2019年9月29日日曜日

ヘビメタ騒音のときとおなじ状態になってしまう。


どうするか考えている。
このあいだの、幼稚園の練習がどうもこたえているみたいなのである。こたえた。動けないときに、おなじメロディーの騒音を聞かされるのは、俺としてはもう、いっぱいいっぱいなので、こたえた。おなじ状態になってしまうんだよな。
ヘビメタ騒音のときとおなじ状態になってしまう。

図書館で感じたことといい、俺はもうダメかな。ほんとうにくるしい。いま、ヘビメタ騒音は鳴ってないのだけど、ほんとうに、鳴っていた時とおなじようにからだがくるしい。

俺は訴えかける夢を見た。気違い兄貴がまるで関係ない人として、へらへらわらっていた。なんて言うのかな? あの態度。頭がおかしいから、自分との関係がまるでわからないんだよな。親父とおなじなんだよな。相手が真剣に言っていることがまるでわからない。自分のほうの、『やりたい気持ち』のほうが勝っている。勝っているというか、『やりたい気持ち』が無意識的にあると、すべてのことを遮断してしまうのである。意識のほうは、すべてのことを遮断してしまう。無意識的に、相手が自分にとって不都合なことをいっているということは、わかるから、それに反応して怒り狂うばあいがあるのだけど、それ以外は、日本語がまったくわからないといった感じで、わからない。相手が言っているとがまったくまったくわからない。意識的なレベルでは相手が言っていることを理解してないのである。無意識的なレベルでは、『なにか不都合なことを言われた』という理解がある。けっきょく、相手が必死になってうったえている『意味』が根本的にわからない。どれだけ言われたってまったく言われなかったのとおなじなのである。こういう態度……。ほんとうは気違い兄貴が張本人なのに、当の気違い兄貴はまるで関係がない人としてずっと暮らしている……。こういう気違い状態がうちでは『普通に』成り立ってしまう。これは、親父の場合でもそうなんだよ。自分が押しつけたことで、相手が学校で恥をかいてこまっているというのが、どれだけ日本語で説明されてもわからない。「なんだ!!そんなの」と怒り狂うだけなのである。怒り狂うのであれば『意味』は通じているはずなんだけど、それが、『なんとなく、よくはわからないけど自分にとって不都合なことを言われた』というようなレベルの伝わり方なんだよ。相手がこまっている』ということが、本気でわからない。何万回いわれてもわからない。親父もそうなんだけど、兄貴もそうだ。これ、ほんとうに頭の構造でそうなっているとしか思えない。で、気違い兄貴は関係がないひとして鳴らし切るからこまる。気違い兄貴が鳴らしている騒音でこっちがこまっているのに、気違い兄貴にどれだけ日本語で言っても、まるで、話が通じないのだ。『なにか不愉快なことを言われた』ということで怒るけど、それ以外は通じないので、こっちがこまることをしているという意識がしょうじない。兄貴がやっていることで、弟がこまっているということがまったくわからない。一万回、二〇万回いわれても、その都度、怒るだけで、まるでわからないんだよ。だから、親父とおなじようにまったく関係がない人として、鳴らし切る。鳴らし切っているのだから、わかるはずなのにわからない。鳴らしているとき、弟が『こまるからやめてくれ』『勉強するからやめてくれ』『うるさいからしずかにしてくれ』と何十回も絶叫しているのに、……真剣に言っているのに……まるで、わからないままなんだよ。自分が鳴らしてないのとおなじ気持ちでいる。そのくらいに、自分とは関係がない話しをされているような状態のままなんだよ。自分がやっていることで、相手がこまっているということを、一万分の一も認めない。で、やりきる。けど、やったつもりがない。

やられてない人は、『騒音なんてだれだってある』とか『過去のことなら関係がない(影響を与えるはずがない)』ということを言うわけだけど、ほんとうに、「そんなんじゃない」のである。ぼくは、ヘビメタ騒音にやられてもう、いっぱいいっぱいだから、幼稚園の運動会の騒音にも破滅破綻を感じるけど、もともとはそうじゃない。気違い兄貴のヘビメタ騒音にやられる前はそうじゃないのである。もう、一生分の騒音を気違いヘビメタで経験してしまったので、ほんのちょっとの騒音でも、入りきらない。ラクダのワラとおなじで、一本のワラで、あしが曲がってしまう。(ラクダにいっぱいワラをのせたので、限界なんだけど、ラクダはなんとか立っていた。けど、最後の一本をのせたら、倒れてしまったということの比喩)。
酒が強いひとが、酒を飲み続けて、限界値をむかえたので、それ以降は、アルコールを分解することができなくなってしまったというのとも似ている。アルコールを分解できなければ、アルコールは基本的に毒なので、毒として機能する。だから、いろいろな症状がでる。人間が一生で処理できるアルコールの量というのはだいたい決まっている。個人差はある。けど、だいたい決まっている。ずっと何十年も、アルコールを飲んで、処理機能の余力を使い切ってまったので、(むかしはいっぱい飲めたのに)いまはちょっとでも飲むと、体が強烈にだるくなってしまうというようなことが発生する。むかしは、飲めた人なんだよ。けど、肝臓を使いすぎて、肝臓がだめになってしまう。それと同じような感じで、もう、俺は『騒音』というものに対して耐性がない。むかしはちがうんだよ。ヘビメタ騒音で……ヘビメタ騒音一五年間……で、使い切るまでは、体制が残っていた。けど、もうない。

2019年9月28日土曜日

ストレッサーに対抗して、がんばっている状態は長くは続かない(終わりがくる)(終わりがきたら動けない)


だれにも理解されないかもしれないけど、言うだけは、言っておこうかな。

もしかりに、ヘビメタ騒音を俺とおなじように、おなじ時間の長さ聞かされた人じゃないと、俺の「いまの」状況がわからないというのであれば、どれだけ、説明してもむだなのだよな。むだ。だって、わからない人に説明しているわけだから。

けど、やられた人間……特に、家族にやられた人間……特に、ものすごい時間の長さやられた人間として言っておくけど、つらい。他の人が考えるようなつらさじゃないのである。

まあ、他の人は、絶対にわからないのかもしれないけど、ひょっとしたらわかる人間もいるかもしれないから、書いておくか。だいたい、ここまできて……要するにイスに座って机に向かえる時点で、それができる「ほど」には、体調がよいのである。

けど、これは、一日中……机に向かって文章が書けるほど……体調がよいということを意味してない。まあ、普通の人だって眠っているときは、机に向かって文章を書くことができないだろう。姿勢を維持することだって、タイピングをすることだってできない。

けど、普通は「寝ている時間」というのはそういう時間だとして「できない」ということは、無視されているのである。「できない」にもかかわらず。ぼくが、ヘビメタ騒音でなくしたものは、「体調」であり「体力」なのである。
これを、「気分」と言ってしまうと、いきなり、鬱状態、あるいは鬱病の問題になってしまうのだ。「気分」なのか「体調」なのか? 実際には、「体調」が強烈に悪いのに、動かなければならないとき「気分」がいいはずがないのである。

これは、「理由もないのに」なんとなく憂鬱になるというしくみとはちがう。内因性の「なんとなく鬱」とはちがうのだ。

けど、「気分」というと、「気分」の問題になってしまうところがある。実際、「気分は最悪」で「動くなら死んだほうがいい」「動かされるなら、自殺したほうがいい」という気分になって、うなだれているわけだから、「気分は悪い」わけで、あたかも「気分」の問題であるかのように見えるのである。

けど、これは、気分の問題ではなくて「体調」の問題なのだ。けど、「体調」と「気分」をほんとうに「きりはなす」ことができるのかというと、できないかもしれないと答えるしかない。ものすごく眠たい状態でなにかをやるのは、きつい。

「やらなければならない」「行かなければならない」という圧力があれば、多少の期間、多少のむりは効く。けど、気違いヘビメタの持続期間が長すぎたので、むりが効かなくなった。

圧力と書いたけど、これは、「行かなければならないと思っているのであれば、「気分に直結した」ストレッサーだ。この場合、「ほんとうに行かなければならないのかどうか」というのは、別の問題だ。

これだって、認知療法的な言い方で、言い換えることができるのだから。そして、「休みをとれば」「十分に休めば」復活するというと暗黙の了解理論が成り立っているのにもかかわらず、それを無視して話をすすめることができる。休んでも復活しない場合は、ないことになっている……。

けど、休んでも復活しない場合についても実は考えなければならない。それが、たぶんだけど、七年以上の長期にわたる騒音の結果だ。

頭の九割が眠っているとき(あるいは、眠ろうとしているとき)頭の一割が、「行かなければならない」「動かなければならない」と命令を出しているときは、つらい。これを、「体調」と言ってしまうと、語弊があるのだけど、いまのところ「体調」と言うしかない。

頭の一割が「勝って」、体を動かすことができるときがある。けど、それは、限られている。ストレッサーに対抗して、がんばっている状態なのだけど、実は、注意不足で失敗をしたり、力が入らないといった経験をすることになる。あるいは、普段なら簡単に解ける問題が解けないといった経験をすることになる。

脳の一割ががんばって、残りの九割の事情を考えずに、あるいは、無視して「やっている」状態だ。残りの九割はほんとうは眠たくて眠たくてたまらないのに、無理をして、「動いている」のだ。

強烈なストレッサーに対抗して、動いているわけだけど、持続時間、持続期間を問題にしなければならない。こういう状態が改善されずに、ずっと繰り返されるなら、最後には、頭の一割がどれだけ命令しても、体が動かないということになる。

ぼくの、からだの状態というのはそういう状態なのである。だいたい七年間、毎日、こういうストレスにさらされて、ストレスに対抗した力を出して「動いている」と、だいたい七年後には、動けなくなる。けど、ヘビメタ騒音が「うちで鳴る」音なので、ヨソの人にはわからない。

ヨソの人は、俺が七年間毎日気違いヘビメタにさらされたにもかかわらず、七年間毎日(月曜日から土曜日まで)登校してきたということがわからない。

だれだって、一日ぐらいは、九割の脳みそが、動くことを拒否しているにもかかわらず、一割の脳みそが「動くこと」を強く言い張って、「動いた」ということを経験していると思う。一日や二日は、ね。

だから、そういう経験をもとに、俺に対して「あまえている」だとか「動こうと思えば動ける」というようなことを言う。S氏だってYu氏だって、七年間毎日、気違い的にデカイ騒音にさらされながら、どこかに通ったという経験があるわけじゃないのに、一日の経験から導き出した理論で、「通える」「動ける」「働けないなんていうのはあまえだ」と言ってくるわけだ。実際、そう思っているのだろう。こいつらにとっては、ヘビメタ騒音などは「俺から聞いてはじめてしまったこと」であり、まったくもって実感のあるものではないのだ。



2019年9月27日金曜日

図書館で時間をつぶしているとき、ほんとうにむなしかった




腹が痛い。昨日飲んだ缶コーヒーのせいだと思う。あんな小さな缶コーヒーでも腹が痛くなるようになったか。まあ、これ、何度目のセリフだということになるけど。

長袖のシャツを注文した。これは、長袖のTシャツなんだけど、今年は、バルサンとかいろいろとあって、どこに長袖のTシャツがあるのかわからなくなっている。もう、買うことにした。で、気に入っていたTシャツ二枚が、だめになっている。夏の夜干しで、だめになっている。うちの庭はジャングルみたいになっている?ので、虫が多い。蚊とか蛾とか多い。
たぶん、だいじょうぶなんだけど、すてておいた。なので、頼りになるやつがいなくなったメンバーでまわしているわけで、新入りを入れないとだめだ。昨日というか、今日、下の部屋で(ネズミの)ゴミをまとめる作業をしていたとき、かゆくなったと書いたけど、あのときに着ていたTシャツが、強烈に着心地がいいやつなんだよ。で、それが、メンバーから外されたので、きつい。いま、袋に入ってる。ほんとうは、袋ごと冷凍室に入れるつもりだったんだけど、下に行くのがいやだったから、袋に入れたまま、二階の部屋に置いてある。
いま、熱湯処理をしてしまおうか?

腰は寝ているうちになおった。
しかし、腹が痛い。腹が痛いだけで、心細くなる。図書館で時間をつぶしているとき、ほんとうにむなしかった。本に対する興味がなくなっている。図書館の近くの喫茶店(レストラン)でご飯を食べたときも、言いようがないむなしさに襲われた。ほんとうに、ワタ君と図書館に行ってたときから三三年もたっているんだな。当時の記憶がよみがえってきたけど、むなしさでいっぱいだった。三三年後の俺が、こんな状態だよ。

2019年9月26日木曜日

俺が親父の尻ぬぐいをするのはいやなんだよ!!!!!!!いやなんだよ!!!!


ネズミがついているシートを無毒化した。ようするに、3層構造の袋につめた。けど、これがたいへんで、なんて言うのかな? ネズミがついているシートと、別のシートがくっついていて、さらに別のシートがくっついていて、シートにおのおの袋がくっついている。で、あれはいつも問題なんだけど、袋の中にスリッパがはいっている。このスリッパが、ダニまみれになっている。で、スリッパは可燃ゴミに入れるわけには行かないので、出そうとした。ところが、いろいろなものが複雑にくっついていてうまくとれない。で、袋に入っていたせいか、ダニがまだ生きていて、腕を二箇所刺された。これ、親父の便所スリッパなんだけど、これが、わるさをしやがる。これ、いちど不燃ゴミで出して、返されたやつなんだよ。で、スリッパに関しては不燃ゴミでいいわけ。ほかのも、返されてしまったけど、ネズフンでよごれているわけだから、不燃ゴミでもいいはずだ。ともかく、いま、腕のところがもうれつにかゆい。これ、いやなんだよ。これは、ネズミ経由のダニだから、このダニに、ウィルスや細菌がついていたら、その病気になるおそれがある。いま、薬を塗ったけど……。
まだ、頑丈な袋に、袋複数とネズミシート複数とネズミがついているネズミシート一枚を入れたところだ。これに、「ねずみ」と書いた紙を貼って、可燃ゴミの袋に入れなければならない。
ともかく、バルサンをたいても、袋のなかにはとどかないところがあるので、それで、袋をあけて、なかのスリッパをとらなければならないというような作業が発生すると、ダニに刺される可能性がある。
バルサンをたいても、ああなってたらだめなのか?
ネズミシートにスリッパがはいっている袋がくっついていてだめだ。なかなかはがれなかった。だから、中身を出したわけだけど、その作業中にダニに複数箇所刺された。俺は、絶叫した。夜中だけど。もう、ほんとう、こういうのいやだ。いやなんだよ。俺が親父の尻ぬぐいをするのはいやなんだよ!!!!!!!いやなんだよ!!!!+++++++++++++


長いゴム手袋着用。(これだって、一組三八〇円もするんだぞ)
マスク、ゴーグル、長袖。
事前にバルサン。
さらに、事前に、殺虫剤。
これだけやって、刺されるんだからな。あそこは、ほんとうに、いろいろとネズミシートにくっついてしまって、こまった状態になっていた。ネズミシートは三枚だ。で、袋が複数。うち、一枚の袋は90リットルの袋だ。そのなかに、まえ、親父の部屋のネズミ関係品をつめて、不燃ゴミの日に出したのに、もっていかなかったので、持って帰ってきた。あれなぁ。それも、あの袋は親父の部屋に入るとダニに刺されることを知っていたけど、ずーっと、親父のベッドの上におきっぱなしだとまずいかと思って、親父の部屋に入ってゴミの日に出したのに、返された。ちなみに、予想通りに、ダニに刺された。我慢してやったことなのに、意味がなかった。で、解体したときにまた刺された。この時のダニ刺されが一番かゆいダニ刺されで、何回も水ぶくれになった。いまも、後はのこっている。

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2019年9月25日水曜日

どうしても、ネズミを処理する元気が出ない。


どうしても、ネズミを処理する元気が出ない。
あーー。出しっ放しにしておくと、バルサンをやったあとだと言っても、くさるだろうなぁ。
まだまだ、暑いからなぁ。
向かい合いたくないなぁ。向かい合いたくない。どうしても、向かい合いたくない。
それに、なんだか腹がへってきた。どうしようかな? それにしても、長期騒音でめちゃくちゃなんだよな。俺のこころは兄の騒音でやられていたときとおなじだ。まるまるたい。まるまるたい。これ、ほんとうにこういうことになってしまったなぁ。

元気なんて出ないよ。

俺もう、限界なんだよな。睡眠もとぎれとぎれだし。まるまるのうかな。まあ、どこかで気分がよくなるかもしれないので、まるまるきておこう。

これ、●●君や●●君とつきあってたときとおなじなんだよな。要するに、かりに友達といっしょにいても、だべっても気分が晴れない。もともとは、ヘビメタ騒音が原因だから。ヘビメタ騒音で不安を感じる。
ヘビメタ騒音で憂鬱になる。このこころぼそい感じがわかるかな? ヘビメタ騒音の感じなんだよ。
いま、午後一〇時四〇分、気違いヘビメタが鳴っていた時間だ。どれだけ、午後一〇時四〇分に、『明日試験だからやめろ』と言っても、絶対の意地で鳴らし続けたんだよな。この三〇分がどれだけ長いか? 破滅破綻。殺さないとしずかにさせることができない気違い兄貴ってなんだよ。しかも、それだけこだわってこだわって「やった!!」のに、「やった!!」つもりがないんだよな。これが親父とおなじなんだよな。こういうことがありえるということが、他の人にはわからない。こういうしくみが他の人にはわからない。

これで、最後の晩餐じゃないけど、俺にとってわりと豪華な?お金のかかるご飯をファミレスで食べても、おなじなんだよね。気違いヘビメタ騒音にやられてくるしんでいた午後一〇時四〇分とおなじだ。ヘビメタ騒音の不安というのが他の人にはわからない。そして、ぼくはその不安の上を歩いている。今日、図書館に行って、確認した。ほんとうに時間が流れた。ほんとうにまるまるまる。
だいたい、なんて言うのかな? すべてがたたるんだよね。気違い親父だけでもたいへんなのに……気違い兄貴のヘビメタが付け加わってぼくの人生はほんとうにたいへんだよ。他の人にとっては、『過去なんて関係がない』と言えるようなものなのかもしれないけどそうじゃない。だいたい、これ、一五年間毎日やられたあと、精神科に行って、薬をもらって飲んだってだめなんだよ。もう、破壊されてしまっているわけだから。一日に目に鳴りやむことが必要。それ以外の処方箋はない。気違いが意地を通すと、まともな人が精神科に行かなければならない状態になってしまう。これもおかしい。気違いだから、まったく気にしないで、鳴らしまくるよ。そして、しつこくしつこく鳴らしたのに『そんなんじゃない』『たいして鳴らしてない』と真顔で言うんだよね。それは、鳴らしてたときとおなじなんだよ。頭がおかしいから、嘘をつくつもりがないのに、嘘をつく。「つもりがない」。いつも、「つもりがない」。からだは一〇〇%自分がやりたいことを実行している。自分がやりたいことと言うのは、自分が満足できる音のデカさで、すべての可能な時間ヘビメタを鳴らすということだから、自動的にそうする。だから、自動的につねにそうしているのに、親父とおなじで「そのつもりがない」のである。これ、ほんとうに、決定的にないんだからな。他人に言えば『そんな人相手にしなければいい』などと言うけど、相手にしないようにしてもヘビメタ騒音の影響は受ける。かりに、午後一一時一〇分に鳴り終わったとしても、眠れなくなって、午前四時ぐらいまでは起きている状態になる。で、それがまた、くるしいんだよ。眠りたいのに眠れないという状態……。これが地獄だ。気違いヘビメタを鳴らされたので……その日長時間鳴らされたので……からだがさめない。眠れる状態にならない。こういうのだって、事情を知らない人は、『どうしてちゃんと眠らないんだ』『不摂生だ』『健康管理ができないのは自己責任だ』と言いやがる。俺がヘビメタ騒音でできないと言っても、認めないやつがいる。そのひとにとっては、ヘビメタ騒音はそういう音ではないのである。自分が鳴らされてこまっているわけではないから、どこまでも、冷淡だ。頭が悪いから、想像がつかない。あるいは、自分が経験した中程度の騒音と気違い兄貴の騒音を同一視して、『自分だって鳴らされたけど、ちゃんと眠れた』『意志で眠れる』というようなことを言いやがる。気違い兄貴が、がんばってキチガイ的な意地で鳴らすと、俺がヨソの人とそういうことでもめることになってしまうのである。無職(当時)だって、遅刻だって、引きこもりだって、おなじことなのである。そんなの、気違い兄貴が知るわけがない。それは、言われないから知らないのではなくて、気違い親父とおなじで自分にとって不都合なことを言われたら、即座に否定して、怒り狂うから、わかってないだけの話なのである。気違い兄貴はまったくわかってないけど、気違い兄貴の態度は、親父の態度とまったくおなじだ。こういうことだって、信じないやつは信じない。信じないと、俺が『でたらめを言っている』と判断するわけだ。半信半疑なわけ。だから、半信半疑なところで『それでも、ちゃんと働かないとだめだろ』というようないちおうは共同幻想に合致したことを言う。それは、俺にとって、とてもとても、屈辱的なことなんだぞ。俺は怒るけど、怒って当然のことなのだぞ。けど、そいつは『それでも、ちゃんと働かないとだめだろ』と言っただけなのにどうして怒るんだ?とたたみかけてくる。これ! これが俺がこの世で遭遇した現実! 気違い家族にやられると、まわりのやつから悪く思われて、説教される。頭にくる。『どうして怒るんだ』と思ったやつは、『エイリさんは発達障害だからそうやって怒るんだ』と、これまた、まちがった推論をしてしまうのである。俺の立場に立ってみろ。こんな不愉快な交流……。こんな不愉快な交流をするために、わざわざ人にあいにくなんてばからしいだろ。佐藤!おまえのことだよ。なめやがって。ミニ佐藤みたいなやつがいっぱいいるんだぞ。常識的な人で、日本労働教徒なら、そういう反応をする。常識的な人だから、『気違い家』の事実がわからない。現実がわからない。話しても認めない。話半分で聞く。俺が嘘をついていると思いやがる。そして、「だとしても」と続けやがる。仮定の話!! 仮定の話!! ふざけるな。事実そうだったと言っているだろ。俺は、ヘビメタ騒音の音のデカさについて嘘を言ってないんだよ。俺は、気違い兄貴の態度について嘘を言ってないんだよ。これがどうして、わからない。

くそ、ヘビメタさえなければ。なければ!!!


2019年09月25日14時18分56秒
とりあえず、帰ってきた。まだ、下の部屋にははいってない。ネズミがシートの上で死んでいるんだよ。昨日の午後九時ぐらいに物音で、シートにかかったと思ったんだけど、確認するのがいやだから、確認しないで寿司屋に行った。
で、今朝、バルサンをたく前に、見たら、シートにかかっていた。息があるのかどうかはわからない。ほんとうに、処理したくない。バルサンをたいて出たので、シートの上のネズミは……。まだ、下の部屋に行ってないので、処理してない。明日、可燃ゴミの日でよかった。可燃ゴミなんだよね。

いままで、図書館に行ってたんだけど、●にたい気分になった。ほんとうに、むだな一生。騒音で人生がない。どうして、しずかにしてくれなかった? と思う。この現実は、まるで夢のようだ。いやな夢。悪夢。

こんなのはない……。そう思って帰ってきた。この部屋は、ちょっとはにおっているかと思ったけど、ぜんぜんにおってない。まあ、窓を開けたからな。窓を開けてそとに出たから。

俺は本当にどうなるんだろ?

どのイスに座っていても、しんどい

そとに出ているとき、強烈な眠気や疲労感に襲われないように寝ておきたいのだけど、眠れるわけではない。横になることはできるけどさ。


図書館の思い出はある。『ワタ君どうしているかな』とかよく思う。けど、その思い出もそうなのだけど、長期騒音でくるしい。ぶらぶらな状態でくるしい。身体的にくるしい。なんて言うのかな? 長期騒音の影響が「りくつづき」なんだよ。だから、必然的に小学六年生以降、どこにいてもくるしい。特に、思い出の場所はくるしい。じゃあ、思い出の場所ではない場所に行けば、すっきりして楽な気分になれるかというと、そうではないのだ。やはり、どこを歩いていても、しんどいというのがある。どのイスに座っていても、しんどいというのがある。まだ行ったことがないレストランのイスに座っていてもくるしいのである(と予想できる)。どうして、まだ行ったことがないレストランのイスに座っていていくるしいというとが予想できるかというと、そういう経験が何十回もあるからだ。そのときはまだ、行ったことがないレストランに行ってもくるしい。レストランだけではなく、どこの施設に行ってもくるしい。行ったとなると、行ったことがある場所になるので、行ったことがない場所ではないということになる。だから、『予想できる』などと書いたのだ。

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ともかく、俺はヘビメタ騒音なしで生きたかった。それだけだ……。もしかりに、ヘビメタ騒音なしで勉強して、それで、志望高校や志望大学におちたなら、それはそれで納得がいくことなんだよ。ここらへんも、まったくわかってないんだよな。気違いヘビメタを何年も何年も毎日毎日やられたことがない人が俺の言っていることを考えると、ここらへんで、誤解するんだよな。


2019年9月24日火曜日

俺の立場に立ってみろ

俺の立場に立ってないやつは、俺にいろいろなことを言うのだけど、全部的外れだ。俺の立場に立ってみろ。俺の経験したことをそのまま経験してみろ。おまえ、それでも、そういうことが言えるのか? じょうだんじゃない。

うちだけで狂っているやつにやられた人は、ヨソの人から誤解される


いつのまにか午前二時か?
コーラを飲みたいけど、飲みすぎか?
炭酸飲料の飲み過ぎかもしれない。
しかし、もう、限界、きてる。
限界、更新でやってきたけど、やっぱり、きつい。
ここに書くと人気が下がるけど、ほんとうにヘビメタ騒音でつらい。ヘビメタ騒音が鳴っている雰囲気しかしない。くるしい。

あとは、ヘビメタ騒音のことでいろいろと誤解されて、交友関係が制限されてしまったことがデカイ。もちろん、俺の側には、ちゃんとした理由がある。けど、ヘビメタ騒音のひどさがわからなければ……俺に与えている影響のデカさがわからなければ、必然的にそうなる。そりゃ、そうだろ。

俺が辛いと言っているのに、そんなの関係がないといっているやつと、つきあえるか? そいつはヘビメタ騒音を浴びて二〇〇〇日以上暮らしているということはないので、けっきょくは、わからない。話しで聞いたって、いまその、話しているあいだもくるしいんだということがわからない。そりゃ、鳴っていない時間もくるしいというのは、他の人にはわからないだろう。けど、鳴っている時間だけではなくて、鳴っていない時間もくるしい。具体的には、普通の人が眠る時間として設定されている、午後一一時あたりから、午前七時あたりまで、めくちゃくちゃにくるしい。これは、眠れないくるしさだ。そして、普通の人が学校や職場で活動している時間帯として設定されている午前七時から午後五時あたりまで苦しい。数千日前からヘビメタが鳴っていて、寝不足で、昨日の夜も午後一一時まで鳴っていたから苦しい。眠れない時間が長かったので苦しい……そりゃ、眠らずに動いていたら、苦しいに決まっているだろ。あるいは、少ししか眠らないで動いていたら苦しいに決まっているだろ。だから、鳴っていない時間も苦しい。しかし、鳴っていない時間もくるしいということが他の人にはまったくわからない。俺は、我慢してたって、我慢して話しているんだぞ。我慢して、話を聞いているんだぞ。反応をかえしているんだぞ。苦しいに決まっているだろ。これも、好きで夜更かししたわけではないのである。これ、ゲームをやって夜更かしした経験とおなじレベルのことだと思うな! 自分の意志でゲームをやって、寝不足になったはなしと一緒にするな。ぜんぜんちがう。
ほんとうに、佐藤氏やYu氏にしたって、あのデカさでヘビメタを聞かされ続ければ、働けないからだになるのに、あの言い方だ。鈍だ不明ような場面を、俺に押しつければ気が済むんだよ 兄貴! おまえがやったことは親父がやったこととおなじだ。他の人がわからないやり方で、意地を張ってやるけど、本人はやったつもりがないという気違い的な方法でやりきる。関係がないつもりの人でいる。そんなの、信じない。そんなの本当の話なら、その人(兄貴や親父)は精神病院に入っている。入院している。けど、入院していないのだから、そうではないのだろうと……普通の人は考えてしまう。うち面の、悪さと、そと面のよさ。ほんとうに、意識がつながってないから、自分が意地になってそうしているということが、わからない。そういう精神病だ。これが、ほんとうに……「うち」だけで、出るんだよ。うちだけなんだよ。ほんとうにこまる。うちだけで狂っているやつにやられた人は、ヨソの人から誤解される。誤解されるのがスタンダードだ。普通の状態だ。ヨソの人はやっぱり、『家族で話し合えばいい』『お兄さんに相談すればいい』と言って、俺に否定されると、気分が悪くなるんだよ。俺だって否定したくないけど、そういうやり方でずっとがんばってきて、いいことがないんだよ。解決しないんだよ。気違い兄貴のヘビメタ騒音だって鳴り始めたのが、俺が小学六年生のときだ。裁判や騒音の測量をするということになったら、かならず、親父が出てくる。お母さんは引っ込んでいるからな。で、親父に話しても、親父が気違いだから勝手に爆発しておしまいなのである。兄貴だけではなくて、親父が気違いだと言うことがわかってないから、俺が『お兄さんに言わないのが悪い』と思ってしまう。(俺が兄貴に)どんだけ言ったと思っているんだよ。『どんだけ言ったと思っているんだよ』と言われたら、『言えばいい』と言った人は、やはりいやな思いをするんだよ。

2019年9月22日日曜日

この世という地獄。

犬、ピアノ、ドアバン、で起きた。

犬もなんか狂ったように吠え続けるときがあるんだよな。

むかしの犬はそんなことはなかったのに(むかしのとなりのいえのいぬ)。

ああーーああああーー。つまんない。



しかたがないから、とりあえず、ご飯を炊く。

小便をする。ピルクルという飲み物を飲む。



ドアバンで胸が痛い。



にしても、すべてがつまらないなぁ。

夜にくらべて、おそろしい暑さ。



この世という地獄。

ほんとう、この世が地獄なんだよ。

ヘビメタで苦しい。

ヘビメタがない世界に行きたい。

ヘビメタにやられなかった過去が欲しい。

ヘビメタにやられなかった場合の現在が欲しい。



2019年9月21日土曜日

『なんとか立ち直らせてやろう』と思う人間は、その時点でダメなんだよ


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2019年09月21日18時37分19秒
起きた。一時間ぐらい前に起きた。
一時間でやったことは、水分補給とほんのちょっとだけご飯を食べることだ。これ、ほんとうに少なすぎる。唐揚げが食いたくない。しかし、いつまでも釜のなかに入れて置くわけには行かないから、なるべく早く食べたほうがいい。基本、三日前のご飯もはいっているわけだし。もっとか? 釜が高性能で、四日ぐらいご飯をいれたまま保温しても、ご飯がかわかない。(ほとんどかわかないと言ったほうが正確か)

ここで書くわけにいかないのだけど、気違いヘビメタ騒音がなかった場合の人生について考えてしまう。ヘビメタ騒音と『他人』との関係は言いがたいものがある。『他人の認知』と言ったほうが正確か。『ヘビメタ騒音に関する他人の認知』と『実際のヘビメタ騒音』がちがいすぎるのである。ほかの人たちはわかってない。本当にわかってない。ある程度わかってくれる人たちが三割ぐらいで、五割は完全な『敵』になる。二割は、中立派と言ったところか。
いずれにせよ、俺が言っているとおりに……あるいは、記述しているとおりの音でヘビメタが鳴っていたのかどうかということに、疑問を持つものがいるのである。そいつは、疑問を持ったまま「それでも」「だとしても」と言葉を続ける。こういうやつが、一番、腹立たしい。こういうやつの不愉快な感じといったらない。もちろん、俺にとってこういうやつが不愉快だということだ。俺は、こういうやつに対面すると不愉快な気持ちになるのである。Aさんのところにも書いたけど、こういうやつと、俺のあいだには深い溝がある。ふっかいふっかい、溝があるのだ。この溝は、正確に言えば、認知のちがいなのだけど、腹立たしい。ぜんぜん、ちがうんだよな。実際の鳴っている場面と、そういう普通の人たちが考える『(エイリさんの言っている)ヘビメタ騒音』がちがいすぎる。ぜんぜん、ちがう。ほんとうに、一日でいいからあの状態を経験させてやりたい。どれだけ、こまるか。どれだけ頭が混乱するか。どれだけ『スケジュール』がこわれるか。やらなければならないことが、できなくなるか。経験させてやりたい。そういう日が一〇〇〇日、二〇〇〇日、三〇〇〇日、四〇〇〇日、五〇〇〇日つもった場合の俺の日常の感覚がどういうものになるか、経験させたい。経験すればわかるのだから。しかし、経験してないからわからない。そして、「あてずっぽうの」解釈で好きなことを言いやがる。頭にくる。これが頭にこないはずがないだろ。
まあ、こういうふうに言うと、『そういう他人の反応なんか気にしなければいい」とか『自分に対する人の評価なんて気にしなければいい』というようなことを言う人がいるけど、ちがうと思う。Aさんのことについて長々と書いたけど、Aさんの問題はぼくの問題でもある。(あった)。日本人はほとんどが『日本労働教徒』なのだから、基本的に『働けるように見えるのに働かないやつ』のことはほうっておくことができないのである。どうしたって、説教したくなる。Aさんのところに書いたけど、これは、『普通の人』が『敵になる』状態なのである。無視はできない。案外、プロパーな問題なのである。
気違いヘビメタ数千日によって引き起こされた『働けない状態』と『エイリさんは働けるのに働いてない』と思っている『一般的な人』のあいだの溝がでかすぎる。普通の人は稼働年齢の男が働いていなければ、『どうして働かないのか』ということが、気になって気になってしかたがないのである。本人にとって、『働けない理由』が働けない理由だと思えない場合は、なんとかして、働かせないと気が済まないような状態になってしまうのである。ほんとうは、こっちの方が問題なのだけど、本人は、あたりまえのことをしているだけのつもりがあると思う。説教しなければ、気が済まない状態になってしまうのは、ほんとうはおかしい。けど、『将来、この人が生活保護をもらうかもしれないから』というような、もっともらしい?理由をつけて、説教しまくる。Aさんのところに書いたけど、自己紹介をしたら、こういう説教をしてくるやつと、つきあうに気になるか? そのあと、友好な人間関係を気づこうという気持ちになるか? あるいは、『すぐには』働けと言わずに、いちおうの理解を示すけど、それは、『あとで』働けと言うための準備にすぎない場合、そういう『意図』を持っている人とつきあう気になるか? こういうのは、通じない話なのかね? ヘビメタ騒音のことよりもずっと通じると思うけどなぁ。たとえば、自分が働けないにもかかわらず、働けるように見える人間だとする。その場合、他人がこういう態度で接してきたら、その他人と仲良くしようという気持ちになるだろうか? これに関しても、『働けない』けど、働けるように見える人の『コミュニケーション能力』の欠如の問題にしたいのだろうけど、そうじゃないと思う。一般側?からみれば、引きこもっている人は『絶対に』コミニュケーション能力が欠如しているのである。「だから、引きこもっているのにちがいがない』とまちがった推論をしてしまうのである。これがまちがった推論だということ自体に気がつくことができない人もいるのではないだろうか。むしろ、金をたかっているわけでもないのに、『(そのとしで)働いてないのはおかしい』という気持ちで説教してしまう人のコミニュケーション能力に問題があるとは思わないのか? 推論がまちがっているし、たとえ、自分が本当に思っていることでも、そういう「よからぬこと」を他人に(あったばかりの他人に)すぐにぶつけてしまう人のほうが、よっぽど、未熟で他人のことを考えられない人間だと思う。はっきり言えば、他人のことを「おもんばかる」能力に欠けているのである。けど、日本では……現在の日本では……『働かざる者食うべからず』というような言葉に代表されるような共同幻想が『一般的』だから、おかしいとは思われない。そういう攻撃!は問題がないものとされている。悪いのは、働いてないやつなのである。引きこもっているやつなのである。最初から無礼なことを言ってくるやつに、好感が持てないというのは、人間としてあたりまえの反応だ。最初から無礼なことを言ってくるやつと『今後つきあいたくない』と思うのは人間のとしてあたりまえの反応だ。どうしてこれがわからないのか? けっこう頭のいい人や、まじめな人でも、共同幻想にしたがって、あれやこれやと説教をするのがあたりまえだと思っているんだよなぁ。こいつらだって、ヘビメタ騒音数千日を経験すれば、働けなくなるのに……見かけは働けるようでも働けなくなるのに……ヘビメタ騒音の持続時間と持続期間と音のデカさを説明したあとでも、そういう反応をするやつが、相当数いるわけだから……。『人とつきあいたくない』と思っても当然だ。これ、『なんとか立ち直らせてやろう』と思う人間は、その時点でダメなんだよ。なんでこれがわからないのか? なんでこれがわからないのか?

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共同幻想がぼくの言っていることを『支持しない』のだから、ぼくの言っていることが「うけない」のはわかる。共同幻想にしたがった気持ちの暴露のほうがうけるのだろう。そりゃ、共同幻想なのだからしかたがない。


2019年9月19日木曜日

援助をするべきだと考えるなら、Aさんは働けない人だという前提で、話をすすめるしかない


「そのうち働くんでしょ」という紐付きの援助を求めなかった人の気持ちがわかる。事実上働けない人が、他の人からは「働ける人だ」と思われている場合であって、なおかつその人(事実上働けない人)がまじめな人である場合、どうしたって、援助は受けられないという気持ちになる。どうしてかというと、「働けない」からだ。「働かない」のではなくて、「働けない」からだ。その人、その人というとわかりにくくなるので、事実上働けない人をAさんということにしておこう。

問題なのは、Aさんが主観的に働けないと思っているだけだということを、Aさんが否定できないということだ。そりゃ、医者がAさんは働けませんと書けば、それで、行政的にはおさまるけど、Aさんの障害について、医者が働けないという太鼓判を押さなかった場合の話をしているのだから、Aさんが主観的に働けないと「思ってるだけなのか」Aさんが働けないのかは区別がつかない。

たとえば、しばらくの援助であれ、やがては働く必要があるという条件付きの援助なのであれば、働けない(という確信がある)Aさんは、そういう援助を受けるわけにはいかないということになる。

けっきょく、「はたらかざるものくうべからず」という文言に縛られて、死んでいくということになる。

まあ、ふまじめな人であれば、とりあえず、援助を受けて、そのあと、働くそぶりは見せるけど、働かないようにするのだろうと思う。(実際に働けない人なのであれば、このようなことをすることは、悪いことではない。)

けど、そういうことをしたくないという人は、やはり、紐付きの援助は受けられないので、援助を受けずに死ぬということになる。(飢え死に)。まあ、一種の「殉教」みたいなものだな。世間では「働かざる者食うべからず」というおそろしい戒律?が成り立っているのだから!

まあ、戒律じゃないにしろ共同幻想ではあるよね。

だから、助けを求めなかったのだと思う。実際に飢え死にするほうを選んだ人は、援助を求めなかったのだと思う。(どうして、援助を求めてくれなかったのか?)という疑問を持っている人がいたので、それに対する答え。

もうひとつの答えは、「あおりがある」ということだ。「働かざる者食うべからず」という共同幻想が成り立っている社会で、働かないで生きていくというのは、批判を受ける生き方なのである。実際には、Aさんのなかでは、働かないのではなくて、働けないのだけど、Aさん以外の他の人がAさんは働けると見なしているのだから、Aさん以外の他の人は、必然的に、Aさんをせめるのである。

せめてあたりまえだ。

そうなると、Aさんは、自分以外の人の前に出ると、いつも、「なぜ働かないのか」という質問を受けることになる。Aさんは「働かないのではなくて、働けない」のだけど、それは、Aさんのなかの話しなので、他の人はAさんが働けると思っている以上、Aさんが働けるという前提で、質問をすることになる。あるいは、ものを言うことになる。さらにあるいは、説教をすることになる。

しかし、そのような説教をされても、AさんはAさんのなかでは働けないので、無理なのだ。働けないので働けないと答えるしかないということになる。

しかし、世間の人は、Aさんが働けないということを認めていないのだから、そういう答えでは納得しない。だから、質問と説教を繰り返すことになる。

これは、できないことを求められているので、Aさんの主観的な感覚で言えば、「あおられている」のとおなじだ。世間の前に出るということは、尋問されるということなのである。(働けないということは)自分のなかでは自明なことなのだけど……。

そして、「働かざる者食うべからず」ということが、特殊な個人の特殊な幻想ではなくて、共同幻想なので、Aさんをせめる個人を、おなじ共同幻想を持った社会の人たちが支持するということになる。ようするに、Aさんのまわりは、みんな、Aさんの『敵』なのである。

だから、Aさんとしては、援助を求めるわけにはいかなかったのだろう。

だいたい、生活保護だって、一時的に助けるものだということになっている。働くまで、一時的に助けるものなのであるから、働けないAさんは、受けるべきではないのである。まじめに考えれば……の話しだ。

ともかく、どうして働かないのだ?と質問するほうは、ほんとうはAさんがなにを答えても、「働かないかぎり」納得しない。Aさんが働けると思っている個人は、Aさんが働かないかぎり、納得しないのである。ともかく、Aさんは、『働けない証明書』を手に入れなければならないのである。

まあ、『働けない証明書』をAさんがもらえば、たいていの人は、納得して、追及の手を休めるだろう。けど、『働けない証明書』をAさんが持ってないかぎり、追及の手を休めるということがない。Aさんがその追及の手からのがれるには、一切合切、人前に出ないということが必要だ。

もちろん、世間話を振ってきたら、世間話にはつきあうけど、『援助にかかわること』を振ってきたら、その話には『のらない』ということが必要になる。

実際に、『援助を受けたほうがいい』ということをAさんに話す人は、Aさんが援助を受けたあと、働かなくても、追及をするということはないだろう。役割分担がちがうからだ。『働いてください』と言ってくるのは、また別の人だからだ。

いずれにせよ、紐付きの援助を受けるつもりがないのだから、最初から関わり合いを持たないようにするというのが、Aさんの考え方なのだろう。この考え方の背後には、もちろん、『働かざる者食うべからず』という考え方がある。


もし、実際にAさんを助けるとするならば、Aさんは働けない人だという前提で、話をすすめるしかないのである。そういう前提で、援助を申し出たのであれば?援助を受けたかもしれない。

まあ、『働かざる者食うべからず』という共同幻想を持っている人は、そういう前提で援助をすることには、反対するだろう。

『働かざる者食うべからず』という共同幻想を持っている人でも、『障害者は働かなくてもいい』『主婦は働かなくてもいい』『学生は働かなくてもいい』『定年退職者は働かなくてもいい』というような例外の補足規定?のようなものを持っているので、(Aさんのようなものをふくめるかどうかについては)例外の範囲のちがいでしかないということになる。医者に『障害者』として認定された人は、障害者なので働かなくても食べていいと考える人が、『働かざる者食うべからず』と考えている人のなかにもいる。

けど、その人から見てAさんが働ける人なのであれば、当然、Aさんは例外にはあてはまらず、「サボっているだけなのだから、食わずに死ね」という考え方をAさんに押しつけることになるだろう。

まあ、それがあおりで、そうなることがわかっているからこそ、Aさんは、援助をことわって、飢え死にしたのだろう。いちおう、共同幻想と一致しているので「サボっているだけなのだから、食わずに死ね」という考え方は、ひどいことには思えないと思うけど、ひどい考え方だと、ぼくは思うね。Aさんは『サボっているわけ』ではないのだから……。ただ単に『働けない』だけだ。

基本的には『働かなくても食っていける社会』をつくったほうがいいと思う。技術的にはそういうものはつくれる。富の偏在と分配のしくみがうまくなりたってないだけだ。いまの資本主義経済社会だと、『働かざる者食うべからず』というおどしがまず必要になる。これは、おどしてあると同時に『現実』でもあるので、抗しがたい。

けど、これは、いまの特殊な社会が生み出した、特殊な信念であるとも言える。まあ、みんなが信じていれば、共同幻想なのだから、それなりの拘束力はある。

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生活することと、働くことのあいだには距離がある。生活することはできるけど、働くことができない人は、いる。ただ、その人が運良く?『自分が働けない』ということを証明できるとはかぎらない。医者といたって、いろいろいるからね。

2019年9月18日水曜日

もし、殺人者が「過去は関係がない」と言ったらどう思うか?

全部自分がやりたいことはやりきって、「ゆずってやった」とはなんだ!!! ふざけるな。それだけで、デコパッチンFBだ。一切合切ゆずらない状態で、気違い的な意地で鳴らし続けて、「ゆずってやった」だからな。親父とおなじなんだよな。しかも、繰り返し行為。全部おなじ。そのしわ寄せが、全部、俺にくる。ほんとうに、一三時間(じゅうさんじかん)鳴らせるなら、一三時間、ものすごくデカイ音で鳴らして「ゆずってやった」だからな。頭がおかしい。「ゆずらずにずっと鳴らした」という認知ができあがってもいいはずなのに、そういう認知が「あくまでも」存在しない。「やったってやってない」という認知なのである。頭がおかしいけど、そういう頭のおかしさを利用すれば、「やってないつもりで」自分がやりたいことを全部やってしまうことが可能なのだ。「やってしまったら」……「もう、関係がない」だよ。前提はまったく違うけど、「過去とは関係がない」と言っているやつとおなじだ。「過去は関係がない」……頭がおかしいことを、気違い的な意地でやりきって、他人に迷惑をかけた人が、その言葉を言ったら、どう思うよ?? おまえを自殺未遂に追い込んだやつが「過去は関係がない」と言ったら、どう思うよ? カウンセリング・ルームでヒエラルキーが保たれているから、そういう発言が可能なんだよ。これがわかるか?


ぼくが欲しかった生活


いやー、もうつかれている。いつものつかれだ。ぼくが欲しかった生活というのはなんなんだろうな?
手に入れることもできたのに……。ヘビメタでくるしすぎる。気違い兄貴が気違い的にこだわってこだわって、毎日、毎時間、毎分毎秒やった行為が、でかすぎる。行為の影響がでかすぎる。
つかれた。

2019年9月16日月曜日

正義は勝つんじゃないのか?


俺がいまこうなっているのはたしかだ。おかしいな。正義は勝つんじゃないのか?
ともかく、ボロボロだ。こんなのはおかしい。

どうしても、ヘビメタ騒音でくるしい。どうしてもくるしい。いま、くるしい。どうしてもくるしい。ヘビメタがはじまってから陸続きでどうしてもくるしかった。

世間の人にたいしてだって、なんて言うのかな? ふがいない思いをしなければならない。気違いヘビメタで、「失敗している」わけだから。こんなの、かっこう悪くて、てれわらいだ。あるいは、無言でたえている。

他の人にはなかなかわからないと思うけど、ヘビメタ騒音でくるしい。あれ、ほんとうに、一日中くるしい。あれほんとうに、一生中、くるしい。くるしくないときがないからな。ヘビメタをやられたあと、くるしくないときがない。

一秒もない。

鳴っていない時間も含めて、ヘビメタ騒音でずっとくるしい。他の人にはこれがわからない。「鳴ってない時間がくるしいなんて、そんなの言い過ぎだ。人のせいにするな」と思う気違い野郎もいることだろう。こいつはわかってないだけだ。

こいつだって、四六時中……ほんとうに四六時中ずっと鳴らされればわかるよ。しかも俺はあのとき、未成年だったんだぞ。子供だったんだぞ。学生だったんだぞ。ゆるせない。

けど、まあ、「ゆるせない」なんて書くと、「やみおちしている」とか思って人が離れていくんだよな。

けど、実際ぼくとおなじことが、ほぼぼくと同じ時期に起こって、ちゃんと生きられる人間なんているのかよ? ぼくはこれでも、ちゃんと生きているんだぞ。そとでは、働けないけど。だいたい、そとで働けない……ヘビメタ騒音でそとで働けないということが「弱点」になってしまうだろ。

ほかのやつがほかのひとにいじめられていたとき、俺は助けてやったのに、助けてやったやつは、俺がやられているとき?別に助けてくれるわけじゃないんだよな。こういうのは、多かったな。まあ、好きで助けたわけだから、別にいいのだけど……。

……それにしても、そとで働けない、引きこもりだ、ながらく無職だったということは、いまだに「せめられる」ポイントではある。

あー、それにしても、入試の時、気違い兄貴がキチガイ的な意地でヘビメタを鳴らして、どれだけこまったか。他の人の前に「おちた人」「高校おちまくりの人」として登場しなければならないんだぞ。

女の子の前に立たなければならなくなるんだぞ。かりに、女の子がものすごく心配してくれたにしろ、「やっぱり、かっこうわるい」「ばつがわるい」。俺が学校でどれだけはずかしい思いをしても、俺が学校でどれだけかっこうわるい思いをしても、気違い兄貴は、「まったく無関係な人」として、問題であるヘビメタ騒音をやりきる。

「やったってやってない」が成り立っている。どれだけ俺が「こまるからやめろ」「恥をかくからやめろ」と言っても、まったく関係がない人として、鳴らし続ける。鳴らすことしか考えてないから、どれだけ言われても、自分とその発言の関係がわからないのである。

これは、気違い親父とおなじなんだよ。

たとえば、これはもう、何回も書くけど、気違い兄貴が、「親父が押しつけたハンダゴテのことで」学校で恥をかいたというとを親父に言っても、親父はまったくわからないんだよ。「つかえるつかえる」の一点張りだ。自分にとって不都合なことは認めない。

普通なら、……普通の人間であれば……あやまらなければならないところで、怒り狂う。逆ギレなんていう、なまやさしいものじゃない。

逆ギレは、普通に流れがわかる。

どうして、逆ギレしているのか、普通の人は、見ていればわかる。けど、気違い兄貴や気違い親父の場合、そういうレベルにも到達してないのである。逆ギレレベルにも到達してない。ほんとうに、自分と「相手が言っていること」の関係性が、とことんわかってない。

だから、まったく迷惑をかけたつもりがしょうじないのである。どれだけ迷惑行為をしても……意地を張ってこだわってこだわって、逆上してやっても……ぜんぜん迷惑をかけたつもりがしょうじないのである。

で、本人が一日中やりたかったら、絶対の意地で一日中やるのである。一秒だってゆずることができないのである。そういう意地だ。

けど、「意地を張って、一秒もゆずらずにやった」ということがまったくわかってないのである。どんだけ、こまるか?

「話し合えばいい」なんて言う人にはわからない世界の話しだ。だから、俺がよけいにこまるのである。普通の人は、「話し合えばいい」「家族なのだから相談すればいい」と思っている人たちだからだ。

どんだけ、ズレているか。そして、けっきょく、家のなかのことだから、学校にいる人とかはじめてあった人にはわからない。(兄貴の場合、近所の人にはわかるけど)。

それだって、近所の人からすれば、「あの家の人は」「あの家は」ということになっていて、俺が兄貴の騒音を「承認」しているように思われてしまう。「承認」というのは、ようするに、「やってもいいと思っている」ということだ。さらに、そとから見た場合、だれが本当に鳴らしているのかわからない。ひょっとしたら、もと北側の奥さんは、俺が鳴らしていると思っていたかもしれないんだぞ。あの人は俺のことが気に入っていたから、文句を言わなかったのかもしれない。

ともかく、くるしい。これ、ほんとうに、騒音が鳴ってない時間、どれだけくるしい思いをしているか、他の人にはまったくわからない。ハンディがありすぎる。

2019年9月15日日曜日

ほかの個体は、ほんとうの意味でヘビメタ騒音がどれだけつらいかわからない


行ってきた。大根おろしを食べてきた。けど、ポン酢だったので思った味とは違っていた。ぼくは、醤油をかけるつもりだったから。まあ、言えば醤油も持ってきてくれるのかもしれないけど、試しにポン酢をかけてみた。ポン酢のほうがレタスにはあっている。(レタスがついてくる)。

実は、昨日は、マグロのぶつ切り二皿を食べている。これが、ちょっとした手違いで、会計がまちがっていた。なので、言ったら、適切に処理してくれた。あれは、料理している人にたのむのではなくて、やはり、アルバイトの人にたのんだほうがいいんだな。あのときいなかったから、目の前で料理をしている人にたのんじゃったよ。そうしたら、アルバイトの人がまちがって、マグロのぶつ切り二皿、プラス、マグロの切り身一皿だと思ってしまったわけ。今度は、あっちのアルバイトの人にたのもう。

けど、マグロの切り身とライス(小盛り)を食べると一三〇〇円ぐらいいってしまう。最近、外食で食べる金額が高い。今日も、ほうれん草のソテーをお土産で買ってきたけど(テイクアウトで買ってきたけど)、それを入れて一三〇〇円ぐらいだ。で、飲み物を飲まないようにしているのである。注文としてはちょっと、おかしい。普通は絶対に(と言っていいほど)飲み物もいっしょに注文するはずなのである。実際、「お飲み物は?」とかならず聞かれるので、ことわるのに苦労している。

飲み物を飲まないようにして、お金を浮かせる作戦は、みえみえなんだろうけど、やらざるをえない。「この人、金がないんだな」と思われるのがちょっといやなので、トマトの切り身とかほうれん草のソテーとかといった一品をいれるようにした。実際、飲み物よりも、トマトやほうれん草のほうが、うれしい。ほぼ同じ値段だし……あるいは、飲み物のほうが高いし。

たとえばの話しだ。店のなかでコーラが二五〇円で飲めるとする。……コーラは、帰りにローソン100で買えば、一〇〇円ぐらいだ。さらに、一リットルの一〇〇円のコーラもある。なので、帰りに飲んだ方がいいやということになる。で、飲み物として、欲しいのは、実は、大根の味噌汁とか、ナスの味噌汁なんだけど、アサリの味噌汁しかなかったりする。

これ、飲み物をたのまないというのが、けっこう、くるしいんだよな。こころのバリアーをはずさないとだめだな。「とりあえず、これだけ」と言って、けっきょく、飲み物はたのまないで、外に出る(会計する)とかまあ、そういう手を使っているけど……。これ、基本、やはり、栄養のバランスとしてほうれん草やトマトは欲しいけど、別にどうだっていいやという気持ちもある。というわけで、やはり、単品をたのんで、腹がへっている場合はご飯の小盛りをたのむということで、切り抜けたい。

ああ、けど、今回のココスでは、ご飯じゃなくて石窯焼きパンをたのんだ。これは、前から食べたかったものだから、食べてみた。うまかった。

まあ、まるまるするまえに、このくらいのぜいたくはしてもいいだろう。別にいま、まるまるするわけじゃないけど。

「おかあさん、やっと、ファミレスで一三〇〇円ぐらいのものを食べられるようになったよ」などと思ったけど、基本、くらい。そりゃ、ヘビメタにやられっぱなしだからな。ココスに行くまでの道というのは、ヘビメタ騒音が鳴っている期間、何千回も通った道なのである。激しくつかれた状態で通信制大学の面接授業に行くときも通った道なのである。どんだけ、疲れ切ったむなしい気持ちで通ったか。そして、高校入試の願書に貼る写真を撮るためにダイヤ君と通った道なのである。どれだけ、張り裂けそうか。俺は、張り裂けそうな気持ちだったんだよ。ヘビメタ騒音が終わってないから。帰ったら聞かされるから。ずっと、夜の一一時まで鳴らされるから。
ヘビメタ騒音を鳴らされると、ほんとうに自分のことのように俺のことを心配してくれた人ともうまくいかなくなるのである。これは、必然だ。これ、必然じゃないと思っている人もいるかもしれないけど、普通にそうなる。鳴り終わらなかったら、そうなる。だって、ほかの個体は、ほんとうの意味でヘビメタ騒音がどれだけつらいかわからないから。


他の人がわからないのは、たぶん、ヘビメタ騒音が鳴り終わったあとの状態なのである。このからだの状態がわからない。精神の状態がわからない。この場合、精神と書いたけど、臓器としての脳みその状態だ。あれは、尋常じゃない。あんなの、毎日、繰り返していたら、どうしたって、能力がおちるし、鬱になるのである。能力がおちて鬱になると、ヨソの人から、攻撃を受けるようになるのである。どんだけつらいか。


気違い兄貴が長くやりすぎなんだよ。あんなに長い期間やりやがって。あんなに長い時間やりやがって。期間は、人生の中の期間で、時間は、一日のなかの時間。これ、一日に一三時間、やられているような状態でいいわけがない。一日に一四時間近くやられている状態で、いいわけがない。ほんとう、どれだけやったって……がんばろうとしても、どうしてもどうしても、できなくなる。この状態が、他の人にはわからない。だから、俺が夏休みの宿題や冬休みの宿題をやっていかないと、俺がサボっているように思われるわけだ。これが、きつい。ほんとうに圧倒的な」騒音で、くるしい。一日に一三時間やられたら、残りの一一時間もめちゃくちゃになる。宿題なんてできない。
どれだけ俺の、勉強の邪魔をしているか……中学高校とずっとマイニチそんな状態でいいわけがないだろ。高校受験をひかえた中学の夏休み、冬休みが、そんな状態でいいわけがないだろ。どれだけ学力がおちるか。「自己責任」「自己責任」のあらしだ。どれだけ「ヘビメタ騒音?が鳴ってたって、宿題ぐらいできる」と思うやつがいっぱいいる。そいつらは、何度も言うようだけど、実際のヘビメタ騒音を一分も経験してない。あの騒音が毎日、一年間つもった場合も経験してない。どれだけひどい状態かわかってない。「できないんだよ」。
むかし、「できる・できない問題」について書いたけど、これも、俺と他者とのあいだで、意見や感覚が異なるものだ。他者は、実際に経験してないから……話しで効いただけだから、わからない。ほんとうくるしさがわからない。これを、書くと人気がおちるけど……「俺だってくるしいことはあった」「俺だってつらいことはあった(けどがんばって働いている)」というような意見を言う人とは、つきあえない。どれだけ、侮辱しているかわかってない。「この人(エイリという人)は、自分だけつらい思いをしたと思っている」と思うかもしれない。ちがう。そういうことじゃない。そういうことじゃない。俺がどれだけそういうことじゃないと言ってもわからないのだろう。その人のつらさについてぼくはわからないけど、ぼくの「ヘビメタ騒音」のつらさは、ほんとうに、経験しないとわからない。その人のちょっとした騒音経験と一緒にしないで欲しい。もし、俺とおなじぐらい騒音を経験した人なら、そのひどさがわかっているから、絶対にそんなことは言わない。絶対にだ。絶対に。そういう発言をしてしまうということ自体が、実際には、ヘビメタ騒音級の騒音を経験してないということをあらわしている。如実にあらわしている。明示している。そして、その人のつらさをぼくは経験してない。それは、わかる。けど、「外で働けるぐらいのつらさ」なんだろ。「外で働けるぐらいの持続時間だったんだろ」と言ってやりたくなる。これも、ほんとうに騒音でひどい目に遭った人は、言わないことだ。ヘビメタ騒音級の騒音を六ヶ月でいいから経験した人は、ほかにどれだけつらい経験があったとしても、そんなことは言わない。あたかも、自分なら、ヘビメタ騒音が鳴っていたにしろ、外で働けるはずだということは言わない。もし、エイリさんの兄が鳴らしていたような時間の長さ、期間の長さ、音の大きさで、ヘビメタを鳴らしている人が横の部屋にいたとしても、自分なら平気だ(通える)というようなことは、言わない。けっきょく、そういうことを言う人たちは、想像力が欠如している。あるいは、ほんとうの騒音体験がない。ちがうから。どんだけの長さ鳴らされていると思っているんだよ。そんなの、成長期にずっと鳴らされたら、影響が残るに決まっているだろ。毎日、一〇年以上、鳴らされていいわけがない。そういう場合の効果というのがわからない。わかってない。わかってないから、「自分だったら平気だ」「自分だったら、たとえ鳴らされていても、ちゃんと働くことができる」という前提で、ものを言う。佐藤さんいYuさんも、そういう前提でものを言っているというとがわかっているのか? これは、失礼なことなんだぞ。俺を侮辱したんだぞ。




兄貴の構造は世間的な一般的な人にはわからない

寝る。寝る。
もう、いいや。
けっきょく、今日はなにもやらなかったな
まあ、掃除と殺虫剤まきはやったけど……。ほんとうにむなしい。
これ、ほんとうに休めば回復するようなことじゃないからな。気晴らしに海外旅行をすれば復活するようなことじゃないからなぁ。

ほんとうに、皮肉じゃなく、海外旅行をすると気分がよくなる人がうらやましい。

まあ、こういう点でも、気違いヘビメタが俺の交友に影響を与えているんだよな。

   *   *   *

あとは、鬱は伝染すると、人を汚染物質みたいにあつかいやがって。こういうのだって、人間付き合いに影響を与える。深い深い影響だ。そういふうに避けている人だって、気違い兄貴の、あの態度で、一五年間毎日ヘビメタを鳴らされ続けたら、鬱になるんだよ。

しかも、わりと哲学的なことに興味を持っている人ですらそういうことをする。それじゃ、哲学っていうのはなんだよ?

   *   *   *

あっ、それから言っておくけど、鬱な人を見たぐらいで、鬱になるのは、精神の修行がたりない。特に、精神世界みたいなことを言っている人は、気をつけたほうがいい。霊界だ!たましいだ!と言っていたってその程度のレベルなんだよ。精神世界マニアは、どちらかというと憂鬱な人を排斥する方にまわるんだよな。抑圧する方にまわる。あおり運転をする方にまわる。それで、なんの精神世界か? 霊界か? たましいか?

けど、憂鬱な人と話しをすると憂鬱になるって?? それは認めるよ。だから、ヘビメタ騒音にやられているときも、やられて人生がなくなって一〇年ぐらいたったあとも、礼儀として、人といるときは憂鬱な感じを出さないように苦労していたんだよ。けど、そのノリがまた、へんなんだけどな。けっきょくは、ヘビメタ騒音の憂鬱をがまんして、他の人とつきあっているわけだから……。

俺がどれだけ、人に気をつかって、憂鬱な状態を隠して、がんばって生きてきたか。ヘビメタ騒音にやられているあいだ、ヘビメタ騒音の愚痴を(世間的なつながりしかない人には)言わないできたか?

気違い兄貴は、無視してやっているけど、俺は、もう、六ヶ月を過ぎたあたりから、死にものぐるいだったんだ。あれは、そういう騒音だよ。気違いだから、無視してやっていることは、まったくやってないことだと感じてらしいけど……。

そして、そういう兄貴の構造は世間的な一般的な人にはわからない。「あったってない」ことなのである。あるいは、「そうだとしても、影響を受ける必要がないこと」なのである。これが、合理的な判断かね? 気違い兄貴の態度であのデカイ音を鳴らされ続けていたら、つらいに決まっているだろ。夜、眠れなくなるに決まっているだろ。朝、死にたい気持ちになるに決まっているだろ。

これしきのことがわからない精神世界の人ってなんだよ? これしきのことがわからない臨床心理学の専門家とかなんだよ?

どんなことがあっても、愚痴を言うべきではないとか、どんなことがあってもポジティブにとらえることができると言う人は、不幸な人をどれだけあおっているか、自覚がない。こんなの、無理難題を押しつけて、『死ね』と言っているのとおなじだぞ。

   *   *   *



2019年9月13日金曜日

ヘビメタ騒音は死にいたるやまいだ

つかれた。
どうしようかな。

今日は回転寿司に行った。途中、公園でカップルを見かけて、ちょっとこころが動いた。カップルは三組いた。

ヘビメタさえなければそんなことは造作もないことなのに。

バルサンをやらなければならないのだけど、腰があがらない。外食も、逃げているようなところがある。お勝手に行きたくないから、外食をしているような感じだ。

煮物が食いたい。
風呂、ガスレンジ、電子レンジ、冷蔵庫……これが、ネズミダニ地帯を通過しないと、利用できないものだ。

「えーっと、あれが二三年前か」「あれが、二八年前」「あれは、三〇年前??」「そんなバカな」なんてことを考えながら陸橋を渡っていた。電車が見える。電車にもいろいろな思い出がある。

ともかく、起きたとき「信じられないような」感じになる。「あれが、三二年前?」と思う。信じられない。これはおかしい。
このままぼくは死ぬのだろうか。ヘビメタ騒音は死にいたるやまいだ。

どのみち、親友とおなじことになる。


ヘビメタでくるしい。
どんだけがんばってもヘビメタでくるしい。
どれだけ横になって休んでもヘビメタでくるしい。

ヘビメタがなければあの娘と仲良くできた。あっちからアプローチしてきたのだから、仲良くしておけばよかった。けど、俺の内部は、ヘビメタ騒音地獄だった。とても、人とつきあえる状態じゃないのである。
後悔はしているよ。ヘビメタが鳴っていても、ヘビメタが鳴っている毎日でもつきあっておけばよかったと……けど、実際には無理なんだよ。ヘビメタでくるしい。どのみち、親友とおなじことになる。

毎日、強迫的で脅迫的なヘビメタが鳴っているのだから、そうなる。俺のこころが地獄だ。くるしい。

くるしいって、言ってんだろ。
しずかにしろよ。
ほんとう、すべてがくるしい。

2019年9月12日木曜日

もし、そんなにやられていたら、もっとぐちゃぐちゃになってる

「もし、それがほんとうなら、もっとぐちゃぐちゃになってる」って言った人(Yu氏)がいたなぁ。知的な人ですら、こうなんだからな。俺はこの人の本を読んでいる。書いてあることは正しいと思うよ。

けど、ヘビメタ騒音のことを説明したあとの発言がこんなものだからな。

どれだけ、ヘビメタ騒音、気違い兄貴の性格、気違い親父の性格が普通の人に理解されないかわかる。

普通の人というのは、健常者の親に育てられた中産階級の人という意味だ。親に学歴があるだけで、文化がちがうんだよな。

けど、中産階級ではなく下層階級でも、(父親が)健常者なら、気違い親父のような振る舞いはしない。いろいろなことに関して、気違い親父らしい反応はない。これ、普通の人にどれだけ話しても、話半分で理解して、本当のところは理解しない。

だから、「たとえ、そうだとしても、影響を受ける必要はない」と認知療法家のような必要論を展開してくる。まあ、Yu氏が、「たとえ、そうだとしても、影響を受ける必要はない」と言ったわけじゃない。

Yu氏の話にもどると、Yu氏の発言がどういう意味だかいちおう説明しておこう。ヘビメタ騒音の時間の長さ、ヘビメタ騒音の大きさ、ヘビメタ騒音が鳴っていた期間の長さについて、俺は説明した。

「もしそれが、ほんとうなら、エイリさんがもっとぐちゃぐちゃになっていてるはずだ。見たところちゃんと話もできるみたいだし、エイリさんのヘビメタの話しは嘘なのだろう」……こういう意味で、上記(右記に修正)の発言をしたのである。

ほんとうなら、もっとぐちゃぐちゃになっている……嘘だから、まとも?なのだろうということだ。

で、まともはまともだけど、長い間働いてないことはケシカランことであるから、「そういう人とはつきあうのはいやだ」「そういうひとを相手にするのはやめておこう」という気持ちが……あったのではないかと思う。

気違い家族のヘビメタ騒音に耐えて、どれだけくるしくても毎日学校に行った結果がこれだ。手短に言って、「学校に行けたのなら、問題がない」とYu氏は思っていたようなのである。

どれだけまちがっているか? Yu氏の教育論はまともだけど、ヘビメタ騒音に関しては、完全に誤解している。俺の人格に関しても完全に誤解している。

Yu氏の話じゃないけど、ヘビメタ騒音が鳴っていたから、無職なのに(決まった時間に起きて働くことができなくなった)のに、無職の人がいっていることだから、ヘビメタ騒音のことも嘘に違いがないと思う人たちもいる。

因果関係がわかってない連中だ。そういうふうに言う人たちだって、俺とおなじ環境で、俺が経験したのとおなじ分量の騒音を、長い期間にわたって押しつけられたら、働けなくなるのに、それがわかってない。

知的な人ですら、こういう反応だ。いかに、労働にかかわる(仕事にかかわる)共同幻想の力が強いかわかる。無職なら問答無用で、信頼がおけない人なのである。長期間無職な人の発言は、信用することができなのである。

一度、こういう妄想的な偏見が成り立つと、すべての解釈に、その妄想的な偏見が影響を与える。

これが、日本だ。これが日本人だ。これが、日本労働教徒だ。

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ちなみに、因果律がわからない人はダメだと思う。ヘビメタ騒音の話を聞いて、ヘビメタ騒音が原因で俺が働「け」なくなっているということが理解できない人は、人間としてダメだと思う。なおさら、その人たちが興味を持っている哲学の話しなんてまったくの無意味だ。因果律がわからない人たちが語る哲学の話しなんて、意味がない。


気違い兄貴が、普通の人たちがわからないようなしくみで、気違いヘビメタを(気違い的なこだわりで)鳴らした結果がこれだ。普通の人は、理解できない。気違い兄貴のこだわりがわからない。うちのなかで、それまで成り立ってきた(明文化されない)ルールがわかってない。気違い兄貴のやり方が、それまで、うちで成り立ってきた(明文化されない)ルールに基づいた、やり方なのである。「そんなのはない」「そんなひとはいない」と考えるやつらが、納得するわけがない。

どんだけ、世間からずれているか。うちの基準が……うちのなかでだけ成り立つ基準が世間の基準からずれているか? それこそ、気違いが意地を通せばそれが成り立ってしまう世界なんだぞ。そして、気違いだから、自分がやったことを、絶対の意地で認めないということをしやがる。それも、問題のある行為をするときとおなじ意地で認めないのである。そういうしくみが成り立っている。

だから、本人はまったく気にせず(やっているつもりがないまま)絶対的な無責任体制でやりきることができるのである。こういう気違い家族に、勉強の時間をうばわれていいわけがないだろ。睡眠時間をうばわれていいわけがないだろ。

これは、他の人にはわからないことだと思うけど、一日に約七時間ヘビメタを鳴らされていると、眠れなくなる。この不眠に関しても、「自己責任」「自己責任」のあらしだからな。こんなの、ない。

どれだけ、他人がひどい存在になるか、だよな。気違い兄貴に、気違いヘビメタを鳴らされる日々をすごすということは、どれだけ耐えても、まるで報われないのである。すごした時間が長ければ長いほど、働けなくなるけど、他人はまったく理解しないという構造が成り立っている。俺がどれだけがんばって、学校に通ったか、「通えたなら問題はない」と考えるYu氏のような人にはまったくわからないのである。倒錯。倒錯。


2019年9月11日水曜日

中学三年、高校三年の計六年間、鳴ってなければ、そもそも、俺はこのうちにいない


ネズミが出た。

この時間にネズミが出ると、どこに助けを求めていいのかわからない。24時間対応と言っても、自動アンサーリングマシンだからな。



通気口はふさいだので、かべのなかにいるやつがでてきたということなのだろう。だから、通気口のひとつは、開けたり閉めたりできるようにしておいてくれと言ったのに。

この、こころぼそい気持ちはなんだ。そして、この疲労はなんだ。

超音波のやつをずっとつけておいたので、うまいこと逃げたときに、通気口にフタをできたかなと思ったけど、だめだったか。問題なのは、床下でネズミが死んでしまうことだ。



もう、本当につかれたよ。親父が魚の切り身を使ってネズミを餌付けしなければこんなことにならなかったのに……。いったんねらわれたら、どこまでもねらわれる。壁のなかのネズミに関しては、ぼくがバルサンをやったあと、かたづけるはずだったんだけど、床下に逃げてしまった場合問題がある。しかし、ほんとうに、すべてにつかれた。

いまある、米、まな板、炊飯器、冷蔵庫のなかのもの、電子レンジ、包丁、鍋、皿、スプーン、箸、醤油、味噌、油などを捨てるつもりになれば、バルサンは、たける。もう、それでいいか。

それとも、バルサンをやる前に、ネズミの専門家(別のやつ)を呼ぶか?

なんか、いろいろと疲労が積み重なる。

気違い兄貴のヘビメタだけで、ズタボロなのに、この時間にネズミ。

しかも、通気口をふさいだあとに……。あっちからは入れないようになっているんだよな。あの人を信用した場合……。やはり、通気口をふさいだとき、床下か壁のなかにネズミがいたんだな。



ネズミがどこで死ぬかが問題なんだよな。

最後のネズミをネズミシートでつかまえて、粗大ゴミを出したあと、壁の工事をするというのがひとつのアンサーだったわけだけど……。



ほんとうに、ヘビメタ騒音で心細かった。不安だった。気違いヘビメタもネズミもおなじ。というか、俺にかんして言えば、すべてがヘビメタ騒音から発していることなのである。ヘビメタ騒音が一五年間も鳴ってなければ、少なくても、中学三年、高校三年の計六年間、鳴ってなければ、そもそも、俺はこのうちにいない。

だから、ネズミなんてどうだってよかった。親父が餌付けをして、急性胆嚢炎になったとき、親父は死んでいた。その前の日に、バスタブの中で後ろに倒れて、立てない状態になったところで、死んでいた。まあ、そのときすでに急性胆嚢炎になっていたはずだから、バランスを保つことができなかったのだろう。

ともかく、俺があのとき、たすけてやらなければ、親父は死んでた。さらに、ある理由で、親父は救急車を呼びたくなかったわけだから、救急車を呼ばずに、急性胆嚢炎で死んでいただろう。あの朝、俺が、ストローで水を飲ませてやったり、ストローでライフガードを飲ませてやらなかったら、親父はたぶん死んでた。

ぼくが、死んだのは、高校受験の時だ。

あれ以降、こころが死んでいる。高校生活だって、気違いヘビメタに毎日たたられてたいへんだったよ。あの時点で、一日に一分も鳴らない状態になれば、どうにかなっていたかもしれない。

あるいは、ほんとうに、小学六年生の半年間と、中学一年生、二年生、三年生の三年間で、死んでいたか。だめになったあと鳴りやんでもだめなんだよね。(こころが)死んだあと、鳴りやんでもだめだ。毒ガスで死んだあと、きれいな空気のところに死体を持っていけば、生き返るかというと生き返らないだろ。

クリティカルポイントがある。

リターン可能ポイントがある。

それをすぎたら、ダメなんだよ。

気違い兄貴のやつ、まるで気にしないでやりやがって。あのとき、とどめを刺されたよ。とどめを撃たれた。入学試験前に、それまで三年間ずっと毎日勉強の邪魔を続けた騒音が六時間、七時間、一〇時間、一二時間鳴ってということがどういうことだかわかるか?

わかるわけがない。『ただの入試の失敗なんて、どうでもいいことだ』ということではないんだよ。入試の失敗はでかいけど、ヘビメタ騒音が三年間鳴っていたことの方がデカイ。俺の場合は、そういうことだ。

けど、入学試験の時のことを言えば、入学試験の失敗で死にたくなるんておかしいと思うだろ。そうじゃないんだよ。先行する三年間、毎日、じゅうぶんにと言うか、すこしも勉強ができなかったことの方がおかしい。

そして、睡眠回路をずっと乱され続けたことの方がデカイ。俺がどれだけ根性を出してがんばっても、睡眠回路がこわれていく。この状態がどういう状態だかわかるか? 根性主義者、まるまるまる。ちがうんだよ。ちがうの。

おかあさん、気違いヘビメタ騒音でまるまるまる。
おかあさん、気違いヘビメタ騒音でまるまるまる。


   *   *   *

すさむなぁ。こんな人生ない。
ヘビメタでくるしすぎる。
ヘビメタでくるしいと言っているだろ!!!

   *   *   *

俺がネズミでこまっているのに……。
この時間帯もヘビメタが鳴ってた。気違い兄貴がほんとうに気違いで、気違い的な意地で鳴らした。気違い的な意地で、一分もゆずってくれなかった。試験だろうがなんだろうが一分もゆずってくれなかった。

それが、気違い兄貴がこだわってこだわって、毎日毎日やったことだ。

試験前日だって一分だって静かにしてくれないのに、普段の日、静かにしてくれるわけがないだろ。それなのに、親父のように『しずかにしてやった』と思っている。

気違いだから、そういうふうに思うことが可能なんだよ。普通の人だったら絶対にそういうふうに思えない。正常な感覚ではなくて妄想に支配された感覚だから、そういうふうに現実を言い換えることができる。やっているそばからそういう感覚だ。

たとえば、だれだって自分勝手なところがあるとする。けど、病的に自分勝手な人は普通の人ではない。病的な自分勝手さで、現実を書きかえてしまう人は、普通の人ではない。自分勝手な人だから、自分がやったことがわからない。

自分が夢中になって夢中になって、こだわってこだわって、絶対の意地でやったことがわからない。今度は、絶対の意地で否定する。やり終わったら、今度は、絶対の意地で否定して自分がやったということを認めない。逆に、自分が命がけでやってやらなかったことは、「やってやったこと」になっいてる。気違い兄貴のあたまのなかではそうなっている。そういう、なんて言うのかな? 自分にとってだけ都合がいいち書き換え」がある。

たとえば、異常な人はただ単に、正常な人も持っている性格の一部を異常に強く持っている※だけ※だというような言い方をする人たちがいる。そういう言い方で、異常な人がやったことを、うやむやにしていいのか? やられた人がゆるせばいいのか? やられた人がゆるさない場合どうなる? 

弱肉強食とか強いものが生き残るとか言っている人たちがいるけど、強いのではなくて、自分勝手なだけだ。認知や人間としての感覚を書きかえて、自分勝手に振る舞っているだけだ。

それなら、やられたほうが、殺してもいいということになってしまうのである。やられたほうが、やったほうを殺したら、それは、その場では、やられたほうが実は強かったということになるのだから……。その理論にしたがえば……。

そして、やり勝ちが承認される。やられたほうが怒って、殺せば、それで、すんでしまう。だって、だれでも怒りがあるから、怒って殺した人だって、正常な人が持っている感情を特別に強く持っていた※だけ※なんだということになってしまうからだ。

これ、ちょっとでも飢餓陣営の人はわかるのか? こういう現実を『異常な人』『異常な家族』につきつけられたらどうなるんだ? それは、どうでもいい小さな問題じゃないんだぞ。

やられた方が、我慢して我慢して、働けなくなって、他の人からバカにされるようになればいいということではないんだぞ。働けなくなった……にもかかわらず、それを我慢して働けば、それでいいということではないんだぞ。

ネットが発達したから、たまたま働けているだけで、ネットが発達してなかったら、働けない状態が続くのである。気違い兄貴がやったことで、俺がバカにされて続けていいわけがないだろ。「ゆるし」……。

だれがなにをゆるすのか? 俺が気違い兄貴をゆるせば、それですむ問題じゃないんだよ。俺のなかではそうだ。俺以外の人のなかでは、俺が気違い兄貴をゆるせば、それですむ問題なのだろう。けど、それは、俺以外の人間だからそう思えるだけだ。

俺が兄貴のことを、俺が中学三年生の時に殺さなかったから、(外では)俺が働けないからだになっているんだぞ。我慢して我慢して、俺が働けないからだになっている。俺が三五歳の時、おまえらは俺になんと言ったか覚えているか?

なんで、殺すことを我慢した善人である俺が、他の人からだめ人間のように言われるのか? 働かずにサボっているからだめな人間だと思われなければならないのか? 「その歳で働いてないなんておかしい」と思われなければならないのか。

学歴? 学歴? 職歴? 職歴? おまえ、そんなもの、ヘビメタ騒音で、吹っ飛んでしまうに決まっているだろ。一日に何時間も何時間も、あのデカさのヘビメタ騒音にたたられるということは、ものすごくひどいことなんだよ。どれだけ我慢強い人だって、働けないからだになるに決まっているだろ。進学に失敗するに決まっているだろ。ほんとうに他人ごとだと思って、ぼろくそに言いやがって。偏見。差別。無職差別。引きこもり差別。

佐藤氏に言っておくと、盛氏の態度がああなのは、佐藤氏が盛氏に、『(社会経験がないから)指導してやってくれ』というようなことを言ったからなんだよ。盛氏のなかではあれが『指導』だったんだろ。だから、ああいう態度なんだよ。(ネットのことを担当しているあいだは)。(言っておくけど、俺はあの時点で、盛氏よりも、ネット(ウエブサイト構築)に関して知識があった。秀丸のマクロに関してもたぶん盛氏よりも知識があった)。ネットの知識や技術に関しては、森氏はぼくに指導ができない。(そりゃ、知識や技術がない人がある人に指導できるわけがないだろ)。

そして、俺は、機種依存文字については、佐藤氏に判断をあづけたあと『好きにやってくれ』と言われたので、機種依存文字を機種に依存しない文字に書きかえただけなんだよ。これもやってやらなければよかったことなんだけど。

あと、俺に対してガンガン言ってきた人(かりにA氏)が、どうして俺のことをうらんでいるか(いたか)というと、佐藤氏が司会をやったとき、ある人が質問をした。その質問にかなり時間をとられていた。で、その質問に関しては、ぼくも興味があったので、なるべく深く話して欲しかったのでそれはそれでよかった。A氏は(たぶん)あのとき『他の人だっているのだから、もっと短くしろ(するべきだ)」と言った人なんだよ。けど、その人だということに気がつかずに、ぼくが横の人に『あの話しはもっと掘り下げて欲しかったな』と言ってしまったんだよ。で、それを聞いたA氏が怒ったというわけ。

++++++++++

あの中でヘビメタ騒音はひどいことなので、働けなくなるのももっともだ(しかたがない)と思った人は何人いた? これ、ちょっと気になるんだよな。ああいうレベルの人たちですら、そういうふうに思うことに失敗する。これは、おかしい。どうして、「ヘビメタ騒音なんて鳴ってたって、働けるはずだ」と思うのか? 俺は、ヘビメタ騒音がどういう時間の長さ、どういう期間の長さ、どれだけの大きな音で鳴ってたか、短めに、説明したぞ。そういう説明を信じなかったやつは何人だ?


これがぼくの人生なのか?


めちゃくちゃにつかれた。

けど、このままだとやばいので、なにか食べに行ってくる。

ほんとうに、つかれたなぁ。

こういう日々。



これがぼくの人生なのか?



仕事なんていうのは個別具体的な作業の積み重ねだから、つかれちゃったらだめだ。このレベルで、つかれちゃったら、だめだ。どんな仕事もできなくなる。で、ぼくの場合、ヘビメタ騒音でつかれている。ここのところが、実感として他の人にはわからない。

ある程度元気がないと、世間的な付き合いができない。真の交友もない。ある程度、元気がないと、ほんとうの交流だろうとうわべだけのにせの交流だろうと、できなくなる。

ヘビメタ騒音連続というのは、そういう「やまい」を引き起こす。
そういう状態に、ごく自然に追い込まれていく。人のしくみということを考えると、ヘビメタ騒音にたたられてない『他者』の感じ方というのもわかる。

けど、むりなんだよ。他者の感じ方を認めて、元気に振る舞うとか、ヘビメタ騒音について語らないというのは無理だ。ヘビメタ騒音について語らないと、誤解を受けまくるのである。

けど、ヘビメタ騒音について語っても、誤解を受ける。約半分の人から、誤解を受ける。ヘビメタ騒音について語った場合、ぼくがただ単に『愚痴を言った』と考える人は、ぼくがただ単に愚痴言ったと考えるだろう。ははっ。そういう人とは、つきあえない。

けど、気違い兄貴のやり方がそういう人たちが考えるやり方をこえているので、……悪い方向でこえているので……必然的に、その人たちとぼくのあいだには溝ができる。

じゃあ、説明しないとどうなるのかというと……そいつらにバカにされておしまいだ。勝手にサボってそうなっていると考えるわけだから……。そいつらは……。

そして、そいつらにとって、働かないということは悪なので、ぼくが悪いやつで、ぼくが悪を実行しているということになる。ヘビメタ騒音のことを説明して、『ヘビメタ騒音で疲れ果てて働けない』いうことを言ったにしろ、そう感じるやつは感じる。『ヘビメタ騒音なんて働けない理由になるわけがないだろ』と感じるわけだ。

この感じ方は、まちがっている。この意見は、大きくまちがっている。しょせんは、気違いヘビメタ騒音を毎日一五年間にわたって、浴びせられたやつじゃないからわからないだけだ。どれだけの困難がしょうじるかわかってないだけ。想像すらできない。そういう想像力だから、わからない。想像力がある人はわかる。けど、それは、やはり半分ぐらいの人だ。





2019年9月10日火曜日

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俺がいま、めちゃくちゃに、つまんない。
どうにかしてくれ~~
けど、基本、ほんとうの意味で『休暇』なのかもしれない。

最近、いろいろといそがしかったからなぁ。けっきょく、掃除と洗濯はしたけど、昔のことでけっこうつらい。この昔のことというのは、いまのことだ。いまの状態に直接激しく、影響を与えている。

いま、雷が鳴っているんだよね。ジュースが飲みたい。炭酸が飲みたい。

今日も刺身定食を食べたかったなぁ。
ちょっとぜいたくをして、刺身定食を三日ぐらい食べるかな?
今年は、ステーキを四日ぐらい食べたからな。けど、ヘビメタ騒音の記憶で、めちゃくちゃなんだけどな。どんだけつらい気持ちであの道を(自転車で)走ったか。
ステーキを食ったって、刺身を食ったって、気持ちなんて晴れないんだよ。しかも、俺は酒が飲めるタイプではないので、酒を飲むと頭がガンガンするだけで、ぜんぜん気持ちよくなれないのだ。

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●●騒音で人生がないという話し一一



騒音で人生がないという話し一一。
だるいけど、がんばって出した~~


作風が暗すぎてあんまり宣伝できない。

みんな詐欺師みたいな人の言うことには賛成して、ゼミに行って、三万円も四万円もみつぐのに。
まあ、騒音サイコパスは、お得情報はないけどさ。

しかし、お得情報を求めている人は、本当に喜んで騙されに行くからな。

まあ、哲学系人間学系の話はあんまり、うけないよな。
自己実現、気付き、SNSのうまい使い方(もうけかた・ビジネス)といった感じのところには、金を出すのにね。けど、その人達が言っていることというのは、〇円で落ちている。メンターとかマインドセットとか虚業のキーワード。しかし、本当に、そこでビジネスをするしかないようなところがあるな。

けっきょく、後発組の自営業が飯を食っていくには、そこらへんで儲けるしかないのかな。

人気云々を考えても、なんていうのかな、出し惜しみする人が、最初から騙すつもりで、話を作っている場合のほうが、だんぜんうけるんだよね。おかしいだろ。マインドセットって、騙すマインドセットだったりする。けど、やっぱり、そっちのほうが、旗色がいい。人気が出る。おかしい。

まあ、今日感じたのは、そんなところ。

あと、何万時間もやられたから、やっぱり、だるい。
もう、そういう点で、人気がある方には行けない。
そりゃ、明るくて、やる気がある人のほうがモテるからな。
これは、本当にそうだよ。


どんだけ『負の学習』を繰り返したか


起きたけど、これは、ヘビメタ騒音時代の朝の雰囲気だ。からだがしんどい。目がつかれている。この、雰囲気。終わってる。
あんまりにも長くやられすぎた。どんだけ『負の学習』を繰り返したか。もう、焼き付いてとれないよ。脳に焼き付いてとれないよ。この雰囲気がこの世の雰囲気だ。気違いが意地になってやると、こういうことになってしまう。気違い兄貴の『意地』なんて、到底 他の人にはわからない。で、気違い兄貴自身が一番わかってないところがある。アクティング・アウトしているのに、本人は、まったくわかってないんだよな。やっているということがわかってない。ほんとうの意味でも、嘘の意味でもわかってない。『こっちは、やられて朝からさんざんだよ』。この『こっちは、やられて朝からさんざんだよ』という文だって、認知療法家がつっこんでくるところだ。けど、ちがうんだよ。何千日もやられて、ハンディ(障害)が生じて、いいわけがないだろ。どうしてこれがわからないか? どれだけやられても変化を受けないじょうぶなからだを前提にして、ものを言うな!!

2019年9月9日月曜日

『過去のことなんて関係がない』なんて言っているやつだったら、とっくに自殺していると思う


むかしのアイドルの動画を視ていたけど、●ぬ。
あーあ。
ヘビメタ騒音がでかすぎる。
ネズミとヘビメタ騒音。
体の疲労。

ともかく、どこかうちではないところで食べたいので、どこかに行く。
しかし、その近所というのが、ヘビメタ騒音にたたられたころの近所なので、こまる。まあ、時間がたったので、いろいろと建物がちがっているけど、けど、物理的には、また、地理的にはおなじところだ。

ヘビメタ騒音にやられて、ここで一人で住んでいるとか……。
これ、ほんとう、俺だから生きているけど、とっくに死んでいる。
もしも、『過去のことなんて関係がない』なんて言っているやつだったら、とっくに自殺していると思う。そういうことを、想像力がないから言えるやつはヘビメタ騒音に二年目に、首つり自殺だ。ただ単に、ヘビメタ騒音に毎日さらされたことがないから、『過去のことなんて関係がない』なんて言えるわけで、実際にやられたら、毎日どれだけくるしいかわかる。

あの生活はない。

ヘビメタ騒音のことを過小評価しているやつは、ただ単に想像力がないから過小評価しているだけ。過小評価しているやつだって、実際にやられたら、どれだけつらいか、わかる。

俺はしつこいから生きているんだよ。希望をすてられないから生きているんだよ。どれだけのことがおそってくるか。二〇〇〇日目にどれだけつらいか、わかるわけがない。

こういう想像力がないやつらに、なめられことを言われるのも、ヘビメタ騒音障害のひとつだ。不可避的にしょうじる「いやなこと」のひとつだ。ひとつだと言っても、想像力がないやつに会えば、そいつは、そういうふうに考えるので、かずは多い。ただ単に、想像力が欠けているだけなのに、『強い』と勘違いしている。ただ単に、想像力が欠けているだけなのに、俺よりも騒音耐性があると思っている。ただ単に、想像力が欠けているだけなんだよ。まあ、想像力が欠けているやつらは、そういうこともわからないだろう。たりない頭で、ヘビメタ騒音のことを考えて、『たいした障害じゃない』『そんなに長い間影響を与える傷害じゃない』と思うわけだ。そのわりには、障害児にはやたらと、同情するんだよな。こういうの、おかしいよ。先天的か後天的かのちがいだけだ。俺は、ヘビメタ騒音で睡眠障害を背負った。障害なんだよ。これがわからないのか? まるで俺が好きで夜更かしをしているようにいいやがって。自分が起きれるからと言って、起きれないのは甘えだと言いやがって。けど、おまえが起きれるのは、ヘビメタ騒音を五〇〇〇日浴びてないからだ。おまえだって、ヘビメタ騒音を五〇〇〇日浴びたら、睡眠回路がこわれて眠れなくなり、起きれなくなる。適切な時間に、行動できなくなる。


こんなところは、とっくのとうに、おさらばしていた。

ネズミのことがでかくてでかくて……。これ、夜の雰囲気とか、ヘビメタ騒音とおなじ……。俺のこころが破壊される。だいたい、どうしてぼくがこんなところに取り残されなければならないのだ。ヘビメタ騒音が鳴っていたからだ。くるしい。ヘビメタ騒音が鳴ってなければ、こんなところは、とっくのとうに、おさらばしていた。

2019年9月8日日曜日

どこに行ってもキレイゴトのほうが勝つ


だめだ。こころが動かない。ちょっとやられすぎたな。これ、不思議なんだけど、能力を制限され、家族に毎日やられるとなると、こういう経路をたどってだめになると思う。気違い兄貴のやり方があまりにも特殊だからな。世間の人が押しつけてくるのは……ぼくに押しつけてくるのは、キレイゴトだ。気違い兄貴がぼくに押しつけてくるのは気違い的な意地だ。気違い的な意地で騒音を鳴らすことだ。そして気違い的な意地で騒音を鳴らしてもまったく気にしないことだ。目の前で、常識が踏みにじられているのに、常識に従わなければならない。自分はうえてぎりぎりなのに……自分よりもいっぱい食べている人にご飯をあげなきゃいけないようなものだ。自分よりもいっぱい食べている人というのは、常識的な量、食べている人だ。俺はまったく食べられない状態なのである。自分はほとんどまったく食べられない状態なのに、自分よりいっぱい食べている人に、自分のご飯を差し出さなければならないなんて……。そして、そういうことに気がつく人がいない状態なのである。これが、うちの親父・うちの兄貴型の気違い家族にやられている人の状態だ。キレイゴトにあわせるということは、そういうことだ。そりゃ、一回ぐらいはいいだろう。けど、毎回毎回毎日毎日ということになったらどうなるか? やはり疲れ果ててしまう。言いようのない不満を抱えることになる。


どこに行ってもキレイゴトのほうが勝つわけだけど、これはやはりおかしい。根本的なところでまちがっている。

ともかく、能力一〇分の一のしばりプレーで、他の人から文句を言われている状態なんて、たえられるわけがないだろ。それで底辺に突き落とされて、『自業自得』『自己責任』なんて言われる状態とたえられるわけがないだろ。

2019年9月7日土曜日

目が見えない人に、『もっとちゃんと前を見て歩いたほうがいいよ』と言っているのとおなじ


今日は、動いてないから、〇円だな。注文もしてないし、外食もしてない。
にしても、……。こたえるなぁ。つかれている。やる気になれない。どうしてもやる気がしない。左胸の下あたりに、ダニ?に刺されたあとがある。あんまり、気にしてなかったのだけど、複数個刺されて、なんていうのかな? だいぶ赤いエリアが思ったよりデカイ。これ、気にしてなかったんだけど、案外目立つので、薬を塗っておいた。
あーー。こんなことして……。
ともかく、つかれている。

ヘビメタ騒音にやられなかった人たちが……普通の人たちがうらやましい。どんだけむだなエネルギーか。ヘビメタ騒音対抗で一生分のエネルギーのほとんどを使っている。気違いヘビメタがなければそんなことはなかったんだぞ。気違い兄貴だって、『ヨソのうち』に行ったら、一発で、やめやがって。そういうやつなんだよ。気違いだから、そういうことができる。うちで』どれだけ意地になって鳴らしたか。毎日、一秒だってゆずってくれなかった。絶対の意地で鳴らしていたの絶対の意地で鳴らしてないと思っている。でかい音で鳴らしてたのに、でかい音で鳴らしてないと思っている。よそじゃ、一秒だって鳴らせないようなデカイ音なんだよ。兄貴にしたって、『ヨソじゃ』一日に一秒だって鳴らせないような……デカイ音なんだよ。それを……。しかも、ヨソの人たちは、それがわかってない。俺に『働いたほうがいい』なんて説教をしたやつは、気違いヘビメタを一秒もきてない。ヘビメタ騒音が一日に一四時間近く鳴っている日を経験してない。それで、『働いたほうがいい』だからな。『ヘビメタ騒音で働けない』と言っているだろ。
ヘビメタ騒音の連続は、ほんとうにデカイ。デカイデカイ影響をからだに与える。人生全部に与える。他の人が考えているような騒音じゃないのである。せいぜい六ヶ月で終わるような、工事の音じゃないのである。しかも、午後八時以降は、鳴らせないだろ。工事の音なんて、普通は午後五時以降、鳴らせない。ほんとうに、目の前がデカイ幼稚園だから、俺だけが……真横の部屋に住んでいる俺だけが、やられた……。お母さんだって、ウチのなかでは一番音が小さくなる部屋にいるわけだし、お母さんは左耳がちょっと聞こえないので、その点でも恵まれていたのだろう。ともかく、真横の部屋の音圧はすごい。無視できない。やられておいて無視をするということができない。何時間も鳴らされて、影響を受けないということができない。俺が、意図的に夜更かしをしている場合とおなじだと思っているんだよな。『次の日、つらい』と言っても、気違いヘビメタを聞かされている場合と、自分で選択して起きている場合はちがうよ。たとえ、午前四時まで起きていたとしても……。そういうちがいがわからないやつが、『俺だって、夜更かしをしたときはつらかった』とか言いやがる。『つらかったけど、ちゃんと学校に通い、ちゃんと仕事をしている』と言いやがる。おまえのそれとはちがうだろ。おまえは、好きで、深夜ラジオを聞いたり、ゲームをしていたりしていたんだろ。ぜんぜんちがう。『ヘビメタ騒音で次の日がつらい』『ヘビメタ騒音で、朝起きれない(起きれなくなる)』と言っても、こういう理解度のやつが、あほなことを言ってくるということになってしまう。これが地獄でなくてなんだ。『働いたほうがいい』と言ったやつも、こういう、やつとおなじなんだよ。ヘビメタ騒音の影響を完全に無視している。過小評価している。そりゃ、ヒトゴトならなんとだって言える。こいつらは、実際には、「あおっている」ということがわかってない。世の中には、働けるように見えて働けない人間がいる。その人に『働いたほうがいい』なんて言うのは、目が見えない人に、『もっとちゃんと前を見て歩いたほうがいいよ』と言っているのとおなじなんだぞ。おまえら、事情がわかってないだけだろ。

※注解 働くというのは、外で普通に働くということな。そりゃ、おなじ時間に通勤しなくてもいいという条件が加わるなら、働けるようになる。けど、それは、ちょっと前まで現実的ではなかった条件だ。ともかく、このサイトの中でただ単に『働く』と言った場合は、外で働くということだから。端的に言えば、企業で(やとわれて)働くというとだから。

2019年9月6日金曜日

聞いて、理解した話しと、実際の一時間、二時間は、ちがう


精神的にくるしいなぁ。
どうするべきか?

俺はやはりヘビメタ騒音でくるしい。

他の人にはまったくわからないことだけど、二四時間中二四時間、くるしい。
いまも、ヘビメタが鳴っている時間だ。
2019年09月06日16時30分27秒
鳴り始めて三〇分と言ったところか。

他の人にはまったくわからないことなんだよなぁ。だから、他の人には、俺がこだわりたくてこだわっているように見えてしまうんだよな。実際、ぼくの立場になればわかるけど、ちがう。実際、一一歳から二五歳までの一五年間、毎日やられれば、「そうじゃないんだ」ということがわかると思う。けど、そういう人はいないので、「そうじゃないいんだ」ということがわからない人だけしかいない。まあ、想像はできるかもしれないけど、想像は想像だ。現実とはちがう。話しで聞いて、理解した話しと、実際の一時間、二時間は、ちがう。

午後四時から、午後四時三〇分までのくるしみだって、実際にその音のなかにいた人しかわからない。気違い兄貴の気違い的な感覚や、気違い兄貴の気違い的な意地がわからない。普通の人はわからない。頭にくるのが、気違い兄貴が普通の人以上に自分がやったことや、自分の感覚が異常だということに無頓着だということだ。気違い兄貴が一番わかってない。で、『わかってない構造』を利用して、やり続ける。だから、本人はほんとうに『やってないつもり』でいる。やったとしても、『たいしてやってないつもり』でいる。頭がおかしいからそういう態度で、実はこだわりきって、やることができる。やり続けたって、問題を感じない。それは、どれだけ言われても問題を感じないわけで、俺が言わなかったわけじゃないんだよ。読解力がない人のために言っておくと、俺が兄貴に注意しなかったわけではないということだ。

   *   *   *

重すぎる。どこに行っても、ヘビメタ騒音以降の体力じゃダメなのだ。ヘビメタ騒音以降の睡眠力じゃダメなのだ。障害者差別に敏感な人でも、平気で無職差別、引きこもり差別をしやがる。しかも、無職差別や引きこもり差別に関しては、悪いと思ってないのである。普通の人が、そういう感覚を持っている。これは、日本労働教の影響だと思うけど、これは、考えてみればひどい話しなんだよ。考えないから、ひどい話しだとは思ってないだろうけど。

2019年9月5日木曜日

『ヘビメタでくるしい』と言っているだろ!


風呂終了。のんびりしているようだが、のんびりしているわけではない。基本、いやな記憶がよみがえってくる。『ヘビメタでくるしい』と言っているだろ。『ヘビメタでくるしい』と言っているだろ!! 『ヘビメタでくるしい』と言っているだろ!!!

長期騒音のひとつの症状として、「くるしい」「つまらない」と言って人から嫌われるという症状がある


2019年08月21日03時12分07秒
わりと、すずしい。
たすかるぜ。
しかし、なんかつかれた。
横になっていてもくるしい。
やるべきことはある。
めんどうくさい。

2019年08月21日04時04分52秒
ひげを剃った。
ひげを剃ったけど、めんどい。
なにもかもがめんどいな。
とくに、ネズミ事件。あー、ネズミ事件から解放されたい。
電灯をつけていても、ネズミはくるけど、明るくしておきたいので電灯をつけている。(俺のいない西の部屋)。ああー、電気代、むだ。
しかし、これ、いろいろな思い出かあるけど、ヘビメタ騒音でくるしかった。ヘビメタ騒音でくるしかった思い出がでかくてなまなましい。いまでも一日中くるしい。あいまあいまに、くるしい思いが復活する。
おいつめられた。

関連して言うと、なんて言うのか……すべてがつまらない。こう、なんて言うのかな? 「あっ、これもういいや」という気持ちが強い。ぼくが成し遂げたことというのはほんとうはいろいろとある。あるけど自分が覚えたところで終わっている。まあ、なんだかんだ言って、ともかく、しんどいのだね。
で、また、なんて言うのかな? 理屈としては、前向きで明るいことを言っている人のほうが魅力があるというのは、わかる。「つかれた」「つまんない」……たしかに、魅力がない。
けど、「ヘビメタ騒音を、あの態度で、何千日も、毎日毎日、やられていいわけがない」という気持ちがある。そりゃ、つかれるだろ。そりゃ、つまらない思いをするだろ。何千日も、何万時間もそうだった。だから、こっちのほうが「リアル」なのである。だから、まあ、何次汚染と言うべきかわからないけど、ヘビメタ騒音のひとつの症状として、「くるしい」「つまらない」と言って人から嫌われるという症状がある。気違い家族による長期の騒音というのは、そういう側面がある。一般読み物的な心理学は、一般的な人を相手にしているから、気違い家族による長期の騒音を経験した人には「あわない」。そもそもがちがう。緊急介入が必要な「とき」が、十数年も、続いてしまうというのは、「普通」ではない。一般的じゃない。

これ、じゃ、自分のリアルな感情を裏切って「たのしいたのしい」と言っていれば、楽しくなったりするかというとそうではないのだ。そんなことより、ヘビメタが一日で鳴りやむことが必要だった。

ヘビメタ騒音でくるしくてくるしくて、やる前から「はてて」しまう。そういうことの繰り返しだ。どれだけ、気違いヘビメタの堆積がくるしいか……。ヘビメタ騒音が積み重なって(堆積して)社会生活ができなくなった人じゃないとわからない。わからないから「たてまえ」「きれいごと」「ありそうなこと」「ポジティブなこと」を言うわけだけど、こっちにしてみれば、それは、リアルじゃない。リアルじゃない。リアルじゃない。

リアルじゃないという話しは、やられてない人にとってはどうでもいい話なので、うけない。どのみち、ゴクゴク少数の人しかわからない。「騒音」と言ったって騒音の程度はいろいろだし、持続時間もいろいろだ。騒音を出している「ぬし」との人間関係もいろいろだ。ぜんぜんちがう、騒音なんだよ。けど、音のデカさと持続時間は重要だけど……。

人間の反応としてはそうなるということを、(やられてないひとから)せめられるということになってしまうのだ。

2019年9月3日火曜日

そういう問題じゃない。そういう問題じゃないんだ。


生きてるぞ。頭の中はヘビメタ騒音のことでいっぱいだけどな。

CSSのかなり高度な本を読んだ。文字が小さい。昔ならいいけど、いまはきつい。だから、おくと文字がおおきくなる系のルーペを使っているのだけど、これは、これで、不便なところもある。

まず、今日はシャワーを浴びることができたということがいい。これが、いい点。
あとは、いまもやってもらっているのだけど、ネズミ対策が進行中だ。

いやな点
ヘビメタ騒音に関することで、他人が誤解するので頭にくる。これ、必然的に『善人』が誤解するわけだから、いだよな。これも、この世の地獄の一つだ。気違いがヘビメタ騒音を出して、出してないつもりでいるということが押し出すことがでかすぎる。これ、しくみがわからないんだよ。他の人には……。ヘビメタ騒音生活は、それだけで破綻だ。

「だれだってやなことはある」「俺だっていやなことはある」ですむ問題じゃない。日常生活をしていれば、それは、「いやなこと」はある。しかし、それは、ヘビメタ騒音がなくてもあることだ。

で、家にいるときはいつもヘビメタ騒音がガンガン鳴っている日常生活というのは、切羽詰まった状態でいやなことばかりなのである。どうしてかというと、ヘビメタ騒音がいやなことを……日常生活上のいやなことをつくりだすからだ。これは、必然的に作り出す。これが実感としてわかってない人だから、「だれだってやなことはある」「俺だっていやなことはある」と言えるのである。そういうレベルじゃない。

俺は、ヘビメタ騒音がはじまる前から、気違い親父にたたられていたわけで、それだけでも、他の人よりも、いや目に遭うことが多い。気違い親父が直接、わけのわからないことで怒り狂ってくるということだけではない。

気違い兄貴の『ハンダゴテ事件』のようなものが、毎回起こってしまうのである。だから、ここでも、気違いが気違い的な感覚でふんばると、やられたひとが、まわりの人……事情を知らない人から、無能呼ばわりされるという問題がしょうじる。

これは、そのまま、気違い兄貴-俺とのあいだにも成り立つ。「ウチ」のなかで、あれている人が、あまりにも気違い的な感覚であれているので、他の人がわからないのである。

ともかく、普通に暮らしてたって、そりゃ、いやなことはあるけど、ヘビメタ騒音生活は、ヘビメタ騒音だけで、限界値に達する。そして、ヘビメタ騒音にたたられていることが、次々にトラブルを引き起こしてしまうのである。その日、宿題ができないということもそうだし、そういう日が三年間毎日積み重なって、入学試験に失敗する(という結果を得る)ということも、人生上のトラブルだ。ともかく、量がちがう。ひとつひとつが離れてないのである。ヘビメタ騒音を鳴らされていることによって、まわりとのトラブルが不可避的に、かつ、自動的に発生する。そして、そのトラブルに、ヘビメタ騒音のなかで対処しなければならないということになってしまうのである。ヘビメタ騒音のなかというのは、ヘビメタ騒音生活中に、ということだ。そうなると、片付く問題だって片付かないのである。この量が、ひどすぎる。大きすぎる。他の人は、『ヘビメタ騒音にたたられた』というぼくの話で、そういうところまで、想像することができない。その人の『騒音トラブル』やその人の『日常生活のいやなこと』を思い出してしまう。その基準で、ものをいいやがる。けど、これは、実際にヘビメタ騒音生活を経験した人じゃないとわからないと思うけど、ヘビメタ騒音生活中のトラブルというのは、そうじゃない生活中のトラブルとは、質量ともにちがうのである。また、すでにからだがテンパっている状態なので、……究極的にがんばっているのにもかかわらず、トラブルが生じるということになってしまっているのである。これは、気をぬいていたからトラブルが発生したというのとはちがう。気をぬいている場合は、改善する余地がある。改善するための体力がある。気違いヘビメタ騒音生活では、余地も体力もない。ほんとうに生きるか死ぬかの究極の状態なのである。そのくらい、追い詰められる。毎日追い詰められる。にもかかわらず、他人は他人なので、その深刻さがわからない。

死にものぐるいでがんばっているのに、耐えて耐えてがんばっているのに、気をぬいていると思われる。サボっていると思われる。甘えていると思われる。こんなのはない。

感覚がズレた家族が、気違い的な意地で、よその家では一分だってやらないことを毎日毎日7時間以上やるということによって、強烈にくるしい状態になる。そのくるしい状態は、他の人にはわからない。感覚がズレた家族に毎日毎日7時間以上やられまくった人じゃないとわからない。あんなの、気違い兄貴にしたって、別の音であれば、騒音だとわかる音の大きさなのに、自分がやりたい気持ちでやっている以上、絶対の意地でわからないわけだからな。これは、意識して認めないというのではなくて、無意識的にそういうところをすり抜けてわからないのである。だから、本人はどれだけやったって、「やったつもりがないまま」なんだよ。キチガイ的な意地で毎日長時間にわたってやっていることなのに、「やってない」と思っている……こういう奇妙キテレツことが起こってしまう。そして、本人はそれでこまらない。本人はそれで『得』をしている。だって、よそのうちならやれないようなことを、うちでは『気にしないで』やれるわけだから。そして、それをやりたいわけだから。気違い兄貴は思いっきりヘビメタを鳴らしたいわけだから、そうできるというのは、気違い兄貴にとっていいことだ。

2019年9月2日月曜日

言われて、不愉快な気持ちになって怒ったら、それで終わりなんだよ

ヘビメタの問題を軽く見て、俺にえらそうなことを言ったやつらを

デコパッチンBしたい。



俺が、音のデカさも、一日のなかでの持続時間(鳴っている時間)についても言っているのに。合計で一四年数ヶ月、毎日鳴っていたと言っているのに……。あんなことをやられて、普通に通勤できるわけがないだろ。七年間の、ヘビメタ騒音と通学で、全部こわれたよ。日曜祭日なんて、一三時間ぐらい鳴っているんだぞ。それも、どれだけ言っても一〇〇%の音から九九・九%ぐらいの音で鳴らしている。気違い兄貴が思いつく「しずかにしてやる」というのは、九九・九%ぐらいの音で鳴らし続けることなんだぞ。その九九・九%ぐらいの音にする時間だって、五分か一〇分だ。あと、他の時間はずっと一〇〇%の音で鳴らしている。自分が鳴らせる最大限の音で鳴らしている。自分の耳が悪くなるようなデカイ音で鳴らしている。



それで、「やったつもりがまったくない」状態なんだからな。俺の生活に影響を与えているつもりがまったくない。どれだけ言われたって親父とおなじで、意識に残らないのである。聞いた途端に、「ひてい」だよ。自分が否定したら、たとえ、全力でやってたってやってないことになってしまう。ほんとうは関係があることなのに……張本人だから関係があることなのに……まったく関係がないひとになってしまう。言われて、不愉快な気持ちになって怒ったら、それで終わりなんだよ。



切れて、関係がないつもりになってしまう。



実際にその、〇・一秒後には、まったく関係がないつもりで、気違い的にデカイ音でならすことができる。鳴らしたい気違い兄貴にとっては、「静かにしてくれ」「静かにしろ」ということが、認められないことなんだよ。それは、親父が正反対のことを言って怒っている状態とおなじだ。認めたくないことは、頑固に無視して、やりきる。



普通の人間の場合、「そうした」という意識や記憶がある。自分が意地になって否定して、自分がそのあとやった(やめろと言われた行為をした)という記憶がある。



そりゃ、やっているんだから、記憶に残るだろう。

意地になってやっていることなんだからな。



けど、気違い兄貴と気違い親父は、そういう記憶がない。そんなの、やったってやってなくたって、関係がないことなのである。頭がおかしいからごく普通にそういう態度がとれる。



普通の人だったら、意地になってやった場合は、意地になってやったということが記憶に残る。普通の人だったら、無視した場合、無視したということが記憶に残る。



けど、あいつらは、一切合切記憶に残らないのである。



相手が言ってきたというとも、無視してしまう。これは、怒ったときに忘れているわけで、〇・一秒後には、まったく言われなかったという気持ちでやり続けることができる。他の人がわからないことで、あるいは認めたがらないことで、俺が毎日こまってた。



そりゃ、気違い親父と気違い兄貴は、人格としてそうなっているわけだから、毎日普通にそうする。自分がやりたいことはそうやって通す。その自分がやりたいことを通すというのが、兄貴の場合、ヘビメタ騒音を思いっきり自分が満足できる音のデカさで鳴らすということだった。



親父のやり方のコピーなのである。けど、ほんとうに頭の構造がおなじでなければ、やろうと思ったってできないことなんだよ。そりゃ、無視してやり続けた場合、普通の人の場合は、どうしたって「無視してやり続けた」という意識がしょうじてしまうからだ。



そして、それは記憶に残る。



けど、気違い兄貴と気違い親父はそれがない。そういう意味で、自己中心的なのである。そういう意味で、非常に自分勝手なのである。

2019年9月1日日曜日

表面では、他の人に対処しているけど、実は、人と話しているときも


今日、やるつもりだったんだけど、やめようかな。バルサンに汚染されたくないものを袋につめていたら、けっこう袋が増えてしまった。理由は、お勝手においてあったものを、最初から二階の部屋にあるものといっしょにしたくなかったから。お勝手においてあったものは、表面がネズミのばい菌に汚染されている可能性がある。可能性なのだけど。



ともかく、ご飯が入ったジャーを袋に入れて、それを、箱に入れるというようなことをしていたら、思ったより時間がかかった。で、腹がへってきたので、わざわざ、袋に入れたあと、箱に入れたものを出して、めしを食った。



あとは、哲学的な文章を書き始めたら、きりがつかずにけっこう書いたので、それも時間がかかった。

ともかく、行く気がなくなった。

基本的に言って、ヘビメタ騒音でだるい。この雰囲気はヘビメタ騒音の日曜の雰囲気なので、とてもくるしい。気分的にもからだもきつい。

だれがいても、この雰囲気はかわらない。だれと話していても、底の方にある「ヘビメタ騒音の不安」と「ヘビメタ騒音の怒り」と「ヘビメタ騒音の憂鬱」が消えない。表面では、他の人に対処しているけど、実は、人と話しているときも、底の方に、ヘビメタ騒音の不安、いかり、憂鬱がある。とてもくるしい。24時間中24時間、この三つが消えない。

もう、全部の雰囲気がだめなんだよ。この世の雰囲気。たとえば、家の中で、自分の部屋の中で、これを書いているような雰囲気もだめだし、外を歩いているときの雰囲気もだめだし、店のなかで食べ物が出てくるをまっているときの雰囲気もだめだし、食べているときの雰囲気もだめだ。帰ってくるときの雰囲気もだめだ。コンビニにいるときの雰囲気もだめだ。すべて、ヘビメタ騒音に汚染されている。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。