2021年4月18日日曜日

「こいつは、非国民だからいじめてやろう」「こいつは、非国民だから、いじめてもいい」

自分でさきに差別しておいて、相手のコミュニケーション能力がたりないから、ダメなんだと思うようなやつもいる。たとえば、非国民にたいして、偏見がある人がいたとしよう。その人は、非国民であれば、だれだって差別する。

ある非国民が、自分の目の前に現れると、その非国民が、自分にたいしてなにも悪いことをしてないのに、「こいつは、非国民だからいじめてやろう」「こいつは、非国民だから、いじめてもいい」と思ってしまうのである。

それは、その人のなかの偏見に基づいた感情にすぎない。この場合、実際にいじめたら、その人が、偏見に基づいて簡単にいじめをするような悪い人だということになる。

けど、その人にとっては、まさに、非国民が悪い人なのである。

相手が、自分をばかにしてきたり、相手が自分のことを悪くいったり、相手が自分にたいしていやがらせをしてきたら、どう思う? そういう人と「円滑につきあおう」という気持ちになるか? 自分が相手になにもしてないのに、相手は、自分にたいしてさまざまな攻撃を加えてくる。

そういう場合、相手と仲良くなろうと思うか?

普通は思わない。それは、相手はそういうことを、してくる悪い人だからだ。そんなやつと、つきあいたいと思うかね? けど、そういう気持ちが非国民のほうにしょうじると、いじめたやつが……非国民だという理由で攻撃を加えたやつが……非国民は「人づきあいがへたくそだからダメなんだ」と思ってしまうのである。さきに差別をして、相手にたいして無礼な行為をしておいて、さらに、「相手がダメだから」自分が差別行為をし始めたと思い込んでしまうやつがいる。

「その人」とか「非国民」とかという言い方だと限界があるか?

 たとえば、AさんとBさんがいるとする。Aさんが普通の国民で、Bさんが非国民だとする。Aさんが、Bさんはいじめてもいいと思ってBさんをばかにしたことを言い、Bさんを殴ったとしよう。Aさんにばかにされ、殴られたので、Bさんは「Aさんとはコミュニケーションをとりたくない」と思ったとする。けど、そのBさんの態度が、Aさんにはコミュニケーション障害者の態度のように見える。なので、Bさんがコミュニケーション障害者だから、自分が殴りたくなったと、時間をさかのぼって解釈してしまうのである。

ようするに、Bさんが、コミュニケーションをとりたくないと思うきっかけをつくったのはAさんなのに、そのAさんが、「Bはコミュニケーションに問題があるから殴りたくなった」と思うようになるということだ。こういうことが、ある。

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相手の属性を考えて、相手の属性を認識したとたんに、相手にたいして攻撃を加えようと思う人間がいい人間なのかということだ。そして、こういういい人間とは言えない人間が、相手のコミュニケーション能力を問題にすることがある。

さきに侮辱的なことを言ったので、相手から嫌われているのに、それに気がつかず、相手のコミュケーション能力がたりないから、相手がそういう態度をとっていると思ってしまう……ようなあほな人がいる。で、こういう人は、なにも特別じゃない。

 

2021年4月17日土曜日

外から見ている他人が実際には「いたくないから」そういうふうに感じるだけなのである


 「こだわりをすてれば、どうにかなる」というようなことを言うような人がいるけど、こういう人たちは俺にとって人生全体がどのようなものかまったくわかってない。わかってないところで、発している言葉だ。どれだけの騒音が繰り返されたか。騒音の日常がどのようなものか、ぜんぜんわかってない。

ともかく、こだわりたくてこだわったわけじゃないのである。

あるいは、俺がこまっている状態を、俺がこだわっている状態だと勝手に見なしているだけなのである。きちがいヘビメタにさらされれば、どうしても、こまる状態になるのに、そのこまる状態を「外から見ると」こまっている状態にこだわっているように見えるのだ。あるいは、みなすことができる。

それは、関係のない他人であって、経験がまったくないから、涼しい顔でそういうふうに思うことができるということ意味しているにすぎない。それこそ、思っているだけだよ。

きちがい兄貴がこだわりきって、普通の人が考えられないほどしつこく騒音を鳴らした。

そうなると、俺のほうに障害がしょうじるのである。

自分の障害は意識せざるを得ない。それは、いたいところがいたいから、いたいと思うのとおなじだ。

けど、外から見れば、エイリさんは「いたい」ということにこだわっているということになってしまうのである。あるいは、「いたい」と感じることにこだわっているということになってしまうのである。

これは、外から見ている他人が実際には「いたくないから」そういうふうに感じるだけなのである。いたいと言っている人は、いたいということにこだわっているということになってしまう。関係がない人は、ほかの人のことをそういうふうに見ることができる。どうしてかと言うと、実際にはいたくないからだ。いたがっている他人に向かって、いたいということにこだわるからダメなんだと言っているようなものだ。


2021年4月16日金曜日

ほかの人は、ぼくがただ単にネガティブなことを言っていると思っている

ほんとうに、どうなってしまうのだろう? 金銭面のことに関しては、どうにかなることがわかっているのだけど、からだがなぁ。からだに問題がある。どうしても、だるい。ぐたぐたになっちゃうんだよな。ぐたぐた。「つかれたなぁ」と感じてしまう。

ほんとうーーに、つかれた。人生、つかれた。人生つかれた。もう、むりだ。休むしかない。けど、休んでいても、からだがくるしい。気分もくるしい。そりゃ、ヘビメタ騒音で人間関係がズタボロだからなぁ。普通の人間として機能できなかった。ヘビメタ騒音で、全部がおかしくなる。これ、言いがたいのである。言いがたい。ほかの人にはどれだけ言っても、わからないんだよな。ほかの人は、ぼくがただ単にネガティブなことを言っていると思っている。だれだって、あれだけ長い間、あれだけででかい騒音にさらされれば、普通の人間として機能できなくなります~~~。けど、普通の人には、そういうことがないわけだから、理解の範囲外だ。

俺はどうするんだ?

 

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ほかの人は、ぼくがただ単にネガティブなことを言っていると思っている。そういうことじゃないのに。どれだけ努力したって、きちがい騒音のなかで消耗していく。特に、成長期を丸ごと含んでそういう毎日が続いたなら、普通に生活できなくなるに決まっている。けど、ほかの人は、自分が実際に経験したわけじゃないから、わからない。わからないことは、どうにも、納得がいかないことなのである。ちょっと努力すれば、どうにでもなるようなことなのに、エイリさんが、勝手にこだわって、「どうしようもないことにしている」と理解してしまう。

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2021年4月15日木曜日

普通の人たちは、ひどい目にあった人を攻撃するようなことしか言わない

 小さないやなことを思い出しすぎ。もう、いやだな。あまりにも、多い。そして、こまかい。これは、きちがいおやじがきちがい的な理由で怒り狂ってたことと関係があると思う。けど、それを言うと、また、頭がおかしい人たちから?……いや、常識的な人たちから攻撃されるからなぁ。これ、あんまり言われないことなんだけど、修正を試みる人たちから、攻撃を受けるんだよな。攻撃というのは、まあ、大げさな言い方だけどね。ぼくが言いたいのは、ほんとうは、きちがい的な親にやられなかった普通の人たちが、わりとひどいことを言うということだ。「そんなんじゃないのに」と、ここでも言いたくなるよ。プラグマティズム、還元主義、効率主義、認知療法、アドラー心理学、スピリチュアリズムといったものを信仰している人たちは、たいてい、ひどい目にあった人を攻撃するようなことしか言わない。プラグマティズム、還元主義、効率主義、認知療法、アドラー心理学、スピリチュアリズムと並べて書いたけど、ようするに、普通の人たちは、ひどい目にあった人を攻撃するようなことしか言わない。「攻撃」という言葉はちょっときついのだけど、まあ、使わせてくれよ。そっちから見れば、「攻撃なんかじゃない」ということになるのだろうけど、そうでもないんだよ。たてまえ攻撃を受けるんだよ。まあ、「そんなのは、被害妄想だ」ということになるのだろうけど、それは、どうかな? 本当のスピリチュアリズムはたしかに、ひどい目にあった人を攻撃するようなことは言わないけど、俗流スピリチュアリズムだと、ひどい目にあった人を「こそ」攻撃するようなことを言う。そして、それは、その人たちにとって「真実」なんだよな。軽い意味で「攻撃」という言葉を使うなら、まさしく「攻撃」している。けど、まあ、ほんとうにそういうつもりがないわけだから、しかたがない。ひどい目にあった人の気分を認めてしまうわけにはいかないんだよな。……普通の人は。……普通の人だから。

 

 

2021年4月14日水曜日

俺がどんな気持ちで生きてきたと思っているんだ???

 俺がどんな気持ちで生きてきたと思っているんだ???

きちがい兄貴!!!

こんなのない。

いま、午後7時6分。鳴っている時間だ。そして、午後4時から7時6分まで3時間6分持続して鳴っている。これがどれだけ長い時間か。どれだけ、言ってもやめてくれなかった。何十回怒鳴り込んでもやめてくれなかった。1分もやめてくれなかった。これが、きちがい兄貴がこの世で、「実際に」したことだ。これに相違ないのである。それを……まるで、なにもしてないような顔をしやがって。まるでなにもしてないつもりでずっと鳴らし続けた。「言われたら」「言われたときだけ」きちがいおやじとおなじように、はねのけるように怒る。怒ったあとは、なにも言われてないつもりで鳴らし続ける。そういうきちがい「わざ」ができた。そういうことが、普通にできたのか兄貴だ。

これ、ほんとうに、やられている人と、やられていない人とでは、感想がまったくちがうのである。俺だって、きちがい兄貴が、15歳のときから、きちがいヘビメタに興味をもって、絶対の意地で思いっきり鳴らさなければ、「騒音問題」なんて他人事だった。何度も言うけど、うちの真ん前にでかい幼稚園があって、うさるかった。そして、きちがい兄貴は、フォークギターを練習していた。そういう音で、俺がガタガタ言っているわけじゃないのに……。ほかのやつらは、そういう音で、俺がガタガタ言っているのとおなじだと思っていやがる。こんなのが、ゆるせるか。きちがい兄貴のヘビメタは、10分でも、生命の危機を感じる音だ。あんなの、続いたら、ぼろくそになるに決まっているだろ。しかし、佐藤みたいなやつが、とぼけたことを言う。これが現実だ。他人事だと、まったく想像力がわかない。まちがった前提で、まちがったことを言いやがる。しかも、こっちが、「それはちがう」ということを言っても、信じないのである。こんなのはない。どうしてこうなってしまうかというと、普通の人が経験した「騒音」と俺が経験した「騒音」がちがうからだ。また普通の人が経験した「ひどい騒音」と俺が経験した「ひどい騒音」がちがうからだ。さらにまた、普通の人が経験した「長期間の騒音」と俺が経験した「長期間の騒音」がちがうからだ。どれだけひどいかみんなわかってない。

これ、けっきょく、遅刻のことで説明したけど、普通のやつらがみんな敵になる。的なんだよ。どれだけ俺が苦労してやっとのことさ、学校に10日に9日は、時間通りに行っているかわかってない。そりゃ、遅刻していない9日だって、遅刻ギリギリで、動かない体を無理やり動かして、行っている。どんだけ、くるしいか。

2021年4月13日火曜日

「いま、うごくなら死んだほうがいい」「家族で話し合えばいい」とかふざけるな!

 買い物に行くべきなんだけど、どうするかまよっている。これ、ばっかりだな。ほんとう、こればっかり。今日は、ごみ出しができなかった。

まちにまった資源ごみの日なのに……。朝、動けなかった。また「いま、うごくなら死んだほうがいい」という感じになって、布団のなかにいた。

そういうとき、そういう気持ちを押し殺して、行動しても、なにもいいことがないんだよな。ライフハックだと、「起きて、まず行動すれば(そのうち抵抗なくできるようになる)」と書いてあるでしょ。

逆なんだよな。

むりをして、そういうことをしたら、本格的にダメになった。ヘビメタ騒音期間中の朝は、そんな感じだよ。毎日。

ヘビメタ騒音が長期騒音じゃなくて、短期間で、鳴りやまなければならなかった。

そういうことだ。

ライフハックのなれのはてなんだよ。ライフハックの作者が言っているようにはならない。 「いま、うごくなら死んだほうがいい」という気持ちを押し殺して、学校に行くしたくをして、学校に行ってた。

ヘビメタ騒音で眠れない。

ヘビメタ騒音が鳴り終わってから……午後11時11分に鳴り終わってから、眠れないのだから、ほかの人にはわからない。俺の責任になってしまう。

けど、その人たちは、平日午後4時から、午後11時11分まで、きちがいが、横の部屋で鳴らす騒音にさらされているわけじゃない。その人たちは、休日には、朝の9時から始まって、午後11時11分まで、となりの部屋のきちがいが、きちがい的な意地で鳴らしている騒音にさらされているわけじゃない。

日曜日に合計で13時間ぐらいきちがい騒音にさらされた場合、午後11時12分になっても、眠れるわけじゃないのだ。

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一家にきちがいが二人いる状態なのだから、話し合いなんてできないんだよ。きちがいおやじが、きちがい兄貴やってきたことを理解してない。 きちがいおやじが、俺にやってきたことを理解してない。

同じ仕組みで、きちがい兄貴が、俺にやったことを理解してない。きちがい的な意地でやっているのに、「つもりがないまま」なんだよ。それは、どれだけ、何万回言ってもおなじなんだよ。話し合いなんてできるわけがないだろ。きちがいがそっぽむいて、きちがい行為を、めちゃくちゃな意地でやっている状態なんだよ。

やっているさいちゅうに、「やめてくれ」と言ったら脂汗をかいて、真っ赤な顔をして、がむしゃらにやっちゃうんだよ。絶対にやめてくれないんだよ。

そして、「やめてくれと言ったけど、やった」と、やってないときに言えば、「そんなんじゃないそんなんじゃない」と 脂汗をかいて、真っ赤な顔をして、怒り狂って言って、おしまいなんだよ。

「やめてくれ」と言われたときの態度と、「こうだった」と言われたときの態度がおなじなんだよ。あるいは、「自分がやってないことについてなにを言っているんだ」というような態度で、無視して、なにも言わない。自分がかかわっている感じがまったくしない。

「やったつもりがない」まま生きている。けど、やっているときに「やめろ」と言われたら、ものすごい騒ぎになる。きちがい的意地で発狂してやり続ける。

「やめろ」と言われて素直にやめてくれたことがない。そういうことでも、本人は、やり切ることができれば(本人の気が済むまでやり切ることができれば)ある時点からある時点までずっと何時間もやったのに、そんなことは一秒もやってないというような認識を持っているような態度になる。

兄貴も親父も、「ごく普通に」そういう人間なんだよ。どれだけ困るか。話し合いなんてできるわけがないだろ。

「家族で話し合えばいい」とかふざけるな!

たとえば、遅刻したときに、どうして遅刻したんだと聞かれて、ヘビメタ騒音が鳴ってたから遅刻したと言ったとしよう。そうした場合、「そのことは、家族で話し合って解決してください」と言われる。

もう、こういうことの、繰り返しなんだよ。そして、こっちがどれだけ、きちがい家族がやっていることで困っていても、とうのきちがい家族は、しらんぷりなんだよ。まったく関係がない人としてやり続ける。きちがい兄貴なんて、自分が寝ている時間、自分が家にいない時間、自分がご飯を食べる時間、自分が風呂に入る時間を抜かして、すべての時間、きちがいヘビメタを鳴らしている状態だ。そういう一日が毎日続く。自動的にそうなっている。だから、やっているときに「やめてくれ」「静かにしてくれ」と言うしかない。

けど、やっているときに「やめてくれ」と言われたら、いま書いたとおりに発狂する。 やり終わったあとに言えば、「そんなのまったくやってないのに、なに言ってんだ」というような態度で無視をする。

「まったく自分に関係がないことを言ってくるな」といった態度で無視する。

これ、ほんとうに、本人は自覚がないんだからな。

本人は、やりたいことができたから、「すんで」いる。すんでしまったことは、まったくなにも関係がないのである。言われたって、なにも感じない。どれだけ、強く言われたって、なにも感じない。

あるいは、「そんなんじゃない」と発狂しておしまいだ。「そんなんじゃない」と発狂した場合だって、発狂したとたんに、本人のなかでは「すんだこと」になっている。

そういうことの繰り返しだ。

次の日になれば同じことをするんだよ。やりたいわけだから。毎日こういうことの繰り返しだ。そりゃ、兄貴のばあいは15年間だけど、親父の場合は80年間ぐらいそんな感じだ。かわらない。最後のほうはそういう性格に認知症がまぎれこんで、たいへんだったよ。

 

 

2021年4月12日月曜日

こいつら、ゆるせん。こいつら、ゆるせん

 ほんとうに、きちがいおやじのことで俺が人から悪く思われるというとが多すぎた。ほんとうに、きちがい兄貴のことで俺が人から悪く思われるということが多すぎた。人生のなかで、おおすぎた。けど、ほんとうに、「なる」んだよな。ふつうに、そうなる。だれだって、ヘビメタ騒音に毎日、何千日もさらされ続ければ、「働けないからだ」になるのに、ほかの人には、それがわからない。日本は、働いてないやつは、どれだけばかにしてもいいという風潮がある。風潮なんて生易しいものではない。かなり、無意識的なところで「そう感じてしまう」。そう感じるということは、そう感じても、いいということだ。からだ全体、脳みそ全体が、そういう感じ方を「支持」する。俺が無職のとき、正直に無職だといってしまうとかならず、いやな目にあわされた。きちがい兄貴の騒音のことを話しても、そいつらは、「騒音で働けなくなった」という話を、無視する。信じない。こいつら、ゆるせん。こいつら、ゆるせん。中学生のとき、働いてたわけではないけど、中学生のときも「構造的にはおなじこと」が成り立ってしまう。ほんとうに、一日のなかで、あれだけ長い間ヘビメタ騒音が続くと、どうしても、遅刻をしたり、活動ができなくなる時がある。毎日、続いて、どれだけくるしいか。あの苦しさがわかってないやつが、ほんとうに、あまえたことを言うな。ふざけるな。ゆるせない。こいつらはゆるせない。

きちがいおやじときちがい兄貴が、ほかの人が誤解するようなことをして、俺が誤解されるということが、多すぎる。多すぎた。

もう、それ、幼稚園生のときからあるよ。きちがいおやじが、理由もなく起こるというとを、幼稚園の先生に言ったときがあるのだけど、おさないから親が怒った理由が理解できないのだろうと思われて、そういうふうに考えたという説明を受けた。もう、このころから、始まってたんだな。俺がほんとうのことを言っているのに、ヨソの人が、信じない。おやじや兄貴を好意的に理解して、俺の言っていることを信じない。「おさないから」という理由は、ようするに、俺をばかにしている。幼稚園の時の先生は好きだったから、まあ、俺をばかにしていたというのは、言いすぎだけど、ようするに、おさなくて、親が怒る理由がわからないから理由がないことで怒っているように思っていると解釈したわけだろ。これ、ぜんぜん、ちがうんだよね。はずれ。

ヘビメタ騒音のことだって、ほんとうのひどさが、ほかの人にはわからない。ほかの人だって、たとえば、小学六年生のときから、……そうだな……20歳ぐらいまで、ヘビメタ騒音が、あのレベルで続いたら、絶対に働けない体になるのに……それ以降も働けない体のまま過ごすことになるのに、それが、わからない。わからないから、たとえば、それ以降あった人に「働いてない」ということを言うと、相手は、偏見に基づいて俺をばかにする。まあ、20歳のときだと、「働いていないし、通学もしてない」ということなんだけどな。

偏見に基づいてと書いたけど、なんていうのかな……本能に近い部分にある偏見だ。偏見は学習の結果だから、本能じゃない。本能に近い部分にあると言っても、ほんとうは、本能とは無関係だ。しかし! 考えるまでもなく、「そういうふうに感じてしまう」のである。そういうレベルの思い込みを「本能に近い部分にある偏見」と表現しているわけだ。で、何度も言うけど、「そういう感じ方がおかしい」と本人は、たぶん、一度も考えたことがないのである。そのくらいに、あたりまえなのである。考えるまでもなく、あたりまえ。そして、考えは、その考えのうえに成り立つ。その考えというのは、ここでは「本能に近い部分にある偏見」のことだ。ようするに、意識的な思考の、前提になるような、無意識的な思考のである。そういうものを本能に近いところにある思考と言うことにする。

 

 

「遅刻してしまうこともあるなんて、ふざけている」

 ほんとうに、つまらない。みんな、ぼく以外の人は、「実際に」きちがいヘビメタ騒音にさらされたことがないから、わからない。きちがいヘビメタというのは、きちがい兄貴が鳴らしたカビメタ騒音のことだとする。鳴っているときも、くるしいけど、鳴り終わったあとも、くるしい。そして、「鳴り終わったあともくるしい」ということの意味が、ほかの人にはわからない。だから、俺が「わるもの」になる。そりゃ、「ヘビメタが鳴っているから遅刻してしまう」と言って、遅刻したら、わるものになるだろう。体育祭でも文化祭でも合唱コンクールでもいいけど、「みんな」が、がんばってやろうとしているのに「遅刻する」とはなんだ?という気持ちになる。会社でも、なんかプロジェクトがあったとして、みんなで頑張って、一致団結してプロジェクトを成功させようとしているのに、「ヘビメタが鳴っているので、遅刻します」と言ったら、「そんなのは、ゆるさない」と言ってくるだろ。みんなの「わ」をくずそうとする「わるいひと」だと、そいつらは認識するだろ。認識しないのか? みんな、経験したことがないから、何千日もヘビメタ騒音が続いていると、どうしても、何日かに一回は遅刻するということになるということが、わからない。自分の体で経験してないからわからない。それに、「そんなのは、やめてくれとお兄さんに言えばいい」ということになっているのである。そいつらの頭のなかでは。そいつらの頭のなかでは、「やめてくれ」とお兄さんに言えば、やめてくれるはずだということになっているのである。そういうやつに、「やめてくれない」「何千回も言ったけどやめてくれない」と言っても、相手は……そいつらは、認めてくれない。そいつらの頭のなかでは「やめてくれ」と言えば、お兄さんはやめてくれるはずだという認識が成り立ったままだ。「言い方が悪い」「真剣に言えばいい」「きつく、何回も言えばいい」「聞こえるように怒鳴って言えばいい」などと的のはずれたことを言い出すことだってある。そいつらは、うちのなかの、きちがい兄貴のことがわかってない。きちがい兄貴がどういう認識回路を持っているかわかってない。まあ、ついでだけど、きちがいおやじがどういう認識回路を持っているか、も、わかってない。だから、「そんなに鳴らしているのに親が文句を言わないのはおかしい」とか激しく、ずれたことを言い出す。こういうギャップは俺が説明しても、うまらない。ここで、何百日も説明しているけど、それだって、認めないやつがいる。「エイリさんが嘘を言っている」「そんな人がいるはずがない」「そんなことがあるはずがない」と思っているやつがいる。「仮にそうだとしても、起きれないということはない」「仮にそうだとしても、遅刻しないようにしようと思えば遅刻しないようにできる」と、「仮の話にしてしまう」やつだって出てくる。こいつらは、俺にたいして、ものすごく失礼なことを言っているのだけど、当然、失礼なことを言っているという気持ちはないだろう。「遅刻は悪いに決まっている」「実際迷惑をかけられた」「遅刻してしまうこともあるなんて、ふざけている」という気持ちになってしまうやつだって、いる。

ここで何年もかけて説明していることを、一〇分間で説明するのはむりだ。だから、かいつまんで、肝心なところだけ、一〇分間で説明しているのに、認めないやつらが出てくる。管理側の人は、みんなそうだよ。管理側じゃなくても、たとえば、遅刻するやつがいると自分が迷惑をこうむると認識しているやつは、管理側の人とおなじことを言うことになる。兄貴の!!!!!きちがいヘビメタ騒音に毎日さらされているのはぼくだけなのだから、話が通じない。話の基本がわかってない。話の基本がわかってない人たちだって、俺とおなじように、騒音にさらされたら、遅刻するようになるよ。「どれだけがんばっても、遅刻してしまう日ができる」という状態がわかるよ。きちがい兄貴みたいな家族がいない人たちだから、わからない。それだけだ。ほんとうに、普通の人は「うちの」きちがい兄貴の特殊な態度がわからない。ほんとうに、普通の人は「うちの」きちがいおやじの特殊な態度がわからない。きちがい兄貴は、きちがいおやじのコピー。自分がきちがいおやじにやられれば、腹を立てて、きちがいおやじがやっていることはひどいことだということがわかるけど、自分がきちがいおやじの立場でやっていることは、きちがいおやじのように、わからない。自分がまずいことをしている気持ちなんて、ないよ。それは、何万回言われても、ない。何万回、指摘されても、そうだということがまったくわからないまま、やり通す。『そうだということがまったくわからないまま、やり通す』というのも、きちがいおやじの特殊な行動のうちのひとつだ。

 

2021年4月11日日曜日

「しかし、もういい」「もう、いい」と夢のなかでも言ってた

 

 ふたたび起きた。

眠れた。5時間ぐらい眠れた。夢はおもしろかった。お話に使えそうなんだが俺は世間とあわない部分があるので、実際には使えないかな。

「しかし、もういい」「もう、いい」と夢のなかでも言ってた。起きてからも「もう、いいわ」と何回か思った。

やる気になって楽しく動くということがないなぁ。「もう、いい」と思いながら、むりして動いている。そりゃ、買い物に行くときだってそうだ。「もう、いい」「こういうことがあった」「もう、いい」と思っている。「これは、あの雰囲気だな」「もう、いいや」……「くるしい」……「つらい」……「動かないと」……。こんな感じだ。 

きちがいヘビメタで、すべての時間、動いているのがつらいことになった。いつも、つらい気持ちで動くしかないということになった。ヘビメタ騒音「で」そうなった。日常がつらい。我慢して動いている。むりをして動いている。とてもつらい。

 

 

2021年4月10日土曜日

けど、それが、自分の才能だと思ってしまう。「やられてないだけ」なのに

 めちゃくちゃな、ヒマに耐えかねて、これから、買い物に行ってきます。

どっちに行くかまよっている……ところです。

しかし、「俺の人生ない」とか思っている……ところです。

「おかしいよな。これ……」とか思っている……ところです。 

まあ、ハスの総菜は欲しいかな。けど、あれは、いつもあるわけじゃない。それから、ウナギのかば焼きも欲しい。けど、ハスの総菜が売っているところと、ウナギのかば焼きがあるところがちがう。

けっきょく、俺は、ハスの総菜を買えるだけの「よゆう」がある。「総菜」は割高だ。まあ、台所が使えれば自分で料理したほうがコスパは高い。

けど、食いたいものを食っても、ぼくのこころが、ふさがらない。ぼくの心にあいた大きな穴がふさがらない。で、まあ、こういうところに、「ぼくのこころが、ふさがらない」と書いても、読んだ人は「なに言ってんだ。こいつ」と思うだけなのは、知っている。けど、案外、重症なんだよね。薬を飲んだ場合、そこそこ治る可能性が2割、依存と離脱に苦しむ可能性が6割、依存と離脱に苦しんだうえに、さらに、別の病気を抱えてしまう可能性が2割ぐらいある。ようするに、8割ぐらいはうまくいかない。あれ、みんな、「医者に行け」ということをよく言うけど、悪くなる可能性のほうが高いということに気がついてない。まあ、いいや。長期騒音がなければ、きちがいおやじにやられていたとしても、「医者に行くこと」を、すすめられるということはなかった。長期騒音が長期騒音ではなくて、1か月で鳴りやむなら、「薬をすすめられる」ことはなかった。これ、おかしいんだよな。ほかのやつらは、きちがい家族にやらてれいない。だから、俺よりも有利な立場を確保しているだけだ。けど、それが、自分の才能だと思ってしまう。「やられてないだけ」なのに。きちがい家族にたたられなかっただけなのに……。すぐれているわけじゃないのに……。ばかなやつらだなと思う。他人に対するこういう気持ちは、はっきり言えば、まずい気持ちだ。持つべきではない。けど、きちがい家族にやられると、しょうじてしまう。ほとけさまや神様じゃないのだから、あんな騒音にたえられるわけがない。俺が生きているというだけで、すごいことなのに、まったくみんなわかってないな。

 

 

2021年4月9日金曜日

いま、午後四時二二分。きちがいヘビメタが鳴っていた

 すべて遅いよ。すべて、遅い。いま、午後四時二二分。きちがいヘビメタが鳴っていた。毎日、三六五日、日曜日だろうが祝日だろうが冬休みだろうが夏休みだろうが、試験の前だろうが試験期間中であろうが、午後4時22分は、きちがいヘビメタが、ものすごい音で、鳴ってた。

 

普通の音じゃない。

ものすごい音で鳴っていた。

どれだけ、言っても、どれだけ怒鳴り込んでも、一分も、やめてくれなかった。一秒もやめてくれなかった。これが、きちがい兄貴がしたことだ。けど、きちがい兄貴は、「静かにしてやった」と思っている。これは、嘘じゃなく、そう思っているのだ。

実際にやったことは、一分だろうが一秒だろうが絶対にゆずってやらないということなのに、本人は「ゆずってやった」と本気で思っている。これが、きちがい兄貴の態度だ。これがきちがい兄貴の認識だ。自分が、思いっきり鳴らして満足できる範囲でゆずってやればいい」ということになっている。

だから、ときどき、五分間ぐらい、〇・一デシベルだけゆずってやれば、それでゆずってやったことになってしまううのである。

言っておくけど、その5分間だってめちゃくちゃにうるさい。ヘビメタを鳴らしている本人の耳が悪くなるぐらいにうるさい音で鳴らしている。

けど、そういううるさい音で鳴らしていても、本人が「ゆずってやった」気持ちになれば、「ゆずってやった」ということになってしまう。

 

これが、自動的に発動される。

 

毎日、毎時間、毎分毎秒、自動的発動「されている」。だから、本人は、二四時間中二四時間、自分が鳴らせるときに、なんの制約もなしに鳴らしているのに、「ゆずってやった」と思っている。

こんなのは、ない。

きちがいおやじとおなじなんだよ。きちがいおやじは「ゆずってった」つもりで、使えないハンダゴテを出してきているんだよ。使えないハンダゴテを物置から持ってきてやることが、最大限の譲歩だ。相手が、それで「助かるか」「助からないか」なんてまったく問題じゃない。

全部、自分の心のなかの問題なのである。自分が「ゆずってやった」つもりになれば、それは、絶対に「ゆずってやったこと」になるのだ。これが、おやじのやり方だけど、きちがい兄貴のやり方は、おやじのやり方のコピーだ。

おやじはハンダゴテで、きちがい的なやり方を通したけど、きちがい兄貴はヘビメタ騒音できちがい的なやり方を通した。場所や道具がちがうだけなのである。やり方はいっしょだ。

けど、こういうことが、ほかの人にはわからない。だから、『親が文句を言わないのであれば、たいした音で鳴らしてなかったんだろう』と思ってしまう。『そんなにでかい音で鳴らしていたら、絶対に親が注意をする。注意をしなかったのであれば、言っているほどでかい音で鳴ってはいなかったのだろう』と推論してしまう。

もちろん、まちがった、推論だ。けど、きちがいおやじときちがい兄貴のことが、わかってなければ、ちゃんとした推論だと思ってしまう。まちがってないと思ってしまう。

そうなると、その人たちの頭のなかには『エイリさんが妄想でものを言っている』とか『エイリさんがおおげさにものを言っているのではないか』とかという考えが浮かぶのである。

これがどれだけ、俺を傷つけるか? もちろん、きちがいおやじやきちがい兄貴は、これをねらって、やっているわけではない。意図的にやっているわけではない。自分がきちがいモードで対処すれば、俺から話を聞いた普通の人たちが誤解してくれるだろうと思ってやっているわけじゃないのだ。

しかし、効果てきめんだ。

ほかの関係がない人はみんなひっかかる。「そんなの、お兄さんに言えばいい」「そんなのは家族で相談すればいい」……そういう言葉がどれだけ俺をむなくそわるい気分にさせるか、ほかの人はわかってない。

じゃあ、そういう状態で、ほかの人がそういうことを言って、俺がむなくそわるそうな顔をしたらどうなるか? ほかの人は「ただ、自分が思ったことを言っただけなのに、そんなふうに怒って」「ただ、助言しただけなのに、そんな不愉快そうな顔をして」と思いやがるんだよ。こういうになったら、俺がどれだけ、きちがいおやじやきちがい兄貴のことについて、ちゃんとした説明をしてもムダだ。

2021年4月7日水曜日

ほんとう、すべてが不利にできあがっている

 

 つまんない。頭がもやもやする。これは、やばい。まあ、ヘビメタ騒音以降、ほんとうにくるしいだけの人生なんだよ。そして、ヘビメタ騒音のことをどれだけほかの人に説明しても、ほかの人は理解しないというとがわかってしまった。ほかの人たちというのは、経験がない人たちだ。経験がない人たちにどれだけ説明してもわからない。わからないということがわかってしまった。

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 ほかの人たちは、普通に誤解しているけど、誤解しているということがわからない。これは、きちがい兄貴の無意識とは、ちがう構造だ。ほかの人たちは、ただ単に「経験がないからわからない」だけだ。無意識とは、関係がない。けど、無意識的な価値観が影響を与えている場合もある。だから、限定的に言うけど、きちがい兄貴における「理解しない構造」とほかの人たちにおける「理解しない構造」は一致してない。

 

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 ほんとう、すべてが不利にできあがっている。不利なんだよ。ものすごいハンディがしょうじた。俺の、言われようはない。俺の、現世における、言われようはないな。だれだって、きちがい兄貴が横の部屋に住んでいて、きちがい的な思考で、ヘビメタをでかい音で鳴らしたら、こまるのに、それがわからない。鳴っているときだけうるさい騒音だと思っているんだよな。「そんなんじゃない」とどれだけ言っても、ほかの人にはわからない。わからない。

2021年4月6日火曜日

ほんとうに、こころを破壊された

 ほんとうに、こころを破壊された。きちがい兄貴が、こだわってこだわってこだわって、きちがいヘビメタをスピーカーから鳴らし続けて、ぼくのこころを破壊した。ゆるせない。で、この世というのは……とくに、日本の社会というのは……ヘビメタ騒音にやられた人にとって住みにくい社会なのだ。それは、「できなくなる」からだ。

ほんとうに、普通の人たちは、わからない。どういうことなのか、わからない。わかってないんだよな。「ヘビメタ騒音にやられた」とか「ヘビメタ騒音が鳴っていると宿題ができない」とか「ヘビメタ騒音が鳴っていた次の日は、遅刻する可能性が非常に高い」とかとぼくが言っても、その人たちは、わからない。やられてない人たち……その人たちにしてみれば、「騒音」というのはそういうものではないのである。

何度も言うけど、家の前がでかい幼稚園で、いろいろな騒音経験してきたのである。けど、たとえば、幼稚園の園舎をたてなおしたとき、ぼくが、「騒音」で、勉強が出なくなるということはなかったのである。園舎といっても、小学校の校舎のようにでかいのである。そして、たとえば、幼稚園が、私立の剣道クラブに場所を貸していたときも、掛け声や竹刀がぶつかりあうおとや、踏み込みの足音でうるさかったけど、それで、勉強ができなくなるということがなかった。普通の人たちが経験している「騒音」はぼくだって経験している。そのとき、ぼくがヘビメタ騒音にさらされたような状態になったかというとちがう。ちがうんだよ。それが、他者にはわからない。きちがいヘビメタ騒音にさらされたことがない他者にはわからない。他者にわからないということは、他者は、俺がどれだけなにを言っても、「そんなのは、努力不足だ」「そんなのはあまえだ」と解釈するということだ。ヘビメタ騒音「で」できなくなったということを、認めないのである。俺だって「騒音」にさらされたことがあるけど、そんなことにはなってない。だから、エイリさんが、騒音に敏感なだけだとか解釈してしまうのである。けど、普通の「騒音」とヘビメタ騒音はちがう。至近距離の、きちがい家族による、ヘビメタ騒音は、質も量も違う。だから、ちがった効果をあらわす。やられた人間に、ちがった効果が出てきてしまうのである。けど、やられてない人間は、それを認めない。認めないということは、何度も言うけど、自動的に、「エイリさんがあまえているからダメなのだ」ということになってしまう。「できる」のに「できない」と言っていると思ってしまう。そう思ったら、マウントしてくる。説教をしてくる。これが、この世の普通の人間だ。だから、きちがい兄貴という、普通の人にはわからない、人間が、普通の人にわからない意地で、きちがいヘビメタを鳴らし続けると、こういうことになってしまう。こういうことというのは、普通の人がごく自然に、俺のことをばかにする状態になってしまうのである。こんな世界で生きていけるわけがない。実際、きちがいヘビメタがなければ一〇〇点をとれるテストで六〇点ぐらいしかとれなくなる。どれだけがんばってもがんばっても、遅刻するようになる。どれだけ、遅刻しないように気を張っても、きちがいヘビメタに、「その一日だけで」六時間以上さらされると、どうしても、次の日遅刻してしまう日が一〇日に一日ぐらいは出てくる。そうなると、三〇日で三回。ぐらい遅刻することになる。200日だと20回だ。どれだけ、気を張ってがんばっても、ゼロにはできない。けど、遅刻をすれば、ゼロにしろと、教師やほかの人間が言ってくる。その教師やほかの人間は、きちがい兄貴……きちがい的な家族による騒音にさらされていない普通の人たちだ。俺と、この人たちとでは、条件がちがう。条件がちがうのに俺が悪く言われる。俺が劣っているように言われる。俺がダメ人間であるかのように言われる。このとき、どれだけ、「ヘビメタ騒音が鳴っているから、どうしても、遅刻してしまう」ということを言ってもむだだ。「それは、家族で相談してください」といわれておしまいだ。家に帰って、「これこれこうで困った」ということきちがい的な音で鳴らしている、きちがい兄貴に、何十回も怒鳴っても、きちがいがきちがい的な反応をして、きちがい的な意地でずっと鳴らし続けてしまう。ゆずらない。こういうときの、きちがい兄貴の態度がほかの人にはわからない。そして、これが感じなことなのだけど、きちがい兄貴にもわかってない。きちがい兄貴は、きちがい的な意地でやったということがわかってない。本人は、そういうふうに認識していないのである。そういう認識のずれがある。これは、おやじと兄貴で共通だ。ともかく、ちがうんだよ。普通の人じゃない。ほんとうに、脳みそが、特殊な構造を持っているとしか言いようがない。絶対に、自分が、きちがい的な意地でやっているということを認識でないのである。きちがい的な意地で、それを無視する。無視したら、実際にやってないのとおなじなんだよ。主観的には「つもりがないまま」やり続けることができる。こんなのは、ない。ほんとうに、きちがいの世界だ。ふつうなら、きちがいの世界だ。けど、これがまた、ほかの人には、わからないのである。実際的な問題として、まったく理解できない。そういう困った他者が家族として存在していない他者は……「そんなのはない」「そんな人はいない」「ちゃんと説明すればわかってくれる」と普通に「思い続けて」しまう。だから、俺が説明したあとも、「ちゃんと説明すればわかってくれるはずなのに、ちゃんと説明しないからダメなんだ」と思ってしまうのである。いちおう、日本人なら理解できると思うけど、「ちゃんと説明すればわかってくれるはず」の人間は、きちがい兄貴で、エイリさん「が」ちゃんと説明しないからダメなんだと、その他者「が」思ってしまうということだ。日本人なら、わかるはずだと思うけど、「主語はなんだ」とか訊いてくるやつがいる。

ともかく、そういうことの積み重ねで、こころが破壊された。ほんとうに、つまらないのである。けど、これが、「つまらないつまらない」と言えば、「ネガティブなことを言うな」ということを言ってくるやつが出てくる。「つまらないつまらない」と言って「から」つまらなくなるということを言ってくるやつが出てくる。そいつらは、きちがい家族による、きちがいヘビメタ騒音を経験してない。 そりゃ、数千日にわたって、家族にやられた人間ではないのだから、そういうことが言えるのだろう。こいつらも、経験してないから言えるだけなのに……。まるで自分が「つまらないという人よりも」すぐれているから、人生を楽しめている(楽しむことができる)と思い込んでいる……ふしがあるとぼくには思える。原因がちがう。こういう人たちは、ただ単に、きちがい的な家族にやられなかっただけだ。その点で俺よりも幸運だけど、それは、すぐれているということではないんだよ。


2021年4月5日月曜日

「できる」と「できない」では、「できる」ほうがいいに決まっているという価値観がある

 トレッキングシューズを買った。

今年は、いろいろと持ち物を改善していきたい。それにしても、長期騒音で人生がない。これは、ほかの人には絶対にわからないことだ。ほかの人にとってみれば「そんなのは……」ということになるのだろう。けど、そういうことを言うほかの人たちには、長期騒音がない。俺と同等の長期騒音がない。きちがい家族がいない。もう、比較の対象にならない。

けど、人間は人間だからどうしても比較してしまう。そりゃ、みんな、自分の感覚でものを言っているからな。自分の感覚で、「善悪」を決めている。自分の感覚で「よしあし」を決めている。「できる」と「できない」では、「できる」ほうがいいに決まっているという価値観がある。「単にできる」よりも「もっとできる」のほうがいいに決まっているという価値観がある。「より優れているほうがいい」という価値観がある。「無職はだめだ」という価値観がある。「ひきこもりはださい」という価値観がある。「人の価値観なんて気にしないほうがいい」という価値観がある。「人とくらべる必要はない」という価値観がある。

けど、価値観は価値観だ。で、自分がよく意識している価値観と、無意識的な価値観がある。無意識的な価値観のほうが重要だ。無意識的な価値観は、「みただけで」いろいろなことを判断するのにつかわれる。もう、考えるまでもなく、本能に近い形で、反応が現れる。こういう即物的な反応に影響を与えるような価値観のほうが重要だ。本能じゃないけど、相当に「考えない」「考える時間を必要としない」という意味で、本能に近い形で」と書いた。けど、これは、もちろん、本能ではないし、本能に類似したものでもない。あくまでも比ゆ的な意味で、そのように書いた。ものすごく、深いところで行われた学習なのである。

 

2021年4月4日日曜日

あんなの、ずっとやられて、いいわけがないだろ

あんなの、ずっとやられて、いいわけがないだろ。

あんなの、ずっとやられて、影響が残らないわけないだろ。

どうして、こういう事実を無視するのか。「やる気」とか「努力」とか、そういう精神的な問題にするのか。損傷を受けたと言っているのに、やられてないやつらが、損傷を無視して、「もともとの」性格の問題にする。性格の問題というのは、俺の「性格の問題」ということだ。つまり、損傷を受けたかどうかは関係がないとする立場を採用している。損傷を受けてないやつが、俺も、損傷を受けてないと仮定して、あるいは、損傷を受けたにしろ、損傷の影響はもはやないと仮定して、きちがい的な助言を行っているのだ。こんなのは、喧嘩を売っているとしか思えない。

 

 

 

2021年4月3日土曜日

この暴言の根本には、認知療法やアドラーの影響がある。

 

 ほんとうにつまらない。

どうするかな?

「楽しくないのはおまえのせいだ」「楽しくしようと思えば楽しくなれるのに、わざわざ、楽しくないほうを選んでいる」という暴言が流行っている。この暴言の根本には、認知療法やアドラーの影響がある。しかも、こういうことを言っているやつらは、自分が暴言を吐いていることに気がつかない。そういうことを言いながら、「人の悪口はよくない」「ネガティブな発言はよくない」と言いやがる。

 

2021年4月2日金曜日

「うちの人しかわからない状態」になる。なにが、人権だよ? ふざけるな!!!

 朝の光があふれているのだけど、ヘビメタ騒音で憂鬱だ。俺がこの光の中、どれだけ、くるしい思いをしてきたか。とっくのとうに、おしまい、だったんだよ。むりができない状態になっていた。けど、むりをして、学校に通っていた。前日の午後11時11分まで、激しい音でヘビメタが鳴っている状態だと、どれだけ朝がつらいか、ほかの人にはわからない。午後11時11分には鳴り終わるけど、鳴り終わったら眠れるというわけではない。発狂して、疲れ果てているのに、眠れない。何時間もヘビメタを鳴らされ続けると、脳みそが「やかれて」眠れなくなる。眠れないまま、夜中の12時、午前1時、午前2時、午前3時と時間がたった時の、状態が、絶望的なのである。ヨソの人は……経験したことがない人は……午後11時11分に鳴り終わったなら、眠れると考えてしまう。なり終わって静かになったのだから眠れると思ってしまう。眠れないなら、エイリさんが夜更かしをしようと思って夜更かしをしているのとおなじだと考えてしまう。これが全部、考え違いなんだよ。騒音が鳴り終わったあと、眠れないというのは、深刻な問題だ。無視できる問題じゃない。こういうとこからして、人から誤解を受ける。そして、そういう……普通の人が普通にする誤解というのは、かなりこたえる。はっきり言ってしまえば、自殺に追い込むだけのちからがある。そういう力があるのに、ヨソの人たちは、気がつかない。どうしてかというと「鳴り終わったなら眠れるはずだ」と思っているからだ。鳴り終わったのに眠れないなんていうのはない。鳴り終わったのにもかかわらず、眠らないのは、エイリさんの自己責任だ。エイリさんの選択したことだと思ってしまうからだ。一日だけならいい、けど、日曜日も夏休みも含めて、すべての日、眠れない状態だと、生きているのがものすごくくるしくなる。一日や1か月の問題じゃないんだよ。工事で眠れなかったと言っても、工事は続かないだろ。そして、きちがい兄貴は、趣味でやっているけど、工事は趣味でやっているわけではない。公益性がある。そして、時間的な配慮がある。兄貴のヘビメタ騒音と工事の騒音をおなじようなものだと考える人がいるのだけどちがう。そして、兄貴のヘビメタ騒音と工事の騒音をおなじようなものだと考える人に、「工事の騒音と兄貴のヘビメタ騒音はちがう」ということを言うと、みんな、不愉快そうな顔をする。「おなじだ」と怒って反論してくる。けど、ちがう。しかし、きちがい兄貴が、ほかの人が理解できないような意地で、普通の家では絶対にありえないようなでかい音で、ヘビメタを鳴らさなかったら、ぼくとヨソの人のあいだで、「兄貴のヘビメタ騒音と工事の騒音をおなじようなものなのかどうか」ということについて、あらそうということがなかったと思う。これ、きちがい家族にやられている人の「特徴」なんだけど、ヨソの人から、誤解される。ヨソの人がむしろ、きちがい家族側に立ってものを言うようなことになる。きちがい家族は、認知がずれているので、「やったってやってない」ということになっている。きちがい家族は、きちがい的な意地でやったことを、きちがい的な意地で否定することろがある。「うちの人しかわからない状態」になる。これが、きつい。これも、きつい。きついんだよ。佐藤やユウキのような常識的な人は、これがまったくわかってない。どんだけ、普通に誤解をするか。誤解をして『きちがい家族に』やられているほうを追いつめるか? なにが、人権だよ? ふざけるな!!!

 

 

 

2021年3月30日火曜日

自分だったら、たとえ騒音が鳴っていたとしても、ちゃんと宿題ができると思っている

あとは、ヘビメタ騒音で……長期間にわたるヘビメタ騒音で……新米二等兵か非国民にしかなれない状態になった。もっと言えば、非国民にしかなれない状態になった。ヘビメタ騒音がなければ、俺は、将校でスタートができた。これは、でかい。ヘビメタ騒音なんだよ。ヘビメタ騒音。俺にとっては、ヘビメタ騒音。ほかの人にとっては、どうだかしらない。 

家でまったく勉強ができないということがどういう影響をあたえるかまったくわかってない。そりゃ、毎日やられれば、ひどいことになる。ひどい影響をあたえることになる。だいたい、たとえば、午後4時から、午後11時までやられると、実際には7時間しかやられてないのだけど、午後11時以降にこたえる。午後11時以降、勉強ができるかというとできない。そりゃ、7時間やられた影響が残っている。きちがい的な音の繰り返しを、7時間浴びてしまうということがどういうことなのかわかってない。そして、よく眠れないまま……じゅうぶんな睡眠をとれないまま、次の日の午前7時40分になっていて、急いで、学校に行くという場合、午前7時40分から、午後4時までの、学校にいる時間と、学校に行く時間と、学校から帰ってくる時間が、並じゃないのである。強烈にくるしい。子の苦しさがわかってない。この苦しさがわかってないやつが、「騒音で勉強ができないなんて言い訳だ」「騒音で遅刻してしまうなんていうのは、いいわけだ」と言うのが、ゆるせない。ほんとうに、一日だけ、2時間しか眠れない状態で学校に行ったとかそういう話じゃない。毎日、つもる。どれだけくるしいか。おまえら、集合住宅では絶対に鳴らせないようなでかい音で、騒音を鳴らす、きちがい家族がいないから、そういうことになってないだけなのに、まるで、俺よりすぐれていると思っている。自分だったら、たとえ騒音が鳴っていたとしても、ちゃんと宿題ができると思っている。自分だったら、ちゃんと遅刻しないで毎日学校に通うことができると思っている。しゃっきりと元気を出して学校の活動に参加することができると思っている。それは、たまたま、きちがい家族が、騒音を出すことに興味をもなかったから、維持されていることなんだぞ。おまえ、家族が、きちがい兄貴みたいなやつだったら、絶対に、睡眠時間、遅刻、宿題などに関して、影響が出る。朝、起きて、遅刻しそうな状態で、バス停まで走るときの、きちがい的なくるしさはない。前の日、よく眠ってないから、ものすごくくるしい。俺は、ヘビメタが鳴ってなかったら、そんな状態になってない……そういうことを、どれだけきちがい兄貴にいっても、きちがい兄貴が、きちがいおやじの態度で、無視して、鳴らしまくる。あんなの、ほんとうにマンションだったら、絶対に鳴らせない音だ。目の前が大きな幼稚園で、横のうちもそれなりにはなているからできたことだ。 一日だけで、相当にちがうけど、それが10日積もった場合、20日積もった場合、300日積もった場合、4000日積もった場合、5000日積もった場合ではちがうんだよ。かりに、5001日目に鳴りやんだとしても、5000日もやられたら、もう駄目な状態になっている。けど、こいつらは、5001日目に、鳴りやんでいれば、騒音なんて「鳴りやんでいるのだから」関係がないと思ってしまう。「過去のことなんてどうでもいい」「過去のことなんて現在に影響をあたえるはずがない」と思ってしまう。これは、まちがい。大まちがい。あほだから、そういう推論のまちがいに気がつかない。けど、ヘビメタにやられてだめになっているやつより、そいつらのほうが、立場が上だったらどうだ? 俺は、我慢しなければならなくなる。このあいだ、二等兵がどうのこうのということを書いたけど、騒音を浴びないで不通にすごせたからこそ、一等兵になっているやつら、将校になっているやつら、そういうやつらか、目下の人間として扱われる。こいつらは、目下の人間より自分は、人間的にすぐれていると思ってしまうような傾向がある。自分は目下の人間より自分は頭がいいと思ってしまうような傾向がある。目下の人間が言うことはまちがっているけど、目上の自分が言っていることは、正しいと思ってしまうような傾向がある。これも、ようするに、マインドセットだよ。さらに言えば、メタ・マインドセットだ。そういう立場のやつは、俺とおなじ騒音を経験したら、二等兵か非国民にしかなれない。けど、そいつは、運がよくて、きちがい家族にたたられなかっただけだ。しかし、きちがい兄貴のような頭がおかしい騒音魔にたたられなかったからこそ、俺よりも、優位な状態に立っている。そして、これは、まちがった考え方なのだけど「過去のことなんて現在に影響をあたえるはずがない」と思っているなら、俺が言っていることは、まちがいだと思ってしまう。こいつらは、「自分の推論」の誤謬に気がつかない。「過去のことは、現在に影響をあたえる場合もあるし、過去のことは現在に影響をあたえない場合もある」というのが、正しい。もっとも、過去のことは現在に影響をあたえない」というの場合の「あたえない」というのは、「無視できるほど小さな影響しかあたえない過去のできごとであれば、過去の出来事は、現在に影響をあたえないと言ってもさしつかえがない」という意味で「あたえない」と言っているにすぎない……という但し書きがつく。

 *     *     *

非国民というのは、比喩的な表現だ。現代の非国民は、無職と引きこもりだ。無職と引きこもりは非国民なので、下に見てもよいのである。見下してもいいし、説教してもいい。無職と引きこもりは、そういう存在だと腹の底から思っている……という意味だ。 

二等兵というのも、比喩的な表現だ。二等兵というのは、ブラック企業の非正規従業員のことだ。まあ、ブラック企業の平社員を二等兵、その二等兵のさらに下を、新米二等兵と表現しておいた。

2021年3月29日月曜日

たてまえが崩壊しているから、問題があるのに、それをたてまえで補強しようとしても、むりだろ

たてまえが崩壊しているから、問題があるのに、それをたてまえで補強しようとしても、むりだろ。たてまえが崩壊したのは、ヘビメタがずっと鳴っていたからだ。ほんとう、どんな「たてまえ」も意味をなさない。どんな「きれいごと」も意味をなさない。

 

2021年3月28日日曜日

家族による騒音で……生活自体が「おかされる」

起きた。起きたあと、お湯を飲んで、しばらく瞑想をしていた。といっても、いろいろと考えていた。まあ、瞑想じゃないか。瞑想じゃない。いろいろないやなシーンがうかんできた。ほんとうに、ちょっとしたことなんだけど「人間っていやだなぁ」と思わせることばかりうかんできた。複数個ある。全部、微妙なんだけど、俺がいやな思いをした。小さなことなんだけど、積み重なると、メンタルに影響をあたえる。

わるい人間というのがいるんだよな。

わるい人間がいる。

全部、めんどくさい。とくに、ヘビメタ騒音がはじまってから、いろいろなことを切羽詰まった状態でやっていたから、くるしい。くるしいと、「ほかのこと」がめんどうなことになる。「やりたくない」ことになる。

ヘビメタ騒音がはじまってから、普通の人が悪い人間の側に立つということになるから、やっかいだ。きちがい的な「家族」にやられた人じゃないとわからないと思う。きちがい的な家族が、つねに騒音を鳴らす状態でくらした人じゃないとわからないと思う。こういう状態だと、ヘビメタ騒音について言ったにしろ、言わなかったにしろ、「普通の人」が敵になる。わるい人間の側に立つようになる。長期騒音で……生活自体が「おかされる」。これが、わかってない。みんな、わかってない。どうしたって、おちていくしかないのだ。どれだけ、あがいても。


だいたい、ほかの人は『きちがい兄貴のこだわり方』がわからない。説明したってわからないんだよ。きちがい兄貴の態度は、おやじの態度とおなじように、普通に考えれば矛盾があるのだけど、普通の人には、これもわからない。この矛盾を説明すると、認知的不調和がしょうじるから、人によっては?不愉快な気持になる。

ちなみに、おやじもあにきも、自身の矛盾にはまったく気がついてない。これ、あれだけ、めちゃくちゃなことをやって、矛盾に気がつかないんだよ。ほんとうに、発狂してやって、「発狂してやったこと」を発狂して認めないということになる。

これが、ときどきそうなるということではなくて、基本的には、いつもそういう状態でいる。ノーマルな状態がそういう状態だ。システムのなかに「やったってやってない」が含まれている状態なんだよ。そして、本人だけは、そのことに「無頓着」なんだよ。マインドセットという言葉がある。これは、日本語で言えば「こころのかまえ」というような意味だ。これは、複合体だ。ひとつじゃない。システムとして成り立っている。けど、その、マインドセットよりも、さらに根源的なマインドセット?と言うべきものがあると思う。ようするに、メタ・マインドセットみたいなものがある。きちがい兄貴ときちがいおやじは、メタ・マインドセットの部分で、矛盾を感じないようになっている。だから、本人にどれだけ言っても無駄なのである。どれだけ、何回、ものすごい勢いでぶつかってもだなのである。一切合切つたわらない。そうなると、「そんなのは、お兄さんに言えばいい」「そんなのは、お父さんに言えばいい」と思っている「あかの他人」とはぶつかることになる。ここでも、ぶつかることになる。家で、きちがいが、絶対の意地で自分勝手なことをするから、そのきちがいとぶつかっているのに、さらに、「あかの他人」とぶつからなければならなくなる。そういうふうに考える人「言えばいいのに、言わないからダメなんだ」と考える人に、きちがいおやじやきちがい兄貴の状態を説明しても、納得しない。これは、納得しないんだよ。そりゃあっちにしてみれば、そういう説明自体が、不愉快なことだから……怒ったりする。まあ、不愉快になるとか、不愉快になって怒るというような反応がある。これに関しては、もうすでに、だいぶまえに、説明したので省略する。

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2021年3月27日土曜日

労働可能なニートを、働かせるにはどうしたらよいか


労働可能なニートを、働かせるにはどうしたらよいかということについて考えてみよう。結論から言うと、労働のほうを、ニートにあわせるようにしなければならないのである。ニートが労働にあわせるのではなくて、労働がニートにあわせなければならない。
日本で働くには、労働そのものではなくて、労働にまつわることで、いろいろな我慢を強いられるのだ。なので、この部分を、極力、小さくすればいいということになる。
具体的には、以下のようなことをすればいいだろう。
1)働きたいときに、働いて、働きたくないときは働かなくてもよいことにする
2)勤務時間という概念をなくして、一日のなかで好きなときに働けるようにする。
3)職階はなるべくすくなくてして、上下関係が発生してないようにする
4)先輩後輩といった関係は、発生しないようにする
くわしく見ていこう。
1)と2)はだいたいおなじことを言ってる。一日のなかで、好きなときに働けるようにしておくということが重要だ。ニートのなかには、ニートになったあと、睡眠障害が生じるものがいる。子の 睡眠障害は、騒音生活を十数年にわたって、毎日経験したぼくとは、ちがったレベルの睡眠障害だ。しかし、24時間、自分が好きなときに働いて、自分がやめたくなったらやめるという労働形態を現実化すれば、かなりのニートが、働けるようになるのではないかと思っている。この場合、当然、「遅刻」という概念はなくなる。好きなときに行けばよいのだから、遅刻という概念そのものがなくなってしまう。たとえば、午前2時ぐらいに、突然暇を感じたので、午前2時から、出社の準備をして、午前2時20分ぐらいに家を出て、だいたい、歩いて10分ぐらいかかる職場に行って働くということができるのであれば、睡眠障害者は救われる。起きているときは起きているのだから、そういうことになる。まあ、ナルコレプシーの場合は、出社時間が自由な場合でも救われないが、退社時間が自由なのであれば、救われる。突然眠たくなったら、仕事をやめて、ちょっと寝かせてもらえばいいからだ。まあ、ともかく、出社時間も自由、退社時間も自由というということにしておけば、睡眠障害で働けないタイプのニートは働けるようになる。
いままで、説明したのは、一日のなかで、好きな時間に会社に行って働くということだけど、一年のなかで好きな時期に働くということも考えられる。あとは、「雨の日は出社したくない人」は雨の日は出社しなくてよいことになるので、『働くハードル』がさがる。1)2)3)4)とも、『働くハードル』をさげるということが、真の目的だ。働くことのハードルをさげなければ、意味がないのである。ニートのほうに、仕事をあわせるということはそういうことなのである。いままでは、仕事のほうにニートをあわななければならなかった。そのために、さまざまな説得が行われてきた。そのような説得は、ニートを追いつめて、委縮させるためだけに役立つわけで、ニートが説得に応じて働くということは、ほとんどなかった。そして、かりに、ニートが働きだしたとしても、すぐに、仕事をやめてましうので、またまた、説得をしなければならないという悪循環がしょうじた。これは、ニートを仕事にあわせようとする、努力なのである。で、その努力は、はっきり言えば、真正ニートには無駄なのである。彼らは、「仕事」に適応できないから、適応できない。適応できないのだから、働かない。そういう相手に、仕事をしろと言っても無駄だ。
 

2021年3月26日金曜日

ぼくの旅行に対する態度は普通の人の旅行に対する態度じゃない

 青春18キップ関係の本を買いたいような感じになった。もっとも、本は減らしていくつもりなので、増えてしまってはこまる。別に本を買ったわけじゃないけど、本の紹介ページを読んでいた。まあ、実際には、鉄道の旅はしないと思う。俺は、過去にいろいろとあって、体が重い。気分が重い。ぼくの旅行に対する態度は普通の人の旅行に対する態度じゃない。いろいろと、トラウマがあるのだ。そのぼくが、たしょうは、読んでみようかなと思ったことが、重要だ。

これ、ほんとうに、俺は普通に育った人とちがう……のである。悪い意味でちがう。だから、封の人の感覚ではないんだよな。それは、幼児のときからそうだ。きちがいおやじと一緒の電車に乗ることが俺にとって、どれだけ、負担だったか。もう、全身に蕁麻疹ができてしまうほどいやだったんだよ。それにはちゃんと、理由がある。 理由があるのだけど、きちがいの親に育てられてない人には、実感として理由がわからないと思う。だから、そんなの、考えすぎだとか、そんなの気にしすぎだということになってしまうのである。その人たちから見れば、俺が勝手に不愉快な気持になっているとしか思えないのである。けど、ちがう。

俺は、うちにいるときでも、おやじが帰ってくる時間になると、全身に蕁麻疹ができてた。幼児のころだけど。これ、食べ物による蕁麻疹じゃないんだよ。『きちがいおやじによる』蕁麻疹。一緒に行動することがどれだけ、憂鬱で腹立たしいことか! きちがいなんだよ。おまえ、きちがいやくざよりも、ひどい状態のやつと一緒に行動するなんて、どれだけ、こころがふさぐことか、わかったもんじゃない。実際、きちがいおやじと旅行をしなければならないときは、蕁麻疹がでた。全身、蕁麻疹だよ。

ほんとう、きちがいおやじ。きちがいおやじ。

きちがいが怒り狂っている状態というのがほかの人にはわからない。そして、そのきちがいが自分の父親だという人間の、気持ちは、そうじゃない人間にはわからない。幼児期を含んだ子供のころのことなんてどうでもいいなんて言えるわけがないだろ。これ「きちがいおやじ」にやられなかったやつらの考えなんだよ。これ「きちがいおやじ」にやられなかったやつらの理屈なんだよ。そして、これ「きちがいおやじ」にやられなかったやつらのほうが圧倒的に数が多い。圧倒的な多数派だ。圧倒的な多数者は、圧倒的な多数者の「感覚」を支持する。圧倒的な多数者は、圧倒的な多数者が言っていることが正しいと思ってしまう。

「きちがいおやじ」と「普通のおやじ」はちがう生き物なんだよ。普通の親でも、もちろん、機嫌が悪いことはある。じゃあ、きちがいおやじが怒っているのと、普通の親が怒っているのはおなじかというとそうじゃないんだよ。交流があれば、それは、学習される。事実だからな。誰にとっての事実かということだよ。きちがいおやじとの交流がない人にとってみれば、そういう交流は自分の歴史において事実じゃないんだよ。これが重要。これがわかってない。きちがいおやじにやられてない人にとってみれば、きちがいおやじにやられた人が、気にすることというのは、無意味なことなんだよ。そして、現実的ではないことなんだよ。けど、きちがいおやじにやられた人間にしてみれば、現実的なんだよ。

これが、どこまでも、平行線なんだよな。

「こだわる必要はない」という言い方をするやつは、まったくなにもわかってない。わかってないということも、わかってないだろう。認知療法家のレベルはそういうレベルだ。認知療法の理論はそういうレベルだ。

 

2021年3月25日木曜日

ヘビメタ騒音の影響を無視する他人が、ほんとうに、きらいだ。

ほんとうにつかれた。思っていることはおなじだ。考えていることはおなじだ。ヘビメタ騒音の影響を無視する他人が、ほんとうに、きらいだ。 


なにをやっているときも「不利」なのである。なにをゃっているときも、きちがい兄貴に足を引っ張られる。普通の人が普通に要求することは決まっている。そして、まさしく、そこのところに穴があく。ヘビメタ騒音でどうしてもできないという「穴」があく。そうなれば、ヨソの人は「ちゃんとやってくれ」と言う。きちがいヘビメタにやられるとすべてがきつくなる。きちがいヘビメタにやられてない人は、ヘビメタ騒音の影響がわからない。ヘビメタ騒音の影響について考え違いをする。「鳴ってたってできる」「おれだったらできる」と思ってしまう。自動的に思ってしまう。そして、そういう前提でものを言ってくる。これがどれだけ屈辱的なことか、きちがいヘビメタに毎日やられてない人はわからない。

2021年3月23日火曜日

ヘビメタ騒音で人生がない。これは、俺以外の人にはわからない


ヘビメタ騒音で人生がない。これは、俺以外の人にはわからない。けっきょく、ダイヤのようになってしまうのだから、理解もくそもない。ほんとうに、やられないとどういう影響があるのかわからない。どういう影響が残り続けるのかわからない。俺だってヘビメタ騒音のなかで「まけないように」やってきた。「気にしないように」してきた。「やられてしまったものは、あきらめて、希望をもって生きよう」と思って努力していた時期があった。ぜんぜんちがうんだよな。ダイヤも含めて、佐藤とかそういう人たちが思っているヘビメタ騒音の影響と、ヘビメタ騒音の影響がちがいすぎる。毎日14年間続いたと言っても、その話を聞いた人のなかでは、ほんの一瞬のことだ。そりゃ、実際には、きちがいヘビメタを聞いた時間はゼロだし、そういうことがあったんだなと思った時間は短い。「それでも」と言いたくなるだろう。他人事だから。実際に経験してないから。
 

「思い直してがんばる」ということを、俺がどれだけやってきたか、俺の話を聞いた人は、わからない。 鳴っているなかで、そう思って暮らしてきた……。それが、どれだけ毎日つらいことか、至近距離でやられてない人にはわからない。わからないものはわからない。どうしたって、自分の「なまはんかな」騒音経験から、きちがい兄貴の騒音を推し量ってしまう。俺だって、でかい幼稚園の隣に住んでいるわけだし、普通の騒音の規模はわかっている。そういう騒音じゃないんだよね。たとえば、すぐ横の敷地で、幼稚園の園舎を建て替える工事をしているとする。当然、うるさい。けど、ちがうんだよね。ちがうものはちがう。

で、それは、俺の「気分の問題」じゃないから。きちがいヘビメタは、工事の音とは、質的にちがう。たとえ、7メートルの空間でも、ぜんぜんちがう。ぜんぜん、ちがうということがわからない。ほかの人にはわからない。

ほかの人にしてみれば、「どうしてそんなにこだわっているか?」と思うようなことだ。これは、俺には絶望だ。これ、小学六年生のときから、そうなんだよ。鳴り始めた、小学六年生のときからそうだ。 


ほんとうに、ちがいすぎる。ほかの人にわからない。だいたい、ほかの人はきちがいおやじのことが、わからない。そして、きちがいおやじのコピーであるきちがい兄貴のこともわからない。これ、感覚の差なんだよな。さらに、実際にヘビメタ騒音を至近距離で、あれだけ長い時間、あれだけ長い期間、あれだけでかい音で鳴らされことがないので、「毎日ずっと、何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も何時間も鳴らされ続ける」ということが、体の感覚としてわからない。からだの感覚としてわからないなら、俺の言っていることはわからない。その人たちにとってみれば、俺が「やる気になれば」簡単に解決できるような問題なのである。なり終わったあとなら、なおさら、そのように考えるだろう。けど、ちがう。ちがうけど、他者には、わからない。わかるわけがない。けど、一応、俺が説明をすれば、「ヘビメタ騒音のことはわかった」ということになってしまう。けど、ちがう。わかってない。ぜんぜんわかってない。

2021年3月22日月曜日

圧倒的多数者は、やられた人間(圧倒的少数者)の意見を信じることができない。


きちがいヘビメタにやられると、だれもが、だれもが、働けなくなり、だれもが体力がない状態になり、だれもが決まった時間に行動ができなくなるのだけど、それがやられてない人にわからない。だから、やられてしまった人間の認知とやられてない人間の認知に差ができる。この場合、やられてないほうが圧倒的多数なのだけど、圧倒的多数派のなかにいる誰かにとって、信用に値する意見、あるいは、単に信じることができる意見は、他の圧倒的多数者の意見だということになる。圧倒的多数者は、やられた人間(圧倒的少数者)の意見を信じることができない。

体験的にわかってない。実際、圧倒的多数者……そういう人たちの家族は、うちのきちがい兄貴や、うちのきちがいおやじのような人ではないのである。そういう人たち……にとってみれば、俺の話は「どこかおかしい」と思えることなのである。おかしいのはエイリさんで、エイリさんが「うそを言っている」と思ってしまうのである。かりに、「うそを言ってる」と「決めつけることができない」にしろ、「うそを言っているのではないか」というような疑念が残る。そうなると、その人のなかでは、エイリさんが、お父さんやお兄さんの悪口を言っているということになってしまうのである。あるいは、その人のなかでは、へんなのはエイリさんで、お兄さんやお父さんはへんではないということになってしまうのである。こういう、誤解が成り立つ。

 

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2021年3月21日日曜日

二等兵には権利がない。

 殺人的につまんないな。

この人生、なんだよ??

どれだけやっても、ヘビメタ騒音で足を引っ張られる。ほかの人にはないヘビメタ騒音で足を引っ張られる。ほかの人は、「ない」からわからない。体験の範囲にないから、わからない。わからないだけなのに、まるで、自分が俺より優れているから「そうなってない」と思っている。それから、まるで、自分のほうが俺よりも、騒音耐性があるから「そんなにふうになるわけがない」「どうにかなるはずだ」と思っている。こいつら、たまたま、運がよくて、『きちがい兄貴』がいなかっただけなのに……。こいつら、たまたま、運がよくて、きちがい兄貴が、きちがい的なこだわりで、きちがい的にでかい音でヘビメタを鳴らさなかっただけなのに……。まるで、自分の能力だと思っている。自分のほうが、その能力がある分、俺より、優れていると思っている。

どれだけのハンディになるか? 身をもって経験してないからわからない。これ、こんな人生ない。こんな、人生ない。

明治以降、一部の恵まれた人を除いて、一般人は、「学校システムのなかの競争」に参加している。そして、ひとたび、組織に所属すくるとなると、そこには、上下関係がある。上下関係というのは、なにも役職の上下関係ではない。先輩なら、先輩だ。先輩のほうが後輩より、上なのである。また、試験システムによって、ランクわけがされる。言ってみれば、二等兵か、将校かが決まってしまう。二等兵になったら、だめなのである。二等兵には権利がない。最初から、将校で始めることができるように、ゲームを進めなければ、どれだけやってもうかばれないということになる。まあ、抜け道はあるけど、その抜け道というのは、詐欺の道だ。あるいは、それに類似したことをする抜け道だ。ともかく、一部の例外はあるけど、大半は、学校のシステムによって選抜、分別される。労働者になる一般人には、なんとかして、学校のシステムを駆け上がるしかない。まあ、落ちるのは楽だ。落ちるのは楽なんだよ。上がるのは、学校システムを使うか抜け道を使うかしかない。まあ、どういう場合でも、落ちるのは楽なんだよ。上がるのは、たいへんだ。一度、一般人のレールから外れたら、もう、その時点でたいへんなハンディを背負うことになる。けど、公平な競争の結果そうなったのだから、それは問題がないことだとされる。きちがいヘビメタというハンディを背負ってしまったら、どれだけ努力しても、二等兵にすらなれないという状態になる。けど、他人には、きちがいヘビメタ……お兄さんのヘビメタ騒音がそんなにすごいハンディになるとは思えない。ヘビメタ騒音の影響を無視してしまう。実際、そいつらにとっては……「なかった人」にとっては、想像するしかないことであって、想像力がないと、想像することができないので、自動的に、「ヘビメタの総量」が無視されてしまう。こっちの時間、こっちの努力、そういうものが無視されてしまう。そうなると、相手には、ぼくが「二等兵にすらなれない、ばかなやつだ」ということになる。佐藤らの一般人の反応というのは、そういう意識がベースになっている。

 

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2021年3月19日金曜日

常識的な人が、次々に、「敵として」あらわれる。かつての理解者が、次々に、「敵」になる

佐藤やユウキのような常識的な人が、ことのごとく、ごく普通に、誤解をする。まあ、「うちの」おやじのことも「うちの」兄貴のこともわかりにくいとは思うけど、それにしても、ひどい。ひどいじゃないか。こんな、ハンディはない。常識的な人が、次々に、「敵として」あらわれる。かつての理解者が、次々に、「敵」になる。どうしてかというと、長すぎるんだよ。きちがい兄貴が14年間もやらなかったら、こんなことになってない。そりゃ、ダイヤだって、13年目あたりには「いいかげん」と言い出すわけだし……。けど、俺はあのころ、頂点にいた。疲労の頂点にいた。それに、片付いた問題じゃなかった。たしかに、やなぎ荘には出ていたけど(アパートを借りていたけど)家に帰れば、鳴っていた。風呂に入っているあいだずっと鳴らされた。屈辱だ。飯代を減らすために、うちでご飯を食べていたのけど、ご飯を食べていたときも、小学生時代とおなじように、中学生時代とおなじように、高校生時代とおなじように、浪人生時代とおなじように、ものすっっっっごい音で、きちがいヘビメタが鳴っていた。あのヘビメタ騒音のなかで「たべるめし」が、どういうものだかわかるのか? ふざけるな。あの時点でも、おわった問題じゃないんだよ。  



2021年3月18日木曜日

溝、溝、溝。

 ほんとう、こんなこと、しているあいだに、人生、おわっちゃうよ。俺のなかみは、きちがい兄貴のきちがいヘビメタ騒音がはじまったころから、なんも、かわってない。かわってないのだ。ずっと、くるしいままだ。

 部活の仲間から誤解を受けたときから、佐藤みたいな常識的な人から誤解を受けたときまで、まったくなにもかわってない。ことの、本質がかわってない。

*     *     *

あと、ドストエフスキーについて書いた文章を探しているのだけど、まったくみつからない。あとは、つぼや杯について書いた文章も見つからない。自分がドストエフスキーについて書いた文章はなんとかして、見つけたい。もう、書けない。もう、書けない。

*     *     *

あと、ぼくは1980年代には、現在にいたる二極分化を予言していた。ちゃんと書いていた。あとは、あのころ書いた教育関係の文章も見つからないので見つけたいと思う。

だいたい、もう、書けないんだよ。もう、書けない。

*     *     *

なかみがかわらないなら、書けると思うかもしれないけど、書けない。いや、どうなのかな? つまり、わるい意味で、憂鬱や疲労が続いているのから、その部分はかわりがないのだけど、わるい意味で、情熱がなくなり、書けなくなった。

ほんとうに、ぼろぼろなんだよな。きちがいヘビメタ騒音のなかで、腹を立てて困っている状態というのが、ほかの人にはわからないんだよな。これがどれだけ、ながい時間続いたか? 強制的に続いたか? そして、静かになってからの憂鬱がひどい。疲労がひどい。けっきょく、ほんとうに、ほかの人は経験してないからわからない。そして、俺に不適切な助言をする。で、ぼくは、その人がきらいになる。この一連の流れも、他人が理解できないような音で、他人が理解できないようなしつこさで、他人が理解できないような態度で、きちがい兄貴が、きちがいヘビメタを弾かなかったら、きちがいヘビメタを聞かなかったら、なかった。だって、ダイヤとの喧嘩?だって、元をたどれば、ヘビメタ騒音の認知に関する闘争だ。おれは、認めるわけにいかないんだよ。相手が言うように、影響を無視して、行動をするということができない。それは、どうしてもできない。どれだけの溝があるか?

溝、溝、溝。

 

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「生活できるなら、別にかまわない」 「はぁ~~?? なに言ってんだ?? おまえぇ!!」

 「生活できるなら、別にかまわない」

「はぁ~~?? なに言ってんだ?? おまえぇ!!」

「生活できるなら、別にかまわない」「なにも言うことはない」……こいつら、まるまる。こいつら、まる。こいつら、まる。 

ヘビメタ騒音で働けないと言っているだろ。もちろん、そのときは、通勤しないと働けない状態だった。ヘビメタ騒音で働けないと言っているだろ。言っただろ。「生活できるかどうか」なんて、ヘビメタ騒音の問題にくらべれば、小さな問題なんだよ。「生活できるかどうか」なんて、ヘビメタ騒音問題のなかの、部分的な問題なんだよ。ヘビメタ騒音問題のあらわれなんだよ。こいつら、なにもわかってないのな。ヘビメタ騒音で仕事ができなくなった。通勤して働くことができなくなった。通学もできなくなったと言っているだろ。言っただろ。

こいつら、やっぱり、説明を受けたあとも、俺がちょっと本気を出せば、あるいは、やる気を出せば、働けると思っているんだよな。説明というのは、ヘビメタの説明。働けるというのは、通勤して働けるという意味。どれだけ、ヘビメタ騒音の影響を過小評価すれば気が済むんだ。そういう問題じゃないと言っているだろ。どれだけ、やる気を出しても、働けない状態になっているということを言っているんだよ。ヘビメタ「で」そういう状態になったということを言っているんだよ。 ちょっと、反省してやる気を出せば働けると思っている。

反省してというのは、働かないでいいという考えはまちがっているので、そういうことを認識して、反省して……という意味だ。こいつらの考えはそうなんだよ。まったくなにもわかってないんだよな。最初からヘビメタ騒音「で」働けなくなったと言っているだろ。最初から、ヘビメタ騒音「で」通勤できなくなったと言っているだろう。なにを聞いているんだ? こいつらの、こういう認知、頭にくる。頭にくる。頭にくる。

こいつら、くそ。こいつら、くそ。

ヘビメタ騒音の問題のほうが大きいということがわからないのか。切迫感がわからないのが。問題のでかさについて、誤認がある。こいつら、ばかだから、まったくわかってないのな。ヘビメタ騒音について説明したのに、こいつらときたら、まったくわかってない。仕事ができなくなったというのは、ヘビメタ騒音問題の一部なんだよ。ヘビメタ騒音問題のほうがずっとずっとずっとずっとでかいんだよ。こいつら、ほんとう、なにもわかってないのな。 

「生活できるかどうか」なんて、ヘビメタ騒音の問題にくらべれば、小さな問題だ……そういうことなんだよ。そういうことを11歳のときから突き付けられているんだよ。ヘビメタ騒音が鳴っているということはそういうことだ。ヘビメタ騒音生活をしているということは、そういうことが、どんどんつみかさなる生活だ。もう、最初から、「キレてる」んだよ。むりなんだよ。

この「むりさ」が、実際にやられてないやつらにはわからない。

どれだけ、きりきり舞いの、ぎちぎちの、ぎちゃぎちゃの生活をしていたかわかってない。発狂的な努力をしても、どんどん、穴があいていく状態だ。そういう切迫感がわかってない。最大限の努力をしているのに失敗ばかり、トラブルばかりという状態に、なる。これは、どーーしても、なるんだよ。発達障害の注意欠陥なんかよりもずっと、ひどい状態なんだよ。ヘビメタ騒音をやられる続ける毎日というのは、そういうことなんだよ。

ぼくの、もともとの、障害じゃないのに、発達障害よりもひどい障害がしょうじる。そして、ほかのやつらは、俺がヘビメタ騒音が原因でこうなっていると言っても、ヘビメタ騒音の影響を過小評価する。きちがい兄貴の性格について誤認をする。きちがい兄貴の構造的な認知システムについて、誤解をする。「そんなのは、家族で話し合えばいい」「そんなのは、お兄さんに言えばいい」……それで、かたづいことにしてしまう。かたづかないと言っているのに、こいつらは……。こいつらは……。ほんとう、凡人はおなじ。おなじ反応。

冒頭の 「生活できるなら、別にかまわない」と言ったやつのヘビメタ騒音に関する認識と、「そんなのは、お兄さんに言えばいい」と言ったやつのヘビメタ騒音に関する認識は、おなじ。そういうレベルの問題なんだよ。こいつらにとっては。いーじな問題なんだよ。お兄さんに言えば解決するようなイージーな問題なんだよ。もし、鳴ってたとしても、そんなには影響をあたえない問題なんだよ。「そんなのは、エイリさんがちょっと本気を出せばいい」「そんなのは、エイリさんが不真面目だからダメなんだ。エイリさんがまじめになればいい」……こういう認識なんだよ。

 

こいつら、まるまる。こいつら、まるまるまる。 

 

インターネットが発達して、通勤しなくても仕事ができて、生活できたとしても、問題があるに決まっているだろ。こいつら、なにもわかってないな。想像力の欠如。ヘビメタ騒音の影響を無視。こいつら、なにもわかってないな。いまだって、くるしいんだよ。


 

2021年3月16日火曜日

ヘビメタ騒音生活というのが、脳みそを焼き切るような生活なのである

 ヘビメタ騒音生活というのが、脳みそを焼き切るような生活なのである。

どれだけがんばっても、きちがいヘビメタの影響でトラブルがしょうじる。

どれだけがんばっても、きちがいヘビメタに足を引っ張られて、なんの成果もない。むしろ、マイナス。激しくマイナス。常に、ヘビメタ騒音の「災害」がつみかさなる。常に、「災害対処」でめちゃくちゃになる。どうして、めちゃくちゃになるかというと、ヘビメタ騒音が……元の原因であるヘビメタ騒音が鳴っているなかで、「災害対処」をしなければならなくなるからだ。このときの、気分はない。こういう気分を味わったことがないやつに、えらそうなことを言われる筋合いはない。けど、「えらそうなこと言われる」立場に追い込まれていく。まさしく、それも、「つみかさなる」。

どれだけか!!どれだけか!!どれだけか!!

脳みそが焼かれ、からだが焼かれているような状態で、そういう状態じゃないやつから、えらそうなことをいわれる人生。……そういう人生にどうしてもなってしまう。

2021年3月15日月曜日

ほかの人は、ヘビメタ騒音は関係がないと考えるので、もともと、そうなんだと考える

 他人は、ヘビメタ騒音がぼくにどれだけの影響をあたえたか、わからない。

どうしてかというと、他人だからだ。別の個体だからだ。実際に経験してないからだ。

他人の頭のなかにあるヘビメタ騒音というのは、ぼくの話を聞いて「想像しただけ」のヘビメタ騒音だ。実際はちがう。時間というのがある。一日のなかで鳴らされた時間と、一日のなかで鳴らされたあとの時間。どれだけ、鳴らされたあとの時間が、「一日中鳴らさなかった場合」の静かな時間と違いがあるか、ほかの人には、わからない。経験がないからだ。一生のなかで、鳴らされた時間と、一生のなかで、鳴らされたあとの時間。ほかの人には、一生のなかで、鳴らされたあとの時間が、どういう時間なのかわからない。もっともこれは、普通なら、時間ではなくて、期間というべきだ。一生のなかでという場合は、期間というべきなのだけど、あえて、期間とは言わない。この場合は、あえて、時間と言いたい。ほかの人には、わからないから、鳴り終わったあとの時間は、鳴り終わっているのだから、関係がないと思うだろう。けど、関係があるのだ。しかし、ほかの人にはわからない。そうなると、ほかの人は、自動的にぼくをみくびるようになる。下に見る。軽蔑する。そうならざるをえない。どうしてかというと、ヘビメタ騒音で生じた体の症状が、すべて、「ダメ人間問題」にかかわることだからだ。引きこもり、無職・無職歴、遅刻・遅刻歴、学歴、睡眠障害、疲労・虚弱、ネガティブ、うつ病、不活性、無感情。体の症状と書いたけど、もちろん、「臓器としての脳」を含む。脳を含めて、ヘビメタ騒音でこれらの症状がしょうじているのに、ほかの人は、ヘビメタ騒音は関係がないと考えるので、もともと、そうなんだと考える。こいつらは、自動的に俺を見下している。しかも、その自覚がない。そいつらにとっては、「ヘビメタ騒音なんて関係がない」からだ。ゆるせるか? こんな現実がゆるせるか。きちがい家族が横の部屋で、ヘビメタをものすごくでかい音で鳴らすと、あかの他人から、ぼくが下に見られるのだ。関係性はある。しかし、あか他人からすれば、関係性はないのである。その他人は、ヘビメタ騒音生活を11歳のときから25歳まで、つづけた経験がない。学歴や無職歴や遅刻歴にどういう影響をあたえるか、わかってない。自分のこととしてわかってなければ、まったくわかってないのとおなじだ。だから、不適切なアドバイスを、してしまう。しかも、ヘビメタ騒音の「実際」がわからなければ、自分が不適切なアドバイスをしたということも、わからないのだ。完全にわからないようになっている。自分は適切なアドバイスをしたと思っているだろう。「あたりまえのことをやったにすぎない」と思ってるだろう。これが、どれだけ人をばかにしているか、わかってない。

 

*     *     *

なんで俺だけ、きちがい兄貴にやられて、二等兵にならなければならないのか? なんで俺だけ、きちがい兄貴にやられて、人間魚雷にならなければならないのか?

それで、あたりまえ?

ふざけるな! ゆるせない!!

俺ができないと言っているだろ!!

俺ができないと言ったら、できないんだよ!!

*     *     *

世間?

世間は行ってくるのさ。

それであたりまえだってな。

あたりまえだ!あたりまえだ!!あたりまえだ!!

甘えんな!!甘えんな!!甘えんな!!

けど、そういうふうに言っているやつらは、ヘビメタ騒音を経験してない。条件がぜんぜんちがう。ハンディがぜんぜんちがう。どれだけのハンディになるか、まったくわかってないやつらだ。侮辱するな! 侮辱なんだよ。侮辱するな!


2021年3月14日日曜日

「世の中くそ」

 ある人のブログを読んでいるのだけど、「世の中くそ」だと思う。ブログの本文ではなくて、コメント欄に書いてあることを読んで「ほんとうに、世の中くそだな」と思ってしまう。どーしても、そう思うようなコメントがいくつもある。まあ、まともなコメントもあるけどね。

それにしても

「人間っていやだな」と思ってしまう。

自分のいろいろな記憶も、その感想を支持している。人間関係でいろいろないやなことがあった。 ほんとうに、世の中くそ。もちろん、「世の中くそ」じゃない部分もあると思う。いい人もいると思う。けど、そうじゃない部分が小さい。

いい人が、少ないんだよな。わるい人のほうが多い。圧倒的に多い。圧倒的多数が、わるい人だ。

そして、人間の構造からくる認知のゆがみがある。この認知のゆがみは、俺も持っている。ほかの部分に関してだけど……。

人間の構造からくる認知のゆがみなのだから仕方がない。

けど、認知のゆがみがあると認知している部分は『正確』なのかというと、そうは言えないわけだ。(以降、繰り返し)。だから、認知のゆがみというのは、カッコつきの認知のゆがみだ。人間というのは、構造的な認知のゆがみを持っていると、仮定するしかない。これは、「現実」と「現実の認知」の関係とおなじだ。現実の認知の影響を受けない、確固たる現実はないと、言えるのだけど、それも、カッコつきだ。以降、繰り返し。

 

2021年3月13日土曜日

 つまんない。

寝るとするかな。

あのとき、ああするじゃなかった。なんか、あのときは、怒りのスイッチが入ったんだよな。ともかく、きちがいヘビメタ騒音以降、いいことがない。どうしてかというと、圧力をいつも感じているからだ。普通の状態じゃない。つねに、きちがい兄貴の態度が、俺の行動に影響をあたえる。あの行動と態度がゆるされるなら、なんだってゆるされる。

 

2021年3月12日金曜日

的外れだ!的外れだ!的外れだ!的外れだ!的外れだ!


ヘビメタ騒音にやられると、他人というのが、いやになる。これは、必然なのだけど、他人にはわからない。やられてない他人にとっては、ヘビメタ騒音はゼロなので、どーしても、実際にやられている状態を想像できない。想像しても、その想像が、実際の状態とはかけ離れたものになる。また、その想像が、実際の状態とはかけ離れたものになるということが、わからない。実際にやられて、こまったことがない人がかりそめに想像するヘビメタ騒音なんて、まったく意味がない。ぜんぜん違う。ぜんぜんちがうけど、実際に経験がない人には、ぜんぜんちがうということ自体がわからない。繰り返しになるけど、「話を聞いて」想像したヘビメタ騒音と、実際に鳴っているヘビメタ騒音がちがいすぎる。しかも、鳴っている時間の長さがわからない。知識として、10時間鳴っていたとか、13時間鳴っていたと言っても、やっぱり、実際に、10時間、13時間鳴っている状態を経験しないと、鳴りはじめて、1時間目の体の状態と、10時間目の体の状態と13時間目の体の状態がわからない。さらに、「あしたも、期末テストがある」という状態で、それをやられた場合の精神状態がわかない。どれだけ言っても、きちがい的な形相で無視してやり切る「家族」がいるということが、どういう意味を持っているのかわからない。経験的に、きちがい的な他者と一緒に住んでいるということがわかってない人には、まったくわからない。「そんなのは、お兄さんに静かにしてって言えばいいだろ」ということなのだ。そんなの、一日に何十回も言っている。何万回も、何十万回も言っている。言っても、きちがい的な形相で無視して鳴らすから問題があるんだろ。そして、本人は、まったくつもりがないのだから、こまるんだろ。ほんとうに「つもりがない」という状態について、普通の人はわからない。これも、説明されてもわからないし、実際にそういう人間に困らされたことがないからわからない。そして、仮にそういう人間が、職場にいたとしても、それは、職場にいるだけで、家族として一緒に住んでいるわけじゃないのだから、わからない。家族として一緒に住んでいる場合、どういうことが起こるかわかってない。状態がわからない。状態がわからないので、「言えばいい」というような的外れなことを言う。的外れと書いたけど、「認知療法家が言うことは」相当に的外れだ。そして、精神世界の人たちが言うことも、相当に的外れだ。アドラーが言うことも相当に的外れだ。的外れだ!的外れだ!的外れだ!的外れだ!的外れだ! どれだけ的が外れているかわかってない。

それと、幼稚園が出す「普通の騒音」と「ヘビメタ騒音」はちがうから……。これも、言葉で言っても通じないことのひとつだ。もちろん、俺にとってはということもあるかもしれないけど、音の大きさがちがう。距離がちがう。距離がちがうんだよ。

2021年3月11日木曜日

貧乏という言葉……とくに子供時代について語る場合について

 濃いお茶を飲んでいるのだけど、コーヒーが飲みたいな。あの腹痛の日から一杯も飲んでない。飲めばまた、腹がいたくなる予感があるが……。そして、一杯飲めば、次の日も「大丈夫だろう」と思って一杯、飲んでしまうかもしれないけど……。これ、一日に一杯ぐらいなら、飲めるようにしておいてほしかったな。もう、だめみたいなんだよな。

あとは、貧乏云々に書いておくと、貧乏ということばの感覚が人によってちがうんだよね。たとえば、「子供のころ貧乏だった」とAさんとBさんが言っても、貧乏さの度合いがまるで違うことがあるかもしれない。ようするに、Aさんにとっての「貧乏」のイメージとBさんにとっての「貧乏」のイメージがちがう場合がある。もちろん、だいたいの範囲で一致していることもある。けど、ちがう場合もあるのだから、ちがう場合を考えないというのは、態度としておかしい。

もう一つは、親の「金に対する態度」の問題がある。たとえば、Aさんの親が月に手取り13万円で、Bさんの親も月に手取り13万円だったとする。そのような場合でも、Aさんの親が、きちがい的な意味で、金に執着するなら、そして、Bさんの親がきちがい的な意味で金に執着しないなら、月給が同じでも、子供が持つ気持ちにちがいがしょうじることがある。こっちのほうがでかいと思うけど。人それぞれに金に対する態度がちがうから、「親」であるAさんの親と、「親」であるBさんの親で金に対する態度がちがう場合が考えられる。

また、子供にどのくらい金を使うつもりでいるかということも大きなちがいになるだろう。子供に一切合切金を使いたくない気持ちがある人が親である場合……とくに、無意識的なレベルで子供に一切合切金を使いたくない気持ちがある人が親である場合は……たとえ、月に手取りで17万円稼いでいたとしても、子供は「自分のものを買ってもらえなかった」という意味で、「貧乏」だと感じるだろう。この親を持つ子供がCさんだとする。

BさんとCさんを比べると、親の年収は、Bさんのほうが高い。にもかかわらず、Bさんの親が普通の親で、貧乏?低所得ながらも、子供の気持ちをくんで、可能なものはなるべく買ってやったということがあるとすると、Bさんの家のほうが貧乏だから、Bさんのほうが貧乏だとは、言えなくなる。 けど、所得はCさんの親のほうがBさんの親よりもあるので、Cさんは、Bさんよりは貧乏じゃないと言われてしまう。まあ、だれに言われるかというと、Bさんに言われることもあるかもしれないし、まったく関係がない人に言われる場合もある。ようするに、「自分の家」のほうが貧乏だったから、自分のほうが貧乏だとは、かならずしも、言えないということだ。

しかし、子供のころの親の年収についていちいち言及して、貧乏かどうかを語る場合は少ない。おのおのの貧乏エピソードは、貧乏エピソードとしてよくあるエピソードかもしれないけど、私は、Cさんのほうがつらかっただろうなと思ってしまう。

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2021年3月10日水曜日

顔、真っ赤にして、発狂モードでやりやがって……

あのとき、カネがなかった。けど、問題はカネじゃない。きちがいおやじだ。どーーしてあいつは……。なんで、スイッチが入ると、横で「やめてくれ!!!やめてくれ!!!やめてくれ!!!やめてくれ!!!やめてくれ!!!やめてくれ!!!やめてくれ!!!やめてくれ!!!やめてくれ!!!やめてくれ!!!やめてくれ!!!」と絶叫しても、やっちゃうんだろうな。それも、きちがいおやじの頭のなかでは「親切にしてやるつもり」「やってやるつもり」なんだからな。顔、真っ赤にして、発狂モードでやりやがって……。それが、その姿が、きちがい兄貴がへびめたをならしているときに「やめろ」と言われたときと、おなじなんだよな。態度がおなじなんだよな。反応がおなじなんだよ。

これ、ほんとう、きちがいおやじときちがい兄貴の態度がおなじ。行動がおなじ。形相がおなじ。で、きちがいおやじときちがい兄貴以外でこういう状態になっている人を見たことがない。どれだけ、怒ってたってあんなんじゃない。

きちがい兄貴は、親切なことをしてやるつもりでやっているわけじゃないけど、おやじは「こっちのために(自分が)やってやる」という気持ちなんだよ。それだったら、相手が「やめてくれ」とか「これこれこういう理由でやめてくれ」と言ったらやめてくれてもよさそうなものなんだよな。頭がおかしいから、スイッチが入っちゃって、かえることができない。ほんとうに、殺さないとやめさせることができない。そういう状態を発狂して、つきつけてくる。これが、「相手のためにやっていること」なんだからな。

で、きちがいおやじは、もともと、こういう人だからいつもそうなるんだよ。いつもそうなる可能性があるんだよ。これが持つ意味というのが、きちがい家族にたたられた人じゃないわからない。きちがい家族にたたられたことがない人は、「そんなのは、言えばいい」「そんなのは、家族で相談すればいい」と普通に考えてしまう。

ぜんぜん、ちがうのに……。ちがうのに……。

どれだけ、病んでいるか、わかってないな。おやじや兄貴の頭がどれだけへんなぐあいに壊れているかぜんぜんわかってない。これは、構造的そうなっているわけだから、説得してかわるわけじゃないんだよ。あたまがおかしいから、そうなっているの。けど、ほかの人には、きちがいおやじの状態やきちがい兄貴の状態がわからない。いえのなかの「きちがい兄貴の状態やきちがい兄貴の状態」がわからない。これは、根本的にわからない。けど、この場合は、わからないのは、脳みその問題じゃない。けど、おやじと兄貴の場合は、脳みその問題だと思う。ならば、「脳みそのちょっとした癖なのだからゆるせばいい」ということになるかというと、そういうことにはならない。こころを破壊されていいということにはならない。実際、きちがい兄貴は、俺に騒音攻撃をして、俺の人生を破壊している。これが、ゆるせるか? これも、「人のせいにするな」という頭がおかしいことを言う人たちが出てくる。これは、侮辱だぞ。きちがいヘビメタが一日に七時間鳴るだけで、どれだけ困るかわかってない。俺の頭が、どれだけ、こわれてしまうかわかってない。これは、たしかに、なんていうのかな、俺にとって、まずい方向に崩れるのである。ちがいおやじときちがい兄貴はは、なんていうのかな? 自分が得するようにこわれているんだよ。頭がこわれているの。自分のわがままを通すように、頭が壊れているんだよ。これが、ゆるせない。

「頭の癖」とか「人のせいにするな」というようなことを言う人は、まったく、なにもわかってない。ぼくがやられたことの一兆分の一でもやられれば、本人は怒って、一生「あいつはゆるさない」という気持ちになるのに。まるで、俺がやられたことがわかってないな。そして、ほんとうに影響が「いまでも」あるのに、影響を無視する。きちがい兄貴のヘビメタにやられなければ、ほんとうに、こんな体じゃない。きちがい兄貴のヘビメタ騒音で生じた、睡眠障害で悩んでいない。こまっていない。

 

2021年3月9日火曜日

みんな、貧乏時代の不愉快な出来事って、忘れられるの?

 みんな、貧乏時代の不愉快な出来事って、忘れられるの?

みんなって、貧乏な人みんなという意味だけど。

俺は、貧乏時代の不愉快な出来事が、よみがえってくることがあるんだよな。これも、きっかけはある。ほかの人のブログを読んだときとかニュースを読んだときに思い出してしまう。いちおう、関連している記述がある。 けど、(事柄と事柄の類似度に)距離があるんだよな。そして、思い出したときのよみがえりようが、リアルなんだよ。さっき、そういうことが起こったような感じがする。感情としてはそのままよみがえってしまう。

*     *     *

 

きちがい兄貴がしつこすぎる。みんなきちがい兄貴のしつこさがわかってない。

 あいつらのほうが俺にひどいことを言っているのに……。ヘビメタ騒音で睡眠回路を破壊されていると、いろいろなところで誤解を受けるんだよな。二〇時間起きているような状態で、電話に出なければならなくなったり……。相手が気を使って、「かけなおしますか」と聞く場合だって、「それじゃ、深夜の三時にお願いします」とは言えない。言ったら? ことわられる。さらに、「非常識な人だ」と思われるかもしれない。俺の頭が、もやもやしているときに、むずかしいことやひっかけがあることを訊いてくるな。むずかしいことというのは、そこで判断してしまったら、あとあと問題が残るようなことだ。ひっかけがあることというのは、意識状態が低下しているときに訊かれると、ついうっかり、本音を言ってまうようなことろであって、なおかつ、本音が相手のボスにとって都合が悪いことだ。

ともかく、「ヘビメタ騒音で睡眠障害になった」と理由を言っても、相手は、わからないだろう。ヘビメタ騒音のすさまじさを知らない。きちがい兄貴のこだわりを知らない。きちがい兄貴の無視の度合いを知らない。ほんとうに、きちがいじゃなきゃああいうこだわりで、鳴らせない。しつこすぎる。みんな、俺が、ヘビメタ騒音にこだわっているような感想を持つかもしれないけど、ヘビメタ騒音にこだわって、ずっと鳴らしていたのは、きちがい兄貴だ。しつこさが想像できなくて、一四年間毎日という、期間の長さが与える影響のでかさが、自分こととしてわからない。わかるわけがない。かならず、佐藤のように誤解する。

それから、こういうことで困ってない人にはわからないかもしれないけど、ながい間やられて長い間困っている人は、いろいろなところで、不愉快なことに遭遇しやすい。適切な言葉がないけど、本来なら、かかわらなくてもいい人に、かかわる確率が高くなる。きちがいヘビメタをやられずに、普通の体力があり、普通の生活力がある状態なら、つきあわなくていい人と、遭遇する場合がある。なんていうのかな、きちがいヘビメタによって、普通の生活体力を奪われ就職できない状態だと、もしも、ヘビメタ騒音がなくて普通に生活しているならば、遭遇しなかったタイプの落とし穴にはまる可能性が高くなる。

 どれだけ生活が破壊されるかわかってない。毎日のヘビメタ騒音で、どれだけ、こっちの生活が破壊されるか、みんなわかってない。みんなわかってない。わかってないところで、ものを言う。

これ、ほんとうに、きちがいおやじの頭がおかしいから、はんだごてのことで兄貴が学校でばかにされるということと、おなじなんだよな。きちがい兄貴の頭と、きちがいおやじの頭が同じ。きちがい兄貴のこだわりときちがいおやじのこだわりが同じ。きちがい兄貴の頑固さと、きちがいおやじの頑固さが同じ。こだわりや、頑固さが、ほかの人にはわからない。「きちがい的なこだわり」だから「きちがい的なこだわりを持った家族」がいないひとにはわからない。根本からわからない。同じ家で生活してないとわからない。「よそ」で、「きちがい的なこだわりを持った人と」であったということと、「きちがい的なこだわりを持った人と一緒の家でくらしている」ということのちがいがわからない。根本からわからない。根本からわからない人が、人の話を聞いて想像した場合、想像して思い浮かべることと、家のなかでの現実が、大きく乖離してしまう。「理解した」と「経験してわかる」ということが、ぜんぜんちがう。 


2021年3月8日月曜日

意志の問題ではないのに、意志の問題だとされてしまう(他人は、意志の問題だと想定してものを言ってくる)

 ヘビメタが四六時中、鳴っていると、どれだけ足を引っ張られるか? ほかの人はまったくわかってないんだよ。それは、きちがいヘビメタが鳴り始めた小学六年生のときから、かわってない。俺が小学六年生のころから、他人は、このことがわかってない。

これでは、ぼくが、ヘビメタのことを他人に説明しても、しなくても、おなじだ。そして、他人は、「ヘビメタのことを他人に説明しても、しなくても、「おなじだ」ということも、まったくわからない。わからないんだよね。

自分の人生なのかで発生したことじゃないから。

自分の生活のなかで発生したことじゃないから。

そして、きちがい家族がいる状態で、生活したことがないから、どれだけ、足を引っ張られるかわからない。そして、他人が理解しないうちに……たとえば、勉強ができないということがつみかさなる。これは、勉強する時間がないから、勉強する時間がある場合よりも、学業成績が下がるということなのだけど、こういうことの「意味」がわからない。きちがいヘビメタのなかで、どうしても、勉強ができないということが、体験をとおしてわかってない。

そして、きちがい兄貴に「静かにしろ」と言ったときの、きちがい兄貴側の態度やきちがい兄貴側の認識が……他人にはわからない。きちがい兄貴は、きちがいおやじとおなじで、無意識的に自分がやりたいことがあれば、感覚器をだまして、やってしまうところがある。

しかも、「つもりがない」のだ。

発狂的な意地で、感覚器をだまして、やったことは、すべて、やってないことになってしまうのである。

きちがい的な意地でやったことと、実際にやってないことは、感覚的には、おなじなのである。もちろん、毎日、そういうふうにしているということが、本人には、わかってない。常にやっているのだけど、つねに、「つもりがない」わけだから、どれだけ、長くやってもわからない。

きちがい兄貴は、もう、自動的に、家に帰ってきたら、ヘビメタを……鳴らせる最大限の音で鳴らす……ということに「なっていた」。もう、自動的にそうなるのである。どんなこまかい時間も、惜しんで、きちがいヘビメタを鳴らしきるのである。

この生活!!

やられているほうのこの生活!!!

この生活の意味がわかってない。どれだけ、足を引っ張られるか、他人にはわからない。すべての時間鳴らしていたと言うと……たとえば、きちがい兄貴が風呂に入っている時間は鳴らしてないという意味で、『すべての時間ではない』ということが成り立つ。

なので、『すべて』という言い方はイ・ラショナルだということが言える。しかし、本人が風呂に入っている時間、本人が家にいない時間、本人が眠っている時間、本人が一階の部屋でご飯を食べている時間を、のぞいて、すべての時間、ヘビメタが鳴っているということ意味は、そういう言い方では、払拭できないのだ。

ようするに、「すべての時間ではない」にしろ本人が起きて活動している「ほとんどすべての時間」鳴っていたということは、「すべての時間ではない」にしろ、重要なことだ。

こっちが活動している時間……こっちが家で起きている時間のほとんどすべての時間がヘビメタ騒音におおわれてしまうのだから、こっちの悩みは、「すべての時間」ではなくて「ほとんどすべての時間」と言っても、かわりがない。

「すべての時間」ではないということを指摘すれば、ヘビメタ騒音の問題が小さくなるかというとそうではないのだ。「すべての時間」ではないということを指摘すれば、俺の側の現実がかわるかというとかわらない。

やはり、俺の生活全部がヘビメタ騒音でおおわれていることにかわりがない。家で起きているあいだの、ほとんどすべての時間鳴らされたことで、こっちがこまるということの実態は、なにもかわらないのだ。しかし、まあ、正確さを重んじて「すべての時間」ではなくて「きちがい兄貴がいにいて、起きている時間のなかの、ほとんどすべての時間」と言い換えるけど、、そういう言い換えをしたとしても、実態はかわらない。

そして、「きちがい兄貴が家にいて、起きている時間のなかの、ほとんどすべての時間」ヘビメタが、めちゃくちゃにでかい音で鳴っていたとすると、「きちがい兄貴がいにいて、起きている時間」以外の時間にも影響をあたえる。これも、他人が、無視してしまうところなのだけど、影響をあたえる。影響をあたえる。影響をあたえる。

この影響のでかさが、ほんとうに他人にはわからない。本来眠るはずの時間として考えられる午後一一時から次の日の午前七時までの時間に、発狂的な影響をあたえる。こういうことも、毎日つみかさなれば、脳みそが(固定的な状態として)影響を受けるということが……ほかの人には経験的にわかってない。

はっきりいえば、繰り返しの刺激によって、脳みそに障害がしょうじる。こまった状態が……うまく働かない状態が「固定化」されてしまう。

こういうことは、普通は、「意志の問題」だと想定される問題だ。

たとえば、「朝、起きることができない」というのは、「意志の問題」なのである。けど、ぼくは、一〇年以上ヘビメタを毎日鳴らされたわけで、一〇年以上毎日ヘビメタを鳴らされてない人間とは、状態がことなるのである。そもそも、状態がことなる。基本的には、ヘビメタ騒音問題というのは、「ダメ人間問題」で「意志の問題」だと、普通の人間には、認識される。これも、こちら側の感情を逆なですることなのである。


2021年3月6日土曜日

「運」「才能」「努力」「環境」

 

 午後3時ぐらいに、一度起きて、パンを食べた。これは、食パンだな。で、また、眠った。で、起きて、またパンを食べた。これは、食パンだな。

あーー。そういえば、たくあんも食べた。食パンに乗せて食べたわけじゃない。食パンを食べたあとに、たくあんを食べた。あーー。

人は、環境か才能かというのは、教育学のなかで、さんざん議論されていることなのだ。一般的には、これに、「運」や「努力」ということがつけくわわる。努力をすることができるというのが、才能のひとつなのかどうかということはけっこう重要だ。これは、才能なのか、それとも、才能とは別の要素なのか? 

基本的には、別の要素として考えるのではなくて、才能のひとつとして考えたほうが整合性がとれると思う。整合性は重要。「運」というものを出してしまうと、基本的には、ちゃんとした議論ができなくなる。基本、学問的にやりたいなら、「運」という要素はとりあげるべきではない。「運」ということを言い出したとたんに、整合性がなくなる。

しかし、「運」という言葉にこだわっている人たちがいるということは、確認できる。なので、無視してはいけないと思う。人がどういうふうに考えているか?だからね。原因帰属理論なんだね。これは。

 

*     *     *

この生活もほんとうにつかれたなぁ。だれか、半分やってくれ。もう、つかれた。横になるかな? じつは、洗濯ものを取り込み忘れた。夜10時に取り込んだけど、だいじょうぶかな? 午後3時ぐらいに起きたとき、「取り込もうかな」と思ったんだけど、まだ、日光にさらしたいなという気持ちがあったんだ。だから、本人としては、もうちょっと、日光にさらしてあとで取り込むつもりだった。が、眠ったので、忘れた。カーテンは、しめてあるからな。

まあ、夏じゃないからだいじょうぶだということにしておこう。さいわい、蛾のような虫がいない。たぶん、だいじょうぶ。それにしても、これは、どう書けばいいのか? まあ、たとえばの話だけど、無職歴が20年間とか25年間とかある人が、就職しようとしているとしよう。まあ、普通なら、応援するよね。で、ともかく、つらい思いをして頑張っている?日本の適応的な従業員勢が言うことがすごいんだよね。どうしても、自分の人生というものが、基準としてあるから、20年ぐらい働かずに引きこもっていた人が、「運だ」と言うと、ものすごく、怒りがわきおこるようだ……日本の適応的な従業員勢……。ちなみにだけど、「正社員」という法律用語はない。それに相当する言い方は「正規従業員」だ。「正社員」という言い方が正式なものとして法律用語のなかにあると思っている人たちが多いんだよな。まあ、うんちくだけど……。

やっぱり、能力とか努力とかに関する考え方は自我に直結しているので、ほかの人の考えを聞くと、心が揺さぶられる部分であるらしい。まあ、心が揺さぶられるから、怒っているわだからさ。「そんなのはゆるさない」という怒りがわいてくる。ヘイトなんだよね。けど、これは、従業員側の人がまちがっている。「なにも努力せず、さぼってきたやつが、運とか言うのはゆるせない」という気持ちになるみたいだ。その背後には「自分は苦労してきた」という自負がある。「自分は、これこれこういうハンディがあるのに、がんばってやってきた……それをなんだ」という気持ちになるみたいだな。けど、これは、そういうふうに感じる人たちがまちがっている。いろいろな不満は、無職20年選手にぶつけるようなことじゃない。それそこ、経営者にぶつけろよ。まあ、だから「自分は我慢してやってきた」「いまも、我慢我慢の連続だ」という怒りがあるんだよ。けど、その怒りは、本来、経営者にぶつけるべき怒りだ。怒りをぶつける対象がまちがっている。

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どういう家に生まれたか? どういう親のものとに生まれたか? ということは、だれにとっても重要なことだ。まあ、「運」「才能」「努力」「環境」に関しては、そのうち、まとめるよ。これがけっこう、でかいテーマなんだよな。人がどう考えるかという部分があるから……。なにを原因として考えるかということは、自我に直結しているから、日常生活においても、無視できることではない。

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2021年3月5日金曜日

あー、夕方だ。鳴っている感じしかしない。

 あー、夕方だ。鳴っている感じしかしない。あの激しい音がけたたましくなっている感じしかしない。この感じがものすごく、不愉快なんだよな。この憂鬱はない。この怒りはない。怒りなんだよ。怒り。そして、激しく消耗する。

ほんとうに、鳴っている感じしかしない。

ほんとうに、ぼくの人生は11歳で終わっているんだよね

 こんどは眠りたいのに眠れくなってしまったか。

俺はもう、精神的にそういうやばいところまできている。

どうなんだろうな。ほかの人間だったらなにをするんだろう?

ほかの人間だったら、どういうふうに金を使って、どういう人たちとつきあうんだろう?

ともかく、気分がつぶれている。おかしいんだよな……いろいろと。ここまで、どんぴしゃでくずしにくるか、みたいなものがある。というか、ともかく、ヘビメタ騒音以降、常に、うすいガラスのうえを歩いているような状態だ。へんな緊張感がある。そして、ぼくは、他の人とはだいぶちがってしまった。 

ちがうんだよね。もう、ぜんぜん、ちがう。どうしたもんだろうな? いま、午前3時40分で、眠れない状態だ。けど、眠りたいときは眠りたいわけ。眠たいときは、もう、どうしても、眠たいわけ。眠たいときに、起きて他の人に会いに行くなんて、地獄なわけ。どのみち、会ったって(相手は)おもしろくないよ。こっちは、頭がとんじゃっているんだから。ものすごく、だるい状態で行くわけだから。全部が全部そんなふうなことになっている。

けど、普通の人の普通の暮らしというのが、地獄なんだよね。俺にとっては、だいぶむかしから地獄だ。俺には、たえられない。すべてが、そんな感じになってしまった。それは、ヘビメタ騒音でそうなった。

隠れキリシタンよりも、くるしい状態なんだよね。

ほんとうに、ぼくの人生は11歳で終わっているんだよね。ヘビメタ騒音が始まった日から、終わっている。あとは、いままでずっと、ながくてくるしい一日が続いているという感じだ。切れ目なく。

 

2021年3月3日水曜日

世間の人は、ヘビメタ騒音の影響というものについて、おおきく、誤解をしている

 どれだけ、俺がヘビメタ騒音のしんどさを説明しても、わからないと思う。

世間の人はわからないと思う。それとおなじように、ヘビメタ騒音が鳴り終わった後の体の調子や、ヘビメタ騒音が前日数時間から十数時間ずっと鳴っていて、眠れない状態ですごしているとき、どういう状態なのか、世間の人はわからないと思う。「次の日の朝」……すでに、次の日になっているのに、起きたとき「前日」のヘビメタ騒音で、動けなくなっている状態なんてわからないだろう。どれだけ憂鬱かわからないだろう。それを、押し切って、動いているときのしんどさがわからないだろう。どれだけ説明しても、きちがい兄貴のヘビメタ騒音を俺と経験してない「普通の人」にはわからないだろう。普通の人は、自分の経験をもとにして、「しんどさ」を推し量るのだろう。「憂鬱」の程度を推し量るのだろう。けど、その推量は、まちがっている。ちがうものを思い浮かべて「こうだ」と言っている。「こういうものだ」と考えている。俺とおなじようにきちがい兄貴の……きちがい家族の……ヘビメタ騒音を経験した人しか、わからない。自分がやる気になって、夜通しゲームをしてつかれたとか、自分が聞く気になって深夜ラジオを聞いてつかれたとか、そういうことじゃないから。酔っぱらって、次の日、起きたら、つらかったとか、そういうことじゃないから。きちがいが鳴らす音をずっと聞かされるということの意味がわかってない。それは、無理やり聞かされるということだ。ぼくには、選択できないことなのである。きちがい兄貴を殺してやめさせるしかないのである。殺すことをさけると、やられたままになってしまうのである。きちがい兄貴はきちがいだから「やっているつもりが」ない。やっているさいちゅうも、「きちがいなので」やっているつもりがない。やり終わったあとも、「きちがいなので」やったつもりがないのだ。きちがい的なこだわりでやったことは、きちがい的なこだわりで「否定する」のである。その場合、「否定し終わったら」関係がない人になってしまうのである。あるいは、どれだけでかい音で鳴らしても、「でかい音をでかい音だと認めなければ」でかい音で鳴らしたということにならない。殺されないとわからないし、殺されてもわからないのだ。例会があるなら、殺されればわかるだろう。自分がやっていたことがどういうことなのかわかるだろう。例会がない場合は、殺されたってわからない。そういうことだ。

ともかく、この世で「どうしても自分が思ったとおりにやりたい」と思っている以上、そうするのである。その場合、相手が言っていることを認めてしまったら、思い通りにやり続けることができないと「無意識的に」思うことは、どれだけ明らかなことでも認めないのである。そうすれば、やり切ることができる。自分は何もしてないつもりでやり切ることができる。これが、きちがい兄貴のしくみだ。 そういう自分勝手なしくみが成り立っているのだけど、本人は無自覚だ。だから、そんなに重たいこととして考えないのである。俺が、どれだけ、ヘビメタで困っているということを言っても、きちがいおやじのように、怒り狂って、否定したら、それでおしまいなのである。どれだけやったって、やってないのとおなじ……そういうきちがいの境地に立って、やり続ける。だから、本人はほんとうに「まったくやってないのとおなじ」気分でいる。まったくやってない場合とおなじ気分でいる。「やりつづけてしまってすまん」とかそういう気持ちが一切合切なのである。「やめてくれ」と言われたけど、「やめたくないから、やり続けた」という認知が、すっぽり、抜け落ちしてしまっているのである。最初から「まったくやってないのとおなじ気分」で、鳴らし続ける。だから、やっている。しつこくやっている。やっているのだけど、本人は、「つもりがない状態」なのである。こういう、きちがい。きちがいとしか言いようがないだろ。そういうきちがい的なしくみが成り立っていることで、どれだけ、俺が「世間のやつ」から誤解を受けてきたか。きちがいおやじにやられたときは、兄貴だって、「世間のやつ」から誤解を受けて、的外れなことを言われて、怒っていたのに、自分がヘビメタを押し付ける番になったら、おやじとおなじやり方で押しつけて、押しつけたと思ってない状態が成り立ってしまう。それそこが、きちがいおやじが発狂してやり切ったことだ。で、こういう人は、そういう状態のまま生きてしまうのである。説得して変わるようなものじゃないのである。本人のなかでやる気がなくなったときは、やる気がなくなったのでやらなくなるけど、「絶対やりたい」と思っているときに、人に言われて、やめるということはない。人になぐられてやめるということはない。なぐられたら、もっともっともっと、意地になって、意地になって、やりきる。自分がやっていいことをやっているのに、なぐられたら、意地になるだろ。やっていいと思っているんだよ。だから、殺さなければならなくなる。やめさせるには殺さなければならないのである。そういう状態を「相手におつける」。けど、もちろん、自動的にそうなっているだけで、そういうことを押し付けているとは思わない。なんてたって、「やったってやってない」ことなのだから。

 

世間の人は、ヘビメタ騒音の影響というものについて、おおきく、誤解をしている。「そんなもんじゃない」のである。

2021年3月2日火曜日

真の言霊主義者は、実際には生活ができなくなる 

 そういえば、昨日、免許の更新に免許センターまで行ってきたんだけど、講習で気になったことがある。それは、「あなたは、事故を起こしてしまいました」というナレーションだ。こんなの、言霊主義者が聞いたら、どう思うだろう? この言葉を聞いただけで、実際に事故起こしてしまうと思うにちがいがない。そう思わないわけがない。こういうのを、さらっと流せる言霊主義者は、真の言霊主義者じゃない。言霊主義者のふりをしているだけ……。自分に都合がいいときだけ、言霊主義者のようなことを言っているだけ。ようするに、ニセの言霊主義者だ。真の言霊主義者は、実際には生活ができなくなる。免許センターに行って、講習を受けただけで、「事故を起こす」という「のろい」がかかってしまうからだ。そして、その「のろい」は一〇〇%、絶対に成就されなければならないのである。ぼくが「成就される」と書かないで、「さなければならない」と書いたのには、意味がある。ぼくはやさしいので、相手を追いつめるようなことをしたくないのである。

真の言霊主義者は、こういうことが脳みそに書き込まれてしまうのである。彼がどれだけ事故をさけようとしても、無意識のほうが「事故を起こす」ことを指向してしまう。そして、こういう言葉には「時間制限がない」ので、生きているあいだ、ずっと続いてしまうのである。だから、言霊主義者が、本人にとって都合が悪いときも言霊にこだわるなら、生活ができなくなる。生活ができているのは、真の言霊主義者ではなくて、ニセの言霊主義者だからだ。

ニセの言霊主義者は、こういう問題があるということにすら、「気がつかない」。どれだけのご都合主義か? 彼らは、言霊主義者のようなことを言っていても、ご都合主義者なのである。もちろん、ご都合主義者でいい。言霊というのは、ご都合主義者でなければ生活ができくなるような、問題を抱えた考え方なのだから、ご都合主義者であって、まったく問題がない。ご都合主義のうえに、部分的に「自分に都合がいい言霊主義」が成り立っているだけだ。真の言霊主義者ではないので、自分にとって都合が悪い言霊は、ごく自然に無視できるのである。こんなのはない。彼らが意識的に主張していることと、彼らが、ほんとうに生活のなかで信じていることが、くいちがっているのである。むしろ、正反対。彼らは、ご都合主義者であって、言霊主義者じゃない。けど、言霊の話をしているときは、あたかも、自分が言霊主義者であるかのような気持ちになっているのである。そういう、レベルだ。

彼らが使う「真実」という言葉に、どれほどの「真実」がやどっているか?

そんなのは、こういうことを考えただけでわかる。一切合切、真実なんてないレベルなんだよ。その時の気分だけ!!! 人生を貫く真実ではなくて、気分だけのブレブレの言葉なんだよ。宇宙を貫く一大法則ではなくて、単なる、気分で言っていることなの。自分で気がつかないだけなの! だから、「真実だ」などとよく考えもしないで言っているの! 

俺の言っていることは、だれからも、理解されない。いや、おおぜいの人には理解されない。おおぜいの人がどれだけの「偏見」を持っているか? 偏見を取り除くことなんてできないんだよ。偏見を取り除いたら、生活でできくなる。どんなひどい発達障害よりも、ひどい反応を示すことになる。こういうことが、まったくわかってないんだよな。だから、差別撤廃も、偏見をなくしましょうという言葉も、ニセ言霊主義者の信念のように「かるい」ものだ。人間の本質がわかってないからそうなる。

もう、社会的には殺されているので、おなじなのである。

 ヘビメタが、ドガドガガガガと鳴ってた。ものすごい音で鳴ってた。

この、外出する前の、憂鬱で腹立たしい気持ちはなんだ。不愉快な気持はなんだ。いちいち、外出する前は、きちがいヘビメタが鳴っていたときの気持ちと同じ気持ちになるだろ。この、後ろ髪をひっぱられるような気持ちはない。やり残したことがあるような気持ち、は、ない。あせっている気持ちはない。こんなの、ない。きちがいが、きちがい的な意地でやったから、俺が、こんな気持ちになる。こういう状態になる。寝不足、寝不足、寝不足。眠れない夜。眠れない夜。眠れない夜。起きてからの苦しさといったらない。あれを!! あれを!!! あれを、軽い気持ちでやったのか。普通の人が普通にラジオを聞いているつもりでやったのか。普通の人が普通の趣味をしているつもりでやったのか。きちがいおやじの、怒り狂いとおなじなんだよな。「やめてくれ」と言われたら、怒り狂って、絶対の意地でやってしまう。けど、本人は「つもりがない」ままなんだよ。こんなの、ない。悪いことをやっているのは、きちがい兄貴なのに、俺が悪く言われる。ほんとうに毎日そういうことの繰り返しだと、一か月ぐらいで、なんとも言えないいやな気持になり。一年ぐらいで、死にたい気持ちになる。言いたいことは、言ってた。けど、きちがいが、きちがいだから、きちがい的な脳みそで、俺の言っていることを聞いて、きちがい的な頭で判断して、怒り狂って無視するのである。だから、けっきょく自分がやりたいことはやり通す。自分がやりたいことというのが、名いっぱいでかい音で、ヘビメタを鳴らすことだった。だから、めいいっぱいでかいおとでヘビメタを鳴らす。ずっと鳴らす。やりたいことが、すべての可能な時間、鳴らすことだったので、すべての可能な時間、鳴らす。一歩も譲らない。しかも、ほんとうに、やったつもりがないのである。本人は、普通の音で鳴らしているつもり……で、いるらしいのである。自分がヘビメタ軟調になるほどでかい音で鳴らしているのに、「こんなの普通の音だ」と本気で思っているのである。自己催眠で、そう思うことになっていて、どれだけ「でかい音だ」ということを言われても、「でかい音だ」ということがわからない状態になっている。そういう状態のままならしたら、どれだけでかい音で鳴らしても、でかい音で鳴らしたということにならないのである。本人の主観としては……。こういう、うそ。きちがい的なウソ。きちがい的な言い換え。きちがい的な思い込み。そして、それを、指摘されると、きちがい的に怒り狂って無視するという反応。全部、きちがいおやじが、普通に毎日やってきたことなんだよ。きちがいおやじがすべての日、やってきたことなの。だから、きちがい兄貴も、それをまねして?やり切る。きちがいおやじときちがい兄貴の頭が同じ構造。自分が、一歩も譲らずにやり切れば、なにもやってないつもりになる。「そんなんじゃない」のである。これも、きちがい的な構造。こういうことを、普段普通にやるんだよな。全部の時間、そういう頭で生きている。まあ、さすがに「よそ」でそういうことをやると、頭を押さえつけられるから、やらない場合もあるのかもしれないけど、「うち」では普通にやる。そして、きりかえているつもりがないのだ。どれだけこまるか。きちがい兄貴ときちがいおやじで、頭の構造が同じ。まったく同じ。

人を殺すようなことをして、まったくそういうつもりがないまま生きている。人を自殺に追い込むようなことをしてまったくそういうつもりがないまま生きている。人を社会的に破滅させておいて、まったくそういうつもりがない。

こんなのない。普通に考えればわかることなのに、考えるまでもなく、わかることなのに、どれだけ言われたって、まったくわからないまま、やり通す。そして、やり通したという気持ちがない。認識がない。そういう、毎日。そりゃ、家族なら、人を社会的に破滅させることができるよ。そういう、催眠術にかかっているなら、そういうことができる。まったくつもりがないまま、やりきることができる。きいてやらないわけだけど、訊いてやらなかったという気持ちもない。そんなの、認識できるはずがない。そういうことを認識できるのであれば、最初からやらない。そういうことだ。そういうことが認識できない「つごうのいいあたま」だから、現実を無視してやり切ることができるのである。そして、現実を無視してやり切ったということを、完全に無視することができるのである。

どれだけ、こまるか。

いちいち外出するたびに、こういう葛藤にまきこまれてしまう。俺がこの世で、数万回?繰り返してきたことだ。そりゃ、やられるから、そうなるのである。不可避的にそうなる。これがどうしてわからないのか? そして、学生時代を通してやられ続けたら、社会的なハンディがしょうじるのである。このハンディがまた、でかいんだよ。けっきょく、おなじ海のなかを泳ぐことになる。おなじ汚水のなかを生きることになる。ヘビメタ騒音が15年目になり終わったあともおなじ。もう、社会的には殺されているので、おなじなのである。

2021年3月1日月曜日

ヘビメタ騒音がなかった場合の平行世界に行きたい

ヘビメタ騒音がなかった場合の平行世界に行きたいんだよな。まるでちがうと思う。そっちの世界の俺に「ちょっと、かわってくれ」と言いたい。ちょっとでいいんだよ。かわってくれよ。 

この世の、どこに行っても、おなじだ。きちがいヘビメタにやられてくるしい。

2021年2月28日日曜日

もう、ここで、世間の人間とのあいだに溝ができる。

 足の引っ張られ方が尋常じゃない。そして、それがほかの人にはまったくわからない。やられてない人にとっては、どれだけ説明されても「ない」ことなので、「そんなことはない」ような気がするわけだ。けど、ハンディが並じゃない。ほかの人が俺の話を聞いて想像できるようなハンディじゃない。そんなものではないのだ。ヘビメタのキーキーという音がすべてを破壊する。ヘビメタのガガガという音が、すべての希望を破壊する。すべての可能性を破壊する。きちがいヘビメタが鳴っているときは、酒に弱い人が酒を飲んだような感じになる。そのあとも、ぬけない。これ、毒に対する体の反応というのは、「意志の力では」どうにもならないと考えたほうがいい。

けど、ほかの人は、ヘビメタ騒音が毒のようなものだとは思ってない。きちがい兄貴のヘビメタ騒音は、至近距離だから、毒のような役割をする。持続時間が長すぎる。ほかの人はまったくわかってない。ヘビメタ騒音を、きちがい兄貴やられたことがない人が、「意志の力でどうにでもなる」ということを言う。

もう、ここで、世間の人間とのあいだに溝ができる。……そういうことを、きちがい家族によるものすごい騒音を経験してない人が言った時点で、ぼくは破滅的な気分になる。こんなの、うまくいくはずがない。そして、俺の体はきちがいヘビメタ騒音「毒」で、みたされている。きちがいヘビメタ騒音「毒」が体の中をまわっている状態だ。

いつも、くるしい。利己的で、理論的?な人たちは、そういうことも、否定する。もちろん、ヘビメタ騒音「毒」が……というのは、比喩的な表現だ。俺が言いたいのは、やられたあとも、……影響が残るということだ。

しかし、この人たちにとっては、そんなことはないのである。もう、いいよ。ゆるせない。ともかく、ゆるせないから。きちがい兄貴も、こういう判断をしたやつもゆるせない。 

ともかく、きちがい兄貴のやり方だと、きちがいおやじのやり方とおなじで、世間との間に溝ができるのである。やられた人と、世間との間に溝ができる。世間が、こういうことを理解するということはない。

ともかく、足のひっぱられ方が、尋常じゃない。ものすごい量、破壊される。やる気、意欲、記憶力、睡眠力、単なる体力、生活持久力のような意味での体力、すべてが破壊される。やられた時のひどい感じがほかの人にはわからない。

実際にやられてない人にとってみれば「そんなの鳴ってたってどうにかなるようなこと」なのである。

そんなんじゃないと俺が言っても、経験したことがない人は、わからない。「対応物」がないのでわからない。「対応経験」がないのでわからない。ないものは、ないんだよ。そして、下に見る。俺を下に見る。きちがいヘビメタ騒音が鳴っていいる限りこういうことの繰り返しだった。俺は、きちがいヘビメタで疲れはてている自分がいやでいやでしかたがなかった。身体感覚として、いやだった。 ともかく、まるまるまる。まるまるまる。

2021年2月27日土曜日

ヘビメタ騒音の夕方

ほかの人はわからないんだよ。どれだけ、心がいためつけられるか? 修復不可能なんだよ。そういう、レベル。そういう繰り返し。繰り返しはきついんだよ。「元気だ元気だと言えば、元気になる」とかどれだけ、人のこころを打ち砕く発言か? けっきょく、そういうことを言う人たちは、長さがわかってない。ヘビメタ騒音の長さがわかってない。どれだけやめろと言っても、ずっと続いてしまうのときの、絶望的な気持がわかってない。次の日の体の感じがわかってない。きちがい「家族」によって、粉砕されるということの意味がわかってない。きちがいなんだからな。ほかの人はわかってない。

いまの時間ずっと鳴っている。明るいときから、暗くなるまでずっと鳴っている。暗くなってからずっと鳴っている。やめろやめろ」と怒鳴りこんでいるのに……きちがいがまったくわからずに、鳴らし続ける。頭がおかしいから、なにもつたわらない。俺が、明日、ほかの人にご際されることになる。俺が、今日、ほかの人から誤解を受けた。「もう、いやだ」という時間が続く。やめろと言っているだろ。

いま、冬の午後5時54分。午後5時54分は、きちがいヘビメタが鳴ってた。毎日毎日、鳴ってた。どうやって、きちがい兄貴は「おとしまえ」をつけるんだ。きちがいだから、おやじとおなじ形相で、おやじとおなし気分で鳴らし続ける。あれ、ほんとうに、きちがい兄貴がヘビメタを鳴らしているときは、きちがいおやじが「つかえるつかえる」と怒鳴っているときとおなじなんだよな。まったくわかってない。事実と反対のことを言う。腹を立てて、否定すれば、本人のなかでは、それですんでいる。本人のなかで、すんじゃったら、どれだけなにを言っても、すんじゃったままなんだよ。事実否定。現実否定。現実否定をしているのはきちがい家族のほうなの……。これで、騒音でやられて、俺が引きこもれば、俺が現実に向かいあってないようなことを言われる。こういうしくみ。こういうしくみが、小学生の時から成り立っている。俺が小学生の時からという意味だ。兄貴が高校生のときからだ。 

毎日、毎時間やられていたら、そりゃ、「元気だ元気だと言えば元気になる」と信じている人とは、まったくちがった状態になる。「元気だ元気だと言えば元気になる」と信じている人は、きちがい家族にさらされたわけじゃないから、そういうところがわからない。このわからなさ、だって、絶望的だ。絶望的にわからない。「元気だ元気だと言えば元気になる」と信じている人にしてみれば、俺がへんな人に見えるのである。俺が間違ったことを言っているように思えるのである。俺の発言が不愉快だと感じてしまうのである。

これは、きちがい兄貴とのトラブルとはちがうトラブルだ。きちがい兄貴と似ているとは言わない。そりゃ、しくみがちがうからな。

きちがい兄貴が、きちがいモードでがんばると、そういうことになってしまう。押し出されてしまう。きちがいおやじが「つかえるつかえる」と怒鳴って、一切合切認めなかった時とおなじだ。不可避的に、兄貴は学校に行って、こまるのである。けど、兄貴が学校で待っているといういうことは、絶対に認めない。言われたって、わからない。どれだけ言われたってわからない。そういう文句がつくということ自体が、きちがい的に腹が立つことで認めたくないことだから、発狂して認めない。兄貴も、俺が、学校で困っているということを認めない。 兄貴の騒音で困っているということを、絶対の意地で認めない。何千回言われても、認めない。何千回言われても、言われた時の反応が同じ。一回目とおなじ。きちがいおやじの反応とおなじ。けっきょく、そういうトラブル……俺が「ヘビメタがうるさいからやめてくれ」と言ってきたというトラブルを認めてない。トラブルとして認めてない。やりがちだ。そして、うるさくしているということを認めないで、鳴らしまくったということも、認めない。「そんなことはまったくなかった」ということになってしまうのである。だから、きちがい兄貴も、きちがいおやじとおなじように、「でかい音で鳴らしてた」ということを言われると「そんなんじゃない」「そんなんじゃない」と怒り狂ってしまう。「俺が言っても静かにしてくれなかった」と(俺が)言えば、「そんなんじゃないそんなんじゃない」「ゆずったゆずった」と怒り狂ってしまう。そういう反応しかない。あとは、真っ赤な顔をして、無視してを鳴らしてしまうという反応しかない。これも、ある。これも、おやじとおなじだ。反対語を喚き散らしてやり続けるという反応か、顔を真っ赤にして無視してやり続けるという反応しかない。反対語を喚き散らす場合と、押し黙ってやってしまう場合と二通りあるけど、無視してやり続けるということはおなじだ。そして、時間がたてば「やったことになってない」というのもおなじだ。ただ単に「やったことになってない」だけではなく、ここでも、関係性の否定があるのである。関係はあるけど、やり続けたということではないのである。関係がないし、やり続けてもないということなのである。こういう、きちがい。認知のずれ。自分にとってだけ都合がいい、きちがい認知。

こんな、腹が立つ態度はないね。

受け止め方の問題じゃないよ。実際に俺が困っている。危機介入が必要なレベルで困っている。家の「なか」でどういうことが行われているか、こいつらはまったくわかってない。「受け止め方の問題だ」などと言うやつは、きちがいが家族にいなかったやつだ。どれだけきたない手段で、きたない認知で、自分の意地を押し通すか、ほかの人にはわからない。きちがい家族にやられてない人にはわからない。

家族として一緒に住んでいた人じゃないとわからない。家族として一緒に住んでいるのに、問題の切り分けなんてできるわけがないだろ。受け止め方の問題だと言ったら、どんな虐待だって、受け止め方の問題になってしまうんだよ。やられている幼児が、受け止め方をかえればいいということになってしまう。しかし、そうはならない。心理学者は、そういうときは「危機介入」という考え方を出してくる。これは、最初に言っておくべきことだ。けど、心理学者が一般向けに認知療法について説明するときは、あたかも、すべての場合において総意向とが成り立つという感じで言ってしまう。ようするに、この場合は「危機介入」という考えたについて説明しないのである。だから、一般人が、「すべてにおいて成り立つのだな」と思ってしまうだろ。

2021年2月26日金曜日

そういうレベルの話じゃないのに、「なっちゃった人」じゃないとわからないか?

 そういうレベルの話じゃないのに、「なっちゃった人」じゃないとわからないか?

わからないんだろうな。自分にとって有害な刺激が、ずっと毎日続く生活をしたことがない人にはわからない。まあ、わからないほうが、いいとは思う。けど、すべての発言が「ずれ」ているんだよな。ぜんぜん違う世界の話なのだから、しかたがないけど、ここまでずれてくると、やはりもう、他人とはつきあえないということになる。

 

 つまんない。つまんないけど、タネはまいておいたからな。そのうち、収穫できるだろう。

しかし、どうするか?

みんなわかってないけど、ヘビメタ騒音でうつになるということは、たたかれたところがいたいと感じることとおなじことだ。別に、騒音でうつになろうと思って、うつになっているわけじゃないのである。長すぎると、定着する。期間が長すぎると定着してしまうのである。一四年間毎日、とてつもなく憂鬱だと、一五年目に刺激がなくなっても、憂鬱なままなのである。まあ、そのあいだに、基本的な部分が破壊される。そして、そういうきちがい的な苦痛がなかったやつから、軽く見られ、侮辱される。働いてない期間が持っている意味というのは、重要だ。まあ、ブランクというやつだけど、これは、学歴以上の影響を与える。そして、きちがいヘビメタ騒音で生じる問題は、いわゆるダメ人間の問題とおなじなのである。かぶってしまう。そして、「努力」でどうにかなるような問題だと認知されてしまうのである。ようするに、努力してないからダメなのだということになってしまう。これは、朝起きるというようなわりと目に見えることだけではない。朝、一定の時間に起きることができないというのは、個人としてだめだという感じがする。日本では特にそうなのである。しかし、きちがいヘビメタにさらされて、そのうち、七年間、毎日、一定の時間に起きて学校に通ったなら、もう、八年目からは、どれだけがんばっても、だめになる。これは、人間として当たり前のことなのだけど、ぼく以外の人間がそういうことを経験してないので、「努力」の範囲だと思われてしまうのである。こんなのは、ない。きちがい兄貴が、普通の基準を無視して、きちがい的な基準で、きちがい的にでかい音で、きちがい的に長い時間、きちがいヘビメタを聴いてしまうと、ぼくが、ほかの人からダメな人間だと思わるようになってしまうのである。そして、今回言いたいのはそれだけじゃない。この、一定の時間に起きるというようなわりと目に見えることではなくて、「こころのもちかた」という点でも、おなじことが言われてしまうのだ。ようするに、楽しめない人は、楽しもうと努力してないからダメなのだということが、さも正しいこととして言われてしまう。 そういうことを言いたいやつは、多い。普通の人間は、そういふうに思っている。ようするに、自分の気持ちをよい状態でたもつことは、だれでもできるのに……できるはずなのに……そういう努力をしない人間がダメなのだという意見を持っているのである。まあ、これも、自己責任論とむすびつく。ようするに、つまらない気持ちでくらしている人間は、楽しくなろうとする努力をしないからダメなのだという意見を持っている人が、日本では、そーーとーーに多い。これは、どんな理由があっても遅刻をするべきではないというような信念とおなじだ。そういう人が、多い。これは、アンケート調査でもしないと証明はできないけど、ほんとうに、この時代の、たいはんの日本人が、そう思っていると、ぼくは思う。これも、たぶん、共同幻想か、あるいは、いくつかの共同幻想から必然的に見びき出される幻想だと思う。(まあ、アンケート調査をしても、「証明」はできないのだけどね。)

 

 

 

 

2021年2月25日木曜日

あの子となかよくしておけばよかったよ

 あの子となかよくしておけばよかったよ。あの子となかよくしておけばよかったよ。あっちから言ってきたんだから、きちがいヘビメタが続いていたとしてもしばらくはつきあえただろうな。けど、どのみち、ヘビメタでつぶれる。三下り半をつけられる感じがする。あー。俺は、ほんとうに、ヘビメタ騒音にやられてだめだめになっている俺がいやだったんだ。きちがい兄貴、まったくわかってないな。だめになるに決まっているだろ。あんなの、やられて、いいわけがない。あんなのが毎日続いていいわけがない。あんなのが毎日続いて、学業がだめにならないわけがない。格好がつかなくなる。自分に自信?? きちがい兄貴にやられていて、きちがい騒音で毎日ズタボロで、自信なんて持てるわけがないだろ。ほんとうに、〇ね。

ボロボロ生活なんだよな。激しい、きちがい騒音で、ズタボロなんだよ。学校に行けば……学校ではヘビメタ騒音が鳴っているわけではないので、どれだけひどい音で鳴っているか体験を通して知っている人は少ない。俺の部屋に入った人だけ知っている。あとは知らない。だから、知らない人にとってみれば、たとえ、俺が言ったとしても「話で聞いたこと」になってしまう。知っているけど、関係がないわけで、実情は伝わりにくい。

たとえ、言葉で説明したとしても、実際にその場で鳴っているわけではないのだから「知識」として鳴っているということを知っているという状態にとどまる。その場合、なになにができないということは、認められない。騒音で勉強ができないということは認められない。騒音で、提出するものを仕上げることができないということは認められない。騒音で、普通の速度では走れないということは認められない。騒音がそれほど鳴っているのだから、夜眠れなくなって、遅刻するのは当然だということにはならない。ヘビメタ騒音が鳴ってたって、遅刻しないで学校に通うことはできる……と、きちがいヘビメタ騒音にさらされてないやつらが、考えてしまう。確信してしまう。深く、考えずに確信してしまう。それは、佐藤さんだってそうなのである。佐藤さんと会ったのは、俺が35歳のときだけど、俺が中学のときから、ほかの人の態度というのは、佐藤さんの態度とおなじなのである。

ほかの人は「きちがいによる騒音」というものがわかってない。そのきちがいが、家族の一員であるということの意味がわかってない。聞いた話……。俺がどれだけでかい音で鳴っていると言ったって、その話を聞いている人は、毎日俺の部屋にいるわけではないから、きちがい騒音のでかさと、しつこさがわからない。何時間も何時間もきちがい騒音が持続した場合、 からだがどうなるか、わからない。自分の体がどうなってしまうのかわかってない。それが、一日だけではなくて、数千日続いた場合、自分の体が「基本的に」「ノーマルな状態」でどうなってしまうのか、ぜんぜんわかってない。経験がないから、まったくわからない。すべて、き・い・た・は・な・し・だ。そして、きちがい家族がいない人にとっては、きちがい家族のことが、想像できないのである。「そんなのは、お兄さんにやめてと言えばいいだろ」などと言ってくる。こういう発言が、どれだけ俺を傷つけるかわかってない。こういう発言がどれだけ、現実を無視した発言かわかってない。

ぼくの体でできることはあったのに

 歯みがきをした。

どれだけ言ってもしかたがない。

しかたがないが……つまんない。

こんな人生あるか?

こんなのない。

ぼくの体でできることはあったのに……ヘビメタ騒音さえなければ……。こんなのない。こんな、人にわかりにくいハンディはない。こんなに、人に理解されない障害はない。ヘビメタ騒音障害でくるしい。ヘビメタ騒音障害でいろいろなことができなかった。「できなかった」海のなかを泳いでいる。ただよっている。汚染された海だ。ヘビーメタルに汚染された海だ。こんなの、意欲や生活力に影響しないわけがないだろ。なければ、普通にトライしてできたことが、できないまま、歳をとることになる。なければ、普通にトライしなくても、もともとできたことが、できなくなる。しかも、佐藤らは、俺が甘えているから、できないのだと考えてしまうだろ。こういうことの繰り返し……。数千回、数万回の繰り返し。こまかい出来事だけど、積み重なれば、押しつぶしてしまうほどの量になる。

 

 

2021年2月24日水曜日

「ヘビメタの朝」

 しかし、この雰囲気。しかし、この雰囲気。これは、きちがいヘビメタの雰囲気だ。「ヘビメタの朝」の雰囲気だ。この雰囲気の中、俺は自分の気持ちを押し殺してがんばって学校に行った。アルバイトに行った。死にたかった。それが、行かなくてもいい状態になっても、かわらない。この雰囲気。どんだけ長く、この雰囲気が続いたか。どれだけ長くヘビメタ騒音生活が続いたか。こんなのに耐えて、ぼくはこの世でくらしていた。こんなのに耐えて。ゆるしがたい。こういう朝を一度も経験したことがないやつが、努力とか根性とか、片腹痛い。わらわせる。ヘビメタ騒音の朝を一度も経験したことがないやつが、努力とか根性とか、片腹痛い。おまえららみんなまるまるまる。不適切な発言をするな。

俺がどれだけ耐えて暮らしていたか。この世で、耐えて暮らしていたか。「ヘビメタ騒音なんてたいしたことがない」「過去のことなら、関係がない」というやつは、みんな、まるまるまる。 

*     *     *

 まあ、どのみち、みんな、死ぬ。独身だろうが結婚していようが、死ぬ。引きこもりだろうが、できるビジネスマンだろうが、死ぬ。

 *  

2021年2月23日火曜日

「元気を出せばいいじゃないか」というのが、これまた、ろくでもない、助言なのである

しかし、つまんない。すべて、つまんない。

うーん。これ、どれだけ書いてもしかたがないのだけど、ほんとう、生きているのが不思議なぐらいだからなぁ。あーあ。これで、いろいろなことに興味を持っている状態を維持するのは、むずかしい。どんだけのことがつみかさなったか。これ、ほんとうに、他人にはわからないクレパスに落ち込んでいる状態なんだよな。他人にはわからない。けど、同じ経験をすれば、どんなばかなやつでもわかる……ようになると思う。けど、そいつの人生の中でおなじことが生じなかったのだから、絶対的なレベルで、わからない。わからないものは、ないのと同じだ。

やりなおすとなると、すべてが……。けど、ほんとうに、この世の感覚が、これ、なのだから、やりなおせるわけがない。もう、転生するしかないということになってしまう。それほどまでに、こたえている。こたえているんだよ。ほかの人にはまったくわからないけど。繰り返しになるけど、わからないなら、ないのと同じだ。だから、ほかの人には、ぼくが、たいした理由もないのに落ち込んでいるように見えてしまうのである。そして、落ち込んでいる人といるのは、いやだという感覚がある。人間にはある。これは、ぼくでさえも、わかる。じゃあ、元気なふりをすればいいじゃないかということになるかというと、ならない。それは、もう、さんざんやった、破滅の道だからだ。そんなことをやってきたから、だめになった。まあ、最初に、騒音でだめになっているのだけど。感覚が……。言いようがない。あの生活の感覚は言いようがないよ。けど、ほかの人にはこんなことを言っても、さっぱりわからないだろうと思う。「それでも、元気を出せばいい」ということになってしまう。

「元気なふりをすればいいじゃないか」とか「元気を出せばいいじゃないか」というのが、これまた、ろくでもない、助言なのである。これは、ほんとうに、死に至る考え方なのである。俺は、実践してわかったけど、これは、死に至る考え方なのである。助言している人にとっては、どうでもいいことかもしれないけど、助言されたほうにとっては、どうでもいいことじゃない。助言されるまでもなく、最初はそういうふうにがんばって、生きていたのである。きちがい騒音生活は、そういう生活なのである。 「元気を出せばいいじゃないか」とがんばってきた生活なのである。「元気なふりをすればいいじゃないか」とがんばってきた生活なのである。何年間も何年間も、毎日毎日、きちがい的な騒音にさらされながら、そうやってがんばってきたのである。それで、だめになった。「それで」だめになった。これ、わかってないんだよな。考えているだけのやつらはわかってない。実際に、ああいうレベルの騒音生活をしたことがない人には、わからない。どれだけ現実的ではない助言か、根本のところからわからない。

「元気なふりをすればいいじゃないか」とか「元気を出せばいいじゃないか」というのが、これまた、ろくでもない、助言なのである……と書いたけど、これ、絶対にうけない。うけないのがわかる。「元気なふりをしていれば、元気になる」というような話のほうがうける。けど、ちがう。絶対的にちがう。ちがうということがわからないのは、きちがい家族に毎日やられたことがない人たちだ。そいつらは、たしかに、しあわせなんだよ。きちがい家族にやられなかったのだから。きちがい家族の有害さがわかってない。きちがい家族の、頭の構造がわかってない。きちがい家族の態度がわかってない。ほんとうに、つねに、毎日、「死ぬか殺すか」を突き付けられる状態でくらして、ぶっこわれる。こっちが、ぶっこわれる。あっちは、きちがい頭の構造を維持したまま、なにもしてないつもりで、普通に生きている。こんなの、ない。

他者との間に、ものすごい乖離が生じてしまうだろ。他者と俺との間に、ものすごく深いクレパスができてしまうだろ。こんなの、ない。

 

 

2021年2月22日月曜日

ヘビメタ騒音なしで、生きたかった。

机の前にすわって考えることも、歩きながら考えることもおなじだ。ヘビメタ騒音なしですごしたかった。ヘビメタ騒音なしで、生きたかった。ぜんぜんちがう人生になっただろう。ほんとうに、ぜーーんぜん、ちがうと思う。みんなわかってない。わかってないんだよ。わかってない。どれだけのことができなくなるか。どれだけ、行き場がなくなるか。わかってない。 

ほかの人にはない、兄のヘビメタ騒音というハンディ。ほかの人には、わからない。ないからわからない。どうして、俺だけ……。どうして、俺だけ……。きちがいだから、聞かない。絶対の意地で聞かない。きちがいおやじとおなじで、兄貴は、きちがい的な意地でやったことは、きちがい的な意地で否定する。きちがい的な意地でずっとやったことは、まったくやってないつもりでいる。これは、正確に言うと、まったくやってないのとおなじ気分でいるということだ。で、鳴っているあいだが、とにもかくにも、くるしいのである。くるしい。まるまるしたくなるほどくるしい。あんなのが毎日、続いていいわけがない。

みんな、俺だって……と言うけど、毎日続いたことじゃないんだよな。14年間毎日続いたことじゃないんだよな。どれだけ、体力、落ちるか。能力、落ちるか。「そんなの、関係がない」と言ったやつをまるまるまる、まるまるまるまる。

ほんとう、ちがうのに……。そして、俺がこういうことを書けば、負け犬の遠吠えだと言いやがる。そいつらは、きちがい家族によるヘビメタ騒音のハンディがない。「俺だって」と言うときの、ハンディと、きちがい家族によるヘビメタ騒音のハンディは、あきらかに、つりあってない。「俺だって……」という言葉のあとに続くトラブルを絶対量で1だとすると。ヘビメタが10時間鳴っているだけで、絶対量で1億ぐらいになる。そして、そのあと、学校やほかの場所で、絶対量1のトラブルが10個ぐらいしょうじてしまうのである。一個一個のでかい音が、俺の脳みそを破壊する。これは、ない。こんなの、やられて、普通の気分なんてたもてるわけがない。鳴っていなかったときの、体力なんてたもてるわけがない。

ともかく、ヘビメタ騒音がほんとうに鳴っていなければ、ぼくがこういうことを言って、それに対して、普通の人たち……ヘビメタ騒音の経験がない人たちが「俺だって……」と言うこともなかった。全部、実際にヘビメタが鳴ったあとに生じることなのである。全部、実際にヘビメタ騒音が鳴っていたから、生じることなのである。最初からなってなかったら、そういう不愉快な「交流」も生じてない。 

きちがい家族による……ヘビメタ騒音というのが、ほんとうに、盲点なのである。他人にしてみれば、たいしたことに思えなぃことなのであ。そして、そういうふうなことを言われる俺は、すでに、数千日の打撃を受けている。数千日の狂った打撃を受けたあとだ。あとの姿なんだよ。やられて、こまっている状態で、他人からダメ出しをされる。佐藤よ! おまえから言われたようなことを、ほかのやつからも言われた。「世間」。やられてない世間。きちがい家族のことがまったくわかってない世間。ヘビメタ騒音でどれだけ疲れはてて、どれだけ能力がなくなるかわかってない世間。

無能なのは、おまえらだ。無能だから、わからない。見当ちがいのことを言う。もちろん、「見当ちがいだ」なんて思ってないんだよ。見当ちがいというのは、こっちから見た話だから。見当ちがいというのは、きちがい家族によるヘビメタ騒音……しつこつしつこい、頑固な頑固な、毎日毎日続くヘビメタ騒音を聞かされなかったら、わからないことなんだよ。まあ、無能だから、想像がつかないというところもあるのだけど……。ゆるせない。 

ヘビメタ騒音にやられたあと、どれだけがんばっても、ボロボロになる。がんばるということができない状態になってしまう。もう、きちがいヘビメタのなかで、死ぬほどがんばったから、がんばれない状態になる。きちがいの音にさらされながら生きているということだけで、どれだけ、たいへんか!! おまえらは、ゆるさない。ゆるさない。

ともかく、「ヘビメタ騒音なんてなんでもない」というようなことを言ったやつや「人間は働くべきだ」ということをヘビメタ騒音の話を聞いたあとに言ったやつらは、ぼくのことを激しく激しく、ばかにしている。はげしく、はげしく、侮辱している。侮辱しているということがわからないんだよな。「そんなの、あたりまえじゃないか」と言いやがる。二重に侮辱している。 

きちがい家族に、人知れず、やられ続けるとこういうことになってしまう。きちがい兄貴が普通の人間で、「でかい音を出している」ということを認識して、やめてくれれば、それで済んだ話なんだぞ。「人間は働くべきだ」ということをヘビメタ騒音の話を聞いたあとに言ったやつらは、そういうしつこい騒音にさらされてない。きちがい家族による騒音に、日常的にさらされてない。きちがい家族が、きちがい的にでかい音で、ガンガン音を鳴らすということを、日常的に経験してない。毎日毎日、何年間も経験してない。十数年間、毎日、経験してない。中学三年間、高校三年間という、現代社会に生きる人間にとっとてつもなく大切な六年間を、ヘビメタ騒音を鳴らされたまま、毎日すごしてない。学生時代を通して、経験してない。

そりゃ、そういう経験をせずに、中学三年間、高校三年間をヘビメタ騒音なしですごして、現在の地位をつかんだ人間にしてみれば「過去のことなんてどうでもいい」のである。こんなのない……。そして、 中学三年間、高校三年間をヘビメタ騒音なしですごしたやつらのほうが、はるかに多い。絶対多数。中学三年間、高校三年間をヘビメタ騒音なしですごせなかったやつは、俺だけ。ゆるせない。

 

2021年2月20日土曜日

「すべては感じ方の問題だ」と言い切ってしまったほうが、気分がよいのである。そういうレベルのなのである

 きちがい系の親にやられた人は、なかなか学者になれない。だから、主流にはなれない。

まあ、俺の場合、きちがい系の親にやられても、きちがい兄貴がヘビメタを「自分が思った通りの音で鳴らすこと」にこだわらなければ、学者ぐらいにはなれていたと思う。きちがい系の親はたいてい、収入が少ないドケチだ。たぶんだけど高収入であるきちがい系の親と低収入であるきちがい系の親の割合を考えると、定収入であるきちがい系の親のほうが、割合的に高いと思う。たぶん、9割ぐらいが、きちがい親であって、なおかつ、貧乏・かねなしだ。きちがい親で、金持ちというのは少ないと思う。

けど、きちがい親であって、なおかつ貧乏というハンディをぼくは、はねのけることができたと思う。それだけなら……。きちがい親の問題だけなら……。これに、きちがい兄貴の「騒音」が付け加わると無理だ。これ、誤解している人が多いけど、きちがい兄貴の「騒音」は全体的な障害だ。障害の大きさがわかってない。貧乏とか、きちがい親なんかより、ずっとハンディになる。どうーーーやっても、むりなのだ。生活のすべての時間鳴らされると無理だ。もちろん、すべてというのは、この場合は、ほとんどすべての時間ということだ。きちがい兄貴が眠っている時間、きちがい兄貴が一階で飯を食っている時間、きちがい兄貴が風呂に入っている時間をのぞいて、すべての時間きちがいヘビメタが鳴っている。きちがい兄貴がトイレに入っている時間だって鳴っているよ。ただし、きちがい兄貴がうちの玄関を開けて、自分の部屋に入るまでの時間は、鳴ってない。部屋に入ったら、すぐに鳴りはじめるけど……。これ、ほんとうに、ものすごいことなんだよ。あの音のでかさで、自分がきらいな音が、どかすか・どかすか常に鳴っているというのは、ものすごいことだ。これ、「どかすか・どかすか」などと文字で表現するしかないのが、くやしい。ものーーすごーーい、音で鳴っている。きちがい兄貴だって、あれと同じ音量で、自分の嫌いな曲が鳴っていたら1分どころか、10秒で「うっさい うっさい うっさい」と逆上するような音だよ。そういう音のでかさで鳴らしているのに、自分が鳴らしたい音だと「普通の音だ」と感じてしまう。「たいしてでかいとで鳴らしてない」と本気で思ってしまう。きちがいだから、そういう、言い換え回路が完ぺきなのだ。これは、おやじとおなじだ。こういうところが、おやじの脳みそとまったく同じ。おやじの脳みその構造とまったくおなじ。全体的なプロセスが同じ。無意識的な言い換えが、ほんとうに強すぎる。「本人は常につもりがない状態」というのが「普通に」成り立っている。自分の認知としては、そうなのである。意識的な認知というのが、つねにそういうふうに、自分の都合がよいように、ずれているのである。現実に対処してないのである。現実をそのまま認知しているわけではないのである。(だから、「すべては感じ方の問題だと言ってしまうのには問題がある」)。

けど、俺みたいに 「すべては感じ方の問題だと言ってしまうのには問題がある」という立場は……主流にはなりえない。「すべては感じ方の問題だ」と言い切ってしまったほうが、気分がよいのである。そういうレベルのなのである。そういうレベル。

 

2021年2月19日金曜日

車いすに座ったまま「買わなくてーーい……いーーいよぉ~~~」と叫ぶ (佐藤らは刮目して読むべき)

 気違い親父が「そんなのかわなくていいよぉーー」「そんなのかわなくていいよぉーー」「そんなのかわなくていいよぉーー」と弱った体で、精一杯叫ぶのである。変なイントネーションで叫ぶ。殴ってやりたかった。そして、殴ってやりたい気持ちを抑えたから、ぼくが、こなごなになっている。こなごなだよ。ボロボロだよ。ボロボロ。

ほんとうに、こんなのない。特養の人間が、俺におやじのシャツとズボンを買ってきてくれといったから買ってきてやったのに、それに対する言葉がこれだ。車いすに座ったまま「買わなくてーーい……いーーいよぉ~~~」「買わなくてーーい……いーーいよぉ~~~」と叫ぶ。ほんとうに頭を殴ってやりたかった。殴ってやりたい気持ちを抑えて、ぼくが壊れた。

これで、俺が「ああそうか」と買わなかったら、徳陽の人間から俺がどんなふうに言われるか? そういうことを一切合切考えてない。きちがいおやじの感覚として「もったないから」そう言っている。まあ、俺に「迷惑をかけたくない」という気持ちがあるんだけど、それがおかしいのである。あたまがおかしいから、そういう気持ちも、きちがい的な表現になってしまうのである。これ、自動的でとまらない。おやじは無意識的には俺を虐待してきたことを知っているのである。無意識的には!!! 無意識だから困るんだよ。そういうふうに、なっちゃうんだよ!!! 無意識だから!! ちゃんと反省してないのである。おんなじことをやる。「買わなくてーーい……いーーいよぉ~~~」「買わなくてーーい……いーーいよぉ~~~」と言って怒っているときの頑固さは、はんだごてのときの頑固さとおなじなのである。自転車の頑固さとおなじなのである。コップで水を飲んだということで怒り狂っているときの頑固さとおなじなのである。こういうことが、佐藤のような普通の人間には、まったくわからない。いい服を着た、人権派の心理学者にはまったくわからない。

買わなかったら? 買ってやらなかったら、俺が、まるでおやじをいじめているように言われる。買ってやったのに、特養の人から、服をもらって着ていたのである。その服は、まあ、おさがりみたいなものだよ。ごみ処理。おやじは、もらえるとなると、うれしいんだよ。そういうのがある。ほかの人が……大人の人がまったくわからないレベルでそういう気持ちがある。「ほかの人」じゃないとだめなんだよ。「よその人」からもらわないとだめなんだよ。おやじは、くるっている部分を抜かしても、変人なんだよ。孤児なんだよ。浮浪児なんだよ。ててなしご。母親がいない、うえたがきなの。こういうの、ほんとうに、いい服を着た、人権派の心理学者はまったくわかってないからな。こういう基本がわかってないので、どうして、親子関係について言及できるのか??? できるのか?? できるのか?? 障碍者の犯罪について言及できるのか?? 言及できるのか??

さらに言っておくけど、アドラー流の「他人と自分問題を切り分けて」かかわらなければいいというのも、いい服を着た、普通の家で幼少期をすごしたやつのたわごとだ。ぜんぜん、現実的じゃない。

おやじが特養から追い返されたらどうするんだよ。ネズミがいるんだぞ。あいつが、餌付けして呼び寄せた、何匹ものネズミがいる。おやじの急性胆嚢炎は、ネズミのせいだと思う。あんなネズミがいっぱい出てくるところですごしていて、いいわけがない。きちがいおやじは、これまた、浮浪児感覚で、ネズミのうんこなんて気にしないんだよ。ネズミの小便で部屋がむっとした感じで臭くなっているのに、俺が「くさい」と言うと「くさくないくさない」と真っ向から否定した。これも、はんだごてとおなじなの。

数が少なくすぎて、まったく理解されない。

 ほんとう、ここ4年ぐらいで、ふけた。も、う、いやだ。

そして、いやな思い出がいっぱいふってくる。 

もう、限界だな。

4年で18歳ぐらいとしをとった感じだ。

なんか、うまくいかないことがあると、いろいろと思い出してしまうんだよな。もう、まるまるまるみたいな気持ちになってしまう。ほんとうに、追いつめられた。追いつめられるようにできてるんだよな。これ、くわしく書くわけにはいかないけど。できてる。全部が全部、追いつめられるようにできている。ヘビメタ騒音をやられると、俺の能力が著しく低下するのだけど、ほかの人は、わからないわけだからな。そして、ヘビメタ騒音の「効果」を無視してしまう。負の効果。この効果は、絶大なんだよ。勉強だけではなくて、すべてに影響を与える。単に勉強に限ったとしても、中学3年間毎日積もって、高校の3年間毎日積もったら、それはそれは、ひどいことになる。なかった場合と、ぜんぜんちがう光景しかない。そりゃ、そんなことが毎日積もったら、ぜんぜんちがう状態になってしまう。

そして、ヘビメタ騒音は勉強だけではなくて、睡眠力や気力といったところにも影響をあたえる。ともかく、でかすぎる。「まいにちつもる」ということの意味がほかの人にはわからない。

もう、まるまるするしかないというところまで、追いつめられる。これは、必然なんだよな。俺以外の人間がそういう生活を経験してないからわかってないだけだ。きちがい兄貴は、ほかの家にはいない。どれだけでかいか? ほんとうに、おやじとおなじ気ちがいだから、自分がやっていることがわからないんだよね。自分だって、ヘビメタではないほかの音を、あの音の大きさで10分間鳴らされたら、怒り狂うくせに、ぜんぜんわかってない。自分がやっていることがぜんぜんわかってない。自分が、意地になってやっていることは、全部やってないことになっている。その瞬間瞬間やってないことになっている。こんなのない。こんなきちがい家族がいる人なんていないだろ。しかも、どれだけ言ったって……こっちが言ったって、無自覚で、つもりがないままだ。こんなの、ない。


きちがいヘビメタ騒音の問題というのは、ほかの人が経験したことがない問題なのである。発達障害なら発達障害で、だいたいの「わくぐみ」がわかっている。なので、ほかの人は理解しやすい。あるいは、発達障害なら発達障害がある人をサポートする研究なんかも盛んにおこなわれる。いろいろな人が、かかわっているから。いろいろな人が同じような症状で苦しんでいるから。これは、発達障害だけじゃない。きちがい兄貴によるきちがいヘビメタ騒音なんで、ほかの人にわからない。数が少なくすぎて、まったく理解されない。

非常識なことが行われているのに、そこには、手付かず……手がつかないまま、やられた人が、常識を求められるということになってしまう。これが悲劇を生み出すのだけど、これがまた、ほかの人にはわからない。だいたい、ヘビメタ騒音問題というのは、「ダメ人間」問題とかぶる。どれだけ能力が落ちて、追いつめられるか? どれだけ、常識的な考え方を持った人たちが、ヘビメタ騒音障害者を追いつめるか?

これ、ニワトリが先かタマゴが先かみたいな、問題があるんだよな。誰も気がつかないけど。

 

2021年2月18日木曜日

ヘビメタ騒音が10年間続いた時点で、ぼくの人生は終わっている

体が、だるい。「俺の一生はなんだったんだ」と思う。ヘビメタ騒音と世間の組み合わせが最悪なんだよ。ヘビメタ騒音が10年間続いた時点で、ぼくの人生は終わっている。社会人として終わっている。世間のやつらは、ヘビメタ騒音の憂鬱と疲労がまったくわかってない。100兆分の1もわかってない。自分の体で経験しなければ、絶対にわからないことだ。そして、「どうにか、社会人生活をしてくれ」と言ってくる。おまえら、なにもわかってないな。

 

2021年2月17日水曜日

どうして、体が動かなくなった自分は、例外なのか?

   ヘビメタで「できない」と言っているだろ。

ヘビメタ「で」できないと言っているだろ。

どうして、わからないか? そっか。わかるわけないか。この世で、あれだけ気ちがいヘビメタを聞かされたのは、俺だけだからな。感覚がずれた家族による騒音というのがどういうものだか、みんな、わからない。感覚がずれた家族が、きちがい的な意地でやっているという場合が、わからない。「そんなひとはいない」というこになっている。そして、実際やられた場合、「できないことが増えていく」ということが、わからない。俺に、(この世で)説教を垂れてきた人間というのは、みんな、きちがい家族にやられてない人間。きちがい家族が、ものすごい音がでる趣味に、夢中にならなかった……人間。そういう、人間。そういう人間が、なにをわかるというのだ? こんなの、ずるい。ハンディが見えないなんて、ずるい。

まえも、書いたけど、「人間は働くべきだ」と人には説教をしておいて、自分がとしをとったら「もう、体が動かないから、俺は働かない」と言ってしまう人間。 「人間は働くべき」ではないのか? どうして、体が動かなくなった自分は、例外なのか? どうして、ヘビメタ騒音によるつかれを理由として認めないのに、加齢によるつかれは理由として認めるのか? 働けない理由として認めるのか? それは、自分が経験したことだからである。自分の体のことだから、「動きにくくなった」「昔のように働くことはできない」ということが、「わかる」わけだ。きちがいヘビメタを経験したことがない人間は、きちがいヘビメタで「動けなくなる」ということがわからない。俺の睡眠障害は認めないのに、自分の加齢による障害?は認めるのである。「できない」理由として認めてしまう。

「人間は働くべきだ」と説教する人間も、じつは、人間全部が働くべきだとは思ってないのだ。最初から、「例外」が決まっている。しかし、ヘビメタ騒音は、「例外」になるほどの障害にはなりえないというきちがい的な考えが、その人間を支配しているのである。「例外がある」ということは、普通、説明されない。「人間は働くべきだ」という言葉を投げかけているとき、「例外」について言及することはない。その言葉を投げかけている対象である人間が「例外」に入るとは、みじんも思ってないからだ……そういう言葉を投げかけているとき、投げかけているほうの人間は……そういうことをみじんも考えてない。「人間は、働くべきだ」「それで当然だ」「働いてないのはおかしい」「ヘビメタ騒音で働けないなんていううのは、あまい」と考えている。俺は「べメタ騒音障害」という言葉を使うけど、彼らは、「ヘビメタ騒音障害」を認めていない。ヘビメタ騒音障害があるにしろ「働けるはずず」なのである。「睡眠障害」があるにしろ「働けるはず」なのである。働けるはずの「若者」が働いてないのは、ゆるしがたいということなのである。

しかし、そのように思っている人も、じつは、「障害者は働かなくてもいい」と思っている場合がある。この場合は、「障害で働けないのはしかたがない」ということになっている……そいつの頭のなかで。けど、そういう例外について言及されることがないのである。なお、例外には、自分が「としをとってつかれた」という場合も入っている。

学生が働かないのはしかたがない。主婦が働かないのはしかたがない。子供が働かないのはしかたがない。高齢者が働かないのはしかたがない。……しかたがない。しかたがない。ゆるされる。ゆるされる。しかし、ヘビメタ騒音で苦しんでいる俺が働かないのは、ゆるせないのである。「そんなことはない」のである。こいつらは……いつもそうだ。こいつらは……。

 

2021年2月16日火曜日

つまんない

 つまんない。

これもう、既出だけど「君じゃない」とまったく考えないで言えばよかったな……などと考えている。気を使って、言わないことで、その人じゃなくて、別の人を傷つけることがあるんだよな。けど、俺の英語力で、相手の気持ちを傷つけずに、うまく言うことができなかった。けっかく、相手ではなくて、別の人を傷つけた。

しかし、ごく普通に俺のことを傷つけまくっているのに、気がつかない人間というのがいるんだよな。そして、そいつらは、どれだけ言っても、気がつかない。何万回、でかい声で言っても、気がつかない。基本的に、きちがい的な思考回路がある。自分にとって不都合なことは、聞こえたって聞こえないのとおなじなんだよ。もっとも、顔を真っ赤にしているわけだから、聞こえているんだけどね。発狂して「ガタガタ言ってくるな」と言っているのだから、もちろん、聞こえている。 

そういう人じゃなくても、ごく普通に俺のことを傷つける人がいるんだよな。ようするに、傷つけることを言う人がいる。けど、その人は、そういうつもりがない。さらに、言っても気がつかない。人間には偏見や思い込みがあるから、そういうのは、修正できない。たとえば、無職を軽蔑している人は、平気で、とある無職に対して、軽蔑したことを言うけど、別に気にしない。とある無職が、言い返したって、とある無職が言っていることが正しいとは思わない。そのまま、ひどい言葉を投げかける。その人のなかでは、それは、正しいことなのである。

ともかく、「傷つける」とか「傷つけられる」ということを考えると、人付き合いなんてできなくなる。

 

つかれた

 起きたとたんに、内容は忘れたのだけど、悪夢を見た。「忘れたんならいいじゃない」ということになりそうなのだけど、感触が残っている。正直言って、内容をちょっとでもいいから、思い出したかった。

今日は、精神的にやばい。こういう気分のときは、ほんとうにやばい。

しかしたがないから、起きて、ご飯を食べることにしたんだけど、ご飯を食べたくない。けど、腹は減っているんだよな。

幼稚園は、うるさいよ。ヘビメタ騒音とは格がちがうけど。もちろん、長期騒音のほうがでかい。集合住宅に住んでいる人が子供の足音や奇声を気にしていたけど、それについて、どうこう言うんじゃなかった。けど、子供の足音や奇声と、ヘビメタが同じレベルの騒音かというとちがうんだよな。 あとは、いろいろと追いつめられていて、「元気をもらっている」とかあのタイミングで書くべきじゃなかった。そりゃ、子供の足音や奇声で怒っている人の気持ちを傷つけるよな。

けど、うちのヘビメタは、「子供のうるささどころじゃなかったというのが、やっぱり、本音としてはあるんだよな。 

ともかく、ヘビメタ騒音で疲れた。疲れ果てた。

 

2021年2月14日日曜日

どうやっても、ヘビメタ騒音でだめだ。 どれだけがんばっても、ヘビメタ騒音でだめだ。

 どうやっても、ヘビメタ騒音でだめだ。

どれだけがんばっても、ヘビメタ騒音でだめだ。

これ、決まっているんだよな。きちがい兄貴が一日目にやめてくれなかったら、もう、それで決まっている。そして、他人は絶対にそれがわからない。他人にしてみれば、たいした障害じゃないのである。ヘビメタ騒音の「つみかさなり」がわからない。そりゃ、経験してないのだから、わからない。わからないまま、助言をする。下に見る。

自分だって実際に、自分の身におなじことが生じたら「わかる」のに、おなじことが生じてないから、わからない。

日曜日の午後五時五五分。いまも、鳴ってた。この時間も鳴ってた。どれだけ言っても、一秒もやめてくれなかった。朝からひたすら続く。夜までずっと続く。きちがい兄貴が眠るまでずっと続く。この絶望がわかるか?

こっちにだっていろいろな用事があるんだよ。やらなきゃならないことがあるんだよ。それが全部こわれる。ヘビメタ騒音に汚染されてしまう。俺が、引きこもりで問題なのは、じつは、そこだ。そこ以外のことじゃないのである。けど、他人は、わからない。そういうふうに、ヘビメタが鳴っていた十数年間毎日を経験してない。ようするに、こういうことが「つもって」体の調子が悪いとか、この世の雰囲気がヘビメタ騒音の雰囲気だということとか、ヘビメタ騒音でやる気や意欲が破壊されたこととか、睡眠回路がものすごく深いところまで破壊されたというとかが重要なのだ。決まった時間に起きることができないので、通勤ができないとか、通学ができないとか、約束の日時にどこかの集合場所に行くことができないということとかが、表面的には問題になる。けど、ほんとうに問題なのは、体の調子が悪いとか、この世の雰囲気がヘビメタ騒音の雰囲気だということとか、ヘビメタ騒音でやる気や意欲が破壊されたこととか、睡眠回路がものすごく深いところまで破壊されたというとかだ。こっちのほうが、重要なのである。で、他人は、実際にはヘビメタ騒音がないのだから……僕が経験したような長期間の騒音を経験しなかったのだから、わからない。それは、「現在」のエイリには、影響与えてないものだと思ってしまうのである。だから、「過去は関係がない」と気楽に言ってしまう。けど、それは、まちがっている。関係がある。いまの身体に関係がある。きちがいヘビメタ騒音が、十数年にわたって鳴っていたということが、いまの体に影響を与えている。成長期を丸ごと飲み込む期間、ヘビメタ騒音が、鳴っていたということが、現在の「脳みそを含んだ体」に影響を与えている。脳は、過去のきちがいヘビメタ騒音の影響を受けている。どうして、それがわからないのか?

 

「なにも理由がないのに、怒る親なんていない」

 Not you But him. Don't get offended.

って、言えばよかったんだよな。どうして、君じゃないよと言わせるか?

俺は、基本的に、きちがいおやじに、わけのわからないことで、怒り狂われていたので、いろいろと気にする。俺が幼児のころ、きちがいおやじが、常に怒り狂っていた。こんなの、気にするしかないだろ。それこそ、防御するためにいろいろなことを気にしなければならないのであーる。しかし、どれだけ気にしても、きちがいが、きちがい的な理由で怒る。これが、どういうことだかわかるか? これ、きちがいにたたられた人じゃないとわからないんだよな。ほんとうに、「子供だから、親がなんで怒っているのかわからない」というような解釈をする人が住んでいる世界とは違う。 「なにも理由がないのに、怒る親なんていない」と言ってしまう人が住んでいる世界とは違う。きちがいおやじは実在します。なにも理由がないに、怒る親は実在します。

それと、俺はわざと、「ある」や「です」や「だ」を使いわけている。意味がある。論文じゃないから、統一する必要はないんだよ。これも、ばかなやつがからんでくるんだよな。「ばかのひとつおぼえ」とはよく言ったものだ。

 

2021年2月13日土曜日

ほんとうに毎日、全力で俺の邪魔をした

頭がもやもやして、なんにもできない。
だるい。なんか、寝ても覚めても、悪夢のなかにいるような感じだな。どうするかな? 現実か? 現実というのが、ほんとうに地獄だった。だから、夢のほうまで、地獄になるのか? 人によって、条件がちがいすぎるんだよ。生まれたときの条件がちがいすぎる。家族という条件がちがいすぎる。こんなハンディ、ないよ。ほんとうに毎日、全力で俺の邪魔をした。「邪魔をしているつもりがない」という理由で、邪魔をしたと思っていない。そして、普通の人は、家族に邪魔をされたとしても、きちがい兄貴やきちがいおやじがやるようなことを、やられたわけじゃない。普通の範囲だ。そういう普通の範囲のことしか経験してない人が「親のせいにするな」「家族のせいにするな」と言ってくる。おまえは、一回も「きちがい家族」にやられたことがないじゃないか。きちがい家族がどれだけの意地で、きちがい行為をするか全くわかってない。家族だから、親だから……やってもいいということにはならないんだぞ。他人がやったことだったら、ほんとうは、ちゃんと処罰されることだ。親だから、家族だから、問題が「内向」してしまう。内側に向かってしまうのだ。普通の人の「親のせいにするな」「家族のせいにするな」という感覚も、問題を内向させる「要素」のひとつだ。

2021年2月12日金曜日

他者がちょっと考えると、「そんなに影響が長く続くものなのか」と思ってしまうものなのである


ほんとうにいろいろとギャップがある。ヘビメタ騒音にやられて俺はほかのやつらからいいように言われた。いいように、悪く言われた。こんなのはない。けど、これが現実だ。俺に、説教してきたやつらはみんな、ヘビメタ騒音にやられてないやつらだ。こんなのがゆるされるのか? ゆるされるわけがない。ゆるされるわけがないんだよ。けど、これですら、書けば……「なにを言ってんだ」という反応が返ってくる。

ともかく、ヘビメタ騒音のことを書いてから、ここも、ガラガラになった。人が少なくなった。

まあ、いいよ。

まあ、「そんなやつらのことは気にしないで気楽に生きればいいじゃないか」とか「そんなやつらが言うことは、気にしないでやりたいことをやればいいじゃないか」というような意見もある。……これは、俺のなかにあるということなんだけどな。

けど、それが、……ヘビメタ騒音でだめなのだ。正確に言えば「ヘビメタ騒音の影響」でだめだ。これも、ほかの人にはわからない。俺の脳内じゃなくて、かりに 「そんなやつらのことは気にしないで気楽に生きればいいじゃないか」とか「そんなやつらが言うことは、気にしないでやりたいことをやればいいじゃないか」というようなことを言ってくる他者がいたとしても、ダメなのだ。そういう「理解がある人」とすら、うまくいかない。そして、理解がある人にしても、ヘビメタ騒音を経験してない。

 

他者がちょっと考えると、「そんなに影響が長く続くものなのか」と思ってしまうものなのである。その他者にはヘビメタ騒音の経験がない。あの、一日に一三時間鳴っているような状態を、一三時間ずっと、一秒ずつ、経験してみろと言いたくなる。けど、経験してない人にとっては、そんなのは、想像するようなものでしかない。想像でしかないものは、そんなに?体に影響を与えない。実際に、何千日も続いたということが「おおきい」のだ。

たとえば、底辺に追いつめられた他者はいる。理不尽な理由で「いやな役」を押しつけられた人たちがいる。その人たちは、ほんとうは、俺とは、話があうはずだ。けど、実際にはいろいろな難しい問題がある。理不尽な理由で「いやな役」を押しつけられた人も、理不尽な理由で「いやな役」を押しつけしれていない人も、みんな「敵」になってしまう。これは、自動的にそうなる。どうしてかというと、彼らはヘビメタ騒音を経験してないからだ。佐藤らのことを考えればわかる。


 

2021年2月11日木曜日

もともとの「性格のちがい」ではないんだよな。

いやー順調に、つまらない。

つまんない。

この先どうするかな? とりあえずやったことは、キムチでご飯を食べることと洗濯。

また、不愉快なことを思い出した。どうなっちゃうんだろうな? 俺は~~。ヘビメタ騒音以降、くるしい。ヘビメタ騒音で、職場での立場がとてつもなく悪くなるから、いろいろな問題がしょうじる。これ、中学の部活とまったくかわりがないんだよな。ヘビメタ騒音で追い詰められてそうなる。ヘビメタ騒音で、「下の立場」になって、そうなる。

いろいろと、ゆるしがたい。

で、ぼくはもう、そういう仕事をしなくてもいい人間だから……。もう、そういう仕事をすることは一切合切ない……。しかし、じゃあ、満足かというとそうじゃない。そうじゃないんだ。そこらへんがちがうみたいなんだよな。それは、「ヘビメタ騒音」という問題が、人生の中であるかないかのちがいだと思う。もともとの「性格のちがい」ではないんだよな。……俺の場合は!

きちがいヘビメタ騒音なしで普通に勉強したかった。ヘビメタ騒音なしで普通に生活したかった。全部が、むりなことになる。けど、実際にヘビメタ騒音生活をしてない人にはここの部分が見えない。わからない。わからない異常はないのとおなじだ。「できる」のに「しなかった」とか「俺ならできたけど、エイリだからできなかった」ということになってしまう。その人の中で……。そうなると、その人にとってはそれが「現実」だから、きちがいヘビメタ騒音のハンディはそんなにたいしたことじゃないということになってしまう。



 

ずれが生じなくなったら、やめなければならなくなる

 どれだけ、でかい音で鳴らしていても、自分がでかい音で鳴らしたいなら、最初っから、でかい音じゃないということになっているのである。だから、でかい音で鳴らしていても、でかい音で鳴らしているというとを認めない。

兄貴も親父も同じ。でかい音で鳴らしているということ……を……認めることが、自分にとって不都合なことなら、言い換えてしまう。もう、決まっているから、どれだけ言われても、認めない。

 

兄貴のヘビメタはおやじのハンダゴテだと言ったけど、おやじの場合は、最初っから「使えるハンダゴテだ」ということが決まっているのである。どれだけ相手が、「エレクトロニクス工作には使えないハンダゴテだ」ということを言っても、認めない。最初から、「使えるハンダゴテだ」ということが決まっている。おやじが、判断してそういうふうに言っているのかというと、それはちがう。相手が使えないといったから、使える。自分が金を払いたくないから、使えるハンダゴテだということになっている。最初に決めてしまう。新しいハンダゴテを買うために、金を出してやるのがいやだというのが、きちがいおやじの(無意識の内容)なのである。だから、その無意識の内容に反することは、どれだけ何を言われても認めない。兄貴の場合は、「自分が思いっきりでかい音で、鳴らしたい」ということが無意識の内容だ。だから、どれだけ、でかい音で鳴らしても、でかい音で鳴らしているということを認めない。あれは、言ってみれば後出しだ。最初に内容が決まっているから、その内容に反した内容は、一切合切、認めないのである。けど、これが、一切合切、認めないようにしようと(意識的に思って)やっていることじゃないのである。ここが、肝なんだよ。肝なの。

こういうことが、佐藤のようなやつにはわからない。普通に言えば、やめてくれると思っている。でかい音で鳴らしているのなら、でかい音で鳴らしているということは、当然認知していると思っている。けど、きちがい兄貴は、本人が満足できるようなものすごくでかい音で鳴らしているのだけど、ものすごくでかい音で鳴らしているという認知がない。こういうのが、普通に、「誤解を招く」。そのひとつが、音に対する俺の耐性だ。あるいは、音に対する俺の側の敏感さについて、佐藤のようなやつが誤解する。要するに、きちがい兄貴は、たいしてでかくない音で鳴らしていたのに、エイリさんが音に敏感だから大きく聞こえたのではないかという、的外れな、まちがった、感想を持ってしまうのである。

 

そういうことで、俺が、どれだけ不愉快な思いをしてきたか?

いまのは兄貴の話だけど、兄貴は、きちがいおやじのコピーなので、きちがいおやじにもそういうことをいっぱいされてきた。ヨソの人が、誤解してしまうようなことを平気でする。というか、常にそうなってしまうのである。頭がおかしいから、そうなる。ヨソの人は普通の人だから、そういうことがわからない。頭の構造が、今さっき説明したような頭の構造なのだから、その人の行動や認知は、常に、ずれているのである。自分の無意識的な欲求が関係しているところでは常に、ありえない範囲で……普通の人が想像できないレベルで……認知がずれているのである。それは、そういうきっかけがあれば、常にそうなるということなのである。きっかけ……無意識てな欲求があるのに……そうならないということがないのである。文句を言われたら、常に、無意識的な欲求に従って、現実を認知しないのである。自分が(本当は、意地になって意地になって)やっていることを、認知しないのである。無意識てな欲求に従った形で、書き換えられる。書き換えられた認知しかしない。だから、問題がしょうじる。けど、問題がしょうじるのは、「やられている」ほうだ。「やっている」ほうは、やれるので、満足なのだ。実際には、満足感を得てないのだけど、それなら、相手の言うことを認めて、自分がやっていることをやめられるかというと、やめられないのである。自分の無意識的欲求が、極端に大切だから、現実を無視して(ゆがめた形で)認知しているのである。だから、そういう方法を手放さない。どうしてかと言うと、やりたいから、認知にずれが生じるからだ。ずれが生じなくなったら、やめなければならなくなる。相手が言っていることを認めなければならなくなる。それは、死んでも、いやなのである。命がけなのである。これ、大げさな表現じゃない。大げさな表現だと思う人は、そういうきちがいがどういうものかまってくわかってない。まったくわかってないとなると、これまた、つたわらないということになる。これは、おやじや兄貴のケースとはちがう。けど、そういうことも含めて、おやじがやっていること、おやじがやっていることだし、兄貴がやっていることは兄貴がやっていることなんだよ。これが現実なのに、ヨソの人は、俺が言っていることがまちがっていると仮定して、現実世界の認知をたもとうとする。そういう、構造になっている。そういうしくみができあがっている。だから、きちがい家族にやられた人は、ヨソの人にも、自動的に誤解を受けるということになっている。そういうことを含めて、きちがい家族は、きちがい家族以外の家族の構成メンバーに、いろいろなことを押しつける。

押しつけられた家族のメンバーは、けっきょく、だれにも理解されない。

 

2021年2月10日水曜日

最初っから決まっている。


普通の人にはない、きちがいヘビメタというハンディがでかすぎる。ヘビメタ!!!鳴らすな!!!!ヘビメタ!!!鳴らすな!!!!ヘビメタ!!!鳴らすな!!!!ヘビメタ!!!鳴らすな!!!!
犬が吠えても、ヘビメタ騒音のことで腹が立つ。腹が立つ。重要な時にならされ続けた、記憶がよみがえる。雰囲気がよみがえる。

どれだけ「ヘビメタ!!!鳴らすな!!!!」って兄貴の部屋で絶叫したと思っているんだよ。兄貴が、きちがいおやじモードでこだわりつくして、絶対に譲らないで鳴らしてたんだよ。自分のこだわりの音で鳴らしてたんだよ。それを、きちがいおやじモードで無視して、きちがいおやじモードで、「なにも関係がない人」のつもりでいる。

親友とのことだって、友達とのことだって、彼女のことだって、アルバイト先の人のことだって、全部、きちがいヘビメタが影響している。ゆるせない。ゆるせない。

ほんとうに、佐藤らは、ヘビメタ騒音のことを過小評価しすぎる。自分は、やられたことがないから、想像が働かない。きちがいが家族だということが……わからない。きちがいが家族だということの意味がわかない。きちがい感覚がわからない。無視して鳴らしていれば、どれだけ鳴らしたって、鳴らしたことにならないんだからな……。ほんとうに頭がおかしい。

こだわりつくして鳴らしているのに、こだわりつくして否定するということになってしまう。あるいは、ほんとうになにもしてないつもりのまんまだ。どれだけ言ったって、なにも伝わらない。一秒だって譲ってないのに、全部譲ってやったと思っている状態だ。頭がおかしいからそういうことができる。普通の人だったら、そういうことはできない。そういうことをしている場合は、自分がそういうことをしているという認識がある。要するに、芝居をしているということがわかっている。けど、きちがい兄貴は、そうじゃない。ついでに言っておくと、きちがいおやじもおなじだ。本人に「つもりがなかったら」、まったくやってないのとおなじなのである。

ほんとうに、くるしい。こういう家族がいる人しか、わからない。だから、いつも、まわりの人はまちがったことを言う。まちがっているんだよ。まちがっているの。けど、まちがっているということが、わからない。これは、きちがい兄貴やきちがいおやじとは、ちがう。構造がちがうからちがう。経験がないからわかってないだけだ。おやじや兄貴は、本人がきちがい的な意地でやっていることを、現在進行形で認めない。おやじや兄貴は、本人がきちがい的な意地でやったことを、きちがい的な意地で認めない。認めなし、認めなかった。事実認めなかった。それの、繰り返しなのである。繰り返しだよ。何十万回繰り返したって、おなじなんだよ。
俺が、はんだごて事件のことを書いているのは、典型例だからだ。おやじのハンダゴテが、きちがい兄貴のヘビメタなんだよ。本人が押し付けているのに、本人は、まったく押し付けているつもりがない。相手がなにを言おうが、一切合切認めない。やっているのにやっていると認めない。最初っから決まっている。自分の中で「やりたかったら」やってしまう。けど、「やったつもり」が生じなのである。相手がどれだけ言ってきても、相手がかかわっているということが、わからない。認識できない。だから、常に!知らないままやりつけるということになってしまう。「からだ」はそうなんだよ。からだは……。現実はそうなんだよ。けど、頭のなかではやってないことになっている。自分が頑固にやっていることが、相手に影響を与えてないことになっている。これは、最初っから決まっている。相手が、どれだけ言っても、「相手に影響を与える」ということがわからないままなのである。わからないから、悪気がないまま、やり続けることができる。そして、被害者は、自分なのである。自分がやりたいことをやっているときに、「やめろ」と言われたら、そのとたんに、発狂する。相手が、自分の行為で困っているということを、絶対の意地で認めない。けど、その絶対の意地のありかが、無意識の領域なのである。だから、本人は、つもりがないままなのである。

ストレスを感じたということ自体が、共通項になってしまっているのかもしれない

 なんかストレスフルな経験をしている場合、似たようなストレスフルな場面を思い出してしまうんだな。さらに、じつは、似てないストレスフルな経験でも同じなんだよな……俺の場合。似てないにもかかわらず、ストレスを感じると、いろいろな不愉快な思い出が浮かんでくる。しかも、ほんとうに、当時はそれほど気にしてなかったことも、新たに腹が立つという具合だ。連想だと思うけど、連想の距離が長い。ひょっとしたら、ストレスを感じた状態というのが、同じであれば、ぜんぶの場面を思い出す可能性があるのかもしれない。ようするに、ストレスを感じたということ自体が、共通項になってしまっているのかもしれない。それが共通項だと、ぜんぶの不愉快な経験を思い出すことができるわけだ。けど、ぜんぶがもちろん、浮かんでくるわけじゃない。そりゃ、ぜんぶじゃない。一つのことを思い出しているときは、その一つのことを思い出しているわけで、ふたつのことを思い出しているわけじゃない。一つのことを思いだしているときに、関連した「不愉快な記憶」がよみがえることがある……。それは、いままで述べてきたとおりだ。連想1と連想2の距離が長くても、思い出すんだよな。ようするに、あんまり関連がなさそうなことを思いだしてしまう。けど、それは、やはり、不愉快な記憶なのであーる。

そのときの腹立たしい気持ちや、もやもやした気持ちがそのままよみがえってしまう。記憶がよみがえると、感情もよみがえってしまう。

 

2021年2月9日火曜日

「お金はあの世に持っていけません」

 「お金はあの世に持っていけません」ということを言ってた人はどうしているかな?

個別メールが使えるように「友達申請」?しておいたのに、たぶん、気がつかなかったんだろうと思う。気がつかないんだよ……あれ。

ぼくがまず思ったことは「あの世に持っていけないのは事実だけど、この世でお金が必要ではないわけではない」ということなんだよな。あの世には、お金だけではなくて、地位や名誉も持っていけない。そりゃ、そうだ。けど、じゃあ、この世で、お金、地位、名誉がどうでもいかというと、そうではないんだよな。これを言いたかった。けど、「その通りですけど、お金は、この世では必要です」と返答した場合、どういう反応が返ってくるかわからなかった。なので、うちうちの話は、うちうちでできるように友達申請したんだけど、友達申請の返しがなかった。なので、ぼくは、黙っていたわけだけど、それは、別に無視したわけじゃない。

けど、ぼくからの友達申請に気がつかなかった場合は、無視されたと思うかもしれない。

まあ、これ、あの世があるという前提で話をしたわけだけど、あの世はないかもしれない。あの世がない場合も、「持っていけない」というのは、おなじだ。だから、お金は生きているときだけ、影響を与えるということになる。もちろん、そうなのだが……。その人が言いたいのは、そういうことではないだろう。

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なお、この投稿は、前投稿とは、無関係です。

 

2021年2月8日月曜日

みんな、人生を俯瞰したようなことばかり、言いすぎる

 みんな、人生を俯瞰したようなことばかり、言いすぎる。ほんとうに、人生が終わったあとに言うべきことなんだぞ。しかも、他人の人生について……。けっきょく、きちがいヘビメタ騒音の毎日を経験してないから、そういうことが言える。基本、ヘビメタ騒音の影響を過小評価するやつは、ろくでもないやつだ。どれだけの影響を与えているか、わかってないだけ。自分が経験したら、……ほんとう、省略しないでその時間をずっと経験したしたら、わかる。けど、そうだとすると、そいつは、もう、いまのそいつではない。たとえば、こういう失敗にはこういう意味があったんだ……こういう苦痛にはこういう意味があったんだ……と自分の人生について言うのは、まったくかまわない。けど、他人の人生について、そういうことを言うのは、どうかと思う。やっていいことだとは思えない。けっきょく、そういうレベルのやつが、ヘビメタ騒音全体を軽いことだと考えて、「なめたくち」をきく。「そんなんじゃないのに」と思う。けど、ヘビメタ騒音の影響が自分のこととして、わからないのだから、どれだけ「そんなんじゃないのに」と言ってもむだだ。

 

2021年2月6日土曜日

そりゃ、感情、消えるよ。

 
あんなやつがやったことが、ブラックホールになって俺の人生を吸い込んでしまう。あんなやつがやったことが、ブラックホールになって、俺の能力を吸い込んでしまう。こんなのはない。そして、ほかの人にはこれがまったくわかってない。きちがい兄貴というハンディがまったくわかってない。どれだけの時間、俺がやられてきたか? こんなのはない。
かりに標準的な人と価値観があわない人でも、きちがいヘビメタのハンディがない。きちがいヘビメタのハンディがある人とハンディがない人とでは、まったくちがう。ぜんぜん、ちがう。ちがいすぎる。もちろん、どんな場合でも、きちがいヘビメタのハンディがない人が有利になる。すべてにおいて有利になる。こんなのない。そりゃ、感情、消えるよ。
そして、消えれば消えたで、文句を言われる。

どうやったって、ないよ。

こういう普通の時間がヘビメタ騒音で削られてたんだよな。

それじゃ、あ、人生なんてないよ。どうやったって、ないよ。

 

ヘビメタ騒音でほんとうにこまっている

 ヘビメタ騒音でほんとうにこまっている。だれに言ってもしかたがないけど、ほんとうにこまっている。この雰囲気はヘビメタ騒音の雰囲気だ。土曜日の午前10時33分。じつは、日曜日の雰囲気なんだが……。ともかく、この部屋でヘビメタ騒音を聞かされ続けた。それで、いまも」こまっている。だれにもわからない。わかるわけがない。

いろいろなことがヘビメタ騒音に関連している。あれだけ長く鳴らされると、それ以降のすべてのものが関連していると言っても、さしつかえない。これは、「すべて」で正しい。イ・ラショナルではない。

きちがい兄貴よ! ヘビメタ騒音がなかった場合の人生を、返してくれ

 ほんとうにきちがい兄貴のきちがいヘビメタ騒音で人生がない。全部ない。きちがい兄貴よ! ヘビメタ騒音がなかった場合の人生を、返してくれ。きちがい兄貴が、こだわってこだわって、おやじモードで無視して、こだわってこだわって、やったから、問題が生じているんだぞ。そして、俺にとっては問題がしょうじている状態なのだけど、他人にとっては問題が生じてない状態なのである。それは、他人の身に問題が生じてない……きちがい兄貴による問題が生じてないという意味と、他人から見て、ヘビメタ騒音の問題がたいした問題に見えないので、他人から見て、俺の身に問題がしょうじてないように見えるという意味で、問題がしょうじてない。俺がどれだけくるしいとしても、……きちがいヘビメタ騒音でくるしいとしても、他人は、これっぽっちも、くるしくない。そういうところでの、「ヘビメタ騒音の話」だ。そういうことなのであれば、もちろん、主観的には問題がゼロであり、ほんとうに、痛くもかゆくもないことであり、まったくハンディにならないことなのである。そういう主観的な違いがある。俺は、ほんとうにこの部屋で、ヘビメタ騒音にやられ続けたので、そういう「感じ方」はできない。このギャップが人間関係に影響を与えるのである。たとえば「できない」「できる」問題だ。俺が通勤できないと言っても、ほかの人は、「そんなことはないだろ」「そんなのはあまえだ」「俺だって、とてつもなくくるしいけど通勤している」というような気持が浮かんでくる。親友との軋轢だって、じつはこの違いからしょうじるものだ。親友が「そこをなんとか」と言ったときの俺の気持ちはない。俺の気持ちはない。会うたびに「どうにかなってくれ」と言われているときの不愉快さと破綻した気持ちはない。「できないと言っているだろ」と言っても、相手の返答は「そこをなんとか」なのである。これは、破綻した。目の前が真っ暗になった。何回も言っているのに……。何回も何回も「できない」と言っているのに、ヘビメタ騒音のことをほんとうによく知っている親友ですら、一三年目にはそういうことを言う。ちなみに、一三年目も、毎日、鳴ってたよ。きちがい兄貴が、起きて家にいる状態で、トイレか風呂にいない状態なら、かならず鳴っているのだ。鳴ってたら、中断して一分間でも、やめてくれるということがない。それが当たり前の一五年間だ。それが当たり前の、毎日。それが当たり前の毎時間毎分毎秒だ。やられっぱなしになる。鳴らされっぱなしになる。鳴らされているときの気持ちというのが、ものすごいのである。これは、言いようがない。こどもの騒ぎ声とか、そんなもんじゃないのである。けど、それ言うと、また、問題がしょうじる。

2021年2月5日金曜日

無題 雑感

 「幼稚園の子に元気をもらっているよ」発言はやっぱり、やめておいたほうがよかったな。距離がちがうんだよな。ちなみに、きちがいヘビメタにやられて、ぼくは、騒音には敏感になっている。特に、「騒音の大きさと、騒音の感度」ということを考えないでバカな発言をするやつ(Aさん)の文章を読んだあとで、腹が立っていた。

 女の人(Bさん)で、子供の奇声や、足音に腹を立てていた人がいたんだけど、その人の気持ちはわかる。相当に、暴れていたのだと思う。まあ、アパートかマンションかコンドミニアムか知らないけど、そういうふうな集合住宅だったのだろう。で、上の階の子供が、特別にうるさかったのだろう。神経が逆立つのはわかる。

 ここだって、うるさいよ。けど、それと、ヘビメタ騒音はちがうと、どうしても言いたくなる。言いたくなる。けど、それは、やはり、その女の人の気持ちを傷つける発言なんだよな。

まあ、もう一つ言いたいことがある。それ、距離の問題だ。その女の人の場合、騒音の度合いと気にする度合いが釣り合っていると思う。ようするに、その女の人は小さな騒音や、中ぐらいの騒音を気にしていたわけではなくて、ほんとうにでかい騒音を気にしていたのだと思う。ここらへんのことはAさんのような頭が悪い人にはわからない。Aさんのような人は、自分勝手な人で、頭が悪い。自分のことしか考えてないタイプだ。

 

 

2021年2月4日木曜日

無職、引きこもりに対する差別のほうが、ほかの差別よりも強烈だ

 日本は女性に対する差別より、無職に対する差別をどうにかしたほうがいいぞ。

性的マイノリティーに対する差別より、無職に対する差別をどうにかしたほうがいいぞ。

 ほんとうに差別されているのは、無職だ。

男性が働かなければならないというのは、男性差別だ。

無職、引きこもりに対する差別のほうが、ほかの差別よりも強烈だということに気がつかないのか。 これは、実質的なものなんだぞ。まあ、昭和的な会社の風土はかえたほうがいいとは思うけど。それが、女性差別撤廃につながるんじゃないの? 酒が飲めないやつに対する差別。野球がきらいやつに対する差別。野球だけではなくスポーツの話題がきらいなやつに対する差別。こういう差別のほうが、女性差別よりも、問題がある。どうしてかというと、女性差別はしてはいけないということについて、神経質なほど気にしているけど、無職、引きこもりを差別してはいけないということは、まったく気にしてないからだ。気にすることができないほど、差別が一般化している。差別だと思わずに差別することができる。

これは、無職、引きこもりなんて、差別してあたりまえだという価値観があるからだ。だから、そういう価値観があるという意味で、もう市民権を得ている反女性差別よりも、深刻な問題を含んでいると言える。 

「女性差別反対」「性的マイノリティー差別反対」というのは、すっかり市民権を得ているけど、「無職差別反対」「ひきこもり差別反対」というのは、まったく市民権を得てない。ひきこもりは、あいかわらず、「引き出さなければならない対象」であり、無職はあいかわらず、「矯正して、強制的に働かさせなければならない対象」なのである。

「無職差別反対」「ひきこもり差別反対」ということが「こわだかに」叫ばれたことがあるか? ちょっとでも、無職差別的なことを口にしたら、糾弾されるということがあるか? 謝罪しなければならなくなるということがあるか? そういうことを考えれば、どちらのほうが、差別されているかわかる。

 

2021年2月3日水曜日

実際の時間は、過酷なんだよ。自殺するか、きちがい兄貴を殺すか、煮詰まっている状態なんだよ。


全部、現実じゃなかったわけだ。それは、きついよな。あれ、ちがうな。書くまでに内容がかわってしまった。「空想ばかりの人生だったなぁ」と思った。「あれも、これも、空想のなかの出来事だ」「あれもこれも、現実化しなかった」「そりゃ、きついよな」と思った。ヘビメタ騒音で、どうしても、「現実化できたことが、現実化できないことになってしまう」。ヘビメタが鳴っていたら、どうやったって、むりなんだよな。ここの、現実がほかの人にはわからない。どれだけ、あせるか。どれだけ、むなしい思いをしてきたか。ヘビメタが鳴っているなかで、どれだけ、いきり立っていたか。どれだけ、現実化しようとあせっていたか。こういう、ぎりぎりのじりじりした「怒り」がわかってないから、ぜんぶ、わからない。「怒り時間」が長すぎる。きちがい兄貴の部屋まで行って、俺が、どれだけどなっても、どなっても、どなっても、きちがい兄貴がきちがいおやじの形相でヘビメタを鳴しらていた。真っ赤な顔をして鳴らしていた。あれ、その時点で、その現場で、殺さなかったら、鳴らされてしまう。現実が遠のく。現実可能なことが、空想になる。自分の部屋に帰ったあと、自分の部屋の壁が「どかすかどかすか」ものすごい音で鳴っているのが、どれだけつらいか。その時間が、どれだけ、くるしい時間か……経験してない人にはまったくわからない。だから、そういう人たちにとっては、ヘビメタ騒音なんて、現実に、なにも影響を与えないものなのである。どれだけ鳴らされたって、やれることがある。どれだけ鳴らされたって、遅刻しないで学校に通うことができると、まったくやられてない状態で、思っている。決めつけている。そいつらからすれば、「ヘビメタ騒音で、なになにができない」なんてことはないのだ。そいつらは、時間の経験がない。何年間も毎日やられていたら、どれだけ、時間が積み重なるかわかってない。時間が積み重なるほど、だめになっていく……できくなっていくのに、それがわからない。だから、時間の影響を過小評価して……鳴り終わったら関係がないなどと言ってしまう。けど、一五年間毎日、積もったなら……積み重なったらなら、その影響を受けている。一五年と一日目の俺は、一五年間、やられてきた俺なのだ。これは、一六年目の俺にしても、一七年目の俺にしても変わらない。「毎日やられた体」が残っている。「毎日やられたからだ」プラス一日目の、俺が毎日やられた体プラス一日目を経験している。影響がある。実際に生じたことなのに、……影響を与えないなんてことは、ないんだよ。程度がひどいことが、ずっと毎日続いていたら、それが影響を与える。意識に関係なく、影響を与える。きちがいヘビメタ騒音を一時間も経験しなぃで「俺(エイリ)がさぼりたいから、ヘビメタ騒音のせいにしている」……と考えるやつまで出てくるわけだからな……。……現実には。どれだけの侮辱か。そういうあほな人間に、そうやって、侮辱されてしまうということも、きちがいヘビメタが、鳴ってなかったら、なかったことなんだぞ。一日目にきちがい兄貴がヘッドホンをしてくれたら、なかったことなんだぞ。やられてない人間にどれだけ説明しても、わからないのだろうけど、ヘビメタ騒音の一日は、そんなものじゃない。どれだけ影響をけないようにしようと思っても、体が影響を受けている。「時間がある」。時間があるんだよ。実際の時間は、過酷なんだよ。自殺するか、きちがい兄貴を殺すか、煮詰まっている状態なんだよ。怒りで、燃え盛っている状態なんだよ。体に影響を与えないはずがない。睡眠に影響を与えないはずがない。どうして、こんな簡単なことがわからないのか。あるいは、無視するのか? 意識論者、努力論者は、きちがいヘビメタの影響をぜんぶ無視して、影響がないものとして、がたがた言ってくるんだよ。言霊論者もおなじだ。きちがい兄貴のやり方があまりにも、普通じゃないから、ほかの人が、誤解する。意識論者、努力論者、言霊論者の近くには、きちがい家族がいなかっただけの話なのである。きちがい兄貴とおなじような意地で、きちがい的にこだわり続けて、ものすごい音で、自分が鳴らしたい音を鳴らす家族がいなかっただけの話なのだ。

2021年2月2日火曜日

ヘビメタ騒音で、マイナスの努力が積みあがっていく

 いままで、ずっと忘れていたのに急に思い出すなぁ。ほんとうに、悲惨。「僕はこんなところにいる人間じゃない。ヘビメタ騒音さえなければ……」。……こんなことは、どれだけ言ったってしかたがない。けど、体力20分の1、気力20分の1、能力20分の1でやっていけるはずがない。問題は、経歴が悪くなると、だめだということだ。ヘビメタ騒音は積み重なる。初期の問題が1だとすると、後期には、1兆ぐらい積みあがっている。そして、1兆の積みあがった体で、やらなければならなくなる。そうなると、人からバカにされたり、誤解されたりする。そういうことが、増えていく。これも、積み重なっていく。本人の努力というのは、とっくのとうに、ヘビメタ騒音でかき消されている。ヘビメタ騒音で、マイナスの努力が積みあがっていく。これは、悪い努力だ。死に体たる努力。心が荒れる努力。きちがいヘビメタ騒音「で」どうしてもそうなる。けど、きちがいヘビメタ騒音でそうなっているということは、他人にはまったく見えない。言ったってむだだ。そりゃ、佐藤の反応を考えてみればわかるだろう。説明したってむだなんだよ。

ほかの人にとって「兄貴の」ヘビメタ騒音がどうでもいいことだということは、説明したあとも変わらないんだよ。きちがい兄貴のすさまじさ。強烈な意地。頭がおかしい態度。全部、ほかの人には、わからない。全部ほかの人には関係がないことだ。けど、俺には、関係がある。ほかの人が考えているように、影響を受けないということは、「できない」。けど、ほかのやつは、どれだけやられたって、影響を受けなければいいんだ。無視すればいいのだということを言いやがる。これも、ヘビメタ騒音というのが、頭のなかのことなら、それでいい。自分には関係がない聞いた話……そういうことがあったということを聞いただけの思念(あるいは記憶)なら、実際には、まったく、自分の生活に影響を与えていないのだから、「無視しようと思えば、無視できること」だと思える。


*     *     *

アルバイト先で「まるまるさんはやりやすいから、いい(好ましいという意味)」というようなことを言ってしまったのだけど、ほかの人が、ひどすぎるんだよ。けど、「まるまるさんはやりやすいから、いい」と俺が言ったということが、そのまるまるさんに伝わると、まるまるさんは、いい気持ちがしない。ほかの悪いやつが「エイリがまるまるさんのことをなめているぞ」とか言いやがる。このほかの悪いやつは、ほんとうに悪いやつなんだよ。おまえらの性格がおかしいから、おまえらには話しかけずらく、やりにくいという意味なんだよ。もう、忙殺されて、いろいろと、どうでもよくなって、たとえばの話だけど「まるまるさんはやりやすいから、いい」というようなことを言ってしまう。軽い気持ちで言ったことだけど、言われた人……まるまるさんは、そりゃ、気持ちがよくないだろ。「おまえ、なめるなよ」というようことを言ってきた。「いや、なめてませんよ」と言っておいたけど、他い悪いやつとの比較で言ったということは説明しなかった。

この悪いやつはほんとうに悪いやつなのである。いちおう会社のなかで地位が高いのだけど、なんて言うのかな?性格がおかしい。で、なんて言うのかな……いろいろなところに、こいつがいるという影響が波及していく。俺とこいつの関係じゃなくて、俺とほかの人の関係に、こいつがいるということが影響を与える。こいつだって、俺がヘビメタ騒音にやられてなければ、そもそも、俺のほうが職階が低いとしても、ああいうふうな態度にはならないんだよ。ヘビメタにやられていると、まず、遅刻ということで、発言力が弱くなる。立場が弱くなる。あとは、もう、体力20分の1、気力20分の1、能力20分の1で「きばって」やっているわけだから、いろいろなところに穴があく。きちがいヘビメタ騒音は「つもる」。これがわかってないのであ~る。ほかの人は……。そして、履歴としても「ぱっとしないもの」が積み重なっていく。「ぼーっとしないで」とか「いつも、憂鬱そうで覇気がない」とか言われる状態になる。それは、気張っていてもそうだ。気張るというのは、本人としてはそういうふうに言われないように努力するということだ。けど、ヘビメタ騒音で疲れているので、どうしても、気張っている状態が、長くは続かない。ちなみに、気張っている状態も、非常にまずい状態なのである。これは、ほんとうに、毒ガスのなかで全力疾走しているような状態だからよくない。ほかの人は、体力20分の1、気力20分の1、能力20分の1の俺を、本来の俺だと思ってしまう。そりゃ、バカにするだろ。で、こういう現実を押し付けられる。きちがい兄貴が、きちがい的な意地で、きちがい的な態度で、きちがい的にこだわりがあるヘビメタを、自分がやりたいようにやるとなると、こうなってしまうのだ。俺が、「よそで」こうなってしまう。ほかのやつが知らないのは、わかるけど、きちがい兄貴なんて、どれだけ言われたって、ほかのやつより、知らない状態なんだぞ。これが、きちがい兄貴と言っているゆえんだ。俺が、兄貴のことを、「きちがい兄貴」と言っている理由だ。で、きちがい兄貴の態度が、おやじの態度とまったくおなじなのである。きちがい兄貴の思考回路がきちがいおやじの思考回路とおなじなのである。きちがい兄貴の認知システムがきちがいおやじの認知システムとおなじなのである。きちがい的な意地でやったことは、きちがい的な意地で認めない。「やったってやってない」ことになっている。これが、ひっくり返らない。殺したって、ひっくり返られない。ほんとうは、よその家では絶対にありえないようなでかい音で鳴らしているのに……常に鳴らしているのに、……常に、普通の音で鳴しらている「つもり」なのだ。どれだけ言われたって、一秒だって、譲るつもりがないんだよ。自分がほんとうにゆずるというのは、絶対にできない。おやじとおなじで、譲るなら、自分が思ったとおりのやり方で譲るということになってしまう。きちがい思ったとおりのやり方というのが、相手にとってはまったく無意味で、トラブルをさらに引き起こすようなことなのである。けど、本人がやってやったら、「やってやった!!!やってやった!!」ということになって、譲らずに(もとの行為を)やってしまうのである。だから、やっているのに、本人はまったく問題がないつもりでいる。ぜんぜん、譲ってないのに、譲ってやったつもりになっている。こういうことが、いつもいつも、成り立っている。いつもいつも、繰り返される。頭を取り替えないと、そのままなんだよ。

ともかく、普通の人とちがう。普通の人は、「静かにしてくれ」と言えば、静かしてくれると思っている。 「だから、エイリさんが言わなかったのが悪い」というように考えてしまう。それを俺が否定しても、これまた、こういう人たちは、自分の「意見」をかえない。

常に、ボロボロだ。こっちは、ヘビメタ騒音で常にボロボロで、ほんとうに、20分の1の能力でやっと動いているような状態なんだよ。一切合切のよゆうがない。よゆうがない。これがどういうことだかわかるか?

親友のところでも言ったけど、ほんとうに他人は他人だから、俺の経験したことがわからない。俺の体のことがわからない。普通に見えれば普通に働けると考えてしまう。

 

2021年1月31日日曜日

臨界期をこえた。こえまくった。長すぎる。長すぎる。

 腹減ったから、起きた。

けど、やばいぞ。寝違えたのか、首がちょっとだけいたい。しかし、なんだ?

やる気がしない。携帯電話・スマホ関係のことが、やりたくない。けど、期限が迫っている。

なんかこう……いたいところはあるにはあるけど、たいしていたいわけではない。そして、腹が減ったら、ご飯が食える。考えてみれば、まったくピンチではない。しかし、しかし、なんか、やばい感じがするんだよな。動くのがしんどい。めしも、シーチキンにした。缶詰。

人生、やばいなぁ。これは、……。たとえば、しあわせに笑って暮らしている感じがしない。ずっと、苦しい状態しか思い浮かばない。他の人には理解ができないことなのだけど、長期騒音で苦しい。結婚も、女も、全部、ヘビメタ騒音で、『いい状態』を考えることができない。他の人にはわからないとは思うけど、俺にとって、ヘビメタ騒音というのはそういうこと。

人生全部。そして、人生全部を破壊したもの。これ、同じ体を使っていきているのだから、無理なんだな。脳みそも含めて、同じ体を使っている。それじゃ、無理だよ。「それじゃ、無理だよ』というのも、他の人にはわからない。他の人は、『無理じゃない』と考える。そんなのは、思い過ごしだ。医者に行けば治ると思ってしまう。ヘビメタ騒音はそういうものじゃないんだよ。 

この雰囲気。脳みそを取り替えないと無理。ヘビメタ騒音にやられた脳みそだと、無理。医者に行ったって、解決しないんだよ。どうして、それがわからない。臨界期をこえた。こえまくった。長すぎる。長すぎる。

 

2021年1月30日土曜日

ようするに、生まれの格差「下」と生まれの格差「上」があるとすると

 普通の人という言い方は問題があるけど、普通の人の範囲に入っている人にしたって、ほんとうにいろいろな差がある。その差は、言ってみれば運命的な差だ。どういう体で生まれるか? どういう親の元に生まれるか? こんなことは、本人がどうこうできる問題じゃない。そういった意味で、このふたつにはほんらい、自己責任はしょうじてない。しかし、どういう体で生まれるか とか どういう親の元に生まれるかまで、ふくめて、すべて自己責任だとする考えたがある。これは、なんて言うのかな?そういうふうに言うことによって、すべての問題を解決済みにしてしまう思考だ。いったんは、解決済みにできるのであーーる。そして、それは、言った本人ではなくて、言った本人以外の人に向けられている言葉だ。ようするに、生まれの格差「下」と生まれの格差「上」があるとすると、生まれの格差「上」が、生まれの格差「下」に、おまえが「下」なのは、おまえが「下」だからだと言っているわけだ。それは、生まれながらに「下」なのだから、自己責任なのである。

こういうふざけた言説がまかり通ってしまう現代日本……。 

かなしいことに、洗脳がすすむと生まれの格差「下」が、特に自己責任論をふりまわしはじめるのである。どうして、洗脳がすすむかというと生まれの格差「上」にはパワーがあるからだ。権力があるからだ。「しくみ」をたもつうえで、格差「上」は格差「下」に、自己責任論を信じていてもらったほうがつごうがよいのだ。だから、いろいろな方法で、洗脳しようとする。これは、意図的な洗脳ではなくて、だいだい無意識的に繰り返されてきたような洗脳だから、たちが悪い。というか、普通の洗脳よりもより普遍的で強い洗脳になってしまうのである。ようするに、上のほうも、洗脳しようとしているわけではなくて、本人も、普通にそう思うようにできている。下のほうも、自分で納得するようになっている。共同幻想として維持される。もっとも、共同幻想の元のようなちからとして、うまいこと機能しているんだよな。共同幻想全体は、個々の共同幻想の集合体ではないのである。

まあ、わかりにくい説明になっている思うけど、自己責任論が出てくるのには、「土壌」があって、その「土壌」が問題なんだということ。まあ、その「土壌」のほうは、どうでもいいとして、ともかく、格差「下」が自己責任論を信じて生きてしまうのは問題がある。けど、そのほうが楽だと言えば楽なんだよな。あきらめがつくわけだから……。自分の責任だとほんとうに信じ込むことができるのであれば、「不条理」という圧力からは「かたとき」であれ、解放されるのだから。


2021年1月29日金曜日

ほんとーーにひどかった。

それにしても、きちがい兄貴がひどかったな。もう、午前九時五八分だが、朝の雰囲気は、たえられない。

ほんとーーにひどかった。毎朝、自殺を考えていたよ。
どのみち、いそいでも、遅刻になるということが決定したとき、歩いたけど、その時の気分が並じゃない。きちがいヘビメタでほんとうにくるしかった。毎日、くるしかった。くるしいだけの毎日だった。ほかの人と同じように、家に帰ったあと普通に勉強ができるなら、まるでちがっていたのに……。そりゃ、ぜんぶちがっていたさ。俺に対するほかのやつの態度から、俺の人生の到達度まで、すべてがちがっていた。

2021年1月28日木曜日

こういう必然性が、やられてない他人にはわからない。見えない。

 洗濯をしているさいちゅうだ。あとで、干す。しかし、どうしたもんだ。いろいろなことを考えてしまう。「相手が言ったこと」「俺が言ったこと」「あれはまずかったのかな」「言うべきではなかったのかな」「けど、言いたくなるよな」……などと、考えてしまう。

ヘビメタ騒音に関しては、とくに、そういうのがある。ヘビメタ騒音に関してはそういうことが多すぎる。多すぎる。「俺だってゲームのアトラクションでこわい思いをしたときがある」と言われて、けっこう、頭にきたんだよな。

けど、相手の気持ちを考えると、頭にくる必要はなかったかと思える。しかし、「その程度のことだと思うのか?」「そんなことじゃない」「それ一回だけと、毎日ずっと続いた騒音がおなじようなことであるわけがないだろ。

「何回、繰り返されと思っているんだよ」というようなことは、感じてしまった。 

けど、これを言うと……言ってしまうと、きらわれるし、相手を傷つけることになってしまうんだよな。

 

まあ、 いいや。

ともかく、そういうことも含めて、不愉快な出来事が積み重なってしまう。長期騒音という、……騒音問題が……人間関係の問題に発展してしまう。

そして、ヘビメタ騒音は、俺の社会人としての生活を奪った。けど、ほかの人には、これが見えない。ギャップがある。これは、どれだけ親しい人でも、おなじだ。

ぼくが経験したヘビメタ騒音をおなじ部屋で経験してない人は、ヘビメタ騒音の影響を過小評価する。「過去のことなら関係がない」「鳴り終わったなら関係がない」……「そんなことであるはずがないだろ」……。けど、他人にはわからない。

どれだけがんばったって、学校生活が破滅するし、社会生活が破綻する。頑張れば頑張るほど、社会生活ができなくなる。こういう必然性が、やられてない他人にはわからない。見えない。



 (書いた時間と公開した時間はちがいます)

2021年1月27日水曜日

「俺だってつらいけど、がんばって通っている」というようなことは、死んでから言え


あんときの、あれ、ない。

ヘビメタが「つもった」朝の雰囲気はない。

死んでしまう。

それを、死なないで、根性でがんばって通たのに……。それが、もっと死にたい気持ちを増大させるなんて……。あんなのはない。

ヘビメタが「つもった」受験日の雰囲気はない。

あれ、ないんだよ。ほんとうに、つらかった。あの、試験場に行く道が、すでに、「死」だ。死にたいのをこらえて行った。全部が全部、くるしかった。きちがいがめちゃくちゃな意地で、鳴らしたから……。ほんとうに、日々がすごいんだよ。どれだけ、きついか。ヘビメタ、やられて、朝起きるのがどれだけつらいか。

ヘビメタをやられたことがない人が「俺だって朝はつらいけど、がんばっている」なんて言うわけだから……。「俺だって……」。ヘビメタをやられてない人が、「がんばれ」という文脈で言うな。ほんとうに、ちがうのに……。何千日もヘビメタが続いたかどうか、ちがうのに……どうして、「おなじだ」という前提に立って「つらい」と言うのか? 「俺だって」と言うのか? あるいは、「みんな」と言うのか? そりゃ、ヘビメタ騒音をやられてない状態でも、朝がつらい日はある。そういうことは、わかっている。けど、そういう「つらい朝」と、ヘビメタ騒音をやられてからの「つらい朝」はちがう。質的にちがう。「がんばれ」という文脈で言う人たちは、実際に「通っている」わけで、「通える」。可能だという点で、ほんとうには、まいってない。くたびれて、つらい思いをして「通っている」みんなだって、通っているのだから、まだ、通えるぐらいのつらさだということだ。

通えなくなって、死んだ人は、そんなことを言わない。 通えなくなって、ダウンした人はそんなことは、言わない。「俺だって」と言う人や、「みんながんばっている」というようなことを言う人は、ほんとうには、まいってない。

余裕がある。

ぜんぜん、わかってない。

質的に、ちがう地点に立ったことがない。

一度もない。

だから、言える。言えるということが、質的にちがうつらさしか経験したことがないということの、証拠だ。そんなものじゃないんだよ。「ちがう」と言っているでしょ。

俺だから生きているんだぞ。通わないことにしたから、生きているんだぞ。

おまえら、まったくわかってないな。

そういう「弱い」つらさで、えらそうなことを言いやがって。そういう「弱い」つらさしか、経験してないから、そんなことが言える。「俺だってつらいけどがんばって通っている」と言える。「みんなつらいけどがんばって通っている」と言える。それは、ちっともえらいことじゃない。

説教できる立場じゃない。

きちがい野郎においつめられたことがないから、そう言える。どんだけ、おいつめられるか? 死に物狂いの努力が、どれだけむだになるか。そして、そういう時間も、ガンガン鳴っている。まったくわかってない。わかってないから、「俺だって……」と言える。「みんな……」と言える。

「俺だってつらい」は、死んでから言え。

「もう、死ぬしかない」というところまで追いつめられたことがある人は「俺だって」なんて言わない。 「もう、死ぬしかない」というところまで、追いつめられて、それでも通うつもりでいた人は、死んでる。「もう、死ぬしかない」というところまで、追いつめられて、行かないことを選択した人は、わかっているから、その言葉を口にしない。

だって、通っていないわけだから、「俺だってつらいけど、がんばって通っている」なんてことは、言わないだろ。通ってないわけだから……。その時点で通ってないでしょ。そういう人たちは……。

すでに死んでいる人か、すでに通ってない人しか、俺に対して「俺だってつらいけど、がんばって通っている」と言う資格がない。資格の問題だよ。

「俺だってつらいけど、がんばって通っている」というようなことは、死んでから言え。

わかっていただけるかたに感謝しております。ありがとう~~ございます~~

自分の身のまわりを良い言葉で満たしたい人は、是非そうしてください~
人に優しい言葉をかけたい人は、是非そうしてください。
自分の思いは現実化すると信じている人は是非信じて、現実化してください
(ぼくが)こういうことを否定しているととらえている人がいるみたいだけど、ぼくが言っていることはそういうことじゃない。●●ではない人のことをもっと考えましょうということです。思いやりがあるのとないのはちがう。全体思考だと、かならず、こぼれる人が出てくる。こぼれる人に対する配慮は、事前に考えておくべきことだということを言いたいのです。それから、ぼくにとって「言霊」というのは、議論の対象、考察の対象であって、信仰の対象ではありません。なので、「言霊について議論しましょう」と言っているわけで、「言霊を信仰するな」と言っているわけではないのです。ここらへんの違いについて注目してください。刮目。刮目。


●ヘビメタ騒音というのは

ヘビメタ騒音というのは、ヘビーメタル騒音という意味です。ヘビーメタルというのは、甲高い金属音と重低音が特徴となるロックの一種です。
兄がヘビーメタルにこって、一日中、どでかい音で鳴らすようになったというのが、僕が引きこもらざるを得なかった直接の理由です。本当は、ヘビメタ騒音のことは書かずに、一般論だけを書くつもりでしたが、そういうわけにもいかず、いろいろなところで、ヘビメタ騒音の話が出てきます。


あの生活はない。この人生はない。
時間は無限ではなかった。とくに若いときの時間は。

俺の小説には思想的な意味がある。俺の小説には心理学的な意味がある。だれも語りえなかったことについて、語る

日付のない日記型小説(散文)・手記的な小説・究極のネガティブ苦悩爆発文学 1、2、3、4、5、6、7、8、9、10ともほぼ同じことが書いてあるので、人間界の苦悩について興味がない人は読まないでください!!!!!

「騒音生活」「騒音生活が与える性格・人生への影響」「言いがたい家族」「困った人間の心理」「変な頑固さ」「平気で嘘をつく人(嘘を言っているのに嘘を言っているつもりがない人)」「自分勝手な脳内変換」「どれだけ言ってもなにも伝わらない人の心理的なしくみ・態度・おいたち」について興味がない人は読まないでください!!!

各巻は同じ主題を扱ったバリエーション(変奏曲)のようなものだと思ってください。

ぼくはまけない

「地下室の手記」ならぬ「騒音室の手記」だから、手記的な小説です。普通の主人公や脇役がいっぱい出てくる小説を期待している人は、読まないほうがいいです。そういう小説ではありません。

サイコパスが含まれるタイトルに関しては本当は納得してない。あんまり好きじゃない。けど、ある単語を使うと出版自体があやういので、しかたがなく、サイコパスという単語を使っている。サイコパスとつければ受けるとでも思ったのか?というような感想を持つ人もいるかもしれないけど、そういうことではない。

認識がズレている親にやられたこどもが住んでいる世界というのはちがう。



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「公開バージョン」はもとのバージョンの一部を文脈に関係なく削除したものなので、段落と段落のつながりがおかしい場合があります。(少し不自然な場合があります)。ご了承ください。

死にたいというのは、より良く生きたいということです。ぼくが「死にたい」と書いた場合、「より良く生きたい」と言っているのだなと、読み替えてください。心配にはおよびません。

過去に戻って、きちがいヘビメタ騒音なしでやり直したい。設定を変えてやり直したい。

用語解説:ヘビメタというのは、ヘビーメタルという音楽の分野を表す略語です。甲高い金属音と、超重低音が特徴となるクソうるさい音楽です。僕からみると、とても「音楽」と呼べるようなものではありません。本当に、特撮に出てくる「音」攻撃系の、音波です。あれはひどい。