2022年1月31日月曜日

反ワクと反・反ワク

 

反ワクと反・反ワク

そのうち、どっちが正しいかわかるよ。

反・反ワクの人は、反ワクの人がカルトだと思っているけど、それはちがう。そのうち、わかるようになる。 反・反ワクの人は、反ワクの人が常識のない非科学的な思考にとりつかれた人だと思っているけど、それはちがう。そのうち、わかるようになる。 

もう、科学的というのはどういうことなのかということから議論しなければならなくなるけど、 反・反ワクの人は、科学的じゃない。「反ワクはカルトで非科学的だ」と言っている反・反ワクの人で、まともに、m-RNAの作用機序を説明できる人にあったことがない。まあ、俺があったことがないだけかもしれないけど……。はっきり言うと、科学的であることを自称している?……たいていの反・反ワクさんは、m-RNAの作用機序にまったく興味がない。テレビに出ている医者の説明で満足してしまう。

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いまは、どこにあるのかわからないけど、厚労省がm-RNAの実験をしている。その実験で、m-RNAがマウスの肝臓を破壊する(空洞化する)ことがわかっている。もちろん、ワクチンを人に接種する前の段階での実験だ。わかっててやっている。

あとは、ファイザーはかなり早い時期にシェディングがあるということを認めている。しかし、反・反ワクの人はすぐに「シェディングはデマ」と決めつけてしまう。シェディングというのは、ワクチンをうけた人が、じつはエクソソームとして、スパイクたんぱく質などを放出しているということだ。

科学的を自称するなら、ちゃんと調べてから言ったほうがいいよ。

m-RNAがすぐに分解されるならどうしてこんなにも、後遺症で苦しむ人がおおいのだろうかということについて、疑問を持つべきだ。解剖するとわかるけど、じつは、残っている。ワクチンを打ったあと、6か月後に死亡した人のからだのなかに、m-RNAが残っているなら、最低でも6か月ぐらいは、m-RNAが分解されないということがわかる。

ワクチンと死亡の因果関係はないということになっているけど、それも、どうして、ほとんどすべての医者がそういうふうに言うのか、おかしいと思わないのか? まあ、カネにつらて、ワクチンを打っている医者が、ワクチンと死亡との因果関係を認めるわけがないけどね……。死因を調べると、93%のケースで、T細胞が臓器を攻撃していたということがわかった。調べたのは、たぐいまれな医者だ。これも、論文で読んだ。 ようするに、m-RNAがどのくらい残っているのかということと、問題となった臓器をT細胞が攻撃したかどうかということを調べれば、ワクチンと死因の因果関係は「かなりそうとうに」はっきりする。「因果関係はない」ということにしたいから、調べないし、調べてもそういうふうに言わない。

m-RNAはすぐには分解されずに、体内に残り続ける。

 どうして、ちゃんと調べないで、すぐにデマだと決めつけてしまうのか? そういう態度は、科学的じゃない。

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2022年1月30日日曜日

ヘビメタの「引き裂かれ感」がすごいんだよな 「家族だから(無視してやってもいい)」ということになってしまうのだ

ヘビメタの「引き裂かれ感」がすごいんだよな。いまも残っている。あれ、瞬間瞬間、つらい。だれもわかってくれない。

あんなのが続いていいわけがないだろ。

あんなのを、無視できるわけがないだろ。普通の人は、あんなのを無視できるわけがない」ということがわからない。もう、まったくわかってないね。

だいたい、きちがい兄貴はきちがい親父とおなじだから、「やめてくれ」と言われたら、血相をかえて、おこる。ところが、それが、わかってないんだよ。きちがい兄貴自身は、わかってない。

いかりと一体化して、おこったということがわからない状態なんだよな。

絶対の意地でやり続けるわけだけど、やり続けたという認識がまったくない状態ができあがっている。そういう、サイコパスなんだよな。

こっちが、こまったから、文句を言ったわけだけど、「文句を言われた」という記憶もない状態なんだよ。これが、つらい。

きちがいだから、息をするように、毎日、そうしている。

だから、殺さなければ、鳴りやまない状態というのを、つきつけられる。その場合、鳴っている時間だけではなくて、鳴り終わったあとも、つらい状態ですごすことになる。眠れないし、眠れないあいだ、楽かというと、楽ではないのだ。

そして、これまた、普通に、人に誤解される。「さぼっている」「あまえている」「そんなのが、通るわけがないだろ」ということになる。「そんなのが通るわけがない」というのは、自分はヘビメタを鳴らされているので、ヘビメタが鳴りやまなければ、遅刻はする……というようなことだ。「そんなのは、あまい」「お兄さんに言えばいい」というこたえが返ってくる。

それに対して「(兄貴に)言ってもだめなんだ」ということを言っても、相手は、納得しない。これは、佐藤のあることに関する反応に似ている。「ヘビメタ騒音で働けない」と(俺が)言ったときの、佐藤の反応とおなじだ。

きちがい兄貴ときちがい親父が、かわっているので、普通の人はわからない。きちがい兄貴ときちがい親父のことがわからない。「そんなひとはいない」「そんなことはない」という前提が成り立っている。

常に、こういうことが成り立ってきた……。

成り立ってきた人生なんだよな。不可避的にそうなる。ならざるをえない。父親が、兄貴と同じタイプのサイコパスだということは、いろいろなことに影響を与えている。ほかの人の「誤解」に関しても影響を与えている。

家に、ふたり、同じタイプのサイコパスがいるといこうとが、ほかの人にはわからない。それから、ほかの人は「家族なんだから、言えばわかってくれる」というような典型的な考え方をもっているのだけど、これも、誤解をうみだす。これ、どれだけ誤解をされるか、わかったものじゃない。

「家族だから(無視してやってもいい)」ということになってしまうのだ。もっとわかりにくいのは、本人がそのつもりがないということだ。「家族だから、無視してやってもいい」「家族だから、やったってやったことにならない」ということが成り立っているのだけど、それが、無意識の範囲内で成り立っているのだ。

だから、本人は、ほんとうにつもりがないということになる。けど、態度は、そういう態度だ。態度だけが突出しているのである。態度だけが突出しているので、実際にそういうふうにやっているのだけど、本人は常に「やってないつもりだ」というのが成り立ってしまう。だから、本人は、まったく自分が関係がない人のつもりでいるんだよ。

じゃあ、言えばやめてくれるのかというと、それは絶対にない。催眠術にかかったような、へんな、意地をはった状態で、やりきる。命がけでやりきる。だから、そのときやめさせようとすると、殺さなければならないのだ。これもわかってない。どれだけの意地がかかっているかほかの人にはわからない。わかってない。一秒だってやめたくないのである。

ほんの少しでもゆずってやりたくないのである。相手が言うように、ほんの少しでも、ほんとうに、ゆずるのであれば、くやしくてたまらなくて、爆発してしまう状態なのである。発狂して、死ぬか殺すかというということをしなければならない状態なのである。

「ゆずる」なてんことはない。

かりに、何万回も言われているから、ゆずるとすると……相手にとってまったく意味がない、自分の意地を落とし押したことを考え付いて、ゆずってやったことにしてしまうのである。

これが、親父の場合は、ハンダゴテだったり、机だったり、電球だったり、靴だったりするわけだけど、兄貴の場合は、ヘビメタ騒音なんだよ。絶対の意地でゆずらないし、ゆずらないということがわかってない状態だ。

きちがい親父のように「めっかち」になってわかってないのである。頭がおかしい目つきをして、発狂して、前のめりになって、からだをこわばらせて、わかってないのである。けど、そういう状態でわかってないということが、わかってない。(「めっかち」はぼくの造語)。

そして、わかってやらずに、自分の意地を一〇〇%押し通したといこうとがわかってない。怒っている状態もわからないし、おこっいてる状態で「やりきった」ということがわかってないのである。これは、あとで言っても、わからない。そのとき言ってもわからない。

あとで言えば「そんな状態だったのかな」というような反省があるかと言うと、ないのだ。

あとで言っても、おなじ反応が返ってくる。あとで言った場合は、「そんなんじゃない」という気持ちになる。その「そんなんじゃない」と言ってゆずらない状態が、「静かにしてくれ」と言われてゆずらない状態とおなじなのである。だから、つねにやっているのに、つねに自覚がないという状態になって、やりきる。

で、やりきったら、本人のなかではすんでいて、「相手がこまるからやめてくれ」と言ったことをやったという認知がないのである。言われたときは、興奮していたときだから、わからなかったけど、ちょっと時間がたって落ち着いたら、わかることなのかというと……それも絶対にわからないことなのである。兄貴のこういう態度は、親父のこういう態度とまったくおなじ。

絶対に認めない。

この、認めなさが、たとえば「やめてくれ」と言われたときの「認めなさ」とおなじなのである。だから、際限なく、そういうことが続く。

何回ぶつかったっておなじなのである。何万回ぶつかっても、一回目とおなじ反応が返ってくるのである。

こういう、地獄。

ほんとう、ほかのやつら、わかってないな。

こういう人間が、家族のなかにふたりいるんだぞ。そして、ひとりは、「保護者」なんだぞ。これが、どういうことなのかわかるか?

ひとから、誤解されまくりだ。

そういうきちがい的な保護者のもとで、育たなかった人が、普通に誤解する。そしてその誤解もまた、とけない。普通の人には、きちがい的な保護者がいなかったので、自分の体験を押してわかっているわけではないのである。自分には体験がないから、まったくわからないのである。

たとえば、佐藤は、ぼくの兄がそういう性格だということを認めないのである。たとえば、佐藤は、ぼくの父がそういう性格だということを認めないのである。認めないで、えらそうなことを言ってくる。自分だって、きちがい兄貴のヘビメタ騒音にさらされ続けた毎日だったら、働けなくなるのに、そういうことがまったくわかってない。

ヘビメタ騒音のことを説明しても、わからない……佐藤のような、やつには、わからない。どうしてかというと、佐藤はきちがい兄やきちがい父にやられなかったからだ。家のなかにそういう人間が、ひとりいなかったからだ。だから、感覚的には「そんなことはないだろう」というのが成り立っている。そういう感覚が成り立っているところで、俺の話を聞くと、俺がまるでさぼっているように思えるのである。だから、説教したくなる。こういう、世界。

ゆるさんよ。ゆるさんよ。

2022年1月28日金曜日

自分は楽しむ能力があるが、エイリさんは楽しむ能力がないという関係性が頭のなかに成り立っている

 ヘビメタ騒音で働けなくなったと言っているのに、「そんなのは、あまえだ。人間は働くべきだ」と言ってきた層と、専門家の言うことを信じてワクチンを打ってしまう層は、おなじだと思う。ワクチンを打ってしまった人たちのなかには、「専門家の言うことを信じてワクチンを打ってしまう層」以外の人たちも含まれている。この人たちは、事実上、強制されて打ってしまった人たちだ。この人たちは、たすかるべきだと思う。なので、なるべくはやく、解毒をするべきだとぼくは思う。

けど、 「専門家の言うことを信じてワクチンを打ってしまう層」は、もう一度よく考えるべきだ。専門家の言うことを、無批判に信じるのではなく、自分の頭を使って「よく」考えるということが必要だ。

俺が、むりだと言っているのに、ヘビメタ騒音生活を経験したことがないやつが「むりなことはない」と勝手に決めつけ、働くべきだと言う。(その当時、働くにはどうしても、通勤が必要だった。)

ところで、ほんとうに、きちがいヘビメタにやられているときの気分や状態、きちがいヘビメタに前日やられたあとの、次の日の気分や状態について、こいつらはなにもわかってない。

どういうことがつみかさなったのかまるでわかってない。

俺がどれだけがんばって、生活してきたのか、まるでわかってない。

あの空間がまるでわかってない。

わかってないのに、勝手に「むりなことはない」「エイリさんはあまえている」「働けるはずだ」と決めつけ、もし、俺が、それをすれば、死ぬしかないということを押しつけてきた。すすめてきた。これは、ゆるせない。

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ほんとうに、こいつら、ヘビメタ騒音のつらさがわかってないな。こういう人生だったんだよな。

そりゃ、ヘビメタ騒音が一〇年間も毎日続けば、楽しむ能力もなくなる。

ところが、楽しむ能力がなくなると、楽しむ能力がないということでせめられるのだ。「楽しもうとしないからダメなんだ」とせめてくる。「楽しい楽しい」と言えば楽しくなるのに、そういうことをしないからダメなのだとせめてくる。

これが、いまの、地球だよ。こんな地球で生きていておもしろいわけがないだろ。

まあ、きちがい家族のヘビメタ騒音にやられたのは、ぼくであって、こいつらじゃない。こいつらはやられてないので、楽しむ能力がある。だから、自分は楽しむ能力があるが、エイリさんは楽しむ能力がないという関係性が頭のなかに成り立っている。

その関係性は、じつは、「自分のほうがエイリさんより上だ」というような感情をうんでしまう。ようするに、「エイリさんは、自分より下だ」というような見方を作り出してしまう。

……ああっ、いちおう説明しておくけど、働くべきだと言った佐藤のようなやつ……の頭のなかにも……こういう関係性に関する思考が成り立っている。感じ方が成り立っている。見方が成り立っている。

きちがい兄貴にやられるとこういうことになってしまうのだ。だれだって、あれだけ長い時間、きちがい家族によって、自分が一番嫌いな音を、あの音のでかさで聞かされづけたら、こうなる。

どれだけがんばっても、感情が死ぬ。

楽しむ能力がなくなる。

それなのに、「えらそうに」。

これ、ほんとう、えらそうに!!

これ、ほんとうに、きちがい兄貴の態度とか、きちがい兄貴の認知・認識というのは、いっしょに住んでいる人しかわからない。きちがい兄貴にもわからない。きちがい兄貴の「わからなさ」というのは、普通の人の「わからなさ」をこえている。

きちがい兄貴は普通の人の「きちがい兄貴の認知・認識にかんするわからなさ」をこえて、「きちがい兄貴の認知・認識」についてわかってないのである。ほねがらみ。きちがい的な無視。いのちがけ。

この「ほねがらみ。きちがい的な無視。いのちがけ」というのは、親父もおなじだ。はっちゃっている。はいっちゃってたら、もうどれだけなにを言ってもだめなのだ。殺さなければならなくなる。

つねに、そういう問題を突き付けられる。勝手にやるわけだから、そうなる。

そういう態度で!勝手にやるわけだからそうなる。

やっている本人は「まったくつもりがない」ということになっている。

この「まったくつもりがない」ということを別の言い方で言うと 「ほねがらみ。きちがい的な無視。いのちがけ」ということになる。

「つもりがない」ということは、こういうきちがいにとって「やってない」ということとイコールなのである。感情的にイコール。認知・認識的にイコール。

だから、まるで自分がかかわってない状態を維持できる。本人のなかでは、「自分がやったことではない」「自分がやっていることではない」という認知・認識が成り立っているのだからそうなる。

きちがい的な意地で、発狂してやることなのに、同時に 「自分がやっていることではない」という認知・認識が成り立っている。

だから、絶対に、反省しない。反省できるわけがないだろ。自分がやったことじゃないのだから。

「やった」と言われれば、おなじしくみで、無視する。

おなじ認知方法・認識方法で無視する。

なので、本人は、ほんとうにずっと、意地になってやっているのに、まったくやってないつもりなのだ。どれだけ言っても、自分がかかわっているということが、まったくわかってない状態だ。わかってない状態で、無視してやる。

きちがい発言をする。

このきちがい発言は、俺のこころを打ち砕く。我慢できない怒りを感じる。我慢できない怒りを感じて、殺したくなるのだけど、それを我慢する。そうすると、ぼくのこころがこわれるのだ。「楽しい」と感じられなくなる。

常に、きちがい的な意地で、騒音を出す、きちがい家族にたたられると、こうなる。そして、世間のやつは、「楽しめないのは自己責任」「楽しむ努力をしないやつが悪い」「ほんとうにつまらないやつは、つまらないと言っているやつだ」というようなことを言う。こいつらは、きちがい家族にたたられてない。

けど、こいつらだって、そりゃ、不満があるから「俺だって……」ということを言う場合がある。けど、これは、「楽しく感じる心」を維持できるほどの不満でしかない。こいつらは、きちがい家族にたたられたわけじゃない。こいつらは、きちがい家族にたたられた生活を毎日、おくってきたわけじゃない。

そいつが、毎日、通勤して働けるということは、そいつが体験したことが、毎日、通勤して働けなくなるようなことではないということだ。レベルがちがう。いっしょにするな。できているのだから、できなくなるほどのことではない。

できているから、ひとに「こうするべきだ」と説教をするわけだろ。できなくなるほどのことを経験してないから、できるのではないか? できているということが、できなくなるほどのことを経験してないということを、意味しているのである。

個人的な力の差について言えば、ぼくのほうが力があったよ。ようするに、こういうことだ。たとえば、ぼくの忍耐力が一〇〇だとすると、佐藤(仮名)のようなやつらの忍耐力は一〇ぐらいなのだ。ぼくのほうが、一〇倍ぐらいは忍耐力がある。しかし、ぼくが経験したことが、一〇〇〇ぐらいの負担なのだ。佐藤は、一一の負担で、働けなくなってしまう。ぼくだから、ずっとやってきた。けど、きちがい兄貴の頭がおかしい攻撃がずっと続いたので、ついには、たおれた。 こういうことがわかってないのである。

環境を無視して、「できるか」「できない」かで、話をすすめやがって。あたまにくる。

こういうやつらはあまり深く物事を考えないので、専門家の言うことは正しいと判断して、なかみがよくわかってない薬を注入するために列に並ぶのだ。専門家の言うことは、専門家の言うことだから正しいという思考法には、問題がある。

 

 

あんまり希望がない。もう、我慢大会、あきた。

 あんまり希望がない。

どーーすっか、という話だ。これ、精神がしりもちをついているような感じだから、やる気がしない。ほんとうに、楽しくない。楽しいと想定されていることをやる場合も、切羽詰まった感じで、ぜんぜん楽しくない。これは、ヘビメタ騒音生活が影響している。常に、ピンチだった。常に、切羽詰まっていた。

気持ちが、うまく、動かない。俺が思い描いていることとちょっとでもちがうと、もう、いやになる。最初から、いやだ。めんどうくさいことでしかない。けど、じゃあ、そういうことはあきらめて、やることだけやって生活をすればよいのではないかと思ったけど、これも、きつい。ヘビメタ騒音で、すべてが、きつい。

もう、我慢大会、あきた。



 

2022年1月26日水曜日

この世で感じたこと

 ヘビメタ騒音で働けなくなったと言っているのに、「そんなのは、あまえだ。人間は働くべきだ」と言ってきた層と、専門家の言うことを信じてワクチンを打ってしまう層は、おなじだと思う。ワクチンを打ってしまった人たちのなかには、「専門家の言うことを信じてワクチンを打ってしまう層」以外の層も含まれている。この人たちは、職域接種や面会制限などの理由で、打ってしまった人たちだ。半強制を含めて、強制されて打ってしまった人たちだ。この人たちには、なにも言うつもりはない。なので、専門家がい言うから正しいという考えで打ってしまった人たちのみについて言及することにする。

専門家の言うことを信じてワクチンを打ってしまう層の人たちが、押しつけた意見というのは、まさに、死にあたいするような意見だと思う。俺が、むりだと言っているのに、ヘビメタ騒音生活を経験したことがないやつが「むりなことはない」と勝手に決めつけ、働くべきだと言う。

その当時、働くにはどうしても、通勤が必要だった。社会で働いたことがない人が働くには通勤が必要だったということだ。まあ、他にも条件はある。たとえば、おカネがない人が働くには通勤が必要だったということだ。まあ、当時は、働くにはどうしても通勤が必要だったという前提で話をする。この前提は、いまの人が考えれば、不確かな前提だけど、当時の人が考えれば確かな前提だ。

ところで、ほんとうに、きちがいヘビメタにやられているときの気分や状態、きちがいヘビメタに前日やられたあとの、次の日の気分や状態について、こいつらはなにもわかってない。どういうことがつみかさなったのかまるでわかってない。俺がどれだけがんばって、生活してきたのか、まるでわかってない。あの空間がまるでわかってない。わかってないのに、勝手に「むりなことはない」「エイリさんはあまえている」「働けるはずだ」と決めつけ、もし、俺が、それをすれば、死ぬしかないということを押しつけてきた。すすめてきた。これは、ゆるせない。


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ほんとうに、こいつら、ヘビメタ騒音のつらさがわかってないな。こういう人生だったんだよな。そりゃ、ヘビメタ騒音が一〇年間も毎日続けば、楽しむ能力もなくなる。ところが、楽しむ能力がなくなると、楽しむ能力がないということでせめられるのだ。「楽しもうとしないからダメなんだ」とせめてくる。「楽しい楽しい」と言えば楽しくなるのに、そういうことをしないからダメなのだとせめてくる。これが、いまの、地球だよ。こんな地球で生きていておもしろいわけがないだろ。まあ、きちがい家族のヘビメタ騒音にやられたのは、ぼくであって、こいつらじゃない。こいつらはやられてないので、楽しむ能力がある。だから、自分は楽しむ能力があるが、エイリさんは楽しむ能力がないという関係性が頭のなかに成り立っている。その関係性は、じつは、「自分のほうがエイリさんより上だ」というような感情をうんでしまう。ようするに、「エイリさんは、自分より下だ」というような見方を作り出してしまう。……ああっ、いちおう説明しておくけど、働くべきだと言った佐藤のようなやつ……の頭のなかにも……こういう関係性に関する思考が成り立っている。感じ方が成り立っている。見方が成り立っている。

きちがい兄貴にやられるとこういうことになってしまうのだ。だれだって、あれだけ長い時間、きちがい家族によって、自分が一番きらいな音を、あの音のでかさで聞かされづけたら、こうなる。どれだけがんばっても、感情が死ぬ。楽しむ能力がなくなる。それなのに、「えらそうに」。これ、ほんとう、えらそうに!!

これ、ほんとうに、きちがい兄貴の態度とか、きちがい兄貴の認知・認識というのは、いっしょに住んでいる人しかわからない。きちがい兄貴にもわからない。きちがい兄貴の「わからなさ」というのは、普通の人の「わからなさ」をこえている。きちがい兄貴は普通の人の「きちがい兄貴の認知・認識にかんするわからなさ」をこえて、「きちがい兄貴の認知・認識」についてわかってないのである。ほねがらみ。きちがい的な無視。いのちがけ。この「ほねがらみ。きちがい的な無視。いのちがけ」というのは、親父もおなじだ。はっちゃっている。はいっちゃってたら、もうどれだけなにを言ってもだめなのだ。殺さなければならなくなる。つねに、そういう問題を突き付けられる。勝手にやるわけだから、そうなる。そういう態度で!勝手にやるわけだからそうなる。やっている本人は「まったくつもりがない」ということになっている。この「まったくつもりがない」ということを別の言い方で言うと 「ほねがらみ。きちがい的な無視。いのちがけ」ということになる。

つもりがない」ということは、こういうきちがいにとって「やってない」ということとイコールなのである。感情的にイコール。認知・認識的にイコール。だから、まるで自分がかかわってない状態を維持できる。本人のなかでは、「自分がやったことではない」「自分がやっていることではない」という認知・認識が成り立っているのだからそうなる。きちがい的な意地で、発狂してやることなのに、同時に 「自分がやっていることではない」という認知・認識が成り立っている。だから、絶対に、反省しない。反省できるわけがないだろ。自分がやったことじゃないのだから。「やった」と言われれば、おなじしくみで、無視する。おなじ認知方法・認識方法で無視する。なので、本人は、ほんとうにずっと、意地になってやっているのに、まったくやってないつもりなのだ。どれだけ言っても、自分がかかわっているということが、まったくわかってない状態だ。わかってない状態で、無視してやる。きちがい発言をする。このきちがい発言は、俺のこころを打ち砕く。我慢できない怒りを感じる。我慢できない怒りを感じて、殺したくなるのだけど、それを我慢する。そうすると、ぼくのこころがこわれるのだ。「楽しい」と感じられなくなる。

常に、きちがい的な意地で、騒音を出す、きちがい家族にたたられると、こうなる。そして、世間のやつは、「楽しめないのは自己責任」「楽しむ努力をしないやつが悪い」「ほんとうにつまらないやつは、つまらないと言っているやつだ」というようなことを言う。こいつらは、きちがい家族にたたられてない。けど、こいつらだって、そりゃ、不満があるから「俺だって……」ということを言う場合がある。けど、これは、「楽しく感じる心」を維持できるほどの不満でしかない。こいつらは、きちがい家族にたたられたわけじゃない。こいつらは、きちがい家族にたたられた生活を毎日、おくってきたわけじゃない。


 

 

2022年1月22日土曜日

きちがいヘビメタ騒音なしの人生がほしい。俺の望みというのはけっきょくそれだけなんだよな

おもしろいわけがない。おもしろいわけがない。どうして、こうなる? おまえ、どれだけ。おまえ、どれだけ。午後七時四五分。きちがいヘビメタが鳴っている時間だ。どれだけ、「やめろ!!!やめろ」と兄貴の部屋に怒鳴り込んでも一分だって、一秒だってやめてくれない。それなのに、やったつもりがないのだ。これは、きちがい親父の態度とおなじだ。きちがい親父の態度ときちがい兄貴の態度がおなじなんだよな。そして、この態度に関しては、「いっしょにくらしたひと」しかわからない。言っただけで、理解してくれた人なんていないよ。やっぱり、ちがうんだよ。実際に、一緒に暮らしている人と、一緒に暮らしている人が言った話を聞いた人では、認識がちがう。だから、きちがいヘビメタ騒音についてぼくがどれだけ説明したとしても、実際に、人生のなかで、ぼくとおなじぶんだけ、きちがい的な家族にやられた人じゃないとわからないんだよね。そんな人はいないので、だれもわかってくれないということになる。基本的に、わからないので、誤解をしてしまうのである。きちがいヘビメタがあれだけ続いていたら、どれだけがんばっても、通勤ができなくなってしまうのである。ところが、話を聞いている人たちにとっては、ヘビメタ騒音で、通勤ができなくなるということが、わからない。わからない以上、事実ではない。そいつらは経験してないし、考えのなかで、ヘビメタ騒音なるものがそれだけの影響を与えるということを認めないのであれば、ヘビメタ騒音なるものは、通勤ができくなるようなものではないのである。だから、「人は働くべきだ」とか一般論としては正しいけど、ぼくを前にして言うのであれば、まったく正しくないことを、正しいことだと思っていってしまう。こいつは、ぼくのことを、下に見ている。日本では、無職だと言ったとたんに、下に見られる。そして、下に見てあたりまえだと思っているのだけど、「下に見ている」とぼくがそいつに言えば、「下に見てない」と言う場合が多い。下に見ているというのは、存在としてばかにしているということだ。この僕を……。ヘビメタ騒音『で』できなくなったと言っているだろ。けど、そいつは、愚かにも、ヘビメタ騒音でできなくなったということを、認めないのである。こんな屈辱はない。

 

 

 *     *     *

 

 

もう一度、この人生をやりなおしてくれと言われたら、そりゃことわるよ。けど、設定をかえられるなら、ちがう。ヘビメタ騒音が鳴ってなかった場合の人生を経験してみたい。……みたい。……みたい。そりゃ、生まれたときから……生まれるまえから、きちがい親父の性格には、悩まされてきた。けど、きちがいヘビメタ騒音が鳴りださなかったら、ぜんぜんちがう。そりゃ、佐藤のようなやつにだって、見下される必要がないわけだから……。こいつら、人が無職だと思うと自動的に見下してくる。しかも、見下しているという自覚がとぼしいのである。ばかである。こういうやつばかりだったなぁ。……この世は……。……日本は……。働いてないということだけで、どれだけ、ばかにされたか……下に見られたか……えらそうなことを言われたか。

ヘビメタ『で』できないと言っているだろ!!!!

こういうことも理解できないばかにばかにされる、ばかに、ばかにされる。きちがい兄貴は、知らんぷりだよ。これ、どれだけ言ってもわからないんだよな。何度も言うけど、ヘビメタ騒音がはじまった日から、佐藤みたいな他人との、トラブルがある。もちろん、働くというような問題じゃない。小学六年生だからな。けど、ヘビメタ『で』できないのに、ヘビメタでできなくなったということを、認めない他人がいるんだよ。他人という存在が、うっとうしくなる。いやなものになる。

これは、きちがい兄貴に見せるための文章であり、一種の遺書なので、ずっときちがい兄貴にわかるように書いてある。けど、わかるわけがないんだけどね……。わかるような脳みその持ち主だったら、最初の日にやめてくれている。きちがい親父とおなじで、自分がやりたいことは、発狂的な意地でやってしまう。で、発狂的な意地でやったことに関しては、いつも、「やったつもりがない」のである。この、きちがい感覚……。どんだけこまるか? どんだけこまるか? 他人は一切合切わからない。

ハンダゴテ事件のことについてぼくがずっと書いているのは、きちがい兄貴が、わかりやすいように書いているのである。俺とおやじとのことではなくて、親父と兄貴のことを書くことで、きちがい兄貴の態度について、きちがい兄貴にわかってほしいのである。まあ、もう、むだだけどなぁ。どれだけ積み重なっているか……。そして、積み重なりを、無視しやがるのである。かかわりがないと思っている。毎日かかわりがないと思って、やる。どれだけやめろと言っても、意地になってやる。発狂してやる。けど、やってないつもりなのである。「自分はやってないから……一分も鳴らしてないからそんなことは知らない」という態度なのだ。きちがい的な意地で鳴らしていながら、そういう態度なのだ。で、こういう態度は、そういう認知・認識からできあがるのだけど、きちがい兄貴はまちがいなく、こういう認知・認識をもっているよ。

きちがい親父は、ハンダゴテさえ押しつけてしまえば、それで、関係がない人になっていた。どれだけ、きちがい兄貴が「ハンダゴテは使えない」と言っても、「使える使える」と発狂して認めない。本人が発狂したら、もう、関係がない人になっている。どれだけ何を言ってもわからないままだ。関係がない人になっているから、そうやって、一度押しつけた相手が、また「このハンダゴテは使えなかった」ということを言ってくると、発狂してしまうのである。発狂して発狂して発狂して、認めない。で、本人が発狂したら、本人のなかでは「すんでいる」。押しつけたままだ。

ちょうどこれとおなじことが、ヘビメタ騒音でも起こった。

 

きちがいヘビメタ騒音なしの人生がほしい。俺の望みというのはけっきょくそれだけなんだよな。ヘビメタ騒音がないなら……ないという条件が成り立つなら……あとは、自分でどうだってできる。きちがいヘビメタ騒音がない世界なら、自己責任でも、いい。これ、どれだけのことを言っているのか、きちがいヘビメタ騒音がなかった人には、まるでわからないんだろうな。自己責任、自己責任。自己責任教も、人を、侮辱して傷つける。自己責任なんて(他人に)言ったやつは、刺されてしまえばいいんだよな。その他人に、「自己責任だ」と言ったやつが、刺されればいい。それだって、自己責任だろ。刺されたのは、自己責任だ。ちがうか?

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2022年1月21日金曜日

まあ、常識的な人のきれいごとは、くるしんでいる人の首をしめる

 ほんとうに、一見よさそうなものが首をしめるんだよ。ひとまず、たてまえ、とか、きれいごとと言っておくけど、こういったものが、「生まれの格差(カネ)下」で「生まれの格差(親の性格)下」の人を、傷つける。傷つけるなんてものじゃなくて、ほんとうに、首をしめて殺してしまうのである。これ、そういうレベルのことなのに、ぜんぜんわかってないんだよな。一般の人はぜんぜんわかってない。きれいごとはまやかしなんだけど、真実だと思っている。

たとえば、「感謝感謝」という気持ちで、あのワクチンをうけに行った人がいるとする。その人は、ワクチンを打ってくれる人に感謝するわけだし、そういう環境を整えてくれた人に感謝するわけだ。けど、この人が、「感謝感謝」という気持ちで暮らしていても、あのワクチンを打たれたら、不幸なことにしかならない。

もちろん、ラッキーな人は、プラシーボを打たれるということになる。プラシーボであれば、あのワクチンを打ったことでは、不幸にはならない。けど、ファウチは食塩水のなかにも、胎児の細胞を入れたと言ったから、プラシーボがほんとうにプラシーボなのかどうかわからない。ここでは、プラシーボなら、生理的食塩水しか入ってないとする。

その場合、プラシーボ以外を打たれた人は、体調がくずれ、病気になる。時間の問題があるから、いつそうなるかはわからないけど、そうなる。どうしてかというと、それを目的にしたワクチン接種だからだ。まあ、これには異論があるだろうけど、ここでは、そういうワクチンだということにしておく。ここで、ただ単に「ワクチン」と言っているものは、m-RNAが入っている新型コロナワクチンであるとする。 

ワクチンを打ちに行く日、朝起きたら、雨がふっていた……。けど、自分が家を出るときには、雨がやんでいた……。「感謝感謝」。こういう、善良な人が、やはり、あのワクチンを打ってしまうと病気になる。それは、つらい状態を伴う病気だとする。

その場合、やはり、「感謝感謝」という気持ちを持っていても、不幸になったということなのである。

わかるかな?

そりゃ、世界が善であれば、ワクチンはワクチンであり、たしょうの不具合があるかもしれないけど、基本的には、健康にプラスになるものだ。けど、世界が悪であれば、ワクチンという名の『毒』を打たれてしまう。

これは、善の世界に生きる人にとっては、想定外のことだ。

けど、実際には、この世は悪が支配しているので、そういうことになってしまう。「感謝感謝」という気持ちを維持していたのに、ひどいことをされるということになってしまう。

「感謝感謝」と思っていると、気持ちが上向く場合がある。しかし、地合いが、地合いが悪だったら、気持ちが上向いたあと、地獄に突き落とされるのである。気分が上向くというのは、一時のイルージョンだ。いつわりなのである。

「感謝感謝」と思っていると気持ちが上向くから、しあわせになる……というのは、世界が善である場合は成り立つけど、世界が悪である場合は成り立たない。

こういうことは、じつは、きちがい的な親が支配している「家」でも成り立つ。「いえ」のなかは、ひとつの世界だ。善良な人が「感謝感謝」と言ったり、思ったりしても、やはり、地合いが悪だから、絶対に、いいことにならない。

ならない。

しあわせにならない。

ならない。

こういうことが、わかってないのである。生まれの格差・カネ「中」以上であって、生まれの格差・親「中」以上である人は、じつは、生まれの格差・カネ「下」であって、生まれの格差・親「下」である人の事情は、わからない。

根本的に、わからない。

わからないんだよ。

自分の経験じゃないからわからない。

自分の経験をもとに、善とか悪を語るわけだし、努力の必要性や労働観について語るわけだから、わからない。「そんなことはなりたたない」という世界に住んでいる人の状態というのを無視してしまう。けど、その生まれの格差・カネ「中」以上であって、生まれの格差・親「中」以上である人も、悪が支配している世界のなかですんでいるということにはかわりがない。

これは、「そうたいてきなもの」だ。わかるかな? ようするに、灰色の濃さがちがう。まあ、いいか。ともかく、たとえば、「感謝感謝」と言っていればしあわせになれる……というようなことを(人に)言っている人は、言っているという点で、わかってないのである。

わかってないということが、そう言っているということで、わかる。そりゃ、信じているわけだから……。これ、宗教問題なんだよな。

まあ、常識的な人のきれいごとは、くるしんでいる人の首をしめる……。悪が支配する世界ではそういうことになってしまうのである。これ、ほんとうに、自殺に追い込むようなことでしかないのである。

 

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ともかく、打ってしまった人には、解毒をおすすめします。あのワクチンには、いろいろな毒が入っているけど、そのひとつひとつに対策する必要がある。そのうち、すべての毒に対策できるようになると思う。

まあ、自分で調べて、納得したうえで、解毒してください。

きれいごとは、ほんとうに人を、とことんまで、傷つけるのである。

 もう、ずっと寝ていようかなと思ったけど、腹がへったので起きてきた。ずっと寝ているというのは、むりだよね。ところどころで、起きなければならない。

けど、もう、つかれた。

ご飯は、梅干しで食べた。ねり梅だけど、うまい。もう、どうでもいいや。味噌汁をあっためようとおもっけど、めんどうだからやめた。そのかわりに、レギュラーコーヒーを飲んでしまった。いま、ビオフェルミンを飲んだけど、どうかな。

もやもやがある。頭が、もやもやする。エアコンをつけているけど、さむい。最大出力でつけているけど、さむい。

つまんねーー。

まあ、世間のことは、どうでもいいや。「どうでもいいや」という気分だけど、気分がかわるかもしれない。そのうち……。

ほんとうに、いろいろなことがあった。

これから、白の時代になるなら、生き残れば、どうにかなるだろう。白が支配する時代という意味ね。いままで、黒が支配していたから……。黒が支配していたら、どれだけ才能がある人だって、どれだけいい人だって、だめなんだよ。生まれのカネ格差「下」で、生まれの親の性格格差「下」だったら、どれだけ、努力してもだめなんだよ。どれだけ、性格がよくてもだめなんだよ。むしろ、性格がよければよいほど、くるしむことになる。そして、世間のやつらが、きちがい親の味方になる。世間のやつらが、才能があり、性格もいい人を、追いつめる。 世間のやつらが、才能があり、性格もいい人の、首をしめる。世間の人たちが「いいこと」してとりあげることは、生まれのカネ格差「下」で、生まれの親の性格格差「下」の人の、首をしめる黒い手になってしまう。かならず、首をしめる。

「感謝感謝」だって「ありがとうという気持ちを大切にする」ということだって、「大丈夫大丈夫」の口癖だって、認知療法の理論だって、行動心理学だって、瞑想だって、みんなみんな……首をしめる黒い手になってしまう。「地道に努力をする」ということだって「悪口?をいわない」ということだって、 みんなみんな……首をしめる黒い手になってしまう。「他人に親切にする」ということだって、じつは、才能があり、性格もいい人の、首をしめる。

これ、みんなわかってない。なんていうのかな? きれいごとは、ほんとうに人を、とことんまで、傷つけるのである。

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まるまろまるは、宗教指導者なんだけど、イルミナティー階層1だ。まあ、ディープステート(闇)でもカバールでもよいのだけど。もと歯医者が感動した本は、カバールの宣伝本だ。そういうレベルなのである。「全財産を寄付するといいことがある」……「あたえるといいことがある」……。地合いが黒であるならば、それは、ウソだ。

 

2022年1月20日木曜日

うちの家族について、普通の人はまちがった認識をもっているのだ

 
どーーしても、不愉快なことを思い出してしまう。フラッシュバックする。ひとつひとつは、小さなことだけど、どうしても、発狂的にむかつく。腹が立つ。

連鎖的なんだよな。なんでもない広告を見ただけで、あることを思い出したりする。それまで忘れていた、いやな出来事だ。もう、こんなの、いっぱいありすぎていやだな。

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じつは、禁コーラだけは、続いている。炭酸飲料を飲まないようにした。人工甘味料も、砂糖も避ける。けど、ほかのもので、砂糖は接種している。けど、量は明らかに少なくなった。ジュースが好きだったんだよ。

いまも、ちょっと外に買い物に行くことを考えたんだけど、外で、コーラを飲むのがうまい。公園とか、二階建てになっている駅の二階部分の出入り口とか、歩きながらとか、わりと、うまい。風景を見ながら飲むのがうまい。

あれはあれで、楽しみだった。けど、そこで思い出すが、やっぱり、ヘビメタ騒音とヘビメタ騒音で発生した人間関係のトラブルなんだよね。

そりゃ、ヘビメタ騒音で「たちばがわるくなる」。これは、どれだけがんばっても、不可避的にそうなる。ずっと、家に帰ったあと、騒音にさらされ続けると……この世で一番嫌いな騒音にさらされ続けると……意図とは関係なく、そうなる。ぼくがかりに、トラブルを起こさないように、どれだけ気を使ってがんばっても、ヘビメタ騒音影響で、どうしても、トラブルが発生する。

それは、わかりやすく言えば、佐藤(仮名)とのトラブルみたいなものだ。騒音で、働けなくなった……。騒音で働けなくなったにしろ、他人から見れば、働けるように見えるとする。実際、働けるように見えるのだろう。

けど、ぼくは、当時、通勤して働くというのはどうしてもできないことだった。それは、週に一回だろうが、月に一回だろうがむりなんだよ。この意味がわかるか? 週に一回ではなくて、月に一回でも、むり。

「月に一回」でもむりということの意味がわかるだろうか? わかるわけがないか。友達からも、佐藤からも、「週に三回ぐらいのバイトを入れて、からだをならしていけばいい」ということを言われた。

これは、ぼくに、死んでくれと言っているようなものだ。

この人たちは、ぼくとおなじ経験がない。ヘビメタ騒音生活の経験がない。ヘビメタ騒音生活の一日が、どれだけくるしいかわかってない。数千日続いた場合、数千日の影響が、どれだけ残るかわかってない。

ほんとうに、週、三回のバイトでも「死ぬしかない」という状態になる。だいたい、一か月で「死ぬしかない」という状態になるけど、それを、むりして、二か月続けても、くるしさが増すだけで、からだが慣れるというとがないのである。三か月づけても、からだがなれるということがないのである。

それは、超・超・超・緊張状態ですごした、小学六年生からの毎日が影響している。

これ、どれだけ、くるしいか、経験してない人はわかってない。毎朝、どれだけ死にたい気持ちで、体をひきずって、学校に行ったかわかってない。学校に行けたなら、だいじょうぶだろ」と思ってしまうらしい。ばーーか。

そういう状態で足かけ七年間も学校に通っていたから、「もうだめだ」という状態になったのだ。そういうことが、きちがい野郎は……じゃなくて、普通の人一切合切、わからない。

自分で経験したことじゃないとわからない。きちがいの親がいるところに生まれて、きちがいの兄が、きちがい的な意地でヘビメタを鳴らすということを、毎日、経験したことがない人には、わからないことなのである。

 これ、きちがい兄貴だけではないのだ。きちがい親父のベースがある。

これ、一家にふたり、サイコパスがいるということが、わからないのだ。普通の人には、わからない。こいつら、普通の人は「言えばわかる」「言えばわかってくれるだろ」と普通に思っている。

そうじゃない。

こいつらの、現実認識がおかしい。そもそも、普通の人の……うちの状態に関する認識がまちがっているのである。うちの状態というのは、エイリのうちの状態だ。これが、わかってない。まちがった認識をしている。うちの家族について、普通の人はまちがった認識をもっているのだ。こんなの、ない。

しかも、まちがった認識をもっているとは思ってないし、まちがった認識をもっているということを、こっちがいくら説明しても、自分のこととしてわからないのだから、まちがった認識をもっているままなのである。自分のこととしてわからないというのは、経験をとおしてわかったことじゃないから、わかってないということだ。言葉でしか、理解してない。表面的なことしか理解してない。理解した人ですら、そうだ。

表面的な理解さえしない人が、非常に多い。表面的な理解をしてくれた人ですら、ようするに、きちがい家族にかこまれて生活したわけじゃないから、そういう人間……きちがい家族が与える影響のでかさというのが、自分のこととしてわからないままなのである。

それなら、なんとだって言える。それなら、なんとだって言える。



ああ。けっきょく、きちがい兄貴がきちがい的な意地でヘビメタを鳴らすと、そういうことがなかった人から見て、俺が、意気地なしに見えるのだ。そして、愚痴を言う人に見えるのだ。

こんなの、きちがいヘビメタが鳴らなかったら……普通の人とおなじような家族に囲まれててすごしていたら、なかったことなんだぞ。そもそも、発生しなかったことなんだぞ。

2022年1月17日月曜日

「ワクチンを打たなければ死ぬ」というような感情を引き起こすために、コロナ禍を演出してきた

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はっきり言えば、こういうところのPCR検査キットは、税金で買っている。そして、陽性者が増えれば、まんぼうだ緊急事態宣言だと言って、経済が打撃をうける。隔離者に提供される食料も、隔離者用の宿泊施設も、税金でまかなっている。迷惑だからやめろ。

PCR検査をうけることによって、日本経済の「くびをしめている」ということがわからないかな?

閉店した店舗の土地やビルを中国人が買い占めている。これは、東京都知事がねらっていることのひとつだ。日本人にとっていいことはない。PCR検査のためにならぶから、まわりまわって、店がつぶれて、中国人に土地やビルを買い占められることになる。

東京都知事や政府がなにを目指しているかというと、中小企業をつぶすということを目指している。コロナ禍を演出する目的のひとつが、これだ。コロナ禍、コロナ騒動って、これ、全部、おしばいなんだよ。「ワクチンを打たなければ死ぬ」というような感情を引き起こすために、コロナ禍を演出してきた。国も地方自治体も、厚労省も医師会も、マスメディアもインターネットのメディアも、全部が一致協力をして、コロナ禍を作り出してきたのである。これは、演出!

目的は、ひとまずは、ワクチンを打たせること。ほかにもいっぱいあるけど、全部がつながっている。

 

PCR検査をうける人がいるから、いつまでたっても、コロナ禍がおさまらない

 PCR検査をうけに行かないでほしい。PCR検査をうける人がいるから、いつまでたっても、コロナ禍がおさまらないんだよ。だれも、PCR検査をうけなければ、それで、コロナ禍はおしまい。普通の日常にもどれる。

だいたい、オミクロン株は、壁を突き抜けてしまうような感染力だったんだよ。それに、飛沫感染ではなくて、空気感染もするという設定だったんだよ。飛沫感染と空気感染の両方が成り立つようなウィルスという設定だったんだよ。

こんな感染力がある風邪?なのに、PCR検査受付センターにいる人が、防護服を着ていないというのがおかしいでしょ。毎日、陽性者(感染者)が出るのに、受付センターの人は、濃厚接触者にも接触者にもなってないんだよ。接触者になっていたら、隔離だ。隔離されてないでしょ。同じ人が毎日、受付をしているでしょ。その人たちは、防護服を着ているわけじゃないでしょ。その日、ひとりでも、陽性者 (感染者)が出たところなら、そのセンターの建物自体を入念に消毒しきゃだめでしょ。センターの近くにある建物はどうなる? そのセンターが入っている建物の、横の部屋はどうなる? 全部、毎日、ひとりでも陽性者が出たら、消毒をしなきゃおかしいでしょ。しばらくのあいだ、閉鎖をしなければおかしいでしょ。

けど、毎日、普通に「人間」が並んでいる。そこで、PCR検査をうけている。これがなにを意味しているかというと、オミクロン株の設定は、ウソだということを意味している。

PCR検査に並んでいる人って、ちょっと体調が悪いかな?と思っている人たちなんでしょ?
あなたたちは、外に出ないほうがいい。うちでゆっくり休んでいるべきだ。かなり、人間の行動としておかしい行動をしているということがわからないかな? そんなに、危険なウィルスに、そういう危険なウィルスを「保持」している人がいっぱい集まるところに行って、どうするんだよ? さけなきゃだめでしょ。

ほんとうに、気にしている人?が、PCR検査をするから、いつまでたっても、陽性者が出てくるんだよ。Ct値40なんて、異常なんだよ。検査の意味がないんだよ。オミクロン株かデルタ株ということを、判別できない。COVID-19なのか、ヒト・コロナウィルスなのか、判定できない。キーウイだって、砂糖水だって、水道水だって、陽性反応が出てしまうんだぞ。それで、陽性反応が出たら、新型コロナウィルス「感染者」だということになって、隔離されてしまうんだぞ。ほかの人に迷惑がかかるんだぞ。その日、いっしょにいたことがある人たちがPCR検査をうなければならないことになって、感染者にされてしまう。新規感染者を、なんとしても、増やしたいという意図があって、PCR検査をしているんだぞ。PCR検査をうけたら、相当の確率で感染者にされてしまう。

で、 「PCR検査をうなければならない」と書いたけど、いまの段階であれば、拒否できる。罰則もない。けど、憲法を改正されたらおしまいだ。あなたたちが、列に並ぶから、コロナ禍がおわらない。絶対に、PCR検査をうけに行くな。

梅干しのおかゆでも食べて、横になっていれば治る。気になるのであれば、イベルメクチンでも飲めばいいだろ。 



『地合い』のうえに、努力論、才能論、労働論が成り立っているわけで、『地合い』を無視するわけにはいかない

よごれた部屋のなかでいきている。相当に、やる気がしない。部屋の掃除ではなくて、家の掃除だけど、家の掃除をすると、顔をダニに刺されるので、いやだ。ほかのことも、やりたくない。かろうじて、ご飯を食べて生きているという感じだ。ごみは、捨てなきゃならないゴミがだいぶたまった。今日は、ごみを出す日だったんだけど、出せなかった。眠ってた。

さっき、起きて、カップそばを食べたあと風呂に入って、出てきたところ。

ほんとうに、なにもかもがめんどうで、かろうじて、掃除をぬかした必要最低限のことをしているという感じだな。歩いているときも、ときどき、たちどまって、空を見上げてしまうようなところがある。長期騒音と、長期騒音の影響について考えている。人生ぜんぶが、長期騒音だった。

そして、これ、このブログでは『生まれの格差』ということばを使って書いていることなんだけど、生まれの格差と地合いについて考えている。これは、努力論とか才能論とか労働論について考えるときは、常に意識していなければならないことなんだけど、たいていの場合、たいていの人は、無視してしまう。「あったってないこと」なのだ。

あるいは、「あったとしても、それほど影響をあたえないこと」なのだ。そんなことであるはずがない。『地合い』のうえに、努力論、才能論、労働論が成り立っているわけで、『地合い』を無視するわけにはいかない。

ここで言う、『地合い』というのは、たとえば、悪が社会を支配しているのか? 善が社会を支配しているか? ということだ。社会の基盤。基盤の基盤。基盤の基盤を無視して議論をしたってしかたがない。

ところが、生き方にかかわる部分に関しては、基盤の基盤を無視してしまうのである。労働論と書いたけど、労働観なんて、そのさいたるものだ。

 

 

2022年1月16日日曜日

みんな、血液中のいらない栄養素を使って、スパイクたんぱく質を産生していると思っている

みんな、血液中のいらない栄養素を使って、m-RNAがスパイクたんぱく質を産生していると思っているかもしれないけど、それ、ちがうから。m-RNAは、正常な細胞のACE2受容体にとりついて、正常な細胞内に侵入して、正常な細胞の構成要素を使って、スパイクたんぱく質を産生する。なので、正常な細胞は破壊され、正常じゃない細胞になる。これがわかってないんだよな。

どんだけ、洗脳されているのか?

毒薬注射を受けたあと、熱が出たりする。そのとき、抗体ができているのだと思ってしまっているようだけど、これもぜんぜんちがう。

いつになったら、理解するのか?

けど、希望もある。スパイクたんぱく質の性質を知らなくても、m-RNAの作用機序を知らなくても、めんどうくさくなっている人たちがいる。こういう人たちは、もう、3回目を打とうとしない。2回も打ったのに、あいかわらず、マスクをしなければならない状態がかわらない。まんぼうや緊急事態宣言が出るような状態も変わらない……。飲食店での制限がある状態も変わらない……。そういう状態にあきあきしている人たちが出てきた。

この人たちは、政府の人たちや知事たちが言うことを聞かない。「もう、いいや」「もう、あきた」と思っているので、自粛しない。いろいろなところに行って、飲んだり食べたりする。まあ、この人たちのうちほとんどの人が満員電車に乗って通勤している人たちだから、ほんとうは、自粛に意味がないことを、無意識的には知っている。店のなかに入るまでは、マスクをして、店のなかに入ってご飯などを食べるときは、マスクをはずすのであれば、まったく意味がないということを、無意識的には知っている。店のなかで、がやがや話したら、そとでマスクをしていた意味などは、ない。そとで、健康な人がみんなマスクをしている状態というのはおかしい。 

まあ、ともかく、m-RNAの作用機序などにまったく関心がない人でも、「もう、あきた」「もう、いいや」と思い始めている。「言うとおりにやってきたけど、かわらないじゃないか」という不満が出始めている。 これは、いいことだ。

政府や知事の茶番劇にようやく気がつき始めた。

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みんな、イスラエルを見ろ。あそこは、3回目のブースター接種をしたら、どばっーーっと感染率があがったところだ。この感染率というのは、新規感染者の人数をもとにして出しているので、ほんとうは、意味がない。新規感染者というのは、きのうもおとといも書いているけど、PCR検査で陽性になった人のことだ。

けど、これも、PCR検査詐欺について知らなくても、「もう、いいや」と思い始めている人がいる。また、PCR検査をうけて、もし陽性だったら、まわりの人に迷惑をかけてしまうというような気持ちになっている人たちもいる。この人たちも、PCR検査の詐欺的な性質については理解してないけど、もし、自分が陽性だったら、自分があった人を「接触者」にしてしまうということは理解している。 接触者であるということだけで、普通の人権がはく奪されてしまうのだ。受験生が自分の接触者になってしまった場合、その受験生から恨まれるだろうしな。そんなことは、いやなので、PCR検査をうけないようにしようという人たちが、おおくなっているのだ。繰り返すけど、この人たちは、PCR検査の詐欺牲に気がついているわけではない。けど、なるべく受けないようにしている……。これも、いい傾向だ。


国際司法裁判所の判決、きた~~~。

 国際司法裁判所の判決、きた~~~。

これで、だいぶすすむ。

けど、いつものことだからなぁ。どうなるかな。

いつものことなんだよな。あーー。


ヘビメタ騒音、やられて以来、ほんとうに、いやなこと、ばかりだったなと思う

 ヘビメタ騒音、やられて以来、ほんとうに、いやなこと、ばかりだったなと思う。

あと、きちがい親父の性格だけど、これは、普通の人にはわからない。もう、こういうところが、ハンディなんだよな。

 

2022年1月15日土曜日

今回のワクチンは、人間の本性をあぶりだしてしまう。

今回のワクチンは、人間の本性をあぶりだしてしまう。ほんとうに、すごいワクチン。

だまされている人たちがかわいそう。特に、こどもがかわいそうだ。このワクチンがどれだけの不幸を作り出しているかわかったもんじゃない。

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たとえば、冬の北海道で、さむい思いをしながら、ずっと窓を開けているのがよいことなのかどうかという問題について考えてみよう。感染対策としては、空気をいれかえたほうがいいから、ずっと窓を開けておくほうがいいということになってしまう……普通は……。しかし、さむい思いをするというのは、人間にとって良くないことなのである。人間のからだにとって良くない。免疫システムがうまく働かなくなってしまう。言ってみれば、からだの抵抗力がさがる。基本的には、窓はしめて、部屋をあたたかくするべきだ。

マスクに酸化グラフェンがついているかどうか別にして、ずっと、マスクをつけているというのは、たいへん不衛生なことなのである。マスクの内側には数多くの病原菌がついていると思って間違いがない。その場合、抵抗力が落ちていれば、病気になってしまう。マスクをとって、部屋をあたたかくするという方法が、一番よいのである。一番悪いのは、マスクを強制して、窓を開けるということだ。これは、一時的に、窓をあけるのではなくて、ずっとあけておくということだ。一時的に窓をあけるのはよいけど、ずっと窓をあけておくというのは、頭がおかしいレベルだ。もちろん、めちゃくちゃにさむいのにという、条件がつくけど……。

じつは、ロシアの医師団が証明してしまったのだけど、新型コロナ感染症は、ウィルスとは関係がなく、酸化グラフェンによって作り出されるものだ。新型コロナウィルスに感染しているように見える場合、いくつかの原因が考えられる。

ようするに、まったく別の原因で、新型コロナウィルスに感染しているように、見えることがあるということだ。複数の原因で新型コロナウィルスに感染しているような疑いがもたれ、PCR検査で、感染者だということにされてしまう。感染者だということにされた場合、もともとの原因はどうでもいいというとになってしまう。

PCR検査は、そもそも、感染症の判定に使うべきものではない。ぜんぜん、使用用途がちがうのだ。しかし、ある人が、新型コロナウィルスに「感染している」とか、新型コロナウィルスに感染してないという判断をする場合、PCR検査を使ってきた。これは、さいしょから、人をだますつもりで、PCR検査なるものを導入したから、そうなる。ようするに、ここから、もう、人をだます悪い意図がある。

新規感染者数をもとにして、窓を開けるべきとか、窓をしめるべきとか、議論してもむだ。新規感染者数をもとにして、マスクをするべきかマスクをはずすべきかということを議論してもむだ。新規感染者数をもとにして、空気感染なのか飛沫感染なのかを議論してもむだ。すべてが、むだ。すべての議論がむだ。そうなっている。運命づけられている。すべてが、うそ。すべてが、むだ。

手短に言って、新型コロナウィルスの存在証明はできない。存在証明ができないウィルスに感染しているのかどうかの検査をしている。むだ。有害。そして、その検査の結果で、行動制限をする。むだ。有害。

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オミクロン株というのは、イン・シリコ・スクリーニングとよばれているテクノロジーを使って、コンピューター上に塩基配列が記述されているものにすぎない。なので、実在しない。普通にPCR検査で検出されている?オミクロン株というのは、たぶん、ヒト・コロナウィルスだと思う。ようするに、軽い風邪。

 




 

今回のワクチンについて、まったく調べてないか、あるいは、悪意があってだまっているとしか思えない

 コロナウィルスやマスクのことについては、言及するのだけど、ワクチン後遺症についてはまったく言及しない医者や、元医者の言うことは、信じてはいけない。今回のワクチンについて、まったく調べてないか、あるいは、悪意があってだまっているとしか思えない。厚労省が医師免許に関する権限をもっているので、厚労省にとってまずいことは、言わないようにしているとしか思えない。ようするに、緘口令をしかれたら、どれだけ、国民の健康を害するものに関しても、絶対に、悪く言わないやつらだ。こういう医者やもと医者を信じてしまう人たちにも問題がある。

健康な人がずっとマスクをつけて生活をするということは、その健康な人の健康を害する。ましてや、運動をするときにマスクをつけさせることに賛成をする医者は、人の健康なんてどうでもいいと思っている医者なのだ。

あるいは、その健康な人が、不健康になって、自分のところにくれば、おカネがもうるから、都合がいいと思っているような人なのだ。そりゃ、全国的なレベルで不健康な人が増えれば、自分の地域の不健康な人も増える可能性がたいへん高いので、自分のところにくる不健康な人も増える可能性がたいへん高いということになり。

ワクチンをすすめる医者は、もとより、ワクチンについてはスルーして言及せず、マスク、新規感染者数などについてだけ言及する医者は、信用するべきではない。これ、ほんとうに、今回のことで、人間性が、あぶりだされている。

まともな人は、ワクチンで集団免疫を獲得するのはむりというようなことを、初期の段階から言っている。ワクチンは安全とは言えないということを初期の段階から言っている。この人たちには、ブレがない。

こういう人たちは、人として、他人のしあわせを願っているけど、マスク、新規感染者などついては言及するけど、ワクチンについては特に言及しない医者たちは、他人のしあわせを願っているとは言えない。自分さえよければ、他人はどうなってもいいと考えているやつらだ。ぜったーーーいに、信用するべきではない。

そのうち、時間が証明してくれると思う。



2022年1月14日金曜日

これが、屈辱でなくて、なんだ?? こういう、屈辱と、きちがい兄貴のヘビメタ騒音はセットなんだよ。

 ほんとう、ヘビメタでつらいだけの人生。むなしい。

これ、どれだけ、俺ががんばってきたか……。ヘビメタ騒音のなかでがんばってきたか。がんばったんだよ。けど、破壊された。

これ、俺の「がんばり」と「ヘビメタ騒音」の「合力」だ。ヘビメタ騒音だけじゃないのである。

がんばるしかなかったけど、がんばったので、こういうレベルで破壊された。

そういう経験がない人にはわからない。

けっきょく、俺に気軽な助言をする人は、きちがい兄貴やきちがい親父にたたられたわけじゃない。普通の家族に囲まれて、生まれ育ってきた人たちだ。そういう人たちが、常識的なことを言う。「そんなことじゃないからこまっている」……。

けど、わからないではない。ぼくががんばってきたというけど、そのがんばり方向は、常識的な人たちが言うことと、同じ方向を向いている。これは、そうするしかないのである。だから、そういう「がんばり」がぼくの人生を破壊し、ぼくの精神を破壊し、ぼくのからだを破壊したということは、ぼくにとっては、自明の事実だ。けど、きちがい兄貴がいない人は、それがわからない。その、俺が説明したときに、そういう状態になっているということがわかるだけで、小学六年生からの、ヘビメタ騒音との対決……の……過程がわかってない。過程というのは、時間を含んでいる。どれだけの時間、ぼくががんばってきたかわかってない。がんばりが、自分のからだと、自分の精神と、自分の人生を破壊した。そのがんばりというのは、ほかの人たちが、すすめてくることと、同じだ。助言と同じ方向を向いている。だから、「できない状態になった」のに、おなじ助言を「うわのせする」ということになる。その人たちは、そういう「つもりは」ないのだけど、意図せず、そういうことをすることになる。わかってないから、そうなんだよ。たとえば、まぬけな佐藤じゃなくて……常識的な佐藤が、「それでも、通勤できる」という前提で「働くことを」推奨してきたわけだ。「それでも」というのは、ヘビメタ騒音が鳴っていたとしてもということだ。常識的な佐藤から見ると、俺が、さぼっているようにしか見えないのだ。しかし、それはちがう。通勤と通学のちがいはあるけど、きちがい的な騒音が鳴っている、きちがい的な状態で、俺ががんばって通学したから……通勤できなくなったのだ。完全に誤解をしている。そして、きちがい兄貴が、平日は、きちがい的な意地で午後一一時までずっとヘビメタを鳴らしているということが、どういうことなのか、常識的な佐藤は理解してない。自分の経験をとおして理解していない。日曜日は、朝からずっと、午後一一時まで、ヘビメタが鳴っているということが、どういうことなのか、佐藤のような普通の生活をしてきた人は、わかってない。まったくわかってない。経験がないからだ。経験がない。どういうことなのかわかってない。自分で経験してみればわかるのだけど、砂糖の家には、きちがい兄貴がいなかったのだろう。ほんとうに、うちの兄貴は、きちがいだ。やり方がおかしい。精神がおかしい。認知、認識がおかしい。自分の感覚をだましてウソを言っているのに、ウソを言っているつもりがないという状態で毎日すごしている。これは、もう、だいぶ詳しく書いたので省略する。けど、このきちがい兄貴のきちがい感覚……自分の騒音に関するきちがい的な感覚は……普通の家に生まれ育った人には、絶対に理解できないことだ。

ここも理解していないし、自分が実際にやられたわけではないので、そういう毎日がどういう毎日か、わかってないのである。

そりゃ、きびしい毎日だよ。けど、まぬけな佐藤じゃなくて……普通の人間である佐藤から見ると、ぼくがあまえているように見えるのである。あんなにきびしい毎日に、たえてたえて、がんばってきた俺を、そういうハンディがまったくない、まぬけな佐藤じゃなくて……佐藤じゃなくて、普通の人間である佐藤が、「あまえている」とみなすのだ。

こんな屈辱はない。

こういう、屈辱と、きちがい兄貴のヘビメタ騒音はセットなんだよ。

これは別に、まぬけな佐藤じゃなくて……常識的な人間である佐藤との間にだけ発生したことじゃない。そうじゃなくて、鳴らされ始めた小学六年生のときからずっと、普通の人間との間にあったことだ。普通の人間は、きちがいと暮らしていないから、きちがいのしくみがわからない。わからない。全部、考え違いをしてしまう。きちがいにやられたほうを、「あまえている」と言ってせめることになる。

ともかく、がんばった結果、通勤できなくなったのに、がんばれば、通勤できると思っているきちがいに遭遇してしまう。

そりゃ、外に出れば、かならず、そういうまぬけな人間……じゃなくて、普通の人に遭遇してしまうのである。そいつに、どれだけ、ヘビメタ騒音のことを言っても、むだだ。そいつは、そいつの経験のなかでしか判断しない。

だから、ばかなのだけど、ばかにばかにされるという状態になってしまう。これが、屈辱でなくて、なんだ??

++++++

 

毎日、何年間も、きびしすぎる状態のなかで、がんばってきたから、毎朝同じ時間に起きることができなくなったのに、がんばれば「毎日同じ時間に起きることができる」と思っているのだ。そういうことを、きちがい兄貴のヘビメタ騒音を経験しなかったやつが、普通に言ってくる。

そういう状態が成り立ってしまう。

けど、これは、ぼくにとっては、屈辱だ……という話だ。


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ヘビメタ騒音なしで生きたかった。ヘビメタ騒音なしで生きたかった。普通の生活をしたかった。ヘビメタ騒音なしで、生きたかった。

2022年1月13日木曜日

気晴らしにラーメン屋でも行くかな?

 また、firefoxがおかしくなった。

どうするかな?


これは、Microsoft edge。

どうするかな?

気晴らしにラーメン屋でも行くかな?

どうするか?


普通の日常が続いていたやつの「努力」とか「気持ち」とか「自己制御」。

 起きた。このさき、世界がどうなるかわからない。

このさき、俺がどうなるのかわからない。

それにしても、死ぬ可能性があるワクチンとやらを、強制しようとするやつらは、なんなんだ? がまんがならない。

サイコパス政治家とそれに洗脳されて、善悪の区別がなくなっている愚民。これが、世界だ。

あとは、俺が、ヘビメタ騒音で楽しめなくなっているということが問題で……。これは、ぼくにしかわからない問題だけど、たぶん、ぼくが生きている間続くんだろうなと思う。ヘビメタ騒音以降、すべてに霧がかかっている。この世が、くるしいものでしかない。そして、はっきり言うと、きちがい兄貴の態度とサイコパス政治家の態度が、ほんのちょっと似ているのである。頭がおかしいレベルで自分の気持ちだけしかない……。頭がおかしいレベルだよ。

そうだな、きちがい兄貴ほどひどくはないけど、一〇〇分の一ぐらい、きちがい兄貴の性格を、「分有」しているような気がする。 分有、分有。似てるんだよなーー。頭がおかしいレベルで、相手のことは考えないというところが似ている。

サイコパス政治家よりも、きちがい兄貴のほうが一〇〇倍すごいわけで、ほんとうに、頭の病気とか、頭の障害と言ったところなのだけど、それにしても、話が通じなさすぎる。あれを、毎日、「なんでもな気持で」やったのかよ? 「やめてくれ」「静かにしてくれ」と言えば、発狂してやり続けたのに、あれでやったつもりがないのかよ? そういうところが、おかしい。

けど、毎日、すべての時間、そうなんだよ。……「やめてくれ」「静かにしてくれ」と言えば、発狂してやり続けたのに、あれでやったつもりがないのかよ?……という文に関して、ちょっと補足をしておく。「やめてくれ」「静かにしてくれ」と言ったのは、俺。発狂してやり続けたのは、兄貴。

 全部に影響があると言っても、ほかの人はわからない。そして、さらにひどいことに、仮にわかってくれたところで、ぼくの世界はかわらない。毎日のつみかさね……。毎日の積み重ねによって、必然的に、つくられる現実……。

こういうものが、影響を与えないはずがないのだ。

ところが、「過去は関係がない」などと、ほざくやつがいる。関係がないわけがないだろ。ふざけるな。こいつらは、毎日、ひどいことをされ続けたことがないやつらなのである。こいつらの言っている、「努力」とか「気持ち」とか「自己制御」というのは、たいしたものじゃないのである。

普通の日常が続いていたやつの、「努力」とか「気持ち」とか「自己制御」。主観的にちょっとつらくても、普通の日常が続いていたやつの「努力」とか「気持ち」とか「自己制御」。

 あの日々を経験してない。何千日続いたと思っているんだよ?

話がちがう!! 話が!!!

 

2022年1月12日水曜日

親はまもってやらないとだめだよ。子供が一生、後悔するようになる。

 ワクチン接種者が、あと5年ぐらい生きていれば、ぼくが言っていることが正しいということがわかるだろう。わかるようになるだろう。いま、ファイザーの内部資料の一部が明らかになっている。このさき、どんどん明らかになっていくだろう。今後数十年間は、公表しないとファイザーが言っていた資料だ。裁判所の命令で、一部が公開された。で、その資料から読みとれることは、最初から、ウソだったということだ。捏造につぐ捏造。最初から、ウソなんだよ。ずっとウソなんだよ。一般の人が、この資料をもとにして作った番組などを見ることになるのは、いつだろう?

各国政府、多国籍企業(地球的大企業)、各国のマスメディアが一体となって、各国の国民をだました、詐欺事件。いつになったら、一般の人が『そういうことだったんだ』と思うようになるのか? 

いまも、各国政府、多国籍企業(地球的大企業)、各国のマスメディアは、ワクチンを打たせる方向で動いている。

大問題だ。はやく、やめさせてーーー。はやく、とめて~~~。

子供にワクチンを打たせたら、だめだ。親はまもってやらないとだめだよ。子供が一生、後悔するようになる。 

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2022年1月11日火曜日

「絶対に、コロナに感染しない」と願えば、絶対に感染しないので、ワクチンを打つ必要がない

 絶対に願いは現実化する……と言っている人がいるんだけど、その人は、ワクチンを打つ必要がない。「絶対に、コロナに感染しない」と願えば、絶対に感染しないので、ワクチンを打つ必要がない。よかったな。だから、ワクチンを打ちに行くな。PCR検査をうけるな。「絶対に、コロナに感染しない」という願いを持っているのだから、それはかならず、現実化する。なので、「かかったかもしれない」と思ってPCR検査をうけに行く必要はない。かかるわけがないでしょ。

ところが、わりと、こういう人が、ワクチンをうけてしまう。しかも、3回目とか……。どんだけ、自分の願いを信じてないんだよ。自分の信念を信じてないんだよ。「いかなる病気にもならない」と願えば、それは、絶対に現実化するはずなんだよ。だったら、ワクチンなんて打つ必要がないだろ。ワクチンを打たなければ、新型コロナに感染してしまうかもしれないと思ったということが、自分の言っていることを信じてない証拠だ。

観客だけ、感染するなんてことはないでしょ。意味がないんだよ。マスクなんてまったく意味がないの

紅白歌合戦で、ステージにいる芸能人はマスクをつけてないのに、観客のほうはマスクをつけているということが、どういうことなのか? わからない人たちがいるようだ。

観客だけ、感染するなんてことはないでしょ。意味がないんだよ。マスクなんてまったく意味がないの。厚労省だって、マスクが感染防止に役立つという「証拠」はないと言っているよ。そういう論文もないんだってさ。ようするに、マスクが感染防止に役立つという根拠がない。根拠がないのに、一般人には強制して、特別な人には強制しないんだよ。それが、この世なんだよ。おかしいと思わないのか?

これ、芸能人だけではなくて、カメラがないところでは、政治家なんてみんなマスクをしてない。イギリスのジョンソン首相がパーティーをしていたんだけど、参加者は全員、マスクなんてしないない。そういうところを、すっぱ抜かれた。マスメディアの存在理由はこういうところにあるのに、日本のマスメディアは、こういうことを隠そうとする。まあ、紅白歌合戦では、隠さずに本音を出したのに、本音に気がつかない人がおおい。

えらい人たちは、人目がないところでは、マスクなんてしてない。会合・パーティーでマスクが必要なんていうのは、非常識。常識じゃない。まったくもって、ばかにされて、まったくもって、だまされているぞ。

 

 

 

新型コロナウィルスがついているなら、郵送してはいけないものなんだぞ 市の清掃員はどうして、防護服を着てないの?

PCR検査の綿棒にはハイドロジェルがついているという「うわさ」がある。このうわさは、たぶん、正しい。

それから、PCR検査キットみたいなものを郵送して、送り返すときも郵送することになっているけど、もし、陽性者の粘液がついているなら……つまり、新型コロナウィルスがついているなら、郵送してはいけないものなんだぞ。法律違反なんだよ。そんなあぶないものを郵送していいわけがないでしょ。

それから、もし、新型コロナ感染者が、自宅にいたばあい、その人が使ったものを、普通に捨てていいわけがないだろ。普通に、市のごみ集積場に持って行くと、清掃員の人たちが回収してくれる……。もし、ほんとうに、コロナウィルスがあぶないものであれば、そういうことはない。どうして、市の清掃員の人たちは、防護服を着てないの? と思わないのか? 一般ごみじゃないゴミなんだよ。もし、ほんとうに、新型コロナウィルスとやらがほんとうすごくあぶないウィルスであって、なおかつ、それに感染している人がいるなら、ごみ収集にどれだけ気を使うかわからない。普通に、持っていくのだから、そもそも、新型コロナウィルスに感染してないか、あるいは、新型コロナウィルスがそれほどおそれる必要がないウィルスなのであるか、あるいは、その両方だと言うことができる。だいたい、ものについたウィルスはすぐに死ぬ。




 

PCR検査を受けるな!!ということを言いたい。

 PCR検査を受けるな!!ということを言いたい。

だいたい、おかしいでしょ。PCR検査センターの人は、毎日、陽性の人と接触しているのに、接触者にならない。陽性の人というのは、その時点では陽性かどうかわからないけど、毎日、陽性者が結果的に出ているのだから、陽性者が出た日に、PCR検査センターで働いていた人はみんな、陽性者の濃厚接触者になってしまうでしょ。濃厚でーすーーよーー。たとえば、100日間、PCR検査センターで働いていたとして、その100日間のあいだ、すくなくても数十人のPCR検査陽性者が出たとする。PCR検査陽性者は「新規感染者」ということになって、隔離される必要があるんだよ。それなのに、100日間のあいだずっと、PCR検査センターで働いている人は、濃厚接触者にもならず、感染もないということになっている。おかしいでしょーー。そんなに、感染力が強いウィルスの検査をしているのに、綿棒を差し込む人は感染しないなんておかしいでしょ。ずっとそこにいる受付の人が感染しないなんておかしいでしょ。どうして、そこで働いている人は感染しないのか。もし、感染しないような方法があるなら、それを全国でこころみればいいでしょ。

だいたい、ほとんどすべての国会議員が、ワクチン未接種者なのに、国会で濃厚接触しているのに、ひとりも感染者が出ないなんておかしいでしょ。国会議員が、どれだけ多くの人と会うと思っているんだよ。どうして、国会担当の記者は、感染しないんだよ?

PCR検査を受けるから、新規感染者が出てくるんだよ。『タダだから、受けておこう』思う人たちが、どれだけ、ほかの人に迷惑をかけているのかわからないのかな? 思いやりPCR検査拒否で~すーよ。

ほんとうに、ばかくさい。全国の人がPCR検査をうけなかったら、それで、コロナ騒動なんておわりで~~す~~よー。いいかげんに、おわらせようよ。

風邪かなと思ったら、まず、会社を会社を休んで、ゆっくり休養をとれ。減塩されてない梅干しのおかゆでも食べて、横になっていれば、治る。もし、治らなかったら、イベルメクチンを飲んだりすればいいでしょ。まあ、初期段階なら、『ルル』でもなんでもいいよ。普通の風邪薬を飲んで、おとなしく、寝ていろ。PCR検査のために、出歩くな!!

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「PCR検査で陽性なら、新型コロナ新規感染者だ」という頭がおかしいマジックがいつまでも通用しているから、いまの状態がかわらないだけなんだぞ。 そのマジックは、トリックで、イリュージョン。いいかげん、気がつけ。

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2022年1月9日日曜日

支持政党なしというひとの気持ちはわかるけど、このままではいけない。

 いまは、ワクチンをうけない権利がある。いまは、PCR検査をことわる権利がある。けど、憲法を改正されたらおしまいだ。こういう重要なことがわかってないな。いまですら、本当の情報を、ネットに書けば、削除されてしまう可能性がある。憲法を改正されたら、削除されるだけではなくて、逮捕される可能性がある。そして、殺されてまう可能性がある。いまは、みんな、政治家を批判しているけど、憲法を改正されたら、やはり、批判できなくなってしまう。どれだけ政治家がきたないことをやっても、きたないことをやったということが言えなくなってしまう。言ったら、殺される。そういう世界になってしまう。中国なんかより、ずっとひどい国になってしまう。

憲法改正というのはそういう意味があるのに、国民が気がつかないうちに、こそこそっと、やってしまおうというようなところがある。あとは、国民投票なんだけど、これは、バイデンジャンプのように、不正が行われる投票にならざるをえない。最初から、結果が決まっている投票になる。 国民投票で憲法改正が承認されたということになる。

人権派の議員というのが、日本人の人権にはまったく見向きもしない。あのきかないワクチンを強制されそうになっているのに、だれも声をあげない。(ひとりあげたけど、ガス抜きなのかもしれない)。ともかく、ほんとうなら、ワクチンのことでもめにもめなければならないのだけど、反対する野党がない。

支持政党なしというひとの気持ちはわかるけど、このままではいけない。

 

憲法改正って、民主主義をやめようということなんだよ

 このさき、どうしようかな? ほんとうに、さきが見えない。白が勝つのは決まっているのだけど、真っ黒な政府がどうやって、かわるのかわからないー。基本的には、戒厳令、クーデターなんだろうな。ほんとうに、野党もまっくろ。参政党も、黒なんだよね。れいわ新選組も黒(たぶん)。ともかく、黒じゃない政治家って、ほんとうに、少ない。

憲法改正にかかわっているやつらは、黒ちゅうの黒だ。こいつらを一掃できる勢力って、ないんだよね。選挙で、どうにかなる感じがない。やはり、クーデターしかない。 

憲法改正って、民主主義をやめようということなんだよ。行政が、立法府として機能して、言うことを聞かないやつは、全部、しょっ引いて殺すというような、すごい内容がある。殺すかどうかわからないけど、殺すでしょう。自分たちが、政府(内閣)を構成しているうちに、法律をかえて、選挙をしないようにしようということなんだよ。

もう、自分たちで固定するつもりなんだよ。これから「いれかえ」はないわけ。当然、選挙はしない。そして、反対者は、しょっ引いて、殺す。たぶん、殺す。まあ、殺さなくても、毒ワクチンを打たれて、数日後に死んでしまうというようなことが発生する。ワクチンを打っただけということになってしまう。

これ、本気でやろうとしているんだよ。みんな、ぜんぜんわかってないのな。まあ、あの毒ワクチンを受け入れてしまった人にはわからないか? 彼らの本気がわからないか?

 

 

2022年1月8日土曜日

全体のなかで80%、その集団のなかで80%なら、その行為は(影響を与えなかった行為だ)ということになってしまう

未接種者が原因でクラスターが発生しているというようなイメージあたえたい人たちが多い。まあ、政府とかメディアは、未接種者が原因で、感染爆発が起こっているというようなイメージをつくりたがっている。しかし、実際には、そうではない。

 新規感染者のなかで、接種者の割合が大きいことが問題になっている。 たとえば、クラスターが発生したとするだろ。新型コロナ新規感染者100人のうち、ワクチン二回接種者が80人、ワクチン未接種者が20人だとする。これをどうとらえるか? だ。

これはまちがった考え方だけど、いちおう、ベースとしてのせておく。80人が、二回接種者で、20人しか未接種者がいないのだから、二回接種者のほうが人数が多いので、コロナに感染しやすいという考え方だ。それに対して、いちおうまともに見える反論がある。それは、全体のなかで、接種者が増えたのだから、接種者のほうがおおくても、おかしくはないという考え方だ。これは、割合に注目しなければならない。

たとえば、全体のなかで8割が2回接種者だとしよう。そして、2割が未接種者だとしよう。そして、あるクラスターが発生して、あるクラスターを構成している人数が100人だとしよう。そして、100人のうち80人が2回接種者だとしよう。100人のうち20人が未接種者だとしよう。その場合、ワクチンには意味がないということを意味している。ようするに、ワクチンには感染を予防する力がまったくないということだ。打っても打たなくてもおなじだったということだ。

このことに関して、へんな説明をする人たちがいる。たとえば、「刑務所に入っている人のうち、80%の人がパンを食べたことがあるとする。人生のなかでパンを食べたことがある人が80%いるなら、刑務所に入った人のうち、80%人がパンを食っていたとしても、おかしくない。パンを食べた人がおおいのだから、パンを食べた人が8割もいるということは、パンを食べた人の犯罪率が高いということは意味しない」というような説明だ。

ようするに「全体のなかで、その属性をもつものが80%なら、刑務所に入っている人の80%がパンを食ったことがあるにしろ、それは、あたりまえのことだ」ということを言うわけだ。けど、これは、ちがう。新型コロナワクチンを二回受けた人は、新型コロナにかかりたくなくて、ワクチンをうけたのだ。もし、全体のなかで、80%の人が、ワクチンを二回受けたとして、なおかつ、クラスターのなかの感染者の割合が80%なら、ワクチンは、まったく意味がなかったということを意味しているのである。全体のなかで80%、その集団のなかで80%なら、その行為は(影響を与えなかった行為だ)ということになってしまうのである。その行為というのは、ワクチンを打ったいうことや、パンを食べたということだ。

それから、新型コロナワクチンを二回打つということは、その人の人生のなかで二回しかないことなんだよ。パンを食べるということは、その人の人生のなかで、頻繁にあり得ることだ。毎日食べている人だっている。いまの日本で、人生のなかでパンを食べたことがない人を探すことすら難しいと言えるのではないか。人生のなかで、普通に繰り返し行っていることと、人生中で、二回しか行わない「特別なこと」をいっしょに論じるということがまちがっている。もし、そのように論じるのであれば、ファイザー社がつくった「特殊なパン」を人生のなかで二回食べたことがある人と比べるべきなのだ。ようするに、どのようなパンでもいいから、パンを食べたことがあるということと、 ファイザー社がつくった「特殊なワクチン」を二回受けたことがあるということは、まったくちがうことなのだ。

どうして、こういうことがわからないのか?

だいたい、新規感染者と言ったけど、PCR検査で、陽性者になるということは、新規感染者になるということとは、まったくちがったことだ。しかし、故意に、おなじこととして扱っているのだ。これは、ようするに新規感染者を作り出すための政策だ。PCR検査・陽性者を新型コロナウィルス感染者としてあつかうことで、感染者をむりやりに、作り出しているのだ。だから、まず、こういうところにうそがある。今回、ウソの設定を使って、話をつくった。陽性者(イコール)感染者ということ自体が、まちがっている。

そこで、たとえば、刑務所とパンの話をする人に対して、それは詭弁だということを説明したいと思ったとする。その場合、この陽性者(イコール)感染者という前提自体がまちがっているのだということも、じつは、説明しなければならないことになる。ところが、そういうことは、説明しにくいのである。

おなじようなことが、いろいろなこところで成り立っているので、どこから話し始めればよいのかまよってしまう。

反・反ワクチン派が言うことは、全部が詭弁だ。そして、国や医者が、こういう詭弁を使うものの味方になっているのである。というか、詭弁を使うものが、国や医者の味方なのだ。そうなると、いろいろなやっかいな問題が発生する。

メディアで流されている「クラスター」に関する情報はほんとうに、信頼できる情報なのかという問題がしょうじる。情報自体に偽りがある場合は、その情報をもとにした話自体(議論自体)がむだだということになる。そりゃ、そうだろう。

たとえば、クラスター100人のうち、ほんとうは、80人が二回接種者、20人が未接種者だったとする。一回接種者は0人だったとする。その場合、未接種者のほうが、感染しやすいというイメージを繰り出したいという欲望が国やメディアにあったらどうなるか。ほんとうの人数は報告せず、クラスター100人のうち、80人が未接種者、20人が二回接種者だと報告すればいい。数字を作り出すことができる。メディアで公表されたことは正しいと思っている人は、「 80人が未接種者、20人が二回接種者なら、ワクチンはきいている」と思ってしまう。

ほかにも、調整のしかたはある。たとえば、接種したかどうか不明という項目をつくることで調整ができる。国民の8割が接種したという状態であり、なおかつ、ワクチンパスポートを実用化しようとしているのに、不明者がいるということはおかしい。そんなの、調べればわかるはずだ。不明者の人数を増やせば、感染者には未接種者が多いというイメージを作り出すことができる。

そもそも、国やメディアが「クラスター」をつくりたがっているというところがある。「新規感染者」を絶対の意地で増やそうとしているのである。これは、そういう意図がある。偶然に、クラスターが発見されたということではなくて、クラスターは、がんばって、意図的に作り出しているものなのである。

そもそも、PCR検査をしなければ、クラスターなんて、発生しない。そもそも、PCR検査をしなければ、新規感染者もいないということになる。PCR検査には、特定の感染症を判定する能力がない。PCR検査で、ある人がある特定の感染症にかかっているかどうか、判定することができない。PCR検査というものは、そもそも、そういうものではないのである。全部が全部、でっちあげ。

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刑務所にいる人のうち80%がパンを食べたことがある。だから、パンを食べる人は凶暴な人だとか、あるいは、パンを食べる人は犯罪を犯しやすいという、推論はまちがっている……という話だ。その推論はまちがっているのだけど、こういう発言をする人たちがどうして、こういう発言をするかというと、新規感染者のなかで、ワクチン接種者が多いとしても、それは、パンを食べた人が犯罪を犯しやすいという話がまちがっているようにまちがっているというようなことを言いたいから、パンと刑務所の話をするのだ。パンじゃなくてカレーでもいいけど。

けど、ワクチンとパンはおなじではない。こういうところに、ひっかけがあるのだ。これはちょっと説明するのがむずかしい。

まず指摘しておかなければならないのは、人数ではなくて、割合を問題にしなければならないということだ。けど、人数を問題にしてしまう人たちがいる。そして、そういう人に対して、「刑務所にいる人のうち80%の人がパンを食べたことがあるからと言って、パンを食べる人は凶暴だとは言えない」ということ言う人たちがいるのだ。これは、あっているのだけど、刑務所とパンの話ならあっているということだ。けど、こういう人たちがほんとうに言いたいのは、刑務所とパンの話ではない。ワクチン接種者と新規感染者の関係について言いたいのだ。 どういうふうに言いたいかというと、刑務所とパンの話とおなじように、ワクチン接種者と新規感染者のあいだには、比例的な関係しかないということだ。ワクチンを接種した人の割合が大きいように見えるけど、それは、ワクチンを接種した人の割合が大きくなったから、ワクチン接種した人の割合が大きいわけではないということを言いたいのだ……。そして、ワクチンは効果があると言いたいのだ。人数は多いように見えるけど、ワクチンには効果があると言いたいのだ。しかし、母集団の接種者の割合が80%であり、クラスターの接種者の割合が80%なら、じつは、そのワクチンには意味がないということを意味している。彼らは、人数が多く感じるだけで、実際にはワクチンの効果があると言いたいから、……誤謬の一例として……わざわざ刑務所とパンの話を出しているのだけど、じつはワクチンの効果がないということを言ってしまっている。これは、日本人の接種者の割合が実際に80%で、例に出てくるクラスターのなかの接種者の割合が80%だということに起因している。

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たとえばの話だけど、たとえば……刑務所にいる人のうち80%が、あるパンを一週間以内に食べたなら、そのパンが人を凶暴にする可能性があると推論するべきだ。パンじゃなくて、その特定のパンだよ。刑務所って、どこの刑務所だか知らないけど……。

じゃあ、たとえばの話だけど、刑務所にいる人のうち100%がコメを食べたことがあるとする。ならば、コメには人を凶暴にする力があるのかどうかということを考えてみよう。この場合、刑務所にいる人ではない人がコメを食べているかどうかが問題になる。たとえば、刑務所にいる人のうち100%がコメを食べたことがあり、刑務所にいない人のうち100%がコメを食べたことがあるのであれば、コメと「狂暴化」は関係がないということになる。この、刑務所に入っている人のうち……というように、どこの刑務所だかわからない刑務所の話をするということ自体がまちがっている。けど、そういうたとえ話をひっぱりだしてくる人は、あることを言いたいのである。そのあることというのは、これとおなじように、ワクチンが感染者を増やすということはないということだ。これは、この時点ではわからない。ただ単に、仮想的な例について考えているだけだからだ……。

しかし、実際には、ワクチンが感染者を増やしている。だから、実際には、まちがいだ。 ワクチンを接種すると、感染者が増える。何回も接種すると、感染者が増えた状態が続いてしまうのである。これ、外国の例になるけど、ワクチン接種率が高い国ほど、感染爆発が起こっている。ワクチンをまったく打たずに、イベルメクチンだけで対処したインドの州は、はやい段階で、感染者がゼロになっている。このインドの州の人口は約二億人だ。インドには州があり、ワクチンを導入することができた金がある州は、感染者率が高くなる。台湾も、ワクチンを打ってから、感染が拡大した。感染者が増えまくった。その国のなかのワクチン接種率と、その国のなかの感染者率は、正比例の関係にある。ほんとうなら、その国のなかのワクチン接種率があがったら、その国のなかの感染者率はさがらなければならない。ところが、そうなってないのである。

 

2022年1月7日金曜日

まあ、なんのかんのと言ったって、「楽しむ能力」を喪失したのは、ぼくだ。そいつらじゃない。

 やっぱり、ヘビメタでつらいなぁ。どうにもならない。

楽しむ能力をうしなったということがでかいんだよな。長期騒音の「負の効果」としてそういう効果がある。もう、これ、決まっている。ヘビメタ騒音にさらされながら、学校に通った六年と半年で、ぼくは、すべてをうしなった。とにもかくにも、くるしい。けど、これが、「感覚として」ほかの人にはわからないんだよな。そうすると、ヘビメタ騒音の影響を無視したうえで、その人の意見を言うということになる。これも、相手からすれば、「そうするしかないだろ」ということであり、俺が無理なことを言っているように思うかもしれないけど、いろいろと問題がある。もう、それは、佐藤(仮名)とのやり取りを再現したところで、話した。佐藤には、一般人の代表者として登場してもらった。ようするに、佐藤だけではないのである。ああいう反応をしたのは、佐藤だけじゃない。佐藤らは、気がついてないかもれないけど、俺を侮辱している。これも、侮辱にならざるをえないのである。

ともかく、いろいろな能力をうしなったんだけど、一番でかいのは、楽しむ能力をうしなったということかもしれない。睡眠回路を破壊されて、通勤する能力をうしなった。それも、ものすごくでかいことだ。能力の喪失としてでかいことだ。ちょっとだけ言っておくと、ヘビメタ騒音で通勤する能力がなくなるということは、ぼくにとって、あたりまえのことだ。そうならざるをえないのである。しかし、佐藤らのなかでは、騒音で通勤する能力がなくなるということは、事実ではない。「そんなことはないだろ」と思えることなのである。だから、ここでも、「ヘビメタ騒音『で』通勤する能力がなくなった」という文のなかにある『で』を無視する。無視して、通勤する能力がほんとうはあるだろという、前提で、ものを言ってくるのである。たとえば、「人間働かなければならない」ということだ。この場合の働くというのは、通勤して働くということなのである。当時、そうだった。いまは、通勤しなくても働けるけど、当時は、通勤しないで働くということは、不可能だった。もちろん、通勤して働いていた人が、会社を離れて、自宅で働くということは可能だった。けど、これは、普通に、何年間も、あるいは何十年間も働いてきた人が、独立して、自宅で働く場合に限られていた。そうじゃない場合はないのである。当時、働くというのは、通勤して働くということだった。たとえば、佐藤がそういう発言をしたとき、佐藤が、通勤をしないで働くことを想定して、そういう発言をしたかというと、そうではないのである。当時、働くと言ったら、会社で働くということであって、それは、通勤して働くということなのである。それに、相違ありませーーん。まあ、これだって、当時の常識といまの常識がちがうから、わざわざ、説明しなければならないわけだけど、発言の背後にある常識というものを考えなければならない。それは、言ってはないけど、発言の前提になるものだ。

きちがい兄貴が、きちがい親父のようにこだわって、こだわってこだわって、自分の思い通りにヘビメタを鳴らさなかったら、こんなことになってないんだよ。俺は普通に通勤する能力があり、通勤していた。通勤していたのだから、佐藤がそれについてとやかく言ってくるということはないということになる……。もちろん、現実は、ヘビメタ騒音で通勤す能力をうしない、通勤する能力がないので働けず、働いてないということについて、佐藤が、ヘビメタ騒音のことを無視した説教をしてくるということになる……。事実なった。こういうことなのである。ぼくの人生というのは、こういうことの連続だ。他人がなめてかかってくる。ヘビメタ騒音にやられなかったら、こんなことになってない。こんなことの連続でいいわけがないだろ。

じつは、「楽しむ能力」に関しても、同じようなことが成り立ってしまう。世間の、ヘビメタ騒音がなかった人と、ぼくのあいだには、へだたりがある。そのへだたりは、でかい。常に相手が、ヘビメタ騒音の影響を無視して、頭がおかしいことを言ってくるのである。これはもう、頭がおかしいことだ。無視するな!! 思考の力のかけらもないな。

まあ、なんのかんのと言ったって、「楽しむ能力」を喪失したのは、ぼくだ。そいつらじゃない。ぼくが、楽しむ能力を喪失してこまっている。ヘビメタ騒音『で』喪失して、こまっている。もとは、そうじゃない。繰り返しがどれだけ、でかいか。でかい効果を与えるか、ほかの人はわかってない。ほかの人の人生のなかで、そういうことがしょうじなかった。きちがい家族による、ヘビメタ騒音がなかった。長期にわたるヘビメタ騒音がなかった。ヘビメタ騒音の影響を受けて眠れない日が、何千日も続いてしまうということがなかった。なので、楽しむ能力を喪失してない。なので、本人のこととしては、まったくわからない。「なにいってんだ」と思う。「楽しい楽しいと言えば、楽しくなる」……。はぁーー……。「けっきょく、人生は一度きりだから、楽しんだもの勝ち」……。はぁーーー。「本当につまらないやつは、つまらないつまらないと言っているやつ」……。はぁーー。

これは、きつい。 

そういうことを言っているやつだって、何十年もきちがい的にうるさい物理刺激を受け続ければ、睡眠回路がやられ、きつい暮らしをがんばってするようになる。そうなると、すべてが引きつって、楽しくないということがしょうじる。これは、不可避だ。ともかく、生物的な毒であれ、長期間の物理刺激であれ、睡眠回路と「お楽しみ回路」がやられてしまったら、だめなのだ。それを、行動療法的な「努力」、認知療法的な「努力」でどうにかしようというのは、まちがっている。どうすることもできないから。話がちがうんだよ。どうしてわからないのか? まあ、そういうことが、人生のなかで生じなかったからわからないんだろうな。比喩的に「お楽しみ回路」と書いたけど、海馬と視床下部あたりが、関係しているんじゃないかなと思う。たぶん、そこらへんに、生物化学的な『損傷』がしょうじていると思う。これもまた、比喩的な表現になってしまうけどなぁ。 


まあ、ともかく、楽しむ能力を喪失したというのは、でかい。これ、でかい問題。

2022年1月6日木曜日

政府が国民をがんがん殺すつもりで、行動をしている

 ほんとうに、どうなるんだろう?

ヘビメタ騒音の問題がでかすぎる。この問題はほかの人にはわからないことだから、あるいは、ほかの人にはそもそもないことだから、俺が言っているだけになってしまう。たとえば、旅行とか、セミリタイア節約術みたいなことに関しては、みんなが関心があるので、そういうことを書いているサイトのほうが人気が出る。まあ、ぼくは、もう、人気なんてどうでもいいんだけどね。広告も、とったしな。だいぶ前から、広告をとろうと思っていたんだけど、めんどいのだ。めんどうくさい。こういうなんて言うのかな、やろうと思えば、数分でできるような作業でも、何か月も何年間もほったらかしにしているようなところがある。どーーしても、しんどくて、できないのだ。

考えただけで「もう、いやだ」と思う。なかなか、腰があがらない。そういうこと、ばかりだ。もう、なんか、作業がいやなんだよな。ちょっと考えただけで、憂鬱になる。

その憂鬱さの度合いが、ちょっと人とはちがうのである。「もう、死ぬしかないか」みたいな気持ちになる。今回、ぼくがどれだけ自分の「生」に執着しているかわかった。これ、みんな、ワクチンなんて大したことはないと思っているかもしれないけど、ほんとーーに、大きな出来事なんだよ。人類史的に、どんな出来事よりもでかい出来事なんだよ。戦争なんてもんじゃないんだよ。これ、殺す速度の問題で日常が成り立っているけど、ほんとうは、すごいことなんだよ。

ほんとうに、政府が国民をがんがん殺すつもりで、行動をしている。計画を立てて実行している。これが、見えてない人がいるんだよね。いま、言えば「陰謀論、おつ」みたいな返事が返ってくるのだろうけど、これだけ、やられているのに、陰謀「論」だと思っている、お人よし。お人よしすぎるよ。政府の悪意を感じないのか? 都知事、府知事、道知事の悪意を感じないのか? 鈍感すぎる。

論じゃないよ。実行しているよ。やっているの! 計画の段階だけどまだやってないのではなくて、やっているし、やったの!

今回、『白』が勝った。だから、まあ、時間がたてば、彼らがなにをやったのか、ほかの人にもわかるようになるだろう。けど、これだけやられているのに、「陰謀論」だと思っている人って、どうかしているね。

なんで「おかしい」と思わないのか、不思議でしかたがない。

厚労省の態度が最初からおかしいだろ。なんで、これがわからないのか?

ナチスの全体主義とか、日本における戦争中の全体主義とか、教科書で読んだだけで、どういうことなのか、自分の実感としてはわからなかったところがあったけど、今回のことで、わかるようになったよ。これ、「陰謀論だと思っている」……鈍感な人たちが作り出している。 

しくみが、ほんとうにわかった。どういうふうに、「さめている人たち」が追いつめられるのかわかった。どういうふうに、「わかっている人たち」が追いつめられるのか、わかった。これ、ひどい話だぞ。

これ、いまの段階で、説明しても、「ワクチンなんて大したことじゃない」と思っている人たちには、まったく通じないだろうな。この人たちは、非国民の人権をうばってきた人たちとおなじだ。自分たちだって、人間魚雷にされてしまうのに、そういう政府や軍部に賛成してきた人たちとおなじだ。時代はちがうけど、同じタイプの人たちだ。時代はちがうけど、おなじ思考法を持っている人たちだ。

もう、完全にわかった。どういうふうにおつめられていくのかわかった。どういうふうに人権がなくなっていくのかわかった。これ、いま生きているのに、わかってない人って、相当に鈍感だよ。常に多数派が、そういう人たちなんだよ。だから、政府が陰謀をする。

 

 

 

ほかの人は、そういうレベルの、そういう位相の「自分勝手な人」「自分がやったことを認めない人」を想定して、ぼくの話を聞くわけである

 やっぱり、ヘビメタでくるしい。どうしても、くるしい。どれだけの選択に影響を与えたか? これ、不可避なのである。毎日やられると、どうしても、選択ができなくなる。もし、ヘビメタが鳴ってなかったら、当然、選べた選択肢が選べなくなる。

そして、時間の経過とともに、そういう選択肢が増える。どうしても、ヘビメタでくるしい」などと言っても、ほかの人にはまったく意味が通じない。やはり、あの生活を、ぼくといっしょにしないと、わからない。

あの生活……あの時間の連続を経験しないと……自分の「み」で経験しないとわからない。だから、いつも、まとはずれなことを言われるということになる。そういう人生になってしまう。他者はすべて、ヘビメタ騒音について、なにも理解してない他者なのだから、必然的にそうなる。説明をしたって理解しない。

その人の理解というのはある。ことばを言えば、ことば「じょう」の理解がしょうじる。けど、その理解は、ぜんぜん、ちがう理解なのである。

けど、こういうことが、言ってみれば、きちがい兄貴の脳みそから生まれたことなのだ。あんなの、いっしょに住んでいる人しかわからない。

これ、ほんとうに、脳みそがかわった人だと……普通の人とはちがった認識システムを持っている人だと……こまるんだよ。「そんなのはない」ということになっているから。きちがい兄貴やきちがい親父は、自分の気持ちだけなんだよ。普通の場合でも「自分の気持ちだけ」である人はいる。

けど、その人は、自分が意地をとおしてやったことは、やったことだと認識している。きちがい親父やきちがい兄貴の態度というのは、自分が意地をとおしてやったことが、やってないことになっている態度なのだ。認識として「やってない」ことになっている。だから、そういう意味で普通の人とはちがう。

けど、きちがい親父やきちがい兄貴がそういうシステムを発動するのは、きまって、「うち」なのだ。そして、本人は、メタ的にも、やっているつもりがないのだ。ようするに、ほんとうに、やってないつもりでいる。そして、やってないつもりでいるということを、知らない。

これも、「関心がわかない」状態なのである。本人にとって、本人のそういう態度や行動や認識は、まったく関係がないことなのである。

これがこまる!! こまるんだよ!!!

どれだけこまるか、ほかの人にはわからない。こういう家族がいる人しかわからない。こういう家族がいる人にあったことがない。人生のなかであったことがない。「自分勝手」にしろ、認識はしている。認識回路が根本的にくるっているということがない。

だから、ほかの人は、そういうレベルの、そういう位相の「自分勝手な人」「自分がやったことを認めない人」を想定して、ぼくの話を聞くわけである。そうなると、その人の認知……ぼくの話を聞いた人の認知が、ぼくの実情とは異なるということになってしまうのである。

これも、相手にとってそういうことが「ない」以上、どれだけ言っても、つたわらないということになる。これは、もちろん、きちがい親父やきちがい兄貴の「わからなさ」とはちがう。けど、ぼくにとって、不都合なことにはかわりがなぃ。

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常に鳴ってた。

どうしても、くるしい。

無視できない。どーーーしても、くるしい。

ここにいるあいだじゅう、どうしても、影響を受けてしまう。この影響が、でかすぎる。ずっとやられていると、くるしい。いろいろなところで、複合的に影響を受けてしまう。影響を受けた結果が、悪い結果なので、その悪い結果の影響を受けてしまう。そして、悪い結果が生じたあとも、きちがいヘビメタ騒音が鳴っているところに帰ってくるということになる。ヘビメタ騒音のなかで、きちがいヘビメタ騒音をあびて、暮らすということになってしまう。

腕に打つと、腕のところにとどまって全身にまわらないという設定は、うそ。デマ。

 ワクチン後遺症は他人事ではない。これは、支配民と被・支配民の戦争なのだ。どうして、これがわからないのか?

だいたい、ワクチンを打ったあと、ワクチンは打ったところにとどまって全身にはまわらないということだった。ようするに、腕に打つと、腕のところにとどまって全身にまわらないという設定だった。

これも、でかいウソだ。

デマなのである。

実際には、全身にまわる。

ワクチン後遺症で、死んだ人を解剖すると、ちゃんと、原因となる臓器にm-RNAが確認できる。これ、ワクチンには、がん発生剤というべきものと、がん成長促進剤というべきものが入っている。

あとは、赤血球をねらう、謎の生命体も入っている。けど、赤血球をねらう、謎の生命体というようなことをいうと、いかにも、「デマ」のような印象を与えてしまう。なので、謎の生命体ではなくて、m-RNAについて説明をする。

このm-RNAは、4層のナノ粒子に包まれていて、全身にまわる。ナノ粒子が、m-RNAのスーツケースみたいな働きをするのだ。おそろしいことに、脳みそにも到達する。普通の物質は脳みそには到達しない。脳みその恒常性を維持するためにブラッド・ブレイン・バリアーというものがある。口から接種したものや、注射をされたものが、そのまま、脳みそに届くのは、めちゃくちゃにまずいものなのだ。

けど、例外がある。たとえば、覚せい剤や麻薬は、 ブラッド・ブレイン・バリアーをこえることができる。だから、脳みそに直接影響を与えることができる。脳みそに直接影響を与えることができる物質は、限られたものでしかない。ところが、ナノ粒子に包まれていることによって、ブラッド・ブレイン・バリアーをこえてしまう。このm-RNAは、じつは、プリオンたんぱく質を作りだことができる。脳みそで、プリオンたんぱく質がふえると、あんまり書きたくないやばい病気がしょうじる。ワクチンを打ったあと、人格がかわったとか、物忘れがひどくなったとかいう話を聞いたことはあるだろうか? その原因の一つが、プリオンたんぱく質だ。

スパイクたんぱく質のm-RNAは、スパイクたんぱく質だけを生成しているわけではない。プリオン、ヘルペス、HIVを生成している。こういう、からだに悪いものをつくるのに、からだを構成する正常な細胞を使っているのだ。ようするに、こういうものをつくる過程で、正常な細胞が破壊される。

 

2022年1月5日水曜日

年収800万円以上では、金としあわせ度は一致しないということと、金としあわせ度は一致しないということは、ぜんぜんちがうこと

 いろいろな不愉快なことを、思い出す。勝手に、うかんでくる。不愉快な出来事が多すぎる。金があればさけることができた不愉快な出来事も多い。あのとき、金があれば、あんなことになってない。金としあわせ度は一致しない……。くそ金持ちの戯言。ざれごと!! ほんとうに、こういうことがもっともらしく語られる。ある程度までは、金としあわせ度は一致します。もちろん、健康ならばということだけど……。もちろん、親兄弟がきちがいでなければという前提も必要だ。けど、金がほんとうにないというのは、不幸なことなのである。それだけで、不幸なことなのである。これを、否定するな。年収800万円以上では、金としあわせ度は一致しないということと、金としあわせ度は一致しないということは、ぜんぜんちがうことなんだぞ。省略して、あたかも同じだという前提でものを言うな!!!

 

 

「ワクチンで集団免疫を獲得するのは、むり(原理上ありえない)」

 いまだに、ワクチンを打ったあと、ワクチンの成分であるm-RNAは、すぐに分解されると思っている人たちがいるんだよな。いいかげん、気がつけ。もう、ここから、だまされているんだよな。そして、たとえば、一回目を打つときは、七割の人が打てば集団免疫ができるという話だった。

けど、実際には、集団免疫なんてできてない。

これ、日本だとあたかも、集団免疫ができたように見えるけど、そうじゃないのだ。接種率があがり、接種回数が増えるほど、感染者が増えるということになる。イスラエルを見ろ。フランスを見ろ。

そもそも、PCR検査で陽性である人は、新型コロナ感染者だということになっているけど、それも、ちがう。

ともかく、八割の人が一回目を打ったのに、集団免疫は獲得されなかったということに注目しろ。そして、感染は防げないけど、重症化は防げるという『くそ理論』をどうして信じてしまうのか?

作用機序を考えろ。

重症化を防ぐ要素というのはなんだ?

感染を防ぐ要素と重症化を防ぐ要素は、ちがうのか?

同じなのか?

中和抗体ですら、アルファ株にしか対応していない。新しい株が次々にできてしまうコロナウィルスに対して、ワクチンで対応するということは、そういうことなのである。そして、そのことは、最初から、一部の学者が指摘していたことだ。

変異スピードがはやいので、ワクチンで対応するのはむりだということは、最初に、指摘されたことだ。けど、そういう指摘を無視して、強引に、ワクチン接種をすすめてしまう。

こんなのは、おかしいでしょ。アルファ株に対応したワクチンをつくって、みんなに打つ頃には、別の株がはやっている……。そして、別の株に関しては、じつは、中和抗体ですら、悪い働きしかしないのである。その株だけに対応していると思っていい。その株というのが、じつは、なかったらどうなる? この世に存在しなかったらどうなる?

むだであるどころか、有害な中和抗体ができるということになる。有害な中和抗体は、ほかの株や、ほかのウィルスがからだに入ってきたとき、普通の免疫が、ほかの株や、ほかのウィルス対応しようとすることを、妨害する。

さらに、中和抗体だけができるのではなくて、感染増強抗体もワクチンを打ってしまうとできてしまう。ADEと言われる現象はある。作用機序もわかっている。けど、メディアに出てくる学者や医者がADEはないと言うと、みんなそれを信じてしまう。そのとき、メディアに出てくる学者や医者は作用機序を説明しているわけではない。ADEの作用機序について調べようとしない人は、ここでも、だまされる。

メディアに出てくる学者、医者「ADEはない」……(1)

まじめな学者「ADEはある」……(2)

メディアに出てくる学者や医者を信じている人は簡単に(1)を信じてしまう。まじめな学者が言っていることを信じない。どうしてかというと、メディアに出てないし、小さな研究所の学者だからだ。

「ワクチンで集団免疫を獲得できる」……(1)

「ワクチンで集団免疫を獲得するのは、むり(原理上ありえない)」……(2)

これも、(2)が正しいのに、(1)が正しいと信じる人が出てくる。しかも、(1)を信じる人が多数派だ。この人たちは、一回目、七割の人が打ったあとに、デルタ株があらわれると、デルタ株のせいで集団免疫が獲得できなかったのだから、しかたがないと考えてしまう。けど、そんなのは、アルファ株のワクチンをつくっているときから、わかっていることだ。そして、「アルファ株のワクチンをつくっているときから、わかっていることだ」ということを無視してしまう。

そして、二回目を打ってしまう。二回目を打ってしまったら、人権の放棄に賛成してしまうことになる。一回目から、じつはそうなのだけど、七割の人が一回目を打ったとき、集団免疫が獲得されなかったという事実に注目しようよ。七割の人がワクチンを打てば、マスクをしなくてもいいということになっていた。

けど、実際には、感染防止のためにマスクをし続けることになった。マスクには、じつは感染を防止するという機能がない。けど、これも、「ワクチンで集団免疫を獲得できる」という話とおなじで、正しいことが無視されてしまう。

七割の人が二回目を打ったら、こんどは、三回目だ。いいかげん、理解しようよ。なんで、そんなに、忘れっぽいんだ。忘れるな。彼らが言ったことを覚えていれば、彼らがウソばかり言っているということがわかるはずだ。時間がたつと、わすれてしまう。そのつど、もっともらしい理由をつけて、(彼らが)語るので、聞いている人たちは、彼らのウソを見抜けずに、彼らのウソを信じてしまう。もう、いいかげん、やめようよ。

 

2022年1月3日月曜日

「ちゃんとした証拠」

 反・反ワクの人が、「ちゃんとした証拠」と言った場合、「ちゃんとした証拠」というのが、なにを意味しているかというと、権威がある機関が出した証拠ということを意味しているのだ。

今回の場合は、そういうものはないということになる。どうしてなら、権威がある機関は、つねに、デマを流すからだ。そして、個人的なちゃんとしてない機関が、本当の情報を流すということになる。

反・反ワクの人にとってみれば、どこどこの研究者が個人的に出した情報はデマだということになる。

しかし、今回、権威側は、国民をだまして、ワクチンを打たせたいわけなのだから、ワクチンに関するネガティブな証拠というものは、出さないように気を使っている。日本は、法治国家で憲法が基本的な人権を保障しているので、「言い訳」程度には出すけど、それは、あくまでも、まずいことになった場合の「保険」だ。

いまだって、「九〇%の職員がワクチンをうけていません」とか、「ワクチンは強制ではなくて、任意です」ということを厚労省が言っている。

けど、それだとすると、ワクパスなどは、やはり、違憲政策だということになってしまうのである。どうしてなら、任意だから。参加をお願いしている状態なので、参加したかどうかで差別するのは、基本的な人権に違反する政策だということになる。

話をもとにもどす。反・反ワクの人にとって、ちゃんとした証拠というのは、権威がある機関が出した証拠ということだから、そんなものはないということになる。

製薬会社と国との契約で、ワクチンのなかみを公開しないというものがあったとしたら、ワクチンのなかみを公開できない。ワクチンのなかみは、個人的な研究者や小さな機関が公開するしかない。しかし、それは、危険がともなうことなのである。

反・反ワクの人は、個人的な研究者や小さな機関が公開した場合は、「そんな、小さなところが出した情報なんて、デマに決まっている」と考えてしまう。そもそも、こういう情報に、反・反ワクの人が到達することはない。

そりゃ、権威がある機関が出した情報にしかふれていないのだから、そうなる。もしかりに、個人的な研究者や小さな機関が公開する情報にふれた場合は、すぐに、「そんなのはデマだ」と判断してしまう。なので、まず、個人的な研究者や小さな機関が公開する情報にふれることがないし、かりにたまたまそういう情報にふれたとしても……目にしたとしても……熟慮することなく、デマだと判断してしまう。

反・反ワクの人は、権威のある機関が、本当の情報を公開するまでは、本当の情報にはたどりつけないということになる。今回の計画を立てた人たちは、そんなことは、最初から見越している。

 

 

 

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。