2026年8月15日土曜日

●これは、無実の罪で、死刑宣告をされたに等しい■騒音※2026/08/15 17:04

 ヘビメタ騒音さえなければ……。

もう、だめだ。

だから……「やめてくれ、やめてくれ」と言っただろ。

「やめろ」と言っただろ。

うちの兄は……頭がおかしいから、自分がどれだけでかい音で鳴らしているか、わからないまま……ようするに、絶対の意地で、汚い手を使って認めないまま……普通の音を鳴らしているつもりで、すべての使える時間を使って、鳴らしたのだ。

やめてくれ、やめてくれと言ったのに……。

必然的に、不可避的に、一日がめちゃくちゃになる。

鳴らされている時間だけでなく、鳴らされていない時間も、鳴らされている時間の影響を受けて、めちゃくちゃになる。

入眠時間がズレれば……、俺がほかの人から、だらしがない人だと思われる。

宿題をやっていかなければ……いくことができないのだけど……俺が……ほかの人から、ダメ人間だと思われる。いまも、入眠時間はズレまくりだ。

入眠時間を調整しようとして、死にたくなったことは、数千回では済まない。数万回、入眠時間のことで、死にたくなった。

俺が……「そんなのは、気にしないで、がんばればいい」ということを、ほかの人から言われることになる。

これが、どういうことだかわかるか。

わかるわけがない。

これは、無実の罪で、死刑宣告をされたに等しい。

どれだけくやしいか、「そんなのは、気にしないで、がんばればいい」ということを、言うやつには、わからない。屈辱……。ぶんなぐってやりたくなる。

「そんなのは、気にしないで、がんばればいい」ということを言っているやつは、言っているやつで、自分が、どれだけくそおろかなことを言っているか、わからない。

きちがい兄貴が、きちがい的な感覚で、きちがい的な意地で、よその人が、よそのうちではやられないことを、毎日やりきると……意地になって毎日やりきると……俺が……俺が、よそのひとから「そんなのは、気にしないで、がんばればいい」ということを、言われる羽目になる。

これ、どれだけ、腹が立つか、「そんなのは、気にしないで、がんばればいい」ということを、言っているやつには、わからないのである。

そして、こういうやつらが、みんな、「自分だって苦労した」ということを言う。みんなというのは、この場合、リアル世界で出会った人たちのことだ。

これも、どれだけひどいことを言っているか、言っているやつらは、わからないのである。

わかっていないのである。こんなの、ない。ほんとうに、全部が全部……こんなことになる。

あーあ。これ、どうして「そんなのは、気にしないで、がんばればいい」という言葉が死刑宣告になるのか、ほかの人は、まったくわからないのだろうなぁ。

これ、別の言葉でいうと……「がんばって、自殺すればいい」と言っているのとおなじなのである。どうして「がんばって、自殺すればいい」言っているのとおなじなのか、ほかの人は、わからないのだろうな。

わからないのなら、ぼくと同等の苦労をしたことがないということになる。

「そんなのは、くるしんで、死ねばいいのだ」と言っているのとおなじだ。

きちがいヘビメタで、どれだけおいつめられているか、まったくわかっていない。

「そんなのは、気にしないで、がんばればいい」と言うやつは、まったくわかっていない。

*     *     *

無実の罪は、誤解だ。ヘビメタ騒音の影響について、普通の人たちは……同等の経験がない人たちは……誤解をしている。

誤解をして、「関係がない」と思っているのである。

だから、「そんなのは、気にしないで、自殺をするまで、がんばればいい」と言える。

あるいは「そんなのは、気にしないで、死ぬまで、がんばればいい」と言える。

誤解をしている。

まったく、わかってないんだよな。

まったく、わかっていない。

 

2026年8月14日金曜日

●いやな思いをさせる■騒音※2026/08/14 17:50

きちがい親父が、俺にネズミを殺させて、俺にいやな思いをさせる。

きちがい兄貴が、俺に遅刻をさせて、いやな思いをさせる。きちがい兄貴が、俺の勉強時間をうばって、いやな思いをさせる。

よその人が「そんなのは嘘だ(ヘビメタ騒音の話は嘘だ)」と言って、いやな思いをさせる。

よその人が「どんなに騒音が鳴ってたって、宿題ぐらいできる」と言って、いやな思いをさせる。

きちがい兄貴が、俺の睡眠時間をうばって……俺に……いやな思いをさせる。

きちがい兄貴が、俺の人生を台無しにして……俺に……いやな思いをさせる。

よその人が「元気だ元気だと言えば元気になる」と言って……俺にいやな思いをさせる。

あれだけでかい音で、苦手な音が鳴っていれば、影響を受けるにきまっているのに、影響を否定するきちがい野郎が「関係ない」と言って、俺にいやな思いをさせる。

不可避的に影響を受けるということを、頑固に否定するやつらが、「影響はない」と言って、俺にいやな思いをさせる。きちがい兄貴が、きちがい的な頑固さで、使えるすべての時間を使って、きちがい兄貴が満足できる音で、ガンガン鳴らすと、自動的にそうなる。

必然的にそうなる。よそのやつなんて、自分がやられていなければ、影響を認めない。

空想世界で「できる」ことになっている。

どれだけ、苦手な音が大音響でずっとずっと何時間も何時間も鳴っていたって、自分は、影響を受けずに暮らすことができると思っている。

想像世界で、「どれだけ、自分にとって苦手な音が大音響でずっと何時間も鳴っていたって、自分は、勉強ができる」と思っている。

想像世界では「できる」ということになっている。

なら、「できない」のは、エイリが、悪いということになる。

エイリの能力が低いから、きちがい騒音下で、勉強をすることができないのだということになる。

そういう、前提が「できる」という話の背後にある。

こういう具合に、不可避的に影響を受けるということを「認めない」やつが、めちゃくちゃなことを言ってくる。

きちがい兄貴が、きちがい基準で、よそのうちではできないことを、やってしまうと、必然的に、そうなる。

よそのやつらが、なめてかかってくるようになる。

ヘビメタ騒音で「できなくなった」と言っても、よそのやつらが、ヘビメタ騒音の効果を認めずに、きちがい的な、アホなことを言ってくるようになる。

自分は、平気なつもりなのだ。自分は影響を受けないつもりなのだ。

こいつらが理解できないのは、ずっとヘビメタ騒音生活が続けば、いつか、通勤通学ができない体になるということだ。

何年間はたえて、生きていける。

けど、つもる。

つもりきって、できなくなる。


これが、わからないやつばかりだ。こういうやつらが「言えば言ったことが(言霊の力で)現実化する」と妄想的なことを言う。

妄想的な前提で「できると言えばできる」と言う。特に悪意はない。悪意はないんだよ。悪意がないから、こまるんだよ。

きちがい兄貴も、悪意があったわけではないのだ。

ただ、自分が思った通りの音で、鳴らしたかっただけだ。

そのあと、俺がどれだけ「でかい音で鳴らしている」ということを言っても、きちがい兄貴が、きちがい的な意地で認めないのだ。きちがい的なしくみで認めないのだ。

このきちがい的なしくみで認めなというのは、親父にも成り立っている。

そうなると、「きちがい的なしくみで認めない」ということを理解しないやつらが、無理なことを言っている。

あるいは、「きちがい的なしくみで認めない」ということが理解できない人たちが、俺が言っていることを、嘘だと思うようになるのだ。

それりゃ、きちがい兄貴のしくみが見えないのであれば、俺が嘘を言っているように思っても、不思議ではない。

こいつらは、親父にもきちがい的なしくみが成り立っているということを理解していないので、「そんな音で鳴らしているのに、家族が文句を言わないのはおかしい(家族が、やめさせようとしないのはおかしい)」と考える。

だから、「エイリが嘘を言っている」と考える。

考える。考える。

こいつらの考え方は、こういう考え方なんだよ。

ところが、ぼくは、嘘を言っていない。

もう、この時点で、こいつらとの間に、溝ができる。

ちなみに、影響がないと考えるやつらが「そんなの関係、ない」と言ってきた時点で、やはり、溝ができる。

妄想的な言霊理論を信じているやつらが「元気だ元気だと言えば、元気になる」と言ってきた時点で、やはり、溝ができる。

溝ができる。溝ができる。

●最後のいやなシーンしか思い出さない■騒音※2026/08/14 8:16

いやなことしか、思い出さない。

人がかかわっている……いやなことしか、思い出さない。

 

楽しいことだって、あったはずなのに、楽しいことは思い出さない。

 

なんか、楽しかったことは、嘘のように思える。女の子のことも、親友のことも、友達のことも、いいことも、いっぱい、いっぱい、あったはずなのに、最後のいやなシーンしか思い出さない。

仕事場の人たちのことも、いやなことしか思い出さない。

人間関係のトラブルしか、思い出さない。

きちがいヘビメタ騒音、以降、くるしい。

これ、ほかの人には、まったくわからないことなんだよな。ごく少数の例外である人たちも、けっきょく、自分のことじゃないから、経験的にわかっていることではない。

この人たちですら、兄貴の態度が、わかっているわけではない。

実際に、何時間も何時間も、勉強するべき時間にあびせられると……きちがい騒音をあびせられると、『次の日』の『日中』もめちゃくちゃになるのだけど、それがわからない。想像力がある人も、想像力がない人も、わからない。

どれだけ、切羽詰まった気持ちで、暮らしていたか……。

……暮らしていたか、ほかの人は、わからない。わかるわけがない。

影響?

でかいよ。

関係?

あるよ。

あの、ヘビメタ騒音の日々が、すべてをこわした。こっちは、きちがいヘビメタ騒音で、うまくいかない日々を抱えて、何年間も何年間も、何十年間も、ずっと生きてきた。

これ、わかるわけがない。

でっ、ヘビメタ騒音の後遺症を含めて、ぜんぜん治っていないのである。

だから、歯医者に行くのだって、ひと苦労だ。いまも、睡眠リズムが壊れているから、予約日までに睡眠時間帯の調整がつくかわからない。

でっ、睡眠時間帯の調整がつかないと、めちゃくちゃな状態で行くことになるのである。

そして、それがまさしく、前日、きちがいヘビメタを何時間も何時間もあびせられたあと、次の日、学校に行くときの状態なのだ。

*     *     *

でっ、たとえば、無職(状態)を抱えている状態だと、いろいろと、不都合なことがあるのだ。自己紹介ができない。

まともな自己紹介ができない。

「やばい部分」を抱えている状態で人と会わなければならなくなる。

ヘビメタを……自分がこの世で一番きらいな音を、ずっと、何年間も毎日、十数年間も毎日、鳴らされ続けたら、無職にならざるを得ないのだけど、それが、ほかの人にはわからない。

なんてったって、「関係、ない」「影響、ない」と言うやつばかりだからな。

なめられる。

「そんなのは、言い訳だ」「そんなのは、あまえだ」と言われる。

「自己責任だ」「健康管理をするべきだ」「人間は働くべきだ」と言われる。

「だから、ヘビメタ騒音で働けなくなったと言っているだろ」と(俺が)言ったって、相手は、聞く耳をもたない。大多数の他人なんて、そんなもの。

大多数の『よその人』なんてそんなもの。

*     *     *

一日目に、一五(じゅうご)年と一日目の疲労があるわけではないんだよ。累積した疲労は、問題だ。もちろん、抱えている本人にとって、問題だということだ。

「健康管理をしっかりしないやつが悪い」と言われたって、できないものはしかたがない。あんな状態で、健康管理なんてできるわけがないだろ。

「元気だ元気だと言えば元気になる」と言われたって、できないものは、しかたがない。「元気だ元気だ」と言ったって、元気にならないのである。

累積疲労をガン無視するやつが「言えば言ったことが現実化する」「言い方が悪いんだ」「現実化するまで、何回でも言えばいい」と言う。

そして、俺がきちがいヘビメタ騒音のことについて言えば……「俺だって困難があった」「俺だって疲れている」「みんなつかれている」と言う。

ところが、その人や、その人の言う「みんな」には、きちがい兄貴のようなきちがい家族がいないのである。

きちがい家族と一緒に住んだことなんてないのである。

きちがい家族が、きちがい的な感覚で鳴らしてしまう……「よそではありえない騒音」……を毎日経験して、暮らしたことがないのである。

ないのである。ないのである。

●「どんな音で鳴っていようが、宿題ぐらいできる」■騒音※2026/08/14 0:07

いろいろなことが思い浮かぶけど、全部、不愉快な思い出だ。「過去は関係がない」と言っている人は、まったく理解できないと思うけど、きちがいヘビメタがはじまった日から、ほんとうに、すべてが、めちゃくちゃにくるしい状態なのである。

「鳴り終わったら関係がない」……そんな、わけ、ないよ。

「一日のなかで、鳴り終わったら関係がない」という意味なら、まったく、ヘビメタ騒音がどういうものか理解していないね。壁が透明なら、「そこで」あのでかいスピーカーがガンガン、音をたてていた。

ものすごくくるしい。

無視できる音量じゃないのである。

「耳栓をすればいい」……。

爆音だと、耳栓をしても爆音なのだよ。脳内で、めちゃくちゃにでかい音で鳴っている状態は、耳栓をしてもかわらないんだよ。

逆に耳栓をすると、なんか、脳内の音が、強調される。耳栓ではなくて、思いっきり、両手で耳をふさぐということをした場合もおなじだ。耳栓と、思いっきり両手で耳をふさぐ場合は、だいたいいおなじぐらいの効果がある。

普通に言えば、音が小さくなる。

ところが、手にも、個体振動は、伝わってくるわけだし、密閉された状態で、「その音」だけを聴くような感じになる。

ほかの音はまったく鳴ってなくて、きちがい兄貴のきちがい音だけが、ガンガン、頭のなかに響くという状態になる。

まとめて言うと、爆音だと、耳栓をしても、両手で、思いっきり耳をふさいでも、爆音で聞こえる。

脳内に、「その音」がガンガン、ガンガン、ひびいている状態は、かわらない。

その日の健康状態に関係がないわけがないだろ。その日と次の日の「睡眠」に影響を与えないわけがないだろ。

そして、ほんとうに、宿題ですらできないのである。

宿題を忘れて?学校行けば、文句を言われる。そういうことも決まっている。だから、「宿題をするから、静かにしろ」と兄貴の部屋まで行って、何十回も、絶叫する。絶叫して、絶叫して、絶叫する。

けど、きちがい兄貴が、やめない。やめなくてもいいと思っているから、まったくやめない。ゆずらなくてもいいと思っているから、絶対にやめない。やめないのだ。

けど、普通の兄なら……普通の人なら……弟がいやがっているということがわかる。

ところが、きちがい兄貴は、弟がいやがっているということがわからない。

それから、普通の兄なら……普通の人なら……自分の鳴らしている音が、非常識なほどでかい音だということが、わかる。わからないなんてことはない。

耳が普通に聞こえるのに、わからないなんてことはない。

ところが、きちがい兄貴は、わからないのである。

これが、きたないところなんだよ。

親父とおなじやり方で、クソ兄貴が、現実を無視して、よその家では鳴らせないようなでかい音で、きちがいヘビメタを鳴らす。

きちがい兄貴にとっては、気持ちがいい音だから、ガンガン、ぼろくそにでかい音で鳴らさないと気分がないということになる。

きちがい兄貴の気分のために、俺が、常に、毎日、犠牲になったのだ。

ちなみに、俺は、兄貴に、普通の人なら絶対にわかるように、抗議していた。「ならすな」「ならすな」「しずかにしろ」「しずかにしろ」と一日に、何十回も、直接兄貴の部屋に行って、言っていた。

ところが、たとえば、女の人なのだけど……「お兄さんがこわかったんでしょ」「お兄さんがこわかったからしずかにしてと、言えなかったんでしょ」と誤解をした人がいる。

こわいとか、そういうことではなくて、きちがい兄貴が、きちがい感覚で、こっちが言っていることを無視して、自分の世界に没入して、まったく悪いことをしているつもりがないまま、頑固に、エレキギターを爆音でひいて、ステレオを爆音で鳴らしていた。

こういうところで、きちがい兄貴が、きちがい的な感覚をもっていると、俺が誤解をされるのだ。どれだけ、そういう誤解がつもるか。

「どんな音で鳴っていようが、宿題ぐらいできる」……と言ったやつもいる。

いやーー。自分が一番苦手な音が、あのでかさで鳴っていたら、宿題だってできないよ。

ものすごい音で、頭を殴られている状態で、考えることができない。そして、無理やり考えようとすると、頭がこんがらがるのである。簡単な問題ですら、できない状態になる。

そうなると、そういうことが、「家庭学習?」で、つみかさなってしまう。

できないという経験がつみかさなってしまう。こういうことだって大きい。

自分が、ほんとうに苦手な音が、ずっとずっと、身近な家族によってならされるている状態を、経験していないやつが……「どんな音で鳴っていようが、宿題ぐらいできる」……と言ったんじゃないかなと思う。

2026年8月13日木曜日

●経験がないからわからないだけ■騒音※2026/08/13 22:04

軽く書いておく。「過去は関係がない」「過去は現在に影響を与えない」と言う人たちではなくても、ヘビメタ騒音のことを、過小評価しすぎるのである。

そして、みんながみんな……ほんとうに、みんな……「自分だって苦労した」「自分だってつらい思いをした」ということを言う。

「自分だって苦労した」「自分だってつらい思いをした」という呪文を唱えると、ヘビメタ騒音の影響を無効化できるのである。

そして、実際に、ヘビメタ騒音レベルの騒音を、ずっと、やられ続けた……鳴らされ続けた……のとおなじレベルの経験をしたというとになってしまうのである。

家で、家族に、実際におなじことをされた……のとおなじレベルの経験があるということになってしまうのである。

ところが、「過去は関係がない」「過去は現在に影響を与えない」と言っていることからわかるように、無理解ぶりを発揮しているだけなのだ。

想像力がないから、「それ」が、どんなことなのか、わからないのである。想像力がないから「それ」が、実際にどういう影響を与えるかわからないのである。

想像力がないから、わからないのだ。

まあ、根本的には、経験がないからわからないだけなのだけど……。同レベルの経験もないし、それを補うだけの想像力もないから、ガン無視しているレベルで、わからない。

わからないだけなのに、えらそうなんだよ。

*     *     *

もし、ほんとうに、同レベルの経験があるのであれば、「過去は関係がない」「過去は現在に影響を与えない」ということは、口が裂けても絶対に言わない。

どうしてかというと、わかっているからだ。どうなるかわかっているからだ。どういう状態になるか、経験的にわかっているから、「過去は関係がない」「過去は現在に影響を与えない」とは、絶対に言わない。

わかっていないから、「過去は関係がない」「過去は現在に影響を与えない」と言う。 

2026年8月12日水曜日

●ネズミの「カサカサカサ」という音が、耳について離れない■社会※2026/08/12 22:54

 いやーー。ほんとうにつまらない。めちゃくちゃにつまらない。まあ、人に言ったって、わかるわけがない。ヘビメタ騒音で、すべてが、つまらなくなった。

いまは、なんか、ご飯を食べて、歯磨きをしてフロスをするだけで、時間がたっている。まあ、ところどころ、もやーっとしているけど、歯磨きとフロスの負担が半端じゃない。

フロスはできるなら、やりたくないけど、しかたがない。

奥歯用にY字フロスを買った。奥歯は、Y字で、それ以外はF字でやる。おカネは、気にしない。フロス用品代は気にしないということ。

あーー。しかし、つらい。つまらないだけではなくて、つらい。じつは、ふっと、ネズミを袋に入れて、窒息死させてしまったことを思い出して、つらい気持ちになった。

これも、しかたがないんだよな。

木曜日の午後に、ネズミシートにかかっているところを発見した。月曜日の朝まで、なまごみとして出せない。空気穴(空気孔)をあけてやりたかったけど、ハエが侵入して、ウジがわく可能性があったし、六月のなまあたたかい日だったから、寄生虫が気になった。

市のゴミ袋に、ネズミシートとネズミ本体が入っている袋をいれるときに、空気穴から出てくる空気と一緒に、なんらかの寄生虫や細菌が、ぼくの肺に入るのがいやだった。

空気穴をあけてやりたかった。それが、めちゃくちゃに、ぼくをくるしめる。

空気穴をあけてしまうと、においも出るだろうし……。空気校をあけるわけにはいかなかった。

けど、カサカサカサッと、ネズミが動いているのがわかったので、つらかった。

俺は、殺したくなかった。特に、窒息死はいやなのだ。ネズミシートについている時点で、死んでいる場合がある。これはこれで問題なんだけど、そっちのほうが気が楽だ。

だから、こういうことになるから、「ネズミ対策工事をしよう」と親父に言ったのに、親父が「俺(親父)がネズミシートで捕まえるからいい」と言って、ゆずらなかった。

これ、親父が、ネズミを引き寄せたんだぞ。

親父は、まったく、わかっていない。

自分が、原因をつくったということが、まったくわかっていないのだ。

これ、普通の人なら、わかって、反省するべきところなんだよ。俺に迷惑をかけたと思うところなんだよ。

ところが、そんなのは、一切合切、気にしないのだ。

そして、魚の切り身をほぼ、一日中、出したままにすることに、こだわっていたときのように「自分がネズミシートでつかまえる」ということにこだわったのだ。

魚の切り身をテーブルの上に出しておく必要なんてまったくないのに、きちがい親父が、きちがい的な考えで、ほぼ一日中、出すことにこだわってこだわって、どれだけ、俺が「やめてくれ」と言っても、親父が、その言葉を無視して、出しっぱなしにしたのだ。

親父が、魚の切り身を出すことをやめたのは、ネズミに、何回も、食われてしまったあとなのだ。自分が出しておいた、魚の切り身が、ネズミにくわれてしまうということを、経験するまでは、俺がどれだけ、「やめてくれ」と言っても、やめなかった。

これも、勝手に俺が片づけてしまうと、また、もめることになるからいやなんだよ。

兄貴のヘビメタ騒音も、きちがい親父が魚の切り身を出しっぱなしにすることも、おなじなんだよ。

けど、ここが、ほかの人たちにはわからない。俺には、わかりすぎるほどわかる。

ともかく、ネズミの「カサカサカサ」という音が、耳について離れない。

これ、じつは、片づけ関係の動画を視ていて、思い出したのだ。どこで、思い出すかわからない。

ネズミシートについていたけど、体全体がついているわけでなくて、足がネズミシートから出ている状態で、ついていたんだよ。

でっ、たぶんくるしいから、なんとか、逃げようとして、もがいていたんじゃないかなぁ。 「カサカサカサ」という音は、もがいているときの、音なんだよ。

あの音を聞くたびに、空気穴をあけてやったほうがいいんじゃないかと思ったけど、寄生虫やダニや細菌が気になって、あけてやることができなかった。

*     *     *

たとえば、親父に「このままだと、ネズミが入ってくるから、ネズミ対策工事をしよう」と言っているのに、「俺がつかまえからいい」と、また、きちがい的なことを言い張っているときに、「楽しい楽しい」と言えば楽しくなるかというと、楽しくならない。

なるわけがないだろ。部屋中というか、一階の部屋全部が、めちゃくちゃにくさい状態になっているから「くさいから、魚を出しっぱなしにするな」と俺が言ったのに、親父が「くさないよぉ!!くさないよぉ!!くさないよぉ!!」と、事実とは異なる嘘を絶叫していたときに、「楽しい楽しい」と言えば楽しくなるかというと、楽しくならない。

それなのに、言霊主義者は「楽しいと言えば楽しくなる」「これは、心理学の実験で証明された」と言い張るのだ。

「俺は楽しいと言えば、楽しくなる」「どんな状態だって、楽しくなる」「悲しいときや、つらいときほど、楽しい楽しいと言うべきだ」と言って、ゆずらない。

背後には「言えば言ったことが(言霊の力によって)現実化する」という妄想的な理論がある。

その妄想的な理論は間違っているのだけど、言霊主義者に「こういう点で間違っている」ということを、こっちが言っても、言霊主義者は、頑固に認めない。

言霊主義者は、親父のように、へんなことをするわけではない。

けど、間違ったことを言い張る態度がちょっとだけ似ているんだよ。

頑固な態度がちょっとだけ似ているんだよ。

●悪魔がつくりだした「神側の考え方」が、精神世界の考え方だ■社会※2026/08/12 6:18 あとで消すかも

 軽く言っておく。

「明るいことを考えると、明るいことが起こり、暗いことを考えると、暗いことが起こる」と考えている人は、他責思考になってしまうのである。

条件が悪い人は、条件が悪いから、不幸な出来事が起こりやすいのである。

別に、暗いことを考えていたから、暗いことが起こるのではなくて、所与の条件が悪いので、暗いことが(かなりの高確率で)起こるのである。

しかし、「明るいことを考えると、明るいことが起こり、暗いことを考えると、暗いことが起こる」と考えている人は、「その人が、暗いことを考えたから、実際に暗いことが起こったんだ」と考えてしまうのである。

幸福な人のことは、せめないけど、不幸な人のことは、せめるように、なってしまっているのである。

「明るいことを考えると、明るいことが起こり、暗いことを考えると、暗いことが起こる」と考えている人には、そういう思考がセットされてしまっているのである。

「明るいことを考えると、明るいことが起こり、暗いことを考えると、暗いことが起こる」という考え方の背後には「思えば、思ったことが現実化する」という考え方がある。

「言えば言ったことが現実化する」という考え方とおなじように、幼児的万能感を満たす考え方なのである。

幼児的万能感が強ければ強いほど、「思えば、思ったことが現実化する」という考え方が正しいと思い込むようになる。「思えば、思ったことが現実化する」という考え方も、「自分にとって都合がいい考え方」なのである。

自分が!思えば!!その通りになる!!!という考え方なので、自分にとって、とてつもなく、都合がいい考え方なのである。

思い通りになればいいのだけど、思っても、その通りにならない場合もある。それは、現実的な世界で、現実的な理由があるから、思った通りにならないのである。

自我にとって都合がいい考え方なので、受け入れやすい考え方なのである。

これも、本人が、本人のなかで、強く信じていればいいことであって、人に言うことではない。人によって、現実的な条件がちがいすぎるので、条件が特別に悪い人は「思ったって」思った通りにはならないのである。

どうしてかというと、条件が特別に悪いからだ。条件から発生する不愉快な出来事で、一日がいっぱいになってしまうときがある。

その場合、ほんとうにその人が悪いのかというと、その人が悪いとは言えない場合がある。しかたがない条件によって、不幸な出来事が発生してしまう場合がある。これが現実だ。

ところが、あくまでも、「その人が思ったことが現実化している」と考えると、その人の条件を無視して、「その人が思ったから、ダメなんだ」と思い込むようになってしまうのである。

これが、他責思考でなくて、なんだ。

しかも、的外れな他責に思考なのである。自分が明るいことを考えたので、明るいことが起こったと考えることは、別に悪いことではない。

しかし、他人が、暗いことを考えたから、その他人の身の上に暗いことが起こったのだと考えるのは、よくないことなのである。絶対に、よくないことなのである。

精神世界の考え方というのは、じつは、社会圧力をたかめる働きがある。かならず、上にこびて、下に(強く当たる)ということになってしまう。

そういう力動が常に働いている。どうしてかというと、たぶん、精神世界の考え方は、悪魔側の考え方だからだと思う。人々がより悪くなるように、最初から設計された考え方なのだ。

しかし、幼児的万能感が強い人たちは、精神世界の考え方が正しい考え方だと思ってしまう。普通の人たちは、精神世界の考え方が、基本的にもっているやばい部分には目を向けないのだ。

精神世界の考え方と書いたけど、これは、別に精神世界に凝っている人たちの考え方ではない。一般人が普通にもっている考え方なのだ。

手短に言うと、幼児的万能感を利用されて、悪魔に支配されている状態になってしまう。精神世界は、倫理や道徳と関係がありそうなので、神側の考え方だと思っている人が多いと思う。しかし、悪魔側が作り出した、神側の考え方なのだ。これに、気がつかないと、悪魔に思考を制御され、悪魔好みの働きをするようになる。

悪魔側が、神側の考え(に見える考え)をつくりだしているのだ。

しかし、その場合の神側の考え方というのは、悪魔側がつくりだした「神側の考え方に見えるような考え方」にすぎない。

これは、神側の考え方ではない。

自尊心と幼児的万能感を刺激されると、悪魔的な幻想を正しいこととして理解してしまうのだ。悪魔がつくりだした「神側の考え方」が、精神世界の考え方だ。

普通の人から見ると、悪魔側が作り出した「神側の考え方」は、「神側の考え方」に見えてしまうのである。けど、これは、幻想だ。ちがうのである。

条件が悪い人をせめる部分があるかどうかということを、指標として考えればよいのだ。条件が悪い人をせめる部分が(自分のなかに発生するなら)それは、悪魔がつくりだした「神側の考え方」に見える悪魔側の考え方だ。

条件の悪い人にどういう感情が発生するのかということを、リトマス試験紙のように使えばよいのである。

条件が悪い人に対して、悪い感情が発生してしまう考え方は、全部、悪魔が作り出した「神側の考え方」に見える、「悪魔側の考え方」だ。

2026年8月11日火曜日

●ほんとうは、努力をしたって、成功しないことはある■社会※2026/08/11 18:35

「努力をすれば瞬間移動することに成功する」という文について考えてみよう。

「努力をすれば、成功する」という文が正しい場合、努力をすれば瞬間移動することに成功する」という文も正しいということになってしまう。

「瞬間移動することに成功する」ということは、「成功する」という集合の中に含まれる。まあ、ただ単に「瞬間移動することに成功する」でもいいよ。

どんな方法で瞬間移動するのかは別にして、ともかく、「瞬間移動することに成功する」という集合は、「成功する」という集合の部分集合なのである。

努力をすれば、瞬間移動することに成功するのである。けど、努力をすれば、瞬間移動することに成功するだろうか。成功しないのではないか。

ほんとうは、努力をしたって、成功しないことはある。

ところが、「努力をすれば成功する」という言い方になると、どんなことであれ、努力をすれば成功するということになってしまうのである。

だから、「努力をすれば成功する」という言葉というのは、『言えば、言ったことが現実化する』という言葉とおなじように、妄想的な部分を含んでいる。

言霊という言葉のように、努力という言葉が、妄想的な信念を支える言葉になっているのだ。

基本的には、物理的にできないことであっても、「努力をすれば」できるような印象を与える言葉なのである。

じつは、印象を与えるだけではなくて、文だけを考えれば、物理的にできないことも、できると言い切っている言葉なのだ。

「することに成功する」のだから「できる」ことになる。努力をするということも、一意に決まらないし、成功するということも、一意に決まらない。

だから、無駄なのだけど、言っておくと……「努力をすれば成功する」という命題は、最初から『偽』だ。

努力をしたって、成功しないことがあるからだ。

そこで問題なのは、人々がどのようなことを「無理なこと」だと考えるかということだ。

別の言葉で言えば、人々がどのようなことを「可能なこと」だと考えるかということが問題になる。 

*     *     *

「努力」という言葉がオールマイティーカードのようにあつかわれているということは、以前、指摘した。「努力」というのは、身近で、なじみがあるタームなのだけど、実際には、妄想的で、呪術的なタームになってしまう。

たとえば、「努力をすれば成功する」という文のなかの「努力」というのは、妄想的で呪術的なタームになりえる言葉なのだ。もちろん、「努力をすれば成功する」という文において、「努力」というタームが妄想的で呪術的な意味をもたない場合もある。

しかし、妄想的で呪術的な意味をもつ場合もあるのだ。これが重要なのだ。

物理法則をこえることは、できないことだ。人間が物理法則にさからったことをしても無駄だ。ところが、「努力をすれば成功する」という文のなかでは努力をすれば、物理法則にさからったことをすることもできるということになってしまう。

物理的に無理なことでも、努力をすればできるようになるのだ。

努力をすれば、物理的に無理なことをすることに成功するということになる。

物理的に無理なことをすることに成功するという集合は、成功するという集合の部分集合だ。「努力をすれば成功する」のだから、物理的に無理なことでも、努力をすれば、成功するということになる。

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ほかの人にとっては、まったく、関心のない話になるだろうが、基本的なことを言ってしまえば、苦手な音が爆音で、毎日、何時間も何時間も鳴っているのに、何時間も何時間も鳴っているということの、影響を受けないということは、可能ではないのだ。

こんなもの、ほんとうは、物理的に可能ではないと言ってしまいたいほどだ。

人間の体ということを考えると、人間の体をもつものにとっては、苦手な音が爆音で、毎日、何時間も何時間も鳴っているのに、何時間も何時間も鳴っているということの、影響を受けないということは、可能なことではない。

けど、実際に、苦手な音が爆音で、毎日、何時間も何時間も鳴っていなかった人は、苦手な音が爆音で、毎日、何時間も何時間も鳴っているのに、何時間も何時間も鳴っているということの、影響を受けないことが可能だと考えてしまう。

しつこい騒音を経験したことがない人は、これがわからないのである。

「家族なら、ちゃんと言えば、しずかにしてくれる」と考える人がいるのだけど、きちがい家族だと、ちゃんと言っても、しずかにしてくれないのだ。

だから、この考え方はまちがっている。家族だからという理由で、どんなに言われても、頑固に鳴らしてしまう人が、この世に入る。たとえば、うちのきちがい兄貴がそういう人だ。

●「どういう家に生まれたかということと、その後の人生は、関係がない」■社会※2026/08/11 4:29

立場の低い人や条件が悪い人をせめる『しくみ』が成り立っている。この世というのは、ほんとうに、格差が激しい世界なのである。人によってぜんぜん条件がちがうのである。生まれた家の条件が、その後の一生を決めてしまうような世界なのである。

もちろん、例外的なことはある。

そして、いい家(うち)に生まれても、成長したあと、立場が低くなり、つらい思いをすることもある。

ようするに、その後の一生を決めてしまうようなところがあるにしろ、「落ちる側」には、レールがあり、ある程度の人が、いい家に生まれても、落ちていく。

しかし、だから、どういう家に生まれたのかということは、関係がないのかというと、関係があるのである。

その人の一生に関係があることなのである。どのようなうちに生まれたかということは、その後のその人の人生に、かなり大きな、影響を与える。

これが、基準だ。

「落ちる人もいるから、どういう家に生まれたかは、関係がない」というのは、暴論なのだ。

落ちるのはともかく、あがることについては、どういう家に生まれたかで「だいたい」のところは、決まってしまう。

これが現実だ。

「どういう家に生まれかということと、その後の人生は、関係がない」というのは、あまりにも、ゆがんだ考え方なのである。

あがる側については、「だいたい」のところが、生まれたうちで決まってしまう。

もちろん、例外は、多少はある。そして、多少の例外が物語として、伝わる。例外だからこそ、「価値」をもつのだ。

けど、これも、かなりつくられたところがある。ほんものは、数少なくて、にせもののほうが、多い。

にせもののほうが、圧倒的に多いのだ。

にせものの物語が、広く社会にいきわたるのは、人々が、集合的一括思考をしてしまうからだ。

条件が考えられているようで、じつは、条件が考えられていない考え方にそまってしまう。

これも、ある程度、誘導されているところがある。ようするに、支配者側が、そういう物語を用意して、宣伝するのである。拡散するようにする。

そうすると、文句を言えない人が、出てくる。「貧乏でも成功した人がいる」だから「貧乏だから、成功しないというのは、嘘だ」ということを言えるようになるのだ。

しかし、「貧乏」のレベルや、「貧乏以外の条件」をガン無視して、あたかも、「貧乏」という条件について考えたふりをしているだけだ。

理論的な思考ができない人は、これで納得してしまう。

こんなのは、おかしいことだ。

まえに、詳しく書いたのでここでは省略するけど、集合的一括思考は、間違っている。間違った推論をしている。

*     *     *

たとえば、「努力をすれば成功する」とする。その場合、どんな家に生まれても、努力をすれば成功するのだから、どういう家にうまれたかということと、その後の人生で成功するかどうかは関係がないということになってしまうのである。

努力をすれば成功するわけだから、関係がないということになる。なにに関して、成功するのかということを、自由に決められるのであれば、例外はあるかもしれないけど……基本的には……「どういう家に生まれたかということと、その後の人生は、関係がない」ということになる。

ほかの条件はいろいろとある。

たとえば、裕福な家に生まれても、なんらかの病気になったら、なんらかの病気になったということの影響を受ける。いちおうは、家とは関係がないように見える要素だ。

けど、おなじ病気になったとしても、裕福な家に生まれた場合と、ど貧乏な家に生まれた場合は、やはり、人生がちがってくる。

まあ、いろいろな条件がある。

どういう家に生まれたかというのは、大きな条件のひとつだ。

言いたいことは、「努力をすれば成功する」という一見、無害な考え方が、不幸な人に圧力を加えるということだ。

そりゃ、「努力をすれば成功する」と思っている人は、どんな家に生まれ方かは関係ないと考えるだろう。努力をすれば成功するのだから……。

どんな家に生まれたよりも、努力をしたかどうかが成功するかどうかを決めるのだから、どんな家に生まれたかということは、関係がないということになってしまうのである。

あるいは、どんな家に生まれたかということは、成功するかどうかには影響を与えないというとになってしまうのである。

努力をすれば、成功する……のだから……そうなる。そう考える。

2026年8月10日月曜日

●「影響の見積もり」■騒音※2026/08/10 20:44

きちがい兄貴が、きちがい的な意地で、きちがい的な感覚で、よその人がやらないことをやってしまう。

騒音で、よその人がやらないことをやってしまう。よその人が鳴らさないような騒音を鳴らしてしまう。

しかも、兄貴は「自分が、よその人が鳴らさないような音を出している」という自覚がない。

どれだけ言われても、認識がしょうじない。

つまり、どれだけ「でかい音で鳴らしている」ということを言われても、兄貴には、「自分がでかい音で鳴らしている」という認識がしょうじない。

だから、どれだけやっても、「やってない」とになっているのだ。

「やってない」なら、どうして、悪いことをしているという意識をもてるのだ?

「でかい音で鳴らしていない」という(現実をまっこうから否定する意識を)もっている。

もち続けて、現実的には、でかい音で鳴らしている。

鳴らしていた。

よその人は、自分の家族に、兄貴のようなレベルで、音を鳴らされ続けるという経験がないのである。人生において、そういう経験がないのである。

どうしてかというと、兄貴のような感覚の持ち主が、横の部屋に、家族として住んでいるわけではないからだ。

だから、よその人が経験しないことを、特殊な兄貴によって、経験させられてしまうのだ。

そして、それが、『毎日続くこと』なのである。

「うるさい」と言えば、「音のでかさ」に焦点があってしまうけど、じつは、「うるさい音でずっと毎日鳴らされる」ということが、よその人にはわからない影響を与える。

影響を与え続ける。

よその人がわからないのは、実際に自分が毎日、やられていないからである。実際に自分が毎日、そういう騒音にさらされていないので、実際に毎日そういう騒音にさらされ続ければ、「いやでわかることが」わからないのだ。

これは、よその人が、ぼく(エイリ)よりも、すぐれているということとを意味していない。これは、よその人が、ぼくよりも、騒音耐性があるということを、意味しているわけではない。

もちろん、ぼくよりも、騒音耐性がある人がいるかもしれない。けど、ぼくは、きちがい兄貴がヘビメタ騒音を鳴らす前から、でかい幼稚園の横に住んでいたので、騒音耐性があるほうなのである。

ぼくが、特別に騒音に敏感だったから、たいして大きな音で鳴らしていない、きちがい兄貴の騒音を、でかい騒音だと「さわぎたてていた」わけではないのだ。

ともかく、ぼくよりも騒音耐性が強い人は、いるかもしれないけど、たぶん、少ない。

そして、ぼくよりも、騒音耐性が強い人がいるということは、兄が、普通の音か、あるいは、小さな音で鳴らしていたということを、意味していない。

普通の人が、「わからない」のは、ただ単に、ぼくと同等の経験がないからだと思う。自分の問題でないからわからない。おなじレベルの体験をしたわけではないから、実際にどうなるのかということが、自分の体でわかっていないだけだ。

ようするに、よその人が、ぼくよりも、みんな!騒音耐性が強いので、ぼくが騒音だ感じる音のレベルの音を、騒音だ感じないというわけではないのだ。

みんな、実際に、経験したわけではないので、「影響の見積もり」について、あやまりがあるのである。

けど、兄貴のように、多くのよその人も、自分の「影響の見積もり」にあやまりがあるということは、認めない。

たいていの場合、頑固に認めない。

実際に経験がないからわかっていないだけなのだけど、影響を低く見積もるのだ。あるいは、影響を完全に無視する。

●相手の問題を軽く考えている■社会※2026/08/10 16:56

 言霊主義者は、他人の問題を『軽く考える』のである。どうしてかというと、どんな問題も『言えば解決すると思っている』からだ。

『言えば解決するような問題』なのである。

相手にとって、言えば解決するような問題じゃないとしても、言霊主義者のなかでは『言えば解決する問題』なのである。『言えば、解決する問題だ』と決めつけてしまう。

決めつけられたほうは、たまったもんじゃない。

どうしてかというと、『言っても解決しない問題』だからだ。

相手の問題を軽く考えすぎるという問題があるのだ。

「過去は関係がない」と言っている人たちも、相手の問題を軽く考えている。「どんな問題だろうが、過去は関係がないのだから、現在に影響はない」「影響はないのだから、気にしなければいいのだ」ということになってしまう。

こいつらの頭のなかでは、どんな問題も、現在に影響を与えない問題になってしまう。過去否定論者も、相手の問題を軽く考えている。

こういうやつらと、きちがい兄貴の相性が悪いのである。

あるいは、こういうやつらと、きちがい兄貴の相性がよすぎるのである。

こいつら……言霊主義者や過去否定論者は、俺のこまった状態を、過小評価して、妄想的なことを言ってくる。

しかも、自信たっぷりだから、「あなたの考え方には、問題がある」ということを言えば、かなりの高確率で、おこってしまう。

不愉快な思いをするのはこっちだ……。

きちがい兄貴も、じつは、自分のヘビメタ騒音が弟に与える影響を過小評価しているのである。

あるいは、完全に無視しているのである。

無視しているから、なんの悪気もなく、きちがいヘビメタを、(普通の基準で言えば)ものすごくでかい音で鳴らすることができる。

どれだけでかい音で、どれだけ長い時間鳴らしてたって、弟が傷つくということはないのだから、やっていいことだということになってしまうのである。やったって問題がないということになってしまう。

きちがい兄貴のなかで……「気にするようなことではない」ということになってしまうのである。自分にとって都合よく……「どれだけでかい音で、どれだけ長い時間鳴らしても、まったく問題がない」ということになってしまう。

兄貴のなかで……「どれだけでかい音で、どれだけ長い時間鳴らしても、弟に負の影響を与えるということはない」ということになってしまう。

実際には、こういう感じ方が成り立つ前に、自分が鳴らしている音がでかい音だということを、意識的には認めないということが成り立っているので、半分正解で半分不正解だということになるのだけど、ともかく、きちがい兄貴としては、なにも悪いことをしているつもりがないのである。

なにも悪いことをしているつもりがない……という態度で……あるいは、なにも悪いことをしているつもりがない……という感覚で、悪いことをしてしまう。

きちがい兄貴に、どれだけ「これこれこういう理由でこまる」と言っても、理由なんてガン無視で、ともかく、鳴らすことは決まっているので鳴らすという態度で……世間的に言えば……めちゃくちゃにでかい音で鳴らしまくるのである。

どれだけ、兄貴とぶつかったって、きちがい兄貴が、悪いことをしているということを、精神レベルで、まったく認めないのである。……ちなみに、兄貴とぶつかるということは、ぼくが兄貴に「しずかにしてくれ」ということを言って、でかい音で鳴らしたい兄貴とぶつかるということである。

自分の出している音で、弟がこまっているということを認めない。

そして、じつは、自分が出している音が、世間的には、めちゃくちゃにでかい音だということを、認めない。

きちがい兄貴だって、ほかの音を、きちがいヘビメタレベルの音で鳴らされたら、一分間で発狂してしまうような音なのに、本人は、それに、気がつかないのである。

兄貴の聴力は、ヘビメタを鳴らすまえは正常だったので、この反応はおかしい。

おかしいけど、そうなのだ。「なんだろうが、自分が満足できる、でかい音で鳴らしたい」という気持ちがあると、「でかい音じゃない」「普通の音だ」ということになってしまうのである。

きちがい兄貴のなかで、「都合よく」そうなってしまう。

そうしたら、絶対にきかないのだ。

でっ、これとおなじことが、親父の脳みそにも成り立っている。

きちがい兄貴ときちがい親父が、おなじ種類の頭をもっているということが、じつは重要なのだけど、よその人は、理解しない。

まず、こういう脳みそをもっている人が、身近にいないので、こういう脳みそをもっている人の感覚がわからないのである。

だから、親父と兄貴のことに関しては、よその人は、ほぼ一〇〇%の確率で、間違った判断をしてしまうのである。

これも、気分が重たくなることなんだよな。

●本人が、おぼえているかどうかに関係なく、影響を与える■社会※2026/08/09 22:02

「過去の出来事は現在の状態に影響を与えない」という言い方のほかに「過去は記憶のなかにしかない」という言い方がある。

これも、おかしな話なのだ。

たとえば、Aさんが、Bさんを、一年前に殺したとする。Aさんが、Bさんを殺したということを、きれいさっぱり忘れてしまえば、Bさんが生き返るのかというとそういうことにはならない。

Aさんが、あるとき、Bさんを殺したなら、Aさんが、Bさんを(自分が)殺したという記憶をなくしたとしても、Bさんを殺したという出来事は発生したということになる。

Bさんがなくなったということが、事実なら、Bさんと関係があった人たちにとって、Bさんがなくなったということは、影響があることだ。

Aさんが、Bさんを殺したということを、完全に忘れたとしても、過去の出来事は、現在の状態に影響を与える。

「過去は記憶のなかにしかない」と言うけど、それは、どういう意味で言っているのだ?

記憶のなかにあるだけだから、過去の行動は、関係がないとでも言うつもりか?

記憶のなかにしかないことではなくて、現実世界で、実際やったことなら、その時点で、現実世界に影響を与えている。

影響がないわけではない。

たとえば、Aさんが三か月前に、一〇〇〇円の酒を買ったとする。

そして、Aさんが、「一日前に、自分が、一〇〇〇円の酒を買った」ということを、完全に忘れたとする。過去は記憶のなかにしかないことだから、現在の所持金に影響を与えないとでも、言うつもりだろうか。

たとえ、「一日前に、自分が、一〇〇〇円の酒を買った」という記憶が、完全にAさんの頭のなかから消えたとしても、「一日前に、自分が、一〇〇〇円の酒を買った」という出来事が、現実の出来事なのであれば、現実の出来事が発生したということになる。

忘れるかどうかなんて関係がない。そのとき、実際に、そのことが起こった。起こったということは、起こったということなんだよ。

なんで、「過去は記憶のなかにしかないから、過去は関係がない」と言えるのか?

忘れてしまったとしても、結果は残っている。

本人が忘れてしまったかどうかに関係なく、やったことはやったことだから、やったこととして、影響を与える。

本人にとって、些細なことなら、特に記憶にも残らないと思うけど、記憶に残らないから(やらなかった状態)にもどるわけではない。

記憶をなくしてしまえば、やらなかったことになるのかというと、そうではないのだ。

出来事が発生した時点で、出来事が発生したということだから、出来事が発生したことによる環境の変化がしょうじる。

出来事が発生した時点で、その出来事が発生した結果がしょうじる。

時間の区分は大切だ。出来事が発生した時点の「時点」というのは、なんなのかということは、問題になる。

しかし、いずれにせよ、過去の出来事は、現在の状態に影響を与えるのである。

本人が、おぼえているかどうかに関係なく、影響を与える。

*     *     *

本人が、これこれこういうことをしたという記憶をうしなったとしても、記憶をうしなえば、やったことの効力が消えるわけではない。やったことの影響が消えて、やらなかった場合の状態もどるわけではない。

ところが、「過去は、記憶のなかにしかない」という言い方は、あたかも、本人が、忘れてしまえば、効力もなくなるような言い方なのである。

ある人が、なにかをやったとする。そうしたら、なにかをやったということになる。当然、やらなかった世界にはもどれない。記憶をうしなうだけで、あたかも、効力が無効化するようなことを言うな。やったことの影響がなくなるようなことを言うな。 

2026年8月9日日曜日

●矛盾を感じない■社会※2026/08/09 20:34

「過去は関係がない」と言っているやつらが、どういう意味で、「過去は関係がない」と言っているのか、よくわからないけど、「過去の出来事は、現在の状態に影響を与えない」という意味で言っているのならば、完全に間違っている。

問題なのは、こいつらが、自分のことに関してはちゃんと、過去のことを気にしているということだ。

気にしているだけではなくて、過去の出来事に、ちゃんと、反応しているのである。

こいつらは、自分の状態がわかっていないのだ。

自分が普段、どういう行動をしているのかということが、まったくわかっていない。

自分の行動に関しては、「過去の記憶」がちゃんとあるので、「過去の記憶に基づいて」行動しているのである。

たとえば、「過去は関係がない」という意見を批判されたときに、不愉快な感情がわいてきたとする。自分が「正しい」と信じていることを否定されたので、不愉快になったのだ。

「過去は関係がない」なら、「不愉快になる」ということもないのだ。

過去の出来事が、現在の状態に影響を与えないのであれば、「自分が正しいと信じていることを否定された」という、過去の出来事が、現在の感情に影響を与えることもない。

それだけではなくて、普段、こいつらは、「ここでおカネを使ったから、今月はおカネがたりない」などと、自分の過去の行いについて考えている。

これも、「過去の出来事が現在の状態に影響を与えている」ということの証拠なのである。

過去の行動が、現在の「財布事情」に影響を与えているのだ。

そして、こいつらは、それを自然に受けて入れている。

ようするに、こいつらにしても、ちゃんと、「過去は関係がある」と考えているのだ。さらに問題なのは、こいつらが、自分の普段の行動と、自分の「過去は関係がない」という確信(信念)のあいだに、矛盾がないと感じていることなのだ。

矛盾を感じない。こういうところでも、きちがい兄貴の態度と、なんとなく似ているところがあるのである。

そして、こいつらは、「エイリにおけるヘビメタ騒音の影響」を否定している……自分が否定している……ということについて、考えをめぐらさないのである。

きちがい兄貴の騒音はひどいので、「影響がない」と言われると、ぼくは、腹が立つのである。

ほんとうに、鳴らされているあいだもくるしいし、鳴らされたあとも、くるしいのである。

これを……こいつらは……真っ向から否定する。

しかも、否定しても、エイリが傷つかないと思っているのだ。

そりゃ、ヘビメタ騒音の影響を否定されたら、腹が立つだろ。こういうことも、まるでわかってないのだ。

こういうところも、兄貴とこういうやつらは、似ているのである。

こいつらにおいて、「過去は関係がない」という言葉で表現されていることは、「こだわるべきではない」とか「気にするべきではない」ということである場合がある。

ようするに、こいつらは、本人としては、まったく気にしていないけど「過去は関係がない」という言葉で「過去の出来事は、現在の状態に影響を与えない」ということと「(過去に)こだわるべきではない」ということを、表現している場合がある。

このちがいが、本人にとって不明瞭なので、本人は、まったく気にしない。

ひとつの言葉に、ふたつの意味をもたせて、場合場合で、「こっちの意味で言った」と言うということは、

こいつらには、よくあることだ。

「言えば、言ったことが、現実化する」というひとつの言葉に、「言えば言ったことが、現実化することもある」という意味をもたせたり、「言えば、すべての言ったことが、一〇〇%の確率で、現実化する」という意味をもたせたりする場合も、おなじだ。

こいつらは、最初から、あいまいなことを言っているのである。はっきり言ってしまうと、ひとつの言葉に二つ以上の異なった意味をもたせて使っているのである。

それなのに、自分がひとつの言葉にふたつ以上の異なった意味をもたせているということについて、無頓着なのだ。この場合、無頓着というのは、まったく、矛盾を認識していないということだ。

ほんとうにほんとうに、きちがい兄貴のヘビメタは一分間持続しただけでも、破壊的な意味があるのに、それを、簡単に否定するのである。

しかも、否定された俺の気持ちについて、考えることが、一切合切ないのである。

俺が、そいつらに……「過去は関係がない」という考え方は間違っている……ということを、口にすれば……「なんだとぉ」という態度になって、俺に対して暴言を吐く。俺に対して支離滅裂なことを言いまくる。

まあ、もっとも、本人は、正しいことを言っているつもりだから、支離滅裂なことを言っているつもりは一切合切ないのだろう。

こういう人間に、なめられるのだ。こういう人間に、下に見られる。こういう人間にバカにされる。

きちがい的な兄貴が、「常識の範囲外」の騒音を「独自の感覚」で鳴らし続けると、こういうことになってしまう。

●こいつらの頭のなかでは……■騒音※2026/08/09 15:35

きちがい兄貴の「ヘビメタの問題」はほんとうは、でかいでかい、深刻な問題なのだけど、「よそのひと」には、でかいでかい、深刻な問題には見えないのである。

まず、ここに基本的な問題がある。

九九・九九%の人にとって、ぼくの「ヘビメタ騒音問題」は、でかいでかい、深刻な問題には見えないのである。 

だから、「どれだけ鳴ってたって、宿題ぐらいできる」「どれだけ鳴っていたって、通学ぐらいできる」「どれだけ鳴っていたって、通勤して働くことができる」ということになってしまう。

「やらないのだとしたら、エイリがさぼってやっていないだけなのだ」ということになってしまう。

自分なら、「どれだけ鳴っていたって、そのくらいはできる」という信念があるのである。

もちろん、これは、間違っている。

実験はできないけど、こいつらだって、きちがい兄貴のような家族が横の部屋に住んでいて、そのきちがい兄貴のような家族が「自分にとって一番、苦手な音」をずっと、ものすごい音で、鳴らしたら、宿題もできなくなるし、通学もできなくなるし、通勤して働くことも、できなくなる。

そして、通勤して働くことができなくなる状態になるまで、七年間毎日、(通学することが決まっている日は)通学したとしよう。

日曜や祭日、夏休み、冬休み、春休みは、通学しなくてもいいことになっているけど、日曜や祭日、夏休み、冬休み、春休みは、きちがい兄貴が、一日中、家にいることになり、一日のヘビメタ騒音が、のびてしまうのである。

一日に一三(じゅうさん)時間以上、きちがいヘビメタ騒音にさらされることになるのである。

だから、休みが休みではなくて、「症状」が悪化してしまう。きちがいヘビメタの影響で、体に症状が出るわけだけど、その症状が、休みの間になおるのではなくて、悪化してしまう。

しかし、やられていないやつらは、このことも無視する。

そもそも、平日は、どれだけヘビメタ騒音が鳴ってたって、「宿題ぐらいできる」「ちゃんと眠ることができる」ということになっているのだ……。こいつらの頭のなかでは……。

だから、それを前提に、ものを考えるのである。

2026年8月8日土曜日

●「そんなものじゃない」■騒音※2026/08/08 18:39

二回目の洗濯をしたあと、ご飯を食べた。二回目の洗濯をしたとき、相当につかれていたので、ご飯を食べたあと、横になったら、眠ってしまった。

眠るつもりはなかったのだけど、眠ってしまったようだ。

さっき、起きた。あーー。入眠時間が、ボロボロだ。相当に、ズレた。

ヘビメタ騒音の「超・不健康な日々」が睡眠回路と起きているときの気分を完全に破壊してしまった。

これは、おなじことをされたら、だれにでも起こることなのだけど、ぼく以外の人は、おなじことをされていないので、おなじことをされたら、おなじことが起こるということが、わからない。

ぼく以外の人には、わからない。

だいたい、入眠時間のことについて(ぼくが)言えば、言われた人は、入眠時間の問題だと思うだろう。

けど、起きたあとも問題なのだ。

この問題の深刻さがわからない。

わからない人ばかりだ。だから、「エイリの気がゆるんでいる」とか、「エイリがあまえたことを言っている」とかということを言うわけ。

その人たちはその人たちで、「眠い日」がある。

「朝起きたときにつらいと思う」ことがある。

あるのだけど、それは、普通の生活の範囲のなかで起こることなのだ。きちがいヘビメタ騒音が毎日ガンガンかなっている状態というのは、普通の生活の範囲内のことではないのだ。ヘビメタ騒音が毎日(あの音のでかさで・長時間鳴っている)ということは……鳴っているということ自体が、普通の生活の範囲をこえることなのだ。

これがわかっていないのだ。

そりゃ、だれだって、「眠たい日」はある。だから、エイリのヘビメタ騒音生活中やヘビメタ騒音生活後にしょうじた睡眠障害も、そんなものなのだろうと、思ってしまう。

そして、思ったということについて、まるで悪いとは思わないのだ。だって、正しいと思っているからな。自分の判断は正しいと思っている。自分の考え方は正しいと思っている。

どうやって、エイリに悪いと思うのだ。どうやって、反省するのだ。どうやって、自分の考え方は間違っていたと思うことができるのだ。ちがい家族によってももたらされる騒音について、わかっていないと、こういうところでも、ぼくの実感、あるいは僕の現実と、相手の考え方のあいだにズレがしょうじる。

ぼくの立場で言えば、「そんなものじゃない」のだ。

そんなものじゃない。

2026年8月7日金曜日

●自分のほんとうの欲求は、どんな汚い手を使っても、満たそうとする■騒音※2026/08/07 0:12

まあ、どれだけ、わかいころの体にもどりたいと思っても、もどれるわけではないね。

時間は、かえってこない。

けっきょく、ヘビメタ騒音にやられて、ほんとうに、普通の人にはわからないレベルの、苦痛を感じた。ヘビメタ騒音にやられて、ほんとうに、普通の人にはわからないレベルの、やるせなさを感じた。

これ、ほんとうに、しかたがないことなんだよな。

きちがい兄貴が、普通の兄貴だったら、普通に静かにしてくれるのに、きちがいだから、絶対の意地で普通の兄貴が鳴らさないような音で、ガンガン鳴らしていた。

でっ、一秒もゆずってくれなかった。一日に、一秒もゆずってくれなかった。

全部の時間を、自分が使うつもりで鳴らした。

きちがい兄貴は、きちがい親父のように、「相手が自分の行為でこまっているということが」ほんとうにわからない人間なのだ。

まったく、脳みそに入ってこない。そもそも、そういうことに対応した脳みそがない。だから、頑固にやりきる。頑固にやりきるけど、それで、相手が、こまっているということが、まったくわからないので、相手がこまるような行為を自分がやっているという意識が、まったくしょうじない。

普通なら、「うるさいからやめてくれ」「宿題ができないからやめてくれ」「遅刻するようになるかやめてくれ」「夜眠れなくなって、朝、適切な時間に起きることができなくなるからやめてくれ」と言われれば、理屈だけはわかる。

自分が、どれだけ(でかい音で鳴らしたくても)理屈だけはわかる。

ところが、だれもがわかるその理屈が、きちがい兄貴は、わからないのだ。すり抜けてわからない。何十万回言われてもわからない。一日に、何十回、言われたってわからない。

言われたときに、腹を立てて、(相手が言っていることを理解する前に)はねのければ、それで、終わっていることなのである。

相手が言っていることを「意識のレベルで理解する前」にはねのけている。けど、ほんとうに、理解していないのかというと、そうではないのだ。意識との……結びつきがないだけなのだ。

ほんとうは、理解したら、しずかにしてやらなければならなくなるから、理解しないという状態だ。ほんとうのことを理解したら、ほんとうに普通のレベルで、ちゃんと静かにしてやらなければならなくなる。

それが、絶対にいやなのだ。きちがい親父が、やっていることとおなじなのである。たとえば、ハンダゴテ事件のとき、普通の親なら、絶対に理解できることを、理解しなかった。

大の大人なら、知的な障害がなければ、絶対に理解できることなのである。

ところが、理解しない。理解してしまうと、新しいハンダゴテを(兄貴のために)買ってやらなければならなくなるからだ。それが絶対にいやなのである。

だから、新しいハンダゴテを(兄貴のために)買ってやらなければならなくなるようなことは、理解する前にはねのけて、わからない状態をつくってしまうのである。

無意識のレベルでは、相手が言っていることがわかっているから、そういう反応になる。無意識のレベルでは、もし、自分が相手の言っていることを認めてしまったら、新しいハンダゴテを(兄貴のために)買ってやらなければならなくなるということが、「わかっている」ので、逆に、意識のレベルでは、相手が言っていることを(真っ向から認めないで)きちがい的な自分の意見を絶叫して、相手の言い分をはねのけるということをするのである。きちがい的な自分の意見というのは、ハンダゴテのことなら、「使える!!」「使える!!」と絶叫する。

「そのハンダゴテは、(エレクトロニクス工作には)使えない」と言われたので、「使える!!」「使える!!」と絶叫したのだ。「使えない」と言われたので、「使える!!」「使える!!」と絶叫する。

親父の場合、竹事件でも同じことをしたんだよ。ただ、「ハンダゴテ事件」と「竹事件」だとちがうところがある。

絶叫したか、絶叫しないかのちがいだ。

緘黙方式のときも、頭のなかで起こっているとはおなじなのである。

でっ、きちがい兄貴も、ほんとうは、自分が鳴らしている音が「でかい音だ」ということがわかっているからこそ、「でかい音だ」ということを認めることを事前に削除してしまったのである。

無意識的には「でかい音で鳴らしている」ということがわかり、「相手がこまっていること」もわかるのだけど、それを意識レベルで認めてしまうと、実際に、自分が(不愉快に感じるレベルで)我慢しなければならなくなることがわかっているので、無意識的にはねのけて、意識には入り込まないようにしているのである。

意識には、入り込まないようにしたのである。

この過程が、無意識のレベルでおこなわれることなのである。

だから、意識的な自分……意識的な兄貴本人は、まったく、悪いことをしているつもりがないのである。

相手……ここれでは、弟のエイリが、どれだけ「こまっているからやめてくれ」と言っても、弟のエイリがこまっているという部分が、(意識のなかで)すっぽ抜けることになる。

だから、すっぽ抜けたことに関しては、一切合切、自分が関知していない状態になってしまうのである。

自分の行動だし、自分の行動について、言われたということがわかるのだけど、それを理解しているのは、無意識のレベルの兄貴なのだ。

だから、意識のレベルでは、自分の行動だし、自分の行動について、言われたということ……自体が……丸ごとすっぽ抜けことになる。意識レベルの兄貴にとっては、自分の行動について言われたいうことになっていないのである。

だれだって、絶対にわかることなのに、認めないのである。

普通は、耳が正常なら、本人の耳が悪くなるようなでかい音で鳴らせば、でかい音で鳴らしているということが、感覚的にわかる。

否定することができないレベルでわかる。

ところが、本人にとって都合よく、わからないことになってしまう。

だから、まるで気にしないで、ずっとやってしまうのである。

何十回、その日に「こまるからやめてくれ」「宿題をやるからやめてくれ」「次の日、起きれなくなるからやめてくれ」「明日は、中間テストだからやめてくれ」と言われたって、そんなのは、素通りなのである。

まったく理解しない。

ぜんぜん理解しない。

自分がやっている感じがしないので、自分に関係があることだと、どうしても、思えない。

きちがい兄貴が、でかい音で鳴らしたいから、でかい音で鳴らしているのだけど、なにを言われても、それがわからない状態になってしまうのである。

こういう状態でやれば、相手がいやがっていることをやっているわけではないという(意識のまま)相手がいやがっていることを……相手が、たとえ、なにを言ってきても、認めずに……頑固にやりきることができる。

きちがい兄貴にとって、きちがい兄貴の高校生活と、浪人時代生活と、大学生活と、社会人生活は、そういう、生活なのである。

だから、何度も言うけど、悪気がないのである。悪気がまったくないまま、絶対に自分が満足できる音で、自分が満足できる時間、鳴らすということになる。毎日、兄貴は自動的にそうするということになる。

そして、きちがい兄貴は、きちがい親父とおなじ頭をもっているので、「ゆずる」ということに関しては、おなじことをするのである。

これ、詳しく書いたことがあるので、今回は省略するけど、「ゆずる」ということも、きちがい的な感覚でゆずることになるのである。

ほんとうは、まったくゆずってないのに「ゆずってやった」と思える脳みそなんだよ。こんなことを、無意識的に?やる。

ようするに、ほんとうだったら、意地悪としてやるようなことを、ほんとうに、ゆずるつもりでやるんだよ。

たとえば、兄貴にとっては、〇・〇〇〇〇一デシベルだろうと、ゆずってやったら、ゆずったことになるんだよ。〇・〇〇〇〇一デシベルの譲歩なんて意味がないんだよ。〇・〇〇〇〇一デシベルゆずった音でも、ものすごくでかい音だから、ゆずってもらった意味が(こっちには)ないわけ。

けど、きちがい兄貴本人が、〇・〇〇〇〇一デシベルでも、しずかにしてやったら、それは、ものすごくゆずってやったことになるんだよ。

こういう態度になるんだよ。

自分が満足できる音で鳴らすということは、きちがい兄貴のなかで決まっていることなので、自分が満足できる音で鳴らすということを、維持したまま、ゆずるわけ。

そんなの、ゆずったことにならないのだけど、きちがい兄貴にしてみれば「ゆずってやった!!!!ゆずってやった!!!!ゆずってやった!!!!ゆずってやった!!!!」ということになる。

これは、きちがい親父のハンダゴテとおなじなんだよ。きちがい親父がもってきたハンダゴテというのが使えないハンダゴテなんだけど、ハンダゴテをもってきてやったのだから、いいということになってしまうのである。

そのハンダゴテをもって行けばいいということになってしまうのである。親父としては、新しいハンダゴテを買ってやるカネを出すことが、意地でもいやなんだよ。

この部分に親父の行動は、対応している行動なんだよ。

兄貴の行動というのも「自分が満足できる音でずっと鳴らしきる」ということが、まず最初にあって、その部分に対応した行動をすることになる。

そうすると、〇・〇〇〇〇一デシベルゆずってやるということになる。〇・〇〇〇〇一デシベルゆずってやっても、自分が満足できるでかい音で鳴らす……という部分がくずれない。

この部分が無傷なままなのだ。

自分のほんとうの欲求は、どんな汚い手を使っても、満たそうとするのだ。

それが、無恣意的な過程でおこなわれることなんだよ。だから、「せっかくゆずってやったのになんだ!!」と言って、元の音にもどしてしまう。

けど、ゆずってやった音も、もとの音も、きちがい兄貴の耳をヘビメタ難聴の耳にするぐらいのでかさの音で鳴っているわけ。ものすごく、でかい音で鳴っているんだよ。

一秒間だろうが、ほんとうにしずかにしてやることは、ないのである。

「一秒間だろうが、ほんとうにしずかにしてやったら、負けだと思っている」というような感じで、きちがい的な意地を張って、しずかにしないのである。

けど、それが、無視行的なレベルで起こっていることだから、意識のレベルでは、そんなことをしているつもりがまったくないわけ。

ほんとうにゆずってやった気分になっているんだよ。

きちがい兄貴がゆずってやったと音というのは、よそのうちでは、一分間だって鳴らせないような音だ。

2026年8月6日木曜日

●実際に経験している人と、実際に経験していない人の差はでかい■騒音※2026/08/06 17:28

なんか、ぎりぎりのことろで、生きている感じがする。そして、けっきょく、歳をとる。さきのばしにしても、根本的な解決にはならない。

そして、ヘビメタ騒音の結果、人間関係が切れてしまったので、だれに話せるわけでもないのだ。

まあ、ヘビメタ騒音に関する、ほかの人の理解というのは、いたいほど、わかっている。

いたい。いたい。

だれも、けっきょくは、わかってくれなかったんだよな。

ごく少数の人が理解を示してくれたけど、それだって、時間がたてばかわるかもしれない。ほんとうに、ヘビメタ騒音の問題はでかいけど、ほかの人には、でかさがわからない。

自分で、一倍速で経験したわけではないからだ。

そうなると、ぼくが、「勝手に」ヘビメタ騒音の問題にこだわっているように思えるのだ。

実際に経験している人と、実際に経験していない人の差はでかい。

この感覚の差は、うめられない。長期間にわたって、ぼくがヘビメタ騒音のことについて言えば、最初は理解を示していた人だって、だんだん、いやになってくるだろう。

けど、じゃあ、ぼくにとってヘビメタ騒音の問題が、無視できるレベルの問題かというと、そうではないのだ。「今現在」も、なまなましい問題なのである。

そして、時間の経過では、ふさがらない傷を負った。時間がたてば治ると思っている人たちばかりなのだけど、時間の経過が、傷口をひろげることだってあるのだ。

まるでわからないと思うけど。

ぼくにとって、ヘビメタ騒音の問題というのは、終わった問題じゃない。ヘビメタ騒音の効力がなくなったわけではないのだ。

ヘビメタ騒音の「影響」がなくなったわけではないのだ。

そりゃ、きちがいヘビメタ騒音で、勉強することがまったくできない中学生生活、高校生生活をおくれば、職業選択に影響を与える。ほかの人の評価に影響を与える。

そりゃ、きちがいヘビメタ騒音で、睡眠回路を破壊されれば、職業選択に影響を与える。ほかの人間関係に影響を与える。

今現在の問題なのである。

●ほんとうは、こころが張り裂けそうなのだ■騒音※2026/08/06 17:12

ひとつずつ、片づけていなければならないのだけど、作業員さんのことを考えると、風呂の修理もできない状態で、こまっている。

まあ、すっぽりタイプのバススリッパをはいてもらえば、いいのだけど、それだと、動きにくいんだよな。

そして、すっぽりタイプのバススリッパをぬいで、外行靴をはくときの動作が面倒くさいのだ。

あそこの玄関だと、うまく、すっぽりタイプのバススリッパをぬぐというのが、玄関のところだと、うまくいかない。

ズボンのすそのところが気になるのだ。作業員の人がはいているズボンのすそが気になるということだ。

これ、最初は、気にしていなかったのだけど、あるネズミ対策業者がきたときに、気になることを言われた。

居間と西の間には、床シートを引いたけど、玄関のまわりの床材は、そのままだし、風呂場のまえのエリアも、上からシートを引きなおしたわけではないのだ。

だから、すその問題がある。

基本、ぼくは、普通のスリッパを使って移動しているので、たぶん、そんなに気にしなくても、だいじょうぶなんじゃないかなとも、思う。

けど、「もしも」のことがあるかもしれないので、気にはなる。

たぶん、今のレベルなら、すその問題も、そんなに気にしなくていいような感じがある。けど、わからない。

いちおう、何回も二酸化塩素スプレーをかけてふいたから、だいじょうぶだとは思うけど、だいじょうぶだという確信はない。

けど、ちょっと修理をしないと、冬はこまるという箇所がある。そして、まあ、マンションなら買えるのだけど、家は買えない。マンションは、ちょっと問題がある。

あとは、ヘビメタ騒音の問題が、やはり、起きたときから、気になる。俺の人生は、ほんとうに、ヘビメタ騒音でズタボロだ」という感覚があり、起きた時間がいつでも、「鳴っている感じ」がする。「鳴ってたなぁ」と思う。

だからヘビメタ騒音のつかれと、ヘビメタ騒音の雰囲気なかで、個別対応しなければならなくなるわけで、気分が重い。重い。重い。

*     *     * 

ほんとうは、こころが張り裂けそうなのだ。ちょっとのことでも、こころが張り裂けそうな気持になる。いろいろなことを、さきのばしにしているわけだけど、きつい。

なにをするにしても、ヘビメタ騒音の雰囲気のなかでやることになる。外にできるときもそうなのだ。外を歩ているときもそうなのだ。

だから、市役所に行くにしろ、歯医者に行くにしろ、不動産屋に行くにしろ、スーパーに行くにしろ、くるしい。

起きてから、ヘビメタ騒音のことを考えないときがない。あれは、ほんとうに精神を破壊する音だった。兄が、まったく気にしないで、ガンガン鳴らしていた。

これ、ほんとうに、「ほかのうち」ではありえないことなのである。

ようするに、ほかの人は経験していないことなのである。

だから、実際に一倍速で、自分のきらいな音が、ずっとずっと、続く毎日がどういうものなのか、わからない。わかっていないのだ。 

*     *     *

バススリッパのことなどを書くと、「エイリは、神経質だ」「エイリは気にしすぎだ」と思う人がいるだろう。

その人たちのうち、何人かは「エイリが気にしすぎだから、たいしてでかくない音を、でかい音だと言い張っているのかもしれない」と思うかもしれない。

けど、きちがい兄貴が、ヘビメタ難聴になるほどでかい音で鳴らしていたのである。ぼくの部屋に入ったことがある友達は、「ひどい騒音だ」と思ったのである。

横のうちの人も、「言ってやろうと思っていた」と言っている。実際に、親父には言ったのである。親父が、きちがいセンスではねのけたのである。

北側の人は、道路のことで、親父には文句を言いたくなかったのかもしれない。ともかく、でかい幼稚園がないような場所だったら、一日目に問題になるような音で鳴らしていたのである。

きちがい兄貴は、マンションに引っ越してから、きちがいヘビメタを鳴らしていないのである。足かけ一五年間、鳴らしたから、もう飽きたというところもあるのかもしれないけど、マンションでは鳴らせない音で、(うちでは)鳴らしていたのである。

そして、兄貴の頭の構造と、親父の頭の構造がおなじなので、きちがい親父のやり方で、きちがい兄貴が「否定」していたのである。でかいとで鳴らしているということを、感覚的に否定していた。

これは、きちがいだからできることなんだよ。

そのことが、よその人にはわからないのである。

だから、よその人が、俺にひどいことを言うようになる。間違った前提で間違った判断をして、俺にひどいことを言うようになるのだ。

よその人が常識的な考え方で、考えたことがちがうのである。

2026年8月4日火曜日

●それも、憂鬱の一因になっている■騒音※2026/08/04 13:52

時間通り、歯医者に行けそうだけど、憂鬱。憂鬱。だるい。腹がしくしくする。めんどうだな。これで、歯医者を治療がおわれば、すっきり爽快というわけではなく、帰ってきたあとも、だるいまんまだと思う。

しかたがない。

ヘビメタ騒音で、憂鬱になった。ヘビメタ騒音で人生、ボロボロだ。俺は、最大限の努力をしたけど、けっきょく、それも、憂鬱の一因になっている。

ヘビメタ騒音がない世界に行きたい。ヘビメタ騒音がなかった人生を歩みたい。

ヘビメタ騒音がなかった人生……。

ヘビメタ騒音がなければ、普通に勉強することができて、普通に眠ることができた。親父は問題だけど、ヘビメタ騒音がない状態で進学して就職すれば、『親父重力圏』から抜け出すことができた。

まあ、俺が小さなころ……きちがい親父がやったことというのは、ゆるせないけどね。

ともかく、きちがいヘビメタ騒音生活が問題なんだよ。きちがいヘビメタ騒音生活の積み重ねが問題なんだよ。普通の人には、きちがい兄貴がいないので、普通に生活することができた。

だから、健康な体と、健康な精神を維持できる。きちがいヘビメタを、毎日やられて、それで、健康な体が維持できるわけがない。

どうしたって、だるくなる。

きちがいヘビメタを毎日やられて、それで、健康な精神を維持できるわけがない。どれだけ無視したって、どれだけ影響を受けないように努力したって、影響を受ける。

やられていない人は、影響がないから、影響を無視できるだけ。実際にやられたことがないので……影響を受けていない。影響を受けていないから、(話として聞いた)影響を無視できるだけ。

「できると言えばできる」なんてことはないのだ。「無理だというから無理なんだ」……。ちがうね。ヘビメタ騒音で、勉強することができなくなった。

ヘビメタ騒音が鳴っていないのに「勉強することができない」と言って勉強することができなくなったわけではない。「元気だ元気だと言えば元気になる」……。

ちがうね。

ヘビメタ騒音が鳴っているから、不健康になるのである。

ヘビメタ騒音が毎日毎日ずっと鳴っていたから、元気じゃない状態になったのである。

ヘビメタ騒音が鳴っていないのに、「不健康になる」と突然言って、「不健康になる」と言ったから、不健康になったわけじゃない。

状態がある。

状況がある。

環境がある。条件がある。ヘビメタ騒音という条件が、ぼくの体を破壊した。ぼくの「体の機能」を破壊した。ヘビメタ騒音のストレスでいろいろなところが悪くなった。

自分がきらいな音に、(ぼくとおなじ程度、さらされなかった人が)きらいな音が、爆音で、長時間鳴っているということの影響を無視して、言っているだけ。

*     *     *

ただ歯医者に行くだけなのに、こんな状態になってたらダメだよなぁ。腹がしくしくする。体がだるい。

ヘビメタ騒音プラスの日常生活というのは、残業をしているサラリーマンの一〇〇倍ぐらいくるしい生活なのだ。

ヘビメタ騒音プラスの日常生活で、そのくらい、追い込まれる。

毎日ずっと、何年間も何年間も続いたら、そりゃ、影響を受ける。

不可避的な影響を受ける。

不可逆的な影響をける。

しかたがない。

それは、体のしくみによっ引き起こされることなのである。

言葉で書き換えれば、その通りになるというものではない。でたらめを言っているのは、言霊主義者のほうなのに、社会では、言霊主義者がでかい顔をしている。

こっちが間違ったことを言っているような感じになる。

これも、ストレスだ。

ともかく、一定時間、一定日数をこえると、不可逆的な影響を体に及ぼすようになる。

「騒音」が、不可逆的な影響を体に及ぼすようになる。

たまたま、きちがい的な兄がいなかった人が、『自分なら平気だ』と思って、好き勝手なことを言ってくる。

「あまえだ」「いいわけだ」「ネガティブだからダメなんだ」と言ってくる。

ただ単に、俺とおなじレベルの騒音生活をしなかっただけなのに、えらそうに言ってくる。

そりゃ、きちがい家族が、毎日、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も騒音攻撃をしてくれば、ネガティブにもなる。

憂鬱にもなる。

体がだるくなる。

頻尿になる。

忘れ物が多くなる。

遅刻しがちになる。

宿題をやっていけない状態になる。なる。なる。なる。

 

こいつらは、たまたま、きちがい家族がいなかったから、きちがい家族がもたらす、常識外の騒音にさらされることがなかっただけなのだ。

こいつらが経験した騒音というのは、常識内の騒音だ。ぜんぜんちがう。

ところが、こいつらは「自分だって騒音ぐらいあった」と言って、同量化、同質化してしまう。

ぜんぜんちがうのに、わかっていない。

*     *     *

ヘビメタ騒音で、つらい状態になってしまう。ヘビメタ騒音の後遺症で、つらい状態になってしまう。

基本、つらい状態で暮らしている。

だれに言っても、しかたがない。

天使のような女性があらわれても、たぶん、救われない。

けっきょく、くるしい状態のまま生きていくしかないのか。

ヘビメタ騒音で日常生活がつらくなるプロセスというのがある。ヘビメタ騒音で日常の時間がつらくなるプロセスというのがある。

どれだけ、やっても、つらかったな。

どれだけい改善しようとしても、つらかった。

つらい状態がつみかさなっていくだけだ。

つらい時間がつみかさなっていくだけだ。

つらい時間がつみかさなると、つらい状態になる。

改善しようとしても、けっきょく、きちがい兄貴が、きちがい的な感覚で、よそのうちでは鳴らせないようなでかい音で、きちがい的な騒音を鳴らしている状態がかわらない。

騒音のほうの状態がかわらないと、こっちがどれだけ改善しようとしても、だめだったのだ。

改善しようとしてもがけばもがくほど、きちがいヘビメタにやられる度合いが強くなる。

改善しようとしても努力すれば努力するほど、ストレスが強くなってしまうのである。圧力が高くなってしまうのである。疲労の度合いが、強くなってしまうのである。

じゃあ、改善しようと努力しなければよいのかというと、そうではないのだ。改善しようと努力しなくても、きちがい兄貴のヘビメタ騒音ストレスが、マックスなのだ。上限を超えている。

上限を超えているところで、こっちが、どれだけ努力をしても、上限を超えているわけだから、徒労に終わるのである。

こういうことを、自分の体で理解していないやつが、クソを言ってくる。妄想的なクソ発言をしやがる。 

「実際に、きちがい家族にやられていない人たち」が、ストレス、圧力、疲労の度合いを無視して、無理なことを言ってくるようになるのである。

●健康管理ができなくなる■社会※2026/08/04 11:29

なんとか、起きた。ちょっとだけ眠った。これで、どうにかなるだろう。

けど、体がだるい。腹の調子もよくない。

これで、だるいから横になろうと思って、横になったら、眠ってしまうかもしれない。

今度は、眠ってしまうかもしれないことを、心配することになるとは……。予定の時間に行かなければないからなぁ……。キャンセルは、やばい。『ドタキャン』になる。

ヘビメタ騒音が鳴っているあいだ、くるしかった。ヘビメタ騒音が鳴り終わったあとも、くるしかった。

ヘビメタ騒音で体内リズムが崩れていく。

ヘビメタ騒音で睡眠リズムが崩壊する。

「くるしい心配」がどうしても、しょうじる。しかたがないことだ。

実際にヘビメタ騒音……きちがい家族による常識外れの騒音を経験したことがない人が「そんなのは、関係がない」と言う。いやーー。関係、あるんだよ。

そして、ヘビメタ騒音でだるければ、それは、俺の自己責任だということになる。(どれだけ騒音が鳴っていたって)(どれだけきちがい的な家族が、きちがい的な騒音を鳴らしていたって)……そんなのは、健康管理(体調管理)ができないエイリが悪いということになる。

「そんなのは、健康管理(体調管理)ができないエイリがたるんでいるんだ」ということになる。

こういうことを言うやつらが、「当たり前のことを言った」と思っている。いやーー。現実を無視した、無慈悲な発言だよ。

俺は……あくまでも、俺は……この発言をきちがい発言だと思うよ。こんなことを言って、自分は社会人として立派だと思っている。こんなことを言って自分は人間として立派だと思っている。

こいつだって、きちがいヘビメタ騒音ではなくて、こいつの一番きらいな音楽が鳴っていれば、そうなる。横の部屋にいる家族が、常識的な人が考えられないような感覚で、鳴らしていれば、健康管理ができなくなる。

ところが、こいつは、きちがい相手でも、自分が相手を説得できると思っているのだ。こいつらのほうが、あまいんだよ。こいつらが、現状を理解していないのである。

こいつらが、きちがい兄貴の性格ときちがい兄貴の感覚を理解していないだけなのである。そして、こいつらのまわりには、きちがい兄貴のような感覚で、きちがい的な音をずっと鳴らし続ける人がいないから、実際に被害を受けていないだけなのである。

実際に被害を受けていないから「健康管理ができるつもりでいるだけ」なのである。「ほかの人を説得して、しずかにさせることができると思っているだけ」なのである。

日本の騒音に関する法律は、異常。条例でしかない。そして、ぼくは、未成年だった。訴える家族が、当時4年間は、未成年なのである。

そして、実際に、訴えるとなると、きちがい親父がかかわってしまうのである。きちがい親父がかかわって、うまくいった話なんてないんだよ。

これも、よその人は「やってみないとわからない」と言う。

「お父さんに言ってみないとわからない」という意味だ。

さんざん、言ったよ。きちがい親父が、きちがい的な反応をして終わりだったよ。何回やっても、きちがい的な反応が返ってきただけだった。

親父からきちがい的な反応がかえってきただけだった。

こういうことを言うやつが、うちの親父の感覚とうちの兄貴の感覚を理解していないだけなのである。

*     *     *

書くべきではないと思ったけど……。ズレている話だと思うかもしれないけど……。自分がドタキャンをして、相手がおこったとする。

この場合、相手がおこるのは、相手の問題だと切り分けることができるのだ。自我の基準なんて、そんなものだ。

かりに、自分がドタキャンをしたときは、相手の問題だと思う人がいたとする。この人をAさんだとする。

そして、Aさんが管理する立場だったとき、Bさんがドタキャンをしたとする。Aさんは、Bさんがドタキャンをしたのは、Bさんの問題だと思うことができるのだ。

そして、Bさんに腹を立てることができる。ドタキャンをしたBさんが問題だと思うことができるのだ。Aさんの怒りは、Aさんにとってあたりまえの怒りなのである。

ようするに、自分がドタキャンをした場合は、相手がおこるのは相手の問題だと切り分けて、相手がドタキャンをした場合は、自分がおこるのは当然だと思う人も、いる。

「相手の問題だ」と問題を切り分ければそれでいいということには、ならないのである。「ドタキャンをしてはいけない」というのは、自分のなかの基準なのである。

『の』の重複をさけずに書けば、「自分のなか」の「基準のひとつ」なのだ。

そういう基準が複数、集まって「自我を構成している」のである。基準の束が、自我なのである。

*     *     * 

どれだけ、お兄さんのヘビメタ騒音が鳴ってたって、健康管理はできると思っている人のレベルは、お兄さんのヘビメタ騒音が鳴ってたって、「できると言えばできる」と思っている人のレベルとおなじだ。

まわりがどんな状態であろうが、自分の意思で、健康管理ができる」と思っている人のことを、「健康管理マン」と呼ぶことにする。

「健康管理マン」と「言霊主義者」の思考のレベルはおなじなのである。

こいつらが、他人の状態を無視して、無理なことを言っているのである。ところが、「エイリがあまえたことを言っている」ということになってしまう。きちがい家族にやられると、そうなる。

きちがい家族のことなんて、こいつらは理解していない。きちがい家族の行動なんてこいつらは、まったく理解していない。実際に、きちがい家族がまわりにいないからだ。こいつらには、きちがい兄貴に相当するような人物がいないのだ。

だから、きちがい家族が鳴らす騒音の問題からは、最初から、解放されている。最初から、まわりにいるきちがい家族の問題がないのである。

だから、影響を受けないだけなのだ。最初から、きちがい家族がまわりにいないので、きちがい家族の影響を受けないだけなのだ。

ところが、「そんなのは関係がない」と思っている。

「関係がない」ということを前提に、エイリのこと(あるいは、エイリが言ってること)について考える。

こんなやつらばかりだったよ。

この世は、こんなやつらばかりだった。

きちがいヘビメタ騒音について話しても、こいつらがきちがいヘビメタ騒音の影響を無視して、「エイリがあまえている」「できないことなんてない」ということを言ってくる。

こいつらが、アホなだけ。こいつらが、相手の状況を理解していないだけ。

しかも、こいつらは、自分が正しいことを言ったと思っている。

こっちにしてみれば、腹立たしい存在だ。

ほんとうに、こういうやつ、ばかりだった。

*     *     *

歯医者に…………なんとか行けそうだけど、この、あまり時間というのが、いやだな。あまり時間というのは、待ち時間の最後のことね。なんとか、行ける状態か。まあ、治療中、俺は横になっているだけだから……。まあ、口をあけて横になるというのは、いやなんだけどね。

ヘタに余裕があるというのも、問題だ。まあ、あせっている状態よりは、いいか。 

 

●人が寝ているあいだ、ぼくが、くるしむことになる■騒音※2026/08/04 4:15 (表示用)

まだ、眠れない。入試前日のようになってしまった。長期ヘビメタ騒音のことを、だれも知らない。ほんとうのことを知っているのは、ぼくだけだ。

だって、聞いていないわけだし、体に影響があったわけでもない。これ、入試の前日のような状態だ。眠れない。

あーあ。こういう日が、何千日も、何万日も続いた。そりゃ、たいていのことが無理になる。きちがいヘビメタが鳴っていなければ、簡単にできたいろいろなことが、どうしても、どうしても、できなくなる。

人が寝ているあいだ、ぼくが、くるしむことになる。

きちがい兄貴は、無表情なまま、きちがいヘビメタを鳴らし続けた。そりゃ、今の時間……たとえば、午前四時一五分……きちがい兄貴は、眠っている。あの当時、ずっと鳴らしておいて、眠ってしまう。

俺は、きちがいヘビメタの影響で、くるしみながら起きているのである。こんなの、ない。こういうことの連続だった。そりゃ、日中うまくいかなくなるだろう。

この気分。この無駄な時間。この不安な時間。きちがいは、高いびきだ。原因をつくったきちがい兄貴は、思いっきり鳴らしたので、ストレスなく眠れる。こっちは、やられ続けて、真剣が爆発していて眠れない。

けど、よその人たちは「そんなのは関係がない」と言う。入試前日なら、試験のことが気になって眠れなかったのだろうと思うわけだ。実際、試験のことは気になった。けど、それは、ちがうんだよ。

ヘビメタ騒音で眠れないし起きれないから、試験のことが気になるのである。もし、入学試験日の三年前から、ずっときちがい兄貴が鳴らさずに、俺が普通に暮らしていたなら、そういうことにはならなかった。

きちがい兄貴が……当のきちがい兄貴が……張本人のきちがい兄貴が……まったく気にしないで、ぐっすり眠っているとき、俺は、きちがい兄貴の愚行によって、起きているのである。起こされているのである。

そして、それをだれも、理解してくれないのである。

みんな本当に、不可避的にそうなるということを認めない。何時間も騒音を浴びていたら、鳴り終わったあとも、影響が出るのに、それがわからない。

そして、「うるさかったんだろ」「そんなのはわかっている」と言う。そういうレベルの理解だ。経験がないから、ほんとうは、どういうことになるのか、まったくわかっていないのである。

*     *     *

一〇〇年後にはみんな死んでいる……。だから、気にすることはない……。このように言う人たちがいる。たしかに、一〇〇年後にはみんな死んでいると思う。

しかし、それじゃ、すまないのだ。小六、中学一年生、中学二年生、中学三年生、高校一年生、高校二年生、高校三年生、毎日やられて、毎日、俺が午前四時五〇分あたりまで起きていた。 これがどういうことなのかわかっていない。

「眠れないと、あせる気持ち」がどういうものなのかわかっていない。

きちがいヘビメタで不可避的にそうなってしまうのに、自己責任だと言われる時の悔しさがわかっていない。おまえらだって、きらいな音で、おなじことをされたら、眠れなくなる。

それがわかっていない。自分は、なにを爆音で聞かされても、眠れるつもりなのだ。経験がないからわかっていないだけだろ。

●ストレス源■家族※2026/08/04 1:06

親父・ネズミ・ダニ関係のストレスとヘビメタ騒音関係のストレスで腹がいたい。まったく、眠れない。どうしても、ヘビメタ騒音時代のことを思い出してしまう。

そして、ヘビメタ騒音に関する「他人の反応」も、ストレス源だ。「ヨソの人の反応」だ。

あーー。もう、いやだ。もう、いやだ。なんか、急に、サブの人のことが気になった。サブの人は、メインの人ときた、粗大ごみ処理業者の人だ。

ぼくが「バルサンを炊いた」と言ったから「ダニに刺されない」と思ってきたのだけど、実際には、ダニに刺された。サブの人が座布団5枚を抱えるようにもったとき、ぼくは、ちょっと「やばい」と思ったのだけど、「バルサンを炊いたから、だいじょうぶかな」とも、思った。

けど、だいじょうぶじゃなかったわけ。

これ、サブの人、腕の内側を相当にダニに刺されたはずだから、俺がうらまれているような感じがする。きちがい親父が、きちがい行為をすると、いつもいつも、こういうことになってしまうんだよな。

俺がやったことじゃない。

俺は、反対していた。「くさいから、粕漬ついた魚の切り身をずっと出しっぱなしにしてないでくれ」と(俺は親父に)言った。

親父が、そのあとも、粕漬ついた魚の切り身を出し続けたので、ネズミが入ってくるようになった。俺は親父に……「ネズミ対策工事をしよう」と言ったのだ。親父が「俺が捕まえるからいい」と言い張って、けっきょく、ネズミ対策工事が長い間できなかった。

これが、きいているのである。

俺は、ちゃんと言ったんだ。

これ、親父がわかっていないだけなのだ。

こういうことに関する親父の反応があまりにもへんだから、俺が、嘘を言っているように思われることがある。もう、こういうことの繰り返しだ。

ともかく、「あの人(サブの人)ダニに刺されただろうな」と思うと、やりきれない気分になるのだ。

まあ、もう、何年も前の話だから、完全に、なおっているとは思う。

けど、いつもいつも、親父のことで、こういうことになってしまう。

ネズミの糞処理ができないから、人を家に入れることに、気をつかうのである。

だから、風呂の工事ができないのである。

まあ、粗大ごみの人には入ってもらったけど、それだって、気をつかうことになる。

ネズミの糞があるということはストレス源だ。ストレス源をいっぱいつくってしまうきちがい親父はストレス源だ。

粗大ごみは、いっぱいあるから、まだ、親父の部屋と兄貴の部屋の粗大ごみは片づけていない。

親父の部屋にあった、タンスをひとつ、持って行ってもらったけど、まだ、別のタンスとベッドと本箱が残っている。

2026年8月3日月曜日

●一日が、つらいのである■騒音※2026/08/03 16:59

 「この感じじゃ、だめだろーーー」というのがある。この感じ、じゃあーー。ダメだ。ダメなもんはだめだ。ヘビメタ騒音でダメになった。ヘビメタ騒音の日々がくるしかった。

ヘビメタ騒音時代の一日なんて、どれだけつらいか、ほかの人にはわからない。

きちがい兄貴が、きちがい基準で、容赦なく、鳴らし続けた。

きちがい兄貴が、ほかの人が絶対にやらないようなことを、毎日毎日、足掛け15年間(正確には14年と6か月)にわたってやり続けた。

影響がないわけ、ないだろ。

ヘビメタ騒音時代の一日がどういうものか、わかっていないやつが、「そんなのは関係がない」「そんなのは、影響がない」「なんだ、そんなのぉ」と言う。

俺の話を聞いて、信じないやつだっている。そいつは、俺が妄想で騒音が鳴ってたと言っていると思っているのだ。

だから、俺の話を信じてくれた人に対して、「あいつ(エイリ)の正体がわからないのか」というようなことを言う。

これ、当時50代の女の人なんだけど、いろいろと誤解をして、不愉快なことを言ってくる人だった。「おまえが、妄想患者なんだよ」と言ってやりたかった。もっとも、俺の話を信じてくれた人から、聴いた話だから、時間的にずれている。その場に居合わせたわけじゃないからなぁ。

嘘だと思う根拠というのが……「そんなに鳴っていたなら、家族が注意しないはずがない」ということだ。「そんな音でずっと鳴らしているなんておかしい」「話がおかしい」「エイリが嘘を言っているに違いがない」と連想するわけだ。

だから、きちがい兄貴が、きちがい感覚で鳴らしてしまうと、そういうことが発生するようになる。兄貴は、知らんぷりだよ。

どれだけ、こういうことが、俺の身の上につもったか。

最初の話になるけど、一日が、つらいのである。

一日がつらい。どれだけ気にしないようにして頑張っていたって、いろいろと恥ずかしい思いをすることになる。

だいたい、学生なのに、家にいる間まったく勉強ができないなんて、つらすぎる。

2026年8月2日日曜日

●鳴り終わっても、頭が興奮して眠れない■騒音※2026/08/02 23:57

たとえば、午後一一時から眠るとしよう。ヘビメタ騒音は、じつは、午後一一時一一分まで鳴っていた。だから、当然、眠れない。

そして、平日を含めて、六時間四五分以上、きちがいヘビメタを至近距離で聞かされ続けるので、頭が興奮している。鳴り終わっても、頭が興奮して眠れない。交感神経が、ものすごく優位になっている時間だ。眠れるわけがない。

ところが、「過去は関係がない」とか「鳴り終わったら関係がない」とかと自信をもって言うやつらは、自分だったら、直前まで、自分がきらいな音を、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も、聞かされても、鳴り終わったら、すぐに眠れると思っているのだ。

自信がある。ただ、横の部屋に、きちがい兄貴のようなやつがいないから、自分がこの世で一番きらいな音を、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も聞かされることがなかっただけなのに、自分だったら、眠れると思ってしまう。

ただ単に、経験がないからわからないだけなのだ。ところが、こいつらは、自信をもって「過去は関係がない」とか「鳴り終わったら関係がない」とかと言ってしまう。

こいつらにとって、ぼくのヘビメタ騒音というのは、そういうものでしかないのだ。

「鳴り終わったら関係がない」という考え方が間違っているということを言ったって、こいつらはこいつらで、腹を立てて認めない。「過去は関係がない」という考え方は、間違っているということを言ったって、こいつらはこいつらで、腹を立てて認めない。

けど、これもむかし、書いたけど、こいつらは、ぼくの発言に腹を立てているのだ。ぼくの発言というのは、過去の発言なのだ。こいつら自身が、過去の出来事に反応している。

「過去は、関係がない」のだろ。だったら、自分が正しいと思っていることを、間違っていると言われても、それは、過去の出来事だから、関係がないということになる。

自分で、まっこうから、「過去は関係がない」という考え方を否定するような行動をしているぞ。

過去の出来事は関係があるから、「なんだとぉ」という気持ちになっておこっているわけだろ。

ちゃんと、過去の出来事に反応している。

過去の出来事は(現在の状態)に関係がある。

過去は関係がある。

*     *     * 

きちがい兄貴が、きちがい的な意地で、鳴らしながら、俺に対する影響を、頑固に否定していたんだよ。

これも、もちろん、きちがい兄貴には、まったくわからないことだ。ごく自然に、「なんともないこと」として、きちがい的なこだわりで、きちがい的なでかい音で鳴らしていた。

これ、ほんとうに、兄貴でなければ、でかい音で鳴らしているということが、わかるんだよ。耳が正常な人なら、だれでも、ほんとうは、わかることだ。兄貴だって、自分が鳴らしたい音でなければ、音がでかいということがわかるんだよ。

けど、でかい音で鳴らしたいから、ちがい親父のように、調子よく、耳が降じゅうでなければわかることがわからなくなる。意識してやっているわけではなくて、無意識的にやっている。ちょうど、焦点が、盲点になっているような感じだ。

だれだってわかることが、わからない。

どれだけ、強く言っても、そこだけは、飛び越えて、まったくわからない。こういう態度は、腹が立つ態度だ。やられたほうとしては、腹が立つ態度なのである。

けど、これも、きちがい兄貴は無視するし、よその人も、無視する。当然、 「過去は関係がない」とか「鳴り終わったら関係がない」とかと自信をもって言う人も、わかっていない。

わかるわけがない。兄貴の、こんな奇妙な機能が、わかるわけがないだ。一緒に住んでいない人には、こんなことは、わからない。

けど、きちがい兄貴と暮らしていると、実際に、横の部屋で(でかい音なのに)でかい音だと思わずに、どれだけこまるということを(こっちが)言っても、まるで気にしないで鳴らすわけだ。

腹が立たないわけがないだろ。実際に鳴っているあいだ、きちがい兄貴は、こういう態度で鳴らしているのだから、腹が立つんだよ。

●あんまり、いい感じがしない■騒音※2026/08/02 14:46

そりゃーー。無理だよなぁ。無理だ。打つ手なし……。打つ手なしだ……。このままいくしかないのか。このままだときついんだけど……。打つ手なしなんだよなぁ。

気分だけでも、なんとかならないか。

親父や兄貴がやったことが、でかすぎる。多すぎる。日常生活だからな。家族の影響を受ける。家族と一緒に住んでいたら、『家族の行動』の影響を受ける。

これが、度外れなんだよなぁ。家族の行動」が普通の家族の行動では、ないわけ。

つもる。

ヘビメタ騒音にやられて、学校に通っていた時、ヘビメタ騒音にやられた体で、ほかの人と付き合うことになる。

これが、おなじなんだよ。

学校の人が、世間の人に置き換わっただけだ。二五歳まで鳴ってたんだよな。まあ、まるまるアパートを二一歳の時に借りたわけだけど、二一歳のときには、すでに、一〇年間毎日、入試の前日も含めて鳴っていたわけだから、はっきり言って、手遅れだ。

そして、たとえば、二一歳から二五歳までの日々も、家に帰ってご飯を食べたり、風呂に入ったりしていたわけだから、どうしても、きちがいヘビメタ騒音にさらされてしまう時間がある。風呂に入っているあいだ、一五分だとする。一五分がなんなんだと思うかもしれないけど、自分の人生を破壊しつくした音が鳴っているわけだぞ。

鳴っていなければ、普通に、学生生活をして、大学に通っていたわけだ。それが、プラプラな状態だ。でっ、もう、二一歳のときには、今とおなじような体力状態だったわけだ。

いまよりも、ひどい体力状態だったわけだ。ぜんぜん、ちがうのである。先行する一〇年間が長すぎる。その間に、そりゃ、人生のあれやこれやが決まってしまう。学校を卒業したら、学校時代のことはまったく関係なくなる……。

そんなことはない。

過去を軽視するやつというのは、いったいなんなんだろうな。こいつらは、こいつらで、妄想的なことを考えている。他人に関しては、妄想的な前提で判断してしまう。

自分のことについては、こいつらだって、過去を軽視しないで、過去を重視して、考え行動している。自分で自分のことがまったくわかっていない鈍感なやつらがいる。こ

いつらは、こいつらで、話にならない。

きちがい兄貴やきちがい親父とはちがうけど、きちがい兄貴やきちがい親父がやったことが、ベースにある場合、こいつらの存在というのは、邪魔な存在でしかない。きちがい兄貴やきちがい親父の行為がベースにある。

きちがい兄貴やきちがい親父の行為が影響を与えてきた。

きちがい兄貴やきちがい親父の行為が「今現在」の状態をつくりだしている。

そりゃ、不可避的に影響を受けるんだよ。実際にやった行為だから、一緒の家に住んでいれば、影響を受けるんだよ。

壁一枚、向こうで、きちがい的な音で、きちがい的な音のでかさで、きちがい的な音楽を鳴らしているやつがいたら、こまるんだよ。

過去の出来事は、現在の状態に影響を与えるんだよ。ところが、ひとごとであれば「そんなのは関係がない」と言い切るやつらがている。こいつらだ。

じゃあ、こいつらが、どういう生活をしているのかというと、過去の出来事を重視した生活をしているのである。まるでわかっていないなぁ。

はっきり言ってしまうと、こいつらの思考レベルが低すぎるのである。こいつらの浅はかな考え方は、言いようがない。親父や兄貴よりはひどくないけど、レベルが低すぎる。「そんなのは関係がない」「過去は関係がない」と言ってしまうやつらの思考レベルが低すぎるのである。

そして、実際に、こういうやつらが、体験したことがないことを、毎日、家族にやられた人と、こいつらの、相性が悪いのである。傷つくのは……「こういうやつらが、体験したことがないことを、毎日、家族にやられた人」だ。

家族に(ほかの人がされないようなことを)された人のほうが、傷つくのである。こいつらとの付き合いにおいても、家族に(ほかの人がされないようなことを)された人のほうが傷つくのである。

こいつらは、傷つかない。

言いっぱなしだ。

断言して、おしまいだ。

あんまり、いい感じがしない。こんなやつらが、うようよいるのが、この世だ。あんまり、いい感じがしない。

*     *     *

「過去は関係がない」という言葉は、「すべては自己責任だ」という言葉と、おなじような機能をもっている。これ、条件が悪い人は、言われると、不愉快な気持ちになる言葉なんだよ。

けど、他人に、この言葉を投げかけるほうは、そんなことは、気にしない。一切合切気にしない。「なんだ、こんにゃろう」「過去は関係がない」「これが正しい」というような態度だ。

言い切る。

これを、他人に平気で言ってしまうやつら……。

過去は関係がないから、過去の出来事は、影響がないのである。

影響無効化の呪文なのだ。

もちろん、無効化なんてされない。「他人になにをされても、そんなのは、自己責任だ」という文と、「他人になにをされても、過去のことは一切合切関係がない」から、影響がない(影響がないので、他人の責任は関係がない)」という文は、おなじ機能をもっている。

「他人になにをされても、過去のことは一切合切関係がないから、影響がない」「影響がないので、他人の責任は関係がない」「他人の行為の結果は自分の現在に影響を与えない」ということになってしまう。

「自己責任だ」というのは、他人の行為に関係なく、他人の行為の結果に関係なく、自分のなかにおさめるべきだという考え方になる。

この他人の行為というのが、過去における他人の行為なのである。

「過去は関係がない」というのも、他人の行為に関係なく、他人の行為の結果に関係なく、自分のなかにおさめるべきだという考え方になる。

だって、過去は関係がないわけだからな。

●世間の人と、ぼくのあいだにズレがある■騒音※2026/08/02 11:30

なんとか、起きた。火曜日は、どうにかなるかな。行ければいいんだよ。行ければ……。

ところで、腹の調子は、重要だ。腹の調子が悪くなると、めちゃくちゃに、憂鬱になる。天の国に行きたくなる。

けど、くるしい状態で、行くのは、やばい。

それは、絶対に避けなければならない。

腹の調子が悪い状態で、とりあえず、眠れた。二時間ぐらい眠っているうちに、腹の調子が、なんとか、普通よりちょっと悪い状態ぐらいになった。そうしたら、精神的に楽になった。

二時間前のことが、嘘のようだ。

けど、そのあと、また、腹の調子が悪くなったので、あんまり、今はよくない。

たぶん、去年の内覧から、めちゃくちゃなことになっている。

あのときのゲロゲロ感がぬけない。おととしだったかな。これ、ちょっとよくわからない状態になっている。自分の日記を見ればわかるんだけどな。

起きたあと、やることがないのだ。ほんとうは、ある。引っ越しに備えて片づけなければならない。ところが、ダニにやられるので、やりたくないのである。それ以外のことも、「うへぇーーっ」という感じでやりたくない。

風邪をひいて、猛烈にだるいときに、なにかをしようとしても、なんか力が入らない状態になるだろう。その状態に近い。

やろうとしても、実際に動こうとすると、めちゃくちゃに、やる気がない状態になって、できない。まあ、いろいろと無理をして、やりたくないことを、やってきた「つけ」なんだろう。そういうことが、つみかさなりすぎた。

これ、けっきょく、ヘビメタ騒音でくるしいときに、なんとか、意地で動いてしまったことが原因だ。ヘビメタ騒音でくるしいときというのは、常に体力的に追い詰められている状態なんだ。

そこで、無理な行動をしてきたので、それが、たたっている。

無理な行動と書いたけど、ヘビメタ騒音がなければ、無理な行動じゃなくて、簡単にできる行動なのである。

でっ、ここら辺のことが、実際に経験がない人たちにはわからない。つまり、俺がヘビメタ騒音のことを言っても、ヘビメタ騒音の経験がない人たちには、わからない。

ここら辺のことがわからない。普通の人たちは、ヘビメタ騒音の経験がいな人たちなのだけど、ヘビメタ騒音の経験がない人たちは、ヘビメタ騒音の影響を、無視する。

こっちが説明しても、「そんなのは関係がない」「過去は現在に影響を与えない」と言って、無視する。

ところが、こいつらが、無視をしても、こっちの体には、しっかり残っている。影響が残っている。

だから、世間の人たちと、ぼくの体の状態(あるいは、体の状態に対するぼくの認識)との間に、ズレがしょうじる。

で、このズレで傷つくのは、ぼくだけなんだよ。

普通の人たちは、傷つかない。

「そんなのは関係がない」「過去は現在に影響を与えない」と自信をもって言える状態で暮らしている。

けど、こっちには、ヘビメタ騒音の経験があり、動けないときがある。

だいたい、「(ヘビメタ騒音が)睡眠回路を破壊した」とぼくが言ったって、睡眠回路が破壊されるまでのあいだ……ぼくが、ヘビメタ騒音で、毎日くるしんでいたということが、普通の人たちにはわからないのである。

そういう経験がないから、まったくわからないのである。

そりゃ、普通の人でも、『よく眠れない状態』はあるし、『朝、眠たい状態』はある。

けど、そんなのとは、ぜんぜんちがうんだよ。普通の生活をしている状態での『よく眠れない状態』や『朝、眠たい状態』とは、ぜんぜんちがうわけ。

けど、普通の人は『そんなものだ』と思って、頭がおかしいことを言ってくる。無理解ぶりを発揮したことを言ってくる。経験がないから、わかっていない。

経験がないから、ほんとうにわかっていない。

こいつらの頭のなかにある『よく眠れない状態』や『朝、眠たい状態』を参照して、『そんなものだ』と決めつけて、無理解ぶりを発揮した発言をする。

つねに、世間とのずれがある。

つねに、世間の人と、ぼくのあいだにズレがある。このズレが、大きいのである。きちがい兄貴が無視して、親父が無視して、世間の人たちが無視したけど、大きな大きなずれがある。

やられていない人たちは、やられていない人たちの基準でものを言う。

まったくわかっていないのだ。経験がないからわかっていない。

けど、自分の意見が正しいという自信はあるんだよ。間違いがあるけど、自信がある。

「そんなのは関係がない」という自分の意見は正しいと思って言っているわけ。

たぶん、一生のあいだ、かわらないんじゃないかな。

●俺は、普通に、暮らしたかった■騒音※2026/08/02 1:08

ほんとうに、きちがいヘビメタ騒音をずっとあびせられて、くるしかった。

当時事情を知っていたのは、ダイヤ君やヒロシ君やワタ君やセキ君だけだ。ほかの人には、ヘビメタ騒音のことを、言わなかった。

けど、例外的に、言ったこともある。

「どうして遅刻した」と言われたときだ。「どうして、宿題を忘れたのか」と言われたときだ。

宿題を忘れたわけじゃなくて、できなかった。

ほんとうに、きちがいヘビメタがガンガン鳴っていて、宿題ができなかった。小学六年生のときから、ずっとこんな調子で、いいわけがない。関係がないわけがないだろ。

こいつらは、みんな、「関係がない」と言う。

こいつらは、みんな、「そんなのへんだから、その話は嘘だ」と言う。言わない場合も、そう思って、かげで、俺の悪口を言いまくる。

「できるできると言えば、できる」と言う。「そんなのは、気にするからダメなんだ」と言う。「そんなのは、こだわるからダメなんだ」と言う。「できないなんて、言い訳だ」と言う。「お兄さんにしずかにしてと言えばいい」と言う。「家族で話し合えばいい」と言う。言う。言う。言う。

ところが、この人たちの常識を裏切るような、きちがい兄貴なんだよ。

ところが、この人たちの常識を裏切るような、きちがい親父なんだよ。

平日だってつらかったけど、休日はもっとつらかった。夏休み、冬休み、春休みは、もっとつらかった。

きちがい兄貴が、一日中、なにがなんだろうが、ぜったいにゆずらないで鳴らしてしまうからだ。休みの日は、例外なく、一日に一三(じゅうさん)時間以上、ずっと鳴っていた。

そして、きちがい兄貴が鳴らすとなると、自分(きちがい兄貴)が満足できる音で鳴らすわけ。

きちがい兄貴がゆずったつもりでも、かならず、自分(きちがい兄貴)の耳が悪くなるようなでかい音で鳴らすわけ。自分の耳が悪くなるようなでかい音で鳴らしているのに、「でかい音で鳴らしている」と言う気持ちが、一切合切ない。

きちがい兄貴が、きちがい親父モードで、自分の感覚器を書き換えて、鳴らしてしまった。これ、悪意がないのである。これ、悪気がないのである。こまるにきまっているだろ。それを、俺は、兄貴に、何万回も言ったぞ。十数万回、言ったぞ。

けど、きちがい兄貴が、きちがい感覚ではねのけて、ともかく、聞いて、意味を理解してしまったら、静かにするしかないようなことは、はねのけるのである。

事実を認めるまえに、はねのける。

「でかい音で鳴らしている」のだけど「でかい音で鳴らしている」ということを、「知覚する」まえに、はねのけてしまうのである。

だから、きちがい兄貴は本人は、「でかい音で鳴らしているつもりがないまま」……本人が満足できる「でかい音」で鳴らせるのである。

こんな日曜日があっていいわけがないだろ。

きちがいヘビメタがはじまってから一時間目と、一一時間目は、気持ちがちがうんだよ。疲労の状態もちがう。

ほんとうに、休日も、平日も、きちがいヘビメタで、こころも、からだも、ばらばらだったよ。

ものすごく、ストレスを感じたよ。ものすごい、怒りを感じたよ。あの音のなかで、我慢して生きている……。それだけで、勉強することができないけど、たいへんだった。

鳴っているあいだじゅう、憤慨・憤慨・憤慨・憤慨・憤慨・憤慨の連続だ。

椅子に座っているだけで、とてつもなく、くるしい。これが、関係がない……わけない……だろ。

「そんなの関係ない」と軽く言いやがる。

こんなのが、小学六年生以降、中学三年間、高校三年間と続いていいわけがない。俺は、普通に勉強をしたかった。

俺は、普通に、暮らしたかった。

2026年8月1日土曜日

●頑張って暮らすこと以外、どうすることもできなかった■騒音※2026/08/01 22:36

もう、ちょっとしたことでも、吐きそうな気持になるほど、めんどうくさい。めんどうくさい。ほんとうに、いろいろとあった。「世間の人」の反応というのは、ぼくにとって、いいものではなかったなぁ。

きちがい兄貴が、感情のない顔で、きちがい的な意地で鳴らしまくった。

これは、俺が悪いのではない。殺して阻止できなかったとしても、俺が悪いわけではない。殺してやめさせることができなかったとしても、俺のせいではない。

もう、ほんとうに、全部、いやだ。

「関係がない」「影響、ない」と言うやつらと、きちがい兄貴は、似ている。あれが、関係がないわけがないだろ。あれが、影響がないわけがないだろ。

ほんとうに、くるしかった。頑張って暮らすこと以外、どうすることもできなかった。俺は、兄貴にちゃんと言ったぞ。きちがい兄貴が、きちがいだっただけだ。常識で考えるな。ほんとうに頭にくる。

影響を否定するやつらなんて、いいやつらじゃない。ほんとう、ろくでもないことばかり言いやがって……。こいつらが、おなじ口で道徳について語るのだ。こんなのおかしい。こいつらが、おなじ口で「人に親切にしましょう」と言うのだ。こんなのは、おかしい。

頑張って暮らすと、ズタボロになるのである。ズタボロにされるのである。これがわかっていないやつらが、好き勝手なことを言う。こいつらはこいつらで「正しいことを言った」と思っている。こんなのは、おかしい。 

 

●あいつら、ほんとうに、やったつもりがないのだ■騒音※2026/08/01 13:48

 手袋というのがさぁ……。いやなんだよ。手袋をしたあと、時間がたつと、むれるわけ。あんま、いい感じがしないよね。

ああっ、手袋と言っても、通気性があるやつではなくて、完全遮断式のやつね。完全遮断式じゃないと、ダニを防御できない。ビニール手袋のようなものを想定した話だ。

二〇一九年ごろ、重装備でネズミの糞掃除をしたり、自分でできるネズミ対策工事をしていたので、いやな記憶がある。

「もう、つかれたよ」ということだ。

「もう、いやなんだよ」ということだ。

親父がきちがい行為をしなければこんなことになっていない。きちがい行為を、きちがい的な意地で、してしまう。

結果については、全部、俺に丸投げだ。

俺の人生は、こういう人生だった。

きちがい兄貴ときちがい親父にやられた。あいつら、責任なんてとらないんだよ。きちがい的な意地でやって、やりっぱなしだ。

責任について認めもしない。

やったつもりがないのだ。

きちがい親父は、やったつもりがないまま生きて、死んだ。

きちがい兄貴は、まだ生きている。あいつら、ほんとうに、やったつもりがないのだ。

●これ、ぜんぜんちがうんだよ■騒音※2026/08/01 4:44

相当にやばい気分になっている。たぶん、このまま、眠れない。まあ、数時間後に眠れると思うけど、火曜日の歯医者に行けるかどうか不安になる。

一気に(入眠時間が)ずれちゃうときがあるんだよなぁ。いい気分じゃない。

そして、右手の甲のシミが気になる。これ、ダニ刺されのあとなんだけど、ずっと消えない。これ、ダニに刺されたあとが、目に入ると、憂鬱になる。

親父のダニにやられてこうなったので、不愉快な気持ちになる。

そして、とっとと引っ越せばいいのだけど、引っ越す気力がない。引っ越しのことを考えると、猛烈に憂鬱な気持ちになる。そうなると、ダニに刺される期間がのびる。

いずれぼくは死んでしまうわけだけど、いい感じがまったくない。この世の、この雰囲気。長期騒音の雰囲気。親父ダニの雰囲気。親父ネズミの雰囲気。全部、いやだ。

闘病生活の末に死ぬのは、いやなんだよ。その日まで元気に暮らして、すっと、眠っているときに死にたい。

それにしても、ヘビメタ騒音がひどかった。あれで、睡眠回路が完全に壊れた。壊れるまでの生活が、くるしいのである。

そして、この生活のことが、ほかのやつらにはわからないのである。

俺がさぼっているようにしか、見えないのである。

これ、ぜんぜんちがうんだよ。

2026年7月31日金曜日

●影響を受けないように暮らすなんてことは無理なんだよ■騒音※2026/07/31 23:09

長期ヘビメタ騒音で、ほんとうに、人からいろいろと疑われたり、悪く思われたりすることが多かった。長期ヘビメタ騒音で……親戚とも、関係が切れている。もっとも、あっちは、長期ヘビメタ騒音が原因だと思っていないだろうけど。

思っていなかったのだけど、親父が、俺のことを……。親父が悪いやつで……ヘビメタ騒音のことを、かくして、俺が(その親戚の人たちをバカにしている)とか、俺が(その親戚の人たちをきらっている)とかということを、親戚の人たちに、吹き込んだのだ。

こんなの、やる人いると思う?

やる親がいると思う? 思わないよなぁ。

こういうこと、(親父は)しやがるんだよ。長期騒音だって、長男がでかい音で鳴らしていたのだから、親父は、注意すべき立場なんだよ。

ところが、そういうことも、まったくわかっていないやつなんだよ。

俺が(その親戚の人たちをバカにしている)とか、俺が(その親戚の人たちをきらっている)とかということを、親戚の人たちに言ったのは、自分がよく思われたいからなんだよ。

俺……自分の息子をさげて、自分がいい思いをしたいわけ。息子のことを悪く言うと、自分の総体的な評価があがると思っているわけ。

自分が(俺に比べて)いい人だと思われるというようなことを考えて、わざわざ、そういうことをするんだよ。

これ……。ヘビメタ騒音で大学を落ちまくっていたから、親戚とあわせる顔がなかったんだよ。 

親父が死んだときに、ネズミのことを話しているうちに、このこと……親父が俺のことを(親戚の人たちに)悪く言っていたということが、発覚した。

最初、ネズミのことを話したときも、親戚の人たちが「そんことは、ないだろう」「嘘言っているんじゃないか」と思ったわけ。それで、兄貴の嫁さんに電話をかけて、「ネズミの話は本当なのか」ということを、親戚の人たちが、訊いたわけ。

兄貴の嫁さんだって、ネズミのことを話したときは、俺が、嘘を言っているんじゃないかと思ったわけ。

「そんなことがあるわけがない」と思ったわけ。

ところが、そうなんだよ。

粗大ごみの人たちには、親父が認知症になって、こういうことになった(ネズミの糞が部屋中にころがっているような状態になった)ということを説明したわけだけど、ほんとうは、認知症になるまえから、こういう性格だったわけ。原因は認知症じゃないんだよ。原因は、性格なんだよ。

むかしっから、親父はそうなんだよ。

なまごみの袋を、俺が頼んでないのに、「物置においてやるおいてやる」と言って、聞かなかった。そうしたら、ネズミが、物置に、出入りするようになった。そういう、「前置き」があるわけ。

医者から、「魚の食べたほうがいい」と言われて、粕漬の魚を食べるようにしたのだけど、医者は、まさか、親父が、一日に二三(にじゅうさん)時間、テーブルの上に粕漬の魚を出しておくことにこだわるということは、想定していないわけ。

じつは、ネズミ事件の八年ぐらい前にも、モツ鍋事件があった。

これも、医者に「モツを食べたほうがいい」と言われたらしくて、 モツを食べることにしたのだけど、もうすでに、できあがっている状態のモツ鍋を、何時間も、煮詰める必要なんてないわけだよ。

チューブ系パックで、もう、あっためればいいだけのモツ鍋(セット)を買っているわけだから、何時間も煮込む必要なんないわけ。

しかも、モツ鍋を煮詰めるときは、かならず、レンジのまえから離れて、庭に出て、庭の手入れをしてしまう。雑草をとったりすることだ。だから、モツ鍋が頻繁に、灰になっていたわけ。

「もう、できあがったモツ鍋パックなのだから、煮込む必要はない」ということを、親父にどれだけ言っても、親父が聞かないで、煮込むことにこだわり続けて、煮込んだ。

そして、煮込むときは、頻繁に外に出てしまうので、モツ鍋が灰になった。肺にならなくても、もう、できあがっているモツ鍋を煮込み続けると、部屋中がくさくなるんだよ。

このときも、きちがい親父がこだわってこだわって、自分のやり方をかえない。このときも、「くさないよぉ」「くさないよぉ」「くさないよぉ」「くさないよぉ」「くさないよぉ」「くさないよぉ」と絶叫して、「くさい」という基本的なことを認めない。

この、くさくなっているいるのに、絶対に認めない態度というのは、兄貴の態度と似ているのだ。兄貴は、ヘビメタ騒音を、ものすごくでかい音で鳴らしていたのに、きちがい親父のように、ものすごくでかい音で鳴らしているという「基本的なこと」を認めない。

兄貴は、「でかくないよぉ」「でかくないよぉ」「でかくないよぉ」「でかくないよぉ」絶叫しなかったけど、おなじなのである。

頭のなかで起こっていることが、おなじなのである。

ごく基本的なことを、絶対の意地で認めないのだ。そして、やり通してしまう。これが、どれだけ、頭にくることか、よその人は、知らない。こんなの毎日、やられて、黙ってられるわけがないだろ。だから、言うわけだけど、きちがい頭で押し切って、毎日やりきるのである。

で、よその人は、この「きちがい頭で押し切って、毎日やりきる」ということが、わからないのである。そして、やりきっているなら、でかい音で鳴らしているという自覚があるのだろうと思ってしまう。

ネズミの話も、ヘビメタの話も「そんなのは、嘘だ」と思うやつが、一定数いる。こいつらに、俺が疑われて、どれだけ不愉快な思いをしたか、わからない。

こういうことが、日ごろの鬱感情や、日ごろのやる気に影響を与えるんだよ。

それなのに、よそのやつは「そんなのは、気にしなければいい」とか「(お父さんだって)ちゃんと言えば、わかってくれる」というようなことを言う。

これだって、ほんとうに、きちがい親父並みに、無理解ぶりを発揮した発言なんだぞ……。ほんとうは……。しくみがちがうけどね。しくみがちがうんだよ。

そして、こういう発言以外、こいつらは、俺に迷惑をかけているわけではないんだよ。こいつらは、経験がないからわかっていないだけなんだよ。

だから、兄貴や親父とは、しくみがちがう。よその人は、兄貴や親父のようなのう回路をもっていない。普通の人たちなのだ。

普通の人たちが、信じないようなことを、きちがい兄貴ときちがい親父が、きちがい的な意地でやりやがるのだ。

そうすると、自動的に俺が、疑われることになる。

そして、よその人たちは、やられていないから、やられたときの不愉快な感覚がわからないのである。

これ、やられてみればわかるんだよ。みんな、不愉快になるんだよ。ようするに、よその人はやられていないから、信じないだけで、もし、自分自身がおなじことをやられたら、不愉快になるということがわかるはずだ。

しくみはちがうけど、「関係がない」「たいしたことはない」「影響はない」と考えるのは、きちがい兄貴と、きちがい親父と、よその人でおなじなんだよ。 

よそのやつらはよそのやつらで、どれだけ、ヘビメタ騒音の影響を受けるか、まるでわかっていない。

こんなのどれだけ、影響を受けないようにしても、影響を受けるのだよ。

それが、よその人にはまったくわからないのだ。

だから、よその人も、親父や兄貴のように、ヘビメタ騒音の影響を無視する。無視するということになる。

影響……あるよ。どれだけ、気にしないようにして暮らしても、気になる。どれだけ、影響を受けないように頑張って暮らしても、影響を受けまくりなんだよ。

どうしてかというと、何時間も何時間も、至近距離で、激しい音が鳴っているからだ。よそのうちでは絶対に鳴っていないような激しい音が、至近距離で鳴っているからだ。よそのうちでは絶対に鳴っていないような激しい音が、至近距離で鳴っているから…… 影響を受ける。

これ、影響を受けないように暮らすなんてことは無理なんだよ。

ところが、言霊主義者は、言えば、ヘビメタ騒音の影響を受けないで暮らすことができると思っている。言霊主義者は、言えば、ヘビメタ騒音の問題が解決すると思っている。

いちおう、言っておくけど、よその人たちの理解度なんて、言霊主義者の理解度とおなじだ。

約一〇割の人が、ヘビメタ騒音の影響を無視するのである。「たいした問題じゃない」と考えるのである。

ところが、強烈に身体や精神に影響を与える問題なんだよ。

これ、も、ほんとう、に、腹が立つ。

●勝手な推論をして、「影響がない」と思っているだけ■騒音※2026/07/31 2:26

今度は、不安になって眠れない。なんか、すごくいい知らせが欲しいよなぁ。これ、不利すぎるだろ。あーあ。ほんとう、人によって、ぜんぜんちがうんだよなぁ。人並みの勉強環境、人並みの受験環境があればなぁ……。ほんとうに、くるしい人生だった。

ヘビメタ騒音が、関係、ないわけがない。ヘビメタ騒音が、影響、ないわけ、ない。ほんとう、ふざけるな。勉強環境だけではなくて、きちがいヘビメタ騒音で、普通の体力と普通の睡眠を、なくした。

きちがいヘビメタ騒音で、普通に行動できる力と、普通に行動できる精神を、なくした。ほんとうに、ぜんぜんちがうのである。

きちがい兄貴が、ほかのひとにはわからない、独特のセンスで、ほかの人にはわからないことをやったのである。当然、ほかの人は、自分が経験したことじゃないから、細かい影響がわからない。

わかるわけがない。

ほかの人は、経験がないからわからないだけなのだけど、「影響がない」と言い切ってしまう。「過去は関係がない」というのも、「影響がない」ということの別バージョンだ。

「過去のことだから、そんなのは、影響がない」ということになってしまうのだ。こいつらの、頭のなかでそうなる。こいつらの頭のなかは、妄想的な断定で満ち満ちている。

経験がないから、わからないだけ。経験がないから、勝手な推論をして、「影響がない」と思っているだけ。

どれだけ、ひどいことになるか、わかっていないやつらが、勝手なことを言っているだけだ。けど、こいつらは、実際にやられたわけではないから、ほんとうに、関係がないのだ。やられたら、わかる。

けど、やられなかった。

だから、わからない。きちがい兄貴のような家族がいない人間は、きちがい兄貴のような家族が(実際に)いないから、きちがい兄貴がもたらしたような騒音は経験したことがないのである。

しかし、騒音は経験したことがある。だから、自分が経験した騒音をもとにして、兄貴のヘビメタ騒音について考えてしまう。そういうことでしかないのである。

やられていないから、そういうことでしかない。

やられたことがないから、そういうことでしかない。

それなら、気楽だ。勝手に、気楽に、「影響」を否定できる。勝手に、気楽に、「関係」を否定できる。

けど、こいつらは、間違っている。影響がないわけがない。関係がないわけがない。こいつらがわかっていないだけだ。

そして、きちがい兄貴もわかっていないのだ。きちがい兄貴のわからなさは、異常だ。ほんとうに、異常なんだよな。脳みその作りが、普通の人とは、ちがうのである。脳みその作りが、親父とおなじなのである。

そして、約四割の人は、こういうことがわからない脳みそなのである。だから、俺が嘘を言っていると思ってしまう。

さらに、約六割の人は、「影響がある」ということがわからない脳みそを搭載しているのである。

自分のことじゃないから、わからない。どんなことになるか、体でわかっていないから、わからない。自分が経験した騒音の範囲で騒音と言うものを考えるから、実際に「やられたら」どういうことになるかわかっていない。

どういう生活になるかわかっていない。影響のでかさがわかっていない。あらゆることとの関係がわかっていない。

関係がないわけがないだろ。

2026年7月30日木曜日

●最初から、間違った推論をしている■言霊※2026/07/30 20:12

もう、ずっと、説明してきたことなので、簡単に説明する。「元気だ元気だ」と言って、元気になったような感じがしたとする。

その場合、言霊主義者は「言霊の力によって」元気になったと勘違いしてしまう。「元気だ元気だと言えば、元気になるので、言霊の力は絶対だ」というようなことを言ってしまう。

「元気だ元気だと言ったら、元気になった」とする。

しかし、言霊の力で元気になったということは、どこから出てくるのだ?

中立的な状態で「元気だ元気だ」と言うと、言葉の力によって、元気だと感じる場合があるということしか、意味していない。

言葉の力というのは、この場合、自己暗示の力だ。

これも、言葉と元気な感覚との間に、連合ができあがっていなければならないのだ。

そして、元気だと感じた場合、それをもたらしているのは、体なのだ。体のしくみを通して、元気だと感じているだけだ。

ようするに、体のしくみをこえることを言ったって、言霊の力で、そうなるわけではないので、そうならないのである。

そして、たとえば「元気だ元気だと言えば、元気になる」という文も一〇〇%構文の文なのだ。「すべての、元気だ元気だということにおいて、元気だ元気だと言えば、一〇〇%の確率で(かならず)元気になる」ということが、「元気だ元気だと言えば、元気になる」という文の意味になってしまうのである。

「元気だ元気だと言えば、元気になることだってある」ということは、「元気だ元気だと言えば、元気になる」という文で表現できることではないのである。

言霊主義者だって、大きな病気をしているときは、「元気だ元気だ」と言っても、元気にならない。

大きな病気ではなくても、ただの風邪だって、三九度の熱がでて、くるしいときは、「元気だ元気だ」と言っても、なかなか元気にならない。

熱が出るというのも、体のしくみでそうなっているのである。だから、これは、下げればいいというものではない。

しかし、たとえば、「三秒以内に、平熱にもどる」と言えば、もどるのかというと、もどらない(ことのほうが)多い。

最初から、間違っている。

問題なのは、「元気だ元気だと言えば、元気になるから、言霊はある」と思ってしまうことだ。

いやーー。

「元気だ元気だと言ったあと」「元気な感じがした」としても、それは、言霊があることの証明にはならないのである。

ところが、「元気だ元気だと言ったあと、元気な感じがしたから、言霊はある」と思ってしまう。「言霊があることを証明した」と思ってしまう。

こんなのはない。

最初から、理論的に間違っている。最初から、間違った推論をしている。

*     *     * 

「できると言えば、できる」と大の大人が言ってしまう。こんなのは、ひどい。 

●なによりも、なまなましい、現実だ■騒音※2026/07/30 16:14

何千日も、寝不足で、頑張っていた。そうするしかなかった。

それが、いまの状態に影響を与えている。

これは、ほかの人にとっては、どうでもいいことだけど、ぼくにとっては、現実なんだよ。

なによりも、なまなましい、現実だ。身体と世界の認識がある。脳みそを含んだ身体で、この世を認識しているわけ。

そして、現実に起きたことは、現実に起きたことだから、身体に影響を与える。現実に起きたこととは関係なく「うれしい」と言えばうれしいと感じるはずだという考え方が間違っている。

倒錯しているのである。

どうして、他人の経験を無視したことを言うのか?

何度も言うけど、それは、「うれしい」という言葉と、過去の出来事のあいだに、連合ができているから、中立的な状態なら「うれしい」と言うと「うれしくなったような気分がする」ということを意味しているにすぎない。

中立的な状態で「うれしい」と言ったということを、無視することはできない。

ところが、「うれしいと言えば、うれしくなる」という言い方になると、どんな状態でも、「うれしい」と言えば、うれしくなる……はずだという考え方が導入されることになる。

これは、間違った考え方だ。

けど、頭のなかに一度「正しい考え方」として「そういう考え方」が成り立つと、しばらくの間は、あるいは、ずっと、「そういう考え方は、正しい考え方だ」という認識が生まれる。

この認識は、じつは、間違った認識だ。

正しい考え方ではないからだ。

●いま、午前七時八分■騒音※2026/07/30 7:13

いま、午前七時八分。やっと、なまごみを、出せた。よかった。

けど、長期騒音の朝を思い出してしまった。

強烈にだるい。この状態で、動くというのが、きつい。こういう思いをしていた。毎日、こういう思いをしていた。それだけでも、ほんとうは、自殺案件なのに、きちがい兄貴が、まるで気にしないで、鳴らしてたんだよなぁ。

●いま、午前六時三五分■騒音※2026/07/30 6:42

いま、午前六時三五分。やばい。めちゃくちゃ、気持ち悪いけど、起きたから、ごみをまとめて出そうと思って、外に出たら、『青いカゴ』がまだ設置されていなかった。まじ、はきそう。相当に、やばいなぁ。

帰ってきて、すぐに眠るつもりだったけど、だめだ。待機する必要がある。もう、いやだ。

ちなみに『青いカゴ』というのは、カラス除けのための、青い網でできた箱のようなものだ。 

●いま、午前四時■騒音※2026/07/30 4:14

 いま、午前四時。やばい。あれだけ気をつけていたのに、眠れなくなった。

まったく、眠れない。このまま起きて、ごみを出せればいいけど、また、午前八時ぐらいにならないと、青いカゴが出てこないかもしれない。午前六時には、出てほしいのだけど……。それなら、なまごみを出せるのだけど……。

けど、大きくずれてしまったので、来週の歯医者が気になる。そして、長期ヘビメタ騒音のことについて考えていたのだけど、ほんとうに、ゆるせない気持ちになる。

ともかく、長期ヘビメタ騒音で、ぼくの人生がない。

これは、ぼくにとっては、でかいこと。過去のことじゃないんだよね。そのまま、現在のことだ。現在に影響を与えていることだ。

ずっと、影響を与え続けたことだ。これ、ほんとうに、ほかの人が考えているようなことではないのである。

喉がちょっと、いたい感じがする。これは、蚊取り線香を炊いてたときから、続いている。よくならない。もちろん、かわいてもいる。喉がかわいてもいる。

しかし、きゅーーーっと、不安になる。いままでのことを考えると、きゅーーっと不安になる。これ、長期ヘビメタ騒音の夜とおなじだ。

●意識は、自分がそうしているということを、認めない状態になっている■騒音※2026/07/30 0:25

もう、ほとんど、すべてのことに、やる気がなくなっている。薄いやる気しかない。

『なんとか、濃いやる気が復活してくれないかなぁ』と思う。

思っているのだけど、実際には、憂鬱になることが多く、つかれやすい状態で暮らしている。ヘビメタ騒音が鳴っている感じしか、しない。多くの人が無視する、きちがいヘビメタ騒音中の気持ちと、きちがいヘビメタ騒音後の気持ち……。

こんなの、わかるわけがない。

俺は、特別に、きちがいヘビメタ騒音がきらいなのである。ほんとうに、きちがいヘビメタ騒音がつもってつもって、俺の立場が悪くなった。

これ、ヘビメタ騒音がなかったとしたら、俺が勝手に、さぼっているだけに見えるのだよな。ところが、ヘビメタ騒音があった。この、きちがいヘビメタ騒音のやり方が、きちがいなのである。

みんな、兄貴の狂気がわかっていない。みんな、兄貴のきちがい感覚がわかっていない。

兄貴の感覚がわかっていないし、実際に、自分のきらいな音でやられたわけでもないので、わからないのだ。

そうなると、実際には鳴っていたのだけど、他人から見れば、「鳴っていないのとおなじだ」ということになる。。そして、これが奇妙なことなのだけど、きちがい兄貴が、その他人たちよりも、鳴らしたつもりがないのだ。

俺が、きちがい兄貴の騒音でこまっているということが、他人以上にわかっていないのだ。こんなの、ない。

ほんとうに、普通の人じゃない。普通の人なら、どれだけ、無視しても、わかることだ。ところが、きちがい親父とおなじで、きちがい兄貴にはわからないのである。

きちがい親父が竹を植えたとき、おかあさんに「いいだろ」「ほめてよ」と言ったことを書いたけど、きちがい兄貴のヘビメタ騒音終了後の気持ちというのは、「ほめてよ」という言葉を除けば、おなじなのである。

竹事件における親父の感覚が、そのまま、きちがい兄貴のヘビメタ騒音事件の感覚なのだ。ようするに、どれだけなにを言われても、「相手のことが」わからないのである。

おかあさんが、親父に、「竹を植えたら、ひどいことになるからやめて」「庭じゅうに、竹の根が伸びるからやめて」「隣の人に迷惑がかかるからやめて」と必死になって言っているのに、それが、まったくわからないのだ。親父が、ちょっとでも、竹の根が、地中で伸びるということを認めてしまったら、竹を植えられなくなってしまう。

それは、絶対にいやなのだ。だから、絶対に認めない。

そして、相手がこまっているということが、ほんとーーーに、ほんとーーーに、ほんとーーーに、わからないのだ。これ、無視しているとかじゃなくて、まったくわからない。どれだけ、なにを言われても、相手が言っていることがわからない。

自分の行為で、相手がこまるということが、わからない。

いちおう、わかって……わかっているけど、無視してやる切るということではないのだ。

親父がやっていることはそういうことではない。

どれだけ言われても、日本語がわかるのに、わからないのだ。相手のことが、きちがい親父の頭のなかに、まったく入ってこない状態になる。

どれだけなにを言われても、相手の状態だけは、まったくわからないままなのだ。認めたくないことは、どれだけ言っても、はねのけて認めないのだけど、意識的にはねのけて認めないようにしているわけではないのだ。

無意識的に、はねのけて、認めないようにしているので、はねのけて、認めないようにしているということ自体が、わからない。

親父の意識にのぼらない。親父がきちがい的な意地でやっていることなのだけど……はねのけて認めないということは、親父が、きちがい的な意地でやっていることなのだけど、意識は、自分がそうしているということを、認めない状態になっている。

自我は、自分がそうしているということを、認識していないのだ。

だから、全部が、すっぽぬけてしまうことになる。

これとおなじことが、きちがい兄貴のヘビメタ騒音に成り立っている。ほかの人がわかるわけがない。実際に、ほかの人は、自分がきらいな音を、あの至近距離で、あのでかさで、いっょに住んでいる家族に鳴らされ続けたことがない。

そりゃ、ちょっとはあるかもしれないけど、ぜんぜん、程度がちがうのだ。うちの場合は、程度がちがいすぎる。程度のちがいは、質のちがいになる。ぜんぜん、ちがう。

2026年7月28日火曜日

●恵まれた人が、恵まれない人をたたくための、道具■社会※2026/07/28 10:51

一見よさそうに思える?助言というのは、恵まれた人が、恵まれない人をたたくための、道具なのだ。

これ、ほんとうに、ひどい話なのだ。

そして、恵まれた人たちには、悪意がない。善意でやっていることだ。たいていの場合、善意でやっていることだ。

結果だけを見れば、恵まれない人は、下に置かれるようになるのである。結果だけを見れば、恵まれない人たちは、時間というリソースを削られ、体力というリソースを削られ、下のポジションに置かれることになる。

下のポジションに置かれれば、建前はどうであれ、ストレスを感じるのである。

しかし、そこで、ストレスを感じることは、悪いことだということになっている。

「人間ができていないから、ストレスを感じる」ということになってしまう。

あるいは、「こころがまえができていないから、ストレスを感じるんだ」ということになってしまうのだ。

言っていることが、わかるかな?

ほんとうは、関係がない「Xの不足」が原因だと言われる……。

「できない原因」や「ダメな原因」や「不幸な原因」だと言われる。

だから、Xを充足させる必要が出てくるのだけど、助言通りに、Xを充足させようとすると、必然的に時間というリソースを削られ、体力というリソースを削られ、下のポジションに置かれることになるのだ。

*     *     * 

一般人が、一般人に助言をした場合について、述べてきた。

ここには、金銭の受け取りがない。本というかたちであれ、セミナーというかたちであれ、金銭の受け取りがない。素人の一般人が、素人の一般人に、助言をした話だ。

しかし、これとは、別に、カネをとって、助言をする場合がある。この場合、恵まれないほうから、恵まれているほうに、カネが流れるということになる。恵まれている人から、恵まれない人におカネが流れるのではなくて、恵まれない人から、恵まれている人におカネが流れるのだ。

へんだとは思わないか?

Xの不足が原因だと決めつけることを、職業にしている人たちがいる。あるいは、副業にしている人たちがいる。本業は、経営者だけど、Xの不足が原因だと言って、副業をする人たちがいるのだ。メンター業?と言ったところか。

こまっている人たちは、ほんとうにこまっているのである。ものすごく、こまっている人は、ものすごくこまっているのである。

だから、こまっている人たちは、なんとかして、問題を解決したいと思っている人たちなのだ。

だから、「Xをすれば、すべての問題が解決する」というような言葉は、こまっている人たちにとっては、非常に魅力的な言葉になる。

*     *     * 

たまたま、いいことが起こったから、「この方法は、本物だ」と思う人たちがいるのだけど、もう、この時点で、「期待」がかかっているのだ。

わかるかな? 「この方法は、本物だ」と思う潜在的なエネルギーが高いのだ。ようするに、より、誤解しやすい状態になっている。

「儀式」と「いい出来事」の時間的な接近は、重要だ。「Xを充足させるための儀式」が、その人のなかで、重要なことになってしまうのである。

しかし、たいていの場合「儀式」と「いい出来事」のあいだには、因果関係はない。

たいていの場合……と書いておいたのは、儀式自体が、ある程度ストレス発散になり、有益なことである場合があるからだ。ならいいのではないかと思うかもしれないけど、いつでも、だれでも、ストレス発散になるわけではないのだ。

また、いつでも、だれでも、有益である実感が得られるというものでもない。たとえば、掃除が儀式だった場合、実際に、掃除をすると、きれいになるという実益がある。

しかし、これも、掃除をすることでトラブルが発生してしまう場合もあるし、掃除をすることで、身体がいたくなることもあるので、いつもいつも、かならず、「有益だという実感」が得られるわけではない。

「掃除をすると幸福になる」ということを信じている人が、掃除をして、さっぱりしたと思ったとする。掃除をするという儀式自体に、さっぱりする効果が、ある程度は、ある。

けど、これも、いつでもだれでも、かならず、そうなるというものではないのだ。つかれはてている状態で、掃除をしても、いい気分にはならず、つかれが増す場合もある。

「掃除をするとさっぱりして気持ちがいい」と、普通の状態で感じることができる人なのであれば、掃除という儀式のあと、快感を感じることができるので、掃除という儀式は有効だと思うのである。

けど、その人だって、気温四〇度のところで掃除をすれば、体にこたえる場合だってある。その人がきらいな音が、ガンガン鳴っている状態で、掃除をすれば、不愉快な気持ちになることだってある。

あるいは、粉塵が舞うところで、掃除をした結果、肺の病気になることだってあるかもしれない。原発作業員として掃除をした結果、なんらかの病気になることだってあるかもしれない。

「掃除をすると幸福になる」と一般化することはできない。

ようするに、一〇〇%構文の文で言うべきことではない。

*     *     *

おカネの流れに注目した場合、恵まれない人から、恵まれている人におカネが流れるのである。これは、重要だ。

おカネの流れがない場合も、恵まれた人が(より高い地位になり、快感を得る)ようになっている。おカネの流れがない場合も、恵まれない人が(より低い地位になり、不快を得る)ようになっている。しくみは、カネが流れる場合とおなじだ。 

2026年7月27日月曜日

●焦燥の念にかられる■騒音※2026/07/27 19:11

 歯医者行ってきた。長期ヘビメタ騒音のことで、焦燥の念にかられる。今朝の夢からして、長期ヘビメタ騒音時代の人間関係、そのままなんだよなぁ。

これ、騒音と人間関係と、関係ないように思う人が多いけど、ぜんぜんちがう。

人生全部が、きちがいヘビメタ長期騒音でくずれた。

まともな人生じゃない。

人間関係を考えても、焦燥の念にかられる。人生全部を考えても、焦燥の念にかられる。

ほんとうに、兄貴のところまで行って、殺したくなるなぁ。まあ、そんなことができるのなら、とっくにやっているけど……。あれを、気軽に、なにもしてないと思って、やり続けたわけだからな。

さんざん、言ったぞ。

きちがい兄貴があまりにも気ちがいだから、俺が嘘を言っていると思うやつらだっている。たくさん、いる。たくさんいる。

こいつらは、俺が嘘を言っていると思っているわけだから、俺がきちがい兄貴の悪口を言っていると思っているのだ。

実際には、きちがい兄貴が、俺が言っているような音のでかさで、鳴らしていなかったにもかかわらず、俺が、兄貴がこれこれこういう音のでかさで、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も鳴らしていた……と言っているということになる。こいつらのなかでは……そうなる。

俺が、妄想で、きちがい兄貴の悪口を言っていると(こいつらは)思っているのだ。

それ自体が、俺に対する侮辱なんだよ!!

そして、それを口に出したとき、俺の悪口を言っているということになる。こいつらは、俺が兄貴の悪口を言っているという……悪口を言っている。

俺の悪口を言っている。

こいつらも、言霊主義者とおなじで、どれだけ説明しても、認めようとしないのだ。こんなやつばかりだ。

●「騒音」「苦労」……どっちもちがう■騒音※2026/07/27 13:00

 みんな、無視しているけど、あんな生活が毎日、十数年間、何十年間続いたら、そりゃ、「楽しい気持ち」がなくなる。これを理解しないやつが、どや顔で「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」と断言する。そして、「俺だって、苦労した」と言いやがる。こんなの、ない。

きちがい兄貴が押しつけてきたもの……について、考え違いをしているのだ。

「騒音」「苦労」……どっちもちがう。……ちがうのだ。

こいつらの中に入っている「騒音というもの」……こいつらの中に入っている「苦労というもの」……ぜんぜんちがう。

ぼくが経験した「騒音」と、ぜんぜんちがう。

ぼくが経験した「苦労」とぜんぜんちがう。

「楽しい楽しい」と言っただけで楽しくなるようなやつが経験した「苦労」なんて、「苦労」のうちに入らない。なにを言っているんだという気持ちになる。 

●自分の条件も相手の条件も無視する言い方

「努力をすれば成功する」ということについては「カルト的な要素がまったくない」ので、正しいと思っている人がいるかもしれない。

しかし、「努力をすれば成功する」という文における「努力」というというのは、言霊理論における「言霊」のように、カルト的なタームになっているのである。

まず、「努力をすれば成功する」という文は一〇〇%構文の文になっている。

だから、「すべての努力をするということにおいて、努力をすれば、一〇〇%の確率で成功する」という意味になる。これ以外の意味にはならないのである。

「努力をすれば成功する」という文は「努力をすれば成功することもある」という意味にはならないのである。

そして、努力をするということの意味が、一意には決まらないのである。

そして、「努力をしたかどうか」というのは、だれが決めるのだという問題がある。これは、一意には決まらないという問題と直結した問題だ。

ある人がいたとする。Aさんだとする。Aさんが、努力をしたのに成功しなかったとする。その場合、「努力をすれば成功する」という文は間違っているということになる。

だって、努力をしたのに成功しなかったのだから、努力をすれば成功するという文は間違いだということになる。

しかし、この世界のなかでは、Aさんは「努力の方向が間違っていた」とか「努力がたりなかった」と言われることになる。

あくまでも、一〇〇%構文の文である「努力をすれば成功する」という文が正しいと言い張る人たちが出てくる。

この人たちは、一〇〇%構文の文で言っているということと、努力をするということが一意に決まらないということを無視している。

努力をしたのに、努力がたりなかったから、成功しなかった……。正しそうに見えるけど、正しくない。努力不足の努力をするという集合は、努力をするという集合の中に含まれているのである。内包されているのである。

なので、どんな努力であれ、努力をすれば、努力をしたということになる。こっちが、正しい考え方だ。だから、どんな努力であれ、努力をすれば、成功するということになる。もし、成功しなかったなら、その人の努力不足ではなくて、「努力をすれば成功する」という文の意味内容が間違っていたということになる。

まあ、努力をするということの内容が、一意には決まらないのでなにを言っても無駄だ。

ともかく、努力論における『努力』というタームは、なんとでも言える要素を含んでいる。

もう、まえに書いたので、ここでは省略するけど、努力論における努力というタームは、カルト的な意味をもつタームなのである。

ここで言いたいのは、「自分は努力をしたら成功したから、努力をすれば成功するという文は正しい」と思っている人たちが増えると、言霊理論とおなじように、社会が、より悪くなるということだ。

これ、よくなるのではなくて、悪くなるのだ。しくみは、おなじだ。 

*     *     * 

AさんがBさんに「努力をすれば成功する」と助言したとする。この場合、Aさんは、自分の条件を無視している。そして、Bさんの条件も無視している。

「努力をすれば成功する」という言い方自体が、自分の条件も相手の条件も無視する言い方だからだ。

普遍的な法則のように言うけど、ぜんぜん普遍的な法則ではないのである。Aさんの場合は、Aさんの遺伝子的な条件やAさんが生まれた家という条件が、あたえられている。

これをAさんがどの程度理解しているかどうか、わからないけど、重要な条件なのである。たいてい、所与の条件は、本人にとってあたりまえの条件なので、無視されがちなのである。

ところが、人によって所与の条件がちがうのである。

条件が『成功するかどうか』という結果に大きな影響を与えているので、「努力をすれば成功する」と、あたかも普遍的な法則が成り立っているような印象を与える言い方は、よくないと言える。

Aさんがまあまあ、貧乏な家に生まれたとする。Bさんもまあまあ、貧乏な家に生まれたとする。しかし、Bさんの兄が、ヘビメタに凝って、爆音で、鳴らすということをし始めたとする。Bさんの兄が、きちがい的な意地で長時間、毎日、ヘビメタを鳴らすということが続いた結果、Bさんには、睡眠障害が生じたとする。

その場合、Aさんがまあまあ貧乏な家の出身で、Bさんがまあまあ貧乏な家の出身だとしても、ぜんぜんちがう状態で暮らしているというとになる。

Aさんは、勉強をしようと思えば、騒音の影響がない状態で普通に勉強することができたとする。「貧乏でも、努力をすれば成功する」と一般化したとき、騒音という要素(条件)は無視されてしまうのである。

実際に、Aさんが、成功できたとしても、「努力をすれば成功する」と一般化してしまうことには、問題がある。

そして、『成功』の内容も、一意には決まらない。『成功する』ということの内容も一意には決まらないのだ。

「普通に働くことに成功した」「まるまるという会社で一〇年間働くことに成功した」ということだって、文脈によっては『成功した』ということになるのである。

Aさんは、Bさんが失った基本的な体力を失っていないので、「社会人として三年間働くことに成功した」とする。条件がちがうのである。

Bさんは、兄のヘビメタ騒音によって、基本的な体力を失ったとする。そうすると、三年間、通勤するということができなくなる。

Aさんが「俺だって苦労した」「俺だって朝はつらい」と言えば、それで、AさんはBさんと同質・同量の苦労をしたというとになってしまう。あくまでも、Aさんのなかではそうなるということだ。

Aさんには、Bさんにはあった、兄の騒音という条件がない。この条件がちがうから、通勤できるかどうかの差ができる。

しかし、Aさんは、「努力をすれば社会人として三年間働くことに成功する」と思っている。思っているから、Bさんに「努力すればいい」ということを言う。

こういうことが繰り返されてしまう。

Aさんは、Bさんの条件を無視しているということに、気がつかない。そして、一〇〇%構文の文で、言っているということに気がついていない。

いろいろなところに、トラップがあるのである。

●世間のやつらも「ひどいことを言ったつもりがない」■騒音※2026/07/27 10:28

ともかく、長期ヘビメタ騒音で、ボロボロなんだよ。これ、ボロボロにならないはずがない。

ところが、世間の人は「そんなのは関係がない」「そんなのは、自己責任だ」「そんなのは、影響を与えない」「そんなのは、あまえだ」「そんなのは、いいわけだ」と言う。世間のやつらが、ひどいことを言ってくる。

しかも、世間のやつらも「ひどいことを言ったつもりがない」のだ。

こんなの、ない。

みんな、正しいことを言ったと思っている。こんなの、ない。

あれを経験してみろ。

一日だって、わかる。

次の日、どんな状態になるかわかる。

あんなの、きちがい兄貴が、知らんぷりで、やりのけて、いいわけがない。よくない。

ほんとうに、ひどい状態で暮らしていた。

毎日続く……ということの意味がわかっていないやつらが「俺だって苦労した」と普通のことをあげて、せめてくる。せめてくる。せめてくる。

こんなの、ない。

●「なにかをしたことになっていない」■騒音※2026/07/27 0:34

きちがい兄貴も、きちがい親父も、俺が孤立するように……孤立するようにと……きちがい感覚で、きちがい行為をする。……きちがい感覚で、きちがい行為をし続けた。どれだけ言っても、やめてくれなかった。

しかも、きちがい感覚で、なにもしていないつもりなのである。まったくなにもしていないという認知・認識なのである。その陰で、俺がどれだけ、こまったか。

きちがい兄貴に、勉強することを邪魔されて、ほんとうにこまったよ。

これも、孤立する原因のひとつだ。

勉強云々と言っているときは、勉強にフォーカスがあっているので、勉強のことだけになってしまうけど、勉強を邪魔しているあいだだって、勉強を邪魔しているだけではないのだ。

体力と精神力を削っている。

きちがい兄貴ではない『他人』なら、絶対にわかることが、きちがい兄貴にはわからないのだ。この、わからなさ……が、病的なのだ。

でっ、よその人は、この病的なわからなさが、わからないのである。だから、俺がはさまれることになる。そういうことの繰り返しで、いいわけがない。精神が、すさまないはずがない。

精神が、ボロボロにされる。

体も精神もボロボロにされた。

けど、「なにかをしたことになっていない(なにもしなかったことになっている)」のである。きちがい兄貴は、まったくなにもやったつもりがないからな。

どれだけ、言われたって、俺が騒音でこまっているというとを、きちがい親父のように、認めない。きちがい兄貴が、きちがい親父のように、認めない。自分がやっていることで、弟がこまっているということを、おかしな頭の構造を使って、認めない。

この「認めない」というのも、へんなんだよ。

普通の人が「認めない」ときの、「認めない」方法で認めないわけではないのだ。兄貴は、普通の人が「認めない」方法で、「認めない」わけではない。

最初から、どれだけ言われても、わからないままなのだ。

これがおかしいのだけど、きちがい兄貴は、そうなっている。きちがい親父もおなじ構造をもっている。ヘビメタ騒音を全身全霊でやりきって……やりきったのに、やりきったということを、まったく認めない。当然、自分が鳴らすヘビメタ騒音で、弟がこまっているということは、命がけで、認めない。全身全霊で、認めない。認めない。

何度も言うけど、「この、認めない」というのが、おかしいのだ。普通の人の「認めない」状態じゃない。ぜんぜん、ちがう。兄貴が規格外なのだ。

そうなると、ぼくが、へんな人のように、思われるのである。普通の人が、兄貴のへんな認めなさを、認めないので、ぼくが、へんな風にうたがわれるのである。

しかも、うたがっているほうは、「エイリの兄貴」のへんな認めなさを認めていないという認識がないのだ。

ようするに、一般人……普通の人は、兄貴がへんな人だということがわかっていない。

普通の人は、兄貴の態度がわかっていない。普通の人は、兄貴の脳みそのしくみがわかっていない。普通の人は、兄貴の、感覚がわかっていない。

*     *     * 

きちがいヘビメタにたたられていると、どれだけ誠実に努力しても、だめなのだ。

それから、いまもそうなんだけど……まさしく、いまもそうなんだけど……日時を決められると、眠れない状態になる。

これが、地獄なのだ。けど、これ、きちがいヘビメタが、午後四時から鳴っていて、数時間、ヘビメタ騒音にずっとさらされると、眠れなくなる。誠実な性格でも、遅刻するようになる。

けど、遅刻をしたら、「ヘビメタ騒音で眠れなかった」と言っても、ほかのやつは「そんなのはいいわけだ」と言うわけだ。

そして、「お兄さんにちゃんと言えば、お兄さんはしずかにしてくれるはずだ」という前提で「お兄さんに言えばいい」と言ってくる。

これだって、地獄だ。

誠実だから、時間に遅れてはいけないと思って、緊張度が増すのである。

そうすると、ただでも眠れないのに、余計に眠れなくなるのである。きちがいヘビメタがなければ、こういう不安が、そもそも生じないのである。

実際に、きちがいヘビメタがなかったときは、こういう不安がなかったのである。だから、ヘビメタ騒音が鳴っているから、そういう不安が生じるようになったのである。

そして、この「時間に遅れないようしなければならない」という意識と、きちがいヘビメタ騒音にたたられているときの体の状態の相性が悪いのである。

この「時間に遅れないようしなければならない」という意識と、きちがいヘビメタ騒音にたたられたあとの体の状態の相性が最悪なのである。

どれだけ、睡眠回路がくずれるか、ほかの人はぜんぜんわかっていない。

どれだけ、不安な気持ちになるか、ほかの人は、ぜんぜんわかっていない。

ともかく、きちがいヘビメタ騒音が鳴らなかった場合の人生をかえしてくれ。

ともかく、きちがいヘビメタ騒音が鳴らなかった場合の人間関係をかえしてくれ。

きちがい兄貴よ。ともかく、きちがいヘビメタ騒音が鳴らなかった場合の人生をかえしてくれ!!

けっきょく、親友のとの関係も、友達との関係も、ヘビメタ騒音が破壊した。これ、他人だから……親友や友達は他人だから……実際にぼくとおなじ生活をした人たちじゃないから……やっぱり、わからないのである。

わからない。

まあ、きちがいヘビメタ騒音に、六年間、毎日やられた時点で、ぼくの人生は終了している。あがいて生きてきたけど、それは、興奮と緊張を強いるものだった。

これ、興奮と緊張が、鬱感情を育てる。これ、興奮と緊張が、睡眠回路を破壊する。

誠実でなくても、きちがい騒音によって、睡眠回路は破壊されるけど……。

……これ、ほんとうに、ほかの人には、「全過程」がぜんぜんわからないんだよな。

わからない。

他人は、別の個体だから、実際にぼくの身の上に起こったことがわからない。ぼくとは別の個体だから、ぼくが経験したことがわからない。

経験がないことだからわからない。 こいつらにとっては「そんなのは関係がない」と言えてしまうことなんだよ。やられてないから、言えるだけなんだけど、言えてしまう。

これが、どれだけくやしいことか、こいつらは、わかっていない。ぼくにとって、どれだけくやしいことか、こいつらはわかっていない。

そいつらが、くちをそろえて「自分だって苦労した」「自分だってつらい思いをした」と言う。

ぜんぜん、わかっていないのである。

*     *     * 

ともかく、「そんなのは関係がない」と言うやつと、きちがい兄貴の無理解ぶりは、似たようなところがある。ヘビメタ騒音の影響を認めないということにおいては、こいつらときちがい兄貴でおなじなのである。

もちろん、こいつらは、張本人ではない。騒音の張本人ではない。

実際に、鳴らした人物ではない。

だから、ぜんぜんちがう。

きちがい兄貴とは、ぜんぜんちがう。きちがい兄貴とは、その点では、似ていない。

しかし、「ヘビメタ騒音の影響を無視する」という点においては、おなじなのである。

2026年7月26日日曜日

●自分にできないことを、他人には、要求する人たちが増えてしまう■言霊※2026/07/26 9:18

ほんとうは、自分だって、おこっているときは、どれだけ「うれしいうれしい」と言ったってうれしくならない人たちがいたとする。

この人たちを「ぬけぬけの人」と呼ぶことにする。

「ぬけぬけの人たち」のなかには、「絶対に、言えば言ったことが、(言霊の力によって)現実化する。これは正しい」と思っている人たちがいる。

けど、直前の出来事によって、「なまの感情」が「本人のなかに」発生しているときは、言葉で(自分の感情を)言い換えることができないのである。言うことで、自分の感情を書き換えることができないのである。

こういう人たちが増えると、どうなるかというと、自分のことは棚に上げて、ほかの人に、無理なことを言う人たちが増えてしまうのである。

自分にできないことを、他人には、要求する人たちが増えてしまうのである。

こういう人たち……ぬけぬけの人たちが、増えてしまうと、その分、社会は住みにくくなるのである。「言えば言ったことが(言霊の力によって)現実化する」ということが、正しいなら、社会はよくなるのである。

ところが、「言えば言ったことが(言霊の力によって)現実化する」ということが、正しくないので、社会は、住みにくくなるのである。

「言えば言ったことが(言霊の力によって)現実化するから、言えばいい」というのは、一見、いい助言に見えるけど、じつは、有害な助言なのである。

まあ、助言ですらないのだけど、言っている本人は、助言しているつもりなので、それにあわせて、助言と言っておく。

ともかく、もともと、本人だってできないことを、ほかの人に押しつけるための言葉になっているのである。

「言霊」に関する思考は、本人にだってできないことを、ほかの人に押しつけるための思考になっているのである。

「ぬけぬけの人」が増えれば増えるほど、まわりの人が、生きにくくなってしまうのである。「ぬけぬけの人」が増えれば増えるほど、条件が悪い人が、生きにくくなってしまうのである。

もともと不利な条件で、立場が低い人は、立場が上の人が、「ぬけぬけの人」だと、非常に苦労するということになってしまうのである。「ぬけぬけの人」は……自分のことは棚にあげて「無理なことを言ってくるようになる」からだ。

ともかく、「ぬけぬけの人」を増やすような行為は、一切合切やめるべきなのである。

社会において言霊理論が正しいということになっていると、悪意なく、ほかの人に無理なことを押しつけるということ、横行するようになる。

2026年7月25日土曜日

●どんなに頑固な言霊主義者だって、そんな生活はしていない■言霊※2026/07/25 13:29

 言霊主義者だって、なまの感情がある。なまの感情は、それまでの「解釈」の体系と、実際の出来事によって、大半は、決まってしまうのである。

実際の出来事は、記憶に残り、解釈の体系にある程度の影響を与える。ものすごく影響を与えるときだってある。

たとえば、言霊主義者が、言霊理論を否定されたときは、怒りのような感情がわくのである。不愉快だと思うのである。言霊主義者は、言霊理論が絶対に正しいと思っているので、言霊理論を否定されると、不愉快な感情がわくのである。

不快になるのである。

ちょっとだけ説明しておくと、「言霊理論が絶対に正しい」と思っているということが、「解釈の体系」の一部を形成しているのである。

だから、自分が絶対に正しいと思っていた言霊理論を否定されたときは「うれしいうれしい」と言っても、なかなか、うれしくならないのである。

「楽しい楽しい」と言っても楽しくならないのである。言葉に言霊の力が宿っていて、その力が絶対的な力なのであれば、自分が絶対に正しいと思っていた言霊理論を否定されたときも、「うれしいうれしい」と言うだけで、ほんとうにうれしくなるはずなのだ。

「楽しい楽しい」と言うだけで、直前の出来事にまったく関係なく「楽しくなるはず」なのだ。

ところが、楽しくならないのである。

こういうことを、言霊主義者は、無視している。

おこっているときに、「うれしい」と言っても、なかなかうれしくならないという事実を、無視しているのである。おこっているときに、「楽しい」と言っても、なかなか、楽しくならないという事実を、無視しているのである。

「ぬけぬけ」だから、気がつかないだけなのだ。

自分の「なまの感情」を、無視してしまう。

出来事に対応したなまの感情があるのに、それを、無視してしまうのである。

言霊との関連において考えることができないのである。自分の「なまの感情」と「言霊」の関係について、よく考えることができないのである。言霊主義者は……。

*     *     * 

逆にたとえば、なにか、とてつもなくうれしいと感じることが起こったとする。

うれしいと思っているときは、「腹が立つ」と言っても、なかなか、腹が立たないのである。うれしいと思っているときは「くやしい」と言っても、なかなか、くやしくならないのである。

どうしてかというと、実際の出来事によって、うれしく感じているからだ。

この場合も、時間的な接近は、ある程度、影響を与える。直前の出来事が、そのときの感情を(だいたいのレベルで)決定しているのである。

だから、直前の出来事が発生して、自分がなんらかのことを感じてしまっている場合は、「言葉によって、書き換えよう」としても、なかなか、書き換えることができないのである。

実際は、こっちが正しい。

言霊理論に従えば、直前の出来事に関係なく、いくらでも、自分の感情を書き換えることができるはずなのだ。

なにが起こったって、自分が「楽しい」と言えば、楽しくなるのである。なにが起こったって、自分が「くやしい」と言えば、くやしくなるのである。

ところが、そんなことにはならない。自分の「なまの感情」が、そのときの感情なのである。

「なまの感情」が発生しているときは、それなりの理由があるのである。それなりの理由を無視して、「言えば」言った通りに(自分が)感じるわけではないのである。

ところが、そういう日常的な出来事を無視して「言えば、言った通りの感情になる」と思っているのが言霊主義者なのである。

言えば、言った通りの感情になるのだから、言えばよいのである。

なにが起こったって、「楽しい」と言えば楽しくなるはずなのである。

ところが、実際には、どんなに頑固な言霊主義者だって、そんな生活はしていない。

●順番を間違えるべきではない■言霊※2026/07/25 12:57

ほんとうに、楽しく感じる場合の「楽しさ」というのは、自然な流れの中にあるのだ。

出来事の流れの中にある。

ところが、楽しく感じるべきだから、「楽しいと言おう」と思っている場合は、起点が「楽しく感じるべきだ」ということだから、そもそも、「自然な流れのなか」にない。

言霊主義者は、誤解をしているけど、自然な流れのなかで「楽しい」と思ったことがあるから、「楽しい」ということが、どういうことなのか、わかっている状態が発生する。

ようするに、その言霊主義者だって、最初から「楽しいと言えば楽しくなるから、楽しいと言おう」と思って、楽しくなったわけではないのだ。

経験として、これこれこういうことがあった。そのなかで、自然に楽しく感じた。赤ん坊として生まれてから、生活しているなかで「この感情」を「楽しい」という言葉で表現するのだということを、学習したのである。

「楽しい」という言葉と、「心理的な状態」のあいだに、連合ができたのである。

連合ができるまえも、「楽しい」と感じたことがあったのである。「楽しい」と感じることがなかったなら、「楽しい」という言葉を学んでも、それがどういう感情に連合しているものか、わからないのである。つまり、わからないままなのである。

だから、その状態で、どれだけ「楽しい楽しい」と連呼しても、ぜんぜん楽しくならないのである。

「楽しい」という言葉と、「実際の感情」のあいだにすでに?連合ができていたから「楽しいというと、楽しくなるような感じがする」という感覚が芽生えたのだ。

順番を間違えるべきではない。

言霊理論によれば、「楽しい」と言うと「楽しい」という言葉に宿っている、「言霊」の力によって、楽しくなるということになる。

しかし、これが、間違っているのである。

言霊の力によって、楽しくなったのではないのだ。

すでに、「楽しい」という言葉と「実際の感情」のあいだに連合ができていたので、条件によっては、「楽しい」という言葉を言うことによって、「実際の感情」か、あるいは「実際の感情」の「雰囲気」がリコールされただけなのだ。

「楽しい」という言葉に、言霊が宿っているわけではないのだ。

「楽しい」と言えば「楽しくなったような感じがする」というのは、自己暗示系の現象だ。

これは、言霊ではなくて、言葉に対応しているのである。

そして、言葉を使うという能力は、発達の過程で、発生した能力なのである。

ようするに、言葉を使うという能力と、言葉に宿っている言霊は、一切合切関係がないのだ。

言霊主義者が勝手に妄想的な思考をして、言葉には言霊が宿っているということにしてしまったのだ。なので、最初から、間違っているのである。

「言霊は絶対だ」と言う人たちがいるけど、なにを言っているか、さっぱりわからない。たぶん、「言霊は絶対だ」と言っている人たちも、自分がなにを言っているのか、さっぱりわかっていないのだと思う。

まあ、雰囲気で考えれば「言霊の力は、絶対的に働く」というようなことなのだろう。

あるいは、「言霊理論は、絶対に正しい」ということなのだろう。

どっちも、間違っている。両方とも間違っている。

●これが、事実だ■社会※2026/07/23 16:40

まあ、納得してくれる人は少ないと思うけど、いちおう、言っておく。

「人に親切にしましょう」というような言葉は、じつは、繊細で親切な人をおいつめるための言葉なのだ。

これ、今の社会だと、そうなってしまう。

まあ、人に親切にするのは、いいことなのだけど、人それぞれの、レベルのちがいがある。人がどういうふうにこまっているかということを、読み取る力が、人によって、ちがいすぎる。

そして、案外、無視されてしまうのだけど、社会のなかで、たとえば、仕事をする場合、立場の弱い人が、いろいろなことを背負い込むことになってしまうのである。「人に親切にしましょう」というような言葉は、生活のなかで、まったくわかっていない人に対する言葉なのだ。

ところが、生活のなかで、まったくわかっていない人は、「人に親切にしましょう」と言われたって、人に親切にしないのである。特に、自分の欲望がかかわる部分に関しては、親切にしない。自分の欲望にあわせて、不親切な行動をする。

それで、別に悪いとは思わない。

あるいは、きちがい兄貴のように、特別に鈍感で、どれだけ言われても、相手が(自分の行為で)こまっているということを、認めない人もいる。

これも、「こうしましょう」と言われたことがあるというレベルのことで、「こうすることが(実際に)できるか」というと、できないのだ。そういう脳みそがないから、できない。

それに対応したシナプスのネットワークがないから、できない。

ともかく、「人に親切にしましょう」というような言葉は、どちらかというと、鈍感な人に対して言うような言葉であり、もともと、親切な人には言うべきではない。

繊細な人が、こういう言葉を真に受けると、ひどいことになってしまう。

「繊細な人」や「もともと親切な人」が、くるしむ状態になっている。

じゅうぶんに親切な人が、じつは、「人に親切にしましょう」というような言葉で、傷つく状態になっている。負担が増え、ボロボロされるような状態になっている。

社会全体がそうなっている。そして、「人に親切にすれば、幸福になる」と言うような言葉は、じつは、すでに不幸な人をより不幸にしている。助言になっていないのである。

すでに不幸なら、その不幸な人は、人に親切にしなかった人だというマイナスの認知が生じるようになっているのである。

しかし、こころがきれいな人だって、不幸な状態で暮らしていることはある。

*     *     *

それじゃあ、きちがい兄貴が、人に親切することは、まったくないのかというと、そうではないのである。きちがい兄貴だって、時と場合によって、人に親切にすることだってある。

「親切にする」ということの「範囲」がひろいのだ。状態だって、いろいろだ。暗黙知、メタ認知、認知が、それぞれの場面でちがうのである。

だから、たまたま、対応しているような部分がある。だから、たまたま、対応しているような部分がある場合は、(めったにないことだけど)人に親切にすることが……きちがい兄貴のような人間にも……できる。できる場合がある。

けど、うちのきちがい兄貴は、俺には親切にしなかったのである。一日に、一秒も、(ほんとうには)ゆずってくれなかった。これが、事実だ。

●条件が悪い人に「余分な圧力」をかけている■社会※2026/07/24 17:39

じつは、「人に親切にしましょう」と言っている人たちは、ほんとうにこまっている人には、親切にしないという傾向があるように思える。

ほんとうにこまっている人は、条件が悪い人なのである。

ほんとうにこまっている人は、立場が低い人なのである。

だから、常識的な判断をすると、「親切にしない」傾向が強くなる。常識的な判断というのが、いままで、ここで述べてきたようなことなのである。「言霊」「思霊」「努力論」「過去否定論」「自己責任論」なのである。

「XをすればYになるから、Xをすればよい」という場合も、条件が悪い人は、Xをすること自体が、非常に困難である場合が多い。

ぼくは、ここで、体力的なリソースのことについて述べているけど、体力的なソースなんてことは、「XをすればYになるから、Xをすればよい」と言っている人たちは、気にしないのである。時間的なリソースだって、有限だ。

条件が悪い人は、すでにこまっている人なのである。

しかし、すでにこまっている人に対して、的外れの助言をすることがはやっている。

そして、助言をしただけでは終わらず、かならずと言っていいほど、ディスりはじめるのである。悪口を言い出す。

しかし、きれいごとを口にしているときは、「人の悪口を言うのはやめましょう」と、本気で言っているのだ。

助言される側……こまっている人が「これこれこうゆう理由で、Xすることができない」ということを言えば、「XをすればYになるから、Xをすればよい」と言っている人たちは、「そんなのは、あまえだ」「そんなのは、言い訳だ」という確率が非常に高い。

これ、テンプレートなのだ。

決まった、受け答えなのだ。そして、この受け答えは、全体としての価値観を代表している。

「XをすればYになるから、Xをすればよい」と言っている人たちが、相手をダメな人間だと決めつけるようにできているのである。

そして、基本的なことだけど「XをすればYになるから、Xをすればよい」と言っている人たちは、条件の差を認めない傾向が強い。認めた場合も、そんなのは、たいした差ではないということになる。

そして、条件の差については、集合的一括思考をするので、間違った判断を正しい判断だと思い込むことになっているのである。

そして、さらに、この人たちに、集合的一括思考のことについて説明して、それが、理論的にまずい部分を含んでいるということを説明するのは、非常に困難なことなのである。

説明したとしても、かなりの高確率で「XをすればYになるから、Xをすればよい」と言っている人たちは、認めない。

たいていの場合は、「なんだとぉ」という態度になる。「XをすればYになるから、Xをすればよい」という考え方が正しいのに、ろくでもないやつが、文句を言っていると思う確率が、非常に高い。

だから、むしろ、こういう人たちが、ほんとうに条件の悪い人たちにとって、『敵』になる。そして、じつは……これが重要なことなのだけど……条件の悪い人たちのなかにも、「XをすればYになるから、Xをすればよい」と他人に言う傾向がある人が多い。

これも、テンプレートなのだ。

普通の人も、条件が悪い人も、人に対しては「常識的な助言」をする傾向が強い。常識というのが、妄想で、できあがっているのである。そして、トリックがある。

ところが、矛盾を感じるほど、深く考える人が少ないために、トリックに気がつかない。前提に、妄想的な考え方があるということに気がつかない。

だから、妄想的な考え方に従って、現実を判断しているのである。

ともかく、「XをすればYになるから、Xをすればよい」と言っている人たちは、いいことを言っているような気分になっているかもしれないけど、ほんとうは、親切にしていない。

条件が悪い人に親切にしているのではなくて、条件が悪い人に「余分な圧力」をかけている。

2026年7月24日金曜日

●おかしなことを言っているのは、どっちか■社会※2026/07/24 14:04

ヘビメタ騒音のことについて……「そんなのは、関係がない」と言う人たちがいる。

そして、「過去は関係がない」と言う人たちもいる。

「過去は関係がない」と言っている人たちは、別に、ヘビメタ騒音のことでなくても、「過去は関係がない」と言うのである。

しかし、本人は、まったく気がつかないまま、過去の出来事に反応して、生きているのである。その意味で、過去は関係があるのである。

ところが、これがまた、「ぬけぬけ」で、「自分は過去は関係がないと思って生きているよ」という認識をもっているのである。これが、やっかいなんだよな。

「過去は関係がない」と言っている人たちにとっては、ヘビメタ騒音も、エイリにとって、関係がないことになってしまうのである。過去は関係がないので、エイリが、過去の出来事であるヘビメタ騒音のことを、いつまでも言っているのはおかしいということになってしまう。

過去の出来事なら、自動的に「関係がないことになる」ので、「ヘビメタ騒音が影響を与えた」と言っているエイリは、おかしなことを言っているということになるのである。

いやーー。おかしなことを言っているのは、どっちか。

これは、ぬけぬけ感覚と他者の状態をうまく理解できない性格によって、成り立っている発言だ。こんなやつらが、どれだけ多いか。

「ヘビメタ騒音の話は嘘だ」と思っているやつらを除けば、こういうやつらが、約一〇割なのである。

こういう世界だ。

そうなると、きちがい的な家族にやられて、普通に生活する能力や、普通に通勤して仕事をする能力を失った人間は、非常にくるしい思いをすることになる。もう、決まっている。

●同質・同レベルの経験があるということになってしまう■騒音※2026/07/24 13:54

いま、近くで、工事をしていて、ガーガーブーブーと、うるさい。けど、このくらいの騒音なら、本も読めるし、勉強もできる。不愉快だし、抵抗を感じるけど、勉強ができるぐらいの騒音だ。

みんなが、「騒音」として認知・認識しているのは、この程度の騒音なのだと思う。自分が、この世で、一番、一番、きらいな音が、めちゃくちゃにでかい音で鳴っている状態とはちがうのである。これが、わかっていないやつが多い。

これ、ヘビメタ騒音と言うのは、ぼくにとって、一番苦手な音なのだ。

そして、きちがい兄貴は、きちがいなので、めちゃくちゃにでかい音で鳴らすことにこだわってこだわってこだわって、すべての常識と倫理と道徳を無視して、自分の欲望に従って、きちがい的な音で鳴らしたのである。

これは、「よそのうち」では、鳴っていない音なのである。よそのうちでは、鳴りえない、音のでかさで鳴っている騒音なのである。

だから、よそのうちの人は、きちがい家族によって、つくりだされるこの空間を経験していない。きちがい家族の騒音によってつくりだされる、この時間を経験していない。

経験していないのである。

ところが、みんな……ぼくの経験の範囲で言うと……ほんとうに、みんながみんな……「自分だって苦労した」と言うことを言うのである「自分だってつらい思いをした」と言うのである。

「自分だってつらい思いをした」と言うのは、事実だと思う。

けど、同質・同量の騒音を浴びて暮らしていたわけではないのだ。ここのところがわかっていない。

そりゃ、きちがい家族と一緒に暮らしていなくても、つらいことはいくらだってある。思い通りに行かないことはいくらだってある。不安を感じることはいくらだってある。不満を感じることは、いくらだってある。

しかし、それは、きちがい兄貴が、ヘビメタ騒音を鳴らす前の、ぼくが感じていたレベルの、ひらいこと、思い通りに行かないこと、不安、不満なのである。

ところが、「自分だって苦労した」のひとことで、ぼくとおなじレベルの、しつこい騒音を経験したということになってしまうのである。

ぼくとおなじレベルの、しつこい騒音を経験した自分が、通勤できるのだから、エイリだって通勤できるということになってしまうのである。

エイリとおなじレベルのしつこい騒音を経験した自分が、勉強できるのだから、エイリだって勉強することができるということになってしまうのである。

なかには、「家に閉じこもって、勉強をした」ということが、「苦労だ」と言うやつもる。

まったく反対のこと言っているのである。

*     *     * 

俺は、勉強をしたくても、きちがいヘビメタ騒音で、勉強することができなかった。それが、苦労なのである。好きなだけ勉強できる状態で勉強した……。それが苦労だというのだ。

エイリと同質・同レベルの苦労をしたという意味で、そいつは、「自分だって苦労した」と言うのだ。

そして、ほかの人たちは、ほんとうは……ほんとうのことを言ってしまえば、きちがい家族と一緒に住んでいないので、きちがい家族が鳴らす騒音に一〇年以上毎日さらされ続けるということがなかったのである。

一四年と六か月間とは言わないけど、中学・高校の六年間を、きちがい的な騒音……に、毎日さらされるという経験がなかったのである。

毎日さらされるという経験がなかったのに、同質・同レベルの経験があるということになってしまうのである。

そして、それは、見積もりが誤っている。間違った見積もりをしている。その発言自体が、まちがった認知に基づいた発言だ。

基本的に言って、「わかっていないから」……過小評価して、間違ったことを言っているのである。

間違った見積もりをして、間違ったことを言っている。

しかし、こっちには、それを証明する手立てがない。

証明なんできるわけがない。

2026年7月23日木曜日

●やられたことがないやつは、不可避的にそうなるということを、認めない■騒音※2026/07/23 16:00

「他人に親切にしましょう」なんて、言っているやつが、自己責任論者だったりする。『他人の身に起こったことは、すべて他人の責任だ』と考えているやつが、どうやって、他人に親切にするんだよ。

まあ、『他人に親切にすると幸福になる」と言っているやつが、おなじ口で、『他人の身に起こったことは、すべて他人の責任だ』と言う。

本人は、まるで矛盾を感じない。

その都度、矛盾したことを言うことが、他人に親切にしたということになってしまうのである。

本人は、「いいアドバイスをしてあげた」と思っているわけだから……。

「今ここに集中すればいいんだ」というようなことを、名前だけ店長に言うことは、名前だけ店長に親切にしてあげていることになるかというと、ならない。

名前だけ店長を、おいつめている。

今ここに、集中して……名前だけ店長を不幸にしているサービス残業を続ければいいということになってしまう。

そんなことを言われて、不愉快になる気持ちというのが、この人たちには、(自分のこととして)わからない。「他人に親切にしましょう」と言っているときは、そういう気分。「すべては自己責任だ」と他人に言い放っているときは、そういう気分なのである。

気分次第で言うことがちがう。ある気分のときに言ったことと、別の気分のときに言ったことが、矛盾していたって、そんなのは、気にしない。

矛盾しているとは思わないわけだから、気にしない。

*     *     * 

こういうレベルの人が、ヘビメタ騒音の話を聞くと、ろくでもないことを言い出す。ほんとうに、屈辱。侮辱。侮辱以外のなにものでもない。

きちがい兄貴に勉強時間を削られるとそうなる。

きちがい兄貴に、生活体力を奪われるとそうなる。きちがい兄貴に、睡眠回路を破壊されるとそうなる。

これ、ほんとうは、不可避的にそうなることなんだけど、やられたことがないやつは、不可避的にそうなるということを、認めない。

「そんなのは、関係ない」「過去は関係ない」「影響なんてない」と言って、かたくなに、認めようとしない。

「人のせいにしない」と言うやつは……俺が、兄貴のせいではないことを、兄貴のせいだと言っていると思っているのだ。こんなの、ない。

どれだけ、バカにされているかわからない。

全部とは言わないけど、たいていのことは、こうなってしまう。ほかの人が体験しないことを、家族にやられるとこうなってしまう。

長い長い時間、長い長い期間やられると、どうしても、そうなる。

●だから、わからない■騒音※2026/07/23 14:35

 ほんとうに、ヘビメタ騒音の影響がでかいんだよな。

それは、当時の一日だけではなくて、今の一日も影響を与える。

これ、ものすごく深い影響があるわけで、到底、「関係がない」なんてことは言えない。「影響はない」なんてことは、言えない。毎日ずっと、破滅的な、破壊的な影響を与え続けてきた。きちがい兄貴が、きちがいだから、まったく気にしなかっただけなのである。

一日の総量を考えても、影響がないわけがない量なのである。

ところが、「関係がない」と言っているやつは、別に、自分が、自分のきらいな音で、おなじことを経験したわけではない。

きちがい兄貴の「ズレ」がまったくわかっていないのである。そいつと一緒に暮らしている、あるいは、そいつと一緒に暮らしていた、うちの兄貴のような「ズレ」がある家族がいないからだ。

ぜんぜん、わかっていない。実際に、きちがい兄貴がやることを、毎日体験していないわけだから……毎日押しつけられていないのだから、影響がないのである。だから、わからない。

●「今ここに集中すればいい」■社会※2026/07/23 13:42

 どういうふうに考えれば、一番楽に生きられるのか? ということが問題だ。これ、一般的な問いではなくて、ぼく限定の問いだ。

ぼくにとって、憂鬱で破滅的な気分に、なるべくならずに、死に向かうとしても、それなりに、気楽に、しあわせに、充実感がある状態で、暮らす、方法は、なんなのかということだ。

けど、そんなのは、ちょっと、体調が悪くなっただけで、吹き飛んでしまう。だから、問題なんだ。

ともかく、特殊なことを経験しすぎた。特殊なことの連続だった。だから、個人の物語が発生してしまっている。今現在の状態というのは、当然ながら、いままでの出来事の影響を受ける。

いままでの出来事(すべて)が、現在の状態を形作っている。

べつに、いま現在の身体というのが、過去に関係なく、それだけで、独立に存在しているわけでないのだ。身体というのは、当然、脳みそを含んでいる。脳みそは、いろいろなことを学習した脳みそなのである。

なので、過去の出来事を一切合切無視して、「今ここに集中すればいい」なんてことは、言えない。

どうしてかというと、「今ここに集中できるような身体」はどういうしくみによって、支えられているのかということを考えれば明らかだ。

「今ここに集中すればいい」というセリフは、気分だけで言っているセリフだ。そのときは、「今ここに集中すればいい」というセリフを言えるだけの体力がある状態なのである。

気力がある状態なのである。

その、体力がある状態や気力がある状態というのは、過去の出来事の組み合わせによって、今現在、そういうことを言える状態になっているということを意味しているだけだ。

「今ここに集中すればいい」というのも、一見よさそうに見えるけど、努力論のように、人を労働に縛り付けるための「方便」だ。

これ、ひどい言葉なのである。

「今ここに集中すればいい」と主張している人が、言霊主義者だったとする。言霊で、解決できる問題なのだ。言霊主義者にとって、言霊で解決できない問題はないということになっている。

ところが、言霊主義者が、労働市場において、労働をしているのである。

「目の前の作業に集中すれば、つかれなんてどうでもいい」という文脈で、「今ここに集中すればいい」などということが、言われるのだ。

この矛盾。

 「今ここに集中すればいい」というのは、まやかしなのである。

ほんとうは、身体的な疲れという問題がある。ほんとうは、精神的な疲れという問題がある。ほんとうは、社会的な枠組みから発生する問題がある。「

今ここに集中すればいい」に集中して、それらの問題を無視すれば、「今だけは働ける」ということなのだ。これは、薬を飲んで、無理やり仕事をしている状態に近い。その状態には、いつか終わりがくる。

終わりがきて、働けなくなった人にも、(容赦なく)「今ここに集中すればいい」と言うのだ。

「今ここに集中すればいい」と言う人は、「今ここに集中すればいい」と言う。

*     *     * 

たとえば、名前だけ店長を働かせようとした場合、「今ここに集中すればいい」というのは、有効な助言なのだ。名前だけ店長の疲労をまったく考えていない、クソ発言なのである。

わかるかな?

長年のサービス残業で、身体が疲弊している。

けど、名前だけ店長が、それを無視して「今ここに集中すればいい」のである。……こういうことになってしまう。

ヘビメタ騒音で疲弊しているのに、「今ここに集中すればいい」なんて言われたら、そりゃ、腹が立つ。絶望を感じる。連日連日、十数年間も続くヘビメタ騒音で、睡眠を妨害され、身体が疲弊している状態で暮らしているわけだ。

ヘビメタ騒音なんて関係なしに、「今ここに集中すればいい」ということになってしまう。

けど、俺はこまる。「今ここに集中すればいい」と言っているやつは、別に、きちがい家族と一緒に暮らしたことがないから、きちがい家族の騒音で日ごろから疲れまくっている身体で暮らすということの意味がわかっていない。

そして、「今ここに集中すればいい」と言うやつと、ぼくは、別固体だ。

ぼくが感じている疲労をそいつが感じるわけではない。そいつはそいつの身体を使って生きている。ぼくはぼくの身体を使って生きている。

両者の間には、断絶があるのである。

深い深い溝があるのである。

だから、こいつは、俺の身体を無視すれば、「今ここに集中すればいい」と言える。適切で正しいことを言っている気分だ。

そして、たとえば、ぼくが、「今ここに集中すればいい」という考え方を批判したとする。言霊理論を批判したとする。

そうすると、こいつは、かなりの高確率で、腹を立てる。とりあえず、腹を立てたとする。

その場合、過去の出来事に反応したということになる。「過去は関係がない」なんてことはないのだ。

そして、たとえば、自分が正しいと思っていることを、批判されたときに感じる「なまの感情」がある場合、そいつは「今ここの作業」に集中できなくなっている。

「今ここに集中すればいい」ではないか。

自分が正しいと思っていることを批判されて腹が立っているとき、「今ここに集中すればいい」のだ。

できるだろ。さあさあ、腹なんて、立ててないで、働いた!!働いた!! 目の前の作業に集中すればいいんだよ!!

●ぜーーぜん、ちがうのである■言霊※2026/07/23 9:47

ちょっとだけ、ちがいについて述べておく。なんのちがいについて述べるかは、お楽しみ。

たとえば、「走れば息があがる」とする。

この場合、走るという現実的な行為の結果、ほんとうに、息があがるのである。ようするに、呼吸を短い間隔で繰り返すことになる。それは、人間の体を通した、完全な反応なのである。

これと、「言えば、言ったことが(言霊の力によって)現実化する」ということはちがう。この場合、言霊という、妄想的な設定がはいることになる。

言霊というのは、なんとだって言える、へんなタームなのである。言霊の存在は、証明されていない。言霊の力なんて、あるかどうかわからない。

そして、言った通りにならないことがあるということが、言霊の力がないということを、証明している。言った通りになる場合も、言霊の力によって、言った通りになったのかどうかわからない。

制限時間をつけて、言えば、たいていの場合、言った通りにならない。100%構文で言い切ることは、最初から、無理なことなのである。そして、言う……という恣意的な行為と、実際に言ったことが(別の理由で)現実化したということのあいだに、関係性がないのである。

いっぽう、「走れば息があがる」というのは、関係性があることなのである。体のしくみを通して、関係性を完全に説明できることなのである。

そして、走っていると、息があがってくる……というのは、たいていの場合、再現可能なことなのである。

そりゃ、走る距離によっては、息があがらない場合がある。しかし、息があがらない場合も、息があがらないしくみを、説明できるのである。体の「反応の量」の問題だから、量的に観測できることなのである。

ともかく、「走れば、息があがる」という場合、体のしくみを通して、あらゆる過程が説明できることなのである。

そして、条件も、条件として、ちゃんと記述できることなのである。

たとえば、その人の身体的な条件は、条件として、記述できる。その人の肺活量や、体重や、その人が走れる最大限の速さや、息があがってくるまでの距離というのは、条件として、記述できるのである。

ところが、「言ったことが」「言霊の力」によって、「現実化する」という場合は、その人のもっている「言霊の力」の「量」というのは、そもそも、記述できないことなのである。

そんなのは、はかりようがないのである。

だから、ぜんぜんちがう。

「身体的な出来事」と「身体的な出来事」の関係に関する記述と、「空想的な出来事(恣意的な出来事)」と「現実的な出来事」の関係に関する記述は、ぜんぜん、性格が異なるものなのである。ぜーーぜん、ちがうのである。ぜんぜん、ちがう。

2026年7月22日水曜日

●「予想していなかった」悪いこと■社会※2026/07/22 13:21

つぎつぎに、「予想していなかった」悪いことが起こり、こんな人生になってしまった。どうしても、つらい。

「思えば、思ったことが、現実化する」「明るいことを思えば、明るいことが起こり、暗いことを思うと、暗いことが起こる」と言っている人がいるけど、これ、まちがっている。

別に、個人が思ったことが、現実化するわけではないのである。

もちろん、個人が自分の意思で、自分の体を動かして、現実化させることができることはある。

けど、「思えば、思ったことが、現実化する」という文は一〇〇%構文の文なのである。

「明るいことを思えば、明るいことが起こり、暗いことを思うと、暗いことが起こる」という文も一〇〇%構文の文なのである。いままで、さんざん書いてきたことなので、ここでは説明しない。

そして、これも書いたことだけど、「思えば、思ったことが、現実化する」と普段言っている人が、「人生には『上り坂』『下り坂』、そして『まさか』の三つの坂がある」などと言ってしまうのだ。

いやーー。思ったことが現実化するのだから、「まさか」と思うことは起こらないということになる。

その人が「起こらない」と思っていたことが、起こったから、その人は「まさか」と思っているのである。これは、そのまま、思わなかったことが起こったということを、意味しているのである。

自分で、矛盾を感じない人なんだよなぁ。

矛盾を感じたほうがいいよ。

だいたい、ヘビメタ騒音のことだって、俺が「ヘビメタ騒音が鳴る」と思ったから、「ヘビメタ騒音が鳴ったんだ」ということになってしまう。

これ、失礼な話なんだよ。

俺が、「親父がネズミを誘い込むことをして、結果、ネズミが入ってくるようになった」と思ったから、実際に「親父がネズミを誘い込むことをした」ということになってしまう。

そして、「ネズミが入ってくるようになった」と思ったから、実際に、「ネズミが入ってくるようになった」ということになってしまう。

どっちとも、そうなったあとに、言っていることなんだよ。

そうなったあとに、思ったことなんだよ。

人にぬれぎぬを着せる人たちばかりだ。

ヘビメタ騒音に関しては、ヘビメタ騒音が鳴ると(ぼくが)思ったから、鳴ったんだ、というとになってしまう。ぼくが、ヘビメタ騒音が鳴るという暗いことを思ったから、ヘビメタ騒音が鳴るという暗いことが起こったのだということになってしまう。

これ、どれだけ、事実とは異なるイチャモンをつけているか、わかる?

*     *     *

「暗いことを思うと、暗いことが起こる」という文について考えてみよう。「暗いことを思うと、暗いことが起こる」という文が正しいとする。

その場合、実際に、暗いことが起こって不幸な人は、暗いことが起こると思っていたから、暗いことが思ったのだということになってしまう。条件によって、悪いことが起こる場合がある。

たとえば、父親がきちがいなら、幼児に対して、きちがい行為をする。きちがい行為をするのは、きちがい行為をしたほうが悪い。

ところが、幼児が「悪いことが起こる」と思ったから、実際に、悪いことが起こったのだと解釈してしまうのである。

たとえば、幼児が「お父さんは自分を虐待する」と思ったので、その幼児の父親が、幼児を虐待したということになってしまう。幼児が「お父さんが自分を虐待する」という「暗いことを考えた」ので、その「暗いことが現実化した」という話になってしまう。

こんなのは、ひどい。

けど、「暗いことを思うと、暗いことが起こる」と言っているやつらは、まるで気がつない。

実際に不幸な人は、いる。実際に不幸な人は、不幸な条件を抱えているのである。不幸な条件を抱えているから、頻繁に不幸なことが起こるのである。なぜ、これがわからないのか?

なぜ、不幸な人のせいにしてしまうのか?

「人のせいにしない」などと言っているけど、「人のせいにしない」などと言っている人が、人のせいにしている。

これだって、 「人のせいにしない」と言った人が、条件に恵まれた一般人だとする。

とりあえず、Aさんだとする。そして、きちがい的な父親のもとに生まれたから、いろいろなことで不幸な思いをした人がいたとする。Bさんだする。

Bさんがちょっとでも、「父親がこういうことをしてこまった」ということを言えば、Aさんは……Bさんが「人のせいにしている」と決めつけることができるのだ。

AさんはBさんを「人のせいにする人だ」と決めつけることができるのだ。

こんなの、ない。

*     *     *

ちなみに、自己責任論者は、「幼児の自己責任だ」と考えるのである。どうしてかというと、その人の身に起こったことは、すべて、その人の自己責任だからだ。

ようするに、虐待された幼児がいたとする。Bさんだとする。Bさんが虐待されたのは、Bさんの自己責任なのである。

そして、虐待したほうの責任は、問わないのである。

AさんがBさんの父親で、Bさんを、きちがい的な理由で虐待したとする。当然、Aさんの行為だから、Aさんに責任がある。

そんなことも、わからないようになってしまうのだ。

●『日時を指定されると、眠れなくなる件』■騒音※2026/07/22 10:54

歯医者に行きたくない。けど、どうにかしなければならない。

まあ、『日時を指定されると、眠れなくなる件』については、ほかの人にはないことだから、理解されないだろうな。

これ、長期騒音の副産物なんだよ。

けど、これも、経験がないほかの人にはわからないだろう。

どうもダメそうだったら、三日前には、キャンセルすればいいや。まあ、あそこだとそういうことを嫌がるけどなぁ。五日前には、キャンセルするべきか。

けど、ほんとうに、どのくらい睡眠時間がずれるか、わからないんだよな。本人にも、まったくわからない。

これが、ぼくの人生にけっこう影響を与えている。努力論で片づける人がいるけど、長期騒音期間中、努力に努力を重ねて、学校に通い切ったから、非・二四時間睡眠覚醒症候群になり、なおかつ、『日時を指定されると、眠れなくなる状態」になっているんだぞ。

ちなみに、「努力論で片づける」というのは、「そんなのは、努力して解決すればいい」という意見のことだ。それをやってきたから、そういう症状が発生した。こいつらは、ゆるせない。

けっきょく、きちがい兄貴のような家族と一緒に暮らしたことがないから、きちがい兄貴がやるようなしつこい、しつこい騒音が……自分の人生のなかには……発生しなかっただけだ。

発生しなかったから、 努力でどうにかなると思っているのだ。努力をしたから、無理な状態がつみかさなったんだよ。

『日時を指定されると、眠れなくなる状態』が発生したんだよ。十数年の努力の結果、『日時を指定されると、眠れなくなる状態』になったんだよ。

そして、二〇時間、三〇時間、起きている状態で、仕事をすれば、どうしても、ミスが発生する。トラブルが発生する。三〇時間起きている状態で、「ニコニコ」したってしたがない。

三〇時間起きている状態で「元気だ元気だ」と言っても、元気にならない。きちがい家族によって、おいつめられて、こういう状態になった。それを考えたら、憂鬱な顔になるにきまっているだろ。

憂鬱な顔をしていると(他人に)思われるのがいやだから、なるべく、ニコニコしてたって、いいことなんてない。なるべく、憂鬱そうな顔に見えないように、気をつかって、普通の顔をつくったって、いいことなんてない。騒音の連続で、ボロボロになっている。

「ニコニコすればいいことが起こる」という人がいる。一〇〇%構文で言っている。

そして、「ニコニコすればいいことが起こる」と言っている人の「ニコニコすればいいことが起こる」と思った根拠が……自分がニコニコしていたら、友人から褒められたということなのである。

自分の場合は、そうだったということだ。

いつもいつも、そうなるとは限らないのである。

*     *     *

おまえだって、「自分のきらいな音をあれだけのでかさで、あれだけの期間の長さ聞かされ続けたら、これこれこういう状態になる」と言っているではないかと思う人がいるかもしれない。

まあ、自分の経験から一般化したことを言っているというのは、正しい。

しかし、これ、「ニコニコ」論者と、ぼくが言っていることはちがうのである。

だいたい俺は、一〇〇%構文で言うことの、問題を理解している。ニコニコ論者は、一〇〇%構文で言うことの、問題を理解していない。 

まあ、「自分のきらいな音をあれだけのでかさで、あれだけの期間の長さ聞かされ続けたら、これこれこういう状態になる」ということについては、実験も証明もできない。

これは、「こういう運動をすれば、人間は、つかれる」と言っているのとだいたい等しい。ただ単に、ほかの人には発生しないことなのである。

だから、ほかの人は、軽く見て、「そんなのは関係がない」「影響はない」と言う。あるいは、はげますつもりで「過去は関係がない」と言う。

こいつらはこいつらで、こっちの気持ちを踏みにじっているということに気がつかない。みんな……実際に、自分のきらいな音で、ぼくが経験したこととおなじことを経験していない人は……エラそうなことを言う。わかったようなことを言う。

「自分だって苦労した」「自分だって騒音ぐらいあった」と言えば、それで、おなじレベルのことを経験したということになってしまう。

けど、ぼくとおなじレベルのことを経験した人は、体に症状があらわれているはずなので、そんなことは、言わない。言えない。

ほんとうに、不利な話なんだよな。

「きちがい兄貴」と「ぼくが経験したレベルの騒音を経験したことがない一般人」の組み合わせが最悪だ。

こいつらが、「ヘビメタ騒音影響」を否定する。こいつらは、ゆるせん。

●全力で否定すれば、それで、おしまいなのである■家族※2026/07/22 9:36

  あんまりいい感じじゃないんだよな。足の甲をダニに刺されたのだけど、これが、協力タイプのダニだったのだ。かゆさがじんじん、伝わってくる。

薬を塗ったけど、かゆさがとまらない。

刺されたところが、つねに、かゆさを訴えかけてくるので、なんか、あんまり、いい感じじゃない。

幸福度がさがる。

あとは、歯医者に行きたくない。これも、足の甲がじんじんかゆい状態で行くということになるのだけど、行きたくない。

まあ、まだ、予約を入れていない状態なので、あとで入れるつもりだ。

けど、先行きが暗いのである。これ、どのみち、あとで、掘り返さなければならなくなる。埋めて、掘るということを、繰り返しているうちに、掘るところがなくなって、入れ歯だ。

もう、治しても、運命が決まっているんだよな。自由診療がいいらしいけど、そんなところに行く、体力がない。ある歯医者が言っていることを総合すると、まえに通っていた歯医者も、これから通う予定の歯医者も、「悪い歯医者」だということになる。

そして、ダニなんだけど、これ、ほんとうに、親父がネズミをいれるまえは、こんなことは、一回もなかったことなのである。

それが、もう、親父がネズミをいれてから、毎日毎日、ダニに刺されるようになった。

親父は、きちがいだから、「親父がネズミをいれたから、ダニが繁殖した」と俺が言えば「ダニなんていないよぉ!!!」「ダニなんていないよぉ!!!」「ダニなんていないよぉ!!!」と、事実を無視して、絶叫するのだ。

そうやって、ネズミをおびきよせる行為をしたのに、まったく反省していない。

反省どころか、ほんとうに、自分がやったことが原因で、ネズミがくるようになったということが、まったくわかっていない状態なのだ。

「まずい」ことは、全力で否定して、おしまいなのである。

その場で、全力で否定すれば、それで、おしまいなのである。 

2026年7月21日火曜日

●「におわないよぉ」「におわないよぉ」「におわないよぉ」■家族※2026/07/21 18:43

 じゃあ、なにか楽しいことがあるのかというと、ないのである。かゆみを抱えながらも、かゆみを忘れられるような、楽しいことがあるかというと、ないのである。

なにかおもしろい人たちと、おもしろいことをやる……そんなのは、ない。ナッシング。

一か所も、かゆいところがないようにしたかったのだけど、どれだけ、頻繁にサンダルや服を買い替えても、無理だ。

もう、そういう状態になっている。畳をかえて、すべてのものを捨てて、何回か、バルサンを家全体にかければ、なんとかなる。

けど、それも、あやしいんだよな。もし、ネズミが入れるところが一か所でもあって、ネズミが、そのあとに、入ってしまったら、また、おなじことをしなければならなくなる。

ともかく、無理なんだよ。だから、部屋をくさくしないでくれと親父に言ったのに、「におわないよぉ」「におわないよぉ」「におわないよぉ」と基本的な事実を否定する発言をして、絶対に、酒粕のついた魚の切り身を、テーブルの上にのせていたのである。

でっ、ネズミが入ってきたら入ってきたで、親父が「俺が捕まえるからいい!!」と言って、俺にネズミ対策工事をさせてくれなかったのである。

どっちも、親父が原因をつくっている。

しかも、普通の人は、そんなことをしない。狂っている。だから、俺が、誤解をされるの……。そして、俺が「きたなくしている人」「ダニを気にしない人だ」と思われてしまうのである。

俺がフロントに立って、いろいろとやらなければならない状態になると、そうなる。

●一〇〇%構文で言うということは、そういうことなのである■社会※2026/07/21 11:00

どすーーーんっっっと、重たい問題で悩んでいる人がいたとする。その人にとっては、生死をわかつような、切羽詰まった問題だとする。その場合、人間というのは、やはり、魔法のような解決方法に頼りたくなる。「なになにで解決できる」と言われると、信じたくなる。

ところが、だれも、魔法なんて使えないのである。現実的な方法でかえていくしかないのである。「言霊」「思霊」「引き寄せ」……全部、一発で、問題を解決してくれるような解決方法じゃない。

だから、解決しなかった場合にそなえて……「あなたのやり方が悪い」「あなたの器ではだめなんだ」「あなたのこころがけではだめなんだ」というような言い訳を最初から用意しておくのである。

ただ、一〇〇%構文で言うので、最初は、言い訳部分を隠すことができる。

ようするに、「うまくいかないことなんてない」という前提で、ものを言っているのである。最初はそうなのである。一〇〇%構文で言うということは、そういうことなのである。

けど、一〇〇%構文で言ったって、言っただけでは、問題は解決しない……。言えば、言ったことが、言霊の力によって現実化するのであれば、言っただけで、解決するはずなのである。言ったのに、現実化しないということ自体が、おかしいのである。

言ったのに現実化しないということ自体が、ペテンだということを意味しているのである。一〇〇%構文の文で言うということは、そういうことなのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。