2020年7月30日木曜日

ぼくの騒音感度は『普通』だった


幼稚園があいかわらず、うるさい。

いろいろと考え事がある。あるきながら考えようかと思う。

今日はすでに、ゴミを出した。きのうスイカを食べたので、出しておきたかった。むりやり量を増やして、出してきた。まあ、普通の袋になっていると思うから、持って行くだろう。そう言えば、ゴミ袋『小』を買っておこう。

ご飯は、ただ単に、味噌汁を飲んだだけである。そう言えば、低温クッカーのなかにある味噌汁を、冷蔵庫に入れたほうがいいな。

幼稚園が地震の訓練をやり始めたので、うるささに、拍車がかかったのである。というわけで、ぼくは、どこかに行こうと思う。
まあ、けど、幼稚園の騒音はたいしたことがない。普通の人にとっては大きめの騒音だと思うけど。俺の場合は、騒音感度遍歴がいろいろとあってだなぁー。あってだなぁーーー。説明がたいへんなのだ。

他の人にはわからない。……わからない。ぼくの騒音感度は『普通』だった。けど、ヘビメタ騒音によって、騒音感度が上がっている。それから、騒音感度が低い人は、基本的に言って、『自分勝手な人』が多い。ほんとうにものの見方が幼稚なのである。幼稚な人が『自分の感覚』で考えてしまうのだから、他人が考えていることなんてわからないだろう。自分の行為に関して、他人がどう考えているかということを考えることが少ない人間、気にしない人間が、多いと思う。騒音感度が低い人間の中には、そういう人間が多いと思う。

2020年7月29日水曜日

能力がさがったところでそういうことを言われる、存在になる


俺の人生はどうなってしまうのか?

ヘビメタ騒音で本当にくるしい。
他のやつにはわからない。ヘビメタ騒音の影響を無視してかかってくるやつが、大半だ。毎日、毎日、やられたことがないから、どれだけつらいかわからない。毎日、毎日やられたことがないから、影響の大きさがわからない。「じぶんならへいきだ」と思っている。「じぶんなら、(そのきちがいあにきというひとを)どうにかできた」「じぶんなら、そうおんをやめさせることができた」と思っている。くそ野郎ども。くそ野郎ども。

本当に能力も精神力も落とされてしまうんだよな。どうしたって、暗い顔になる。暗い顔になれば、『元気にしろ』『明るくふるまえ』と気違いヘビメタにやられてないやつから、説教をされる『スキ』ができる。

『気違いヘビメタにやられたって、働けると思っている』やつから、説教をされる『スキ』ができる。

ヘビメタ騒音の繰り返しによって、実際の能力がさがったところで、そういうことを言われる、存在になる。こんなこと、たえられるわけがないだろ。自分の身体で経験してみろ。一〇年間、一四年間、毎日つづいた場合、どうなるか、考えてみろ。

経験してみろ。

『気違い兄貴……なんてものは、制御できた』『俺だったらやめさせることができた』と考えるわけだろ。本当に人をバカにしやがって。こんな世界がゆるせるか。

2020年7月26日日曜日

『知っている』内容に違いがあった

ダイヤのことを考えている。
あのとき、やっぱり、もうちょっと説明をするべきだったのか。『エイリがどういうめにあったか知っているけど!』という前置きが、きいた。あれが、きいたんだよ。

『知っている』なら、『知らない』ということを言うことができないと思った。実際、ダイヤは僕の部屋で、ヘビメタがどのくらい大きな音で鳴っているか、知っていた。俺の部屋に遊びにきてたから知っていた。体験的に知っていた。

……けど、それは、この部屋にずっと住んで、体験的に知っているということではない。この部屋にいたあいだ、ヘビメタ騒音を聞いただけだ。夜の一一時一一分まで、何時間何時間もヘビメタ騒音を聞いていたわけじゃない。聞かされたわけじゃない。一日中、聞かされたわけじゃない。

うちから出れば……この部屋から出れば……自分のうちに帰れば、しずかな状態だった。自分のうちに帰るということでヘビメタ騒音から解放される状態だった。

そういう権利があった。ヘビメタ騒音からのがれて暮らす権利があった。

これは、うち以外に行くところがない俺とは違う。さらに、決定的に違うのは、ヘビメタ騒音を何時間も何時間も聞かされたあと、眠れないということを経験してないということだ。

一日ですら経験してない。

だから、ダイヤは『知らない』。『知っている』とは言えない状態だ。けど、実際にヘビメタ騒音を聞いて、ダイヤはヘビメタ騒音のことを『知っている』と思っている。ぼくが毎日ヘビメタのことで愚痴っていたので、毎日、俺がヘビメタ騒音でこまっているということを『知って』いた。

ダイヤが僕の部屋に遊びにきてたのは、中学生の時で、ダイヤが俺に「たちなおってくれ」「どうにかなってくれ」と言ったのは、二三歳のときだから、時間的なズレがある。

けど、その時間的なズレは、重要なことじゃない。『知っていなかった』ということが重要だ。『知っている』状態ではなかった。『知っている』内容が違いすぎた。たしかに、自分のことのように心配してくれたのだけど……。

『知っている』と前置きする人に言われとる、つらすぎる。『知っている』内容に違いがあるというとに、俺が気がついていなかった。実際に、俺の部屋にいて、ヘビメタ騒音が鳴っているのを聞いたことがある数少ない人物に、「『知っているけど』どうにかなってくれ」と言われると、くるしい。知っていると思っていたから……。

けど、『知っている』内容に違いがあった。ものすごく、でかい違いがあった。そのことに、俺もダイヤも気がついていなかった。

実際に『ヘビメタ騒音生活』をするのと、数時間だけ僕の部屋に滞在して、ヘビメタ騒音を聞いたことがあるというのは、違う。違っていたんだ。そういうことに気がつかなかった。あとは、蓄積の問題があるということにも気がついていなかったので、そのふたつを説明することができなかった。

けど、どれだけ説明しても、ぼくができると思っている人は、聞かないんだよな。ヘビメタ『で』できないと言っているのに……。これ、やられた量が違うんだよ。ヘビメタ騒音を聞かされたあと、眠れない状態になったことがない。眠れない状態のまま朝になったことがない。眠れないまま、五時になってしまって、二時間ぐらいしか眠れないまま、学校に行ったことがない。

それは、徹夜でゲームをして眠れなかったわけじゃないのだ。

どーーしても、日中、あるいは夕方から夜にかけてずっと、ヘビメタを至近距離で聞かされていると、眠れなくなる。ヘビメタ騒音がなっているあいだ、ものすごく腹が立っているわけだ。

ずっとずっと、超高圧状態なんだ。超ストレス状態なんだ。腹を刺して死んでしまおうかと思うような、はらわたがにえくりかえった状態だ。強制的に、ヘビメタ騒音で腹が立っている状態ですごすことになる。その時間は、勉強もできないし、好きな本を読むこともできない。騒音で苦しんでいるだけなのである。

それが、学校から帰ったあとずっと続くというのは、くるしすぎる。勉強なんてできないわけだし、遊んでいるから楽しいというわけでもない。ゲームをして、充実していたというわけでもない。好きなラジオを聞いて、いろいろなことに空想をめぐらしていたわけでもない。

ヘビメタ騒音で、強制的に立腹させられている、切羽詰まった状態だ。その切羽詰まった状態が(友だちが部屋にいるわけでもなく)ひとりで、経験している。その時間が長すぎる。その毎日が、長い。長すぎる。それが、ぼく以外の人にはわからない。

2020年7月24日金曜日

基準が違う


俺が、「できない」とひとこと言ったら、それは、数万語ぶんの「できない」なんだよ。数万時間の体験にもとづいた「できない」なんだよ。

ただ、ちょっとやってみて、「できない」と言っているやつといっしょににするな。そういう言葉じゃないんだ。たえて、数万回やってきたが、もうだめだという「できない」なんだよ。

「数万回やってきたならできるだろ?」と言うかもしれない。それは、傲慢だ。俺が体験したことを無視した傲慢な発言だ。「がまんして、限界を超えてやってきたけど、もうできない」という意味で「できない」と言っているんだよ。

「限界を超えてやってきたなら、できるのでは」と言うかもしれない。それは、傲慢な発言だ。俺が体験してきことを過小評価した、傲慢な発言だ。

けっきょく、自分が自分のこととして体験してないから、わかってない。

「わかってないだけ」だから。

気違いヘビメタがなければ、簡単にできたことなんだよ。ふざけるな。

基準が違う。ヘビメタ騒音経験してない俺と、経験したあとの俺では、基準がちがうんだよ。ほかのやつらは、もちろんヘビメタ騒音を経験してないから「ヘビメタ騒音を経験してない場合の俺」と同じような感覚で、ものを言うのだろう。

けど、それは、間違っている。

ヘビメタ騒音がどういうものかわかってないだけ。ヘビメタ騒音の連続がどういうものだかわかってないだけ。ヘビメタ騒音生活が、数千日にわたって続くということがどういうことだか、わかってないだけだ。そりゃ、わからないのだから、しかたがない。けど、むかつく。


2020年7月23日木曜日

ずっとずっと、超高圧状態なんだ。超ストレス状態なんだ

ダイヤのことを考えている。
あのとき、やっぱり、もうちょっと説明をするべきだったのか。『エイリがどういうめにあったか知っているけど!』という前置きが、きいた。あれが、きいたんだよ。

『知っている』なら、『知らない』ということを言うことができないと思った。実際、ダイヤは僕の部屋で、ヘビメタがどのくらい大きな音で鳴っているか、知っていた。俺の部屋に遊びにきてたから知っていた。体験的に知っていた。

……けど、それは、この部屋にずっと住んで、体験的に知っているということではない。この部屋にいたあいだ、ヘビメタ騒音を聞いただけだ。夜の一一時一一分まで、何時間何時間もヘビメタ騒音を聞いていたわけじゃない。聞かされたわけじゃない。一日中、聞かされたわけじゃない。

うちから出れば……この部屋から出れば……自分のうちに帰れば、しずかな状態だった。自分のうちに帰るということでヘビメタ騒音から解放される状態だった。

そういう権利があった。ヘビメタ騒音からのがれて暮らす権利があった。

これは、うち以外に行くところがない俺とは違う。さらに、決定的に違うのは、ヘビメタ騒音を何時間も何時間も聞かされたあと、眠れないということを経験してないということだ。

一日ですら経験してない。

だから、ダイヤは『知らない』。『知っている』とは言えない状態だ。けど、実際にヘビメタ騒音を聞いて、ダイヤはヘビメタ騒音のことを『知っている』と思っている。ぼくが毎日ヘビメタのことで愚痴っていたので、毎日、俺がヘビメタ騒音でこまっているということを『知って』いた。

ダイヤが僕の部屋に遊びにきてたのは、中学生の時で、ダイヤが俺に「たちなおってくれ」「どうにかなってくれ」と言ったのは、二三歳のときだから、時間的なズレがある。けど、その時間的なズレは、重要なことじゃない。『知っていなかった』ということが重要だ。『知っている』状態ではなかった。『知っている』内容が違いすぎた。たしかに、自分のことのように心配してくれたのだけど……。

『知っている』と前置きする人に言われとる、つらすぎる。『知っている』内容に違いがあるというとに、俺が気がついていなかった。実際に、俺の部屋にいて、ヘビメタ騒音が鳴っているのを聞いたことがある数少ない人物に、「『知っているけど』どうにかなってくれ」と言われると、くるしい。知っていると思っていたから。けど、『知っている』内容に違いがあった。ものすごく、でかい違いがあった。そのことに、俺もダイヤも気がついていなかった。

実際に『ヘビメタ騒音生活』をするのと、数時間だけ僕の部屋に滞在して、ヘビメタ騒音を聞いたことがあるというのは、違う。違っていたんだ。そういうことに気がつかなかった。あとは、蓄積の問題があるということにも気がついていなかったので、そのふたつを説明することができなかった。

けど、どれだけ説明しても、ぼくができると思っている人は、聞かないんだよな。ヘビメタ『で』できないと言っているのに……。これ、やられた量が違うんだよ。ヘビメタ騒音を聞かされたあと、眠れない状態になったことがない。眠れない状態のまま朝になったことがない。眠れないまま、五時になってしまって、二時間ぐらいしか眠れないまま、学校に行ったことがない。それは、徹夜でゲームをして眠れなかったわけじゃないのだ。どーーしても、日中、あるいは夕方から夜にかけてずっと、ヘビメタを至近距離で聞かされていると、眠れなくなる。ヘビメタ騒音がなっているあいだ、ものすごく腹が立っているわけだ。ずっとずっと、超高圧状態なんだ。超ストレス状態なんだ。腹を刺して死んでしまおうかと思うような、はらわたがにえくりかえった状態だ。強制的に、ヘビメタ騒音で腹が立っている状態ですごすことになる。その時間は、勉強もできないし、好きな本を読むこともできない。騒音で苦しんでいるだけなのである。それが、学校から帰ったあとずっと続くというのは、くるしすぎる。勉強なんてできないわけだし、遊んでいるから楽しいというわけでもない。ゲームをして、充実していたというわけでもない。好きなラジオを聞いて、いろいろなことに空想をめぐらしていたわけでもない。ヘビメタ騒音で、強制的に立腹させられている、切羽詰まった状態だ。その切羽詰まった状態が(友だちが部屋にいるわけでもなく)ひとりで、経験している。その時間がない。長すぎる。その毎日が、長い。長すぎる。それが、ぼく以外の人にはわからない。

チート技を使えるようなものなんだよ。


俺だけ、気違い兄貴の気違いヘビメタのハンディがあるのは、ゆるしがたい。どうして、俺だけ。

気違い兄貴が、ヘビメタではなく、将棋とか囲碁に夢中になっていたら、ぼくの人生はまったく違ったものになっていただろう。ぜんぜん違う。

どうして、俺だけ。俺だけが、ずっとずっとずっと、気違い兄貴のヘビメタ騒音にやられている。他の人たちは、ヘビメタ騒音がない。ヘビメタ騒音のハンディがない。それが、俺にとって、どれだけうらやましいことか、わかるか。わからないだろう。チートなんだよ。ずるいんだよ。ヘビメタ騒音のハンディがないということは、チート技を使えるようなものなんだよ。




2020年7月22日水曜日

ヘビメタ騒音以降、ずっとこの世は、くるしい


ヘビメタ騒音以降、ずっとこの世は、くるしい。はてしなく、くるしい。くるしいだけで、無意味。ほんとうに、ぜんぶの風景に、光景に、ヘビメタ騒音が「くっついて」いる。気違いヘビメタにやられて、この世の認知そのものが、くるしいものになってしまった。

ヘ・ビ・メ・タというところが、なんとなく、笑いをさそうところ


ほんとうに、ヘビメタ騒音でくるしい。ヘビメタ騒音で憂鬱で、いつもまるまるまるしたいなと思いながら生きてきた。ヘビメタ騒音は他の人が思うような、『楽な障害』じゃない。他の人は『障害』だとも思ってないだろ。そして、ヘ・ビ・メ・タというところが、なんとなく、笑いをさそうところなのだ。たいしたことじゃないような印象を与えるところなのだ。これ、だけど、生きるか死ぬかの問題だから。自殺するしかないかの問題だから。憂鬱度が違う。他の人が思い描く憂鬱度と、実際の憂鬱度が違う。他の人だって、自分が世界で一番キライな音を、あの至近距離で、あのしつこさで、鳴らされたらわかるよ。けど、普通の家では、そういうことは、ありえない。うちは、頭にクセがある(頭がおかしい)孤児がつくった家だから、そういうことがありえる。普通に成り立ち続けてしまう。あんなのが、ずっと成り立ち続ける家というのは、ほんとうに、ない。うちしかない。

ほんとうに、す・べ・て・が違うんだよな。普通だったら、気違い兄貴がどれだけ頑張っても、一日目には、やめさせられる音だ。音のデカさだ。それが、うちでは、もともとが、気違い親父が作った家だから、気違い兄貴が、普通の人では理解できないような意地を通すことができた。あ母さんが「やめてあげて」と言ったって、聞かない。俺が「やめくれ」『静かにしてくれ』と、どれだけ言ったって、聞かない。気違いの意地を通すのみ。オヤジ? オヤジは、知らんぷりだよ。兄貴が悪いことをしてないときは、気違い的な理由で、怒り狂って怒り狂っておさえつけていたのに、兄貴が悪いことをし始めたら、しらんぷりだよ。そういうことになっちゃうの。ユキさんは、「そんなに、親がうるさく注意してたのに、注意しなくなっちゃうなんて、おかしい」という意味のことを言ってた。そういうふうに考える人たちがいる。『子供が小さいとき、怒り狂っていたのに、子供が高校生になって、エレキギターを弾き始めたら、黙っちゃうなんておかしい……そんなのはおかしい……エイリさんが嘘をついているにちがいがない』……そういうふうに思ってしまう人たちが出てくる。こういうのも、気違いオヤジが別に、俺のことをワナにはめてやろうとしくんだことじゃないけど、俺が、オヤジの気違い的な態度で、人から誤解を受けるということのひとつの例だ。

2020年7月20日月曜日

『こだわらなくていいことにこだわっている』


ヘビメタが本当にくるしかった。地獄である。ほんとうにこの世は地獄。どれだけ、がんばっても、気違いヘビメタ騒音の影響からのがれることができなかった。ほんとうに、死にものぐるいの努力をしても、悪くなっていくばかりなのである。

気違い騒音の圧力がかかってけっきょくは、失敗する。だめになる。気違い騒音の圧力が問題だったわけで、なくなれば、それでよかった。

なくなるというのは、まったく、ヘビメタが聞こえなくなるということなのである。気違い兄貴が、気違い兄貴の基準で「ゆずった」と思っても、まったく無意味なのである。せめて、フォークギターぐらいの音に落とすことが必要だった。

気違い兄貴を知らない人、あるいは、気違い兄貴のような家族を知らない人は、気違い兄貴のような家族が、『意地になって』気違い行為をしている時の状態がわからない。

『どれだけ、でかいと言っても、ヘビメタ騒音なんてたいしたこと、ない』と思ってしまう。『ちゃんと言えば、家族なのだから、静かにしてくれるはずだ』と思ってしまう。『親が文句を言ってないのであれば、どれだけでかい音で鳴っていると言っても、たいしてでかい音で鳴ってないのだろう』などと思ってしまう。

そういう思い込みと、こっちの現実の乖離がでかすぎる。実際に経験してみないと、どれだけ過酷な経験かわからない。毎日が、どれだけ、くるしくなるかわからない。

このあいだ書いた、『いっしょに練習しようという誘いをことわった』という話は、いろいろなことの雛形なのである。あれひとつで終わったわけじゃない。ほんとうに、人間関係のかなりの部分がそういうことになってしまう。

親友が『(エイリのことをおいていけないから)いいかげん立ち直ってくれ』と言ったときだって、同じ構造が成り立っている。部活をやめたときだって同じ構造が成り立っている。佐藤の俺に対する『みくだし』にしたって同じ構造が成り立っている。

他の人には、ヘビメタ騒音の影響がわかってない。実際に経験したわけではないので影響のデカさがわかってない。ほんとうは、ものすごくでかい影響をあたえているのに、他の人からは、小さな影響だと思われる。その乖離・ギャップは、人間が人間としていきている限り、うまらない。

どーーしたって、経験がない他者は、そういうふうに『見なす』。『見くだす』。そりゃ、わからないのだから、『そんなのに気にしなければいい』という話になる。『気にしているエイリさんが悪いのだ』という話になる。『お兄さんがやっていたにしろ、とめられなかったのであれば、エイリさんの自己責任だ』ということになる。

『いずれにせよ、「たいしたことじゃない」のだから、気持ちを切り替えて、やる気になれば、できるようになる』……という『見なし方』が成り立っている。けど、そうじゃないのだ。

けど、「そうじゃないのだ」ということを、経験のない相手にどれだけ、ぼくが言っても、その経験のない相手はわからない。自分の範囲内で考えてしまう。『自分の経験』の範囲内で考えてしまう。

だから、どこまでいっても『そんなのはたいしたことじゃない』という考えを持ったままだ。そのうえで、『現在の俺』を判断するのである。だから、『エイリさんが過去のことにこだわってサボっている』『エイリさんが過去のことにこだわってあまえている』ということになってしまうのである。その人のなかでは……。そういう『見なし方』をした以上、確信のようなものになっている。……その人のなかでは。

けど、それは、その人が、気違い家族にものすごいヘビメタ騒音を毎日鳴らされるということを経験しなかっただけの話なのである。経験しなかったから、影響の範囲がわからない。

どれだけいろいろなところに波及するかわからない。

わからない以上は、どうしたって、『たいしたことじゃないのに、こだわっている』ようにしか見えない。『こだわらなくていいことにこだわっている』ように見えてしまう。『いまは影響がないことにこだわっているから、ダメなんだ』と思えてしまう。

やった人間の『頭のクセ』は重要だ。ようするに、気違いかどうかはものすごく重要だ。こういうことも、まったく関係がないと見なしてしまう。それは、頭がおかしい家族にやられたことがないから、そういうふうに見なしてしまうということにすぎない。

すぎない……。けど、ものすごくでかいことだ。

他者は、たいていの場合、頭がおかしい家族にやられたことがない人なのだから、根本的なところがわからない。どうしたって、『そんなのは、たいした影響がない』と思ってしまう。『ちゃんと言えばよかったのに、言わなかったから、ダメなのだ』と思ってしまう。普通にそう思ってしまう。

2020年7月19日日曜日

この世の『雰囲気』に破滅破綻がつきまとう。


歯磨きが終わったところだ。
どうするかな? ファミリマートに行きたいところなんだが、正直言って、腹が痛い。ファミリーマートは、わりと遠いので、不安な側面がある。

まあ、けっきょくぼくは、好き勝手に生きてきたということになるのだろう。しかし、いろいろとあって、つらい。見える風景がつらい。たとえば、自転車に乗って、ファミリーマートまで行くということを考えた場合、普通の人だったら、楽しめる部分があると思う。けど、俺はいろいろとあって、正直に言うと楽しめない。一番大きな理由は、ヘビメタ騒音だ。ヘビメタ騒音で、楽しめない。

ファミリーマートまでの道は、図書館までの道とほぼ同じ道だ。あるいは、まるまる荘までの道とほぼ同じだ。だから、まるまる荘とうちのあいだを行き来していた頃の思い出がどうしても思い浮かんでしまう。そして、あのとき、社会人としては破綻していたので、破綻している感じしかしない。ヘビメタ騒音以降、他の人にはわからない方法で、世界を認知している。ヘビメタ騒音以前の、世界認知とはぜんぜん違う方法で、世界を認知している。どうしても、破滅破綻がつきまとう。この世の『雰囲気』に破滅破綻がつきまとう。

2020年7月18日土曜日

どうしても、長期騒音以前の状態にならない

目が治ってない。
かなり長い間、治ってない。

幼稚園生が絶叫しているなぁ。
俺は、平気だったのに……。

ともかく、ぼくの元気がないんです。
ほんとうは、あるところに行かなければならないのだけど、行きたくない。
しかも、行くとお金をもらえるところなんだ。

あー。

他の人は、わかってない。わかるわけがない。けど、それとは別に、ぼくがつまらないんだよ。ぼくの感情が死んでしまったわけ。どこに行くにしても、長期騒音の影響を受けている。どうしても、長期騒音以前の状態にならない。長期騒音の前……ぼくにも普通の感情が成り立っていた。普通の落ち込み、普通のよろこび……そういうものが、ぼくにも、たしかにあった。けど、落ち込みの落ち込みが違うという状態になった。楽しめなくなった。どこに行くにしろ、行く前、普通の落ち込みではない落ち込みがある。負の学習をしてしまった。負の学習を打ち消すほどの学習ができない。負の学習は、あたまの「しん」に入ってしまった。あたまのしんをかえてしまった。汚染された魚のように、汚染された魚を食べた人のように、脳みそのしんが、影響を受けた。

汚染魚を食べたあとは『普通の状態』ではなくなる。汚染魚を食べたあと、どこかに行くとなると、汚染魚を食べたからだで、どこかに行くことになる。それは、汚染魚を食べて「くるしい」という状態からはにげられないということを意味している。たとえば、快楽のために旅行に行っても、快楽を得られないということになる。普通の人が快楽を得られるところでも、汚染魚の影響で、快楽を得られないということになる。かりに、快楽を得ているにしろ、快楽は、そのままの快楽ではなくて、50%の快楽、10%の辛くということになる。

2020年7月17日金曜日

繰り返されたことは、いまの感情に影響を与える


けっきょく、ヘビメタ騒音でくるしい。他のやつは、ヘビメタ騒音がないから楽だ。人生すべてが、イージーモードだ。もちろん、ヘビメタ騒音が鳴っていた場合よりも、イージーイードだということだ。

これは、比較の問題で、相対的な問題だ。

やられてない人には、やられた状態というのがほんとうにわからない。他の人がどれだけ考えてもわからないようなところで、相当のダメージを食らう。けど、それが、他の人にはわからない。他の人は、俺がもともと「そうなんだ」と思うわけだ。

しかし、違うんだよね。たとえば、ぼくが暗いとしよう。他の人はもともと、ぼくが暗い人なんだと思うわけだ。

けど、違うんだよね。

ヘビメタ騒音で暗くなった。ヘビメタ騒音で、あかるい感情をなくした。なにをやるときも、だるくてだるくて、くるしい状態になった。憂鬱な状態になった。疲労している状態になった。そういう状態が、他の人から見ると『暗く』見えるのである。実際に、ぼくは、だるくて、しんどくて、憂鬱なので、暗い。

ほんとうに、学校に通っていて、なおかつ、午後四時から午後一一時一〇分まで、鳴っている生活というのはくるしい。どうしても、ヘビメタが成り終わったあと、勉強をするということができない。他の人は、ヘビメタ騒音が成り終わったあと、ぼくがどれだけだるいかわかってない。怒りで、疲れ果てている。

強制的に何時間も何時間も、怒り狂っている状態になってしまう。これは、強制的で『鳴っている以上』無視できない。鳴っている以上、怒ってない状態になれない。鳴っている以上普通の状態ですごすことができない。

あの態度で、鳴らされたら、そりゃ、腹が立つ。

で、ヘビメタ騒音は、ほんとうに音と音の感覚が短い。ピークの音が、単位時間あたりにいっぱいつまっている。どの瞬間も、気違い的に腹が立つ音がピークの音量で鳴っている。それがくるしい。これが、連続的で持続的な緊張をしいる。

そうすると、やはり、我慢に我慢を重ねて、つらい状態になってしまうのである。疲れ果てた状態になってしまうのである。で、これは、勉強をしなかったけど、趣味のゲームをしていたから充実していたという時間ではない。

完全に、マイナスの時間だ。

他の時間の勉強に影響を与える。気違い親父が作った家でなければ、あんな音が、1日に一〇分でも鳴っているということは、絶対にありえないことなんだよ。そういうことも、他の人はわかってない。どうしても、自分たちの基準で『騒音』というものを考える。自分たちの基準で『ステレオ騒音』『エレキギター騒音』というものを考える。けど、違う。あんなのは、おかしい。

ほんとうに、うちが、でかいでかい幼稚園の前で、他の家とも離れていたから、気違い兄貴がああいうでかい音で鳴らすことができた。で、兄貴は二階の部屋で鳴らしていたわけで、僕の部屋とは、地続きなんだよ。壁が透明なら、「そこで」スピーカーが鳴っている。手を伸ばせば、スピーカにとどく距離でなっている。

部屋の壁がでかいスピーカーのような感じで、ドカスカ鳴っている。これがからだに響く。横になると、枕らに響く。気違いヘビメタ騒音のなかで眠るということができない。だから、まず、学校から帰って、ヘビメタ騒音が鳴っている時間は、眠って、鳴り終わったあとに起きてやるということができなかった。

なにをするのもヘビメタ騒音なのである。

ヘビメタ騒音の影響を受ける。友だちが、「マラソン大会の練習をしよう」と言ってきたことがある。ダイヤほどではなかったけど、よい友だちだったので、ぼくもヘビメタ騒音がなければ、いっしょに練習していたと思う。けど、ヘビメタ騒音が鳴っているから、練習をことわることになる。ヘビメタが鳴っていて、マラソンの練習なんてできない。ほんとうに、切羽詰まった状態なんだよ。

で、その友だちは「ほんとうに、いしっょに練習をしてほしかったな」なんて言うんだよ。その友だちは、じつはその時は俺のことが好きで、ほんとうに、練習に参加してほしかったわけ。それから、その友だちの他にも、練習に参加していた友だちが数人いたのだけど、どの友だちも、みんな、いい人だった。

あのメンバーだったら、ほんとうに、ヘビメタ騒音がなければ、一緒に走って汗を流して、帰ってきたあと、気持ちいい状態で勉強をするということもできた。けど、実際には、俺は一人でヘビメタ騒音で苦しんでいた。

ぼくの人生というのは本当にそういうことが、何千回も何万回も繰り返されている。ひとつひとつは小さいことだけど、何千回も何万回も、繰り返されれば、話は違う。まとまりとしてはでかいことになる。同じ感情の繰り返しなのだから、やはり、まとまった感情としては、でかい。こういう経験が、『やる気が出ない状態』のベースになっている。あるいは、ヘビメタ騒音を経験してない人との関係のベースになっている。

2020年7月16日木曜日

からだが眠たくなってきた


 スリッパを買いに行くつもりだったけど、どうもだめだ。
まだ、眠りたくはないけど、からだが眠たくなってきた。なんていうのかな? 頭がもやもやしている。これは、外に出て歩くとき、相当に……。歩くとき、憂鬱で憂鬱でしかたがない。だいたい、疲れと憂鬱は似ている。もちろん、爽快な疲れもある。けど、ぼくが言っている疲れは、しんどい疲れで、憂鬱な疲れだ。ともかく、からだがこの状態になってしまったら、外に出ることができない。これで、むりやり動くと、あんまりいいことが起こらない。睡眠時間がずれるし、不注意な状態で買い物をするのはよくない。


それにしても、幼稚園児がうるさいな。こまったな。
だるい。そして、憂鬱だ。

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2020年7月14日火曜日

怒り狂った途端に、まったく関係がない人になってしまう


あのときの、あれ、ないな。
ヘビメタ騒音なしで普通にテストを受けたかったな。
中学に入って以来、ずっと、テストの日まで、ヘビメタ騒音に祟られているなんて、ないだろ。おかしいだろ。普通じゃないだろ。ありえないだろう。その、普通ならありえないことが怒った。気違い兄貴の気違い的な態度なんて、みんなわかってくれない。どれだけの意地で鳴らしたかわかってない。どれだけ、自分がやっていることに無関心だったかわかってない。これは、ようするに、自分が意地になってやっていることは、意地になって認めないということだ。主観的には「まったくやってない」のと同じなのである。自分が意地になってやっていることで、相手が困っているということは、まったくわからないのである。どれだけ相手が言ってきてもわからない。わからない以上、まったくやってないのと同じなのである。まったく関係がないつもりなのである。

気違い兄貴にわかりやすいように言っておこう。気違い兄貴が、学校に持っていくハンダゴテのことで困っていたとき、親父は、兄貴が困っているということがまったくわかってなかった。兄貴が困っている原因は、オヤジの態度なんだよ。親父が、エレクトロニクス工作用のハンダゴテを買ってやらないと決めたから、兄貴が困っていた。親父にとっては、自分が持っているエレクトロニクス工作には使えないハンダゴテを持たせてやることなんだよ。それが、最大限の譲歩なんだよ。だから、親父としては、譲歩しているつもりなのである。けど、そのオヤジのハンダゴテを持っていくと、恥をかくことになる。ちょっと話がそれるけど、気違い兄貴の譲歩というのはオヤジの譲歩と同じだ。相手がこまるような譲歩しかしない。けど、譲歩してやったら、それでおしまいなのである。だから、困ったことをやり続ける。相手が困ることを、やり続ける。けど、相手を困らせているとは思わない。それは、相手がどれだけ強く言ってきても、思わない。相手が、これこれこういうことで困っているということを言っても、そのことが自分にとって不都合なことであれば、怒り狂って、認めないのである。この場合、認めなかったということも認めないというような状態になる。認めなかったということをも認めなかったいうことを言っても、それは同じやり方で認めないので、二重、三重に認めないということになる。「言えば、わかる」という世界じゃない。「ちゃんと言えばわかってくれる」はずだという世界観を持っていると、被害を受けたほうが言っていることがわからなくなる。その人も、『ちゃんと言えばわかってくれるはずだ』という世界観にたって、被害を受けたほうが真実の報告をしていても、それが真実だとは認めない……のである。そういうふうなことになってしまうんだよな。ごく自然に……。別に、発狂して認めないときに、相手が他の人に言ったとき、他の人が認めないような態度で発狂しようと思っているわけではないのに、そううことになってしまう。『ちゃんと言えばわかってくれるはずだ』という世界観を持っている人に『ちゃんと説明しないからダメなんだ』と言われたときの気持ちがわかるか? 話がちょっとだけずれた。
ともかく、親父が『使える使える』と発狂して、兄貴に新しいハンダゴテを買ってやらなかったとき、親父が兄貴が困っているということを認識できたかというと、認識できなかったのである。で、同じように、兄貴のヘビメタ騒音で、俺が困っているということを、兄貴は認識できなかった。オヤジにしてみれば、カネを払いたくないので、オヤジの空想世界では、自分のハンダゴテは使えるということになってしまうのである。そうなったら、現実世界でも使えるということになって、『使えない』という情報は、意地でも認めないのである。それは、カネを払いたくないと思ったときに決まっている。絶対に、『使えない』ということは認めない。それと同じように、兄貴は、自分が思った通りの音でヘビメタを鳴らしたかったから、自分が鳴らしている音がでかい音だということを認めなかったのである。認めたら、静かにしなければならなくなる。だから、最初から、オヤジのように、認めないのである。自分が思った通りの音で、ヘビメタを鳴らすと決めている以上、自分のヘビメタの音で相手が困っているということは絶対に認めないのである。でかい音だということも認めないし、その、自分が意地なにって鳴らしている、でかい音で、弟が困っているということは、絶対に認めないのである。認めてしまったら、静かにしなければならなくなる。それは、命にかけても、命にかえても、絶対に避けなければならないことなのである。そうなると、本人は意識しているわけではないけど、『無意識的な無視』が発動して、認めないということも認めないという意識状態になってしまう。その意識状態でやってことは、本当にやってないつもりのままなのである。本人が関わっている感じがしない。本当は、本人の行為によって、相手が困っているのに、相手が困っているということは、一切合切、わからない状態になる。認知できない状態になる。だから、自分が譲らずに、意地になってやるから、相手が困っているのに、相手が困っているということは、自分にはまったく関係がないという認識が成り立ってしまうのである。『つもりがない』というのは、そういうことなんだよ。『つもりがない』からやってないという状態とは正反対の状態なんだよ。『つもりがない』から、発狂的な意地でやっている。やってないわけじゃない。けど、『自分がやってないこと』のように(本人には)感じられる。押し切ることができたら、一切合切関係がない人になってしまうのである。押し切ったのだから、おなじ状態が続く。これは、どういうことかというと、兄貴のハンダコテに関しては、兄貴がハンダゴテを買ってもらえない状態が続く。俺のヘビメタ騒音に関しては、ヘビメタ騒音が鳴っている状態が続く。兄貴のハンダゴテは、オヤジの意地が関わっているし、俺のヘビメタ騒音に関しては、兄貴の意地が関わっている。本人が強く主張して、こだわりつくして、怒り狂ってそうしているから、そうしているのに、やっている本人は、怒り狂った途端に、まったく関係がない人になってしまう。これがどれだけ困るか……。気違い兄貴はわかるよな。親父にやられたぶんはわかるはずだ。けど、自分が弟にやったことは、オヤジのようにわからないんだよ。「やった」と言われたら「やってないやってない」とオヤジのように発狂しておしまいなんだよ。「ゆずってくれなかった」と言われたら「ゆずったゆずった」とオヤジのように発狂して、おしまいなんだよ。「譲歩してくれなかった」でも「やってくれなかった」でも同じだ。正反対のことを絶叫しておしまい。ほんとうに、本人の中では終わっている。……やっているときは、そういうやりかたで、意地を通して、発狂してやり続ける。だから、本人は「やってないつもりのまま」なんだよ。自分がやっていることで……特に意地を張ってやっていることで、相手が困っているということを認めることができない。認めないまま、発狂的な意地で押し切っておしまいだ。やっておしまいだ。けど、主観的にはやったということになってないのである。本当は、意地になってやり続けたのに、やり続けたということになってない。

2020年7月12日日曜日

複合的に重層的に影響を受ける部分がひろがる


あの女の子となかよくしたかったな。
ヘビメタ騒音「なしで」なかよくしたかったな。

ほんとうに、すべてがヘビメタ騒音でめちゃくちゃになる。生活というのは、いろいろなことが複雑に噛み合ってなりたっているものだから、一日の半分をヘビメタに取られるとなると、もう半分もうまくいかなくなる。これは、事実で、妄想じゃない。ヘビメタ騒音の影響を、うつ的な気分で、非合理的に大きく考えたから、そのように思えるというものではないのだ。それは、やってみればかる。ほんとうに、すべてのことに、たたる。

そういう一日が、毎日続けば、やはり、複合的に重層的に影響を受ける部分がひろがる。他の人にはそれがわかってないから、俺が大げさに言っているように思える。俺が、『関係のない範囲まで』関係があると言っているように思える。「そんなのは、ヘビメタ騒音がなくたっておんなじなんだよ」と意地悪な人は言いたくなる。この意地悪な人は、自分が女の子にもてないから、そういうことを言いたくなるのだ。これは、そいつの言動からしてあきらかだ。俺にやったことについて考えてもあきらかだ。こんなやつはもてるわけがない。俺が女だったら、こんな性格のやつは相手にしない。だれが、掲示板で荒らし行為をおこなうやつとなかよくなりたいと思うんだよ? 「自分の性格をなおしてからものを言え」と言いたくなる。けど、まあ、ともかく、ヘビメタ騒音でそういうやつから、「そんなのはヘビメタ騒音がなくたっておんなじなんだよ」と言われるような立場まで、落ちてしまった。こういう、不愉快なやりとりだって、気違い兄貴が夢中なって、何年間も何年間も、毎日毎日、普通の人が信じられないような音のデカさで、普通の人が信じられないような態度で、ヘビメタを鳴らし続けたから発生することだ。ヘビメタがなければ、こういう性格が悪いやつとのやりとりもなかった。

ヘビメタ騒音が長すぎる。
ほんとう、どこに行ってもヘビメタ騒音がつきまとう。


2020年7月9日木曜日

同じカテゴリーに属する人はみんな同じという思考について


同じカテゴリーに属する人はみんな同じという思考についてちょっと言っておこう。
前投稿で「汚染魚を食べたとしても働ける」と書いたけど、これは、こういうふうに言い換えることができる。「水俣病でも働いている人はいる(だから、水俣病であるあなたも働ける)」と。同じように水俣病でも……と言うこともできる。どこが『同じ』なのかよくわからないが、「同じように水俣病でも働いている人がいる。だから、水俣病であるということは、働けないという理由にならない」ということだ。この人達が主張しているのは……。しかし、水俣病と言っても、程度のちがいがある。どうして、程度の違いを無視してしまうのか? 水銀の摂取量に違いがあるのだから、障害の度合いに違いがあるのはむしろ、当然のことだ。同じ水俣病でも、水銀の摂取量によって、障害の度合いが違う。けど、「同じように水俣病でも」と言ってしまう。同じように『うつ病でも』という言葉を使う場合でも同じだ。程度の違いがあるのに、同じカテゴリーに属している人は、あるいは、同じ障害名?同じ病名が付く人は、みんな同じだという、間違った信念を持っている人がいる。これは、間違った信念で、間違った結論をうむ前提になる。ごく普通にそういう思考をする人は、自分が間違った前提で結論を言っていることに気がつかない。
ヘビメタ騒音に関しても、同じことが成り立つ。ぜんぜん違う。量と、一日の中での時間の長さが違う。そして、期間の長さがちがいすぎる。長期間の騒音に関して間違った考え方を持っている人が、間違った前提に基づいて、間違ったことを言う。「同じように騒音を聞かされたとしても、遅刻をしない人は遅刻をしない」「同じように騒音を、長期に渡って聞かされたとしても、働いている人はいる」と言う人がいる。本当にそうですか? 本当に同じ時間の長さ、同じ期間の長さ、同じ騒音を聞かされているのですか?

2020年7月8日水曜日

被害者に説教するのは簡単だが、加害者に説教するのはむずかしい


道徳性や善悪を持ち出すのであれば、佐藤はまず、兄貴に対して、怒らなければならないのである。説教しなければならないのである。注意しなければならないのである。責任追及をしなければならないのである。しかし、日本では「働いているやつは、悪い奴でも、悪くない」「働いていなければ、善人でも悪い奴」という感覚が成り立っている。日本人として標準的な道徳観を持っている佐藤のような人間は、ヘビメタ騒音の話を聞いた後も、ぼくの無職性を責めるのである。非道徳的なことをした兄貴ではなく、道徳的なぼくを責めるのである。こんなのはおかしい。おかしいけど、日本だと佐藤のような感覚を持っている人がほとんどなので、俺は、美メタ騒音にやられて、働けなくなったにもかかわらず、ほとんどの日本人から説教をされる立場に立っているということになる。(当時)。

これ、ほんとうに、ひどい。水俣病患者に対して、「どうして働かないんだ」「そんなのが、そんなにひびくはずがない」「汚染魚を食べたとしても働ける」「働かないのは人としておかしい」「いつまでも、企業のせいにしてもしかたがない」と言っているのと同じなのである。一方、公害をまき散らした企業に対してはまったくなにも言わない。責任追及しない。……日本人は、いまや、そういう立場の人が多い。たたけるところをたたいている。精神世界の人でもそうだ。やられたやつに説教をすることで、(自分が)浮かび上がろうとする。ストレスを発散しようとする。「いじめられたほうにも責任がある」といじめられたほうの責任追及ばかりをして、いじめたほうの責任追及をしない。いじめられたやつのほうが、たたきやすいから、たたいている。いじめるようなやつの責任追及をするのは、ここちがよくないのである。みんな、それに気がつかない。

十数年間に渡ってどでかい騒音を鳴らして人を働けないからだにしたやつを道徳的に責めずに、十数年間に渡って耐えたがゆえに働けなくなった人を、『働かない』道徳的に責めるのはおかしいと思う。それは、たとえば、水俣病に鳴ったから働けなくなった人を、『働かない』という理由でせめて、当の原因をつくった企業の責任は一切合切問わないということに匹敵することだ。

けど、そういうことを普通の人がやってしまう。どうしてかというと、その人の中では、ヘビメタ騒音は、働けない体になる理由ではないのだ。そんなのことを、もし仮にやれたとしても……鳴らされ続けたとしても、『働けない』ということはないだろう……と考えてしまう。

2020年7月7日火曜日

そいつらだって、同じ目にあえば、同じような状態になる



だるい。くるしい。どうしても、くるしい。そして、この雰囲気。きちがいヘビメタの記憶。いま、ヘビメタ騒音「で」くるしい。

ヘビメタ騒音の身体感覚がある。

ヘビメタ騒音にやられたいた頃のからだのままだ。くるしい。他の人は経験がないからわからないだけだ。

同じように、あの距離で、自分がこの世で一番キライな音をマィ2値何時間も何時間も、繰り返し繰り返し聞かされ続けたら、こうなる。体の反応としてこうなる。身体が、その刺激によって変化を受ける。気違いヘビメタ騒音にやられてない人は、音は終わったらおしまいだと思っている。音が終われば効果もないと思う。音が終わっているのに、眠れないなんてことはないと思っている。騒音期間が一五年間毎日続いたにしろ、一五年間で終わったなら、一六年目からは、騒音とは関係がない生活ができるのだから、騒音でだるいなんてことはない……と思っている。

ぜんぶ、ハズレ。ぜんぶ、不正解。実際に、経験してみればわかることだ。逆に言えば、実際に経験しなければわからない。一五年間の騒音体験で、脳みその睡眠回路が壊れる。しかも、不可逆的な変化を伴うと思う。

パンチドランカーのように残り続ける。体の不調が残り続ける。常にだるい身体になる。疲れやすくなる。易疲労性も、治らない。能力一〇分の一で生きてみろ。どれだけの屈辱に見舞われるか。佐藤とのやり取りを詳しく書いたけど、ごく普通の人がそういう反応をしてくるんだぞ。

説教をされる。

そりゃ、日本で「働いているはずの年齢なのに」働いていない男を見たら、説教したくなるんである。そいつらは、気違いヘビメタ騒音に小学六年生の頃から、やられ続けたわけではないから、働ける体を普通に維持できただけなのに、俺よりも、立派な人間だと思って言ってくるんだよ。俺よりも、根性がある人間だと思って言ってくるんだよ。俺よりも、身体がすぐれていると思って言ってくるんだよ。

まあ、睡眠回路と易疲労性において、ぼくが、劣った存在になっているというのが、事実だから、最後のところはあたってないわけでもないけど……。それだって、そいつらだって、同じ目にあえば、同じような状態になる。

これは、同じ分だけ水銀を摂取した場合とおなじだ。同じ症状が出るんだよ。「できなくなってしまう」んだよ。それがわかってない。根性のちがい、だと思っている。あるいは、自分にくらべてエイリさんが甘えた人間だから、そういうふうにしていると思ってしまうんだよ。そういうふうにしているというのは、甘えて働いてないということだ。こんなのは、屈辱以外のなにものでもない。けど、そいつらはこういうふうに言うんだよ。「くやしかったら働いてみろ」とね。

2020年7月5日日曜日

俺がどれだけうまい説明をしても、わからない。


ほかの人にはぼくの事情は、絶対にわからない。わからないんだ。それぞれ、思いついたことを言う。けど、ちがうんだ。けど「ちがうんだ」と言っても、「違い」がわからない。それは、やっぱり、異常な音を、異常に長い時間、異常に長い期間にわたって聞かされたことがない人間には、逆立ちしてもわからない。追い詰められていく状況がわからない。頭がおかしい家族に、騒音でやられたことがない人には、頭がおかしい家族のことがわからない。

もう、これは、「はなっから」わからないわけで、俺がどれだけうまい説明をしても、わからない。信じない。だから、信じない人にとっては、俺が勝手に言っているだけということになってしまう。そうなると、俺が妄想で兄貴の悪口を言っている、家族の悪口を言っているということになってしまうのである。ほんとうは「俺の責任(エイリの責任)なのに、兄のせいにしている、家族のせいにしているということになってしまうのである。こういうことが、生じてしまうということ自体が、異常なことなのである。ほかの人は「なんとか我慢してうまくやってくれ」というようなところに落ち着く。けど、それは、きちがいヘビメタ騒音でくるしい生活が続くということになってしまうのである。きちがいヘビメタ騒音の深刻さが、ほかの人にはわからない。ちょっとうるさい音が鳴っているだけだと思ってしまう。そんなんじゃないのだけど、「そんなんじゃない」と俺が「うちの特殊事情」を説明しても、ほかの人にはわからない。きちがい家族にやられたことがない人にはわからない。きちがい家族が、「うちのなかで!!!」どういう態度でどういうことをするのか、根本的なところでわかってない人には、逆立ちしてもわからない。そりゃ、兄貴の態度や、兄貴の態度を支える、兄貴側の認知というのは、わからない。それは、ほかの人が、おやじの態度やおやじの態度を支える、おやじ側の認知がわからないのと同じように、わからない。ほかの人たちにとっては、「へんなはなし」に思えるのである。「そんなひと、いるのかな」「そんなことってあるのかな」と思ってしまう。「そんなでかい音でなっているのなら、いっくらなんでも、親が注意をする」と思ってしまうのである。おやじは、頭がおかしいので、「注意しない」となったら、意地でも注意しないのである。「そんな、子供が小さいころ、子供を虐待していろいろなところでおこっていた人が、おこらないなんておかしい」と思ってしまう。お母さんはお母さんで、世間の基準からは、相当にずれている人なのである。で、お母さんが、注意をしたって兄貴は聞かない。「弟の見方をしてぇ」と怒り狂って鳴らし続ける。お母さんは、ずれている。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。