ほんとうに、実際に鳴ってみないとわからないとは思うけど、鳴っている時間がすごいんだよ。しあわせなんて、いっきにこわれる。鳴っている時間、どれだけ「元気だ」なんて言ったって、元気になるわけじゃない。
そこで鳴っている……。……透明な壁にしたら、すぐそこに、巨大なスピーカーがある。
あんなものを、しっくい壁、六畳間に入れるのがおかしい。
あたまがおかしい。そういう音で聞かないと「満足できない」なんておかしい。あたまがおかしい。きちがいの頭のなかには、自分が満足できる音で聴くということしかない。
弟がこまるということは、どれだけ言われたって、わからないことなんだよ。これは、日本語がわからないレベルでわからなくなる。どうしてかというと、意識的な部分では聴いてないからだ。
これ、無意識的に『理解したらやめなければならないことを相手が言った』ということがわかるんだよ。けど、意識レベルでは、『なにを言ったのか』わかってないところがある。
『内容を理解したら、自分がやめなければならないことを相手が言った』ということを、無意識は理解しているけど、意識は理解してない。相手が言った内容を、意識は理解してない。まったく理解してない。
発狂して、はねのけるというモードになる。スイッチが入る。そうなると、そうやって、「はねのけた」ということがわからない状態になるのだ。
これが、こまるんだよ。
これは、きちがい親父もきちがい兄貴もおなじだ。まったく、ほんとうにおなじなのである。
これがこまるんだよ。そして、この部分が、ほかの人にはわからないのである。家族として!!!!!いっしょに!!!!!住んでいる人しか、わからないのである。これがどれだけこまることか、家族として、いっしょに住んでいる人しかわからない。
そして、きちがい兄貴の場合、毎日、つづいてしまったのだから、きちがい親父よりも、たちがわるい。親父のは、単発なんだよ。いろいろなことでスイッチが入るわけだけど、単発なんだよ。
ところが、きちがい兄貴の場合、きちがい兄貴の頭のなかでは『ああいうでかい音で鳴らしていい』ということになっていて、毎日、自動的にスイッチが入るわけだから、問題がある。
この、きちがい兄貴の音にやられている、時空間というのは、そりゃ、ぼくにとっては現実であるわけ。
カルト野郎が、「どんなことがあったって、楽しい楽しいと言えば楽しくなる」と言うけど、これは、カルト野郎の妄想だ。そして、カルト野郎の妄想が、正しいこととして、流通しているのである。
だから、きちがい兄貴の感覚や、きちがい兄貴の意地がわかってないやつが、そういうことことを言う。こういうやつらは、「(自分だって)つらい思いをした」と言ったとしても、けっきょくは、きちがい家族にやられたことがない。
きちがい家族に「まいにちまいにち」やられたことがない。ぜんぜんちがう。すべての時間、やられる。そりゃ、すべての時間を使って、きちがい兄貴が、普通の家では絶対に鳴らせないような音で、ヘビメタを鳴らすのだから、すべての時間やられることになる。
この、すべての時間やられるということの、「拘束性」というのが、実際にやられてない人にはわからない。
もちろん、すべての時間といっても、24時間中24時間鳴らしているわけではない。けど、きちがい兄貴は、融通が利かないから、「願書を書くから、30分しずかにしてくれ」と言われても、きちがい親父のように、怒り狂って、はねのけて、しずかにしない。
言っておくけど、「しずかにしてと言われても、しずかにしてやらなかった」という記憶が残らない。まったく残らない。これも、きちがい親父とおなじだ。そもそも、普通の人なら、「うちで」「あんな音で」鳴らそうと思わないのである。
普通に、「迷惑だからやめよう」と思う。
普通に「迷惑だから、あんな音では鳴らせないな」と思う。
だから、普通の人は、あんな音では鳴らさない。普通の人は、ああいう音で鳴らそうという発想そのものがない。
ところが、きちがい兄貴は、そういう音で、ずっと鳴らすことにこだわる。
きちがいヘビメタ騒音に、俺がこだわっているように言う人たちがいるけど、きちがい兄貴が、きちがいヘビメタ騒音にこだわった。
きちがい兄貴が「自分が満足できるでかい音で鳴らす」ことにこだわった。きちがい兄貴がこだわったのである。
そして、「エイリがこだわっている」と言う人たちのなかには、そういう経験がある人がいないのである。何度も言うけど、仕事をしているときに、大きな音が出るわけじゃないぞ。きちがい家族が、きちがい家族の感覚で鳴らしている音だ。意味合いがぜんぜんちがうのである。
ともかく、俺に対して「ヘビメタ騒音に(エイリ)がこだわっている」ということを言う人たちには、きちがい的な意地で、きちがい的な騒音を鳴らし続けて、なんとも思わないような「家族」がいないのである。このちがいがある。このちがいはおおきい。
なんで、こういうちがいを無視して、あたかも、俺(エイリ)がヘビメタ騒音にこだわっているからダメなんだということを言うのか?
自分だって、おなじ時期、あの音で鳴らされて、学校生活をめちゃくちゃにされたら、こだわるよ。なんてたって、鳴っている時間も、鳴ってない時間も、全部、きちがい家族の音で破壊されるわけだから。
そして、「破壊されないようにすればいい」「気にしないようにすればいい」という人たちも、けっきょく、きちがい家族と一緒に住んでいるわけではない。
そして、きちがい家族が、意地になって毎日やったことを、経験してない。
きちがい家族がいないから、きちがい家族にやられた時間がないのである。自分の人生のなかにそういう時間がない。きちがい家族がいないから。きちがい家族が意地になってやることは、正常な家族が意地になってやることとはちがうんだよ。
* * *
「ヘビメタ騒音に(エイリ)がこだわっている」と言うようなことを言う人は、その発言がどれだけ、すっとぼけた発言か、まるで理解してない。「ヘビメタ騒音に(エイリ)がこだわっている」というようなことを言う人は、その発言で、どれだけ俺をきずつけたかまるでわかってない。
こいつらはこいつらで、「正しいことを言ったまでだ」という気持があるのだろう。正しくないよ。
これは、「経過」を知っているものにしてみれば、侮辱発言だ。こんな侮辱をうけて、腹がたたないわけがないだろ。「経過」というのは、実際に鳴っている時間に経験することと、実際に鳴ったあとの時間に経験すること、すべての「経過」だ。どれだけの時間、くるしい思いをするかまったくわかってない。
やりようがないということがまったくわかってない。
その生活のなかでどれだけ努力しても、もっともっとくるしくなるだけだということがわかってない。
ほんとうに、相手の状態や相手が経験したことがまったくわかってないやつが、くそカルト発言をする。こいつらは、ほんとうに腹がたつ。はらわた、煮えくりかえる。
時間。
けっきょく、やられている時間、どういう気持になるか、わかってない。この人たちが言う、「解決策」というのは、その当時も、いまもまったく意味がないことなのである。どれだけ、すっとぼけた発言か、まったくわかってないんだよな。
やっぱり、こいつら、ちょっとだけだけど、きちがい兄貴やきちがい親父と似ているところがある。
もちろん、こいつらは正常な人間だ。きちがい兄貴やきちがい親父のように、感覚器を書き換えてしまうようなところはない。自分が押し通してやったことを、「やってない」と認識するようなきちがい部分がない。そういう意味では、正常な人たちだ。きちがい兄貴やきちがい親父は、この正常な人たちにくらべて、あまりにも、くるっている。
けど、けど、けど、量としてはまったくくらべものにならないけど、似ているところがあるんだよ。質も量もちがうけど、似ているところがあるんだよ。
「すっとぼけた、無理解性」というようなところか。こいつらの無理解ぶりは、きちがい兄貴やきちがい親父と似ているところがある。もちろん、質も量もちがうけど……。だから、抵触するんだよ。逆鱗にふれてしまうんだよ。