2019年10月20日日曜日

こういう流れが、他の人にはわからない

つまんない。
どうしたらいいんだ?
どうしたらいいんだ?
やっぱり、ぼくのこころが壊れている。
どうにもならない。
そりゃ、俺だって楽しいことを書きたい。

これはない。
普通の人だったらとっくに自殺していると思う。
俺だから、生きている。けど、生きているけど、ほんとうにものすごくやっかいなことをやられて、生命力があんまりないような状態になっている。これ、ほんとうに、ヘビメタ騒音と言えば、たいしたことがないように思われるのだけど、一日で、自殺コースだ。これ、本当につらい。ずっと鳴っているあいだ、パニック。これも、『勉強したくないからそんなことを言っている』と常識的な人が邪推するのだけど、ほんとうに、勉強ができない。あの音のなかで、問題を解こうとすると、解けた問題まで解けなくなるようなところがある。いやな記憶がつきまとう。学校で完全に覚えたことですら、あの音のなかで復習しようとすると、忘れてしまう。記憶があいまいになる。いやな記憶になる。気違いヘビメタ騒音「つき」のいやな記憶になる。鳴っているあいだじゅう全速力で走っているような状態で、くるしい。毒ガス室のなかで、背中に火がついている状態で、全速力で走っているような「おちつかない」状態になる。だれも、わかってくれない。あんなの、七時間近く毎日浴びせられたら、どれだけ丈夫な人でも、常にだるいからだになる。やる気が失われ、鬱状態になる。怒りやすい状態になる。気違い兄貴は気違い親父とおなじで……しらんぷりだからな。これも、ほんとうは知っているけど、知らないふりをしているということではなくて、ほんとうに知らない状態でやってい。何万回言われても、知らない状態に復活してしまうのである。気違い的な意地があるからそうなる。『お兄さんに言えばいい』『家族で相談すればいい』なんて、言う人には、想像もつかない態度なのである。感覚なのである。もう、こういうのは、いやなんだよ。こういうやつらが、敵になる。気違い兄貴が気違い兄貴の感覚で、気違いヘビメタを、こだわってこだわって鳴らさなければ、ぼくと常識的な人のあいだで、争いが発生することがない。震源地の気違い兄貴が、ほんとうに、シランプリだ。これは、『我が家の伝統』で、気違い親父の態度そのものだ。(気違い兄貴も気違い親父も)自分がやりたいことをやっているときに、ちょっとでも「やめてくれ」というようなことを言われると、血相を変えて怒るのだけど、怒ったら、すぐに、言われたということ自体を忘れてしまうのである。何万回言われても、その都度怒って、その都度、言われたということ自体を忘れてしまう。これは、忘れたふりをしているのではなくてほんとうに、忘れてしまう。記憶に残らない。だから、「やめてくれと言ったのに、やり続けた」と言われると、気違い的な意地で否定する。で、そのときの気違い的な意地で否定する態度が、やっているときの『やりきろうとする』態度とおなじなのである。何万時間俺は、勉強を邪魔されたんだ? 何万時間俺は、普通に生きることを邪魔されたんだ? やられてない人が勝手に過小評価して、『そんなの過去のことなら関係がない』とかぬかしやがる。こういうやつも、ゆるせない。ここでもまた、気違い兄貴がこだわりつくしてやったこと……一五年間も毎日やったことを巡って、気違い兄貴がまったく知らないところで、俺と常識的な人があらそうということになる。張本人がしらんぷりだよ。実際にまったく知らないのである。これは、言われたってわからない。そんなのが理解できるはずがない。ここで、思いっきり自分が鳴らしたい音で鳴らしたい……という気持ちがある以上、一切合切「うけつけない」のである。それは、ハンダゴテ事件の時の親父が、ハンダゴテが使えないということを受け付けなかったのとおなじなのである。あるいは、気違い親父が押しつけたハンダゴテで、兄貴がこまっているということを「受け付けない」のとおなじなのである。受け付けないとなったら受け付けないんだよ。そして、受け付けなかったことは、「ないこと」なんだよ。だから、これも、何回言ってもおなじ反応が返ってくる。「使える使える」とか「そんなんじゃないそんなんじゃない」と逆上してどなる。そうしたら、本人のなかでは終わっている。終わってしまったら、どれだけ関係がある人でも、関係がないひとになってしまうのである。ここで言うなら、気違い親父が意地を張っているから、問題が生じているのに、その気違い親父がまったく関係がないひとになってしまう。もちろん、親父のなかで関係がない人になってしまうのだけど、親父のなかで関係がないひとになったら、どれだけ、相手がなにを言っても、親父は、関係がないひとになってしまうのである。兄貴もまったくおなじだ。本人が、気違い的な意地でやっているから問題が生じているのに、まったく関係がないひとになってしまう。「言われて」自分が怒ったら、その途端に、関係がないひとになってしまうのである。こういう流れが、他の人にはわからない。こういうことが、何万回繰り返されても、気違い親父の性格や、気違い兄貴の性格はかわらない。だから、普通に毎日そういうことをして、すごすというとになってしまう。自分が意地になってやっていることは、気違い的な意地でやって、やり終わったら、〇・一秒でやってないことになってしまうのである。関わりがないひとになってしまうのである。関係がまったくないひとになってしまうのである。こんなの、普通の人がわかるわけがない。で、一番わかってないのは、気違い兄貴や気違い親父だ。気違い的な意地でやる人……アクティング・アウトとする人……実際にやる人が、一番わかってないんだよ。ほんとーーにこまる。こういうことでこまるということが、他の人にはわからない。うちでは、もう、あたりまえだからずっと、何万回でも何十万回でもそういうことが繰り返される。もともと?そういう人だからかわらない。

2019年10月18日金曜日

おれがどれだけ、気違いヘビメタの中でがんばって生きてきたと思っているんだよ?


外に出ないとへこみそうだから、外に出るかな。

けど、遠くは無理だ。

やっぱり、近くの販売機まで行って、帰ってくるしかない。しかし、しかし、しかし……。言いたいことはいっぱいあるけど、ここには書けないな。



それにしても、秋が短い。いきなり寒くなるのは、やめてほしい。このあいだまで気温三二度だったのに……。





じゃあ、まあ、行ってくるよ!!!



いまは、食べたくないから、外食はなし。買うべきものも……。あるにはあるけど、買いすぎになる。しかし、カップ麺か。



この人生はやはりくるしい。

それに、やらなきゃいけないことというのが、しょぼい。あんまりやりたくないことなんだよな。


   *   *   *


炭酸水を見つけたので、買いに行かなかった。

しかし、途方にくれる。わかっんないだろうな。

むなしい。だれにもわからないことで、悩んでいる。だれにもわからない。


   *   *   *

やばい。こころがこごえる。

なんとかしないとダメだな。

なんとかしないと……。

いま、しずかなのはいいんだけどな……。

いまはね……。

   *   *   *


理解は得られない。ほんとうにぼくは誤解されている。ずっと誤解されてきた。もういやだ。



あまりにもさみしいので、たいして腹がへってないけど、あったかいものを食べに行くことにした。
なにをたべるかな?
こんな俺でもやらなければならないことがある。それが、めんどうくさい。
『帰ってきたらやらなきゃならないな』と思うと、しんどい。もう、むりでしょ。

もう、ぼくはだいぶ前に壊れて、無理なからだになっている。無理な精神になっている。ほんとうに、この時間、気違いヘビメタがガンガン鳴っていた。気違い兄貴の気違いヘビメタがデカイ音で鳴っているというのはたしかだ。

ところが、ヨソの人は、それを認めない場合がある。ヨソの人がぼくのことを誤解するとき、いくつかのポイントがあるのだけど、そのうちのひとつは『そうは言っても、そんなにデカイ音で鳴っているわけがない』というような誤解ポイントだ。

ちがうって言っているでしょ。

気違い兄貴がスピーカーから四メートル離れているところで、聞いて、ヘビメタ難聴になっている。これは、四メートル離れたところで、八五デシベル以上の音で鳴っていたということを暗示か、明示している。普通、音源がはっきりしているものの場合、音源から一メートル離れたところで音の大きさを測るんだよ。だから、もっとデカイ音で鳴っていたということだ。

もうひとつは、どれだけ言ってもやめてくれなかったということだ。これも、信じない人がいて『言えばやめてくれたはずだ』というようなまちがった信仰を持っている。 気違いの状態というのがまるでわかってない人なんだよな。その人は、健常者に囲まれて育ってきた人なのだろう。

だから、その人の常識で考えると、『家族がそんなことをするはずがない』『言えばわかるはずだ』ということになってしまうのだろう。

けど、それは、その人の家族が健常者だけだったからだ。こういう人が、音のデカさと、音の持続時間と音の持続期間を否定したまま「そうだとしても(仮定)……ちゃんとやらなきゃだめだろ」というようなことを言う。

『そうだとしても?? そうだとしても?? おまえ、何千日もやられてみろ。どれだけ根性がある人でも「できなくなる」。この人たちは、やられてないから、そういうことが言える。自分の身で体験してないからそういうことが言える。

こういう人たちだって、自分の意見には相当に自信があるから、容易には、(自分意見を)引き下げない。引き下がらない。「あったとしても、できるはずだ」という意見にこだわる。いろいろな誤謬ポイントがあるんだよな。ひとごとだと思って簡単に言いやがって。

おれがどれだけ、気違いヘビメタの中でがんばって生きてきたと思っているんだよ?? ほんとうにゆるしがたい。すべてがゆるしがたい。

気違い兄貴の態度(全体)がわからないだけだろ。気違い兄貴の態度全体が、そのひとにとっては非常識なものだから、「そんなのはありえない」というまちがった理論にこだわってしまう。こういうやつの、まぬけな意見で俺がどれだけ不愉快な思いをしてきたか。

こういうやつに、兄貴の姿、兄貴の態度、兄貴が実際に頑固にやってきたことを説明しても、容易には信じない。繰り返しになるけど、「だとしても」と仮定の話をしやがる。そいつにとっては、『仮定』なんだよ。こんなことがゆるされていいわけがない。しかも、そいつは、そういうまちがった仮定でものを言っても、自分の意見を言っただけだというスタンスを維持できるのである。

自分の意見を言っただけ?

そんなことはないよ。俺を侮辱しているよ。ゆるせないよ。

どうして、他人が理解できないような異常な家族にやられると、こういうことになってしまうんだ!! どうして!! どうして!!

   *   *   *

ヘビメタでくるしい。どうしてもくるしい。くるしいだけの人生だった。ヘビメタ騒音で猛烈にくるしい。

だれもわかってくれない。適当なことを言う。いや、不適切なことを言う。彼奴の常識では計り知れない「うち」なんだよ。だから、あいつらの思いこみが、全部間違った方向で、爆走する。気違い兄貴が、ルールを破って悪いことをした。毎日毎日、熱心に、頑固に、悪いことをした。これが重要なことなのに、それは、スルーだ。

完全にスルー。エイリさんの話はほんとうではないかもしれないという、常識的だかまちがっている判断をして、スルーしてしまう。いつもついも「かりに」だからな。

いま、午後一〇時で、しずかだ。この時間だって鳴っていたし、鳴っていたら、どれだけ言っても、しずかにしてくれなかった。それなのに、気違い兄貴は「うるさくした」ということがわかってないし、ヨソの人は『ちゃんと言えばしずかにしてくれたはずだ』という前提立って、俺のことを悪く言う。

『エイリさんがちゃんと言わなかったから悪い』『エイリさんは、コミュ障なのでちゃんと言うことができなかったのではないか』なんて、思ってしまう。

そして、「かりに」鳴っていたとしても、そんなことが、そんなに影響を与えるはずがない……と気違い的な判断をしてしまう。自分だって、一〇〇〇日もやられれば、どれだけくるしいことかわかるはずなのに、やられてないからわからない。

三味線ぐらいの音が二時間ぐらい鳴っていたのだろう……ちょっとうるさいテレビの音が三時間ぐらい鳴っていたのとおなじぐらいだろうと思ってしまうのだ。「そんなんじゃない」とぼくが、どれだけ言っても、こいつらはこいつらで、信じない。

信じてくれる人は、俺が最初に説明したときに信じてくれる。「ひどい目に遭いましたね」と言ってくれる。「そんなんじゃ、働けなくなって当然だ」と言ってくれる。

けど、こういう人たちは、案外少ない。こういう人たちは兄貴が!悪いことをしたということを、一発で理解しいてる。

俺のことを悪く言うやつらは、兄貴が悪いことをした……それも一四年と数ヶ月にわたって、毎日悪いことをしたということを、無視してしまう。『そんなことで働けないなんていうのは甘えだ』と思ってしまう。『騒音で通勤ができないなんておかしい』と思ってしまう。

けど、やられればわかるよ。だいたい、一日のなかでも、七時間は長い。平日、訳し七時間、土曜は約一〇時間、日曜は約一二時間、夏休み、冬休み、春休みは、約一三時間三〇分と、最初に言ってるだろ。

ほんとうに、七時間、機関銃の弾を浴びるように、気違いヘビメタの高音と低音を浴び続けると、眠れなくなる。終わったあとに眠れなくなる。ヘビメタが終わったあとに眠れなくなるんだよ。それだって、常識野郎にしてみれば『自己責任』だ。こいつら……こいつら……。

こいつらが、俺の悪口を言っているのに、こいつらのなかでは、俺が兄貴や親父の悪口を言っているということになっている、らしい。勝手に、コミュ障だと決めつけて、コミュ障だからだめなんだと言うのは、悪口じゃないのか?

どうして、コミュ障だと思うかというと、その時点で、俺が引きこもり無職だからだ。引きこもり無職なら、コミュ障にちがいがないというまちがった信念がある。あー、どうしてこいつらは、常識的な人間なのにこうも倒錯しているのか。

俺がその時点で引きこもり無職なのは、ヘビメタ騒音が足かけ一五年間も毎日続いて、働けなくなったからなんだよ。こうやって、原因と結果をはきちがえる。むしろ、そういう人間のほうが、コミュ障なのではないかと思う。

俺の説明を聞いても、相手が(俺が)ヘビメタ騒音で働けなくなったということを理解してないからだ。ほんとうに、原因と結果がわかってない。

そういうふうにまちがった判断をする人だってほんとうに、あの音のデカさで、あの気違い兄貴の態度で、あの時間の長さ、ヘビメタ騒音を鳴らされたら、毎日眠れなくなって、まるで地獄の中で生活しているようなくるしい状態になる。そのひとつの症状として、『眠れなくなる』というのがある。もっと正確に言うと、『適切な時間に眠れなくなる』ということだ。適切な時間というのは、世間の人が『眠るべき時間だ』と考えている時間ということだ。

俺だって、ヘビメタ騒音がなければ眠れたのである。気違いヘビメタを浴びてない人が……一日にのなかで長時間……毎日毎日浴びてない人が、適切な時間に眠れるのは当然のことだ。

そりゃ、徹夜をすることもあるかもしれないけど、『毎日ヘビメタが鳴っているわけではない』から、回収できる。睡眠時間と睡眠リズムを回収できる。その人たちが『俺だって、つらい朝がある。それでも、がんばって働いている(通勤している)』というのは、一見、正しそうな発言だけど、正しくない。

そういうレベルのつらさは、俺だってヘビメタ騒音が鳴る前に経験しているから、知っている。そういうレベルのつらさと、毎日つもっていくヘビメタ騒音のつらさはちがう。ぜんぜんちがう。

けど、実際には気違い兄貴のヘビメタ騒音を一日も経験してないので、そいつらはわかってない。なおさら、毎日積み重なったときのつらさなどはわかるわけがない。そういうやつらが、わかったようなことを言う。勝手に俺を混みしゅょうだと決めつけて、俺のことを悪く言う。

もちろん、本人は……本人たちは、俺のことを悪く言っているつもりはないのだ。『あたりまえのことを言っている』『正しいことを言っている』と思っている。『そんなことを言われたって、実際に働いてないのだからしかたがない』と思っている。『エイリさんは、働いてないのだから、自分たちからそういうことを言われたってしかたがない』と思っているわけだ。こういう思いこみだって、失礼な話しなんだぞ。ほんとうは!! まったくわからないのだろうけど。

普通の人がこういうことを思う。特に悪い人じゃなくても、こういうふうに思うわけだ。気違い兄貴の態度があまりにも異常なので、他の人がこうやって、まちがった判断をして俺の悪口を言い出す。兄貴とは違った意味で、悪いとは思ってない……そういう人たちは。兄貴のへんな性格はヨソの人をそうやって誤解させる「ちから」がある。

これは、親父の場合もおなじだ。あまりにもへんだから、他の人が誤解してしまうのである。で、じゃあ、他の人にわかるように上(縦書きにする場合は右)に述べたことを説明すれば相手は納得してくれるかというとそうではない。

それから、短い自己紹介時間で、上(縦書きにする場合は右)に述べたようなことを討論形式で?説明できる機会があるかというと、ない場合もある。だから、そいつらは、最初の印象通りに誤解する。僕はむかし、第一印象の研究をしたかったんだ。

影響を受けたことがないやつが、好き勝手なことをいいやがる

おかしいんだよな。けっきょく、ヘビメタをやられてないやつらが好き勝手なことを言っている。


おなじぶんだけやられれば働けないからだになるのに……そいつらだって。おなじぶんだけやられれば、どうやっても楽しめない『頭』になるのに……そついらだって。勝手に、ヘビメタ騒音の影響を過小評価して、好き勝手なことを言いやがる。これ、小学六年生の時からそうなんだよな。あとは、親父の頭の構造や兄貴の頭の構造は、普通の人にはわからない。だから、親父や兄貴がうちでやることを説明しても、他の人は、根本的なところで誤解する。誤解したところで『言えばいい』『相談すればいい』と言いやがる。こうやって、なめられる。勉強にしたって、楽しむ力にしたって、眠る力にしたって、どれだけ影響を受けるか? 影響を受けたことがないやつが、好き勝手なことをいいやがる。

そいつらは、鳴らされたってたいしたことはない(自分だったらちゃんとできる)と言うわけさ。やられてないのに……。どれだけのことかわかってないだけの話だろ。からだの反応として、やはり、疲れが残る。頭も含めてからだだから、鳴らされたあと、影響がどうしても残る。それは、何度も言うけど、走ったあと息がつらくなるのとおなじだ。走ったあとの影響よりも、騒音の影響のほうが長いのである。どうして、これがわからない。普通のからだの反応なんだよ。それに、これは、悪い意味で筋トレ』みたいなところがある。繰り返しで、からだ事態に変化が生じる。それも、生きているからだのしくみなのに、やられていることが他の人にはしょうじない異常なことなので、他の人にはわからない。

短い期間の鬱を経験した人が、勝手なことを言う。認知療法にかぶれて、キレイゴトを言う。『自分だってつらい思いをした。けど、認知療法的な考え方でなおった』と言う。それは、そうなのだろうけど、俺はおまえじゃないし、量がちがう。そういうことが成り立たない世界なんだよ。そんなんじゃないんだよ。

2019年10月17日木曜日

生まれつき虚弱体質の人とヘビメタ騒音性の虚弱体質の俺と、差がない


けっきょく、そばを食べにいくことはなく、うちでキムチと唐揚げを食べた。なるべく、揚げ物は食べないようにしているけど、たまには、揚げ物もいい。唐揚げは、好きな揚げ物のひとつだから、食べられる。ほんとうは、レンジであたためたほうがいいのだけど、レンジが使えないので、常温で食べた。昨日の夜買ってきて、部屋にずっとおいておいた。ほんとうなら、冷蔵庫に入れるべき商品。下におりていくのがいやだということが、いろいろなことに影響を与えている。
あとは、なんて言うか、
2019年10月17日15時17分14秒
もう、この時点でつかれた。この体力のなさはどうにかしなければならないのだけど、五〇〇〇日の気違い騒音のせいで体力を失ったので、元には戻らない。虚弱体質の人とヘビメタ騒音性の虚弱体質の俺と、差がない。生まれつき虚弱体質である人とヘビメタ騒音でつかれやすくなった俺と、いまの時点では大差がない。ヘビメタ騒音というのはそういうものだ。気違いによる長期長時間ヘビメタ騒音。家族による長期著時間ヘビメタ騒音。こういう騒音の性格が他の人にはわかってない。他の人にとっては未知の騒音なので……その効果がわからない。『未知』というのは、ヘビメタというものを知らないという意味ではなくて、一日の時間の長さと、ヘビメタ騒音が続いた期間の長さが未知だと言っているのだ。偏見というのは、わりと複雑なもので、一種のコンプレックスなのである。偏見は、わりと構築物に近いものなのである。手短にと言うと、ひとつの単位となる偏見と、ほかの偏見が複雑にむすびついている。ひとつだけ取り上げようとしてもそれは、無理で、ひとつだけ取り上げようとしてもほかの偏見が、納豆のように、くっついてくる。ひとつずつの偏見が複雑に絡み合った構築物のようなものなのである。



ほんとうに、つかれたな。そして、なんて言うのかな? 他人の状態に敏感ではない人、あるいは、他人の状態を考えることが不得意な人に、バカにされる。そういう人たちだって、五〇〇〇日にわたって、俺とおなじぶんだけ、俺とおなじ時間、俺とおなじ期間の長さ、気違い兄貴の態度で、気違い兄貴が夢中になって鳴らしていたときの音のデカさで、なんらかの騒音……その人にとっての『騒音』を聞かされたら、虚弱体質相当の体力になるのに、それがわからない。どうしてわからないかというと、想像力が欠如しているからである。また、実際に経験してないからである。実際に経験してないから、自分だったらどうかと言うことを、想像するしかないのだけど、その想像が、まちがっている。自分にとって都合がいいようにまちがっている。これは、そういうやつらの特徴のひとつだ。要するに、自分の能力を過大評価しているのである。自画自賛をしがちな人なのである。他人の苦痛にたいして、鈍感な人なのである。見積もりが、自分にとって都合がいいようにまちがっているのである。要するに、「おれすげー」という方向でまちがっている。実際にやられたら、一発でわかることなのだけど、実際にはやられてないので、わからない。わからない以上は、その人が考えたときに思いついたことが、その人の(いろいろなことに関する)判断基準になる。いろいろなことというのは、俺に対する判断や俺の言っていることに対する判断の基準になるということだ。ようするに、偏見がセットされる。

2019年10月16日水曜日

そいつは、自分の考えを放棄しない。そいつは、かわらない。


気違い兄貴が、「やりたい」から、昂然と無視したことがでかすぎる。それが、常識外れで、あり得ないことなんだよ。普通は、あり得ないことだ。どれだけやろうと思っても、できないことだ。けど、「やりたい」から、できる。事実を否定して、「ない」ことにしてしまう。夢中になって否定しているときは、夢中になって否定しているだけなのである。否定すること意外なにも考えてない。まさに「いまここ」しかない状態で否定する。普通なら絶対にわかることがわからなくなる。普通なら言わなくてもわかることがわからなくなる。普通なら、言われたら絶対にわかることが、わからなくなる。わかってしまったら「できなくなってしまう」から、命がけで否定する。「いまここ」しかないから、「いまここ」で否定すれば、それでいいのである。だから、そのあと、当人が否定したことを頑固に、気違い的な意地でやり通しても、『まったくやったと思ってない』状態が続く。こういうしくみ。こういうマジック。こういうことで、どれだけ俺が傷ついたか。勉強の邪魔をされて、めちゃくちゃな人生になったか。これ、否定する人もいるかもしれないけど、勉強はやりたいときもあるのだ。いつも、気違いヘビメタが鳴っていると、勉強をしたいときもできない。そして、普通の人は、気違い兄貴のヘビメタ騒音が『普通の騒音』だと思っている。ちょっとデカイテレビぐらいの音だと思っている。カラオケぐらいの音だと思っている。「そんなんじゃない」って言っているのに。もちろん、俺の部屋で聞いたときの話しだ。よその家にどのくらいとどいているのかは知らない。あの気違いヘビメタ騒音のなかで勉強するのは無理なんだよ。これも、『無理じゃない』『集中すればできる』と言うやつがいるけど、そいつは、俺とおなじ条件で、気違い兄貴のヘビメタ騒音を一秒も経験してない。経験してないやつが言う、単なる憶測にもとづいた意見なのである。俺とおなじ条件でくらしてから言え。

あれ、ほんとう、気違い兄貴は『ヨソじゃ一分だって鳴らすことができないような』デカイ音で鳴らしているということを知っていると思ってたけど、ほんとうに、知らなかったんだな。親父とおなじで、ほんとうに「そのとき」しかない。文句を言われているとき、『否定して』のりきれば、『そうじゃない』ことになっているのである。これ、ほんとうに頭がおかしいから「いじわる」でなく、できる。もちろん、やっていることは最低最悪の意地悪なんだけど、本人は、別に意地悪でやっているわけではないのだ。別に意地悪で(知っているのに)しらばっくれているわけではないのだ。で、知っているのにしらばっくれている人は、正常で!……やってることが異常でも正常だ。……ほんとうに異常なのは、どれだけ言われても、知らないまま、やり続けることができるやつだ。これは、ほんとうに「やったってやってない」の境地に立って、「いまここ」しかないから、文句を言われたときだけ……やめろと言われたときだけ……発狂して否定して、はむかって、おしまいなのである。そのあとやったって、やっているつもりがないのである。「いまここ」の意地しかない、気違い野郎だからこそできる、最低最悪の意地悪だ。こういうのを、正常な人の意地悪といっしょにするな!! どんだけ、足を引っぱられるか。もし、正常な人が意地悪をするつもりで、知っているのに認めない(知らないふりをする)という態度で鳴らしたなら、いっくらなんでも、一ヶ月で終了する。「うちでも」鳴らせない状態になる。けど、うちは、そもそもが、気違い親父が作った家なので、成り立ち続ける。そういうことが他の人にわからない。どれだけ、倒錯した感覚で鳴らしているか……他の人は……わからない。ほんとうに気違い的な意味で、自分勝手なのである。気違い的な意味で、「いまここ」しかないのである。「いまここ」の自分の感情しかない。認めたくないという自分の感情があると、現実を無視して、絶対の意地で認めないのである。「いまここ」を認めずに押し切れば、それでいいのである。「いまここ」の感情しかないのである。だから、どれだけ言われても、相手がこまっているということがわからない。自分がやりたい……自分が思ったとおりにやりたい……自分が思ったとおりに思いっきりやりたい……という感情しかない。いつもそうだから、いついかなる時に言ってもおなじ反応が返ってくる。これ、親父がやり始めたことで、普通の人間ならできないことなのである。そりゃ、普通の人間は、どれだけ意地を張っていても、自分がやっていることがわかっているからなぁ。気違い親父と気違い兄貴は、「いまここで」自分がやっていることがわかってない。頑固にやっているのに、頑固に否定している状態だ。現実否認がひどすぎる。自分がやりたいと思ってやっていること、あるいは、自分にとって都合が悪いことは、気違い的な意地で否定する。その気違い的な意地で否定するときは『現実』なんて一切合切関係がないのである。頭の中の『自分にとって都合がいい現実』しかない。自分の感覚器を書きかえて自分にとって都合がいい『現実認知』をつくる。夢中になってつくる。「いまここ」しかないのだ。相手の言っていることや現実を否定して、「やることができれば」よいのである。相手がこまっているということは、これっぽっちもない。相手が(自分がやっていることで)こまっているということは……そいつの現実のなかには……一切合切ない。自分の感情だけだからな。感覚器まで書きかえて……感覚器に依存した認知まで書きかえて、自分がやりたいことを押し通す。曲げられるのは、感覚に依存した認知そのものなのである。こうやって、自分がやりたいことを、押し通す。もちろん、押し通したつもりなんてないのである。こういうマジック。こういう気違いマジック。これで俺がどれだけひどい目に遭ってきたか。

こういうひどい目に遭ってきた人間に対して、生かじり精神世界の人は「相手をかえるのではなくて自分をかえるしかない」などということを言う。こういう現実もある。こういう現実が、この世をもっと地獄にするんだよ。こいつらは、こいつらで、なにをしているのか本当にわかっているのかな? と思う。たとえば、事実ではないことでうらみをもって、ガソリンをまいて、人を焼き殺すやつがいたとする。たしかに、他の人が「やめろ」と言っても、そいつの考えをかえることかできない。なら、殺されてもいいのか? これは、そういう問題なんだぞ。たとえば、知的障害者を殺そうとしているやつがいるとする。そいつに対して、『そういうことはやめろ』と言っても、そいつは、自分の考えを放棄しない。そいつは、かわらない。『そういうことはやめろ』といっくら言っても、そいつの考えがかわらなかったとする。なら、殺されたほうは、それでいいのか? 『相手をかえるのではなくて自分かえるしかない』から、殺されてもいいかの? これは、そういう問題なんだぞ。そういうことを、かるがるしく口(くち)にする。自分が妄想的な人に殺されるということを考えたことがないから、そういうことが言える。自分の人生が、妄想的な考えをもった人に破壊されるということがなかったから、そういうことが言える。家族が、妄想的な考えをもっていて、自分の人生を破壊したらどうなるんだよ?


2019年10月15日火曜日

なにがどのくらい楽しいことなのか、点数をつけようと思ったけどやめた


自分が起きているときにやっていることで、なにがどのくらい楽しいことなのか、点数をつけようと思ったけどやめた。
なにかをやったあと憂鬱になるなら、そのなにかをやる時間を減らすべきだと考えるわけだよ……普通の人は。そして、なにかをやっているとき楽しくなるなら、その時間を増やせばいいと考えるわけだよ……普通の人は。
けど、これは人間の無意識を無視しているから、無意識に問題がある人には、あんまり効かない。
だいたい、他の人の行為でボロボロにされた人は、……たとえば、気違い的にデカイ騒音などを長期間にわたってボロボロにされた人は……『楽しい』の『楽しい』がちがう。普通の人とは『楽しい』の『楽しい』がまったく違ってしまっている状態になっている。もう、ぜんぜんちがうと言っていい。

楽しいこと以外に、楽しくないのにやらなければならないことが日常生活のなかではしょうじる。これが問題なんだよな。くるしいけどやらなければならないこと……これが問題。やりたくないのにやらなければならないこと……これが問題。

2019年10月14日月曜日

一三時間鳴らされ続けたときのからだの状態がわからない


自分がやりたいから、意地になって、条例違反であるような騒音を出しまくっていたんだぞ。家族だということとと、一家の大黒柱であり、兄貴の親権者である気違い親父が気違いだから、話しが複雑になった。こんなの、ほんとうによその家じゃぜっーーーったいにありえないことなんだよ。だから、よその家の人は、よその家の人の常識でものを考える。『そんなに意地に鳴って鳴らす人はいない』と思っている。『そんな音で鳴らしていたら、絶対に親がしずかにさせるはずだ』と思っている。……ちがうんだよ。親が原因だ。気違い兄貴の態度は、気違い親父の態度のコピーだから、うちには浄化する機能がない。
ともかく、兄貴は、ハンダゴテ事件の時の親父のような態度でずっと鳴らしていたわけで、気違い親父のように「つもり」がない。これが、この騒音の背景にある。で、これが他の人には逆立ちしてもわからないのである。そして、他の人がわからないことはもうひとつ、ある。ほんとうはもうひとつじゃないけど、もうひとつは、ほんとうに、気違いヘビメタを一日に約七時間鳴らされたときのからだの状態だ。これが、まったくわからない。休日、夏休み、冬休み、春休みは、一日に一三時間鳴らされるのだけど、一三時間鳴らされ続けたときのからだの状態がわからない。俺がサボっているように見える。俺がもともと、『そのくらいの能力しかない』ように見える。これは、神様がおかしい。
ともかく、よそじゃ一日に一分だってあり得ないようなデカイ音で鳴らされた。気違い兄貴は気違い兄貴だから、自分がやりたかったら、自分がやりたい気持ちだけになってしまうのである。気違い親父とおなじなのである。自分がやりたい気持ちになったら、それにあがなうようなこと!! ……もし、それを認めたら、自分がやりたいようにできなくってしまうことは、どれだけ明らかなことでも、意地になって認めない。意地になって認めないということも認めない。言われたときに、発狂しておしまいなのである。言われたら、怒って、無視してやり通しておしまい。さされなければ、絶対にやめない。殺されなければ絶対にやめない。これが親父とまったくおなじ態度なのである。で、そういう態度でやったことは、気違い兄貴のなかでは、全部やってないことなのである。こういう、気違い的なところがある。これだって、うちの人以外はわからないだろ!!
もうひとつ言っておくと、気違い兄貴は、そういう性格だということが(ヨソの人は)わかってない。兄貴自身も兄貴自身がそういう性格だということがまったくわかってない。気違い兄貴は、自分が意地になって、こだわってこだわって……親父のように相手が言っていることを無視して……やったことは、やってないと思っている。一日に一三時間、こだわってこだわって、頑固に鳴らしても、気持ちとしては!!一分も鳴らさなかった場合とおなじなのである。そのくらいに感覚がズレている。

佐藤氏は『早く気がついてくれないかな』などと言っていたけど、それは、そのまま佐藤氏に返す。どれだけ、考え違いをしているんだよ。佐藤氏が思っているヘビメタ騒音の影響は、一〇〇京ぶんの一だ。ぜんぜんわかってない。これも、ほんとうに、小学六年生の時からズッとやられて、勉強の邪魔をされ続ければわかるよ。それによって、どういう人生になるかわかるよ。ぎりぎりの努力をしても、気違いヘビメタに押し流されてしまう。無視して、からだに影響が残らないということがない。こういうことが、まったくわかってない。まるで、ヘビメタ騒音が一五年後に鳴りやんだらまったく関係がないと思っているんだからな。そんなことであるわけがないだろ。どれだけ想像力が欠如しているか? この、想像力のなさは問題だぞ。

   *   *   *

やっぱり、ヘビメタ騒音のことが大きすぎる。おおきすぎる。どれだけ、たたったか。ほんとうに普通の人とおなじように、普通に勉強ができる状態であれば、高校や大学におちたとしても、それこそ、自己責任ということで満足できたんだ。ヘビメタ騒音に、すべての時間たたられている毎日で、そんなことが、思えるはずがないだろ。こういうのも、ぜんぜんちがうんだよな。

ほんとうにやられてない人にはまったくわからないことを、毎日ずっと経験しすぎた。あの時間の長さはない。ものすごく長い時間、強烈にデカイ音で騒音を聞かされた。この部屋にいるあいだ、どうしてもくるしかった。それは、勉強している、勉強していないにかかわらず、くるしかった。そして、『なら外に出ればいい』と考える人がいるかもしれないけど、ヘビメタ騒音のなかで外に出る用意をして、外に出ることの困難さがわかってない。それから、ヘビメタ騒音のなかに帰ってくることに鳴る。この気持ちの重さが、わかるわけがない。やられたことがないやつにわかるわけがない。気違い兄貴とのもめごとは、気違いとのもめごとだから、ものすごく、気持ちをかき乱されるのである。これも、気違い親父が気違い兄貴が「うちに」いる人じゃないと、逆立ちしてもわからない。この人たちのやり方は、掲示板の「あらし」よりもひどい。頭がおかしくなければできないことは、健常者を健常者を傷つける。頭がおかしくなければできないことを頑固にやって、まったくやってないつもりでいられる感覚は、健常者を傷つけるのである。感覚が傷つける。感覚は態度になってあらわれるから……。

ともかく、普通の家であれば、一日目の一〇分目あたりに、親が怒って、やめさせられるはずなんだよ。そのあとは、一日に一分だってできないようになってあたりまえなんだよ。あんな音で鳴っているうちなんてない。どこを歩いたってない。あんなのはおかしい。けど、気違い親父は『全部やめろっていうわけにはいかないだろ』などと言って俺に怒り狂っていたのである。だから、注意しなかったのに、一五年(じゅうごねん)たって終わったあとは、「注意した注意した」だ。「注意してくれなかった」と俺が言うと、親父が「注意した注意した」と怒っておしまいなのである。こういう反応しかない。頭がおかしい。これ、「全部やめろっていうわけにはいかないだろ」と言ってたときとおなじだ。気違い親父がうちにいて、気違い兄貴のヘビメタを『ウチのなかで聞いている時間』というのは、平日は〇分(ぜろふん)だ。だから、気違い親父はこまらないのである。あとは、気違い親父が外にいるときに、鳴っているんだよな。日曜日二時間ぐらいかな。いっしょの『敷地』にいあわせるのは。親父と兄貴が、いっしょの『敷地』にいあわせるのが二時間だ。それ以外は、親父は気違い兄貴のヘビメタを聞かないので、こまらないのである。あとは、自分がめちゃくちゃなことをしてきたという気持ちが無意識的にはあるのか、言えなくなってしまったのである。だいたい、からだのデカさが、自分をこえると、言えなくなってしまう。それまでは、気違い兄貴のヘビメタ騒音とおなじやり方で、もめごとを引き起こして、怒り狂っている。あれ、やり方がおなじなんだよな。もちろん、本人はまったくつもりがないというところも含めておなじだ。お母さんは『あんまり言うと怒るから』なんて言って、あんまり言わなかった。言うというのは、兄貴に注意するということだ。で、いつもこまっていた。お母さんはこまっているだけなんだよ。親父は、問題の所在がわからない。あまりにも頭がおかしすぎて、どれだけ言われても(よその家では絶対にあり得ないような)異常な音でならしていると言うことがわからない。そりゃ、親父がいないときに鳴らしているわけだから、自分がこまらなければわからないのである。もちろん、でかくなった兄貴に注意をするのはいやだという『強い』意志があったんだけど。そのとき俺は、小学六年生だったので、親父よりも小さく、親父は俺に対しては、怒り狂えるのである。兄貴に対しては、もう、わけのわからないことで怒り狂うということができなくなっていた。で、そうなったら、必要な注意も意地になって『絶対にしない』というような状態になってしまう。『注意してくれ』と言われたら、真っ赤な顔をして怒り狂って『しかたがない!!しかたがない!!』と怒鳴っていた。気違い兄貴は、親父のことを無視して、自分が好きなようにやると言って、好きなようにやっていたから親父に対して(こうだった)ということがないんだよ。俺に対しても、小さいときのように怒り狂うというのはなくなったのだけど、自分が悪く言われたら、もう、怒り狂うことになっている。悪くと言うか、自分にとって都合が悪いことを言われたら、怒り狂う。そこは、かわってないんだよ。(相手の体の大きさには関係なく)かわってない。で、気違い兄貴も、自分がデカイ音で鳴らしたいときに、『静かにしろ』と言われたら親父のように怒っておしまいなんだよ。この、気違い反応。で、そういうふうに言い終わったあとは、……怒ったあとは、両方とも、『やってないつもりになる』。そして、やり続ける。自分の感情だけだから……。いまそのときを、気違い的な怒り狂いでのりきったら、それでもう、関係がないひとになっているから、関係がないつもりでやり続ける。殺さないとやめさせることができない。そういうことを押しつけてくる。両方とも……。親父も兄貴もおなじなんだよ。頭の構造がおなじ。気違い感覚がおなじ。

こういう、他の人にはにわかに理解できないことで俺がどれだけくるしんできたか。傷ついてきたか。

人間というのはたしかに愚痴を聞かされるのはいやだというところがある。他人の不平不満は聞きたくないという気持ちがある。これは、本能ではないけど、防衛本能のように、ある程度普遍的に成り立つ。例外はあるんだよ。例外はある。




2019年10月13日日曜日

七年ぐらいで、七〇歳以上の『蓄積疲労』を感じている


ほんとうにつまらないんだよな。いろいろと、やる気がない。やる気が出ない。楽しくないからな。「やらなきゃ」と思ってやることが楽しいわけがない。俺のここらへんの回路は、完全に、長期騒音で焼き切れている。普通なら、楽しくなくてもできることができなくなってしまっている。そして、楽しいと感じることがまったくなくなってしまった。長期騒音で、楽しいと感じるこころがなくなってしまった。だから、この世には、「やりたくないのに、やらなければならないこと」しかないというような状態になっている。とうぜん、「やりたくないのに、やらなければならないこと」なんて、やりたくない。やりたくないし、我慢してやっても、つらいだけでおもしろくい。ところで、我慢してやっているうちに、おもしろくなるというようなことを考える人もいるのだ。これは、一理ある。けど、一理しかない。手短に言うと、この回路が、焼き切れている。どこまでもなれない。逆に、騒音のように、続けば続くほど、つらい状態になる。いや、もっと正確に言えば、騒音なかでやりたくないことを、我慢してやっているように、疲労がたまって、どうしてもできないことになってしまう。やっているうちに楽しくなるとか、なれればそれほどいやなことではないというのは、気違いヘビメタ騒音によって、回路が焼き切れてない人たちが言う、真理だ。たわごとだ。たしかに、人間にはそういうところがあるけど、それは、一般人に関する真理であって、俺にとっての真理じゃない。ヘビメタ騒音で回路が焼き切れているから。



だいたい、定年退職する人は、『もう、四五年働いたからいい』という気持ちもあるのだろうけど、『からだがいうことをきかなくなった』というような気持ちもあると思う。ようするに、六五歳なり、七〇歳になって、昔のようには、動けなくなったので、やめるということだ。ぼくのヘビメタ騒音体験は実際には一四年と四ヶ月だけど、だいたい、七年ぐらいで、七〇歳以上の『蓄積疲労』を感じている。ほんとうにヘビメタ騒音にたたられながら、午前七時四五分には起きて、学校に行って帰ってくるというのは、サラリーマンの労働換算でいうと、一日に二二時間ぐらい働いているような状態なのである。しかも、うすいガス室の中で、からだが(将来的には絶対にだめになる)労働をしているようなものなのである。なので、ぼくは七年間で、労働を四五年間ぐらい繰り返してきた定年退職者とおなじか、あるいは、それ以上に悪い状態になっている。もちろん、状態というのは、からだの状態だ。だから、ヘビメタ騒音にやられた俺にしてみれば、七年間のヘビメタ騒音だけで、定年退職者とおなじような状態になっているのである。はっきり言ってしまえば、六五歳と言うよりも、七〇歳、八〇歳、九〇歳だ。ヘビメタ騒音七年間で、五〇年間働き続けた人よりも悪い状態になっている。

2019年10月12日土曜日

どんな台風の日も、気違いヘビメタが鳴っていた



まあ、いま、家がキシキシ言っているよ。

ネズミの通り道ができてしまうかどうか、心配だ。

いま、実は、紅ショウガを冷蔵庫に入れたいのだけど、下に降りていってネズミがいたら、俺はもう、ショックで眠れなくなるから、下に行きたくない。どうするかな?



これ、壁がやばいよな。



あー、暑いし、紅ショウガ、どうしようかな。



あと、なんて言うのか、俺は……長期騒音のことで頭がいっぱいだ。どうしても、自分の人生に納得がいかない。

どんな台風の日も、気違いヘビメタが鳴っていた。絶対にやめてくれなかった。これに関して、俺が悪く言われるのはほんとうに心外だ。これ、こころがきたない人たちは、俺のことを悪く言うんだよな。できなくなった俺のことを悪く言う。だれだって、できなくなるのに……。あんなにやられたら……。そして、悪いことをしたのは気違い兄貴なのに、俺のことをせめるんだよな。これ、ほんとうにこころがきたなすぎると思うんだよな。

台風の時も地震の時も、ネズミが出たときも


俺がつらいんだよ。騒音人生で、人生がない。
台風の時も地震の時も、ネズミが出たときも、全部、気違いヘビメタ騒音でくるしい。これ、台風の時って、ヘビメタ騒音にやられていた、午後二時ぐらいを思い出すんだよな。修学旅行が終わって二週間ぐらいたったときか。修学旅行の前だって、気違いヘビメタにやられて、「やけくそのやんぱち」で行ったんだ。もう、全部、壊れている。

ヘビメタ騒音でくるしいと言っているだろ!!


俺は、いまの状態で生きているだけで精一杯だ。他の人とは経験したことがちがう。
やられたことがちがう。本当につらかったなぁ。そりゃ、ああいう状態で暮らしたことがないやつが、『過去はどうでもいい』と言うのは簡単だ。言葉が軽い。俺とおなじ目に遭ってほんとうにそういうことが言えるのかね? おまえらが考えているほど、あまくない。「すべてがたたる」状態になってしまう。毒にやられてくるしい状態とかわらないのに、ほかのやつらは、まるで俺がサボっているようなことを言ってくる。まるで、俺があまえているようなことを言ってくる。ゆるせない。おまえ、どれだけきびしい状態で暮らしていると思っているんだ。気違い兄貴だって、ヨソの家だったら一分だって鳴らせないようなデカイ音で、ずっと鳴らしていた。それがわからない。ほかのやつらは、その意味がわからない。どれだけつかれるかわからない。どれだけやろうとしても、ヘビメタ騒音で勉強ができないという状態がわからない。毎日続いていいわけがないだろ。
ともかく、気違い兄貴が鳴らさなければよかったんだよ。それだけなんだよ。その簡単なことが、ずっと成り立たない。殺さないとやめない……そういう状態だった。毎分毎秒ずっとそうだった。くるしかった。
ヘビメタ騒音でくるしいと言っているだろ!!

おまえらは、ヘビメタ騒音にやられなかったのだから、ヘビメタ騒音にこだわらずに暮らしていける。あたりまえだ。それは別に俺が、こだわりすぎだということを意味してない。けど、やられなかったやつにしてみれば、俺がこだわっているように見えてしまうのである。『こだわる理由がないこと』あるいは『こだわる必要がないこと』にこだわっているように見えてしまうのである。こんなのはない。あるけどない。想像力の欠如。そういうことじゃないんだと、俺がどれだけ説明しても、俺とおなじぶんだけ、ヘビメタ騒音にさらされなかった人は、そういうふうに考えてしまう。想像力の欠如。

2019年10月11日金曜日

ほんとうにまったくわかってないな


やっぱり、現状維持だけで相当にたいへんだ。この気分で、すごすしかないか。いま、ネズミがいないから、なんとか平静を保っていられるけど、これでネズミが出たら、相当においつめられた気分になる。



片付けも、相当にたいへんだ。一階の部屋全部にネズミが出る可能性があるので、やはり、台所を使えない。台所が自由に使えないというのは相当に生活に影響を与える。鍋の蓋とフライパンの蓋をバルサンやネズミにやられたので、すてている。すてなければならない蓋が多数あるというのに、使える蓋はないのだ。



醤油も、どうしようかなと思っている。実は、いまのサイドボードのところに、醤油ボトルを置いたのだ。これは、そのうち、二つはつかったのだけど、ひとつは、ネズミが出たときにサイドボードにはいっていた。なので、ネズミに汚染された可能性がある。しかし、このボトルは封を切ってないボトルで、注ぎ口のところには、ビニール系のフィルムがかかっている。なので、ボトル本体を消毒して、うまいこと封を切れば、使えるような感じがする。で、いまやってみたのだけど……うまくいった。けど、なんか不安なのである。もし、●●病になったらどうしょうよう……というような気持ちがある。醤油なんて、安いもので、もし、感染したら……。すてて買ったほうがいいかな? と思ったりもする。



親父の愚行で俺が病気になるというのが、ほんとうにいやなんだよ。



まあ、醤油は買いに行くかもしれない。



なんだかさ。展開がないんだよね。どうしても、やる気になれない。自分の人間としての生活を維持するだけで、相当につかれている。ようは、ご飯を食べさせて、風呂に入れて、適切な寝床を維持するということが、相当にむずかしい。風呂も、ほんとうははいるべきなのだけど、ネズミ関係ではいりたくない。

ともかく、なんと言うか 希望がないんだよね。どうしても、現状維持になる。じゃあ、そうやってがんばっている現状というのはなにかというと、長期騒音にやられたくるしい現状だ。体調も、気分もかなり、きびしい。俺は、時間帯によっては相当にボロボロなのに、だれもわかってくれない。俺がどれだけ我慢して、(相手の時間にあわせて)動いているぜんぜんわかってない。まあ、そういうことが生じたのだけど、たいていは、自分ひとりで生きているので、相手の時間にあわせることはほとんどない。ほとんどないのだけど、そういう必要性が一週間に一回でも生じてしまったら、俺は相当に追い詰められる。


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買ったのは、バルサン、練り梅、カシューナッツ、電源コード、風呂桶、醤油だ。風呂桶は、ほんとうに俺が小学生の時からあるようなやつだから、四〇年選手だな。あれはもう……。まあ、ネズミ時代を通り抜けなければ、洗って使うんだけど、なんか、風呂場においてあるものもいろいろといやになっている。
練り梅は、二本買わないと送ってくれないで二本買ったけど、こういう食べ物が、増えるのは問題がある。バルサンをたくときに、袋に詰めなければならないので、たいへんだ。バルサンだってただじゃないんだぞ。おやじ!! たとえば、皿の上に粕漬けをのせたまま、次の日まで置いておくということにこだわると、どれだけ、そういうことをするとネズミがくるからやめろと言っても、やめないのだ。そうやって、やっておきながら、「やってない」なんて言いやがるんだよ。それに、寒い思いをするとかわいそうだと思って、トレーナー(上)を普段着用に買ってやったのに、「買わなくて、いいよぉ」「(そんなの)もってこなくていいよぉ」と怒って言うのである。怒って言っているんだぞ。ほんとうにまったくわかってないな。まあ、(施設の部屋には)エアコンがあるから、そんなに寒い思いをするということはなだろうけど、秋冬用の服はそろえておく必要がある。それから、施設の人が洗濯をするわけで、一枚洗ったら、もう、「かえ」がないという状態はさけなければならない。施設の人のことを考えると、三枚ぐらいはあったほうがいい。だから、そろえてやっているのに、そういう憎まれ口をたたく。俺は、あのトレーナーを買ったあと、バルサンをするために、わざわざ封を開けずに保管して、なおかつ、バルサンの時に、袋に入れて密閉しているんだぞ。そして、施設にもってもいくものに関しては名前を書かなければならないので、わざわざ、しんどいのに、名前を書いてやってるんだぞ。しかも、そのペンだって、たとえば、『ネズミが入っている』というようなことを書いたようなペンや一度でも下の部屋で使ったペンは使わないようにして、新しいペンを使って書いているんだぞ。
ほんとうにまったくわかってないな。トレーナーを買うためのお金の心配をして『買わなくていいよぉ』と怒って言っているのだけど、ネズミ対処で、どれだけの金がかかったと思っているんだよ。工事をするとなったら、トレーナーの何十倍も何百倍も金がかかるんだぞ。まったくわかってないな。そういう原因になるようなことを、するな。何回もやめろと言われたのに、頑固にこだわってやるな。ほんとうにこまるんだよな。

2019年10月9日水曜日

気違いヘビメタ騒音のことを(自分の体験としては)知らない


だるくて憂鬱なこの一日が、俺の人生にとって大切な一日なんだからな。たとえ、だるくて憂鬱でも……。こういう一日の繰り返しの人生(全部)ってなんだよ。俺のからだにはヘビメタ騒音のだるさが蔓延している。他の人はこれがわかってない。どれだけのことか、わかってない。そりゃ、他の人は、俺とおなじ時間の長さ、俺とおなじ期間の長さ、気違い兄貴のヘビメタ騒音を経験したわけじゃない。生活全部にまとわりつき、すべてのエネルギーとすべての希望をくらいつくす、気違いヘビメタ騒音のことを(自分の体験としては)知らない。
これ、ほんとうに、気違い兄貴が気違い親父と同じような性格の人間だから他の人がわからないだけなのである。他の人がわからないということは、他の人は、事実として認めないということだから、やっかいなのである。

気違い的な頑固さでやったことを、気違い的な頑固さで否定するやつのことがわかってない

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起きたとき、「がさごそがさ」って音がした。これ、ひさし部分にネズミがいるのではないかと思って、見てみるのだけど表面にはいない。たぶん、内側なんだろうと思う。この音がしてしまったら、もう、俺は……。これ、ほんとうに午前二時、午前三時にネズミが出るって、いやなんだよな。ネズミをおびき寄せた張本人は、「そんなことしてない」とか言いやがる。やっているときはその調子で無視して、頑固にやるんだよ。これは、もとからの性格と●●症がまざっている。

調べてきた。いちおう、ネズミはいないみたいなんだけど、これはわからない。

なんか、今日は寒い。起きたら寒い。蕁麻疹ができた。さらに、蚊が飛んでいる。これ、こまるなぁ。

コーヒーを飲んでないのに、蕁麻疹。これはやばいっすよ。夏はたいへんだけど冬もたいへんなんだよな。主観的には、いいときがない。夏が長すぎる。で、徐々にすずしくなればいいのに、急に寒くなったり、急に暑くなったりを繰り返して、わけがわからないうちに、寒い日が増えるというか感じだから、ちょうどいいときがないんだよな。これで、日中は三二度とかありえるからなぁ。十月なのに。

けど、元の性格の記憶ちがいのほうが大きいんだからな。強烈で大きい。こんな特殊な人、いない。だから、俺が誤解を受けるんだぞ。つねに……。これ、幼稚園生の時からそうだ。普通の親に育てられたやつは、こういうのがほんとーーーにわからない。わからないまま、常識に基づいて勝手なことを言う。勝手なことを言っているつもりもないのだろう。あたりまえのことを言っている』と本人は思っているわけだから。けど、ちがうんだよ。おまえらが思っている『親』と俺の『親』はちがう。『親』一般という概念でものを考えるな。

気違い的な頑固さでやったことを、気違い的な頑固さで否定するやつのことがわかってないやつは、がたがた言うな。これ、ほんとう、記憶障害じゃなくて性格の問題なんだよな。けど、記憶障害と言えば、記憶障害になるのかな? 性格の問題である記憶障害は、『自分にとって』不都合かどうかということが、一番関係している。それこそ、『いま現在』の自分にとって不都合かどうかで、『やった』とか『やってない』ということを決める。決めたら、『いま現在』はそういうことになっているのである。頭の中で。気違い親父の頭の中で。

で、これは、兄貴にも受け継がれていて、気違い的な意地で鳴らしたヘビメタ騒音も、『やったというとを認めるのが不都合なとき』は、『やってない』ということになってしまうのである。『いまこのとき』『いま現在』はそういう気持ちなのである。そういうつもりなのである。『そうである』と思っているのである。で、このときの意地がすごいんだよ。で、これは、鳴らしているときの意地とおなじだ。

誤解しているやつが『誤解なんてどうでもいいじゃないか』なんて、言いやがる


ほんとうにくるしかった。だれに言ってもわからぬか? まあ、わからないんだろうな。そうなると、終わってない』ということもわからないんだろうな。まるで、俺が『こだわっている』ように見えるんだろうな。これ、そうじゃないんだよ。みんなわかってないけど、ヘビメタ騒音というのは、水俣病の水銀とおなじなんだよ。あまりにも長い期間、ズッとやられると、水俣病のようになおらない病気になってしまう。現在くるしいのであれば、意識がそこに集中する。他の人はわかってないけど、『必然』なんだよ。あんな生活をしていたら、人生全部がだめになってしまう。で、人間が、人間である以上それは、さけられない。そういうしくみができあがっている。やられてないやつが、アホなことを言う。ほんとうに頭にくる。考えてみれば、小学六年生のころからずっと俺は、そういうかたちで誤解され続けてきた。もういやだよ。で、誤解しているやつが『誤解なんてどうでもいいじゃないか』『人の評価なんてどうでもいいじゃないか』『人にどう思われているかなんてどうでもいいじゃないか』なんて、言いやがるんだよ。この世は地獄だ。

2019年10月8日火曜日

おれ、もう、つかれたから、寝るわ


おれ、もう、つかれたから、寝るわ。おやすみ~~

知らぬ間に時間が~~

ほんとう、無意味。

俺の人生はいったいなんだったんだ。気違い家族によるヘビメタ騒音がでかすぎる。あれ、本当にいっつも鳴ってた。くるしかった。ずっとくるしい。



ここから、しあわせなことを考えるということができない。考えたって、そんなの、まるで実行性がない話しで、空虚。

ほんとうにものすごくデカイ騒音でくるしかったんだよ。


こっちに書くと、やばいのだけど。
しかし、一番言いたいのがそういう話しなんだからな。
これ、他の人はそういう体験がないからうけない。
ほかのやつらは、想像で好き勝手なことを言いやがる。実際の騒音がわかってないから、そういうことが言える。一日だけで、どれだけくるしいか。これ、ほんとうにちがうんだよな。けっきょく、ヘビメタ騒音がないまま、『いやなこと』がある人と、ヘビメタ騒音がある状態で、さらに『いやなこと』が付け加わる人とは、ちがう。さらに、そういう期間の長さが問題だ。どれだけ、ポジティブなことを思ったって、最後にははてる。どれだけ長い時間やられたか、他の人は『体験として』わかってない。これ、ほんとうに通常の場合と、やられすぎた人はちがうんだよね。そうなると、たとえば、認知療法の言語というのが、マイナスに働く。一見正しそうな?アドラー心理学の言語というのが、マイナスに働く。こいつらは、なにもわかってないやつらだ。こいつらが言っていることが正しく思える人たちは、けっきょく、ほんとうにつらい毎日を一〇年ぐらい経験してない。「ほんとうにつらい」というのは、『やられすぎている毎日』だ。本当につらいと言ったって、つらさのつらさがちがうんだよ。

なんで、気違い家族やられた人間が、さらに、横のやつから、ほかのやつから、悪く言われなければならないのか? こんなの常識で考えてたら、本質が見えない。

2019年10月7日月曜日

特殊なサイコパスである家族にやられた人は、他の人からいろいろな誤解を受ける(追い詰められる)まさしく罠にはまった状態


『まるで影響を与えてない』という気持のまま、ずっと、気違い的な意地で鳴らす。鳴らすとなったら、絶対に自分が満足できるデカイ音で鳴らすと決めているので、デカイ音で鳴らす。その場合、俺がどれだけ「うるさいからやめてくれ」と言っても、(兄貴は)聞く耳を持たない。

で、そういうモードで頑固に頑固にやったことは、ほんとうに兄貴の記憶のなかでは「やってないこと」なのである。だから、こまる。こういうことがずっと繰り返される。これは、兄貴がやり始めたことじゃなくて、親父がやり始めたことだ。

「うち」では、いつもこうだった。

「うち」では、いつも、これであたりまえだった。

気違いが主観的には、「おかしい(自分の態度には矛盾がある)」と思ってないわけで、ずっと繰り返す。で、ただ単に『知らないまま繰り返した』のではなくて、ものすごく意地になって繰り返したことなのである。だから、こまる。


こういうことを信じられない人は『そんなの、おかしい』『おかしいから、エイリさんが嘘を言っている』と思うわけで、ほんとうに、いい迷惑だ。

で、一〇〇%やりきっている方は、ほんとうに、一〇〇%悪気がない状態でやりきっているわけで、自分がやっているという気持ちや認知が、欠如している。完全に欠如している。

だから、ほんとうに、『無関係な人』なのである。そりゃ、絶対の意地でやりきるのだけど、やりきったとしても、『無関係な人』なんだよ。けど、『やりきったとしても』ということが、抜け落ちている。だから、『やってない』し『無関係』なのである。

で、やってないと思う度合いと無関係だと思う度合いが、気違い的に高いのである。本人は矛盾を感じない。ぎとぎとに、不退転の決意で、一秒もゆずらないでやっている……げんにやっているにもかかわらず……げんにやっている時間も含めて、「やっているつもりがない」のである。常に「やっているつもりがないまま」鳴らしてている。

だから、道徳観と言うことを問題にするなら、道徳的にはまったくほんとうに悪いことをしているつもりがない状態なのである。自分の気持ちというのは、自分の行動を支持しているわけで、どれだけ『こまる』と言われても、一〇〇%それを受け入れなければ、『相手がこまる』ということを認知しないわけだから、『相手がこまることをしている』とは思わないのである。

で、一〇〇%絶対の意地で自分がやりたいようにやりきることができれば、本人は、「おだやか」なのである。そりゃまったくやってないのとおなじ状態だから、おだやかなのである。

逆に、一分間でも、自分がゆずってやりたくないかたちで、ほんとうにゆずらなければならなくなったとなったら、『腹が立って腹が立って』しかたがない状態になってしまうのである。

で、『腹が立って腹が立って』しかたがない状態のまま一分間がまんするということ、実際にはない。ほんとうは、一秒だって、我慢できない状態だからだ。だから、一秒だって我慢しないで、腹を立てて、鳴らしまくる状態になってしまうのである。発狂して、鳴らしまくる状態になる。

とにもかくにも、「自分が思ったようにできない状態」を突きつけられると、……それは、わかって……発狂してしまう。で、発狂して、我慢するかというとそういうことは一切合切ない。

発狂して、我慢しないで、デカイ音で鳴らし始める。けど、その場合ですら「相手が言うことを無視して、押し切って鳴らした」というような認知が発生することがないのである。どうしてなら、発狂して押し切って鳴らし始めたときに、『相手に言われた』ということと『相手がこまっている』ということは、『水に流してしまう』からだ。

自分で悪いことをして、注意されたら、自分で勝手に水に流して『気にしないことにしてしまう』のである。「そんなんあったってない」のである。言われるたびにそういう気持ちになって自分の意地を押し通すので、一日中やっていても、一日中やったつもりがない……というとになってしまうのである。

主観的な気持ちとしてはそうなのである。
主観的な認知としてはそうなのである。

だから、『気にしない』。

気にすることが一切合切できない。それは、押し切って、やることができたから気にしてないだけだ。これで、一分間でも我慢させられたとなったら、一分間の記憶だけは残るのである。『一分間我慢した』だけなのに、本人は、『我慢した』『我慢した』とあれることになる。実際には一分間ですら我慢しなかったのだから……一五年間毎日我慢しなかったのだから、そういうシーンはなかったのだけど、一日に一分間我慢したとしたらそうなる。

実際に一分間も我慢してないのに、あたかもこういう態度が成り立っているのである。それは、『我慢しないで鳴らした』と俺が兄貴に言えば、『我慢した我慢した』と気違い兄貴は思うからだ。

これは、気違い親父と構造がまったくおなじなのである。気違い親父がまさしくこういう人だったのである。

だから何度も言うけど、『家族で話し合えばいい』なんていうのは、お金がまったくなくて、ぼろアパートも借りられない人に、一億円で家を買えばいいというようなアドバイスをしているようなものだ。現実味がまったくないのである。

しかし、俺はうちの状態を知っているから……兄貴と親父の気違い認知構造を知っているから……現実味がまったくないということがわかるけど、他の人は、『家族なんだからわかってくれるでしょ』というような共同幻想(妄想)にこだわって、俺が言っていることを、(今度は)理解してくれないということになる。

これは、たとえば、『エイリさんは、言わないからだめなんだ』とか『エイリさんは、コミュ障だから言えないのだろう』というようなさらなる妄想を導き出してしまうのである。これは、ぼくにとって侮辱的なことなのだけど、相手はそういう侮辱的なことをぼくにぶつけてきても、これまた、なにも侮辱してないと思ってしまう。

そして、ぼくがその侮辱行為に対して怒ったら、『エイリさんは、人間的に未熟だから、怒っている』とこれまた妄想的な解釈をしてしまうのである。

こういう流れは、普通にある。

気違い家族にやられた人が『事実』を言うと、共同幻想ない家族幻想部の人たちが普通にそういう解釈をしてしまう。実は、いま書いたような解釈には、別の幻想がかかわっている。引きこもりならコミュ障に違いない。ずっと働いたことがない人は(ずっと無職の人は)だめな人に決まっている。無職は悪い人に決まっているという幻想だ。

ともかく、特殊なサイコパス、特殊な凸型の発達障害者である家族にやられた人は、他の人からそういう誤解を受ける。これは、起こりがちだ。一般的な人は、さらに、『引きこもりじゃ親がかわいそうだ』とか思いやがるのである。『引きこもりの弟がいるんじゃお兄さんがかわいそうだ』と思うのである。

ここまで、追い詰められる。

親父がごく普通に気違い的な思考、気違い的な気分、気違い的な認知構造をもっていると、こういうところに、やられた子供が普通に追い詰められる。兄がごく普通に気違い的な思考、気違い的な気分、気違い的な認知構造をもっていて、自分の音にこだわってこだわってヘビメタを十数年も毎日毎日、すべての時間を使って大音響で鳴らすと、普通に弟がこういうところに、おいやられる。

やっているほうは、普通にやっているわけだから、どれだけ言われたってかわらないよ。そういう頭で、やっている。かわりようがない。

で、「うちでは」の話しだから。これも、親父にしたって「そとっつら」がいい部分がある。その部分で接触した人は『そんな人じゃないだろう』と思うのだ。それは、よそいきの顔を維持できる、短い時間の接触、限られた回数の接触ならという条件が成り立つのだけどそういう、感想を持つことがある。

だから、「うちでは」そうではなかったのかというと、そうじゃないのだ。それから、「うちっつら」と「そとっつら」を使い分けることができるのであれば、器質的な問題ではないのではないかと言うことが言えるかというと、言えないと思う。器質的な問題というのは脳みその器質的な問題という意味だ。

ごく普通に使い分けることができる……のだ。

頭がおかしい人でもごく普通に使い分けることができる。これは、意識的な切り替えじゃない。だからこそ、まわりの家族はこまるのだ。あとは、人間は『話しで聞いただけ』なら中立性を維持しようとするから、俺の話だけを聴いた場合、それがほんとうなのかどうかうたがう性質がある。「エイリさんのお兄さんにも訊いてみないと(ほんとうのところは)わからない」と思うのだ。

そして、俺の話を、半分信じるだけにする。そうすると、その人がもっている、家族幻想(家族なのだから、言えばつたわるはずだ)や労働幻想(人間は働くべきだ。働かない人間は悪い人間だというような幻想)が発動して、上記(縦書きの時は右記にかえるべし)のようなことが起こる。

ともかく、使い分けているつもりがないし、ほんとうに意地になって、上記のような行動をするときは、まったくつもりがないままなのである。これは、使い分けているつもりもないし、やっているつもりもないということになる。

けど、気違い的な意地でじぶんがやりたいことにこだわってこだわって、頑固にやる。顔を真っ赤にしてやる。だからやっているのに、本人は、やり終わったら、つもりがない状態になる。

「やってない」と真顔で言える状態になる。

毎日そういうことの繰り返しだ。これが、うちではあたりまえのことだった。毎日そうだった。……こういうことがわかってない人が、俺に適当なことを言って、俺をくるしめる。はげますつもりでも、単なる常識的な意見を言うだけでも、俺を追い詰める。

2019年10月6日日曜日

とことん、動けないな~~


とことん、動けないな~~

また、ネズミの糞の処理をすることになった。
もう、やりたくない。
どこに行っても、長期騒音で破滅なんだよ。わからんだろうけど……。そして、そういうことを書くと、がくっとくる人が減るわけ。

それにしても、気が晴れない。
旅行、行っただけで、気持ちよくなってしまう人がうらやましい。


昨日は、わりと長い時間眠ったんだけど、起きてから、かゆかゆだったから、なんかあんまりよくないんだよな。あと、長期騒音の影響で、実は、旅行とか、どこかに行くというのが、まるで、……。どうしても、あのときのことを思い出してしまう。もう、電車に乗ること自体が、激・鬱だ。

   *   *   *

じゃあ、俺、寝るわ。
あっ、今日は通販の受け取りがある。
あのときは、この時間に眠たくなることは予想できなかった。

やばいな。この暑さだから裸で眠りたい。
チャイムが鳴ってから、起きて着替えるのはくるしいな。
服はおいておけばいいか。

室温が、いま31.5度ある。


まあ、長期気違い騒音の経験がない人にはわからないことだろう。だから、ぼくが、昔のことに「すきで」こだわっているように見えてしまうんだよな。おなじ経験をすれば、そういうことではないということが、わかるのに……。まあ、他人からすれば、元気に旅行している人のほうが、電車に乗るだけで過去のものすごく不愉快な破滅的な記憶を思いだしてしまう人よりも、魅力があるんだよね。たとえば、どっちのブログを見るか? どっちの動画を視るかという話になると、たいていの人は、楽しんでいる人の動画を視るだろう。で、そういう点でも、実は長期騒音に……気違い家族によるしつこすぎる長期騒音に……しつこいしつこい無慈悲な長期騒音にさらされた人は、不利になる。圧倒的不利。勉強、体力、だけではなくて、そういうところにまで影響を与える。じゃ、あ、普通に考えて、普通の人が(俺と)おなじことをされた場合、元気でいられるかというとそうではないと思う。普通の気持ちを維持して、普通に暮らしていけるかというとそうではないと思う。けど、実際にやられてない人は、そこらへんのことが経験としてわかってない。なので、自分の少ない……騒音経験をもとに、気違い兄貴のヘビメタ騒音を推し量るということをする。で、少ない騒音経験だと、まちがった結論を導き出してしまうのである。そういう、普通の人の騒音経験と気違い兄貴が実際鳴らした騒音によって、できあがる騒音経験はちがう。質も量もちがう。とくに、質がちがいすぎる。『そういう話しじゃない』と言いたい。うちの横はデカイ幼稚園で、幼稚園生が帰ったあとも、剣道の道場?として、場所を貸していたので、いろいろとうるさかった。そういううるささと、気違い兄貴による、ヘビメタノうるささはちがうのである。ぜんぜんちがうのである。どれだけ言っても、他の人には『ちがい』がわからない。どれだけちがうかわからない。そうなると、他の人には、俺がこだわらなくてもいいことに、(いつまでも)こだわっているように見えるのである。けど、これは、こだわる必要がないものにこだわるのとはちがう。経験がないから、そういうこともわからない。ほんとうに頭がおしいレベルでこだわってこだわって気違いヘビメタを、鳴らすから、おれがそういうふうに誤解される。気違い親父のことを学校で話しても、話した人が誤解されるように、気違い兄貴のことを他の人に話しても、話した人が誤解されるようになっている。


2019年10月5日土曜日

全部が色あせて見える。


やっぱり、全部がつまらない。
ヘビメタ騒音で人間関係も俺の才能も全部めちゃくちゃになった。
これ、他の人にわからないことなんだよな。経験したわけじゃないから。『そんなの どれだけ鳴ってたって言ったってたいしたことないんだろ』と思うわけだから。
そうじゃないんだよね。
あーつまんない。
ほんとうにつまんない。

全部が色あせて見える。

こういう「なめたこと」を言われるようになる


ほんとう、俺が他人だったら、いまの状況でどうするのだろう? どういうふうに感じて、どういう行動をするのだろう?
まあ、それは、かりに、ヘビメタ騒音一四年(足かけ一五年)の経験がない俺が、いまの状況でどうするかという問題とおなじだ。経験がないのであれば当然、体力も感じ方もちがう。一日にできることの量がちがう。そして、気分がちがうだろう。俺が、ヘビメタ騒音で、どれだけ他人から悪く言われているか。この『他人から悪く言われる』というのは、ただ単に悪口を言われたということではない。実際の、体調とセットになっているのである。働けない状態とセットになっている。そして、ヘビメタ騒音がなかった場合の学歴にくらべて、ヘビメタ騒音があった場合の学歴が低すぎるのである。自分がヘビメタ騒音なしで普通に暮らして、そういう体力、そういう学歴なら納得がいくけど、あしかけ一五年間ヘビメタにやられて、そういう体力、そういう学歴なのだから納得がいかない。だいたい、他人がどう言うかなんて関係がない』『他人がどう思うかなんて関係がない』と言っている人は、高確率で無職や引きこもりのことをバカにした発言をする。要するに、『他人がどう思うかなんて関係がない』という発言をする人と『無職や引きこもりのことをバカにした発言をする』人がかぶっている場合が多い。もちろん、『他人がどう思うかなんて関係がない』と言うけど、無職や引きこもりをバカにした発言をしない人もいるし、無職や引きこもりをバカにした発言はするけど、『他人がどう思うかなんて関係がない』とは言わない人もいる。両方とも言わない人がいる。けど、かぶっている人たちもかなりいるんだよな。というか、日本人としてそれがスタンダードなのではないかと思ったりもする。いまの日本人の感覚だと普通にそういうことが成り立つと思う。ぼくもヘビメタ騒音にやられて、無職引きこもり問題がヒトゴトではなくなったから、いろいろと考えたのだけど、もし、ヘビメタ騒音がなければ、そういうことを言ってたかもしれない。そのくらいに、現在の日本人としてはスタンダードな考え方なのである。無職や引きこもりをバカにした発言をする人はほんとうに、無職や引きこもりをバカをバカにしている。相当に下に見ている。無職や引きこもりは、矯正されるべき人間だと思っているのだ。おのおのの無職や引きこもりには、それぞれ、人にはわかりにくい理由を抱えているかもしれない。しかし、そういう理由は、「あまえるな」のひとことですっ飛んでしまう。その人の頭のなかでは。しかし、その人は、俺とおなじぶんだけ、俺とおなじ期間に、ヘビメタ騒音を体験したわけではないのだ。つまり、ぼくとは条件がちがう。ほかの無職や引きこもりとも、条件がちがうかもしれない。しかし、その人は『自分は歯を食いしばって、血反吐を吐きながら働いている』と言ったりする。そういう自負があるのだ。しかし、ヘビメタ騒音を鳴らされてきたわけではないという条件は変わらない。人の条件に対する理解がないからそういうことを言っていられるだけだ。その人間だって、また、別の災厄が降り注ぎ、体が動かなくなったら、歯を食いしばっても、血反吐を吐いても、働けない状態になる。そういうふうに言っていた人間だって、ひどい認知症になったら働けない。水銀中毒になったら働けない。歯を食いしばって、血反吐を吐きながら働いているなら、働けるわけで、働いてもいいのではないかと思う。実際、毎日毎日、職場で血反吐を吐いていたら、働けないと思うけど、それは、文字通りの意味ではなくて、比喩なのだろう。ヘビメタ騒音が毎日続いた。兄貴のヘビメタ騒音は、しつこさと音量の点で、毒だと言える。生活毒、あるいは、騒音毒なのだ。神経がやられる。これは、毎日一四年以上続いたら、残る。これが、証明できないから、常識的な人から『自分は歯を食いしばって、血反吐を吐きながら働いている』などと言われてしまうのだ。そういうことを言う人は、日本のサラリーマンは「みんな」歯を食いしばって、血反吐を吐きながら働いているそうなのだ。「だから、おまえもヘビメタ騒音なんて言ってないで働け」という言葉が続くのだ。一四年以上、ヘビメタ騒音を鳴らされると、こういう「なめたこと」を言われるようになる。これが、ぼくがこの人生で学んだことだ。「歯を食いしばって、血反吐を吐きながら働いている」なんて言っているやつが、ほんとうに、血反吐を吐いたら、もう、だいぶ働けないからだになっていると思ったほうがいい。

注(文章中の働くというのは、通勤して会社で働くということね)

2019年10月4日金曜日

本人が自分勝手な人間だから、加害者側の理屈しか浮かんでこない

アドラーはバカなことばかりいっているけど、どうして、バカなことばかり言っているのか、気になった。やはり、そういう環境で育ってきたということなのだろう。アドラーはほんとうになにもわかってないな。どうして、一時期だけでもフロイトに興味を持ったんだろう。まあ、フロイトの言っていることがまったくわかってない人なんだけど、あの解釈は異常だ。アドラーのフロイト解釈が常にまちがっているのである。どうしてそうなんだろうな? アドラーは、基本的にうちの兄貴やうちの親父のような人間のことがわかってない。意図的に、意思を持って悪いことをする人間のことしか頭にない。そして、それも、わかってない。あまりにも単純だから、悪いことをする人間は悪い人間だと思っている。そして、悪いことをする人間の被害者のことはまったく考えてない。アドラーのあほさかげんには、興味が出てきた。どういう環境で育ったんだろう?

アドラーのような人間はむしろ加害者側の人間だ。自分勝手な加害者に都合がいいことばかり言う。本人が自分勝手な人間だから、加害者側の理屈しか浮かんでこない。「悪」に関する相対的な考え方が抜け落ちているから、物事に対する考え方が一面的だ。


アドラーが言っていることは、道徳観がある勝手なやつらが言っていることなのである。しかし、そういった意味の『道徳観』の問題にはまったく言及してないので、道徳観がない人が同じようなことを言って同じようなことをした場合どういう問題が発生するかまったく考えてない。

常に加害者側の『自分を中心にしてみた場合』の話ししかしてない。道徳観がある人間がそれを実行するのはいいけど、道徳観がない人間がそれを実行したらどういうことが発生するかまったくわかってない。「それ」ってアドラーが言っていることね。

2019年10月2日水曜日

悪について

純粋に悪を目指す人だって本人にとっては、やりたいことがあるのだ。そのやりたいことが、他人の人権を踏みにじるものだから、他人にとっては「悪」に見えるのだ。「やりたいことをやればいい」というのは、悪のススメだ。被害者は愚痴を言わずに黙っていればいいというのは、傲慢だ。基本的に自分勝手な悪いやつだから、そういう発想になる。
人を大量虐殺したいやつは、大量虐殺すればいいということになってしまう。「やりたいこと」は無制限に認められるものではない。虐殺したとすると、被害者は愚痴を言えないが、被害者のまわりにいる人が愚痴を言う権利もないのだ……アドラーやアドラー信者にとっては被害者の言っていることは、大人赤ちゃんが言っている単なる愚痴だ。まあ、権利ぐらいあるかもしれないけど、「そんなのは聞かなくていい」とアドラーやアドラー信者は考える。

これは、悪について相対化がなされないから、起こる不幸なのである。
たとえば、京アニの事件があったけど、犯人にしてみれば京アニビル内に侵入して、ガソリンをまいて火をつけるということはなんとしてもしたいことだったのだ。「やりたいことをやればいい」という考えに立てば、やっていいことなのである。犯人のような自分勝手な人から見れば、自分のなかではやりたいことだから、人のことは考えないでやってよいのである。あるいは、人のことを考えるということが欠落している。あるいは、人のことを考えた場合も、犯人にとっては京アニの人たちは、倒すべき「敵」なので、「やっていい」ということになってしまうのである。犯人が「悪」を目指して「悪」を実行しているつもりがあったかどうかということだ。アドラーやアドラー信者にしてみれば、ただ単に「悪」をなしたということなのだろう。しかし、犯人は、犯人のなかでは『やらなければならない正義』を実行したすぎない。『どうしてもやりたいこと』を実行したにすぎない。犯人のなかでは「どうしてもやりたいことをやった」だけだ。そして、アドラーやアドラー信者は実は、そういうことを肯定しているのである。だから、だれを中心にして考えるかという相対的な視点が、アドラーやアドラー信者からは抜け落ちているのである。そして、アドラーやアドラー信者は被害者につめたい。

だれのなかにも『ミニ・アドラー』がいる。被害者が言っていることは、自分にとっては、不都合で不愉快な気持ちになることなのだ。ここでも、『自分の気持ち』と『自分勝手さ』が際立つ。だれにでも、自分に関係がない被害者が言っていることを聞きたくないという気持ちがあるかもしれないけど、それでは、社会は成り立たない。アドラーやアドラー信者は『そんなのは聞きたくない』という自分の側の気持ちを表明しているだけなのである。もちろん、アドラーやアドラー信者がそういう気持ちを表明することは、そんなに悪いことではない。そりゃ、自分の気持ちを言う権利はあるからな。ならば、被害者にだって自分の気持ちを言う権利があるとは考えないのか? 
https://koukokunai-hashutsujo.blogspot.com/2019/10/blog-post.html




自己啓発、精神世界、マインドフルネス・マインドタフネス、認知療法、アドラー心理学

自己啓発、精神世界、マインドフルネス・マインドタフネス、認知療法、アドラー心理学……こういうものは、ほんとうにやられた人間を傷つけるだけだ。一般の人にはいいのかもしれないけど、ほんとうにやられた人にとっては毒。どうして、これがわからないのか?

毒ガス室のなかで二〇時間作業をしているから、もう、ゲロゲロで風呂に入る気持ちになれない


つかれた。
しんどい。
とりあえず、どうやったら、やる気が出るのか?
ボロボロなんだよな。
これでいそがしくなったらいいのかというと、そうじゃないんだよな。やっぱり、睡眠回路なのだろうか? よくわからないけど、ともかく、しんどい。ヘビメタ騒音生活七年でぶっ壊れた。
ヘビメタ騒音の一日にって、うすい毒ガス室のなかでからだが悪くなるような作業を二〇時間やっているような感じだから。残りの二時間で通勤。通勤片道五〇分で、一〇分間は食事。風呂に入るとなると、だるい状態で、睡眠時間をけずってはいるというようなことなる。だから、不潔になる。けど、毒ガス室のなかで二〇時間作業をしているから、もう、ゲロゲロで風呂に入る気持ちになれない。やっとのこと入っても、体の洗い方が適当になる。適当じゃなくて不適当か? だから、皮膚病にかかりやすくなる。抵抗力がないから、皮膚病にすぐやられる。あるいは、しくみはちがうけど、ストレスで蕁麻疹が出てしまう。人から、「ちゃんと風呂に入れ」と言われる。「元気出せ」。「元気だ元気だと言えば元気になる」。それは、毒ガス室のなかで二〇時間働いてないやつの言い分だろ。おまえ、俺とおなじことをやって見ろ」と言いたくなる。けど、他の人の家族は、うちの気違い兄貴みたいなことをしない。うちの気違い兄貴のような「精神的な感覚」をもってない。ほんとうに、ひとこと言えばわかることが、まったくわからない。俺がどれだけヘビメタ騒音でつらい」「ヘビメタ騒音で勉強ができなくてこまっている」「宿題をするからしずかにしてくれ」と言っても、自分のヘビメタ騒音が原因で、弟がこまっているということを、気違い親父のように理解しない。理解しないと言うことも、気違い親父のように理解しない。だから、どこまでもどこまでも、「こまらせている」つもりがないまま「迷惑行為」をぎちゃぎちゃにこだわてっこだわって、やりまくる。本人が「迷惑行為だ」と思わなければ、どれだけやたっって「迷惑行為をしている」ということにならないのである。どれだけデカイ音で騒音を鳴らしていても、本人が「デカイ音で騒音を鳴らしている」と思わなければデカイ音で騒音を鳴らしていることにならないのである。手短に言えば、「騒音じゃなくて」「音」ですら、そうだ。ただ単に音であっても、ほんとうに「デカイ音で鳴らしている」のに、「デカイ音で鳴らしている」と思ってない。思ってないなら「やったってやってない」のである。この「やったってやってない」というのは、気違い親父がやったことだ。気違い親父も気違い親父で、そういう頭の回路しかもってないから、キチガイ的な意地でやったことは、気違い的な意地で否定するのである。で、気違い的な意地で否定したら、もう、それでおしまいで、一切合切関係がないひとになる。だから、ほんとうは気違い的な意地でやったことなのに「やってないやってない」と言えば、本人のなかでは「やってない」ことになってしまう。気違い親父と気違い兄貴の頭の作りはおなじだから、気違い兄貴も、そうなんだよ。譲歩に関してもおなじことが成り立つ。ほんとうは譲歩してないのに「譲歩してくれなかった」と言われると「譲歩した譲歩した」と言う。こういうのは、ほんとうに、マルダシなのに、ぜんぜん、気がつかないんだよな。そういうことを、気違い兄貴は気違い親父にやられて、怒っていたのに、親父とおなじやり方でヘビメタを鳴らし切る。あれだけ、こだわってこだわって、どんなに細かい時間もずっと鳴らしているのに、本人は「鳴らしてないつもり」なんだからな。ほんとうに頭がおかしい。こういう人間が、ヨソのうちにはいないので、「そんな人いない」とヨソの人は思う。これがまた、問題なんだよな。うち」のような閉鎖空間で本物の気違いが自分が思ったようにやるとそうなる。やっているときの感覚というのはずっと成り立っている。だから、一日に一四時間鳴らしたって、「まったく鳴らしてない」ということになっている。ほんとうは、一秒もゆずってないのに「ゆずってやった」というとになっている。ともかく、自分に不都合なことを言われたら「そんなんじゃない」というようなことを言うか、目を三角にして無視しておしまいなのである。これは「やった」と言われたときの態度であると同時に、やっているときに「やるな」と言われたときの態度だ。自分がやりたいことをやっているときに「やるな」と言われると不都合なのである。不都合なことは、意識にのぼる前に、頑固に否定して、ないことにしてしまう。だから、いつも「やるな」と言われたら怒っていたのに……怒ってやりきったのに……まったくつもりがないんだよな。全部毎日そういう構造が成り立っている。入試前日だってそういう状態で自分がやりたい音で、やりたい時間ずっと鳴らしたのである。けど、「入試の前日だってずっと鳴らしてた」と言われと「鳴らしてない」と怒るか、あるいは無言のまま怒っておしまいなのである。で、二階に上がって、その当の音をやる。鳴らす。デカイ音で鳴らす。よその家じゃ一分だってあり得ないようなデカイ音で鳴らす。けど、その時間全部、ほんとうに「やってない」つもりなのである。そして、「言われなかった」つもりなのである。だから、際限なくならす。けど、本人はまったく本当に悪気がないんだよ。まったく、迷惑をかけたと思ってない。どれだけしつこくそういうことが繰り返されるか? うちでなら、やっていいと思っているからずっとそうする。殺さなければ終わらない。「うち」ではな。けど、じゃあ、そんなに「うち」と「よそ」のちがいがあるのかというと、ある。このばあいの「よそ」というのは、たとえば、気違い兄貴の嫁さんの家族だ。よそのうちでは、自然に我慢できるのである。まあ、一五年間「うちでやったから」もう、興味がなくなっていたというのもあるのだろうけど、それだけじゃない。兄貴と親父は、「そとっつらがいい」のである。うちのやつは、無視して頑固にやり切る。うちのやつに対しては、「やった」と思わなくていい。あるいは、「やった」と思うことに失敗する。うちのやつに関しては、どれだけやたって、やってないのとおなじ気分でいられる。そんなのあたりまえなのである。そういう狂い方。


兄貴と親父の「頭の回路」がおなじなんだよな。ほんとうにこまる。死にたくなる。ヨソの人から俺が悪く言われるんだぞ。もう、そういう構造になっている。俺が人から説教されて、俺が人からだらしがないように思われるんだぞ。

ガス欠状態なのである(公開)


もう、すぎた時間は帰ってこないしな。
どうするかな?
ほんとうに、●ぬことを考えれば、片付かないとか指が痛いということは、小さなことなんだけど、気になる。

あと、鬱病の人は、やっぱり、やる気がすぐになくなってしまうようなところがある。ガス欠状態なのである。ヘビメタ騒音で鬱病状態になったのでわかる。まあ、二〇歳ぐらいの時、病院に行けば、鬱病の診断ぐらいはついたと思うけど。病院に行けなかった。ほんとうにつらいときは、ベッドの上で横になっているだけで、動けない。もし、病院に連れて行ってもらうとなると、友達に付き添ってもらうしかない。けど、それは、やはり、当時プライドが邪魔をした。めしも食わないでずっと横たわっていた。
病院に付き添いって、普通は家族がやることなんだろうけど、おかあさんは体調の問題で無理だし、親父や兄貴は、問題の発生源なので無理なのだ。

こんな人生ない

ヘビメタ騒音で相当にむなしい。これはない。そこの廊下って、俺が小学六年生の時も、中学一年生の時も、使ってたんだよな。ずっとあそこを、行き来しているわけか。何十年も。ひとりで。

こんな人生ない。

2019年10月1日火曜日

気違いヘビメタの感じが続く

運動会の練習はけっこううるさい。
けど、なんとか、しのげる。
しかし、気違い兄貴のヘビメタ騒音はしのげなかった。鳴ってたら、勉強ができない。
学生にとってこれはとてもつらいことだ。
気違いヘビメタの感じが続く。

こんな人生ない。気違いヘビメタ騒音にやられ続けたのは人類で俺だけだ。他の人には、そのハンディがない。ハンディがないところで、想像で「そんなのたいしたことがない」「どれだけ鳴ってたといっても、たいしたこと、ないんだろ」「過去は過去」「人のせいにするな」などと言う。こいつらみんなデコパッチンをしてやりたい。一日だけでもどれだけつらいか。五分だけでもどれだけつらいか。「俺だったらしずかにさせることができる」というのもデコパッチンしてやりたいほど腹が立つ発言だ。けっきょく、こいつらは、なにもやられてない。

うち」という閉鎖空間で為された悪事については、他の人は、中立的な立場に立とうとして、やられた方を不当に傷つけることを言う。ニュースで公開された悪事なら、そういうことは言わない。ニュースはいちおう、中立的な立場で、事実を伝えるからな。いちおう、だけど。

俺が「気違いヘビメタの感覚が残っている」と言えば、俺が異常であるような印象を与えるが、だれだって、あんなに長い間やられたそうなる。人間として正常な反応なのである。これがわかってないやつらがいる。まるまるまる。どうして俺だけ、こういうことを言い続けなければならないのか?

佐藤氏やゆき氏のように、いろいろなまちがった前提でものを言う人たちがあとをたたない。こういう人たちは、俺がちゃんと説明すれば信じるかというとそうではないのだ。俺が親父や兄貴のことについて説明すると、俺の言葉は信じずに、「うちに一回もきたことがない」心理学者に「そんなことって、あるかな」と訊いて、心理学者が「ないとは言えない」とこたえると、ちょっとだけ信じるのだ。学者のこたえも、そりゃ、「ないとは言えない」だからな。しゃれているね。俺の経験した世界とはまったく無縁の人が言っていることだ。知るわけがない。俺は、気違いヘビメタがなければ、学者にはなれた。あのとき俺が学者だったら、あの人たちの態度は明らかにちがうのだ。これで、偏見がないと言えるか? 差別がないと言えるか?

親父や兄貴の態度は異常だ。普通の人にはわからない。そして、うちという閉鎖空間で為されたことに関しては、人びとは「中立的な立場」で「たいしたことがない」と勝手に思う。実際に一日もやられたことがないくせに、わかったようなことを言う。五分だって、切羽詰まった気分になるよ。あの音をまる五分間聞かされたら、だれでも、こころがめちゃくちゃになっちゃうよ。実際、気違い兄貴だって、よそのうち」では五分だって鳴らせないのである。そういう音で鳴らして、「あたりまえ」だった。うちでは、すべての時間、鳴らしても「あたりまえ」だった。別に悪いと思ってないのである。で、こういう頑固さが親父とおなじなんだよ。こういう「思いこみ」が親父とおなじなんだよな。ほんとうにこまる。まるまるしたくなる。

ほんとうに、ヘビメタ騒音にやられて、徒競走にで出るようなものだ。必死に全力で走っても、半分のはやさも出ない。ヘビメタにやられてなければ軽く走っても二倍のはやさで走れる。俺が、必死な形相で、発しているのを見て、ほかのやつらがわらいやがる。「あんなに、必死なのに、あんなのおそい」と言ってわらっている。そのなかに気違い兄貴がいる。気違い兄貴もわらっている。なにも関係がない人としてわらっている。俺が遅れて遅れてゴールしたあと、気違い兄貴のところに行って「しずかにしろ!! ヘビメタ!!鳴らすな!!! って言っているだろ!!!」と必死になって怒鳴る。何回も怒鳴る。けど、気違い兄貴は、まったくやっているつもりがないから、なにも感じない。ただ、自分にとって不都合なことを言われたということは、わかるので、怒る。それだけ。うちに帰ればいつものように、気違いヘビメタが鳴っている。どれだけ、「しずかにしてくれ」って言っているだろ!!と必死になって行っても、気違い的な感覚で無視して鳴らす。殺さなければしずかにさせることができない。そういう状態を、押しつけて鳴らしまくる。俺の部屋に帰って俺が頭を抱える……こういう夢だ。

俺の人生はまさしくこの通りだ。この夢とおなじだ。まじめな佐藤氏やゆき氏ですら、常識に基づいて間違ったことを言いやがる。

火しっにやってきたおれがどうしてサボっているように言われたり、甘えているように言われなきゃならないんだよ。しかも、おなじ状態でくらしてきた人に言われているわけじゃない。一秒も気違い兄貴の気違いヘビメタ騒音を体験しなかった人に言われる。

「学校に通えたなら、たいしたことじゃない」……倒錯している。必死に通った人をバカにするのはいい加減やめたほうがいい。心の底で根本的にバカにしているからそういう発言ができるんだよ。だいたい、こういうことを言う人は、「働いてない人は悪人」「働いている人は善人」という思いこみがある。どうして、人をまっすぐに見ないんだ。働いているとか働いてないということで、人の価値を決めるんだ? ほんとうはそういうことは、問題じゃないんだぞ。これも、わからないか?



現実とはまったく違う、とち狂った発言なのに。


2019年10月01日04時11分01秒
起きた。一度午後五時ぐらいに、犬に起こされて、もう眠れなくなってしまうかと思ったけど、眠れた。この時期の午後五時はヘビメタ騒音の雰囲気そのもので、『ヘビメタ騒音が鳴っている』感じがするので、『ヘビメタ騒音が鳴っている感じがしている』ときに、犬が吠えて、『うるさい』と感じると我慢できない怒りがふきあげてくる。だから、「いぬ、うっさいぞ!!」とデカイ声で叫ぶ。いてもたてもいられない。ところで、「いぬ、うっさいぞ!!」とデカイ声で叫ぶことは、あんまり、いいことではない。がらがわるいことだ。しかし、こういうことだって、気違いヘビメタが一四年間鳴ってなかったら、発生しないとなんだぞ。他人は、気違いヘビメタのことを知らないから、勝手なことを言う。おまえ、あの音が、どれだけくるしいか。これ、ほんとうにない。神様がまちがっている。

気違いヘビメタでこまりきっている状態というのが、他の人にはわからないんだよな。これは、きつい。ほんとうに、気違い兄貴が気違い兄貴で、気違い的な方法で気違い的な意地でヘビメタを鳴らしたから、俺は、いつもくるしい。他の人が信じられないような方法でヘビメタを鳴らすな。他の人が信じられないようなデカイ音でヘビメタを鳴らすな。他の人が信じられないような長い期間、ヘビメタを鳴らすな。気違い兄貴の態度は、気違い親父の態度とおなじで、ほかの、幸せな家庭で育った人は、想像もできない。ぜんぜんわからない。だから、『家族なんだから、言えばいいでしょ』などと、とち狂ったことを言う。これは、とち狂ったことなんだけど、そういうことを言っている人は、あたりまえの発言をしていると思っているだろう。現実とはまったく違う、とち狂った発言なのに。
わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。