2025年2月8日土曜日

できているのに、ある日、突然「できない」と言って

 できているのに、ある日、突然「できない」と言って、それ以降できなくなったわけじゃないのである。

「できないと言うからできない」なんて、おかしいだろ。

できなくなったあと、……ヘビメタ騒音でできない状態を経験して、ヘビメタ騒音が鳴っているとできないということがわかったので「できない」と言った。「できない」と言った「から」できなくなったわけじゃないのである。

ヘビメタ騒音がものすごい音で鳴っていた「から」できなくなったのである。

「できないと言うからできない」なんておかしいだろ。

できないことを、「できない」と言っているだけだろ。バカ野郎。そういう妄想的なことを断定的に言って、人をこまらせるのは、やめろ。

できるのに、どうして、突然「できない」と言うのか? 認知・認識はどうなる?

できないことは、できないと言うだろ。「できない状態」というのは、「できない」と言う前に発生していたんだよ。順番をまちがえるな!!

できている状態で、できるという認識があるのに、突然、「できない」と言って、「できない」と言ったから、「できなくなった」ということではないんだよ。

認識のほうが、さきなんだよ。

順番をひっくり返して、わかったようなことを言うのは、やめろ。

自己催眠や自己暗示はあるけど、それは、「そういう自己暗示をしよう」と思って、自己暗示をしたのである。そして、すべての現象において、自己催眠や自己暗示の効果が成り立っているわけではないのである。

できることはできるんだよ。できないことはできないんだよ。その認知が、さきである場合のほうがおおいいんだよ。

これも、「自己暗示には効果がある」ということが、すべての「できる・できない問題」に成り立っているという考え方がまちがっているのである。こういう人たちは、単純だから「自己暗示」の例をひとつ、あげられると、すべて、その例の通りだと思ってしまう。

「できる」と自己暗示をかければ、できるようになるし、「できない」と自己暗示をかければ、できないようになる……と思い込んでしまう。

けど、それでは、「できる・できない」ということに関する「すべての現象」を説明できない。 

「できないと言うからできない」というのは、理論的ではない考え方なんだよ。理由が、まちがっているんだよ。

「から」のまえにある「できないと言う」ということが、「できない」ことの(あるいは、できないという状態の)原因ではないんだよ。原因について、まちがった認識をしているんだよ。

自己暗示の例をあげられてから、「できると言えばできる」と思い込んでしまうわけだけど、本人が、「できる」と言ったって、できないことはあるんだよ。

だから、「できると言えばできる」のかどうか、自分で確かめてみることができるんだよ。

「瞬間移動できる」と言ったあと、瞬間移動できるようになるかどうか確かめてみれば、「できると言えばできる」という命題が『真』であるのか『偽』であるのか、確かめることができるんだよ。 

瞬間移動ではなくても、普段、自分ができないことは、できないと認識しているのである。そして、できないことに関して、「できる」と言っても、できないことを知っているのである。……実は知っている。

だいたい、「できる」と言っただけで「できる」ようになるのであれば、その人は、普通に生活してない。魔法を使って生活している。いろいろなことを普通の方法でやっているということは、「できない」ということを認めていることなのである。いいかげん、気がつけ。 

できないと言っても、できることはあるし、できると言ってもできないことがある。それは、「できると言えばできる」「できないと言うからできない」などと「ほかの人」に言っている「本人」だって、知っていることなんだよ。経験していることなんだよ。経験したことがあることなんだよ。

ところが、「自己暗示」の説明を聞くと、「すべて」において「できると言えばできる」ということが成り立つと思ってしまう。だまされたんだよ。

 「できると言えばできる」と言っている人は、「エイリさんの言っていることが理解できる」と言って、理解してくれ。理解できると言えば、理解できるんだろ。

 



2025年2月7日金曜日

ぼくは、ヘビメタ騒音が鳴るまえは、できていたんだよ。ヘビメタ騒音が鳴り続けて、できなくなった

 きちがい兄貴が、あんなに意地になって、きちがいヘビメタを鳴らさなかったら、こんなことになってない。あの人たちとの人間関係だって、こわれていない。そもそも、働いていたはずだから、無職についてもめるはずがない。これ、「どうしたってむりだ」という状態になる。きちがいヘビメタが一一歳のときからはじまって、ずっと、中学校、高校と、日曜日まで含めて毎日続けば、どうしたって、むりだという状態になる。けど、実際には、ほかの人には、きちがい兄貴のような家族がいないから、おなじことを経験するわけではない。だから、経験的には、わからない。俺がただ言っているだけで、実際に、僕と同じ時期に、僕と同等の、家族による騒音を経験したわけではない。家族による騒音というのが、超・重要なことなのだけど、ほかの人は、これが重要なことだとは思ってない。さらに、一一歳からはじまってしまったということも、重要なことなのだけど、ほかの人は、これも、重要なことだと思っていない。働いてから、となりの人がうるさいという状態ではないのだ。自分だけ引っ越しができる状態ではない。きちがい家族が鳴らしていたら、どうしたって、影響をうける。自分だけ引っ越して、騒音問題を解決するわけにはいかない。そして、おかあさんも、親父とはちがった意味で普通の人ではないし、おかあさんが、どれだけ兄貴に言っても、兄貴は、聞かなかった。けっきょく、自分がやりたいぶんは、絶対にやりきった。遠慮して、がまんして、鳴らさないですご時間というのは、一日で、〇秒だ。これが、十数年間、毎日、ずっと続いたのである。融通が利かない。「今日は、特別にこまるからやめてくれ」と言ったって、〇秒しかゆずらないのだ。「願書を書くから、一時間やめてくれ」と言ったって、ずっと、鳴らし続ける。ヘッドホンをするつもりもない。この態度が、どれだけ頭にくる態度か、わかるか? やられてない人には、根本的にはわからないと思う。そして、たとえば、願書を書くときに、きちがいヘビメタが鳴っていると、ミスを犯してしまう。そうすると、ミスをカバーしなければならなくなるのだけど、きちがいヘビメタが鳴っている状況で、新しく願書を取り寄せてカバーしなければならなくなるのだ。そして、それができない場合は、そのまま出すということになる。たとえば、ハンコが斜めに押された状態で出すということになる。ボールペンで二重線を引き、修正して、ハンコを押して出すということになる。見栄えが悪い願書になるのである。切羽詰まって、願書の修正をしているときも、きちがいヘビメタが、容赦なく、きちがい的な音量で鳴っているのだ。きちがい的な音量で鳴っていると、ほんとうに頭がこんががるんだよ。きちがいヘビメタが鳴っていると、学校の授業で覚えたことも、忘れてしまう状態になる。新しい問題に関しては、まったく考えられないという状態になる。家で勉強しようとすると、マイナスになってしまうのだ。頭がこんがらがって、できた問題もできなくなってしまう。そして、それは、自信を失わせることだ。だって、できなかったことを経験するということになってしまう。ヘビメタ騒音が鳴ってなければ簡単にできる問題なのに、できなくなってしまうのだ。おぼつかなくなってしまう。こんな状態で、入学試験を受けるということがどういうことなのか、みんなわかってない。中学時代全部、高校時代全部という人間にとって大切な時期を、こんな騒音で、汚されて、その後の人生に影響がないわけがないだろ。「過去は関係がない」と言ったやつがいっぱいいる。みんな、ぶっ殺してやりたいほど腹がたつやつらだ。ほんとうに、その言葉を言ったとたんに、そいつを、ぶんなぐってぶんなぐって、ぶっ殺してやりたい気持ちになる。けど、もちろん、殺したりしないし、ぶったりもしない。おさえる。けど、それがまた、ストレスになるのだ。きちがい家族によるきちがい騒音を、人生のなかで、経験しなかっただけなのに、えらそうなんだよ。これ、僕と彼らのちがいは、きちがい兄貴にやられたかやられなかったのちがいでしかない。けど、彼らは、「自分なら大丈夫だ」「自分なら影響をうけないことが可能だ」という前提でものを言ってくる。しかも、これが、僕にとって腹がたつことだということを、まったく、認めない。認めるわけがないだろ。きちがいヘビメタをやられたので、できない状態になっている。そのとき、きちがいヘビメタにやられてないやつが、「自分なら影響をうけない」という前提で「過去は関係がない」などと言うのだ。あるいは、「できないと言うから、できない」「できると言えばできる」などと言うのだ。こんなことを、言われて、腹がたたないわけがないのに、こいつらは、腹がたつということがわかってない。ここで、ぼくが反論をすれば、こいつらは、こいつらで、腹をたてるのだ。「過去は関係がない」ということは正しいということを言ってくるし、「できると言えばできる」ということは、正しいということを言ってくる。むきになっていってくる。けど、ここに書いたように、それは、正しくない。まちがっている。こういう、まちがったことを言うやつに、なめられるようになる。きちがいヘビメタ騒音でできなくなると、そうなる。しかも、こいつらは「人のせいにしている」と言い出すのだ。「自己責任だ」と言い出すのだ。こいつら、ほんとうに、ぶっ殺してやりたくなるなぁ。けど、どうして、ぼくが、ぶっ殺してやりたくなるほど、腹をたてるのかということが、わからない。わかるわけがない。こいつらは、想像力がないから、きちがいヘビメタ騒音の影響について、うまく想像することができない。理論的な思考力がないから、妄想的な前提があるということに気がつかない。たとえば、ぼくは、ヘビメタ騒音が鳴るまえは、できていたんだよ。ヘビメタ騒音が鳴り続けて、できなくなった。そりゃ、睡眠だってそうなんだよ。体力不足だってそうなんだよ。勉強だってそうなんだよ。ヘビメタ騒音が鳴るまえは、「できるできる」なんて言わなくてもできていたんだよ。ヘビメタ騒音が鳴るまえに、「できない」と言ったから、できなくなったわけじゃないんだよ。ヘビメタ騒音が毎日続くから、その影響でできなくなったんだよ。ヘビメタ騒音でできなくなったから、できなくなったと言ったんだよ。できないと言ったから、できなくなったわけじゃないんだよ。ヘビメタ騒音が毎日続くからできなくなったんだ。こいつ、ほんとうに頭がわるいなぁ。頭が悪すぎて話にならない。こういうやつらに、バカにされるようになる。きちがい家族よる、きちがい騒音が鳴っていると、こういうやつらにバカにされるようになる。

*     *     *

「当時」と言っても、いろいろな「当時」があるのだけど、「人間は働くべきだ」と言ったやつが、無職になっていたら、承知しないからな。ぼくが、無職のとき、ヘビメタ騒音で通勤ができなくなったということを言ったのに、ヘビメタ騒音の影響は、無視して、「人間は働くべきだ」と言ったやつが、どんな理由であれ、無職だったら、俺はゆるさない。そいつは、どんなことがあっても、一生、死ぬ直前まで、働くべきだ。だって、そうだろ。そうしないのであれば、ぶん殴る。ぶん殴る。ぶん殴ってやる。けど、まあ、実際には、ぶん殴ったりしないのだろうけどな。そいつがどこにいるか、まったくわからないしな。けど、ヘビメタ騒音の影響を説明したのに、ヘビメタ騒音の影響をガン無視て「人間は働くべきだ」と言ったやつは、働くべきなんだよ。絶対に、無職になるな! 定年退職していたら、承知しないからな!

ゆるすつもりは、ない

 これから、ぼくがどれだけカネ持ちになっても、当時、ぼくのことを無職だという理由でバカにした人間を、ゆるすつもりは、ない。言っておくけど、ヘビメタ騒音の話をしたあとに、「そんなのは、関係がない」と言って、バカにしたやつのことな! そいつが、いま無職だったら、どんな理由で無職だとしても、ののしってやる。当然、定年退職も含むからな。あまえるんじゃない。あまえるな!!

あんなことやられたら、だれだって、通勤して働けない状態になるのに、「自分だった平気だ」と勝手に思って、きちがい的なことを言いやがる。俺が妄想をもっているんじゃなくて、おまえが妄想をもっているんだよ。おまえが、ヘビメタ騒音の効果について、現実的ではない考え方をもっていたから、俺のことをバカにしたんだよ。きちがいヘビメタに(当時)一三年間以上やられた俺を、おまえが、バカにしたんだよ。それは、経験と想像力が足りないだけなんだよ。バカだから、ヘビメタ騒音を損だけ長くやられたら、働けなるということが、理解できなかっただけなんだよ。バカだから……。バカだから……。想像力がないから!! 経験がないから!! 「俺だってつらい思いをした」……。通勤して働いているおまえがそういうことを言うな。

*     *     *

そのあとも、ぼくが、ヘビメタ騒音のことを説明したのに、「そんなのは関係がない」と言ったやつのことは、ゆるさない。「そんなのは、関係がない」「過去は関係がない」と言ったやつのことは、ゆるさない。だから、まあ、当時といっても、別の当時なのだけど……当時……俺より年上の人が、俺に対して、「そんなのは、関係がない」「過去は関係がない」と言ったことがあるとする。もちろん、俺がヘビメタ騒音の影響について説明したあとだ。こいつらが、ヘビメタ騒音の影響を過小評価して、働けると判断しただけなんだよ。こいつらだって、おなじことを経験したら、働けなくなるんだよ。ヘビメタではなくて、この世で一番嫌いな音であるなら、一〇〇%の人がそうなると断言できる。けど、そんなのは、照明ができない。こいつらが、勝手に「自分なら、おなじことがあっても、通勤して働ける」「そういうことがあったとして、働ける」と思っただけなのだ。こいつらは、マジョリティーだ。そりゃ、そうだろ。きちがい兄貴が、ほんとうに特殊なきちがい兄貴のなのだから。マジョリティーの家族は、絶対にそんなことをしないわけだからな。マジョリティーの家族は、絶対にそんなことを「つづけない」わけだからな。「つづく」というのが問題なんだよ。こいつら、騒音といえば、短時間の騒音を想定しているんだよな。こいつら、騒音といえば、せいぜい一年間ぐらいしか続かない騒音を想定しているんだよな。こいつら、自分がお兄さんに説得したら、やめさせることができる」と想定しているんだよな。こいつらは……。こいつらは……。ともかく、「騒音なんて関係がない」「そんなのは関係がない」「働いたほうがいい」と言ったやつらのことは、どれだけ時間が流れても、ゆるすつもりは、ない。まったく、ない。

「ヘビメタ騒音は、働かないことの理由にならない」「自分なら、そういうことがあっても、働ける」という判断があるんだよ。この判断が、まちがっている。そして、ぼくに対する侮辱だ。侮辱したつもりがない? ふざけんな!

しかたがない理由

  しかたがない理由で、無職だったのに、しかたがない理由だと「認めないやつら」がくそを言ってきて、ほんとうに、生きているのがつらかったよ!! つらかったよ!!!

虐待されていたのに、きちがい親父がかわいそうだと思っていた。

 俺は、当時、親父が「かかなしご」だったことが、かわいそうだったんだよ。(俺がきちがい親父から)虐待されていたのに、きちがい親父がかわいそうだと思っていた。

「よそのうち」で、一歳のときから虐待され続けたきちがい親父が、かわいそうだと思っている部分があった。

だから、親父とおかあさんと兄貴と俺であるときは、「(自分は)おかあさんから離れて歩いたほうがいいかな」などと思っていたのだ。

まあ、六歳ぐらいのときだ。

「六歳の子供に気を使わせてどうするんだよ」といまなら思うけど、「かかなしご」の親父が、ぼくをせめているような感じがしたのだ。「かかなしご」というのは、「母親なしご」のことだ。

ともかく、ちいさいころの親父には、母親がいなかったわけだよ。そして、ぼくのところには、母親がいる。だから、親父に気を使って、おかあさんとは、ちょっと離れて歩くようにしていたときがある。

まあ、家族で出かけるときというのは、非常に限られている。正月のあいさつのために、親戚のうちに行くようなときしか、家族で出かけるということはなかった。

きちがい親父は、あんまり家にいなかったわけだけど、家にいるときは、家にいるあいだじゅう、妻と子供に、あたりちらしていた。

ともかく、へんな理由で怒り狂うのである。つったらつったら、怒り狂う。

ひとつの理由で、怒り狂ったら、〇・一秒後には、別の理由で怒り狂っているような状態だ。そして、それが、きちがい親父にとって当たり前のことだった。そして、「やったってやってない」つもりのことだった。

このきちがい親父のきちがい的な態度というのは、きちがい兄貴のヘビメタに対する態度とおなじなんだよ。ちょっとでも「おさえられたら」発狂してやるくせに、やり終わったら、まったくやってないと思っているような状態になってしまう。

「やったってやってない」の境地なんだよ。

狂気の境地なんだよ。

認知・認識がおかしいんだよ。

けど、日常茶飯事だ。

そうじゃないときがないという状態で、きちがい親父ときちがい兄貴はそうなっている。自分がきちがい的な意地でやっていることなのに、「つもりがない」なんておかしいだろ。

けど、そうなんだよ。

だから、「やった」とせめられたら、真っ赤な顔をして、怒り狂うんだよ。その場合、親父は、否定語を絶叫するバージョンと、沈黙バージョンがあるのだけど、兄貴は沈黙バージョンだけだ。これ、頭の中で起こっていることは、否定語を絶叫するバージンも沈黙バージョンもおなじなのである。そういうレベルで、自分がやったことを認めない。

きちがい兄貴は、自分が(きちがい兄貴が)一秒もゆずらずに、全部自分が思った通りの音で鳴らしきるということにこだわっているんだよ。

だから、きちがい兄貴が満足しない音で鳴らすということはないんだよ。きちがい兄貴が最大限にゆずった音も、きちがい兄貴が満足できる音なんだよ。

だから、きちがい兄貴が最大限にゆずった音も、実は、きちがい兄貴の耳がおかしくなるぐらいの大音響だ。

けど、これが、また、きちがい親父とおなじで、「自分がゆずってやったら、全部ゆずってやった」と思っているところがある。

嘘なんだよ。ぜんぜんゆずってないのに、「ゆずってやった。ゆずってやった」と思っている。思っているだけ。きちがい兄貴がゆずったつもりで鳴らしている時間、こっちは、最大の音で鳴らされているときとおなじように、こまっているんだよ。

けど、きちがい兄貴は、きちがい親父とおなじだから、「相手がこまっている」ということは、きちがい的なレベルで認めない。きちがい的なレベルでわからない。

これ、まさしく、わからないのだ。

だから、どれだけ注意したっておなじなんだよ。

けど、そういうしくみが、また、よその人にはわからないから、よその人は「そんな音で鳴っているはずがない」と思ってしまうわけ。

そうなると、兄貴のほうがゆがんでいるのに、俺が嘘を言うゆがんだ性格の人間だと、その人たちは思うわけ。

もう、全部、こういうふうにできあがっているんだよ。

俺が嘘を言っていると思っている人たち態度というのは、ひどい……。ひどいものだ。俺が嘘だと知っていて、嘘を言っていると「思う」場合は、俺は(その人にとって)人格障害者になってしまうし、嘘を言っているのに嘘を言っているということに(俺が)気がついてないと、その人が思う場合は、俺が妄想系の精神病だと思うことになる。

こいつらは、まちがっているけど、こいつらはこいつらで、「そんな音で鳴らせるわけがない」「そんな音で鳴らしているのに、家族が注意しないのはおかしい」と思っているので、俺が説明しても、受け付けない状態?になっている。

俺の説明を受け入れない状態になっている。

けっきょく、徒党を組んで、俺からは見えないところで、俺の悪口を言うのだ。

まあ、どうして、徒党を組んで、俺から見えないところで悪口を言っているのに、俺が知っているかというと、教えてくれる人がいるから、知っている。「あの人たちが(エイリさんのことを)どう思っているのか」ということについて、教えてくれる人が、少数だけどいる。その教えてくれる人と、その人たちのやり取りで、その人たちが、どういうふうに(俺のことを)思っているのか、わかる。

きちがい兄貴の感覚やきちがい親父の感覚がおかしいから、俺がいろいろとうたがわれることになるのだ。

そして、きちがい親父がやったことはともかくとして、きちがい兄貴がやったことは、俺の能力や俺の体調にものすごい、影響をあたえるのである。

けど、これも、「自分なら平気だ」と思うやつが「過去は関係がない」とか「ヘビメタ騒音なんて、そんなのは関係がない」とかと言いやがるんだよ。

*     *     *

「そんなに、(お兄さんが子どものころ)怒り狂っていたのに、どうして、お兄さんのことを注意しないんだ? おかしいじゃないか」と言って、ぼくの話を信じなかった人もいる。

「そんなのはへんだ」と思って信じないやつがいるんだよなぁ。

こいつらのなかでは、俺が、嘘を言う人だということになっている。あるいは、こいつらのなかでは、嘘をついているつもりがなく、本気で言っているなら、(俺が)妄想的な人だということになっている。

けど、これがちがうんだなぁ。

親父が、規格外で、ほかの人のうちには、いない人だと、「そんな人、いない」とほかの人は思ってしまうところがある。

だいたい、約四割だな。

きちがい兄貴がやったことも、信じないのだ。俺が、大げさに言っていると思っている人がいるんだよなぁ。その人たちから見れば、異常なのは、兄貴ではなくて、俺なのだ。

そのひとたちのなかで、俺は、悪い意味で、嘘をつくような人だということになってしまう。

これ、一度そういうふうに思うと、俺の言動について、いちいち、まちがった解釈をしやがるのである。こいつらが、考えちがいをしているんだよ。

そして、それは、たとえば、きちがい兄貴のような家族に毎日騒音を鳴らされなかったということを意味しているんだよ。

だから、そいつらが「俺だって騒音ぐらいあった」と言っても、それは、レベルがちがう騒音について言っているだけなんだよ。

そいつらが「自分だって苦労した」と言ったって、俺の苦労について「誤解できるようなレベルの苦労」しかしてないんだよ。

俺の言っていることが、「嘘」だと思うなら、それは、現実世界で、俺とおなじようなことを「経験」してないということを意味しているんだよ。

ちがうじゃないか。ところが、「おなじレベルの苦労をした」と思っているんだよ! こいつらは!! こいつらは、無能でバカなうえに、経験がないので、考えちがいをしている。考えちがいをしているのは、こいつらなんだよ。俺は、嘘をついてないんだよ!!

無理もない。

 ”Not you but him”と書こうとして、「きみじゃない」と言われた相手が、傷つくかなと思っ、そくざに反応できなかったということがあった。で、けっきょく、ぼくは、すごいレイシストだと数人の人に思われたみたいなんだけど、レイシストだと思われたことじゃなくて、数人の人を傷つけたというのが、気になるんだよな。たとえば、いまさっき、アメリカの現在という感じの動画を見ていたんだけど、そのことを思い出した。アニメでもこういうことがありすぎて、あんまり、視たあとおもしろくないんだよな。あとは、ある人が短編小説を書いたんだけど、ぼくに感想を求めてきたわけ。でっ、「なかなかおもしろい」と書こうと思ったのだけど、「なかなか」という言葉をどういうふうに解釈するか気になったことがあるんだよ。あとは、ここには書けないいろいろなことがあって、感想を書くことができなかった。気にしすぎなんだよなぁ。”Not you but him”と書けばよかった。「なかなかおもしろい」と書けばよかったと思う。けど、このレベルで気にしてしまうのは、しかたがないことなんだよなぁ。気にしないで書いた場合だって、別の問題がしょうじるかもしれない。まあ、きちがい的な親にやられたことと、きちがい的な騒音にさらされ続けたことで、なんか、いろいろと、スムーズにいかない。きちがい親父が、きちがい的な理由で怒り狂っていたことが、相手の気持ちを気にすることの原因なんだよなぁ。そりゃ、あんなきちがい的な理由で、いつも怒り狂われていたら、傷つけないように、気を遣う。これ、みんなわかってないかもしれないけど、きちがい的な親というのは、ほんとうに、子どもがまわりにいるだけで、はげしく傷ついているのである。子どもがまわりにいなくたって、はげしく傷ついているのである。子供に対して……幼児に対して怒り狂っているとき、ほんとうに、自分が幼児に傷つけられたと思って、怒り狂っているのである。自分の怒りに対応した理由があると思っているのである。けど、子どもが、今にすわっていただけだったりするのだ。子どもが普通に歩いていただけだったりするのだ。けど、見かけたら、「傷ついて」怒り狂う。けど、そういう状態で、自分がおかしいとは、思わないんだよ。「だれだって、怒る!!だれだって、怒る!!」と発狂して、わめいていたからなぁ。自分が「なんでもない理由で」……普通の人なら絶対に怒らない理由で、発狂したということについては、なにも感じてないのだ。ほんとうに、こころがこわれている。精神がいかれている。いつも、「すったもんだ」だよ。きちがいが、きちがい的な理由で、三〇秒おきに、爆発するような状態だ。しかも、きちがいだから、そういうことをしたということについて、まったくなにも気にしないのである。「そんなの、あたりまえだ」と発狂した気持ちで、思っている。「自分はもっとやられた」「自分は、ぶん殴られた」と(幼児に対して)怒り狂っているのである。なにもわるいことをしていない幼児に、精神的におかしな理由をつけて、怒り狂っていたのが、うちの父親だ。 


2025年2月6日木曜日

矛盾

 きちがいヘビメタ騒音にたたられているときは、たたられているときの「気分」がある。「気分」と書いたけど、体全体の反応なのである。意識的で、意志的な脳みそが感じている部分は、一部分にすぎない。そして、ヘビメタ騒音にずっと、さらされ続けたので、副交感神経が優位にならず、疲れはてているのに、どうしても眠れないという状態も、体全体が引き起こしている状態なのである。意識的で、意志的な脳みそが、「眠れ」と命じても、その前の時間に、七時間なり、一三時間の間、自分がこの世で、一番嫌いな音に、さらされ続けたという……いまにいたる過去の状態があるのだから、いまにいたる過去の状態の影響をうけて、眠れないのである。いまにいたる過去の状態というのは、言ってみれば、走ることをやめたあとも、息があがっている状態とおなじなのである。走ることをやめたのだから、今は走ってない。いま、現在、止まっているのであれば、走ったということの影響をうけないということではないのだ。影響は受けている。さらに、こいつらは、継続が重要などということを言う。継続が重要だということは、その日、一日のなかでの過去の出来事だけではなくて、数年間という、継続的な出来事が、(現在の状態に)影響をあたえるということを、認めているのである。一日だけ、ポテチを食べただけでは、生活習慣病になれないのである。また、一回だけアルコールを、飲んだだけでは、慢性アルコール中毒にはなれないのである。アルコールの場合は、急性アルコール中毒というのがあり、時間的に近い過去の行為が影響をあたえているということができる。ようするに、「過去は関係がない」といっているやつも、実は、「昨日飲みすぎたから、体調が悪い」とか「ずっと、長時間通勤をしてきたから、たいちょうがわるい」とかと言っていることからわかるように、過去の出来事が、現在の状態に影響をあたえるということは認めているのである。ところが、弱った他人を見かけると、自分は、影響をうけないという前提で、「過去は関係がない」と言い出すやつらがいる。精神世界の人たちは、特にその傾向が強い。どうして、精神世界の人たちが、過去のことを無視することを言うかというと、「いまここ」とか「いま、現在に集中すればいい」というようなことが言われているからなのである。ところが、彼らが、そういうことを言うことに関しても、過去のある時点で、そういう考えについて述べられた本を読んだとか、そういう考えをもっている人の話を聞いたということが、重要なのである。ようするに、過去の出来事の影響をうけている。「の」の二重表現は指摘しなくてもいい。

こまっている他人を見かければ……「自分は、そのことについてはこまってない」と、横柄な気持になり、こまっている他人の状態を全否定するようなことを言うのである。こまっている他人の状態というのは、じつは、こまっている他人の条件と言い換えることもできる。体の状態だって、過去の出来事の影響をうけている。生活習慣病になった人は、過去の生活において、何回も繰り返したことの影響を、受けているのである。生活習慣病は認めるけど、「過去は関係がない」「過去の出来事は現在の状態に影響をあたえない」と考えるということ自体が、おろかなことなのだ。けど、普通に、そのおろかなことをやって、本人が気つがかない。


ああ言えばこう言うタイプの人は、走ったあと、止まっていても、息があがるということについて、「そりゃ、そうだけど、それは、短い時間の話でしょ」と言うかもしれない。けど、毎日、繰り返しやってきたこと、あるいは、毎日繰り返しられたことは、影響をあたえる。あたえないと考えている場合は、影響が小さなことについて考えているのだと思う。毎日、繰り返しやってきたことが、今現在に影響をあたえないわけがないだろ。実際に、精神世界の人は、「毎日の繰り返しが重要」と言っている。さらに、言霊主義者なら「口癖が重要」と言うことになる。「毎日の口癖が人生を作る」などという。たいていの精神世界人は、「毎日の口癖が人生を作る」と言われたときは、「その通りだ」とひざを打って思うのである。ところが、「過去は関係がない」と言ってしまう。「過去は現在に影響をあたえない」と言ってしまう。矛盾していることに、気がついてない。自分にとって不都合なことは、「いまここ」と考えて否定して、自分にとって都合がいいことは「口癖が重要」と言って、完全に肯定してしまう。「自分にとって都合がいい」ということ「自分にとって都合が悪い」ということがメタ認知となって、判断に影響をあたえるのだ。ようするに、ほぼ無意識的な前提として、「自分にとって不都合かどうか」ということが、全体の認知に影響をあたえているのである。言っておくけど、「ほぼ無意識的な前提」の「無意識」というのは、強迫性障害を引き起こすような無意識とは、まったく関係がない。種類がちがう。

口癖が人生を作るのであれば、もちろん、過去において、自分が(口癖として)言ってきたことが、人生に影響をあたえるということなのである。だから、「過去は関係がない」「過去は現在に影響をあたえない」ということにはならない。ところで、口癖については、依然述べたように、これまた、問題がある考え方なのである。口癖が人生を作るのだから、口癖を無理やり変えれば、口癖通りの人生になるという考え方が横たわっているのだけど、この考え方は、完全にまちがいだ。これまた、条件を無視した考え方なのである。ずっと続いている条件というのはある。もちろん、時間がちがえば、ちがうということも言える。つまり、おなじ川にのどはいることはできないのだ。けど、生活の中で、だいたいおなじことというのはある。きちがい的な親は、頻繁にきちがい的な理由で怒り狂うのである。正常な親は、頻繁に、きちがい的な理由では、怒り狂うことがないのである。傾向というのがある。きちがい的な親がいるうちに生まれたら、きちがい的な親と一緒に住むことになるので、きちがい的な親が頻繁にすることの影響をうけることになる。けど、これだって、精神世界の人は「過去は関係がない」「過去は現在に影響をあたえない」と言って、くそくだらないアドバイスをしてしまうのだ。これは、精神世界の人本人にとって都合が悪いことではないけど、対象となる人にとって都合が悪いことだ。ともかく、精神世界の人にとっては、相手の条件は無視できることなのである。相手の条件を無視することで、本人は、こまらないのである。だから、勝手に無視するのである。

*     *     *

なんで、ヘビメタ騒音の影響だけ「そんなの関係、ない」ということになってしまんだよ。負の影響をうけるに決まっているだろ。食生活だって影響をあたえる。何年間も、体に悪いものを食べていたら、影響が出るだろ。何年間も食べすぎなら、影響が出るだろ。何年間も、不適切なほど食べてなかったら、影響が出るだろ。それとおなじなんだよ。

それを、勝手に無視するな。おまえらには……その人たちには、きちがい家族がいなかった。きちがい家族が、きちがい的な意地で、ものすごくでかい音で、あなたたち?が、この世で一番きらいな音を、ずっと毎日、鳴らさなかった。だから、きちがい家族による騒音の影響がないだけだろ。これは、うけたけど、影響がないのとはちがうんだよ。うけてないから、影響がないだけだ。実際に、自分のきらいな音が、でかい音でずっと何時間も鳴っている毎日が、何年間も十数年間も続かなかったから、影響をうけてないだけだ。実際に、おなじことをされたのに、影響をけてないわけではない。ところが、「自分だって騒音ぐらいあった」と言えば、騒音の質と騒音のでかさと、騒音の持続時間と、騒音の持続期間を、無視できる。無視してもいいという気持になってしまう。おなじ質の、おなじ量の騒音をにさらされたわけではないのに、「そんなの関係がない」「俺だって騒音ぐらいあった」と言う。「受け止め方の問題だ」とあたかも、俺に非があるような言い方をする。きちがい兄貴に非があるのに、俺に非があるような言い方をする。しかも、そういうことをしておいて、いい助言をしたつもりなのである。こいつら、ほんとうにゆるせない。こういうことになるから、きちがい兄貴に、何度も何度も、何万回も何毎回も、ずっとずっと、「鳴らさないでくれ」「しずかにしてくれ」「こまるからやめてくれ」と言ってきたのに、きちがいがきちがい感覚で乗り越えて、きちがいが好きなように行動してしまう。きちがい家族と一緒にすんだことがない人は、実際に、きちがい家族がどういう感覚で鳴らしているかわからないから、俺の話に疑問をもつ。それが、また、「たいした音じゃないのだろう」とか「ほんとうは鳴ってなかったんじゃないか」というような思いに影響をあたえる。きちがい兄貴のきちがい感覚が、出所なんだよ。俺のほうの問題じゃないんだよ。ところが、こいつらは、みんな、よってたかって、俺のせいにする。

2025年2月4日火曜日

妄想的な前提があるということに、気がついていない。

 ここにずっと書いてきたけど……そして、ものすごく「うけ」が悪いわけだけど……世の中ではやっている考え方というのは、特殊な条件をもつ人を死に追いやるような考え方なのである。そのうちのひとつが、「言霊」だ。もう、ほんとうに、いっぱい、いっぱい、あるんだよなぁ。「言霊」理論は、理論として破綻している。理論としてまちがっているのである。そして、理論としてまちがっていることは、証明できるし、検証することができることなのである。けど、「言霊(理論)は正しい」と思っている人は、言ってみれば「ばかなので」わからない。これ、本人が、矛盾したことを言っているということがわかってないのである。ほんとうは、日常生活で、「言霊理論にしたがって」行動しているわけではないのである。日常生活においては、現実的な「物理理論にしたがって」行動をしているのである。けど、本人の認識力が弱いか、あるいは、おなじことなのだけど……幼児的万能感によって(認識が)阻害されて、矛盾に気がつかないことになっているのである。

おなじことが、「思いは現実化する」という思霊理論にも成り立っている。

そして、いちおう、精神世界系のこととは区別できる「努力論」なのだけど、これも、妄想的な前提があるのだ。そのことについては、以前、ここに書いた。妄想的な前提なのだけど、「努力をすれば成功する」と思っている人は、妄想的な前提があるということに、気がついていない。 

とてつもなく、やっかいだ。どうしてかというと、ヘビメタ騒音が鳴っていなければ、きちがい親父に虐待された幼児期以降も、対応できていたからだ。これらの妄想的な考え方に対応できた。「言霊理論」「思霊理論」「努力論」をふりまわす人がいたとしても、「そうですね」と対応すれば、それですんだ。きちがい兄貴のヘビメタ騒音で「そうですね」とは言えない状態になったのだ。やり過ごすことができない状態になったのだ。そして、ほんとうに、きちがい兄貴のきちがい騒音で、「できなくなった」のだ。これが、真実だ。これも、ほかの人は、きちがい騒音がどれだけうるさくても、できなくなるということはない」という、経験に基づかない理論をふりまわすわけだ。これ、こまるんだよな。ほんとうは、自分だって、自分がこの世で一番きらいな音を、あの頻度で、あの長さで、あの期間の長さ、聞かされ続ければ、「できなくなる」のに、それがわからない。これだって、経験的にわかってないのだけど、この世で生きていれば、だれだって、困難にぶつかったりするので、「自分だって困難があった」と言える状態ではあるのだ。だから、なかば、腹をたててそのように言う。これ、相手は相手で、自分が真実だと信じていることについて批判されたので、腹をたてているのである。ぼくの経験の範囲で言えば、一〇〇%の人が、なかば、腹をたてた状態になる。なかば、腹をたてた状態で言う。

彼らにとっては、自分が信じている「真実」なので、ゆずるわけにはいかないという気持になるのだろう。「正しいものは正しい」と、なかば、おこった気持ちになるのだろう。

不可避的に、対立するようになる。彼らとぼくは、不可避的に対立するようになるのである。きちがい家族によるきちがい騒音を一一歳から経験したことがあるぼくと、きちがい家族によるきちがい騒音を一一歳から経験したことがない彼らのあいだに、対立がしょうじるのである。もちろん、きちがい兄貴は、そんなことは、知らないで、鳴らしていた。説明すればわかるのかというと、わからない。そりゃ、無意識的なレベルで、感覚器を書き換えて、しずかな音で鳴らしているつもりで鳴らしているのだから、どれだけ言ったって、わからない。そういうレベルでわからない仕組みが一つあるのだから、どれだけ(わかるように)説明したって、わからないのである。説明されてわかってしまったら、自分が鳴らしたい音で鳴らせなくなってしまのだ。それだけは、きちがい的なレベルで、阻止しなければならないことなのだ。だから、無意識も意識も、全力で否定する。全力で、拒否する。

こういう構造が、きちがい兄貴の側に成り立っているのに、よその人は、こういう構造が、きちがい兄貴の側に成り立っているということが、わかってないので、「自分なら、お兄さんを説得できる」という前提で、俺にむりなことを言うのである。これだって、本人は「無理なことを言っている」とは思ってないわけだし、経験がないのだから、俺がどれだけ説明をしても、認めないということになる。

普通の人は、普通の人だから、普通の人の認知がある。そして、きちがい兄貴の『感覚と行動」は、普通の人における認知の……範囲内にはない『感覚と行動」なのである。「の」の重複は指摘しなくてもいい。

ヘビメタ騒音の効果は、ものすごくある

 ヘビメタ騒音の効果は、ものすごくある。そのうちのひとつが、ぼくがほかの人からバカにされるようになるという効果だ。これがひどいのである。そもそも、ほかの人は、きちがい家族による、しつこいしつこいしつこい、病的な騒音を経験したことがない。ないから、ない。ないから、わからない。ないから、実際に「被害を受ける」ということがない。経験がない。そりゃ、だれだって、騒音の経験はあるけど、その騒音の経験は、一般的な騒音の経験で、特殊な……特殊すぎる……家族による……騒音じゃないのである。これ、きちがいだから、「いきすぎ」というのが、わからない。きちがいだから「やりすぎ」というのが、わからない。きちがいだから、「家で鳴らすには、でかすぎる音で鳴らしている」ということが、ほんとうに、ほんとうに、ほんとうに、わからない。これ、芝居をしているわけではないのである。わからない芝居」をしているわけではないのである。これ、きちがいだから、無意識的なレベルで書き換えることができる。きちがい親父の「におわないよ!!におわないよ!!」とおなじなのだ。感覚器を書き換えてしまう。自分が都合がいいように、感覚器を書き換えてしまう。しかも、感覚器を書き換えたつもりがない。ほんとうにまったくない。耳が正常だと、音のでかさがわかってしまう。耳が正常なので……ほんとうは、家では鳴らしてはいけない音だ……というのが、きちがい兄貴本人にもわかる。わからるからこそ、書き換える。どうしてかというと、「家では鳴らしてはいけない音」で鳴らしたいからだ。どうしても、「家では鳴らしてはいけないでかい音」で鳴らしたいので、「家で鳴らしていい普通の音だ」ということに、してしまうのである。この命令が絶対的で、本人が気がつかないことだから、ずっとほんとうに、「家で鳴らして いい音だ」と思って鳴らしているのである。それから、きちがい兄貴タイプのきちがいに共通することなのだけど、限度というものをほんとうに知らないのである。ヘビメタを鳴らしたいということになると、ほんとうにずっとずっとずっと、鳴らせる限り鳴らしてしまうのである。しかも、いま、さっき、説明したように、自分が鳴らしたい音で鳴らすというのが、至上命令だから、どんなときも、絶対にゆずらずに、自分が鳴らしたい音で鳴らすのである。自分が鳴らしたい音ではない音で鳴らすというのは、きちがい兄貴にとって、発狂するほど頭にくることなので……殺人をするほど頭にくることなので。絶対に、一秒間だろうが、自分が満足できない音で鳴らすということをしない。つまり、普通の音で鳴らすということをしないのだ。そうすると、ぼくの生活が破壊され、ぼくの精神が破壊されることになる。ところが、よその人たちが、「自分だったら平気だ」という前提で「そんなのは自己責任」と言ってくることが、発生する。

不可避的に、だめになるのだけど……どれだけがんばってもがんばっても、だめになるのだけど、ほかの人には、だめになるということが、まったくわからないので、俺に文句を言ってくるということになるのである。そのうち、「たしかにぼくが、その人に迷惑をかけた」という場合は、相手の気持ちがわかるので、ものすごく「悪いことをしたなぁ」という気分になるのである。けど、鳴っているから、改善するのがむりなのである。これも、「改善するのが無理」という部分を相手が認めなかったら、「なにいってんだ」と相手が思うことになる。で、その気持ちもわかるのだ。けど、無理なものはむりなのだ。

あの音で、一日中鳴っているのに、影響をうけないで普通に暮らすということは……これまた……絶対無理なことなのだ。どれだけ俺が、この、板挟みになって、不愉快な思いをしてきたか。そして、精神が破壊されると書いたけど、 「意欲がなくなる」とか「楽しめなくなる」というような意識的な対処では、対処できない問題が、いろいろとしょうじるようになるのである。これもまた、「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」と普通に思っている人には、わからないことだ。どうしてわからないかと言えば、経験がないからだ。その人が、「俺だって騒音ぐらいあった」とか「俺だって苦労した」とか「俺だって困難があった」と言ったって、それは、……「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」……ような騒音であり、苦労であり、困難なのだ。「楽しい楽しいと言ったって、楽しくならない」状態をずっとずっとずっと、毎日毎日毎日、経験した人が、「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」なんていうと思うか? 「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」と言えるぐらいの、精神状態ですごしているわけだろ。「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」と言えるぐらいの、精神状態ですごしてきたわけだろ。だから、「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」というのは正しいとこころから思えるわけだろ。あるいは、気楽に思えるわけだろ。だから、ほかの人に「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」と助言しても問題はないと思っているレベルなんだろ。「楽しい楽しいと言えば楽しくなる」と助言をしても問題がないと思っている人は、たいした困難を経験してないのである。ずっとやられ続けると、「楽しい楽しいと言っても楽しくならない」状態になるということが、わかってないだけなのである。「俺だってやられた」「俺だって、いじめられた」と言うかもしれないけど、わかってない時点で、たいした困難じゃないんだよ。一定のレベルというのがあって、一定のレベルを超えてやられ続けると、精神を病む。「楽しい」と感じられなくなる。基本的には、これは、能力じゃない。そして、能力だというのであれば、ぼくは、ヘビメタ騒音が鳴るまえは、きちがい親父に虐待されても、「楽しい」と感じる精神をもっていたのである。持続的に持っていたのである。ヘビメタ騒音なんだよ。きちがい兄貴によるヘビメタ騒音連続が問題なんだよ。うちの兄貴が、しつこく鳴らしたレベルでの騒音を経験してない人は、わかったようなことを、俺に言うな!!!

2025年2月2日日曜日

こっちの感じとしては不意打ちみたいな感じなんだよ

 ほんとうにヘビメタ騒音で、こっちが、相手に迷惑をかけてしまうことがしょうじる。これも、どれだけ気をつけていても、避けようがないのだ。きちがいヘビメタ騒音が続いていて、前の日、二時間ぐらいしか眠れないと、どうしても、どうしても、不注意になるときがあり、問題がしょうじる。放送委員会のときもそうだ。あれは、斎藤君に、迷惑をかけたと思う。すまん。どーーしても、ヘビメタ騒音で「へんなちょうし」になる。これが、へんな調子とか、不注意とかというような表現になるのだけど、対処できないことがある。迷惑をかけてしまうときがある。どーーしても、ヘビメタ騒音でしょうじる。ずっと、帰ってから鳴っているというのが、いろいろな意味で、精神を乱してしまうのだ。けど、ほかの人……迷惑をかけられる人にとってみれば、そんなことは関係がないことなんだよ。だから、きちがい兄貴が、ほんとうはでかい音で鳴らしているのに、普通の音で鳴らしていると思って、きちがい的な音を鳴らし続けると、いろいろな人間関係がダメになる。きちがい兄貴は、もちろん、自分がでかい音で鳴らしたいから、よそのうちでは絶対になってないようなでかい音で鳴らすだけなんだけど、その影響をうけてしまう。学校にいるときに、どうしても、ヘビメタ騒音の影響が出てしまう。そりゃ、ぼくから迷惑をかけられて、腹をたてている人にとっては、どうでもいいことだ。けど、ほんとうに、どーーしても、毎日ずっとやられていると、そうなってしまうのである。なんか、ミスに対して無防備になってしまうのだ。ヘビメタ騒音……自分がこの世で一番嫌いな音を、毎日毎日、あびせられていると、そうなる。どれだけそうならないようにしようと思っていても、そうなってしまうんだよな。こっちの感じとしては不意打ちみたいな感じなんだよ。ヘビメタ騒音で、ヘビメタ騒音中にものすごい気分になっているわけだし、ヘビメタ騒音が鳴り終わってからも、六時間ぐらいは眠れないから、こまるんだよ。どうしても、日中、無防備になってしまう時間がある。というか、はりつめて、なんとかやっているような状態なんだよ。眠たいのに、がまんして、はりつめてやっている状態なんだよ。ともかく、斎藤君には迷惑をかけた。ヘビメタ騒音が鳴っていなければ、普通に、放送機器の使い方を覚えて、普通にやっていたと思うんだよな。ともかく、日中つらかった。日中、気が抜ける状態になるときがあって、そのときは、ミスをした。そうすると、かかわっている人たちが迷惑をこうむるということになる。だから、そういう日は、帰ったあと、きちがい兄貴に、「鳴らすな」と、どなりこんで言うわけだけど、きちがいがきちがいの感覚で無視して鳴らす。俺が家のドアを開けるまえから、きちがい騒音が、最大限のボリュームで鳴っている。もう、空間自体が異常。普通の思考力がない状態なんだよな。パニック。それがずっと続くわけだから、やっぱり、日中……どれだけ気をつけていても、気が抜ける状態になるときがある。日中は、学校にいるわけだからヘビメタが鳴っているわけではない。けど、当時、もう、数百日はつもっていたのだから、くるしいんだよ。そして、斎藤君に迷惑をかけるまえの日も、がんがん鳴っていたので、くるしかったんだよ。前日に鳴っていたし、前日の数百日まえも鳴っていた。ともかく、つもってくるしい。一日のなかで、鳴っていない時間も、つらい。

毎日さらされて、不可避的にできなくなるということがわかっているこっち……の気分を害している

 きちがい兄貴が、どれだけ(こっちが)言っても、きちがい的な頻度で、きちがい的な時間の長さ、きちがい的な感覚で、きちがい騒音を鳴らし続けるので、俺が、ほかのやつらから、不可避的に誤解をされるのである。きちがいのことがわかってないやつらが、「エイリがちゃんと(お兄さんに)言わないのが悪い」と誤解する。しかも、こいつらは、実際にきちがい家族の騒音にやられたことがないから、きちがい家族の騒音についても、誤解をしているのである。実際にやられたら、こいつらだって、勉強することができなくなり、宿題を忘れることになるし、眠れなくなって遅刻することになる。それが、わからない。実際に、きちがい家族がいて、きちがい家族がきちがい感覚で鳴らしてしまう騒音に、ずっと毎日、さらされたことがないから、どれだけその騒音が「一日に」影響をあたえるかわからない。実際に、きちがい家族がいて、きちがい家族がきちがい感覚で鳴らしてしまう騒音に、ずっと毎日、さらされたことがないから、どれだけその騒音が「次の日に」影響をあたえるかわからない。わからないんだよね。そいつのうちには、きちがい家族がいないから、わからない。そいつのうちには、騒音タイプのきちがい家族がいて、実際に騒音タイプのきちがい家族が、きちがい的な騒音を、きちがい的なこだわりで鳴らしまくるということがないので、わからない。経験したことがないので、どれだけ、体(からだ)にひびくかわからない。経験したことがないので、どれだけ、こころに影響をあたえるかわからない。実際に、自分が毎日毎日、ずっとずっと、何年間も十数年間も、経験したことがないので、影響のでかさがわからない。影響のでかさがわからないから「そんなの関係、ない」と言う。影響のでかさがわからないから「そんなの影響、ない」と言う。影響のでかさがわからないから「過去は関係がない」と言う。そうやって、事情を知っているこっち……毎日さらされて、不可避的にできなくなるということがわかっているこっち……の気分を害していることに、気がつかない。これも、きちがい兄貴とおなじで、言ったって理解しないのである。くそ凡人の理解力は高くないので、理解しない。くそ凡人が、普通に……ごく普通に……侮辱してくる。それが毎日のことになる。きちがいヘビメタ騒音で、成績が悪くなり、できないことが増えると、くそ凡人の俺に対する態度が悪くなるのである。

きちがい兄貴が、毎日「俺がつぶれるようなこと」をしているのに、それに気がつかないのである。きちがい兄貴が気がつかない。そして、ほかの人も気がつかない。ほかの人は、きちがいヘビメタ騒音を鳴らして、ぼくに迷惑をかけているわけではない。それは、わかる。けど、ほかの人は、無理解ぶりを発揮して、ぼくが、ものすごく腹がたつことを言うのである。普通に言うのである。不可避的にできなくなるということがわかってない。きちがい兄貴のやり方が特殊だということがわかってない。普通の人は、あんなことはやらない。やろうと思ったって、できない。ところが、きちがい兄貴は、「すべての時間、自分が思った通りに鳴らすのに、すべての時間、自分が逸脱行為をしている気持ちがない」のである。きちがい兄貴にとって、普通の時間なのである。やっていいことをやっている時間のつもりなのである。これ、ほんとうは、一分だって、やっちゃいけないことなんだよ。

ともかく、普通の人は、自分が実際に経験したことがないので、不可避的にできなくなる」と言う部分がまったくわかってない。実際に、自分の人生のなかで、経験したことがないことなのだ。そりゃ、普通の人のまわりには、きちがい家族がいない。うちのきちがい兄貴とおなじタイプのきちがい兄貴がいない。そうなると、ほんとうに、自分は経験したことがないのである。けど、 うちのきちがい兄貴とおなじタイプのきちがい兄貴がいなくても、騒音ぐらいは、経験したことがある。だから、「自分だって騒音ぐらいあった」「自分だって、騒音ぐらい、経験した」ということを言うのである。けど、その騒音というのは、うちのきちがい兄貴とおなじタイプのきちがい家族による騒音ではないのである。だから、まったくの別物なのである。けど、普通の人は、騒音と、きちがい家族による騒音の区別がつかないので、まったく別物だとは認識しないのである。おなじものだと認識しているのである。あるいは、似たようなものだと認識しているのである。おなじようなものだ、あるいは、似たようなものだと思っている以上、自分が言っていることがまちがっているということに気がつかない。こいつら、猿並みの知能で、決めつけをして、俺をばかにしてくる。きちがいヘビメタが鳴っているから、そうなる。ほんとうに、きちがい兄貴のやり方が、普通じゃないのである。だから、普通の人は、わからない。普通の人は、信じない。普通の人にどれだけ俺が説明しても、普通の人は、普通の騒音が鳴っているのと変わらないと思って、俺の説明を聞くのだから、ズレがある。けど、ズレがあったとしても、それは、普通の人たちにとっては、関係がないことなのである。一生涯、きちがい兄貴タイプのきちがい家族による騒音を経験したことがないので、あるいは、経験することがないので、ちがいは、一生涯、わからないのである。一生涯、きちがい兄貴タイプのきちがい家族による騒音と、普通の騒音の区別がつかないまま、暮らすのである。だから、俺が言っていることを、一生涯理解しないのである。実際に自分が経験してないので、当然、きちがい兄貴タイプのきちがい家族による騒音が自分の人生に影響をあたえることがないのである。自分の人生に(多少の)影響をあたえたのは、普通の騒音なのである。きちがい兄貴の騒音は、普通の騒音とは、ぜんぜんちがうのである。ところが、普通の人は、俺が、フォークギターぐらいの騒音、三味線ぐらいの騒音で、がたがた、言っていると思っているのである。「できなくなる」と言っていると思っているのである。「できなくなる」と言っているのは俺で、できなくなるわけがないのに、できなくなると(俺が)言い訳をしていると思っているのが、普通の人だ。

2025年2月1日土曜日

他人は、理解しない。これ、もう、判で押したように理解しない

いやー。たとえば、自分が、相手に好意を持っていて、話したいことがあり、そのことについて話そうとしたら、相手が、そっけない反応をした場合、腹がたつという気持はわからないではない。けど、俺は、プログラムのことについてはともかく、プログラマー・SE業界のことなんて知らないよ。『●●●●●●●●●●●』は買ったことがあるし、『●●●●●●●●●●●●●●●●』はおもしろなと思ったけど、業界のことなんか話されたって、わかるわけがないだろ。そして、たとえば、ぼくは、何度も何度も、メーリングリストのメールに、「ヘビメタ騒音で働けなくなった」と書いたことがあるんだぞ。読んでないほうがおかしい。Hさんは、『あいからはじまるローマ字入力』のサイトを、ウエブサイトではなくて、プログラムだと思っていたふしがあるし、ぼくが、実際にプログラムを書いたところもある。ようするに、わりとめんどうな思い込みが、Hさん側にあり、職業的なプログラマーではないということを、伝えにくかった。そして、当時、『あいからはじまるローマ字入力』を作ってみたものの、販売スタンドがなく、どうやって売ろうか迷っていた時期なのである。なので、売るつもりで作ったけど、この時点で、例えば販売実績がないのだから、プロではなかったのである。そして、わざわざ、相手(Hさん)の間違いを指摘するのは、気がひけるし、わざわざ、自分が無職であると上書きするのがいやだったのである。ともかく、「せっかく、業界のことについて話そう思っていたのに、そうですかとそっけない返事を食らって、あたまにきた」という気持はわかるけど、「(職業的に)なにをしていたのか」ということについて話したくないんだよ。おまえが、勝手に勘違いをしただけだろ。俺が、プロのプログラマーをやっていたことがあるとうそをついたわけじゃなくて、プロのプログラマーだと思った人(Hさん)の誤認を訂正しなかっただけなんだよ。俺が言ったわけじゃないんだよ。訂正する義務はないんだぞ。間違いを指摘するのは、かどがたつし、わざわさ訂正するために、その当時も無職であるということを、書くのは、いやだったのである。

ともかく、こんなことは、きちがい兄貴が、きちがい的な感覚で、ずっとずっと毎日毎日、『よそのうちでは絶対にありえない音』でヘビメタを鳴らさなければなかったことなんだよ。きちがい兄貴に成り立っている、きちがい感覚なんて、ほかの人に言ったって、わかるわけがないだろ。それは、きちがい兄貴だって、『親父のハンダゴテ事件』で経験しているはずだ。兄貴にわかるように、わざわざ、俺と親父の間にあった事件ではなくて、兄貴と親父の間にあった事件を説明しているんだよ。兄貴は、親父の態度で、非常にいやな思いをしたんだよ。おやじの感覚をほかの人に説明しても、ほかの人が理解してくれないということを、経験したんだよ。俺は、親父にもやられているけど、きちがい兄貴も、やられている。きちがい兄貴のほうが、回数は多いのである。うちのなかの人の『きちがい感覚』がほかの人には、わからないのである。ちゃんと説明したって、つたわらないのである。きちがい家族がもたらすことというのは、きちがい家族がもたらことだけで、終わるわけじゃないのである。他人が理解しないということがついてまわるのである。きちがい兄貴はきちがい親父と同様の頭をもつ人間なので、どれだけ言ったってわからないと思うけど、いちおう書いておく。きちがい兄貴のヘビメタ騒音は、きちがい親父のハンダゴテとおなじなんだよ。きちがいヘビメタ騒音事件は、きちがいハンダゴテ事件とおなじなんだよ。おなじ構造が成り立っているんだよ。他人は、理解しない。これ、もう、判で押したように理解しない。そうすると、きちがい家族にやられた人間が、よその人からも、やられるようになるのである。きらわれ、だらしない人間だと思われ、説明力がない人間だと思われるのである。よその人は、誤解をしているのだけど、きちがい家族側の人間があまりにも、へんなので、よその人は、自分が誤解をしているとは思わないのである。そして、実際に、きちがい家族にやられたことがないので、影響のでかさがわからない。きちがい家族にやられるということは、たまたまあった人にやられるのとはちがうんだよ。ともかく、きちがい家族と一緒にすんだことがない人は、きちがい家族の影響について、かならず、誤解をするのである。きちがい家族と一緒に住んだことがない人は、きちがい家族の行動について、かならず、誤解をするのである。しかも、訂正されることがないのである。ほんとうに、それこそ、一生涯、自分が(それについて)誤解をしたとは思わないで、暮らすことになる。ようするに、誤解をしたとは思ってない状態で生きて、死ぬ。その場合、その人にとっては、きちがい家族がへんな人ではなくて、きちがい家族にやられた人が、へんな人だということになってしまう。「ちゃんと説明をすれば(お兄さんやお父さんは)わかってくれるのに、(エイリの)説明がへたくそだから、家族の人(お兄さんやお父さんは)がわかってくれなかった」という解釈のままなんだよ。「ちゃんと説明をすればわかってくれる」という前提がまちがっているのに、一生涯、その前提のまちがい気がつくことがない。そして、その人……きちがい家族について誤解をする人にとってみれば、そんなことはどうでもいいことなのである。きちがい家族にやられた人は、一生涯、誤解されたままだ。

ぜーーんぜん、ちがうんだよ。ぜーーんぜん、ちがうの。

 ともかく、ヘビメタ騒音で働けない状態になったのだけど、ヘビメタ騒音で働けない状態になるということについて、無理解な人……ヘビメタ騒音が鳴ってたって働けるだろうと思うようなバカなやつ……には、ヘビメタ騒音で働けなくなったということを言っても、認めないのである。働けなくなるということを認めない。「働けるんじゃないか」と思っているわけ。ぜーーんぜん、ちがうんだよ。ぜーーんぜん、ちがうの。六年以上、あの状態が、毎日続いたら、だれだって働けなくなるんだよ。必然的に働けなくなるんだよ。それが、わからない。俺は、ちゃんと説明したぞ。おまえら(くそ凡人)の理解力がないから、わからないだけだろ。おまえら(くそ凡人)の想像力がないからわからないだけだろ。おまえら(くそ凡人)がバカだから、「自分だったら、働ける」「自分だったら、騒音の影響をうけない」と思っただけだろ。ちがうんだよ。おまえら(くそ凡人)がバカだから「そんなのたいした、こと、ない」「自分だって騒音ぐらいあった」と思っただけだろ。ちがうんだよ!!! ちがうんだよ!!! おまえら、ほんとうにゆるさない。ゆるさんぞ!!!!

バカなのか、経験がないからなのかは、よくわからないけど、あるいは両方なのかもしれないけど、ともかく、働けなくなる。普通に生活できなくなる。仕事なんて無理な状態になる。それがわかってないだけの話なんだよ。えらそうにするな。

 

きちがい兄貴が、普通の人間が考えられないことをするから……俺が誤解をされる。普通の人間から誤解をされる。これ、ほんとうに、どれだけの溝があるか……。

あの頻度

 これ、ほんとうに、きちがいヘビメタで働けなくなったのに、俺が、きちがいヘビメタで働けなくなったということを、認めないやつらがいたんだよなぁ。まあ、当時は、働くと言えば、通勤して働かなければならなかったので、通勤して働けなくなるという意味だ。けど、これ、みんな、だれだって、小学六年生のころから、高校3年生まで、ずっと毎日、同じ量の騒音にさらされたら、働けなくなるのに、それがわかってないんだよな。どれだけの意地で、俺が、小学六年生から、高校三年生まで、通学してきたか、わかってないなぁ。わかってない。働けなくなる必然性が、わかってない。おまえらだって、みんなみんな、自分のきらいな音があのレベルで、あの頻度で鳴っていたら、睡眠回路を破壊されて、働けなくなる。通勤通学できなくなる。みんな、できなくなる。

そして、たとえば、働けないとか、働いていないということは、言いにくいことなんだよな。これも、きちがいヘビメタみたいな「ほかの人が理解できない理由で」働けなくなった人じゃないとわからないんだよな。まあ、ほかの人が理解できる理由で働けなくなった人も、自分が無職だとは、言いにくいだろう。


想像力がないから、想像できないんでしょ

 たまたま、きちがい家族にたたられなかったから、普通の生活を維持できているだけなのに、くそえらそうなことを言ってくるやつが、おおすぎーー。おおすぎーー。おおすぎーー。たまたま、うちのきちがい親父や、うちのきちがい兄貴がないうちに、生まれてきたから、普通に暮らせるだけなのに、えらそうなんだよ! くそ害虫!! くそ害虫!!

ほんとうに、きちがい兄貴がきちがいでなかったら、普通に、迷惑だということを理解して、普通に、やめてくれたら、こんなことになってない。きちがい兄貴が気ちがい兄貴ではなく、きちがいヘビメタ騒音を鳴らさなかったら、くそ害虫に、えらそうなことを言われることもかなかった。

これ、ぼくの人生のなかで、重要なことだから……。くそ害虫が、これたま、「重要なことではない」と思って、そういうことを言うんだよ。ほんとうに、くそ害虫だな。 

きちがい兄貴が原因なのだけど、くそ害虫の数がおおすぎる。くそ害虫の数がおおすぎる。みんな、ほんとうに、きちがい兄貴の行為を、誤解する。きちがい兄貴の行為の結果を誤解酢をる。きちがいヘビメタ騒音の影響のでかさを、誤解する。経験がないから、誤解をしているというところもあるかとは思うけど、バカだから、誤解をしているというところもあると思うなぁーー。ちょっとは、想像力を働かせて、影響のでかさについて考えてみろ。まあ、バカだから、わからないとは思うけど。想像力がないから、想像できないんでしょ。

きちがい兄貴がきちがいだから、バカにバカにされる。ほんとうに、バカにバカにされる人生だった。

はりつめた気持ちでやろうと思っても、鳴っていなかったときのようには、できなくなる

 きちがい兄貴のしくみというのは、俺にしかわからないんだよ。身近で見てきた俺にしかわからない。

きちがい兄貴自身が、無頓着で、まったく認識していない部分だからな。

きちがい兄貴のゆがみを、俺のゆがみだと思うやつがいるんだよな。

「そんなに鳴っているはずがない」「そんなになっているのに、家族が文句を言わないはずがない」「そんなに鳴ってたら、絶対に家族がしずかにさせる」と思うやつらだ。

いやーー。それが、きちがい兄貴も、きちがい親父も、みんなの想像の範囲を超えて、へんな人なので、そうなるんだよ。

けど、普通の家族のもとで育った……こいつらは、俺のゆがみだと思うわけだよ。

だれだって、あんな音で、自分のきらいな音を鳴らされ続けたら、睡眠がうまくいかなくなる。だれだって、遅刻するようになる。だれだって、身体が重たくなる。だれだって、はりつめた気持ちでやろうと思っても、鳴っていなかったときのようには、できなくなる。

はりつめてがんばっている俺に、きちがい兄貴のヘビメタ騒音がないから、普通に暮らせているやつらが、文句を言ってくる。頭にくる。

くそ凡人の言い分は、全部、やられてないやつの、言い分なんだよ。普通に暮らせているやつの言い分なんだよ。頭にくるだろ。

ところが、頭にくるのはおかしいと、これまた、くそ凡人が主張するのだ。

手短に言って、「くそ凡人」というのは、特定の誰かを指しているわけではない。ほんとうに、多くの人が、ヘビメタ騒音問題に関して、無理解ぶりを発揮してきた。

この人たちは、うちの兄貴のようなきちがい家族にたたられたことがないんだよ。実際ないから、経験としてわからないというところがある。そして、うちの兄貴のようなきちがい家族にたたられたことがないから、うちの兄貴のようなきちがい家族に関して、誤解をするのである。

*     *     *

毎日、自分がきらいな爆音にさらされなかったから、普通に暮らせただけなのに、くそえらそうなことを言うやつらがいる。こいつらは、みんな、くそ凡人。自分がきらいな音を浴びせられることがなかったから、普通の状態をキープできただけなんだよ。それが、わかってないだけのくそ凡人。はっきり言って、こいつらは俺にとって、害虫。害虫がよってきて、まとはずれな発言をしてさっていく。害虫。害虫。きちがいヘビメタが鳴っていなかったとき、ぼくは、害虫よりもずっとできていたから。ヘビメタ騒音でできなくなった。ヘビメタ騒音でできなくなっただけなのに、ヘビメタ騒音がないやつが、くそえらそうなことを言う。害虫。もちろん、ヘビメタが好きなやつは、いる。だから、そいつにとってみれば、ヘビメタが、爆音で鳴っていたとしても、たいして影響をうけないかもしれない。けど、自分が聞きたくないときに、爆音で鳴っていたら、うるさいと思うはずなんだけどなぁ。まあ、ヘビメタというところを、自分のきらいな音楽と、書き換えて、理解してくれということは、ずっと言ってきた。

こいつらが、バカだから、影響のでかさを想像できないだけだろ。バカだから。がいちゅー。がいちゅーー。害虫が、バカなことを言って、刺してくる。害虫。害虫。

まあ、兄貴の友達のように、ヘビメタが好きなのに、「こんな音で鳴らしたら、家族の人がかわいそうだよ」と思う人はいるんだよなぁ。ほんとうに、人間の質がちがうよな。この、兄貴の友達は、トイレを借りにきたとき、ぼくとあったんだけど「ごめんね」みたいなことを言っていた。自分が遊びにきたから、(兄貴が)特別にすごい音で鳴らしているのではないかと思っていたみたいだ。けど、ちがうんだよね。兄貴の友達が帰ったあとも、兄貴は、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間もずっと、きちがい的な音で鳴らしていたよ。爆音で鳴らしていたよ。普通の人だったら、「めいわくだな」と思って、一日に一秒も鳴らさない音を、ずっと鳴らして、平気なんだよ。どれだけ、「めいわくだからやめろ」「でかい音だから、しすがにしろ」「音をさげろ」と言われても、まったく理解しないで、きちがい的な意地で、鳴らし続ける。これ、きちがい兄貴が「音」でやってきたことなのだけど、きちがい親父が「すべてのこと」とでやってきたこととおなじなのだ。脳みそがおなじだから、やり方がおなじなんだよね。こまるんだよ。こいつら……きちがい兄貴ときちがい親父の感覚のスレ画、普通の人にはわからないのである。だから、普通の人は、きちがい兄貴の感覚のずれやきちがい親父の感覚のずれから発生することを、俺の感覚のズレだと誤解してしまうのである。

きちがい兄貴が、どの部分からわかってないかというと、「でかい音で鳴らしている」と言う部分からわかってない。こんなの、聴覚が正常ならぜたっいにわかることなのである。ところが、聴覚が正常なのに、わからないのだ。だから、そういうところに、感覚のずれがあるから、ぼくが、誤解をされる。そういうところに感覚のずれがあるから、よそのうちでありえないことが起こってしまう。よそのうちの人は、自分のうちで体験したことがないか、わからないのだ。当然、そうなったときの影響がわからない。そして、それが、十数年も毎日続いたときの影響がわからない。影響を無視する。そうすると、ぼくが、勝手にさぼっていることになってしまうのだ。ヘビメタ騒音の連続で、できなくなったということを、くそ凡人が認めない。くそ凡人は『影響なんてない』と思っているんだよ。ほんとうに、脳みそが悪いなぁ。こいつらも! こいつらも、脳みそが悪い。「影響を無視して、わかったようなことを言うことが、どれだけ、アホなことなのか、わかっているのか?」と訊きたくなる。もちろん、わかってないんだよ。バカだからわからない。夜郎自大だからわからない。経験がないからわからない。

自分がたまたま、きちがい家族のがいるうちに生まれたなかったら、きちがい家族がもたらすことで、できない状態にならなかっただけなのに、くそえらそうなんだよ。くそ凡人! 害虫!! 害虫!!!

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。