2020年8月30日日曜日

『人間がいやだ』という気持ちになっている

 

この先どうするかな??

こころが破壊されているのだけど、修復できるかね?

『人間がいやだ』という気持ちになっている。もちろん、ほんとうは人間全部ではない。俺に対して悪いことをやってきた人間のイメージがもとになっている。神はやはり、俺も含めて人間を「しょーーもないもの」としてつくったと思う。まあ、神がつくったのではないとしても、いまの人間というのがしょーーもない」存在であることは疑いがない。 悪い奴らがイメージのもとなのだけど、いい人も含めて、しょうーーもないところがある。もちろん、ぼくも分有している。人間はもともと、ものすごく自分勝手な存在としてうまれてくる。何割かが、なんとか、多少は自分勝手ではない状態になる。けど、基本は、自分勝手なんだよ。そして、自分の認知が自分の認知であるということが、この性質を裏付けている。自分の認知が自分の認知である……自分の認知が自分の認知でしかない……ということは、人間の認知の限界を示している。

 

2020年8月23日日曜日

そいつの人生なかで生じなかったから、そいつは、『普通の体』『働ける体』を維持しているだけ


ほとんどすべてのことが、『ムリ』になってしまう、プロセスがある。それは、たとえば、走ると呼吸が激しくなるのと同じで、人間の体としては、ごく普通の反応だ。

しかし、走ることとは違って、刺激のほうが異常なのである。
だから、異常な刺激で、おかしくなる。

これは、ほんとうは、だれだって、そうなるのに、だれも……俺以外だれも……経験したことがない連続した刺激なので、他の人にはわからない。「そういうふうになる」ということが他の人にはわからない。まったく聞いたことがない異世界の言語を聞かされているようなものだ。

けど、俺のからだはこの世にある。

だから、理解してない他人が、「そんなのはおかしい」と言ってくる。「そんなのは、関係がない」と言ってくる。「(できないなんて)そんなのはあまえだ」と言ってくる。

俺が、異常であるかのように言うのだ。しかし、俺は異常じゃない。気違いヘビメタが異常だったのだ。そして、気違いヘビメタを……あれだけでかい気違いヘビメタを……絶対の意地で鳴らし続けて、まったく気にしない兄貴が異常だったのだ。

けど、実際にやられてない人にとっては、そんなことは『関係がない』。だから、ぼくには、学校にいるときは、ちゃんとした生徒として動いてほしいわけだし、学校を卒業したあとは、ちゃんとした社会人として動いてほしいわけだ。

けど、ぼくの体は、ヘビメタ騒音で崩壊していた。

崩壊のプロセスはある。

けど、誰にもわからない。
そりゃ、親友だって、母親だってわからないのだ。
わかるはずがない。

体の反応は正常なのに、異常な刺激が十数年間毎日つづいて、体が、『異常な状態』になった。その場合、ヘビメタ騒音の影響を無視する他人は、『異常な状態である俺』をせめるのだ。

ほんとうは、俺と同じ部屋で暮せば、そいつだって、『働けない体』になるのに、『働ける体』を持っているそいつは、『働けない体』を持っている俺よりも、一段も、二段も、三段も偉い人間だと思ってしまうのだ。

一段も、二段も、三段も上の人間として、俺にダメ出しをしてくる。……たまたま、そういうことが、そいつの人生なかで生じなかったから、そいつは、『普通の体』『働ける体』を維持しているだけなのに、俺のことをバカにしてくる。

崩壊のプロセスはある。

 

崩壊のプロセスは重要だ。

 

どれだの時間をかけて「こわれた」のか、他のやつは、わからない。わかってない。俺がひとことで『できない』と言ったとき、その『できない』にどれだけの意味がこめられているのかわからない。その意味は、経験によって生じたもので、経験を通して理解しなければ理解できない。


なので、言葉でどれだけ言っても、他のやつは理解しないということになる。
 

2020年8月22日土曜日

四〇年前のことが、二、三日前のことのように感じる。

五分で三〇年ぐらいたったような感じだな。

ここにいると、三〇年前のことが、ついこないだのことのようだ。

四〇年前のことが、二、三日前のことのように感じる。

 

もう、まるまるまるだな。 



それにしても、疲れた。疲れが頂点。『ヘビメタの朝』がつらかった。それも同じだな。けっきょく、ずっとやられたままだ。……やられたままの世界をいきている。他の人たちは、やられてないから、まったく理解してない。実際の体験がないから、体験がないところで、適当なことを言う。ちがうんだって……。ちがうの……。ちがう。

 

そりゃ、だれだって、疲労は経験したことがある。疲労感』もわかっているつもりだ。けど、ちがうんだよ。ヘビメタ騒音がはじまってからの疲労は、それまでの疲労とは違うの……。質的にまったくちがうの……。だから、他の人が理解できない疲労感が抜けない。他の人が人生のなかで経験したことがない疲労感が抜けないまま、次の『ヘビメタ騒音』がつもっていく。

 

気違い兄貴のやり方にしたって、他の人は、わからない。そりゃ、気違い親父が作った家で、気違い親父にやられないとわからない。理屈としてもわからない。気違い兄貴のヘビメタのやり方が、気違い親父の『すべてのことに関するやり方』と同じなんだよ。けど、それだって、じゃあ、気違い親父のやり方とはなにかということを説明しなければならなくなる。で、説明しても、わからない。疑問を持ったままだ。「そんなひといるのかな」「そんなことってあるのかな」と疑問を持ったままだ。俺の言うことを信じない。

それなら……俺が言うことを信じられないのであれば、すべてが、わからない。俺が言っていることのすべてがわからない。

あとは、書いていて思ったことだけど、「たまたま論』は成り立たない。この「たまたま論』というのは、認知療法家が持っている理論だ。いまの、話に関係したことで言えば、『お父さんは、たまたまそうした』という解釈をする。『たまたま、そうしただけなのだから、理由を考えるのはムダだ』とか『たまたま、そうなったのだから、いつもそうなると考える必要はない』とかいうような理論も付け加わる。プールで「たまたま」背中を押されて、プールに落ちた。それ以降、水がこわくなった……。けど、「たまたま」そういう事が起こったということを理解すれば、水は特にこわいものではなくなるという理論だ。

 

たとえば、背中を押したのが父親だったとしよう。そうなると、父親が、たまたまやったことだから、いつもそうなると考えるのは不適切だ……と考えるのだ。たまたま、一回発生したことが、何回もずっと発生すると考えるのは、おろかなことなのだ……と認知療法家や認知療法家は考える。『たまたま論』にしたがえばそういうことになる。

 

けど、構造としてくりかえしている場合は、ちがう。認知療法家や認知療法家のファンは、そういうのがまったくわかってないのだ。

 

これ、どこかに書いたことがあるから、ここでは書かないけど、構造としてくりかえしていることを、『たまたま論』で説明しようとするのは無理がある。けど、認知療法家は、脳の機能障害やや無意識を無視するので、どうしても、『たまたま論』でかたづけるしかない。『たまたま、起こったことだから、これからも起こり続けと考えるのはナンだ』とか『たまたま、起こったことだから、理由を考える必要はない』と認知療法家は考える。たまたま、起こったであるなら、それでいいけど、『たまたま論』では説明できないことが、人間生活のなかにはある。


2020年8月21日金曜日

『騒音と言っても騒音の騒音が違う』なんて言っても

 
けっきょく、気違い兄貴がヘビメタをやっていたときだけ、ものすごい騒音を経験したということになる。後にも先にも、気違い兄貴のヘビメタ騒音に相当する騒音を経験してない。『騒音』と言っても、『騒音』の『騒音』が違う。程度が違う。この程度の違いが、実際に、気違いヘビメタ騒音生活をしたことがない人にはわからない。幼稚園の騒音だって相当にうるさい。けど、それは、生活全体を破壊しない。人生全体を破壊しない。気違い兄貴の騒音は、生活全体を破壊して、人生全体を破壊する。そういう騒音だ。『騒音』の『騒音』が違う。後にも先にも、気違い兄貴がヘビメタを鳴らしていたときだけ、ヘビメタ騒音級の騒音を経験した。俺の横で鳴らしていたのでそういうことになる。俺にとってはそういうことなのだけど、だれもわからない。ヘビメタ騒音を経験したことがないから『普通の騒音』とヘビメタ騒音級の騒音の違いがわからない。音の大きさの違いも、音が与える影響の違いもわからない。気違いヘビメタは、まがいなりにも、旋律がある。曲として成り立っている。同じ旋律があの濃度で、あのデカさで、ガンガンなっている状態というのが、他の人にはわからない。
騒音と言っても、いろいろあって、ぼくにしても、気違いヘビメタ騒音のような騒音は、気違い兄貴がヘビメタに凝っていたとき以外、経験していない。聞いてない。他の人は、『騒音』は『騒音』だと思っている。話にならない。そして、勝手に誤解をして、勝手に偉そうなことを言う。佐藤や日本労働教の教えをまもっている人が言うことは、全部、まちがっている。その人たちが、騒音と騒音の影響について、まちがった認識を持っている。まちがった前提でまちがったことを言って、いい気になっている。けど、ここで問題なのは、ヘビメタ騒音級の騒音を経験した人が少ないということだ。その人たちしか、ぼくの言っていることがわからない。『騒音と言っても騒音の騒音が違う』なんて言っても、他の人にはわからない。圧倒的多数派には、ぼくが言っていることがわからない。圧倒的多数派は、僕に対して、まちがったことを言ってくる。そして、それがまちがっているということを俺が説明しても、わからない。彼らにしてみれば、『騒音は騒音』だからだ。
気違い兄貴や気違い親父にかかわると「どはずれ」なことになってしまうんだよな。あまりにも「どはずれ」だから、普通の人にはわからない。普通の人の認知の範囲外にある。普通の人たちは、どうしても、全体的な思考になってしまう。「場合わけ」ができない。ヘビメタ騒音級の騒音を経験たことがないのだから、ヘビメタ騒音級の騒音を経験した場合と、そうではない騒音を経験した場合を、わけて考えることが、できない。自分の経験に基づいてん考えようとするとそうなる。自分の経験を超えたことも考えるとしても、それは、考えの中の経験でしかないので、実際の経験とは異なる。

2020年8月17日月曜日

五〇年間働いた人の二倍ぐらい疲れた状態になっていた ……いや一〇倍ぐらい


本当にみんな何歳まで生きて、何歳まで働くつもりなんだろう。あれほど無職をバカにしていたのに、本人が無職になるのは、別にかまわないわけだからな。

自分のからだがおとろえて、限界を感じたら、働かなくてもいいわけだから。

俺のからだは、気違いヘビメタで、相当にだめになった。ヘビメタ騒音の一〇年間は、労働の一〇〇年間に相当する。

なので、ぼくは、ヘビメタ騒音歴の一一年目から、からだに限界を感じて、働けない状態になった。
たとえばの話だけど、七〇歳の人が、『もう、からだが思うように動かないな』と思って、仕事をやめたとしよう。その人は、無職になるわけだけど、自分が無職になる認識はできているのだろうか。

もしも、そいつが働いていたときは、働いてない他人に対して「つらくても働かなければならない」「からだが動かないなんていうのあまえだ」「みんな、つらくても頑張って働いている」と言っていたやつだとしよう。

そういうことを言っていたのに、自分のからだがつらくなったら、「もう、自分は働かなくてもいい」ということを言い出すのだ。

からだがつらくなったら、働かなくていいということになるのか? 『人は』働くべきなのではないのか? そいつは、「からだがつらいから働かないなんていうのは、あまえだ」と言っていたやつなんだぞ。他人にはそういうふうに言っておいて、自分の場合はいいのか?
 

 

としをとって、からだを動かすのがつらくなったから、働くのをやめるのならば、そいつはヘビメタ騒音で働けなくなった俺に、説教をする資格がない。


ヘビメタ騒音の疲労は、七〇歳まで五〇年間働いた疲労よりも、大きい。はるかに大きい。そいつは『もう働けない』と思うような疲労を感じた。俺は一八歳のときに、『もう働けない』と思うような疲労を感じた。そいつだって、七〇歳のとき、なんとか日常生活はできるのだから、日常生活をする体力と、通勤して働く体力は違う。

五〇年間働いて、ムリができない状態になった。

働けない状態になったということだ。

 

俺の場合、ヘビメタ騒音の一〇年間は、普通の人の一〇〇年に相当する。

そういうことを無視して、俺に『人は働かなければならない』なんて言ったやつは、どれだけ、からだが動かなくなっても、死ぬまで……死ぬ寸前まで、働くべきだ。なぜなら、その人は、たとえ、働きにくいからだになったとしても、人だからだ。

「人は働かなければならない」のだから、からだが動かなくても……働くべきだ。こいつは、俺に言ったことの意味がわかっているのか?


自分が言ったことの意味がわかってないのだろう。それか、ヘビメタ騒音の影響を無視しているのだろう。俺は、一一歳のある日から二五歳のある日までヘビメタを毎日毎日、鳴らされたけど、二〇歳のときには、働けないからだになっていた。

それは、五〇年間働いた人が、働けないからだになるのといっしょだ。あるいは、それよりもひどい状態なのである。五〇年間働いた七〇歳の人よりも、ヘビメタを一〇年間経験した二〇歳の俺は、五〇年間働いた七〇歳の人よりも二倍ぐらい疲れた状態になっていた。……いや、一〇倍ぐらい。


 

こいつが勝手にヘビメタ騒音の影響を無視して、あるいは、過小評価して、頭がおかしいことを言っているだけだ。人には、働くように言うけど、自分が疲れたら、自分は働かなくてもいいなんて、自分勝手すぎる。都合がよすぎる。あまえている。 

 

*     *     *


ヘビメタ騒音さえなければ、こんなアホに、こんなアホなことを言われなくてもすむのに……。実際には、この世で、ヘビメタ騒音があったので、アホなことを言われる。アホなことを言われる機会が増えてしまう。アホなことを言っているやつは、アホなことを言っているつもりはない。重要なことを言っているつもりなのである。正しいことを言っているつもりなのである。ただ単に、ヘビメタ騒音が見えてないだけだ。ヘビメタ騒音の影響が見えてないだけだ。

 

自分だって、俺と同じヘビメタ騒音生活をすれば、働けないからだになるのに……。それがわかってない。わかってないアホが、正しいことを言っているつもりで、アホなことを言ってくる……。これは、地獄ではないか? この世の地獄だ。

2020年8月13日木曜日

毒を飲んだからといって、毒に反応する必要はないと言っているに等しい。


つねに、からだを焼かれるような状態で暮らしていた。つねに、くるしかった。ヘビメタ騒音なしで、生きたかった。ヘビメタ騒音なしで普通に暮らしたかった。

 

どーしても、ヘビメタ騒音でくるしい。

 

鳴っているさいちゅうだけでなく、ヘビメタ騒音を鳴らされたあとは、ずっと、くるしかった。

 

やられてしまったら、どうしても、ヘビメタ騒音の影響を受ける。影響を受けて暮らさなければならなくなる。「だいじょうぶ」と言えばだいじょうぶ。平気だと言えば、平気になるといった気楽さはない。そういう言霊がまったく無力化する空間がある。生活がある。経験してない人は、それがわからない。

 

だから、軽いライフハックみたいなアドバイスを、俺にしてくる。その人にとっては、ヘビメタ騒音というものは、そういうことで解決できるような感じがするものでしかない。けど、違う。違うので違う。正論ぽい、まったく無効なアドバイスは、人を傷つける。

 

ほんとうは、ヘビメタ騒音の影響をまったく無視して、アドバイスしているからだ。

 


認知療法的なアドバイスも同じだ。「影響を受ける必要がない」と言っても、影響を「不可避的に」受けている。けど、やられてないから、ヘビメタ騒音生活の「全体」がわからない。やられているときの状態が……やられてないときの状態に影響を与えないはずがない。

こんなの、「なぐられたからといって、いたがる必要はない」とか、「なぐられたからといって、青あざを『つくる』必要がない」と言っているのと同じだ。どうしたって、からだが影響を受ける。そういう時間があったということは、そのあとの時間に影響を与える。

「毒を飲んだからといって、毒に反応する必要はない」と言っているに等しい。

 

 音は物理的な刺激だから、影響を受ける。でかすぎる音にはからだが「はんのう」する。そして、でかすぎるが鳴っている時間が長ければ、そのあとの時間にも影響を与える。どうして、こんなことがわからないんだ。どうして、こういうことを意図的に否定するんだ。『影響を与えるはずがない』と考えるんだ?

 

『説得しよう』『明るく生活してもらおう』『ちゃんと働いてもらおう』という意図があるからなんだろうけど、影響は不可避的に生じるので、影響を無視したアドバイスや影響を過小評価したアドバイスは、適切ではない。現実を無視している。でかすぎるヘビメタ騒音……長すぎるヘビメタ騒音の影響を無視する人たちは、間違いをおかしている。

2020年8月12日水曜日

はねのけてやっているのに、やったつもりが、ぜんぜんない


なんでぼくの人生は、気違い家族に荒らされる人生なんだ? 気違い的な意地でやったやつは、まったくやってないと思っている。つねに!そうだ。やってないつもりで、やる。気違い的な意地でやる。頑固にやる。頑固にはねのける。はねのけてやっているのに、やったつもりが、ぜんぜんない。しょうじない。「やった」と言われると、頑固に否定する。その頑固さが同じなんだよ。で、否定して、当の行為をやってしまう。頭がおかしいから、わからない。ぜんぜん悪意なく、そういうことをやりきる。

2020年8月8日土曜日

意識的な努力は、作用の反作用として機能してしまう


みんな、気違い的な親がどういうふうにたたるかわかってない。
影響を受ける必要があるか、ないかなんて考えられるわけがないだろ。気違いが、死にものぐるいになってかかってくるんだぞ。「よし、影響を受けよう』と思って影響を受けたのではないので、『影響を受けるのはやめよう』と思っても、影響を受ける。それから、必死になって……意識的な部分では『影響を受けないぞ』と頑張ると、無意識的な部分が反応して、神経症の症状が形成されるのである。だから、この場合『影響を受けないぞ』という意識的な頑張りが、神経症の症状を生み出す直接的な原因のひとつになってしまうのである。それが、認知療法家には、わからない。そして、認知療法家の影響を受けた人もわからない。
 

 
気違いの認知のほうが、押しがちしてしまうのである。それが問題なんだよ。それが直接的な原因なのだけど、『気にしないようにしよう』『影響を受けないようにしよう』という意識的な努力は、作用の反作用として機能してしまう。ようするに、押しがちされてしまったということが、作用で、気にしないようにしようという意識的な努力が反作用だ。しかも、気違いの親が『押しがち』しているにも関わらず、押しがちしているとは思ってないのである。やっている本人がやったと思ってない。気違いが、意地を押し通してやったにもかかわらず、気違いが「やってない」と思っている空間全体が、神経症の症状を押し出すのである。もちろん、やられたほうの神経症だ。いったんそうなると、『おかしいのは子供の方だ』ということになる。

精神異常である親はいる。しかも、精神異常の『以上』が微妙で、うちでだけ、妄想的な怒りを爆発させる人がいる。本人にしかわからない理由で起こっている。しかし、本人もわかってないのだ。けど、気違い的な怒りを感じているのは確かなのだ。普通は、理由がないことでは怒らないけど、そういう親は理由がないことでおこる。けど、それが、よその人にはわからない。『理由もなくおこる親なんていない」と信じている人たちは、子供の訴えを、まともに聞かない。そして問題なのは、理由がないことで怒り狂っている親が、怒り狂ったということを、怒り狂った瞬間にわすれてしまうのである。ぜんぜん関係がないことになってしまうのである。こんなのは、狂気も狂気のだけど、普通にやる。ちなみに、そうやって、意地を張っている親を説得するというのはムリだ。怒っている真の理由を聞き出そうというのはムリだ。気違いを相手にすることがどれだけ無意味なことか、普通の人はわかってない。相手は、妄想のなかで怒り狂っている。そして、対象は、リアルな子供だ。妄想的な理由で、リアル世界の子供を対象にして怒り狂う。目の前の子供に向かって、気違いしかわからないようなへんな理由で怒り狂う。で、このときの、強情さがまた、気違いなのだ。気違いとしか言いようがない。『殺して排除しなければ、言うことを聞かせる』ということができない。ようするに、『怒らないようにしてもらう』ということができない。もう、本当に、まるで違う交流(コミニュケーション)なのである。気違い的な親にたたられてない子供時代を過ごした普通の人は、この交流について理解することができない。他の人は……健常者に育てられた人は、異常者に育てられた人間の言葉を信じることができない。

 

気違い親父がわけのわからない理由で、怒り狂っているときの頑固さがすごい。強情さがひどい。

「このときの強情さが、また気違いだ」と書いたけど、兄貴がヘビメタを鳴らしているときも同じなんだよ。まったく同じ仕組みが成り立っている。殺さなければ、やめさせることができない。相手は……つまり、親父や兄貴は、気違い的な意地でやりきって……やりきったということを、気違い的な意地で認めない。

 

俺が、どれだけ、他の人に受けないことを書いているかわかる。こんなことを理解できるのは、よっぽど頭がいい人か、実際に同じようにやられた人でしかない。割合としては本当に、小さい。どこまでも、例外的な少数者。例外的な少数者というのは、多数者から理解されない。多数者には、理解しようとする理由がない。少数者がどうして、そんなこと!にこだわって!!いるのか、多数者は、わからない。多数者から見ると、その、やられた方の少数者が非合理的なことを言って、こだわる必要がないことにこだわっているようにしか見えない。 

 

 


2020年8月7日金曜日

俺が言っていることは、他の人には理解されない


俺が言っていることは、他の人には理解されない。他の人は、俺が言っていることがわからない……。こんなのは、どれだけ書いてもムダだ。ムダ!ムダ!!

けど、書かざるを得ない。実際にそういう事があったわけだし……。こういうレベルの騒音にさらされ続けると、「人類」はどうなるかということは、実験できないわけだから、実際に経験した俺が記録を残しておくしかない。

けど、他の人には理解できないということがわかってしまった。

そこまで、つたわらないのか……。

まるで理解できてない。

理解できる人はほんの少し。大半の人は、俺がなにを言っているのかわからない。まったくわかってない。それは、気違い兄貴がヘビメタを始めたときから、つづいている。気違い兄貴がヘビメタを鳴らし始めたとき、俺は小学六年生だったけど、小学六年生のときから、ずっと理解されてない。

俺が、『兄貴のヘビメタ騒音』について語っても、他の人は、デフォルトで理解しない。他の人が無視するのは、大きくわけてふたつある。

ひとつは、影響の大きさだ。この世で一番キライな音が、ずっとなっているということが、どれだけの影響を与えるか、他の人は理解しない。他の人にとっては、「そんなのはたいしたことがない」ということになっている。

もうひとつは、兄貴の性格だ。兄貴の認知と態度を含めて性格と言ってしまうけど、他の人は兄貴の性格を理解しない。「そんなのは、お兄さんに言えばいい」……これが、普通の人の反応だ。どれだけ言っても他の人には理解できない部分があるから、ムダなのだけど、ぼくが認知していることと他の人が認知していることの差がでかすぎる。

他の人には、ヘビメタ騒音が小さな問題に見える。影響を受けないようにすれば、影響を最小限にすることができる問題だと思っている。けど、それは、他の人が『俺の言うことを聞いて』思ったことだ。

他の人は、現実を知らない。現実には、いろいろな情報が含まれている。他の人は、いろいろな情報がわかってない。だから、俺との間に差ができる。これが強烈にでかい差なのだ。

だから、ぼくはつねに誤解されるということになる。

しかも、誤解している方は誤解しているとは思わない。思えるはずがない。その人の知っていることを土台にして、その人の思考方法で考えているからだ。

情報にどれだけの差があるかわかってない。俺が言ったこと……を、その人が理解したことだけで、すべてだと思っている。

だから、導き出される結論がまったく違う。それは、親友でもそうなんだよ。実際にヘビメタを聞いたことがある人でも、そうなんだよ。

これは、絶望的だ。他の人は、システム的に俺を誤解するようにできている。これが、絶望でなくてなんだ? 言っていることが通じない。理解されない。


 

2020年8月4日火曜日

一番問題なのは、俺の意欲がなくなってしまったことだ


一番問題なのは、俺の意欲がなくなってしまったことだ。親父とネズミに持っていかれた。本当にくるしかったよ。
友だち、親友、彼女は気違いヘビメタに持っていかれた。ともかく、くるしいだけの世界になったよ。

ああっ、意欲も、じつはヘビメタ騒音でぼろぼろになっていた。そういうところが、他の人と違うんだよな。そもそも、違う。で、ほんのちょっと残っていた、意欲を、親父とネズミにとられた。


2020年8月2日日曜日

なんでおまえらは、過去の影響を軽く見積もる?


ヘビメタががーーーって、鳴ってた。ヘビメタががーーーって、鳴ってた。ヘビメタががーーーって、鳴ってた。……と、自分が出せる最大の声で、怒鳴っている。
みんな、わすれちゃっているけど、も!の!す!ご!い!音で鳴ってたんぞ!!!……と自分が出せる最大の声で怒鳴っている。
俺が、俺が怒鳴る声の、何十倍も、何百倍も千倍もでかい音でヘビメタが鳴ってたんぞ。……と怒鳴りまくる。

この風景に……いきているこの風景に、ヘビメタ騒音が「くっついて」いる。認知が、同じだ。いきている感じに、ヘビメタ騒音が「くっついている」。くるしい。まるまるたい。まるまるたい。

あの、感覚が、後の人生に影響を与えないはずがないだろ。過去が関係ないはずがないだろ。学生時代ずっと毎日、あんな音を聞かれさて、育って、それで人生がうまくいくはずがないだろ。過去が現在に影響を与えている!! なんでおまえらは、過去の影響を軽く見積もる? どうして、過去の影響を無視する?

あっ、そうか。気違いヘビメタにやられてない過去だからか。そりゃ、そういう、特別な過去がなければ、過去の影響なん無視できるよな。けど、どうして、あたかも、だれにでも成り立つ一般法則のように言うのだ? おまえが、「無視できる過去」しか経験してないということだろ。おまえが、「現在に影響を与えない過去」しか持ってないということだろ。

2020年8月1日土曜日

突然、さみしさを感じた。


突然、さみしさを感じた。
けど、動きたくない。どこにも行きたくない。
だれともあいたくない。
ヘビメタ騒音でくるしい。
累積ヘビメタ騒音でくるしい。
「あんときの、あれはない」と俺が言っても、他の人にはわからない。「あんとき」の体験がないからだ。「あんとき」は、何千回も何万回も繰り返された「あんとき」だ。ヘビメタ騒音でくるしい「あんとき」。ヘビメタ騒音が前の日ずっと何時間も何時間も鳴っていたので、何時間も何時間も眠れず、やっと眠れたと思ったら?起こされて、しかたなく起きた「あんとき」。ヘビメタ騒音に六年間毎日たたられて、ほとんど眠れないまま行った、試験日当日の「あんとき」。


わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。