2021年4月20日火曜日

自分にとってだけ都合がいいように、記憶が改ざんされてしまうということがほかの人にはわからない


ほんとうに、ヘビメタ騒音が鳴っていると、勉強がどうしてもできなくなるのだけど、自分でも「兄のヘビメタ騒音で勉強ができない」とか「兄のヘビメタ騒音が鳴っていると、どうしても、勉強することができない」ということを言うのがいやなんだよ。こういうのも、実際に、小学六年生のころから、『きちがいである』家族に毎日やられた人じゃないとわからない。

ほんとうに、きちがい!! 

本当に、無視する。やっていることを無視する。きちがいだから、ものすごくでかい音で鳴らしているのに、ものすごくでかい音で鳴らしているつもりがない。つもりがないというのは、実際にやってないというのとおなじなんだよ。そして、同じだとみなしていることについて考えない。

どれだけ言われても考えない。言われたら、言われたら言われたときだけ、「はねのけるように」腹を立てておしまいなんだ。ほんとうに、きちがいヘビメタが鳴っていると、こっちは発狂しながら全力疾走しているような状態になって、勉強することができない。これも、そんなのは、騒音に弱いからダメなんだ」ときちがい兄貴のきちがい的な騒音にさらされたことがない人が言う。

それは、さらされたことがないから言えることなんだよ。

俺は、何十年たってもゆるしがたい。あのとき無視されたこころが、よみがえる。きちがい兄貴もきちがいおやじも普通に言えばつたわることを、発狂して無視するんだよ。

そして、発狂して無視したということも無視する。

だから、本人はまったくなにもやってないつもりのまんまなんだよ。何万回言って、何万回喧嘩しても、おなじなの。きちがいがきちがいの感覚で、腹を立てて、やりきるの!!! 

何万回、「やめてくれやめてくれ」とこっちが言っても、きちがいがやりたいことを、きちがいがやり続けるの。

やっているなら、やっているわけだし、やったなら、やったんだよ。

けど、きちがいだから!それがわからない。そういうことが、全部ぬけている状態で、暮らしている。これを、どうにかすることかできない。きちがい行為をやってないときに、ちゃんと言えば、わかってくれるということではないんだよ。ないんだよ!!

こういうことだって、きちがいにやられたことがない人は、わからないだろ。絶対、わからない。

特殊なきちがいにやられたことがない人は、その特殊なきちがいのやり方や、その特殊なきちがいがやっているときの特殊なきちがいの意識がわからない。

やり終わったあとの意識もわからない。この、きちがいのやり方、きちがいの意識、きちがいの態度は、「いえのなかいにいるひと」しかわからない。家のなかでは常にそういうモードでくらしているんだよ。脳みそがそうなっている。

これ、ほんとうにこまるんだよな。

きちがい的な意地でやるやつが、まったく関心がない。

きちがい的な意地でやるやつが、まったくやったつもりがない状態でくらしている。

これ、どれだけこまるか。どれだけ、手掛かりも足掛かりもない状態になるか。きちがい的な意地でやっているのに、きちがい的な意地で否定したり、きちがい的な意地でやっているのに、「関係がない人」になっているんだよ。

やっているのだから関係があるのに、まったく関係がない人になってしまっている。

そういう脳みそなの。

そういう言い方しかない。あの態度は、そういう言い方しかない。けど、そういう家族に苦しめられたことがない人は、わからない。

まったくわからないんだよ……こっちも。 きちがい的な意地できちがい行為をやって、やってないつもりでいる家族のことが、普通の人にはわからない。普通の人にはわからない。

ぼくがきちがいという言葉を使って説明しているからやっと説明できるけど、これで、きちがいという言葉を使わないで、兄貴の態度や、兄貴の認知について説明しようとすると、手がつまる。説明できくなる。うまく説明ができなくなる。

どうしてかというと、矛盾が生じるからだ。「やったってやってない」「やったことを、ほんとうにやってないと思っている」というようなことそのまま言っても、なんか、ちがうことになってしまう。そういうレベルのことではないのだ。

ぜんぜんちがう。威力がちがう。

きちがいが夢中になってやっているときの状態がほかの人にはわからない。そして、自分にとってだけ都合がいいように、記憶が改ざんされてしまうということがほかの人にはわからない。しかも、兄貴やおやじは「記憶を改ざんしよう」と思って改ざんしているわけじゃないんだよ。そうじゃない。こういうことだって、実際にやられてない人にはまったくわからない。

きちがいや無意識という言葉を使わなければ、きちがい兄貴やきちがいおやじの状態を説明することができない。矛盾しているから。「知っているけど知ってない」とか「やっているけどやっているつもりがまったくない」とか「やったけどやったつもりがない」とかそういう話になってしまう。

『けど、ちゃんと暮らしているんでしょ。お父さんは働いているんでしょ。お兄さんは普通に学校に行っているんでしょ。そんな人が、職場や学校で問題を起こさないはずがない。だから、エイリさんが言っていることはまちがっている。おかしい』……と感じてしまう。感じてしまうの!!

もう、〇〇か。こんなの、どれだけ、他人はわからない。わかったところでどうしようもない。しかし、わかってない他人のちょっとした言葉がものすごく俺を傷つける。自分の騒音と俺の騒音を、おなじぐらいのレベルだと思うな。そんなんじゃないから。いろいろな条件がそろって、きちがい兄貴が鳴らしてしまった。

たとえば、うちが一軒家じゃなくて、マンションだったら絶対にあんな音で鳴らせない。あんなに長い時間鳴らせない。全部、そろっているんだよ。きちがい兄貴が俺の気持ちさえ無視すれば、頑固に鳴らせる条件が全部そろっている。きちがい兄貴が、おばあちゃんのうちで間借りをしていたら、絶対に、一日に一分だって鳴らせない。きちがい兄貴だって、鳴らそうと思わない。そういう音で、鳴らそうと思わない。一時間どころか、一分だろうと、そういう音で鳴らそうと思うということがないと思う。

発想自体がない。

よその家で、鳴らした、ものすごい問題になる。アパートで鳴らしたものすごい問題になる。マンションで鳴らしたらものすごい問題になる。けど、でかい幼稚園に隣接しているうちで鳴らすぶんには、問題がないと思ってしまう。「うちのにんげん」はおやじとおなじで「根源的に無視してしまう」。

これが、おやじの態度なんだよ。

きちがい兄貴が育てられてきたときの「おやじのたいど」だ。うちのなかの「たにん」が言うことは、その他人がどれだけ熱心に言ったとしても、まったく言わなかったこととして扱っていいのである。

きちがいおやじの、きちがい的な認識は、そうなの。

相手が怒って言っていることは、あたかも、なにも言わなかったように無視していいのである。きちがいおやじの頭のなかはそうなっている。特に、自分がやりたいことに関してはそうなんだよ。自分がやりたいことに関しては、相手がどれだけ反対したって、「まるで言われなかったことのように」無視する。そして、そういうふうにしたということも無視してしまう。

そういう自動回路がついている。 

相手が言っていることを無視するけど、無視しているつもりがない状態なのである。きちがい兄貴の態度も、きちがいおやじのこの態度とおなじだ。自分がやられたことを俺にやり返している。きちがいおやじの態度は兄貴にとっても問題だったんだよ。ようするに、自分以外の人間が、そうすることに関しては、ちゃんと認識していた。自分が(親父のまねをして)やるときは、まったくやってないと思っている。

おやじとおなじ状態になってしまうので、「そういう態度でそういうことをされたら、やられた人間は腹が立つものだ」ということを忘れてしまう。自分がやられたらわかるけど、自分がやっているときは、まったくわからない状態になってしまう。自分が、おやじにやられたら、おやじの態度に腹を立てるんだよ。

それは、おやじの態度が人間としてへんだということがわかるから腹を立てる。やられているときも、きちがいおやじとおなじような思考回路の持ち主だったら、やられているということがわからない。へんだと思わない。

へんだと思うのは、やられているときは、思考回路が正常だからだ。これも、言いがたい。


そして、こういうことも、ヨソの人にとっては、「どうでもいいこと」んだよ。じゃ、俺にとってどうでもいいことかというとどうでもいいことじゃない。
 

何度でも言ってやるがPC-8801FAには、カセットインターフェイスがついてない


 何度でも言ってやるがPC-8801FAには、カセットインターフェイスがついてない。だから、「N」キーを押しながらロムを起動すると、電源を切ったらそれでおしまいということになる。(ロムのN-BASICからディスクを操作できない。)あいつは、たぶん、 PC-8801FAには、カセットインターフェイスがついてないということを知らない。通ぶっていて知らない。あーはずかしい。そんな基本的なことも知らないのかよ?

で、カセットインターフェイスがついてないんだということを俺が言ったとき、そいつが「じゃあ、買えばいいじゃん」というかもしれないと思った。俺は、その言葉がいやだったんだよ。 それは、言われたくなかった。カネがなかった。でも、カネがないということについて、そいつの感覚と俺の感覚がちがうんだよ。それは、話していてわかるんだよ。だから、「買えばいいじゃん」と言われたら、俺は、正直言って、冷静に説明することができなくなる。「いや、それだったら、中古のPC-8001を買ったほうがいい」とか言いたくなるけど、そういう話をするのがいやだったの。相当に腹が立つ。

ヘビメタ騒音で浪人しているあいだに年下先輩ができてしまっただろ。基本、そんなのは、浪人しているやつが悪いということになると思うけど、それは、小学六年生のときから、ずっとヘビメタ騒音を毎日やられて……。これ、言うに言えない状態になる。ぼく以外の人は「うちヘビメタ騒音」を知らない。「ヘビメタ騒音が鳴っていた」と言っても、それがどれだけ学力に影響を与えるものか、わからない。これ、ほんとうに、「騒音が鳴ってた」「騒音で勉強ができなかった」というのは、ほんとうに、日本では言いにくいのである。そして、だれだって、ちょっとした騒音は経験している。だから「俺だって」という言葉に続けて、自分の騒音に関する意見を言う人もいる。けど、ちがうんだよ。ちがうということは、俺が説明しても、俺とおなじ状況で俺とおなじ騒音を聞いた人じゃないとわからない。きちがい兄貴がきちがい兄貴で「普通の兄貴」ではないので、ほんとうにわからないんだよな。おやじがやっていることが、ほかの人たちにはわからないように、兄貴の騒音もほかの人たちにはわからない。

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2021年4月18日日曜日

「他人は、うちのなかの現実を正しく認識できない生き物なのだなぁ」 

 あれから横になってたけど、眠れなかった。水分補給のために起きてきた。

しょーーじき言って、むなしい。むなしい~~。これが俺の人生か? あー、むなしい。

はっきり言って、楽しくない気持ちなんだけど、この楽しくない気持ちが、どうにもならない。やられすぎた。ボロボロ。修復可能な範囲でボロボロなら、修復できるみたいなんだけど、どうも、修復不可能な範囲でボロボロみたいだ。そうなると、ずっとこのままだということだ。たのしくないんだよ。かりに、ぼくのことが好きな、ものすごくかわいい女と一緒にいても、楽しくないような気がする。 こころが、おどらない。うわむきにならない。

なんか、もやーっとして、こころがぺっちゃんこだ。「めんどうくさい」とか「つまらない」という感情がうかびあがってくる。ちょっとずつでも、修復されればよいのだけど……。 

長期騒音でボロボロになったのと、長期騒音の人間関係でボロボロになったのと、きちがいおやじ関係でボロボロになったのが、くっついているんだよな。長期騒音とおやじのことは俺の人間関係にダイレクトに影響を与えている。影響を与えないようにするということができなかった。

それは、からだがダメージを受けているからだ。からだには、臓器としての脳もふくまれる。

脳みそがダメージを受けた。

その場合、意識的に「こうしよう」「ああしよう」と思っても無駄だ。「できるできる」と言えばできるようになるというものでもない。かつて、簡単にできることが、できなくなって、人から誤解を受けるようになる。

世の中には、意識的な努力をすれば、かならず、できるようになるというような考えを信仰している人たちがいる。その人たちが、勝手にがんばるのはいいけど……つまり、意識的な努力をする場合はいいけど、そういう幼稚な考えを人におしつけるな。

それから、この人たちは、まったく区別してないけど「まだできない」と「もうできない」のちがいはでかい。区別するべきだ。

きちがい家族にたたられなかった人や長期騒音にたたられなかった人は、「俺が努力もしないで」ネガティブなことを言っていると思うんだろうな。 

ほんとうに、こういうことも、生きる気力をそぎおとすよ。そいつらは、元気づけようとしてそういうことを言う場合もあるけど、生きる気力がなくなる。そういう無理解な発言が、生きる気力をそぐ。「また、これか」と思う。俺が長期騒音のなかで何万回も感じたことだ。どれだけ、くるしいか、おまえらわかってないな。まあ、きちがい家族に長期騒音をやられたことがないなら、わからないとしても、不思議じゃない。

けっきょく、まわりの人からは、理解されない。まわりの人はきちがい家族にやられてない人間だ。きちがい家族が「うちのなかで」どんなふうに、くるっているかわかってない。どれだけの強情さを発揮するかわかってない。どれだけの頑固さを発揮するかわかってない。そして、意識的ではないのだけど、頑固に否定する。やったことを頑固に否定する。これの繰り返しなんだよな。本人がわかってないんだよな。

これは、地獄だ。空白。

頑固にやり切る態度と、頑固に否定する態度がおなじなんだよ。やっているときも、やり終わったあとも、やったということが、わかってない。認識システムから、こぼれおちている。

本人は、「つもりがないまま」だ。「うちなかで」きちがい家族がやることは、よそのひとは、わからない。「そんなことはないんじゃないの」と軽く言う。これも、実際にやられている人間にとっては、屈辱。けど、これは、「そんなことはないんじゃないの」と軽く言う人間は悪い人間だということではないんだよな。悪い人間じゃない。

けど、あたかも、悪い人間によこしまなことを言われたときのような、効果がある。こういうのは、何回もつみかさなると、だいぶ、効く。それは、きちがい家族とやられた家族の間に生じていることじゃない。

けど、きちがい家族とやられた家族のあいだに生じたことが、こういうことを生じさせてしまう。「他人は、うちのなかの現実を正しく認識できない生き物なのだなぁ」と思ってしまう。

これは、実際にきちがい家族にやられていることと「あわせて」人間に対する根の深い失望をうむ。俺にとって「正しい現実」が認められないわけだからな。

そういうところで「そんなのは無視してがんばればいい」と言われてもなぁ。「無視できないから」こまっている。「がんばれないから」こまっている。そういうなかで!!無視することはできないんだよ。そういうなかで!!がんばることはできない。できないから、こまっている。どうして、ここがわからないのか?

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「こいつは、非国民だからいじめてやろう」「こいつは、非国民だから、いじめてもいい」

自分でさきに差別しておいて、相手のコミュニケーション能力がたりないから、ダメなんだと思うようなやつもいる。たとえば、非国民にたいして、偏見がある人がいたとしよう。その人は、非国民であれば、だれだって差別する。

ある非国民が、自分の目の前に現れると、その非国民が、自分にたいしてなにも悪いことをしてないのに、「こいつは、非国民だからいじめてやろう」「こいつは、非国民だから、いじめてもいい」と思ってしまうのである。

それは、その人のなかの偏見に基づいた感情にすぎない。この場合、実際にいじめたら、その人が、偏見に基づいて簡単にいじめをするような悪い人だということになる。

けど、その人にとっては、まさに、非国民が悪い人なのである。

相手が、自分をばかにしてきたり、相手が自分のことを悪くいったり、相手が自分にたいしていやがらせをしてきたら、どう思う? そういう人と「円滑につきあおう」という気持ちになるか? 自分が相手になにもしてないのに、相手は、自分にたいしてさまざまな攻撃を加えてくる。

そういう場合、相手と仲良くなろうと思うか?

普通は思わない。それは、相手はそういうことを、してくる悪い人だからだ。そんなやつと、つきあいたいと思うかね? けど、そういう気持ちが非国民のほうにしょうじると、いじめたやつが……非国民だという理由で攻撃を加えたやつが……非国民は「人づきあいがへたくそだからダメなんだ」と思ってしまうのである。さきに差別をして、相手にたいして無礼な行為をしておいて、さらに、「相手がダメだから」自分が差別行為をし始めたと思い込んでしまうやつがいる。

「その人」とか「非国民」とかという言い方だと限界があるか?

 たとえば、AさんとBさんがいるとする。Aさんが普通の国民で、Bさんが非国民だとする。Aさんが、Bさんはいじめてもいいと思ってBさんをばかにしたことを言い、Bさんを殴ったとしよう。Aさんにばかにされ、殴られたので、Bさんは「Aさんとはコミュニケーションをとりたくない」と思ったとする。けど、そのBさんの態度が、Aさんにはコミュニケーション障害者の態度のように見える。なので、Bさんがコミュニケーション障害者だから、自分が殴りたくなったと、時間をさかのぼって解釈してしまうのである。

ようするに、Bさんが、コミュニケーションをとりたくないと思うきっかけをつくったのはAさんなのに、そのAさんが、「Bはコミュニケーションに問題があるから殴りたくなった」と思うようになるということだ。こういうことが、ある。

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相手の属性を考えて、相手の属性を認識したとたんに、相手にたいして攻撃を加えようと思う人間がいい人間なのかということだ。そして、こういういい人間とは言えない人間が、相手のコミュニケーション能力を問題にすることがある。

さきに侮辱的なことを言ったので、相手から嫌われているのに、それに気がつかず、相手のコミュケーション能力がたりないから、相手がそういう態度をとっていると思ってしまう……ようなあほな人がいる。で、こういう人は、なにも特別じゃない。

 

2021年4月17日土曜日

外から見ている他人が実際には「いたくないから」そういうふうに感じるだけなのである


 「こだわりをすてれば、どうにかなる」というようなことを言うような人がいるけど、こういう人たちは俺にとって人生全体がどのようなものかまったくわかってない。わかってないところで、発している言葉だ。どれだけの騒音が繰り返されたか。騒音の日常がどのようなものか、ぜんぜんわかってない。

ともかく、こだわりたくてこだわったわけじゃないのである。

あるいは、俺がこまっている状態を、俺がこだわっている状態だと勝手に見なしているだけなのである。きちがいヘビメタにさらされれば、どうしても、こまる状態になるのに、そのこまる状態を「外から見ると」こまっている状態にこだわっているように見えるのだ。あるいは、みなすことができる。

それは、関係のない他人であって、経験がまったくないから、涼しい顔でそういうふうに思うことができるということ意味しているにすぎない。それこそ、思っているだけだよ。

きちがい兄貴がこだわりきって、普通の人が考えられないほどしつこく騒音を鳴らした。

そうなると、俺のほうに障害がしょうじるのである。

自分の障害は意識せざるを得ない。それは、いたいところがいたいから、いたいと思うのとおなじだ。

けど、外から見れば、エイリさんは「いたい」ということにこだわっているということになってしまうのである。あるいは、「いたい」と感じることにこだわっているということになってしまうのである。

これは、外から見ている他人が実際には「いたくないから」そういうふうに感じるだけなのである。いたいと言っている人は、いたいということにこだわっているということになってしまう。関係がない人は、ほかの人のことをそういうふうに見ることができる。どうしてかと言うと、実際にはいたくないからだ。いたがっている他人に向かって、いたいということにこだわるからダメなんだと言っているようなものだ。


2021年4月16日金曜日

ほかの人は、ぼくがただ単にネガティブなことを言っていると思っている

ほんとうに、どうなってしまうのだろう? 金銭面のことに関しては、どうにかなることがわかっているのだけど、からだがなぁ。からだに問題がある。どうしても、だるい。ぐたぐたになっちゃうんだよな。ぐたぐた。「つかれたなぁ」と感じてしまう。

ほんとうーーに、つかれた。人生、つかれた。人生つかれた。もう、むりだ。休むしかない。けど、休んでいても、からだがくるしい。気分もくるしい。そりゃ、ヘビメタ騒音で人間関係がズタボロだからなぁ。普通の人間として機能できなかった。ヘビメタ騒音で、全部がおかしくなる。これ、言いがたいのである。言いがたい。ほかの人にはどれだけ言っても、わからないんだよな。ほかの人は、ぼくがただ単にネガティブなことを言っていると思っている。だれだって、あれだけ長い間、あれだけででかい騒音にさらされれば、普通の人間として機能できなくなります~~~。けど、普通の人には、そういうことがないわけだから、理解の範囲外だ。

俺はどうするんだ?

 

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ほかの人は、ぼくがただ単にネガティブなことを言っていると思っている。そういうことじゃないのに。どれだけ努力したって、きちがい騒音のなかで消耗していく。特に、成長期を丸ごと含んでそういう毎日が続いたなら、普通に生活できなくなるに決まっている。けど、ほかの人は、自分が実際に経験したわけじゃないから、わからない。わからないことは、どうにも、納得がいかないことなのである。ちょっと努力すれば、どうにでもなるようなことなのに、エイリさんが、勝手にこだわって、「どうしようもないことにしている」と理解してしまう。

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2021年4月15日木曜日

普通の人たちは、ひどい目にあった人を攻撃するようなことしか言わない

 小さないやなことを思い出しすぎ。もう、いやだな。あまりにも、多い。そして、こまかい。これは、きちがいおやじがきちがい的な理由で怒り狂ってたことと関係があると思う。けど、それを言うと、また、頭がおかしい人たちから?……いや、常識的な人たちから攻撃されるからなぁ。これ、あんまり言われないことなんだけど、修正を試みる人たちから、攻撃を受けるんだよな。攻撃というのは、まあ、大げさな言い方だけどね。ぼくが言いたいのは、ほんとうは、きちがい的な親にやられなかった普通の人たちが、わりとひどいことを言うということだ。「そんなんじゃないのに」と、ここでも言いたくなるよ。プラグマティズム、還元主義、効率主義、認知療法、アドラー心理学、スピリチュアリズムといったものを信仰している人たちは、たいてい、ひどい目にあった人を攻撃するようなことしか言わない。プラグマティズム、還元主義、効率主義、認知療法、アドラー心理学、スピリチュアリズムと並べて書いたけど、ようするに、普通の人たちは、ひどい目にあった人を攻撃するようなことしか言わない。「攻撃」という言葉はちょっときついのだけど、まあ、使わせてくれよ。そっちから見れば、「攻撃なんかじゃない」ということになるのだろうけど、そうでもないんだよ。たてまえ攻撃を受けるんだよ。まあ、「そんなのは、被害妄想だ」ということになるのだろうけど、それは、どうかな? 本当のスピリチュアリズムはたしかに、ひどい目にあった人を攻撃するようなことは言わないけど、俗流スピリチュアリズムだと、ひどい目にあった人を「こそ」攻撃するようなことを言う。そして、それは、その人たちにとって「真実」なんだよな。軽い意味で「攻撃」という言葉を使うなら、まさしく「攻撃」している。けど、まあ、ほんとうにそういうつもりがないわけだから、しかたがない。ひどい目にあった人の気分を認めてしまうわけにはいかないんだよな。……普通の人は。……普通の人だから。

 

 

2021年4月14日水曜日

俺がどんな気持ちで生きてきたと思っているんだ???

 俺がどんな気持ちで生きてきたと思っているんだ???

きちがい兄貴!!!

こんなのない。

いま、午後7時6分。鳴っている時間だ。そして、午後4時から7時6分まで3時間6分持続して鳴っている。これがどれだけ長い時間か。どれだけ、言ってもやめてくれなかった。何十回怒鳴り込んでもやめてくれなかった。1分もやめてくれなかった。これが、きちがい兄貴がこの世で、「実際に」したことだ。これに相違ないのである。それを……まるで、なにもしてないような顔をしやがって。まるでなにもしてないつもりでずっと鳴らし続けた。「言われたら」「言われたときだけ」きちがいおやじとおなじように、はねのけるように怒る。怒ったあとは、なにも言われてないつもりで鳴らし続ける。そういうきちがい「わざ」ができた。そういうことが、普通にできたのか兄貴だ。

これ、ほんとうに、やられている人と、やられていない人とでは、感想がまったくちがうのである。俺だって、きちがい兄貴が、15歳のときから、きちがいヘビメタに興味をもって、絶対の意地で思いっきり鳴らさなければ、「騒音問題」なんて他人事だった。何度も言うけど、うちの真ん前にでかい幼稚園があって、うさるかった。そして、きちがい兄貴は、フォークギターを練習していた。そういう音で、俺がガタガタ言っているわけじゃないのに……。ほかのやつらは、そういう音で、俺がガタガタ言っているのとおなじだと思っていやがる。こんなのが、ゆるせるか。きちがい兄貴のヘビメタは、10分でも、生命の危機を感じる音だ。あんなの、続いたら、ぼろくそになるに決まっているだろ。しかし、佐藤みたいなやつが、とぼけたことを言う。これが現実だ。他人事だと、まったく想像力がわかない。まちがった前提で、まちがったことを言いやがる。しかも、こっちが、「それはちがう」ということを言っても、信じないのである。こんなのはない。どうしてこうなってしまうかというと、普通の人が経験した「騒音」と俺が経験した「騒音」がちがうからだ。また普通の人が経験した「ひどい騒音」と俺が経験した「ひどい騒音」がちがうからだ。さらにまた、普通の人が経験した「長期間の騒音」と俺が経験した「長期間の騒音」がちがうからだ。どれだけひどいかみんなわかってない。

これ、けっきょく、遅刻のことで説明したけど、普通のやつらがみんな敵になる。的なんだよ。どれだけ俺が苦労してやっとのことさ、学校に10日に9日は、時間通りに行っているかわかってない。そりゃ、遅刻していない9日だって、遅刻ギリギリで、動かない体を無理やり動かして、行っている。どんだけ、くるしいか。

2021年4月13日火曜日

「いま、うごくなら死んだほうがいい」「家族で話し合えばいい」とかふざけるな!

 買い物に行くべきなんだけど、どうするかまよっている。これ、ばっかりだな。ほんとう、こればっかり。今日は、ごみ出しができなかった。

まちにまった資源ごみの日なのに……。朝、動けなかった。また「いま、うごくなら死んだほうがいい」という感じになって、布団のなかにいた。

そういうとき、そういう気持ちを押し殺して、行動しても、なにもいいことがないんだよな。ライフハックだと、「起きて、まず行動すれば(そのうち抵抗なくできるようになる)」と書いてあるでしょ。

逆なんだよな。

むりをして、そういうことをしたら、本格的にダメになった。ヘビメタ騒音期間中の朝は、そんな感じだよ。毎日。

ヘビメタ騒音が長期騒音じゃなくて、短期間で、鳴りやまなければならなかった。

そういうことだ。

ライフハックのなれのはてなんだよ。ライフハックの作者が言っているようにはならない。 「いま、うごくなら死んだほうがいい」という気持ちを押し殺して、学校に行くしたくをして、学校に行ってた。

ヘビメタ騒音で眠れない。

ヘビメタ騒音が鳴り終わってから……午後11時11分に鳴り終わってから、眠れないのだから、ほかの人にはわからない。俺の責任になってしまう。

けど、その人たちは、平日午後4時から、午後11時11分まで、きちがいが、横の部屋で鳴らす騒音にさらされているわけじゃない。その人たちは、休日には、朝の9時から始まって、午後11時11分まで、となりの部屋のきちがいが、きちがい的な意地で鳴らしている騒音にさらされているわけじゃない。

日曜日に合計で13時間ぐらいきちがい騒音にさらされた場合、午後11時12分になっても、眠れるわけじゃないのだ。

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一家にきちがいが二人いる状態なのだから、話し合いなんてできないんだよ。きちがいおやじが、きちがい兄貴やってきたことを理解してない。 きちがいおやじが、俺にやってきたことを理解してない。

同じ仕組みで、きちがい兄貴が、俺にやったことを理解してない。きちがい的な意地でやっているのに、「つもりがないまま」なんだよ。それは、どれだけ、何万回言ってもおなじなんだよ。話し合いなんてできるわけがないだろ。きちがいがそっぽむいて、きちがい行為を、めちゃくちゃな意地でやっている状態なんだよ。

やっているさいちゅうに、「やめてくれ」と言ったら脂汗をかいて、真っ赤な顔をして、がむしゃらにやっちゃうんだよ。絶対にやめてくれないんだよ。

そして、「やめてくれと言ったけど、やった」と、やってないときに言えば、「そんなんじゃないそんなんじゃない」と 脂汗をかいて、真っ赤な顔をして、怒り狂って言って、おしまいなんだよ。

「やめてくれ」と言われたときの態度と、「こうだった」と言われたときの態度がおなじなんだよ。あるいは、「自分がやってないことについてなにを言っているんだ」というような態度で、無視して、なにも言わない。自分がかかわっている感じがまったくしない。

「やったつもりがない」まま生きている。けど、やっているときに「やめろ」と言われたら、ものすごい騒ぎになる。きちがい的意地で発狂してやり続ける。

「やめろ」と言われて素直にやめてくれたことがない。そういうことでも、本人は、やり切ることができれば(本人の気が済むまでやり切ることができれば)ある時点からある時点までずっと何時間もやったのに、そんなことは一秒もやってないというような認識を持っているような態度になる。

兄貴も親父も、「ごく普通に」そういう人間なんだよ。どれだけ困るか。話し合いなんてできるわけがないだろ。

「家族で話し合えばいい」とかふざけるな!

たとえば、遅刻したときに、どうして遅刻したんだと聞かれて、ヘビメタ騒音が鳴ってたから遅刻したと言ったとしよう。そうした場合、「そのことは、家族で話し合って解決してください」と言われる。

もう、こういうことの、繰り返しなんだよ。そして、こっちがどれだけ、きちがい家族がやっていることで困っていても、とうのきちがい家族は、しらんぷりなんだよ。まったく関係がない人としてやり続ける。きちがい兄貴なんて、自分が寝ている時間、自分が家にいない時間、自分がご飯を食べる時間、自分が風呂に入る時間を抜かして、すべての時間、きちがいヘビメタを鳴らしている状態だ。そういう一日が毎日続く。自動的にそうなっている。だから、やっているときに「やめてくれ」「静かにしてくれ」と言うしかない。

けど、やっているときに「やめてくれ」と言われたら、いま書いたとおりに発狂する。 やり終わったあとに言えば、「そんなのまったくやってないのに、なに言ってんだ」というような態度で無視をする。

「まったく自分に関係がないことを言ってくるな」といった態度で無視する。

これ、ほんとうに、本人は自覚がないんだからな。

本人は、やりたいことができたから、「すんで」いる。すんでしまったことは、まったくなにも関係がないのである。言われたって、なにも感じない。どれだけ、強く言われたって、なにも感じない。

あるいは、「そんなんじゃない」と発狂しておしまいだ。「そんなんじゃない」と発狂した場合だって、発狂したとたんに、本人のなかでは「すんだこと」になっている。

そういうことの繰り返しだ。

次の日になれば同じことをするんだよ。やりたいわけだから。毎日こういうことの繰り返しだ。そりゃ、兄貴のばあいは15年間だけど、親父の場合は80年間ぐらいそんな感じだ。かわらない。最後のほうはそういう性格に認知症がまぎれこんで、たいへんだったよ。

 

 

2021年4月12日月曜日

こいつら、ゆるせん。こいつら、ゆるせん

 ほんとうに、きちがいおやじのことで俺が人から悪く思われるというとが多すぎた。ほんとうに、きちがい兄貴のことで俺が人から悪く思われるということが多すぎた。人生のなかで、おおすぎた。けど、ほんとうに、「なる」んだよな。ふつうに、そうなる。だれだって、ヘビメタ騒音に毎日、何千日もさらされ続ければ、「働けないからだ」になるのに、ほかの人には、それがわからない。日本は、働いてないやつは、どれだけばかにしてもいいという風潮がある。風潮なんて生易しいものではない。かなり、無意識的なところで「そう感じてしまう」。そう感じるということは、そう感じても、いいということだ。からだ全体、脳みそ全体が、そういう感じ方を「支持」する。俺が無職のとき、正直に無職だといってしまうとかならず、いやな目にあわされた。きちがい兄貴の騒音のことを話しても、そいつらは、「騒音で働けなくなった」という話を、無視する。信じない。こいつら、ゆるせん。こいつら、ゆるせん。中学生のとき、働いてたわけではないけど、中学生のときも「構造的にはおなじこと」が成り立ってしまう。ほんとうに、一日のなかで、あれだけ長い間ヘビメタ騒音が続くと、どうしても、遅刻をしたり、活動ができなくなる時がある。毎日、続いて、どれだけくるしいか。あの苦しさがわかってないやつが、ほんとうに、あまえたことを言うな。ふざけるな。ゆるせない。こいつらはゆるせない。

きちがいおやじときちがい兄貴が、ほかの人が誤解するようなことをして、俺が誤解されるということが、多すぎる。多すぎた。

もう、それ、幼稚園生のときからあるよ。きちがいおやじが、理由もなく起こるというとを、幼稚園の先生に言ったときがあるのだけど、おさないから親が怒った理由が理解できないのだろうと思われて、そういうふうに考えたという説明を受けた。もう、このころから、始まってたんだな。俺がほんとうのことを言っているのに、ヨソの人が、信じない。おやじや兄貴を好意的に理解して、俺の言っていることを信じない。「おさないから」という理由は、ようするに、俺をばかにしている。幼稚園の時の先生は好きだったから、まあ、俺をばかにしていたというのは、言いすぎだけど、ようするに、おさなくて、親が怒る理由がわからないから理由がないことで怒っているように思っていると解釈したわけだろ。これ、ぜんぜん、ちがうんだよね。はずれ。

ヘビメタ騒音のことだって、ほんとうのひどさが、ほかの人にはわからない。ほかの人だって、たとえば、小学六年生のときから、……そうだな……20歳ぐらいまで、ヘビメタ騒音が、あのレベルで続いたら、絶対に働けない体になるのに……それ以降も働けない体のまま過ごすことになるのに、それが、わからない。わからないから、たとえば、それ以降あった人に「働いてない」ということを言うと、相手は、偏見に基づいて俺をばかにする。まあ、20歳のときだと、「働いていないし、通学もしてない」ということなんだけどな。

偏見に基づいてと書いたけど、なんていうのかな……本能に近い部分にある偏見だ。偏見は学習の結果だから、本能じゃない。本能に近い部分にあると言っても、ほんとうは、本能とは無関係だ。しかし! 考えるまでもなく、「そういうふうに感じてしまう」のである。そういうレベルの思い込みを「本能に近い部分にある偏見」と表現しているわけだ。で、何度も言うけど、「そういう感じ方がおかしい」と本人は、たぶん、一度も考えたことがないのである。そのくらいに、あたりまえなのである。考えるまでもなく、あたりまえ。そして、考えは、その考えのうえに成り立つ。その考えというのは、ここでは「本能に近い部分にある偏見」のことだ。ようするに、意識的な思考の、前提になるような、無意識的な思考のである。そういうものを本能に近いところにある思考と言うことにする。

 

 

「遅刻してしまうこともあるなんて、ふざけている」

 ほんとうに、つまらない。みんな、ぼく以外の人は、「実際に」きちがいヘビメタ騒音にさらされたことがないから、わからない。きちがいヘビメタというのは、きちがい兄貴が鳴らしたカビメタ騒音のことだとする。鳴っているときも、くるしいけど、鳴り終わったあとも、くるしい。そして、「鳴り終わったあともくるしい」ということの意味が、ほかの人にはわからない。だから、俺が「わるもの」になる。そりゃ、「ヘビメタが鳴っているから遅刻してしまう」と言って、遅刻したら、わるものになるだろう。体育祭でも文化祭でも合唱コンクールでもいいけど、「みんな」が、がんばってやろうとしているのに「遅刻する」とはなんだ?という気持ちになる。会社でも、なんかプロジェクトがあったとして、みんなで頑張って、一致団結してプロジェクトを成功させようとしているのに、「ヘビメタが鳴っているので、遅刻します」と言ったら、「そんなのは、ゆるさない」と言ってくるだろ。みんなの「わ」をくずそうとする「わるいひと」だと、そいつらは認識するだろ。認識しないのか? みんな、経験したことがないから、何千日もヘビメタ騒音が続いていると、どうしても、何日かに一回は遅刻するということになるということが、わからない。自分の体で経験してないからわからない。それに、「そんなのは、やめてくれとお兄さんに言えばいい」ということになっているのである。そいつらの頭のなかでは。そいつらの頭のなかでは、「やめてくれ」とお兄さんに言えば、やめてくれるはずだということになっているのである。そういうやつに、「やめてくれない」「何千回も言ったけどやめてくれない」と言っても、相手は……そいつらは、認めてくれない。そいつらの頭のなかでは「やめてくれ」と言えば、お兄さんはやめてくれるはずだという認識が成り立ったままだ。「言い方が悪い」「真剣に言えばいい」「きつく、何回も言えばいい」「聞こえるように怒鳴って言えばいい」などと的のはずれたことを言い出すことだってある。そいつらは、うちのなかの、きちがい兄貴のことがわかってない。きちがい兄貴がどういう認識回路を持っているかわかってない。まあ、ついでだけど、きちがいおやじがどういう認識回路を持っているか、も、わかってない。だから、「そんなに鳴らしているのに親が文句を言わないのはおかしい」とか激しく、ずれたことを言い出す。こういうギャップは俺が説明しても、うまらない。ここで、何百日も説明しているけど、それだって、認めないやつがいる。「エイリさんが嘘を言っている」「そんな人がいるはずがない」「そんなことがあるはずがない」と思っているやつがいる。「仮にそうだとしても、起きれないということはない」「仮にそうだとしても、遅刻しないようにしようと思えば遅刻しないようにできる」と、「仮の話にしてしまう」やつだって出てくる。こいつらは、俺にたいして、ものすごく失礼なことを言っているのだけど、当然、失礼なことを言っているという気持ちはないだろう。「遅刻は悪いに決まっている」「実際迷惑をかけられた」「遅刻してしまうこともあるなんて、ふざけている」という気持ちになってしまうやつだって、いる。

ここで何年もかけて説明していることを、一〇分間で説明するのはむりだ。だから、かいつまんで、肝心なところだけ、一〇分間で説明しているのに、認めないやつらが出てくる。管理側の人は、みんなそうだよ。管理側じゃなくても、たとえば、遅刻するやつがいると自分が迷惑をこうむると認識しているやつは、管理側の人とおなじことを言うことになる。兄貴の!!!!!きちがいヘビメタ騒音に毎日さらされているのはぼくだけなのだから、話が通じない。話の基本がわかってない。話の基本がわかってない人たちだって、俺とおなじように、騒音にさらされたら、遅刻するようになるよ。「どれだけがんばっても、遅刻してしまう日ができる」という状態がわかるよ。きちがい兄貴みたいな家族がいない人たちだから、わからない。それだけだ。ほんとうに、普通の人は「うちの」きちがい兄貴の特殊な態度がわからない。ほんとうに、普通の人は「うちの」きちがいおやじの特殊な態度がわからない。きちがい兄貴は、きちがいおやじのコピー。自分がきちがいおやじにやられれば、腹を立てて、きちがいおやじがやっていることはひどいことだということがわかるけど、自分がきちがいおやじの立場でやっていることは、きちがいおやじのように、わからない。自分がまずいことをしている気持ちなんて、ないよ。それは、何万回言われても、ない。何万回、指摘されても、そうだということがまったくわからないまま、やり通す。『そうだということがまったくわからないまま、やり通す』というのも、きちがいおやじの特殊な行動のうちのひとつだ。

 

2021年4月11日日曜日

「しかし、もういい」「もう、いい」と夢のなかでも言ってた

 

 ふたたび起きた。

眠れた。5時間ぐらい眠れた。夢はおもしろかった。お話に使えそうなんだが俺は世間とあわない部分があるので、実際には使えないかな。

「しかし、もういい」「もう、いい」と夢のなかでも言ってた。起きてからも「もう、いいわ」と何回か思った。

やる気になって楽しく動くということがないなぁ。「もう、いい」と思いながら、むりして動いている。そりゃ、買い物に行くときだってそうだ。「もう、いい」「こういうことがあった」「もう、いい」と思っている。「これは、あの雰囲気だな」「もう、いいや」……「くるしい」……「つらい」……「動かないと」……。こんな感じだ。 

きちがいヘビメタで、すべての時間、動いているのがつらいことになった。いつも、つらい気持ちで動くしかないということになった。ヘビメタ騒音「で」そうなった。日常がつらい。我慢して動いている。むりをして動いている。とてもつらい。

 

 

2021年4月10日土曜日

けど、それが、自分の才能だと思ってしまう。「やられてないだけ」なのに

 めちゃくちゃな、ヒマに耐えかねて、これから、買い物に行ってきます。

どっちに行くかまよっている……ところです。

しかし、「俺の人生ない」とか思っている……ところです。

「おかしいよな。これ……」とか思っている……ところです。 

まあ、ハスの総菜は欲しいかな。けど、あれは、いつもあるわけじゃない。それから、ウナギのかば焼きも欲しい。けど、ハスの総菜が売っているところと、ウナギのかば焼きがあるところがちがう。

けっきょく、俺は、ハスの総菜を買えるだけの「よゆう」がある。「総菜」は割高だ。まあ、台所が使えれば自分で料理したほうがコスパは高い。

けど、食いたいものを食っても、ぼくのこころが、ふさがらない。ぼくの心にあいた大きな穴がふさがらない。で、まあ、こういうところに、「ぼくのこころが、ふさがらない」と書いても、読んだ人は「なに言ってんだ。こいつ」と思うだけなのは、知っている。けど、案外、重症なんだよね。薬を飲んだ場合、そこそこ治る可能性が2割、依存と離脱に苦しむ可能性が6割、依存と離脱に苦しんだうえに、さらに、別の病気を抱えてしまう可能性が2割ぐらいある。ようするに、8割ぐらいはうまくいかない。あれ、みんな、「医者に行け」ということをよく言うけど、悪くなる可能性のほうが高いということに気がついてない。まあ、いいや。長期騒音がなければ、きちがいおやじにやられていたとしても、「医者に行くこと」を、すすめられるということはなかった。長期騒音が長期騒音ではなくて、1か月で鳴りやむなら、「薬をすすめられる」ことはなかった。これ、おかしいんだよな。ほかのやつらは、きちがい家族にやらてれいない。だから、俺よりも有利な立場を確保しているだけだ。けど、それが、自分の才能だと思ってしまう。「やられてないだけ」なのに。きちがい家族にたたられなかっただけなのに……。すぐれているわけじゃないのに……。ばかなやつらだなと思う。他人に対するこういう気持ちは、はっきり言えば、まずい気持ちだ。持つべきではない。けど、きちがい家族にやられると、しょうじてしまう。ほとけさまや神様じゃないのだから、あんな騒音にたえられるわけがない。俺が生きているというだけで、すごいことなのに、まったくみんなわかってないな。

 

 

2021年4月9日金曜日

いま、午後四時二二分。きちがいヘビメタが鳴っていた

 すべて遅いよ。すべて、遅い。いま、午後四時二二分。きちがいヘビメタが鳴っていた。毎日、三六五日、日曜日だろうが祝日だろうが冬休みだろうが夏休みだろうが、試験の前だろうが試験期間中であろうが、午後4時22分は、きちがいヘビメタが、ものすごい音で、鳴ってた。

 

普通の音じゃない。

ものすごい音で鳴っていた。

どれだけ、言っても、どれだけ怒鳴り込んでも、一分も、やめてくれなかった。一秒もやめてくれなかった。これが、きちがい兄貴がしたことだ。けど、きちがい兄貴は、「静かにしてやった」と思っている。これは、嘘じゃなく、そう思っているのだ。

実際にやったことは、一分だろうが一秒だろうが絶対にゆずってやらないということなのに、本人は「ゆずってやった」と本気で思っている。これが、きちがい兄貴の態度だ。これがきちがい兄貴の認識だ。自分が、思いっきり鳴らして満足できる範囲でゆずってやればいい」ということになっている。

だから、ときどき、五分間ぐらい、〇・一デシベルだけゆずってやれば、それでゆずってやったことになってしまううのである。

言っておくけど、その5分間だってめちゃくちゃにうるさい。ヘビメタを鳴らしている本人の耳が悪くなるぐらいにうるさい音で鳴らしている。

けど、そういううるさい音で鳴らしていても、本人が「ゆずってやった」気持ちになれば、「ゆずってやった」ということになってしまう。

 

これが、自動的に発動される。

 

毎日、毎時間、毎分毎秒、自動的発動「されている」。だから、本人は、二四時間中二四時間、自分が鳴らせるときに、なんの制約もなしに鳴らしているのに、「ゆずってやった」と思っている。

こんなのは、ない。

きちがいおやじとおなじなんだよ。きちがいおやじは「ゆずってった」つもりで、使えないハンダゴテを出してきているんだよ。使えないハンダゴテを物置から持ってきてやることが、最大限の譲歩だ。相手が、それで「助かるか」「助からないか」なんてまったく問題じゃない。

全部、自分の心のなかの問題なのである。自分が「ゆずってやった」つもりになれば、それは、絶対に「ゆずってやったこと」になるのだ。これが、おやじのやり方だけど、きちがい兄貴のやり方は、おやじのやり方のコピーだ。

おやじはハンダゴテで、きちがい的なやり方を通したけど、きちがい兄貴はヘビメタ騒音できちがい的なやり方を通した。場所や道具がちがうだけなのである。やり方はいっしょだ。

けど、こういうことが、ほかの人にはわからない。だから、『親が文句を言わないのであれば、たいした音で鳴らしてなかったんだろう』と思ってしまう。『そんなにでかい音で鳴らしていたら、絶対に親が注意をする。注意をしなかったのであれば、言っているほどでかい音で鳴ってはいなかったのだろう』と推論してしまう。

もちろん、まちがった、推論だ。けど、きちがいおやじときちがい兄貴のことが、わかってなければ、ちゃんとした推論だと思ってしまう。まちがってないと思ってしまう。

そうなると、その人たちの頭のなかには『エイリさんが妄想でものを言っている』とか『エイリさんがおおげさにものを言っているのではないか』とかという考えが浮かぶのである。

これがどれだけ、俺を傷つけるか? もちろん、きちがいおやじやきちがい兄貴は、これをねらって、やっているわけではない。意図的にやっているわけではない。自分がきちがいモードで対処すれば、俺から話を聞いた普通の人たちが誤解してくれるだろうと思ってやっているわけじゃないのだ。

しかし、効果てきめんだ。

ほかの関係がない人はみんなひっかかる。「そんなの、お兄さんに言えばいい」「そんなのは家族で相談すればいい」……そういう言葉がどれだけ俺をむなくそわるい気分にさせるか、ほかの人はわかってない。

じゃあ、そういう状態で、ほかの人がそういうことを言って、俺がむなくそわるそうな顔をしたらどうなるか? ほかの人は「ただ、自分が思ったことを言っただけなのに、そんなふうに怒って」「ただ、助言しただけなのに、そんな不愉快そうな顔をして」と思いやがるんだよ。こういうになったら、俺がどれだけ、きちがいおやじやきちがい兄貴のことについて、ちゃんとした説明をしてもムダだ。

2021年4月7日水曜日

ほんとう、すべてが不利にできあがっている

 

 つまんない。頭がもやもやする。これは、やばい。まあ、ヘビメタ騒音以降、ほんとうにくるしいだけの人生なんだよ。そして、ヘビメタ騒音のことをどれだけほかの人に説明しても、ほかの人は理解しないというとがわかってしまった。ほかの人たちというのは、経験がない人たちだ。経験がない人たちにどれだけ説明してもわからない。わからないということがわかってしまった。

*     *     *

 ほかの人たちは、普通に誤解しているけど、誤解しているということがわからない。これは、きちがい兄貴の無意識とは、ちがう構造だ。ほかの人たちは、ただ単に「経験がないからわからない」だけだ。無意識とは、関係がない。けど、無意識的な価値観が影響を与えている場合もある。だから、限定的に言うけど、きちがい兄貴における「理解しない構造」とほかの人たちにおける「理解しない構造」は一致してない。

 

 *     *     *

 

 ほんとう、すべてが不利にできあがっている。不利なんだよ。ものすごいハンディがしょうじた。俺の、言われようはない。俺の、現世における、言われようはないな。だれだって、きちがい兄貴が横の部屋に住んでいて、きちがい的な思考で、ヘビメタをでかい音で鳴らしたら、こまるのに、それがわからない。鳴っているときだけうるさい騒音だと思っているんだよな。「そんなんじゃない」とどれだけ言っても、ほかの人にはわからない。わからない。

2021年4月6日火曜日

ほんとうに、こころを破壊された

 ほんとうに、こころを破壊された。きちがい兄貴が、こだわってこだわってこだわって、きちがいヘビメタをスピーカーから鳴らし続けて、ぼくのこころを破壊した。ゆるせない。で、この世というのは……とくに、日本の社会というのは……ヘビメタ騒音にやられた人にとって住みにくい社会なのだ。それは、「できなくなる」からだ。

ほんとうに、普通の人たちは、わからない。どういうことなのか、わからない。わかってないんだよな。「ヘビメタ騒音にやられた」とか「ヘビメタ騒音が鳴っていると宿題ができない」とか「ヘビメタ騒音が鳴っていた次の日は、遅刻する可能性が非常に高い」とかとぼくが言っても、その人たちは、わからない。やられてない人たち……その人たちにしてみれば、「騒音」というのはそういうものではないのである。

何度も言うけど、家の前がでかい幼稚園で、いろいろな騒音経験してきたのである。けど、たとえば、幼稚園の園舎をたてなおしたとき、ぼくが、「騒音」で、勉強が出なくなるということはなかったのである。園舎といっても、小学校の校舎のようにでかいのである。そして、たとえば、幼稚園が、私立の剣道クラブに場所を貸していたときも、掛け声や竹刀がぶつかりあうおとや、踏み込みの足音でうるさかったけど、それで、勉強ができなくなるということがなかった。普通の人たちが経験している「騒音」はぼくだって経験している。そのとき、ぼくがヘビメタ騒音にさらされたような状態になったかというとちがう。ちがうんだよ。それが、他者にはわからない。きちがいヘビメタ騒音にさらされたことがない他者にはわからない。他者にわからないということは、他者は、俺がどれだけなにを言っても、「そんなのは、努力不足だ」「そんなのはあまえだ」と解釈するということだ。ヘビメタ騒音「で」できなくなったということを、認めないのである。俺だって「騒音」にさらされたことがあるけど、そんなことにはなってない。だから、エイリさんが、騒音に敏感なだけだとか解釈してしまうのである。けど、普通の「騒音」とヘビメタ騒音はちがう。至近距離の、きちがい家族による、ヘビメタ騒音は、質も量も違う。だから、ちがった効果をあらわす。やられた人間に、ちがった効果が出てきてしまうのである。けど、やられてない人間は、それを認めない。認めないということは、何度も言うけど、自動的に、「エイリさんがあまえているからダメなのだ」ということになってしまう。「できる」のに「できない」と言っていると思ってしまう。そう思ったら、マウントしてくる。説教をしてくる。これが、この世の普通の人間だ。だから、きちがい兄貴という、普通の人にはわからない、人間が、普通の人にわからない意地で、きちがいヘビメタを鳴らし続けると、こういうことになってしまう。こういうことというのは、普通の人がごく自然に、俺のことをばかにする状態になってしまうのである。こんな世界で生きていけるわけがない。実際、きちがいヘビメタがなければ一〇〇点をとれるテストで六〇点ぐらいしかとれなくなる。どれだけがんばってもがんばっても、遅刻するようになる。どれだけ、遅刻しないように気を張っても、きちがいヘビメタに、「その一日だけで」六時間以上さらされると、どうしても、次の日遅刻してしまう日が一〇日に一日ぐらいは出てくる。そうなると、三〇日で三回。ぐらい遅刻することになる。200日だと20回だ。どれだけ、気を張ってがんばっても、ゼロにはできない。けど、遅刻をすれば、ゼロにしろと、教師やほかの人間が言ってくる。その教師やほかの人間は、きちがい兄貴……きちがい的な家族による騒音にさらされていない普通の人たちだ。俺と、この人たちとでは、条件がちがう。条件がちがうのに俺が悪く言われる。俺が劣っているように言われる。俺がダメ人間であるかのように言われる。このとき、どれだけ、「ヘビメタ騒音が鳴っているから、どうしても、遅刻してしまう」ということを言ってもむだだ。「それは、家族で相談してください」といわれておしまいだ。家に帰って、「これこれこうで困った」ということきちがい的な音で鳴らしている、きちがい兄貴に、何十回も怒鳴っても、きちがいがきちがい的な反応をして、きちがい的な意地でずっと鳴らし続けてしまう。ゆずらない。こういうときの、きちがい兄貴の態度がほかの人にはわからない。そして、これが感じなことなのだけど、きちがい兄貴にもわかってない。きちがい兄貴は、きちがい的な意地でやったということがわかってない。本人は、そういうふうに認識していないのである。そういう認識のずれがある。これは、おやじと兄貴で共通だ。ともかく、ちがうんだよ。普通の人じゃない。ほんとうに、脳みそが、特殊な構造を持っているとしか言いようがない。絶対に、自分が、きちがい的な意地でやっているということを認識でないのである。きちがい的な意地で、それを無視する。無視したら、実際にやってないのとおなじなんだよ。主観的には「つもりがないまま」やり続けることができる。こんなのは、ない。ほんとうに、きちがいの世界だ。ふつうなら、きちがいの世界だ。けど、これがまた、ほかの人には、わからないのである。実際的な問題として、まったく理解できない。そういう困った他者が家族として存在していない他者は……「そんなのはない」「そんな人はいない」「ちゃんと説明すればわかってくれる」と普通に「思い続けて」しまう。だから、俺が説明したあとも、「ちゃんと説明すればわかってくれるはずなのに、ちゃんと説明しないからダメなんだ」と思ってしまうのである。いちおう、日本人なら理解できると思うけど、「ちゃんと説明すればわかってくれるはず」の人間は、きちがい兄貴で、エイリさん「が」ちゃんと説明しないからダメなんだと、その他者「が」思ってしまうということだ。日本人なら、わかるはずだと思うけど、「主語はなんだ」とか訊いてくるやつがいる。

ともかく、そういうことの積み重ねで、こころが破壊された。ほんとうに、つまらないのである。けど、これが、「つまらないつまらない」と言えば、「ネガティブなことを言うな」ということを言ってくるやつが出てくる。「つまらないつまらない」と言って「から」つまらなくなるということを言ってくるやつが出てくる。そいつらは、きちがい家族による、きちがいヘビメタ騒音を経験してない。 そりゃ、数千日にわたって、家族にやられた人間ではないのだから、そういうことが言えるのだろう。こいつらも、経験してないから言えるだけなのに……。まるで自分が「つまらないという人よりも」すぐれているから、人生を楽しめている(楽しむことができる)と思い込んでいる……ふしがあるとぼくには思える。原因がちがう。こういう人たちは、ただ単に、きちがい的な家族にやられなかっただけだ。その点で俺よりも幸運だけど、それは、すぐれているということではないんだよ。


2021年4月5日月曜日

「できる」と「できない」では、「できる」ほうがいいに決まっているという価値観がある

 トレッキングシューズを買った。

今年は、いろいろと持ち物を改善していきたい。それにしても、長期騒音で人生がない。これは、ほかの人には絶対にわからないことだ。ほかの人にとってみれば「そんなのは……」ということになるのだろう。けど、そういうことを言うほかの人たちには、長期騒音がない。俺と同等の長期騒音がない。きちがい家族がいない。もう、比較の対象にならない。

けど、人間は人間だからどうしても比較してしまう。そりゃ、みんな、自分の感覚でものを言っているからな。自分の感覚で、「善悪」を決めている。自分の感覚で「よしあし」を決めている。「できる」と「できない」では、「できる」ほうがいいに決まっているという価値観がある。「単にできる」よりも「もっとできる」のほうがいいに決まっているという価値観がある。「より優れているほうがいい」という価値観がある。「無職はだめだ」という価値観がある。「ひきこもりはださい」という価値観がある。「人の価値観なんて気にしないほうがいい」という価値観がある。「人とくらべる必要はない」という価値観がある。

けど、価値観は価値観だ。で、自分がよく意識している価値観と、無意識的な価値観がある。無意識的な価値観のほうが重要だ。無意識的な価値観は、「みただけで」いろいろなことを判断するのにつかわれる。もう、考えるまでもなく、本能に近い形で、反応が現れる。こういう即物的な反応に影響を与えるような価値観のほうが重要だ。本能じゃないけど、相当に「考えない」「考える時間を必要としない」という意味で、本能に近い形で」と書いた。けど、これは、もちろん、本能ではないし、本能に類似したものでもない。あくまでも比ゆ的な意味で、そのように書いた。ものすごく、深いところで行われた学習なのである。

 

2021年4月4日日曜日

あんなの、ずっとやられて、いいわけがないだろ

あんなの、ずっとやられて、いいわけがないだろ。

あんなの、ずっとやられて、影響が残らないわけないだろ。

どうして、こういう事実を無視するのか。「やる気」とか「努力」とか、そういう精神的な問題にするのか。損傷を受けたと言っているのに、やられてないやつらが、損傷を無視して、「もともとの」性格の問題にする。性格の問題というのは、俺の「性格の問題」ということだ。つまり、損傷を受けたかどうかは関係がないとする立場を採用している。損傷を受けてないやつが、俺も、損傷を受けてないと仮定して、あるいは、損傷を受けたにしろ、損傷の影響はもはやないと仮定して、きちがい的な助言を行っているのだ。こんなのは、喧嘩を売っているとしか思えない。

 

 

 

2021年4月3日土曜日

この暴言の根本には、認知療法やアドラーの影響がある。

 

 ほんとうにつまらない。

どうするかな?

「楽しくないのはおまえのせいだ」「楽しくしようと思えば楽しくなれるのに、わざわざ、楽しくないほうを選んでいる」という暴言が流行っている。この暴言の根本には、認知療法やアドラーの影響がある。しかも、こういうことを言っているやつらは、自分が暴言を吐いていることに気がつかない。そういうことを言いながら、「人の悪口はよくない」「ネガティブな発言はよくない」と言いやがる。

 

2021年4月2日金曜日

「うちの人しかわからない状態」になる。なにが、人権だよ? ふざけるな!!!

 朝の光があふれているのだけど、ヘビメタ騒音で憂鬱だ。俺がこの光の中、どれだけ、くるしい思いをしてきたか。とっくのとうに、おしまい、だったんだよ。むりができない状態になっていた。けど、むりをして、学校に通っていた。前日の午後11時11分まで、激しい音でヘビメタが鳴っている状態だと、どれだけ朝がつらいか、ほかの人にはわからない。午後11時11分には鳴り終わるけど、鳴り終わったら眠れるというわけではない。発狂して、疲れ果てているのに、眠れない。何時間もヘビメタを鳴らされ続けると、脳みそが「やかれて」眠れなくなる。眠れないまま、夜中の12時、午前1時、午前2時、午前3時と時間がたった時の、状態が、絶望的なのである。ヨソの人は……経験したことがない人は……午後11時11分に鳴り終わったなら、眠れると考えてしまう。なり終わって静かになったのだから眠れると思ってしまう。眠れないなら、エイリさんが夜更かしをしようと思って夜更かしをしているのとおなじだと考えてしまう。これが全部、考え違いなんだよ。騒音が鳴り終わったあと、眠れないというのは、深刻な問題だ。無視できる問題じゃない。こういうとこからして、人から誤解を受ける。そして、そういう……普通の人が普通にする誤解というのは、かなりこたえる。はっきり言ってしまえば、自殺に追い込むだけのちからがある。そういう力があるのに、ヨソの人たちは、気がつかない。どうしてかというと「鳴り終わったなら眠れるはずだ」と思っているからだ。鳴り終わったのに眠れないなんていうのはない。鳴り終わったのにもかかわらず、眠らないのは、エイリさんの自己責任だ。エイリさんの選択したことだと思ってしまうからだ。一日だけならいい、けど、日曜日も夏休みも含めて、すべての日、眠れない状態だと、生きているのがものすごくくるしくなる。一日や1か月の問題じゃないんだよ。工事で眠れなかったと言っても、工事は続かないだろ。そして、きちがい兄貴は、趣味でやっているけど、工事は趣味でやっているわけではない。公益性がある。そして、時間的な配慮がある。兄貴のヘビメタ騒音と工事の騒音をおなじようなものだと考える人がいるのだけどちがう。そして、兄貴のヘビメタ騒音と工事の騒音をおなじようなものだと考える人に、「工事の騒音と兄貴のヘビメタ騒音はちがう」ということを言うと、みんな、不愉快そうな顔をする。「おなじだ」と怒って反論してくる。けど、ちがう。しかし、きちがい兄貴が、ほかの人が理解できないような意地で、普通の家では絶対にありえないようなでかい音で、ヘビメタを鳴らさなかったら、ぼくとヨソの人のあいだで、「兄貴のヘビメタ騒音と工事の騒音をおなじようなものなのかどうか」ということについて、あらそうということがなかったと思う。これ、きちがい家族にやられている人の「特徴」なんだけど、ヨソの人から、誤解される。ヨソの人がむしろ、きちがい家族側に立ってものを言うようなことになる。きちがい家族は、認知がずれているので、「やったってやってない」ということになっている。きちがい家族は、きちがい的な意地でやったことを、きちがい的な意地で否定することろがある。「うちの人しかわからない状態」になる。これが、きつい。これも、きつい。きついんだよ。佐藤やユウキのような常識的な人は、これがまったくわかってない。どんだけ、普通に誤解をするか。誤解をして『きちがい家族に』やられているほうを追いつめるか? なにが、人権だよ? ふざけるな!!!

 

 

 

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。