2020年9月26日土曜日

うわっ、なんだ!!! 午後なのか??


うわっ、なんだ!!!
午後なのか??


俺、さっき、起きて、五時だというのがわかったので、もうしばらくしたら明るくなると思っていたんだけど、なかなか、明るくならなかった。そのあと、ネットサーフィンをして、ずっと時間をつぶしていた。パソコンの時間を見て、「午後だ」というのが、いまわかった。午後八時になっていた。午前八時じゃなかった。どおりで、暗いはずだ。

これから、明るくなってくれないとやばいぞ。精神的にやばい。俺はもう、ダニやネズミのことで頭がいっぱいだ。補修工事をして七か月間、ネズミが出なかったのに、ネズミが出た。補修工事がムダ。というか、どこを工事していいのかわからない。これ以上ぼくが……なにを……すれば……よいのだろうか。

あとは、だから、「あそこの部分やられたかな」と思って、補修パテをつけようとしたのだけど、思ったよりやられてなかった。で、あそこは、湿気が多いところで、いろいろな虫がいるのだ。

 

で、蚊がいたのはわかっていたのだけど、なんか、ほかの虫にも刺された。蚊に刺されたところがかゆくなったんだけど、蚊ではないものに刺されたところもかゆくなった。

で、蚊じゃないほうが、猛烈にかゆいのである。で、とりあえず、風呂に入って、出たのだけど、かゆみがおさまらず、かいたら、血が出た。けど、血が出ても、かゆくてかゆくてたまらない状態だったので……。

 

まあ、塗り薬はかくまえにつけるべきなのだけど、見つからなかった。で、見つけて、とりあえず、塗った。かゆみどめ成分が入っているので、かゆさは軽減した。……あっ、言っておくと、……これは、明るい時間の話ね。午前一時ぐらいなのかな? かゆくなって、だるくなって、眠ってしまった。

かゆくなったときに、はいていたズボンをとりあえず洗濯しようとして、洗濯した。洗濯したあと、眠ったんだ。あーー。まあ、いろいろと言いたいことはあるのだけど……。ともかく、これ、メンタルにくるなぁ。有害。

 

横になっているときに思ったこと……眠っているさいちゅうに思ったこと?……は、ヘビメタ騒音に対するいろいろな人間の態度だ。ヘビメタ騒音の話に対するいろいろな人間の反応だ。「それは、ちがうんだ」と言いたくなって、目を覚ました。 



*     *     *



ちょっとだけ付け足しておくと、ぼくは、もう、「かゆくなっているところ」を見たくない。なるべく見たくない。どうなっているか、見たくない。かゆくても、見たくない。無意識的に見たくなかったんだろうな。なんかかゆいなぁ」と思っていたんだけど見たくなかったら、見ないままかいた。

 

どうして、外壁の状態を確かめなければならなかったかというと、ネズミが出てしまったからだ。確認して、パティで応急処置ができるなら、パティをつけるということをしなければならなかった。 


あそこは、いかにも「かゆくなりそうなところ」だから、近よりたくなかった。けど、一匹ネズミが入ってきたということは、何匹でも入れるということだ。つがいで行動していることが多いので、やばい。すぐに巣を作って子供を作ってしまう。床下に入れるなら、どこからでも出てこれる。壁に穴をあけることが可能だ。爪でやるのか歯でやるのか、あるいは、その両方でやるのか、よくわからないけど、ともかく、しっくい壁を突き破ることができるのだ。

ほんとうは、だれだって!!!働けない体になるのに……


ヘビメタでつらい。どいつも、こいつも、ヘビメタでつらいということを、究極的には、認めない。たいしたことじゃないのに、俺がこだわっていると思っている。これが、屈辱。これは、きちがいヘビメタの効果だ。もと親友ですら、きちがいヘビメタの効果を見誤った。ほかの人は、経験してないから、どれだけ影響を与えるかわかってない。わかってないところで、ものを言うんだよな。そりゃ、自分の経験の範囲では、自分が言ってることが正しいわけだから、俺が言っていることを究極的には認めない。ほんとうは、だれだって!!!働けない体になるのに……。ほんとうは、だれだって、入学試験に落ちるような状態になるのに。ほんとうは、だれだって、体力がなくなるのに……。ほんとうは、だれだって、気力がなくなるのに。ほんとうは、だれだって、睡眠障害になるのに……。そして、ほかの人に誤解されるようになるのに……。ほんとうは、だれだって、憂鬱な顔になるのに……。


ゆるせない。

2020年9月25日金曜日

法務局に行くつもりだったけど、キャンセルの電話を入れた

法務局に行くつもりだったけど、キャンセルの電話を入れた。正直言って、だるい。これは、睡眠障害でだるいわけだけど、……どーも、昨日から、鼻水が出るので、行くのはやめておいた。
しかし、ネズミが気になる。ネズミが気になる。
仏壇の上は、ひどい思いをして、きれいにしたのに、また、ネズミの糞がのっかっていた。

 

 

俺は、兄貴がフォークギターを3年間毎日鳴らしているとき、文句を言わなかった

 
ネズミが出たし、午後1時ぐらいからは動かなければならないのに、まったく眠ってない。眠れるかと思って横になっていたけど、眠れなかった。で、そういうときの気分が、ヘビメタ騒音が鳴り終わった後の気分なんだよな。なり終わったから眠れるだろと思うだろ。けど、これが、眠れなかった。毎日眠れなかった。毎日、ほんとうに明るくなってからやっと眠ったような感じで、午前2時、午前3時、午前4時と不安な気持ちですごした。横になっていた。あのとき、ぼくのこころのほとんどが崩壊している。そして、わずか、2時間くらいか眠ってない、ものすごく、眠たいときに起こされて、学校に行ってた。行ってたならいいだろと思うだろ。ところが違うんだよね。もう、〇にたくなってた。自〇したくなっていた。気分が尋常じゃないのである。もちろん、意志の力で動いた。けど、これは、相当に無理をしている。そして、無理は、いつか終わる。俺の場合は、7年ぐらいで終わった。7年間、夏休みも冬休みも、土曜日も日曜日も、試験3日前も、試験2日前も、試験1日前も、ずっとずっと、鳴ってたんだぞ。ずっと、夜、眠れないまますごしたんだぞ。これだけで、終わっている。そういう、中学時代、高校時代をすごしてないやつが、「誰だって朝はきつい」とか「誰だって、眠たいのに必死で動かなければならないときがある」とかいうことを言ったとき、ぶっ飛ばしてやろうかと思った。中学時代高校時代と、普通に眠ることができて、普通に家で勉強することができた人が、幸福論を語っても、自分とは関係がない感じがする。どんな状態でも、だれだって、幸福を感じることができる……って、そりゃ、無理だぜ。まあ、これ、どのみち、「うまれの差」というのは、勘定に入ってない。学歴獲得競争は公平だという建て前がある。けど、最初から、不公平だ。きちがいおやじのハンディや、きちがい兄貴のハンディが並みじゃない。きちがい兄貴が、囲碁に凝ったならよかった。音は出ないから。まあ、ぱしんぱしんと音がするかもしれない。言っておくけど、俺は、兄貴がフォークギターを3年間毎日鳴らしているとき、文句を言わなかった。フォークギターぐらいの音なら、問題はなかった。横が幼稚園で、とてつもなくうるさい。けど、勉強ができないとか本が読めないということはなかった。横の部屋の、きちがいヘビメタ騒音は、すべてを破壊した。「みんな、くるしくても、がんばっている」「だれだって、眠たいときはある」と言う人たちは、ヘビメタ騒音を浴びせられて、眠るべき時間に眠れなかったわけじゃない。自分で夜更かしをしようと思って、夜更かしをしていたわけじゃない。ゲームに夢中になって、夜、起きていたわけじゃない。きちがいヘビメタを一日に6時間以上浴びせられると、どうしても、眠れなくなる。ほんとうにくるしかった。すべてが、くるしくなる。夜、適切な時間に眠れないとなると、すべてが、くるしくなる。



ネズミが出た。


ネズミが出た。
どうして、こうなる。
とても、さみしい。とても、こころ細い。
「もう、だめか」と思った。発狂した。

睡眠時間!ズレまくりなのに、明日は、決まった時間にあるところに行かなければならない。いちおう、雨でもそうするつもりだった。けど、ネズミが出たとなると、ちょっとちがうんだよな。それに、雨が問題だ。キャンセルをすると、穴があくけど、しかたがない。はぁー、行政書士にやってもらうとなると、金がかかる。

さらに、ネズミ対処に金がかかる。金が……。金が……。
おれは、休ませてほしかったんだよ……。こ、こ、で、ネズミが出るとか、いいかげんにしてくれよ。休めないだろ。おれは、休ませてほしかったんだよ。

言っておくけど、明日行かなければならない時間は、普段というか、今日は寝ていた時間だ。眠っていた時間だ。これは、グロッキーだ。睡眠時間の調整が、けっきょく、できなかった。25日間もあったのに、けっきょく、睡眠時間の調整ができなかった。行動しなければならない時間は、今回の場合、午後1時30分ぐらいから、午後4時ぐらいまでの間だ。なので、前の日の午前1時ぐらいに起きるという睡眠リズムでもよかった。しかし、いまの睡眠リズムは、……入眠時間は、だいたい午前10時ぐらいだ。午前11時が明日の、本来の入眠時間になるはずだった。2時間30分眠れればどうにかなるとは思う。けど、けど、午前10時ぐらいから、眠りたいのに眠れないという状態になってしまったら、またまた、20時間ぐらい起きている状態で、動かなければならなくなる。当然、相手の話を聞いても、いろいろと、ミスをするかもしれない。相手は、覇気がない人だとなとか思うかもしれないし、ひょっとしてコロナウィルスに感染しているのかなと思うかもしれない。

午前4時ぐらいから、睡眠トライをしたいけど、「ネズミが出た」という事実が頭に刺さっている。

 

2020年9月24日木曜日

すべてはうけとめ方の問題だというような言い方には問題がある。


すべてはうけとめ方の問題だというような言い方には問題がある。

たとえば、障害者を殺した人がいるとする。すべてはうけとめ方の問題なので、障害者を殺した人を、いい人だと思うことだってできるのである。本当にあった話だけど、障害者を殺した人は、自分を英雄だと思っていたフシがある。すくなくても、彼のなかでは、自分は悪いことをしたのではなくて、いいことをしたという認識が成り立っていた。そして、それは、他人に、どういうふうに言われても、かわらなかった。


すべてはうけとめ方の問題だとするのであれば、第三者は、彼を(彼が思っているように)いい人だと思うことだってできるのである。彼に刺されて死んでしまった人は、もう、思いようがないけど、半殺しにされて、障害を背負って行きている人にも、「すべてはうけとめ方の問題だ」という理論は成り立つ。

自分がひどいことをされたと「思うから」ひどいことをされたという感情が生じる……ということになる。彼らの理論は、すべてはうけとめ方の問題だから、「ひどいことをされた」とうけとめなければいいということになってしまうのである。自分はひどいことをされたのではなくて、自分はすごくいいことをしてもらったとうけとめれば、自分はすごくいいことをしてもらったということになるのである。

「ひどいことをされた」という現実を作り出しているのは、まさに、その人本人だから……すべては、うけとめ方の問題だからだ。自分を刺した彼は、正しいことをしたとうけとめることだってできるのだ。、、すべてはうけとめ方の問題だからだ。

妄想を持っている人にナイフで刺された……それをどううけとめるかは、その人次第なのである。

そして、すべてはうけとめ方の問題だから、「ひどいことをされた」とうけとめなければいいということになってしまうのである。「いいことをされた」とポジティブにうけとめればいいということになってしまうのである。ポジティブにうけとめればいいのに、ネガティブに受け取るからだめなんだということになってしまう。ポジティブにうけとめることが可能なのに、ネガティブに受け取ることに固着する人は、こだわる必要性がないことにこだわる非・合理的な人だということになってしまうのである。

彼……自分を刺した人は、自分に「気づきを与えてくれたんだ」とポジティブにうけとめればよいのである。すべてはうけとめ方の問題なので「自分に気づきを与えてくれたんだ」とうけとめることももちろん可能なはずだ。「すべては、うけとめ方の問題だ」とい言っている人は、実は、刺された人に対して、こういうことを言っているのとおなじだ。


こういう人たちは、すでに不幸な人を、せめている。不幸だと思うから、不幸なんだ……とせめている。不幸な出来事だと思うから、不幸な出来事なんだ……とせめている。ポジティブにうけとめることが可能なのに、そうしないから、だめなんだと……せめている。

もちろん、「うけとめかた」の問題だから、せめているとうけとめる人はそういうふうにうけとめるのでしょう……ということになってしまう。

けど、ぼくは、これはおかしいと思う。
けど、こういうでたらめな理論がまかり通っているのが、この世なんだよな。こんな、すでに不幸な人を追い詰めるような理論を、得意顔で言うようなやつら……。

ぼくは、すでに成り立っている文脈がたいせつだと思う。その文脈は、個体発生的に意味があるものなのである。
 

呪文を唱えれば、自分が思ったとおりになるのだから、こんなに楽なことはない


これから、買い物に行くかどうかまよっている。
風呂に入っている間も、買い物をしている間も、考えていることはヘビメタ騒音のことだ。

ヘビメタ騒音で、ぼくは人から、誤解を受けている。

その、誤解が、気になるのだ。

まあ、ぼくを誤解している人は、「人がどう思ったっていいじゃないか」というようなことを言う。「誤解しておいて、そりゃないぜ」と思うけど、言っても通じないんだよね。

労働にまつわる信仰心みたいなものがあるから、通じない。

労働にまつわる信仰心は、普通の日本人なら持っていると思う。ぼくにも、彼らの気持ちがわかる。ぼくも、日本人として日本の中でながらく、暮らしてきた人間なので、彼らが無職に対してどういう考えを持っているのか、あるいは、ニートに対してどういう気持ちを持っているのか、わかるのだ。

まあ、ようするに、普通の人は、間違いなく、日本労働教徒になる。そして、普通の人は、言霊思考が残るので、日本労働教徒であるということと、言霊思考を持っているということが、かなりの確率でかさなる。

言霊思考は、日本人だけではなくて、実は、世界中の人が持っている思考だ。どうしてかというと、言霊思考は、幼児的万能感から生まれるからだ。幼児的万能感は、人間なら、幼児時代に持っていた万能感(感覚・気持ち・考え方)なので、どうしても、「しん」の部分では感覚として残っている。

これは、ようするに、過去のことは現在に影響を与えるということなのだけど、それはまた、別の機会に話そうか。

幼児的万能感はファンシー世界の話だ。ファンシー感覚なのである。魔法が使えるつもりでいる状態なのである。「言えば現実化する」というのは、「呪文を唱えれば、どんなことも現実化する(そのとおりになる)」というふうに言い換えることができる。

呪文を唱えれば、自分が思ったとおりになるのだから、こんなに楽なことはない。たぶん、言霊思考に関しても、幼児的万能感に関しても、「個体発生は系統発生を繰り返す」ということが成り立っていると思う。長い原始時代の感覚が、個体発生の中で繰り返されるのだ。もっとも、中世でも、科学的なものの見方というのは成り立っていなかったので、原始時代から中世までの感覚が、繰り返されると言ってもよいのではないかと思う。

2020年9月22日火曜日

「言う」にしろ「言わない」にしろ、他人から誤解を受けがち


ヘビメタ騒音のことは、「言う」にしろ「言わない」にしろ、他人から誤解を受けがちなんだよな。言わなかった場合、ほぼ一〇〇%、誤解される。言った場合は、相手による。相手が、ぼくの言ったことを信じれば、誤解はとける。あるいは、誤解がとける可能性がある。信じないやつは、言ったあとも、誤解したままだ。誤解なんだよ。けど、相手は、誤解だとは思ってない。ヘビメタ騒音病という「やまい」は、ほかの人から誤解を受ける「やまい」だ。どうしてかというと、ヘビメタ騒音病になった人が、俺以外にいないからだ。ほかの人は、ヘビメタ騒音病になったことがないから、誤解をする。

誤解する人と誤解しない人とでは、想像の範囲がちがうのだ。騒音「で」そうなることがあると思うか、ないと思うかの違いだ。騒音「で」そうなることがないと思っているやつは、俺の話を聞いた後も、騒音「で」そうなることはないと思っているから、ずっと誤解したままだ。俺という存在について誤解したままだ。誤解したままの相手と、仲良く付き合うのは、とてもむずかしい。

2020年9月21日月曜日

一一歳のときに始まった。あれから、ずっと、俺は、くるしいんだよ



強烈にからだがだるくなって、横になっていた。二、三日、横になれば、治ってくれればいいけど。これは、気違いヘビメタ騒音病だ。体の状態が同じだから、わかる。頭もくるしい。強烈にくるしい。「もう、だめかな。まるまるまるまる」と考えてしまう。気違いヘビメタ騒音にやられていたときの「からだ」のまんまだ。どうしても、生きるのがつらい。くるしい。気違いヘビメタ騒音でくるしくなった。それまでも、気違い親父にやられてくるしいことはあったけど、そんなことを吹き飛ばしてしまうような、気違い騒音がはじまった。一一歳のときに始まった。

 

あれから、ずっと、俺は、くるしいんだよ。

 

で、他の人は、ヘビメタ騒音一日ぶんも、わからない。わからないんだよな。

一〇〇〇日、つもったときの、状態なんてわかるはずがない。

 

それで、かってに、自分の騒音体験から類推して、『俺のヘビメタ騒音』について考えてしまう。その人のなかにある『俺のヘビメタ騒音』は実際のヘビメタ騒音とはまったくちがったものだ。だから、ヘビメタ騒音の効果を無視してしまう。

そうすると、俺が勝手にサボっているだけに見えてしまうのだ。どれだけ説明しても『過去なんて関係がない』というような、アホな言葉が返ってくる。

しかも、アホな言葉を返しているつもりがないと思う。非・合理的なのは、いつまでも、ヘビメタ騒音こだわるエイリさんの方なのだ。そういう人にとっては……。こういう、世界の亀裂はどうにもならない。

善意がある人ですらそれなのだから、もちろん、『世界』はぼくにとって、たいへん生きづらいものになる。

しかし、そういう生きづらさを作ったやつらが、俺にこう言うんだよ。『元気だ元気だと言えば元気になる』とね。もう、やめてくれ。
 

2020年9月20日日曜日

ヘビメタ騒音がついた『だるさ』は他の人には類推できないものになる。


正直なことを書いていいのかどうかわからないが、相当に、だるくて、相当にあれていた。こころがあれるんだよ。だるいと、こころがあれる。だるいと言うよりも、くるしい。本当に、くるしかった。いまは、なんとかなった。けど、意欲うんぬんは戻ってないな。
あたまがもやもやするとか、書いたけど、もやもやだけじゃないんだよね。くるしかった。ベビメタ騒音がなっていたときと同じ、状態になってしまう。これ、ヘビメタ騒音経由なんだよ。いや、直通でヘビメタ騒音なんだよ。だれもわかってくれない。あまりにもレアケースだから、だれもわからないんだよな。医者も含めて……。
いま!ヘビメタ騒音でくるしい。ヘビメタ騒音自体は、終わったけど、いま!ヘビメタ騒音でくるしい。たぶん、睡眠回路と意欲回路を破壊された。「だるい」という感覚は、睡眠回路と関係しているんじゃないかな。からだが、動かない状態になるわけだから。他の人が『類推』で想像できるのは……『寝不足のときのだるさ』だけなんだけど、ヘビメタ騒音がつくと、それだけじゃなくなる。ヘビメタ騒音がつくと、ヘビメタ騒音がついた『だるさ』は他の人には類推できないものになる。
ともかく、くるしいんだよ。ヘビメタ騒音で、俺は、くるしい。

気違い兄貴のやり方が異常だというのが他の人にはわからない。気違い兄貴の、ヘビメタ騒音の感覚が異常だというのが、他の人にはわからない。気違い兄貴の、ヘビメタ騒音に関する認知が異常だということが他の人にはわからない。気違い兄貴の、苦情を言われたときの反応が異常だということが、他の人にはわからない。 



2020年9月19日土曜日

うちだけ、おかしい。 いつも、いつも、うちだけ、おかしい。



ヘビメタが、鳴ってた。だれもわかってない。
ヘビメタが、鳴ってた。だれもわかってない。

どれだけ、でかい音でなっていたかだれもわかってない。
気違い兄貴の態度なんて、だれもわからない。だれも……。俺だって、わからなかった。気違い兄貴が、あれでゆずったつもりがあるとか、頭がおかしいレベルだ。ともかく、ぼくが、絶叫する声の、何百倍、何千倍というでかい音で鳴ってたんだ。

あんなの、いいわけがないでしょ。あんなの、いいわけがないんだよ。どこのうちも……どのうちも……あんな音でステレオを鳴らしてない。

うちだけ、おかしい。

いつも、いつも、うちだけ、おかしい。

これ、気違い親が頭のおかしい人だから、そうなっちゃったんだ。

で、兄貴は、ほんとうに、かかわっているつもりがなんだよな。

気違い親父が、頭がおかしい理由で怒り狂ったあと、気違い親父が『まったく関係がない人』になってしまうのとおなじなんだよな。こんなこと、ひとに言ったってわからない。

佐藤なんて、さかだちしたってわからないだろう。『障害者』でなければ、そんなことはないと思っているんだからな。けど、その障害者というのは、障害者として認定された障害者だ。認定されなければ、佐藤のなかでは、どこかのだれかは障害者じゃない。だから、信じない。俺の話を信じない。こういうのが、まったくわかってない。

2020年9月15日火曜日

「働かざる者、食うべからず」 じゃなくて、 カネがないもの、食うべからず

 「働かざる者、食うべからず」

じゃなくて、

 

「カネがない者、食うべからず」

なんだよ。 


どうして、簡単にだまされるのか?

いいかげん、気がつけ。

俺に、どれだけ的はずれなことを言っているか、佐藤らは一生理解しないだろう


俺に、どれだけ的はずれなことを言っているか、佐藤らは一生理解しないだろう。そして、自分は勝手に、退職して無職になる。

人は働くべきなんだろ。どれだけ、苦しくても、人は、働くべきなんだよ。だったら、どうして、退職する? いきているあいだ、どれだけつらいことがあっても、働け!

高齢者は人じゃないのか? 赤ちゃんは、人じゃないのか?

高齢者も赤ちゃんも人だ。「人は働くべき」なんていうのは、そもそもがまちがった言い方なんだよ。自分がとしをとったら、「もう、俺は体が動かないからいいや」なんて思って仕事をやめるやつは、他人に対しても、「人は働くべきだ」と言うべきではない。

「他の人が考えるヘビメタ騒音」と「ぼくが実際に経験したヘビメタ騒音」


ほんとう、みんな、ヘビメタ騒音でどれだけ追い詰められるかわかってない。気違い家族によるヘビメタ騒音がどれだけ過酷なものかわかってない。気違い家族による、ヘビメタ騒音がどれだけ、生活を破壊するかわかってない。全部、たてまえになってしまうんだぞ。全部。これは、イ・ラショナル・シンキング(非合理的思考)じゃない。逆に、ヘビメタ騒音で、生活が完全に破壊されるということが、わからないというのが、おかしい。想像力の欠如。他人対する共感の欠如。

生活できないようになるに、決まっている、でしょ。通勤しなければならないなら、死ぬしかない」と思うのは、イ・ラショナル(非合理的)なことじゃない。むしろ、体力的に合理的。自分の体力や睡眠力?を考えると、死ぬしかないのである。あるいは、入院か。けど、いつまで入院しているんだという問題がある。入院しているあいだに、治ればいいけど、治らない。これも、ヘビメタ騒音を数千日、経験した人じゃないとわからないかもしれないけど、だいたい、七〇〇日ぐらい、毎日続いたら、治らなくなる。だいたい、入院して寝ているのと、安いアパートで寝ているのは、かわりがない。ヘビメタ騒音によって生じる障害に関しては、病院も安いアパートも、かわりがない。だいたい、病院にずっと入院しているというのは、経済的に無理なのである。本当に、まったくわかってないな。

 

「他の人が考えるヘビメタ騒音」と「ぼくが実際に経験したヘビメタ騒音」が違いすぎる。ぜんぜん違う。けど、違うということが、経験のない人にはわからない。そりゃ、想像するだけなのだから、しかたがない。 


他の人は、騒音による障害というのは、ずっと続くものだと思わない。騒音による障害は、水銀による障害に近い。ぬけない! たぶん、三〇〇〇日以上、毎日やられると、ぬけなくなる。これは、騒音が終わったにもかかわらず、障害が続くという状態だ。

『音がなくなれば、障害なんてなくなっちゃうだろ』と思うのが、経験のない人だ。経験がない人のほうが圧倒的に多いのだから、ぼくが、言っていることはつたわらない。その人たちには、つたわらない。

けど、実際に経験したぼくの感じで言うと、長期騒音による障害は、ずっと残る。ずっと、体に残り続ける。いきているあいだ、改善しない。繰り返される物理刺激で、海馬や扁桃体が損傷を受けたままになると思う。

 

2020年9月14日月曜日

「働いてくれ」と言われたら「自殺してくれ」と言われたのと同じ


これ、もう、だいぶ前に何回か書いているのだけど、ある人にとっては、働くということは、どれだけ頑張っても、一週間か一ヶ月で自殺することになるから、さけなければならないことなのである。

 

だから、そういう人に対して、『働いたほうがいい』と言うのは、『自殺したほうがいい』と言うことと同じだ。切迫している状態がわからないのである。あるいは、経験に基づいて「もうだめだ」と言っているのに、その経験が……何万回と繰り返された経験がわからないから、経験に基づいた発言だということを、……無視してしまうのである。

だから、つねにギャプがある。「できない」と言っても「もう、できない」のか「最初から、できない」のかは違うと言っているだろ。「もう、できない」と言って、通学通勤をやめた人は、「最初から、できない」わけではない。何千回、何万回とやっている。その、何千回何万回やった人が、限界のところで「もう、できない」と言っているのだから、できないんだよ。あと何回かやったら、自殺するしかないんだよ。そういう切迫した問題なんだよ。だから、そういう人に「働け」と言うのは、くるしんで自殺してくれと言っていることと同じなんだよ。


本当に、誰だって、一一歳のときからずっと、毎日、ヘビメタ騒音にさらされたら一九歳のときには、通学も通勤もできなくなるのに、そういう経験がない人にはわからない。理解できない。

 

いっくら騒音が鳴ってたって、通学も通勤もできるだろと考えてしまうのだ。

けど、それは、積み重なった騒音疲労を無視した考え方だ。

本当に、違う。

けど、普通の人は違いがわからない。どうしてかというと、ヘビメタ騒音かヘビメタ騒音相当の騒音を経験してない人には、それに対応した騒音疲労がないからだ。

だから、「無理だ」ということがわからない。「無理だ」ということは、無視して、「できるのだからやればいい」「やるべきだ」という考え方を披露することになる。けど、それは、経験がないから、……あるいは経験に基づいた認識がないから、言えることだ。

日本人は「人は働くべきだ」と考えているので、働けるように(みえる)人が働いていないということは、ゆるせない。

だから、二〇代から五〇代ぐらいの男性が働いてないということを聞くと「働くべきだ」と自動的に思ってしまう。「働くべきなのに働いていない」「それは、けしからんことだ」と自動的に考えてしまうのである。

だから、説得して、相手を働かせないと、落ち着かない。相手が働くまでは、会えばば、説得をし続けるということになってしまう。これは、不幸なことなのに、説得を試みるほうには、「不幸なことだ」という認識がない。

ヘビメタ騒音で無理だと言っているのに、説得を試みる人との付き合いは、切るしかない。そりゃ、そうだろ。会えば「苦しんで自殺してくれ」と熱心に説得してくるやつと、会う気がするか?

 

ヘビメタ騒音「で」できないと言っているだろ。

「働いてくれ」と言っている方は、自分が相手に「自殺してくれ」と言っているつもりはない。けど、相手の方は、「自殺してくれ」と言われたと、認識するのである。他の解釈はない。どうしてなら、働いたら、……自殺するしかないというのは、すでに決まっていることだからだ。一意に決まっている。「働いてくれ」と言われたら「自殺してくれ」と言われたのと同じなんだよ。

「働いたら、自殺するしかない」という考え方に、疑問をもつ人もいると思う。働いても自殺しないようにすればいいからだ。

けど、それができないと言っているんだよ。
「働いたら、自殺するしかない」という考え方は、非合理的な思考に思えるかもしれないけど、経験に基づいた正しい考え方なのである。正しい考え方度思えない人たちが、正しい考え方だと思えないのは、経験がないからだと思う。


「『働いたら、自殺するしかない』というのは、非合理的だ」と言う場合、「働いたら自殺するしかない」という考え方を持っている人が、経験した仕事でなければいいと思っていると思う。

 実際、そういう場合もある。けど、ぼくの場合は、通勤することが必要なのであれば、どんな仕事もだめなので、通勤することが必要な仕事はだめだということになる。もちろん、仕事と通勤する必要がある仕事は、違う。通勤しない仕事だってあるではないかということが言える。しかし、あのときのぼくは、通勤する必要がある仕事にしかアクセスすることができなかった。通勤する必要がない仕事にアクセスすることができないのであれば、仕事がないのと同じだ。 


*     *     *


2020年9月13日日曜日

ヘビメタ「で」苦しいと言っているだろ


ヘビメタでくるしいと言っているだろ。ヘビメタ「で」くるしいと言っているだろ。どうして、ヘビメタ「で」くるしいというとがわからないのだろう。

 

ヘビメタ騒音の影響を無視する人は、どれだけ言っても、ヘビメタ騒音「で」くるしいということがわからないんだよな。

 

同様に、ヘビメタ騒音「で」できないと言っているのに、ヘビメタ騒音の影響を無視する人は、どれだけ言っても、ヘビメタ騒音「で」できないということがわからない。認めようとしない。

 

この人たちは、たぶん、家族が気違いではないのだろう。

どれだけ、気違い兄貴の、認知に、ゆがみがあるかわかってない。

全部が全部、違うんだよな。「うち」と「よそ」では、全部が全部違う。

実際に、自分がこの世で一番キライな音に、長時間さらされたことがないから、わからない。「うち」というのは、生活の基盤だ。職場や学校よりも、たいせつな場所だ。その場所で、ずっと、自分がこの世で一番きらいな音にさらされ続けるということが、生活全体にどういう影響を与えるかわかってない。

 

「わかってないなら、説明すればいい」と思うかもしれないけど、説明しても、わからないやつはわからない。「わかってないなら、説明すればいい」と書いたけど、これは、「相手がわかってないようなのであれば、あなたがちゃんと説明をすればいい」という意味ね。主体と客体を明示するとそういうことになる。けど、日本語の特徴を考えると「わかってないなら、説明すればいい」で伝わるはずだ。けど、誤解をまねくといけないから、説明しておいた。


まず、こういう人たちが無視するのは、気違い兄貴の意識なんだよな。態度と言ってもいいけど、気違い兄貴の態度全体が、わからない。普通の人には、「うち」の兄貴の態度全体がわからない。そして、気違い兄貴自身もわかってないところがある。これは、親父と同じなのである。兄貴は、親父のコピー。兄貴の態度は、親父の態度のコピー。兄貴の認識システムは、親父の認識システムのコピー。

で、これが、異常だから……異常すぎるので、ほかのひとにはわからない。そうすると、自然に誤解をするということになる。そして、誤解のうえに本人の意見を成立させることになる。前回、書いたけど、本当に厄介な話だ。こいつら、つねに、誤解しているし、誤解しているということがわかってない。佐藤みたいな思慮深く、洗練されたやつが、普通に誤解するというのが、やっかいなところだ。
 

2020年9月11日金曜日

うしろでベルを鳴らすと、ころびそうだからどうしましょうか


つまらない。
いま、時間ができてしまっている。
午前9時には家を出る予定だ。
2020年06月12日07時57分32秒
約1時間、どうやって時間をつぶすべきか?

むかし、線路の横にある道を通ったとき、ちょっとした出来事があった。線路を横断して、その道に入ったとき、若い夫婦が道をふさぐような感覚で歩いていたので、ベルを鳴らすかどうかまよった。

で、夫のほうが気がついて道を開けてくれた。そのあとが問題なんだ。前を、小さな子供(幼児)が走っていた。たぶん、四歳ぐらいかな。「わわわわーわーーー」という感じで走っていた。で、その子のうしろで、ベルを鳴らすと、振り返ってころぶ感じがした。

足は走っている状態で前に出ているのに、振り返るために、左うしろうを見た場合、左側に倒れてしまう。子供が走っているところと道の関係から言って、自転車は左側を通るしかない。ようするに、「ちりんちりん」とベルを鳴らすと、走りながら「なんだ」と思って、そっちのほうを振り返るので、足がたどたどしい幼児だからころんでしまうのではないかと思った。

なので、ちょっととまって、考えていたら、父親(夫婦関係でいうと夫)のほうが、子供に「おい、とまれ」と声をかけてくれた。なので、「あーよっかた」と思って、ベルは鳴らさないで、子供との距離を詰めた。

俺は、実は急いでいたので、なるべく、とまりたくなかった。けど、父親のほうが「おい、とまれ」「とまれって言っているだろ」「とまれ!!!」「とまれ!!!!」と絶叫しても、幼児がとまらなかった。

で、俺は、一メートルぐらい近づいたところで、やっぱり、「ベルを鳴らすと、ふりかえってころぶ感じ」がしたので、ベルを鳴らさなかった。で、幼児の動きに細心の注意を払いながら、幼児を追い抜かした。

で、かどのところまできて、うしろをみたら、幼児が、お父さんにしかられて、泣いていた。正直言ってかわいそうだった。「とまれと言ったら、とまらなきゃだめだろ!!」とどなられていたのだ。

で、母親のほうは、「ベルを鳴らさなかったんだから、しかたがない」と言っていた。で、それにこたえて父親のほうが「あんなにでかい声で叫んだのに、止まらなかったんだから、ベルなんて関係がない。あの人は悪くない」と言っていたのが聞こえた。

で、そのあと、父親が子供に「とまれと言ったらちゃんととまらなきゃだめだぞ」と言っていた。その子には、そういうおこられるような場面を作ってしまって、もうしわけなかった。「しまったな」と思った。かわいそう。わかるんだよな。「わわわわーーー」って時が、幼児にはある。けど、やっぱり、あの足どりとあの速度だと、振り返って足がもつれてころぶ。幼児にとっては全速力だからね。

うしろで、ベルが鳴ったら、どうしたって、うしろを向く。まあ、大人なら、前に走りながら振り返ってもころばないけど、幼児だと、ころぶ可能性が高い。まあ、基本、夫婦にたいして、「(お子さんの)うしろでベルを鳴らすと、ころびそうだからどうしましょうか」と問うべきだったのかもしれない。

まあ、父親がどなって「とまれ」と言ったら、とまるべきだということを学んだということでいいのか。その子供も、いまはもう、たぶん三〇歳ぐらいだと思う。もう、そういう出来事があったということを忘れているだろう。

2020年9月10日木曜日

まちがった仮定で、まちがった結論を述べる人たち


幼稚園がうるさい。運動会の練習が始まった。というか、ちょっとまえから、運動会の練習はあるんだけどね。しかし、幼稚園のうるささと、兄貴のヘビメタのうるささを、いっしょに語ることはできない。同じではない。本当に兄貴のヘビメタは破壊的。あの音の中に一秒間いたら、一秒間、猛烈に苦しい。あの音の中に一時間いたら、一時間ずっと、猛烈に苦しい。勉強なんてできない。ただひたすら、苦しむだけの時間だ。

普通の騒音と、うちのヘビメタ騒音を同じレベルの騒音だと仮定してしまう人達がいる。その人たちは、仮定のレベルでまちがっている。まちがった仮定で、まちがった結論を述べることになる。そして、それは、その人たちのなかでは、真実だから、自分たちがまちがっていることを言っているとは思わない。

けど、まちがった前提で、まちがったことを言っている。気違い兄貴のヘビメタを経験してないから、わからない。まちがっているということがわからない。

どうしても、その人の『固有の』騒音体験をもとにして、騒音を考える。そうすると、鳴り終わったら、どんな騒音も関係がないと思ってしまうのだ。

そんなことはないのに、そう思ってしまう。

だから、必然的に俺を低く見ることになる。『誰だって騒音ぐらいある。エイリさんが騒音に弱いから、そんなふうになっているのだ』と思ってしまう。違うんだよ。

ぼくは、騒音感度は普通の人と同じだった。そして、生活体力は、じつは普通の人よりもあった。生活体力というのは、いろいろなことが関係しているけど、生活体力の一部は、一定の時間に起きて、決められた場所に行って、決められた活動をして、帰ってくるという能力に直結している。

いまでこそ、テレワークがはやっているし、いまでこそ、雇われない生き方が可能だけど、むかしはそうではなかった。自営業をする場合も会社で修行をして、そのあと、ひとりだちするというのが一般的だった。インターネットがない世界では、自宅で働くというのが、とてつもなくむずかしいことだった。

ともかく、通勤して働くのが当たり前の世界では、働くというのは、通勤して働くということなのである。

だから、通勤がそもそも、できないのであれば、それは、すなわち、働けないということだった。こういうことがわかってないのである。兄貴のヘビメタを、兄貴の態度でやられなかったやつらが、俺を「甘い」と言い出す。「甘えている」と言い出す。

『通勤ができない』なんていうのは甘えなのである。「通勤はたいへんだけど、みんなやっている。甘えるな」ということを言い出す。けど、そいつも、そこで語られている「みんな」とやらも、ヘビメタ騒音を浴びていない人たちなのだ。何年間も毎日、ヘビメタ騒音生活をしてない人たちなのだ。俺は、ヘビメタ騒音にたたられながらも、毎日……平日は……学校に通っていた。「ならいいじゃない」と悪意がある人たちは言うのだ。「よくない」。よくないんだよ。よくない。

体力がある俺ですら、ヘビメタ騒音で働けなくなった。それまでに七年間かかっている。それが重要なのだ。時系列的なことがわかってない人は、俺が『ヘビメタ騒音をやられる前は』健康だったという話をしているのに、それがわかってない。健康だった俺が、不健康になってしまうほど、ヘビメタ騒音が『強力』だったのだ。そして、いま現在は、働けないからだになっているわけだから、よくない。『ならいいじゃない』ということにはならない。けど、そういうことを言う人たちは、いろいろなことを混同して、いやみで、そういうことを言っている。これ、「いやみ」なんだよね。俺のことをせめたい気持ちがある。だから、わざと、ほんとうなら理解できることを理解せずに、あるいはまた、時系列的なことを考えずに、「ならいいじゃない」と言いやがる。「ならいいじゃない」と言ったやつはみんな、ヘビメタ騒音に相当する騒音を、自分の人生のなかで、経験しなかったやつらだ。
 

2020年9月5日土曜日

『本人』だって「できない」ようになるのに、それがわかってない。


「ものすごい音でヘビメタが鳴ってたんだぞ!!」「ものすごい音でヘビメタが鳴ってたんだぞ!!」「ものすごい音でヘビメタが鳴ってたんだぞ!!」と怒鳴りたくなるときがある。
「俺が怒鳴る声の、一〇〇倍でかい音でヘビメタが鳴ってたんぞ!!」と怒鳴りたくなる。

どれだけ、でかい声で、怒鳴ってもヘビメタの音にまける。ほんとうに、気違い的にでかい音で鳴ってた。気違い的にでかい音でずっと鳴っていると、ほんとうにできなくなることがあるのである。本当にできくなるのである。あーー、それなのにそれなのに、ヘビメタ騒音の影響を無視するやつが、いろいろな「できないこと」を押しつけてくる。こういう、世界になってしまう。ヘビメタ騒音がなければ!!!できる。けど、ヘビメタ騒音が鳴っていると「できない」。けど、他人には、ヘビメタ騒音がどれだけでかい音でなっているかわからないし、そういう音がずっと鳴っている状態で生活すると「できなくなる」といこうとがわからない。

自分の体でわからない。自分の経験でわからない。その人たちが経験した騒音というのは、ヘビメタ騒音相当の音ではない。ヘビメタ騒音ほどでかくないし、ヘビメタ騒音ほど「ながく」続かない。どれだけ、騒音で体がぼろぼろになるかわかってない。

ほんとうに、「すべて」に影響を与える。この「すべて」というのは、非・合理的な思考ではない。そりゃ、影響を受けたら、影響を受けるでしょ。たとえば、毒をもられた場合、毒が効いている時間は、「すべてのことが」影響を受ける。毒が、後遺症をもたらすものであれば、毒を飲んだあとずっと、影響がある。体に影響がある。すべてのことを、毒に影響を受けた体でやることになるので、すべてのことが、影響を受けていると言っても、非・合理的ではない。

むしろ、毒の影響を無視して、「過去において毒を飲んだって、いまには影響がない」と考えるほうが非・合理的なのだ。どうして、これが、わからないか??

まあ、影響が残るような、繰り返される物理刺激を経験したことがないのだろう。影響は残る。けど、他の人は、経験的にわかってないので、影響は残らないと思っている。影響は残らないと思っている人から見ると、ぼくが言っていることが非・合理的に見えるのである。こだわらなくてもいいことにこだわっているように見えるのである。甘えているように見えるのである。ダメ人間のように見えるのである。

本当に、ヘビメタ騒音は、『その他の時間』を追い出してしまうのである。これがわかってない。ヘビメタが一二時間鳴っていたら、四八時間、働いているのと同じことになる。そういう疲れがある。そういう疲労がたまる。

半日で、二日ぶんの遅れが出る。一日は二四時間しかないのだけど、気違いヘビメタが一二時間鳴っていると、四八時間分の『おくれ』がしょうじる。四八、引く、一二で、三六時間が消えしまう。〇時間で三六時間ぶんの『疲労』を回復しなければならなくなる。ヘビメタの毎日というのは、そういう毎日だ。切羽詰まっている毎日なのである。宿題だって、できない。うちでやることは、ほとんど全部できなくなる。

 

学校でやることに関しても、じつは前の日や、前の前の日の影響がある。一〇〇〇日つづいたら、一〇〇〇日ぶん、つもっている。遅れも、疲労も、つもっている。体の感覚としてそういうことがわかってないのは、『本人』が自分のこととして、経験してないから。ヘビメタ騒音か『本人』にとってヘビメタ騒音級の騒音を経験してないから。『本人』が、俺よりすぐれているからではない。『本人』が、俺より体力があるからではない。『本人』が、俺より根性があるからではない。けど、経験してないと、ほぼ一〇〇%の『本人』が、そういうふうに誤解する。


これがわかってない。あとは、「できる」というのは、ヘビメタ騒音がない状態ならできることだから。……ヘビメタ騒音を経験してない人は、ヘビメタ騒音がない状態でできることを『人間が』できることだと思っている。俺もヘビメタ騒音がなければ、できるけど、ヘビメタ騒音がある場合は、できない。どーーしてもできなくなる。それは、たぶん!他の人間もおなじだ。

他の人間とぼくの違いは、じつは、ヘビメタ騒音を経験したかどうかなのである。言っておくけど、ただのヘビメタ騒音ではなくて、この世でぼくが経験したヘビメタ騒音だ。逃げられないところで、気違い家族が鳴らしているヘビメタ騒音だ。ほんとうは、本人にとってヘビメタ騒音級の音を鳴らされ続ければ、『本人』だって「できない」ようになるのに、それがわかってない。


 

2020年9月1日火曜日

発狂モードでやり続けたことは、どれだけやったってやってないことになっている……


ヘビメタ騒音でくるしい記憶しかない。だいじなことは、ヘビメタ騒音の中で、もげて、こぼれていった。

俺が「できない」と言ったら「できない」のに、ヘビメタの影響を無視して、勝手なことを言いやがって。

全部、そういう関係になっちゃうだよな。人知れず、ヘビメタが鳴り始めてから、ずっとそうだ。

「鳴ってた」と言っているだろ。「ヘビメタでできない』と言っているだろ。くそ、こいつら。自分だって同じことをされたら……同じ時期に同じことをされ続けたら、だんだん「できなくなる」のに……。やられてないから、わからないだけ。

わからないから、「みんながんばっている」「ヘビメタ騒音なんて、そんなのはいいわけだ」と言ってくる。

ヘビメタ騒音が鳴っていると、まわりのやつにそういうことを言われる状態になる。まわりのやつは、じつはヘビメタ騒音にさらされていないのに、「そんなのは、たいしたことじゃない」と決めつけて、偏見に満ちたことを言う。

その偏見は、ヘビメタ騒音ということをぬかせば、共同幻想に合致したものだから、自分がへんなことを言っているという気持ちが生じない。正しいことを言っていると思っている。

けど、それは、ヘビメタ騒音のことを「ぬかした」話だ。おまえらがヘビメタ騒音のことを『無視して』も、ヘビメタ騒音はあるからある。

あったからあった。

影響は、うける。不可避的にうける。

これも、やられてないやつが、「影響をうけないことは可能だ」と、ほとんど無意識的に前提して、まちがったことを言い出す。言ってくる。

けど、これも、本人たちはまちがったことを言っていると思ってない。で、家に帰って、気違い兄貴ともめる。

気違い兄貴は、気違い親父と同じで、どれだけ言われても、わからない。

これ、殺さなければやめさせることができない。

これも、今まで話した一般人の態度とは関係がないけど、自分にとって不都合なことを言われたら、カッときて、怒り狂って、耳は正常なのに、なにも聞こえないという状態になる。

そういう状態でやりきる。

で、やりきったら、言われたということがわかってない状態になる。やめろと言われたのに、やりきったという記憶がまったくない状態になる。それの、くりかえし。毎日毎日、同じだ。


そういう状態でやったことは、まったくやってないことになる。本人のなかでは、やってないのとまったく同じことなのである。自分がやってないことについてやったと言われたという、反発が生まれる。これも、親父と同じなんだよな。自分が、気違い的な意地でやったことは、全部、全然知らないことなのだ。やったのに!! 頭がおかしいから、夢中になって、相手を無視するモードでやったことは、まったくやってないのと同じなんだよ。等価なの。頭のなかでは、無視モードでやったことは、まったくやってないことと同じなの!!

これも、他の人にはわからないから、「エイリさんがちゃんと言わないから悪いんだ」みたいに言われる。同じなんだよな。

ぜーんぶ、しくみが同じ。他の人から誤解されようにできている。やられた人が、他の人から誤解されるようにできている。うちでは、そうなんだよ。うちでは、やった人じゃなくて、やられた人が、『まったく関係がない他人』から、誤解をうけるようになっている。

それは、うちでやっている人の頭の構造が、『まったく関係がない他人』には、わからないからだ。必然的に誤解をうけるようになっている。

けど、やっているやつは、もちろん、そんなことは理解しない。どれだけそういうことを説明されたって、理解しない。同じように「はねのけて」おしまいだ。

そして、頑固にやり続ける。発狂モードでやり続ける。発狂モードでやり続けたことは、どれだけやったってやってないことになっている……。これが、他の人には、まったくわからない。
 

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。