2026年9月30日水曜日

●この負担に関して、ちゃんと、「見積もり」を出している■社会※2026/09/30 16:29

ようするに、親切にするという場合の、親切というのは、親切にしてやるほうの個人にとって、そんなには負担がないことなのである。そして、この負担に関して、ちゃんと、「見積もり」を出しているのである。頭のなかで、見積もりをしている。だから、「人に親切にするとしあわせになる」と言う場合の、「親切」というのも、見積もりの範囲内の親切になる。見積もりの範囲外の親切をしてしまうと、不幸になる確率があがる。どうしてかというと、継続的に「それ」をすることになると、負担がかかるからだ。「人に親切にするとしあわせになる」と言う場合の、「親切」というものは、ちゃんと、その場限りで、負担にならないものに限られているのである。そして、「自分は親切な人だ」とか「自分はいいことをした」とか思えるような親切なのだ。こういう親切は、大きな問題をかえるような親切ではない。ようするに、人間が問題を抱えている場合、その問題が大きければ大きいほど「人に親切にするとしあわせになる」と言う人たちからは、親切にされないということになる。大きな問題を解決するような「親切」をされる確率は小さい。悪い条件によって、大きな問題を抱えている個人は、大きな問題を解決するような「親切」をされることはなく、「自己責任だ」という言葉を投げかけられるようになるのである。

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もうひとつだけ言っておこう。高齢者の女性が、荷物を持って歩いているとする。この人の荷物を持ってあげることは、親切な行為だと分類される。しかし、高齢者の女性と言っても、人それぞれだ。別に「荷物をほかの人にもってもらいたい」と思っている人ばかりだとは限らない。けど、「人に親切にすると、しあわせになる」と言っている人は、筋骨隆々な人の「荷物を持ってあげよう」とは思わないのである。だから、親切にしてあげようと思っている側に、最初から、選別意識がある。こまっているように見える」必要があるのだ。

ぼくが気にすることは、実はもう一つある。かりに、ぼくが、高齢者の荷物を持ってあげることを、高齢者に提案したとする。そうしたら、高齢者が、承諾したとする。その結果、ぼくが、荷物を持ってあげて、その場面は、それで終了したとする。そのあと、別の場面で、その高齢者が荷物を持って歩いていたとする。そうしたら、ぼくではない人が、高齢者の荷物を持ってあげることを、高齢者に提案したとする。その高齢者は、ぼくのときは、安全だったので、その記憶をもとに、その人(ぼくではない人)にも頼んだとする。そうしたら、その人(ぼくではない人)が荷物を持ち去ったとする。その場合、ぼくには、悪気がないけど、最初のケースで安全だったから、次のケースでも安全だろうという見積もりを(高齢者)に与えたことになる。これは、投資系詐欺とおなじ構造になってしまう。投資系詐欺の場合、最初は、ちゃんとおカネが支払われるのである。おカネというのは、正規の配当という意味だ。けど、詐欺の場合は、これは、最初に安心感を与えるために、(もともと、カネを出した人)のカネをかえしているだけにすぎない。あるいは、別の人のカネを、その人に「正規配当」と偽って、配っているだけだ。だから、利益にはなっていないのである。こういう場合、一回目が大乗だったから、二回目も大丈夫だとは、限らない。

実際に、高齢者の荷物を持ち逃げしてしまう人がいるのだから、高齢者は、荷物を持ち逃げされたくない場合は、「ことわる」必要が出てくる。で、まあ、これを、親切にするつもりで、荷物を持ってあげましょうかと提案した人が、どうとらえるかの問題もある。

荷物を持ってあげるということですら、いろいろな場合が考えられる。いま説明したケースだと、どっちも、「知らない人」の荷物を持ってあげるケースなのである。「自分のおばあちゃん」の荷物を持ってあげる場合は、またちがう意味合いが出てくる。

 「人に親切にすると、しあわせになる」と言っている人は、いつも、うまくいくことだけを考えて、そう言っている。人に親切にしてあげようと思ったから、提案したということが、トラブルにつながることは、考えていない。ともかく、「人に親切にすると、しあわせになる」と言っている人は、想定している範囲が狭いのである。「人に親切にすると、しあわせになる」と言っている人たちの、「親切行為」というものが、案外、狭い範囲の「親切行為」に限られているということは、認識しておかなければならない。

言い方としては、 「人に親切にすると、しあわせになる」という文は、「XをすればYになる」という一〇〇%構文の文になる。ところが、「親切にする」というのが、問題なのだ。X(人に親切にするということ)の範囲は、理論的には無限だ。ところが、実際の場面では、無意識的に「親切行為」が選ばれている。親切にする側の、「親切行為」は、実際には、狭い範囲の親切行為なのだけど、「XをすればYになる」という一〇〇%構文の文になるので、親切行為の範囲が無限大になる。こういうところにも、理論?と現実のズレがある。

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人に親切にするということの範囲は、無限だと書いたけど、疑問を持つ人もいるだろう。たとえば、人に不親切にするということを考えると、人に親切にするということの範囲は無限ではないのではないかと思うかもしれない。 人に親切にするということの範囲」も無限だし、「人に不親切にするということの範囲」も無限なのである。

2026年9月29日火曜日

●原因について勘違いをしてしまうのである■言霊※2026/09/19 5:41

言霊主義者は「言い方が悪いんだ」「うまく言えば現実化する」ということについて、なんの疑問も持っていないけど、『言い方が悪いから』現実化しないわけではないのである。

最初から、言霊によって、現実化することは、絶対にないのである。

だから、勘違いしたときだけ、言霊があるように感じるだけだ。

そして、「ぬけぬけ」という言葉で書いたけど、言霊主義者自体が、言霊の力なんて信じていないのである。言霊主義者は最初から、誤解をしている。

自分が「雨がふる」と言ったから、雨がふったというような誤解と、「元気だ元気だ」と言ったから元気になったという誤解がある。「雨がふる」と言ったから、実際に雨がふったのだという誤解は、ふたつの出来事に関連性があると思い込む妄想から、発達したものだ。

これ、言霊の力によって、雨がふったわけではないのである。最初から、勘違いをしている。

そして、「元気だ元気だ」と言ったから、実際に元気になったのだという考え方も、間違いだ。最初から、間違いなのである。

これは、言葉の力だ。

言霊の力で「元気になったような感じがした」わけではなくて、「言葉の力」で、元気になったような感じがしただけだ。

しかも、本人が、元気になったような感じがしたと自分で報告しているだけで、ほんとうは、元気になったのかどうかさえわからない。

言霊主義者だって、大病を患い、横になっているときは「元気だ元気だ」と言っても元気にならないのだ。事故にあって、横たわっているとき、「元気だ元気だ」と言ったら、「元気になって、すぐに歩けるようになる」わけではない。事故にあって、たおれている状態であって、動けない状態は、元気な状態ではない。

この状態で、口はきけるので「一秒以内に、元気になる」と言ったって、元気にならない。「一秒以内に、骨折がなおる」と言ったって、一秒以内に骨折がなおることはない。言霊の力でなおっているのであれば、「〇・三秒以内に、事故にあうまえの体になる」と言えば、「事故にあうまえの体になる」のである。

それ以外の結論はない。

ところが、言霊の力でなおるわけではないので、「事故にあうまえの体になる」と言ったって、事故にあうまえの体にはならない。言えば、言ったことが、言霊の力によって現実化するのだから、「〇・三秒以内に、事故にあう前の体になる」と言えば、「〇・三秒以内に、事故にあうまえの体になる」のである。

けど、ならない。

言霊の力によって、なおるわけではないからだ。

たとえば、Aさんが、車にひかれて、いろいろな部分を骨折したとする。Aさんが、言霊主義者で、「〇・三秒以内に、事故にあうまえの体になる」と言っても、「〇・三秒以内に、事故にあうまえの体になる」ことはない。

Aさんが、入院して、治療を受けて、そのあと、なおったとする。

その場合、「自分が、なおると言ったから治った」と誤解をして言う場合がある。「いつかなおる」と思って、「いつかなおる」と言ったとする。そして、実際になおった……だから、言霊理論は正しいと決めつけてしまう。

Aさんが決めつけてしまう。

誤解をしているだけだ。

言霊の力でなおったわけではない。

ちなみに、自己治癒能力でなおっているのである。治療行為というのは、自己治癒能力の助けをしているのである。自己治癒能力が、人間の体に備わっていて、自己治癒能力の範囲内でなおることであれば、なおる。

別に「なおる」「なおる」と言わなくてもなおる。

ほんとうは、自己治癒能力によってなおったのに、「言霊の力によってなおった」と勘違いしているだけだ。『「なおる」「なおる」と言ったら、実際になおった……だから、言霊の力によってなおったのだ』とAさんが、勝手に思っただけだ。

Aさんが自信をもっている場合、他人に、言霊主義的な助言をすることがあるだろう。

その場合、助言をされたほうは、言霊の力を使って、言ったことを現実化することに、かならず、失敗する。失敗することが決まっている。一〇〇%の確率で失敗するのである。

しかし、助言をれた相手も、Aさんとおなじように、誤解をすれば、言霊理論は正しいと思うのである。

ようするに、「自分が言ったから、言った通りになったのだ」と思うようになる。これも、誤解なのである。ほかの理由で、言った通りになっただけだ。

表面的に、言ったことと、現実の出来事が一致したので、原因について勘違いをしてしまうのである。

2026年9月27日日曜日

●希望がほしい■騒音※2026/09/27 8:13

希望がほしい。やりきれない、こういう時間が、なるべく短くなればいいなぁ。ともかく、希望がほしい。希望がほしい。希望がほしい。ともかく、希望がほしい。この、色あせた、世界。

正常な体がほしい。

ヘビメタ騒音がはじまるまえの、普通の気持ちがほしい。ヘビメタ騒音がはじまってから、常に、どんな時もどんな時も、ヘビメタ騒音で、普通の気持ちじゃなかった。普通の気持ちでくらせなかった。

いちおう、親しい友達には、ヘビメタ騒音のことは言っておいたけど、クラスの友達は、ヘビメタ騒音のことなんて知らなかった。

でっ、ほんとうは、ヘビメタ騒音にたたられているのだけど、ヘビメタ騒音にたたられていない設定で、暮らしていた。その人たちとは(クラスメイトとは)接していた。

けど、関係がないクラスメイトと話しているときも、もちろん、ヘビメタ騒音のことは頭にあった。ヘビメタ騒音の影響を受けていた。

こころも、からだも、ヘビメタ騒音の影響を受けていた。ヘビメタ騒音の影響を受けていた……こころと、からだで……ほかの人たちと接していた。そういう時間も、ヘビメタ騒音の影響を受けていた。

まあ、かくしてと、いうか……言う必要がなければ言わずに、暮らしていたけど、毎日、家で、何時間も何時間もやられてしまうのだから、そりゃ、影響を受けるだろ。

影響が消えずに残るだろ。

こころも、からだも、影響を受けまくっているよ。

なにが……「影響なんてない」……だ。ふざけんな。 

なにが……「鳴り終わったら、関係ない」……だ。ふざけんな。

●くるしい気持ちで生きているところしか、思い浮かばない■騒音※2026/09/27 7:36

俺の人生、どうしようかなぁーー。頭がぽーーーーっとする。いろいろなことが、勝手に浮かんでくる。いろいろなことって、ようするに、記憶。思い出のシーンが浮かんでくる。思い出のシーンと言うと、いい感じだけど、ちがうのだ。全部、ヘビメタ騒音に汚染された、いやな記憶だ。さみしい記憶だ。これ、どうにもならないんだよ。これ、どうにかしたいんだけど、どうにもならない。

なんか、寒い気持ちになる。それにしても、小学生の時から考えても、俺の人生は……。俺の人生はつらいものだったなぁ。あーー。くるしかった。ひとりで行動しているときの、記憶というのが……。記憶がつらい。どうにもならない。やられちゃったから、どうにもならない。精いっぱいなんとか頑張って生きたけど、ヘビメタ騒音で、毎日のすべてが、汚染されてしまったので、どうしても、どーーーーしても、きついものになる。くるしい気持ちで生きているところしか、思い浮かばない。まあ、あの頃は、ヘビメタ騒音……。

けっきょく、ヘビメタ騒音にやられて、入試を受けに行ったときなどは、ようするに、ひとりで行動していたわけ。ひとり行動の時間は、友達や親友がいたってあるでしょ。それは、当然だ。ヘビメタ騒音にやられていると、普段家にいる時間が猛烈にくるしい時間になってしまうわけ。だから、外に出たときも、さみしい気持ちや不安が強化される。これ、わかるかな?

 

●全部、汚染された■騒音※2026/09/27 5:18

だるい。だるい。楽しい世界に行きたい。ほんとうに、つかれた。なにか希望がないとなぁ。「楽しい世界に行く」という希望以外の希望がほしい。いろいろ経験してきたからなぁ。

もう、いいよ。ほんとうに、くるしい世の中だったよ。

ヘビメタ騒音でしょうじたやばい部分をどうにかしようとしているときも、ヘビメタ騒音にやられている状態だ。ヘビメタ騒音は、ぼくがきらいな音がいっぱいつまっているので、そのなかにいるだけで、体中につかれがひろがる。

いろいろな意味で、汚染が広がる。これ、ただ単にうるさいという問題じゃないのだ。鳴らされ終わったあと、ぼくがどういう状態になるか。これだって、わかっているやつは、少ない。いや、いない。どれだけ説明したって、みんな「関係がない」「影響がない」と言う。

実際ないのだから、「元気だ元気だと言えば元気になる」と言える。実際に、その人だって「つかれ」は経験したことがある。

けど、自分のきらいな音が、家族によって、爆音で鳴らされている毎日を経験したわけじゃないだろ。自分のきらいな音が、家族によって、爆音で鳴らされている毎日のつかれが、その人にはわからない。

ヘビメタ騒音関係のことで医者に行くときの気分が、めちゃくちゃなのだ。これ、もう……「それなら、死んだほうがましだ」と思うほど、憂鬱だ。

ともかく、ヘビメタ騒音のいやな部分が、すべての体験に浸透した。純粋にヘビメタ騒音に関係がない体験が一切合切ない。全部、汚染された。 

●いやな体験がつもっているのである■騒音※2026/09/27 4:23

 とにもかくにも、とにもかくにも、なにもかもが、ヘビメタ騒音でくるしい。これが、本音だ。だれにもわからない本音だ。これ……どれだけ、他人に言ったって、真意はわからない。真意どころか、だいたいの意味ですら伝わらない。実際の時間の長さが問題だ。毎日続いた。これがでかい。

きちがい兄貴が軽い気持ちでやったことなんだよ。けど、この軽い気持ちというのは、弟に対して、軽い気持ちでやったということだ。やることに関して、軽い気持ちだったということだ。軽い気持ちとよりも、こだわりの意地が強いのである。そして、難だろうが、自分が思った通りにやるという気持ちが強かった。だから、なにを言われても、少しもかえずにやった。けど、どれだけなにを言われても、ぼくが傷ついていないと思っていたのだ。自分の騒音が、弟のことを傷つけているという気持ちが、まったく、しょうじなかった。そりゃ、どれだけ言われたって、しょうじないのである。ぼくは、もうとっくに、限界なんですよ。ほかの人は「そんなのは関係がない」と言うけどね。これだって、ひどい発言なんだけど、言ったほうは、軽い気持ちで言っているのだ。ともかく、すべてにおいて、修正できないほどのハンディが生じた。これ、ほんとうに、能力や体力を一〇分の一に制限された状態で生きているのとおなじなのである。そして、体がだるくてやる気がないという意味で、やる気も一〇〇分の一ぐらいに制限された状態で生きているのとおなじなのである。わかいとき、どれだけつらかかったかという話だ。少年のころ、どれだけつらかったかという話だ。そして、少年のころから、積もっているのである。いやな体験がつもっているのである。どうしようもない夜がつもっているのである。どしようもない朝がつもっているのである。どうしようもない昼が積もっているのである。どうしようもない夕方がつもっているのである。

いまだって、つらいよ。全部、つらい。いいことなんてなかった。いいことがあったとしても、それが悪いことにかわってしまうのである。どうしてかというと、ヘビメタ騒音のハンディがあるからだ。人間関係は全部、それだった。これ、影響がでかいのである。だましだまし……やってきたけど、もう限界だ。 

 

 

●全部が、めちゃくちゃだった■騒音※2026/09/27 1:52

いちおう、食べたけど、腹の調子が、極端に悪い。精神的にとても不安定。全部が、袋小路なんだよな。けっきょく、元気を出して、やる気を出して、やるしかないのだけど、元気とやる気がない。だから、初手からつまずくことになる。ほんとうに、いろいろと起こりすぎた。これ、ほんとうに……。みんな、どれだけのハンディかわかっていない。毎日鳴る、苦手な音が、どれだけのハンディになるかわかっていない。全部が、めちゃくちゃだった。

2026年9月26日土曜日

●これが、もつ意味が、ほかの人にはわからない■騒音※2026/09/26 19:55

ヘビメタ騒音で、足を引っ張られるわけだけど、その、ひっぱられ方が並じゃないのだ。

これが、きちがい兄貴やほかの人にはわからない。

これ、個人的な経験だから、ほんとうに、ほかの人にはわからない。

ものすごい、ハンディになるのだけど、きちがい兄貴は、「気軽」なのだ。

そして、ほかの人たちも、このことに関して「気軽」な見方をする。たいした問題じゃないと思うのだ。ところが、ちがうのだ。これ、ほんとうに、毎日、毎日、自殺をしたくなるような問題だった。

だいたい、きちがい兄貴がおかしい。普通の人は、どれだけ鳴らしたくても、あんな音で鳴らさない。

けど、きちがいだから、それがわからない。

無意識的なレベルで感覚器を書き換えるという方法で鳴らしてしまう。そして、この、「無意識的なレベルで感覚器を書き換えるという方法」というのは、こちらにとってものすごく腹が立つ方法なのだ。

そして、ほかの人たちは、「無意識的なレベルで感覚器を書き換えるという方法」で、普通の人が鳴らさないような音で、ずっと毎日、きちがい的な意地で自分が鳴らしたい曲を鳴らし続ける家族と一緒に暮らしているわけではないので、それがわからない。ほかの人たちは、経験がないことなんだよ。

けど、騒音は経験してことがあるし、つかれている状態というのは、経験したことがある。苦労というなら、苦労を経験したこともある。

だから、ここのちがいがわからない。ここのちがいがわからないまま、「自分だって苦労した」ということを言ってしまう。「自分だって苦労した」ということを言えば、それで、特殊な家族による特殊な騒音を、経験したのとおなじだということになってしまう。

この人たちに、どれだけ、「特殊な家族なんだ」ということを言っても、無駄だし、この人たちに、どれだけ「特殊な騒音なんだ」ということを言っても無駄だ。理解は、得られない。ものすごく、足を引っ張られてこまる。

けど、たいていの人はみんな、「そんなのは、関係がない」ということを言う。ところが、何度も言うけど、関係がある。自分のきらいな音を、爆音で鳴らされ続けて、勉強することができないということが、どれだけのハンディになるか、みんなわかっていない。

だいたい、ヘビメタ騒音の疲れ方が、並じゃないのである。これは、運動してつかれたとか、自分が好きなゲームをしてつかれたというのとは、ちがう。きちがい家族が、自分のいやな音を、全力で、鳴らしている。そういうつかれだ。

これが、みんなわかっていないのである。

だから、「鳴り終わったら関係がない」ということを言う。けど、ヘビメタ騒音のつかれは、特殊で、それ以降のすべての時間に影響をあたえる。

これ、ほんとうに、ぜんぜんちがうのである。「つかれた」と言っても、ヘビメタ騒音……自分が一番聞きたくない音を聞かされて……つかれた場合と、ほかことでつかれた場合とでは、ぜんぜんちがう。

これ、ヘビメタ騒音のつかれというのは、残業のつかれとくらべても、ものすごく、悪質なつかれなのである。これも、みんなわかっていない。

そして、年齢的なものもあって、ぼくが、仕事をしてつかれたわけではないというのが、これまた、無意識的に影響をあたえている。「一方は、仕事をしてつかれたわけで、ちゃんとしているけど、もう一方は、仕事をしてつかれたわけではないので、ちゃんとしていない」というよう無意識的な認識が成り立っている。

ちゃんとしたつかれと、ちゃんとしていないつかれの区別があるのだ。きちがい兄貴が認知のブラックホールになっているのだよな。

普通の人にとって……。普通の人の横には、いないわけだから、わからない。

きちがい兄貴のような特殊な家族と一緒に住んだわけではないので、きちがい兄貴の「気軽さ」がわかっていない。きちがい兄貴の「こだわり」がわかっていない。きちがい兄貴は、きちがい親父のように、特殊なやり方で、自分がこだわってこだわってこだわって、やっていることを、無視してしまう。

この無視のしかたが、独特なのだ。ほかの人には、この無視のしかたがわからない。そして、実際に、無視されて……この独特な方法で無視されて……自分のきらいな音を常に浴びせられる状態というのを、経験したことがないから、それがもつ意味がわからない。

きちがい兄貴は、時間を決めてやるわけではない。可能な時間は全部やるということになっている。これが、もつ意味が、ほかの人にはわからない。

ぼく以外、だれにもわからない。いまですら、ヘビメタ騒音の後遺症で、めちゃくちゃにこまっている。睡眠回路を破壊された。こなごなに破壊された。いま、これ、眠れなくなって、起きている書いているのである。

いまのぼくには、月に一回の歯医者通いも、至難の業なのである。

そして、けっきょく、睡眠時間を調整できずに、三〇時間起きているような状態で、歯医者に行くときの気分が、並じゃないのである。

これ、高校入試の試験場に行くときのような気分なのだ。三〇時間起きているような状態で、高校入試の試験場に行くときのような気分なのだ。体が、つらい。動かすのがつらい。

けど、頑張って、動かしている。

けど、もちろん、普通の状態で動いているわけではないのだ。何十年時間がたっても、けっきょく、陸続きでかわらない。壊れた睡眠回路が元に戻ることがない。なかった。

けど、睡眠回路の問題だけではないのである。

みんな、ヘビメタ騒音の影響を、過小評価している。ぜんぜん、ちがう。ほんとうに、ちがうのに、みんな、ひとごとだと思って「関係、ない」と言う。関係、あるんだよ。

2026年9月25日金曜日

●ほんとうに親切な人は、むくわれない場合がある■社会※2026/09/25 20:21

 「人に親切にしましょう」というときに語られる親切の内容は、決まっているのだ。「ちょっとした親切」「小さな親切」ということになっている。ようするに、「自分が快感を感じられるような親切」なのである。基本的には、自分にとって、ものすごく負担になるようなことは、最初から、「親切行為」から除外されているのである。親切にするという場合、問題なのは、相手の要求なのである。相手の要求がどのようなレベルのものかということを、最初に推し量って、親切にするかどうかを決めているのである。自分にとってものすごく負担があることは、「人に親切にしましょう」と言っている人も、人にやってあげないのである。それどこか、ほんとうに親切な人が、自分にとってものすごく負担があることをして、つぶれた場合は、その人のことを罵るのである。そして、バカにして「すべては自己責任だ」と言うのである。たとえば、AさんとBさんとCさんがいたとする。Aさんが、こまっていたとする。AさんがBさんに助けを求めたとする。ようするに、AさんがBさんに要求をしたということだ。Bさんが人に親切にする人なら、Aさんの要求に応じるということになる。人に親切にすると、運があがって、自分が幸せになるからだ。ようするに、Bさんは、Aさんの要求にこたえてあげることによって、しあわせになれるのである。あるいは、Bさんは、Aさんの要求にこたえてあげることによって、運があがるのである。しかし、どの程度の負担が、どの程度の期間、続くのかということが問題になる。たとえば、Aさんにカネがなく、Aさんの介護をBさんがするようになったとする。Aさんの金銭的な負担を、Bさんが肩代わりをして、なおかつ、BさんがAさんの介護をするというようなことについて考えてみよう。この場合、たしかに、Bさんは、Aさんに親切にしたということになる。しかし、金銭的な負担が、思ったより大きくて、Bさんの財政事情を圧迫したとしよう。ようするに、Bさんにも、Aさんの介護費・医療費を負担することがきつかったとする。けど、一度承諾してしまったので、続けたとする。この場合、Bさんは、けっして、しあわせになっているわけではない。負担で押しつぶされそうになっている。運だって、あがったとは言えない。どうしてかというと、運というのは、現実の写し絵だからだ。けど、「善行によって、そのうち、運があがることはある」と信じることはできる。しかし、信じることができるだけだ。介護が長期間続いて、Bさんの人生に悪い影響が出たとする。そうした場合、Bさんは、Aさんに親切にしてあげることによって、むしろ、ふしあわせになったということができるのである。Cさんは、宗教的な人で「人に親切にしましょう」と言っている人だとする。人に親切にすると、自分の気持ちがよくなり、善行が認められ、しあわせになるということを、主張している人だとする。この人が、Bさんのストリーを聞いた場合、どういうふうに反応するかということが問題になる。じつは、CさんはBさんに「すべては自己責任」と言い放ち、Bさんが愚かな行為を選択したというようなことを言い始めるのだ。「自分に負担がありすぎることをするのは、バカなことだ」と言い切るのだ。ぼくの想像の範囲の話で、Cさんの態度と発言をそのように書いただけだ。けど、現実的には、ほんとうに親切な人は、むくわれない場合がある。 

●眠たいのに、起きている状態■騒音※2026/09/25 12:07

いま、ものすごく、頭がまわらない状態なんだけど、こういうときに、ぼくが、「やらなくていい」と言っていることを、やってしまうやつが、頭にくる。

ネズミ関係で思い出してしまった。

ぼくが、この頭の状態で……眠たい状態で、無理やり起きている状態で……「やらなくていい」と丁寧に何回も言っているのに、「やってやる」と言って、聞かないというようなことをするやつは、首にすればよかった。

あのとき、「やったら、罰金一〇〇万円」「もう、こなくていいよ」と言って、首にするべきだった。この、猛烈に眠りたい状態で、やっと起きているときに、ぼくが言っていることを認めないやつは、もう、ほんとうに、なぐりたくなる。

なぐらないで、自分の気持ちをおさえると、死にそうな気持になる。

俺が、ものすごく眠たいときに、無理をして起きているのに、むちゃなことを言うやつは、みんな、失敗する。

かならず、俺に、迷惑をかける。

おしが強いやつは、みんな、そう。俺の判断があっていたんだよ。俺の判断があっている。相手の判断が間違っている。

そして、相手の判断が間違っていることで、不幸な出来事が、俺の身に発生する。こういうことばかりだった。

でっ、どうして、普段、普通の人が起きている時間に、ぼくがそういう状態になるかというと、ヘビメタ騒音が問題なのだ。そして、家の外壁のことも、じつは、ヘビメタ騒音が関係している。

だいたい、ヘビメタ騒音が鳴っていなければ、ぼくは、ネズミのことでこまっていない。この家にいなかったからだ。全部、ヘビメタ騒音に関係していることなんだよ。ネズミも、ネズミ対策工事も、全部、ヘビメタ騒音に関係している。

皮膚科に行って、調剤薬局で、ものすごく嫌な目にあったのも、ヘビメタ騒音が関係している。ヘビメタ騒音で、皮膚病になった。ネズミのことでこまっているのも、ヘビメタ騒音が原因なんだよ。

この、眠たいのに、起きている状態で、俺が頼んだことをやらないやつ……。この、眠たいのに、起きている状態で、俺が頼んでないことを、やるやつ……。

この頭の状態で、起きているときに、「勝手なことをするやつ」が、ミスをする。この頭の状態で、ぼくが、丁寧に対応しているのに、訳の分からないことを言い張って、ミスをするやつが、ゆるせない。

けっきょく、そいつの判断が間違っている。いつもそうなんだよ。そして、そのミスの結果、ぼくが、ひどい目にあう。

これも、いつもいつも、決まっている。

この……眠りたいのに、無理やり起きている状態で……訳の分からないことを言い張るやつが、かならず、ミスをする。

きちがい兄貴や、きちがい親父と部分的に似ている人が、ぼくに、不愉快なことをしてくる。 

性格の悪い人が、俺の言うことを聞かない。ヘビメタ騒音で、睡眠回路を破壊されて、いいことがない。

これ、無理やり起きているとき、この状態になる。頭の状態がくるしいのに、丁寧に対応してやっているのに、何回も同じことを言わせやがって……。

しかも、俺が「やらなくていい」と言ったことを、俺が見ていないうちにやってしまうのである。こういう、へんな人間とのトラブル……。 

ヘビメタ騒音って、みんな、騒音の問題だけだと思っているけど、ちがうんだよ。皮膚病の問題になったり、ネズミ対策工事の問題になったりする。

まあ、ネズミ問題も、きちがい兄貴がヘビメタを鳴らさなかったら、俺が経験しない問題だったんだよ。

俺が丁寧に対応しているのに……何回も、「やらなくていい」と言っているのに、やってしまうやつとか、なんなんだよ。なんか、きちがい兄貴や、きちがい親父と似ているところがある。ほんとうに、相手の首を絞めて「やらなくていいと言っているだろ」と言うべきだった。

一回目にそうするべきだった。

相手の首を絞めるというのは、相手か着ている服の襟を、両方とも内側に引っ張って、首を絞めるということだ。「胸ぐらをつかむ」という表現でもいい。

そうしたいのを、我慢して、丁寧に、何回も「やらなくていい」と言ったわけ。「やらなくていい」と何回も言ったのに、俺の見ていないところで、やっちゃって……。

その結果、ネズミが入ってきた。

俺がふさいだところを、ネズミ対策業者の人が、とっちゃったんだ。こんなの、ない。こういうことが、多いんだよな。 

なんか、眠たくても(時間調整のために)無理やり起きている状態で、また、ネズミの問題が発生したから、ネズミの対策工事のことを思い出してしまった。あのときも、こんな感じで、体がつらかった。

これ、じつは、外壁のことも含めて、ヘビメタ騒音が関係している。

●俺の人生が、騒音で焼かれた■騒音※2026/09/25 2:51

はっきり書いて、どれだけ書いても、しかたがないことなのだけど……意味がないことなのだけど……不安だ。いままでの、自分の人生が、つらすぎる。

こういう時間をどれだけすごしたか。

これ、二〇歳のときも、三〇歳のときも、そしていまも、まったく、おなじなのである。

猛烈に、不安。

ヘビメタ騒音のときとおなじ気持ちになる。どうしても、くるしい。無意味を感じてしまう。切羽詰まった発狂的な気持ちになる。

本当に、騒音で焼かれた。俺の人生が、騒音で焼かれた。

2026年9月24日木曜日

●出来事と感情のあいだに結び付きやすいペアがある■言霊※2026/09/24 19:45

なんとか、起きた。けっきょく、気分なんだよなぁ。

けど、気分は、いろいろな条件によって決まる。条件のなかには、強烈な条件と弱い条件がある。影響度がちがう。無理なものは無理なんだよ。

たとえば、強烈な腹痛におそわれているとき、「楽しい気分になるか」というと、ならない。強烈な腹痛におそわれているとき、「うれしい気分になるか」というと、ならない。

どうしても、「いたい」ということに、神経が集中する。

いたいから「いたい」と思う。いたいときには、いたいわけだから、「楽しい」とか「うれしい」という気分には、結び付きにくい。

もちろん、ドラマやアニメで、主人公が死ぬまえ、いたがっているけど、「うれしい」とか「たのしい」とかという感情に包まれているような描写がある。死ぬまえに、くるしいはずなんだけど、笑顔だった。死ぬまえに、くるしいはずなのだけど、感謝の意を表して死んでいった。

そういうシーンはあるかもしれない。

あるかもしれないけど、日常生活のなかでは、そういうのは、まれで、強烈にどこかがいたい場合は、「いたい」という感覚的な「気持ち」に支配されて、なかなか、「楽しい」とか「うれしい」という気持ちにならない。

あるいは、なかなか、「楽しい」とか「うれしい」という気持ちにならない。

ようするに、条件が生み出した刺激と、結び付きやすい感情と結び付きにくい感情があるのである。しかし、「楽しいと言えば、楽しくなる」というように、一般化してしまうと、この部分をそのまま、無視することになるのである。

しかも、一〇〇%構文の文で言っているということは、注しなければならないのだけど、たいていの人たちは、一〇〇%構文の文で言っているということを、無視してしまう。

なので、条件に関係なく、言ったことが成立するようなことを、他人に言うようになる。「楽しいと言えば、楽しくなる」と言っている人たちが、普段どのように暮らしているかというと、ほんとうは、条件が生み出した刺激の影響を受けて暮らしているのである。

本人が、それに気がついていないだけだ。たとえば、言霊理論が、理論的に間違っているということを指摘されると、怒りの感情がわくのである。言霊理論が、理論的に間違っていると言った相手に対して、憎悪の感情が芽生えるのである。

ほんとうは、言霊主義者は、言霊理論が間違っていると言われた直後、腹を立てている……ときに……「楽しい楽しい」と言っても、楽しくならない可能性がある。

「楽しい楽しい」と言っても、楽しくならない確率は、非常に高い。出来事によって感情が発生したあと、逆のことを言っても、自分の感情なのに、その通りにならない場合がある。

そういう場合は、非常に多い。むしろ、こっちのほうに、法則性があるような感じがする。

あくまでも、感じがするだけだ。ぼくの経験の範囲で言えば、一〇〇%の言霊主義者が、言霊理論を批判されたあとに、おこりだした。でっ、たぶんだけど、おこっているとき、「楽しい楽しい」と言っても楽しくならないはずだ。実際には、言霊主義者はぬけぬけなので、自分が本当に腹を立てているとき「楽しい楽しい」とは、なかなか言わない。

「言えばいいだろ。言えば言った通りになるんだろ」……と言いたくなるけど、エイリがこのように言ったとしても、たいていの言霊主義者は、激しくおこっているときに「楽しい楽しい」とは言わないのだ。

言わないので、『言った通りにならなかった』ということを経験しないことが多いのである。ごく普通に、自分が本当におこっているときは、「楽しい楽しい」とか「うれいうれい」とかというようなことは、言わない。

たとえ、言ったって「そのようにはならない」ということを、言霊主義者が知っているからだ。けど、他人には「どんなにつらくても、楽しい楽しいと言えば楽しくなる」と言ってしまう。

他人には「どんな状態でも、、楽しい楽しいと言えば楽しくなる」と言ってしまう。

ただ単に、自覚がないだけ。こいつらに、一〇〇%構文の文を与えると、非常にまずいことになるので、ライフハックがはやることは、よくないことだ。

実際の出来事によって、ある種の感情が発生している場合は、その感情とは逆の感情を表す言葉を、言ったって、なかなか、言った通りの感情にはならないのである。中立的な状態で、「楽しい楽しい」と言ったら、楽しくなった(ような気がした)ので、言霊の力があり、言霊の法則が成り立っているということを考える人は、いろいろなところで、あやまちをおかしているのである。

それに関しては、もう、さんざん書いたので、ここでは、省略する。

ある種の出来事が発生しやすくなる、ある種の条件があるのである。ある種の出来事と、結び付きやすい感情があるのである。

だから、実際に、ある種の出来事がしょうじたら、普通は、そのペアの感情がしょうじるのである。あくまでも、「普通は……そうなる」ということだ。組み合わせは、絶対だから、その組み合わせ通りの感情しか、発生しないと言っているわけではない。

出来事と感情のあいだに結び付きやすいペアがある。

でっ、ある種の出来事というのは、ほんとうに、ある程度条件によって決まってしまうようなところがある。これも、確率的に、そういうことが起きやすいということだ。

そして、そういうことが起きやすい仕組みがあるのである。この仕組みは、社会的なしくみであったり、個人の心理的なしくみであったり、人間同士(対人関係上)の心理的なしくみであったりする。

●ヘビメタ騒音が作り出した現実からは、解放されないのである■騒音※2026/09/24 0:21

腹がいたくなった。いたみにおそわれているときは、ちょっとまえの、いたくない状態に戻ることを渇望した。いたくない状態は、ものすごくいい状態に思えた。

けど、いたくない状態に戻ってみたら、やはり、ずっと問題が続く。

いたみは小さくなったけど、体のだるさは、残っている。吐き気もちょっとある。

なにを食べていいのかわからない。まあ、いたくないときでも、くるしいんだよな。だから、くるしみがない、楽な世界に行きたいと思うわけ。

いたいのは、いやなんだよ。

くるしいのもいやなんだよ。

でっ、横になりながら考えていたことは、やはり、ヘビメタ騒音期間中の出来事や、ヘビメタ騒音期間以降のできごとであるわけ。

「腹がいたくないとき、どういう状態だったか?」ということだ。

くるしかったんだよ。

猛烈に、くるしかったんだよ。

けっきょく、猛烈なくるしさが続いてしまう。

基本、サラリーマンをやめれば、それで、強烈なくるしさから解放されてしまう人ではない。俺は……。体力的にサラリーマンができない人がいるとする。

この人は、楽なバイトや楽な自営業ならできるとする。サラリーマン時代、猛烈にくるしかったとする。

けど、サラリーマンをやめれば、くるしさから、解放されるのである。

けど、ぼくはちがう。

かりに、楽な自営業で生活できるとしても、きちがい兄貴のヘビメタ騒音が作り出した現実からは、解放されないのである。

2026年9月23日水曜日

●兄貴は気がついていないけど、ものすごい、トラブル発生装置なのだ■騒音※2026/09/23 4:08

楽な世界に行きたい。楽しい世界に行きたい。設定をかえてやりなおしたい。タイムリープしたい。どうしようかな。楽な世界に行きたい。楽な世界に行きたい。満たされた、楽な世界に行きたい。

ほんとう、このさきの、しあわせな暮らしってなんなんだろうな。長期騒音にやられた。いままで、生きてきたけど、失ったものが多すぎる。失いすぎた。

そして、積もりすぎた。積もりすぎたのだ。ずっとずっと、積もった。どれだけ多くの「不快」「憤り」「トラブル」が積もったかわからない。

みんな、無視するけど、きちがいヘビメタが、学校から帰ったときから、鳴っている。

学校から帰ってくるまえに、鳴っている。うちのドアに近づくとき、ぼくがどういう気持ちになるか、わかっている人なんていない。ひとりもいない。

あのドアを開けたとき、きちがいヘビメタ騒音が雪崩のように落ちてきて、怒りがわく。「やめろ」「やめろ」と叫びたくなる。

きちがい兄貴の部屋に行って、「やめろ」「やめろ」と叫ぶ。

けど、きちがい兄貴がやり続けてしまうのである。このときの気持ち、爆音中で感じる、憤り。

もう、トラブルの記憶ばかりだ。ヘビメタ騒音が原因で、俺の能力が落ち、トラブルがしょうじる。『能力が落ち、トラブルがしょうじる』と書いたけど、いろいろな症状がどうしても出るのである。

たとえば、寝不足なら、注意不足になる。宿題ができないということで生じるトラブルだってある。広い意味で言えば、言霊主義者とのトラブルだって、こういうトラブルの一部だ。

Xをすればしあわせになる」と言っている人との、トラブルだって、こういうトラブルの一部だ。

「そんなのは、関係がない」言った人との、トラブルだって、こういうトラブルの一部だ。

きちがい兄貴は気がついていないけど、ものすごい、トラブル発生装置なのだ。

●死因はヘビメタ騒音■騒音※2026/09/23 2:55

ぼくがこのさき、死んだ場合、死因はヘビメタ騒音。ほかの、どんな理由でもなく、ヘビメタ騒音が死因。

*     *     *

あれを、軽い気持ちでやってわけだからな。

どれだけ、「やめてくれ」と叫んでも、ずっと鳴らしていた。

それで、自分がまったく関係がないつもりだ。まったく俺の状態に影響与えていないと思っている状態だ。

ほんとうに、きちがい兄貴は、きちがい親父、そっくり。

そっくりなんだよ。

関係がわからない。

普通……「ヘビメタ騒音で勉強ができなくてこまっている」ということを、言われたら、弟は、自分が鳴らしているヘビメタ騒音で勉強ができなくて、こまっているんだな」と思うわけ。

そのあと、しずかにするかどうかは……ともかく、そういうことは、日本語で言われれば認識するんだよ。

ところが、何万回言われても、わからないままなのだ。

一度もそんなことを言われたことがない状態で、兄貴は、生きている。

一度もそんなことを言われたことがない状態で、思いっきり鳴らすのである。自分が鳴らしたい時間はすべて、思いっきり鳴らすのである。

きちがい的にでかい音で鳴らすのである。きちがいでなければ、そんな音で鳴らそうと思わないような音で鳴らすのである。きちがいだから、「普通の音だ」と思っているのである。

自分が思いっきり、でかいでかい音で鳴らしたいので、「普通の音量だ」と思ってしまうのである。

きちがい親父が、ハンダゴテのことでもめていたとき「つかえるつかえる」と絶叫していたのは、これとおなじなのである。もう、書いたから、詳しくは書かないけど、おなじなのである。

絶叫するかどうかのちがいがあるけど、自分の本当の欲求のために現実を書き換えてしまうのである。

現実を書き換えたという認識がないのである。現実というのは、現実に関する認識だ。

だから、無理やり……「このように思おう」と思って、思っているのではないのである。もう、これ、詳しく書いたから、ここでは書かない。

ともかく、ずるい仕組みがある。

普通の人は「やろう」と思ってもできないことなんだよ。

無意識的なレベルで、感覚器を書き換えて、やってないことにしてしまう。

ほんとうは、でかい音で鳴らしているのに、でかい音で鳴らしていないことにしてしまうのである。

普通は、知っている。

普通の人は、でかい音で鳴らしたいから、でかい音で鳴らしているのは知っているけど、「普通の音で鳴らしている」と言い張って、鳴らすわけ。芝居をするわけ。

ところが、芝居をしているつもりがないのである。

ほんとうに、普通の音で鳴らしていると本人が信じている状態なのである。

ここに、ズレがある。

兄貴は、芝居をしているつもりはない。芝居通りに行動しているのに、芝居をしているつもりがないのである。

こういうところにズレがある人だから、ほかの人が、(ぼくの話を)誤解するのである。

兄貴の側のずれなのに、ぼくが嘘を言っていると思ったり、ぼくが大げさなことを言っていると、普通の人が思うわけ。

「そんなの、あるわけがない」と思うわけ。「そんな音で鳴らしていたら、家族がやめさせようとする」と思うわけ。全部、ちがうんだよな。

●ヘビメタ騒音で人間関係が、ズタボロになった■騒音※2026/09/23 0:56

腹がしくしくする。呼吸をするたびに吐き気がする。なんか、いろいろと、やりたくない。片づけは、無理か。ちょっとでも進んだほうがいいのだけど……。

ものすごく、不安な気持ちになるんだよなぁ。引っ越した先でもおなじ感じがする。

けど、ネズミやナメクジで不快な思いをすることはなくなるので、ちょっとは、やわらぐと思う。

ほんとう……。ヘビメタ騒音で人間関係が、ズタボロになった。これ、けっこう響ているんだよ。まあ、関係がない人には関係がないことだけどね。ぼくのなかでは、けっこうでかいことだ。そうならざるを得なかった。

そうならざるを得なかった。

どういう気持ちでぼくが、頑張って生きてきたか。

これ、ぜんぜんわかっていない人が「ニコニコすればいい」「明るいことを考えればいい」と言うわけ。

そういうことが、どれだけ、ぼくの気持ちを破壊してきたか、ぜんぜんわかっていない。 

2026年9月22日火曜日

●修学旅行の朝も、ヘビメタ騒音で、はち切れんばかりに、憂鬱だった■騒音※2026/09/22 21:30

 楽な世界に行きたい。楽な世界に行きたい。

ほんとうにこの世は、つらいだけのこの世だったな。ヘビメタ騒音ではちきれんばかりの憂鬱が発生した。ヘビメタ騒音の影響を受けた状態で、旅行に行ったって、楽しくないんだよ。死にたい気分で、旅行地をさまよっていることになってしまう。

修学旅行だって、そうだったよ。修学旅行だって、ヘビメタ騒音でむちゃくちゃだった。

「明日、修学旅行だからやめろ」と……きちがい兄貴に……直接……何回言ったかわからない。

「旅行するんだからいいじゃないか」ときちがい兄貴が言った。言いやがった。

一秒間も静かにしてくれなかった。

前日から、ヘビメタ騒音で、こころが破壊されている。こころが破壊され続ける、数時間だ。あるいは、十数時間だ。

修学旅行の朝も、ヘビメタ騒音で、はち切れんばかりに、憂鬱だったよ。

朝、鳴っていたわけではなくて……この日は朝、鳴っていたわけではなくて、前日のヘビメタ騒音で、無茶苦茶な気分なのである。前々日、しずかにしてくれたかというと、当然、しずかにしてくれなかった。

破れかぶれ。発狂状態。きちがい兄貴が鳴らしているあいだ、こっちは、ずっと、この部屋で、発狂状態だ。これがどれだけつらいことかわかるか?

朝、ヘビメタが鳴っていた期間もある。

きちがい兄貴が、フォークギターぐらいの音まで音をおとそうと思えば、いつでもおとせた。きちがい兄貴が、ヘッドホンをしようと思えば、いくらでも、ヘッドホンをつけることができた。

けど、一秒もそうしてくれなかった。毎日一秒もそうしてくれなかった。

緊張と破滅なのである。前日の、ヘビメタ騒音数時間で、めちゃくちゃなのである。ちなみに、日曜日は、一三時間以上、鳴っている。すべての時間を使って鳴らした。

このすべての時間というのは、つかんる時間すべての時間という意味だ。兄貴が寝ているあいだは、鳴らしていなかった。

だから、すべての時間じゃないと思う人もいるかもしれないけど、そういうことではなくて、兄貴が(実際に)鳴らせる時間は、すべて、鳴らしていたということだ。

鳴らすとなったら、兄貴が満足できるレベルの「音量」で鳴らすのである。

だから、フォークギターぐらいの音まで、音をおとしてくれることが、一日に一秒もなかった。これが、事実だ。これ、俺が嘘を言っていると思っているやつらが、割といるんだよなぁ。

いやだなぁ。そんなやつら……。いやだなぁ。そんなやつら……。いやだなぁ。そんなやつら……。

こいつらが、誤解をして、意地悪なことをしてくるのである。へんな解釈で、人を悪い人間だと思って、悪い人間だと思っているときに、その人たちがやるようなことを、俺に、やってくるのである。

きちがい兄貴が、その人たちの常識を超える人だと、俺が嘘を言っているように思われる。こんなの、ない。

●すべての時間的な経験を飲み込むんだよ■騒音※2026/09/22 20:41

 楽しい世界に行きたい。老化しない世界に行きたい。楽な世界に行きたい。ヘビメタ騒音がなかった場合の世界に行きたい。行きたい。行きたい。ここは、つらすぎる。ここは、つらすぎる。次から次へと「くるしいこと」が発生する。

けっきょく、なにをやるときも、ヘビメタ騒音で、くるしい気持ちなのである。けっきょく、なにをやるときも、ヘビメタ騒音で、楽しくないのである。

けっきょく、なにをやるときも、きちがいヘビメタ騒音で、つらくてつらくてしかたがない状態なのである。

もう、だませない。

どれだけ、積みあがってきたか。どれだけ、たえてたえて、のりこえてきたか。

みんな、誤解をしているけどヘビメタ騒音『で』くるしいんだよ。そうならざるを得ないんだよ。どれだけ、自分を鼓舞しても、けっきょく、ヘビメタ騒音の影響のほうがでかい。

どれだけ、自分を鼓舞しても、つらいだけなのである。つらさが増すのである。ピンチなのである。

切羽詰まった状態になる。そういう状態になることが問題なんだよ。

騒音の問題と言うと、鳴っているときだけ問題だと思うやつが大半だ。そういう人たちにとって、騒音の問題というのは、限られた問題なのだ。

鳴り終わったら、ほんとうに、関係がなくなる問題なのだ。

ところが、きちがい家族が、きちがい感覚で鳴らす騒音というのは、ちがうんだよ。

「ちがう」ということが、経験のない人たちにはわからない。

ぼくが説明したって「なにを言っているんだ」と思うだけだろ。「自分だってつらいことはいくらだってあった」と思うだけだろ。けど、ちがうんだよ。

生活全部を破壊する騒音なんだよ。

ずっと、たたられ続けるということの意味がわかっていない人が「そんなのは関係がない」とか「そんなのは、影響がない」とかと言う。

関係がある。影響がある。不可避的な影響がある。

その時間というのがあるだろ……その時空というのがあるだろ。

一倍速で、鳴っている時間が、ほかの時間にも、(人間の体というものを通して)不可避的な影響をあたえる。

実際に、身近な家族に、日常的にやられなかったから、そういうことがわかっていないだけ。

生活、全部なんだよ。

影響を受けるにきまっているだろ。

この基本的なことを、普通の人たちが、否定しやがる。

ぼくが言っていることがわからない人は、たいした騒音生活を経験していない。

ちがうんだって!! 

言っているだろ!!

全部なんだよ。時間が続いているの。陸続きで、続いているんだよ。

すべての時間的な経験を飲み込むんだよ。

●同レベルの生活をずっとしたことがないから、わかっていないだけだろ■騒音※2026/09/22 19:50

きちがいヘビメタ騒音で、すべてのことが、つらいことになってしまうのである。すべてのことが、汚染されるのである。すべてのことが、つらいことになってしまうのである。

だれもわかってくれない。これ、こうなるにきまっているのである。

けど、実際に、自分がこの世で一番きらいな音を、家族である兄が、ずっと、鳴らしている状態で暮らしたことがない人たちばかりなので、ぼくが言っていることがわからないのである。

たいていの人が、みんな、「自分だってつらい思いをした」ということを言う。

たしかに、つらい思いをしたのだと思う。

けど、そういう発言をしているとき、そういう発言ができるほどには、つらい思いを(今現在は)していないというとになるのである。

ようするに、「つらい思いをした」のは、過去のことなのである。たしかに、あんまり現在の状態に影響をあたえていない過去の出来事なのである。

けど、きちがい兄貴が、きちがい感覚でずっとやってしまったことから、発生したこちら側の「つらいこと」というのは、ずっと続いている。

自分の体(からだ)を使って生きている以上、ずっと、関係があることなのである。今現在の状態に影響をあたえていることなのである。

ともかく、無理なものは無理なんだよ。

ともかく、ずっと、陸続きなんだよ。

ずっと、続いているの……。

きちがいヘビメタ騒音で発生した「つらいこと」がずっと続いているんだよ。ヘビメタ騒音期間中の「つらいこと」というのは、ヘビメタ騒音で押し出されたつらいことなんだよ。

生きているだけで、どれだけつらいかわかっていないなぁ。常に、ピンチなんだよ。どうしてピンチかというと、ヘビメタ騒音が鳴っているからピンチなんだよ。

どうしてピンチかというと、ヘビメタ騒音が鳴っていたからピンチなんだよ。ずっと、続いているの。ずっと、続いているの……。

ヘビメタ騒音は、騒音の問題だけではなくて、すべてのことが、死にたくなるほどつらいことになる問題なんだよ。

ヘビメタ騒音で、どんなことでもピンチになる。

ヘビメタ騒音のことで、どんなことも、死にたくなるほどやりたくないことになる。

ヘビメタ騒音のことで、どんなことも、切羽詰まったことになる。

実際にはやられていない人が、「すべては受け止め方の問題だ」と言う。いや、同レベルの生活をずっとしたことがないから、わかっていないだけだろ。

●めちゃくちゃにでかいこと■騒音※2026/09/22 16:51

 つかれたぁ。吐き気がある。もう、一回眠りたい。睡眠トライしようかなぁ。

しかし、雨と気温変動で、なんか、体調が悪い。

希望がないんだよな。希望が欲しいなぁ。

横になって考えることが、ヘビメタ騒音がはじまった日のことなんだよなぁ。あれから、どれだけつらい目にあったか。

みんな、実際に経験していないから、「なんだそれ」と思えることなんだよな。

けど、自分が、この世で一番きらいな音が、常に爆音で鳴っている生活というものについて、考えたことがあるか。

ぜんぜんちがう、騒音について考えて、「そんなの、たいしたことない」と思ってしまう。

多くの人が、思ってしまう。けど、ぼくの側から見ると、きちがいヘビメタ騒音は、めちゃくちゃにでかいことなんだよ。 

実際に自分が一倍速で経験していることではないから、無視できるだけなんだよ。軽く考えることができるだけなんだよ。

そして、たとえば、ヘビメタ騒音の影響を無視して言うことが、倫理や道徳に関することなのだ。こんなの、ない。

言っていることがまったくわからないと思う。

たとえば、「人間は働くべきだ」というのは、倫理や道徳に関することなのだ。

こんなの、ない。

倫理や道徳を無視して、きちがいヘビメタを、すべての時間、鳴らすやつは、なんなんだ。すべての時間というのは、「使えるすべての時間」ということだ。きちがい兄貴にとって、使えるすべての時間を鳴らすということは、俺にとって、常に鳴っているということになる。

時間を決めてやるわけではないから、常に、鳴り始める可能性があるものなのだ。これ自体が、圧力だ。

きちがい兄貴帰ってきたら、鳴り始めるものなのだ。

どれだけ俺が「やめろ」「やめろ」と、きちがい兄貴に、直接、強く言っても、きちがい兄貴は、きちがいだから、きちがい感覚で、鳴らしてしまう。

これは、倫理や道徳を無視して鳴らすということだ。倫理や道徳を無視して鳴らす人間がいるという前提がある。

それで、実際にやられて、こまっている人間に、「こういう基準に合わせるべきだ」と言ってくるのである。

そこには、倫理や道徳があるのである。

こんなのない。

むしろ、「こういう基準に合わせるべきだ」ということを言うこと自体が、非倫理的なこと、非道徳的なことなのだ。ほんとうは、そうだ。

けど、こっちが、どれだけ、現実的に、被害を受けていても、「他人である人」にとっては、その被害というのは、ゼロなのだ。他人である人にとっては、被害じゃないからだ。

実害を被っていないのだから、実害を被ったことによってしょうじる「影響」を、無視できる。無視してしまう。

そして、「自分だって苦労した」と言えば、自分の行為を、肯定できるのである。

ところが、実害を被ったことによってしょうじる「影響」を、無視して、非倫理的なことを俺に言ったという履歴は残る。非道徳的なことを俺に言ったという履歴は残る。

まあ、ぼくの側に残っているだけだけどね。

そりゃ、きちがい兄貴が占有して、きちがいヘビメタを鳴らしているときの時間は、ぼくが苦しんでいる時間だけど、そいつらは、まったくくるしんでいない時間だ。

こいつらが「自分だって苦労をした」と言ったって、ほんとうは、ものすごくでかい影響をあたえる、きちがい家族によるきちがいヘビメタ騒音の時間を無視したことには、かわりがない。

「ヘビメタ騒音の時間」によって、不可避的にしょうじる、こちら側の損害を無視したことには、かわりがない。

●ぼくの立場がどんどん悪くなる■騒音※2026/09/22 5:10

世間の人たちはレジャーに出かけているのか。ヘビメタ騒音がなければ、俺も、レジャーに出かけていたかもしれない。ボロボロなんだよ。

ヘビメタ騒音で、少年時代から、ボロボロだ。

中学三年生のときには、もう、こころも体もこわれていた。壊れたからだで、カラ元気を出して、高校に通っていた。

けど、つらかった。

高校時代も、三年間通してずっとずっとずっと、毎日毎日、きちがい蛇目騒音が鳴っていたからだ。俺の体をこわし、精神をこわしたヘビメタ騒音が鳴っていた。鳴っていたんだ。

あの時も、ほかの人の理解は得られなかったよ。

「そんなのは、お兄さんに言えばいい」「お兄さんと相談すればいい」「家族で相談すればいい」と言われた。家族で相談すれば、解決する問題だと(その人たちは)思っていたのだ。

けど、家族が問題なんだよ。

きちがい兄貴という家族が問題。きちがい親父という家族が問題。この二人が、きちがいなのだ。この二人が、「よその人が考えられないこと」をやりきる。

そして、この二人は、「よその人が考えられないことをやりきった」のに、やりきったつもりがないのだ。この「やりきったつもりがない」というところが、きちがいたるゆえんなのだ。

けど、みんな、そういう問題を軽く見る。きちがい兄貴も、よその人から見れば、普通の兄貴。きちがい親父も、よその人から見れば、普通の父親なのだ。

けど、ちがうんだよ。

そして、昨日も書いたけど、兄貴や、親父が、ぜんぜんそのことに気がつかない。

兄貴がきちがい的な意地でやっていることは、兄貴にとって、なんでもないことなのである。

「やったって、やってないこと」なのである。この「やったってやってない」という感覚も、よその人には、まったくわからないだろう。

だから、「やったってやってない」という感覚で、きちがい家族がやってしまうことの影響を受けてしまうということも、わからない。よその人は、経験がないからわからない。

やられた側の人間にとって……それがどれだけ腹が立つことか、ぜんぜんわからない。よその人は、経験がないから、ぜんぜんわからない。

「そんなのは、言えばいい」ということなのだ。

それで、かたづいたら、こまっていない。悩んでいない。普通に勉強ができる状態で、勉強している。

ところが、きちがい兄貴が 「やったってやってない」という感覚で、きちがい的なことだわりで、きちがい的な音を鳴らすから、こまっている。悩んでいる。悩んでいた。

ほんとうに、勉強することができなくなるからだ。

大きな問題だったんだよ。

きちがい兄貴にとっては、こだわりの音で鳴らすことが絶対条件だったんだよ。鳴らすなら、こだわりの音で鳴らしたかった。

だから、この点で、一切合切ゆずらないのである。

ところが、ゆずらなかったつもりもないのだ。

こういうところで、きちがい兄貴は、きちがい親父とそっくりなんだよ。やっていることがおなじなんだよ。こんなの、どれだけ、普通の人に言ったってわからない。普通の人は、「だからなんだ」と思う。

どうしてかというと、普通の人は、きちがい家族にたたられたことがないからだ。きちがい家族が、きちがい的なこだわりで、きちがい的な感覚で、毎日鳴らす騒音でこまったことが(人生のなかで一度も)ないからだ。

ないのだから、「そんなのは、なんだ」という気持ちになる。「そんなのは、なんだ」という感覚しかない。だってやられていないわけだから、そうなる。

自分の身体を通して、一倍速で、経験していない。聞いた話だ。聞いた話というのは、たとえ、一三時間のことでも、一瞬のことだと思えることなんだよ。

けど、実際に一三時間鳴らされれば、一三時間影響を受けるし、一三時間よりあとの時間も、影響を受ける。一三時間鳴らされ続けた影響が、体(からだ)に出ているから、一三時間よりあとの時間も、影響を受ける。

まあ、一三時間以降と書くと、一三時間ちょうどを含んでしまうので、一三時間よりあとの時間と書いた。

ともかく、一三時間やられると、一三時間目に鳴りやんでも、騒音の影響を受けた体(からだ)で暮らすことになるのである。

「鳴り終わったら関係がない」と言ったやつの考えている騒音は、そういう騒音じゃないのである。

「鳴り終わったら関係がない」と言ったやつのことは、いまでも、ぶんなぐってやりたい気持ちになることがある。

*     *     *

そりゃ、ぼくだって、ほかの人が経験したことは、ぼくが一倍速で経験したことではないので、話を聞いた聞いたとき「そうなのか」と思うことがある。

けど、ぼくは、相手が経験したことが相手の(現在の状態に)影響がないという軽はずみな、発言をしない。

そりゃ、相手が一倍速で経験したつらい体験は、相手の現在の状態に影響をおよぼす(こともある)と考えているので、そんな、軽はずみな発言はしない。

こいつらは、軽はずみな発言をしているというつもりがない。

こいつらは、俺に「鳴り終わったら関係がない」と言っているとき、「鳴り終わったら関係がない」というのは、事実だと思っている。

「鳴り終わったら関係がない」という自分の考え方は正しいと(こいつらは)思っている。俺にとって、むなくそ悪いやつらになる。

そりゃ、そうだろ。実際に、きちがい兄貴が、こっちの都合を無視して、きちがい的な感覚で、きちがい的な意地で、あの音を鳴らし続けているのだから……。いたのだから……。長期間にわたって毎日そういうことが繰り返されていたのだから……。

「影響がないわけないだろ。バカ」「関係がないわけないだろ。バカ」と思うよ。

自分の実感がそうさせる。

ぼくの経験の範囲で言うと、こいつらに、ぼくが「関係がある」ということを説明しても、こいつらは、認めなかったよ。

自分のバカな考え方にこだわって、次々に、バカな発言をしやがったよ。

こいつらときたら、言霊主義者のように、ぬけぬけなのだ。こいつらときたら、言霊主義者のように頑固なのだ。絶対に自説が正しいと思ってうたがわない。

そして、はっきり言うけど、きちがいヘビメタをやられたことによって、ぼくの立場がどんどん悪くなっていくのである。

こいつらが、ぼくに対して、高圧的な態度で、バカな発言をするというのも、ぼくの立場が悪くなったいうことから発生することなのだ。

ぼくの経験の範囲で言うと、こいつらは、半分おこったような状態になり、次々にバカなことを言いやがる。

きちがいヘビメタ騒音で、ぼくの立場がどんどん悪くなる。

●俺は、その言霊主義者に、感謝する■騒音※2026/09/22 6:30

きちがい兄貴のやり方が本当にひどいのである。

みんな、わかっていない。

きちがい兄貴の騒音がはじまるまえは、きちがい兄貴の騒音のような騒音があるということが、わからなかった。

俺だって、実際にやられるまでは、「自分の体(からだ)がどうなるか」ということは、わからなかった。

一日のなかでの影響がわからなかった。

けど、実際にやられたので……「これはたまらない」「これは、ひどすぎる」「これじゃ、ぜんぜん勉強ができない」「これじゃ、宿題もできない」「これじゃあ、忘れ物をしてしまう」「これじゃあ、眠れない」ということがわかった。

これ、ほんとうに、やられないとわからないと思う。

俺の話を聞いて、そのその人の頭のなかで「ヘビメタ騒音」というものを考えている。ヘビメタが好きな人は、「そんなに騒音かな」と思うこともあるだろう。

けど、ちがうのである。

たしかに、ぼくにとって、ヘビメタという音楽は、めちゃくちゃに、きらいな音が入っている音楽だった。しかも、きらいな音が、ものすごい密度で入っているのである。

一秒間のなかにものすごくきらいな音が、何個も入っているのである。

そのひとつひとつが、俺の脳みそにダメージを与えるのである。きちがい兄貴が、横で、鳴らしていて、俺が、脳みそにダメージを受けないということはなかった。

ようするに、不可避的に、ダメージが生じた。けど、やられていない人やヘビメタが好きな人は、それがわからない。「影響を受けないようにすれば、影響を受けない(ことが可能だ)」と、なんとなく、思ってしまう。

ところが、それは、自分のきらいな音を、あの至近距離で、あの爆音で、ひたすら、聞かされる続けるという経験がなかった人が感じることなのだ。

「あんなの、無理に決まっている」……これが、実際、自分のきらいな音を、あの至近距離で、あの爆音で、ひたすら、聞かされる続けるという経験がある人が、感じることだ。

まず、考えることだ。

ぜんぜんちがうのである。

けど、ぜんぜん、経験がない人に、「ぜんぜんちがう」ということを、どれだけ話したって、相手は、相手の感覚で話を理解するので、ぜんぜん、伝わらないままなのだ。

そして、相手は、理解しないことで、なにか損があるかというと、なにもない。

俺には、損がある。相手が理解しないことで、相手は、俺のことを自動的に下に見て、バカにするようになる。

そして、相手が、言霊主義者なら「できると言えばできる」と、めちゃくちゃなことを言うようになる。

それじゃあ、きちがい兄貴が鳴らしていたとき、『言い方がうまい』言霊主義者が「ヘビメタが今日中に、鳴りやむ。そして、このあと、一切合切、鳴らないようになる」と言ってくれるのかというと、そうではないのだ。

「そんなの、言えばいい」と言うだけだ。

俺が「兄貴がヘビメタを鳴らさないようになる」と言っても、兄貴が、ヘビメタを鳴らし続けた場合、言霊主義者のなかでは、「エイリの言い方が悪いからダメなんだ」というとになるのである。

だったら、その言霊主義者が「エイリの兄貴がヘビメタを鳴らさないようになる」と言えば、エイリの兄貴がヘビメタを鳴らさないようになるのかというと、ならない。

きちがい兄貴が、きちがい兄貴の感覚で、きちがい兄貴の欲望に従って、きちがい的にでかい音で鳴らさないと満足できないから、きちがい的にでかい音で鳴らしている。

兄貴の意志で鳴らしているのだ。

だれかが、「兄貴がヘビメタを鳴らすようになる」と言ったから、言霊の力で、兄貴がヘビメタを鳴らすようになったのではないのだ。

言い方がうまい言霊主義者が「エイリの兄貴がヘビメタを鳴らさないようになる」と言っても、言霊の力によって、エイリの兄貴が、ヘビメタを鳴らさないようになるということはない。

もしかりに、「エイリの兄貴がヘビメタを鳴らさないようになる」と言ったあと、一週間以内に「エイリの兄貴がヘビメタを鳴らさないようになった」場合、ふたつの出来事が、一週間以内に起こったということなのである。

そして、ふたつの出来事のあいだには、なんの因果関係もないのである。

まあ、親切な言霊主義者が「エイリの兄貴がヘビメタを鳴らさないようになる」と言ったあと、一週間以内に、鳴りやんだら、俺は、その言霊主義者に、感謝する。

最大の感謝をする。

もう、感謝して感謝して、猛烈に感謝する。

2026年9月21日月曜日

●多くの人は、やはり、認めない■騒音※2026/09/21 20:54

はぁーー。正直なことを書いてしまうと、むなしい。

むなしいわぁーー。むなしいーー。

まあ、ヘビメタ騒音については、ほかの人に理解を求めたけど、ほとんどのほかの人が理解しなかった。こいつらが、みんな、非・合理的なひどいことを言うのである。

けど、それらの「非・合理的なひどいこと」は、公認された「非・合理的なひどいこと」なので、「非・合理的なひどいこと」だとは、認識されていない。

多くの人にとって、「非・合理的なひどいこと」だとは、認識されていない。

理論的に考えるということが、できない人が多いのである。理論的に間違っていることは、理論的に間違っていると認めるべきだと思う。

その考え方の根底に、妄想的な前提があるなら、妄想的な前提があるということを認めるべきだと思う。

ところが、こいつらは、そんなものは、無視する。

だから、ここら辺のことが、兄貴や親父とかぶっているように見えるのだ。

兄貴によって、ぼくは、働けない体になった。

このことは……この人たちには、経験的にわからないことだ。理論的にわからないことではなくて、経験的にわからないことだ。経験がないから、わからないのだ。

「そうなる」ということが、わからない。「そうなる」ということが、自分の経験・自分の身体を通してわかっていないのだ。

だから、経験的にわからないことは、しかたがないと思う。

けど、理論的に間違っているということがわからないというのは、やはり、こっちにとっては、ぐっとくるものがある。

兄貴と俺のあいだにあった問題の縮小版が、世間の人と俺のあいだにあるのである。親父と俺のあいだにあった問題の縮小版が、世間の人と俺のあいだにあるのである。

しかし、「常識」というところで、一八〇度反転しているんだよ。

常識的な人がわからないのは、兄貴のなかの常識なんだよ。常識的な人がわからないのは、親父のなかの常識なんだよ。

いままで、オブラートに包んだ形で、この人たちのひどさを説明してきたけど、もう、オブラートに包むのはやめようかな。まあ、オブラートなんて、今時、使っている人はいないか。「オブラートに包む」という表現が、むかしは、けっこう一般的な表現だったんだよ。

まあ、いいや。

ともかく、兄貴の常識が、世間の人にとっては、非常識で、非常識だから、「そんな人はいない」と思ってしまう人が多い。親父の常識が、世間の人にとっては、非常識で、非常識だから、「そんな人はいない」と思ってしまう世間の人たちが多い。

けど、兄貴も親父も世間的に見て、非常識な行動をしているとは、思っていないのである。

兄貴も親父も、きちがい的な意地で、その通りの行動をするけど、「非常識な行動だ」とは認識していないのである。

だから、非常識ではないと思っているという意味で、常識的だと思っているのである。

だから、ほんとうは、きちがい的な意地で、きちがい的な行動をする兄貴が問題なのだけど、きちがい兄貴は、まったく気がついていないわけ。これとおなじことが、親父にも成り立っているわけだ。

どうしても、兄貴の行動に関しては、影響を受けた。どうしてかというと、騒音というかたちをした問題だったからだ。無視できないのである。

ところが、世間のやつらが、そういうきちがい的な家族にやられたことがないので、そういうきちがい的な騒音を経験していないのである。

実際には、「騒音」というよりも、「騒音生活」だ。

あるいは、『長期の騒音生活』だ。

きちがい兄貴のやり方だと、超・超・超・超・超・超・『長期の騒音生活』になってしまうのである。不可避的にそうなってしまう。

ほかの人は、きちがい兄貴のような家族と一緒に住んでいないので、超・超・超・超・超・超・『長期の騒音生活』がどういう影響をあたえるか、経験的に、根本的に、わかっていない。

超・超・超・超・超・超・『長期の騒音生活』の騒音ではなくて、『普通の生活』における『普通の騒音』について考えてしまうのである。

だから、超・超・超・超・超・超・『長期の騒音性』が、ほんとうに、どういう意味をもつのかということは、わかっていないのである。症状があらわれていないのである。人間なら、しょうじる症状がわかっていないのである。

でっ、ヘビメタが好きな人にとっては、ヘビメタ騒音はなんてことない騒音だ。騒音だと感じないだろう。自分にとって不愉快な音が鳴っていることを、『騒音が鳴っている』と表現することになっているからだ。

自分にとって快適な音が鳴っている場合は、どれだけその音がでかくても、騒音ではないのである。

だから、ヘビメタが好きな人が、「そんなのは関係がない」「俺は影響を受けない」と言っても、それは、その人が(ぼくより)すぐれているということではないのである。

ところが、「騒音」の問題だから、その人は、『自分が、エイリよりすぐれているから騒音の影響を受けないで暮らすことができる』と思っているのだ。普通の人も、そういうところがある。

そして、兄貴のヘビメタ騒音は、きちがい的な家族が鳴らす、しつこい騒音だから、きちがい的ではない家族は、そもそも、そういう騒音を鳴らさないという問題がある。

これは、ぼくにとっては問題だ。

ぼくがこの世で経験した多くの人が経験する「問題」ではないのである。

多くの人が経験しない「問題」なのである。

けど、多くの人が「騒音」を経験するのである。

その意味では、きちがいに兄貴のようなひどいケースではない騒音を経験しているということになる。

なので、ここに、「ズレ」がしょうじるのである。「ぜんぜん、ちがうんだ」ということを説明しても、多くの人は、やはり、認めない。

*     *     * 


きちがい兄貴の態度や、きちがい兄貴の行動が、『誤解発生装置』なのだ。

ほかの人の家族は、そんなことはしないのだ。

だから、大多数のほかの人たちは……実際に自分の体で経験することがない。

だから、その問題から、まのがれて、生きている。

知らないまま生きている。

けど、言うことは言う。

自分の常識に照らし合わせて、「人間は働くべきだ」と思っている人は「エイリは(ヘビメタ騒音とかそんなことを言っていないで)働くべきだ」ということを言ってくる。

こいつらはこいつらで、「あれだけ、長い間、騒音生活をすると通勤通学することかできなくなる」ということを(こっちが)言っても、認めない。

こいつらのなかでは、「どれだけ長い間騒音生活をしても、通勤通学ぐらいできる」と思っているからだ。

言霊主義者なら、「できると言えばできる」と、妄想的な発言をするだろう。

こんなやつら、ばかりだった。この世は、こんなやつらばかりだった。 

*     *     * 

まあ、あのころのことは、もう、関係ないと言えるわけだから……。しかし……。

あのころ、ほんとうにくるしかったなぁ。

少数の例外を除いて、だれもヘビメタ騒音のことを理解してくれなかった。まあ、少数の例外はいた。けど、じゃあ、結婚したあと、働かなくてもいいのかというと、それは、ちがうんじゃないかなぁと思う。

実際、わからないけどね。

相手がなんと言うか、わからないけどね……。時間がたつと、理解があった人も、常識的な人とおなじことを言うようになる……傾向があった。

*     *     * 

それにしても、つらかったなぁ。

ヘビメタ騒音からはじまったことで、ほかの人は、ほんとうに「知らない」のである。

説明したって、自分の身で、経験したことじゃないから、どれだけつらいかわからない。

「そんなことで解決するようなことじゃないのである」と言いたかった。言いたい。そんなことじゃない。

たぶん、一日分の失望、一日分の怒り、一日分のふがいなさ、一日分のあせりも、わかっていないよ。

あの態度でずっと、ガシガシ鳴らされるということが、どういうことなのか、ぜんぜんわかっていない。あの態度で、ずっとガシガシ鳴らされて、勉強することができないということが、どういうことなのか、ぜんぜんわかっていないのだ。

どうせ……『どれだけ鳴ってたって勉強ぐらいできる』というような意見を持っているやつらばかりだ。

それが、ちがうのである。

けど、ほんとうに、あの態度で鳴らされていないから、わからない。

あの至近距離で、あの態度で鳴らされていないから、どれだけ、頭がこんがらがるか、わかっていない。ほんとうに、わかっていないから言えることなんだよ。

けど、みんな「俺だって苦労した(わたしだって苦労した)」「俺だって騒音ぐらいあった(わたしだって騒音ぐらいあった)」と言う。言うんだよ。

もう、ほんとうに、全部がいやだったな。

そして、ぼくが、ひとりになってしまった。

これも、必然だ。ヘビメタ騒音の必然だ。きちがい兄貴の態度で、きちがい兄貴が、俺のきらいな音を、爆音で鳴らし続けた結果だ。

これ、ほんとうにひどいことをやっているのに、どれだけ、長いあいだやっても、わかっていないのである。きちがい兄貴がわかっていない。当のきちがい兄貴が、長時間、長期間、鳴らしても、ぜんぜん、わかっていないのである。

兄貴がやっていることなのに、兄貴の側から見ると、兄貴がやっていることではないのである。

でっ、やられていない人というのは、やられていないという意味で、兄貴とおなじように「知らない人」なのである。

だから、「つかれ」とか「騒音」とかと言っても、ぜんぜんちがうことを想像してしまうのである。

こいつらの見積もりが、ほんとうに、低いのである。騒音の見積もりが低い。「騒音の影響」の見積もりが低い。

兄貴のように、無視しているのである。

どうしたって影響を受けるのに、この人たちは……影響を、兄貴のように、無視しているのである。それが、上記の発言につながる。

こいつらにとっては、俺の側に発生した、きちがい兄貴の騒音は、そういうものでしかない。けど、ぜんぜん、ちがうんだよ。そんなものじゃない。そういうものではない。

ほんとうは、こいつらだって、自分のきらいな音を、あのでかさで、毎日ずっと浴びせ続けられたら、俺とおなじような症状が出て、通勤通学できなくなるのに、こいつらは、認めない。

どうしてかというと、実際に経験していないからだ。実際に経験していないから、ほんとうに、ぜんぜん、わからない。わからなければ、俺があまえているようにしか見えない。

わからなければ、「そんなの、どうにでもできるのに、エイリさんがこだわりすぎなんだ」ということになってしまう。

あるいは、きちがい兄貴の話について、認めない人もいる。俺が嘘を言っていると思う人たちだ。この人たちは、俺が嘘を言っていると思っているので、実際には、『きちがい兄貴の騒音』の影響を受けていないと思っているんだよ。

どっちも、けっきょく、実質的な騒音の影響を認めないやつらなんだよ。 

*     *     * 

どれだけ無視して、どれだけ影響を受けないようにしても、ものすごい苦痛の連続になる。ものすごい疲労の連続になる。ものすごい憤りの連続になる。ものすごい憂鬱の連続になる。俺は、ほんとうに、よくたえて、頑張っていた。

これも、頑張っていたとき、いいことがあったかというと、ないのだ。

これが、どういうことなのか、多くの普通の人は、ほんとうに、わかっていない。

「頑張っていれば、いいことがある」なんて言っているやつらが、一〇〇万回うまれかわっても、わからないことだ。ほんとうにみんな、わかっていない。

俺がさぼっているように言ったやつらのことは、いまですら、ゆるしていないよ。

*     *     *

そりゃ、実際には本人が経験していない『騒音生活』のくるしさなんて、わかるわけがないよな。

わからない。

わからないのだけど、わかっているつもりで、『俺の側』の『騒音生活』のくるしさを過小評価して、アホなことを言うのは、ゆるさない。ゆるせない。 

どれだけ、くるしいか、ほんとうに、まったくわかっていないのである。

そんな、ちょっとした騒音でくるしんでいるわけがないだろ。

「ぜんぜん、ちがう」と言っているのに、ほんとうに、こいつらも……きちがい兄貴やきちがい親父のように、無視しやがって。 

*     *     *

そもそも、きちがいヘビメタが、ほんとうにずっと鳴っているから、勉強ができないということが問題なんだよ。

そして、ここで崩されたら、もうだめなのである。「もうだめだ」というのは、ただ単に弱音を吐いているだけではなくて……ほんとうに、やられ続けたあとの実感なのである。

やられ続けたあとの、ほんとうの体調、ほんとうの心的な状態なのである。こいつらが、みんな、これを、無視する。鳴り終わったあとやればいい」……こういうことを言うやつがいた。

俺は、何千日も、鳴り終わったあと勉強をすることにトライしたけど、できなかったよ。

これ、ちがうんだよね。

きちがいヘビメタ騒音が、その日、つみかさなるだけで、風邪をひいて熱が四〇度出ているようなだるい状態になる。熱はたぶん四〇度出ていないけど、そのくらいに、だるい状態になる。

ぜんぜん、わかっていない。

そして、かりに、二時間トライしたとしよう。

そうすると、午前一時一〇分になる。この、ぜんぜん勉強が進まない『二時間のトライ』をして、午前一時一〇分にひとりで起きているのだ。無駄なことをしているのだ。

トライはするけど、マイナスの勉強しかできないので、勉強が進むどころか、後退してしまう。

そして、体調は、もっと悪くなるのである。これは、勝手に夜更かしをしているような状態ではないのだ。

ところが、ヘビメタ騒音というファクターをのぞくと、ぼくが勝手に、夜更かしをしているようにしか見えないのだ。

勝手に、夜更かしをして(寝ればいいのに)午前一時一〇分まで起きていて、それで、「つらい」「朝、起きることができない」と泣き言を言っていると、普通の人たちは、普通に思うわけだ。

どうしてかというと、先行するきちがいヘビメタ騒音の影響を認めていないからだ。

ヘビメタ騒音が体と精神に与える影響を、こいつらは、「たいしたことじゃない」と無視してしまうからだ。

これが、こいつらの態度なんだよ。

2026年9月20日日曜日

●兄貴のヘビメタと、親父のネズミで、ぼくの生命エネルギーが奪われた■騒音※2026/09/20 4:17

あのネズミ、うちのなかにいるわぁーー。たぶん。出ていってくれないかなぁ。あと、あそこのガラス戸はやばい。あそこのガラス戸をどうにかしないとやばい。パティでやるかな。

けど、めんどうくさい。

けど、あそこから入ってくるとなると、自由に入れる状態が続ているというとになるので、やばい。

たぶん、この部屋にはいないような気がする。けど、わからない。

ネズミの出現で、ぼくの体調が一気に悪化する。まだ、眠れない。腹がおかしい。喉がおかしい。

『もう、全部いやだ』という考えが、頭から、はなれない。全部が、つまらなく思える。ともかく、体調が悪い。じゃあ、横になっていればいいのかというと、横になっていても、つらい。

いま、ご飯を食べた。これも、ほんのちょっとだ。すべてが、つらい。 

兄貴のヘビメタと、親父のネズミで、ぼくの人生が台無しだ。兄貴のヘビメタと、親父のネズミで、ぼくの生命エネルギーが奪われた。

*     *     *

この部屋にはいないかもしれないけど、このうちには、いる感じがする。このうちにいないとしても、すぐに、ネズミが入ってくる状態であることには、かわりがない。

どこかに、ぼくが知らない穴がある。ヘビメタとかネズミとか、長期的に影響をあたえることばかりやる。やりやがる。

本人はまったくわかってないんだよな。

ネズミのことだって、親父はまったく、わかってないんだぞ。ヘビメタのことだって、兄貴は、まったくわかってないんだぞ。

こんなハンディ、俺にしかない。

ほかの人には、このハンディがない。こんな特殊なハンディがある人なんて、ぼく以外にいない。

でっ、ほかの人が、ぼくのこのハンディを無視して、不適切なことを言う。

よその人だって、おなじことをやられれば、通勤通学できなくなるし、学業成績が(やられていないときより)ずっとさがるし、体力も気力もなくなるし、睡眠回路を破壊されるし、人間関係も破壊されるのに、ぜんぜんわかっていない。ほかの人には、ないことだから、ぜんぜんわかっていない。

「そんなのなんだ」という態度だ。

「そんなの、関係ない」「そんなのは、影響がない」「できると言えばできる」「努力すれば成功する」「すべては受け止め方の問題だから、受け止め方をかえればいいんだ」……。

こいつらはこいつらで頑固なんだよな。

ともかく、普通に勉強することができなくなるし、普通に恋愛することができなくなる。

どれだけ、きちがい的なでかい音で、苦手な音が鳴っていたか、わかっていない。ヘビメタではなくて、自分がこの世で一番きらいな音で考えてみれば、わかることなのに、ほかの人は「なんだそんなの」という態度になる。

ほかの人が考えているヘビメタ騒音の損害が……ぼくの身の上に生じた損害が一(いち)だとするとする。 実際の損害は、一兆だ。

そして、その損害の大きさが、ほかの人には、必然的にわからないのである。どうしてかというと、ほんとうに、一倍速でやられたわけではないからだ。自分が本当に経験したことではないからだ。

ただ単に、聞いた話なのである。

だったら、「俺だってつらい」という反応になる。けど、そのつらさは、俺がヘビメタ騒音を浴びないで育った場合のつらさとおなじレベルのつらさだと思う。

だいたい、自分がこの世で一番きらいな音を四六時中……大音響で聞かされた場合の症状が出ていないんだよ。症状が出ていない。症状が出ていないから、えらそうなことを言える。「自分だったら平気だ」「俺はヘビメタは好きだしな」というのりで、えらそうなことを言う。

そりゃ、普通の従業員としては働くというのは、めちゃくちゃにつらいことだ。

けど、そういうつらさとは、そもそもがちがうのだ。レベルがちがう。じゃあ、きちがいヘビメタ騒音とおなじレベルの騒音を一一歳から二五歳まで浴びて、不利な立場のまま、普通の従業員として働くということを選択して見ろ。

そんなのは、無理だということがわかる。

体が、もう、ちがうんだよ。

この世で一番きらいな音にさらされ続けて、勉強時間と、睡眠時間をうばわれ、精神と睡眠回路を破壊されて、普通に働くなんてことができるわけがないだろ。想像力がないから、わからない。

あるいは、経験がないから、わからない。

*     *     *

ともかく、ネズミは、いつでも入ってこれる状態なんだよな。たとえ、出ていってくれたとしても。これは、やっかいだ。死にたくなる問題だ。

親父も兄貴も、きちがい的な意地でやったことの『意味』が、ぜんぜん、わかっていないんだよな。

でっ、やっているときに、こっちがどれだけ言っても、方向転換をしない。

これが、きちがい回路なのだ。これが、普通の人の意地ではないのだ。きちがいの意地なのだ。仕組みが、ほかの人にはわかりにくい。いやーー。俺がいくら説明したって、仕組みがわからない人なんて、いくらだっている。

そもそも、興味がないからな。そして、自分が信じていることをぼくが批判したということになれば、不愉快な気持ちになるわけだから……。認めたくない気持ちになる。

たとえば、言霊主義者のように……。

こいつらはこいつらで、俺に対して「なんだとお」という態度で接したということをわすれてしまうんだよな。「関係、ない」「影響、ない」「自己責任だ」「あまえだ」「言い訳だ」とこいつらが言い切ったとき、こっちがどういう気持ちになるか、こいつらは、わかっていない。

けど、親父や兄貴とは、これまた、仕組みがちがうのである。親父と兄貴は、特殊すぎる。普通の人とは、ぜんぜんちがう。

だから、普通の人は、理解しない。だから、そこのところが盲点になって舞うんだよな。きちがい兄貴やきちがい親父は、自分の側の特殊な盲点によって、ほかの人たちの盲点をつくりだしてしまうということに、気がついていない。

被害を受けている俺が、両方からせめられる。きちがい親父からせめられ、きちがい兄貴からせめられ、そして、世間の人からせめられるのだ。

世間の人は、きちがい親父の仕組みやきちがい兄貴の仕組みなんで、ぜんぜん理解していないんだよ。

●まあ、元気を出したフリだよな■騒音※2026/09/20 0:59

まだ、眠れない。俺は、どうなっちゃうんだ。眠れる感じがまったくしない。どうしようかな。そして、人生をどうするか。

ネズミは、ガラス戸のガラス部分とフレームの部分のすきまが、あやしい。あれ、パティかなんかで埋めないとだめだ。

けど、やる気がしない。あそこに足を踏み入れるとなると、靴カバーが必要になる。ズボン型のレインコート下が必要になる。

せめて、普通の人の普通の気持ちになりたい。ヘビメタ騒音でがたぴし、憂鬱の風が吹いている。

こころは、いつも、憂鬱なんだよ。

頑張っても、ヘビメタ騒音でボロボロにされているから無理。元気を出して頑張っても、いいことがなかった。

まあ、元気を出したフリだよな。ほんとうは、ヘビメタ騒音でボロボロなんだから……。 

2026年9月19日土曜日

●この生活の重さが、ほかの人にはわからない■騒音※2026/09/19 23:30

外壁の上のほうで、なんか音がする。高いところ。雨がふっているけど、雨の影響かもしれない。

けど、最近、「かたっん」っていう音が気になってたんだよな。あーー。

けど、内見のことを考えても、カネのことを考えても、落ち込む。あと五〇〇万円あれば……。カネは重要。

しかし、どうすればいいんだ。

ほんとう、こんなことになるとは、思ってなかったなぁ。たとえば、二五歳のころ、こういう夜、自転車で外に出ていた……。目的地は、まあ、小さな本屋だ。

あのころと、あんまりかわりがないんだよね。

あの頃も、ヘビメタ騒音にやられて、人間関係がズタズタだった。友達は、それでも、三人いた。

けど、その友達とも、ヘビメタのことで、もめてしまう。まあ、もめたのは、三四歳ぐらいのときだけど……。

ともかく、ほんとうは、ヘビメタ騒音がなければ、ちゃんと道を歩けたんだよ。そうしたら、友達とも離れる必要がなかった。

ちゃんとした道というのは、まあ、普通コースだ。たとえば、ぼくなら、大学院に進学して、博士号をとり、研究者として働くというようなことだ。そういうコースが、きちがいヘビメタがなければ、カネのことはともかくとして、ちゃんとあった。

あるいは、研究者になれなくても、教育関係の仕事をして、おカネをもらうことができた。

きちがヘビメタ騒音が、小学六年生のときにはじまらなかったら、ぼくは、体力があったほうだから、ちゃんと仕事もできた。能力もあった。働く意志もあった。

ほかの人たちには、これが見えないのである。

どうしてかというと、きちがヘビメタ騒音が、小学六年生のときにはじまったからだ。

この生活の重さが、ほかの人にはわからない。

ほんとうに、ものすごい勢いで、足を引っ張られるのである。俺は、一〇〇分の一の能力でやっていたんだ。

これ、ほんとうに、ぜんぜんちがう。ヘビメタさえなければ、簡単にできたことが、まったくできなくなる。

そして、ヘビメタさえなければ、体力があるほうで、ちゃんと、働けたのに、きちがいヘビメタ騒音で、まったく働けなくなった。体力がなくなって、睡眠力がなくなって、体がボロボロになった。

学生時代の七年間は、重い。

その七年間で、ぜんぜんちがう。

毎日、すべての時間をやられた。この、すべての時間というのは、うちにいるときのすべての時間ということだ。 

二五歳のときですら、自転車をこいでいるとき、破滅破綻の、切羽詰まった状態なのである。体力状態、精神状態、全部、切羽詰まった状態だ。自転車をこいでいたのだから、元気だったのではないかと思うかもしれないけど、いつも、元気がない状態でフラフラだった。

自転車をこいでいるときの気持ちが並じゃないのである。コースからはずれて、彼女もいない。睡眠回路を破壊されて、バイトですら、通ってやるバイトは、無理なのである。

これ、どれだけ自殺したい気持ちになるか。

三四歳のときは、もっとひどくなっていた。

*     *     *

ほかの人のことは、参考にならない。旅行をすれば、楽しいと感じられるやつらだ。ぜんぜん、参考にならない。旅行なんて、ヘビメタ騒音で精神ぶんばらばんだから、つらいだけ。『精神ぶんばらばん』というのは、思いつきで書いた表現。

人生が崩壊しているさまをあらわすとする。きちがいヘビメタに中学三年間、毎日やられたあと、入試を受けに行くときの気分になってしまう。

駅を降りて、試験会場に行くときの気分になってしまう。試験会場に行くまえから、きちがいヘビメタ騒音の寝不足で、気持ちも、足取りも、重いのである。

楽しくない。旅行をすれば、楽しめる。こういう人たちが「俺だってつらい思いをした」「俺だって騒音ぐらいあった」と言ったって、なーーんも、響かない。

旅行をすれば、楽しめる人が、「楽しい楽しいと言えば、楽しくなる」と言ったって、なーーんも、響かない。

みんな、「自分だったら、自分のきらいな音が、爆音で何時間も何時間も、毎日鳴っていたって、普通にすごすことができる」と思っている。

実際にやられなかったから、そう思っているだけなのに、「自分だったら平気だ」という前提で、無理なことを言ってくる。

みんな、「そんなのはあまえだ」「そんなのは言い訳だ」「人間は働くべきだ」と言ってくる。

たまたま、きちがい兄貴のようなきちがい家族にたたられなかっただけだろ。それなのに、「エイリより自分のほうが優れている」と思って、アホなことを言ってくる。

●ヘビメタの音というのが、ぼくの脳みそを破壊する音なのである■騒音※2026/09/19 22:08

このさき、どうするかな。

すべてが、つらい。すべてが、しんどい。元気を出してやっても、つらいままなのである。ぼくのことだからなぁ。ほかの人の感じ方を、移植するわけにはいかない。

ぼくの感じ方は、やっぱり、きちがいヘビメタ騒音で、しょうじた感じ方なんだよな。

これ、一生、むりだ。

どのみち、この状態で、生きていくしかないのか。

わりといい調子になって、やっていても、ヘビメタ騒音時代の「体の感覚」が持続している。多少、回復しても、けっきょく、ヘビメタ騒音時代の「こころの感覚」が持続している。やすまることがない。

そして、さびしい。

生きているあいだの持続時間というのがちがうのである。至近距離で、あれだけでかい音で、自分がきらいな音を毎日聞かされ続けるというのは、どれだけ、頑張って明るくふるまっても、どれだけ「元気だ元気だ」と言っても、ものすごく、つらい状態で生きるということになる。

生きている、持続時間が、ヘビメタ騒音のそれになってしまうのである。

意識がある間、持続している「感覚」というのがある。それが、ヘビメタ騒音の感覚なのである。ヘビメタ騒音時代の「くるしい、くるしい、くるしい」感覚なのである。

死んでしまいたいほど、くるしい感覚なのである。

それを、意志の力で乗り切ろうとした。

けど、きちがい兄貴が、きちがい感覚でずっとずっとずっとずっと、きちがいヘビメタを「きちがい的な意地で」……鳴らしてしまう。

これ、壁で区切られているけど、そこに、あのでかいスピーカーがある状態なのである。そして、ガンガン鳴っている状態なのである。

ほかの人はどうだか知らないけど、ヘビメタの音というのが、ぼくの脳みそを破壊する音なのである。

ほかの人はどうだか知らないけど、ヘビメタの音というのが、ぼくの精神を破壊する音なのである。

これ、ほんとうに、きちがい兄貴が、「なにも気にしないで」やったことだ。

こんなの、ない。

どれだけ、兄貴に言っても、きちがい親父のように、まったく伝わらないのである。俺が兄貴のヘビメタでこまっているということが、まったく伝わらない。

きちがい兄貴が鳴らしている音は、でかい音なのだけど、でかい音で鳴らしているということを言っても、まったく、まったく、まったく伝わらないのである。

フォークギターぐらいの音だと思い込んでる状態がかわらない。

こんなの、ない。

そして、世間の人たちというのは、兄貴のことではなくて、ぼくのことを悪く言うのである。

●そういうレベルのつかれじゃないんだよ■騒音※2026/09/19 21:38

肉と、寿司の残りを食べた。はきそうな感じはある。けど、ともかく、眠りたい。けど、まったく、眠れそうもない。なんか、ひとつひとつが、つらい。希望がない。 

昨日、頑張って買い物に行ったのに、これかよ。だるい。

楽しければいいんだよ。たとえば、旅行だ。楽しければいい。けど、ぼくは、楽しくない。楽しくない。きちがいヘビメタ騒音八年目あたりまでは、見せかけ元気を出して、頑張ってきたけど、九年目あたりから、どうしてもぬぐえないくらい憂鬱が、全体を覆いつくすようになった。

こころ全体を覆いつくすようになった。

無理をして、明るくふるまったって、いいことなんてない。トラブルの連続だ。トラブルに、ヘビメタ騒音にやられている体で、対処しなければならない。

そういうことが、つみかさなった。

いまもそうだ。いまのいままで、俺は、精いっぱい頑張ってきたのである。ほかの人と、やられたことがちがいすぎる。

みんな、実際には経験していないから、あのレベルの騒音生活がどういう騒音生活なのかわかっていない。ほんとうに、精神を破壊する。丈夫な体を破壊する。体力を破壊する。

もう、普段から、ダルダルでしかたがない体になる。

不可避的にそうなるのに、「元気だ元気だと言えば元気になる」と、まったくわかっていない人たちが言ってくる。

そういうレベルのつかれじゃないんだよ。そういうレベルのことじゃない。

ぜんぜん、ちがう。 

●ものすごく楽しい世界に行きたい■騒音※2026/09/19 21:25

どうして、こうなっちゃうんだよ。気が休まらない。

また、呼吸をするたびに、吐き気がするようになった。

やっぱり、これも、精神が関係しているんだな。まあ、実際、腹の調子は悪いのだけど……。ご飯を食べておかないと、いつまでたっても眠れないような感じになった。

けど、腹がへっていないし、ここでご飯を食べるのは、なんか……。ご飯を食べたら食べたで、もっと腹がいたくなったらこまる。

けど、このまま、眠れるかな?

やりきれない。楽な世界に行きたい。

ものすごく楽しい世界に行きたい。ものすごく、ものすごく、楽しい世界に行きたい。

ここまで、我慢して生きてきたけど、なんだったんだ。

長期ヘビメタ騒音が、ほんとうにくるしい。だれもわからない。

ぼく以外、だれもわからない。

どれだけくるしい日常になるか、ぜんぜんわかっていない。「俺だって苦労した」と言って、元気な人たちが、クソふざけたことを言う。

いやーー。

そんな状態じゃなくなるんだってばさ。

この人たちの言っている苦労というのは普通の気持ちを維持できる苦労なんだよな。

ぜんぜんちがうのに、おなじレベルのものだと思って、クソふざけたことを言ってくる。

●「そんなのは知らなかった」■家族※2026/09/19 16:48

歯医者だって、内見だって、日時を決めなければならない。普通の人にとっては、なんでもないことだ。

けど、俺には、一か月前から、めちゃくちゃに憂鬱になるようなことなんだよ。ヘビメタ騒音で、全部、そうなっている。ヘビメタ騒音で全部そういうことが成り立っている。

全部に、ヘビメタ騒音の日とおなじことが成り立っている。普通の人は、普通の気持ちでできるわけだけど、ぼくは、できない。ヘビメタ騒音の堆積が問題だ。

どれだけ長く、ヘビメタ騒音が続いたか。そして、どれだけ長く、きちがい兄貴がこっちの気持ち無視してきたか?

まったくこっちの気持ちがわからないまま、きちがい兄貴が、こだわって、こだわってこだわって、きちがいヘビメタを(よその家では鳴らせないような)でかい音で鳴らし続けた。

影響あるよ。

影響あるのに、普通の人が「影響、ない」と言う。

関係があるのに……普通に通勤通学ができないことと、きちがいヘビメタ騒音の持続は、関係があるのに……普通の人が、「関係、ない」と言う。

こういうことの連続だった。どれだけ、死にたくなるようなことか、ほかの人はわかっていない。

だいたい、「影響、ない」「関係、ない」と言われることだって、こっちにしてみれば、めちゃくちゃに腹が立つことだ。きちがい兄貴が、影響や関係を無視して、やり続けた。ヘビメタ騒音の影響を無視しているということでは、きちがい兄貴と普通の人で、かわりがないのである。

これ、じつは、ぼくにとって重要なことなんだよ。ヘビメタ騒音が連続した結果、通勤通学ができなくなれば、無職になりやすくなるし、ひきこもり状態になりやすくなる。

友達との関係だって、ほんとうに……誤解でなく、ヘビメタ騒音のことがきっかけでこわれた。親友や友達との関係だって、「普通の人」との関係とおなじようなことが成り立っている。普通の人には、きちがい兄貴のような家族(兄)がいないのである。

だから、きちがい兄貴が毎日やったことを、やられる側として、普通の人は経験していない。

だから、「騒音」と言えば、騒音になってしまう。「疲労」と言えば、疲労になってしまう。

これが、どれだけでかい誤解をうむか、ほかの人にはわからない。自分は正しいことを言っているつもりなのだ。

「関係ない」「影響ない」……正しいことを言っているつもりだ。

けど、関係はあるし、影響もある。

*     *     *

けっきょく、眠れなくなってしまった。もう、30時間ぐらい起きている。これ、眠れないよ。きちがいヘビメタにやられて、入学試験を受けに行った日の、早朝のような状態だ。

ほんとうに、あのでかい音で、自分が一番きらいな音が、ガンガン鳴っている……鳴り続けるということの意味が、ほかの人にはわかっていないのである。

ほかの人の家族は、きちがい兄貴のような無意識的なズレがないから、でかい音で鳴らしているときは、でかい音で鳴らしているということが、いくらなんでも、わかる。

きちがい兄貴は、ずっとずっと、わからないままなのである。

どれだけ言ったって、認めない。きちがい兄貴の頭のなかには、自分が思った通りの音で、ヘビメタを鳴らすことしかない。どれだけ、何万回、何十万回言われたって、自分の音で、弟がこまっているということが、わからない。

だから、入試前日だって、二日前だって、きちがい的な意地で鳴らしてしまう。それで、弟がこまるということは、わからない。これ、ほんとうにわからないんだよ。言われないからわからないのではなくて、どれだけ言われてもわからない。

自分が(自分思った音で)(思いっきり鳴らせなくなる)ことが、いやだから、一切合切、認めない。

けど、こういう仕組みをもった人が少ないので、ほかの人は、こういう仕組みをもった人に、騒音でやられるという経験がない。その仕組みをもった人が、家族だという人はもっとレアだ。

そして、兄だけではなくて、父もその仕組みもった人である場合、兄にも、父にも、その仕組みのうえで、きちがい行為をされる人は、レア中のレアだ。

みんな、ほんとうは、わかっていないのである。そして、これが肝心なところなのだけど、丸出しで、きちがい的な意地でやっているのに、やっている当人が、普通の人より「わかっていない」のである。

これが、問題の核心だ。

けど、普通の人たちにとっては、そんなのはどうでもいいことなのだ。そういう仕組みをもった家族に、自分がやられたことがないので、そういう仕組みをもった家族に、やられるということがわからない。やられるということの、意味がわからない。

毎日やられることが、人生において持つ意味がわからない。人生において持つ意味と書いたけど、これは、ぼくの人生において持つ意味がわからないということだ。

だから、普通の騒音を考えて、騒音というものを考えてしまう。

けど、きちがい兄貴が毎日やった騒音は普通の騒音じゃない。きちがい兄貴が普通の人じゃないから、やり方も普通の人のやり方ではないやり方でやるということになる。

だいたい、自分がやっていることを頑固に無視するというとは、普通の人はできない。普通の人は、でかい音で鳴らしていれば、でかい音で鳴らしているということがわかる。

自分がケチで、意味があるレベルで譲ってやらなかった場合は、意味があるレベルでゆずってやらなかったということがわかる。

けど、うちのきちがい兄貴はちがうのである。

そして、うちのきちがい兄貴は、普通の人とは違うことを、やっているということが、普通の人並に、あるいは普通の人以上にわからない。自分がやっていることなのに、わからない。自分が意地になってやっていることなのにわからない。

自分が意地になってやることだから、わからない。絶対に、自分が思った通りの音で、鳴らしたという気持ちがあって、それは絶対に、維持するのである。保持するのである。

そのために、無意識的に現実無視することが必要なら、すべての時間、無意識的に現実を無視するということになる。

だから、本人は、ほんとうに、やったつもりがないのである。きちがい的にでかい音で鳴らしているのにでかい音で鳴らしているつもりがないのである。普通なら、これだけででかい音で鳴らしていたら、横の部屋の人は、こまるだろうということが、ほんとうに、ほんとうに、わからないのである。

どれだけ言われたって、それは、無意識的なレベルで無視してしまうので、言われたって言われたことにならないのである。

だから、「そんなのは知らなかった」という状態で、鳴らしきることになる。「試験のときこまった」ということを、もう鳴らさなくてもいい状態で、ほかの人から聞かされれば、「そんなのは知らなかった」と平気で言う。

たとえば、兄貴の嫁さんには、ぼくが、ヘビメタ騒音のことを説明した。でっ、入試のときのことも話した。

でっ、兄貴の嫁さんが、いま、兄貴に、入試のときのことについて、兄貴話たのだけど、そうすると、兄貴は、「そんなの知らなかった」と、こたえたのである。

兄貴の嫁さんが、兄貴に「そういうところがおかしい」と言ったら、兄貴は、むすーーっとした顔をしたらしい。

俺に入試のまえ、「入試だから静かにしてくれ」「鳴らさないでくれ」と、一階の部屋で言われたとき、きちがい兄貴は、その「むすーー」とした顔をして、二階にあがって、すべての時間、きちがいヘビメタを(いつもの音量で)鳴らしたのである。

すべての時間というのは、それ以降の使える時間すべての時間という意味だ。

ゆずってくれなかった。

一秒もゆずってくれなかった。

これが、ほんとうの話なのである。

ところが、俺が嘘を言っていると思うやつは、俺がなんとか障害者や、妄想性の精神障害者で、嘘を言っていると思ってしまうのだ。

こんなの、ない。

こういうこと、ばかりだったよ。いま、ネズミのことで気持ちが逆立って、眠れない状態になってしまったけど、きちがい兄貴のヘビメタ騒音で気持ちが逆立って、眠れない状態になったまま、学校に行く朝がきたのだ。

入試のときもそうだ。

これの連続が……これの連続が、一日の精神状態に影響をあたえないわけがないだろ。これの連続が……これの連続が、一日の活動状態(体の状態)に影響をあたえないわけがないだろ。

「影響なんてない」と言うやつは、まったくわかっていない。

「俺だてっ眠れない夜はある」と一般化するけど、毎日続いたわけじゃないだろ。その理由が、きちがい的な家族の勝手な行為ではないだろ。

きちがい家族が勝手なことをするから……やっているつもりがまったくないまま、こだわってこだわって、使える時間をすべて使って、勝手な行為をするから、『眠れない日』『眠れない夜』になったわけではないだろ。

理由がちがえば、そのことに関する「気持ち」がちがうんだよ。

納得できることで眠れない夜を過ごした場合と、まったく納得できないことで眠れない夜を過ごした場合はちがうんだよ。

一日だけそうだった場合と、七年以上毎日続く場合は、ちがうんだよ。

どうして、おなじだと思うのだ。

どうして、おなじだという前提で、もの考えるのだ。ちがうだろ。

*     *     * 

きちがい家族に、きちがい騒音を聞かされ続けるということがなかったから、通勤通学できるだけなのに、俺が、「ヘビメタ騒音で通勤通学することができなくなった」ということを言えば、「できないと言うからできない」「できると言えばできる」と妄想的なことを言うやつだっている。

 理由がずれている。さらに、ヘビメタ騒音のことをあまく考えているのである。

ようすにる、「そんなのは影響がない」「そんなのは関係がない」と考えているやつとおなじだ。

「そんなのは影響がない」「そんなのは関係がない」と考えるやつとおなじことを考えて、そのうえで「言えば言ったことが現実化する」という前提で、「できないというからできない」「できるといえばできる」と妄想的なことを言うわけだ。

だから、言霊主義者も、影響を無視しているという点では、「そんなのは影響がない」と言っている人とおなじなのである。

どれだけ失礼なことを言っているか、こいつらはわかっていない。

ヘビメタ騒音でできなくなったと理由を言っているのに、「できないというからできない」という妄想的な理由をでっちあげて、できないと言うからできないのだと決めつけてくる。

迷惑な決めつけ……。

●まさかと思ったけど、いる■騒音※2026/09/19 5:35

買い物に行って、帰ってきた。帰ってきたあと、Youtube動画を視ていた。

名前は出さないけど、ともかく、社会系の動画だ。これを視ていたら、憂鬱になった。

まあ、視なくても、憂鬱ではあるのだけど……。

憂鬱ではある。しかし……。しかし……。

たぶん、いまは、眠れないけど……。眠れない六時間をどうやってすごしていいのかわからない。この憂鬱にたえて、なんとか、生きていくわけか。それにしても、ほんとうに、家族で人生がちがう。

ぜんぜん、ちがう。

多くの人が……みんな、認めないよなぁ。認めない装置を頭に取り付けられているように認めない。 

*     *     * 

 ねずみが出た。しかも、横の部屋にいる。あるいは、俺の部屋にいる。もう、だめだ。

これ、捕まえることができない。混みすぎていて、無理だ。向こうの部屋に、追い込むということができない。この部屋に、ずっと、いることになる。はーー。腹がいたい。腹がいたい。腹がしくしくする。喉がかわく。眠れない。まさかと思ったけど、いる。 

2026年9月17日木曜日

●空想世界で、集合的な一括思考をしてしまう■騒音※2026/09/17 21:14

『「キーワード」と「人間」に関する抽象化』 にも書いたけど、ほんとうに、わかっていないのである。

毎日、ボロボロにされているやつが「楽しい楽しい」と言えば楽しくなるなんて、本気で言えるとは思えないね。

ともかく、きちがい兄貴がやったことが、度外れなんだよ。異常なことなんだよ。普通の家では起こりえないことなんだよ。

だから、普通の人は経験していない。

だから、実際に、そういう騒音が鳴る日常が、どういう日常なのか、まったくわかっていない。

けど、みんな言うんだよ……。

「俺だって苦労した」「わたしだって苦労した」とね。

そのときは、意識はしていないけど、同質化、同量化、同レベル化している。空想世界で「人間」を考えたときとおなじだ。「自分は、ものをあげたとき、しあわせになった」……。

「だから、人間は、ものをあげるとしあわせになる」と思ってしまう。条件がちがう人のことは考えない。

こっちが、「おカネがなくてプレゼントをかえない人だっている」と言えば「おカネなんてかけなくても、心のこもったプレゼントをすればいいのだ」ということを(その人たちは)言うだろう。

そして、ネットやオールドメディアに、おカネがない人が、心のこもったプレゼントをして、ラブラブでハッピーエンドになった話があれば……「おカネなんて関係がない」「心がこもったプレゼントならいいのだ」と確信してしまう。

……そうやって、「おカネがない条件」について考えしまう。

……けど、「おカネがない人」と表現される人のあいだにも、格差がある。

条件の差がある。ありありなんだよ。

「おカネがない」ということについても、ステレオタイプの集合的な一括思考をしてしまう。

空想世界で、集合的な一括思考をしてしまう。

そうすると、個別の条件が無視されてしまうのだ。

おカネがない……と、ひとくちに表現されている人にだって、ものすごい差があるんだよ。

だいたい、きちがい家族の騒音に悩まされているという条件は、出てこない。

きちがい家族の騒音に悩まされ続けて、七年たったとき、バイトをするにしても、きちがい家族の騒音に悩まされずに、七年たった人とは、ちがう条件でバイトをしなければならなくなるんだよ。

バイトだって、限られてくるんだよ。ヘビメタ騒音が七年間鳴っていたいうことで、学歴がなければ、できるバイトだってちがってくる。

たとえば、Aさんは、おカネはないけど、七年間、家族のきちがい騒音にたたられ続ける生活をしていなかったとする。Bさんは、おカネがなく、七年間、家族のきちがい騒音にたたられ続ける生活をしていたとする。

その場合、「おカネがない」という条件は、AさんもBさんもおなじだということになる。

けど、実質的な内容はちがうのである。「おカネがないなら、バイトをして、カネを稼げばいい」と言う人がいたとする。しかし、人によって、条件がちがう。

心のこもったプレゼントだって、あげる本人が、心のこもったプレゼントだと思っていたって、もらったほうが、心のこもったプレゼントをもらったと思うかどうかはわからない。

「プレゼントをあげれば、しあわせになる」と考えているときは、あげたあと、いい反応が返ってくることを期待している。

けど、個々の場面ではちがったことが起こる可能性がある。

あげるほうは「心のこもったプレンと」だと思っていても、もらったほうが、いやな気持ちになる場合だってある。いやな気持ちになったということが、もらったほうの態度に出て、あげるほうが、もらった人の態度を認識した場合は、あげた人は「しあわせな気分」になるわけではない。

現実の出来事というのは、さまざまな条件のなかで、特定の誰か(C)が、特定の誰か(D)にプレゼントあげるということになるのだから、当然、特定の誰か(C)と、特定の誰か(D)の関係は、重要な意味をもつ。

けど、こういう部分も、「プレゼント」という抽象化があり、「あげる」という抽象化があり、「もらう」という抽象化があると、無視されてしまうのである。

それまでの、あげるほうともらうほうの関係を無視してしまう。

現実的なことを考えるなら、現実的な個人が、現実的な個人に、プレゼントをあげるわけだから、それまでの関係というのは、重要な意味をもつ。

……どうして……「プレゼントあげると、しあわせになる」「プレゼントをもらうと、しあわせになる」と(そういうことを言いたくなる人が)考えているときは、そういう個別性を無視してしまうのか?

空想世界で、切り捨てられた、個別性が、現実世界では、猛威を振るうのである。

どうしてかというと、個々人が、現実をつくりだしているからである。

たとえば、CさんとDさんの場合は、CさんとDさんがCさんとDさんの現実をつくっているのである。

個別の関係性を無視して、「プレゼントあげると、しあわせになる」「プレゼントをもらうと、しあわせになる」と考えるときは、両方ともしあわせになるのだから、よい行為でしかないということになる。

ところが、現実の場面では、ちがうことが起こる可能性がある。

個々人の抱える、個々の条件というものを、無視して、考えるから、現実的な人間が抱える、トラブルが目に入らないのである。

はっきり言えば、プレゼントをもらったことで、不幸になることだってあるんだよ。

プレゼントをあげたことで、不幸な気持ちになることだってあるんだよ。

けど、「プレゼントあげると、しあわせになる」「プレゼントをもらうと、しあわせになる」と決めつけてしまう。あるいは、「プレゼントあげると、しあわせな気持ちになる」「プレゼントをもらうと、しあわせな気持ちになる」と決めつけてしまう。

ある人がいたとする。Eさんだとする。Eさんは、ある場面で、ある相手から、プレゼントをもらったとき、不愉快な気持ちになたっことがあるとする。

Fさんがいたとする。Fさんは「プレゼントをもらえば、しあわせになる」ということを信じていたとする。Eさんが、Fさんに「プレゼントをもらっても、しあわせになるとは限らない」ということを言ったとする。そうすると、Fさんは、自分が信じていることを否定されたので、不愉快になる可能性がある。不愉快になる確率は非常に高い。

空想世界の思考実験をするのであれば、『毎日をプレゼントデーにすれば、すべての人が、毎日、しあわせになるはず』なのである。

ところが、実際には、そうならない。そりゃ、うまくいく人もいるけど、うまくいかない人もいる。

そうすると、相手の条件を無視して、「うまくいかない人は、ネガティブなことを考えたからうまくいかないのだ」という決めつけをするのである。Fさんのような人は、そういう決めつけをする。

あるいは、相手の条件を無視して、「うまくいかない人は、ネガティブなことを考えたからうまくいかないのだ」という決めつけをするのである。Fさんのような人は、そういう決めつけをする可能性がある。

相手の条件を無視して、勝手なことを言う可能性がある。。相手の条件を無視して、勝手な決めつけをする可能性がある。

そして、「プレゼントあげると、しあわせになる」「プレゼントをもらうと、しあわせになる」というのは、正しい……と言い切る可能性がある。

「実際に、自分は、プレゼントをあげたとき、しあわせな気持ちになった」「実際に、自分は、プレゼントをあげたとき、しあわせな気持ちになった」「実際に、そうなったのだから、正しい」と言って、相手が言うことを、認めないということが、発生する可能性がある。

自分の場合、そうなったということと、人間の場合そうなるということは、ちがうんだよ。

人によって条件がちがうからだ。おなじ人間でも場面がちがえば、条件がちがうので、いつもおなじことが成り立つとは限らない。 

*     *     * 

こんなのは、他人を対象とした自己責任論とおなじだ。

条件が悪いから、ひどい目にあった人にむかって、「そんなのは、おまえの自己責任なんだよ」と言う人になってしまうわけ。

よく吟味して、相手の自己責任なのかどうかを考えるのではなくて、最初から、「相手の自己責任だ」と言うことが決まっているのである。こんなの、ない。 

●けっきょく、家族由来のことが、ぼくの人生を破壊した■騒音※2026/09/17 19:45

どうやって、希望をもてばいいのだ?

どーーすんだ、俺?

ずっと、我慢して、たえてきたけど、これは、もう、限界だ。体がきつい。

そうだなぁ。八年ぐらい前から、ひどくなった。きちがい親父がネズミを入れてから、ひどくなった。もう、それからは、きついこと、不衛生なことの、連続なのである。

もう、つかれたなぁ。ほんとう、つかれた。そして、そのまえに……ヘビメタ騒音で、人間関係が崩れている。

これも、でかい。

けっきょく、家族由来のことが、ぼくの人生を破壊した。

ぼくの今現在における意識というのは、家族によって破壊されたあとの意識だ。 

●定型的な反応■騒音※2026/09/17 18:28

いま、ひさしか、屋根付近で、ガタンって物音がしたんだけど、気になる。

さっきも、一度、物音がした。これ、ネコか、鳥か、書きたくない生物か……わからない。今日は、腹がずっとおかしい。はきそうな感じが続いている。当然、体調は、よくない。

しかし、風呂に入るぞ。

喉のかわきも、一〇〇段階評価中九〇ぐらいに復活してしまったし、体調が悪い。喉のかわきは、一〇〇段階評価中四〇ぐらいにさがっていた。『あとちょっとで、なおるか』と思っていた。ざんねーーん。

とりあえず、眠ってしまったけど、眠るしかなかったと思う。あの頭の状態で起きていたって、いいことなんてない。

あれ、ほんとうに、やばい状態なんだよな。歯医者通いが発生してから、睡眠の問題が、でかくなっている。

ともかく、体調がやばい。精神も、やばい。

どうしてかというと、ヘビメタ騒音の問題があるからだ。

そして、これ、説明しても、約一〇割の人から、理解を得られないのである。

もう、それが確定している。

定型的な反応を示す人が、ぼくの生命をおびやかすのである。

そりゃ、そうだろ。こんなやつら……。現実世界で、どれだけ、いやな思いをしてきたか。

こいつらの定型的な反応で、ぼくが、現実世界で、どれだけいやな思いをしてきた。

ほんとうに、不愉快なやつらだ。

●関係あるんだよ■騒音※2026/09/17 13:49

腹がしくしくして、いたい。吐き気がする。

けど、これ、強烈な吐き気じゃなくて、弱い吐き気なんだな。吐き気も、しくしくしているような感じだ。頭が、もやもやする。腹しくしくと、頭、もやもやで、メンタルを削られる。

どうせ、ヘビメタ騒音のことも、ヘビメタ騒音の影響も、他人は理解しない。そして、いろいろな妄想がはびこっているから、条件が悪い人に、妄想的なことを言う人が多い。ほんとうに、いやなやつらだと思う。数が多い。

本気で、妄想的なことを信じているのに、合理的に考えているつもりなのだ。理論的に考えているつもりなのだ。

「言えば言ったことが、言霊の力によって現実化する」なんて、理論的に考えたって、しかたがないことなんだよ。

こいつらの無理解ぶり……。きちがい兄貴の無理解ぶり。

きちがい兄貴がやったことの影響を、こいつらは、無視する。

「無理だというから無理なんだ」「できると言えばできる」と妄想的な発言をする。

言霊主義者じゃなくても、普通の人は、本物のきちがい家族が自分のまわりにいないから、本物のきちがい家族が、どれだけでかい音で鳴らして、どれだけ反省しないかわからない。

そりゃ、やって当たり前だと思って、すべての時間、鳴らすわけだから、反省なんてしない。影響が出る。影響がどうしても出る。

よその人たちが、影響を認めずに、無理なことを言う。影響はあるのに、影響を無視して、あたかも、自分なら平気だということを言う。本物のきちがい家族にやられていないだけなのに、えらそうなんだよ。

「そんなのは関係がない」とえらそうに言う。

関係あるんだよ。 

2026年9月16日水曜日

●「しずかにしてやったつもり」■騒音※2026/09/16 20:28

さっき、ちょっとだけ、『歩いて、ブックオフ(中古本屋)に行こうかな』と思った。

実際には、行かないのだけど、多少思っただけでも、復活したのかな。

ここ五年間は、それどころじゃなかった。買い物にに行くのと同じで、別に、古本屋に行ったところで、おもしろいことはない。

くるしい記憶の中を、ふらついているようなものだからだ。

すべてが……ヘビメタ騒音以降のすべての記憶が、くるしい記憶になってしまった。これ、ほかの人には、不可避性がわからない。不可避性がわからない。つぶされた未来の多さがわからない。

横になっているときに考えたことは、きちがいヘビメタ騒音のつらさだ。

この毎日続く、ヘビメタ騒音のつらさが、ほかの人にはまったくわからないのだ。ぼくの経験の範囲で言うと、みんな……「そんなのは関係がない」「なんだ!そんなのぉ」「俺だって騒音ぐらいある」というようなものだ。

「そんなのは嘘だ」という反応もあるけどね。

ともかく、持続しているあいだ、ほんとうにほんとうに、ほんとうに、つらいのである。きちがい兄貴の態度が問題なのだ。

そして、たとえば、入学試験前に、ずっとずっと、何日も前からもめているのに、入学試験前日ですら、一秒もゆずってくれなかったという事実がある。実際には、入学試験前日は、一日だけ、しずかにしてくれたことがある。

けど、アンプ付きスピーカーにはつながずに、エレキギターは鳴らしていた。おなじような音が鳴っているので、いまいましかった。

これ、「一日でもしずかにしてくれたならなら、いいじゃないか」と考える人がいるかもしれないけど、二日前(試験当日)は、一秒もしずかにしてくなかったし、次の高校入試の前日は、しずかにしてくれなかったのである。

一生涯のなかで、しずかにしてくれた日が、一日だけなのである。それ以外の日は、なんだろうが、一秒もしずかにしないで鳴らしていた。

ところが、きちがいだから、「しずかにしてやったつもり」なのである。

これが、湯気が出るほど頭にくることだ。

これ、こういう空間なのである。ぼくの頭から、湯気が出るほど頭にくることなのだけど、きちがい兄貴も、顔を真っ赤にして、怒り狂って、不退転の決意で、がめつくがめつく鳴らしているのである。

きちがい親父も、自分の意地を通す時の態度がおなじなのである。きちがい兄貴もきちがい親父も、きちがい的な意地で、全部の時間やりきるけど、やりきったつもりがまったくない状態なのだ。

けど、「やめろ」「やめてくれ」と言われれば、頭から湯気を出して、怒り狂って、やりきるのである。あれだけ意地になって、全部時間やりきっているのに、本人は、まったくそのつもりがないなんて、どれだけ擁護したって、きちがい以外のなにもでもない。

まったく本人が関知しないという意味で、狂っているのである。まったく本人が関知しないという意味で、「ほんとうに、ほんとうに、やったつもりがない」のである。

都合よく狂って、きちがい的な意地でやったことが、まったくやってないことになってしまっている。

全自動で、消しているのである。全自動でやりきって、全自動で、消しているのである。

「やっているつもり」が現在進行形でないのである。

ならやめてくれるのかというと、きちがい的な意地で、頭から湯気を出してやりきる。真っ赤な顔をしてやりきる。「やめてくれ」ということを言われたら、頭から湯気を出してやりきるのである。

これが、どういうことだかわかるか?

いや、わかるわけがない。

俺が怒って、頭から、湯気を出して「やめろ」と言ったって、「やめろ」と言われたやつが、頭から湯気を出してやりきるのである。

きちがい空間。しかも、ほんとうに、「やったつもり」がないのである。これは、「つもりがない」だけではなくて、「やったということになっていない」のである。

ようするに、「やらなかった」ということになっている。ここがきちがいポイントなんだよな。けど、兄貴や親父は、自分きちがいポイントがわからない。

そりゃ、きちがい的な意地でやりきって、やったつもりがまったくないのだから、きちがいポイントだと思えるはずがない。

そして、このきちがいポイントについて、よその人の理解が、まったくないのである。

そして、よその人は、そういうきちがい家族にやられたことがないのである。きちがい家族がやりきってしまう日を経験していないのである。きちがい家族が、やりきってしまう時間を経験していないのである。

だから、わからない。

どれだけくやしいかわからない。

兄貴の騒音なら騒音で、騒音が鳴っているあいだ、どれだけ(こっちが)頭にくるか、(よその人は)わからない。わからないでものを言っている。

きちがい家族と一緒に住んだことがないから、これがどれほど、頭にくることか、わかっていないのである。

あの騒音が、どれだけ、精神を崩壊させるか、わかっていない。

ほかの人たちはわかっていない。

あんな音で、前日に鳴らされて、志望校に受かるわけがない。

だいたい、中学三年間、プラス、小学六年生の半年間、ずっと毎日、この態度で……あの態度で……鳴らされ続けたのである。

鳴らされている時間は、単なる、鳴らされている時間じゃないんだよ。レイプされているんだよ。精神をレイプされている。

もちろん、勉強時間も破壊されている。ハンディがないわけじゃない。関係がないわけじゃない。関係ある。

ところが、よその人は、「関係がない」と言う。騒音なんていくら鳴っていたって、勉強ぐらいできると言う。鳴り終わったら勉強ぐらいできるという。

ところが、むちゃくちなんだよ。めちゃくちゃなの……。鳴り終わったあとも、とても、勉強ができる状態じゃない。

だいたい、鳴り終わる時間は一一時一〇分なので、もう、そのときには、「眠るべき時間」になっているのである。

2026年9月15日火曜日

●「キーワード」と「人間」に関する抽象化■社会※2026/09/15 19:50

『毎日、おせいぼーーの日にすれば、人はしあわせになるのだろうか?』ということを言いたかった。毎日、おせいぼーーの日にしても、すべての人間がしあわせになることはないのである。

人によって、ちがうのである。

人……は、ものをほかの人にあげるとき、しあわせな気持ちになる。しあわせになる。

人……は、ものをもらうとき、しあわせな気持ちになる。

だから、すべて人がすべての人にものをあげれば、しあわせになれる。原理的には、すべての人間が、すべての人間に、ものをあげるようにすれば、すべての人間が幸せになれるのである。

ところが、すべての人間がしあわせになることはない。どうしてかというと、「条件がある」からだ。

「ものをあげる」を「親切にする」に置き換えてもおなじなのだ。

毎日、親切デーにして、重複せずに、だれかに、親切にするようするとする。親切にするとしあわせになるのだし、親切にされると、しあわせになるのだから、理論的には、すべての人が、すべての人に(重複なく)親切にすれば、すべての人間がしあわせになれるのである。

ところが、そうじゃないのである。「条件がある」からだ。

空想世界で、人に親切にするときの気持ちを考えたり、人から親切にされたときの気持ちを考えると、みんな、しあわせになりそうな気がするのである。

ところがちがうのだ。条件がちがうからだ。

個々人が抱える条件がちがうからだ。

そして、じつは、「親切行為」というのが、一意には決まらないものであり、「親切行為」というものが、なんなのかは、人によってちがうし、条件によってちがうから、「親切行為」をするつもりの人が、「親切行為」をしても、その親切行為とされるものをされた人が、「親切にされた」と感じるかどうかは、わからないということになる。

空想世界で考えていた時の親切行為というのは、その親切行為をされたほうが、かならず、親切行為をされた認識するような親切行為なのである。

考えるときに、自動的に、そういうものとして想定されてしまう。

しかし、現実社会では、親切行為の内容は、決まっていない。相手が、その親切行為を迷惑行為だと感じることだってある。

こっちが「やってほしくないこと」を、「やってやる」 「やってやる」「やってやる」としつこく言う人だっている。「やってほしくないことをやられると」腹が立つ確率が非常に高い。

その場合、親切行為をされたほうは、不愉快な気持ちになり、しあわせな気持ちにならない。

空想世界で考えていることと、現実世界の現実は、ちがうのである。

*     *     * 

空想世界で、抽象化した言葉を使って、自分の経験をもとに考えると、100%構文の文になってしまうのだけど、それが最初から、まちがっているのである。最初から、まちがっている。抽象化した言葉を使うということの意味が、この人たち……100%構文の文で言い切ってしまう人たちには、わからない。わかっていないんだよな。

*     *     * 

「プレゼント」というところまで抽象化すれば、プレゼントしておくられるものは、すべて「プレゼント」だということになってしまう。

個別具体的なものは、この場面では、姿を消して、だれにとっても「好ましいプレゼントであるようななにか」になってしまうのである。

自分の経験というのは、たとえば、自分がプレゼントをあげたときに、しあわせな気持ちになったとか、自分が相手のことを考えてプレゼントを選んでいるときに、しあわせな気持ちになったとか、自分が、だれかから、プレゼントをもらったとき、しあわせな気持ちになったということだ。

そうなると、プレゼントをあげるときや、プレゼントを選ぶときや、プレゼントをもらうときは、「人は」しあわせになるのだと仮定してしまう。まあ、仮定などというなまやさしいものではなくて、「事実そうなる」と言い切ってしまう。

けど、この時点で、主体が自分なのか、主体が全人類(人間)なのかということが、明確に意識されているわけではないということになる。

自分がそうだったから、残りの人類もみんなそういうふうに感じるはずだという、前提が、まぎれこんでしまう。

しかも、残りの人類もみんなそういうふうに感じるはずだという前提は、個々人の条件を考えると、間違っている可能性がある。間違っている確率は、非常に高い。

この時点で、「自分がそうだから」「人類もそうだ」と考えてしまうのは、問題がある行為だ。しかし、問題がある行為だとは、考えないのである。

どうしてなら、「自分がそうだから」「人類もそうだ」という前提が正しいと思っているからだ。何度も言うけど、現実世界には、いろいろな個人がいる。

その個人の条件が、みんな、ちがうのである。

細かく条件を考えれば、ほんとうに、だれひとりとして、おなじ条件の人はいない。主要な条件だけを、大雑把に考えるなら、おなじ条件の人はいるということになるけど、それは、主要な条件だけを、大雑把に考えるならおなじ条件だと言えるだけだ。

ほんとうは、まったくおなじ条件を抱えている個人なんていない。だから、まったくおなじ条件を抱えている個人なんていないということを明確に意識しておくべきなのだ。

しかし、「プレゼントをあげる」ということや「プレゼントをもらう」ということを抽象化して考えているとき、「人間」というのも、「自分」にあわせて、抽象化して考えてしまうのである。

なので、「キーワード」と「人間」に関する抽象化がおこなわれているということは、意識しなければならない。「キーワード」というのは、ここでは「プレゼント」だけど、「苦労」といったものも、含まれる。

「苦労」「困難」「生きがたさ」「努力」……という言葉は、全部、抽象化された言葉だ。

2026年9月14日月曜日

●ぼくの人生、すべてだよ■騒音※2026/09/14 18:06

あーー。わかいころの時間がかえってこない。

あたりまえだが、かえってこない。この精神状態で、外に出るとやばいなぁ。

そりゃ、長期ヘビメタ騒音時代にやられていた道を通ることになるからなぁ。遠回りしても、けっきょくは、おなじだ。駅方面の店に行くとなると、そうなる。

じゃあ、駅とは反対方向に行けばいいのかというと、そうでもないのだ。長期ヘビメタ騒音時代が長すぎる。まさに、ぼくの人生、すべてだよ。

どれだけ破滅的な気分で歩いていたか……なんて、きちがい兄貴も、ほかのやつらも、わからない。

これ、ほんとうに、人生、全部だ。

どれだけ、自分を鼓舞しても、きちがい家族が、きちがい的な意地で、ものすごくでかい音で、至近距離で、この世で一番きらいな音を鳴らしているのだから、そりゃ、影響を受ける。

これ、「鳴り終わったら、関係がない」と言ったやつを、ほんとう、ぶっ殺してやりたくなるなぁ。

こいつらは、みんな「俺だって騒音ぐらいあった」「俺だって、苦労した」と言う。苦労したけど、ちゃんと働いている自分がえらいということだ。

きちがいヘビメタ騒音に負けて?働こうとしないやつより、自分のほうがずっと優れているということだ。

きちがいヘビメタで通勤できないと言っているエイリより、そんなことを言わずに、苦労しているのに、通勤している自分は、えらいということだ。

こういう、クソ発言をするやつら……。こいつらのもとには、きちがい兄貴のようなきちがい家族がいない。実際にいない。

だから、きちがい家族が、きちがい家族がきちがい感覚で、鳴らしてしまうような騒音ではないのだ。騒音の騒音がちがう。苦労の苦労がちがう。ぜんぜん、わかっていない。

わかっていないだけなのに、えらそうなんだよ。

実際に、やられていないから、やられたときの効果がないだけだ。効果と書いたけど、実際にやられたときの負の影響のことだ。実際にやられたときの負の影響が、まったくわかっていないのである。

実際にやられたときの負の影響が、まったくわかっていないやつらが「なんだ!そんなのぉ」「そんなのは関係がない」と言う。

「関係がない」と言っただけで、どれだけわかっていないかわかるよ。「関係がない」と言っただけで、一億分の一もやられていないのが、よくわかるよ。

けど、こいつらは、同質、同量、同時間、同期間、同レベルのことをやられたと思っているのだ。同レベルのことをやられたのに、自分は、通勤している。

「そんなのは、関係がない」と言う。

同レベルのことをやられた自分が、通勤しているのだから、そんなのは関係がない……と思っているのだ。こんな、ろくでもないやつばかりだった。

これ、どれだけバカな発言をしているのか、わかっていないだろ。こいつらのことも、兄貴のことも、ゆるせないよ。

こいつらが、わからない感覚で、きちがい兄貴が、やってしまった。こんなのは、俺のせいじゃない。きちがい兄貴がやっていることが、異常なのである。

普通の人は、経験していないのである。普通の人は経験させられないのである。普通の家だったら、どんだけやりたくたって、最初の10分で、やめさせられる。

そういう音だ。きちがい兄貴にしたって、「おばあちゃんのうち」に下宿(曲がり)していたら、絶対にできないことなのだよ。絶対に、あんな音で5分間だって鳴らせない。うち以外の場所なら、絶対にあんな音で鳴らせない。

そりゃ、防音完備のスタジオならとともかく、普通のうちで、あんな音で鳴らすということは、普通の人はやらないことなんだよ。どれだけやりたくたってやらないことなんだよ。

だから、「俺だって騒音ぐらい鳴らされた」と言っている人たちの「騒音」とはちがうレベルの騒音が鳴ってたんだよ。そして、きちがいだから、やり方が、きちがいなのだ。ずっと鳴らしている。

きちがいだから、どれだけ言われたって、きちがい的な脳みそで、こっちが言っていることを変換してとらえてしまう。

どれだけ言ったって、きちがい的な脳みそで、「このくらいの音で鳴らしていい」と思って、鳴らし続ける。

悪いと思わない。

どれだけなにを言われたって、悪いとは思わないのだ。

迷惑をかけているとは、思わないのだ。

非常識な音だから、しずかにしようとは思わないのだ。

納得しない。

きちがいモードで、絶対の意地でやりきる。

でっ、実際にやられた場合の、一日が、すさまじいのだ。これ、どれだけ、くたくたになるか、みんなわかっていない。

実際に経験していないからわかっていない。

「鳴り終わったら関係がない」と言っているやつが、わかるようなことではない。鳴り終わったあと、眠れなくなる。

あの鳴っているあいだの緊張がどういう緊張なのかぜんぜんわかってない。わかっていないから、「影響」について判断を間違う。

けど、こいつらだって、ぼくの経験の範囲で言えば……自分の判断が間違いだということを、認めないのだ。

*     *     *

どういう一日になるか、まったくわかっていないやつらが、クソを言っているだけ。ほんとうに、頭にくる。きちがい兄貴の態度と似てるんだよな。

まあ、やっていることはちがうけどね。きちがい兄貴が、きちがい感覚で、「よその人がやらないこと」をやり続けたから、俺がよその人から、誤解されることになる。実際やられていないから……よその人は、実際にやらてれいないから……想像でものを言う。

想像するときに、こっちの「現実」が無視されるのである。

こいつらだって、自分のきらいな音で、おなじことを、おなじ期間の長さ、ずっとやられたら、通勤通学ができなくなるのに、それがわからない。

わかっていなければ「自分なら平気だ」と思って、クソ発言をすることができる。エイリよりずっと、すぐれているので、自分なら平気だと考えてしまう。

こういう誤解が、うまれてしまう。きちがい兄貴が、特殊な人なんだよ。

みんなの、まわりには、きちがい兄貴のような人がいないわけ。

きちがい兄貴のような家族が、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、こだわって、きちがい騒音を鳴らすということがないんだ。

実際なかったから、なかっただけなんだよ。

実際になかったから、影響を受けなかっただけなんだよ。そりゃ、そうだろ。そういう出来事が毎日発生しなかったのに、どうやって、そういう出来事が毎日発生した場合の影響を受けるのだ?

受けられるわけがない。だから、受けていない。

だから、平気なだけだ。

こいつらは、みんな、勘違いをしている。

みんな、夜郎自大なクソ野郎。

●「X以外」の「すべての条件」を捨象して考えたということは、忘れてはならない■社会※2026/09/13 15:30

一度、人間のことについて、経済人のような理想人としての人間を考えて、「それ以外」のすべての条件を捨象して、考えたとする。

この場合、それ以外のすべての条件を捨象して考えたということは、絶対に意識しておかなければならないんだよ。

ところが、ぼくの観察の範囲で言うと、ほとんどの人が、それ以外のすべての条件を捨象したということを、無視してしまう。

だから、現実の世界でも、その法則が成り立つと思ってしまう。

「それ以外」と書いたけど、「それ」というのは、「X」のことだ。「Xをすれば、Yになる」と言う場合、「X」だけが条件になる。Xをするか、Xをしないかの二値だ。それ以外にないのである。

つまり、Xと言う条件だけが、Yになるかどうかを決定しているというとになる。「Xをすれば、運があがって、Yになる」と言う場合もおなじである。Xをするか、Xをしないかの二値だ。それ以外にないのである。

「理想的な人間」について「空想空間」で考えるのである。

そして、そこで「ひらめいた?」ことが、絶対に正しいと思ってしまう。一直線に正しいと思ってしまう。

そうすると、「現実世界でもそうだ」ということになってしまうのである。

ところが、現実世界には、空想したときに無視された、さまざまな条件が成り立っているのである。

場面場面の条件を考えると、無数の条件が成り立っていると言えるのである。

無数の条件のうち、意識にあがるような有力な!条件があるとする。その有力な条件ですら、「空想空間」では無視していたのだ。

そして、主体としての本人は、他人のすべての条件を無視できる立場にあるのである。

本人は、経験的に本人の条件について、意識的、無意識的に考えるのである。

実際の現実について考えるときは、じつは、本人は、本人の条件について、意識的、無意識的に考えているのである。

どうしてかというと、本人には、認知とメタ認知が成り立っているからだ。

本人のことに関しては、認知とメタ認知が成り立っていて、記憶もある状態で暮らしている。記憶に関しては、いろいろと取捨選択されている。

注意が向く記憶、注意が向かなかった記憶、記憶に残ってすぐに思い出せる記憶、すぐには思い出せない記憶、まったく思い出せない記憶……。記憶があると言っても、すべての事柄(出来事)について記憶があるわけではない。

しかし、本人が、経験したことについては、認知とメタ認知が成り立っていて、時間の範囲があるし、ぬけがあるかもしれないけど、いちおう、記憶が成り立っている。

他人ことに関しては、もともと、認知とメタ認知が成り立っていない。

他人自体に対して、本人の側に、認知とメタ認知が成り立っている場合がある。

けど、これは、他人を対象としてとらえた場合の、本人側の認知やメタ認知なのであるから、他人が(そのままもっている)認知やメタ認知ではない。他人になれないのだから、他人の認知や、他人のメタ認知は、ない。

だから、他人の認知や、他人のメタ認知は、最初から、ないのである。

無視しようとしなくても、最初からない。

そして、「無視する」という言い方をするのであれば、他人の認知や他人値のメタ認知は、無視しているのである。

だから、「自分だって、苦労した」と言っているときに、他人の認知や他人のメタ認知は成り立っていない。自分の側の認知やメタ認知しか成り立っていないのである。

そして、「自分だって、苦労した」という言い方には、どうしても、比較が含まれてしまう。

比較して言っているのである。

しかし、他人の認知や他人のメタ認知がそもそもないのだから、自分の側が考えた、対象としての他人の認知や他人のメタ認知だということになる。

もちろん、「自分の側が考えた、対象としての他人の認知や他人のメタ認知」と「他人の認知や他人のメタ認知」とは、まったくちがったものなのである。

ともかく、空想世界で、理想的な人間というものを考えて、XをすればYになるということを考えた場合、絶対に、「X以外」の「すべての条件」を捨象して考えたということは、忘れてはならないのである。

ところが、最初から、意識していない。

X以外の、すべての条件を捨象してしまうことが、デフォルトなのだ。

こんなの、ない。

●俺が嘘つきだと思われる構造が成り立っている■家族※2026/09/14 1:38

俺はもう、自分のご飯をつくるだけで、限界だぞ。

つかれが、まったくとれない。窒息死させるしかなかった?ネズミのことが気になる。まあ、ネズミシートにかかった時点で、死ぬことは決まっているんだよな。

けど、俺は、ほんとうにそういうことをしたくなかったんだよ。親父が、くさいものをずっと、部屋の中において、ネズミがくるようになった。

親父が、ネズミ対策工事に、反対した。

これ、どっちも、途中で、変更がきかないのである。こういうときの、いらだちは、並じゃない。なぐりたい気持ちを我慢したら、俺の精神がやられた。そういうことをかならず、強いる親なんだよ。

酒粕のついた……くさいくさい魚を、なんの必要もないのに、一日に、二三(にじゅうさん)時間近く、テーブルの上に置いておく……なんてことは、親父しかやらないことなんだよ。

親父が、いかにもやりそうなことなんだよ。

『親父なら、やるなぁ』と思うようなことなんだよ。

テーブルの上に、くさいくさい、魚の切り身をずっと置いておくことになんの意味があるのか?

なんの意味もないのである。

きちがい親父がそうしたくなったから、そうするのである。

それ以外の理由がないのである。普通なら、「くさい」ということを認めて、「くさいから、冷蔵庫に入れてくれ」と言われたら、くさいことを認めて、冷蔵庫に入れようとするんだよ。

ところが、親父は「くさい」ということを認めない。

これが、兄貴が、ヘビメタの音がでかいということを認めないということと、おなじレベルのことなんだよ。おなじようなことなんだよ。

親父は当時、鼻が正常だったので、「臭い」ということがわかるはずなのである。ところが、「くさい」ということを、認めると、自分(親父)が、冷蔵庫に、魚の切り身を入れなければならなくなるから、「くさい」ということを認めないようにする。

兄貴が、音がでかいということを認めると、しずかにしなければならなくなるので、「でかい」ということを認めないようにするというのとおなじなんだよ。

「でかい」ということを認めなければ、そのままやっていいということに、なるだろ。自動翻訳でそうなる。

だから、めちゃくちゃにでかい音で鳴らしているのだけど、でかい音で鳴らしているということを、認めない。

けど、でかい音で鳴らしているということを認めると、しずかにしなければならなくなるから、でかい音で鳴らしているということを認めないようにしよう……と思って、認めないわけではないんだよ。

そのときだけ、自己催眠にかかってしまって、実際にでかい音で鳴らしていないということになってしまうのである。

意識のレベルでは、「でかい音で鳴らしていない」ということになってしまうのである。無意識のレベルでの書き換えがある。

親父の場合もおなじなんだよ。

「くさい」ということは、嗅覚が正常なのでわかるんだよ。わかるのだけど、無意識のレベルで、『くさいということを認めると、たいへんなことになる』と思って、くさいということを認めないというような命令がくだる。

無意識的な命令なので、意識のレベルでは、わからない。

だから、ほんとうは、くさいことがわかるけど、「くさくない」と言っているわけではないのだ。普通なら、芝居をするところなんだよ。

ほんとうは、くさいということがわかっているけど、においがわからないような芝居をする。「くさくない」と本気で思っているという芝居をする。

お芝居なんだよ。意識のレベルで「自分が、ほんとうにやりたいこと」がわかっているなら、もちろん、芝居をせざるを得ないのだよ。

けど、それがわかっていない。「くさくない」「くさくない」「くさくない」と言っているときは、ほんとうに、くさくないつもりなのだ。

鼻が正常なら、ありえないことをしているのである。

でっ、このときの強情さがまた、異常なのである。

でっ、これは、芝居をされて、不愉快な思いをするのとは、また、ちがったレベルでの不快さがつきまとうもなのである。

これ、じつは、「感覚」に対する、挑戦なのである。相手の「感覚」を頑固に否定したことになるのである。

きちがいと、自分しかいない場合、きちがいの感覚と自分の感覚のどちらが正常なのかを、相手に、証明することができなくなってしまうのである。

そういう場面を押しつけていることになる。わかるかな?

こういうことをされれば、「自分の感覚」をおかされたことになるので、ものすごく不愉快になるのである。「すべては、受け止め方の問題だから、受け止め方をかえればいい」という助言をするやつは、こういうことをまったく考えていないのだ。

「すべては、受け止め方の問題だから、受け止め方をかえればいい」という考え方を批判されただけで、おこってしまうことが多い。ぼくの経験で言えば、一〇〇%の人がおこったのである。

本人が起こっているとき、「自分の受け止め方」をかえてくれるのかというと、かえないのだ。これ、きちがい親父のダブルパンチと、よそのやつのシングルパンチなのである。

どっちも不愉快な思いをさせられる。

よその人はよその人で、「感覚器が正常なのに、正反対のことを言う人がいる」ということを、認めない場合がある。認めない人を、認めない人と呼ぶことにする。

その場合、認めない人も、頑固に認めないのである。

うちの親父や、うちの兄貴は「感覚器が正常なのに、正反対のことを言う人」なのだ。

そして、認めない人は、頑固に、そういう人がいるということを認めない。これだって、はさまれることになる。俺がほかの人から、疑われるのである。俺がほかの人から、嘘をついていると思われるのである。

俺が、ほかの人から、悪い人だと思われるのである。そして、きちがい兄貴によるヘビメタ騒音の場合は、勉強することや眠ることに、影響を与える。

ところが、認めない人は、頑固に、そういう人がいるということを認めないのだから、「勉強することや眠ることに、影響を与える」ということも、認めないのである。

そういう人はいないということになっているので、エイリのお兄さんは、そういうことをしていないということになってしまうのである。

そういうことをしていないのだら、エイリが言っているだけだということになってしまうのである。兄貴が嘘つきなのに、俺が嘘つきだと思われる構造が成り立っている。親父が嘘つきなのに、俺が嘘つきだと思われる構造が成り立っている。

成り立っているんだよ。

「すべては、受け止め方の問題だから、受け止め方をかえればいい」というやつが住む世界と、俺が住む世界は、ぜんぜんちがうんだよ。

「すべては、受け止め方の問題だから、受け止め方をかえればいい」というやつが考える「家族」と、俺の「家族」は、ぜんぜんちがうんだよ。

「受け止め方をかえればいい」と、ほんとうにひどいことを言う。ほんとうにひどいことを言いやがる。

こいつらもこいつらで、頑固なんだよ。

2026年9月13日日曜日

●ヘビメタ騒音で、こころのしくみが、めちゃくちゃになった ■騒音※2026/09/13 21:46

 さっきまで、買い物に行くつもりだったんだけど、やめた。正直言って、つかれた。やる気がしない。この先、どうなってしまうのだ。いやーー。もう、ほんとうに、つかれたよ。

いろいろな記憶が頭のなかに浮かぶ。いい思い出、楽しい思い出は、ひとつも浮かんでこない。全部、不愉快な記憶。腹が立つ記憶。

どうするかな。まあ、店に行ったほうがいいのだ。けど、「店に行って、なにになる?」という気持ちもある。

いやーー。

好きなものを買えるのだから、ほんとうは、いいことなのだけど、どうしても、しんどい。

ずっとやってきたことだからなぁ。そして、買い物をしても、低空飛行はかわらなかった。これが現実だ。

ヘビメタ騒音でズタボロだと、普通に楽しいという気持ちがなくなる。

長い長い長期ヘビメタ騒音で、こころのしくみが、めちゃくちゃになった。

●ヘビメタ騒音の影響に他ならないのである■騒音※2026/09/13 16:27

どうしようなかぁ。頭がもやもやする。頭、もやもや度が高い。高い。高い。

どーすれば、いいんだ?

うーーん。

どうしようかなぁ。あーー。

横になってるとき、ほんとうに寝ているとき、考えていることが、ヘビメタ騒音関係のことなのだ。ヘビメタ騒音期間中に経験したことが、「もと」になっている夢を見ることが多い。

横になって考えていることも、けっきょくは、ヘビメタ騒音期間中のことと、関係があることだ。だって、いまの状態が、ヘビメタ騒音の結果なのだから……。

そして、他人がぼくに言ってきたことというのが、まさしく、ヘビメタ騒音に起因することだからだ。これ、まるでわかっていないんだよな。

他人は、他人だから、あれだけの騒音を毎日浴びせられると、どういう状態になるのか、わかっていない。

「騒音」に関しては経験があるから、自分が経験した騒音をもとにして考えて、「そんなのは関係がない」と言ってしまう。どれだけ鳴ってたって、宿題ぐらいできる」と言ってしまう。

「俺だって苦労した」「俺だって、眠れないときはある」「俺だって、朝はつらい」と言ってしまう。

けど、これ、俺が、ヘビメタ騒音がはじまるまえに、経験したことなんだよな。きちがい家族による、きちがい的な騒音と、ほかの騒音はちがうのである。しくみがちがう。

そして、きちがい兄貴の、きちがい的な部分に関係があることなのだけど、ほかの人には、関係がないから、きちがい兄貴の、きちがい的な部分は、ほかの人の考える「騒音」からは、ぬけてしまうのである。

これが、きついんだよな。こいつらは、ほんとうに、まったくわかっていないのに、妄想的なことを言う。こいつらは、ほんとうに、まったくわかっていないのに、無理なことを言う。

こいつらは、ほんとうに、まったくわかっていないのに、なまいきなことを言う。こいつらは、ほんとうに、しょーーーもないやつらなのだ。

じゃあ、どうして、一般人が、ぼくにとって、ショーーーーもないやつらになるかというと、きちがい兄貴がきちがい兄貴だからなのだ。きちがい兄貴の感覚なんてほかの人にはわからない。きちがい兄貴は普通の兄貴ではない、異常な兄貴なので、やることがちがうのである。

ほかの人が考えないことを、きちがい的な意地でやってしまうのである。ほかの人の、家族は、きちがい兄貴みたいなことをしないのである。

それは、ほかの人の家族は、きちがい兄貴のような異常家族ではなくて、正常な家族だからだ。普通の感覚で言えば、起こりえないことが起こっているのである。

毎日、普通の家では起こりえないことが、起こっていたので、ぼくは、怒っていたのである。

「過去は関係がない」と言ったやつも、ぶんなぐってやりたいほど、頭にくる。

もちろんぶんなぐったりしないけど、そのくらいに頭にくる。

普通の人が、普通に、そういう言葉を、投げかけてくるようになる。俺にながけけてくるようになる。きちがいヘビメタ騒音で、実際に被害を受けるとそうなる。

これ、普通の人は、無視していることなのだけど、ものすごいことなんだよ。あーー。それから、「なんだ、そんなの!」と、ぶんなぐってやりたいほど、頭にくる。

もちろんぶんなぐったりしないけど、そのくらいに頭にくる。昨日も、その言葉を思い出して、いまは、そいつがどこに住んでいるのか知らないけど、そいつのところに行って、ぶんなぐりたくなった。

きちがいヘビメタ騒音の影響というのは、こういうやつらが、まったく考えられない影響なのである。

こいつらが、こういうことを、俺に言ってくるようになる……ということも、ヘビメタ騒音の影響に他ならないのである。

*     *     *

いま、日曜日の午後四時二七分だ。日曜日の午後四時二七分は、鳴っている感じしかしない。あれ、ヘビメタ騒音の雰囲気だ。ヘビメタ騒音がガンガン鳴っている雰囲気だ。

これ、俺がどれだけ、きちがい兄貴に、やめるように言っても、きちがい兄貴が、きちがい感覚で無視して、 ヘビメタ騒音がガンガン鳴っている雰囲気だ。

これ、ほんとう、ほかの人には、きちがい兄貴のきちがい感覚がわからない。きちがい兄貴が、一番わかっていないのだけどね。

本人が、わかっていない。本人が、一番わかっていない。きちがい兄貴は、なにもやっていないつもりなんだぞ。普通の人だったら、どうやっても、自分がでかい音で鳴らしているというとは、知覚してしまうのだよ。

だから、「でかい音で鳴らしていない」という態度で鳴らす場合は、そういう芝居をしていることになる。

「でかい音で鳴らしているのは、知覚して、知っているけど、でかい音で鳴らしているということを認めると、でかい音で鳴らすことができなくなってしまうので、でかい音で鳴らしていないという芝居をする」ことになる。

ところが、きちがい兄貴は、脳みその部分がほかの人とはちがうので、でかい音で鳴らしているということを認めると、でかい音で鳴らすことができなくなってしまう場合は、ほんとうに、小さな音で聞こえるようになってしまうのである。

普通の音で鳴らしていると、本気で、正直に思っている状態になってしまうのである。本人は、フォークギターぐらいの音で鳴らしているつもりになってしまうのである。フォークギターの音なんて比べ物にならないほどでかい音で鳴らしたいから、フォークギターぐらいの音で鳴らしているということになってしまう。

嘘でなく、そう感じてしまう。

きちがい回路を搭載しているから、ごく自然にそうなってしまう。これが、問題を引き押す子のだけど、当の本人は、ほんとうに、フォークギターぐらいの音で鳴らしているつもりになっているので、どれだけ言っても、その音で鳴らすのである。

自分の耳が悪くなるような音で鳴らすのである。

ヘビメタ難聴になるほどでかい音で鳴らしているのに、でかい音で鳴らしているという主観的な意識がまったくないのだ。そして、はっきり言ってしまうと、ゆずるときも、親父とおなじ状態になる。

「ゆずる」ということができない。きちがい的などケチぶりを発揮して、ゆずらない。けど、本人は「ゆずってやった」気持ちになる。「譲歩してやった」気持ちになる。

これも、丸出しで、おかしなところなんだよ。まさに、きちがい丸出し……。

きちがい的にずるいところなんだよ。けど、これも、わざと、ゆずったということにしてゆずらないで鳴らし続ける(やりつづける)という気持ちでやっていることではないのだ。

きちがい兄貴にとって盲点になっている。

けど、きちがい兄貴だって、親父におなじことをやられたら、発狂するんだよ。ものすごく腹を立てるわけ。ようするに、本人がやられる側なら、親父がずるいことをしているということが、わかるんだよ。

けど、本人(兄貴)が(弟に)やるときは、完全に親父とおなじ状態になって、自分がやっていることがわからないまま、やりきってしまう。

やりきってしまうのだけど、まったくやっていないと認識しているのとおなじ状態になる。

これ、芝居でやっているわけではないのだ。

だから、ものすごくこまるのだ。他人が想像するのは、「芝居でやっている場合」なんだよ。

そして、兄と父がおなじ構造の脳みそをもっているということを、他人は無視してしまう。

「そんなのはおかしい」「そんなにでかい音で鳴らしていたら、家族が絶対に注意する」「子どもが小さいときに、そんなに文句を言っていたお父さんなら、絶対に文句を言う」と思ってしまう。

思ってしまった結果、俺が嘘を言っていると思うのだ。

こんなの、ない。

●一億人の成人がいる国を考えたとする■社会※2026/09/12 18:17

一億人の成人がいる国を考えたとする。一億人中、一億人が、「おせいぼーーの日」に、まだ、プレゼントをもらっていないだれかにプレゼントをするとする。

そうすると、理論的には一億人が、プレゼントをもらうことになる。

ならば、その一億人は、運があがったと言えるのか。あるいは、その一億人は、運があがって、しあわせになったと言えるのかどうか。

もし、人にプレゼントをあげることによって、運があがるということが、保証されていて、運があがった結果、しあわせになるということが、保証されているとする。人からプレゼントをもらうことによって、人からプレゼントをもらったので、幸福になるとする。す

べての日を「おせいぼーーの日」にすれば、毎日毎日、しあわせ度が増し、一億人中一億人が幸せになるということになる。

しかし、実際には、そんなことにはならない。人によって「条件」がちがうからだ。条件がちがうので、プレゼントを用意できる人と、できない人に、わかれる。

もし、かりに、「おせいぼーーの日」に プレゼントをもらっていない人にプレゼントをできなかった人は、ルールを守れなかったペナルティーとして、殺されるとする。そんな条件は書いていなかったけど、そういう条件が成り立っていたとする。

そうしたら、殺されることになるので、しあわせには、なれない。生きていて、しあわせな暮らしをするということだから、殺されてしまうと、しあわせな暮らしができなくなるので、しあわせにはなれない。

個々人によって、所持金がちがうということも、書いていなかった。

殺されなくても、「おせいぼーーの日」に「まだ、プレゼントをもらっていない人」にプレゼントをわたすことができなかった人は、「非常識な人だ」「ルールに違反した人だ」ということで、全員から、無視されるということになれば、無視されるというペナルティーが発生することになる。

その場合、かなりの高確率で……無視された人は、しあわせな感じがしないということになる。

書いていないけど、「Xをすれば、運があがってしあわせになる」という言い方をするときも、人によって所持金がちがうということは、書かれていない。

言及されていない。言及されていないけど、人によって所持金がちがう。

*     *     *

たとえば、「ものをあげたときに、しあわせになるし、ものをもらったときも、しあわせになる」というようなことを考えたとする。「人間」は、ほかの人間にものをあげると「しあわせになる」という前提だ。

また、「人間」は、ほかの人間から、ものをもらうと「しあわせになる」という前提だ。

しかし、そこで設定されている人間は、「理想的な人」としての「人間」なのである。ほんとうは、個人個人でちがうのだけど、個人個人のちがいというものを、捨象して人間というものについ考えるのである。

「人間」は、こういうときこう感じると決めつけてしまう。

そうすると、実際に、存在している人間は、個々人的なものを捨象された人間ではなくて、個々人的なものを不可避的にもっている人間なので、ちがったことが起こるのである。

しかし、多くの人が……「人間」について考えているとき、モデルとして「理想的な人としての人間」を考えているということに関して、無頓着なのである。

だから、その前提で考えたことを、そのまま、現実にも応用できると考えてしまうのである。現実というのは、ちがった個々人でできあがっているので、その通りにはならないのである。

プレゼントという言葉を使っているので、常識的なプレゼントになると仮定して考えているのだけど、だれもが、常識的なプレゼントをするとは限らないのである。

ひょっとしたら、「ゴキブリの死骸」をきれいなプレゼント用の箱に入れて、ほかの人に渡す人だっているかもしれない。

あるいは、「使った消しゴム」がきれいなプレゼント用の箱に入っているかもしれない。全員が、おなじものをプレゼントするという前提だと、おなじものを、ほかの人ために買って、おなじものをほかの人から受け取るということになる。

これだと、「幸福感」を感じないかもしれない。

そして、たとえば、実際にこの世の人間には、「貯金」や「所持金」に差がある。余分なおカネがない人にとっては、「プレゼント」を用意することができないということになる。

しかたがなく、捨てられていた容器に、石ころを入れて、プレゼントにするかもしれない。

まあ、石ころなんて、最近では、めったに見かけなくなったので、石ころのかわりに、捨てたられていた紙くずを入れるかもしれない。すたられた容器に、捨てられた紙くず入っている「プレゼント」をもらって、幸福感を感じるかどうかはわからない。

ようするに、「プレゼント」をもらえば、人は幸福になるという前提が間違っている。

欲しいものではなくて、いらないものや、きらいなものをもらうと、不愉快な気持ちになる「場合」がある。

現実の場面というのは、「理想的な人間」によってつくられているのではない。

現実の場面というのは、理想的な人間に近い人間や理想的な人間からは程遠い人間や、理想的な人間に近い人間でもないし、理想的な人間からは程遠い人間でもない人間によって、つくられている。

個々人が抱える条件の差というのは、めちゃくちゃにでかい。貯金や貯蓄にも、差がある。性格にも差がある。

ところが、「人間」というものは、「こういう時に」「こう感じるものだ」ということを、空想世界で考えて、そして、現実的な個人について語りだという手法がもちいられていることが多い。

ヘビメタ騒音に関しても、ぼくは、個人の経験から思ったことを、人間に拡張して考えているわけだ。けど、ぼくは、その限界を知っている。また、証明できないということを知っている。

空想世界で「人間」なるものを考えて、「人間」というものは、こういうものだという「一方的な」「個人性を無視した」決めつけをしているわけではない。

しかし、思考のスタイルとしては、「人間」について考えるときは「人間」という抽象的な言葉を使って、思考をするのである。わかるかな? 

わかるかな?

モデルなんだよ。

モデルはモデルだから、現実世界の説明に、そのまま、移植することはできない。モデルをもちいて考えたことを、そのまま、条件にちがいがある個人に適応してはいけないのである。

2026年9月12日土曜日

●しくみのなかで、そういうことが起こりやすくなる■社会※2026/09/12 3:20

これは、もうすでに書いたことなのだけど、名前だけ店長は、サービス残業をして「あげて」いる。

これ、「親切行為」なのである。

無償のボランティアなのである。名前だけ店長は、じゅうぶんに、親切にしてあげている。ブラック社長や他の従業員に、親切にしてあげている。

無償で、ある行為をしてあげている。

しかし、ブラック社長は、別に、親切にして「もらっている」とは思わないのだ。ブラック社長にとっては、名前だけ店長は、あたりまえのことをしているにしかすぎないのだ。

ブラック社長は、名前だけ店長のサービス残業に付随する行為を「親切行為」だとは認識していない。

かわりに、名前だけ店長が、やるべきことだと思っているのである。名前だけ店長がやるべき仕事をしているだけなのである。親切行為ではない。

いま、この文を読んでいる人たちも、名前だけ店長が、親切行為をしているというような認識は、もちにくいと思える。

どうしてなら、それが、仕事だからだ。

社会の中に埋め込まれた労働行為だからだ。ある会社にAさんとBさんとCさんがいたとする。CさんがAさんの仕事とBさんの仕事を割り当てたとする。

そうすると、Aさんの仕事はAさんの仕事になり、Bさんの仕事はBさんの仕事になる。

Bさんの仕事が遅れていたので、Aさんが、Bさんの仕事を手伝ってあげたとする。この場合、Aさんは、Bさんに親切にしてあげたということになる。Aさんの行為は、親切行為として認識されやすい。

特に、Bさんが、「自分の仕事が遅れているから、どうにか、手伝ってくれないか」とAさんに頼んだ場合は、Bさんは、Aさんに「かりができた」ということになる。Aさんがこまっているときに、Bさんが、Aさんの仕事をやってあげれば、「おかえしをした」ということになる。

全体的に見れば、互酬性が成り立っているように見える。

Aさんがこまっているときに、Bさんが助けてくれたのだから、Aさんは、「親切にしてもらった」と思うだろう。そして、Bさんも「親切にしてあげた」と思うだろう。

そのまえに、逆の関係が成り立っているのだから、助け合いだということになる。AさんがBさんの仕事を手伝ってあげたときは、AさんがBさんに親切行為をしたことになり、Aさんの運があがったということになる。

そして、BさんがAさんの仕事を手伝ってあげたときは、BさんがAさんに親切行為をしたことになり、Bさんの運があがったということになる。

しかし、これは、CさんがAさんとBさんに仕事を割り当てたことから、発生しているのである。

Cさんの、AさんとBさんに対する仕事の割り当てが、最初から、きわめて不均衡なものであった場合であって、AさんもBさんも、「これは、不公平だ」と感じていたら、「運があがる」というような考え方も、影響を受けることになる。

だから、「互酬性の感覚」が成り立ったり「運があがるというような感覚」が成り立ったりする場合も、じつは、最初の枠組みの影響を受けるということになる。

そして、CさんがAさんとBさんの仕事を決めるということを含めて、「しくみ」が成り立っている。

そして、語られはしないけど、Aさん、Bさん、Cさんに、「しくみ」の認識が成り立っているのだ。

物をもらったら、そのものに相当するようなものを送り返すルールがあるとする。ルールとして成り立っているとする。

ようするに、しくみがあるということだ。

この場合、ルールに従うなら、Aさんが、Bさんに、ものをあげた場合、BさんもAさんに、ものをあげることになる。

Aさんが、Bさんにものをあげたことをわすれて、あるいは、無視している場合、Bさんからものをもらったので、「いいことが起こった」と解釈するとする。

いちおう、ものをもらったのだから、「いいことが起こった」と解釈するのは、妥当なことのように思える。

しかし、先に、Aさんが、Bさにものをあげたので、Aさんから(別のものが)返ってきたと解釈することができる。

ようするに、しくみのなかで、「当然のこと」をしたので、「当然の結果」が返ってきただけなのだけど、「ものをもらった」ということだけに注目をすれば、「いいことが起こった」と解釈できる。

問題は、Aさんが、先に、Bさんにものをあげたということを、無視してしまうということと、社会にはものをもらったら、そのものに相当するようなものを送り返すルールがあるということを、Aさんが、無視してしまうことだ。

なにか、神秘的な力によって、「ものをもらう」ということが起こったわけではなくて、事前に、AさんがBさんにものをおくっていて、なおかつ、社会には、ものをもらったら、そのものに相当するようなものを送り返すルールが成り立っているから、「ものをもらう」ということが発生しやすくなると考えるべきなのだ。

神秘的な力は、じつは、介在していないのである。神秘的な力が、「運をあげる」とか「運をあげた結果、ものをもらう」ということが起こるということになっているのだけど、そうではない場合も、そのように考えてしまう場合がある。

「しくみ」のなかで、ものをもらった場合でも、もちろん、あること(引き寄せ行為、いいことを発生させると思われている儀式的な行為)をしたから、ものをもらうといういいことが起こったと解釈できる。

しかし、あることをしたということと、ものをもらうという出来事のあいだに、関係がないのである。

もちろん、「あること」というのが、事前に、相手に、こちらからプレゼントとしてものを渡しておいた場合は、「あること」と相手が、こちらにも、プレゼントしてものをくれたということは、関係がある。

しかし、関係がない場合も、ふたつの出来事を関連付けて考えて、運があがったと思うことができる。

たとえば、「掃除をするといいことがある」としよう。 掃除をしたあと、プレゼントして、ものをもらったとしよう。

その場合、「掃除をしたから、運があがって、ものをもらうことができた」と思うことが可能だ。

たとえ、プレゼントとして、事前に自分がその人にものをあげていたとしてもだ……。

そして、返礼品として、ものをもらうというのではなくて、純粋に、掃除をした後、ものをもらう場合もある。

この場合は、返礼品ではないから、掃除によって、運があがったので、それをもらったと考えることはできるのだけど、別に「掃除」をしなかったとしても、ものをもらえたかもしれないのである。

掃除をしなかったのに、ものをもらったことがある場合、本人が、「掃除をしたから」ものをもらえたと考えているだけで、ほんとうに「掃除」をするということと、ものをもらうということのあいだに、関係性があるのかどうかわからない。

たぶん、ふたつの出来事のあいだに、関連性はない。

しかし、「関連性がある」と確信することも、できる。できるのだけど、間違った確信をもっているだけだ。

たとえば、「妻」が掃除をしているところを見て、「旦那」が、プレゼントを買ってきたとする。

この場合は、たしかに、「掃除」がきっかけになっている。

けど、「掃除」自体に、運をあげる効果があるとは言いがたい。「運があがった」のかということについては、「運があがる」ということが、「個別の能力値」の上昇を意味することではなくて、ただ単に、現実の写し絵だということになる。

ともかく、ほんとうは、しくみのなかで、そういうことが起こりやすくなるという場合があるのに、それを全部「X」のせいにしてしまうのである。

「Xをしたから」「そういうことが起きた」と解釈してしまう。

本人だけなら、これでいいけど、「Xをすると、運があがる」と他人に言ってしまうのは、問題がある。なぜかというと、他人には、過酷な条件が成り立っているかもしれないからだ。

過酷な条件をもっている人に「Xをすると、運があがる」と言ってしまうのは、問題がある。

これ、いいこととして認識されているみたいなのだけど、それは、他人の条件を無視しているから、いいことだと思っているだけだ。

一〇〇%構文の文で言うということは、ほかの条件をすべて無視しているということなのである。

「Xをすると、運があがる」と言う場合は、「Xをする」か「Xをしない」かという条件以外の条件をすべて無視してしまうのである。

だから、条件が悪い人は、自分の条件の悪さを、自動的に無視されることになる。

ところが、悪い条件によって、悪い出来事が発生している場合が多いのである。一〇〇%構文で言うほうは、相手の条件なんて無視しても、いいということになっているのだけど、一〇〇%構文の文で言われるほうには、条件があるのである。

一〇〇%構文の文を言うほうが、頑固に無視していることが、ほんとうの原因である場合がある。ところが、一〇〇%構文の文を言うほうは、条件を無視しているのである。

たぶん、多くの場合、条件を無視しているということも、無視している。相手の条件を無視したり、軽視することは、よくないことだ。

*     *     *

たとえば、他人にいろいろなものをあげておく。そして、「掃除をすれば運があがる」と思っているから、掃除したとする。そのあと、実際に、他人から(返礼品)をもらったとする。

他人から、ものをもらったときに、「掃除をしたから、運があがった」と思うことにしているのであれば、この人にとって、「掃除をすれば、運があがる」ということは、「正しいことだ」ということになる。「法則性があることだ」ということになる。

けど、ほんとうは、「掃除」ではなくて、他人にいろいろなものをあげたということが、ほんとうの、理由である場合がある。もちろん、事前に他人にものをあげていなくても、他人がものをくれることはある。だから、「場合がある」と書いておいた。

ある人が、「掃除をすれば運があがる」と思い込んだとする。そして、ほかの人に、「正しいこと」として、その言葉を言ったとする。

しかし、その言葉は、じつは正しくない。法則性も成り立っていない。

条件が悪い人は、悪い条件によって、運がさがった(運がない)と表現される状態になっているので、こまるのである。

しかし、「正しい言葉」を言われたほうが、その言葉の内容を否定したり、批判すると、「正しい言葉」を言ったほうは、相手のネガティブさが問題なんだということを言い始める可能性がある。確率は、相当に高い。

ようするに、「人が言ったことを、否定するから」「不幸なんだ」ということを言い出す可能性がある。この場合、じつは、 「人が言ったことを、否定するから、不幸なんだ」と言っているほうが、悪いことをしているということになる。わかるかな?

「正しい」と確信しているけど、最初から、間違っている。そして、相手の性格をディスりはじめる。悪口を言ってるのは、「人が言ったことを、否定するから、不幸なんだ」と言っているほうだ。

2026年9月11日金曜日

●「いまのうちに、眠っておかなければならない」■騒音※2026/09/11 13:33

四時間三〇分ぐらい、起きる時間がずれてしまった。

これは、やばい。これは、やばい。次の歯医者の日まで、一時間、ずらす方法で、睡眠時間の調整をするしかない。

ようするに、一日に一時間ずつ、入眠時間がうしろにずれる方法で、なんとか、「予約日・予約時間」に起きているしかない。

「予約日・予約時間」まで、午前中に起きることを、選択するのは、無理だ。無理なものは無理だ。

そして、なんとか、調整しようとした日々が問題なのだ。調整しようとした日々の気分が問題だ。夜、めちゃくちゃな不安に襲われる。

「いまのうちに、眠っておかなければならない」という気持ちが、体調を崩す原因になる。心身ともに、めちゃくちゃな状態になる。相当にやばい状態になる。

歯科治療どころじゃない気持ちになる。時間調整のことで、自殺したい気分になるなら、本末転倒だ。これ、けっこう深刻な問題なんだよ。

きちがいヘビメタ騒音期間中にそうなった。不可避的にそうなった。

ほかの人には、「不可避的にそうなる」ということが、経験的にわからない。

だから、俺が言っていることが、経験的にわからない。わからないと、「そんなのは、どうでもいい」ということになるのだけど、わかっているこっちにしてみれば、ほんとうに、死活問題なのだ。

自殺するかどうかの問題なのだ。

2026年9月10日木曜日

●互酬性の部分と「運があがる」という部分は、じつは、関係がないのだ■社会※2026/09/09 16:41

「やり方が悪いから、うまくいかなかった(だけだ)」という言い方がある。

一度、「Xをすれば、運があがって、幸福になる」という型の文がつくられると、あたかも、それが、この世の法則であるかのような、意味合いを持ってしまう。

これは、まえにも言ったけど、時間的に接近しているだけだ。

ようするに、「その気になっている」だけだ。

ふたつの出来事が、時間的に接近しているので、『自分がXをしたから、運があがって、いいことが起こったんだ』と思うわけだ。

『自分がXをしたから、天が、その見返りをあたえてくれた』というような考え方が、この世には、ある。

『自分が、あるとき、人を助けてあげたから、自分がこまっているときに人が助けてくれたのだ』と思う人が、世の中には、いる。

たとえば、自分が助けた人がAさんだとする。別に、自分がこまっているときに助けてくれるのは、Aさんではなくてもいいのだ。しかし、Aさんであってもよいのだ。

実際にある互酬性や、実際にある仕返しが、「自分がしたことが、かえってくる」と思いやすい状態をつくりやすい。

けど、世の中のしくみというのは、じつは、残酷なのだ。

『しくみ』というのがある。

『しくみ』がある。

たしかに、「自分がしたことが、かえってくる」と思えることがある。

それは、まず、人に恨みを買うことをすれば、相手が、うらんで、自分に仕返しをしてくるというのがある。そして、親切にしてくれた相手には(対等な関係なら)親切にしやすいという点がある。

こういうことは、たしかに、ある。

実際の精神活動がある。そして、その精神活動は、「提示された理論」を肯定しているのである。

ところが、「しくみ」があるのだ。この世には、「しくみ」がある。

だから、実際には、不均衡な状態がしょうじる。しょうじるだけではなくて、不均衡な状態が常態化する。これは、「親切なことをされたときに、親切なことをされた」と認識するかどうかということとも、関係がある。

親切云々に関しては、じつは、その人間関係が一時の関係なのか、それとも、システムに組み込まれた中で、常態化した関係なのかということが、関係している。

推奨される「小さな親切」の場合は、一時的な関係なのである。仕事の関係が成り立っている場合、下の人間がした「親切行為」について、上の人間は「親切行為だ」と認識しない場合のほうが多い。

そりゃ、そうだろう。

仕事なんだから。

けど、ほんとうは、範囲を超えた雑用をしてあげただけでも、「親切行為」になる。「小さな親切」として語られることと、おなじ意味をもつ「親切行為」なのだ。

ところが、「仕事なので当然だ」と思われる場合がある。そういう場合が多い。

じつは、相手との関係ということを考えて、「親切行為」について考え直さなければならないのだ。社会の中に埋め込まれた関係における「親切行為」なのか、それとも、一時的な関係における「親切行為」なのかということは、じつは、重要なことなのだ。

これ、無視されることが多いことなのだけど、ほんとうは、重要なことだ。

まあ、話がずれたけど、『自分がXをしたから、運があがって、いいことが起こったんだ』と考え方は、考え方としては、いいけど……多くの場合、あるいはすべての場合において、単なる勘違いだ。

だから、 「やり方が悪いから、うまくいかなかった(だけだ)」と他人に言うのは、よくないことなのだ。

*     *     * 

わかりにくいと思うので、言霊理論で説明しておこう。たとえば、Cさんが、「明日は、雨がふる」と言ったとしよう。

そして、Cさんのいる地域に実際に雨がふったとする。この場合、Cさんが「明日は、雨がふる」と言ったいう出来事と、Cさんの地域に雨がふったという出来事のあいだには、なんの関係もない。なんの関係もないのだけど、Cさんのなかでは、「自分が、雨がふると言ったから、雨がふったのだ」ということになる。

そして、Cさんのなかでは、「言霊は絶対だ」ということになる。だから、Cさんは「言えば言ったことが、言霊の力によって現実化する」という言霊理論を信じたとする。

CさんがDさんに「言えば言ったことが、言霊の力によって現実化する」と説明したとする。Dさんが「明日は、雨がふる」と言ったのだけど、Dさんがいる地域では、雨がふらなかったとする。

「Dさんの言い方が悪いから、雨がふらなかったのだ」とCさんは判断することになるのだけど、最初から、「だれかが雨がふる」と言ったということと、「実際に雨がふる」ということのあいだには、なんの関連性もないのだ。

最初から、Cさんが勘違いをしているだけだ。

ほんとうは、法則性なんて成り立っていないのである。Cさんの頭のなかには、法則性が成り立っているのだけど、ほんとうは、ふたつの出来事のあいだには、なんの関係もない。

だれかが「雨がふる」と言ったという出来事と、「雨がふった」という出来事のあいだには、なんの関連性もない。

しかし、自分が言ったから、雨がふったのだと確信して、言霊があると確信した人は、自分が言ったから、言霊の力によって、雨がふったのだと確信してしまう。これは、じつは、間違った確信なのである。

ほんとうは、ふたつの出来事のあいだには、関係性はないのである。単なる、勘違いなのだ。

しかし、一度、その人の頭に、「関連性が成り立つ」と、「うまくいかなかった」という相手に対して「相手のやり方が悪かったから、そうならなかったのだ」と言い切るメンタルができあがる。これが、曲者なのである。

*     *     *

考えづらいことかもしれないけど、互酬性の部分と「運があがる」という部分は、じつは、関係がないのだ。たとえば、CさんがDさんに、ある本を貸してあげたとする。

そのあと、Dさんが、今度は、Cさんに、別の本を貸してあげたとする。親切にしたので、親切が返ってきたと考えることもできる。

しかし、これは、別に「運があがる」ということを、ほんとうは、意味していない。「いいことが返ってきたのだから、運があがったんだ」と思うかもしれないけど、個別の力としての「運」があがったわけではないのだ。

Cさんが、Dさんに、お歳暮を、あげたとする。そのあと、DさんがCさんに、お歳暮をあげたとする。互酬性が成り立っている。

しかし、個別の力としての「運」があがったわけではない。いちおう、ここでは、お歳暮というのは、お歳暮のときにあげる、なんらかのもののことだとする。

「運」というのは、現実の写し絵だということを書いた。最初に、Cさんが、Dさんに、お歳暮をあげたということを無視すれば、たしかに、Cさんは、Dさんからお歳暮(の品)を受け取っているので、お歳暮(の品)がいいものなのであれば、いいことが起こったということになる。

いいことが起こったということは、運があがったということだということになる。

しかし、運があがったかどうかは、わからない。

社会のしくみのなかで、お歳暮のやり取りをしたということだけなのだ。

もし、Cさんが、Dさんにお歳暮をあげたのに、DさんがCさんにお歳暮をあげなかったら、Cさんは、Dさんに対して、なにを思うだろうか。

次の年も、Cさんは、Dさんにお歳暮をあげるだろうか。お歳暮をあげるということが、ほんとうに、親切行為なら、Cさんは、Dさんからの見返りを期待するべきではない。

しかし、いちおう、しくみに従って、CさんはDさんにお歳暮を贈ったので、Cさんは、この時点で、Dさんも自分にお歳暮を贈ってくるはずだと思っている場合が多い。

あるいは、事前に、Cさんにとって、Dさんが、恩人である場合は、別に、Dさんが、Cさんにお歳暮をかえさなかったとしても、不満には思わないだろう。

これには、上下関係がある。そして、両者の間に、上下関係が当たり前のものとしてあるということが、認識されているから、Dさんが、Cさんにお歳暮をかえさなかったとしても、Cさんが、不満に思わないだけだ。

なにを言いたいかわからないかもしれないけど、実際に発生している出来事を、そのまま「運」という架空のものに、スライドさせることはできないということを言いたい。

「運」があがることを意味しているように思えるかもしれないけど、運があがったと考えられることは、実際の行為をちがった角度から考えているだけだ。

ようするに、言い換えにすぎないのである。

ようするに、「運」うんぬんのまえに、しくみが成り立っている。しくみが成り立っている世界で、人から物をもらったということを、「運があがった」と言い換えているだけだ。

わからないかもしれないけど、別のことなのだ。個別の力としての「運」は最初から、存在していない。現実の一部分を切りだして、個別の力としての「運」があがったと思い込んでいるだけ。

しかし、個別の力としての「運」というのは、最初からない。言霊理論における言霊の力のように、妄想的な思考によって、そういう力があると設定されているだけだ。

都合よく、「個別の力がある」ということになっていて、都合よく、現実を切りだして「運があがった」ということになっているのだけど、現実の行為を成り立たせている「しくみ」がある。

しくみのほうが、重要。

どうしてかというと、しくみに関する認知と、行為の結果に関する認知が深く結びついているからだ。

しくみに関する認知と、行為の結果に関する認知によって、じつは、「親切にした」とか「親切にされた」とかとい認知も成り立っているので、しくみから切り離された「運があがる行為」が成立しているわけではないということが、重要なのだ。

社会において、仕事をするという設定が成り立っている場合、親切行為が、親切行為とはみなされない場合があり、親切行為とみなされない見方が、常に成り立っているのであれば、どれだけ「親切行為」をしても、「親切行為をした」とは見なされない。「しくみ」が成り立っている。 

ともかく、ほんとうは、運というのは、個別の力ではない。

しかし、現実から、個別の力があるように、誤解されている。これは、誤解にすぎない。妄想的な思考をしているだけだ。都合よく、そのときだけ「運があがった」という解釈が成り立っているだけだ。 

手短に言うと、社会のしくみのなかで、親切心が「搾取」されてしまう場合がある。親切心を搾取する仕組みが成り立っていれば、親切にされたほうは、親切にされたと認識しない。

そして、あたりまえのように搾取する。

じつは、その社会化された「親切心の搾取」に寄与している言葉が、「運」というような言葉だ。

総合的なことを言ってしまえば、「運があがる」ということをはやらせることによって、人から親切心を搾取する層がある。そういう側に立つ人たちがいる。これは、じつは、見えないやり方で、親切心を搾取している。

手短に言うと、「人に親切にすると運があがる」というような言葉を発する人たちが、しくみのなかで、人の親切心を搾取している。搾取している側に立ったり、搾取している側の味方になる。じつは、逆なんだよね。

社会のしくみを通すと、そうなる。不思議だけど、そうなる。巧妙な言いかえがある。

2026年9月9日水曜日

●俺がさぼっているようにしか見えない■社会※2026/09/09 20:14

 まじで、やばい。寝ちゃったほうがよかったなぁ。

さっき、眠りそうになったけど、睡眠リズムが壊れるから、眠らないようにしていたのだけど、精神が崩壊しそうな不安を感じる。終わりがないなぁ。

なんとかやりすごすしかない。

ほんとうに、つらいだけの人生だったなぁ。

あの、きちがい兄貴の、あのヘビメタ騒音が、どういうふうに「たたるか」なんて、ほかの人がわかるはずがない。

ほかの人たちは、きちがい兄貴がやったことに、「のって」俺をせめまくっただけだからな。

やられていない人たちの視点から見れば、俺がさぼっているようにしか見えないんだよな。

ヘビメタ騒音と人間関係って、関係があるんだぜ。

●一〇年間毎日続いたら、どういう一〇年間になると思っているのだ?■騒音※2026/09/08 14:17

アニメを視たら憂鬱になった。憂鬱になるようなアニメじゃないし、憂鬱になるような話じゃないのに、憂鬱になった。

まあ、なんか、むなしいと感じてしまったんだろうなぁ。 

このさき、どうするんだ?

このさき、どうする?

このさきの人生、どうする?

浮かび上がることが、くるしいことばかりだ。

ほかの人にはないことで、そうなった。家族の騒音だ。これ、ほかの人にはないことなのである。人生のなかで、こういうことが、発生しないのである。

普通の家族だって、騒音はあるけど、ちがうのだ。

うちの兄貴は、きちがいだから、やり方がちがう。こだわりがちがう。こだわり続けた、時間の長さがちがう。きちがい兄貴の、気持ちひとつなんだぞ。

こんなの、ない。ほかの人は、まったく理解しない。「関係がない」「影響はない」と、言う。いやーー。自分がやられなかったから、平気なだけだろ。

どういう一日になると思っているのだ?

一年間毎日続いたら、どういう一年間になると思っているのだ?

一〇年間毎日続いたら、どういう一〇年間になると思っているのだ?

自分がやられなかったから「関係がない」と思えるだけなんだよ。

自分がやられなかったから、実際に「関係なく」暮らせただけなんだよ。ようするに、エイリの「兄貴の騒音」とは関係なく、暮らせたので、自分が被害を受けていない。

自分が被害を受けていないので、自分には関係がない。

自分には関係がないことなので、「関係がある」と言っているエイリの気持ちがわからない。

実際に、影響を受けなかったので、「影響を受けない」と思っているだけだ。 

2026年9月8日火曜日

●数千日の張りつめた努力がなければ、こういうことにはならなかった■騒音※2026/09/07 23:25

不安になるねぇーー。

このさき、どうするかな。

ヘビメタ騒音との関連で言って、自分の人生がむなしい。これは、どうにもならない。ほかの人の話というのは、まったく参考にならない。

ほかの人の人生には、ヘビメタ騒音相当の騒音生活がなかったのだ。だから、体力も睡眠力もまったくちがうので、まったく参考にならない。

まあ、ほんとうは、セミリタイア、リタイア、Fire関係の動画を、視まくっているのだけど、全部が全部、参考にならない。

まあ、いいけどね。視まくっていると書いたけど、聴きまくっているというほうが正確だな。

なにをどうしていいかわからない。このさき、どうする?

ほんとうに、悔いばかりの人生だ。

我が人生に悔いあり。

*     *     *


このあいだ、マクドナルドで、久々のシェイクを飲みながら考えたけど、わかいころも、めちゃくちゃだったのだ。

わかいころ、そのマクドナルドに入って、だいたいおなじところに座って、まあ、食べたり飲んだりしていたのだけど、わかいころも、ヘビメタ騒音でくるしかった。

だから、浮かび上がる思い出が、いい思い出ではないのである。浮かび上がるシーンが、いいシーンじゃないのだ。当時も、まよっていた。当時も、くるしかった。

小学二年生ぐらいなら、最寄りの駅から一駅はなれた『大きな駅』周辺には、いい思い出があった。まあ、小学五年生までだね。子どものころは、それなりに楽しい記憶もある。

けど、小学六年生の時に、ヘビメタ騒音がはじまったので、それ以降は、あんまりいい思い出がない。

ヘビメタ騒音一年目あたりは、まだ、いい記憶はある。半分はヘビメタ騒音で汚れていたけど、半分は、親友と一緒に行動をして、楽しかった。

ヘビメタ騒音三年目あたりまでは、きつかったけど……ヘビメタ騒音に汚染されていたけど……まだ、楽しいと感じられる余力があった。親友と一緒にいたときは、ほんとうに、楽しかった。

けど、もちろん、親友にいた時ですら、家に帰ったら、きちがいそうおんがなっているということがわかっているので、憂鬱だった。半分は憂鬱だった。

八割ぐらいは、憂鬱だった。

けど、理解がある親友といて、ヘビメタ騒音に汚染されながらも、まだ、楽しい気持ちが二割ぐらいは残っていた。

「恋愛」とか「デート」ということを考える場合でも、ヘビメタ騒音に汚染されている状態で、デートに行って、ヘビメタ騒音が鳴っている場所に帰ってくるということになるのである。

これが、どれだけ気が重たいことか。

どれだけ気持ちが汚染されるか。「恋愛とヘビメタ騒音なんて関係がないだろ」と言ったやつを殴ってやるりたくなる時がある。

勉強だって、恋愛だって、ヘビメタ騒音でズタボロだよ。

ヘビメタ騒音・四年目あたりから、どこに行くときも、一〇〇%汚染されている状態で、行くということになっていた。

一〇〇%ヘビメタ騒音で汚染されているのである。こっちにとっては、深刻な問題なのに、きちがい兄貴が、まったく気にしないで鳴らしていたのだ。こっちにとっては、深刻な問題なのに、どれだけきちがい兄貴「やめるように」言っても、きちがい兄貴が、まったく気にしないで鳴らしていた。

一三時間鳴らせるなら、一三時間鳴らすことが決まっているから、まったく気にしないという状態だった。

これが、きちがい兄貴がやったことだ。

これが、きちがい兄貴の態度だ。

ぜんぜん、ほかの人が考えている「お兄さんの態度」とはちがうのである。これも、どれだけ言っても、ほかの人が、認めないんだよな。経験の範囲で言えば、みんな、半分腹を立てたような状態になる。 自分のなかにある常識とは、ちがうことを言われて、半分、腹が立つのである。

明日は、歯医者だから、眠らなければならないのだけど、眠らなければならないような状態になると、きちがいヘビメタにたたられていた時とおなじ状態になって、まったく眠れなくなってしまうのである。

これだって、数千日の記憶がなければ、こういうことにはならかなったのだ。

これだって、数千日の張りつめた努力がなければ、こういうことにはならなかったのだ。

みんな、俺がさぼって、夜更かしをして、朝、起きられなくなって、遅刻したと思っているのだ。ぜんぜんちがうんだよ。

こういうところでも、きちがい兄貴がいないところで、ぼくが、ほかの人から侮辱されることになる。

こういうところでも、きちがい兄貴がいないところで、ぼくが、ほかの人から誤解されることになる。

2026年9月7日月曜日

●善意で言っているという問題がある■社会※2026/09/07 20:44

いちおうは、ほんとうに、善意で言っているという問題がある。

善意で言っているから、いいはずなのだけど、よくないのだ。

どうしてかというと、条件を無視しているからだ。条件を無視した言い方にしかならないのである。実際に、助言をしている人は、条件について「あまく」見ている。

ようするに、「そんなのは関係がない」と思っているのだ。

しかし、条件は、関係がある。

たとえば、非常に恵まれた家に生まれた人がいたとする。この人をAさんだとする。Aさんは、自分が恵まれた家に生まれたということを、無視しがちなのだ。どうしても、自分が基準になってしまう。自分の条件が「普通」だと思ってしまう。

よその人のことは、わからない。

また、お金持ちのうちに生まれた場合、まわりの人も、お金持ちの子どもなので、それが標準であるかのように思ってしまう。

たとえば、Aさんが医者の息子として生まれたとする。そして、医者の息子や娘が、ものすごく多い学校に入ったとする。

そうすると、まわりも経済レベルがたいから、まわりの経済レベルが、なんとなく、標準の経済レベルになってしまう。

そりゃ、医者の子どものなかにも、それぞれ、ヒエラルキーはある。だから、自分を中心にして、自分の親よりも、おカネがない親の子どもとか、自分の親よりも、おカネがある子どもとかと、くらべることになる。

自分の親よりも、金持ちの親がいるのだから、カネということについて考えると「(自分の家なんて)たいしたことがない」と感じることだってある。上には、上がいる。下もいるから、だいたい、自分は普通だと思ってしまう。

けど、人間の標準から考えると、あきらかに、よい暮らしをしているのである。

Aさんが、経済的に、だいぶ上のほうの親のもとに生まれたということには、かわりがない。

けど、なんとなく、自分の身の回りの人たちが、基準になってしまうというところがあるので、「(自分は)普通だ」と感じることもあるのだ。

「普通」の基準が上のほうにズレてしまうのである。

たとえば、非常に貧乏な家に生まれた人がいたとする。

この人をBさんだとする。

Bさんの父親も母親も、性格に問題がある人だったとする。ようするに、貧乏なだけでなくて、親の性格にも問題があったということだ。

その場合、Bさんは、いろいろなトラブルを(Bさんのせいではなく)経験することになる。

まあ、貧乏なだけでも、いろいろなトラブルを経験することになるから、貧乏な設定だけでもいいかな。おカネがないと、いろいろとみじめな思いをすることになるのである。いろいろと「自分の希望」が通らない経験をすることになるのである。

カネがないということは、自動的にそうなることを意味しているのである。

しかし、Aさんは、貧乏な家に生まれた場合の生活をしたことがないので、Bさんの実際の生活がわからないのである。

Aさんにとって、貧乏な家というのは、ドラマやニュースのなかで出てくる貧乏な家でしかないのである。

Aさんには、おカネがないということがもたらす、不愉快な経験がない。Aさんには、おカネがないということがもたらすトラブルがないので、トラブルが実際にしょうじたときの心の動きがわからない。

おカネがないということは、おカネがないということだけを単体で意味することではなくて、実際には、「文脈」がある。生活の中の出来事には、文脈がある。

この文脈にそった、一連の出来事がしょうじているときの「気分」「気持ち」「感情」が、わからないのだ。

つまり、ただ単に、おカネがないということは、ただ単に、おカネがないということを意味しているのではなくて、おカネがないことからしょうじる出来事があり、その出来事は、文脈をもっている出来事なのだ。

実際に、おカネがないということからしょうじるトラブルを経験したことがないAさんには、一連の出来事がしょうじているときの「気分」「気持ち」「感情」が、わからないのだ。

けど、わかったつもりになることがある。わかったつもりなのである。

そりゃ、かわいそうなニュースを聴けば、かわいそうだと思う。かわいそうなドラマを視れば、かわいそうだと思う。思う。思う。

けど、生活実感はない。

必然的に発生する一連のプロセスを経験したことだってない。

Aさんの親が、「これはいくらなんでも、買え与えすぎだから、これは買ってあげない」という判断をしたとする。そういうことだってあるかもしれない。

Aさんの親がおカネ持ちで、Aさんの親が性格のいい人であったとしても「これは、いまは、A君には必要がない」と判断する場合だってあるだろう。

だから、Aさんにも、「買ってもらえなかった」経験があるとする。

けど、それと、Bさんの「買ってもらえなかった経験」というのは、ちがうのである。

頻度も質もちがうのである。

Aさんが「自分だって買ってもらえなかったことぐらいある」という言葉で、同質化、同レベル化することはできない。

ほんとうは、できない。

けど、Aさんの感情としては、まさしく、そういうふうに言えることなのである。「自分だって買ってもらえなかったことぐらいある」と言えることなのである。

しかし、Aさんの生活感情と、Bさんの生活感情は、異なったものになる。

繰り返して起こることが重要なのだ。

そして、家にカネがあるかどうかで、起こることの質がちがってくるのである。

Aさんは、「自分だって買ってもらえなかったことがある」と言うけど、Bさんが頻繁に経験してきたことを経験していないのである。「買ってもらえなかった」としても、シチュエーションにちがいがある。

プロセスにちがいがある。つまり「文脈」にちがいがある。

Bさんが頻繁に経験したトラブルを経験していない。

これ、トラブルなんだよ。トラブルの頻度とトラブルの質は、重要だ。

おカネがあれば、解決できるトラブルがある。おカネがあれば解決できる不幸なことがある。貧乏な家の子どもは、おカネがあれば解決できるトラブルを、頻繁に、経験してしまう。

裕福な家の子どもは、おカネがあれば解決できるトラブルを、めったに経験しない。

「親」が「あるもの」を買ってやらなかったとしても、各親によって、感情のちがいがある。各親によって、態度のちがいがある。おなじ体験ではないのだ。

だいたい、「家にあるもの」がAさんとBさんでは、根本からちがうのである。

Aさんの親が必然的に買い与えていたものをBさんの親は全部、買い与えなかったかもしれないのである。

レベルちがう?あるものについて、Aさんが「自分だって買ってもらえなかった(ことがある)」と言ったって、それで、Bさんとおなじ状態で、おなじ事柄を経験してきたなんてことは、言えない。

しかし、たとえば、初老になったAさんが、しあわせに暮らしていたとする。

そうしたら、不幸な人たちに、しあわせになるコツを教えてあげようと思っても不思議ではない。

なので、Aさんの生活実感で、ものを言ってしまう。Aさんが自分がしあわせになったのは、人に親切にしてきたからだと思ったら、「人に親切にすれば、しあわせになる」と言ってしまう。

善意だ。

しあわせになるコツを、不幸せな人に教えてあげるのだから、いいことだ。

Aさんは100%構文で、効果がありそうなことを言ってしまうのである。Aさんは(自分とほかの人の)条件を無視している。

Aさんは、条件を無視した言い方を採用してしまうのだけど、それが、問題だとは思えない。

だから、ここでずっと述べてきたような、トラブルがしょうじる。

●人に親切にすることで、不幸な状態がくつがえらない■社会※2026/09/07 15:38

「小さな親切」と言うと、いい感じがするけど、じつは、「小さな親切」に分類されることは、案外少ない。「大きな親切、大きなお世話」という言葉があるように、「大きな親切」というのは、あんまりいい感じがしない。

条件を無視した助言をする人にとっては、助言をすることは、親切な行為なのかもしれないけど、条件を無視しているという点において、親切な行為ではないということになる。

じつは、親切にする場合、自分がどの程度の犠牲を払うかという見積もりがなされている。負担について考えるのだ。

だから、「人に親切にする」というのは、じつは、種類が限られたものになる。一時的なものであり、自分の負担が(無視できるほど)小さなものなのである。

「人に道を訊かれたら、道を教えてあげる」「席を譲ってあげる」「ものをとってあげる」「重い荷物をもっている高齢者を見たら、重い荷物をもってあげる」といったようなものだ。自分の負担がない状態でできるのである。

そして、「人に親切にすると、気持ちがいい」と表現されるように、「気持ちがいい」ものなのである。だから、「自分が気持ちよくなる予感(見積)」と「今後の自分に負担がかからないという見積もり」があるのである。

人に道を訊かれる機会は、スマホの発達によって、だいぶ少なくなっている。

もちろん、訊かれて、道を知っていたら、普通に教えてあげる。けど、だから、運がよくなるというようなことは、ない。たとえば、ぼくが、毎日、きちがい兄貴の騒音にたたられているとしよう。

ある日、道を訊かれたので、ちゃんと教えてあげた。だから、運がよくなって、兄貴がきちがいヘビメタをやめてくれるかというとそうではなかった。

もちろん、これは、ひとつの例なのだけど、関連性がないのである。

「運がよくなる」と言い方には、関連性がないふたつ以上の出来事が結びつけられているのだ。Aという行為をしたから、Bという出来事が発生したという関係が、頭のなかに成り立っていなければならないのだ。

ところが、よくよく考えてみると、じつは、ふたつの出来事のあいだに、関連性がない場合が多い。兄がヘビメタを爆音で鳴らすという出来事と、ぼくが、道を訊かれて、道ついて教えてあげたという出来事は、関連がない出来事なのである。

しかし、「親切にすれば、運がよくなる」という言い方のなかでは、「親切にしたことによって」「自分をくるしめている出来事がなくなる」というような関係性が、提示されるのである。

あるいは、「親切にすること」によって「なにかいい出来事が起こる」ということを提示しているのである。不幸が解決するか、あるいは、幸福になるような出来事があるということを、「親切にすると、運があがる」という言葉は、示唆している。明示しているし、暗示もしている。

しかし、「理由になること」ではないのである。親切にして、気持ちがよくなったということは、「理由になること」だ。道を訊かれたので教えてあげた。

だから、気持ちがよくなった。「道を教えてあげた」という出来事と「気持ちがよくなった(幸福な気分になった)」という出来事の関連性があるのである。しかし、それ以外のことに関しては、じつは、(道を訊いた人との人間関係でなにかいいことが起こる)ということがなければ、関係がないことなのである。

「親切にしてあげた」という出来事と、「なにかの出来事」のあいだに、じつは、関連性がないのである。関連性がないのだけど、関連性があるように見せかけているのである。

「運がよくなる」というのは、ほんとうは、関連性がないことについて語っている。

ほんとうは、関連性がないふたつ以上の出来事に、妄想的な思考をして、関連性があると、決めつけている。根拠がないのに、じつは、関連性を結び付けている。

この場合、「人に親切にすると、幸福になる」というような一〇〇%構文の文で表現してしまうと、実際には、一〇〇%の確率で起こることではないので、現実とのギャップがうまれるのである。

そりゃ、関連性がないことに、一〇〇%の関連性があるということを言っているのだから、そうなる。「根拠」がないのである。「理由がない」のである。「親切な行為をした」ということと「なにか(良いことが起こる)そして、幸福になる」ということの関連性がないのである。

じつは、出来事同士の関連性がないのに、勝手に、出来事同士の関連性をつくっているだけなのである。

頭のなかで、つくっている。本人が、そう感じるのは自由だけど、他人に、あたかも、有効な問題解決方法のように言うのは、よくないことだ。どうしてなら、関連性がじつはないからだ。

じつは、「親切にする」という行為に関しては、そのときに、「親切にしたという気持ちになって」本人が気持ちよくなること以外の関連性はない。

「親切にした」という出来事と、「親切にしたと思って気持ちよくなった」という出来事のあいだには、関連性がある。

しかし、「親切にした」という出来事と「ほかの幸運な出来事」のあいだには、関連性がないのである。

じつは、普通に親切にしてあげている、不幸な人がいる。親切なのに、不幸な人がいる。この人が不幸なのは、不幸な条件によって、不幸な出来事が発生するからなのである。

人に親切にしていないから、不幸な出来事が発生しているわけではないのである。不幸な出来事が、かなりの高確率で発生する条件下で暮らしていれば、「幸福感」は、なかなか感じることができない。

そりゃ、不幸な条件下で暮らしているけど……人に親切にしたとき、親切にしたという気持ちになって、幸福感を(一時的に)感じることはある。

しかし、そのことが、不幸な条件をかえないのである。不幸な条件は、そのまま成り立っているので、かなりの高確率で、不幸な状態で暮らすということになる。幸福ではない状態で暮らすということになる。

人に親切にすることで、不幸な状態がくつがえらないのだ。 

●ヘビメタ騒音以降の人間関係というのが、不愉快なものばかりなのだ■騒音※2026/09/07 11:49

さてさて、どうするかな。不満や、いやなことを思い出すということはあるけど、夜のような、不安はない。

これ、最近、夜の不安がすごいのだ。

いまは、平気だけど、いつくるか、わからないところがある。夕方ぐらいからくることもある。じつは、明るいうちからくることもある。なんらかのきっかけがあると、ものすごく、不安になる。

あとは、全般的に動きたくないという気持ちがある。じつは、寝床からも出たくない。動きたくない気持ちを押し切って、出てきて、動いているわけ。

ものすごく不安ではないときも、鬱はある。まあ、これをどうにかしたいのだけど、どうにかするのは、無理かもしれない。いくつかの条件がそろわないと、どうにかできる状態にすらならない。

ヘビメタ騒音以降の人間関係というのが、不愉快なものばかりなのだ。もちろん、ヘビメタ騒音期間中の人間関係も、だんだんとくずれていった。くずれるしかないんだよな。

けっきょく、親友ですら、実際に経験したわけではないので、「自分だったらどうにかなる」という前提でものを言ってくるようになる。

きちがい兄貴が、俺の言っていることを無視して、頑固にきちがいヘビメタをありえないほど長い時間鳴らしたことによって、ぼくの人間関係が、ボロボロになるのだ。

これ、よその人は、理解しない。

ここでずっと書いていることを理解できる人が、ほとんど、いない。

けっきょく、ほかの人にとって、ヘビメタ騒音の問題は、たいした問題じゃない。

自分が実際に経験しなかったから、どういう影響を与えるのか、自分の体を通して、知っているわけではないので、『軽く』見るのだ。

あるいは、完全に無視してしまう。

「なんだ!そんなの」という反応をするやつが多かったよ。「そんなのは、お兄さんに言えばいい(ちゃんと言えば、わかってくれる)(ちゃんと言わないからダメなんだ)」という反応をするやつも、多かったよ。

ほかの人にとっては、そういう問題でしかない。

ところが、ぜんぜんちがうのだ。

最大限の努力をしても、不可避的に、ボロボロになるしかない問題なのだ。

これがわかっていないんだよね。

ほかの人から「なんだ!そんなの」と言われることも、「そんなのは、お兄さんに言えばいい」と言われることも、俺にとって、いやな体験なんだぞ。たとえばの話だけど、俺と同等の騒音を、経験した人が、 「なんだ!そんなの」と言ったり、「そんなのは、お兄さんに言えばいい」と言うと思うか。

言わない。ようするに、俺と同等の騒音を経験したことがない人が、「なんだ!そんなの」と言ったり、「そんなのは、お兄さんに言えばいい」と言ったりする。

何度も言うけど、ほかの人からほかの人から「なんだ!そんなの」と言われたり、「そんなのは、お兄さんに言えばいい」と言われたりすることは、俺にとって、不愉快なことなんだよ。

これは、きちがい兄貴が、きちがい的なこだわりで、騒音を鳴らさなければ、発生しなかったことなんだよ。きちがい兄貴が、こいつらが理解できないことをした。

きちがい兄貴が、こいつらが「影響」を理解できないことをした。こいつらの家族は、きちがい兄貴みたいなことを、こいつらにしていないのである。

だから、こいつらは、自分の身を通して、経験していない。自分の身を通して経験していないので、「そんなのは関係がない」とはっきり言うことができる。

はっきり言っているけど、それは、間違ったことを、はっきりと言っているだけだ。

言霊主義者とおなじなのである。言霊主義者の場合は、このうえに、「言えば言ったことが(言霊の力によって)現実化する」という妄想的な思考があるから、言えば問題が解決するようなことを言う。

「できないと言うからできないのだ」「無理だと言うから無理なのだ」と、間違ったことを言うだけだ。

基本的に間違ったことを言っているのだけど、言霊主義者が、間違ったことを言っているということを認めるということは、ほとんどない。

こういうレベルの思考力なのだ。

こういうレベルの認識なのだ。

もちろん、言霊主義者が、ぼくの経験をほんとうに理解してくれることなんて、ない。

ぼくが経験したようなことから発生する問題は、『言えば解決してしまうような問題』だからだ。

こんなのは、ない。

どれだけの影響があるか、ほんとうに、普通の他人は、理解しないのである。そして、きちがい兄貴の性格についても理解しない。そして、きちがい親父の性格についても、理解しない。

きちがい親父やきちがい兄貴が「はずれ値」で、普通ではないことを、毎日する人間だから、普通の人には、理解できないのだ。

どれだけ、こいつら……きちがい兄貴やきちがい親父の……影響を受けるか、ぜんぜんわかっていない。実際に、こいつら家族が普通の家族で、きちがい兄貴のよう家族ではないから、きちがい兄貴のようなことを、こいつらの家族がこいつらにしない。

実際に、こいつら家族が普通の家族で、きちがい親父のよう家族ではないから、きちがい親父のようなことを、こいつらの家族がこいつらにしない。

だから、こいつらは、普通に生きていける。

別に俺より優れているから、実際にきちがい兄貴が鳴らしたような騒音を経験しているけど、普通に生きているというわけではない。

普通に、通勤できる体で、通勤して仕事をして、生きているというわけではない。ひとつの理由としては、きちがい家族の騒音を経験していないから、普通の体を維持して、普通の仕事ができるだけだ。

こいつらだって、ほんとうに、きちがい兄貴相当の騒音を毎日十数年間にわたって、鳴らされ続けたら……特に、学生時代に鳴らされ続けたら……通勤ができない体になるのだ。

もちろん、証明なんてできない。

けど、ほんとうに、ぼくが経験した騒音生活を、こいつらがした場合、こいつらも、通勤して働くということができない体になると……ぼくは、確信している。

そういうものなのだ。毎日、ものすごくきらいな音が、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も、爆音で、続く場合、どうしても、どうしても、通勤・通学ができない体になる。

ところが、実際やられたことがない人は……実際にやられていないやつは、やられていない体で、「お兄さんの騒音」ということについて考える。

考えるだけ。

実際に、同程度の経験がないので、実際にあったヘビメタ騒音の影響を無視してしまう。実際なかったから「自分なら平気だ」と考えてしまう。

ほんとうに、毎日続くということは、こいつらが考えているようなことではないのだ。

無視できる音ではない。影響を受けないようにしようと思えば、影響を受けないようにできる騒音ではないのだ。

至近距離で、きちがい家族がきちがい感覚で鳴らしている騒音だ。普通の人が普通の感覚で鳴らしている騒音とは、ぜんぜんちがうんだよ!!!

影響を受けないわけがないだろ。

こいつらのことも、ほんとうに、ゆるせない。

きちがい兄貴のこともゆるせないけど、「影響を無視したやつら」のことも、ゆるせない。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。