関係を作るためにはよくないことだ。障害になる。きちがい兄貴は、別にぼくと他人の仲を裂こうとして、無視して鳴らしているわけではないのだけど、無視して鳴らし続ける、そういうことになってしまう。

おやじだって、別に、兄貴をくるめてやろうと思って、「このはんだごてをもってけ」と言ったわけではないのだ。そして、おやじは、実は、激しく主張したことを覚えてない。やり終わったらその瞬間に忘れてしまう。関係がない人になってしまう。はんだごてを「おしつけた」ことになってない。おやじのなかでは、はんだごてを「おしつけた」ことになってない。それから、逆上して兄貴の言い分を無視したのだけど、兄貴の言い分を無視したということにもなってない。おやじのなかでは、兄貴の言い分を無視したということにはなってない。発狂して、はんだごてを押しつけて、「これは使えない」という兄貴の言い分を無視したということが、おやじはまったくわかってない。わかってないということは、そのように認識されてないということだから、おやじのなかでは、やってないのと同じことなのだ。まさくし、「やったってやってない」ということになってしまっているのだ。

これと同じように、兄貴も、ヘビメタ騒音を押しつけているつもりなんて、ないのだ。俺の言い分を無視したという気持ちもない。そういう認識自体がない。「やめてくれ」「静かにしてくれ」という俺の言い分を無視したつもりがないのだ。まったく生じない。けど、そうしている。頑固にそうしている。言われたとたんに、言われなかったことになってしまう。ごく普通にそうなる。だから、常につもりがないまま、鳴らすということになる。どれだけ、「鳴らすな」言われても、言われたということが、頭に残らない。おやじのように頭に残らない。だから、まったく「いわれなかった」と思っている。何万回言われても、その都度、そういう形で、記憶に残らない。相手がいやがること、……やめてくれと、強く主張していることを、やり切ったという気持ちがない。相手が言っていることを無視して、やり切ったという認識がまったくない。おやじと兄貴は、この頭の構造がまったく同じ。きちがい的な意地でやったことは、全部やってないことになっているのである。相手の主張を認めなかったのに、相手の主張を認めなかったということが、まったくわかってない。相手はなにも言ってこなかった……ということになっているのである。何万回、強く言われても、そういう状態のままだ。そのまま、なにも気にしないでやり続ける。言われた時だけ、発狂して、「おしのければ」、それで、本人のなかではすんでしまうのだ。「言われなかった」ということになってしまう。関心がない。まったく関係がない人になってしまう。

2020年6月7日日曜日

寝不足でがんばってハイになっているときの問題


基本、きちがいヘビメタ騒音を抱えていると「ふつうのつきあい」ができくなる。基本……。基本、基本……。これ、わからないだろうな。あまりにも長期間にわたってきちがいヘビメタが、よその家じゃありえないほどでかい音で鳴っていたので、時期ごとの「できなくなる理由」を説明しなければならなくなる。よその人が想像できないほどでかい音で鳴っいた。よその人が疑問に思うような態度できちがい兄貴がきちがいヘビメタを鳴らしていた。よその人には騒音問題にしか思えないだろうけど、騒音にさらされ続けると眠れくなるので、長時間の騒音問題はそのまま、睡眠の問題だ。そして、睡眠の問題は、日中の活動している時間にも影響を与える。「きもちがあがらない」というような問題もそのうちの一つだ。さらに、ほかの人にはまったくわからないと思うけど、寝不足なのに、がんばって活動していると、ハイになるときがある。「はい」になっているのだからよいのではないかと思うもしれないけど、これは、躁うつ病患者が躁状態になっているのと同じ危険性がある。へんなぐあいでハイになっているわけで、つかれて判断力がなくなっている状態なのである。これは、うつ状態でもうろうとして判断ができない状態と同じように悪い状態なのである。眠たい頭で、なんとか、元気に見せなければならないと思って行動していると、問題を引き起こすことがある。これも、「きちがいヘビメタ騒音」「きちがい兄貴によるきちがいヘビメタ騒音」というファクターをのぞくと俺が、勝手にそうなっているように見えてしまうのだ。要するに「きちがいヘビメタ騒音」のことを説明した後も「きちがいヘビメタ騒音」というファクターを考えない人たちにとっては、躁うつ病でハイになっているのか、ヘビメタ騒音の寝不足でハイになっているのかが区別できない。そもそも、ほかの人にとってはそんなことは関係がない。しかし、言ってみれば自然にそうなったのか、誰かの行為が原因でそうなったのかは、重要な問題だ。躁うつ病の場合は、なんらかのきっかけとなる原因があるにしろ、躁鬱気質の人が、自然にそうなっている場合が多い。ほんとうに、本人以外に理由があるケースと、本人にしか理由がないケースを同一の問題として語るのは、無礼なのである。どうして、そこを一緒にするか? まあ、今回はこれに関しては、ここまでにしておこう。ともかく、騒音でハイになっているときに、間違った判断をしてしまうことがあるということは、言っておきたい。騒音がなければ、そういう判断はしないのである。ヘビメタ騒音にずっとやられるというのは、……つまり、ヘビメタ騒音生活が続くという場合、プラス向きにがんばったとしてもそういう問題がしょうじる。で、うつ状態のほうが長いので、「よその人」はうつ状態だけを見て、無駄に励ましてしまうのだけど、それは、あんまりいい結果を及ぼさない。「だめだだめだ」「できないできない」と言っている人にたいして、普通の人は励ましのつもりで、根性論やポジティブ思考を説明するのだけど、それは、喧嘩を売っているようなものだということを理解しなければならない。まあ、理解できないとは思うけど。

2020年6月6日土曜日

「今日はだいじょうぶだ。さみしくない」と思っていたのに


「今日はだいじょうぶだ。さみしくない」と思っていたのに、急に、くるんだよな。ふとした瞬間、猛烈にさみしくなる。ヘビメタ騒音以降、俺がどれだけ辛抱して生きてきたか。俺がどれだけさみしい思いをして生きてきたか。もう、それだけでも、きちがい兄貴は責任を取ってまるまるするべきだ。

すべてにつかれた。

それにしても、俺は、元気がないなぁ。
あーー。ほんとうにつかれた。
すべてにつかれた。

2020年6月5日金曜日

同じことをする。同じ反応を返す。


ほんとうにヘビメタ騒音で、俺がほかの人から悪く言われるところに落ちていくんだよな。これ、必然なんだよな。きちがい兄貴の態度の必然。どれだけきちがい的な態度で夢中になって、普通の人が想像できないような音を鳴らしたか? ほかの人は、経験がないから、わからない。頭で聞いて、普通の騒音だと思ってしまう。普通の「あにき」だと思ってしまぅ。普通の親だと思ってしまう。そうなると、言わない俺が悪い、ということになる。どれだけ、夢中になって言ったか。そして、ほんとうに、続くとなると、普通の人が想像できない範囲に影響がおよぶ。騒音の影響がおよぶ。これも、ほんとうにそういう生活を経験しないとわからない。俺が、勝手に、妄想で、そうなると言っているように思われる。彼らにとってみれば(自分は経験してないので)そうなる必然性があるということがわからない。だから、必要がないことで、俺が言い訳をしているようにしか思わない。説教をしてくる奴というのは、そういうやつらだ。で、そういうやつらのほうが多い。親友にすら、言ってみれば「説教」をされたわけだけど、そんな関係が続くわけがないだろ。これ、生まれ変わって、人生を入れ替えて経験すればわかる。「そういうことだったんだ」ということがわかる。どれだけ俺が誠実な人でも、どれだけ俺に才能があっても、きちがい兄貴の態度で、ずっと騒音を鳴らされ続けたら、「言い訳をしている人」にならざるをえない。俺は、佐藤の反応についてかなり詳しく書いているけど、あれが、「普通の人」の反応だ。それは、俺が無職になったときに発動されるものではなくて、最初から構造として成り立っている。ようするに、小学六年生のときから、ああいう構造のもめごとがなりたっている。中学一年生になると、(小学六年生時より)もっとひどくなる。求められることが(小学六年生の時よりは!)職場に近くなるからだ。いろいろなトラブルがしょうじる。それは、働いてなくてもそうなんだよ。働く年齢に達してなくてもそうなんだよ。学校なんて職場の「うつしえ」みたいなものだからな。あるいは、練習場所みたいなものだからな。同じ構造が成り立っている。きちがい野郎……相手の表情をまったく読めない家族にやられると、そういうことになってしまう。これは、おやじと兄貴の関係でも成り立っている、おやじと俺の関係でも成り立っているし、兄貴と俺の関係でも成り立っている。きちがい兄貴ときちがいおやじの頭の構造が同じなんだよ。自分にとってやりたいことがあると、それを夢中になってやる。ほかの人に迷惑がかかることでもまったく気にしないでやる。その場合、相手がどれだけすごい形相で、「やめてくれやめてくれ」と言っても無視する。発狂して無視する。そして、無視してやり続けた言うことも無視する。そして、夢中になって、やり続けたことは「やってないこと」になってしまうのである。あるいは、「やってたってやってなくたってどうでもいいこと」になってしまうのである。また、相手が「やめてくれ」と何回も(ものすごい形相で言ってきた)ということが、記憶から消えてしまう。自分は、だれからも反対されずにやったということになってしまう。騒音ではなくて、ようするにもののことではなくて、もとのことについて、こういうことがあったということを言われれば、「おなじじょうたい」になって発狂して、はねのけて!!!しまう。発狂して!!!はねのけたら、「あったってないこと」なんだよ。自分がやったことについて文句を言われた時とおなじ構造が成り立っている。同じ頭の構造が成り立っている。同じ行動の構造が成り立っている。同じ認識の構造が成り立っている。こういうことが、よその人にはわからない。もめたなら、もめたということを覚えているはずだと、よその人は前提してしまう。けど、そうじゃない。実際はそうじゃない。そして、時系列なことを考えれば、何回も上書きされてしまうのである。何万回繰り返しても、何万回、実際にはもめていても、「そんなの知らない」ということになってしまう。きちがい兄貴の頭の中では、俺と兄貴がヘビメタ騒音についてもめたという記憶が、ない。何万回もめても、ない。そういう状態で、何万回目も現在進行形で、同じことをする。同じ反応を返す。だから、どれだけ繰り返しても、あっちには、「たまる」ということがない。いつもいつも、過去においてもめたということはない……という認識のもとで、きちがい兄貴が爆音できちがいヘビメタを鳴らすのである。で、その時、俺が「やめてくれ」と文句を言いに行っても、同じ反応が返ってくるだけなのである。自分がかかわっているという「気持ちが」ない。まったくない。「認識」としてない。こういう状態が、ほかの人にはわからない。だから、「言えばいいのに言わないから」だめなんだ。「ちゃんと言えばやめてくれるのに、ちゃんと言わないからダメなんだ」と(ほかの人が)思ってしまうのである。だから、佐藤なんて、ほんとうに典型。典型的な反応。「そんなのはおかしい」のである。「そんなのはおかしいから(そうじゃないんじゃないか)」と思ってしまうのである。

2020年6月3日水曜日

「認知療法の理論」だけを考えるなら、どちらにも適応できる


だるい。強烈にだるい。今日もむりか?

どうしてもつらいな。
だれもわかってくれないな。わかってくれても、しかたがないが。

機器介入や「それとこれとは話が違う」といったタイプの先験的な?価値判断があるのだけど、普通はそういうことは問題にならない。気違いヘビメタ騒音は騒音の問題だけど、パンチドランカーや水俣病のような「ある程度」精神とは関係がない「病気」あるいは「障害」なのだ。けど、他の人は、ここのところがわからない。

それから、実験するわけにはいかないという点がある。被験者が生涯に渡って苦しむようなことを実験的に確かめるということはできない。倫理規定に反する。なので、ヘビメタ騒音問題が実は「ある程度」精神とは関係がない「病気」あるいは「障害」なのだということは、確かめることができない。なので、ぼくが言っているだけということになる。しかし、長すぎるヘビメタ騒音生活は、脳の器質的な変化をともなう「病気」あるいは「障害」だ。

たとえば、水俣病でからだが動かなくなった人が「仕事をすることができない」ということで悩む場合と、じゅうぶんに体が動くサラリーマンが、同僚とテニスをやったあとになんとなく不安になって「このさきどうしよう」と悩む場合は、おなじ?「悩み」なのだけど、悩みの質が違う。水俣病でからだが動かなくなった人が悩むのにはそれなり根拠がある。

一方、「なんとなく不安」を感じているサラリーマンのほうは「特に理由がない」にも関わらず不安になっている。なので、この両者を同一に扱うことはできない。しかし、「認知療法の理論」だけを考えるなら、どちらにも適応できるのである。この場合、水俣病で悩んでいる人の悩みの原因を軽視している。「あったってない」ものだとみなしている。

認知療法家は、危機介入という考え方について、一般向けの本を書くときにあまり紹介してない。なので、一般の人は、危機介入という考え方を知らずに、認知療法家の考え方が「合理的である」と思ってしまうのである。また、特に不安になる必要がない?にもかかわらず、不安になっているクライアントは、認知療法家の合理的な説明を「どんな場合にも成り立つ真実だ」と思い込んでしまう。しかし、それは、まちがいだ。

どうしてもつらいな。


だるい。強烈にだるい。今日もむりか?

どうしてもつらいな。
だれもわかってくれないな。わかってくれても、しかたがないが。

2020年6月2日火曜日

兄貴やおやじの態度というのは、「よその人」が誤解するようにできている


ヘビメタで苦しい。ヘビメタで、……苦しい。ヘビメタ……で、苦しい。苦しい。

これ、ほかの人にはまったくわからないことなんだな。ヘビメタがどれだけでかい障害か、わからない。ハンディかわからない。そりゃ、ほとんどすべてのことが暗黒色になっちゃうだろ。必然的にそうなるんだよ。必然的にそうならないような感じがするのは、「聞いただけ」だからな。俺の話を聞いただけだから、ヘビメタ騒音の深刻さがわからない。どういうところに影響がおよぶのかわからない。ただ、「ものすごい音で鳴ってたんだな」というのがわかるだけだ。人によっては、「でれだけ、すごい音で鳴ってたと言ったってそんなにすごい音で鳴っているわけがない」「ものすごい音で鳴っていたとしても、過去のことなんて関係がない」と思うわけだよ。こういうやつと……うまくいくはずがない。まるまるすればいいと思う。どれだけ大きな範囲で影響を受けるかわかってない。一日がめちゃくちゃになってしまうんだぞ。寝不足で体調が悪くなるからすべてのことに影響がおよぶ。すべてに影響がおよぶというのは、イ・ラショナルな考え方ではない。本当に「すべて」だ。そりゃ、影響を受けるだろ。

だいたい、ほかの人は……よその人は、きちがいおやじの性格もわからない。きちがい兄貴の性格もわからない。だから、誤解する。きちがい兄貴よ……きちがい兄貴の態度は本当に、おやじの態度そのものだ。ヘビメタを鳴らしているときの兄貴の態度は、はんだごてを買ってやらないときのおやじの態度と同じだ。どれだけ意地を張って、発狂して、やききる!と思うんだよ。押し通すと思うんだよ。けど、自分がやりたいようにやったという気持ちがないんだよな。だから、知らんぷりで、まったく関係がない人になってしまう。発狂して、主張したことを、すぐに忘れてしまう。これが、ほかの人にはわからないんだよな。

兄貴やおやじの態度というのは、「よその人」が誤解するようにできている。かならず、誤解させるようにできている。だから、やられたやつが苦しむことになる。やったやつは、まったく、わかってない。やったということすらわかってない。やったということすらわかってない……なんて言ったって比喩だと思うだろ。本当に文字通り、わかってないんだよ。どれだけしつこくやったってやってないことなんだよ。きちがいのなかではそうなっているの。で、これは、ごく普通に、そうなってしまうわけで、どれだけ言ったって、そうならない状態にならない。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。