2022年5月30日月曜日

ヘビメタ騒音とは、まさしく、人づきあいを破壊する騒音なのだ

今日は、なまゴミの日で、たぶん、普通の状態で捨てることができる。これ、ずっと起きていて、眠りたいのに、青いかごが出ないから、ずっと待っている状態というのが、きつくてさぁ……。ヘビメタ騒音時代の状態になってしまう。朝、俺がどれだけくるしんだか。そういう経験がない人が、「自分を楽しませることなんて、いくらだってできる」と言っているのを見ると、「ちがうんだよなぁ」と思ってしまう。もちろん、その人が言っていることがまちがっているという意味と、その人とぼくとでは、相当にちがってしまったなぁという意味がある。両方の意味がある。そりゃ、波はあるにしろ中立的な状態で生きてきた人と、ぼくとではちがう。あの騒音の毎日を経験したことがない人が、適当なことを言っているようにしか思えない。適当というのは、いい意味で言っているのではなくて、悪い意味で言っている。ようするに、まちがっているということだ。「つまらないと言っているやつが、ほんとうにつまらないやつだ」と言っていた人に、ぼくはだいぶ反論したけど、こいつもわかってないんだよね。まあ、普通の人はわからない。で、この感覚のちがいが、やっぱり、人づきあいのうえで問題になる。ヘビメタ騒音とは、まさしく、人づきあいを破壊する騒音なのだ。どれだけ破壊されたかわからない。

きちがい兄貴のしつこさがわかってない。これ、きちがい親父とおなじで、やりだしたとまらないんだよな。どれだけ言ってもやめさせることができない。ほんとうに、きちがいの目なんだよな。きちがいの形相なんだよな。殺さなければ、絶対にやめさせることができない。こういう態度で、相手の人生を破壊するような迷惑行為をやっているのにかかわらず、自分がそういうことを、熱心に、絶対の意地でやっている……やっている……やっている……ということがわからないんだよ。で、このわからなさも、異常なんだよ。こんなの、普通だったらひとこと、言えばわかることなのに、何十万回言ったって、わからない……まま……なんだよ。だから、本人は、気づかないし、傷つかないわけ。きちがい的な意地でやって、きちがい的な意地で「やった」ということを認めない。で、きちがい的な意地で「やった」ということを認めないということを、認めない。だから、二重、三重に、おかしいわけ。 けど、これがまた、普通の家の人には、「よそのいえ」のことだから、わからないわけ。わからない構造はちがうけど、わからないということはおなじなんだよ。まあ、理解してない内容もちがうんだけどね。けど、これは、きちがい的な家族にやられた人を、おいつめる。そして、毎日続いてしまうのだから毎日、おいつめられる。これが、ほかの人には、わからない。説明しても、ひとごとなので、わからない。その人のもっている『総体』のほうがでかい。ようするに、たとえば、「人間は働くべきだ」というような考えをもっている人にとっては、そっちのほうが優先されるわけ。ヘビメタ騒音で働けないとぼくが言っても言っても、ヘビメタ騒音の部分は無視したり、過小評価して、自分の考えをおしつけてくる。総体」というのは、その人がもっている……すでにもっている考えの『総体』だ。総体のほうが重要なので、ヘビメタ騒音で働けないということを聞いても、文として理解しただけで、実際には理解しないまま、『総体』のほうを出してくるわけ。とりあえず、「文として理解しただけで」と書いたけど、本当のところを言えば、文としても理解してない。そのくらいの無理解さ、そのくらいの無視を発揮してしまう。きちがい家族にやられたことがない人は、きちがい家族が「いえで」どういう態度で、どういうことをするかまったくわかってないんだよな。「そんなの言えばいい」と言ってくる。

2022年5月29日日曜日

ヘビメタ騒音でつらすぎる

 ヘビメタ騒音でつらすぎる。ヘビメタ騒音で人生がない。ヘビメタ騒音で人間関係がキレた。全部、おもしろくない。

 

あー、いまの時間も鳴ってたなぁ。

どれだけやめろと言っても、やめてくれなかったなぁ。

全部が全部、これ、俺だけの問題なんだよな。他人にとってはひとごと。簡単に、単純に、「かるくみつもる」よな。ヘビメタ騒音の影響をかるくみつもる。本人は、やられたわけではないから、感覚的にぜんぜんわからない。本人が体験した「騒音体験」をもとに、俺が言っている「ヘビメタ騒音」について考える……。誤解!!!誤解!!!誤解!!!誤解!!!

軽く見積るな!! ばか!!!

2022年5月27日金曜日

「引きこもりなら、コミュ障だ」という命題は『偽』なのである

「引きこもりなら、コミュ障だ」ということについて考えてみよう。じつは、引きこもりなら、コミュ障だとは言えない。

だいたい、引きこもりの中核は、長年、社会生活をしてきた人なのである。その、長年社会生活をしてきた人が、仕事をやめて、家族以外の人とあわないと、引きこもりと呼ばれる存在になる。「引きこもりなら、コミュ障だ」という命題は完全にまちがっている。この命題は『偽』なのである。

なぜら、引きこもりのなかにもコミュ障ではないものがいるからだ。さらに言ってしまえば、「コミュ障なら引きこもりだ」という命題もまちがっている。コミュ障であるにもかかわらず、引きこもりではないものもいるからだ。

これ、「コミュ障なら引きこもりだ」とか「引きこもりならコミュ障」とごく自然に考えてしまう人いる。こういう人たちは物事をよく考えることができない人たちなのだ。こういう人たちは偏見で目が曇っているので、それ以上、物事を深く考えることができないのだ。

「引きこもり」というのは、「態」でしかない。まあ、ほんとうは、「態」ということばを使いたいけど、「状態」と言っておこう。
引きこもりというのは、「状態」でしかない。能力に関しては、なにも言ってないのである。けど、「引きこもりはコミュニケーション能力に問題がある」と考えてしまう偏見の持ち主がいる。


まあ、その人だって、長年、きちがいヘビメタ騒音にさらされて、働けなくなれば、普通に、「引きこもり」と呼ばれる存在になる。


何度も言うけど、引きこもりというのは、状態をあらわしている言葉であって、能力をあらわしている言葉ではない。引きこもりなら、一〇〇%、コミュニケーション能力に問題があるというわけではないのだ。「状態」についてだけ、言及しているからだ。


「傾向」なら、あるかもしれないけど、傾向というのは、ある人とない人がいるときに成り立つ言葉なのである。ようするに、傾向があるということは、そうではない人がいるということを暗示しているのである。


たとえば、「引きこもりのなかには、コミュニケーション能力がたりない人たちがいる」ということを言ったとしよう。この場合は、引きこもりのなかには、コミュニケーション能力がたりている人とコミュニケーション能力がたりてない人がいるということを意味してるのである。


なので、「引きこもりのなかには能力がたりている人がいる」ということ「コミュニケーション能力がたりている人よりも、コミュニケーション能力がたりてない人のほうが人数が多い」ということを言っているのである。

ようするに、コミュニケーション能力がある引きこもりがいるということを言っているのである。引きこもりならば、コミュニケーション能力がないということを言っているわけではないということに注目するべきだ。

さらに「引きこもりならば、コミュニケーション能力がない」という命題について考えてみよう。これは、いままで見てきたように、『偽』だ。あやまりだ。「ない」ではなくて「たりない」でもおなじだ。「引きこもりならば、コミュニケーション能力がたりない」も、『偽』だ。

コミュニケーション能力がある引きこもりだっているのである。逆に、イメージとはちがって、「能力」そのものは、社会生活が破綻するまでは、じゅうぶんにあったと考えるほうが正常なのである。

「引きこもりなら、コミュ障だ」というような偏見には問題がある。なぜなら、これは、まちがった考え方だからだ。そして、まちがっているということに、この偏見の持ち主は気がつかない。こういうこと自体が、まともな人間にとって、住みにくい世界を作り出している。こんな、おろかな人間とつきあうのはいやだから、自分はひとりで暮らそうかなと思っても不思議ではない。

よもやま話として、十分条件と必要条件についてちょっとだけ語っておく。「引きこもりならば、コミュ障だ」という命題は偽だ。だから、十分条件とか必要条件ということについて考える必要がない。「引きこもりならば、コミュ障だ」という命題が真であった場合。引きこもりは、十分条件になり、コミュ障は必要条件になる。

これ、十分条件のほうが、集合的に範囲が狭いのである。包括関係を考えると、コミュ障のほうが、範囲がでかいということだ。まあ、これは、命題が真であった場合の話で、この命題は偽なので、そんなことは、考える必要がないのだけど、十分条件と必要条件についてはまちがいやすいので、説明しておいた。

「十分条件」のほうが、範囲がせまいということは覚えておいて、損はない。

日本語で「十分」と「必要」をくらべた場合、「必要」のほうが範囲が狭いような印象を与えるのだ。だから、「十分条件」とか「必要条件」とかということについて、誤解がしょうじる。この投稿を読んだ人は、もう、まちがわない。

++++++ちなみに

私はここで「引きこもりなら、コミュ障だ」という命題は『偽』だということについて述べた。これは、「コミュ障である引きこもりがいない」とか「引きこもりなかにはコミュ障はいない」とかということではない。しかし、そういう誤解をしてしまう人が、いるのではないかと思う。そういう誤解をしてしまう人は、私がここで説明したことをよく考えたほうがいい。

++++


 

2022年5月25日水曜日

『生まれの格差』と『地合いが黒であるということ』を無視している人たちがいる

 『生まれの格差』と『地合いが黒であるということ』を無視している人たちがいる。この人たちが言っていることは、どれだけ道徳的なことであっても、非道徳的なことだ。無視をしてはいけないのである。この人たちは、子どもの頃の影響を無視する。『地合いが黒である』世の中で『生まれの格差・上』だった人は、自分の実力で自分の地位を得たと思い込みたいところがある。そうなると、生まれの格差を無視することになるのである。また、生まれの格差を認めた場合でも、少しはあるけど、大人になったら関係がないというような言い方をする。ようするに、『影響の過小評価』だ。

ポジティブ思考、認知療法、アドラー心理学、行動主義心理学……こういうものを信じている人は、公平だという立場で、子供時代の影響を無視する。あるいは、子ども時代の影響を過小評価する。ぜんぜん公平じゃない。『過去の出来事』の影響を無視したいのである。『過去の環境の格差』を無視したいのである。

2022年5月24日火曜日

マスクは子供の成長や発達を阻害

 「マスクが子供の成長や発達を阻害し、笑ったり怒ったり悲しんだりという人間の感情を学ぶ機会を失わせている。さらに、マスクが22%の認知能力を失わせるという脳への深刻なダメージを与えている可能性がある。子供の脳を守るために親がマスクを外すことが必要。」

以上、引用。

ユニバーサルマスキングを主張していた医者がいたけど、医者が言っていたことはまちがっていたんだなぁ。子供がかわいそうでしょ。特に、言語を学ぶ段階の子供は影響をうける。言語獲得に関しては、臨界期がある。

これは、仮説だけど、ぼくはあると思う。

広範に見られる現象だ。オオカミに育てられた子供の例、放置された三兄弟の例を見ればわかる。大人になったら関係がないという人たちがいるけど、ちいさいときの環境は、大人になったあとも影響をあたえる。臨界期があるから……。

それぞれの能力で臨界期があるんだよ。もちろん、めちゃくちゃな努力をすれば、少しは補えるけど、かなり、決まってしまうところがある。言語を習得する時期の子供は、大人の口の動きを見なければならないのである。そうしないと、うまくまねして発音することができなくなる。

体育の時間にマスクをつけているなんておかしいでしょ。二酸化炭素中毒になってしまうよ。プールの時間までマスクをつけるなんて、もはや、虐待。マスクをつけたまま持久走なんて、もはや、虐待。基本、マスクに感染予防効果はない。

はっきり言ってしまうと、健康な子供がマスクをつけていてもしかたがないのである。病気になったら、マスクをつけて登校せずに、休めばいい。病気ではない子供は、マスクをつけなくていい。

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マスクをすることが、新型コロナの感染対策になると言うのであれば、まず、新型コロナウィルスの存在証明をするべきだ。話は、そのあとだ。存在証明ができないなら、なんの感染対策だということになる。

 

2022年5月23日月曜日

精神世界に凝っている人たちは正反対の行為をしている

 精神世界に凝っている人たちが、どうして、ほんとうに苦しんでいる人に辛辣なことを言ってしまうのか? 精神世界を理解しているはずの人たちが、どうして、ほんとうに苦しんでいる人に、ばかなことを言ってしまうのか? いじめ? 挑発? まあ、言葉はいろいろとあるけれど、精神世界を理解しているはずの人たちが、不幸な人たちを、さらに、不幸にしているという現実に気がつかないのはどうしてだろうか? まあ、いじめとは言わないけど、すくなくても、嫌味や悪口を言っていることになる。しかし、精神世界を理解しているはずの人たちは、きらきらで、自分たちがやっていることがわからない。「これが事実だ」と妄想を言う。

もうすでに、生まれる前の契約、たましいの契約ということについて述べた。「うまれるまえに、そうなることを選んだ」という説には問題があるということについて、すでに、述べた。こういうことを、平然と言ってしまうこころには、問題がある。 不幸な人たちは、不幸になることを選んだという言い方……。こんな言い方がまかりとおっていいはずがない。

生まれの格差と地合いが黒であるということを無視してはいけない。生まれの格差を無視して、なんやかんやと「ほかの人」に言ってはいけない。特に、ハンディがある人に対して、生まれの格差を無視して、なんやかんやと言ってはいけない。これは、ほんとうは、悪いことなのである。本人は、説教をして、いい気になっているけど、ほんとうは、悪いことをしている。なんでこれに、気がつかないのか。また、地合いが黒であるということは、精神世界に凝っている人なら絶対に気がつかなければならないことなのだ。しかし、地合いが黒であるということに気がつかずに、的がはずれた説教をしてしまう。本人は、いい気分になっているとは思うけど、その人たちの言い方を利用するなら、あきらかに、カルマをうみだしている。ぼくは、カルマを認めないので、ただ単に、悪いことをしていると言いなおすことにしよう。本人は、いい気分になって、善いことをしているという気持ちがあるかもしれないけど、じつは、悪いことをしている。これ、ほんとうは、他人のたましいを冒とくしている。まあ、たましいということにかんしても、精神世界に凝っている人たちにあわせて言っていることだ。

 

 

2022年5月20日金曜日

『ヘビメタ騒音で』の『で』を無視すんな

 「ヘビメタ騒音『で」働『け』なくなった」と言っているのに、行間どころか、行も読めないやつがいっぱいいる。佐藤もそのうちのひとりだ。となりの家の老人もそういう人間だ。頭にくる。そのまま言っているだろ。最初から、正しいことを言っているの!

 「ヘビメタ騒音『で」働『け』なくなった」と言っているのに『ヘビメタ騒音で』の『で』を無視して、「そんなのは関係がない」「ヘビメタ騒音なんて関係がない」「ヘビメタ騒音の影響なんて無視できるほど小さいはずだ」と勝手に思い込むやつがいて、迷惑しているよ。こんなの、ほんとうに、行間どころか、行も読めない。言っていることがわかってないな。こういう自分勝手なやつらというのは、ほんとうに、どういう読解力なのだろうか? 不思議。

『け』のほうもおなじだ。働けなくなったと言っているのに、働かないだけだと思っているのだ。こいつらは……。日本語がわかっているのかな? 働けないと、働かないの、ちがいは理解できるのかな? 理解できないんじゃないかな? 最初から、 「ヘビメタ騒音『で』働『け』なくなった」と言っているのに、ヘビメタ騒音の影響を無視して、働けるのに働いてないと考えるやつらは、頭がおかしい。日本語がわかってない。読解力がない。コミュ障。人が真剣に言っているのに、冗談で言っていると思う、コミュニケーション障害者。 「ヘビメタ騒音『で」働『け』なくなった」と言っているのに、さぼって働『か』ないと思ってやがるのだ。

時間という要素がけっこう重要

『だまされたほうがわるい』とか『だまされたほうもわるい』とかと言うつもりはまったくない。今回のことについて、責任を追及するつもりはまったくない。なるべくはやく、自分が納得いく方法で、解 〇 してください。これ、あるていど、時間との勝負なんだよ。まあ、みんな、ちがうロ〇〇を打っているので、ちがう反応が出るわけだけど……。それは、当然、時間との勝負だと言った場合にも、影響をあたえる。時間という要素がけっこう重要。

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ああっ、俺が言っていることは、ほかの人たちにはわからないことなのかな?

全部、そんな感じになってきたなぁ。

 

2022年5月18日水曜日

彼らは『陰謀論』だと思っている。

世界はほんとうにやばいことになっていて、ぼやぼやしていると、やられてしまうのである。これは、ほんとうに、いのちをとられるということだ。しかし、気づいてない人は気づいてない。

彼らは『陰謀論』だと思っている。

陰謀が実行されているということに気がついてない。陰謀論なら正しくないかというと、そうではなくて、陰謀論であるかどうかは、正しいかどうかとは関係がないのである。しかし、普通の人は陰謀論なら、正しくないと思ってしまう。その場合、権威のある機関が、実際に、陰謀を実行している場合は、問題がしょうじる。普通の人は、権威のある機関が、陰謀を実行しているという話……つまり、陰謀論は、正しくないと思っている。実際に、実行者が陰謀を実行しているにもかかわらず、普通の人は「実行者が陰謀を実行しているというのは、陰謀論だから、実行者は陰謀を実行してない」と考えるようになってしまうのだ。何度も言うが、陰謀論であるかどうかということは、その陰謀が実行されているかどうかとは関係がない。……これを正しく切り分けて考えることができるかできないかが問題なのである。

社畜文化を批判してきた人まで、「陰謀論だから正しくない」と思ってしまうのだ。なんの、批判精神もない。そうすると、実行者にとって都合がいい社会ができあがってしまう。この「実行者にとって都合がいい社会」というのは、社畜的な社会なんてものじゃないのだ。もっとひどい社会だ。

黒に親和的かどうかということを考えると、じつは、社畜文化を批判してきた人は、黒に親和的なのだ。黒に親和的だとどういうことになるかというと、だまされて死んでしまうか、あるいは、だまされて奴隷になってしまうのである。この奴隷は、支配者(実行者)が殺そうと思ったら、スイッチ、ひとつで、簡単に殺せる奴隷だ。ほんとうに、支配者(実行者)の所有物になってしまうのである。スイッチ一つで殺したにしろ、それは、正当な行為(問題のない行為として)処理される。あたりまえだ。生殺与奪権をもっているものが、殺したわけだから、まったく問題がないということになる。こういうことが、ほんとうにわかってないのである。〇〇〇〇を打って、ゲームに『沈没』していると!そういうことになるぞ。


(あっちからこっちに移動)

 

2022年5月17日火曜日

毎日、つもると、六時間でも破壊的な影響がある

 しかし、俺はどうしたらいいんだ?

「あのときのさみしさはない」と思った。横になっているあいだ、けっこう、そういうふうに思っている。何回も、そういうふうに思うことがある。「俺の人生はなんだったのか」……これにつきる。

このさきどうしようかな? もう、相当にやられまくっているから、「元気づけ」みたいなことでは、どうにもならない。「元気だ元気だと言えば元気になる」なんて言っている人たちが、まったく経験したことがないことを、何回も何回も、ずっと何十年間も毎日経験してきたよ。そんなことで元気にならないから問題があるんだろ。

たとえばの話だけど、どれだけ、切羽詰まった気分で「元気だ元気だ」と言っていると思っているんだよ? おまえら、ほんとうにまるでわかってないな。ヘビメタ騒音にやられているのに、そのなかで「元気だ元気だ」と言ってもしかたがないんだよ。

夜、寝るとき、しずかになってから、布団のなかで「元気だ元気だ」と何回言ってもおなじだよ。いや、もっとひどいことになる。これ、ヘビメタ騒音を六時間聞かされたあと、どういう状態になるのか、わかってない人の発言なんだよね。一日に、六時間、ヘビメタ騒音をあびただけで、その日は、どれだけがんばっても、眠れなくなる。

だいたい、眠れなくなるという表現でぼくがどういうからだの状態について、言及しているのか、わかってないと思う。その人たちは、ヘビメタ騒音にやられてない人生をすごしているから、わからない。毎日、つもると、六時間でも破壊的な影響がある。

この影響を無視して、「元気だ元気だと言えば元気になる」とか「禍根なんて関係がない」と言う。これがどれだけ、ぼくの気持ちをさかなですることか、わかってない。これがどれだけ、実情に合ってない発言か、言った本人はわかってない。言った本人にしてみれば、「ヘビメタ騒音なんてそんなものでしかない」のである。

これは、何千日も、あの態度でやられたことがない人の発言だ。

「何千日も、あの態度でやられたこと」がない人は、ないので、わからない。ぼくの発言の背後にあるものが、まったくわかってない。理解できてない。けど、それを、言語化して言うと、「そんなの、俺だって騒音ぐらいあった」とか「俺がどれだけくるしい思いをしてきたのか、わかってない」とかということを言う。

けど、騒音に関しては、ヘビメタ騒音相当の騒音を経験しないことがわかる。経験したら、ぼくの言ったことがわかっているので、「元気だ元気だと言えば元気になる」なんて、口が裂けても言わないし、たとえ言ったにしろ、ぼくが「元気だ元気だと言えば元気になると言っても、元気にならないことがある」と言えば、即座に納得してくれる。

納得せずに、「そんなの、俺だって騒音ぐらいあった」とか「俺がどれだけくるしい思いをしてきたのか、わかってない」と言いかえしているのだから、わかってない。これは、騒音じゃなくても、ほかのことでも成り立つ。

「俺がどれだけくるしい思いをしてきたのか、わかってない」と言ったとしても、そのくるしい思いというのはたいしたことじゃなということが、わかる。どうしてかというと、「そんなの、俺だって騒音ぐらいあった」とか「俺がどれだけくるしい思いをしてきたのか、「元気だ元気だと言えば元気になる」ということを信じていられるようなくるしい思い(くるしさ)でしかないからだ。

ぜんぜん、ちがう。そういうことを信じていられるという時点で、その「くるしさ」というのがたいして「くるしくないものだ」というのがわかる。「元気だ元気だと言えば元気になる」ということを、信じて!!!言っていられるぐらいの、つらさなんて、なんでもないよ。

「元気だ元気だと言えば元気になる」なんて方法がどれだけ無力か、思い知ってない。「元気だ元気だと言えば元気になる」なんて方法を信じていられるほどの気楽さ。

ほんとうにまったくわかってないなぁ。

「ほんとうにまったくわかってない」ということがわかる。

絶対に、そんなことは、言えなくなる。絶対に、「元気だ元気だと言えば元気になる」というのは嘘だということがわかる。絶対、「元気だ元気だと言えば元気になる」というのが嘘だということが、わかる体系んがないだけだ。人生において、そういう体験がないから「元気だ元気だと言えば元気になる」などと、「くそのんきなこと」を言える。

 

2022年5月16日月曜日

無理解ぶりを発揮しなければ、絶対に言うことができないむりなことを言っている

 毎日のヘビメタ騒音がどれだけ問題か、ほかのひとには、まったくわからないんだよなぁ。わからないのであれば、なんとだって言える。けど、好き勝手に言われるのは腹がたつ。これ、「人の言うことなんて気にするな」とか「人がどう思ってたって関係がない」とかと言う人は、みんな、ヘビメタ騒音に関して、好き勝手に言う人たちなんだよ。こういう人たちが体験を通して理解せず、むりなことを言っている。こういう人たちが、毎日のヘビメタ騒音がどれだけ、人生に影響をあたえるか、理解せずに、きれいこどを言ってる。きちがい的な親、きちがい的な兄弟にたたられたことがない人が、無理解ぶりを発揮しなければ、絶対に言うことができないむりなことを言っている。けど、この人たちの人生はこの人たちの人生だから、無理解な発言をしているとは思わない。まったく正しいことを、言っているとしか思わない。ここには、断絶がある。けど、断絶があることでこまるのは、こっちだし、断絶があることでダメージをうけるのは、こっちだ。きれいごとを言っている人たちは……経験がないからこそ言えるきれいごとを言っている人たちは、そういうことにも気がつかない。どれだけ俺がヘビメタ騒音のなかでがんばったか、まるで理解してない。がんばったからダメになっているんだぞ。そして、けっきょく、きちがい兄貴を殺さなかった。これが、どういうことかわかるのか? 全部、引き受ける気持ちがないくせに、えらそうなことを言うな。きれいごとを言うな。

2022年5月15日日曜日

『専門家が言っていることは、専門家が言っていることだから、正しい』と思っていた人

『専門家が言っていることは、専門家が言っていることだから、正しい』と思っていた人は、みんな、だまされてしまいましたねぇ。自分で調べる・自分の頭で考えるということが、どれだけ大切なことか、みんな、わかってくれたかな?


 

2022年5月13日金曜日

金本位制とMMT(現代貨幣理論)


金本位制で重要なのは、各国の中央銀行がほんとうの中央銀行にもどることだ。MMT(現代貨幣理論)も、各国の中央銀行がほんとうの中央銀行なら成り立つけど、ほんとうの中央銀行でないなら成り立たない。ほんとうの中央銀行というのはなにかというと、政府以外に所有者がいない銀行のことだ。中央銀行が株式を発行している銀行であり、政府以外に株券をもっている人がいるいる場合は、ほんとうの中央銀行ではない。

今回の金本位制は中央銀行を、「100%政府の銀行」にするために必要なことなのである。


あと、見逃されがちで重要なことは、銀行の信用創造だ。金本位制を使い、銀行の信用創造を、うちくだくことが必要になる。

環境破壊とか言っているけど、言ってみれば経済成長が「過剰」になってしまうのは、信用創造のせいなのである。銀行の信用創造をなくし、適切な経済成長を目指さなけれはならない。

あと、金の埋蔵量を気にする人がいるけど、そんなのはまったく問題にならない。実体をもたない暗号貨幣(仮想通貨)の価値があがったということが、このことを証明している。あるいは、不動産の価値上昇を見れば、金の埋蔵量なんてものは、まったく問題にならないということがわかるはずだ。 

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中国は金本位制に移行している。

これから、アメリカも金本位制に移行する。

もちろん、ロシアも金本位制に移行している。時系列的には、ロシア、中国、アメリカの順番。

2022年5月12日木曜日

きちがい兄貴の意地がわからないから、ほかの人は、普通に誤解する。

ヘビメタ騒音の体験がない人になにを言ってもむだだ。わかるわけがない。けど人によって、理解度がちがうんだよな。一発で、わかる人と、どれだけ説明しても、わからない人がいる。もちろん、一発でわかると言っても、説明を聞いてわかる範囲でわかるというだけで、体験してわかるのとはちがう。けど、わかる人と、わからない人で、ほんとうに俺に対する態度がちがう。この、わからないやつの、俺に対する態度はひどい。ぶっ殺したくなる。ぶっ殺さないけどさ。一〇〇発ぐらい、なぐってなぐって、「過去のことは気にするな」と言ってやりたくなる。「いたいと言うから、いたくなるんだ」と言ってやりたくなる。「すべては、受け取り方の問題だ」と言ってやりたくなる。「いたいという現実をおまえがつくっている」と言ってやりたくなる。「うまれるまえに、(俺に)ここで、なぐられるということを、おまえが選択した」と言ってやりたくなる。「おまえがうまれるまえに、選択したことなのだから、自己責任だ」と言ってやりたくなる。

一〇〇発、なぐられたぐらいじゃ、ずっと下半身不随になることはないと思うけど、ずっとたてないからだになったら、「たてないと思うから、たてないんだ」と言ってやりたくなる。 たてないからだになって、一〇年間生活していたら、ベットの横に行って「一〇年前のことなんて、関係がない」「こだわっているからだめなんだ」と言ってやりたくなる。「俺なんて、みろ……こだわってないから、元気だ」「こだわる必要がないことには、こだわるべきではない」と言ってやりたくなる。「執着がくるしみをうみだしているのだ」と言ってやりたくなる。

*     *     *

ほんとうに、どれだけ人生のマイナスになるか、わかってない。説明したって、これまた、きちがい親父やきちがい兄貴とおなじようなレベルでわからない。しくみはちがうけどね。ともかく、そいつにとっては、そういうことが、自分の人生のなかで発生しなかったことなんだよ。だから、『影響をうけてない』。本人が影響をうけてないと、『そんなのは関係がない』と思ってしまう。自分と他人の境界線があいまいなので、自分にとってたいしたことじゃないから、俺(エイリ)にとっても、たいしたことじゃないと感じてしまう。本人が体験した「騒音」がたいしたことではないので、エイリさんの騒音もたいしたことがないと思ってしまう。『きちがい的な家族』といっしょに、家族としてすごしたことがないので、きちがい的な家族のことがまったくわかってない。わかってないのに、『普通の家族』の基準をおしつけて、ものを言う。ようするに、『俺の家族』があたかも『普通の家族』であるような前提で、自分の意見をおしつけてくる。『俺の兄貴』があたかも『普通の兄貴』であるような感覚で、ものを言う。そして、そういう、かくされた前提をもっている……自分の意見が正しいと思っている。ほんとうに、頭がわるいなぁ。わるすぎる。これは、頭がわるい人にはわからないと思うけど、『侮辱』だ。俺に対する侮辱だ。きちがい的な家族にやられ続けると、世間的な意味で、頭がわるいやつに侮辱されることになる。下に見られることになる。とくに、ヘビメタ騒音は、そうだ。学歴と生活に影響をあたえる。ほんとうに、不可避的に睡眠回路を破壊されて、寝不足状態で生活することになる。それは、理解力の低下、体力の低下、気力の低下、反応速度の低下をもたらす。きちがい兄貴の意地がわからないから、ほかの人は、普通に誤解する。きちがい兄貴の感覚もわからない。きちがい兄貴は、どれだけ鳴らしても、鳴らしたつもりがない状態で暮らしている。頭がおかしいからそういうことができる。あいつの態度は、一分もでかい音で鳴らしてないと思っている態度だ。自分がきちがい的な意地でやったことは、全部、自分がきちがい的な意地でやってないことになっているのである。やりきったあとそうなる。これは、きちがい兄貴ときちがい親父でまったくおなじだ。これ、家族として!いっしょにすんでないとわからない。これがどれだけひどいことか、みんなわかってない。そりゃ、自分の家族がそうではなくて、自分の身にそういうことがしょうじなかったのであれば、わからないだろう。けど、これがもたらす影響はでかい。「過去のことだから関係がない」などと言えるようなものではないのである。それも、わからないと思う。普通の人にはわからないと思う。


2022年5月11日水曜日

ヘビメタ騒音であたまが引き裂かれるような状態になって

ヘビメタ騒音であたまが引き裂かれるような状態になって、それが、何時間も続いて、いいわけがない。影響をけないわけがない。ただ単に、その時間、勉強ができないだけではなくて、存在しているだけで、くるしい状態が続く。鳴り終わったあとだって、眠れなくなる。不安だってつのる。「こんな状態じゃ、やっていけない」「こんな状態じゃ、試験でいい点数がとれない」と不安になる。「明日、遅刻してしまう」と不安になる。こういう不安は、鳴っている限り……きちがい兄貴がきちがい兄貴の態度で、鳴らしている以上、ずっと続く。10ネン、十一年、十二年、十三年、十四年と続けば、そりゃ、人生全体の問題になるに決まっている。 

2022年5月10日火曜日

思慮深い人間にすら、こういうことを言われる状態におちにいる。

あのとき、あの子とつきあっておけばよかったというようなことが、うかぶ。ヘビメタ騒音がなければ普通に、普通の気持ちでつきあうことができた。ヘビメタ騒音で破滅破綻なのである。あれ、家に帰ればがんがん鳴っている状態というのを、ほかの人は経験してないんだよな。

ものすごい、状態なんだよ。それが、六年間、つみかさなったときの状態なんてほかのやつにわかるわけがない。わからなければ、「そんなのは関係がない」とさも、正しそうに言える。そういうことを言う人には、関係がないことだけど、俺には関係がある。自分の身に生じなかったからといって、どうして、エイリに関係がないことだと思うのだ? もちろん、エイリにも関係がないということを言ってるのだけど、「感覚」としては、「自分の感覚が成り立っているぞ。自分が経験しなかったから、影響のでかさがわかってない。不可避的な影響のでかさがわかってない。これ、ほんとうに、きちがい家族が鳴らしていると、影響をうける。不可避的に影響をうける。影響をうける範囲がわかってないだけだろ。わかってないやつ、経験がないやつに、わかったようことを言われる立場に「おちいる」といこうとだって、影響のひとつだよ。ともかく、こいつらは、ヘビメタ騒音の影響を過小評価している。あるいは、無視している。こんなバカなやつらに、「えそうなことを」を言われる立場に陥るとは……。だから、やめてくれと必死に叫んでいたのに……。きちがい兄貴部屋に行って、何十回もさけんでいたのに……。一日に、何十回も何十回もさけんでいたのに、きちがいが、無視しやがって。これが、きちがい親父の態度なのである。きちがい兄貴が、きちがい親父の態度で、無視した。こんなの、普通の人にわかるわけがない。親父の態度も、兄貴の態度も、普通の人にはわからない。きちがいだからな……。きちがいがどういう態度で、どういう感覚で、きちがい行為をするのか、ほかの人にはまったくわかってないんだよ。きちがいの意地がわかってない。きちがい家族が、「うちのなかで」どういう行為をどういう感情でどういう感覚でやるか、まってたくわかってない。そういうやつらが、えらそうなことを、俺に言ってくるんだよ。佐藤のように……。佐藤も、おなじことをされたら、働けないからだになる。あとユキオは、『(自分の容姿には自信がないけど)俺(ユキオ)なんて、結婚できちゃうんだからなぁ』なんてひとりごとのようにつぶやいていたのだ。(エイリさんにくらべて、自分は容姿がよくないけど、それでも、俺は結婚できた。俺のことを好きだというやつがいた。エイリは結婚してないんだろ。はははっ。ゆかいゆかい)ということだ。ユキオは、また、「そんなのがほんとうだったら、もっと、(エイリさんが)ぐちゃぐちゃになってるから、エイリさんが嘘を言っている」と思ったやつだ。ぐちゃぐちゃになっているはずのエイリさんが普通にしゃべっているので、嘘だと思ったわけだ。そして、「こんなひとにかかわるとたいへんだから、逃げよう」と思ったやつだ。きちがい兄貴にきちがいヘビメタ騒音でやられると、初対面のやつにこういう態度で、こういうことを言われるということになる。佐藤もユキオも、常識的な人だ。思慮ぶかい人間だ。思慮深い人間にすら、こういうことを言われる状態におちにいる。何度も繰り返すけど、佐藤もユキオもヘビメタ騒音の影響のでかさが、わかってない。どういうことになるのか、まったくわかってない。ただうるさい音がちょっと続いただけだ』と思っているみたいなんだよな。「そんなんじゃない」。けど、俺が「そんなんじゃない」とどれだけ言っても、つたわらないんだよ。これは、きちがい兄貴に言っていることが、きちがい兄貴に伝わらないということとは、ちがう。しくみがちがう。けど、つたわらいことにはかわりがない。

 

 

2022年5月9日月曜日

「普通の騒音体験から推し量ることができないような影響が生じる」

 ほんとう、このさきどうするかな?

自分のいのちをどう考えるかなんだよね。自分がほんとうにやりたかったことはなんなのか? あるんだよ。ある。けど、ヘビメタ騒音でどうしてもできなくなった。

ヘビメタ騒音のことは、だれに言っても、理解してくれない。ただ、相対的に言って、理解度の低い人と理解度の高い人がいる。言葉の多さは関係がない。理解度が高い人は、少ない言葉でも理解してくれる。この理解は、言葉による理解で、もちろん、体験をとおした理解ではない。理解度が低い人は、ヘビメタ騒音が俺に、影響をあたえないと思っているんだよな。そんなことはないんだよ。あの空間を、経験させてやりたい。どれだけ、体と心に響くか、経験させてやりたい。きちがい兄貴の態度「全般」がそもそも、ほかの人にとっては理解にしくいことなのである。だから、いろいろな誤解が生まれる。ヘビメタ騒音の影響に関しても、たいていの人は誤解する。ちょっとした騒音だとおもっしまう。そうじゃない。長期間続くとほんとうに、すべてに影響をあたえる。物理的に睡眠回路を破壊する。物理的にと書いたけど、生化学的にと書いてもいい。ともかく、そういうレベルで影響をうけてしまう。ヘビメタ騒音を一年間毎日鳴らされたぼくは、そうではないぼくとはちがった存在になってしまうのである。不可避的に能力がさがって、不可避的に日常生活レベルの問題がしょうじる。ただ、この日常生活のレベルの問題というのが、まったく理解されないのである。きちがい兄貴がきちがい兄貴だということが、ほかの人にはわからないから、言えば解決できるような問題だと思ってしまうのである。ほかの人が……きちがい的な家族がいない人が考えているような状態じゃないのである。そして、その連続……きちがい的な態度で、きちがい的なヘビメタを絶対の意地で、できる限り鳴らしてしまう……ということの、影響を、うける。これは、特殊な影響なのである。普通の人だって、もちろん、騒音体験はあるのだけど、特殊な家族による特殊な騒音だから、普通の騒音じゃないのである。普通の騒音体験から推し量ることができないような影響が生じる。けど、いくらぼくが「普通の騒音体験から推し量ることができないような影響が生じる」と言っても、ほかの人にはわからない。理解度が高い人も、もちろん、ぼくが理解しているようなかたちでは、理解してない。けど、理解度が低い人の反応がひどいのである。こんなの、喧嘩を売られているようなものだ。しかし、理解度が低い人のほうが、全体のなかで大きな割合をしめるので、人間づきあいに困難を感じるようになるのである。

 

 

2022年5月8日日曜日

世界は「いいほうに」かわる

これからの社会は、いやおうなく、かわる。相当にかわる。いままでの変化量とは比べ物にならないほどの変化量になる。まあ、これから三年間ぐらいが一番、変化するんじゃないかなと思っている。ともかく、世界がかわる。これは、はっきりしている。けど、ぼくは、ヘビメタ騒音のことで頭がいっぱいだ。ヘビメタ騒音が原因で、からだが重たくてしかたがない。ヘビメタ騒音が原因で、こころが重たくてしかたがない。はっきり言えば、楽しめない。まったく楽しめない。世界は「いいほうに」かわるけど、ぼくはあいかわらず、くるしいのではないかと思う。

 

回収しようとして行動すると、ろくなことにならないんだよな

 ほんとうにヘビメタ騒音以降、いいことがない。

それどうにかしようとして、行動すると、それが、不愉快な出来事を引き起こす……というようなところがある。回収しようとして行動すると、ろくなことにならないんだよな。みんな、わかってない。どういう状態になるのかわかってない。 

影響を、うけるよ!!

影響を、うける必要はないとか、ほんとうに、ふざけている。きちがい兄貴がいない人が言うこと。きちがい兄貴が鳴らす、きちがいヘビメタがずっと毎日、どれだけやめろと言っても、続いたという出来事がない人たちが言うこと。どれだけの影響をうけるか、わかってないだけだ。自分の身に生じなかったから、経験としてわからないだけじゃないか。えらそうに!!! えらそうに!!! ほんらい、俺より劣ったやつがえらそうなことを言う。ほんらい、俺より劣ったやつが、俺にえらそうなことを言うことになる。ヘビメタの効果というのはそういう効果だ。ほんとうに、『影響がない』と思っているやつは、それを前提にして、ヘビメタ騒音の『結果』傷つき、ズタボロになっている俺に、えらそうなことを言ってくる。佐藤(仮名)、しかり。ゆきお(仮名)、しかり。主婦、しかり。 前提を口に出して言う場合もあるけど、前提を口に出して言わない場合もある。前提を口に出して言わない場合は、俺をばかにしていろいろな決めつけをしてくる。ヘビメタ騒音の結果、一定の時刻に起きることができなくなったと言っているだろ。ヘビメタ騒音の結果、通勤して働くことができなくなったと言っているだろ。きちがい兄貴が鳴らしたような騒音にやられれば……そういうことになる……ということが理解できないやつが、えらそうなことを言う。そういうことを言われる地位に落ちてしまう。そういうことを言われやすいポジションに落ちてしまう。あたまにくる。だから、俺にとって、ものすごく重大なことだから「やめてくれ」「やめてくれ」と叫んでいたのに、きちがい兄貴が、無視して、頑固に鳴らし続けた。きちがい兄貴が悪いことをしている。きちがい兄貴が非常識なことをしている。それなのに、こいつらときたら、『そんなの鳴ってたって、自分なら平気だ』とか『影響をうける必要がない』とかと、現実離れをしたことを思って、それを前提にして、わかったようなことを言ってくる。 やられてないやつが、空想して『そんなの鳴ってたって、自分なら平気だ』とか『影響をうける必要がない』とかと言っているだけだから!! 経験してないからわかってないだけなんだよ。どれだけの長さ、やられるか。たいせつなときに、がんがんやられて、どれだけ腹がたつか。ひきさかれる思いをするか。そして、その日の夜、眠れなくなるか。その音のなかで、ひきさかれるような思いをしているから、眠れなくなる。これは、本人が選択して起きているのとは、ちがうよ。たとえば、ゲームの続きをやりたくて、夜更かしをしているのとはちがうよ。こういう人は、きちがい兄貴の態度も、きちがい兄貴の認識システムもわかってない。荘う態度でやられたら、どれだけ腹がたつかわかってない。「明日は、自分にとって重要なテストが、ある」という状態で、きちがい家族が、俺の言っていることをがぜん無視して、俺がこまっているということを無視して、鳴らしているときの、腹がたつ気持がまったくわかってない。きちがい兄貴が正常な兄貴なら、あの音で鳴らしたらまずいということがわかるんだよ。そんなの、説明しなくたって、言わなくたって、わかるんだよ。けど、きちがいだから……おやじとおなじタイプのきちがいだから……どれだけ説明したって、どれだけ言ったって、わからないのである。わからないなら、どれだけやったって、やったことにならないというのが、きちがい兄貴ときちがい親父の認知だ。これ、ほんとう、自分に不都合なことは「予感」のようにしか理解しないのである。「予感」がするから、発狂してはねのけた。……発狂してはねのけたら、言われてないのと同じ状態になるのである。そりゃ、理解しないまま、どかしたわけだからそうなる。「相手が、これこれこういう理由でこまる」ということは、理解しないのである。具体機な内容は理解しないで、なんとなく、いやなことを言われたから、発狂してはねのけるという態度になってしまう。そのときは、「なんか、認めると、我慢しなければならないようなことを言われた感じがする」というような感じしかないのである。具体的な内容は、どれだけ相手が横で、横で叫んでいても、認めない。認めないということも、認めない。からだは認めない方向に動いているのに、本人の認識システム(脳)は、認めないように動いたということを認識してない状態なのである。殺すわけにはいかないから、がまんして、俺が部屋にもどる。部屋に戻っても、自分の部屋で鳴らしているようにうるさい。どれだけ、ヘビメタ騒音のなかで、辛抱したか? からだがこわれる。睡眠回路がこわれる。みんな、経験してないから、そういうことが毎日、何千日も続くと睡眠回路がこわれるということがわかってないだけじゃないか。自分のからだをとおして、自分の経験をとおして、わかってないだけじゃないか。これ、ほんとうに、おなじ十年間が続いたら、みんなおなじ症状が出るよ。けど、実験するわけにはいかないんだよ。そうなると、俺が言っているだけだということになってしまう。実験するわけにもいかないし、ほかの人は経験したことがないことなのだから、そうなる。

ともかく、そういう人生を回収しようとして、行動を起こすと、ろくなことにならないんだよ!!! こういうのも、完全に無視しやがる。きちがい家族による、きちがい的にしつこいきちがいヘビメタ騒音に毎日毎日たたられたことがない人は、こういうことを完全に無視しやがる。自分の人生に生じなかったから、『そんなの鳴ってたって、自分なら平気だ』とか『影響をうける必要がない』とか『影響をうけないという強い信念をもてば、影響をうけない』とか『影響をうけないと言えば、影響をうけない』とかと、言えるだけだ。

『影響をうける必要はない』とか……どれだけ、おろかな言葉か、わかってないだろ。 

++++++

概要だけ書いておく。

2022年5月7日土曜日

きちがいヘビメタ騒音は、きちがい兄貴ときちがい親父の合作!!

 けっきょく、ぼく以外、あの騒音のすごさがわかってない。あのきゅーーっとした感じがわかってない。鳴っているあいだ……どういう精神状態になっているかわからない。鳴っているあいだ……からだが、どういう状態になっているか、体験としてわかってない。だから、「かるく」考える。一日に十二時間鳴っていた……。十二時間とひとことで言える。けど、その十二時間のからだの状態は経験してない。毎週毎週、日曜日は、十二時間以上鳴っている状態というのを十数年間にわたって経験したわけじゃない。「鳴ってた」というのは、理解できるかもしれないけど、その十数年間のことは理解できない。その十数年間のあいだに鳴っていた音が与える影響について、理解できない。だから、勝手なことを言う。「そんなのは、関係がない」「過去のことは関係がない」「鳴り終わったなら関係がない」「ヘビメタ騒音で遅刻するとか、ありえない」「なにが、睡眠回路がこわれただ?」……。ゆるせない。ゆるせない。ゆるせない。こういうことを言ったやつらのことはゆるせない。けど、これがまた、「ゆるせない」と言ってしまうと、まるで、危険な人だと思われてしまうのだ。ネガティブな人だと思われてしまうのだ。ほんとうに、人生が粉々になるようなハンディになるのに、だれもわかってないんだよな。おなじことをされた場合……きちがい親父も含めてヘビメタ騒音の環境なのだけど……おなじことをされた場合、ほんとうに、ゆるすことができるのか? きちがい親父も含めてと言ったけど、きちがい親父は、きちがい兄貴がヘビメタを、きちがい兄貴が思ったとおりの音で鳴らせる状態をつくった、要素なのである。きちがい親父がやってきたことが、きちがい兄貴のきちがいヘビメタにどれだけの影響をあたえているか、わからない。うちに住んでいたことがない人にはわからない。これ、ほんとうは、影響があるんだよ。きちがいヘビメタ騒音は、きちがい兄貴ときちがい親父の合作!! きちがい親父があんな親父でなければ、きちがい兄貴がどれだけ、思いっきり鳴らしたいと思って、鳴らせないはずなのである。普通の家でそうだ。ふつーーのいえ……ならね。で、普通の家にうまれて、育った人は、「きちがい親父」がきちがい的な意地でやってきたさまざまなきちがい行為のことがまったくわかってないのである。「頭のクセがある人はしかたがない」などと言う心理学者がいるけど、こいつは、頭のクセがある人が家族にどれだけの影響をあたえるかわかってない。まるでわかってない。

2022年5月6日金曜日

けど、普通の人や認知療法家は、この期間の長さを無視する

 でかい毛布の洗濯をはじめた。これは、対ダニ用でバスタブを使って洗うというものだ。だいたい60度のお湯につける。高温には耐えられないのでダニは全滅。

ただ、つけておくわけだから、60度から温度がさがっていく。まあ、ほんとうに60度あるなら、即死レベルなんだけどね。

あとは、普通に洗濯をしはじめた。これは、普通の洗濯機で洗濯するというものだ。

けど、こういうことをやっても、部屋がぜんぜん片づかない。まあ、でかい毛布は、この処理をしないと片づけることができないのでそうしているのだけど……。

あとは、中古マンションを買うかUR賃貸にするか、まよっている。ともかく、動きがとれない。あとは、ほんとうに、不愉快なことを思い出す。相手がこっちに不愉快な思いをさせた場合と、こっちが相手に不愉快な思いをさせてしまった場合と、相手がこっちに不愉快な思いをさせて、なおかつ、こっちも相手に不愉快な思いをさせた場合の三通りがある。

きちがい親父にきちがい的な理由で怒り狂われていたということが、これもにも影響をあたえている。けど、そういうふうに言うと、「親のせいにしている」と言われやすいので、言いにくい思いがある。けど、ものすごく細かいことや、理由にならないことで怒り狂われたことがある人しか、この感覚はわからないと思う。一回や二回の話じゃないのだ。それは、きちがい親父の頭の構造が影響しているからだ。健常者と異常者の区別をするのであれば、とうぜん、この区別は重要だ。けど、「親」という単語にとらわれると、「俺だって、細かいことで怒られたことがある」というようなことを健常者が親である人間が言い出す……。これも、ヘビメタ騒音とおなじなんだよな。構造的に頭がおかしい人が、構造的に頭がおかしいから、普通の範囲で言えば「わけのわからなこいとで」怒り狂うということになる。あと、きちがい親父が無視しているのは、自分の感情とその発露なのである。きちがい的なことで、発狂して怒っているのに、「起こったつもりがないまま」なのである。あとは、おこったつもりがないということとは、矛盾するのだけど、「自分がちゃんとした理由で怒っている」ということなのである。こういうところで、きちがいなんだよ。普通の人は、ものすごい勢いで怒り狂ったなら、「ものすごく腹がたった」「その怒りを相手にぶつけた」とい記憶が残るのだけど、親父の場合は、そういう記憶が残らない。だから、「そんなことはやってない」という気分のままでいられる。これは、兄貴のヘビメタ騒音でもそうだ。ものすごい意地で鳴らしていたのに、「ものすごい意地で鳴らしていた」「ぜったいにゆずってやらなかった」という記憶がない状態で暮らしているのだ。発狂的な意地でやること……猛烈な勢いでやることなのに、「やった」という記憶がぬけている。これは、一般的な、記憶喪失とはちがうんだよ。やっている最中もやったつもりがないわけだから……。発狂してやりきるけど、「やったつもりがない」状態が続く。「やめろ」と言われたら、発狂してはねのけるのだけど、「はねのけた」という記憶がない状態だ。それは、一度認識したものを、忘れたということではないのだ。だから、普通の記憶喪失とは性格がちがう。こういうことを言うと、矛盾していると言われるかもしれないけど、ほんとうは、記憶が一部残っている。認知が一部、成立している。けど、自我にとって不都合な記憶は、普通に無視してしまうのである。この無視は、あったってないというような無視だ。けど、それも、いとき手にやっていることではないのである。だから、否定派するけど、「やった」というような感触はあるはずなのだ。けど、それも、怒りとともにおしながしてしまう。ほかの人の場合、こういう家族がいないのだから……こういうことがしょうじないのである。かりに生じたとしても、すでに自我ができあがったあと、頭がおかしい上司にこういうことをやられたということになる。その場合は、上司なのだから、会社をかえれば、とりあえずの問題は解決する。けど、家族の場合は、そうじゃないのである。そうは、いかない。そして、独立するまでの期間が長すぎるのである。この期間の長さを無視することはできない。けど、普通の人や認知療法家は、この期間の長さを無視する。

 

2022年5月5日木曜日

無視すればいいと……やられてないやつが気楽に言う

 祭日の午後四時四六分。これ鳴っている、雰囲気だ。どれだけ、「しずかにしてくれ」「明日大事なテストがある」と言っても、一秒もしずかにしてくれなかった。俺が小学六年生以上の学生であった祭日……ヘビメタ騒音がずっと朝から、晩まで鳴っていた。とちゅう、どれだけ「しずかにしてくれ」と言っても……兄貴に言いに行っても……きちがい兄貴は一秒もしずかにしてくれなかった。そういう、一秒一秒のつみかさね……つみかさなり……が、どれだけ影響をあたえると思っているんだよ? どれだけ無視したって、影響をうけないようにしたって、破壊的な音で鳴っているのだから、影響をうける。これ、このあいだも書いたけど、鳴り終わってからもずっとくるしい。

いまも、くるしい。ほかの人に誤解されて、くるしい。からだがくるしい。人生をやりなおすとしても、きちがいヘビメタの影響をうけたからだで、やりなおすわけだから、すべてがくるしいし、おなじだ。これ、どれだけ、俺がヘビメタ騒音の影響をうけないようにしてきたかわかってない。なるべく影響をうけないようにしても、うけている。うけないようにするということがむりなんだよ。それを……あたかも、うける必要がないからうけなくてもいい……ヘビメタなんて言うのは、無視すればいいと……やられてないやつが気楽に言う。影響をけてないやつが気楽に言う。そんなのは、机上の空論でむりなんだよ。

こういう、ばかなやつにえらそうなことを言われるポジションに陥ってしまう。これが、どれだけ、屈辱か。こんなの、ほんとうに、きちがい兄貴がきちがい兄貴でなく、普通の兄貴で、普通の感覚を持っていたら、発生しなかったことなんだよ。これも、きちがい家族にたたられなかったやつが「発生しなかったことだと言ってもしたがないだろ」というようなことを言いやがる。こいつら、みんな、ほんとうに、わかってない。ただ単に、想像力がたりないやつなんだよ。ただ単に、ガキだからわかってないやつなんだよ。自分勝手な傾向がきちがい兄貴に似ている。ほかの人のことを考える能力がないところが、きちがい兄貴にている。「自分だったら」ということがまるでわかってないやつ。「自分だったら平気だった」と思ってしまう「うぬぼれ」が強い人。ただ単に、おろかだから、わかってないだけ。

長さがわかってないんだよ。ともかく、きちがい兄貴がきちがい的な意地で、俺ことは、まったく気にしないで、自分が思ったとおりの音できちがいヘビメタを、一日中、鳴らしまくると、俺が、ほかの人から「なめられる」ことになる。俺がほかの人から「ばかにされる」ことになる。すべてが、屈辱。きちがい兄貴のことといい、きちがい親父のことといい、そろいすぎている。ほかの人にはまったくないハンディなんだぞ。しかも、ハンディがあるから、そのぶん優遇されるのかというと、そういうところもまったくない。凡人佐藤の態度は、そういう……システムのうえに成り立っている。きちがいヘビメタの影響を、どれだけうけるか?……凡人はわからない。だから、凡人の基準でものを言う。凡人には、きちがい家族のハンディがない。どれだけたたられるかまったくわかってない。


そもそも、配られたカードがちがうんだよね

 そもそも、配られたカードがちがうんだよね。それは、たとえば、幸福論にも影響をあたえる。これは、そのうち、くわしく書こうと思う。言いたいことは、人間を主語にして、おカネと幸福感の関係について語るのは、まちがいなのではないかということだ。人間ではなくて、こういうカードを配られた人間にとってはというような、但し書きをつけるべきなのではないかということだ。なんていうのかな、たとえばの話だけど、きちがい親父がきちがい親父ではなくて、なおかつ、きちがい兄貴をしずかにさせるつもりがない場合は、俺がアパートをかりて、その時間だけ外に出るということだってできた。きちがい兄貴が鳴らしているあいだは、その近くのアパートで勉強をするこということだってできた。けど、きちがい親父が訊かちがい親父なので、そういうことには一切合切賛成しなかった。子どもだった俺は、きちがい親父がカネを出してくれなければ、近くのアパートを借りるなんてことはできなかった。だから、鳴らされているあいだじゅう、ずっと、この部屋でくるしんでいた。きちがい兄貴を殺さないと、音をとめることができない。きちがいだから、どれだけ言ってもわからないんだよ。その「わからなさ」というのは、普通の人の理解をこえている「わからなさ」だ。きちがい兄貴本人だって、きちがいおやじとおなじ無視のしかたで無視をしているとは思ってないのだ。逆に、無視したつもりがない状態で、「どれだけ言われても」鳴らしている。鳴らし続けることができる。頭がおかしいからそういう態度で、そういう認知・認識で鳴らし続けることができるんだぞ。本人は「やったつもり」なんてまったくないよ。そういう状態で、十数年間がすぎていく。どんだけ、くるしいか?

いまだって……こうしているいまだって……鳴っている雰囲気があるよ。せっぱつまった、思い通りにならない空間がある。頭の横にある。ほんとうに、どれだけ、ひきさかれる思いをしたか?

 

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2022年5月3日火曜日

ほんとうに、ヘビメタが「すべて」にたたるんだよ

 ほんとうに、ヘビメタが「すべて」にたたるんだよ。やられなかった人にはわからない。出版のことだって……。神学のことだって……。就職のことだって……。やられてない人のほうが多いというよりも、きちがい兄貴みたいな家族にずっとやられた人なんて、ぼくしかいない。ぼく以外の人がまったく経験てないことを、経験した。で、ほかの人には、わからないのである。ほかの人には、ヘビメタ騒音のことを説明しても、わからない。出版社の社長だって……。それならちゃんと書かないとだめだ」と言ってたけど、深刻さがわかってないんだよ。あと、その出版社では、幼稚園での幼児虐待についてあつかっていた本を出していたんだけど、ぼくには、たいしたことではないように思えた。「ママ、たすけて」っ言ったって、ただちょっとぶたれるだけだ……。きちがい親父にくらべたら……きちがい親父がやったことくらべたら、へでもないと思ってしまったのだ。で、このきちがい親父がやったことというのが、説明しずらいのである。きちがい親父の態度も、きちがい兄貴の態度も説明しにくい。説明しにくいだけではなくて、説明しても、普通の人は、信じない。ともかく、あのとき、親父のことにくらべたらそんなことはたいした問題じゃないと思ったので、そういうことを言ったんだな。そうしたら、「あなたがそんなことを言うとは思わなかった」と言われた。「幼稚園での暴力は重要な問題だ」というのが、社長の意見だった。まあ、それは、わかるけど、どうしても、きちがい親父のきちがい的な状況を考えると、幼稚園の教諭の暴力は、たいしたことじゃない感じがしたのである。きちがい親父がきちがい的な理由で怒るときの、きちがい的な勢いがわかってないなぁ。あんなの、ほんとうに、きちがいとしか言いようがない。そりゃ、「やめてくれ」と言ったってやめないよ。それに、本人は、悪いことをしているつもりがまったくないんだぞ。自分の気持ちしかないからな。あとは、頭がおかしいほど些細なことで怒るということが、あるいは、まったく理由がないことで怒るというとがどういう影響をあたえるのか、普通の人はわかってない。心理学者もわかってない。認知療法などにかかわっているカウンセラーもまったくわかってない。この「わかってなさ」は、言いようがないレベルだ。きちがい親父のほうに無意識的なズレがあるのだから、やられたほうには、その影響が出る。けど、無意識に問題があるきちがい的な親というものを知らない人には、わからないのである。「過去のことは影響がない」「影響をうけなければいい」「影響をうける必要はない」……こういう発言がどれだけ、きちがい家族にやられた人を傷つけるかわかってない。やられてない人のこういう発言は、やられた人の無意識と意識に、影響をあたえる。

冒頭の 「ほんとうに、ヘビメタが『すべて』にたたるんだよ」……だって、すべてというのは非合理的(イ・ラショナル)な考え方だということになる。どうしてかというと、「すべて」ではないから……。これは、やられてない人の考え方だ。ほんとうに、すべてに影響をあたえる。

「でなかった」場合の現実は、ない

 ほんとう、どうしようかな?

つまんないーー。まあ、2019年よりもましだ。個人的にはね……。しかし、この世はきつかった。これ、まわりにいる人によって、その人の人生がまるでちがってしまうんだよね。けど、ひとつしかないわけだから、比較ができなぃ。ようするに、まわりに、ある人がいなかった場合の人生……その人の人生というのは、「ない」わけだから、比較しようがない。その世界線だけがあるわけだからさ……。実際には、ひとつの現実しかない。「でなかった」場合の現実は、ない。「だった」現実から、「こういう現実もあったのではないか」と考えるだけなのである。まさに、「である」その人が想像するだけの世界だ。

 

けど、相手の立場に立って考えるということを無視してしまっているAさんにはそういうことは、わからない

 たとえば、ある毒リンゴを食べてしまうと、からだじゅうの毛細血管がつまるということが発生してしまう。毛細血管がつまっても、……つまり、毛細血管に血栓ができても……普通の検査では、発見できない。毛細血管がつまれば、なんとなく体の調子が悪いというようなことが発生するとする。まあ、慢性疲労症候群のような状態になる。しかし、通常の検査では、異常がないので、「気のせい」にされる。

さて、AさんとBさんがつきあっているとする。Aさんが毒リンゴを食べて、からだの調子が悪くなったとする。Aさんは、そのリンゴが毒リンゴだったのではないかと思っているとする。Bさんは、そのリンゴが毒リンゴではないと思っているとする。そして、Bさんは、検査をすれば悪いところがわかるはずだから、検査をして異常がないということは、Aさんは正常だと思っているとする。その場合、Bさんが、他人をせめやすい考えをもっている場合、Aさんに対して「Aさんは、病気に逃げ込んでいる」というようなことを言うことになる。「つらい社会生活がいやなので、慢性疲労症候群だと言って、つらい社会生活をさけようとしているんだ」というようなことを言うのである。けど、実際に、Aさんのからだは、毒におかされていて、毛細血管がつまっている。だから、Aさんは別に、つらい社会生活がいやだから、病気に逃げ込もうとしているわけではない。しかし、Bさんは、Aさんのつらい状態を無視して、そういうことを言うのである。この場合、Aさんは実際にからだがつらいわけだから、Bさんの発言に対して、怒りを感じる。これは、不自然な怒りではない。おこる必要がないのに、おこっているというわけではない。しかし、Bさんは、自分が言ったことが「ずぼし」なので、Aさんがおこったと感じるのだ。ともかく、Bさんにとっては、Aさんは「つらいことがある」ので、病気に逃げている人間なのである。だから、それを言ってもいいわけだ。しかし、それは、Bさんの体調を無視している。実際の体調を無視している。無視できるのは、AさんとBさんが別の個体だからだ。そして、Bさんの「きょうかんりょく」がとてつもなく、ちいさいからだ。Aさんは、Bさんのつらさというのを無視できるのである。別の個体だから……。Aさんだって、Bさんが食べた毒リンゴを食べたら、動けなくなるかもしれないのだ。毒の量が同じなら、そして、人間としての科学的な組成が同じなら、Aさんも動けなくなる可能性はとてつもなく高い。しかし、Aさんには実際に、そういうことがしょうじてない。しょうじてないからこそ、言えることなのだ。けど、相手の立場に立って考えるということを無視してしまっているAさんにはそういうことは、わからない。普通の検査ではひっかからないことで、ぐあいが悪くなっている人たちがいる。けど、Aさんは、普通の検査をすれば、悪いところが見つかるはずだと思い込んでいるのである。これは、科学的な態度ではない。しかし、Aさんは、これが科学的な態度だと思っているのである。

「もう、つかれたよ」

 いろいろな欲がさがっているのだけど、これは、いいことではない。

ちょっと、欲を復活させないとやばい。

それにしても、つかれた。「もう、つかれたよ」……。「もう、つかれたよ」っていったい何回、こころのなかで言っているかわからない。ほんとうに、つかれたよ。で、そのつかれの本体は、きちがい兄貴ときちがい親父によってもたらされたものなのである。ほかの人には、これがないんだよな。ない世界で、つかれについて語っている。だから、ぼくとは、感覚がちがう。俺だって、きちがい兄貴ときちがい親父にたたられなかったら、ぜんぜんちがう感覚ですごしていたと思う。そのときは、別の「ぼく」が言っている、つかれなんて、ぜんぜん理解できないよ。みんなは、ヘビメタ騒音の数千日を経験したわけじゃないんだよな。それじゃ、言うことがちがうよ。



 

2022年5月1日日曜日

言いやすいほうの人たちにはすでに人権があり、言いにくい人たちのほうにはまだ人権がない

 もう、障害者差別なんてないよ。あるのは、ギリケン差別だ。基本的に言っていまの世の中だと、ギリケンのほうが差別されて、ギリケンのほうがつらい思いをすることになっている。で、そのギリケンをくるしめるものはなにかというと、じつは、普通の人がもっている労働観なのだ。

現代ということを考えるのであれば、問題なのは着色された障害者差別じゃない。問題なのは、無職差別だ。 現代ということを考えるのであれば、問題なのは着色された障害者差別じゃない。問題なのは、引きこもり差別だ。

だいたい、なんとか差別反対と言いやすいものと、言いにくいものがある。言いにくいもののほうが、もちろん、実際には差別されている。言いやすいものに関しては、もう、差別されてない。

「障害者差別反対」とは言いやすいけど、「引きこもり差別反対」とは言いにくいだろ。「無職差別反対」とは言いにくいだろ。「ギリケン差別反対」とは言いにくいだろ。ギリケンというのは、ぎりぎり健常者のことな。 

「なんとか差別反対」と言いやすいもの……これに関してはもう、人権が確立されている。もちろん、個人のプロパーな問題はある。それは、じつは、特に「なんとか差別反対」と言わなくてもあるものなのだ。

そして、「なんとか差別反対」と言っても、個人的な問題が解決しない。言葉としての差別反対……。集団としての差別反対……。こういうことでは、じつは個人が個別にかかえている差別感にまとわる問題というのは、解決しない。

言いやすい差別反対を叫んでいる人のほうが目立つし、おカネになる。ほかの人の支持も得られやすい。ブラックなマスコミが応援するからだ。このブラックなマスコミは、どのみち、淘汰される。

いままで、人を洗脳してきたマスコミが、本当の意味で責任を追及されるようになる。けど、それは、これからはじまることだ。いままではもちろん、『黒い地合い』で好きなことをやってきたのである。これは、人類史的に見てゆるされることではない。

ともかく、言いやすい差別反対を叫んできた人は、自分の心のなかに、差別心が、めちゃくちゃにあることを認めるべきだ。簡単に言えば、障害者差別撤廃を叫んでいる人が、ギリケンに関してはめちゃくちゃに差別していて、労働観に基づいた偏見を押しつけるということになっている。

もちろん、押しつけているつもりなんてあるわけがない。正しいことを言っていると思っているからね。どしうて、正しいことを言っていると思えるかというと、そういう労働観をもっているからだ。労働観に照らし合わせて、ギリケンという存在は、ゆるしがたいのである。「そんなのことは理由にしないで、ちゃんと働くべきだ」と考えてしまうのである。 そんなことというのは、ギリケンであること、ね。

障害者が働かないのはゆるされることだけど、ギリケンが働かないのは、絶対にゆるされるべきではないと考えてしまうのだ。この基準が差別なのだ。ようするに、障害者差別に反対している人は、平気で、ギリケン差別、無職差別、引きこもり差別をする。悪いと思ってない。

「言いにくいほう」に分類される人たちのほうがずっと、差別されている。

言いやすいほうの人たちにはすでに人権があり、言いにくい人たちのほうにはまだ人権がない!!のである。なのであれば、もちろん、言いにくい人たちのほうの人権についてふれるべきだ。なぜわからないのか?

差別のまなこをむけられている人たちの人権に目を向けるべきだ。言いやすいほうの人権ばかり主張して、言いにくいほうの人権は完全に無視だ。

そして、活動している本人も、じつは、言いにくいほうに属する人たちに対して、俗世間的な差別心をもっている。「こういうことじゃだめだよな」と言ってやりたい。佐藤さん、おわかりか?


毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。