2022年8月8日月曜日

ヘビメタ騒音なしで、なかよくしたかったなぁ

 あの子となかよくしたかったなぁ。ヘビメタ騒音なしで、なかよくしたかったなぁ。ヘビメタ騒音があると、だめなんだよ。あっちが、どれだけぼくのことを好きになってくれたとしても、だめなんだよ。ヘビメタが鳴っている生活じゃあ、だめなんだよ。だめなんだよ。あの地獄のような生活が、わかるか? わかるわけがない。ほんとうに、ほかのやつら、適当なことを言いやがって。まちがっている。あの生活でいいわけがない。あの生活で、ほかの人とつきあって、いいことになるはずがない。ヘビメタ騒音が鳴ってない時間も含めて、めちゃくちゃなうえに、めちゃくちゃ。感情が成り立たない。きちがい兄貴が、きちがい的な意地で、ヘビメタを毎日毎日、きちがい兄貴の気がすむような音で、きちがい兄貴の気がすむような時間の長さ鳴らしてたら、だめなんだよ。どれだけがんばっても、だめなんだよ。どれだけはりつめていた。中学のときから、ダイヤとの関係だって、ヘビメタ騒音がなければ、ぜんぜんちがうものになっていたんぞ。これが、きちがい兄貴ときちがい親父で、脳みその構造が同じだから、まったく気にしないんだよ。この「気にしない」という状態がほかの人にはわからない。普通の脳みそをもっている人が「気にしない」のとは、ちがうんだよ。けど、こんなのは、どれだけ、説明したって、普通の人と暮らしている人にはわからない。ぜーーったい、わからない。わからないから、こっちの現実をまったく理解しないことを言いだすのである。普通の人は……。俺の説明を聞くと、こっちの現実とはまったくちがう現実の上に成り立つことを言う。けど、それは、こっちの現実では成り立たない。きちがいにどれだけ言ったって、殺さなければ、きちがいはきちがいのまま動いてしまう。どれだけ言ったって、きちがい的なふるまいをやめない。行動をやめない。普通の認知・認識ができないから、どれだけ言ったって、普通の認知・認識が成り立たないのである。きちがい兄貴の頭の中で……。きちがい親父の頭の中で……。そうすると、こっち、が、誤解される。勘違いされる。これまた、第三者が、勘違いしたことを、こっち、に、言うようになるのである。で、普通の人の常識と、きちがい兄貴がきちがい兄貴であるという状態……きちがい兄貴にどれだけ言っても、きちがい兄貴がすでにしているような反応しか返ってこないという現実のあいだに、乖離がありすぎる。この、乖離だって、ほかの人に、どれだけ説明したってわからない。ほかの人の常識は、ほかの人の常識的な現実に基づいて生成されたものだから、その人にとって「根拠がある」ものなのである。こっち、には、常識的な人の「根拠」がないんだよ。言ってみれば……。常識的な人が根拠として感じるような現実が、こっちにはない。どれだけ、こまるか? どれだけ、こまるか?

ともかく、塾とか家庭教師なんて関係がなくて、きちがい兄貴が普通の音で鳴らせばよかったわけ。で、普通の音で鳴らすということができないというわけではないんだよ。たとえば、フォークギターぐらいの音で鳴らすということができないということはない。ところが、きちがい兄貴は、ヘビメタを鳴らすのであれば、本人の耳が悪くなるようなでかい音で鳴らさなければ気がすまないというところがあった。これが、「気がすまない」というような表現ですまされるようなことではないのだ。こだわりがある。このこだわりは、やはり、きちがい親父のこだわりとおなじなのである。これ、脳みそのしくみが同じだから、こまるんだよ!! こまるんだよ!! で、どっちも、自分が思ったとおりにやらなければ、気がすまないのに、自分が思ったとおりにやらなければ気がすまないという自覚がないわけ。これは、言われないから気がつかないというわけではなくて、どれだけ言われても、気がつかない。で、激しく言われているとき……激しく指摘されているときの態度が、「夢中になって」やっているときの態度とおなじなんだよ。「無視して」やっているときの態度とおなじなんだよ。はっきり言えば、からだをこわばらせて、目を三角にして、真っ赤な顔をして、脂汗をかいてやっているときと同じだ。自動的にそうなっちゃうの! 同じなんだよ。「注意すれば、なおせる」というものではないんだよ。これ……。おなじ状態で否定して、認識しないようにする。否定して認めないのだけど、否定して認めなかったという意識が発生しない状態なのである。だから、記憶にない状態なのである。一度、認識したものを、忘れるのではなくて、一度も認識してないのである。 これだって、ほかの人にどれだけ言ったってわからない。

 

2022年8月7日日曜日

兄貴も親父も、悪い意味で、「怪人」なんだよね

 兄貴も親父も、悪い意味で、「怪人」なんだよね。あんなの、ひとじゃない。あんなの、ひとじゃない。で、悪い意志がないというのが、こまるんだよ。本人の意識としては、悪いことをしているつもりがない行動で、こっちがこまるんだよ。そのこまり方は、悪意がある人が、悪意がある行為をしている場合よりも、はるかに、はるかに、でかい。そして、「本人の意識としては、悪いことをしているつもりがない行動」のひどさが、そういう家族がいる家に生まれたことがない人には、わからないのだ。これも、こたえる。「そういう家族がいる家に生まれたことがない人」にとっては、「ない」ことだからな。考えのらちがい。経験のらちがい。らちがいだから、「ない」こととしてあつかうわけだ。こっちが説明したって、わからない。「似たようなこと」から類推するしかないんだよね。で、「似たようなこと」というのは、ものすごく、うすめたかたちである。だから、「似たようなこと」と「本人の意識としては、悪いことをしているつもりがない家族の行動」が同じようなものだと思ってしまう。影響度の差を考えない。これ、もう、月とすっぽん。小石と太陽。ぜんぜん、影響のでかさがちがう。けど、「似たようなものだ」と考えてしまう。似たようなものだと考えてしまうとなると、影響度も似たようなものだと思うことになる。そうすると、誤解がしょうじる。繰り返しになるけど、誤解だということが、今度は、わからないということになる。普通の人は、誤解だとは思わないんだよな。こっちがどれだけ、『影響度がちがいすぎる』ということを言っても、わからない。普通の人は、経験がないからわからない。

おやじのきちがい的な態度が普通の人には、わからない。兄貴のきちがい的な態度が普通の人にはわからない。で、繰り返しなるけど、きちがい親父やきちがい兄貴は、きちがい的な意地でやっていることは、全部、まったくやってないのとおなじことなのである。こういう認知が成り立っている。そういう感覚が、全方位で、すべての時間、成り立っている。だから、途中で修正するということができないのである。そりゃ、「こういうことをやった」「だからこまる」ということを直接、兄貴や親父に言っても、兄貴や親父がきちがい的な意地で否定する。きちがい的な意地で無視する。で、その否定のしかたや、無視のしかたがおなじなんだよ。スイッチが入って、きちがい的な意地で、きちがい行為をやる時とおなじなの。だから、どの時点で言っても、おなじなの。修正されることがない。気がついてわかるということがないんだよね。

そもそも、自分がやりたいことをやっているときに、「迷惑だからやめてくれ」と言う人間があらわれたということが、不愉快なことなのである。無視したいことなのである。それと同じで、「こういうことをやったから、やめてくれ」とあとで言われた場合も、「やったということを認めること自体が」不愉快なことなのである。無視したいことなのである。だから、まるで、催眠術にかかったような状態で無視する。で、「困っているからやめてくれ」と「言われた」ということも、無視してしまう。記憶にない状態になってしまう。催眠術にかかったような状態でと書いたけど、発狂している状態なのである。むきになってやっているときと同じ状態で、無視をする。もちろん、無視をしたつもりかなんてない。だから、どこまでもどこまでもおなじなんだよね。

「悪気がない」ままだ。どこまでもどこまでも、「悪気」がないまま、きちがい的な意地でわるいことをする。そういうことが、何十年も毎日毎日、つみかさなったら、影響をうける。不可避的に影響をうける。けど、そういうきちがい家族にやられたことがない人は……そういうきちがい家族がいる家にうまれた経験がない人は……そういう影響を無視するのである。俺のことは、悪く言うけど、きちがい兄貴のことは悪く言わない。俺のことは、悪い言うけど、きちがい親父のことは悪く言わない。これまた、俺がどれだけ説明してもそういう態度だ。佐藤のように『そんな人いるのかなぁ』なんて考えるようなレベルだ。普通の人は、こういうことに関して、そういうレベルの思考しか持ってない。これが現実だ。

そうなると、きちがい家族にやられた人は、行く場所がなくなってしまうのである。とくに、ヘビメタ騒音のように、体力障害と睡眠障害を引き起こすことだと、よけいに行く場所がなくなる。

 

 

2022年8月1日月曜日

不可避的に「できくなる」ということ……。

 ヘビメタ騒音の感じがある。これは、否定できない。ほかの人には、ないわけだから、どれだけなにを言っても、根本的なことは伝わらないと思う。ほかの人には、どうしてないかというと、きちがい兄貴がずっと、ヘビメタを鳴らすということがなかったから、ない。このヘビメタが鳴っている「いちにち」というのが、ものすごく、たいへんなのだ。これだって、どれだけ説明したってわからないだろう。いちにち」のことですら、わからない。鳴っている状態、鳴っている時空がずっと続くって、どういうことだと思っているんだよ。ヘビメタとは言わず、自分がこの世で一番嫌いな音が、あの音のでかさでずっと、鳴っていたら、不可避的に影響をうける。けど、人は、うけてないので、それがわからない。不可避的ではないと思うわけだ。「しっかりと自分の意志をもっていれば、影響をうけない」と思っていたり「影響をうけないと言えば、影響をうけずにすむ」と思っていたりする。けど、これ、空論なんだよね。それは、やられてないから、実際にはどういうことなのかわからず、そういうことを言ってるという状態だ。いちにちですら、そういうことが成り立つのに、毎日ずっと、何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も何年間も鳴っていたら、どういうことになるか? どういうことになるか? そういった認知の誤謬が大きくなる。こっちの現実を知らずに、物事を言うということになる。認知療法……いちおう、俗流認知療法と言ったほうがいいかな?……まあ、認知療法や行動主義心理学や精神世界やアドラー心理学といったものを信じしている人は、そういう考え方を信じているので、「不可避的だ」ということを認めないのである。そうなれば、現実に関する、ぼくの認知と、「不可避的だ」ということを認めない人の現実に関する認知は、異なるものになる。そして、その認知の差が、きちがいヘビメタ騒音経験の数、とともに、どんどん広がっていくのである。

これは、「不可避的だ」ということを認めない人には、どうでもいいことだけど、ぼくにとってはどうでもいいことではない。生きにくくなってしまうのだ。たとえば、佐藤は常識的な人で日本人的な労働観をもっている人間だ。そういう人間は、「不可避的だ」ということを認めないのである。そして、ヘビメタ騒音の影響を過小評価し、あるいは、無視して、「人間は働くべきだ」という「自分の意見」をしおつけてくるようになる。その場合、佐藤とぼくのあいだで、有効な人間関係が成り立つかというと、成り立たない。そういうことを言われたあと、佐藤といい気持でつきあうということができなるのだ。そして、外面的な行為について言えば、ぼくが働かない限りは、佐藤は、自分の意見をおしつけてくる……説得しようとするということをやめないわけだ。そして、佐藤がそういう労働観をもっている以上、これまた、不可避的に「働いてない人」を軽蔑するということがしょうじる。これは、佐藤が、意識的にやめようと思っても、やめられないことだ。「働いてない人」と書いたけど、くわしく書くと「働けるのに、働いてない人」ということになる。しかし、佐藤の場合、ヘビメタ騒音の影響を無視しているのだから、佐藤にとっては「ぼく」は、働ける人間なのだ。だから、「働いてない人」と「働けるのに働いてない人」はこの場合は!等価になる。ヘビメタ騒音にやられて働けないからだになると、必然的に、佐藤のような労働観をもった人から、「バカにされる」「軽蔑される」という結果がもたらされることになる。もちろん、きちがい兄貴が最初からそれをねらっていたわけではない。けど、ヘビメタ騒音は、ヘビメタ騒音が鳴っているという状態を作り出し、その状態の影響を不可避的に受けてしまう以上は、順番にそうなるのである。で、これは、佐藤との間にしょうじたことだけど、じつは、小学生のときからそういう問題がしょうじている。小学生のときは、働く必要がない(働くべき人間だと「常識的な他者」が思ってないから)見えないだけで、ほんとうは、同じ構造をもった問題がしょうじている。それは、ひとつひとつは小さく見積もられることだ。たとえば、「宿題をやってこない」という問題がある。宿題をやってこないのではなくて、ヘビメタ騒音で宿題をやることがどうしてもどうしてもどうしても、できなかったのだ。しかし、常識的な他者は、ヘビメタ騒音でそういうことがしょうじるということを認めない。また、基本的なことを言えば、「そんなのは、お兄さんに言えばいい」「そんなのは、家族で相談すればいい」ということを言われることになる。「常識的な他者」はきちがい兄貴の構造やきちがい親父の構造がわかってないので、「お兄さんに言えば」問題が解決されると思っているわけだし、「家族で相談すれば」問題が解決されると思っている。で、これが、伝わらないのである。佐藤に「不可避的に影響をうける」「その結果、働けなくなる」ということが伝わらなかったように、伝わらないのである。「常識的な他者」はきちがい兄貴の構造やきちがい親父の構造を理解しない。ぼくがどれだけ明瞭な言葉で語っても、理解しない。常識的な人は、基本的に、きちがい兄貴のことやきちがい親父のことは理解しない。言ったって、わからない。これは、ぼくの説明のしかたが悪いのではなくて、相手側……常識的な人のなかに、それらに対応する「本質的な認識」あるいは「概念」がないのだ。ともかく、この場合も、お兄さんにちゃんとやめてくれと言えばやめてくれるはずなのに、言わないからダメなんだというような誤解をうける。また、「ヘビメタ騒音が鳴っていたとしても、宿題ぐらいできる」といったまちがった考え方をもっている先生だと、その先生と「ぼく」の人間関係が、悪くなるのである。

毒チンについて参考となるサイト
https://note.com/akaihiguma/
https://ameblo.jp/sunamerio/

ワクチンをうけてしまった人は、なるべくはやく、イベル〇クチンや5-ALAやN-アセチルグルコサミンなどを飲んで解毒したほうがいいと思う。ニセモノのイベル〇クチンには気をつけください。味噌汁、納豆、甘酒、緑茶、みかん、バナナなど、なじみの食品も食べたほうがいい。味噌汁は、減塩ではなくて、従来の製法で作ったものがいい。麹味噌とかいいんじゃないかな。緑茶はペットボトルのものは、酸化防止剤が入っているのでよくない。ちゃんとお茶を淹れて飲んだほうがいい。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。