2021年11月30日火曜日

ピンポンパンポ~~ン ここで、突然ですが、ニュルンベルク綱領と憲法97条について書いておきます

突然だけど、ニュルンベルク綱領という国際法について述べておく。

ニュルンベルク綱領というのは、憲法より上の法律だ。下位の法律と上位の法律で、内容がちがう場合、上位の法律が優先する。おなじことだけど、もし、下位の法律が、上位の法律の内容に抵触した内容を定めた場合、下位の法律は、無効だ。

ニュルンベルク綱領は、いまもいきている。こういうときのために、先人たちが、決めてくれたのだ。これ、もう、本当に感謝だ。ありがとう。

けど、実際に警察や保健所の人?や軍隊が、家の前にやってきたとき、「ニュルンベルグ綱領!!! ニュルンベルク綱領!!!」と言っても、そいつらは、聞かないだろう。なので、憲法を改正してはいけない。

憲法97条、基本的人権……これが、たいせつ。これを削除しようとしている悪魔のような国会議員がいるのだ。そして、そういう人たちを、国民が選んでしまっている。まあ、小選挙区からあがってきた人たちが多いのだけど……。だから、小選挙区からあがってきた国会議員については、小選挙区の人が選んでいるとは言える。

けど、これは……。何度も言うけど、右から左まで真っ黒。黒い立候補者のなかから、国会議員を選ぶということになってしまう。黒と黒のあいだで、いれかえが起こるだけ。選ばれた人はみんな、黒側の人。これじゃ……。

しかも、日本は、裁判所が行政や立法の味方だ。こんなの、相撲の行司が相手の力士とつるんでいるようなものだ。ようするに、裁判所も真っ黒。たよりにならない。

アメリカ軍が日本を占領し続けた?のが、こんなときに、役に立つは……。アメリカ軍の基地があってよかった。



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ニュルンベルク綱領


1.被験者の自発的な同意が絶対に必要である。

このことは、被験者が、同意を与える法的な能力を持つべきこと、圧力や詐欺、欺瞞、脅迫、陰謀、その他の隠された強制や威圧による干渉を少しも受けることなく、自由な選択権を行使することのできる状況に置かれるべきこと、よく理解し納得した上で意思決定を行えるように、関係する内容について十分な知識と理解力を有するべきことを意味している。後者の要件を満たすためには、被験者から肯定的な意思決定を受ける前に、実験の性質、期間、目的、実施の方法と手段、起こっても不思議ではないあらゆる不都合と危険性、実験に参加することによって生ずる可能性のある健康や人格への影響を、被験者に知らせる必要がある。

同意の質を保証する義務と責任は、実験を発案したり、指揮したり、従事したりする各々の個人にある。それは、免れて他人任せにはできない個人的な義務であり責任である。

2.実験は、社会の福利のために実り多い結果を生むとともに、他の方法や手段では行えないものであるべきであり、無計画あるいは無駄に行うべきではない。

3.予想される結果によって実験の遂行が正当化されるように、実験は念入りに計画され、動物実験の結果および研究中の疾患やその他の問題に関する基本的な知識に基づいて行われるべきである。

4.実験は、あらゆる不必要な身体的、精神的な苦痛や傷害を避けて行われるべきである。

5.死亡や障害を引き起こすことがあらかじめ予想される場合、実験は行うべきではない。ただし、実験する医師自身も被験者となる実験の場合は、例外としてよいかも知れない。

6.実験に含まれる危険性の度合いは、その実験により解決される問題の人道上の重大性を決して上回るべきではない。

7.傷害や障害、あるいは死をもたらす僅かな可能性からも被験者を保護するため、周到な準備がなされ、適切な設備が整えられるべきである。

8.実験は、科学的有資格者によってのみ行われるべきである。実験を行う者、あるいは実験に従事する者には、実験の全段階を通じて、最高度の技術と注意が求められるべきである。

9.実験の進行中に、実験の続行が耐えられないと思われる程の身体的あるいは精神的な状態に至った場合、被験者は、実験を中止させる自由を有するべきである。

10.実験の進行中に、責任ある立場の科学者は、彼に求められた誠実さ、優れた技能、注意深い判断力を行使する中で、実験の継続が、傷害や障害、あるいは死を被験者にもたらしそうだと考えるに足る理由が生じた場合、いつでも実験を中止する心構えでいなければならない。
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 第九十七条
 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

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手短に言うと、バカちんを凸するまえに「これは、人体実験です」と言わなければならないのだ。もちろん、凸する人が凹される人に言わなければならない。言わなければ、ニュルンベルク綱領違反。

ニュルンベルク綱領は刑事告発じゃない。すぐに、実行される。 執行されると言ったほうがいいかな。どういうことかというと、ニュルンベルク綱領に違反した者を、すぐに処刑できる。実際に『ニュルンベルク綱領に違反した者を』処刑するのは、軍隊なんだよな。

だから、ここらへん、むずかしいんだよ。

けど、ニュルンベルク綱領はかざりじゃない。こういうときのために、強烈に強い、上位の法律として、先人たちが残してくれた法律だ。言ってみれば、法的な武器だ。まさしく、こういうときのために、残してくれた。ほんとうに、ありがとう。

ニュルンベルク綱領が古いので、効力をなくしていると思う人もいるだろう。効力は、なくなってない。いまも、効力がある。いきている!!!

いまやっていること……バカちん接種は、ニュルンベルク綱領違反。

2021年11月29日月曜日

ぜーーんぶ、逆

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以下引用

ウイルスは核酸を持っていますが、代謝機構もエネルギー機構も持っていません。すべて、ほかの生物の細胞の代謝機構を借りて子孫のウイルスをつくっています。究極の寄生性の生命体であって、外界に置かれたウイルスは、まったく増えることができません。数分から数時間の後には死滅してしまいます。
(2005年放送NHK人間講座「ウイルス 究極の寄生生命体」より)

引用終了


なので、マスクで対応することはよくない。なので、透明なしきり壁で対応することは、よくない。全員がマスクをつけて感染対策をするなんていうのは、まったくまちがった対応。よくない対応。野外でマスクをする必要はない。風通しは、よくしなければならない。

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ウィルスに関しては時間の長さではなくて、量(個数)がたいせつ。かなり短い時間で、大量のウィルスが死んでしまう。感染を引き起こすにはある程度の量が必要。はっきり言えば、のどからのどに対する短時間の空気感染が必要。ものについているものは、気になくていい。頻繁にアルコール消毒をすることは、常在菌を殺してしまうことになるので、よくない。なにかの菌がつくと、それが、どばーーっと繁殖してしまうことがある。常在菌がいないと、そうなる。だから、適当に常在菌で汚染されているべきだ。それから、あのバカちんは、人の免疫システムを破壊するので、菌にやられやすくなっている。このことこそ、さけるべきこと。ぜーーんぶ、逆なんだよ。あいつらが言ってたことは、全部、悪いほうに悪いほうに誘導することだったんだよ。人が不健康になるように、がんばってきた人なわけ……。知事とか、医者とか。

だいたい、考えてみろよ。国会議員は、特別な法律をつくって、国会議員はあのバカちんを凹しなくてもいいことになっている。彼らが認めた人たちは、バカちんを凹しなくてもよいのだ。そして、ほとんどの国会議員が凹してない。なのに、密になって、ばか話をしているだろ。集まって、ぺちゃくちゃ話しているだろ。平気なんだよ。大丈夫なんだよ。そういうレベルのウィルスなんだよ。

NHKの社内だって、マスクなしで、密になって話をしているよ。普通に暮らしている。だます側の人たちは、普通に暮らしているんだよ。マスク警察がいきりたって、マスクをしてない人を注意すると、「やった」とほくそえむんだよ。分断化成功。あらそいを発生させることができたと、よろこぶんだよ。これが、彼らのやりかたなんだよ。

 国会議員は、最初のころ、「バカちんがいきわたるまでは、国会議員は遠慮して、国民の皆様方に打ってほしい」みたいなことを言ってたわけ。バカちんが、どれだけあまったって、打ちはしない。バカちんを打つとひどいことになるのがわかっているから。

それから、P社のバカちんには、最低三種類あった。(あとで、7種類に増える)。そのあとは、知らない。もっと増えたのかもしれない。三種類の話をすると、ひとつは、プラシーボ。もうひとつは、m-RNAが普通に入っているもの。そして、もうひとつはm-RNAのほかにやばい物質が入っているものだ。ほんとうは、もっといろいろ入っているのだけど、省略する。その場合、打ったふりをするには、三通りの方法がある。ひとつは、特殊な注射器を使って、打ったふりをするという方法。もうひとつは、バカちん用の注射器ではなくて、普通の注射器を使って、普通に用意した生理的食塩水を打つという方法(すがっちがやった方法)。さらにもうひとつは、プラシーボをほんとうに打つという方法だ。けど、プラシーボにもやばいものが入っている可能性があるので、製薬会社の人はプラシーボですら、打たない。ほんもののどくどくちんを撃たれるのは、国民だけ。


 

 

どっちともちがうんだよな

 ほんとう、どうすればいいのかな?

けっきょく、ぼくは、どっちともちがうんだよな。

たとえば、精神世界の人が浮世離れした存在だとする。そして、普通の人と精神世界の人の割合が、9対1とか8対2だとする。これ、割合については、ちょっとわからないんだけどさ……。

普通の人とも精神世界の人とも、あわないというか、ちがうのがぼくなんだよね。

どっちの集団にいても、あわせるのに、苦労する。

自分を偽らないと、そこにいれない。

言いたいことを言えなくなる。

ほんとうにこまった。たとえば、普通の人とのつきあいには、苦痛を感じるけど、精神世界のとのつきあいには、まったく苦痛を感じない人もいると思う。そういう人にとってみれば、普通の人とのつきあいをたち……あるいは、仮面をかぶってつきあい、ほんとうのつきあいは精神世界の人とするという選択肢がある。けど、ぼくはちがう。どっちにも、あわない。どっちにいても、「それはちがうんじゃないか」と言いたくなるような息苦しさがある。

 

2021年11月27日土曜日

マスクをつけるかどうかは個人の自由にするべき

 おちつけ。おちつけ。

流れが変わった。ぼくが応援しているほうが盛り返してきている。

しかし、この手の文を書いてから、うけがわるいなぁ。まあ、削除されないように「まるまるまる」を多用してすぎているのだけど……。自分で新しいところを立ち上げればいいのだけど、これが、いまのぼくにはめんどうなのだ。 どうしても、無料サイトでということになる。そうなると、書く内容にかかわらず、アクセスが少ないということになる。

まあ、うけが悪いのはわかる。普通にテレビを見ている人たちから見れば、ぼくが言っていることは、デマであり、陰謀論である。しかし、今回だけは、陰謀論が正しい。これがわかってないんだよな。政府や大企業、厚労省がそんなことをするはずがないと思っている。思っている。

マスクについてもそうだ。これ、ちゃんと考えられる人なら、ノーマスクとマスク推進派と、どっちが正しいのかわかるはずなのだ。当然、ノーマスクの人が正しい。まあ、ぼくは、マスクをつけたい人はつければいいという立場だけど……。

だいたい、今回のことに関係なく、花粉や粉塵を気にして、マスクをつける人はいる。その人たちの権利を侵害する必要はない。ノーマスク強制ではない。しかし、今回のういういうるーすには、マスクは意味がないことを知るべきなのだ。

風邪の季節……マスクをつける人もいる。感染した人は、おとなしく家で休養をとるべきなのだけど「這ってでも、出社しろ」というようなガンバリズムが徹底していたため、風邪をひいているにもかかわらず、マスクをつけて、咳をしながら通勤している人たちがいた。

新型コロっーナも、じつは、空気感染だ。感染力は、じつはたいして高くない。旧型コロナと同じレベルだ。なので、症状が出ている人は、マスクをしてもいいということになる。症状が出てない人・全員に……マスクをつけさせる必要は、まったくない。インフルエンザやライノウイルスによる風邪や旧型コロナによる風邪がはやっているときと同じように、マスクをつけるかどうかは個人の自由にするべきなのだ。

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風邪というのは一つの病気の名称ではなくて、本来なら風邪症候群というべきものだ。

風邪症候群を引き起こすウィルスたち

以下、ウィキペディアから引用。

ライノウイルス (30 % - 80 %)[19][20]。[21]
    普通感冒の原因ウイルスのひとつである。
    くしゃみ、鼻水、鼻づまりなどが主症状で、年齢を選ばない。「普通感冒」とは、この症状のこと。つまり、いわゆる鼻かぜ、のど風邪のことを普通感冒という。
コロナウイルス (15 %)[22][23]
    冬に感染しやすい。SARSやMERS、COVID-19の症候群は、風邪(普通感冒)とは区別されるケースもある
インフルエンザウイルス (10 % - 15 %)[24][25]
    英語では "flu" とされる。風邪として扱われないことが多い。
アデノウイルス (5 %) [24]
    夏に流行。プールで感染する咽頭結膜熱(プール熱)として知られる。
パラインフルエンザウイルス
    インフルエンザという名称が入っているが、インフルエンザウイルスとは別のウイルスである。
    喉頭と下気道に感染しやすい。子供がかかる場合が多い。
RSウイルス
    小児発症の原因病原体として最多であり、気管支炎や肺炎を起こしやすい。乳幼児は重症になる場合もある。冬の感染が多い。

エコーウイルス
エンテロウイルス
    下痢を起こしやすい。夏に流行する。

引用終了 

以下引用

ヒトに日常的に感染する4種類のコロナウイルス(Human Coronavirus:HCoV)は、HCoV-229E、HCoV-OC43、HCoV-NL63、HCoV-HKU1である。

引用終了

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ぼくがここで旧型コロナウィルスと言っているものは、SARSとMERSをのぞいたヒトコロナウィスルのことだ。4種類ある。(何度も言うけど、旧型コロナウィルスに対して、人類はずっとずっとずっと、ワクチンをつくることができなかったんだぞ。突然変異の速度がはやすぎる。ワクチンで対応するのはよくないことなのである。愚策。)

COVID-19を引き起こすウィルスは、蝙蝠のコロナウィルスにスパイクたんぱく質をつけたもの。これ、COVID-19という言い方だけど、最初は、ウィルス自体をさしていた。新型肺炎を引き起こすウィルスのことをCOVID-19と言っていたのだ。あとになって、WHOが混乱を作り出すためか、ちがった言い方を推奨してきた。

スパイクたんぱく質には、人工的な部分があり、そのことがばれたので、ウィルスバンクみたいなところから、抹消された。だから、いまは、培養ではなく、単離されたCOVID-19の存在を証明する資料がどこにもないという状態になった。これは、世界各国、どこにもない。だから、物理的な存在として、COVID-19の存在を否定する人もいるけど、物理的な存在としては当初の通り、もともとは、人に感染しない蝙蝠のコロナウィルスにスパイクたんぱく質をつけたものだ。

しかし、 培養ではなく、単離されたCOVID-19の存在を証明する資料がどこにもないということは、とてつもなく重要だ。それなら、PCR検査で調べているものはなんなんだということになる。塩基配列を調べているということになっているけど、もともとの塩基配列がないにもかかわらず、判定をしているということになる。

PCR検査では、じつは、ウィルスがあるかどうかしか調べられない。しかも、Ct値をあげることで、ほとんどの人を陽性にできる。 

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以下引用

ウイルスは核酸を持っていますが、代謝機構もエネルギー機構も持っていません。すべて、ほかの生物の細胞の代謝機構を借りて子孫のウイルスをつくっています。究極の寄生性の生命体であって、外界に置かれたウイルスは、まったく増えることができません。数分から数時間の後には死滅してしまいます。
(2005年放送NHK人間講座「ウイルス 究極の寄生生命体」より)

引用終了


なので、マスクで対応することはよくない。なので、透明なしきり壁で対応することは、よくない。全員がマスクをつけて感染対策をするなんていうのは、まったくまちがった対応。よくない対応。野外でマスクをする必要はない。風通しは、よくしなければならない。

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以下引用

ヒトに日常的に感染する4種類のコロナウイルス(Human Coronavirus:HCoV)は、HCoV-229E、HCoV-OC43、HCoV-NL63、HCoV-HKU1である。

引用終了

ウィルスに関しては時間の長さではなくて、量(個数)がたいせつ。かなり短い時間で、大量のウィルスが死んでしまう。感染を引き起こすにはある程度の量が必要。はっきり言えば、のどからのどに対する短時間の空気感染が必要。ものについているものは、気になくていい。

 

むかしの世界にもどろう

 ウィルスというのは、じつは生きた細胞のなかでないと、生きることができない。生きた細胞がないところでは、わりとすぐに、死んでしまう。まあ、ウィルスにとって「死」とはなにかということを考えなければならないのだけど、とりあえず自己複製できなくなった状態を死んだ状態だということにする。

飛沫のなかにいるウィルスは、わりと短い時間で死んでしまう。もう、つばのなかにいる時点でたいていのウィルスが死んでしまう。かりに、生きていたとしても、そんなに長くはいきられない。生きた細胞のなかでないと、長くは生きられないから。

そして、アルコール消毒も、あんまりよくない。もちろん、必要なときはあるけど、人間の手に、一日に何回も何回も、つけるべきではないのだ。どうしてかというと、常在菌を殺してしまう。人間が生きている環境というのは、つねに、菌がいる環境なのである。そういうものに対して、自然免疫がある。自然免疫を弱くするようなことは、極力さけるべきなのだ。

 

この雰囲気!!

起きた。

けっきょく、つまらない。

この雰囲気!!

この雰囲気!!

これ、おなじなんだよな。

ヘビメタ騒音の雰囲気とおなじ。

けっきょく、だめなのか。

 

 

2021年11月26日金曜日

よく成分がわかってないもの

 ともかく、ぼくが言いたいのは自分の免疫システムをたいせつにしましょうということだ。自然免疫にまさる防御はない。どうして、これがわからないのか。あのまるまるまるまるは、自然免疫をこわすまるまるまるまるだ。

子供たちの免疫システムを破壊するようなことはやめましょう。ぜっーーったいに、後悔する。これ、権威がある機関が、まさか、自分たちをまるまるしてくるとは思ってないでしょ。そんなのは、カルトだ。そんなのはデマだと思うでしょ。けど、今回だけはちがうんだよ。

ともかく、へんなもの……よく成分がわかってないものを子供の体に入れるのはやめましょう。 

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あっ、それと、未接種者は感染源にはならないということをCDCですら、認めている。しぶしぶ認めている。ちーさくね。記事にならないように認めている。


そーーいうもんなんだってば

 

2021年11月25日木曜日

気楽な人たちがうらやましい なにが起こっているのか、ぜんぜんわかってない人がうらやましい

 あたまきらきら星人のほうがしあわせかもな。あの人たちはあの人たちで、見えてない部分があるんだよな。妄想でかざられた部分がある。まさに、妄想イルミネーション。

妄想イルミネーションの状態でまるまるするなら、まるまるで防御力が上がったと思ってまるまるする人たちとかわらないので、気がらくだ。らっくらく。

妄想イルミネーション状態で言っていることが、ほかの人から見ると、カルトに見えるから、ほかの人が、拒否反応をしめすんだよ。けど、基本的に言えば、テレビに汚染されている人は、けっきょく、テレビで教えられたような考え方を持ってしまう。ネットもおなじだ。ほとんど、すべての権力があっち側なのだから、まるまる。

これ、ほんとう、俺も覚悟を決めないとだめか。

しゅーかつか。動けるうちに、やっておきたかったことをやるか。けど、これが、ヘビメタ騒音ときちがい親父の影響で、フォッグがかかっている。やっておきたかったことをやっても、ぜんぜん楽しくない。楽しくないということが予想できる。どうしてなら、そういう気持ちでやったことが……。生きているうちにやっておこうと思って、ヘビメタ騒音の影響を受けた体をひきずってやったことが……全部、楽しくなかった。破滅破綻。

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やりかたっことのうち、いくつかやったけど、だめだった。ということなので、上の文章の書き方であっている。まだ、やりたいことは、いくつか残っているけど、おなじような感じになるんじゃないかと思っているということだ。

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ひざしは、いつものひざし。

まあ、ヘビメタ騒音のひざしなんだが……。

ほんとーーに、くるしいだけの人生だった。『ほんとーーに、くるしいだけの人生だった』とよく思うんだよね。道を歩いてたって思うよ。そういう歩行だよ。くるしいよ。ヘビメタ騒音がはじまった11歳のときから、ずっとずっと、くるしいよ。胸が張り裂けそうな気分で生きている。それは、きちがい兄貴がヘビメタ騒音を鳴らしていたからだ。ずっとずっと、鳴らしていたからだ。ほかの人はそういうことを経験してないので、『ずっとずっと、くるしいよ。胸が張り裂けそうな気分で生きている』というようなことを聞けば、俺がもともとそういう性格だからそう思っているんだと思ってしまうのである。もともと、ネガティブな性格だから、誰にだってあるようなことを、特別にくるしいことだと思ってしまうんだと思ってしまう……という意味。これが、屈辱。これも、屈辱。ちがうんだって。

まずいロットのわくわくティーンを討たれた人が痙攣してまるまるしてしまうように、『人間のからだ』の反応として当たり前の反応なんだよ。俺の体質の問題じゃないわけ。人間のからだの反応……という書き方は『の』が連続するので、『』をつけておいた。人間の反応として当たり前。からだの反応として当たり前。

ほんとう、あたまがキラキラな人や、テレビに洗脳されてプログラムが誘導したように考えられる人がうらやましい。そりゃ、こわいことがないよな。


こういう、世の中。こういう、世の中。 この世は、地獄だった。

 さみしい一生だったなぁ。

こんなの、ない。

自分勝手な家族にやられて、人生がない。

世間のやつらも、それぞれに、自分勝手なやつだったな。まあ、いい人はいた。少ないけど、いい人はいた。それは、事実だ。

けど、ヘビメタ騒音で、そういう人たちともうまくいかなくなる。

これは、きちがい兄貴のヘビメタ騒音を経験した人じゃないとわからないと思うけど、そうなる。必然的にそうなる。どうしても、そうなる。どれだけさけても、そうなる。

おれにとっても、ほかの人にとっても、この三年間は、すごい三年間になるよ。

このあとの三年間ということだけど。

どれだけの人が生き残れるのだろうか。そして、生き残った人が、あんまりしあわせではないようなことになる……かもしれない。これ、ほんとうにひどい時代に生きているなぁ。こんなことになるとは思わなかったなぁ。つくづく思うのは、この世は、地獄だということだ。これ、ほんとうに、悪魔に支配された地獄なのである。この世は、地獄だった。

どーーりで、生きにくいと思った。この世はほんとうに地獄。地獄がどこかにあるんじゃなくて、この現世が地獄だった。この世界が地獄だった。あの世じゃないんだよ、この世にあった。

この世が地獄だった。

やっぱりなぁ。そうじゃないかと思っていたんだ。

なんか、いつもそうなんだよ。この世の人……特に家族二人……地獄の住民なのである。ほんとうに頭がおかしいレベルで、自分の感情しかない。自分にとって都合がいい感情しかない。どれだけ、なにを言っても、まるで通じない。ほんとうに、自分で自分に催眠術をかけてしまったような状態なんだよな。

そういう状態で、きちがい的に自分勝手なことをする。そうすると、本人は「やったつもりがまったくない」状態で生き続けるわけだから、相手になにか、悪いことをしたということに、どうやっても突き当たらないのである。思い当たらないのである。そういう毎日、毎時間、毎分、毎秒、毎ピコ秒なのである。

だから、その人たち……当人にとってはそういう世界なのである。やったってやってない世界なのである。ぜんぜん相手のことがわかってない世界なのである。自分の感情だけが張り出した世界で、どれだけ矛盾したことを言っても、どれだけ矛盾したことをやっても、本人が気がつかない。

だから、本人だけは、なにもやってないつもりで、しあわせ、なのである。「意地をとおして」しあわせなのである。絶対無責任の境地にたっている。そんなの、たとうと努力しなくたって、つねに、絶対無責任の境地にたっているのである。すでにたっている。こんなのない。

絶対無責任。

「やったってやってない」。「そんなのは知らない」……きちがい的な態度でやり続ける。「やったってやってない」……この繰り返しだ。どれだけこまるか。どれだけこまるか。ほかのやつはこんな異常な家族に囲まれて住んでいるわけではないから、普通に暮らせる。俺が言っていることが、根本のところからわからない。そして、影響を否定する。そいつらにしてみれば、「影響なんて受ける必要がない」のである。「影響を受けるかどうかは自分で決められること」なのである。

こんなの、ない。こういうやつらは、自分でなにを言っているのか、わかってない。 ほんとうは知らないから、そういうふうに言える。想像でものを言っているだけなのである。それは、まったく知らない食べ物について、なにかを言っているようなものなのである。まったく知らない毒についてなにかを言っているようなものなのである。その毒を飲んだって、影響を受ける必要がない……と言っているようなものなのである。

人間の体は、影響を受ける。

そういうこと自体を否定してまう。自分にとってなかったことだからだ。自分の想像の、範囲外のことだからだ。正しく想像できないのである。こういう、世の中。こういう、世の中。

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憲法を改正させないように投票したいのだけど、右から左まで、全部、あれだからな。れいわ新選組も、あれである可能性があるし、つばさの党が候補者だしてくれたら、入れるんだけどな。 

憲法改正を絶対に阻止しないと、ひどいことになるよ。


 

 

 ほんとうに、普通にテレビを見ている人たちは、こうも簡単に洗脳されてしまうのかと思う。洗脳の度合いが強すぎる。これ、ほんとうに、国民が自分たちを〇す人を、好んで選んでいるというところがある。ひどい。

水道の問題だってでかい。「民営化」というと、いいようなことに聞こえるだろ。完全なまちがい。

心筋炎だって、軽い心筋炎なんてないということに、どうして気がつかないのか。心筋炎というのは、自分の免疫システムが、自分の心臓を異物として見なして攻撃をするから発生する。これがどうして起こるかというと……ここには書けないか。心筋細胞は一生使う細胞なので、軽い心筋炎なんてない。

これは、架空世界の話だ。太古の昔にそういう世界があったのだ。

みんな、あのm-RNAがすぐに分解されると思っているだろ。テレビに出ていた医者や専門家がそういうふうに説明していたからだ。けど、分解されない。ずっと残って、ずっと、m-RNAの塩基配列通りのたんぱく質を作り出す。残る。すぐに分解されると思っているから、いろいろなまちがった判断が生まれてしまう。普通のm-RNAは分解される。しかし、あのぼこぼこち~んに入っているm-RNAは分解されない。これは、しぶしぶ、そのぼこぼこち~んをつくった会社が認めている。ぼこぼこち~ん接っっしゅう後に死んだ人の体を解剖すると、m-RNAが確認できる。これは、デマではない。

どうして、分解されないかというと、ウリジンがシュードウリジンに置き換わっているからだ。そして、脂質ナノ粒子によって、おおわれているからだ。脂質ナノ粒子におおわれているm-RNAは、BBB(ブラッドブレインバリアー・血液脳関門)をこえることができる。なので、さまざまな脳の障害を引き起こすことができる。ほんとうに、よく考えられたあく~まの物質なのだ。

心臓も、脳もとげとげにやられる。しかし、脳はもうひとつの物質から攻撃を受ける。二重にやられる。

2021年11月24日水曜日

たましいの位(くらい)とか、社会的なエリートとか

 まじ、つまんないわぁ。

あーつかれた。どうするかな。あー、もう、そればかりだ。ぼくのおいたちが、ほかの人とちがいすぎるんだよな。絶対に、わからないと思う。わからないんだよな。わからないということもわからないわけか。

頭キラキラ系の人たちがいうことには、抵抗があるんだよな。その人たちは、差別がきらいなんだけど、たましいのエリート主義みたいなものがある。自分のたましいはみがかれていると思っている。

おいたちのことをまるで考えてない。

この人たちは、まあ、波動という言葉が好きなので、そのと人たちの言い方を使えば、波動が低いとかそういうことになる。

ようは、きちがい親父のもとに生まれてしまった人は、波動が低いのである。そういう、差別主義がある。人を勝手に見下している。

あとは、「まなびのために」そういう環境を選んだというくそ理論がある。このくそ理論は、言ってみれば、自己責任論で、現世的な得を求めてるエリートさんたちとじつはたいしてかわからないところがある理論だ。

ともかく、自分のたましいはみがかれていて、波動が高いので「いいことばかりがおこる」のだ。あるいは、自分のたましいの「位(くらい)」が高いので、「まわりのひとにめぐまれて」いるのだ。まわりの人にめぐまれてない人は、(本人の)たましいの「位(くらい)」が低いからそうなる……ということを言いだす。げんに、言っている。

けど、「みんな、なかよく」なのだ。こういうレベルだ。

どんな環境に生まれてきても、ネガティブなことを言うのは、たましいのレベルが低いからだ……というような考え方が根本にあるのだ。うちの親父がどんな態度で、どういう認識レベルで、どういうことをしてきたのか、こういう人たちには、どれだけ説明してわからない。うちの兄貴がどんな態度で、どういう認識レベルで、めちゃくちゃにでかいきちがいヘビメタ騒音を鳴らしてきたかわからない。それが、数千日続いてしまうと、どれだけがんばっても、人から悪く言われ、普通に働けなくなるということが、根本的にわからない。わかってない。

「そんなのは、はねかえせばいい」「それは、学びに必要だった」「自分でうまれてくるところをえらんでいる」……などの、思いやりがある人の言葉とは思えない発言をするのだ。

この世は、ほんとうに地獄だけど、こういう人たちも、地獄の住人だ。そういう発言をすることで、すでにこまっている人を、こまらせる。そういう発言をすることですでに、傷ついている人に傷をつける。かってに、たましいのランキング。この世で、不幸な目にあって、こまっている人へのレッテル貼り。(そのような、こまっている人たちより)自分のたましいのレベルが高いというマウンティング。

まあ、これ以上は悪くは言わない。この人たちは、悪い人たちではないのだ。けど、そういう、無慈悲な点がある。そして、思いあがってるところがある。どれだけのことなのかわかってない。家族が、ほんとうに、頭がおかしいレベルで自分の今年考えられない人間だと、どういうことになるのか、身をもって知ってない。

知らずに、「そんなのは、運が悪い」「ネガティブなことを言うから悪い」「自分で選んでそういうところに生まれてきたので自己責任」というようなことを言う。これが、たましいの位が高い人のやることか?

思いやりも配慮も、まったくなにもないな。この世で、社会的なエリートをやっているやつらとかわりがない。社会的なエリートをやっているやつらの価値観と、自称たましいの位が高い人がやっていることは、うんと、うんと、うんと、根本的なところでは同じ。

けど、社会的なエリートよりも、この人たちのほうが、人間として純粋なところがあるのだ。悪い人たちではないのだ。今回のことでわかったけど、社会的なエリートのうち、9割ぐらいは、悪い人だ。社会的なエリートで、いい人の割合は1割ぐらいだ。

今回のコロナ禍、ワクチン騒動で、どういう人が、どういうことを言うのかわかった。これ、ほんとうにひどい。きれいごとのなかにものすごい悪意がかくされている。こういう部分は、自称たましいの位が高い人たちにはない。そういう点では、ぼくはこういう人たちのことが、好きだ。まあ、ほんとうに、普通の人間ではない家族にやられた経験がないので、そういうことについて、考え違いをしていると思う。自称たましいの位が高い人たちも、わかってない。もちろん、9割の社会的なエリートにはわかるはずがない。


 

 

2021年11月23日火曜日

おかっしい なぜなぜ

北海道でクラっっスターが発生とか言っているけど、これは、おかしい。前投稿でも言ったけど、新っっ型567うィするが存在しているということが証明できない。存在証明ができないウいいっィスる★★のどの配列パターンに一致たしたら、陽性だと言うことができるのか?

ちなみに、PCR検査で陽性ということは、新っ型567ウィするに感染したということにならない。PCR検査は、感染症の判断には使ってはいけない検査なのである。これは、PCR検査を考え出した人が言っていることだ。デマじゃない。


これは、未接種者を悪者にするという悪い糸っとーーに従ってやっていることことだ。悪い悪い糸っっっと~~なのだ。だいたい、80%の人が、接種者なのに、どうして、クラスターが発生するんだよ。あるいは、80%の人が接種者なのに、クラスターが発生するのであれば、接種率を80%まであげても、なにも防衛できないということではないか。これ、旭川市は80%かもしれない。けど、世界にはもっと接種率が高い国や地域(地方自治体)がある。なんと、接種率100%以上の地域があるのだ。これは、移民にも接種させているので、その地域の人口をもとにして計算すると接種率100%をこえてしまう。そういう地域ですら、感せーんが爆発してしまうのである。ならば、わくわくてぃーんをどれだけ売っても(撃っても)(凸しても)感せーんをふっっっせっげないというとなのである。イスラエル、シンガポールという国は、小さな国で、接種率が非常に高い。その接っ種っ率が非~~常~~に高いところでも、感染を防げなかったので、第三回目のブーすっスター接種が必要だということになった。ほとんど全員が二回接っっしゅうしたにもかかわらず、ふっせげないのだから、三回目のブースすったーせっしゅーをしてもむだだということに、どうして気がつかないのか。
スェーデンや窃っっしゅうをしなかったアフリカの国々では、感染爆発は起こってない。わっくわっくティーンをたくさんっ撃ったところで、感染爆発が起こる。
あと、旭川市の未接種者の定義がどうなっているのか知りたい。これ、撃ったあと、二週間たってない人はみっっせっしゅ~者と定義しているのかもしれないのだ。あるいは、3か月前に接種した人は、みっせ~~しゅ者として定義してしているのかもしれないのだ。
旭川市の接種者は80%だとする。みっせっしゅしゃが20%いるから、クラスターが発生したと言う。けど、そのみっせしゅしゃというのは、赤ん坊や11歳までの子供を含んでいるのかもしれない。いずれにせよ、イスラエルやシンガポールのように、ものすごく接種率が高いところでも、感ん染ん爆っっ発がおさまらないという現実がある。貧しくて、ワクチンをかえなかった国や、インドの州は、もう、感ん染ん者なんていない状態なのである。まあ、この感染者というのは、PCR検査で陽性になった人のことを意味しているのだけど。
 

2021年11月22日月曜日

自由


一回打てば、マスクもとれるし行動が自由になるというから、打ったんでしょ。打った人は。ところが、二回打っても、感染させるし、感染するということがわかった。あえて、シェディングのことは言わない。未接種者も感染させる人だし、二回接種者も感染させる人なのだから、区別する意味がない。未接種者も感染する人だし、二回接種者も感染する人なのだから、区別する意味がない。だから、ワクチンパスポートには意味がない。

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検査・パッケージ反対 

人権侵害。法の下の平等に反する。憲法違反。

 

ワクチンを打てば、感染しない……のでしょ。だったら、感染している人がいたとしても、問題ないじゃない。いちおう、新型コロナウィルスが培養ではなく、単離されたものであるという前提で言ってるけどな。その前提がまちがっているんだよ。けど、この前提がまちがっている話というのは、細かいことを調べる時間がない人たちには、わからないことだから、省略する。物理的には、じつは、新型コロナウィルスは、存在する。けど、やばいことになったので、登録はされてない。存在しているという証明は、どの国際機関も、どの国もできない。やばいことになったというのは、だます側にとって、不都合な事実が明らかになったから、登録を抹消してしまったということだ。だから、今現在、存在証明はできない。

 

 

治療薬(普通の薬)で対処するべき

 旧型コロナウィルスは、全部で6種類ある。そのうち、4種類は、ずっとずっとずっと、むかしからある。その昔からある4種類のコロナウィルスに対して、人類はずっとずっとずっと、ワクチンをつくることができなかった。どうしてかというと、突然変異のスピードが速いからだ。コロナウィルスに関しては、ワクチンで対処するのではなくて、治療薬(普通の薬)で対処するべきだ。健康な人にワクチンを打つのと、すでに発病した人に薬を飲ませるのは、まったくちがった意味を持つ。健康な人は、ワクチンを打つべきではない。 


2021年11月21日日曜日

「エイリさんが音に敏感だからダメなんだ」「そんなの、騒音ぐらいだれだってある」

 ヘビメタ騒音で、どーーーしても、どーーーーしても、くるしい。いま、午後8時27分。いま、鳴っている時間だ。今日は、日曜日だ。俺が中学生のときも高校生のときも、日曜日はいつも朝から、この時間までずっと鳴っていた。蓄積する。とてつもなく、つらい。きちがい親父が、注意をしなかった。おかあさんが、注意をしても、きちがい兄貴がまったくきかなかった。ともかく、つらいんだよ。積み重ね。蓄積。これ、つかれとか、この世に対するいやな雰囲気とか、どうしても、積み重なる。ほかの人は、ずっと毎日やられたことがないから、わからないだけだ。俺は別に、ヘビメタ騒音をやれる前、音に敏感だったわけじゃない。それは、幼稚園のすぐ後ろ(前)に住んでいるということで証明できる。ずっと、幼稚園はうるさいんだよ。あのころは、幼稚園が終わったあと、場所を剣道の道場?練習場としてかしていたので、「めーん」とか「おおぇぇ」とか奇声をあげていたし、全員でやる足踏みの練習は、うるさかった。けど、俺はそういうことで文句を言っているわけじゃないんだよ。きちがい兄貴は、ヘビメタ騒音を鳴らすまえに、フォークギターの練習をほぼ、一日中していた。これは、学校から帰ってきたら、練習してたし、日曜日も朝から練習していた。けど、おれは、きちがい兄貴がフォークギターを練習しているあいだ、ずっと、文句を言ってない。「うるさいー。やめてくれ」と言ってないだ。こういうことも無視して、まるで俺が音に弱いみたいに思うやつらは、ひどいやつらだと思う。そういうふうに、俺をばかにして!! ばかにして!!! ばかにして!! えらそうなことを言って。自分が、うちの兄貴のような特別な人からずっとやられてないから……そういうことを言えるだけなのに、そういうことを言う本人は、それに気がつかない。これ、俺がこういうことを説明しても、「エイリさんが音に敏感だからダメなんだ」「そんなの、騒音ぐらいだれだってある」というような意見を、かえない。かえない。こいつら、ほんとうに頭にくる。こういう誤解をされることになっている。きちがい兄貴のやり方があまりにもおかしいと、こういうことになる。きちがい兄貴の感覚があまりにもおかしいと、こういうことになる。これは、親父でもおなじだった。きちがい兄貴は、親父にそういう態度で、そういうことをやられて、頭にきているのに……ずっと憤慨していたのに、自分が、「おやじとおなじ立場になって」……つまり「やるほうの立場になると」……親父とまったく同じ態度でやるんだよ。まったくおやじとおなじ感覚でやる。自分がやられたときは、一発でわかるのに、一分で、わかるのに、自分がやる番になると、まったくわからない。親父とおなしでまったくわからない。親父とおなじで、「やったってやってない」ということになってしまう。この「やったってやってない」ということに対する、きちがい兄貴の意地がすごいんだよ。こんなのない。ちなみに、「やったってやってない」ということに対する、きちがい親父の意地もすごい。兄貴は、親父のコピーなんだよ。おなじなんだよ。「やったってやってない」というようなきちがい的な態度をとるときの強情さと、自分がやりたいことを押し通してやってしまうときの強情さが同じなの。兄貴も、親父もそういうところがある。

 

わらいあって暮らす未来

 

 けっきょく、こういう気持ちでしゅうかつしなければならなくなったか。

つらいこと、ばかりだったな。おもに、他人がもたらすことでつらい思いをした。体調不良の原因がきちがいヘビメタ騒音だしな。 

ほんとうに、わらいあって暮らす未来がほしかった。

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小浜逸郎・ことばの闘い  

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 しゅーかつ、したくない。しゅーーかつですら、めんどう。

ぜんぶが、めんどう。

なみだが出てくる。そりゃ、こんな気持ちで……。こんな気持ちで……。

こんな気持ちで動いていたら……。まるまるするしかないということになってしまう。それなら、おなじじゃないか。そして、ヘビメタ騒音にやられていたときの気持ちが復活してしまうのである。 

 

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ほんとう、ついにこうなったか。俺が生きているうちに、こんなことになるとは思ってもみなかった。こんなことになるとは……。何十年も前に本で読んだことが、現まるになっている。これ、……。 まさかの、まさか、だよね。普通 信じられないよね。普通は……。普通は信じられない。普通は……。

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しかし、俺の場合、こういうことを書いていても、ヘビメタ騒音時代のくるしいいちシーンが思い浮かぶのだ。 きちがい親父にやられたときの幼児期の記憶がよみがえるのだ。いろいろなシーンがよみがえるのだ。つらいだけの人生。いいこと、なかった。

ちょっとは、あったかな。しかし、ヘビメタ騒音で、全部めちゃくちゃになっている。俺はヘビメタ騒音で、社会的地位や健康的な体をうしなった。どうやっても、ぶっ壊れている、くるしい体で生きていくことになった。

そしたら、これだよ。そしたら、これだ。きちがい親父が死んで、ネズミのことも不安定ではあるけど、ひとだんらくして。そして、ダニもまだまだ刺される場合があるけど、ひとだんらくして……。これから、なんとか引っ越して、第二の人生を歩もうとした、これだよ。これだよ。

まわりの人がみんなだまされていて、孤立無援。四面楚歌。


2021年11月20日土曜日

旅行

 奴隷の管理方法について意見を述べていた人がいるだろ。がんばった奴隷には褒美を与える。がんばらなかった奴隷にはほんのすこしのご飯しかあげない。こうすれば、奴隷が働きだして管理できる……と言っていた人がいるだろ。

考えてもみろ。凹した人だけ、旅行に行ける権利があるというのは、そういう褒美のひとつなんだよ。 凹することで旅行ができるようになったということは、凹せずに旅行ができる状態より、はるかに後退しているんだよ。行動制限がかかっているんだよ。自由じゃないんだよ。権利をはく奪されているんだよ。

いま、凹して旅行に行くということは、将来の自分と他人の「旅行する権利」をはく奪するような行動なんだよ。将来の権利を制限することに「積極的に賛成」していることになるんだよ。

そして、どこかで、毒リンゴを食べてしまう。たとえば、三個の無毒なリンゴと、六個の弱い毒のリンゴと、一個の強い毒のリンゴがあるとして、一個の強い毒リンゴを食べて死んでしまった人は不運だ。けど、その不運は、繰り返してやっていればかならず、くる。

弱い毒リンゴは、潜伏期を経て、効果をあらわす……とする。だとしたら、一回目に弱い毒リンゴを食べてしまったということは、重要なことだ。不幸なことだ。一回しかリンゴを食べず、また、その食べたリンゴが無毒なリンゴであった人だけ、いちおうは、危機をまのがれる。しかし、悪い人が、いろいろな食べ物に、弱い毒をいれてきたらどうなる? そのうち、死ぬ。もちろん、人間は、そのうち、死ぬ。けど、弱い毒が入った食べ物を食べた人間より、無毒な食べ物を食べた人間のほうが、長生きする確率は、高い。

 

2021年11月19日金曜日

雑感 憲法について考えよう。

 憲法を改正されたらおしまいだ。

ひとりでも多くの人に気がついてほしい。

わくわくティーンぱすぅぽ~~とは、どのみち、将来の自分の首をしめます。わくわくティーンを凹できない人の首をしめます。わくわくティーンぱすぅぽ~~とは、隷属への第一歩です。この一歩を許すと、自由が完全になくなります。人権が完全になくなります。なんで、旅行制限になっているということに気がつかないのか。旅行の権利を取り上げられているということに気がつかないのか。憲法を改正されたら人権なんて、なくなると思え。どうして、野党内与党である維新の会に投票してしまうのか。自分の首をしめることになるのがわからないのか。

自分はすでに受けたから、ぱぁす~~~ポぉーうっっトで外国に行ける人も、そのうち、旅行に行けなくなるぞ。運が悪い人のことは関係がないと思ってしまったらだめだ。運が悪い人の身の上に起こったことは、明日は、我が身の上に起こることだと思ったほうがいい。たまたま、運がよかっただけなんだぞ。人の不運をわらうべきではない。人の不運に注意をむけるべきだ。自分には関係がないと思うべきではない。自分は平気と思わないようにしたほうがいい。

2021年11月18日木曜日

ほんとう、ヘビメタ騒音にやられて、むなしいだけの人生だな。

 ほんとう、ヘビメタ騒音にやられて、むなしいだけの人生だな。いいこと、なかった。くるしかった。ずっとくるしかった。いま、夜が明けて、朝になった。闇から光の世界になった。けど、ぼくのこころは、ヘビメタ騒音でくるしい。あの雰囲気が、ぬけない。朝の雰囲気というのは、ヘビメタ騒音の雰囲気だ。これ、どれだけほかの人に言ってもわからない思うけど、数千日の繰り返しがある。その数千日の学習の末に、獲得してしまったものだ。薬なんかじゃ、なおらない。もとの世界に到達できない。元の世界というのは、ヘビメタ騒音にやられなかった場合の、普通の世界だ。普通人たちには、普通にある、普通の世界が、ぼくには、ない。ヘビメタ騒音にやられて、毎日自殺したい気持ちで、動かないからだを無理やり動かして、はりつめた気持ちで、学校に行くのである。帰ってきたら、ヘビメタが鳴っていて、どれだけ言っても、一秒だってやめてくれない。あいつが眠る前まで続く。こっちは、そのあいだに、平日は夕方から、日曜祭日は、朝から、あいつが眠る前まで、ヘビメタ騒音を聞かされ続けて、その時間も、そのあとの時間もめちゃくちゃになっている。どれだけ、希望をもとうとしても、どれだけ、普通に頭を働かせようと思っても、鳴らされたあと、……鳴らされ続けたあとですら……まったく頭が働かない状態になる。「うつ」とか「憂鬱」という言葉では、表現できない、強烈な「うつ」や「憂鬱」がおそってくる。これは、「疲労」と同じで、どれだけ、「疲労を感じないようにしよう」と思っても、むりだ。土台がむりだ。人間の体はそういうふうにできている。きちがい兄貴レベルの騒音を毎日、聞かされて、生きてきた人間というのが、ぼくのほかにいないのである。だから、ぼく以外の人たちは、その人たちの経験した騒音をもとにして、ぼくが経験した騒音について考えるのである。毎日の持続……ということについて、考えがぬけている。せいぜい、テレビの音がうるさいとか、ステレオの音がうるさいとか、幼稚園や小学校がうるさいといった騒音のことしか考えない。あるいは、線路の横でうるさいということしか考えない。これ、ちがうんだけど、どれだけ俺が「ちがう」と言っても、ほかの人たちは、ちがいを認めない。どうしてなら、その人たちが、経験した騒音ではないからだ。ひとことで言うとそうなる。そんなら、俺(エイリ)だって、自分(ほかの人たちにとって自分自身)の経験した騒音を経験してないじゃないかと言うかもしれないけど、ぼくは、ほかの人たちが、経験した大抵の騒音を経験している。ヘビメタ騒音がはじまるまえに経験している。「そんなんじゃない」のである。「ぜんぜん、ちがう」のである。こんな、ハンディない。しかも、家庭環境が複雑で、ほかの人には、逆立ちしても理解できない原理がある。これをうみだしているのは、きちがい親父なのだけど、きちがい親父の狂い方というのも、普通の人の狂いかたとはちがっていて、ほかの人には理解できないのである。あるいは、くるってない普通の人とも、まったくちがう状態なので、くるってない普通の家族と暮らしてきた人には、逆立ちしてもわからない状況や状態というのがあるのである。これの、わからなさが、また、ひどいのである。これ、ぼくは普通の人自分の距離を感じる。このことについて、世間の、普通の人の理解度がもーーれつに、低い。ほとんど全部の人が、想像の範囲外だということで普通に無視してしまうのである。俺の状況や俺の状態について無視してしまう。普通の人にとって、俺は、へんなことを言っている人……よくわけがわからないことを言っている人になってしまうのである。「そんなのは、言えばいいのに」と思ってしまうのである。きちがい親父を知らないから。きちがい親父の感覚が、おかしい。その感覚のおかしさについてどれだけ、普通の人に説明しても、普通の人はわからない。俺が、へんなことを言っているようにしか、聞こえないんだよな。兄貴も、きちがい親父とおなじなので、兄貴のことも、普通の人にはわからない。普通の人というのは、普通の家族に囲まれて、そだってきた人のことである。きちがい兄貴やきちがい親父が、特殊すぎる。普通の人が考える「きちがい」とは、また、ちがった種類のきちがいなのである。きちがいのなかでもかわっているのである。ほかの人が理解することができないように、かわっている。あまりにもかわっているので、ほかの人は、理解できない。言ってみれば、普通の人が考える「きちがい」とも、まったくちがった「きちがい」なのである。そして、迷惑をこうむる人、影響を受ける人というのが、家族、限定なのだ。「よそ」では、きちがい的な側面を見せないで、普通の人のようにふるまうのである。これは、もう、自己催眠のレベルで、本人は、「つかいわけている」つもりがない。まったくない。本能ではないけど、表現するなら、本能できりかわってしまう。「うち」のなかにいるときの態度と、「そと」にいるときの態度がぜんぜんちがうのである。そして、本人は、特に、「うちの態度」と「そとの態度」をきりかえているつもりがないのである。ぜーーんぜんない。まったくない。ごく普通に、完全に、きりかわる。本人が、意識して、「うちでこうしよう」と思っているのではないのである。「そとでは、我慢したけど、うちのやつらに関しては、こういうたいどでいい」と、意識的に思って、態度をきりかえているわけではないのである。さらに、これは、「態度」だけではなくて、全体的な「認識システム」の問題なのである。これ、態度だけじゃなくて、認識システム自体が、きりかわってしまう。だから、本人は、強情にやっているのに、まったく気がつかないと行こうとになってしまうのである。この「強情」というのも、普通の人が理解できないレベルの「強情さ」だ。で、やっている本人が、普通の人とおなじように、理解してないのである。まったく理解してない。だから、「きりかわった態度」だけが「つきでる」状態になってしまうのである。ごく普通にそうなる。本人が、態度をきりかえようと思ってそうしているのではないから、そういう態度でやったことは、全部が本人にとって「やったってやってないこと」なのである。これが、ほかの人には理解できない。本人も、理解してないけどな。都合が悪くなれば、全否定だ。普通に記憶がある人なら……記憶能力がある人なら……絶対におぼえていることも、ガン無視してしまうのである。そういう、日常なのである。あんだけ、意地をはってやったことを、わすれるはずがないのである。この忘れ方がひどくて、もう、やり終わった瞬間に、やってないことになっている。やり終わった瞬間に、自分には、関係がないことになっているのである。この、態度、ほんとうに頭にくる。きちがい的な意地でやったことを、きちがい的な意地で否定する。そして、きちがい的な意地でやっているときの態度と、きちがい的な意地で否定している態度がまったく同じなのである。こーーんなの、ほかの人にわかるわけがない。しかも、本人は、盲点になって、まったくわからない状態だ。台風の目のように、本人は、まったく関係がない人としてふるまうのである。この態度全体……。プロセス全体……。ほんとうに頭にくる。

 

2021年11月16日火曜日

つかれた

 ほんとうにつかれた。いろいろなことが浮かぶ……。

なんで、なんで。なんて、なんで。

あんなふうにうまくいかない。なんで。ほんとうに、じゃまばっかり。親父と兄貴がいなければ、どんだけ楽だったか。どれだけ今よりいい状態か。社会的にも金銭的にも……。人間関係も思い出も。ぜんぶ……。ぜんぶ。

 

2021年11月15日月曜日

長い時間、ヘビメタ騒音にさらされると、残りの時間も地獄になる

むなしいーーー。

 やっぱり、これは、かれるか。やっぱり、いろいろと問題はあると思うけど、人づきあいを再開するかな。どのみち、ぼくにしても、いつまで、この世にとどまることができるかわからないしな。

気分を書いてしまうと、どこに行くときも、家を出るときは、きちがいヘビメタにやられたときの朝のままなんだよ。これ、ほかの人には絶対にわからないんだろうなと思う。長すぎた。ひとことで言って、長すぎた。ヘビメタ騒音が一日だけ鳴ってたけど、注意をしたらやめふくれて、二日目からはずっと、ならないまますごした……というのであれば、ほかの人とぼくの差はないわけ。けど、どれだけ「やめてくれ」と言っても、やめてくれなかった。ずっと鳴らし続けて、一日に一分だってやめてくれなかった。静かにしてくれなかった。ほかの人には、このことの持つ意味がわからない。せいぜい、「うるさかったんだな」と思う程度だろう。けど、ぼくにしてみれば、人生、ぜんぶ、一日の感覚、全部、なのだ。人間の感覚というのは、起きているあいだ持続しているわけで、ところどころで、途切れてしまうわけではない。そのときの……その一日の「雰囲気」というのがある。長い時間、ヘビメタ騒音にさらされると、残りの時間も地獄になる。けど、残りの時間の地獄なんて、他の人は、注意をむけるわけがない。注意をむけないし、注目しないし、認識しないのである。だから、ぼくにはあるのだけど、ほかの人には「ない」ことなのである。さいしょから、「ない」ことなのである。この感覚の違いは、でかい。でかすぎる。

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そういえば、犬を飼っている、むかしストーカーされたことがある女性はどうしているかな? 上の階の子供の足音のことで、だいぶ悩んでいたみたいだけど……どうなったのだろうか。「まず言わなければだめだ」と言ってごめん。言ったということを知らなかった。「幼稚園の子供からエネルギーをもらっている」と言ってごめん。距離が問題だ。

「楽しもう」という気持ちが、はてのない、憂鬱をうむのだ

 あと、3年か4年のいのちだと思って、行動しないとやばいなぁ。俺の場合、父親による虐待と、兄の騒音で、人生がくるっている。なにをするにしても、そこからの出発になる。兄の騒音のほうがでかいのだ。父親の虐待なんかより、兄の騒音のほうが1兆倍ぐらい、でかい。そのくらいに、影響を与えている。他人は、騒音の影響を無視したり、過小評価するので、「いま現在」ぼくが、ヘビメタ騒音の影響で苦しんでいるということを無視してしまう。「終わった騒音なら」「終わっているので影響がない」と思ってしまうのだ。この、屈辱。「そんなんじゃないから、こまっているのに……」。俺は、影響がないと思っている他人の発言に対して、そう思う。けど、「そんなんじゃないからこまっているのに」とその他人に言っても、他人は認めない。「なんだ、そんなの」と思ってしまう。他人は、きちがいヘビメタを鳴らされた期間がない。同じ体験をしてない。一日だけでも、どれだけヘビメタ騒音を浴びせられて、くるしいか、経験的にわかってない。それが100日、1000日、2000日、3000日、4000日、5000日、つみかさなったら、どうなるか、経験的にわかってない。経験的にわかってないから、本人の、ちょっとした騒音体験をもとに、おれのヘビメタ騒音について考えてしまう。その人たちにしてみれば、そういうことでしかない。

「楽しんだもの勝ち」とか言える状態じゃない。毎日毎日、ヘビメタ騒音が続いて、楽しく感じる回路というものをこわしてしまうので、そんなことは言えない。しかし、人生は有限であり、いつか死ぬということがわかっている。それならば、なるべく良い面を見て、楽しんだほうがよいのではないか……。これは、一理ある。しかし、一理しかない。それは、楽しもうと思えば、楽しめる人にとっては、真実だ。しかし、楽しもうと思っても、もう、どーーやっても楽しめない人にとっては、真実じゃない。楽しめないからだ。真実じゃない。そして、「楽しもう」という気持ちが、はてのない、憂鬱をうむのだ。破滅破綻をうむのだ。これも、毎日毎日、あの騒音が続いた人じゃないとわからないと思う。だから、そういうことを考えると、普通の人とぼくとでは、見ている地平がちがうということになる。意見があわないということになる。普通の人というのは、手短に言えば、きちがい家族によって、頭がおかしいやり方で、ずっとずっと、ヘビメタ騒音を聞かされたことがない人たちのことだ。この人たちとは、もう、ベースがちがう。ぜんぜんちがう。生命体としてまるでちがうのだ。

 

2021年11月14日日曜日

8分間ですら、くるしい。くるしすぎる

 

 どうせあと3年のいのちと、きめて、生きる……。まあ、別に3年後に自殺するわけじゃないけど、世界情勢からすると、そうなるのかなと思う。なので、覚悟を決めなければならないのだけど、それが、つらい。いま、これを書いているときですら、ヘビメタ騒音が鳴っている感じがするのだ。この日差しはヘビメタ騒音の日差しなのだ。もう、この世の感覚とヘビメタ騒音の感覚がくっついている。それほど、きつかった。それほど、ずっと、鳴っていた。くりかえし、くりかえし鳴っていた。今日は、日曜日で、いまは午後1時9分だ。日曜日の午後1時9分は、ずっとヘビメタが鳴っていたのだ。

勉強したかったとき、勉強ができなかった。ヘビメタ騒音でできなかった……。これが重要なのだ。これが、ぼくの人生にどれだけの影響を与えるか? 「どこで、研究なされているのですか」「研究者ですか」と訊かれて、「高卒です。どこにも所属してません」と言わなければならないときの気分はない。ともかく、そういうことをのぞいたとしても、ヘビメタ騒音が鳴っていた状態というのが、くるしすぎる。そして、ほかの人にはこの状態がわからない。逆立ちしたって、わからない。ぼくが書いた文章を1000回・読んだってわからない。実際の時間の長さというのがあるから……。鳴っていた時間の長さがある。ぼくにはあるけど、ぼくの文章を読んだ人にはない。だから、そういう人は、ヘビメタ騒音の影響を無視して、ぼくに、いろいろなことを言ってくる。悪意がない場合も、無視しているという時点で、相手ぼくをなめてかかっている。優位に立っていると思っている。自分は、普通に暮らしているので、こいつよりずっと上だと思っている。思っている。自分は、普通に働いているので、こいつよりずっと上の存在だと思っている。思っている。そういう決めつけと、自意識がある。ただ単に、きちがい兄貴にやられなかっただけの話なのに、まるで、存在として自分のほうがすぐれていると感じてしまうのだ。こんなやつらと、つきあえるか? こいつらは、エイリさんがコミュ障だから、お兄さんにやめてと言えなかったんだと、俺を下に見て、決めつけてしまう。こんなやつらと、つきあえるわけがないだろ。どうやってつきあうんだよ。そういう問題になってしまう。きちがいがきちがいの意地をとおして、きちがいヘビメタを、断固鳴らし続けると、やられた俺がそういう地位に落ちてしまう。 

あー、日曜日の午後1時17分は、きちがいヘビメタの感じしかしない。きちがいヘビメタが鳴っている雰囲気だ。この部屋の光は、ヘビメタ騒音の雰囲気だ。この時間の雰囲気はヘビメタ騒音の雰囲気だ。1時9分から1時17分までの8分間。ずっと、がんがん鳴っている状態だ。この8分間で、何千回何万回と、頭のなかの、脳みそをぶたれてしまうのだ。がんがんぶたれる。くるしい。8分間ですら、くるしい。くるしすぎる。

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ともかく、この世の感覚が「ヘビメタ騒音付き」になってしまって、くるしい。だれに言ってもわからないと思うけど、くるしい。否定のしようがない。ふりはらうことができない。ぼくがどれだけ、「ふりはらう」努力を、何十年間も毎日やってきたか? ぼくが、どれだけ……。ぼくが、どれだけ……。

ふりはらう努力を何十年間も毎日やってきたぼくが、まったくやられなかったやつに「気にするな」なんて言われる。どれだけの屈辱か。ぼくがどれだけ、気にしないように頑張ってきたか……。けど、けっきょくやられると、気になる。やられ続けているときつかれるし、腹が立つ。そして、終わったあと、崩壊的な疲れがおそってくる。崩壊的な疲れがおそってくるのに、まったく眠れない状態で、夜をすごす。やられなかったやつらが、普通に眠っている時間、ぼくは、眠れないまますごす。これが、どれだけのことか、わかってない。毎日、やられなかったやつはわかってない。毎日、こういうことが続くということが、どれだけのことか、まったくわかってない。わかってないやつしかない。 

くそ佐藤、ふざけんなよ!!!

くそ社長、ふざけんなよ!!!

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俺の場合、ヘビメタ騒音があるから、どうやっても、ほかの人のようにはいかない。ほかの人は、旅行をすれば、旅行を楽しむことができる。ほかの人と会話すれば、会話を楽しむことができる。けど、ぼくは、旅行も会話も楽しくない。どうしてかというと、きちがいヘビメタ騒音の雰囲気が頭のなかにあるから。この世が、ヘビメタ騒音の世だから。いつもいつも、楽しめない回路が発動している。スイッチオン。これ、なんていうのかな、意識ではどうにもできない。意識的に、ヘビメタ騒音のことは忘れて楽しもうと思っても、楽しめない。絶望的に楽しめない。

 

2021年11月13日土曜日

楽しいこと、ない。

 だめだ。もう。ばかにやられる。

あー、こういう世の中か。

あー、暗い。楽しいこと、ない。

2021年11月12日金曜日

自分の体が、数千日の、普通だったらありえない疲労で、ボロボロにならないとわからないんだよな

  いろいろなものを捨てようと思うと、むなしさがこみあげてくるなぁ。


つらいだけの一生だったけど、……むくわれなかったけど、いままで、よく生きてきたなぁ。ほんとうに、どのシーンをとっても、くるしいわ。あのこころぼそさはない。ヘビメタ騒音でずっとくるしかった。ずっとずっと、くるしかった。まともな気分じゃないんだよ。やられてない人は、こういうことを言えば、俺が特別に敏感で、特別に弱いから、そんなことを言っていると思うんだよ。あの生活が毎日続いたら、だれだって、こうなる。すべての時間、こころぼそくてくるしいということになる。俺は、ほかの人よりも強く、よくもったほう。俺は、ほかの人よりもずっと、しつこくて、粘り強いんだよ。そのぼくが……そのぼくが……。何千日もやられると、やはり、からだにがたがくるということになる。精神に亀裂が入るということになる。どうやっても、がんばれないということになる。どうやって、明るい気持ちを維持しようと思っても、明るい気持ちを維持できないということになる。ヘビメタ騒音……きちがい家族による、ものすごいヘビメタ騒音というのは、そういうものなんだよ。ほんとうに、まるでわかってないな。


やっぱり、自分の体が、数千日の、普通だったらありえない疲労で、ボロボロにならないとわからないんだよな。もう、どうやったって、我慢ができない状態になる。ノーマルな状態が、我慢ができない状態なのだから、普通にやろうとすると、短時間で、限界をむかえる。限界をこえたあとは、もうめちゃくちゃだ。そういう状態になるということが、ヘビメタ騒音が続かなかった人にはわからない。だから、気晴らしのたてまえや、気晴らしのきれいごとを言う。けど、その人たちは、あの毎日を十数年間経験してないから、そういうことが言えるだけ。同じようにやられたら、とてもじゃないけど、言えない。だから、そういうところでも、不公平なんだよ。

2021年11月10日水曜日

そういうふう「うごく」

  あの女の人とつきあっておけばよかったのかな。けど、まるまるのことで、意見が対立してもめたりすると、いやだな。もう、そういうのは、いやなんだよ。というわけで、ひとり。


もーーー、つかれた。


もーーー、いやだ。


脳裏にきちがい兄貴と、きちがい親父の姿が浮かぶ。あの顔、あの形相。あの頑固さ。絶対に、言うことを聞かないで、頭がおかしいことをやり切る。しかも、やり切ったつもりがないんだよ。「つもり」だけいつもない。けど、からだは、毎年、毎日、毎時間、毎分、毎秒、そういうふう「うごく」。


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たとえば、俺が親父のことについて語りだしたら、あの女の人はなんというのだろう。その発言に対して、ぼくはどう思うのだろう?


これ、なかったから、なんとも言えないのだけど、たぶん、あんまりいいことにならない。俺が、けっきょくなんだかんだ言って、親父の入院の手続きなどをしてしまう。めんどうを見てしまう。愚痴りながら、めんどうを見てしまう。

しくみがあるんだよなぁ。

しくみがあるんだよなぁ。

これは、もうだめだ。

やはり、終活か。 

俺の人生を考えると、きちがい兄貴とかきちがい親父とか、頭がおかしい・自分勝手な人に、ずいぶんとやられてきたなぁ。あいつら、頭がおかしいから、気がつかない。スイッチが入っちゃっている。もう、終活か。

俺は、もっと気楽な天国のようなところで暮らしたかった。この世は、地獄。 

このあいだも書いたけど、ヘビメタにやられると、ほかのやつにもやられるようなことになる。ヘビメタで能力をさげられると、ほかのやつにもやられる状態になる。佐藤(仮名)の説教だって、ヘビメタにやられたから、常識的な一般人である佐藤(仮名)になめられて、ヘビメタ騒音の影響を無視たした、一般的なことを言われることになる。この一般的なことというのは、そいつらにとっては、一般的なことだけど、ヘビメタ騒音実際に浴びてどうしようもないところで生きてきた俺にとっては、事情を知らないから言える「罵倒」「侮辱的な発言」なのである。きちがい説教なのである。こんなの、ゆるせるわけがない。自分で体験しないとほんとうに、ヘビメタ騒音のことはわからない。毎日毎日、ずっとあの態度で鳴らされてしまういうことの持つ意味がわからない。地獄に決まっているだろ。そりゃ、鳴らされている当時から……つまり、学生時代から、まわりの人間は、佐藤とおなじ一般人として機能しているわけだから、そうなる。

 

2021年11月3日水曜日

ヘビメタ騒音と親父のことで疲れはてたよ

 人間関係のこととか、これからのことを考えると胸が押しつぶされそうな気分になる。「こんなんじゃなかった」と思う。こんなんじゃない。こんなんじゃない。


どうしても、チカラが出ない。出ない。もう、つかれた。ヘビメタ騒音と親父のことで疲れはてたよ。ヘビメタ騒音はでかい。これがぼくの人間関係をうばってしまった。体力と気力をうばってしまった。しあわせをうばってしまった。

2021年11月1日月曜日

ほんとうに、だれもわかってくれないけど、すべての時間が、ヘビメタ騒音だった

 あの子としあわせに暮らしたかったなぁ。そういうしあわせも、ヘビメタ騒音がなければ(俺の場合)あったのに……。やったやつがまったくなにも感じてないというのも、親父と兄貴でおなじなんだよ。ほーーんと、どうしてこんなことになってしまうのか。


幼児のころ、おかあさんと買い物に行ったことを思い出して、泣きそうになった。

ほんとうに、だれもわかってくれないけど、すべての時間が、ヘビメタ騒音だった。そして、いまは、すべての時間がヘビメタ騒音後遺症だ。ほんとうに、きちがい兄貴、あんなに意地になって鳴らして、俺の人生かえしてくれ。俺の人生をかえしてくれ。どれだけ言っても、やめてくれくなかったじゃないか。

つらいに決まっているだろ。ほんとうに、きちがい親父とおなじで、「まったくなにもやったつもりがない」んだよね。おっそろしーことに、やっているさいちゅうから、うちの兄貴とおやじは、そう。

じゃあ、言えばやめてくれるかというと、それが絶対ないんだよね。

で、そういうことが、本人の頭の中……自分の頭の中で、つながってない。ぜんぜん別々のことだと認知しているんだよ。あるいは、まったくなにも認知してない。だから、どれだけ言ったってつたわらない。

殺されなければ、ずっとやっている。

なし崩し的に、きちがい兄貴が「勝っている状態」が続く。やったってやってない」と思っている状態が続く。その状態が続いているあいだ、「うち」で鳴らすには、でかすぎる音で鳴らしている。普通の家じゃありえない音で鳴らしている。うちの前がたまたま出でかい幼稚園で、となりの家が当時は、はなれていたから、鳴らせただけ。まあ、となりの人たちの騒音耐性は、幼稚園できたえられているとは思う。けど、俺の部屋はちがう。これ、音のでかさが、距離でどれだけちがうか、みんなわかってない。距離がほんとうに重要なんだよ。この至近距離の、きちがい騒音がどれだけ日常生活に影響を与えるかわかってない。この至近距離の、きちがい騒音が、どれだけ、勉強に影響を与えるかわかってない。この至近距離の、きちがい騒音が、どれだけ、人間関係に影響を与えるかわかってない。11歳までをのぞけは、その後の人間関係というのは、すでに、ヘビメタ騒音の影響を受けた人間関係なんだよ。俺がどれだけはずかしい思いをしてきた。


ほんとうに、どれだけ努力しても、長期騒音でだめなんだよな。ものすごいハンディ。ものすごい障害。ほかのひとにはわからない。わからないから、長期騒音のハンディがゼロに見える。それなら、常識に基づいて、いろいろな、好き勝手なことを言える。好き勝手なことを言っているというつもりもないだろう。はっきり言えば、きちがいにやられて、一般の人にばかにされるような立場に陥ってしまったのである。一般の人は、やられてないから、理解しない。自分の体で経験しなければわからないことというのがある。長期騒音生活は、それだ。まさしく、それ。盲点だけど、本当にすごい障害なんだよな。ほかの人が絶対にわからない障害。経験したことがない人が絶対にわからない障害。それが長期騒音障害だ。みんな、わかってないよ。どれだけのマイナスになるかわかってない。ライフハックみたいな助言でそのマイナスが、くつがえるわけがないでしょ。あった人に、ライフハックみたいな助言をされてしまう立場というのが、そもそも、ヘビメタ騒音障害から、しょうじたことなのである。こんなのはない。言いきれない。言いきれずに、死ぬわけか。どれだけ言っても、だれにも理解されない。繰り返しになるけど、自分の体で経験してない人には、わからない。騒音なんて鳴り終われば、終わりだろと思ってしまう。鳴り終わったままずっと障害になって残るとは思わない。一日だけならそうじゃないよ。けど、何年間も毎日やられると障害になる。これが、何年間も毎日、現実世界で、現実にやられなかった人には、さかだちしても、わからない。そして、わからないほうが、いいのである。わからないほうが、すぐれているのである。経験がなければ、高い地位に行ける。これは、どういうことかというと、たとえば、ぼくと、長期騒音やられなかった場合のぼくが、おなじ才能を持っていたとしても、社会的な地位がぜんぜんちがうということになる。一般の人は、言っていることよりも、言っている人の社会的な地位を参照して、言っていることが正しいかどうか決めてしまうところがある。座頭(仮名)とか、あるいは、「どこで研究をしてらっしゃるのですか」と訊いてきた人だって……。

ぼくの履歴がヘビメタ騒音付きの履歴なのである。きちがい兄貴は、中学のときも、どれだけ言っても、俺に影響を与えているということを認めない。ヘビメタ騒音のなかで、勉強ができないとずっと言っているのに、きちがいおやじとおなじ、きちがい的な虫のしかたで無視して、認めない。これ、「ないことになっている」んだよな。あたかも、自分が1分だって鳴らしてないような感覚で、怒っている。へそをまげている。きちがい的こだわって1分だって認めないで鳴らしているのに。でかい音で思いっきり鳴らすことにこだわっているから、思いっきり鳴らすということだって、一秒だって、1分だって、ゆずりたくないのだ。で、そういう気持ちがあって、そういう行動をしているのに、あたかも、そういう気持ちがなくて、そういう行動をしてないと思っているような態度なのだ。この態度!!

こんなの、普通の人はわからない。ぼくがどれだけ、普通人である座頭(仮名)に説明したって、座頭(仮名)はわからない。座頭(仮名)は普通人の感覚で、みとめない。「そんなひと、いるのかな?」なんて思っている。座頭(仮名)の前にいるのが、職歴がなく、仕事をしてない俺であれば、砂糖は、そういう視線で、俺を見てくる。そういうことだって、ヘビメタ騒音が過去において15年間も鳴ってなければなかったことなんだぞ。あるいは、学生時代だけに限って7年間鳴ってなければなかったことなんだぞ。むだなあらそいが、生じるんだよ。ヘビメタ騒音で!! 兄貴がいないところで!!




毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。