2020年10月30日金曜日

他の人のことがぜんぜん参考にならない



ヘビメタ騒音にやられた俺は、他の人のことがぜんぜん参考にならない。他の人の意見、他の人の生き方……全部、ぜんぜん、参考にならない。それにしても、この国の無職に対する偏見はすごいものがある。これは、ぼくの被害者意識とか、社会人に対する?逆偏見ではないから。けど、『無職の現象学』でも書いたけど、じつは、無職かどうかよりも『無職性』のほうが重要なのだ。判断基準として、重要だ。判断基準は、無職かどうかではなくて、無職性が高いかどうかだ。 

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きちがいヘビメタにやられた小学生時代、中学生時代、高校生時代をすごしたことがない人は、ヘビメタ騒音のすごさがわかってない。俺以外の人間がそういう人間なのだから俺が説得して、ヘビメタ騒音のすごさを説明しても、けっきょくは、わからないままだろう。だって、ほんとうに「毎日毎日」「毎時間毎時間」経験してなければ、わからないことなのだから……。どれだけ、ヘビメタ騒音が、生活や人生そのものに悪影響を与えるかわからない。「騒音なんて、鳴り終わったら関係がない」とか考えるやつは、ヘビメタ騒音が鳴ってない時間のつらさがわからない。こんなもの、俺にとっては、「妄想にとりつかれている人」とたいしてかわりがない。まちがったことを、信じている。そして、その信仰が生活の一部になっている。「騒音なんて、鳴り終わったら関係がない」と思ってしまう人は、「鳴り終わったら関係がない騒音」しか、経験してない。どれだけ、睡眠時間を圧迫するかわかってない。どれだけ睡眠の質をさげるかわかってない。どれだけ、人間関係に影響があるかわかってない。俺にしてみればこういうことを言うやつは、「なにもわかってないばか野郎」だ。しかし、そういう「ばか野郎」のほうが、圧倒的多数。俺の状況があまりにも異常なので、ほかの人にはわからない。きちがい兄貴の態度や性格がわからない。きちがい兄貴の「認知」がわからない。きちがいおやじの態度や性格がわからない。きちがいおやじの「認知」がわからない。「父親」や「兄貴」ということ関して、「そんな人いない」と考える人は、騒音の影響がわからない人と同じ間違いをおかすことになる。しかも、間違えたって、なんの、罰則もない。なんの悪影響もない。まさに、『いったものがち』『おもったものがち』……そういう世界だ。絶対少数と、絶対多数。……どれだけの偏見にさらされるか。偏見を持っているほうは、それが偏見だと気づくこともない。そういう世界だ。俺以外の人間はそういう人間……。こんな社会で、「ここちよく」生きていけるわけがないだろ。


ある、障害児教育の専門家が「もし、それがほんとうだとしたら、俺があつかっている子供よりもひどいな」と思ったとする。「それ」というのは、兄貴の性格や兄貴が普通にしてきたやおやじの性格やおやじが普通にしてきたことだ。ようするに、うちのおやじと兄貴は「もしそれがほんとうなら」障害児認定された子供よりもひどいということだ。「それがほんとうなら」というのは、「エイリさんが(兄や父について)言っていることがほんとうなら」ということだ。こういうことを思う専門家は、基本的に、ぼくのことを疑っている。ほんとうのことだと思ってない。そして、そこに、「騒音の影響に対する無理解さが」くわわる。そいつは障害児教育の専門家であると同時に普通の日本人なので、日本労働教徒の教えが、からだにしみついている。すべてのことを考えるとき、「日本労働教徒」の教えが体の中をかけめぐる。「日本労働教徒」の教えが、人に対する判断の基準になる。「日本労働教徒」の教えを守ってない他者は、異教徒であり、迫害してもいい存在なのである。どれだけ、『人権人権』と叫んでいても、普通の日本人であれば、無職者の人権はないと考える。そういうふうに行動する。そういうふうに行動しても、悪いことをしたとは思えない。偏見に基づく判断をして、人を見くだし、無理解な発言をしたとしても、まったく問題はないのだ。むしろ、「無職者でいるほうが悪い」と思うだろう。



ヘビメタ騒音の影響が甚大なのである。同じことをされれば、普通に働けない体になるのに、それがわからない。俺がヘビメタ騒音のことについて説明しても「そんなのは関係がない」と思えてしまう。

2020年10月29日木曜日

みんな、自由貿易について誤解しているんだよね


今回の新型肺炎のことなんだが……
中国が責任なんてとるわけないでしょ。
トランプが中国に責任をとらせるとか言ってたけど、むりむり。
けど、あれ、オバマ政権のとき、オバマが中国に研究所と人材をあげたんだよね。アメリカの金で、中国にウィルス(生物科学)研究所をつくってあげた。研究者も中国にうつった。だから、アメリカが持ち込んだ」という中国の言い分も、一理ある。だから、そういうことをしちゃいけないんだよ。中国という国に……。日本も、相当に技術供与してしまったけど、それはまずいことなんだよ。さらに、中国に進出?した日本企業の工場もひどいことになっている。何度も言うけど、自由貿易じゃダメなんだよ。俺が言ったでしょ。「付加価値じゃ勝負にならない。「工場製品をつくっている国が発展する」と。その通りになったでしょ。堺屋太一より、ぼくのほうが正しかったでしょ。あるいは、経済学者よりぼくのほうが正しかったでしょ。みんな、自由貿易について誤解しているんだよね。比較優位に関して誤解をしている。前提条件を無視している。前提条件は無視しちゃだめなのに……。
 

興味のある人は、『無職の現象学』を読んでね。

2020年10月28日水曜日

ほとんど寝てない状態で、根性で、動いていたから、意志が崩壊した


やっぱり、一か月に一回でも、日時を決められるとだめだ。日時を決められて、その時間に会いに行くようにすると、だめだ。脳みそ破壊度が波じゃない。もちろん、普通の人はそうじゃない。けど、俺は長年のヘビメタ騒音でそうなった。毎日、本当にしんどい思いをして起きた。その積み重ねが、ぼくの頭をこわしている。根性で毎日起きたから、睡眠回路がこわれた。ほとんど寝てない状態で、根性で、動いていたから、意志が崩壊した。常に体がだるい状態になった。常に、憂鬱な状態になった。そして、帰ると、きちがい兄貴がきちがい兄貴の態度で、きちがいヘビメタを、きちがい的にでかい音で鳴らしていた。きちがいだから、おやじの態度で、否定する。怒って鳴らし続ける。けど、鳴らし続けることができたなら、一分も鳴らしてないと思ってしまう。「そんなんじゃない」と思ってしまう。「そんなことはしてない」と思ってしまう。どれだけ言っても、兄貴の騒音で、勉強ができなくて困っているということを、きちがい兄貴が認めない。普通に考えればとてつもなくでかい音で鳴らしているのに、でかい音で鳴らしていると思ってない状態が、毎日毎日続く。毎時間毎時間続く。けっきょく、俺の毎日や毎時間が、だめになる。連続的に毎日毎日、だめになる。毎時間毎時間だめになる。影響を与えないわけがないだろ。どれだけの積み重ねがあったか。負の積み重ねがあったか。そういう負の積み重ねが、自分の人生の中で生じなかったやつが、ヘビメタ騒音の「負の影響」を小さく見積もる。ないものとして、俺に対面する。ヘビメタ騒音の「負の影響」がまったくないと考えて俺に対面するということだ。

こんなのない。

2020年10月27日火曜日

「君じゃなくて、彼だよ」(神経質な話)(人を傷つけるかどうかどこまで気にすればよいのか)


俺が、英語のチャットルームにいりびたっているときだった。とりあえず、登場人物をA、B、俺だとする。
Aは俺と知り合いで、英語とスペイン語と日本語が話せるやつだった。で、Bがスペイン語を話せるやつだった。で、Bがどうしても俺としゃべりたいと言ったらしかった。で、Aが「俺が仲介するから、Bと話してやってくれないか」と言うことを言った。なので、ぼくは「オッケー」と返した。ぼくは実は、そのほかに、三つの会話に参加していて、忙しかった。で、Aがそのまま、Bの話を、英語にして俺に伝えればいいのに、「いまの、オッケーというのは、俺と話すということなのか」と聞いてきた。で、俺は「君じゃなくて、彼だよ」と言おうと思ったのだけど、「君じゃなくて」の部分がAに対して失礼かなと思った。俺は、小さなことを気にする。これは、きちがいおやじが、ものすごく小さなことで怒り狂っていたからだ。きちがいおやじがいるときは、かならず、こどもや妻に怒り狂っているのである。で、小さなことと言ったけど、じつは、小さなことではなくて、ゼロのことでも、いちゃもんをつけて怒っていた。だから、「君じゃなくて彼だよ」というと、Aの気持ちを傷つけてしまうのではないかと思った。だから、返事をしないまま、ほかの会話に参加していた。それが、どうも、Bのこころを傷つけてしまったみたいなのである。こういうことがある。それを見ていた別の日本人が俺のことを人種差別者だと言い出したのだ。……あとで……そういううわさがたってた。もう、いやだな。「君じゃなくて彼」と言っておけばよかったのか。これだって、気分を害するやつは、害するんだよ。

2020年10月26日月曜日

ずっとずっとずっと、くるしかった。


朝の九時ぐらいから、昼の一二時ぐらいまで眠った……。
よかった。眠れた。けど、体がだるい。
あーー、この雰囲気。

ヘビメタ騒音にやられていた時とおなじだな。際限なく気ちがいヘビメタの闇が続く。昼間で明るいけど、闇。ほんとうに、くるしい。俺はもう、いやだ。こういうくるしさをどれだけ乗り越えてきたのか? けど、乗り越えてきたわけじゃないか。ようするに、くるしさが堆積してしまうのである。時間が長ければ長いほど、その雰囲気が「こく」なる。もちろん、「元気だ元気だ」と言っても、元気にならない。ヘビメタ騒音の「毒」のほうが濃い影響を与える。ずっとずっとずっと、くるしかった。

あれだけ言ったのに、きちがい兄貴がしずかにしてくれなかった。
これ、きちがい兄貴ときちがいおやじは同じ頭の構造だから、まったくなにもわかってないんだよ。自分にとって「そのとき」不都合なことを言われたら、真っ赤になって怒って、おしまい。まったくなにも、つながってない。まったくなにもわかってない。自分がやってないと思っているんだからな。ずっと続けて、きちがい的な意地でやっているのに……。どれだけ、気持ちが暗くなるか。雰囲気が暗くなるか。破滅・破綻に追い込まれるか。

 

*     *     *

 

どうするかな?
だるい。

飯は食わないで行こう。

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だるい。やることがあっても、なくても、なんかいやな感じがある。
ヘビメタ騒音にやられていたときの感じだ。あのときの昼の感じだ。あのときの午後の感じだ。これ、生きているかぎり終わらないんじゃないか。きちがいヘビメタにやられてないやつが、好き勝手ないことを言いやがって。どんだけくるしいか。

*     *     *



 

そして、この雰囲気だよ。この雰囲気。


また、三〇時間ぐらい起きている状態で、行動することになるなぁ。自転車、こげるかな?
あとは、やる気なんだけど、どうにもならない。せめて、三〇代のやる気が復活してくれればいいのだけど、いろいろとやって、もう疲れた。特に、おやじ・ネズミ関係で疲れたなぁ。ほんとうに、いろいろ、ありすぎた。

そして、この雰囲気だよ。この雰囲気。 


ヘビメタで、くるしかったな。ほんとうに、ヘビメタ騒音でくるしいだけの人生なんだよな。生まれたときから、気違いおやじにたたられて、一二歳以降は、ずっとヘビメタにたたられている。これ、本当に、やりようがないんだよな。「やりようはある」と思う人はいると思うけど、その人は、ヘビメタ騒音の数千日を経験してない。

2020年10月25日日曜日

「よる、ふつうにねむれない」ということが、どれだけの影響を与えるか?


ほんとうに、ヘビメタ騒音で……。あんな気分で、人とつきあえるわけがない。どれだけ、「つけあげ」があったか? 普段の俺が、普段の俺じゃないんだよ。ヘビメタにやられて続けている俺と、やられてない俺はちがうの!!あんな気分で女の子とつきあえるわけがないだろ。

あの、気分はない。小学六年生のときから「いえでべんきょうができない」ということが、どれだけ影響を与えるか? 積み重なって影響を与えるか? どれだけのことが積み重なるか? 学校の出来事と家の出来事で相乗効果がある。


小学六年生のときから「よる、ふつうにねむれない」ということが、どれだけの影響を与えるか? 「元気だ元気だと言えば、元気になる」とか、そういうことで、かたづくわけがないだろ。元気になるわけがないだろ。きちがい兄貴が一日目に、ヘビメタをやめなければ、無意味なんだよ。ヘビメタ騒音生活が続いている「なか」で、どれだけ「元気だ元気だ」と言っても、元気にならない。

どれだけ、つきあげられるか? 女の子といっしょにいれなくなってしまうだろ。普通の気分でいれなくなってしまうだろ。つれあったらつきあったで「受験なのにこんなことをしていていいのだろうか」という気分になってしまうだろう。

それは、きちがい兄貴が、俺の存在と俺の言い分を無視して、「しらんぷり」で、いつものように、いつものヘビメタを、ガンガンガンガン、本人が眠るまで鳴らしているからなんだよ。

きちがい兄貴のヘビメタが鳴っている時間は、俺がどれだけヘビメタ騒音を無視しようとしても、ヘビメタ騒音からのがれようと、部屋の中で自分の位置をかえても、どうにもならなかった。外に出れば、さすがに、ヘビメタ騒音からのがれられるけど、帰ってきたら、帰ってきた時点から、きちがい兄貴が眠る時点までずっと鳴っているという状態になる。

 

そういう状態が、たとえ、一分間でもくるしいのに……。

 

ヘビメタ騒音なしで、あの娘と普通につきあいたかった。普通に……。

あれ、気違いヘビメタがあると……どーーーしてもむりなんだよな。ヘビメタ騒音の圧迫。ヘビメタ騒音の発狂的な圧迫。圧迫がすべてをぶちこわす。たつせがない。勉強だって……恋愛だって……友達だって……。前の日のヘビメタでメチャクチャな状態なんだぞ。圧迫。あの、雰囲気はない。全部、メチャクチャになるんだよ。範囲を限定できないんだよ。不可避的にメチャクチャになるの!! おまえら、わかってないだけだろ。自分なら平気だと思っているんだろ。実際にやられたら、ちがうということがわかるよ。それが、一〇年も続いたら……。どんだけつもるか? あの娘と普通につきあいたかった。気違いヘビメタ騒音なしで普通につきあいたかった。
 

2020年10月24日土曜日

普通の人と、ちがいすぎるんだよなぁ


普通の人と、ちがいすぎるんだよなぁ。人生が……。生活が……。環境が……。だから、ほかの人のセミリタイア生活やセミリタイアに関する考え方を読むと、「普通だなぁ」と思ってしまう。「普通の生活をしてきた人はそうなんだろうな」「普通の生活をしてきた人はそう感じるんだろうな」と……思ってしまう。つくづく、俺は普通じゃない。
普通の人の話は別世界の話のようだ。

2020年10月23日金曜日

騒音って言ったって、こんくらいならいいんだよ。


めんどうくさいのはいやだ。もう、限界値だ。
風呂も入りたくない。けど、入らないとやばい。

こどもがきゃーきゃー言って、幼稚園で遊んでいる。幼稚園生ではないかもしれない。騒音って言ったって、こんくらいならいいんだよ。


つまんない。俺はもう限界だ。きちがいヘビメタ騒音にやられてから、いいことがない。ずっと、つらい。それで、本当に、完全に誤解される。これも、くるしい。他のやつに完全に誤解される。

本当に、内側にいるきちがいに、騒音攻撃を受け続けると、普通の人が敵になってしまうんだよな。どういうふうに敵になるかは、たとえば、佐藤のところを読めばわかる。けど、佐藤のところは無職になったあとのところだから、無職になる前は関係がないのではと思うかもしれないけど、そうじゃないのだ。無職にならなくても、個々のいろいろなことで、だいたい、佐藤との間に起こったことと同じようなことが起こる。

無職になる前からずっと、他の人から誤解されている。誤解を受けている。俺は、誤解されている。けど、普通の人は、それがわからない。佐藤のように、ヘビメタ騒音がそんなにでかいことだとは思わないからだ。そんなに、普段の俺の生活に影響を与えるものだとは思わないからだ。幼稚園の騒音のようにちょっと我慢すればいい騒音なのである。そいつらにとって、『俺のヘビメタ騒音』がそういう騒音なのだ。そういう騒音だと思ってしまう。けど、ちがう。破壊的にちがう。

 

俺が仮に、「ちがうのだ」ということを説明しても、そいつらは、理解しない。だから、そいつらは、自動的に俺の敵になる。もと親友のダイヤだってそうなんだよ。

ヘビメタ騒音がなければ、こんなことになってない。きちがい兄貴が、気違い兄貴モードで、知らんぷりで鳴らし続けなかったらこんな事になってない。他の人は、普通の騒音だと思っている。けど、ちがう。 うちのことは、他の人にはわからない。気違いおやじの頭のことだって、他の人にはわからない。ほんとうに、そういう頭の構造を持っているので、そういう人であり続けるのだ。気違い兄貴も同じ。気違い兄貴は、ヘビメタ騒音を鳴らしてから、気違いおやじをずっと無視している。だから、気違い兄貴は、アドラーみたいに、気違いオヤジの問題を、気違いヘビメタを鳴らしはじめたころから、気違いおやじの問題として切り分けている。けど、その気違い兄貴が、気違いおやじモードでやったことが、ヘビメタ騒音なのだ。ヘビメタ騒音はどれだけ無視しようと思っても無視できない。からだに影響がある。

気違いおやじのような人が家族ではない人、気違い兄貴のような人が家族ではない人は、基本的に、大きな誤解をする。しかも、誤解だとは思えない。俺が説明をしても考え方をかえないだろう。誤解したままだ。 

そして、そういう人が圧倒的多数なので、俺は生きづらい。佐藤よ。それが俺の答えだ。生きづらさに関する答え。

2020年10月22日木曜日

認知療法や精神世界が毒親にやられた人をおいつめる(せめる)(症状ひどくする)(破滅に追い込む)


俺は基本的に、ヘビメタ騒音でくるしい。たぶん、これがなかったら、まったく別の人格だっただろうと思う。別に「元気だ元気だ」と言わなくても、元気だったと思う。別に無理に笑おうとしなくても、おかしいときは笑える人間だったと思う。けど、ちがう。楽しくない。
働いている人間とも、リタイアして働いてない人間とも違う。若い人間とも年取った人間とも違う……。これはようするに、ヘビメタ騒音がない若い人や、ヘビメタ騒音がないとしとった人間とは、そもそもの考え方ちがうということだ。

考え方ではなくて、感じ方も違う。この感じ方は、ものすごく、根本的なところでの感じ方だ。そして、ヘビメタ騒音ときちがいおやじ(毒親)がそろってしまうと、明るい人や認知療法系の人や精神世界系の人やアドラー心理学系の人と相性が悪くなってしまうのである。

普通の人の考えだと、やはり、「思ったことが現実化する」「。いったことが現実化する」「引き寄せはある」「笑う門には福来たる」「ニコニコしていればいいことがある」ということになると思う。けど、これが、成り立たない。というか、これが、ようするに、「せめ」になってしまうのである。この仕組みがわかる人なんて、ヘビメタ騒音に長年やられた人しかいないと思う。

ヘビメタ騒音はともかく、いまの日本は、毒親にやられた人が、まわりの人から、せめられるような状態になってしまっている。しかも、認知療法とか精神世界とかそういうことを信じている人たちが、毒親にやられた人をせめるということになっている。ほんとうなら、認知療法は毒親にやられた人にとってプラスにならなければならないし、精神世界の話も毒親にやられた人にとって、プラスにならなければならない。

けど、実際には、マイナスになっている。

それは、たとえば、認知療法家が言う場合も同じだし、認知療法の影響を受けた元患者が言う場合も同じだし、一般読者用に書かれた認知療法の本を一冊読んだだけで、認知療法にかぶれた人が言う場合も同じだ。アドラーだともっとひどい。けど、認知療法に成り立つことはアドラー心理学にも成り立つ。認知療法家とかアドラーは「せいしんぼんぼん」なのである。人間的に成長した親に育てられた人たちなのである。ぜんぜん、わかってない。毒親のことがまったくわかってないのだ。この人たちはフロイト流の無意識を無視しているので、現象を理解してない。

問題なのは、一般の人がそういう本を読んで、普通にアドバイスしてしまうことだ。そりゃ、そこに書いてあることを信じているわけだから、そうなる。普通に解釈すればこういうことが書いてあると解釈するしかないわけだから、自分は正しいことを言っていると……どうしたって、思う。思うだろうと思う。



まあ、毒親といっても、いろいろなので、アドラー心理学が参考になったと言う「毒親サバイバー」もいるかとは思う。毒親と言っても、フロイト流の無意識を抱えている毒親とそうではない毒親がいるのである。フロイト流の無意識を抱えている毒親にやられた人は、認知療法の信者やアドラーの信者から、せめられる。基本的に、まったく、プラスにならない。むしろ、マイナスになる。認知療法ですすめられている考え方や方法は、じつは、フロイト流の無意識を抱えている毒親にやられた人を強迫神経症に追い込む。症状をひどくする。どうしてこれがわからないのか?


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2020年10月20日火曜日

ヘビメタ騒音にやられてないから、感覚が正常だ

 つまんない。他の人はいいなぁ。ヘビメタ騒音にやられてないから、感覚が正常だ。俺は、もう、やられ続けて、どうにもならない。感覚が正常じゃないんだよな。 

つまんない。感情、死んだ。

つまんない。

2020年10月19日月曜日

ヘビメタ騒音で、体調が悪いということさえ、俺の責任にされる


おもしろくない。人間が、いやだ。どうして、ヘビメタ騒音でくるしいと言っているのに、それを認めないのか? どうして、ヘビメタ騒音でできないと言っているのに、それを認めないのか?

そんなことはたいしたことじゃないと決めつけて、俺をバカにする。そんなことは影響を与えないと、あほな判断をして俺を見くだしてくる。しかも、まったく悪気がない。「そんなのはあたりまえ」なのである。「その年で働いてないのは異常」なのである。「どんなことがあったって、楽しく生きていける」とヘビメタ騒音の「影響」をことを認めずに言う。


おまえ、どれだけヘビメタ騒音で積み重なっているか? それは、別に「無職期」以降のことじゃない。一日目から、こういうかたちで、人から誤解されている。それは、俺にとって、どうでもいいことじゃない。毎日そんなことが積み重なって、いいわけがないだろ。

 

けど、きちがいヘビメタが鳴っていると、どうしてもできないということになる。ほかの人には、「ヘビメタ騒音が鳴っていると、どうしてもできない」という必然性がわからない。体で感じたことがないからわからない。「そんなことはない」と思ってしまう。「どれだけ鳴ってたって、勉強はできる」と思ってしまう。「どれだけ鳴ってたって、鳴り終わったら、ぐっすり普通に眠れることができる」と思ってしまう。

 

もし、鳴り終わったら、ぐっすり普通に眠れることができるのであれば、そうしないエイリが悪いのだということになってしまう。こだわるから悪いのだということになってしまう。「眠れななんていうのは、いいわけだ」といこうとになってしまう。どれだけ、はさまれるか? どれだけ主観的な感覚が違うか?

そうなると、すべては受け止め方の問題だという、例の、フラットな理論が持ち出されることになる……。たしかに、ヘビメタという音楽に関しては、受け止め方の問題だけど、きらいな音がでかい音で鳴っているということに関しては、相当に受け止め方の問題じゃない部分がある。平日一日に七時間鳴ってたらくるしいだろ。休日、一日に一三時間鳴ってたら、くるしいだろ。やられたことがないからまったくわかってない。
 

ヘビメタ騒音で、体調が悪いということさえ、俺の責任にされる。「健康管理ができてないのは、おまえのせいだ」ということだ。きちがいヘビメタを、家族に!あの態度で鳴らされて、睡眠がうまくいかないのに、元気だなんてことはないんだよ。

これも、「元気だなんてことはないというから、元気じゃなくなる」と言霊主義者がせめてくる。元気じゃなくなるというから、元気じゃなくなるわけ(元気ではない状態になるわけ)ではなくて、ヘビメタ騒音が鳴っているから、元気じゃないんだよ。

あるいは、ヘビメタ騒音がずっと鳴っていたから、元気じゃなぃんだよ。けど、そういう人とは「みぞ」ができる。そういうことを言われて、気分がいいなんてこともないんだよ。

「みぞ」を感じて、いい気分になれるなんてこともない。

しかも、俺は、そいつが「元気だなんてことはないというから、元気じゃなくなる」「元気だ元気だと言えば、元気になる」と言う前から、そういう方法はずっと試みている。やってもみないで、捨てられた理論じゃないのだ。けど、言霊主義者は、時系列的なことを無視する傾向があるから、そういうことをちゃんと説明しても、理解しない。俺が言っていることを、理解できない。

 

2020年10月18日日曜日

いまだって、そうなんだよ。


ヘビメタ騒音でボロボロになって……そりゃ、こういう状態にもなるだろう。興味を失うだろう。感情が麻痺してしまうだろう。ぼくが、気違いヘビメタでボロボロのからだを動かしていたころ、世間の人は、俺につらくあたった。いまだって、そうなんだよ。
 

生まれながらの格差は、本当はでかい影響を与えているので、無視するべきではない


頭がもやもやする。「これはもう、おわりかな」なとど思ったりする。さっき、横になっていたとき、いろいろと考えた。保の人には、逆立ちしてもわからないことだ。そして、わかりたくもないだろう。うまれるまえに、自分の人生を選べるなら……自分の人生の出来事を選べるなら……だれがこんな人生を選ぶか? 気違いオヤジのハンディと、気違いヘビメタのハンディがでかすぎる。他の人には、これが見えない。見えなければ、ないのと同じだ。見えなければ、「さいしょから」ないのと同じだ。ハンディがない状態を俺を想像できない。こいつらは、ハンディを抱えて弱っている俺に、気違い的なアドバイスをする。いや、ハンディを無視している……なかったことにしている……という点を考えると、気違い的な、無理なアドバイスなのだけど、彼らにしてみれば常識的なアドバイスだ。彼らは、ヘビメタ騒音の長さがわからない。実際に、経験した場合の長さがわからない。そして、それがどういう影響を与えるか、わからない。あたえ続けるかわからない。どういうふうに、時系列的に波及していくのか……自分のことじゃないから……まったくわからない。本人にしてみれば、的確なアドバイスなのだろうけど、こっちにしてみれば「まとはずれ」のアドバイスだ。で、これがまた、アドバイスの前提になっている考え方を指摘すると、そいつらはみんな、怒り狂う……とまではいかないけど、かなり不機嫌になって怒る。ほんとう、他の人がわからない形で、気違い的な家族にやられつづけると、こうなってしまうんだよな。相手? 相手は、悪気はないさ。けど、たとえば、こっちが無職であれば、無職だと思って……バカにしたあと、アドバイスをするんだよ。俺が教授だったらそんなアドバイスはしない。俺が、ヘビメタ騒音で弱りきって、無職だから(当時)、無職に対して、当然のアドバイスをするということになる。無職に対してはそういうアドバイスをしてもよいのである。こいつらは、みんな!!!生まれの格差を無視している。気違い家族に囲まれたら……どうしたってひきうけなければならない、いろいろな不幸な体験を無視している。生まれながらの格差を無視している。


生まれながらの格差は、本当はでかい影響を与えているので、無視するべきではない。なににでかい影響を与えているかと言うと、その人の、過去とその人の現在の状態にでかい影響を与えている。才能か環境かということが議論されることが多いけど……才能も環境も関係があるけど……環境のほうがでかい影響を与える。これ、相乗効果があるものだから、どっちがどっちということを決めることができないのだけど、環境が『才能』を支配してしまう状態のほうが多い。生まれながらに決まっている才能というのは、わりと、割合が小さい。脳みその『発達』や体の『発達』は、環境の影響を大きくうける。才能は、生まれたときに固定されてしまうようなものではないのだ。時系列的に『環境』でかわっていく。

ともかく、ヘビメタ騒音の毎日を経験してないやつが、結果としての無職(当時)や結果としてのひきこもりを重視して、あれこれ、的はずれなことを言うのは、ゆるせない。ヘビメタ騒音がなければ、無職期間を経験しなかったし、引きこもり期間を経験しなかった。ようするに、簡単に言うと、ヘビメタ騒音が続かなければ、無職じゃなかったし、引きこもりにもなってない。なめている。そいつらだって、あれだけヘビメタ騒音が続けば、どれだけ才能がある人でも、どれだけ体力がある人でも、どれだけ精神力がある人でも、今の社会において、無職になるのに、自分は(たとえ、そういう事があったしても)無職なんかにならないと思って、説教をしはじめる。アドバイスは本当は、不適切なのだけど、間違った前提で不適切なアドバイスをしてくる。

2020年10月15日木曜日

眠れなかったので、だるい


眠れなかったので、だるい。眠れなかっただけではなくて、風邪をひいたようにだるい。これは、風邪ではなくて、ヘビメタ騒音病なのだ。だから、人にはうつらない。ウィルスでそういう症状が出ているわけではないから。けど、だるい。ネズミのことを考えると、憂鬱な気分になる。対処がたいへんだからだ。ネズミの場合は、ウィルスや細菌の問題はある。ネズミ本体だけではなくて、ネズミについているダニやノミにもウィルスや細菌の問題はある。ネズミにとりついて、ネズミの血を吸っているダニは、やばいダニなのだ。

それが数千日続いたら、普通の状態ではなくなる

 
幼稚園?
うるさいよ。こどもがものすごい奇声を発生している。しかも、複数。
ぼくは、幼稚園の騒音やマンションの騒音でこまっている人も、こまっているのだと思う。けど、ヘビメタ騒音の破壊度がすごいのだ。このヘビメタ騒音はきちがい兄貴のヘビメタ騒音ということだから……。普通の騒音とはレベルがちがうんだよね。ほんとうに「破壊的」。くるしいんだよ。

一秒間だろうが、一分間だろうが。それが、何時間もなっている状態というのは、普通の人は、考えられない。影響を受ける。どうしても、眠れなくなる。そして、たしかに、「どれだけ、動きたくなくても、まずうごく」とかそういうことは、初期の段階ではできるのだけど、だんだん、できなくなる。行動主義心理学はペテン。うそ。


やはり、その人の経験とかそういうことを考えてない。「人間」なら、こうだという言い方をしている。

寝不足で、動きたくないときに、動かなければならないとなると、どうしても、「憂鬱」になるのである。それが数千日続いたら、普通の状態ではなくなる。この普通の状態というのは、そういう状態が数千日続かなかった場合の(その人の)状態だ。そういう出来事が数千日続いて、体が変化を受けた状態と、そういう出来事が発生せずに、からだ(そのことで)変化を受けてない状態を、同じ状態だとは考えられない。毒にやられた人間と、独にやられてない人間を、同じ人間だからと言って、区別せずに「人間ならこうだ」と言ってしまうのは、問題がある。

行動主義心理学者が「やる気」なんて、最初からないから、「やる気を出す方法なんてない」ということを言った。「やる気」というのは、やる気がない人間が考え出した概念だから、「やる気」などというものは、そもそもないのだ……ということだ。けど、「意欲」に関しては、行動主義心理学者も考えなければならないのである。「やる気」を「意欲」と言い換えれば、「意欲なんてそもそもない」ということは言えない。それから、「まず、行動を起こすには、頭の上にエネルギーの球を想像して、それが、頭の中に落ちてくるところを想像すればいい」などと言っているのだ。これが、「やる気を出す方法」なのではないのか。問題なのは、意欲がないにもかかわらず、意欲を出して行動しなければならないところなのである。

話がとぶけど、マンションの騒音になやんでいる人に、ヘビメタ騒音のほうがひどい騒音なので、その騒音はたいしたことじゃないというつもりはないのだ。ヘビメタ騒音のほうがひどい騒音だと思うけど、マンションの騒音になやんでいる人にとっては、その騒音は、無視できない、でかい騒音だ。騒音問題自体がでかい。だから、ヘビメタ騒音よりも、たぶん、小さい騒音だからなやむ必要がないということ言っているわけではないのだ。それは、なやむでしょうということを言いたいのだ。想像の公的な基準というものを考えたとする。その場合、あの人が言っていたマンションの騒音、あるいは、上の階のこどもがあばれることによって出る騒音は、想像の公的な基準よりも、上だと思う。ヘビメタ騒音もそのマンション騒音も、想像の公的な基準よりも上の騒音だと思うけど、ヘビメタ騒音のほうが、たぶん、そのマンション騒音よりも、強烈だということだ。ヘビメタ騒音よりも「した」の騒音だろうから、なやむ必要がないということを言っているのではないのだ。なやむに相当する騒音でしょうということを言っている。……気違い兄貴のヘビメタ騒音よりもしずかだと思うけど。

粘着面につかないように、ふれないように、行動をしている。


ネズミシートの上に、箸セットの箱をのせて、通ったみたいだ。ネズミが……。あいつら、頭がいいなぁ。おやじが「俺が捕まえるからいい(工事はしなくていい)」とがんばっていた期間に、いろいろとあって、ぼくはあそこらへんをいじりたくない気分になっていた。だから、いろいろとあらされている。ほんとうは、サイドボードもなにもかも撤去して、穴?の前にネズミシートを置くべきなのである。けど、ネズミシートは、相当に警戒されていて、粘着面につかないように、ふれないように、行動をしている。

まあ、これから出かけるから、ネズミがつかまっているところを見ないほうがいいのだけど、それにしても、長期戦になってきた。
 

「健康管理ができてないのは、おまえのせいだ」


おもしろくない。人間が、いやだ。どうして、ヘビメタ騒音でくるしいと言っているのに、それを認めないのか? どうして、ヘビメタ騒音でできないと言っているのに、それを認めないのか? そんなことはたいしたことじゃないと決めつけて、俺をバカにする。そんなことは影響を与えないと、あほな判断をして俺を見くだしてくる。しかも、まったく悪気がない。「そんなのはあたりまえ」なのである。「そのとしで働いてないのは異常」なのである。「どんなことがあったって、楽しく生きていける」とヘビメタ騒音の「影響」をことを認めずに言う。
おまえ、どれだけヘビメタ騒音で積み重なっているか? それは、別に「無職期」以降のことじゃない。一日目から、こういうかたちで、人から誤解されている。それは、俺にとって、どうでもいいことじゃない。毎日そんなことが積み重なって、いいわけがないだろ。けど、きちがいヘビメタが鳴っていると、どうしてもできないということになる。ほかの人には、「ヘビメタ騒音が鳴っていると、どうしてもできない」という必然性がわからない。体で感じたことがないからわからない。「そんなことはない」と思ってしまう。「どれだけ鳴ってたって、勉強はできる」と思ってしまう。「どれだけ鳴ってたって、鳴り終わったら、ぐっすり普通に眠れることができる」と思ってしまう。もし、鳴り終わったら、ぐっすり普通に眠れることができるのであれば、そうしないエイリが悪いのだということになってしまう。こだわるから悪いのだということになってしまう。「眠れないなんていうのは、いいわけだ」といこうとになってしまう。どれだけ、はさまれるか? どれだけ主観的な感覚が違うか? そうなると、すべては受け止め方の問題だという、例の、フラットな理論が持ち出されることになる……。たしかに、ヘビメタという音楽に関しては、受け止め方の問題だけど、きらいな音がでかい音で鳴っているということに関しては、相当に受け止め方の問題じゃない部分がある。平日一日に七時間鳴ってたらくるしいだろ。休日、一日に一三時間鳴ってたら、くるしいだろ。やられたことがないからまったくわかってない。
ヘビメタ騒音で、体調が悪いということさえ、俺の責任にされる。「健康管理ができてないのは、おまえのせいだ」ということだ。きちがいヘビメタを、家族に!あの態度で鳴らされて、睡眠がうまくいかないのに、元気だなんてことはないんだよ。これも、「元気だなんてことはないというから、元気じゃなくなる」と言霊主義者がせめてくる。元気じゃなくなると言うから、元気じゃない状態になるわけではなくて、ヘビメタ騒音が鳴っているから、元気じゃないんだよ。あるいは、ヘビメタ騒音がずっと鳴っていたから、元気じゃなぃんだよ。けど、そういう人とは「みぞ」ができる。そういうことを言われて、気分がいいなんてこともないんだよ。「みぞ」を感じて、いい気分になれるなんてこともない。しかも、俺は、そいつが「元気だなんてことはないというから、元気じゃなくなる」「元気だ元気だと言えば、元気になる」と言う前から、そういう方法はずっと試みている。やってもみないで、捨てた理論じゃないのだ。けど、言霊主義者は、時系列的なことを無視する傾向があるから、そういうことをちゃんと説明しても、理解しない。俺が言っていることを、理解できない。
 

体の具合が相当に悪い。


体の具合が相当に悪い。
どうするかな?

また、ことわりの電話を入れるのか?
 

2020年10月14日水曜日

全体感情というのがある

俺はものすごくつかれた。
眠れないけど、横になる。

ほんとう、つまんない。

これは、どうしょうもないな。はやく、眠らないとだめなんだけど、眠れるかな。


全体感情というのがある。意志で制御できない感情も含んでいる。感情だけではなく「体調」として語られるものも、感情を形成しているのではないかと思う。人間として、疲れた場合、疲れというのはほんとうに感情抜きで語ることができるものなのだろうか? どうしても、疲れは、感情に類した感覚を持っているのではないだろうか。もたらしているのではないだろうか。

「元気だと言えば元気になる」とか「くるしくてもわらえば楽しくなる」とか、そんなことで、元気になったり、楽しくなったら、うつ病の人なんて、この世からいなくなるだろ。どうして、こういう人たちは、そういうことを、万能薬のように考えるのか? 一〇〇%、だれでも、成り立つと考えるのだろうか。

ヘビメタ騒音でつらいと言っているだろ。ヘビメタ騒音でつらい場合、「元気だ元気だ」と言っても元気にならない。くるしくても、笑えば、楽しくなるかというと楽しくならなぃ。それは、もう、小学生、中学生、高校生のときに、確かめているんだよ。逆に、ヘビメタ騒音「で」くるしくてくるしくてしかたがないのに、「元気だと言えば元気になる」言われるとほんとうに、憂鬱な気持ちになる。死にたくなる。おまえら、そういうの、ぜんぜんわかってないだろ。ヘビメタ騒音がどれだけつらいかわかってないだろ。ま・い・に・ち・つみかさなるヘビメタ騒音がどれだけつらいかわかってないだろ。ヘビメタ騒音がどれだけつらいかわかってないだろ。ま・い・に・ち・つみかさなるヘビメタ騒音がどれだけ、体調に影響を与えるかわかってないだろ。

ヘビメタ騒音のなかで「元気だ元気だ」と言ったら、狂いそうになるんだぞ。発狂しそうになるんだぞ。くるしくてくるしくて自殺したくなるんだぞ。ヘビメタ騒音が鳴り終わったあと、「元気だ元気だ」と言ったら、泣きそうになるんだぞ。自殺したくなるんだぞ。おまえら、まったくわかってないだろ。

「元気だと言えば元気になる」と言っている人たちが、経験している「つらさ」や「憂鬱感」とはちがうんだよ。ヘビメタ騒音のあと、布団に入って、笑えば、楽しくなるか? ものすごい破滅感で死にそうな気持なる。

あとは、そういう一四年間を経験したあとだと、どうも、違う状態になってしまう……みたいなのである。それ、わかいころから、ずっとそういう状態でくらしてきたら、やはり、元気がなくなる。やる気がなくなる。いつもしんどい状態になる。……けど、こいつらは、そういうことを認めない。「元気だ元気だ」と言えば元気になると思っている。どんな状態でも、どれだけくるしくても「元気だ元気だ」と言えば元気になると思っている。「元気にならない」ということを言われると、腹を立てる。彼らにとって、それは、絶対の真実なので、まるで、教祖の悪口を言われたように、腹を立てる。教祖の教えが真実だとして、その真実を否定されると、腹を立てるというのは、わかる。これは、信仰。宗教的な感覚。

けど、これも、考えてみれば、かなしいことだ。不幸なことだ。きちがい兄貴がきちがい的な意地でヘビメタを鳴らし続けただけで、俺とそういう信仰を持っている人たちの間に亀裂がしょうじる。俺は、サービスで「そうですね」と言うことができない。俺が、何千日、試してきたと思っているんだよ? と言いたくなる。

おやじが、兄貴に、うちにある安いはんだごてを持たせることに夢中になっているとき、兄貴とほかの人との間に亀裂がしょうじるとは思ってないだろ。けど、しょうじるんだよ。「そんなの、大人の人が言うわけないだろ」「おまえ(兄貴)の説明のしかたがわるかっだけだろ」と言われるんだよ。気違いおやじには、どれだけちゃんと説明してもわからないのに、きちがいおやじには、どれだけちゃんと説明してもわからないということが、ほかの人たちにはわからない。だか、この場合は、兄貴が、ひどい目にあうということになる。それと、ちょうど同じことが、俺と言霊信者の間に成り立っている。きちがい兄貴のヘビメタというものが与える影響が、ほかの人には、まったくわからない。「ただうるさいだけだろ」「鳴り終わったなら関係がない」と思ってしまう。亀裂がしょうじる。

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何時間も何百回も何千回も何万回もぶたれたあと『元気だ元気だ』と言っても、元気にならないだろ。破滅的なくやしい気持ちで、笑顔をつくっても、楽しくならないだろ。気違い騒音にぶたれまくっていた。俺は毎日毎日、何時間も何時間も、何万回も何万回も、音にぶたれていた。脳みそを、ぶたれていた。あの感覚はない。あの状態で勉強なんできるわけがないのに、『どれだけ騒音が鳴ってたって勉強なんてできる』と言うやつは、ほんとうの騒音が、意志に関係なく、どれだけ脳みそにこたえるか、わかってない。ほんとうに、あの音は、うがうんだって言っているのに。幼稚園の騒音とはちがうと言っているでしょ。けど、そういうふうに言うと、幼稚園の騒音でなやんでいる人のなやみを否定したようになってしまうんだよな。これは、まずかった。

 

 

精神世界的によさそうなことを言っているのに?けっきょく、借金で自殺する人たちを増やしている


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精神系詐欺本というものがあるような気がする。
こういう、レベルなんだよな。こういう、つくりばなしに、感動する人たち? 涙を流す人たち? あーー、あほらしい。


けっきょく、へんな儲け話に引っかかる人を量産しているような感じがする。そもそも、こういう「つくりばなし」が、つくりばなしであるということに気がつかないというのがおかしい。もし、本当に気がつかないで、実行してしまったら、借金で首が回らなくなるだろう。なにか、精神世界的によさそうなことを言っているのに?けっきょく、借金で自殺する人たちを増やしているというブラックジョークのような状態。
感動している人たちは、「さくら」で、ほんとうはそういう人たちは少ないということを願っている。
けど、ほんとうに、無知な人たちをおとしいれるようなことばかり書いてあるな。

 

2020年10月13日火曜日

他の人が寝ているあいだ、ぼくはずっと、くるしみっぱなしだった

 どれだけ、「あれはない」とか「あのときの、あれはない」と言ったところで、他の人にはわからないからな。ヘビメタ騒音でほんーーとーーーに、つらかった。言いようがない。

 

いまの時間も鳴ってた。三六五日中、三六五日、いまの時間、鳴ってた。くるしかった。だから、鳴っているあいだのくるしさと鳴り終わったあとのくるしさがある。どっちも同じぐらいにくるしい。そして、夜、他の人が寝ている時間、破滅破綻がやってくる。あのときの、あれもない。他の人が寝ているあいだ、ぼくはずっと、くるしみっぱなしだった。あんなのない。毎日毎日、あんなが続いていいわけがない。他の人にはまったくわからない。他の人は気違いヘビメタがないので、普通に眠れたわけだから、僕が毎日経験していた、あの地獄の時間がない。それで、「みんな、くるしい」とか言う。ヘビメタ「で」くるしいと言っているだろう。おまえらは、どうして……それがわからないんだ。ヘビメタ騒音「で」くるしいと言っているのに……。ヘビメタ騒音で「で」きないと言っているのに……。ヘビメタ騒音「で」できなくなったと言っているのに……。ヘビメタ騒音がないやつができるから、できるという、クソ理屈を言ってくる。こんなの、ない。

 

 

2020年10月11日日曜日

『引き寄せ』と『自己責任論』


「引き寄せ」パラダイムには、現世でご利益をうけたい人が、むらがっている。別に、それでいいと思う。だれだって、楽しい思いをしたいし、楽な思いをしたい。自分の願望があれば、かなえたいと思う。それが、普通だ。

 

けど、「引き寄せ」パラダイムには問題がある。それは、不幸な人に対して「不幸な人は不幸なことを引き寄せたからだめなんだ」と言ってしまう問題だ。「だめなんだ」と言わなくても、『不幸な人は、不幸なことを引き寄せたから、不幸なんだ』というような考え方自体が、傲慢なのである。これは、容易に自己責任論に置き換わる。ようするに、「不幸である人は、不幸なことを自分で引き寄せたので、自己責任だ」という理論に置き換わってしまうのである。
 


「不幸なこと」という言い方や「すでに不幸な人」という言い方だとよくわかからないかもしれないから、具体的な例をあげるとする。
引き寄せパラダイムを持っている人は、他人の不幸な出来事に対して、こういう見方をするようになる。

・コロナウィルスにやられた人は、コロナウィルスを引き寄せたから、だめなんだ。
・病気になった人は、病気を引き寄せたからだめなんだ。
・事故にあった人は、事故を引き寄せたからだめなんだ。
・家族が死んでしまった人は、家族が死ぬという出来事を引き寄せたからだめなんだ。

もうちょっと、具体的に書こう。

たとえば、Aさんと、Bさんと、Cさんと、Dさんがいるとする。AさんとBさんは夫婦で、Aさんが夫、Bさんが妻だとする。Cさんは、AさんとBさんの娘だとする。Dさんは、ドライバーだとする。

ある日、BさんとCさんが、普通に歩道を歩いていたら、Dさんが、うしろから、車で突っ込んだとする。

その結果、BさんとCさんが死亡したとする。この場合、引き寄せパラダイムにしたがうと、BさんとCさんが「事故」を引き寄せたということになってしまうのである。


また、Aさんは、妻と娘がいっしょに亡くなってしまうという出来事を引き寄せたということになってしまうのである。そして、BさんとCさんが事故を引き寄せたとすると、BさんとCさんが引き寄せたのだから、BさんとCさんの自己責任だということになってしまうのである。

引き寄せパラダイムは、出来事を引き寄せた本人に責任があるとする『自己責任論』に容易に結びつく。本当は、自動車で歩行者につっこんだ、Dさんさんの責任なのに、責任を追及されるのは、事故にあったBさんやCさんであり、BさんやCさんの家族であるAさんなのだ。

引き寄せパラダイム保持者は、被害者や被害者の遺族だけの責任を追及する。事故を起こした方の当事者であるDさんの責任は追及しない。引き寄せた人が悪いということになってしまうのである。これが、引き寄せパラダイムにもとづく、現実解釈の問題点だ。
 

2020年10月9日金曜日

「過去なんて関係がない」と言うやつは、過去を重視している

「過去なんて関係がない」と言うやつは、みんな、学歴や職歴を重視している。学歴や職歴……学歴や職歴の集大成である現在の肩書を重視してものを言うやつばかりだ。これ、自分で自覚がないのかな? 『専門家の意見は信頼ができる』と信じているやつも、学歴や職歴を重視している。

 

けど、そういうやつに限って、『過去なんて関係がない』と言い出す。たぶん、この人たちは、無職や中年アルバイトは『なめてもいい』と考えているのだろう。学歴や職歴の集大成である、現在の肩書を重視しているからこそ、『こいつは、なめてもいい』『こいつには、説教をしてもいい』と考えるのだろう。

 

『過去なんて関係がない』という話がどこにつながるかというと、『就職しろ』『ちゃんと働け』という話につながるのである。もちろん、学歴や職歴がボロボロである人たちは、学歴や職歴が立派であればアクセスできる職場にはアクセスできない。「職場」と書いたけど、「職業」でも「仕事」でもいい。

ようするに、『きつくて、くるしくて、賃金が極端に安い仕事をしろ』ということなのである。

逆算すれば、『きつくて、くるしくて、賃金が極端に安い仕事をしろ』と言いたいがために、『過去なんて関係がない』と言い出すのである。

 

『現実を見て、アクセスできる仕事に就けばいい』ということも言うだろう。これも、『きつくて、くるしくて、賃金が極端に安い仕事をしろ』ということなのである。『現実を見て』というのは、『現在の現実』を見てということだから、『過去なんて関係がない』という意味で過去を軽視しているように見える。 


しかし、現実を見るということは、高望みはせずに『きつくて、くるしくて、賃金が極端に安い仕事をしろ』ということなのだから、過去を重視していると言える。この場合の現実を見るというのは、学歴や職歴がボロボロだという現実を認めろということなのである。さらに、学歴や職歴がボロボロなら、底辺ブラック企業にしか就職できないという現実を認めろということなのである。

 

ぜんぜん、過去を軽視してない。過去の履歴を特別に重視している。

 

『高望みはせずに』というのも『おまえだって、自分の学歴や職歴がボロボロなのはわかっているだろ』ということだ。そういう意味で『現実を見ろ』と言っている。だから、もちろん、過去の履歴を重視している。

「過去なんて関係がない」「現実を見て、アクセスできる仕事に就けばいい」と続けて言った人は、過去を無視しているような印象を(言われたほうに)あたえるが、ほんとうは、過去を重視している。「過去なんて関係がない」「現実を見て、アクセスできる仕事に就けばいい」というのは、過去を重視しているからこそ言える、発言だ。


問題なのは、「過去なんて関係がない」「現実を見て、アクセスできる仕事に就けばいい」と続けて言うような人が、ほんとうは、自分は過去を重視しているということに気がついてないことだ。ほんとうは、ダブルスタンダードなのにまったく気がついてない。
 

2020年10月8日木曜日

総合的な毒なんだよな。

やばい。疲れた。

横になるかな。 


ヘビメタ騒音さえなければ……。ほんとうに、勉強することができなかった。いまでも、後悔。

どうしても、人生がない。ヘビメタ騒音なかで、勉強することが どーーーしても、どーーーしても、できなかった。夜、眠れなくなって、くるしいだけの生活になってしまった。勉強だけではなく、生活自体が騒音でめちゃくちゃになる。日中も、ヘビメタ騒音がその場で鳴ってないにもかかわらず、ヘビメタ騒音で眠れなかったから生じるトラブルがある。毎日、小学六年生のときから、家で勉強することができないということが、人生に影響を与えないはずがないだろ。進学に影響を与えないはずがないだろ。友人関係に影響を与えないはずがないだろ。恋愛に影響を与えないはずがないだろ。

総合的な毒なんだよな。

 

 

 

2020年10月7日水曜日

「やっていれば、体がなれてくる」ということがない

 つまんない。

だるい。

ほんとうに、不利。不利なんだよ~~。不利。

なんか、ネズミは二匹に増えた感じがする。

人に迷惑をかけないように、持ち物に気を使わなきゃならなくなる。それは、バルサンを炊いた場合でもおなじだ。殺虫剤を巻いたときもおなじだ。

 

 

こっちの言うことをまったく聞かないで、こだわりまくって一つのことをやり続ける気違いっぷりが、親父と兄貴でおなじなんだよな。この気違いっぷりに、翻弄された人生だった。あの態度が、他の人にはわからない。驚くべきことに、本人もやってないと思っている。どれだけの意地でやるか。「やってない」と意地を張るときの態度も、おなじ態度なんだよ。だから、際限がない。 

 

気違い親父に対する怒りを隠して、よその人に対処しなければならなくなるんだよ。気違い兄貴に対する怒りとヘビメタ騒音の疲れを隠して、ヨソの人に対処しなければならなくなるんだよ。これが、ものすごいストレスだ。こういうのが、毎日積み重なったら、やっぱり、「元気だ元気だ」と言っても元気にならない状態になる。「楽しい楽しい」と言っても、楽しくならない状態になる。そうなると、言霊を信仰している人とは、……まあ、意見があわなくなる。そういうことも、積み重なる。

たとえば、俺がサービスで「そうですね」と言っても、ボロが出る。……リアル世界で、気違い兄貴の騒音や気違いオヤジの気違い行為にやられてくるしいとしても……睡眠回路を壊されて日中活動できない状態になっても……「楽しい楽しい」と言えば楽しくなるというのが、彼らの理論だ。

しかし、いつまでもいつまでも、ヘビメタ騒音が続くので、俺は楽しくならない。そりゃ、たとえば、言霊主義者に、気違いヘビメタ騒音歴一年目に出会ったとして、ヘビメタ騒音がその後一四年間、毎日、何時間も何時間も鳴ったとしたら、どうなる?

くるしいままなんだよ。一四年間ずっと毎日「楽しい楽しい」と言っても、楽しくならない状態なんだよ。「楽しい楽しい」といえば「楽しくなる」と思っている人は、わりと短い時間を考えて、そう言っている。ほんとうは、中立的な状態で「楽しい楽しい」と言えば楽しくなったような気分になる……ということを言っているにすぎない。

ともかく、サービスで「そうですね」と同意しても、気違い兄貴のヘビメタ騒音が続く限り、楽しくならないので、同意してくれたと思っている人とは、うまくいかないことになる。そりゃ、同意したなら『この方法で楽しくなるはずだ』と思っているわけだから、うまくいかなくなる。

「その方法では楽しくならない」という俺の報告は、その人の気持を傷つけるというか……不愉快なものにさせるのである。けど、「傷つける」とか言うのであれば、「楽しくなると言えば楽しくなる」と言った人が、まず、俺のこころを傷つけている。まあ、だから、「楽しくならない」ということを俺が報告したとしても、気分を害するなということだ。あからさまに怒る人もいる。

楽しくなりました……と報告できない。嘘は言えない。あるいは、楽しくないのに、楽しくなりましたと報告して、その人……アドバイスしてくれた言霊主義者とつきあうのは、気分がよくない。こっちの気分がよくない。

 

ともかく、気違いヘビメタにやられている状態で、「楽しい楽しいと言えば、楽しくなる」ということを本気で信じている言霊主義者に「楽しい楽しいと言えば、楽しくなるから、楽しい楽しいと言えばいい」とアドバイスされてしまったら、そこで、どっちにしろ、その人と良好な関係を維持することができなくなる。

まあ、そんなにつきあいがない人なら、「楽しい楽しいと言ったら楽しくなりました」と嘘の報告をして、波風を立てないようにすることはできる。

 

けど、これは、「サービス」だ。長いことヘビメタが鳴っている状態だと、「楽しくなりました」と報告したあとも、楽しくなさそうな顔で暮らしているということになってしまう。

そうなると、言霊主義者はおなじアドバイスをすることになるのだけど、「長いことずっとさらされている」ということを無視してしまうために、「エイリさんが『楽しくなりました』と言ったのになんだ!」という気持ちになってしまうのである。

で、そういうことが、多くなってしまうのである。気違い兄貴が、気違い的なやり方で、気違いヘビメタをやり続けると、まわりの人(ヨソの人)と、そういうタイプのあらそいが生じてしまうのである。

気違い的なやり方だから、他の人は信じない。兄貴のようにこだわりつくして、鳴らされると、ほんとうに、すべてのことがうまくいかなくなる……という実際の感覚がわからない。なんてたって『鳴り終わったら関係がない』と思っているような人たちばかりなのだから……。『どんだけ、ヘビメタが鳴ってたって勉強はできる』と思っているような人たちばかりなのだから……。 

『楽しい言えば楽しくなる』というのは、ある種の攻撃になってしまうのである。水銀のことで説明したでしょ。水銀でくるしい場合、『楽しくなる楽しくなる』と言っても、水銀が体から出ていかないと、くるしい状態が続いてしまう。長期間騒音が続く人や騒音の後遺症でくるしい人もおなじなのである。

ともかく、 『楽しくなると言えば楽しくなる』と言っている人はわりと短い時間のことを考えている。また、中立的な状態の人が『楽しくなると言えば楽しくなる』ことは、あるかもしれないけど、それを、すべての人に適応してしまうのはよくないことだ。

けど、かりにぼくが「すべての人に適応してしまうのはよくないことだ」ということを言ってしまったとしたら、言霊主義者は「どんな場合でも、どんなにつらくても、どんなにくるしくても……楽しいと言えば楽しくなる」と言うと思う。実際にそういうふうに言った言霊主義者がいた。

ともかく、『楽しいと言えば楽しくなる』というようなことを言う人がいた場合、ぼくが、一回目に、日和って、「そうですね」と言ったとしても、あんまりいいことにならない。長いから。毎日続くから……。後遺症が残るから……。長さがちがう。期間の長さは関係がある。 


ダイヤだって、ほんとうはまだあのころヘビメタは鳴ってたんだけど「いいかげん、よくなってくれ」と言ってきたからなぁ。ダイヤですら……。事情を知っているダイヤですら……。ヘビメタ騒音が毎日、十年以上続くということはそういうことなんだよ。そういうことになってしまう。ぼく以外の人は……実際に一〇年以上毎日、しつこく、最大限のヘビメタ騒音を鳴らされたことがないので、実感としてわからない。ぼくが言っていることが、実感としてわからない。ヘビメタ騒音が鳴っている一日がどういう、一日だと思っているんだよ? もう、そっからちがうんだよ。

 

きちがい兄貴のしつこさが俺をくるしめる。けど、これがまた、ほかの人たちにとっては、俺が勝手に長いことくるしんでいると思ってしまうのだ。俺が勝手に、長いことこだわっていると思ってしまうのだ。こだわるとか、そういこうとじゃないのだ。それから、じつは『過去のことにこだわる』ということでもない。現在のことなんだよ。現在もくるしいの……。

現在も慢性疲労症候群のような易疲労性と睡眠回路の故障でくるしい。 ヘビメタ騒音を一〇年以上毎日やられたことがない人が、「こういうふうにすれば、体がなれてくる」「最初はつらいけど、仕事を続ければ、体がなれてくる」ということを言うけど、それは、ヘビメタ騒音に一〇年以上さらされたことがないから言えることだ。けど、そういう人は、ヘビメタ騒音に一〇年以上さらされたことがないから、わからない。そもそもが、わからない。そもそも、くらべる対象がないということがわかってないだけだ。経験がないから、わからない。

そりゃ、ヘビメタ騒音にさらされず普通に暮らしていれば、そういうことを言われることもないわけだけど、普通の人とおなじように、「やっていれば、体がなれてくる」ということを体験できたはずなのだ。それは、ヘビメタ騒音を鳴らされる前の一一年間でだいたいわかる。けど、ヘビメタ騒音鳴らされてからの数十年間は、数十年間に渡って……そういうことがなりたたない。「やっていれば、体がなれてくる」ということがない。慢性疲労症候群のような疲労と重度の睡眠障害でくるしい。

 

 

ヘビメタ騒音が鳴ってなきゃ、絶対にそんなことにならない……というとが、起こってしまう


まあ、みんな、俺の状態はわかんないよね。
俺も、みんなの状態がわかるわけじゃないしね。
くらべてもしかたがないのは、わかるけど、ね。
中学の時、トラブった友達に、ヘビメタ騒音のことは言わなかったのだけど、どうしても、……どうしても、むりだったと言いたくなるんだよね。あのとき、どうしても、ヘビメタ騒音でできないということを、説明したかった。いろいろなトラブルがあるんだよ。ヘビメタ騒音でどうしてもできない。ヘビメタ騒音でどうしてもよゆうがないから、そういうことになってしまったということが、あった。で、その場合、ヘビメタ騒音でどうしてもできないということを考えないと、俺のほうが悪いんだよね。ヘビメタ騒音でどうしても追い出されてしまって……時間も能力も追い出されてしまって、よゆうがない。すべてのことに、それが影響する。このすべてのこと、というのは、イ・ラショナルじゃない。非・合理的な思考じゃない。だって、その後のことが、全部、影響を受ける。でも、ヘビメタ騒音の切迫さ、どうしょうもなさ、というのは、他の人にはわからない。これ、言った場合も同じなんだよね。「そんな騒音が鳴っているならしかたがない」ということにはならない。もう、トラブルが発生しているから……。相手の気持や相手の都合をぼくがつぶしているから……。どーーしても、ヘビメタ騒音でそうなってしまう……ことがあった。言った場合も、言わなかった場合も、大差がない。けど、まるまるくん(A君)のことに関しては、言っておきたかったな。あれは、ほんとう、ぼくの側の失敗。けど、どーーしても、ヘビメタ騒音で押し出されてしまう。よゆうがない。どうしてもできない。「できない」ということが、やはり、わからないと思う。そりゃ、ヘビメタ騒音が鳴ってなければ、よゆうでできることだからな。
ヘビメタ騒音でいっぱいいっぱいだから、普通なら、「こうしておこう」ということが、できない。どーしても、できない。へんな感じで、浮かれているように思われるんだろうなぁ。あれ、ほんとう、まずかったなぁ。迷惑をかけた。A君はどうしているかな? まあ、俺のことは忘れているだろうな。ヘビメタ騒音が鳴ってなきゃ、絶対にそんなことにならない……というとが、起こってしまう。 


ヘビメタ騒音を抜かして考えれば、こっちが悪いケースというのが俺をくるしめる。けど、ヘビメタ騒音で「全般的に、できなくなる」。佐藤の誤解は、俺が無職になってからはじまったことじゃない。もちろん、佐藤にあったとき、俺が無職だから、あいつがいろいろと誤解をして、あらぬ説教をし始めたのだけど……。けど、それは、むかしからそうなんだよ。俺が小学生の時からそうなの……。

特に、中学生の時は、そういうトラブルが、多かった。そうならざるをえない。ヘビメタ騒音でそうならざるをえない。けど、他の人には……小学時代からぼくがリアルであった他の人には……そこが見えない。ヘビメタ騒音が見えないし、ヘビメタ騒音で……そうならざるをえないということが見えない。そうならざるをえないということが見えないということは、けっきょく、俺がサボりたいからそうしているように見えてしまう。俺がふてぶてしいからそうしているように見えてしまう。

ヘビメタで眠れなくなるということは、すべてのことが「おざなりになる」ということだ。ものすごくピンチで、できない。そりゃ、恋愛だってそうなんだよ。俺が、声をかけてくれた女の子に……。ヘビメタ騒音でどうしてもうまくいかない。

これ、本当に普通の人は、騒音の問題と言うと、鳴っているときだけ問題があるように思ってしまうのだ。実際には、眠れなくなって、日中、ぼろぼろになる。すべての意欲がさがって……普通の要求水準を満たさなくなって……いろいろなトラブルが生じる。そりゃ、よゆうがあったらできることでも、まったく、できなくなるし、やろうという気すら起こらなくなるから、関わっている他者とトラブルが生じやすくなる。実際に生じる。

2020年10月6日火曜日

記憶は、好き勝手に書き換えることができないものだ

ネズミが出た。うまくいかないな。まだ、いるなぁ。
俺はまるまるはあるのに、このざまだ。
希望がないんだよな。意欲がだいぶ足りない。このうちは、もうだめなのかもしれない。ネズミ対策に300万円かかったとして、それで、ほんとうに出なくなるという保証はない。じつは庭も防草シートをはりたいのだけど、それにもかなりの金がかかる。そうなのであれば、300万円で中古マンション(ワンルームも可)でも買って、そこに引っ越すということも考えなければならない。
ともかく、エネルギーがない。「もう、まるまるまる」という気持ちがある。

ほんとうに睡眠回路のズレがくるしい。睡眠回路がこわれてしまって、くるしい。自分が起きている時間に動くのはともかくとして、自分が眠りたい時間に動くのは、死にたくなる。それは、何千日も繰り返してきたことで、やはり、くるしい。どうしたって、「思い出」がある。「記憶」がある。記憶は、好き勝手に書き換えることができないものだ。それが可能なら、人格が崩壊していると言っていい。意志の力を信じている人がいるけど、意志の力で記憶改ざんをしている人は、もう、人格が崩壊している。

 

意志の力を過信しすぎている人たちがいて、それは、意志の力信仰のようなものだ。これはもう、理性とか合理的な考え方というものをこえて、宗教的な信仰になっている。けど、本人たちは「科学だ」と言うわけだ。 けど、それは、科学じゃない。科学の仮面をかぶった宗教だ。

2020年10月5日月曜日

ホリエモン・餃子店問題なんてどうでもいいよ。


ホリエモン・餃子店問題なんてどうでもいいよ。
これは、前にも言ったけど、ドレスコードの問題なのだから、店の主張にあわせるべきだ。で、マスクがなくても入れるところに入ればいい。それだけ。

俺は、ねずみ問題で頭がいっぱいだ。これ、どうするんだよ。もう、二度と買うことがないと思っていた、ネズミシートをぽちってしまったよ。俺は、いま、交渉事をしたくないんだよ。あとは、カネの問題だ。どのみち、粗大ごみを片付けるにはカネが必要だ。問題は、粗大ごみが、単なる粗大ごみではなくて、ネズミの糞がついた粗大ごみになってしまったということなんだ。だから、俺は、親父に何回も、魚の粕漬けをだしたまま寝るなと言ったのに。さらに、穴があいている以上、隙間がある以上、ネズミが入ってくるから、工事をしようと言ったのに「(俺が)捕まえるからいい」と親父が言って、親父が俺の提案を拒否したことだ。

さらに、いろいろとあったんだよ。ともかく、ネズミとダニで追い詰められている。

2020年10月4日日曜日

法務局に行ってきたと書いたけど、それは、好きな時間だから行けたわけ


法務局に行ってきたと書いたけど、それは、好きな時間だから行けたわけ。これが、時間を決められると五〇%の確率で行けなくなる。前回行ったのは、相談の日時を決めるために行っただけで、相談しに行ったわけじゃない。これ、コロナウィルスの影響なのかどうかわからないけど、行った日に相談することができない。何時間待ってもいいから、行った日に相談することができないとこまるのだ。自分でもいつ起きているかわからないから、日時を決めることができない。「睡眠障害で、いつ起きているかわからない」とは、行ったけど、じゃあどうするかということになると、やっぱり、一番近い日で、行けそうな感じの日を選ぶしかない。一番近い日が、一〇月一五日だ。予定では、睡眠時間がだいたい一四時間ぶんズレているはずなんだけど、わからない。このあいだ行けなかった日も、二五時間ズレているはずで、行けるはずだった。けど、当日はだめだった。まあ、当日、ちょっと、風邪みたいな症状もあったので、キャンセルの連絡を入れて行かなかった。

で、実は、また、ネズミに遭遇してしまった。俺はもう、……。親父とネズミがセットなんだよ。そして、工事の人が……言いたくはないけど……ミスをした。俺はもういやだ。
 

この溝はうまらない。


ヘビメタ「で」くるしいと言っているだろ。ヘビメタ「で」できないと言っているだろ。これは、もう、むりだ。どれだけ言ってもつたわらない。つたわらない。あの時間を共有した人でなければ、なにもわからない。
やられてない他人というのは、どこまでも、無作法になるなぁ。この溝はうまらない。生きている限り、うまらないのだろう。

ほんとうに「できなくなっていく」のに……。あいつらだって、同じ一〇年間を毎日すごせば、できなくなっていくのに……。まるで、俺がサボっているようにものごとを言う。ゆるさんからな。

 

2020年10月3日土曜日

こいつら、現実を知らないで、がたがた言いやがって


幼稚園がうるさくなってきた。
運動会の練習で、最近、うるさいんだよね。
けど、ヘビメタ騒音はそういううるささとは違うわけ。ぜんぜん違う。ほんとうに、ぼくはもともとは、騒音に対しては、普通の感性を持っていた。普通の人なのである。そりゃ、きちがいヘビメタに人生を壊されれば、敏感にもなるだろう。一五年もずっとやられて、働けない体になれば、「騒音にくし」ということになる。一五年間やられたことに関しても、そっち……関係がない人にしてみれば……俺がだらしかないからやられたのではないかと思うかもしれないけど、きちがい兄貴がきちがいだったからそうなった。きちがい兄貴が、きちがいおやじと同じ頭の構造を持っていたのでそうなっただけだ。こいつらは、俺が兄貴を殺したら、殺したで、「もうちょっとやりかたがなかったのか」というようなことを言い出すと思う。ないよ。


こいつら、現実を知らないで、がたがた言いやがって。まちがっている。常に間違った前提で間違った判断をしている。ちなみに、ぼくがなんらかのまずいことをしたあと、こいつらにこういうことを言っても無駄だ。まずいことというのは、たとえば、遅刻だ。こいつらは、きちがい兄貴の頭の構造がわからない。きちがいおやじの頭の構造がわからない。お母さんが病弱で、内向的で、どちらかというと事なかれ主義だったことがわからない。そんなに鳴らしているんだったら、「親が絶対に文句を言うはずだ」と言ってくる。「親が絶対に文句を言うはずなのに、文句を言わなかったのだから、たいした騒音じゃないのだろう」と言ってくる。全部、間違っている。ちなみに、おやじも兄貴も、お母さんに、どれだけ、注意されても、まったくいうことを聞かないけどな。きちがい兄貴は、気分がいいと「お母さんに言うなぁ」なんて言って、まったく役に立たない譲歩をしたけど、それは、まったく役に立たない譲歩だから。屈辱的な譲歩だから。これ、ほんとうは、譲歩してないのに、譲歩してやったつもりになっているだけだから……。きちがい兄貴は、朝の九時から夜の一一時一一分までの間なら、自分が好きな音で鳴らしていいと思っているから、好きな音で鳴らす。きちがいおやじのケチとおなじで、兄貴もきちがい的なケチっぷりを発揮する。ぜんぜん譲歩してないのに……大盤振る舞いをしてやったつもりになっている。出血大サービスをしてやったつもりになっている。自分が損をするのは、たとえ、びた一文ぶんでもいやなので、けっきょく、自分がやりたいでかい音で鳴らし続けるということになってしまう。五分間、〇・一デシベル落とした「でかい音で」鳴らしたあと、一三時間、〇・一デシベルもどした「でかい音で」鳴らしても、五分間、〇・一デシベル譲歩したのだから、譲歩したということになってしまう。

となりの、若い人は当時子供で、ずっと文句を言いたかったらしいけど、言ってくれよ。あっちの家の人は、一回しか文句を言ってくれなかった。それも、兄貴に直接、言わないとだめだ。「家の人」がどれだけ言ったってだめなんだよ。それは、きちがいおやじと同じ。それも、きちがいとおなじだ。ほんとうに、きちがいおやじの欠陥を、そのままコピーしている。似てるというよりも、おなじ。

ちなみに、となりに、でかい幼稚園があるから、ここらへんのひとは、騒音耐性がそもそも、強いのだと思う。

2020年10月2日金曜日

まったく、悪気なし

きちがい兄貴は、まるで、「わるいことをしているつもり」がないんだよな。
ほんとうに俺がまるまるたい。

 

まったく、悪気なし。どれだけ言っても、俺がこまるということを認めない。絶対に普通に言えばわかることなんだけど、きちがいおやじモードで認めない。認めないとなったら、……やっぱり、きちがいおやじと同じように……やったってやってないということになる。本人が、一回一回、やってないと思ったら、一万回繰り返そうが、やってないということになる。一〇万回、繰り返そうが、やってないということになる。本人がそう思っていたら、そうなのである。おやじも兄貴も、もともと、意識的にも無意識的にも「やりたいこと」があったら、それができなくなるようなことは、どんなに明らかなことでも、普通の状態なら一回言われれば(きちがい本人だってわかるようなことだって)認めない。認めないモードでやったことは、やったということも、認めないということになる。そりゃ、「やった」ということを認めるということが、自分にとって不都合なことだからだ。「そんなのやってない」という気持ちになってしまう。

きちがいおやじは、常にそういう状態なんだぞ。兄貴だって、おなじだ。けど、そういうしくみが成り立っているということは、普通の人は認めない。だから、俺が……困っている俺が……ほかの人から、悪く言われることになる。そして、悪く言ったやつらが、「ほかの人の評価なんて気にすることがない」などと言ったりするのだ。

 きちがい毒親にやられた人は、世間の人からも悪く言われることとになる。世間の人は「あたりまえ」のことを言っているとしか思わない。こういう態度は、やられた人を追い込む。最近では、認知療法的な考え方にしろ、行動主義的な心理学にしろ、ポジティブシンキングにしろ、精神世界系の考え方にしろ「やられた人」を追い込むようなことしか言わない。特殊なきちがい毒親にやられた人を、追い込むようなことしか言わない。


それから、こういう人たちに言いたいけど、毎日やられたことは、過去のことでも効力を発揮する。過去のことだから、効力を発揮しないということはない。もちろん、効力を発揮しない過去の出来事もある。しかし、効力を発揮してしまう、過去の出来事もある。それが、ほんとうに、「心理的なことなのか」というと、ぼくはちがうと思う。

 

体のしくみがある。体を維持している以上、やはり、生物としての影響は受ける。これは、「意志に」関係なく、受ける。だから、意志では制御できない部分があると思う。けど、『意志教』の人たちは、意志で制御できないことはないと思っている。脳みそも、体の一部だし、ほかの内臓と同じように生体組織として成り立っているのだから、例外ではない。

2020年10月1日木曜日

きのう、市役所と法務局に行ってきた


きのう、市役所と法務局に行ってきた。じつは、市役所に忘れ物をしてしまった。なので、とりに行かなければならない。

きのうは、さらに、ネズミ対策としてパティをつけた。けど、この作業中に、やはり、ダニにやられて、肌がきたなくなった。いまも、かゆい。ネズミ対策は、隙間を見つけてしまったらやらなければならない。風呂のネズミ対策もした。正直言って、「これはもうダメかな」と思う。この家は、もうだめかもしれない。

ほんとうは、今日、忘れ物をとりに行くべきなのだが、疲れたので、明日行こうかな。

きのうは、法務局から帰ってくるとき、自動販売機でジュースを3本も買って、飲んでしまった。これは全部、人工甘味料ではなくて、砂糖で甘みをつけてあるやつだから、けっこう、砂糖を摂取したことになるんじゃないかな。実際、甘かったし。

服がダニにやられて、ダメなんだよね。で、これは、熱湯方式ではなくて、時間はかかるけど冷凍方式でどうにかするつもりだ。あとは、Tシャツやパンツなら、あきらめて捨てるという方法を採用することにした。
 

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。