人間の印象として記憶のなかにある音というのは、たとえば、人間が絶叫した声の音はこのくらい、雷の音はこのくらい、広域放送の音はこのくらい、太鼓の音はこのくらいというような印象として記憶のなかにある音。
他の人から見れば、俺が異常にこだわっているように見えるのだろうけど、それは、ヘビメタ騒音に長時間、長期間にわたってさらされたことがないから。もし、ヘビメタ騒音に長時間、長期間にわたってさらされたなら、こだわると思う。ただ単に経験がないだけの話しでしょ。もっとも、僕もこういう経験がなかったら、わからないと思うけど。話しとしてはわかるけど、「いまのしんどさ」なんて言われても、(自分はしんどくないわけだから)わからないと思う。将来の不安とか、働けないからだとか言われたって、「俺が鳴らしたわけじゃないんだから、俺はそんの知らない」って思うよな。それはわかる。ヘビメタ騒音に関しては無理だ。どうやっても無理だ。これは、もう無理だ。
騒音サイコパス
これ、本当に思慮深い人じゃないとわからない。「ただのぐち」じゃないんだよ。ちゃんと文学になっている。わからないひとにはわからない。そういう人たちからみると「ただのぐち」にしかみえない。本当は心理学が扱っている深い問題を扱っている。現実としてこういう人生がある、現実があるということは、絶対につたえておかなければならないこと
やっぱり俺は、この人生が嫌だ。やられすぎている。
毎日、頑固にすべての時間鳴らしているやつが、どんなに言っても、「つもりがなかった」とか。こんな人生あるか? どれだけのこだわりで、鳴らしたか。どれだけのこだわりで、すべての時間鳴らしたか? 鳴らせる時間なのに、注意されたから、我慢してヘッドホンをするなんてことは、一分もなかったんだよ。どれだけこっちにとって、大切な日も。期末試験だろうが入学試験だろうが、鳴らせる時間は全部鳴らした。それで、「つもりがない」「そんなに鳴らしてない」とかアホすぎる。で、本当に、こういうやつに、やられた人生だ。どうしても、やられているのに、影響を受けないと言うことができなかった。鳴っていれば影響を受けた。どれだけ、影響を受けないようにしても、ヘビメタ騒音にさらされていれば……浴びていれば……不可避的に影響を受けた。しかし、その不可避的な影響に関しても、ぼろが出れば、俺のせいだと思われる。実際、遅刻したら、遅刻した俺が悪いと言うことになる。けど、だれが、あの環境で遅刻をしないで通えるというのだ? あれだけの時間、さらされ続ければ、どうしても、睡眠に影響が出る。どうしても、起きれないということが発生する。どれだけ強い意志で起きようとしても、何千日もやられていれば、そういう状態になる。
ほんとう、あいつ、しらんぷりだからな。
無視して、こだわってこだわって鳴らしたのに、鳴らしたと思ってない
そういう態度が破滅的にむかつく。
6ヶ月間やっぱり兄の騒音に悩まされていた人は(悩まされたことがある人は)僕に同情的だったけどな。